「だって、あと三日よ! 温泉旅行に行くのに、フェイトのお母さんが目を覚ましたのなら、皆で行かないと楽しくないじゃない!」
遅めの時間帯でありながら、執事の鮫島に連れられて、月村家へ駆けつけたアリサ。寝室まで彼を同行させて、目を覚ましているプレシアを確認し、かつ、忍達に容態を確認すると、少し焦った様子で老執事への指示を飛ばす。
鮫島と言えば、忍の許可を得た上で、普及し始めたばかりの携帯電話を利用し、忙しくあちらこちらへと連絡をし始めた。
大翔が一体何を慌てているのかと聞けば、『旅行に行くなら大勢の方が楽しいに決まってるじゃない!』と逆に何故か叱られる始末。
「えっと……つまり、養生を兼ねて私達も同行しろということなのかしら?」
プレシアの声にも困惑が混じる。アリサはテスタロッサ家も同行するのが当然と考えていて、なぜ行かないという選択肢が出てくるのかと言わんばかりだ。
「身体の具合がどうしようもなくて行けないというのなら別よ? それなら温泉旅行を延期すればいいんだし。だから、目を覚ましたと聞いたから、パパやママにも先に話を通したし、直接鮫島にもついてきてもらったの」
「さらに申し上げますならば、海鳴での居住権を得る際に、色々認識を合わせておきたい部分もございますゆえに……一度、関係者でゆっくり話をする時間が必要かと」
バニングス家と月村家の両親、プレシア、実担当となっている忍たちで、身体の疲れを癒しながら、口裏を合わせましょうと、鮫島はもう一つの目的を補足する。
「……どうして、そこまで」
「僭越ながら申し上げますと、アリサお嬢様とすずか様の心の安寧に、彼は必須の存在だという両家の認識がございます。それゆえ、彼が望むことについては、出来る範囲で協力するのも吝かではございませぬ」
「私は、決して善人ではないわ」
「お嬢様やすずか様が全幅の信頼を置く人物を、私達は信じるだけでございます。ただ、彼は確かにまだ子供。もし誤りがあれば、それを正し、助けるのが役割と私どもは考えております」
「さ、鮫島さん。そういうの、本人の前で堂々と言うの、勘弁してもらえませんか」
「ほっほっほ。それで有頂天になるわけでもない貴方は、自分をますます律し、高めようと考えるではありませんか」
大翔の歪さは大人達も気づいていることだ。ただ、自分達の愛娘と同じ年でありながら、導き手としての振る舞いが出来る男の子は、そうそういるものではないとも考えていた。
実際に愛娘たちは、彼への思慕を自分の成長への糧とし、目覚ましい内面の変わりようを見せている。攻撃的な一面を持っていた者はそれを抑える術を、引っ込み思案だった者は自分の意思を表に示す強さを。
「……バニングスさん達や月村のおじ様おば様が、出自不明の俺を信じてくれている。だから、精一杯答えたいと思うだけです」
真正面から褒められるというのは、なんともこそばゆいもので、大翔は視線をそらしながら、ぼそりと答えていた。
「とまぁ、彼を気に入っているわけですな、私達は」
「……それでは、お言葉に甘えさせて頂きますわ」
プレシアが同行の意思を示し、子供達は一気にはしゃぎ始める。
「やったー! 温泉だー!」
「そうよ、今度は天然温泉! 源泉掛け流しなんだから!」
「え、ええと、私達は大事な話をしに呼ばれたと聞いたんだけど」
「そう、温泉旅行の打合せよ!」
「そうだよ!」
フェイトの戸惑いも姉とアリサの勢いにあっさり飲み込まれ……。
「え、えーっと、わたし、場違いや無いやろか……」
「はやてちゃん、諦めが肝心だよ。さっき、鮫島さんが予約内容の変更してたけど、明らかにはやてちゃんも数に入っていたし」
「なん……やて……」
皇貴が重要な話になるかも、と同行させた八神のはやてさんも気づけば温泉旅行に同行することになっていた。
「車椅子を押す練習しないと! ね、アリサちゃん!」
「そうね! 後ははやてだっけ、アンタの荷物も早めにまとめに行かないと! 皇貴、手伝いなさいよ、アンタが一番親しいんだから。前日には、あたしかすずかの家に前泊してもらった方が動きやすいだろうし」
「お、おう」
「……あ……ありのまま今起こった事を話すで。『わたしは重要な話し合いに同行してくれと言われて来たと思ったら いつのまにか温泉旅行に行くことになっていた』……なにを言っているのかわからねーと思うけど、わたしも何をされたのかわからなかったんや……頭がどうにかなりそうやった……催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてないで。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったで……」
「あのシリーズの名言集を完璧に覚えていることに俺は驚いた」
はやてがサブカルチャーに詳しいのは、大翔のおぼろげな原作知識でも知っているし、皇貴にも裏が取れている事項だが、まさかの完全暗唱である。
「はやてちゃん、漫画も大好きだもんね」
「……話が通じそうやね、空知くんも。既に皇貴くんやすずかちゃんから聞いてると思うけど、わたしが八神はやてです。急にこんなことになってしもうとけど、どうぞよろしゅうな」
「空知大翔です。こちらこそよろしく」
大翔がはやての視線に合わせるように膝をついて、握手を交わす二人。交わした後ではやては、何やら納得した風に一人で頷いていた。
「皇貴くんの言うこと、分かる気がするわ」
「無理にやってる感が無いだろ? それが大翔の基本姿勢なんだわ」
「私らと同じ年でこういうのさらっと当たり前に出来るのってポイント高いもんなぁ」
「えっと、何の話だろう?」
「空知くんは紳士やねって話や。顔が人並みってのは逆に良かったのかもしれんよ、すずかちゃん」
「うん。世間的にはどうだろうと、私はひろくんの顔が好きだもん」
しれっと言い放つすずかに、はやては少し頬に赤みが差すのを自覚する。他の人も大勢いるこの場所で、堂々と想い人への好意を口に出来るすずかに、羨ましさと恥ずかしさ、そして大翔への信頼が真っ直ぐに向けられていて。
「すずかちゃんは、ほんまに空知くんのことが好きなんやね」
「うん。誰にも恥じることもない、隠す必要も無い、私の大切な想いだから」
「罪深い男の子やね、ここまで女の子の一途な思いを向けさせてからに」
はやての言葉に顔を歪める大翔の肩に、後ろから伸びる両腕とふわりと舞う金色の髪が、はやての視界に飛び込んできた。
「それも一人じゃないからね。ね、大翔。挨拶が遅れたわ、アリサ・バニングスよ。宜しくね、はやて」
「こちらこそ宜しゅうに、アリサちゃん。しかし、今の言い方やと……」
「そう。私は大翔を巡ってはすずかと完全なライバル関係なわけ」
「うわぁ、リア充爆ぜろやん」
「ふふ、美少女二人に慕われてるんだもの、言われても仕方ないわね、大翔?」
(自分で美少女言うんや……まぁ、間違いなく美少女の類やけどなぁ)
皇貴から聞かされていた、アリサやすずかの彼に対する恋心というものは、実際目にすると、なかなかに大変なものだとはやては感じざるを得ない。
(すずかちゃんもアリサちゃんもタイプはちゃうけど、ものすごい綺麗やし可愛い子や。おまけに、バニングスや月村って言ったら、有名な企業や古い家のお嬢様。その二人に真っ直ぐに慕われて、調子にも乗らず、逆に萎縮もしないで、自分をしっかり持ち続けるって……こりゃしんどいやろ。いらん陰口やって叩かれるはずや)
「……強く生きーや」
「ありがとう、八神さん」
「『はやて』でええよ。わたしも大翔くんって呼ぶさかい」
後ろからおぶさる姿勢のアリサに加え、彼の腕にきっちり両腕を絡めて寄り添うすずかを支える状態になった大翔に、同情の念を覚えるはやてであった。
「皇貴くん。羨ましいというより、不憫にすら思えるってよぅわかったで」
「おぅ……調子にも乗らずに、いつも紳士的な対応する大翔を見てるとなぁ……。なんか、こう、たまには男だけで馬鹿騒ぎでもしようぜって言ってやりたくなるっつーか」
「外面だけ見てる連中は、妬ましさから、悪意のこもった言葉を大翔くんにぶつけるやろうしなぁ」
「あの二人に釣り合う男でいようと思ったら、ずば抜けた才能でもない限り、常に努力し続けて、休むことを許されないって感じだからな。なんかそれが分かったら、綺麗な花は遠くから見て楽しむのがいいって思うようになった」
「わたしは触れて揉んでみたいけどな」
「卑猥だわ、はやてさん」
「健全な青少年の夢やで、皇貴くん」
「くっ……」
「ふはは、男に生まれたことを悔やむんやね。同性万歳や」
皇貴とはやては気安いと言える関係を築けていた。はやてはいわゆる男の願望に比較的理解のある性格だったというのもある。そして、それをネタにすることも厭わない芸人体質でもあり──。
「な、なんやその視線、ま、まさかわたしを慰み者に──!」
「黙ろうか、ぺったんはやて」
「な、なんやて! 今はぺったんかもしれんけど、十年後はきっとばいんばいんにやな!」
「いや兆候すら無いとか自分で言ってただろ。無理だろ」
……普段から、漫才のようなやり取りをする結果となっていた。
『あー、いい距離感というか、仲が良くないとああいうやり取りは出来ないな』
『デリカシーが無いわね』
『彼女から明け透けな話題をわざと出してるところがあるんだろ』
『ほんと、ひろくんとは大違い。女の子にあんな言い方をして』
『そんな言い方がお互いに出来る、気兼ねしない関係を望む人もいる。ほら、二人とも笑ってるよ、楽しそうに』
二人のやり取りを見ながら、向かいの三人は念話でそんなやり取りを交わすのだった。
*****
「まさか、敷地内にも入れないなんて。質量兵器と魔法結界の組み合わせ……この世界にここまで技術融合が出来る魔導師がいる情報は無いのに……!」
屋敷の中でちょっとした騒ぎになっている頃、流暢に独り言を漏らす一匹の黒猫が、月村家の敷地内に侵入しようとして入ることが出来ず、焦りを覚えている状況に陥っていた。
「父様とアリアに連絡しなきゃ……! あの子が突如現れた現地の魔法技術者と接触したって……」
「させないよ」
「大翔や皇貴の予言めいた警告……こうも当たると怖くなるね」
「!」
「よし、捕らえた」
あの寝室に入ってこなかったなのはが、怪しい猫の退路を断つように立ち塞がり、ユーノは元の姿に戻り、素早く固有結界を展開。さらに、気配を最小限に抑えた恭也があっさり猫をつかみあげることを成功する。
「嘘っ!? 魔力は感じなかったのに!」
「バインド」
「重ねがけっと」
驚く間に、なのはとユーノの拘束魔法により恭也の手の中でぐるぐる巻きと化す黒猫に、恭也は簡単な種明かしをする。
「俺は魔力なんて無いからな。ただ、気配を周囲に溶け込ませて、出来る限り素早く動いただけだ」
かくして、役者は一気に揃い、怒涛の温泉旅行へと突入していくのであった。
急展開だが後悔はしていない。シリアスなんてなかった。