どうか彼女に笑顔をと、彼は願った   作:アマネ・リィラ

9 / 21
第九話 ずっと、歩いてきた

 

 

 

 

 

 

 とぼとぼと歩いていると、いつもの休憩所に辿り着いた。無意識に人毛の無いこの場所に辿り着く辺り、こじらせていると出木希は自嘲する。

 しかし、内心がどうあれその表情は変わらず無表情だ。彼女の記憶は突然、フラッシュバックのように様々なモノを思い出す。それにいちいち反応していられず、自然と表情が消えていった。思考と表情が完全に切り離されているのである。

 そのせいで話しかけ難いのだが、大体自分のせいである。悲劇というか喜劇。

 

「…………あ……」

 

 だが、そこには先客がいた。缶コーヒーを片手にソファーに座っていたその青年はこちらに気付き、常の爽やかな笑顔を浮かべる。

 

「お疲れ様。今日は助かった。ここにいたら来るんじゃないかと思っていたんだが」

 

 嵐山准。ボーダーが誇る爽やかイケメンが、何故かそこに待っていた。

 思わず周囲を見回すが、誰もいない。しかも彼の言葉から察するに待っていたらしい。何故、と思うが、その前に希は静かに頭を下げた。

 

「…………今日は、ありがとうございました……」

「礼を言うのは俺の方だ」

 

 微笑を零す嵐山。その彼は立ち上がると、自販機で何かを買った。乾いた音と共に、一本の缶が吐き出される。

 

「カフェオレで良かったか?」

「…………はい、ありがとうございます……」

 

 受け取り、頭を下げる。気にしないでくれ、と嵐山は笑った。

 彼自身が忙しい上――というより嵐山隊が異常に多忙のため――話す機会はそう多くないが、嵐山准は希がちゃんと真っ直ぐに対応できる数少ない人間だ。彼の面倒見の良さがそうしているのだろうと思う。

 

「…………ブラック、なんですね……」

 

 彼が持っている缶コーヒーを見つめ、ポツリと呟く。嵐山は苦笑した。

 

「この後もちょっとやらなきゃ駄目な仕事があってな。眠気覚ましだ」

「…………仕事、ですか……」

「来月に入ってくる新人の受け入れについてだ。まあ、後はチェックするぐらいなんだが」

 

 嵐山隊はボーダーの『顔』という役割を担っている。多数のメディアに出演し、根付の指示の下ボーダーのイメージを作る彼らはその役目故に見目麗しい者が多い。正直、希自身よく声をかけられたモノだと思うくらいだ。

 その上でA級五位という位置にいる彼らの能力は凄まじい。明らかに他の隊と比べて訓練時間が少ないというのに、不満の一つも漏らさないのだから。

 

「…………大変、ですね……」

 

 ポツリと、そんな言葉を漏らした。彼らの大変さを見ていると――他人のために戦う姿を見ていると、自分一人のことさえままならない自分がどうにも情けなく思えてくる。

 今日もまた、無茶な命令を下された。どうすればいいのか、全くわからない。

 

「大変じゃないさ。確かにやることは多いが、俺たちは納得してる。誰かの為になれるなら、これ以上のことはない」

 

 爽やかに言い切る嵐山。こうして言い切れるのが、彼の強さなのだろう。

 眩しい、と思った。その姿はどうしようもなく……眩しくて。

 照らされる自分の愚かさが、引きずり出されているかのよう。

 

「そういえば、何の呼び出しだったんだ? 綾辻と木虎から会議室に呼び出されたと聞いたが。今日のことで何か言われたのなら、俺たちも呼ばれてしかるべきだと思ったんだが……」

「…………それは……」

 

 どう説明すべきか、迷った。相談したいとも思うが、迷惑をかけてしまうという思考が生まれる。今までの記憶からして、嵐山はきっと嫌な顔一つせず聞いてくれることだろう。しかしそれを、ただ受け入れることはできない。

 出木希の双眸は、映した全てを記憶する。両の耳は、拾った全てを記憶する。

 だがそれは、『事実』を記憶するに過ぎないと出木希は断じる。人の心は目に見えず、音になることもない。故に恐怖するのだ。わからないからこそ、恐怖する。

 

「ん?――三輪」

 

 言葉を探していると、来訪者が現れた。その者の名は、三輪秀次。彼は舌打ちを零すと、踵を返そうと僅かに足を動かす。

 ――目が、合った。

 その時の彼の表情と瞳は、困惑を宿しているようで。

 

「…………チッ」

 

 もう一度舌打ちを零すと、少し離れたソファーに座り込む。嵐山がそんな彼に苦笑を零し、三輪が座り込むのと入れ替わるように希が立ち上がった。

 ポケットから財布を取り出し――ボロボロの、二つ折りの財布だ――缶ジュースを一本、購入する。それはホットのコーヒー。

 

「…………どうぞ……」

 

 そして、それを三輪へと両手で差し出した。三輪は呆気に取られた表情を浮かべた後、それを受け取る。

 

「……礼を言う」

「…………いえ……」

 

 妙な空気だ、と思った。和気藹々としていたわけではない。だが、彼と特に何か会話をするでなくここにいる時間は、決して悪いものではなかった。

 理由はわかっている。自分が彼を――空閑遊真という少年を守る側に付いたことが理由だろう。三輪秀次という青年は近界民に強い憎悪を抱いている。それに真っ向から相対したのだから、それは嫌われて当然だ。

 でも、と希は思う。友人ではない。精々が知人と呼べる程度の間柄。それでも、その繋がりを失いたくないと、そんな風に思ってしまう。

 

「……何故、このコーヒーを選んだ?」

 

 ポツリと、自身の手に握られた缶コーヒーを見つめながら三輪は呟く。特に深い理由はない。単純に、それをいつも彼が飲んでいただけだ。

 

「…………いつも、飲んでおられたので……、お好き、なのかと……」

「――――」

 

 三輪が、呆然とこちらを見た。その表情に込められた感情は、とても一言では表現できない。

 彼は両手で缶コーヒーを握り締める。三人の座る位置は、小さな机を挟んで希と嵐山が隣り合わせに座り、その体面に三輪が座る形だ。彼は俯き、絞り出すように言葉を紡ぐ。

 

「出木……、お前はどうして、ボーダーに入隊した……?」

 

 その問いには、迷いが込められていた。まるで相手だけではなく、己に対する問いでもあるかのように。

 

「憎くはないのか……? 家族を奪ったのは、あの近界民じゃない……?――そんなこと、わかってる!!」

 

 堪え切れなくなったように、三輪は叫んだ。思わず体を震わせる希の隣で、嵐山が目を細めて三輪を見つめる。

 

「だが、近界民だ! 殺すべき敵なんだ! お前も奪われたのならわかるだろう!? あんなことはもう二度と起こしてはならない! 違うのか!?」

「……三輪」

 

 こちらを睨むようにして叫ぶ彼に、嵐山が思わずといった調子で言葉を紡ぐ。だが三輪は、希から視線を外さない。

 真っ直ぐな瞳だ、と希は思った。その源泉がどうであれ、彼の在り方はどこまでも真っ直ぐで。

 だからこそ、羨ましいとも思ってしまう。

 

「戻ってきたと、そう聞いた。四年前に家族を奪われ、そして三門市から去ったと。責めはしない。俺だって逃げたいと思った。だが、ならば何故戻ってきた?」

「三輪、待て」

 

 嵐山が三輪を止めようと軽く腰を浮かせるが、希がそれを首を振って否定した。

 人と向き合うのは怖い。今ぶつけられているこの意志も、最早希の記憶から消えることはない。だが、逃げてはならないとも思った。彼はこちらと向き合ってくれている。ならば逃げてはいけないと、そう。

 

「憎いからじゃないのか? 許せなかったからじゃないのか?――答えろ、出木!」

 

 それは慟哭のようだった。希は一度大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出す。そして何度も何度も、適切な言葉を探し始める。

 だが、浮かばない。思い出せない。この呪いは己を助けはせず、ただ、あの日の記憶を――

 

「――大丈夫か」

 

 相当酷い顔をしていたのだろう。嵐山がこちらの肩を叩き、そう問いかけてきた。それにより、意識が戻ってくる。

 他のことを考えていれば、あの日のことを思い出すことはない。小さく頷きを返し、希は口を開く。

 

「…………私は……、ただ、立ち向かう強さが……欲しくて……」

 

 言葉を紡ぐのは苦手だ。しかしこの二人は、真剣に耳を傾けてくれている。

 ならば、と思った。少しだけ、頑張ってみようと。

 

「――近界民は、私にとって恐怖の対象でしかありませんでした」

 

 静かな、その言葉が。

 耳を傾ける二人の心に、染み込んでいく――……

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 とある休憩所ではそんな風に修羅場が展開されているわけだが、一方こちらはこちらで問題だった。

 

「どもお二人さん、ぼんち揚げ食う――って、どうしたの太刀川さん?」

 

 目の前の光景に、思わず迅悠一は首を傾げた。№2攻撃手、風間蒼也は壁に背を預けて不機嫌そうにしているだけだが、総合№1にして攻撃手№1の男、太刀川慶はまるで生まれたての小鹿のように足を震わせている。

 

「気にするな。足が痺れてるだけだ」

「へぇ」

「やめろ迅! 触るな!」

 

 割と真剣に拒絶してくる太刀川。とりあえず彼が回復するのを風間と共にぼんち揚げを口にして待っていると、回復したらしい太刀川がぼんち揚げを口にしながら言葉を紡ぐ。

 

「……まったくお前は意味不明だな」

「おれには太刀川さんの方が意味不明だったけど」

「いやそうじゃない。〝風刃〟のことだ」

 

 言い回しこそ責めているようだが、その口調からは敵意を感じない。ふむ、と迅は首を傾げる。

 

「何か問題あった?」

「大ありだ! 取り返せ! そしてもっかい勝負しろ!」

「無茶言うね太刀川さん。強奪しようとしたら本部長越えてかないといけないんだけど」

 

 苦笑する迅。その彼に、不機嫌そうに風間が言葉を紡いだ。

 

「黒トリガー奪取の命令は解除された。俺たち全員、今回の件について咎められることはないと聞いている。だが、〝風刃〟を手放すつもりがあるなら初めからそうすればよかっただろう」

「いやー、それだと城戸さんたちは納得しなかったんじゃないかなー。あの時点じゃ、〝風刃〟に箔が足りなかったと思うよ。太刀川さんたちのおかげでようやく、鬼怒田さんたちを動かせた感じかな」

「……俺たちを派手に蹴散らすことで、〝風刃〟の価値を引き上げたということか?」

「ご名答」

 

 不機嫌そうに言う風間に笑顔で応じる。舌打ちでも零しそうな表情を風間は浮かべた。

 

「まったく、ムカつく奴だ」

「……そうやってお前があそこまで拘った〝風刃〟を売ってまで近界民をボーダーに入れる理由は何だ? 何を企んでる?」

「城戸さんにもそれ聞かれたけど、何か企んでるとかそういうのはないよ」

 

 腕を組んでの太刀川の言葉に迅はそう言葉を返す。そう、企んでいるわけではない。確かに近い未来、彼がいることで良い未来に転ぶ可能性がある。だがそれとは別に、迅悠一は彼の手助けをしたいと思ったのだ。

 

「うちに新しく入った遊真ってのが、結構ハードな人生送っててさ。おれはあいつに楽しい時間を作ってやりたいんだ」

「楽しい時間?」

「そう、楽しい時間。おれは太刀川さんたちとバチバチにやり合ってた頃が一番楽しかったからさ」

 

 ボーダーが形になり、毎日のように技を競い合う日々。あの頃が、迅悠一は一番楽しかった。

 

「ボーダーには遊び相手がたくさんいる。あいつもきっと楽しい毎日になるはずだ。あいつは昔のおれに似てるから。……そのうち上にも上がってくると思うから、その時はよろしく」

「へぇ、そんなにできるのか。ちょっと楽しみだな」

「……理解出来んな」

 

 頷く太刀川の隣。風間が鋭い視線を迅へと向ける。

 

「〝風刃〟はお前の師匠の形見だろう?」

「手放したぐらいで最上さんは怒らないよ。むしろ隊員同士の争いがなくなって喜ぶと思う」

 

 気負うことなく笑みを返す迅。そして、そうそう、と思い出したように言葉を紡いだ。

 

「そういえば、おれ黒トリガーじゃなくなったからランク戦復帰するよ。とりあえずソロでアタッカー一位目指すからよろしく」

「――そうか! もうS級じゃないのか!」

 

 嬉しそうな笑みを浮かべ、迅の両肩を叩く太刀川。三年振りのライバルの復帰に、彼は誰よりも喜んでいた。

 

「これは面白くなってきた! なあ風間さん!?」

「……面白くない。全然面白くない」

 

 対し、不機嫌そうに言葉を紡ぐ風間。そこで彼は、ふと思い出したように言葉を紡いだ。

 

「ソロで思い出したが……出木は何故呼び出されたんだ?」

「希ちゃん? まあ、隠すことでもないか。城戸さんに部隊に入れって指示出されてたよ」

 

 何の気もなしに迅は言うが、風間が眉をひそめた。どういうことだ、と彼は言葉を紡ぐ。

 

「出木は部隊に所属する意思がないと思っていたが、上が業を煮やしたのか?」

「そうなのか風間さん」

「あー、みんなそう思ってたみたいだね。……実を言うとさ、希ちゃんはむしろ部隊に所属したいと思ってたみたいなんだ」

 

 苦笑を零し、迅は言う。風間が驚いた表情を浮かべた。

 

「……何だと?」

「さっき本人が言ってたんだけど、希ちゃんを誘ったことがあるのはこの一年で嵐山だけだったとか。その嵐山隊も結果的に木虎を入隊させたし、それ以来どこにも誘われなかったみたいなんだよね」

 

 気付けなかったことに後悔がある。気付けたはずなのだ。彼女が嵐山の隣で――皆の隣で笑っている未来を、一度だけ視たことがあったから。

 その時に気付くべきだった。出木希という少女の原点は、憎悪ではないということに。

 尤も、下手な関わり方をすれば彼女の未来が最悪の形に歪む可能性も視えていたのだが――

 

「どこにも? それは本当か? 信じられないな……あの実力なら、どこも欲しがるだろう」

「お、高評価だね太刀川さん。希ちゃんに5-0で勝ったって聞いたけど」

「結果はな。だが、あの守りを崩すのは想定以上に手こずった。チームでやり合うなら相当面倒だろう。歌川と菊地原を相手にしても凌いだようだし」

「まあ、アレは本当に凌いでただけみたいだけどね。……色々と、歯車がずれちゃってただけだと思う。でもそれが、抜け出せない悪循環に希ちゃんを追い込んだ」

 

 己を鍛えることしか知らぬ少女は、ひたすらにそれを繰り返した。強くなればなるほどにその孤独な振る舞いが加速し、人が消えて行くのに。

 それでも、それしか知らなかったから。

 

「希ちゃん自身も悪いところがあったと思う。ちゃんと向き合って、勇気を出してれば変わってた。でも、できなかったんだよ」

 

 彼女の人生が、それを許さなかった。人と向き合うこと――他人は、彼女に取って安らぎとなった事が無かったが故に。

 

「まあ、それでちょっと荒療治にね。それでどう? 二人の部隊に希ちゃんは?」

「……優秀ではある。だが、うちの隊には合わんな」

 

 風間が首を振る。それは当然だろう。風間隊が得意とするのはカメレオンを用いた隠密戦闘だ。正直、出木が適応する姿はイメージできない。

 

「うちなら欲しいところだな。出水がより動きやすくなる」

 

 対し、太刀川は歓迎の意を示す。出木希という駒は要するに『崩れにくい駒』である。彼女が時間を稼げば、その隙に相手を狩れるだけの能力が太刀川隊の二人にはあった。

 ……もう一人太刀川隊には隊員がいるが、触れない方がいいだろう。

 

「だが、俺も風間さんもA級だからな。あまり良い話ではないだろう」

「やっぱりそうかなー」

「一年、ソロであり続けた挙句に太刀川隊入りとなると、余計な反感を間違いなく買うだろうな」

 

 冷静に告げる風間。彼の言う通りだ。これが出木が入隊したてであり、その才能を太刀川が見込んだというならいい。だが、彼女は一年もの間一人で鍛錬を続けている。その上、『どこの誘いも断っている』という噂が更にその厄介さを上げていた。

 仮に太刀川隊に入隊すれば、無用な厄介を生むことが目に見えている。うーん、と迅は首を捻る。

 

「あんまり干渉し過ぎるとよくないし、でも放っておくのもな……」

 

 視えた未来は無数の形を映していた。だが一つ共通するのが、ここが分岐点ということだ。ここで彼女に一歩が踏み出せるかどうかで、未来が変わる。

 しかし、彼女に直接促すのは下策だ。それをしてしまうと、歪んでしまう。

 もうすでに、彼女自身は歪んでいるのかもしれないが――

 

「何だ、随分と御執心だな」

「んー、さっき言った遊真もそうなんだけど、希ちゃんも結構ハードな人生送ってるっぽいんだよね。それに、二人は知ってると思うけど近々来ると予想されてる近界民の侵攻。あそこで希ちゃんが動けることが良い未来に繋がる要素の一つになる」

 

 二人が表情を変えた。それは、と風間が言葉を紡ぐ。

 

「個人でそこまで未来が変わるというのか?」

「いや、確定じゃない。むしろ希ちゃんが関わることで悪い方に行く可能性もある。でも、手札は多い方がいいでしょ?」

「確かにな」

 

 納得を見せる風間。でもまあ、と迅は笑みと共に言葉を紡いだ。

 

「多分、大丈夫だと思うよ。適任なのがいるはずだから」

 

 自信満々に言う迅。その姿を見、二人は小さく笑みを零す。

 対立することがあっても、根本においては仲間である。それも、互いの背中を預けることもある相手だ。故に、その信頼は強固である。

 だから、きっと大丈夫。

 そう、きっと。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 静かに語る少女の言葉に、二人は耳を傾ける。淡々と語られるその内容は、あまりに重い。

 

「…………『他人と違う』と自覚したのは、小学生の頃で……。私は『何もかもを記憶する』ことができました……」

 

 名付けられたその力の名は、〝瞬間完全記憶能力〟。

 目にし、耳にした全てを記憶し、自在に――或いは勝手に思い出す、呪いの力。

 

「……最初は、特にそれで困ることはなく……、けれど、他人にとってこの能力は憎いようでした……」

 

 羨望と嫉妬。究極的なことを言えば、この能力があればおおよそ『勉強』と呼ばれるモノについて苦労することはない。学校教育における勉強とは最後は記憶だ。一度全教科で満点を取ったのはこちらに戻ってきた際に加減がわからずやらかしたが故である。

 そして、嫉妬はいつしか悪意となる。

 元々大人しい性格ということもあり、孤立するのは早かった。

 

「…………覚えているのは、悪意ある言葉の繰り返しで……、私の記憶では、ある時を境に他人からは悪意の言葉のみを聞かされています……」

 

 いっそ壊れてしまえば、逃げ出してしまえば。そうすることができれば、良かったのかもしれない。

 だが、できなかった。立ち向かうことは無論のこと、逃げ出す勇気さえなかった。孤独に過ごし、他人の視界に入らぬよう、意識を向けられないように。

 そうやって、生きてきた。

 

「…………勇気が、あればと……、変わる勇気があれば……でも、いつも私の中で、私自身が問うのです……」

 

 右の掌。小さなそれを見つめ、希は呟く。

 

「――〝拒絶されるだけだろう〟」

 

 一度勇気を出した程度で変わるなら、こんな風になっていない。

 その程度のことは、わかり切っていた。

 

「…………何気ない一言でさえ、忘れられない私は……それが、怖くて……」

 

 悪意をぶつけられても、喧嘩をしても、その相手と表面上であれ人間がやっていけるのは『忘れる』からだ。正確には思い出せない、なのかもしれないが、どちらもできない希にはそれが恐怖となる。

 

「…………向かい合えば、それを思い出します……そうしたらもう、向かい合うことはできなくて……」

 

 だから、こうなった。

 こんな様に……成り果てた。

 

「…………四年前に、家族を奪われて……、今でも、覚えてます、この手が、体が、血に――」

 

 両手を見つめると、弟の血で染まった両手が思い出される。同時、死んでいくその体が。

 少しずつ、少しずつ冷たくなっていく感触。そして何より、死にたくないと、そう口にした姿が、浮かんできて――

 

「――――」

 

 その手を、隣の嵐山が握ってくれた。無理をするな、と彼は言う。

 

「無理に吐き出す必要はない」

「…………わた、し、は……」

「ただ、話してくれるなら聞こう。最後まで、全てだ。俺も、三輪も。決して逃げない」

 

 声が震えていることがわかった。三輪の方を見ると、彼はこちらから視線を外さずに真っ直ぐ見詰めてきている。

 

「…………私は、逃げました。あの日から……、逃げて、逃げて、逃げようとして……っ」

 

 嵐山の手を、縋るように握り締める。恐怖が、思い出される。

 

「……逃げられ、なくて……前に、進みたくて……っ、でも、勇気が、なくて……っ」

 

 一人でいることには、もう、耐えられなくなっていた。

 家族という最後の拠り所を失い、心は壊れる寸前で。

 

「……わかってた、んです……、駄目、だって……、ちゃんと、自分で……自分から、話さないと……って、でも、できなくて……っ」

 

 最後に縋りついたのは、『強くなる』ということ。

 誰かが望んでくれるだけの強さを手に入れたなら。

 ――きっと、誰かが。

 手を伸ばしてくれると、叶わぬと知りつつ、縋りついた。

 

「どう、すれば……ッ、どうすれば、私は……」

 

 部隊に入れ、或いは創設しろと。城戸司令はそう言った。

 それは、最後通告だ。もう逃げるなと。逃げることは許さないと。少なくとも出木希には、そうとしか聞こえなかった。

 なのに、変われない。未だ自分は立ち止まったままだ。

 四年前のあの日から。

 何一つ、変わっていない――

 

「……私は……、自分が、私自身が……」

 

 そんな自分が。

 他人のように、上手くやれない自分自身が。

 

「…………大嫌い、です……」

 

 誰よりも、大嫌いだった。

 

「――――」

 

 沈黙が下りる。だが、それも長くはない。

 立ち上がったのは三輪だった。彼はこちらを見下ろすように見つめてくる。

 

「……俺の中にあるのは、奴らに対する憎悪だけだ」

 

 はっきりと、彼はそう告げた。

 

「ただ、誤解していたことは詫びる。……すまなかった」

「…………いえ、私が……ちゃんと、話していれば……」

 

 どことなく、三輪の瞳は穏やかだった。ただ彼はこちらに背を向け、歩き出す。

 

「それでも、俺は近界民を許せない。生涯、許すことはない」

 

 言い切り、立ち去っていく三輪。その背に、希は言葉を紡ぐ。

 

「…………私はそれが……羨ましい、です……」

 

 どんな形であれ。

 立ち止まってしまった自分とは違い、前に進む彼が……眩しかった。

 

「――――」

 

 三輪は一瞬、呆気に取られたような表情を浮かべ。

 何かを言いかけるも、何も言わずに立ち去って行った。

 

(……そっか……)

 

 嵐山と二人残され、希は天井を見上げる。

 あれだけみっともなく言葉を吐き出したのに、胸の中は澄んでいた。きっと、何も言わずに聞いてくれた彼らのお陰だ。

 こうすることが、ずっとできなかった。

 できなかったから、こうなった。

 今更気付いても……遅い、けれど。

 

「出木は、本当に逃げたのか?」

 

 不意に、嵐山がそんなことを言い出した。吐息のように声が漏れ、彼の方を見てしまう。

 嵐山は腕を組み、難しそうな表情をしている。

 

「いや、出木の経験が嘘だとか、そういうわけじゃない。辛かったと思う。ただ、逃げたと言っていたが……本当にそうなのか?」

「…………私は、逃げました……」

 

 あの日、家族を失って。

 絶望と恐怖の記憶を植えつけられたこの地から、逃げ出したのだ。

 

「……逃げて、でも……逃げ切れなくて……」

「四年前の三門市から離れることはおかしなことじゃないだろう。俺の家もそうだった。引越しを何度も検討したよ。特に家族を失ったなら尚更だ。命を守るためにはおかしな選択じゃない」

 

 しかし、彼はそれを否定する。

 

「それに、戻ってきたじゃないか。今はネイバーとも戦ってる。恐怖しかない、と言ってたが、ちゃんと立ち向かってるだろう?」

「…………それは……、訓練でどうにかしただけで……」

「十分だ。怖いと思うモノに――それも、家族を目の前で奪った者にどんな理由であれ立ち向かったなら、それは勇気だ。それこそ出木の言うように逃避の果てであったとしても、な。それは誇っていいことだと思う。少なくとも、今日俺は出木に助けられた。俺を助けてくれた力は出木希が努力して、考えて、そうやって手にした力だ。それは嘘じゃないだろう?」

 

 思わず嵐山の顔を見つめる。その顔にはこちらを憐れんだり慰めたりする意思は浮かんでおらず、だからこそ困惑した。

 彼は本気で言っているのだ。こんな無様な自分を、評価して。

 

「逃げることは悪いことじゃない。ボーダーに入って、ネイバーと戦うようになって余計にそう思うようになった。逃げずに立ち向かうことだけが勇気じゃない。逃げることにも勇気が必要だ。……逃げ切ればいいじゃないか。いつかきっと、そんな日々を笑って語れる日が来る。笑顔で、泣きながら家族を思い出せる日が来るよ」

「…………来る、のでしょうか……」

 

 そんな、夢みたいな未来が。

 本当に……来るのだろうか。

 

「きっとな。未来はわからない。迅でさえ完全にはわからないんだ。でも、出木は言われたんだろう? 『未来は来る』って。迅は確かに胡散臭い部分もあるが、嘘は言わない。その辺りは信じていい」

 

 そうなのだろうか。

 望んでもいいのだろうか。

 こんな自分でも、未来を。

 

「それに、俺は出木のことをこれでも評価してる。それこそうちの隊に入ってくれていたら、とは何度も思ったよ」

「…………え……」

「ああ、誰かの代わりにとかじゃないぞ? 綾辻も、充も、賢も、木虎も大切な仲間だ。そこに出木がいたら、きっと楽しいだろうなって思ったんだ」

 

 ははっ、と照れ臭そうに笑う嵐山。それはとても魅力的な未来で、だからこそ、切ない。

 

「…………そんな未来が……望めたら……」

 

 どれほどいいだろう、と思った。

 だがそれは、望めぬ未来だ。

 

「大丈夫だ。皆、出木のことを受け入れてくれる。何かあったら俺のところに来るといい。綾辻でもいい。どうも随分と気に入ってるみたいだしな。木虎もあんな風だが、大分気にかけているみたいだぞ?」

 

 そこで思い出した。そういえば、木虎と話をするという約束をしていたのだった。ただ今日は時間も時間であるため難しそうだが。

 

「さて、もういい時間だ。送ろう」

「…………え、あ、ですが……」

「遠慮するな。こんな時間に一人で帰らせる方が危ない」

 

 三門市はネイバーのことがあるせいで夜の治安はそこまで悪くない。だが確かに時間は深夜に差し掛かろうとしている。多少は危険かもしれない。

 

「…………ありがとう、ございます……」

「気にするな。また一緒に御飯でも食べに行こう」

 

 爽やかに笑う彼。その姿は、とても眩しい。

 ――その笑顔に、救われた気がした。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 自宅までは、静かに帰った。あまり多くの言葉は交わさなかったが、とりあえず部隊に所属するように言われたことだけは伝えた。

 嵐山は驚いた後、それならすぐに見つかるだろうと言ってくる。思わず首を振って否定したのだが、彼は譲らなかった。珍しい。

 正直、それで簡単に決まるくらいなら既にどこかに入隊できていると思うのだが……。

 

「今日はありがとう。本当に助かった」

「…………いえ……」

「それと、何かあったらいつでも来てくれて構わないぞ。歓迎する」

 

 アパートの前で、彼はそう言って微笑んだ。もう一度、頭を下げる。

 それに彼は苦笑すると、立ち去り際に言葉を紡いだ。

 

「もっと自信を持った方がいい。ちゃんと努力して、頑張ってここまで来たんだ。それは嘘ではないし、誰かに否定されるものでもない。逃げた先であろうと立ち向かった先であろうと、そこで手にした力は自分の力だ」

 

 思わず、己の手を見つめる。

 ……そう、なのだろうか。

 こんなちっぽけな力でも、誇っていいのだろうか。

 

「それに、自分を嫌いというのもなしだ。少なくとも俺は、出木のことが好きだぞ」

「――――」

 

 思わず固まってしまった。呆然と彼を見つめる自分に、言葉を紡ぐ。

 

「三輪だってそうだろうし、緑川たちもそうだろう。少なくとも、俺が知ってる中で嫌ってる奴はいない」

 

 だから胸を張れ、と言い残し、彼は立ち去っていく。

 その背をただ、呆然と見送り――

 

 

 ――トクン。

 

 

 静かに、心臓が高鳴った。

 

「………………え…………」

 

 顔が、熱い。

 心臓の音が、大きい。

 

「……………………」

 

 冷たい風が、体を震わせ。

 くしゃみを一つ零すまで、希はそこに立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 















沈黙の鬼兵 のぞみ

超コミュ障ぼっち気質目隠れ鉄拳ガール。挨拶以外に何も喋らない日さえあるという筋金入りの無口。家族を奪われ、一度三門市を去るも戻ってきた復讐者との噂が流れている。本人は喋らないのにボーダー内では多くの噂が流れているが、それらの真偽は不明。戦闘スタイルは鉄壁を謳われる防御型で、主にカウンターを主体とする。鉄拳については頭のいい筋肉の戦闘を見た際、「あんなことしていいんだ」と呟いたとか。着痩せするDカップ。




  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。