庭園散歩が終わって、話し合いまで一時間程度の時間があることを確認した大翔は、再び部屋備え付けの露天温泉風呂に身体を預けていた。温泉好きな彼は、芯からじわじわと温まる感覚を楽しみながら、この後の一同での話し合いについて思いを馳せる。
情報開示の範囲は大翔が一番把握していることで、クアットロやトーレについて、大人達にどこまで開示するかは、クアットロ側からは大翔に任せると伝えられている。ただ、プレシアや皇貴は彼らの正体を知っているため、どう切り出すべきなのかを考えていた。
「この話し合いがうまくいけば、ある程度時間に余裕が出来るもんなぁ」
クアットロの言った通り、夜も深まりつつある時間帯のため、お酒が入り過ぎた大人の一部であるとか、既に夢に誘われてしまった子など、参加不可の者もおり、話し合い場所も大人の宿泊部屋ということに変わっている。
参加するメンバーとしては、大翔、すずか、アリサは勿論のこと、子供部屋からは皇貴、はやて、ユーノ、フェイト、アルフ、ファリン。大人組が、なのはの母、桃子に恭也。こちら側の筆記役を兼ねた、忍と美由紀。アリサの父デビッドに、大翔の後見人でもある、すずかの父、征二と母・飛鳥。プレシアも双方の事情に通じる為、参加が確定しており、後はノエルに鮫島も同席する。そして、向こう側はクアットロ。
子供と大人を合わせて、総勢20名の集まりであった。但し、各家庭の親は、説明を受ける為であり、主な発言をする人数も限られてはいるが。
なお、アリシアは疲れを感じたということで、健康優良児のなのはと共に先に就寝し、珍しく泥酔してしまったトーレや、テンポ良く酔わされた士郎やアリサの母・ヴィクトリアが先にダウンしている。士郎が酔いから眠りを取ると選択するほど、すずかの両親である征二と飛鳥も同じように飲んでいるはずだったが、一族の能力の影響なのか、眠気に襲われる様子も無いようだ。
「パパ達が納得しないと、さすがに色々制約も出るだろうし。まぁ、ママもいくら気に入ったからって、あそこまで一緒に飲むとは思わなかったわ。士郎さんはご愁傷様よね」
「私のお父さんとお母さんはものすごくお酒に強いから、ぐいぐい飲むタイプだし、士郎さんも場に合わせた結果だからじゃないかな」
「ということは、すずかもお酒に強い可能性が高い、ってこと?」
もう当然とばかりに、一緒に入っている三人である。すずかもアリサも、大翔になら見られて構わないと考えているし、自分達の身体に恐怖感を覚えないように慣れておいてもらう意図もある。
容姿の優れた異性であればあるほど、拒否反応が強く出る大翔であるから、これから先、大翔の為に女を磨き続けるつもりの二人は、自分達に拒否反応が出ることを怖れている。自分達の容姿が恵まれたものと自覚しており、そのことに謙遜も自惚れもするつもりはない。他からの評価は既に重要ではなく、彼がどう感じ、思ってくれるかが大事なのだと、二人は分かっていた。
「そうかも……お母さんまで強いのは、ちょっと分からないんだけどね」
実際は分かっている。母は父の伴侶になるための儀式を受け、ほぼ一族と同じ身体に変わっているから、アルコールの分解能力が高いのだろう。一族と違うのは、伴侶が亡くなれば急速に生命力を失い、後を追うように生を終えるということ。夫婦で寿命を合わせて共有化するようなものだ。
「士郎さんは実際、仮眠に近いだろうから、争いごととなればすぐに加勢してくれるよ。恭也さんが起きているから、横になる分には問題ないと判断したんだろうし」
「クアットロさんに追加の指示は入れ終っているから、暴言の類は出来ないようにしてるし、喧嘩沙汰にはならないと思うよ」
『大翔に連なる関係者と会話をする際、挑発的な言動は出来ない』とクアットロには暗示の内容を変更している。あまりに次から次へと永続する暗示をかければ、被術者の精神面に悪影響を及ぼす。ただ、今回は被術者であるクアットロがその暗示を自分から受け入れている為、特に問題はない。
「うん、助かってるよ、すずか」
すずかもアリサも浴槽の中で、それぞれ大翔と手を繋いでいるため、彼は言葉で感謝を伝える。すずかは嬉しそうに瞳を細めて、寄り掛かっている大翔の肩に自分の頭を預けた。また、言葉は掛けられなくても、アリサも繋いだ手に引っ張られていて、自然と大翔に寄り添う姿勢になる。無意識上の独占欲なのか、人の温もりを欲したのか、理由は分からなくとも、彼が自分を求めてくれていると感じて、アリサは上機嫌になっていく。
「こうして、すずかやアリサとのんびり過ごせるように、もう少し頑張らないとな……。本当は、すずかやアリサには安全な場所で見守っていて欲しいんだけど、二人は首を縦に振ってはくれないだろ?」
「当たり前よ。そうでなくても、無茶をするアンタは傍についてみていないと」
「そうだね。私やアリサちゃんがいなかったら、平気で無理するとしか思えないし。それと、ひろくんは一つ思い違いをしてると思うよ。さて、それはなんでしょう?」
すずかやアリサに戦いの場に出て欲しくないと思う、自分の考えが誤りなのかと考える大翔だが、それにしては、すずかの表情に怒りはないと感じた。元々、すずかやアリサの知性は経験さえ積んでしまえば、自分の上を行く才の持ち主だ。自分の観点で何か見落としがあるのだろうと、彼は判断する。
「……降参だよ。教えてくれないか?」
「素直な大翔は好きよ~。言われたら、ああそうかと思う程度のものよ。ね、すずか」
アリサの声もどこか得意気だ。どうにも、基本に近い部分を見落としてるような、そういうところであるらしい。
「えっとね。私達はひろくんの傍が一番安全なんだよ」
「……ん?」
「鮫島やノエル達にしてもそうよ。私達が可能な限り、常に一緒に行動しているから、守りやすいわけ。単純な話よ。私達の最大戦力は大翔で、バラバラで行動するより大翔を中心に固まってる方がやられにくいだけ」
「いやいや、すずかやアリサにはしっかりボディーガードがついているじゃないか。今回の旅行にしたってそうだ」
「魔導師には、あの人たちは無力よ? 大翔が作成した対魔力の装飾品を身につけているとはいえ、先手を打たれてしまえば、私やすずかにも勝てない可能性が高い」
「それでも、イレギュラーで魔導師となった私達は魔法使いという括りの中で、とびきり強いわけじゃないもん。ひろくんと分断されて優先的に狙われたら、なのはちゃんみたいに一人で跳ね除けられない」
「待ってくれ、まるですずかやアリサが優先的に魔法関係者に狙われるような言い方じゃないか」
「難しい話じゃないわ。私が相手側だったら、そうするってだけ。大翔が魔法使いを生み出せる力が分かっていて、利用したいと思う奴等は、私達を人質にするのが一番早い」
「っ!」
「皇貴からも聞いてる。クアットロは本来、そういう組織の人間だって。でも、あの人は大翔と同じ記憶持ちで、そのお陰で最初から敵対する意思は無かった。煽りは、しっかりやってきたけどね」
なぜ、そういう可能性を考えなかったのか。大翔は自分の阿呆さ加減に全身が冷え切る感覚に襲われた。芯から温まるはずの湯の中にいるはずが、身体を巡る血が止まり手足の感覚が無くなったかのように。
「私やアリサちゃんは、そういう環境で育ってきたから。悪意には人一倍、敏感なつもり」
「俺がいるだけで、すずかが、アリサが危険にってことだろう。それなら」
「お願い、大翔。落ち着いて聞いて」
「ひろくん、違うよ。貴方が今、出そうとした答えは違うよ」
すがすがしく甘い香りが、明るく爽やかな香りが彼の鼻腔をくすぐる。立ち上がろうとした彼を左右から、すずかとアリサが強く抱き止めたからだ。
「アタシ達は、アンタの……大翔の特性、私やすずかがアンタと同じ魔力変換属性を身に着けた時、可能性に気づいてた。でも、答えは変わらなかったの」
「私達は、変わらずひろくんの傍にいる。そして、守られるだけじゃなくて、貴方を守るために、強くなる」
「仮に、私やすずかから記憶を奪い去って、アンタが姿を消したとしても、アンタにとって私やすずかがアキレス腱であることに変わりはないのよ」
「ひろくんを忘れた私やアリサちゃんが誘拐されたら、関係ない人になっているはずのひろくんは、それでもやってきてしまうから」
それぐらい、分かるんだもん。そう言うと、すずかは震えた。想像出来てしまうから、自分達のために傷つき、苦しむ彼の姿が。
「アンタが私やすずかをものすごく大切にしてくれているってちゃんと伝わってるんだから。だから、私達はアンタを一人になんかしてあげないし、アンタをアタシやすずかの力で守れるようになってみせる。そう決めてるから、アンタに甘えられる内に、さっさと強くなろうと日々努力してるわけ」
だから、今更焦りなさんな。らしくもないから、とアリサはあえて軽い調子で振舞う。けれど、彼を包む両腕は離してなるものかと、自然と力が篭ってしまっていた。
「普段から自分の身に危険が及ぶかもしれない、なんて考えて生きてる人が珍しいんだから。たまたま、アタシ達はその珍しい類の人間で、改めて、この機会に大翔に認識してもらいたかっただけ」
「ヴァイオリンの教室や、塾にも最近は同行してもらっているでしょう? ひろくんは私やアリサちゃんのお願いだからって、あんまり深く考えずについてきてくれたみたいだけど、護衛の人達も助かるって言ってくれてるんだよ」
「大翔のお陰で、敵意が近づくのを一早く察知できるから、先んじて潰せるってね。だから、魔法絡みの揉め事が起こっても、今まで通り、アタシとすずかを近くに置いておきなさいってこと。変に離れるほうが危険で、アンタの目の届く範囲でしっかり守ってもらう方がよっぽど安心なの」
「もちろん、守ってもらうばかりじゃないからね。ちゃんと強くなって、ひろくんの横や背中を守れるようになるから。というわけで、話はおしまい。あんまり時間も無いから、もう一回ちゃんと浸かろうよ。ね、ひろくん」
さて、大翔は、すずかとアリサとのこの会話によって、この後の話し合いにおいて、自分達がセットで行動するのを前提にした説明を行うと決めた。事態が思ったより悪化している想定で動いて欲しい、と彼女達は自分達の実利も踏まえて、大翔の思考を誘導したわけだが、実のところ、現時点でこの管理外世界まで積極的に干渉する可能性があるのは、クアットロの父ともいうべき存在だけであった。
そう、今この瞬間も、クアットロの瞳を通して、彼らは海鳴の状況を確認しているのであった。
『湯気で何も見えないねぇ。真っ白だ』
『クアットロは眼鏡を着用していますし、余計にそうなるかと』
『まぁ、でも、月村というお嬢さんはなかなかキテるね。躊躇い無く心理干渉してきて、クアットロのらしさを封じ込めてしまうとは。あれぐらいの年で、ああいう力を振るおうとすると、普通は罪悪感とか生まれるもんだけど、迷いが無かったね』
『映像越しであっても、あの瞳に魅入られると、意識を持っていかれる可能性があります。すぐに目をそらして正解でした、ドクター』
『うん、あれはなかなかに強烈だよ。あの彼女を制御するのにも、彼とはうまくやりたいものだね』
『ドクター。それならば、交渉役になぜクアットロを行かせたのですか。同行役がトーレとなれば、フォローも期待できないでしょうし。チンクに行かせる手もありました』
『ほんとは、君がいけば確実にまとめるだろう、ウーノ。ただ、クアットロがあそこまで拘ったのだし、彼自身が管理局を毛嫌いしているようだから、敵対することにはならないかなとは思ったのさ。彼自身をゆっくり研究させてもらうためにも、あの世界には簡単に辿り着けないように仕掛けも終わっているしね。まぁ、娘達の誰かが彼と親しくなってくれれば、より間違いが無いな、ハハハ』
『ドクター? 正気ですか』
『彼は、『家族』って奴にどうにも強い執着がありそうだ。それは、私達にも言えることだろう。だから、合う娘がいるかもなと、思うのさ。私は父親でもあるからね。娘達の幸せを願うのはおかしくないだろう』
『ドクターが言っても、何か企んでいるようにしか聞こえません』
『いやぁ、将来子供が出来たら、いい研究材料が出来る』
『ああ、ドクターです。安心しました、熱が出たわけではなかったのですね』
遠く離れた次元世界で、ドクターと呼ばれた男は、娘がどのように交渉をまとめるのか、姦しく見つめるのだった。その隣で凛とした姿勢で付き従う、すずかよりはやや色素の薄い紫色の長い髪の女性も同じく、画面に静かに注目し続けていた。
『温泉、行ってみるか。クアットロがこれだけ長く入るということはさぞかし気持ち良いのだろう』
『出発の用意を致しますか』
もとい、静かに暴走していたのだった。
闇の書が終われば、オリジナル展開なので、足早に出てきて頂いています。