この荒涼高校に置いて篠崎丈を知らない人間はあんまり多くないだろう。頭一つ二つ抜けた身長に、あの体格、金髪に染めた髪。喧嘩早く、よく揉め事を起こす問題児。悪い意味での有名人である。
なるべく出来る限り、関わり合いたくない手合いだ。
――なんでも、昨日の出来事らしいけど、他校の不良と乱闘を行い、全員病院送りにしたとか。
――あーついにやったか。結構久しぶりだな。
――やっぱツエーなウチの番長は。
今朝の荒涼高校ではさっそくホットなニュースが飛び交っていた。
「よぉ、有谷! ちょっといいか?」
「うわあ!」
有谷裕二は飛び上がって、素早く振り返った。朝、ホームルーム前の時間。昨晩遅くまで彼女と遊び歩いていた有谷は、寝不足の為机に突っ伏してうつらうつらとしていた意識を一瞬で覚醒させて、目を見開いた。短い金髪に着崩した制服、その体躯。まさしく、篠崎丈。何故か、明るく手を上げてこちらに呼びかけている。鼻にガーゼを当てていて、見るからに痛々しい顔つきであったが、何故か満面の笑み。
――嫌な予感しかしなかった。
助けを求めるように、視線を級友に巡らせるがさっきまで好き勝手に『ジョー』について噂していた奴らは安全圏に避難し、こちらを遠巻きに伺っている。
クソ野郎共が。内心で毒づいた。
「ちょっと相談したいことがあるんだ、行こう」
「あ、いや、ホームルームがですね……」
「まだ時間あんだろ。無くてもフケろ。行くぞ」
「……はい」
連行されるのはこれが初めてではない。去りゆく裕二の背中に、お調子者の級友は、手馴れた動作で携帯端末からドナドナの曲を流した。
ジョーは施錠された屋上の扉の鍵を蹴り飛ばして、壊し、開ける。相変わらずの剛脚に裕二は背筋を凍らせた。学校の備品を壊して果たして大丈夫なのだろうか。今更な心配だ。
いざとなったら脅されたと証言するしかない。
「悪いな呼び出して」
「いえ……」
朗らかな様子で言うジョー。
悪いと思うなら呼ばないで欲しい。
「まあ、座れよ。友達として、ちょっと相談に乗ってくれ」
「はい」
友達じゃないんだが。裕二は、思わずツッコミをいれかけた。有谷裕二と篠崎丈の付き合いは高校からだ。女遊びの激しい裕二が、他校の番格の女を知らずに寝とってしまい、それが発覚。有り金を巻き上げられた上、リンチにされかけたところ、偶然通りかかったジョーに気まぐれに助けられ(有り金は結局巻き上げられた)、以後、何かと接点が出来てしまった。一応幾つかの恩がある上、怒らせれば何をされるか分からないため、裕二としては上手く付き合う他なかった。ジョーの方は友達だと思っているようだったが。
「あの、ジョーさん、鼻、大丈夫っすか」
「あ? ああ平気だ。しばらく鼻血が止まんなかったけどよ、見た目も実は大したことねえ」
こうなれば、気になることでも聞いてしまえ。話のネタぐらいにはなるだろう。裕二は悟りを啓いた心境でアグラをかいた。眠気など、吹っ飛んでしまっている。
「昨日、乱闘があったらしいっすね。しかも多対一で。まーでもその様子じゃあ、割と楽勝だったみたいですけど」
「あー、んー……」
「…………?」
てっきり武勇伝でも飛び出すと思ったがジョーの歯切れは悪かった。見たところ大きな怪我はないようだが。
まさか、負けたのだろうか。
――ヤバイ。裕二は慌てた。
「あ、いや、それより相談っすね。なんでも相談してくださいよ。俺、……あー、出来ることなら、力になりますから」
「ああ相談な。ちょうど良かった。相談ってのはそれのことなんだ」
「はい? それってなんです?」
「……中学生相手ってヤバイよな」
「へ? 中学生?」
「ああ、凄い強かった。美しいとすら感じた。こんなこと初めてなんだ」
「んん?」
「確かに油断しちまったが、あんなにあっさり、グウの音も出ないほど完璧にやられちまうとは」
「え、ま、まさか」
「ああ、言い難いんだが、完全にほ……」
「ちょ、まさか、ちょっと待ってください。中学生相手に!? あのジョーが!?」
「……そうなんだ。いや、俺も驚いている」
「相手は一人っすか!?」
「何言ってんだ、普通に考えてそうだろ」
いや、それは普通じゃない。裕二はそう言うのをギリギリこらえた。
あのジョーが負けた。それも中学生に。有谷は戦慄した。あのジョーが。今まで、タイマンでは手傷すら負うのが珍しいあのジョーが、タイマンでしかも中学生に負けた。
言葉に出来ない驚きだった。
「そうっすか、それはショックすね……」
裕二はなんとかそう絞り出した。
「あー、まあ、そうだよな」
ジョーはバツの悪そうな顔をしている。
「いくら俺でも中学生はまずいってのは分かる。そもそも話したこともないし、相手は顔も覚えてないだろうがな」
「話したことあるかどうかはこの際どうでもいいんですけど、そんなヤバイのがこの地域にいるんですね」
「……ああ多分。荒涼中の制服だったし。名前は覚えてないんだが」
「成る程……」
これは乱闘どころの騒ぎではなくなってしまったのではないだろうか。まだ腫れているのか、わずかに赤みを帯びたジョーの顔。よくよく考えれば、顔に怪我をしているのは何時振りだろうか。
「それで、どうするんですか?」
「だからそれを相談してんだよ。お前こういうの得意だろ?」
「いや全然得意じゃないですよ!」
「いや謙遜はいい。早くアドバイスをくれ。お前ぐらいしか頼れるアテがねえんだ」
「いや、んなこと言われても……」
「言えよ」
冬眠明けの熊のように苛立った様子で、ジョーは目つきを鋭くした。
「こっちが恥を忍んで言ったんだ。――言え」
訳がわからない。背筋を震わせながら裕二は必死に頭を働かせた。だが、妙案など浮かばない。しかし、足を揺すり始めた猛獣を前に、裕二はもはや何か言う他ない状況に堕ちっている。
「――そりゃ、諦めるか、リベンジするかじゃないっすか?」
「………リベンジ? アタックじゃなくてか?」
「え、いや、あー、それはどっちでもいいっすけど、とにかく諦めないなら、負けっぱなしってのは良くないんじゃないですかね」
「そうなんか?」
「そりゃそうですよ。舐められますし、負けっぱなしじゃあ、カッコ悪いっすよ」
「カッコ悪い………」
「あ、いや」
言ってから気づく。マズイ、下手こいた。
しかし、ジョーは気にした様子はなかった。
「………確かにそうだな。中学生に負けたままってのは、やっぱカッコ良くないよな」
むしろ、何か納得している。裕二は瞬時に何も言わないことを選択する。彼の変わり身の速さは定評があった。
しばらく、ジョーは口の中でブツブツと呟いていた。やがて、すっくと立ち上がる。
「ありがとう、有谷」
「あ、いえいえ、お役に立てたなら幸いです」
「さっそく行ってくるわ」
「――ええ、頑張ってください。俺はじゃあこれで……」
「おうサンキューな」
「あのジョーが中学生に負けた……。世間ってのは広いんだなあ」
話のネタになるだろうか。一瞬よぎったが、やめておいた。報復が怖いし、まあ一応、恩もあるのだから。こうして裕二はホームルームに、ダッシュした。
結局遅刻扱いだった。