「あ! ごめんヒバりちゃんっ! 借りてるハンカチちょっと泥はねちゃってる。汚さないよう気を付けてたのに……」
あわあわしながら、杏がヒバリさんに謝る。さっきの泥まみれ騒動なら、汚れてしまうのは当然かもしれない。それでも、泥濘にはまっているときも、ヒバりさんのハンカチが巻かれた右手だけは、頻りに気にしていたし、汚さないよう注意していたのは事実だろう。
「……バカね。どうせ中は血がついてるだろうし、ついたのは猫の泥じゃないかしら?」
「!! そ……そっかー!! でもごめんね! 真っ白で綺麗なハンカチなのに……元々より三倍くらい白くして返すから!」
「それだと汚れを落としてるんじゃなくて、ただの色落ちになっちゃうだろ」
「ええー。でもでも……」
「もういいわよ。ハンカチくらい」
やたらと汚れを気にする杏。そんな様子を見てヒバリさんが笑う。
「ヒバリちゃん……!!」
「!?」
堪らず杏がヒバリさんに抱き着く。うん……何となくだけど、今のは俺にも分かるくらいグッとくるものがあった。
「笑った顔もすっごいかーわいー♡」
「ひえっ!?」
いきなり抱き着かれて、驚くヒバリさん。
「バカ……何言ってんの大声で……!!」
「いやいや、今みたいな笑顔をもっと見せてくれたら、すっごくモテると思うぞ。お世辞抜きで」
「ええ。親切な上、お可愛らしくて……猫の役にも立たないし、たまごも割ってしまった私とは月と虫けらです……」
「ぼたんさんはとりあえずもう少し自信を持て! しかも月とすっぽんの間違いだろ、それ」
「そっ、そうよたまご……! 今の騒動で、私のも割れちゃったんじゃ……」
そういえばたまごとか宿題で出てたなあ。俺はまだ確認していないけど、流石にあそこまで大騒ぎすれば、呆気なく割れている気がする。まあ、そもそも割らずに明日まで過ごせるとも思ってなかったけど。
確認の為、カバンを開けて中を見るヒバリさん。……ん? 何か落ちた。
「ヒバリさん。カバンから落とし物だぞ」
「!! あ……それはだめ……っ……!!」
何がダメなのか聞こうとしたときには、その落とし物は目の前から消えていた。どうやらいきなり風が吹いたようだ。
「あ、危ない!」
「それはお前だ!」
飛んでいこうとする落とし物を、杏がキャッチしようとする。……が、その先には大きな木があったので、慌てて杏の襟元を掴んで引き寄せる。
「おお……目の前にこんな大きな木が」
「さっきヒバリさんに、後先考えて行動しろって言われたところだろ。泥まみれな上に、ケガまでしたらどうすんだ」
「えへへ……ありがと、ゆー君!」
「というか、何で飛び出したの……?」
「だって大事なものなんでしょ? あっちの泥に落ちちゃうかと思ったから……はい、ヒバリちゃん!」
どうやら落とし物は無事にキャッチ出来たようだ。杏がそれを、ヒバリさんに手渡そうとしたとき、その落とし物の正体が見えてしまった。
「あ…………っ」
目を逸らすヒバリさん。
「ヒバリさん、ここに写っているのは……?」
そしてぼたんさんが質問を投げかける。
「――私の……大事な人の写真よ。ずっと……その人を見るためだけに、一人で工事現場まで通ったりして……。小中学校の頃は、酷くバカにされたり、からかわれたりしたわ」
落とした瞬間、妙に慌て、拾った瞬間、とても気まずそうにしていたのは、そういうことだったんだ。
「あなた達もおかしいと思うでしょ?」
奥底から、絞り出すような声でヒバリさんが問いかける。
「――好きな人に会いに行ったり、写真をパスケースになんて、ロマンチックですわ」
「え!? そ……そうじゃなくて、普通に考えてヘンでしょう!?」
うっとりとした表情でぼたんさんが返す。まあ、確かにそういう一途な気持ちっていうのは、大事なものだよな。
「人間そんなもんだろ。一回好きになったら、ひたすら夢中になってしまうもんだって」
「だから! そうじゃなくて!」
「ただの工事現場の『看板』の写真を入れているってことよ!!」
ヒバリさんのパスケースに入っていた写真、それは工事現場の
「いつも知られた途端、周囲に言いふらされて――」
「友達の好きな人を、人に言ったりなんてしないよ?」
「……でも……」
「杏の言ったことに乗っかるみたいな感じになるけどさ、ヒバリさん自身がその人のことを好きなら、何の問題もないじゃん」
「…………」
「好きになるのに、理由って必要ないでしょ?」
誰が誰を好きになろうと、他人からとやかく言われる筋合いなんてないのだ。好きになってしまったのは、もうどうしようもない。後は、それに向けて目一杯突き進んでいくしかない。
「ゆー君良いこと言うー!」
「やめろ恥ずかしくなるだろ」
「いえ、素晴らしいお言葉です。気の利いた言葉一つ言えない私とは、天と地獄の差です」
「やめろって」
言ってから何だか小っ恥ずかしくなってきた。あーもう、変に気取ったこと言おうとするとこれだ。
「そうだよね! 好きになったら、もっともっと好きになっていくもんね!」
「あら、はなこさんもそういったご経験が?」
「あ、ぼたんちゃんにはまだ言ってなかったっけ?」
「ちょ、ちょっと待って! 私もそんな話聞いてないわよ!?」
「あれ? ヒバリちゃんにも言ってなかったっけ?」
小首を傾げながらこっちを見る杏。そういえば、中途半端に暈すようなことを言って誤魔化したような気がするな。
「別に隠すもんでもないし、言ってしまってもいいだろ」
「そうだね!」
どこか信じられないといった様子のヒバリさんと、期待に満ち溢れた眼差しを向けてくるぼたんさん。いや、そんな食い入るように見てこられても……。
「ま、もしかしたらそうなんじゃないかとは思っていたけど……やっぱりはなこ、そういうことなのね」
「えへへ。もうヒバリちゃんったら、やっぱり知ってたんじゃん!」
「直接は聞いてないから、あくまでも予想の域を出てないわよ」
「あら、ではそういうことと捉えても構わない、ということでしょうか」
「なーんだ、ぼたんちゃんも知ってたんだね!」
「お二人のご様子を見ていると、こんなクズな私でも分かってしまいましたわ。……勝手な憶測を立ててしまっていたことをお許し下さい」
言う前からバレてるような感じだ。ハァ……何か俺一人でテンパってバカみたいだな。
そんなことを考えていると、いきなり横から腕を組まれる。
「じゃあ改めて紹介します! 私の一番好きな人のゆー君です!」
「おまっ、大声で恥ずかしいこと言うんじゃねー!」
腕に抱き着きながら、杏が大胆な告白をする。いやもう、恥ずかしいなんてもんじゃないぞこれ。
「ほら清瀬君。はなこがこう言ってるのよ、男として言うべきことがあるんじゃないかしら?」
意地の悪い笑みを浮かべながら、ヒバリさんが追い打ちをかけてくる。さっきまでのしんみりしたムードはどこへいったんだ。
腕に抱き着いてニコニコしている杏を、グイッと胸元に抱き寄せる。
「杏とは中学からの付き合いで、今は見ての通り付き合っている。俺の一番好きな人だ」
どう考えても公開処刑です本当にありがとうございました。
「素敵なお付き合いをなされているんですね」
穏やかな笑みを浮かべてぼたんさんが言う。そんな風にいってもらえるとありがたいな。
「――ところでヒバリさん」
「えっ?」
公開処刑が何とか終わったので、伝えたくて心の隅っこでウズウズしていたことをヒバリさんに指差し確認で教える。
「あ」
そう、そこには無情にもパックリと割れてしまっている、ヒバリさんのたまごがあった。
因みに俺のたまごもやっぱり割れていた。カバンの中で割れてしまったもんだから、筆箱やら教科書やらが悲惨なことになっていた。
そして翌日、七組の中でたまごが割れずに次の日を迎えられたのはたったの二人だけだった。意外だったのが、その内の一人がまさかまさかの杏だったということだ。
「はなこさんは割れなかったんですね! すごいです♡」
「えへへ♪」
「すごいな杏。どうやったんだ?」
という具合にみんなで感心していると、目の前でたまごが割れた。いや、正しくは生まれたと言えばいいのだろうか。
何故か杏の持っていたたまごからは、ひよこが生まれたのだ。普通市販のたまごって、無精卵だからこんな風にひよこが生まれるなんてことは無いと思うんだが……。
「可愛い!!」
うんまあ、本人が満足しているなら別にいっか。
ようやくここまで来ました。遅すぎますね。