課金厨のソシャゲ廃人がリリカルなのは世界に神様転生してまた課金するようです   作:ルシエド

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泣きそうな時笑える人が、きっと一番強い人


再び出会う/初めて出会う/大切な人

 世界は救われた。

 が、その代償として最も大きな被害を受けたのがシュトゥラである。

 

 シュトゥラ防衛戦でジェイル軍団に主な騎士達を殺され、その後のスルト内部攻略戦で残った騎士達の中でも腕のある者はほぼ戦死。

 シュトゥラ所属の人間で生還したのはクラウス、エレミア、オリヴィエ、そこに五人の騎士を加えた八人だけという、全員負傷生還者8という目を覆いたくなるような惨状であった。

 

 ジェイル軍団による市街地の被害も馬鹿にならず、まだその復興も終わっていない。

 復興もすぐに始めたいところだが、世界を救うため課金王が金を使い切ってしまったためそれもできない。

 シュトゥラは国債を発行しとりあえずの復興資金にあてていたが、焼け石に水だろう。

 こういう時頼りになる友好国である聖王国が、カリギュラの大暴れ、ゆりかごの撃墜、それがきっかけで起こった内紛でグダグダになっているのもこれに拍車をかけていた。

 

 どう考えても詰んでいる、ようにも見える。

 だが意外とそうでもなかった。

 シュトゥラには『世界を救った勇者達』という最高の政治的カードがあったのである。

 

"あの人達すげえよな"

 

 ゆりかごの撃墜はジェイル一味の強さの評価を引き上げ、それを倒したクラウス達の評価もまた連鎖的に上がっていた。

 ジェイルは人々を絶望させるためにかの最終決戦を企画した。

 そのため、ジェイルの手でスルト内部の戦いの一部は地上にリアルタイムで放送されていた。それがジェイルの敗北により、ジェイルの想定していなかった効果を生み出したのだ。

 

 すなわち、『世界が救われる英雄譚の生放送』。

 ひいては、『世界を救った勇者達への熱狂的な支持』である。

 

"あの人達強いよな"

 

 古代ベルカの時代において、戦闘力の高い個人は尊敬と畏怖と崇拝の対象になる。

 最上位の強者であれば単騎で一国に匹敵し、その強さで国を纏めるベルカの王など、その最たるものだろう。

 例えば理想的な頭脳と心を持ち、良政を敷いて立派な国軍を組織し、戦争に最高の形で備えた王が居たとしても、よその国の王が強すぎれば魔法数発で国は滅びる。古代ベルカの時代において、王の強さは良い国政に匹敵する重要要素なのだ。弱ければ何も意味が無いのだから。

 

 シュトゥラは大ピンチだが、軍事的にはそうでもない。

 エレミアとオリヴィエは公式にシュトゥラに永住し、この国の復興に手を貸すことを宣言した。

 クラウスはシュトゥラの王子。

 そして彼ら三人はそれぞれが、今や十万の軍でも匹敵できないほどの強者である。

 

 あの日の最終決戦の後、『シュトゥラを敵に回してはいけない』という認識が、始祖ベルカの流れを汲む全ての国に浸透していた。

 

"今一番強い国ってシュトゥラなのかも"

 

 決戦を生き抜いた雷帝ダールグリュンも、シュトゥラと改めて同盟を組むことを宣言。

 今や鋼鉄の城をワンパンで引っくり返せるクラウスを初めとする者達に恐れをなして、自分から恭順しに行った国も居た。

 金や貴重品を贈り機嫌を取ろうとする国も居た。

 人・金・物を人道的支援と称して復興のために送ってきた国も居た。

 世界を救った勇者達の庇護を求め、他国から流入して来た難民も増えた。

 五年後の話になるが、その頃にはシュトゥラの人口・騎士団の総人数・財力はジェイル襲来前の数字に戻った、とされている。それほどに人と金と物がシュトゥラに流れ込んでいたのである。

 

 一見他の国が臆病すぎるようにも見えるが、臆病ではない。

 スルト内部の戦いを見て、国々は極めて正しい判断を下していたのだ。

 古代ベルカの王達は、なまじ力があるがために、一人残らずこう思っていた。

 

"あいつらには勝てない"

 

 シュトゥラがもし滅びてしまったら、クラウス達がどんな行動を取るか、不安材料にもほどがある。悪い方向に転んだ時の想定など、想像もしたくない案件だろう。

 そうでなくてもクラウス達は拳をチラつかせれば、いくらでも政治的な支援を受けられるのだ。

 民の求心力もある。

 とある国では、

 

「うちの国の民衆、俺より覇王の方が好きなんじゃね? 家臣よ」

 

「そう思うなら贅沢と重税をやめましょう。王よ」

 

 というやり取りがあったほどだ。

 今やクラウス達の支持は、星丸ごと……いや、複数世界に跨るレベルに至っている。

 

"少なくとも、シュトゥラのやつらが戦いで死ぬことはない。それ以外の理由での死を待つしか"

 

 様々な国が、シュトゥラに従った。

 いくつかの国が、シュトゥラに媚びた。

 多くの国が、シュトゥラに恩を着せようとした。

 

 結果、古代ベルカの時代に広がっていた戦乱は、奇妙な均衡と平和へと変わる。

 世界を滅ぼせる魔王を殺した勇者とは、逆説的に言えば、魔王の代わりに世界を滅ぼせるかもしれない強者ということでもある。

 飛び抜けた強者の登場は、戦乱を押さえつける落し蓋となった。

 もしも仮に、聖王のゆりかごを用いてこの時代の戦乱を終わらせようとした者が居たならば、似たような状況になっていたかもしれない。

 

"平和になるのかな? 私が生まれる前から続いてた戦乱が終わるの?"

 

 民がぽつり、ぽつりと、平和な未来という名の希望を持ち始める。

 それは儚い希望であったが、同時に千年以上もの間、誰かが心に抱いていた希望だった。

 シュトゥラが、シュトゥラの王が間違えなければ、この時代に平和は訪れるだろう。

 

「おうさまー!」

 

 複数世界で話題中の話題になっているシュトゥラ、その王都で、子供が青年に抱きついた。

 子供は怖いもの知らずに、けれどありったけの親愛と好意を込めて抱きついており、それを分かっている青年は苦笑して、優しい手付きで子供を引き剥がした。

 

「ほら、離しておくれ。私は公務の最中なんだ」

 

「むー」

 

 青年が子供を引き剥がすと、子供は王様王様と言いながら駄々を捏ねて青年にすがりつき、結局子供の母親が来るまで青年に引っ付いたままだった。

 この青年が好かれているという証拠だろう。

 青年はペコペコしながら去っていく母親、母に手を引かれて笑顔で飛び跳ねている子供を見送って、その背中に向かって手を振っていた。

 

「クラウス王! 仕事に戻りますぞ!」

 

「ああ、悪いな。少し待たせたか」

 

「いいえ! 子供に優しくすることも立派な王の職務でありますゆえ!」

 

「ありがとう。さあ、行こうか」

 

 シュトゥラ王、クラウス・G・S・イングヴァルト。

 最終決戦の半年後に王として即位し、次元世界に『覇王』の名を轟かせた名君だ。

 そして今、最も知名度と評価が高い王でもある。

 

(私は王として上手くやれているのだろうか)

 

 課金王は政治的判断により、かの最終決戦で死んだと報じられていた。

 エレミアは王族ではなく、オリヴィエも聖王女であって正確には聖王ではない。

 そのため世界を救った英雄の中で、王であるのはクラウスだけなのだ。

 必然的に、彼が一番多くの重荷と責任を背負うことになる。

 

(なあ、ベルカ。今の私を君が見たらなんと言う?)

 

 だがクラウスは平然と笑って、降りかかる苦難と試練の全てを乗り越えていった。

 政治の世界でクラウスが直面した問題の厄介さ、彼の前に立ちはだかった敵の手練手管は、ジェイルの一味と比べても何ら遜色のないものだった。

 負けそうになった時もあり。

 してやられた時もあり。

 けれども最後は必ず勝って、クラウスはシュトゥラを守り発展させてきた。

 

 いつだって、彼の近くには二人の仲間が居たから。

 いつだって、彼の心の中には一人の友が居たから。

 ならば、負けるわけがない。

 いい王様になると、いい国にしてみせると共に約束したクラウスは、まさしく無敵であった。

 

(いい王様になったな、と言ってくれるのだろうか。

 お前服に着られてるぞ、と茶化してくれるのだろうか。

 それとも……"いい感じに笑えてるな"と、今の私を認めてくれるのだろうか)

 

 空を見上げる。

 空を見上げて、たまに友のことを思い出す。

 一緒に空を見上げた記憶を思い出す。

 遠く離れていても同じ空の下に居る、という台詞があるが。

 違う星、違う時間を生きる二人が同じ空を見ることは、もう二度とないだろう。

 

(あ、いや違うな。普段の彼はもっと適当だ。適当に生きてるし適当に喋る)

 

 友情は時を超えるものだ。

 過去の友との想い出が、未来を目指す気力をくれる。

 未来の友を想えば、今この瞬間を頑張る気になれる。

 

(なら……"え、いいんじゃね? 頑張ってる感じはするぞ"あたりだろうか?)

 

 自然と笑みを浮かべて仕事をしていたクラウスにつられて、王に従う皆の顔にも自然と笑顔が浮かんでいく。

 皮肉でなく、笑顔の絶えない職場が出来上がる。

 以前とほぼ変わらない、いや以前より遥かに立派になりつつあるシュトゥラの町。

 そこで、クラウスに話しかけて来る老人が居た。

 

「やっているな、クラウス」

 

「父上」

 

 先代シュトゥラ王、クラウスの父であった。

 王であった頃に蓄えていた顎髭は綺麗に剃られていて、以前はよく手入れされていた白髪も、今や日焼けと染みた汚れで平民の老人に近い色合いになっている。

 クラウスに王座を譲った後、先代シュトゥラ王は畑を耕す毎日を送っていた。

 老体を魔力で動かし、王族パワーの全てを農耕に費やして、地平線を埋め尽くすような広大な畑をたった一人で耕す毎日。彼一人でどれだけの人間の食料を賄っているのか、想像もつかない。

 ベルカがここに居れば「TOKIO……いやTOKI王か……」と言っていたことだろう。

 親子揃って王族とは思えないバイタリティであった。

 

「よくやっている。

 世情を鑑みてお前に王座を譲ったものの、早計かと思っていたが……」

 

 国を豊かにする役目を息子に託し、畑を豊かにする役目を背負った先代シュトゥラ王だが、やはり20歳にもなっていないクラウスに国を託すことに不安があったようだ。

 だが平民の子供に好かれ、部下にも好かれているクラウスを見て、以前よりも活気がある程に復興した町を見渡し、笑みを浮かべて安堵を見せる。

 

「むしろ、遅かったのかもしれんな」

 

「いえ、あれより早く王座を譲られたとしても、私には何も出来ませんでした」

 

 クラウスは王となった自分を支えてくれている者達の顔を思い浮かべ、心からの言葉を紡ぐ。

 

「人生は一生勉強です。それは王とて同じ。

 ザフィーラが、オリヴィエが、エレミアが、そしてベルカが、多くのことを教えてくれました。

 王となる前も多くのことを学び、王となってからも多くのことを学び……

 それでもなお、私は未熟な身です。

 私の学んだことが足りなければ、支えてくれる者が居なければ……私は王足り得ないのです」

 

 老子曰く、智ある者とは人を知る者であり、本質を見る人間とは己を知る人間であるという。

 人に勝つ者は力ある者であり、己に勝つ者こそ真に強き者であるという。

 クラウスは足るを知り、自らの不足を知る王である。

 それゆえに、よき王になれる素質を持っていた。

 

「うむ。本当に頑張っているようだな、お前は」

 

 先代王は現王の頑張りを褒めるが、クラウスは自分が頑張っている理由の一つを思い出し、"父は自分を過大に評価している"と考え苦笑する。

 

「私達のした、いいことも悪いことも、いつか歴史となって残されることでしょう」

 

「うむ、そうだな」

 

「ならば未来の人間は、私達の世界を『歴史』という形で見ることになる」

 

「……ほぅ」

 

「未来の者が未来で出会う私達は、『歴史』となった私達です。

 自分の所業に言い訳をすることも、失敗をその場で取り繕うこともできない。

 ならば恥ずかしい歴史は残せない。私達の残した歴史を見る、未来の誰かが居る限り」

 

「遠大な視点だな。お前くらいだろう、そんなことを考えているのは」

 

 クラウスはクラウスだ。

 変わったところもあれば、変わっていないところもある。

 彼はシュトゥラの王であり、クラウスという個人でもある。

 

「友に見られているから、見栄を張って格好つける。それは、そんなに変なことでしょうか?」

 

 変わらぬ友情もあれば、変わらぬ心もあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エレミアは、夢を見た。

 ベルカが元の時代に帰るのを思い留まった、そんなもしもの世界の夢。

 四人でいつまでも一緒に、この世界を幸せに生きていく夢。

 シュトゥラの王になったクラウスを皆で支えて、オリヴィエが女の子として幸せになる応援をして、エレミアは恋した青年と自然と惹かれ合うようになって―――

 

 四人が一人も欠けなかった、ありえなかったもしもの夢想。

 

 幸せだけど、辛い夢だった。

 

「……夢……」

 

 シュトゥラ城の想い出の中庭で、木に寄りかかっていたエレミアは目を覚ます。

 ほとんど無意識下での行動で、エレミアは頬を手で拭う。

 "何度もしてきた習慣のような行為"であったが、自分の手が濡れていないのを見て少し驚き、寝起きのエレミアの目は覚めた。

 

 前にこの夢を見た時、彼女は夢を見ながら涙を流していた。

 けれど今では、悲しみはあれど涙を流してはいない。

 少しは前に進めているのだろうか、とエレミアは思った。

 

「ん」

 

 陽の位置からまだ朝の時間帯であることを確認し、エレミアは立ち上がってスカートを払う。

 まだ慣れないスカートの位置を直してから、彼女は自室に向かって歩き始めた。

 

「おはようございます、エレミア様!」

 

「うん、おはよう」

 

 その道中、若い騎士がエレミアに元気よく挨拶をする。

 挨拶の元気の良さ、エレミアに返事を返されただけで頬を赤くし嬉しそうに笑うその姿。若い騎士が、女性らしい服装と振る舞いをするようになったエレミアを想っているのは明白で。

 "恋愛感情を持てそうにない相手から恋される気持ち"はこういうものなのかと、今更になってベルカの気持ちが分かってしまって、エレミアは胸の痛みを覚えながら苦笑してしまう。

 

 こんなにも自分が一途だったなんて知らなかった、とエレミアは深く息を吐く。

 

「よし」

 

 自室に辿り着くなりすぐに、エレミアは机に座り紙と筆を執る。

 彼女は彼女なりの"平和を勝ち取るやり方"として、色々なことを試していた。

 その一つが、自分達の戦いや身近な人間のことを『エレミアの手記』として残すこと、そしてそれらを物語仕立てにした小話として世に広めることであった。

 

 実際にあったことを誇張して、時折過大表現も使って、実在の人物がやり過ぎたところは少々マイルドにし、教訓を得られる小話に仕上げる。

 子供が好むような笑える話や、大人に何かを考えさせるようなしんみりした話も織り交ぜた。

 どうやら彼女には、それなりに文を書く能力というものがあったらしい。

 

(ここからどうしよう……あ、そうだ、こうしよう)

 

 エレミアは悩みながらも、皆で救ったこの世界を、いずれ勝ち取る平和を守るため、人の心に訴えかける何かを書き続ける。

 

「小話……オチ、というか最後を〆る一文は……そうだ」

 

 そうして彼女は、小話の最後に"和平の使者なら槍は持たない"というフレーズを書き込んだ。

 

 書いていたのは『彼』の話。

 終ぞ剣も槍も持たず、敵を攻撃する魔法は苦手なくせに仲間を助ける魔法は得意で、敵が世界を狂乱させる魔法を打ったなら世界中の心を落ち着かせる魔法を放ち、ピンチに破壊の魔法ではなく仲間を呼ぶ魔法を使う、平和に続く道を残した彼の物語。

 エレミアは最終的に、"人生は傷付けるためでなく楽しむためにある"というメッセージを伝える形に小話を纏めた。

 

「……ふぅ。僕は元気でやってるよ。君はどう? 元気かな?」

 

 窓から青い空が見える。

 

 その空の向こうに『彼』が居るような気がして、エレミアは空の向こう側に問いかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オリヴィエは青い空の下、墓参りをしていた。

 空を見上げていた視線を戻して、オリヴィエは立ち並ぶ墓を見る。

 ここはシュトゥラの王家が主導して設置した、ジェイル達との戦いで死んで行った者達の墓だ。

 かつての戦いで散って行った全ての騎士の墓がここにある。

 政治的判断で死亡扱いにされたベルカの墓もここにある。

 そして、聖王国に墓を作れない身の上のカリギュラの墓もまた、ここにあった。

 

「叔父様」

 

 オリヴィエは端から順番に墓に花を添え、手持ちの花が尽きれば墓地の外に置いておいた花を取りに行き、全ての墓に花を添える。

 そして最後に、カリギュラの墓に花を添え、墓に話しかけていた。

 

「今なら分かります」

 

 もうこの世界には居ない、一人の家族。

 

「あなたは、家族の幸せを願わずには居られない人だったのですね」

 

 姉を愛していたから、姪を憎んだ。

 姪を愛していたから、姪を殺す未来を掴めなかった。

 姉を愛していたから姪を許せず、自分を許せず、外道に落ち、優しさを捨てられないまま虐殺を行い、罪を重ね、救われない存在となり、何も許せないまま―――死んだ。

 悪人に成りきれていたなら、もっと楽に生きられただろうに。

 

 オリヴィエは歩き出し、唯一花を添えなかったベルカの墓の前に立つ。

 

「ベルカ」

 

 墓は立派で、けれど墓の中には何もなく、きっとこの墓が悼んでいる彼が死ぬよりも前にこの墓は壊れて消えてしまうのだろうと、オリヴィエは思った。

 

「今なら分かります」

 

 もうこの世界には居ない、一人の友人。

 

「あなたは自分の人生を楽しいものにしたい人だった。

 だから、人生を楽しんでいない人に水を差されたくない人だった。

 ゆえに、あなたは……クラウスでもエレミアでもなく、私のことを心配していたのですね」

 

 オリヴィエはクラウスやエレミアより自爆しそうな少女だった。

 言い換えるなら、一番自己犠牲に走りやすいとも言える。

 ベルカはオリヴィエが自己犠牲に走るのを、誰よりも危険視していたのだろう。

 クロノがかつて「このバカは普段周りも自分も見ていませんが、意外と周りの人間をよく見ています」と評した通りに、彼は意外と見ているところは見ているのだ。

 

 カリギュラとベルカ。

 特に因縁らしい因縁もなかった二人には、共通点がある。

 共に、オリヴィエの幸せを願っていたということだ。

 

「大丈夫ですよ。心配いりません。私は今でも幸せで、もっともっと幸せになります」

 

 オリヴィエは墓地に背を向けて、歩き出す。前へ、先へ、次の目的地へ。

 

「あなた達が、それを望んでくれたから」

 

 彼女が自己犠牲に走る可能性は、もうどこにもないだろう。

 彼女が自分の幸せを捨ててしまえば、それで踏み躙ってしまう『二人』の気持ちがあるから、彼女が自己犠牲に走ることはない。

 この世界に居ない二人の気持ちだからこそ、それは彼女を踏み留まらせる楔となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 他国からシュトゥラに来て、シュトゥラの騎士となった者達も居る。

 だがその逆で、シュトゥラの騎士を辞めて出て行こうとする者も居た。

 ベルカ達の戦いの脇で奮闘し、最終決戦で致命傷を受け、コア・ジェイル討伐と闇の書襲来の間の僅かな時間にベルカに治療され、一命を取り留めたシュトゥラの新米三騎士。

 その内の一人が、そうだった。

 

「お前、本当にシュトゥラを出て行くのか?」

 

「俺の目指すものは、ここじゃ実現できない。

 ……この時期に出て行くなんて、クラウス様には本当に申し訳ないと思ってる」

 

 シュトゥラを出て行こうとする一人の騎士を、同期の二人の騎士が送り出そうとしていた。

 いや、違うか。

 二人の騎士は、その騎士が何故出て行くかという理由を聞き出そうとしていた。

 

「何がしたいんだ?」

 

「……カリギュラ・ゼーゲブレヒトは何故ああなってしまったんだと思う?

 俺は一連の話を聞いて、誰もがあの人を許してくれなかったからだと思った。

 あの人が苦しんで居ることに誰も気付かず、だから誰も許さなかった。

 そのせいであの人は手遅れになってしまって、オリヴィエ様の慈愛は彼に届かなかった」

 

 騎士は、死んで行ったカリギュラの境遇、彼に手を伸ばし続けたオリヴィエ、二人のすれ違い、そして悲劇を引き起こした原因に思いを馳せて、苦々しい表情を浮かべる。

 

「戦乱は終わろうとしている。

 でも、戦乱が永遠になくなったわけじゃない。

 平和が終わってしまえば、きっとまた戦乱の時代が来る」

 

 騎士は平和に向かいつつあるこの世界を、そしていずれ失われる平和を語る。

 

「スルトは宇宙のどこかに飛んで行った。

 きっとまたいつかあれが暴れる日も来るだろう。

 あれが一機だけという保証もない。

 あれよりもっとヤバい物が実在する可能性もある。

 アルハザードが残したロストロギアなんて、星の数ほどあるんだ」

 

 騎士はいつかの未来で、また世界を滅ぼすかもしれない遺物、それがこの次元世界にいくつもバラ撒かれている現状を危惧する。

 

「ジェイルみたいな奴だってきっと現れる。

 良い人が必ず生まれて来るように、悪い奴だって必ず生まれて来るんだ。

 世界がピンチになったその時、世界は『皆』の手で守らなくちゃならない」

 

 騎士は邪悪がこの世界から消え去ることはないという事実、そしてまたジェイルのような巨悪が現れる可能性を口にする。

 

「人を救う組織を。

 国と国の間に立って、戦乱を起こさないようにする組織を。

 たった一つで世界を壊せてしまえるロストロギアを管理する組織を。

 巨悪から世界を守るための『皆』を揃えるための組織を、作りたいんだ」

 

 そして強欲にも、それら全ての問題を解決できるような組織を作ることを夢見ていた。

 

「絶対の正しさなんてどこにもないと、俺は思う。

 この戦乱の時代に、どの国も自分が正義だって言い張ってた。

 戦争に正義なんてなかったんだ。

 だから俺は正義じゃなくて、優しさを忘れない組織を目指したい」

 

 彼らは戦乱の時代に生まれ、誰も彼もが正義を謳って人を殺す戦争を知り、戦争なんてしたくないのに戦争で罪を重ねる人々の中で、凄まじく突き抜けた目標を生み出していた。

 血生臭い世界で生まれたとは思えない、理想に理想を重ねた綺麗すぎる思考。

 この夢が現実になったなら、それこそ奇跡だろう。

 世界の救済に匹敵、いやそれ以上に価値のある奇跡だ。

 

「誰かが間違っても、反省して更生したなら、許してあげられる組織を。

 どこかで間違ってしまった誰かに、もう一度やり直す機会をあげられる組織を。

 ああ、いや、更生したフリしてる奴を見分けるため、多少の魔法は必要だろうけどさ」

 

 誰も許せなかったカリギュラ、自分で自分を許せなかったカリギュラ、他人に許されなければ救われなかったカリギュラ、そして彼に手を伸ばしたオリヴィエの姿が、この騎士に一つの目標(ゆめ)を与えたのだ。

 言うなれば、この理想はかの戦いが生み出したものであるとさえ言える。

 

「罪を犯した奴は絶対に許さない、って……

 誰も彼もが望んでないのに罪人になってしまう、戦争を知らない奴が言うけどさ。

 それはきっと、人としての感情に沿っているだけで、他の何より間違った言葉だと思う」

 

 古代ベルカの時代、数えきれないほどの者達が罪を犯していた。

 戦乱の時代だ。そういうこともあるだろう。

 罪を犯した者の仲間で手を汚していない者、大罪人の家族、虐殺者を止めなかった者、大切なものを守るために多くの命を奪った者、鏖殺戦争に流されて賛同した国民全員……

 例を挙げればいくらでも挙げられる。

 この時代、この世界において、罪の無い人間など一割か二割しか居ないだろう。

 

 やむを得ない事情で罪を犯した者を許し、正当防衛で罪を犯した者を許し、自分が生きるために罪を犯した者を許してもなお、"許されるべき事情"を抱えた者が沢山残るという有り様であった。

 誰もが罪を背負っていた。自覚のあるなしは別として。

 けれどもし仮に、どこかの誰かが罪の大小を問わず、己の心に従いこの罪人達に妥当な罰を与えていったと仮定しよう。すぐにでもこの世界は滅びてしまうはずだ。

 

 人が人を許せなくなれば、人の世界はあっという間に滅びてしまう。

 人間というものはそういう風に出来ていて、人間の世界もそういう風に出来ていた。

 

「……俺は」

 

 許すことは難しく、ストレスを伴う。逆に許さず罰を与えることは楽なのだ。

 人は誰のせいにもできない悲劇を見ると陰鬱になるが、誰かのせいにできればその人間への怒りで頭の中が埋まり、怒りが消えた頃にはすっきりとした気持ちになれる。それと同じだ。

 ウーンズがそうであったように、自分が憎んだ人間が笑顔で幸せになることを、受け入れられない人は居る。それは当たり前のことでもあった。ただ、虚しいだけで。

 

 他人の間違いを指摘し、他人を見下すことは心地よく、それを好む者は多い。

 間違いを犯したことがない人間の、間違いを犯してしまった人間への攻撃性など目を覆いたくなるものがある。

 他人を許せなければそれは諍いになり、対立になり、いつか戦争になる。

 平和は、許しの中からしか生まれない。

 

 許すことが絶対に正しい、なんてことはない。

 けれど、一つだけ言えることがある。

 

 多くの人は他人を許せない人間より、他人を許せる人間の方に憧れ、心揺さぶられるのだ。

 

「許すことは難しい。だから、目指したいんだ。優しい組織を作ることを」

 

 騎士は許さない人間ではなく、許す人間になりたいと思った。

 彼は王の力の強さではなく、王の許す強さにこそ憧れたのだ。

 そしてそれは、この騎士に限った話ではなく。

 

「……ったく、理想家め。いいよ、私も付いていこう」

「なら僕も手伝おうかな」

 

「いいのか?」

 

「何を白々しい。お前、自分の理想を語れば私達が付いて行くと分かってたんだろう?」

 

 三人は笑い合って、三人揃ってシュトゥラを出て行く。

 複数の次元世界、複数の国々に掛け合って、理想の組織を作り上げるために。

 もう二度と、古代ベルカの地で起こった悲劇を繰り返さないために。

 

「組織の名前は決まってるのか?」

 

 騎士が騎士に問い、騎士が胸の内を語り返答とする。

 

「『時空管理局』、っていうのにしようと思ってる」

 

「管理、か。いいな。率いるのも支配するのも面倒事ばっか増えて本質を見失いそうだし」

 

「時空……うーん、管理範囲が超広くなりそう……」

 

 彼らは理想を追い続けるだろう。

 老人になって足腰立たなくなっても、無理にでも自らを延命し理想を追い続けるだろう。

 何百年と困難な理想に挑み続けるという地獄さえも、彼らはきっと踏破する。

 そして古代ベルカを反面教師とした組織を、甘い理想が下地にある組織を作り上げるはずだ。

 

 人間を捨て、脳だけで生き延びるみじめな生き物になったとしても。

 彼らはこの世界を見守ることを投げ出さず、人の尊厳を投げ出してまで生き続けるだろう。

 私腹を肥やすためでなく、権力を手にするためでもなく、ただ、世界の平和のために。

 

 長い長い時の果て、彼らが始まりの決意の全てを、忘れ去ってしまったとしても。

 

「ところで、その試験管なんだ?」

 

「ん? ジェイルアジト捜索の時に出てきた、戦闘力皆無のジェイルクローン素体」

 

「は!?」

「おま、バカ、捨てろ捨てろ!」

 

「大丈夫だって。

 今の俺達の技術力じゃ、この素体を人間にまで育てられないよ。

 まあ仮にこいつが一人の人間になるとしても、それは遠い未来の話さ」

 

 信じたかったのだ、この騎士は。悪人にだって、やり直すチャンスはあるのだと。やり直せれば良い方向に変われるのだと。彼は信じたかったのだ。

 

「こいつをいつ蘇らせるかもまだ決まってない。

 こいつがいい人になれるかも分からない。

 だけど俺は信じてみたいんだ。

 どんな悪い奴だって、生まれた瞬間から悪い奴なんて居ない。

 俺達が頑張れば、ジェイルみたいな悪い奴だって、誰かを助けられる人になれるんだって」

 

「……お前、あの悪人が、文字通り善人に生まれ変わる可能性を信じてるのか?」

 

「ん。その時代まで、頑張ってこの初心は忘れないようにしたいと思う」

 

 彼の目には、世界を救った王達の姿が焼き付いている。

 課金王の背中が焼き付いている。

 この初心さえ忘れなければ、彼らはジェイルを正道に進ませようとするだろう。この初心さえ、忘れなければ。

 

「いつかこの気持ちは裏切られるかもしれない。それでも俺は、可能性を信じてみたい」

 

 三人は旅立つ。今よりもよい未来を目指して。

 

 時の流れが彼らの記憶を摩耗させ、未来に何も残さなかったとしても、結末はまだ分からない。

 

 未来の王と未来の彼らが出会うまでは、どう終わるかは分からない。

 

 いつかの未来で、彼らはまた会うだろう。たとえその想い出が、どこにもなかったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パリン、と大の大人が入りそうなシリンダーが粉砕される。

 シリンダーが粉砕されると、中に入っていた少女と緑の液体が吹き出すように外に出て来て、Kは少女だけを受け止めた。

 少女が裸だったため、Kは小脇に抱えていたタオルを少女に巻き付ける。

 

「リーダー、生存者はその子だけみたいよ」

 

「そうみたいですね」

 

 そんな彼に、シリンダーを殴り壊したクイント・ナカジマが話しかけてきた。

 ここは違法研究者の研究所だ。

 Kとクイントは二人でここの違法研究者を殴り倒し、施設の機械を停止させ、縛り上げた違法研究者を管理局に引き渡すということをしていた。

 

 なのだが、違法研究者の手から助け出した少女を見ていたKの目が見開かれる。

 金の髪。どこかで見たような、けれど見覚えのある顔よりずっと幼い顔つき。

 右が翡翠、左が紅玉の虹彩異色(オッドアイ)

 すなわち"聖者の印"と呼ばれる、特に優れた聖王家の者に現れる身体資質。

 『記憶よりもずっと幼いオリヴィエ』が、彼の腕の中に居た。

 

「……う」

 

「! おい、大丈夫か!?」

 

 金髪にオッドアイの少女は、Kの顔をじっと見つめる。

 無言のまま、じっと、自分の内側で何かを探すような表情になる。

 やがて少女は嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 そして何故か安堵した様子を見せ、Kに体を預けて気を失った。

 

「……縁、か」

 

「どうするの、その子?」

 

「うちで引き取ります。一旦帰りましょう、クイントさん」

 

「はいはい。それじゃ、外で暴れてるあの子と一緒に帰りましょうか」

 

 Kとクイントは既に、違法研究者からこの少女の詳細を聞き出している。

 オリヴィエのDNAデータから作り出された、オリヴィエのクローン。

 聖王を崇拝対象とする聖王教会が、涎を垂らして引き渡しを求めてきそうな奇跡の存在。

 任せようと思えば誰にだって任せられただろう。

 けれども、彼はこの少女を投げ出す気にはなれなかった。

 

 

 

 

 

 少女には名が必要だ、という話になった。

 

「君以上にこの子の名付け親に相応しい人は居ないだろ。

 いや、君が人間的に誰かの名付け親になるのに相応しい人間かと言われたら、悩むけど……」

 

 ティーダ・ランスターにそう言われ、課金青年は頭を悩ませる。

 

「んー……」

 

「どうしたの?」

 

「お前の名前、どうしようかな、と」

 

「なんでもいいよ? パパが付けてくれたなら」

 

「パパじゃなくてお兄さんとかで頼む。オレまだ15歳。オレ兄、お前妹、オーケー?」

 

「おーけー!」

 

 無邪気に笑うオリヴィエクローンを見て、課金青年の脳裏に友の声が蘇った。

 

―――ヴィヴィ様!

 

 それは、エレミアがオリヴィエを愛称で呼んだ時の声だった。

 課金青年は懐かしい気持ちになり、遠い目をして想い出に少しばかり浸っていたが、そこで少女に付ける名前の着想を得る。

 

「ヴィヴィ……O……ヴィヴィオ……うん、そうだ、これにしよう。ヴィヴィオだ」

 

「ヴィヴィオ?」

 

(オー)は輪。人の輪だ。お前は、人と人を繋いで輪を作れる人間になれ」

 

「私の名前、ヴィヴィオ?」

 

「ああ、ヴィヴィオだ」

 

「! ヴィヴィオ、ヴィヴィオ! 私、この名前気に入ったよ、お兄さん!」

 

「おう、そうか」

 

 笑顔のヴィヴィオを、笑顔の課金青年が抱き上げる。

 そんな青年の肩を叩いて、とてもいい笑顔のティーダ・ランスターが話しかけてきた。

 

「ようこそ、(シスコン)の世界へ……!」

 

「お前もしかして今、バカみたいにオレに親近感感じてね?」

 

 急激に馴れ馴れしくなったティーダに青年、大困惑の模様。

 

 

 

 

 

 時は流れる。

 闇の書事件の少し後からKの仲間となり、Kの借金返済のだいたいを済ませてくれた護衛の少女の呆れ顔を無視して、ヴィヴィオを肩車したKが町を歩いて行く。

 

「課金GO! 課金GO!」

 

「課金ガー、Z!」

 

 ヴィヴィオは子供であるがために、Kは次元世界有数の恥知らずであるがために、町を歩きながら歌うことに何の羞恥心も感じていない。

 そのため、時々すれ違う市民は皆微笑ましいものを見る目で二人を見ていた。

 

「どこに行くの? お兄さん」

 

「そりゃもう、お前の生まれのことを考えて、古代ベルカにめっちゃ詳しい人のところだ」

 

「?」

 

 かくして、課金王と聖王のクローンは、最後の夜天の王の家に辿り着く。

 今日は祝日であり、はやてと彼女の騎士達全員が全員居るようだ。

 事前にアポを取ってから八神家に行くという礼儀正しさが極めてKらしくなく、アポを取った場所がソシャゲのチャットルームだというのが極めてKらしかった。

 ヴィヴィオを積み木で遊ばせておいて、Kははやてと差し向かいで話す。

 

「りょーかいりょーかい、Kさん。どーんと、アースラにでも乗った気でいてな!」

 

大船(アースラ)に乗ったつもりでって、その大船(アースラ)沈んだだろ……」

 

「せやせや、リインが沈めたんやで」

 

「あ、主!」

 

 Kとはやてが笑い、からかわれたことに気付いたリインが顔を赤くする。

 課金王と夜天の王。この二人、阿吽の呼吸である。

 

「小さな子だ。親が恋しくなることもあるだろう。そういう面でも気を使っておく」

 

「……ああ、頼むよ」

 

 リインがそう言うのを見て、Kは複雑な気持ちのまま笑顔を返した。

 彼の中にナハトの記憶が蘇る。彼女の末路が思い返される。

 リインフォースは何も覚えていない。

 ユーリと違い原型を留める死を迎えなかったせいで、何の記憶も残っていないのだろう。

 

 それは彼女にとって、これ以上ない幸運であったと言える。

 あんな記憶、持っていても不幸になるだけだろう。

 過去を捨てて初めて、ナハトは幸せになれる道を歩き出せたのだ。

 ウーンズのことも、ユーリのことも忘れて、彼女はようやく幸せになれる可能性を得た。

 

(……ユーリ……)

 

 だから、リインフォースが娘のことも忘れてしまったことをKが悲しく思うのは、ユーリを想う彼の身勝手な感情でしかない。

 

「はやてちゃん、お茶入りましたよー」

 

「お、あんがとさん。シャマル」

 

 シャマルがテーブルの上に茶を置いて、Kに「ごゆっくり」と告げて微笑み、去って行く。

 古代ベルカのシャマルは難病持ちのベルカに対し、困ったような顔か、罪悪感を抱いた顔で接していた。言い換えるなら、彼女は医者が患者を見る目で彼を見ていた。

 現代のシャマルは、共に苦難を乗り越えた仲間を見る目で彼を見ている。

 彼女の中に、あの日々の記憶はない。

 

「む。来ていたのか」

 

「お邪魔してます、シグナムさん。お気になさらず」

 

「どうだ? たまには一緒に剣でも振って汗を……っと、連れが居たのか」

 

「はい、すみません。またの機会に」

 

 通りがかったシグナムが、ヴィヴィオを視界に入れた後、苦笑して去って行く。

 古代ベルカのシグナムはファンのベルカに対し、不敵な笑みを意図して見せることが多かった。言い換えるなら、彼女は剣闘士がファンを見る目で彼を見ていた。

 現代のシグナムは、共に苦難を乗り越えた仲間を見る目で彼を見ている。

 彼女の中に、あの日々の記憶はない。

 

「わんわん?」

 

「わんわんではない。ザフィーラだ」

 

 ヴィヴィオと遊んでくれている獣形態のザフィーラを見て、Kの瞳に寂しさが宿った。

 古代ベルカにおいてザフィーラが獣の姿になったのを、ベルカは見たことがない。だから彼が生前からあの姿になる力を持っていたのか、闇の書に吸収されて獣と融合してしまったからなのか、彼には判別がつかなかった。

 古代ベルカにおいて、ベルカとザフィーラの間には師弟関係があった。

 けれど、今はない。

 現代のザフィーラは、共に苦難を乗り越えた仲間を見る目で彼を見ている。

 彼の中に、あの日々の記憶はない。

 

「あん? どした課金ジャンキー、遊びに来たのか?」

 

「いや頼み事。お前も聞いてくか? ヴィータ」

 

「手短に済ませろよー」

 

 やって来たヴィータは、過去と現在で一番Kを見る目に差がない。

 けれど、確かな違いがあった。

 記憶の有無が生み出す違いがあった。

 鉄槌姫ヴィータが彼を見る目と、鉄槌の騎士ヴィータが彼を見る目は、微妙に違う。

 似て非なるからこそ、その違いが際立って見えてしまい、友の死と喪失を彼に意識させる。

 彼女の中に、あの日々の記憶はない。

 

(死んで終わり、とならなかった分だけ、救いはあるんだろうな)

 

 もう誰も、彼を『ベルカ』とは呼ばない。

 呼ぶことはない。

 クラウスがくれた大切なその名前は、あの時代に置いてきたのだから。

 

(これでいいんだ。『ベルカ』の名前を使うことも、もう無いだろう)

 

 ヴォルケンリッター達はあの日に皆死んで、全ての記憶を失い、書の守護騎士ヴォルケンリッターとして第二の人生を手に入れた。

 けれど、生前そのままに生き返ったわけではない。生前のシグナムはあれほどに魔力が高くなかった。シャマルのデバイスもクラールヴィントではなかった。

 ヴィータの赤い髪は色褪せて橙色に、ザフィーラの髪は脱色されて真っ白になっている。

 髪色が『コピーした際の劣化』を示しているようで、ことさらあの日の刺激を際立たせていた。

 

 それでも、これは喜ぶべきことなのだとKは自分に言い聞かせる。

 普通の人間に第二の人生なんてチャンスはない。

 それにリインフォースは、ヴォルケンリッターは、一言で言い表せないくらい幸せそうだ。

 彼女らの幸せを否定する理屈など、どこにもありはしない。

 

「ん? K、お前なんか変わった……いや戻った? みたいな感じがするな」

 

「ヴィータにそう言われても、オレは何のことかさっぱり分からんぞ」

 

「なんてーか……少し大人になった? いや、大人に戻った?

 なんとなくだけど、今のお前見てると、ちょっと前までのお前が子供っぽかったような……」

 

「……気のせいだろ、たぶん」

 

 だから、これでよかったのだと、Kは笑うのだ。

 

 

 

 

 

 八神家を出て、次の目的地に二人は向かう。

 ヴィヴィオはKに肩車され、彼の髪を掴んでしがみついていたが、やがて彼の顔を覗き込み不思議そうな声を出した。

 

「ねえねえ、お兄さん」

 

「どうした? 腹減ったか?」

 

「なんで泣きそうなふうに笑うの?」

 

「……笑うのは、人生が上手く行ってるからさ」

 

 ヴィヴィオは子供特有の勘か、その身に流れる血の囁きか、彼の笑顔に引っかかるものを感じていて、それをそのまま口に出していた。

 

「もう二度と会えないから悲しい。けど、また会えた。だから嬉しいんだ」

 

 友が死んだ。

 死んだ友とまた会えた。

 それが彼が今浮かべている笑顔の理由だ。

 ヴィータが"少し大人になった"と表現した雰囲気は、その笑顔から滲み出ている。

 

「じゃあ結局、悲しいんじゃないの?」

 

「見くびってもらっちゃあ困る。

 ヴィヴィオ、オレは世界で一番人生楽しんでる人間なんだぜ?」

 

「楽しいの?」

 

「おう。最高にな」

 

 悲しみや寂しさもあるだろう。

 だが結局のところ、彼は自分が幸福な人間であると思っており、人生を最高に楽しんでいる。

 

「乗り越えられなければ悲劇。

 乗り越えられたならただの試練だ。

 だから笑うのさ。笑い話にできたなら、それはもう悲劇じゃないんだ」

 

 悲劇だと言う者が居れば、悲劇じゃねえよと彼は言う。そのために笑うのだ。

 

「オレの人生に悲劇はない。だいたいな。

 これまでも、この先もだ。

 オレは生まれた瞬間から死ぬまでずっと、笑い続けるんだろう」

 

 辛くとも、悲しくとも、笑っていればなんとかなる気がしてくる。

 

「笑ってればそれだけで人生楽しい気がするだろ?

 一生笑顔で居続けてた奴が、この世で一番人生を楽しんでる奴なんだぜ」

 

 彼はまっとうに社会を生きていく子供を育てる能力は致命的に足りていなかったが、どんな状況でも人生を楽しんでいけるタフな子供を育てる能力だけは、ちょっとだけあった。

 

「人生、楽しんだ者勝ち。はい、復唱!」

 

「じんせいたのしんだもんがち!」

 

「よしいいぞ、ヴィヴィオ。お前は賢いな」

 

「えへへ」

 

 ヴィヴィオは左手で髪を掴みながら、右手でペチペチ彼の頭を叩く。

 彼女の小さな手が彼の頭を叩いているのは、親愛の情を示しているのだろう。

 生まれが生まれだ。ヴィヴィオにはまだ、赤ん坊に似た幼さがある。

 

「やべえ、話しながら歩いてたら迷ったぞ」

 

「ええー」

 

 そんなヴィヴィオに気を取られていたせいか、彼は道に迷ってしまったようだ。

 課金王、一生の不覚。何度目かも分からない一生の不覚であった。

 反射的に地球のスマホでグーグルマップを使った課金王であったが、「ここ地球じゃねえぞ課金厨」と無情なエラーが返って来て、スマホをポケットの中にしまう。

 

「ちょっとそこ行くお兄さん。お困りのようですな」

 

「ん?」

 

 そんな彼に、背後から少女が声をかけた。

 Kは振り向き、目を見開く。

 女の子らしさのない子供用トレーニングウェアを身に付けた少女が、そこに居た。

 

 綺麗な黒髪は二つに束ねられ、ツインテールにされている。

 少女は彼と初対面のはずだが、言葉には隠し切れない親しみがあった。

 だが髪よりも、言葉に潜む親しみよりも、彼の目についたのはその瞳だ。

 少女は彼の記憶の中にあるヴィルフリッド・エレミアの瞳と、全く同じ瞳をしていた。

 

「何を隠そう、このジークリンデ・エレミア!

 この地区一番の道案内名人や! まあもうすぐ引っ越すんやけど!」

 

「―――そう、か。じゃあジっちゃん、道案内よろしく」

 

「女の子に付ける愛称じゃない気がするんやけどそれ!?」

 

 ジークはヴィヴィオを肩車しているKから目的地を聞き、彼の右手を引いてそこまで案内しようとして、彼の右手の義手に気付く。

 そして何かに気付いたというわけではなく、感覚で何かを感じ取ったようだ。

 ジークは嬉しそうに笑う。対し課金王も、『エレミアの子孫』の存在から、あの世界のあの後のことを少しばかり察したようだ。

 

(ああ、よかった)

 

 彼の中の心配事が、一つ消えた。

 

(あの子は前に進めたんだな)

 

 相手が居なければ、子は残せない。

 子孫が居るということは、エレミアは誰かと結ばれたということだ。

 彼の顔に浮かぶ笑みが、少し優しいものへと変わった。

 

「ありがとー、お姉さん。ほらお兄さんも、お礼しないと」

 

「ん、そうだな。ありがとう」

 

「ええのええの、お兄さんとは初めて会った気がせえへんし」

 

「奇遇だな。オレも初めて会った気がしない」

 

「あらやだもー、そらナンパの常套句やん」

 

「オレから言ったならそうだろうな。でもお前から先に言ったんだから冤罪だろそれ」

 

「! 確かに!」

 

 はっとするジーク。

 どこか懐かしい空気を感じながら、三人はお喋りしつつ、目的地の公園に辿り着いた。

 

「公園に何しに来たん?」

 

「一回だけでいいから、会おうと思ったんだ。あいつに」

 

「知り合いが待ってるとか、そういう感じなんか?」

 

「さて。知り合いなんだか、初対面なんだか……」

 

 公園を歩く二人の少女と一人の青年。

 やがて彼らは、引かれ合うように公園の片隅に足を向ける。

 公園の隅、そこに置かれていたベンチに座る少女が顔を上げる。

 少女と青年の目が合い、少女は自分でも何故そうしたのか分からないまま、息を呑んだ。

 

「―――あ」

 

 少女は碧銀の髪を風に揺らし、誰に言われるでもなくベンチから立つ。

 そしてクラウスと同じ色合いの虹彩異色(オッドアイ)で、じっと青年を見つめていた。

 彼の中に驚きはない。彼女とだけは、会えることを知っていたから。

 聖王や黒のエレミアとは違い、覇王の子孫だけは、その容姿を知っていたから。

 

「こんにちは。お久しぶり……あ、いえ、はじめまして」

 

「久しぶり? はじめまして? どっち?」

 

「えと、時々こういうことがあって……

 ご先祖様の内の一人の血が、私には強く出ているそうなんです。

 そのご先祖様の記憶が、こう、時々、ふわっと浮かんでくるといいますか……」

 

 不思議な懐かしさに突き動かされた碧の少女は、自分でも何を言っているのか、自分が何故そんなことを言ったのかも分からないようで、戸惑っている。

 ヴィヴィオにそこを突っ込まれると、碧の少女は更に狼狽え始めた。

 自分の事情を上手く説明できない少女の視線が、ジークと繋がれた青年の右腕、『エレミアの義手』の部分で止まる。

 

「気になるか? オレの四肢欠損」

 

「あ、いえ、そうではないんです。気を悪くされたのなら、謝ります。ごめんなさい」

 

 素直に頭を下げる少女から感じ取れるのは、素直さ・誠実さ・育ちの良さだ。

 礼儀の正しさから読み取れる家柄や人格というものもある。

 碧の少女の生家は、由緒正しいものである様子。

 

「家訓と言いますか、ご先祖様の言葉といいますか……

 ご先祖様の一人が、昔盟友に言われた言葉なのだそうです。

 『腕の無い者が腕のある者に劣るなんて決まりはない』、と」

 

「―――」

 

 その言葉を。彼は、ある日ある時ある場所で、ある人物に言った覚えがあった。

 

「以来、私の家系はその言葉を肝に銘じて……どうしました?」

 

「いや、なんでもない」

 

 あの時代に。ベルカはオリヴィエに、そう言った覚えがあった。

 

(そういうことだと、思っていいんだろうか)

 

 碧の少女の先祖の一人は、クラウスだった。

 そして、オリヴィエも彼女の先祖の一人だった。

 覇王の血と違い薄れて消えかけのものではあるが、聖王の血も流れているらしい。

 それだけだ。そこから推測、いや妄想できる事柄がある、というだけの話。

 それは妄想の余地にしかならない、ただの可能性。

 けれど、『それだけ』で十分だった。

 

 彼の脳裏には、長い苦難の果てに結ばれ、子を得るという奇跡を成したクラウスとオリヴィエの幸せな姿が、ありありと浮かんでいたのだから。

 

(―――ああ、くそ、なんで、泣き叫びそうになってんだ、オレは―――)

 

 課金王の体の動きが止まる。

 それを不思議に思ったのか、ヴィヴィオは青年の頭をペチペチ叩き、何気なく声を上げた。

 

「行こ、ベルカお兄さん!」

 

「―――え?」

 

 彼はヴィヴィオに『ベルカ』と名乗ったことはない。

 そも、この時代で彼はベルカの名を名乗ったことがない。

 ヴィヴィオがその呼び方を知っているわけがないのだ。

 

 "ヴィヴィオがオリヴィエのクローンである"という事実から生まれる、奇跡のようなたった一つの可能性を除いては。

 

「お兄さんベルカって名前なんかー。

 (ウチ)の家も古流ベルカの家やから、なんとなく親近感感じるわぁ、ベルカさん」

 

「あ、私の家もです。偶然ですね、ベルカさん」

 

 『ベルカ』と呼ばれた彼の目に幻影が、耳に幻聴が訪れる。

 今ここにあるはずのないものが、彼の記憶の中の彼らが、彼の目の前に現れた、気がした。

 

『一緒にご飯ですか、いいですね。そう思いますよね、クラウス、エレミア?』

 

『ええ。ちょうどお腹も空いてきましたし、僕は沢山食べられる所に行きたいかな』

 

『ベルカ、何か食べたいものはある?

 あ、僕ら女の子なんだから、そこを気にしてくれたら嬉しいな……な、なーんて』

 

 友の幻影が見えた。

 友の声の幻聴が聞こえた。

 けれどそれも一瞬で、幻影も幻聴もすぐさま消え去ってしまう。

 後に残るは、幼い三人の少女の姿と声だけだった。

 

(―――さよなら、だ)

 

 青年は笑う。悲しみなんてどこにも見えない笑顔で、カラカラと笑う。

 

「さて、なんか腹減ってきたな!

 お前ら何か食べたいものあるか?

 あのファミレスにあるものなら、オレが何でも奢ってやるぞ!」

 

「ほんと!?」

「ホンマか!? いやー嬉しいなぁー、パフェ食べよパフェ!」

「え、その、えと、ごちそうになります」

 

 笑顔の青年の言葉に、ヴィヴィオが真っ先に反応し、食い意地張ったジークが続いて反応し、周りに流されて控えめに碧の少女も付いて行った。

 課金王と、聖王女と、覇王と、黒のエレミアが、肩を並べて歩いて行く。

 

「あ、すみません。私、名乗っていませんでした。とんだご無礼を」

 

「いいさ、そのくらい」

 

 そして、奢ってもらうこのタイミングになるまで名乗っていなかった自分に気付き、顔を赤くした碧の少女が、名を名乗った。

 

「アインハルト・ストラトスです。初めまして、よろしくお願いします」

 

「ああ、初めまして。アインハルト」

 

 名を名乗りながら、少女は青年の笑顔に、どこか懐かしいものを感じていた。

 

 

 




少年が青年になるお話、古代ベルカ編終了
あと幕間書いてSTSですね
その前にIS中編中編

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