課金厨のソシャゲ廃人がリリカルなのは世界に神様転生してまた課金するようです   作:ルシエド

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「Kさん、前にGooglePlayカードまとめ買いしたのいつやったっけ?」
「ええと……二日前だな」

「そのカード使い切ったのはいつや?」
「……二日前だな」

「もひとつ質問ええかな」

「ニナチャーンおるけど、諭吉さんダーどこ行ったん?」
「君のような勘のいいガキは嫌いだよ」


召喚のフレンド

 カリギュラ・ゼーゲブレヒトは哀れではあるが、被害者ではない。

 どこまでも裁かれるべき加害者だ。

 悪意をもって彼を傷付けた加害者など、どこにも居ない。

 大切な物を守るために悪行を働くのではなく、大切な物を失ったからという理由で周囲を傷付けている彼に、よい未来が待っているわけもない。

 

 彼は、拳を振り下ろす先を決められなかった。

 振り下ろす先を見つけられなかったのではない。決められなかったのだ。

 全ての王族に王族らしい――人らしくない――在り方を求めた当時の聖王。

 必死に、すがるように、王と王族を改造し力を与え寄りかかる側近達。

 「聖王の血筋を守るために姉君は命を使い切ったのです」と言い彼を励まそうとした家臣達。

 一度も会ったことがないくせに姉の死を悲しむ顔をする一般人。

 聖王家の王族にすがるだけで何も返そうとしない民。

 姉を死なせたオリヴィエ。

 姉を守れなかった自分。

 誰に拳を振り下ろせばいいのか? 誰に"全てお前が悪い"と言えばいいのか?

 決められなかったから、最後には全て壊すしかなかった。

 

 彼は誰も許せなかった。

 オリヴィエも許せなかったし、自分も許せなかった。

 許してしまえば、それが『姉の死の重み』を軽くしてしまう気がして。

 "お前は姉の死の原因を許せてしまうのか"という自分の心の声を、彼は無視できなかった。

 

 彼は姉と共に、親に虐待されていた人間だった。

 カリギュラとその姉の親はかつて聖王家の王位争いに負けた人間であり、子を聖王にするという事柄に強迫観念じみたものを持っており、それが親を虐待に走らせていた。

 姉だけが彼を守ってくれた。

 守られた分、守りたかった。

 愛された分、愛を返したかった。

 大切な家族だったから、幸せになって欲しかった。

 けれど結局、彼は姉を死なせてしまう。

 

 姉に対する彼の愛情の深さや、姉を失ってからの凶行には、そういうバックボーンがある。

 

 だが、彼は虐待されていた人間だが、それを人生の言い訳にしたことは一度もない。

 そんなことを理由に自分を正当化しようだなどとは考えない。

 彼は己を『悪』であると定義している。

 自分自身を"許せない者"の中にちゃんと入れている。

 

 そんな彼の思考が、オリヴィエの目の前で、オリヴィエも予想していなかった行動を彼に取らせていた。

 

「え?」

 

 カリギュラが、突如セクター中央の魔力機関に魔力を通し始める。

 ジェイルは全セクターの機関に魔力を通せば上層に至る道が開くと言っていたが、機関に通す魔力がベルカの仲間のものでなくてはならないとは言っていない。

 カリギュラの魔力でも動くのだ、これは。

 彼の突然の行動の結果として、このセクターはオリヴィエの勝利を誤認する。

 

「叔父様、何を……?」

 

「これでこのセクターはお前の勝利扱いとなった。

 お前の仲間が他セクターを攻略すれば、ジェイルに繋がる道も開くだろう」

 

 オリヴィエの仲間がウーンズに負ける可能性も、"自分自身"に負ける可能性も0%と考えているカリギュラの言動に、オリヴィエは目を丸くする。

 

「ジェイルの奴も俺が殺す。その後、俺が全てを滅ぼしてやる」

 

「……!」

 

「善も悪もない。己も他もない。

 全てだ、俺は全てを壊す。

 オリヴィエ、まずはお前から滅ぼしてやる」

 

 カリギュラは全てを許せていないのに、ジェイルを例外にするわけがない。彼はオリヴィエも、ジェイルも、そして全てが終わった後は自分も、平等に滅ぼすつもりなのだ。

 オリヴィエを倒した後、セクターの壁を突破できない自分なんて想像してもいない。

 万のジェイルに負けるなんて考えてもいない。

 それは一見傲慢のようにも見えるが、実行可能という時点で、傲慢とは言い難いものだった。

 

「それはただの自殺……いえ、皆を巻き込んだ心中です! ただの身勝手です! 叔父様!」

 

「止めたければ止めてみろ、オリヴィエ。止められるものなら!」

 

「!」

 

 カリギュラが踏み込み、オリヴィエが腕を上げる。

 男が放つ虹の連撃は既に空間を抉り取る域の威力に達しており、少女はそれを受け流す以外に防御する手段を持っていない。

 オリヴィエは次第に押されていき、ガードの上から拳を叩き込まれ、吹っ飛ばされてしまった。

 

「あくっ」

 

「力も無い者が正しさを語るな!

 力の裏付けなくして通される正しさなど、あるわけがないのだ!」

 

 優勢と劣勢がはっきりしているこの戦場に続くように、他の戦場も勝敗と優劣がはっきりとし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザフィーラはクラウスを「おそらくこれ以上なくマテリアルと相性が良い」と評した。

 その理由は、カリギュラ戦の時のクラウスを見れば分かるだろう。

 戦闘中に爆発的な成長を見せたクラウスに、カリギュラはその時感嘆の声すら漏らしていた。

 クラウスは、大切な人のためにこそ強くなる。

 大切な人が隣に居ることで強くなり、大切な人が死ぬことで強くなる。

 

 それゆえに、友を想い戦う彼は、その時点での能力と姿をコピーするマテリアルの天敵だった。

 

「よし」

 

 戦闘開始時は互角だった。

 一分経つ頃には目に見えて差が出来ていた。

 五分経つ頃には埋められない差が発生していた。

 そうして、クラウスは特に苦もなくマテリアルを下す。

 王族警護役のザフィーラが不安がる様子を見せもしなかったこと、ベルカがクラウスを信じて任せたこと、その理由が目に見える形になったかのようだ。

 

「これが、転送装置を起動させるためのセクターの機関なのだろうか」

 

 クラウスがセクター中央の魔力機関に魔力を通すと、機関が彼の魔力の色に染まる。

 そして機関の外側に『1』と表示され、数秒後には『2』と表示された。

 これはクラウスが一番乗りに勝利したこと、そして今オリヴィエのセクターが勝利扱いとなったことを示している。

 

(僕が一番乗りか……いや、ここからが本番だ。

 セクターの壁を乗り越えられなければ、ベルカが一人になってしまう)

 

 クラウスはマテリアルが塵となって消えたのを確認し、壁に向き合う。

 そして拳を振り上げた。

 ナハトが"聖王女よりも、黒のエレミアよりも、なお重い"と評した拳に、力が込められる。

 

(ジェイルの目的が僕達の嬲り殺しなら、あまり長い間個人行動をしているのもマズい)

 

 下層の状況はベルカを通じてクラウスにも伝わっている。

 中層の人間が壁を突破しベルカと合流できなければ、ベルカはジェイル軍団と一人で戦わなければならないだろう。

 クラウスの拳に込められた力が、自然と力を増した。

 

「しッ!」

 

 増した力を(りき)みとせずに、自然な力の流れでクラウスは拳を叩きつける。

 川の水の流れのように自然な打ち方で、山をも砕く威力を放つ豪快な一撃。

 "断空"はその名の通り空を断ちながら壁へと当たり、爆音混じりの衝撃波を発生させる。

 

 だが、セクターと外を阻む魔力の結界は、ビクともしていなかった。

 

「……硬いな。本格的にマズい、時間がかかる以前に、これは僕に壊せるのか……!?」

 

 収束砲(ブレイカー)はベルカが元居た時代でも、切り札の中の切り札となる魔法である。

 その収束砲(ブレイカー)を純威力でなら上回るのが消し飛ばす一撃(イレイザー)

 そしてクラウスの拳の一撃は、エレミアの消し飛ばす一撃(イレイザー)ですら上回る。

 

 彼の拳でもこの壁が壊せないのであれば、それは他の誰にもどうにもできないことを意味する。

 

 

 

 

 

 何度も剣を振るう。

 何度も空を切る。何度も剣の表面を切る。何度も敵の薄皮一枚を切る。

 何度も敵の体を傷付け、何度も敵に傷付けられる。

 何度も攻め、防がれ。何度も避け、受け止める。

 

 シグナムは全力を出し続けている。

 にもかかわらず、戦いの流れはどちらに対しても全く傾かない。完璧に互角だ。

 マテリアルは僅かに力でシグナムを上回り、シグナムの戦闘経験がその力の差を埋めている。

 シグナムは戦闘開始から現在に至るまでずっと生死の境で拮抗しているこの戦いに、もう何度目かも分からない武者震いをした。

 

(たまらないな)

 

 シグナムの髪が一本、切り飛ばされて宙を舞う。

 その髪の毛が地に落ちるまでの間に、実に100を超える金属音が鳴り響いていた。

 首狙いの一閃、足首狙いの一閃、肘狙いの一閃、耳狙いの一閃、目を抉る一閃、鼻を削ぐ一閃、

 "敵の防御をかいくぐって切り飛ばした覚えのある場所"を、両者は互いに狙っていく。

 眉間、首、心臓、丹田、肝臓、腎臓。

 "そこを切って殺した覚えのある場所"を、両者は互いに狙っていく。

 

(やはり私は―――こういう戦いが、好きで好きでたまらない人種のようだ)

 

 生と死の狭間で、シグナムの精神は高揚し、感覚は研ぎ澄まされ、剣技は冴え渡り……やがて、彼女をとんでもない暴挙に走らせた。

 

(この一瞬が。この一幕が。

 守るべきものを背中に感じ、強敵と鎬を削り合い、己を高める。

 やはり私は……容姿を褒められようが、血筋を褒められようが、剣を置く気にはなれん)

 

 シグナムは剣を振るうのではなく、魔力を込めて地に叩きつけた。

 本人にも自覚のある『明確な悪手』であった。

 魔力は瞬時に視界を塞ぐ灰色の陽炎となり、マテリアルの視界を奪う。

 シグナムはそこで一気に踏み込み、距離を詰め―――待ち構えていたマテリアルを見た。

 

 視界を塞ぐ小細工など通じるはずもない。

 斬りかかったのがシグナムなら、迎撃したのもまたシグナムだ。

 気配と足音から奇襲を感知することなど朝飯前である。

 シグナムが剣を振るうより早く、マテリアルは剣を振り下ろす。

 

『終わりだよ』

 

(だろう、な。だが)

 

 互いが互いを剣の届く範囲に捉え、防御も回避も考えず、渾身の一閃を叩きつけに行く。

 まるで、鏡の向こうの自分に向けて剣を振るうかのように。

 

(ただ、この一瞬に、全身全霊を―――!)

 

 この一撃で勝負は決まる。

 だが自分から仕掛けたためか、シグナムはほんの僅かに出遅れてしまった。

 この一瞬、ほぼ互角の実力であるにもかかわらず、シグナムがマテリアルに勝利する可能性は三割を切る。

 

「―――」

 

 振り切られる二つの剣。

 剣と剣がぶつかる一つの音ではなく、肉を剣が裂く二つの音がした。

 血が吹き出て、骨は絶たれ、肉が飛び散る。

 その一瞬で片方は絶命し、片方は致命傷に一歩届かない程度のダメージを受けた。

 

「―――」

 

 炎剣と雷刃が、床に落ちる。

 シグナムの左腕が床に落ちる。

 袈裟懸けに両断されたマテリアルの上半身がずるりと動いて、どすんと落ちる。

 

「―――いい、勝負だった」

 

 シグナムの体もぐらりと揺れて、ゆっくりと倒れていった。

 

「……くっ」

 

 最後の勝負は、本当に運だった。

 シグナムはマテリアルの剣を見切るだけの余裕がなく、何も考えず体を右に動かしたのだ。

 結果、運良くシグナムは致命傷を免れて、シグナムの斬撃がマテリアルを両断したのである。

 勝者はシグナム。だが彼女もまた、深い傷を負っていた。

 

 マテリアルの斬撃はシグナムの左肩と左肘の中間あたりを切断しただけでなく、そのままの勢いでシグナムの左大腿部までもを食い込んでいた。

 剣は既に抜け落ちているが、食い込んでいた時は剣が太腿の骨にまで達しており、今のシグナムは満足に歩くこともできない。

 

「ぐああああああああああああっ! ……ああ」

 

 シグナムは愛剣・レヴァンテインから炎を放出、傷口を焼いて塞ぎ、応急処置とした。

 あまりにも乱暴な処置ではあるが、魔法での身体強化と併用すれば、なんとか死は免れる。

 シグナムは青い顔で、剣を杖代わりにして立ち上がり、セクターの魔力機関に魔力を通した。

 機関が彼女の魔力の色に染まり、『3』の数字が表示される。彼女は三番乗りのようだ。

 

「満足、したが……戦いはまだ佳境に入ってはいなかった、な……

 仕方がない……頼まれたのだから。応援してくれる者の期待には、応えねばな……」

 

 シグナムは魔力機関に背を預け、血を流しながら床に座り込む。

 

「せめて、もう一戦。保ってくれよ、私の体」

 

 今の自分にできることは、次に戦う時まで休むことだけだと、彼女は知っている。

 

 

 

 

 

 ザフィーラとマテリアルの戦いは、戦いの流れ次第では千日手となりかねないものだった。

 攻撃力が防御力を大きく上回る戦い……例えば子供に刀剣を持たせて戦わせれば、防御を知らない子供はあっという間に死ぬだろう。

 だが、ザフィーラとそのマテリアルは防御と支援の魔法を得意とし、肉弾戦闘を主な攻撃手段とする男らしい戦士達だ。この戦いは、防御力が攻撃力を大きく上回る戦いである。

 

 魔力を込めた拳は並の魔導師ならば殴り砕いて余りある威力を持つが、相手がザフィーラの体であるならば話は別だ。

 よほどのことがなければ防御を抜いて当てることはできず、防御を抜いて当ててもまずクリーンヒットにはならず、クリーンヒットしても上手く受けられてしまうと倒せない。

 両者は相手を殴り、殴られ、皮膚に擦り傷と打撲を数え切れないほどに刻まれながら、それでも休むことなく殴り合っていた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

『はぁ、はぁ、はぁ』

 

 ザフィーラは、自分も敵ももう息が限界だということに気が付いていた。

 今の彼らは絶え間ない殴り合いにより、長距離走直後に近い状態になっている。

 一旦息を整える時間を設けなければ、満足な状態で戦い続けるなど不可能だ。

 だから、こそ。

 ザフィーラは、ここで仕掛けた。

 

「……っ!」

 

 切れる息を抑えながら、ザフィーラとマテリアルは全力で拳を叩きつけ続ける。

 今の彼らは、もはや短距離走のペースで42.195km彼方の目標を目指しているような状態だ。

 呼吸が足りない。休憩が足りない。酸素が足りない。余裕も無い。

 息を整えなければならない状態で更に酸素と体力を消費して、彼らは酸欠になりかけながらも、拳撃のキレを落とそうとはしない。

 

「……ッ……!」

 

 意識が何度も飛びかける。

 酸素が肉体を稼働させるために使われて、頭にまで回らない。

 体が安め、安めと叫ぶ。理性に休めと訴えかける。

 それでもザフィーラは、ペースを落とそうとはしなかった。

 

 肉と肉がぶつかり合う音は、一度も途切れることなく続いていた。

 マテリアルも今の自分と同じくらいには辛いはずだ、と己に言い聞かせ。ザフィーラは苦しみを伴う戦いを続ける。

 次の瞬間にどちらの意識が刈り取られてもおかしくないこの状況。

 先に隙を見せたのは、マテリアルの方ではなく、ザフィーラの方だった。

 

「………!!!」

 

 マテリアルはその隙を見逃さない。

 マテリアルの手には残る魔力のほとんどが込められており、貫通力に特化した一撃が構築されていて、突き出された手はまっすぐにザフィーラの防御に隙間が出来た場所……胸部に向かう。

 そして、ザフィーラの胸へと突き刺さった。

 

 ザフィーラの胸から、そして口から、血が噴き出る。

 マテリアルはザフィーラの胸の中で心臓を掴み、そのまま引き抜こうとする。

 

(かかった)

 

 だがそれこそが、ザフィーラの誘いだった。

 互いが余裕を無くす展開の戦いに持って行ったのも。

 "わざと"隙を作ってそこに誘い込んだのも。

 『心臓を囮にした』、ザフィーラの策の内であった。

 

 ザフィーラが求めたのはこの一瞬。

 模倣した自分(マテリアル)の力であれば、どう力を込めようと自分の心臓を一撃で撃ち抜くことなど不可能であると読み、胸に手を突っ込む段階と、心臓を引き抜く段階が必要であると読んでいた。

 胸に手を突っ込まれてから心臓を引き抜かれるまでの一瞬にこそ、彼は勝機を見たのだ。

 

『!?』

 

 ザフィーラはマテリアルの手が胸に触れるか触れないかというタイミングで、マテリアルの首筋に向け、貫手を繰り出していた。

 マテリアルと同じ、されどマテリアルより少し遅れて放たれた、貫通させ殺すための一撃。

 だがここで、『心臓を狙った者』と『首を狙った者』の差が生まれた。

 

 胸に手が刺さる音に僅かに遅れて、首に手が刺さる音が響いた。

 

 そう。首であれば、貫いた時点で死ぬ。一撃で即死だ。されど胸ではそうならない。

 胸に手を差し入れ、心臓を引き抜くという二作業が必要だったマテリアルは、ザフィーラを殺しきる前に、自分が死んでいくことを自覚する。

 ザフィーラは敵の首に突き刺さっていた自分の手を引き抜き、自分の胸に刺さっていたマテリアルの手を引き抜き、その場に膝をつく。

 

「……う、ぐッ」

 

 だが彼は、脚部ホルダーから大きめの布を取り出して、男らしく胸に巻いて止血とする。

 

「てェぉあぁッ!」

 

 そして叫び、立ち上がり、セクターの魔力機関を起動させた。

 

「後は任せました、殿下……それに、負けるなよ、ベルカ……!」

 

 マテリアルになくて彼にあったもの

 それは、"コピーではない"本物の忠誠心。

 彼が決して捨てない『主への忠』は、マテリアルに勝つ理由にも負ける理由にもなっただろう。

 だが今日は、彼を勝たせてくれたようだ。

 

 忠誠心ゆえに捨て身になれたザフィーラは、壁の向こう側の仲間の勝利を信じていた。

 

 

 

 

 

 ベキン、と音が鳴るのを、エレミアとシャマルだけが聞いていた。

 

「!」

 

 転送ポートを守っていた結界が破壊された音だ。

 結界を維持していた人間が全て倒れてしまったせいで、ガジェットにも破壊できる強度になってしまっていたのだろう。それは転じて、二人を除いた全ての騎士が倒れたということを意味する。

 下層はとうとう、エレミア&シャマルVS億単位のガジェットという最悪の状況に移行していた。

 

(―――駄目だ、もう、保たない)

 

 守るものがなくなリむき出しになった転送ポートに、ガジェットが殺到しようとする。

 破壊しようとする様子は見られない。

 どうやらこの億のガジェット達は、中層に向かおうとしているようだ。

 中央に向かった後何をするかは分からないが、こいつらが中層を埋め尽くしたらベルカ達がどうなるかくらいは、エレミアにも容易に想像がつく。

 

 だがエレミアは、転送ポートから少し離れた位置に居た。

 しかも彼女と転送ポートの間には、無数のガジェットが居る。空間に空気とガジェットが50:50の割合で存在しているという、バカげた数のガジェットの壁がそこにあった。

 エレミアの心が折れかけ……されど、エレミアより少しばかり大人なシャマルが、諦めない心のままに叫んだ。

 

「まだ何も、終わっていません!」

 

「シャマルさん!?」

 

 シャマルの結界魔法が転送ポートを守り、彼女の得手ではない風の攻撃魔法が、ガジェットを一機づつ叩き落としていく。

 焼け石に水程度の抵抗だ。

 ガジェットの軍団を一人の人間と見たならば、シャマルがガジェットを倒したところで、体毛の一つを切り飛ばした程度の損害しか与えていないだろう。

 だが、足掻く。

 シャマルはその足掻きが、いつかどこかで何かに繋がると信じている。

 

「諦めないで……涙の終わりが嫌で、笑って終わりたいのなら、諦めないで!」

 

「……!」

 

 諦めない先にだけ未来があると、彼女は知っている。

 そんなシャマルに呼応するように、何人かの騎士達がまた立ち上がる。

 騎士達は回復魔法をかけても戦闘続行が不可能なほどに痛め付けられており、立ち上がったそばからガジェットに撃たれる者も居たが、中にはズタボロな体をおしてガジェットに背後から斬りかかり、手の指で数えられる程度のガジェットを片付けている者達も居た。

 

「女の人、ばっかに、戦わせてるなよ皆……!」

「……お、う。ともよ」

「……っ……!」

 

 その中には、シュトゥラの新米騎士達三人も居て。

 名も無き兵士達、騎士達が、諦めずに立ち上がっては倒されていく。

 

「うん」

 

 そんな、諦めない仲間達を見て。

 

「僕は諦めない。いや……僕"も"諦めない。最後の、最後まで!」

 

 エレミアは、自分の命を賭ける(チップにする)覚悟を決めた。

 

 

 

「鉄腕第二解放……起動!

 術式展開、機構展開、回路直結!

 諦めない人達に……勝利を! 『レリックウェポン』ッ!」

 

 

 

 ここに至るまで彼女が使わなかった、使おうとしなかった、使いたくないと思っていた切り札が唸りを上げる。

 

「ほぅ?」

 

 それは、監視カメラで下層の戦いを見ていたジェイルが思わず声を漏らしてしまうほどに、特異な力を放つ切り札だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴィータは空を舞い、ナハトの姿をした闇の書からの攻撃を回避する。

 闇の書から放たれる攻撃は、ナハトが広域攻撃を得意としていたのもあり、ヴィータの優れた能力をもってしても回避するのは困難だ。

 血色の刃を空中にて回避しながらも、ヴィータのスカートの裾を刃が切り裂いていく。

 大きく避けては回避できない。ゆえに闇の書からの攻撃をきっちり見切り、小刻みに速く動くことで回避していたヴィータだが、それでも回避できない精度での魔法行使であった。

 

(こいつら、強い!)

 

 ヴィータは回避の中に下降を巧みに織り交ぜて、回避しながら床に降りる。

 そして床を強く踏み込んで、空を飛んでいた時より数段速いスピードで闇の書に向かって踏み込んだ。

 彼女は手にした鉄槌・グラーフアイゼンを強く握り、ぎりっと小さな音を鳴らす。

 だが闇の書はナハトの姿からユーリの姿へと変わり、ユーリの姿で赤色の大剣を振るってきた。

 

「うおっとぉっ!?」

 

 赤色の大剣はゆうに5mはあり、縦横無尽に振るわれる過程で床さえも切り裂いていく。

 当然、ヴィータはこれを受けるという選択肢を選ばない。

 あまりの切れ味に背筋をヒヤリとさせながら、ヴィータは大剣がギリギリ届かない位置にまで後退した。

 

(親子揃って血の色の刃が好きとは、趣味悪すぎだってーの!)

 

 ヴィータは間合いを巧みに調整し、大剣が届きそうで届かない距離で闇の書の斬撃を誘いつつ、発生させた鉄球を豪快に叩いた。

 

「シュワルベフリーゲン!」

 

《 Schwalbefliegen 》

 

 鉄球はヴィータの左右に飛び、壁に当たって跳ね返る。

 そうして、ユーリの姿をした闇の書に正確に向かって行った。

 闇の書はその鉄球を的確に処理する。だが鉄球に対応したため防御に隙間が出来てしまい、そこをヴィータに突かれてしまう。

 

「っらぁ!」

 

 ヴィータが大剣の攻撃範囲を把握していたように、闇の書もまたヴィータが手で振るう鉄槌の攻撃範囲を把握していた。

 だが、だからこそ当たってしまった様子。

 ヴィータは鉄槌を槍投げのように投げ、その柄頭を蹴り込んだのだ。

 "腕の長さ+握られた箇所から鉄槌の先端まで"の長さを攻撃範囲であると認識していた闇の書は、"足の長さ+柄頭から鉄槌の先端まで"の長さに変化した一撃を食らってしまったのである。

 

「闇の書とやらも! それに使われた二人も! 経験が浅いんだよ!」

 

 そして鉄槌をモロに受けた闇の書に、柄を掴み直したヴィータの鉄槌が叩き込まれる。

 ゴルフを思わせる勢いで、ゴルフボールのように闇の書が吹っ飛んで行く。

 そして飛んで行った先に回り込んでいたヴィータに、トドメの追撃を喰らっていた。

 落ちる闇の書。衝突する床。広がる魔力の爆煙と轟音。

 ヴィータは闇の書を地に叩きつけた後、ウーンズの前に降り立ち、彼に鉄槌を突き付ける。

 

「覚悟しとけウーンズ。次はお前だ」

 

「次はわたしだと? 何を言ってるのやら」

 

 だがウーンズは、余裕の顔……正確に言えば"他の全てを見下している顔"を崩さない。

 その顔を見て怪訝な表情をするヴィータの背中に、ベルカの叫びが届く。

 

「避けろ、姫っ!」

 

「は?」

 

 だが、彼が声を上げた時にはもう遅い。

 振り返ったヴィータが見たのは、ヴィータに向かって手を伸ばす、ユーリの形をした闇の書の姿であった。魔法陣が、闇の書の手とヴィータの胸に展開される。

 ベルカが叫ぶまで魔法の発動に気付けなかった時点で、ヴィータの運命は決定されていた。

 『この魔法』は、発動されれば防ぐことも回避することもできないのだから。

 

「エンシェント・マトリクス」

 

 かつて"高町なのはだからこそ"処理できた魔法が放たれる。

 言い方を変えれば、高町なのはでも回避と防御を行えなかった魔法が放たれる。

 ヴィータの胸の魔法陣から彼女の魔力を吸った赤い大剣が飛び出して来て、闇の書がそれをキャッチ。そして闇の書の魔力をも込められた大剣が、ヴィータに向けて投擲された。

 

(防がないと、死ぬ!)

 

 ヴィータはそれを防御魔法で防ごうとしたが……赤い大剣は、防御魔法をすり抜ける。

 

「何!?」

 

 そして、ヴィータの体はすり抜けなかった。

 

「―――が、ほ」

 

「ヴィータ!」

 

 セクターの外でベルカが叫ぶが、ヴィータには聞こえていないだろう。

 今の彼女にそんな余裕はない。

 闇の書がユーリの姿で、無表情なままに大剣を掴み上げる。ヴィータと一緒に。

 大剣に貫かれたまま大剣ごと持ち上げられたヴィータが苦悶の声を漏らし、剣が刺さった腹からぼたぼたと血が垂れ、それを見ながらウーンズが首を傾げる。

 

「あ……ぐっ……!」

 

「何だったかな、これをどこかで見たような気がするのだが……」

 

 まるで街角で見覚えのあるポスターを見かけて足を止めた人間のように、ウーンズは苦しむヴィータと流れ落ちる血を見ながら、人が平穏な日常の中で見せる顔を浮かべる。

 そして"思い出せそうで思い出せない"という悩ましい表情から一転、"思い出せた"という歓喜の表情を浮かべ、ウーンズは大きな声を上げた。

 

「ああ、思い出した! 百舌鳥(もず)早贄(はやにえ)だな、ハハッ!」

 

 ウーンズはヴィータを指差し笑う。

 思い出せなかったことを思い出せたことを喜ぶ彼の笑顔は、まるで子供のようだ。

 虫を針に突き刺して喜び笑う子供のようだ。

 

「わたしはあれが好きだ。

 身の程を知らない雑多な生き物が、その無様さを晒されているようでな。

 虫が生きたまま突き刺され、もがいているのを見た時から、わたしはあれが好きでたまらない」

 

「ウーンズ!」

 

 ベルカの大きな声がセクター内に届くが、ウーンズはそちらを振り向きもしない。

 彼の頭の中は既に、ヴィータを取り込みヴォルケンリッターへと変え、ヴィータの手でベルカを殺させることで一杯になっているようだ。

 ベルカの声はウーンズの心に何の影響ももたらさない。

 彼の声が影響をもたらしたのは、剣に突き刺されたままのヴィータの方だった。

 

(まけられるか)

 

 彼女の意識は死に寄っている。

 今にも死にそうな彼女の思考は朦朧として、まともに物事を考えられていない。

 されど、何をやるべきかはいつだって彼女の胸の内にある。

 頭が考えられないのなら、胸の内に聞けばいい。

 

(あいつにたくすために、こいつをたおすために、まけ、られ、るか……!)

 

 友の叫びを背に受けて、胸の叫びに身を任せ、ヴィータは魂の叫びを吐き出した。

 

「カートリッジフルロード! ギガントォ!」

 

 彼女の手の中で全てのカートリッジが力に変わり、グラーフアイゼンが形を変える。

 ヴィータの切り札(フルドライブ)、『ギガントフォルム』だ。

 デカい。

 とてつもなくデカい。

 おそらくは、戦艦や城を一撃で破壊できるサイズだろう。

 ヴィータはこれを、ゲートボールのスティックのように振り回すことができる。

 

 だがこれでも、ウーンズの制御下にある闇の書相手には通じないだろう。

 ウーンズは自分への攻撃の可能性を考えたのか、闇の書を自分の隣に呼び寄せて、上から来る鉄槌を受け止める魔法障壁を展開させる。

 

「ふん、無駄な足掻きを―――」

 

 そうして。

 

「加算! ギガントギガントギガントギガントギガントギガントォッ!!!」

 

「―――は?」

 

「ゴキブリのようにぶっ潰れろ、クソ野郎ッ!」

 

 ヴィータは魔力の全て、体力の全て、生命力の全てを注いだ一撃を放った。

 

「なんだとぉッ!?」

 

 敵が小細工しようが、悪巧みしようが、命を削ってでも真正面からぶっ壊す。

 それが鉄槌姫ヴィータの戦い方だ。

 

 鉄槌はヴィータから注がれた力で巨大化を続け、ヴィータの手から離れても巨大化を続ける。

 柄は太く長く巨大化を続け、天井に突き刺さってもなお巨大化を続けていた。

 鉄槌の頭の部分も巨大化を続け、もはやセクターの半分を埋め尽くすサイズになっている。

 ヴィータの思考は単純だ。

 鉄槌を巨大化させて、それで敵を押し潰す。

 柄を巨大化させて、それで天井を押し、反作用で敵を押し潰す。

 発想自体はシンプルなのだ。

 だが、発想のスケールがあまりにも大きかった。それを実現する鉄槌もまた、大きかった。

 

「う、うおおおおっ!?」

 

 ウーンズは闇の書に鉄槌を受け止めさせ、その僅かな時間で部屋の角に転がり込む。

 そこで鉄槌が魔力切れで縮小し始めるまで潜んでいたウーンズは、セクター内部で鉄槌に押し潰された闇の書と、血まみれでそこに立つヴィータの姿を見て、盛大に狼狽える。

 恐怖なのか驚愕なのか。ウーンズは予想外の事態に冷静さを失っていた。

 

「な、ななっ、なんだこの無茶苦茶さは……!?」

 

「ぶっ潰す」

 

「ひっ」

 

 命すら一撃に込めてしまった今のヴィータに、ウーンズを倒せる力は残っていない。

 だが血まみれのヴィータの鬼気迫る雰囲気は、ウーンズから彼女に抵抗する気力を奪っていた。

 ウーンズはたじろぎ、再生中の闇の書を呼び寄せ、この場を離脱する。

 

「来い闇の書!」

 

 部屋の隅でどこかへと消えたウーンズを見て、ベルカは驚愕し、ヴィータは膝をついた。

 膝をつきながらセクターの機関に魔力を注ぐも、それが最後のひと押しになってしまったのか、ヴィータの体から加速度的に力が抜けていく。

 

「!? ジェイル側の人間には逃げ道が用意されてたのか!?」

 

「逃が、す、かよ……! あたしから、逃げられると……」

 

 そしてそのまま、ヴィータは床に倒れ伏した。

 じんわりと床に血が広がっていく。

 ウーンズの逃走に気を取らていたベルカも、ここで予想以上に悪いヴィータの状態に気が付いたようだ。かといって、何かができるわけでもない。

 ここからでは彼の回復魔法も彼女には届かないからだ。

 ヴィータもベルカも、二人の認識以上に悪いヴィータの体の状態に焦り始める。

 

(立て、ねえ)

 

「ヴィータ!」

 

「やっかましいっての……オリヴィエみたいに、様付けで呼ぶなら許す……」

 

 彼女の声に力がない。誇張抜きに瀕死の状態だ。

 

「……」

 

「おい姫様! ヴィータ!」

 

「……」

 

 一言二言交わしただけで、もう話す力すら失っている。

 事は一刻を争う。一刻も早く、セクターを囲むこの結界を無効化しなければ、ヴィータの命はない。ゆえに、ベルカはヴィータに背を向け走り出した。

 この時点で既に五人が勝利扱い。

 上層への道は開かれている。

 

(中層の結界(バリア)をどうにかできるとしたら、ジェイルが居る上層しかない!

 やつならそうする。必ずそうする! コントロールは絶対に、自分の手で握っているはずだ!)

 

 仲間達の中で唯一通信が使えるベルカは、現状を正確に認識していた。

 オリヴィエがカリギュラに勝てるか分からないと言っていたこと。

 クラウスがセクターの壁を突破できていないこと。

 シグナムとザフィーラが重傷であること。

 ヴィータが瀕死であること。

 そして、下層が壊滅状態であることを。

 

 誰の助けも期待できない。

 ヴィータを助けるためには一刻も早くセクターの壁を消す必要があり、そのためにはジェイルの居る上層に挑む必要があり、彼はジェイルに一人で挑むしかない。

 状況は絶望的だ。

 

「考えるだけ面倒くせえ!

 上層に挑まなければ仲間が死んでジリ貧!

 上層に挑めば天文学的確率でも大勝利の可能性あり!

 なら挑むだけだ! 待ってやがれよジェイル!」

 

 が、確率の低さを前にして心折れるようでは、課金兵は務まらない。

 ジェイルと戦えばタイマンですらベルカは負けるだろうが、ジェイルの目を盗んでコンソールを操作するなり、機材を破壊するなり、重要そうなものをかっぱらうなり、やりようはいくらでもある。挑まなければ可能性は0、挑むならば可能性はある、それだけの話だ。

 

「突入!」

 

 仲間達のおかげで稼働を始めた転送ポートに、ベルカは躊躇なく飛び込む。

 

「参上!」

 

 そして義腕内部に放り込んであった小銭を消費、カートリッジロード。

 転送終了と同時に、視界に入ったジェイルに砲撃をぶちかました。

 

「くたばれ!」

 

 ジェイルは上層で大仰な椅子に座っていたが、ベルカの出会い頭の砲撃に目を丸くし、防御魔法にてそれを防ぐ。

 防ぎ終わるなり立ち上がり、椅子を横に蹴り飛ばして、愉快そうにジェイルは笑った。

 

「ふむ、その判断は悪くないね。油断していたらやられていたかもしれない」

 

「チッ」

 

「歓迎しよう、ベルカ君。君がこの世界の命運を決める、この世界の代表だ」

 

 ベルカが辺りを見渡せば、上層はコロッセオを思わせる円形の闘技場となっていた。

 奥には扉が見えていて、その奥にスルトの重要な機構が集中していることが伺える。

 だが、それ以上に目を引くものがあった。

 闘技場の観客席には、同じ顔がズラッと並んでいる。

 全てがジェイルの顔だ。闘技場の真ん中でベルカと相対している男と同じ顔をしている。

 

 観客席のジェイル達はざっと一万人は居て、闘技場の真ん中で相対している男を加えれば、10001人のジェイルと表現してよいものであった。

 ベルカより強い10001人。

 それらが一斉に、その手に武装(デバイス)を取り出す。

 

「楽しもうじゃないか」

 

 下層から始まり、中層でも始まった戦いが、上層でも始まる。

 世界の行く末を決める戦いは、更に激しさを増していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エレミアの手に、赤い光が宿る。

 

「鉄腕第二解放……起動!

 術式展開、機構展開、回路直結!

 諦めない人達に……勝利を! 『レリックウェポン』ッ!」

 

 その赤き光は、遠い昔に課金石として使われていたロストロギア・レリックの光。

 聖王家が先祖代々受け継いできたレリックを、世界の未来をかけた戦いを理由にして、エレミアは強奪に近い形で譲ってもらっていたのだ。

 レリックは彼女の鉄腕と同化し、彼女の腕と同化している。

 

「なんだ、エレミア様のあの腕は……!?」

 

 その光に、倒れたままの騎士達が目を見開く。

 

「すげえパワーだ……」

 

 漏れる力に、兵士達が目を奪われる。

 

(あの時、僕はベルカのアンチメンテから、データをいくらか吸い出した)

 

 エレミアの力が爆発的に上昇し、膨れ上がる力を制御するための負荷が生まれ、エレミアのこめかみに汗が流れる。制御に失敗すれば、次の瞬間には体が内から弾けてしまいそうだった。

 

(その中にあった、"レイジングハート"という魔法の杖のデータ。

 ベルカが大切に保管していたそのデータを、僕は参考にさせてもらった。

 ……『ジュエルシードを格納して性能を上げる』、という特性を。

 ジュエルシードというものは、レリックにかなり近しい石だった。

 ならばそのデータを流用し、調整すれば、レリックでだって同じことができる!)

 

 レリックウェポンとは、エレミアがレイジングハートの"ジュエルシード利用機能"のデータをつぶさに解析し、それをレリックに応用したシステムの総称だ。

 皮肉なものだ。

 ヴィルフリッド・エレミアが高町なのはの力を真似しているという時点で、皮肉である。

 エレミアはレイジングハートのデータが大切に保管されていたという事実から、薄々何かを感じ取ってはいたが、あえて何も考えないようにして、目の前の敵に全力を向けていた。

 

(僕の体が、弾ける前に……上に行って、守らないと……これが、最後なんだから……!)

 

 ベルカを守らなければ。

 そんな責任感が、少しばかり彼女を速くする。

 踏み込んだ彼女の姿が消え、一瞬にてガジェットの群れの中心に移動し、ガジェットに一切の反応も許さないまま、大規模攻撃を繰り出させた。

 

「ガイストッ!!」

 

 攻撃範囲が狭い代わりに収束砲以上の攻撃力を持っていたはずの殲撃(ガイスト)が、広域攻撃並みの攻撃範囲で放たれる。

 その光景は、まるでエレミアの攻撃に空が食われているかのようだった。

 攻撃に食われているのは空ではなく、ガジェットだったが。

 

 凄まじい攻撃だが、この強大なパワーをエレミアはまだ制御しきれていないようで、攻撃直後に分かりやすい隙が出来てしまう。

 その隙にガジェットが光線を放ち、それがエレミアの脇をかすった。

 

「っ、効くか!」

 

 だが、脇を光線がかすった火傷もすぐに消える。

 これがレリックウェポンだ。

 発動中は肉体を強化・常時再生し、完成すれば死者の蘇生すら可能とするだろう。

 課金石を利用し、そのエネルギーを代金ベルカ式を参考にした術式で転換、個体を負傷や敗北から引き戻す……彼女の術式は奇しくも、ベルカの"コンテニュー魔法"と同じ方向性を得ていた。

 

「ふむふむ」

 

 そんなエレミアの戦いを、上層の闘技場席の一角で待機しているジェイルの一人が眺めていた。

 

「技術も悪くないが……レリックウェポンというネーミングが気に入った!

 どこかでパクらせてもらおう。その技術も、ネーミングもね」

 

 ジェイルは後々エレミアのそれをパクろうと、とりあえず半永久的に保存できるストレージにレリックウェポンという名前だけを書き込んでおく。

 続きを書こうとしたが、そこでベルカが転送ポートから上層に乗り込んで来たため、彼はそこでストレージに書き込むのをやめた。

 

(行ける! レリックの暴走にさえ気をつけていれば、全滅させるのも夢じゃない!

 逆に言えば、僕が今見なければいけない危険要素はレリックの暴走だ。慎重に制御しないと)

 

 ジェイルに見られているとは露知らず、エレミアはガジェットをなぎ払い続ける。

 彼女は今や、十万単位のガジェットも余裕で対処できるようになっていた。

 現状でもこの数のガジェット相手に七割程度の勝率がある。時間をかけてじっくり戦えば、この勝率はまだまだ上がるだろう。

 もっとも、ベルカを心配しすぎている彼女が、じっくり戦うわけもないのだが。

 

「守るんだ。僕が、僕の心が、守りたいと思ったものを!」

 

 彼女は純情だったから。一途だったから。初心だったから。

 ベルカの下に一秒でも早く向かうため、目の前のガジェット達に全神経を集中していた。

 それが、裏目に出てしまう。

 

「いーや、貴様には何も守れない」

 

「! あぐっ!?」

 

 背後から襲いかかって来たその敵に、エレミアは奇襲を許してしまう。

 ガジェットの攻撃より数段速い速度で飛んで来た砲撃に、エレミアは胴体と右腕、左足の肉を削がれ、焼かれてしまう。

 レリックウェポンの特性のためエレミアの傷は再生を始めるが、これだけ深い傷だと再生にも時間がかかってしまう。

 エレミアは襲いかかって来た敵を見て、目を見開いた。

 

「ウーンズ!? 何故、ここに?」

 

「戦略的に考えて、私がここに来ることが最良であったからだ。それ以外の理由があるか?」

 

 ウーンズ・エーベルヴァインと、彼が従える闇の書。エレミアを傷付けた下手人はすぐに見つかり、戦いに集中していたエレミアの思考が切り替わる。

 

(そうか、ベルカから連絡があったんだった。ウーンズはこっちに逃げて来たのか……)

 

 エレミアの傷の回復を待たず、ウーンズはヴィータ戦のダメージがある程度抜けた闇の書に、シャマルや無名の騎士達が居る場所への攻撃を命じた。

 狙いの定まっていない適当な攻撃が、力もほとんど残っていない彼らを攻め立てる。

 

「まず、雑魚にはご退場いただこうか」

 

「うわぁっ!?」

 

「皆!?」

 

 ウーンズはそうして、エレミアの集中力を削いだ。

 エレミアに不意打ちでダメージを与え、仲間を狙いエレミアの意識をそちらに向けて、ウーンズはエレミアに隙を作る。

 その隙に、闇の書が数本の触手をエレミアの体に突き刺していた。

 

「うぐっ!? こんなもの!」

 

 エレミアは体に触手が刺さった痛みに耐えつつ、魔力を纏わせた手刀で触手を切り落とそうとする……が、切れない。

 予想以上に頑丈、かつ衝撃と魔力を緩和する構造になっているようで、エレミアの渾身の手刀もこの触手を切り捨てることはできなかった。

 

「切れない……!?」

 

「無駄だ! 大人しくわたしに従う手駒となれ!

 そして、お前の仲間だった者達を……あのベルカという男も、殺すのだ!」

 

「!」

 

 その上、この触手には対象を吸収する効果があるらしい。

 "吸われそうな予感"を、エレミアはその触手から感じていた。

 すぐにでもこの触手を剥がさなければ、エレミアはウーンズの手駒にされてしまう。

 

「ふざ、けるなぁ……!」

 

 エレミアはレリックウェポンをフルに動かし、触手を腹から力ずくで引き抜こうとするが、そこで彼女を囲んでいたガジェットが一斉攻撃を始めた。

 

「く、ぅっ……!」

 

 触手が与える痛みに耐える。

 触手をどうにかする。

 ガジェットからの攻撃に耐える。

 それらを平行して行う力を維持するため、レリックウェポンの制御を完璧に行う。

 いくらエレミアでも、この四つの作業の同時進行は無茶すぎる。

 

 ウーンズは勝利を確信した顔で、ここで手駒の確保に失敗してしまえば本当に後がないがゆえの震えた声で、必死に闇の書に指示を出し続ける。

 

「終わるものか……わたしは、ここで終わるわけにはいかんのだ……!」

 

「僕達にだって、ここで終われない理由くらいあるっ!」

 

 そんなウーンズに、エレミアも真っ向から心の叫びを返していた。

 

 

 

 

 

 シグナムとザフィーラは重傷、ヴィータは瀕死。

 オリヴィエは勝敗定かならず、ベルカは今すぐに援軍を送らなければならない状態。

 そしてエレミアもまた、ウーンズに追い詰められている。

 

 ベルカが中継していた通信から状況を把握しつつも、クラウスは未だ壁を突破できずにいた。

 

「壊れろ」

 

 彼は一番先に、一番余裕を持って勝利した。

 にもかかわらず、彼は未だにセクターの壁を突破できていない。

 怠けていた? そんなわけがない。彼はずっとずっと壁を全力で殴っている。

 拳から血が滲むほどに壁を殴っている。なのに、壁が壊れてくれないのだ。

 

「壊れろ……」

 

 友を想い振るわれる彼の拳は、一撃ごとにその強さを増して行く。

 彼は壁を壊す過程で天井知らずの成長を続けていたが、それでもこの壁は壊せない。

 今、仲間を助けに行けるのはクラウスだけだというのに。

 壁に阻まれ、クラウスは走り出すことすらできていない。

 

「壊れろっ……!!」

 

 ベルカが中継している通信が、ベルカの声を、エレミアの声を、オリヴィエの声を届ける。

 

「壊れろッ!!!」

 

 それがなおさらに、クラウスの無力感を増していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全ての戦場に暗雲が立ち込める。

 それが、オリヴィエに覚悟を決めさせた。

 

(ここで切り札を切っても、叔父様の技を全て見れていない私が勝てる可能性は……

 ……低い。とても低い。けれど、誰かが動かなければならないこの状況、私が動くしかない!)

 

 時間をかけて勝率を引き上げていく策を捨て、オリヴィエは分の悪い賭けに出る覚悟を決めたようだ。

 カリギュラが虹を纏った豪腕を振るい、オリヴィエの義腕がそれを受け止める。

 彼に殴り飛ばされるという形で、彼女は叔父から距離を取った。

 

「作り物の腕に救われたな」

 

「ええ、これは作り物の腕です。

 私が不具の者であるという証です。

 けれど、私の友達が教えてくれました」

 

 オリヴィエは義腕を掲げ、自分の劣等感を少しばかり拭い去ってくれた友のことを思い出し、いつもの彼女の笑顔を浮かべる。

 

「この腕は、人を守ることも人と繋ぐこともできる手であると!」

 

 友の記憶が、彼女に勇気をくれていた。

 

「私は腕を失いました。

 子を成す機能も。

 生まれた時に母も。

 今日までの日々に、それだけでなく、多くのものをなくしてきました……」

 

 幼少期のオリヴィエの境遇は、悲惨の一言以外では表せないだろう。

 物心ついた時から両親はどこにもおらず、叔父は彼女に憎悪を向けていて、生まれた瞬間から親殺しのレッテルを貼られた上で、一部の人間には陰口を叩かれていた。

 そこに加えて魔導事故で両腕と生殖機能をなくし、子を成せないことから王位継承権まで剥奪されて、心ない者に陰で不具の王女と蔑まれ、厄介払いのようにシュトゥラに送り出された。

 それでも、彼女は微笑んで生きている。

 それでも、彼女は自分が幸せな人間だと思っている。

 

 カリギュラとは、対照的に。

 

「悲しかった。辛かった。苦しかった。

 でも、悲しいまま終わらなかった。辛いまま終わらなかった。苦しいまま終わらなかった」

 

 彼女の人生は悲劇に満ちている。だが、彼女の人生は悲劇のままでは終わらなかった。

 

「大切なものを失った先の未来には、新しい大切なものがありました!」

 

 エレミアと出会えた。

 クラウスと出会えた。

 ベルカと出会えた。

 『みんな』と出会えた。『みんな』がよくしてくれた。『みんな』と過ごす日々が楽しかった。

 

 だから彼女は、世界も他人も憎むことなく、微笑んでこの世界を生きている。

 

「悲しみは人生を終わらせません。

 悲劇は人生を終わらせません。

 人生はその後も続いて行くんです! 私は知っている!

 まっすぐに、周りの人に胸を張れる生き方をしていけば、いつかいいことはあるって!」

 

 悲劇の後に幸せがあることを、オリヴィエは知っていた。

 

「だから、あなたも……!」

 

 だから彼女は、彼に手を伸ばす。

 だから彼は、彼女の手を拒絶する。

 過去に囚われたカリギュラが、未来を語るオリヴィエを迎合できるはずがない。

 

「失った大切なものの代わりなど! どこにもあるものかぁっ!」

 

 けれど、受け入れられない主張であっても、無視できる主張ではなかったようだ。

 カリギュラは狂乱の表情で、虹の魔力を圧縮した砲撃を放つ。

 その砲撃を見つめながら、オリヴィエはカリギュラの言葉を思い出していた。

 

―――俺と同じステージにも上がれていない聖王家の出来損ないが、この鎧を抜けるとでも?

 

 あの時、あの言葉に、オリヴィエは悔しさと劣等感を感じていた。

 仲間を守れないのは自分に力が足りないから、自分が劣等であるからだと思ってしまったのだ。

 だがその劣等感も、もはや薄れている。

 今の彼女を突き動かすのは劣等感ではない。熱い覚悟だ。

 

(エレミア……あなたの力を、今一度私に!)

 

 オリヴィエはカリギュラに及ばない。力が足りないからだ。

 けれど、それでいい。それでいいのだ。

 足りない力は仲間と補い合えばいい。仲間がくれた義腕を頼ればいい。

 それが、"一人ではない"ということ。

 一人ぼっちのカリギュラには持てない力を持っている、ということだ。

 

 オリヴィエは迫る砲撃を見つめながら、エレミアがベルカのデバイスデータを元に新機能を搭載した義腕を起動し、ベルカのデバイスデータを参考に名付けられた名と起動ワードを口にする。

 

 

 

「虹は空に、心は腕に、捧げた誓いはこの胸に―――セイクリッド、セットアップ!」

 

 

 

 虹色の砲撃が、オリヴィエを飲み込んでいく。

 

「……ふん。呆気なかったな」

 

 それは、一週間前のオリヴィエならば確実に死体も残らなかったほどの一撃。

 されど、今のオリヴィエにとってはそうでない一撃。

 

「なっ」

 

 虹色の砲撃が通り過ぎても、そこには傷一つ付いていないオリヴィエが居た。

 彼女が身に纏うは、カリギュラのそれと比べても遜色ない虹の光(カイゼル・ファルベ)

 カリギュラの全力攻撃でも突破できないほどの『聖王の鎧』が、彼女の命を守っている。

 ここに来てようやく、オリヴィエはカリギュラと同じステージに立つことができた。

 

「俺と同格の、聖王の鎧だと……!?」

 

「あなたを止めます! 私は、そのためにここに来たのですから!」

 

 最強の剣と最強の鎧の戦いは、最強の鎧の勝利に終わった。

 ならば、最強の鎧と最強の鎧ならば、どうなるのだろうか?

 矛盾という言葉でも表現できない衝突が、ここに成立する。

 

 

 

 

 

 そして、オリヴィエが覚悟を示したことがきっかけとなり、戦場の流れが変わり始めた。

 

 

 

 

 

 ジェイル軍団に囲まれたベルカは、相対したジェイルが自分のスマホを手の中で転がしているのに気付き、叫ぶ。

 

「! 返せこの野郎ッ!」

 

「力ずくで取り返せばいいだろう? やればいいじゃないか」

 

 ジェイルが笑い、観客席のジェイル達も笑う。

 万単位の人間による嘲笑は、心弱い者ならそれだけで精神が不安定になりそうなものになっていたが、ベルカはどこ吹く風だ。

 物怖じせず、命より大切なスマホを返せとジェイルに喧嘩を売っている。

 

「まあ、これから君を圧倒するわけだが……恨まないでくれるかい?」

 

「なんだそりゃ、新手のジョークか?」

 

 ふっと笑って、ジェイルは肩をすくめる。

 目の前の人間が、あの日メシウマ魔法を起動させた時から、小さなきっかけ一つで記憶を全て取り戻す状態になっていたということに、気付きもせずに。

 

「ご理解下さいという奴だ。手を抜く理由も、義理もないわけでね」

 

「―――」

 

 『ご理解ください』『ご了承下さい』『お願い致します』『お詫び申し上げます』。

 世界の運営者を気取(きど)っているジェイルが、そんな運営じみた言葉を使ったことが、蘇りかけていた彼の記憶を、完全に復活させた。

 課金厨の本能。

 世界の楽しさに水を差す、邪悪なる運営に向けられる正しき怒り。

 それが、彼の魂に最後の揺さぶりを与えたのだ。

 

「―――!」

 

 カチッ、と怒りで沸騰していたベルカの頭が一気に冷える。

 その心は明鏡止水。

 物欲センサーを切り離し、ありとあらゆる欲と怒りを切り離すことができる技術が、彼の精神を徳を積んだ高僧のそれへと至らせていた。

 

 ベルカは釈迦がそうするように、掌をジェイルに向け、その手の中のスマホを取り戻す。

 

「何!?」

 

 否。取り戻したという表現も正確ではないだろう。

 重力に引かれた小石が自然と地面に落ちていくように、あるべきものがあるべき場所に帰って行くという、ごく自然な世界の法則が形を成しただけのこと。

 

「電車の中でも、風呂の中でも、布団の中でも、オレはこいつをずっといじっていた。

 とっくの昔にこいつはオレの一部。

 オレの第二の脳であり、第二の心臓だ! ならばオレの手の中にあるのは必然の帰結!」

 

「!? まさか、君は、記憶が……?」

 

「ああ、戻った。

 思い出そうとしても思い出せなかったその日の朝飯のメニューを思い出すようにな!」

 

 ベルカはスマホをポケットの中に入れる動作――何万回とやってきた動作――をしようとして、そこで服のポケットに入れた覚えのない何かがあることに気付いた。

 彼がそれを取り出してみると、それは達筆な文字と王の捺印が押されていた。

 

 それは、シュトゥラ王が『こんなこともあろうかと』とベルカの服のポケットにこっそり入れていた"無制限支払代替証"。

 すなわち、「シュトゥラの国庫の金をいくらでも使ってもいい」という許可証であった。

 この時代におけるクレジットカード、それも国家予算を使えるカードだ。

 シュトゥラ王は代金ベルカ式の本質を知るがゆえに、本当の本当に窮地に陥った時、世界を救う力として『これ』を差し出す覚悟があったようだ。

 

「王様……!」

 

 王の心意気に感動し、ベルカは心の赴くままに、数カ月ぶりのガチャを回し始めた。

 彼の目に映るのは、古代ベルカ時代期間限定のピックアップ、実に十種類。

 ピックアップの目玉である最高レアの内五つがこの状況を打開できるものであり、残りの五つがこの状況からでも勝利を掴めるものだった。

 なればこそ。

 ベルカは十種のピックアップガチャを同時に回し、喜んで搾取される側に回る。

 

 

 

 

 

「―――(まわ)れ」

 

 

 

 

 

 ぎゅいん、と回転が始まる。

 

「させるか!」

 

 ジェイルの一人が危機感を抱き、ベルカに攻撃を仕掛けるが、もう遅い。

 十種のピックアップガチャを回すことで発生したエネルギーが、ジェイルの放った魔力弾を、その余熱のみで焼き尽くす。

 

「バカな……このエネルギーは、既に一千万度を超えている……!?」

 

 人は憤怒することで、一時的に体温が一度上がることがあるという。

 ガチャを回す時の人の熱意を、全ユーザー分……数百万人分集めたならば、課金者の熱意は特殊な方程式により足し算で計算される。数百万人ならば、数百万度の熱となるのだ。

 なればこそ、国家予算を費やしたった一人で数百万人分の課金を行い、普段から一千万の課金を躊躇なく行える彼のガチャ大回転は、当然の結果として一千万度の熱を吐き出していた。

 

 国家予算を使い切る勢いで課金できるこの時にしか、発生しない膨大な熱。

 アニメの中でスーパーロボットがカッコよく吐き出す排熱に似た何か。

 それが、ジェイルからの攻撃を焼き尽くす防御となっているのだ。

 

「廻れ廻れ廻れ廻れ廻れぇッ!!!」

 

 彼が引き起こす回転は、既に銀河の回転と同一であり、原子の回転と同一である。

 マクロとミクロの両面から、彼が引き起こしたガチャの回転が世界を飲み込んでいた。

 回転、ひいてはガチャを引くという行為は、この次元の宇宙の法則を全てを体現する。

 

「出ろォ!」

 

 今の彼は、宇宙そのものとの合一を果たしていた。

 

 『ハゲが治る薬』を引いた。捨てた。

 『あらゆるソシャゲのあらゆるキャラに変化するカード』を引いた。捨てた。

 『甲種勲章』を引いた。捨てた。

 『RMT用金塊の山』を引いた。捨てた。

 『人に好かれるようになる薬』を引いた。捨てた。

 『次のソシャゲ戦闘のドロップを指定できる券』を引いた。捨てた。

 『プレイヤースキルを向上させる丸薬』を引いた。捨てた。

 『人に騙されなくなるシール』を引いた。捨てた。

 『終わったソシャゲを復活させられるボタン』を引いた。捨てた。

 『名前を書いたソシャゲをアニメ化する名札』を引いた。捨てた。

 『好きな絵師に無料で一枚イラストを書いてもらえる封筒』を引いた。捨てた。

 『最新のスマホを手に入れられる引換証』を引いた。捨てた。

 『かつて失ったソシャゲ初心者の頃の気持ち』を引いた。捨てた。

 『睡眠時間の効率が三倍になる塗り薬』を引いた。捨てた。

 『単純なソシャゲ作業なら代わりにやってくれるロボット』を引いた。捨てた。

 『レジアス・ゲイズの水着写真』を引いた。捨てた。

 『寿命が100年伸びる飴』を引いた。捨てた。

 『ハーレムルート獲得機』を引いた。捨てた。

 『前世の記憶を取り戻せる針』を引いた。捨てた。

 『良縁の才能』を引いた。捨てた。

 引いた。捨てた。引いた。捨てた。引いた。捨てた。

 

 虚空から引き、虚空に捨てる。

 何もない場所にガチャが何かを発生させ、ベルカがそれを消滅させていく。

 質量保存の法則も等価交換の法則も熱力学第二法則もまとめて無視して、0から100を生み出し、100をゼロにしていく創造と破壊のコンチェルト。

 

 今この瞬間、彼と彼が引いているガチャは、宇宙で最も新しい世界法則と化していた。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」

 

 今となっては、引いたものを取捨選択している余裕はない。

 あれを残そう、これは要らない、と思考している時間もない。

 目当てのもの以外は全てすぐさま捨て、どんなに価値が有るものでもすぐさま捨て、所有枠に常時空きを作り続けながら、十のガチャを無念無想で回さねばならない。

 

 それだけの覚悟と速度を用いなければ、この男(ジェイル)には到底届かない―――!!

 

「た、ただガチャを引いているだけで、超新星爆発に匹敵するエネルギーの発生だとッ!?」

 

 やがて、ガチャの回転は超新星のそれに匹敵するものとなる。

 この熱量は、そのままベルカの心の熱量を表したものだ。

 "なんか冷めたわ"と彼が思えば消える、それだけのものでしかない、儚い熱。

 されど、人を破滅に導くに足る熱量だった。

 

「―――来た」

 

 その熱量が、収束する。

 "熱意が実を結び"、彼の手元には目当ての二枚のカードが残った。

 片や、所有者の一番強い所持キャラを一戦闘のみコピーする『模倣』のカード。

 片や、所有者の仲間扱いになっているキャラを戦闘中に戦闘に参加させる『参戦』のカード。

 どちらもSSRであり、現実でもソシャゲでも使える起死回生のカードであった。

 

「来い!」

 

 前者は一人のみ指定。後者は二人がランダムで来る。

 だからこそ、彼は一人の顔を思い浮かべて、二枚のカードを天に掲げた。

 

「そして、一緒に戦ってくれ!」

 

 オリヴィエが変えた絶望的な流れは、この一手にて完膚なきまでに破壊される。

 

 

 

 

 

 召喚された三人の内、最初に現れた者は、ベルカの指示で全てを切り裂き下層に向かった。

 

「下に行ってくれ、頼む!」

 

「はい!」

 

 二人目は何も言わずにベルカの三歩後ろで立ち止まる。

 

「……?」

 

 だが、この二人目こそが最も危険なのだと、ジェイル達はすぐに思い知ることになる。

 『模倣』のカードで現れた二人目は、一人だけ"本人のコピー"という形で召喚された。

 黒いシルエットの姿で召喚された二人目は、人間らしい顔もない。

 ただ元になった人間の輪郭をなぞっているだけだ。

 ジェイル達には二人目が華奢な少女にしか見えず、少しばかりの油断をしていた。

 

「少女、か?」

 

 けれども、油断などするべきではなかったのだ。

 

 その輪郭は、『高町なのは』にそっくりなものであったのだから。

 

「は?」

 

 そう声を漏らしたのは、どのジェイルだっただろうか。

 模倣の少女が、どの行動を取った瞬間だっただろうか。

 

 少女が一瞬で空に舞い上がった時か。

 少女がバカげた桁の魔力を一瞬で収束し終えた時か。

 少女がまばたき一回分の時間すら与えず、砲撃を観客席に放った時か。

 太さ30mサイズの砲撃を撃ちながら少女がその場でぐるりと回り、観客席のジェイル全てを薙ぎ払おうとした時か。

 

 1000人のジェイルが抵抗することも出来ずに無力化された初撃が終わった頃には、全てのジェイルがこの二人目の恐ろしさに戦慄していた。

 

「な、何だこいつはッ!?」

 

「課金王本人をやれ!」

 

 空中から攻撃を仕掛けてくる少女を無視して、ジェイル達は地上のベルカに襲いかかる。

 速度特化のジェイル、格闘特化のジェイル、剣戦闘特化のジェイル、その他多くのジェイルがベルカに襲いかかっていく。

 だがその全てが、一人目と同様に『参戦』のカードで召喚された三人目に、片っ端から殴り飛ばされていた。

 

「!?」

 

 三人目は、薄い色合いの緑の髪をなびかせて、ベルカを守りそこに立つ。

 鉄よりも固い『守る』という意志を見せつけながら、三人目は誓いの言葉を口にする。

 

「永遠の友情、遥けき過去の約束を今ここに」

 

 たとえ、模倣の少女が強くとも、彼を絶対に守ろうとする心までは模倣されていない。

 しかし、ベルカの守りが疎かになることはないだろう。

 ベルカとクラウスの約束は、ここに果たされるのだから。

 

「悠久の時が流れども、褪せぬ友情、ここに在り」

 

 アインハルト・ストラトス、推参。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ディバイドゼロ! エクリプスッ!」

 

《 Divide Zero "Eclipse" 》

 

 壁が壊せない。

 仲間を助けに行けない。

 拳の痛みと心の苦しみ、その両方にクラウスは苛まれていた。

 だがそこで、どこからか聞こえて来た声と同時に、全てのセクターの壁の魔力結合が『分断』される。

 

「!? これは、一体……!?」

 

 中層全域という広範囲に発生し、セクターを区切る壁だけをピンポイントで無力化するという超絶技能。こんなことができる人間がそうそう居るはずもない。

 だが、ごちゃごちゃと考えるよりは足を動かすべきだと、クラウスは考えた。

 

「今行くぞ、ベルカ!」

 

 目指すは上層。

 通信が途切れている、万のジェイルに囲まれているであろうベルカの下へ。

 まだ戦いは終わらない。

 クラウスの鍛え上げられた危機感知能力が、万のジェイルを倒してなおこの最終決戦は終わらないと、特大の警鐘を鳴らしていた。

 

 

 

 

 

「ディバイドゼロ! エクリプスッ!」

 

《 Divide Zero "Eclipse" 》

 

 その声を聞き、エレミアとウーンズは同時に空を見上げた。

 シャマルや新人の三人騎士達などの仲間達も空を見上げた。

 するとそこには、天井をぶち抜いて来た援軍、ベルカが召喚した一人目の男……トーマ・アヴェニールが、剣を構える姿があった。

 

「リリィ!」

 

『くりむぞん、すらーっしゅ!』

 

 トーマは闇の書の触手を手にした大剣で切断し、エレミアを抱えて転送ポート横まで跳躍。

 エレミアを転送ポートの横に置き、ウーンズと対峙した。

 

「……また貴様か! 負け犬がまた出て来るなどと、恥を知れ!」

 

「……? カリギュラに負けた記憶はあるけど、あんたに負けた覚えはないんだけど」

 

「―――ッ」

 

 トーマは億のガジェット、闇の書、ウーンズに一人で向き合いつつ、エレミアの体に刺さっていた触手の残滓を『分断』、消滅させた。

 そしてエレミアに、上に行くよう促す。

 

「これは……?」

 

「上に行くんだ。きっと仲間のあなたを、あの人が待ってる」

 

「!」

 

 "あの人"という代名詞がベルカを示していることは、すぐに分かった。

 けれどもそう言われてすぐさま上には行けない。エレミアはここをベルカに任されたのだ。下層の敵を殲滅する算段が付けられないのなら、ここは離れられない。

 

「だけど、僕がここを離れてしまえば、戦力が……」

 

「大丈夫。今度は俺、一人じゃないから」

 

「え?」

 

「俺達は強いから、大丈夫」

『私達は強いから、大丈夫』

 

 そこで、トーマは自分を説得の材料とする。

 先日、エレミア達が束になっても足元にも及ばなかったカリギュラと拮抗していたトーマは、あの日と比較して段違いに強くなっていた。それこそ、魔導師ならば見れば分かるレベルでだ。

 エレミアはトーマの強さ、トーマの声に重なる誰かの声、"ベルカを助けに行きたい"というエレミアの意志を尊重してくれているトーマの優しさを認識し、その気遣いを受けることにする。

 

「だから行くんだ。君は、あの人を助けてやって欲しい」

 

「……分かった。ありがとう、僕の意志を汲んでくれて」

 

「さて、何のことやら」

 

 エレミアが上層に行ったのを見て、トーマは他の兵士達騎士達にも中層に上がるよう指示し、ガジェットで埋め尽くされた空間を見回して、挑発的に笑った。

 

「一掃するぞ、リリィ、銀十字!」

『うん!』

《 Silver Stars "Hundred million" 》

 

 カリギュラと戦った時のトーマは、リリィが居ない上に不調の中の不調であった。

 万全の状態ならば、カリギュラにだって勝機はあった。

 その事実を証明するかのように、彼のデバイスから『総数一億』の魔力弾が放たれる。

 

 億のガジェットと億の魔力弾。

 頭がおかしくなりそうな桁での攻撃が成立し、億の破壊と億の残骸が生み出されていた。

 億の爆音と億の衝撃波を耳と肌で感じ、ウーンズはその光景に身を震わせる。

 

「おかしい、これはいくらなんでもおかしい……! なんなのだ、この強さは……!?」

 

 今のトーマは、一人じゃない。隣に大切な人が居る。

 ただそれだけで、彼は家族すら愛さなかった男を恐怖させるほどの強さを手に入れていた。

 愛を踏み台にした男では、女の子のために最強になれる男に勝てるわけもない。

 

《 Divide Zero 》

 

 流石にシルバー・スターズ・ハンドレッドミリオンを連射するだけの魔力は無いのか、トーマはガジェット達を砲撃でなぎ払いながら、闇の書という当面の脅威を仕留めるべく走る。

 

「敵がたとえ、何億体居ようとも!」

『敵がたとえ、何兆体居たって!』

 

「『 二人でゼロにしてみせる! 』」

 

 億のガジェットが積み上げられた鉄の山。

 

 それを見ながら逃げる算段をすることくらいしか、ウーンズにできることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、叔父と姪の長き因縁にも決着がつこうとしていた。

 

「オリヴィエ、まさか、お前」

 

「はい。聖王家にて、専門の調整を行っていただきました。

 ゆりかごに乗ることを完全に度外視し、聖王の鎧を扱うことに特化させたのです」

 

「―――」

 

 古代ベルカの王家とは、人体改造でその力を維持している生体兵器としての一面も持つ。

 聖王家もその例に漏れず、王族を改造する専門の人間、王族の適正と得意分野を判定する専門の人間、王族の能力を調整する専門の人間など、様々な人間が王家を取り巻く形となっていた。

 オリヴィエは、そういった者達に身を任せたのだ。

 自分の中の"ゆりかごを扱う能力"を全て捨て、その分"聖王の鎧を扱う能力"を強化するために。

 

 カリギュラはオリヴィエより遥かに高い能力を持っている。

 だが、ゆりかごを扱う能力と聖王の鎧を扱う能力、その両方に能力のリソースを割り振っているカリギュラが相手であるならば、オリヴィエはゆりかごを諦めることで、そこに並べる。

 二つを扱うカリギュラ相手に一つを扱うオリヴィエが挑んだならば、素の能力差が倍近くあったとしても、これで拮抗できるというわけだ。

 

「だが、そんな調整をすれば、そんな前提で力を使えば、お前の寿命は」

 

「こうして聖王の鎧を纏った以上、長生きはできないでしょうね。それも覚悟の上です」

 

 されど、そんな奇策がノーリスクで行えるわけもない。

 オリヴィエは体を弄くり能力リソースを再配分するという無茶をし、その能力を結局使ってしまったことで、著しく寿命を削り取られていた。

 40まで生きられれば奇跡だろう。

 それだけの覚悟で、オリヴィエはこの鎧の力を使ったのだ。

 他の誰にもカリギュラは倒せない。仲間のことを思えばこそ、彼女は寿命を捨てられた。

 

「……奴ら、何も変わっていないではないか!!

 王族に人ではなく王であれと望んでいたあの頃から!

 オレ達に聖王(いけにえ)であれと望んでいたあの頃から!

 姐さんの死を、人の死として悼まず! 王候補の死として惜しむだけだったあの頃と!

 何も変わっていないっ!

 誰かを守り慈しもうとする善い心を利用し、その命を削る手伝いをするなどと……!」

 

 それに激昂するカリギュラ。

 聖王国で堕ちた聖王が暴れ、ゆりかごが破壊され、聖王の権威が失墜しても、かの国は何も変わらなかった。

 それが、カリギュラにはとても苛立たしいことであったようだ。

 だがその本気の苛立ちが、カリギュラの本音を吐き出してしまっているということに、カリギュラだけが気付いていない。

 

「叔父様、気付いていらっしゃいますか?」

 

「何がだ!」

 

「あなたは今、私のことを心配しています。

 私のために怒ってくれています。

 あれだけ憎いと言っていた、私のことを想ってくれています」

 

「……は?」

 

 カリギュラはまず"何をバカな"とでも言いたげな顔をした。しかし次の瞬間、"言われて初めて気がついた"という表情を浮かべる。そして最後に、"自分の中に浮かんだ感情を否定する"苦々しい表情になった。

 どんな表情を浮かべたところで、彼がオリヴィエの体を弄り回した者達に怒ったという事実は、変わらないというのに。

 彼の中で、彼の姉とオリヴィエが重なってしまったという事実に、変わりはないというのに。

 

「っ、バカな! お前の思い違いだ! お前がそう思いたいというだけのことだろう!」

 

「あなたは、愛深い故に狂った人だから。

 愛無き故に外道に落ちた人のようにはなれない。人の心を捨てきれていないのです」

 

 『つい』、カリギュラは"オリヴィエのために怒ってしまった"。

 それをきっかけに湧き上がる感情が、オリヴィエを許さない理性と相反、反発し、拒絶し合う。

 真の悪は口論では負けない。

 真の悪は矛盾を指摘されても揺らがない。

 少女の言葉で揺らいでしまうことが、彼が半端者であることを証明してしまう。

 カリギュラは、ウーンズにもジェイルにもなれないのだ。

 

「命を愛することと憎むことは矛盾しない。

 誰かを好くことと憎むことは矛盾しない。

 人を躊躇いなく殺せることと、人が傷付くことに憤ることは矛盾しない。

 ……あなたを見ていると、それを実感します。悲しくなってしまうくらいに」

 

「―――」

 

 今のカリギュラに何を言われても、今のオリヴィエは揺らがない。

 今のオリヴィエの言葉は、今のカリギュラを揺らがして余りある。

 それがそのまま、二人の心の強さの差を表していた。

 

「……っ」

 

 カリギュラはカッと目を見開いて、オリヴィエに殴りかかって来た。

 カリギュラの拳がオリヴィエの頬をかすり、オリヴィエの拳がカリギュラの頬をかすり、互いの頬を浅く切る。

 最強の剣は最強の鎧を貫けなかったが、完全に同格の聖王の鎧二つがぶつかり合った結果、二つは相互に干渉し合ってダメージを通してしまうようだ。

 堅固なダイヤモンドを加工するため、ダイヤモンドを刃に使うのと似た原理だろう。

 

「分かった風な口を利くな、オリヴィエ。

 俺に分かった風な口を聞いていいのは一人だけだ。

 他の誰も、俺の理解者にはなれない。俺の理解者は生涯ただ一人だけだ」

 

 だがカリギュラは、自分の鎧が貫通されたことを気にも留めない。

 頬の痛みも気にしていない。

 今の彼が意識を向けているのは、目の前のオリヴィエだけだ。

 

「その一人は、たった一人の俺の姉さんは……お前に殺されたのだ!」

 

「く……!」

 

 カリギュラの拳がオリヴィエの頬に命中し、鈍い音を立てる。

 

「私の母があなたにとってただ一人の姉であったように。

 あなたもまた、私にとってただ一人の叔父です!

 だから止めます! だから助けます! 私があなたの悲しみを終わらせます!」

 

「ぐ……!」

 

 オリヴィエの掌底がカリギュラのみぞおちに命中し、彼の肺の中の空気を全て吐き出させる。

 

「止められるものか!」

 

「っ」

 

 だが、カリギュラは止まらない。

 聖王の鎧の性能が互角でも、肉弾戦においてカリギュラはオリヴィエの上を行っていた。

 顔を殴り、腹を殴られ、腕で防いで、足で止めて、胸に拳を叩きつけ、脇に蹴りが突き刺さる。

 

「お前ごときに止められるものか!」

 

「ッ!?」

 

 オリヴィエの攻撃はいい当たりにならず、カリギュラの攻撃は的確にオリヴィエの急所に痛みを叩き込んでくる。

 オリヴィエも見事な防御を見せていたが、現状それは彼女の敗北を先延ばしにし、彼女の苦しみを長引かせているだけにしか見えなかった。

 

「お前だけには、止められてたまるか!」

 

 そんな中、オリヴィエの元に通信越しの声が届く。

 カリギュラに対し通信越しに物申しているベルカの声だ。

 もっとも、カリギュラには届いておらずそれを聞いているのはオリヴィエだけであったのだが。

 

『―――』

 

 だが凄惨な殴り合いの中、オリヴィエの耳に届く"ベルカからカリギュラに向けられた言葉"は、彼女の心を奮い立たせてくれていた。

 

『―――っ』

 

 カリギュラの拳が右頬に刺さる。

 カリギュラの拳が下腹部に刺さる。

 カリギュラの拳が首左側に刺さる。

 ベルカが"かつてどこかで友から聞いた言葉"をカリギュラに対し口にして、痛みに耐えるオリヴィエがその言葉を心に刻んでいく。

 

『―――!』

 

 そうして、オリヴィエは"ベルカの友の言葉"を耳にして、それを心に刻み、自分の心を通してその言葉を口にした。

 

「世界はいつだって、こんなはずじゃないことばっかりです。

 ずっと昔から、いつだって、誰だって、そうなのです。わたしも、あなたも」

 

 それは言葉のバトンであり、想いのバトン。

 友を通してオリヴィエに渡された大切なもの。

 どこかの世界の、どこかの誰かの、いつかの時に語られた信念だった。

 

「こんなはずじゃない現実から逃げるか、それとも立ち向かうかは、その人の自由。

 けれど、自分の勝手な悲しみに無関係な人間を巻き込んでいい権利なんて!

 どこの誰にもありはしません! 私にも、あなたにも! そんな権利は無いんです!」

 

「……ッ、黙れ!」

 

「その悲しみは、ここで終わらせなければなりません!」

 

 カリギュラがオリヴィエを黙らせるべく、右のストレートを放つ。

 それに対し、利き腕がなくどちらの腕でも的確なカウンターを放てるオリヴィエの左拳が、最適なタイミングで左ストレートを放った。

 結果、綺麗なクロスカウンターが決まる。

 

「があっ……!?」

 

(何もできないと思っていた私だけど)

 

 カリギュラは揺れる頭を気力で安定させ、連撃を放つ。

 だがオリヴィエの左右の掌が流麗に動き、その全てを捌ききっていた。

 目の前の人間を見て、彼と彼女は思う。

 今にも泣き出してしまいそうな怒りの顔だ、とオリヴィエは思った。

 母が子に向けるような、姉が弟に向けるような慈しみの微笑みだ、とカリギュラは思った。

 

(友達が教えてくれた。血の通わない私の手でも、人と繋がるために使えるんだって)

 

 オリヴィエと向き合えば向き合うほどに、カリギュラの想いは剥き出しになる。

 その剥き出しの想いを、オリヴィエは抱きしめようとしていた。

 

(血が繋がっているのなら、手だって繋げる。心もきっと繋げるはず)

 

 カリギュラの右手刀。それをオリヴィエは左手で掴み、手を繋ぐ。

 

(だから、この手を―――!)

 

 そして手を繋いだまま、カリギュラの腕を力強く引っ張り、体勢を崩したカリギュラの顎を右の掌底で下からカチ上げた。

 これが決着の一撃。

 聖王の鎧を一点集中したオリヴィエの掌底は、カリギュラの意識を刈り取るには十分だった。

 

「かっ―――!?」

 

「もういいんです。休んでもいいんです。あなたは、泣いてもいいんです」

 

「―――」

 

 "泣いてもいいんだよ"と誰にも言ってもらえなかった男は、この日ようやく、泣いてもいいのだと『許された』。

 そして、涙を流す。

 静かに。とても静かに、涙を流していた。

 

 

 

 

 

 涙を流すカリギュラを抱き起こし、オリヴィエは彼に優しく語りかける。

 

「帰りましょう、叔父様。一緒に……」

 

 だがそこで、カリギュラは突如血を吐いた。

 内臓の断片が混じった血が、彼の服を赤く染めていく。

 

「がふっ」

 

「え?」

 

 それに動揺したのがオリヴィエ。達観した顔を見せたのがカリギュラ。

 何が何だか分かっていないオリヴィエとは対照的に、カリギュラは運命を受け入れた達観の表情を浮かべていた。

 

「こ、これは一体……」

 

「病だ。お前が俺に致命傷を与えたというわけじゃあない」

 

「!」

 

「もう、内臓がダメになっていてな……

 宣告された余命はとっくに過ぎていた。

 今日まで生きてこれたのは、やり残したことがあったから。気力だけで生きてたようなもんだ」

 

「そん、な」

 

 救いたかった相手が、もう救えない命だった。

 相手が肉親であるということもあり、オリヴィエが受けた衝撃は並々ならぬものだろう。

 それどころか、彼の命は今この瞬間にも消えてしまいそうだ。

 心残りが、彼をこの瞬間まで生かしていたらしい。

 

「オリヴィエ」

 

 だがそれは、裏を返せば、カリギュラの心残りがなくなりつあるということでもあった。

 

「お前は、悪くない」

 

「……え?」

 

「俺の病も、姉の死も……お前は、何も悪くなかったんだ」

 

 カリギュラがずっと言いたくて、けれどオリヴィエへの憎しみが邪魔をして言えなかったこと。

 死の間際になって、ようやく言うことができたこと。

 

「俺はお前を憎んだが、お前を許さなかったが、お前が悪いわけじゃないんだ」

 

 一人の叔父として、姪に贈る言葉。

 

「だから、いいんだ」

 

 カリギュラがオリヴィエを許す言葉ではなく、オリヴィエが自分を許せるようになるために必要な言葉。

 

「お前は俺に許される必要なんて無い。

 俺を救う必要なんて無い。

 お前に罪なんて無い。

 お前が母を殺したなんてことも無い。

 俺がお前を許さなくても、優しいお前は、もうとっくの昔に世界に許されている」

 

 悪夢(じんせい)の終わりに、彼はオリヴィエの未来を照らす光を置いていく。

 

「俺のことなんて忘れてしまえ」

 

 カリギュラは、最後の最後に、オリヴィエの幸せを祈りながら。

 

「……幸せになれ、オリヴィエ。お前の幸せを、どこかで祈っているから……」

 

 死に浸からなければ妄執も捨てられない自分を自嘲して、愛した姉の下に旅立って行った。

 

「叔父様」

 

 オリヴィエが呼びかける。

 カリギュラから返事は返って来ない。

 

「叔父様?」

 

 オリヴィエがカリギュラを揺さぶる。

 カリギュラは何の反応も返さない。

 

「叔父様……」

 

 オリヴィエは彼の名を呼ぶ。

 カリギュラは口を開きもしない。

 

「……」

 

 オリヴィエは叔父の遺体をゆっくりと床に置き、立ち上がり、服の袖で目のあたりを拭う。

 少しばかり濡れた袖を翻し、彼女は悲しみを胸の奥に押し込んで、すぐさま走り出した。

 

「行かないと」

 

 道中で中層に上がって来た下層の仲間達や、下層メンバーに回復魔法をかけられているヴィータ達が見えたが、ここで足は止めない。

 向かうは上層。

 そこで、ベルカ達が今も戦っている。

 

「皆が、待ってる」

 

 彼女は走る。

 仲間のために。

 自分のために。

 今は、今だけは、仲間が隣に居てくれないと、仲間を助けるということをしていないと、寂しくて泣いてしまいそうだったから。

 

 

 




【悲報】シュトゥラ、夕張市の後追いになる可能性が出て来た模様

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