なんとかストーリーイベント期間中に間に合った……。残り13時間? なんのことですかね?
浮遊した岩の群島を迂回し、穏やかに風が吹いている海の上をサクヤとグレイスのふたりは飛んでいく。行先はもちろんサクヤの所属する船団――スローダイン船団だ。
サクヤは少し後ろを飛ぶグレイスの姿をちらりと確認する。機嫌が良いのか鼻歌をしながら真っ直ぐ飛ぶ少女は、サクヤの視線を受けてにっこりと笑いながら話しかけてくる。
「ねえサクヤ。サクヤのいる船団ってどんなところなのかしら?」
「うーん、そうだなあ……。狭いけど、過ごしやすくて良いところよ。まあアタシも他の船団に行ったことがないから比べることはできないけど」
「そうなんだ。楽しみだなあ……!」
曖昧なサクヤの答えにも目を輝かせているグレイス。そんな彼女の姿を横目に、サクヤは心の中で頭をかかえていた。
グレイスも気にしていないようだしと、開き直って彼女に接しているサクヤだが、本来グレイスたち王族は海に住む者たちにとっては文字通り天上人だ。王族に対する礼儀作法なんて全くわからないし、海に住む住人の中には、かつて空に逃れた人々を羨み、憎んですらいる者もいる。
そんな中にグレイスがひとり入れば、混乱になること必至である。しかも彼女が操るはボードではなく杖。身分を隠したとしても、不審な点が多い。
それにこの子はどこか抜けているところがあるようだし……。
サクヤが再びグレイスを見やれば、視線が合った彼女が首をかしげ微笑む。
いざとなったらアタシが執り成さないとね。サクヤはそう自分に言い聞かせてからグレイスに向かって口を開く。
「……グレイス」
「なあに、サクヤ?」
「アタシの船だけどね、グレイスがそのまま名乗ったら、パニックになって見学どころじゃなくなっちゃうわ。王族を迎えることなんて今までなかったし。だから、グレイスは“シグラー”だと言わないほうがいいと思う。他の船から見学に来たことにするのよ」
「なるほど……。お忍びというわけね!」
手をグッと握るグレイスに何かを察した様子はない。こうも素直だと王族として大丈夫なのかという気持ちもあるが、その真っ直ぐさがグレイスの魅力なのだろうとサクヤは思う。
どこまでも真っ直ぐ進む“風”に、サクヤは憧れたのだから。
***
ゆっくりと速度を落としてサクヤとグレイスは船の上部へと着地する。一度ノックをしてからハッチを開けば、下と繋ぐ銀色の梯子が姿を現す。興味津々といった様子で中を覗きこむグレイスだったが、残念ながらその下は小部屋である。
「アタシが先に下りるから。グレイスが落ちてもちゃんとキャッチしてあげるわ」
「サクヤは心配性ね。でも大丈夫よ」
小さな胸を張って得意顔になるグレイス。その大丈夫が心配なんだとは言えないサクヤは、肩をすくめてハッチから見える梯子へと向かった。
グレイスに先んじて、ボードを脇に挟んで梯子を下りたサクヤは頭上のハッチを見上げる。しかし、続いてグレイスが下りてくる気配がない。
「グレイス? もう下りてきていいよ?」
「うん、いま行くよ」
訝しげに眉を顰めたサクヤだったが、ひょこっと頭を覗かせたグレイスは梯子も掴まずにハッチの中へ身体を滑り込ませた。
グレイスの予想外の行動にサクヤは一瞬硬直する。それでも彼女を受け止めようと一歩踏み出したところで、小部屋から四角い空へと風が吹き上がった。
グレイスの持つ杖の上部、4枚の翼を模した部分から青空のような水色の翼が広がり、それが彼女を空中に支えている。風を取り込み操作する杖を片手に、グレイスはあっけにとられるサクヤの前にゆっくりと着地すると再度得意げに胸を張った。
「ほら、大丈夫だったでしょう?」
「……もうっ! 杖を使うなら、先にそう言いなさい!」
「あたっ」
サクヤはグレイスの頭をこつんと叩く。本気で驚いたのでその仕返しというだけではない。声掛けや確認を怠ると思わぬ事故に繋がってしまうのだ。
それでも……。
「でもまあ、やっぱりその杖は凄いわね。便利そうだわ」
サクヤに叱られ、気まずそうに目を伏せてしょんぼりと落ち込むグレイスの姿を見ると、なんとかフォローしなければという気持ちになる。反省させたいのであって、落ち込ませたいわけではないのだ。
俯いた頭をサクヤはゆっくりと撫でる。そのまま少しの間グレイスのサラサラな髪の毛を梳かして堪能していれば、そろりと彼女の頭が持ち上がった。目が合ったサクヤがにっこりと笑えば、グレイスもつられたように、溶けるようにへにゃりと笑った。
「……さあ、船の中を案内するわ! まずは船長のところかしらね」
その柔らかい笑顔があまりにも眩しくて、どこかいたたまれなくなったサクヤは声を張り上げて小部屋から出ていくのだった。
***
「これは、いったい何なのでしょう?」
グレイスは目の前の皿に乗せられたモノを見て、目を丸くした。
グレイスがサクヤに連れられて船内のいくつかの施設を見て回った後に案内されたのは、豪華な客室のひとつだ。サクヤとグレイスがいる船の船長は初老の男性であり、シグラーという名こそ出さなかったが彼女の正体について予想がついているようだった。
しかしそのおかげで普段船員が利用している食堂よりもと言われ通されたのがこの客室だ。部屋の二階部分から海を見下ろし、一階部分からは海の中を覗くことができるこの部屋は、グレイスの好みにいたく合致していたらしい。窓に手をつき、キラキラした目で眺める姿は見ていて微笑ましい。
サクヤたちにとっては普段見慣れている海中も、グレイスにとってはまったくの未知の世界である。食事のためと席に着いても、彼女の視線は窓の外の海中に目が向けられていた。
だがその視線も、部屋に運び込まれた料理に釘付けとなった。グレイスの目の前にあるのは、綺麗な紅と白の彩りの刺身である。スローダイン船団が発端となり他の船団にも広がり始めている刺身と言えど、さすがに空を飛ぶことはできなかったらしい。
興味深そうに刺身を見つめるグレイスだが未知の料理に手は出しにくいのか、チラチラとサクヤのほうを窺うに留めている。そんな彼女に笑いかけ、サクヤは皿の脇に置かれた醤油を刺身に垂らしながら言った。
「グレイス、安心して。これは魚だから」
「魚! これは魚なのね!」
サクヤの言葉に驚きながらもグレイスは見よう見まねで醤油を垂らし、フォークで刺身の一切れをすくう。そしてそのまま意を決してぱくりとそれを口に入れた。
直後、グレイスの顔は花が咲いたようにほころんだ。
「美味しい……」
「お気に召したなら良かったわ」
「うん。……それにしても変わった料理ね。魚を透明なまま仕上げるなんて、よっぽど料理人の腕がいいのかしら」
一切れずつじっくりと味わいながら、どこか的外れな発言をするグレイスにサクヤは苦笑する。刺身という料理は説明なら難しいものではない。
「採れたての魚をほとんどそのまま出しているのよ。煮も焼きもしてないわ」
「そうなんだ……!」
グレイスは得心した様子で何度も頷いた。船長のおもてなしは大成功のようだ。
その後はグレイスも知っている料理だったらしく、グレイスは上機嫌のまま昼食を終えたのだった。
***
「それじゃあサクヤ。今日はありがとう! 船長さんも、見送りに来てくれてありがとう」
「うん、アタシも楽しかったわ。天気の良い日はこの辺りでボードの練習しているから、また一緒に飛びましょうね」
「うん。じゃあ、またね!」
グレイスがハッチを開けると、沈みかけの夕陽で緋色に染められた空が顔を出す。それからもう一度、見送りに来てくれたサクヤと船長に手を振ると、グレイスは杖を操作し茜色の空をゆっくりと昇っていった。
それを見送り、初老を迎えた船長はゆっくりと息を吐く。
「……迂闊な子だ。空高く昇っても他の船などありゃせんわ」
「……まあ他の人にはなんとかバレてないみたいだし。一通り見て満足したみたいだから、しばらくは大丈夫だと思います」
「用心することだ。あの子に何かあってからでは遅いのだからな」
船長はそう言い、サクヤの頭を撫でてから小部屋を出ていく。残ったサクヤは四角く切り取られた緋色の空を見上げて呟く。
「グレイス・シグラー、か。友だち続けてくれると嬉しいなあ……」
見上げた空の向こうには、浮遊大陸が夕陽に照らされて静かに佇んでいた。