ネトゲの嫁ともっとイチャイチャできないと思った? 作:Losusu
なお多少、本編のネタバレがあるのでご注意ください。
プロローグ
いるべき場所に、いるべき人がいない。
それだけのことで、世界はすっかり色
あの子と出会う前、俺はいったいどうやって生きてきたんだろう。
あの子と触れ合う前、俺はいったいなんのために生きてきたんだろう。
俺の世界の一部になったあの子に、また戻ってきてほしい。
でも、そんなことを願う権利が俺にあるんだろうか。
なにも持っていないこんな俺に、あの子はまた微笑んでくれるのだろうか。
笑うことも泣くことも忘れた、無表情なあの子の顔が、俺を見つめる――
果てしない喪失感と共に、俺は自分のベッドで目を覚ました。呼吸は荒く、冷房がきいているにもかかわらず、全身汗まみれだった。くそ、今日もだ。
合宿でのアカウントハック騒動が解決してから1週間。ここ数日は、毎日こんな調子で目が覚めた。原因はわかってる。アコだ。アコが原因でなにかが起こる、っていうのは俺たちにとっては毎度のことだけど、今回はこれまでとは明らかに事情が違っていた。アコがなにかをしたんじゃなくて、アコがなにもしない、どこにもいないんだ。
いない、と言っても家にはいると思う。でもアコは、俺やネトゲ部のみんなの前に、あれ以降一度も姿を現していなかった。前にもこういうことはあった。1学期の転生事件のときだ。でもあのときと話が違うのは、いまはアコがLAにすらいないっていうことだった。
時計を見ればまだ朝6時過ぎだったけれど、俺はベッドから跳ね起きて、PCを起動した。すぐに確認できるように、寝るときも電源は落とさずスリープ状態にしてあったので、1分とかからずにLAのログイン画面まで移行する。
――もしかしたら、今日は。
そんな淡い期待と共にIDとパスワードを打ち込み、俺の分身であるルシアンでログインを試みた。
――今日は、来てるかもしれない。
心臓がかすかに鼓動を早める。ログイン完了までの時間がたまらなくもどかしかった。早く、もっと早く。
永遠と思えるほど長いローディングがやっと済んだ。いつもの酒場のマップが表示され、「ようこそ! レジェンダリーエイジの世界へ!」というアナウンスが出るが早いか、俺は素早くメニューを開き、ギルメンのログイン状況を確認した。
俺以外、誰もログインしていなかった。もちろん、アコも含めてだ。
わかっていたはずなのに、今日もひどく落胆した。たぶん2~3分くらい、椅子にもたれかかって、ぼうっとしていたと思う。喉はからからで、うめき声のひとつも出なかった。
「LAこそ本当の世界だ」と公言してはばからないあのアコがLAにいないなんて、いかにも異常事態だった。一度は病気にでもなったのかと疑って電話をしてみたけど、電話口のアコが言うには違うらしい。でも電話越しに聞こえてくるアコの声は、いつものように楽しそうな、嬉しそうな声ではなくて、ひどく感情が抜け落ちた、弱々しい声に聞こえた。そしてアコはそのとき、こう言っていた。
「ごめんなさい。当分、LAはできないかもしれません」
それ以降、何度か電話したが、アコはろくに応答しなかった。何回かは出たんだけど、そのたびに「また今度お話ししましょう」だとか「今日はそういう気分じゃなくて」と、はぐらかされてしまった。俺相手だからこそ言いにくいこともあるのかもしれないと思って、瀬川やマスターからもかけてもらったが、結果は同じだった。
アコがLAにログインしなくなったことで、他の3人もLAをプレイする頻度が減っていった。もちろん、いままでだっていつもギルメン全員が揃ってるときばかりじゃなかった。俺とアコだけでプレイしたり、逆に、たまにはアコがいないときだってあった。でもこの状況は、そういうのとは違う。
一応少しプレイしてみたが、まるで身が入らなかった。アカウントハックで失った装備やアイテムを整えるための稼ぎが急務だとはわかっていても、すぐにアコのことを考え始めて、手が止まってしまう。マスターもシューもそのようで、数回狩りをした後はほとんどプレイしていない。アレイキャッツの本分である雑談さえも、長続きしなかった。
自分の居場所だと思っていた場所が、ほんの少しのあいだに様変わりしてしまったような、そんな感じがした。4人そろってこその俺たち。そして、アコがいてこその俺たちだ。酒場で椅子に座っているルシアンの隣に、ドットで描かれたキャラクターが1人いないというだけで、そこに果てしない空白が横たわっているように思えた。
うなだれていると、PCからピコンとLAの環境音がした。このSEは、ギルメンがログインしてきたことを知らせるものだ。俺は「もしかして」とディスプレイを覗き込んだ。
◆アプリコット:おはよう、ルシアン
酒場で放心していたルシアンの前に立っていたのは、アコではなくマスターだった。俺が画面を覗いたときにはすでにチャットが打ち込まれていた。
◆ルシアン:おはよう、マスター。どうしたんだ、こんな朝早くに
◆アプリコット:おそらく、お前と同じだよ。アコがログインしていないか、確認しにきたのだ
◆ルシアン:そうか、でもアコは今日も来てないぞ
◆アプリコット:そのようだな。残念だ
マスターは律儀にエモーションを出して、アプリコットに残念そうな身振りをさせた。俺のほうは、そんなことをする気力もない。返事すらせずに1分ほど放置していると、マスターがまたチャットを送ってきた。
◆アプリコット:ところでルシアン、折り入って話があるのだが
◆ルシアン:いいけど、なんだ?
◆アプリコット:相談というべきか、提案というべきか。いずれにせよ、チャットや電話で話すのは
◆ルシアン:それってアコのこと、だよな……
◆アプリコット:そうだ。ギルドマスターとしても部長としても、手を打たなければならないと思っていた。……これは、あまり長引かせないほうがいい問題だ。対処が遅れれば、あるいは取り返しのつかない事態を招くかもしれない
マスターの言葉に、全身がざわついた。俺も薄々、今回のことは冗談では済まないかもしれないと思っていたんだ。そして、なぜアコがあれ以来、俺たちの前に現れないのか、いくらかは察しがついてもいた。
◆ルシアン:うん、行くよ。何時に、どこに集まる?
チャットで素早く用件を伝える。マスターからの返事は一瞬で返ってきた。
◆アプリコット:できれば早いほうがいい。9時に部室前に集合しよう。部屋の鍵はわたしが持っていくから、そこで待っていてくれ
◆ルシアン:わかった。じゃあ俺、落ちるから
まだ6時半そこそこだから、1時間以上ゆっくりしても9時には十分に間に合う。でも俺はいてもたってもいられなくなって、LAからログアウトすると、クローゼットから制服を引っ張り出して手早く着替えを済ませた。家の鍵と財布とスマホ。最低限の荷物だけを引っ掴んで、部屋を出る。
家族は誰も起きだしていない。いつもなら俺よりずっと早起きな
正直なところ、こんなに弱るのはいままでの人生で初めてかもしれなかった。それでも、俺は行かないといけない。アコのために。
……アコのために? アコのために、俺なんかになにができるっていうんだ?
不意に心の奥底から持ち上がってきたその思いは、一瞬、俺という人間すべてを支配してしまいそうになった。急速に気力が萎えていくのを感じながら、それでも俺は、意思の力で無理やり玄関まで足を動かした。
なにやってるんだ。いまはそんなこと、考えてる場合じゃない。わかってる。わかってるのに、俺はどうしても、さっきの考えを完全には捨て去れなかった。いくら考えないようにしても、頭の隅の、暗くて、じめじめした場所で身を潜めて、いつか襲い掛かるのを待っているかのようだった。
「くそっ、どうしていま、こんな……!」
吐き捨てるように口に出して家を出る。ともかく、いまはマスターに会わないと。芽生えてしまったよくない感情から逃れるようにして、俺は思い切り駆け出した。自分の中にあるものから、逃げることなんてできるはずもないっていうのに。