▫独自解釈が多々含まれます
▫廃人御用達スキルみたいなのは出てきません
▫一応ですが改造ポケモン容認派です(←否定派がいるのかは知りませんが)
▫↑けど改造ポケモンは出てきません
以上のどれか一つでも苦手項目があればブラウザバック推奨です
大人にとって子どもの夢
私は裕福な家庭の一人息子として生まれた。
自慢じゃないが、私は昔から頭の良い子だと言われて育てられてきた。親が言うには昔試しに受けさせたIQテストで平均を大きく上回っていたようだ。
しかし期待は時として大きな重圧になり、10歳を超えた辺り、つまりポケモンの携帯を許された年齢になる頃には期待に応えることよりも期待をかわすかを考えるようになっていた。
私としては10歳になったらポケモンを持ちカイナタウンを出ようと思っていたからね、誕生日を迎えた時はそれはウキウキとしていたんだ。
誕生日前夜に考えていたシナリオは
誕生日プレゼントを貰う
↓
なんとそのプレゼントはモンスターボールで中にはポケモンがいた!
↓
私はありがとう、と涙を目に溜め旅に出ることを決意する
↓
そして次の日そのポケモンと一緒に旅に出る
といったものだった。
…今思えば突っ込みどころが満載だね。まあ今更言ったところで後の祭りなんだけども。
でも実際は違っていた。といってもそんなに違うこともなかったんだよ?
ポケモンを貰えたところまでは同じだった。さすが私の頭脳。というよりもあれかな。みんなが思いつくようなこと。
差異は旅の部分だ。その時の親の言葉は今でも覚えている。
「とりあえずポケモンに触れて感性を伸ばしなさい。大学で研究するんでしょ?頑張ってね」
…ひとつ言っておく。私は大学に行くといった覚えはない!大学で研究よりも外でバトルをしたいんだよ!
だがその場でそのことを言えるほど私は強くはなく、ついに惰性で生きて早22歳。
世界的権威であるオーキド博士の母校のタマムシ大学を卒業して留学から帰るとき、私の元にある知らせが届いた。
──両親が事故にあって亡くなりました──
私にとっては正直煩わしかっただけの存在だったのだが、それでも、いやそれだからこそとてつもない空虚感に襲われた。
知らせを聞きすぐに故郷に帰って確認したところ、原因はトラックの居眠り運転によるものだと判明した。
カイナシティは市場が有名であり、全国へ届けるために多くのトラックが行き来する場所でもある。居眠り運転の事故も全然聞かない訳では無いので、恐らくはそんなとこだろうと考えたいた。
私の祖父母はすでに亡くなっており、また親戚もいない。
従って喪主は私が行うことになり、葬式もつつがなく終わった。
◇◇◇
さて、これからどうしようか。
両親が亡くなったというのにそんなことを考えていた気がする。なぜならいつもは私の道を決めていたのは両親だったからだ。
だがもうその両親はいない。
やりたい事もその時は思いつかなかった。いや、正確に言えばあったのだろうが、いかんせん年齢がねえ…。
ポケモンジムに挑戦するというのは一つの手だったのだろうが、ジムに挑戦する人の平均年齢は確か14歳だったはずだ。
成人してから12年も経った大人が入る場所ではない。
せっかくタマムシ大学の携帯獣学部を卒業したのだから、研究の道に進むという手もある。
しかし私はあまり研究に興味をもてなかった。もともと研究肌ではなかったのだろうね。
考えるのをそこでやめて、ふと思い出に浸ろうという気になった。普段は考えたくもなかった両親だけど、いざいなくなると寂しいものだ。
そんなことを考えながらアルバムを開いた。
初めて市場に連れていってもらった時の写真
──そういえば最近行ってないなあ。ちょうど帰国したんだし今度気晴らしに行ってみようかな。
近場の海の科学博物館に行った時の写真
──確かここでも頭が良いと言われたんだっけ。あの頃は無邪気に喜んでいたはずだ。
家から南に下ったところにある海に行った時の写真
──夏は人が多くてすごく賑わうんだよな。友達と泳いだ時はとても楽しかった。
誕生日に家族で撮った写真
──ああ…いつの日も、どんな日でも誕生日はなぜか家族の繋がりを認識させてくれた不思議な日だった。
感傷に浸っていると、こぼれ落ちる涙をとめることは叶うはずもなく写真を見ては泣いていた。
そこでふと1枚の写真に目が止まった。
初めての海外旅行で行ったライモンシティの遊園地での写真
イッシュ地方に行ったのは後にも先にもこの時一回だけだった。そして、遊園地へ行ったのも。
──この時の心境は今でも覚えている。ちょうど思春期に入った頃に行ったので、とても楽しかったがもう1度行きたいと恥ずかしくて言えなかったのだ。
こんな楽しいところを作れるなんてすごいなあ。自分が作るとなった時を想像すると心が踊る。
だが自分は設計なんてできないし、なによりそんなに面白い人間でもない。
「できることなんてポケモンバトルとか乗り物の運転くらいしかないしなあ…」
改めて口に出すと自分がどれだけみっともない人間か嫌でも理解させられる。自分で言ったとはいえ、少し惨めな気分だ。
ポケモンバトルはさっき言ったとおり子どもの頃から興味があったので、勉強の暇を見つけては友達としていたのだ。
今のポケモンバトルのルールは以下の通りだ。
・ポケモンは特にルールがない場合6体まで携帯してよい。
・技は4つまでしか使ってはいけない。審判に申請していない技を使うと反則負けとなる。
・持ち物は過度でないと判断されなければ1つまで保持して良い。(鎧や剣などは不可)
・審判が瀕死とみなした時点でポケモンバトルは終了する。
大雑把に説明するとこの4つが最重要になってくる。
2つ目のルールはトレーナーになりたての子どもがよく間違えるのだが、ポケモンは別に4つまでしか技を覚えられない訳ではない。ただバトルの際は4つまでと規定を設けないと、どうしても技をたくさん覚えるポケモンの方が有利になってしまうのだ。
このルールには賛否両論あり、これの反対意見としては一つの技に特化させるという戦法もあるのでポケモンバトルの幅を狭めることはすべきではない、というものだ。
確かにその通りではあるのだが、4つまでならば相手がなんの技を使ってくるかを予想して自分のポケモンの技を選りすぐりする点ではこちらも一種のスポーツなのだ。
3つ目は言わずもがな、4つ目が大切なのだ。
どのスポーツでも審判は大事なように、ポケモンバトルにおいても審判は欠かせない存在である。
過去に審判が判断を誤って片方のポケモンが完全に死んでしまった事例がある。これにより私の故郷にあるポケモンだいすきクラブを中心として暴動が起きた。
それ以来、審判はより厳密な判断が必要になったのだ。
閑話休題
やる事もなく道を歩いているとある子ども達が
「お前また落書きしただろ!町の人怒ってたぞ!」
「ごめんごめん。次はばれないとこにするよ」
「そういう問題じゃない!お前は全く壁とか看板とか……」
「そうだ、ポケモンバトルの遊園地でもあったら楽しそうなのにねー!」
「まあ楽しそうだけど、俺は普通の遊園地がいいなあ。てか話を逸らすんじゃねえ」
「ごめんごめん。でも絶対人気になるよ!」
といったたわいもない会話をしていた。こういう持ちつ持たれつの関係は見ていて微笑ましい。
…それにしても、なるほどね。やはり子どもの考えはクリエイティブなもんだ。
私は意を決してその子達に話しかけた。
「その話、もうちょっと聞かせてくれるかい?」
「ポケモン遊園地の話?いいよ!僕達最近イッシュの遊園地に行ったんだ!でね、その中にはポケモンジムがあってとっても楽しいの!ジェットコースターとポケモンバトルが一緒になってるのを見て、僕もしてみたいなって思ったのがこれ考えたきっかけ!」
昔私が行った時にはなかったのにポケモンジムなんて出来ていたのか、と考えていると続けてその子はこう言った。
「アロハのおじさんもそういうとこ行ってみたくない?」
アロハのおじさんとは私のことか。まだ22歳なのになあ…
「そうだね、私も行ってみたいと思うよ。なんならおじさんが作ってあげようか?」
「どうせそう言っといて作れないのがオチなんでしょ?」
「俺もそんなのは作れないと思う!」
「2人揃ってひどいこと言うなあ…。ならさ、15年…いや、10年待ってくれない?そしたら私が作って待っているからさ」
私はなぜそんなことを言ったのかは今でもわからない。だが二人は不審者丸出しの提案に身じろぎせず乗ってきた。
「ならさ、名前教えてよ。じゃないと信じてあげないよーだ」
「やめとけ。こいつあれだ。さぎしってやつだ!!」
「失礼な。私は別に詐欺師じゃないって。騙されたと思って信じてくれないかな?まあ、といっても別に騙すわけじゃないからね」
適当な言葉遊びを交えてみたものの、まだ子どもにはわからないんだろうね。
「でも本当に作れるの?」
「てか名前言ってねーじゃん。やっぱこいつさぎしだ!」
「ごめん、言ってなかったね。私はエニシダっていうんだ」
「僕の名前は「ああ、言わなくていいよ」……え?」
食い気味にいうと遮られた彼は少し怯えた目になっていた。
「ああいや、ごめん。別にそんな気はなかったんだ。でもできるなら遊園地で改めて名前を聞きたいな、なんて思っただけだよ」
それを聞いたもう片方の子が勢い良く言ってきた。
「それかっこいいな!でもその頃は俺達成長してて多分わかんねーから、エニシダの名前を呼ぶな!そしたら絶対来てくれよ!」
「そうだね、じゃあ10年後まで待っててくれ」
「絶対だよ!約束だからね!」
それを聞いた私は「ありがとう」と言ってその場を後にした。
家に帰ると私はすぐに構図を考え出した。といっても、建築なんて全くわからないから原案と言った感じのものだが。
どうせなら「ポケモンバトルの聖地」というような肩書きがほしいので、やはりポケモンバトルは全面的に売り出すべきだろう。
しかし遊園地的な楽しさも残しつつ、飽くまでポケモンバトル+αのイメージを追求していこう。
そんなことを考えながら、筆をせっせと動かしていた。
これは、その5年後にある1人の青年がエリート街道をドロップアウトしてポケモンバトルの遊園地、後にバトルフロンティアと呼ばれる施設を作る話である。