高貴な好奇心   作:征人

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香る茶葉に舌を揺られて

 大型の鳥類を模した透明色の翼が、雲間をかき分けて上下に揺れる。その切れ間からぽつぽつと点在する島々は、大小さまざまな規模を備えて空から来たる旅人を待ち侘びていた。

 

 この小さな欠片のような島たちに幾千もの生物たちの命が宿っている。時には在郷のような雰囲気で、時には戦火に曝されながらも、今あるこの時の流れを感じさせながら、生き物たちは生ある営みを続けていた。

 

 各々の使命を帯びた団員たちを乗せる中型騎空艇「グランサイファー」は、優秀な操舵士の手によって快適な空旅を続けていた。

 

 時刻は正午を回る頃だろうか。昼食時も終え、食後の運動と言わんばかりに各人が武器を片手に鍛錬を始めたり、また読書に興じたりなど――余暇を使う頃合いでもある。

 

 そんな中、灰色の髪を風に遊ばせながら少女――センは、自らの瞳の色とは対義の空の底を、騎空艇の甲板から眺めていた。

 

 揚力を絶妙なバランスで発生させているグランサイファーの羽根を見つめ、木造で作られた手すりに腕を乗せて顔を埋める。誰もいない甲板はセンだけの空間を形成していたが、今ではそれが妙に寂しく孤独感を募らせていく。

 

 いつもなら団長の部屋に行き、最近教えてもらった腕力強化の特訓(猫じゃらし)で鍛錬に励むつもりだったが、今日はそれも叶わず。グランは今、各島から寄せられた依頼の山に頭を悩ませている最中だった。ドアを覗けばエクリシール片手に沈んだ様相。察しのいいセンは作業の邪魔になるだろうと思い、一人この場で時間を潰していたのである。

 

「うぅ、退屈です……にゃあ」

 

 何時もは構ってくれる団長が多忙となれば、今度はジータかルリアに――と言いたいところだったが。連戦続きの戦闘で疲労が蓄積されていたのか、二人は二人で部屋に籠ってお昼寝をしていたのである。センも一緒になって川の字で眠ろうかと思案するも、こういう時に限って眠気はやってこなかったりする。

 

 しょうがない。暇を持て余すくらいならばと思い、一人で自主訓練でもしようかと籠手を装着して――その直後、轟と強風が甲板内を突き抜けた。突如現れた旋風は強い風圧を彼女に与えて通りすがる。わわ、とバランスを崩しそうになるそのタイミングで、センはふっと思い出した。少し前に、これ以上に強い暴風の力と戦っていたことに。

 

「そういえば、まだお礼、言ってませんでしたね」

 

 あの時――ティアマト・マグナにやられそうになった時。颯爽と自分を抱えて助けてくれた人。

 自分と同じエルーン種族で、柔和な物腰と落ち着いた態度が大人としての風格を醸し出している女性――ヘルエス。

 

 冷静沈着で状況分析に長けた観察眼と頭脳、しかしそれでいて時折ユーモラスな言葉で周囲を和ませる淑女はセンにとって憧れの的であり、同時に武術も尊敬に値するほどの腕前だった。もしかしたら、一緒に鍛錬を行えるいい機会かもしれない。

 

 そう思い、センはいてもたってもいられず、

 

「……会いに行きましょうっ」

 

 口角を上げてよしと一言。装着途中だった籠手を外し、センは滑るように甲板を駆け、ヘルエスの行方を捜し始めた。思い立ったが吉日。猫のように軽やかに船内を走り、途中ですれ違ったイオに怒られながらも、センは楽しそうに頬を綻ばせるのだった。

 

 

 かつては業火の中をも飛び交っていたグランサイファーだが――今では帝国の魔の手も感じられず、空の旅を悠然と満喫していた。

 

 

 

「……さて」

 

 白の割烹着を身にまとったヘルエスは包丁を片手に意気揚々と首肯する。三角巾からひょこっと出た耳を上下させながら彼女は、グランサイファーのキッチンルームで一人、お菓子作りに専念していた。

 

 これから開かれるお茶会の準備に向けて、腕によりをかけて作るつもりのようだ。紅茶を淹れる担当は弟であるセルエルに任せ、自身はそれにふさわしいお茶菓子を用意する。聞けばセルエルは以前立ち寄った島で入手した果実茶葉をベースにフルーツティーを淹れる予定らしい。

 

 それなら、それに合う紅茶菓子を作らねばと思い立ったのが先程のことであった。

 

「個性が強い紅茶ではなく自然の香りを含んだ紅茶……個性的すぎる茶菓子では相反しますね。舌に絡まるようにお互いの強みを相殺しないもの……果肉をふんだんに使ったタルトタタンやスコーンなどが良いかもしれませんね」

 

 そう頷き、ヘルエスはボールを手に材料を用意する。生地を伸ばし棒で平らにしながら円状に形を整えてオーブンへ。薄橙色に焦げ目がついたら、次はメインとなる果実を数個準備する。

 

 林檎を使ったお菓子故に、ビィが居れば歓喜していたかもしれないが、あいにくビィはジータたちの抱き枕となっているためこの場にはおらず。器用な手さばきで林檎をスライスし、調味料を用いて熟したフランパンにカットした林檎を入れ、水気を無くした頃合いを見計らって型に敷き詰める。

 

 黙々と調理を続けるヘルエスだったが……このまま作っていけば冷ます段階で時間を食い、お茶会には間に合わないだろう。

 

 だが彼女には秘策があった。

 

「本来なら数時間は待たなくてはなりませんが――改めて団長殿には感謝しなくてはいけませんね」

 

 そう不敵に笑う眼の先には、壁面に取り付けられた大型の業務用品質保持冷蔵庫。水の属性力を用いた異類の冷蔵庫は鮮度をそのままに保ち、加えて素早く高品質な状態をキープする優れもの。以前行商の街でシェロカルテと出会い勧められたものだ。

 

 お値段は何と30万ルピ。お菓子作りをする者も多く、物欲しそうな目で眺めてくる団員達(主にジャンヌ、ベアトリクス、ヘルエスなど)の無言の圧力に耐えきれず、購入を決意した代物であった。今では団員たちに大変好評で、交代制で使用している他愛称をつけて可愛がる輩もいる始末。ただ、思わぬ出費を繰り出したグランだけ、オーガと化したジータに完膚なきまでにボコボコにされていたが――それはまた別の話である。

 

 高速冷蔵によって手早く完成したタルトタタンを皿に盛りつけ、完成。一品はこれで終了である。さて、次はスコーンを作ろうとした矢先で――ふっと自分に視線が向けられていたことにヘルエスは気づいた。

 

 匂いにつられて団員が覗きに来たのだろうか、そう思ってくるりと振り向いたら――そこには半開きの扉に顔を少しだけ出して、こちらの様子をおずおずと眺めているセンの姿があった。

 

 きょとんと首をかしげるヘルエス。そのヘルエスに、センはぺこりと頭を下げた。

 

「あの、こ、こんにちは」

 

「こんにちは、センさん。どうかしましたか?」

 

「えっと、ヘルエスさんに伝えたいことがあったんですけど、お邪魔、でしたかね」

 

 両手の人差し指をくるくる回して、センが上目遣いで視線を向ける。

 本来なら調理中なのでと断りを入れるつもりだったが、自身に伝えたいことがあるなら話は別だ。それに、あまり関わることのないセンから伝えたいことがあるのは興味深い。

 そう思い、

 

「お邪魔なんかではありませんよ。さ、立ち話もなんですから、こっちに来てお座りなさい」

 

 手招いてキッチンの椅子に座るように促した。それに応じて、センはトコトコ歩み、椅子に座った。少しの間居づらそうに膝の上で掌を動かしていたが、テーブルに乗せられたお菓子類に「わぁっ」と目を輝かせる。しかしそれもつかの間、じっと自分を眺めるヘルエスの視線に気づき、ぶんぶんと頭を振った。

 

「それで、伝えたいことというのは?」

 

「あ、えっとですね、ヘルエスさん、この間はありがとうございました。危ないところを助けて頂いて……」

 

「危ないところ? ……ああ、ティアマト・マグナの時ですか。それならば気にする必要はありませんよ。仲間を護るのは当然のこと、危機に面した仲間を見殺しにするなど以ての外。私は私の道理を貫いたまでです」

 

 手を胸に、当たり前のことですと豪語するヘルエス。しかし

 

「ただ、センさん。貴女の身体は一つだけです。少しでも危険だと感じたなら即座に撤退をしなさい。あの時は寸でのところで回避できたから良かったものの、もしあの攻撃が直撃していたら大事では済みませんよ。貴女のそばには仲間がいるのです。それを忘れないよう、気を付けてください」

 

「う、うぅ……それは、団長さんにも言われました。ちょっと、怒られちゃいました……」

 

 あの時、センは回避行動ではなく防御に出た。瞬発力と爆発的な火力を持つセンだが、反面防御は脆い部分がある。回避行動に移るだろうと思っていたグランはセンの行動に大層肝を冷やしたらしく、無事に帰ってきた後でセンを呼び、事情を聞いたのだった。

 

 理由が理由なだけにグランも強くは言えなかったが、それでも諦めの感情を抱くのはよくないと語気を強める。誰かが犠牲となる戦いだけは絶対に避けないといけない、そう言いのけるグランの瞳は真剣そのもので。かつて自分がジータたちの目の前で命を落とした時のように、誰かが悲しむ結末だけは絶対に起こしてはならない。

 

 そう誓ったからこそ、今回の件は有耶無耶で看過したくなかったのである。

 

 グランに怒られたことを思い出してか、少しばかり元気をなくすセン。

 その様子を見てこほんと咳ばらいを一つ。ヘルエスは少し強引に話題を変えた。

 

「さて、お説教もこれくらいにして……そうですね。感謝して頂けるのなら、少しばかり『お手伝い』をして頂きましょうか」

 

「お手伝い、ですか?」

 

「ええ、お茶会の準備をしていましてね。ちょうど人手が欲しかったところでもありましたから」

 

 そう言ってヘルエスはスコーンの準備に取り掛かる。

 先程のタルトタタンで余った林檎を使って、アップルパイ風味のそれを作る予定だ。

 けれどもセンは不安そうに

 

「で、でも大丈夫でしょうか。私、お料理はあまりしたことがなくて」

 

「私が傍にいるので大丈夫です。さ、早々と取り掛かりましょうか。時間は待ってくれませんよ」

 

 半ば強引にセンの背中を押す。自前のエプロンをもう一着取り出し、センが着たのを見計らって、二人はスコーン作りに取り掛かるのであった。

 

 

 

 

 それから数刻。紅茶を淹れようとキッチンに訪れたセルエルは姉以外の来訪者に目を丸くしていた。同じように白いエプロンを着こなして調理補助をしているところ、お茶会へ参加するのは明白の様子だ。

 

「ノイシュが私用で来られないから二人きりだと思っていたのですが……これはまた珍しいですね」

 

「ええ、たまたま此方にこの子が来ていたもので、お手伝いしてもらったんです。上々の出来なので、後は貴方の紅茶の腕にかかってますよ、セルエル」

 

 期待を込めた眼差しをセルエルに送る姉。それに後追うかのように「が、がんばりましたっ」と少し着崩したエプロンを揺らしてセンが言う。

 

 何とも奇妙なプレッシャーを感じてしまうな、とセルエルは苦々しく笑って、紅茶の準備にかかった。その後の手際は見事なもので、温めたティーポットに人数分の茶葉と入れてお湯を注ぎ、しっかりと蒸らす。数分待った後にポット内をスプーンで軽く混ぜ、濃さを統一してから茶漉しで漉しながらカップに注いでいった。

 

 軽量、時間を測らずに行った故に多少の渋みが出るのかと思えたが、実際はそうではなく。セルエルは目分量で正確に紅茶を淹れたのである。云わば職人技に近い。

 

 ここにグランが居れば、王家の賜物かと感嘆していたことだろう。

 そんな芸達者な技術に目もくれず、セルエルは二人に紅茶をふるまった。

 

「さ、出来上がりましたよ。ご賞味ください」

 

「あ、はい。頂きます」

 

 いつの間にかエプロンを外したセンがセルエルから紅茶を受け取る。確かに、林檎のような果実系の香りが鼻腔に漂う。センの瞳の色のような赤で、透き通った朱色は不純物を一切含まない純正の輝きを見せていた。

 

 ごくり、と喉を鳴らしてセンは矢庭に紅茶を喉に通した。だが――

 

「――あひぅっ!?」

 

 その瞬間、小さな悲鳴がキッチンに響いた。各々紅茶を楽しんでいた矢先故に、何事かと二人は目を見開いた。その先には、舌をべーっと出してあわあわと熱がる彼女の姿がそこにはあった。

 くっ、とセルエルが笑いを堪える。まるで小動物のそれにしか見えないセンの挙動にヘルエスも続くように押し殺した笑いを一つ。そんな二人に気付かないまま、センはわたわた熱さと戦う。

 

「あ、あうぅ、熱いです……」

 

 八重歯をキラリと覗かせながら、セルエルの淹れたフルーツティーを舌でちろちろと味わう。

 猫舌故か、淹れたてのそれは彼女にとって熱湯に近く、思うように味わうことが出来ない。

 けれども鼻腔に漂う芳醇な林檎の香りが嗅神経を刺激し、喉に通したい気持ちを逸らせてしまう。頬を蒸気させ、瞳はほんの少し潤ませた様子のセン。先程まで元気よくピコピコ動いていた耳はしゅんと垂れ下がり、それは彼女の一喜一憂を強調しているように見えた。

 

 早く紅茶を仰ごうとする彼女にセルエルはまたも苦笑し、ヘルエスは口元に手を当てて愛らしそうに微笑んだ。

 

「急いで味わうことはありませんよ。紅茶は直ぐには無くなりませんので、ゆっくりと召し上がって下さい」

 

「火傷をされても困りますしね。まあ淹れた身としては、早く頂きたいという思いがひしと感じ取れて嬉しい限りですが」

 

 口々にそういいながらも紅茶を嗜む。優雅にティーカップを手に取り口づける二人を見て

 

「うう、猫舌が恨めしいです……」

 

 それが同じように出来ない自分にちょっとだけふくれっ面。温かいところは好きだけれど、熱すぎるのは駄目ですとスコーンをかりかり齧りながら言えば「少し難しいですが、今度は風味を飛ばさないように冷やして淹れるのもいいかもしれませんね」とセルエル。

 

 快活に、けれど上品に言う彼からは嫌味を感じられない。それがセンにとってはありがたい限りで、ぜひお願いしますと満面の笑みを浮かべて言うことが出来た。

 

 

 慣れないお茶会ではあれど、初夏を迎える穏やかな季節の中、つかの間の時間をセンは楽しむのであった。

 

 

 だが、そんなセンを眺めるヘルエスの瞳は――人知れず翳りを見せていた。

 それは無意識の中に潜む潜在的な感情が、少しばかり表に現れた瞬間でもあった。

 

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