課金厨のソシャゲ廃人がリリカルなのは世界に神様転生してまた課金するようです   作:ルシエド

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 ギャグ短編をノリノリで書いた後に真面目寄りの話をしっかり書こうとしているせいで、体がアナフィラキシーショックを起こしてしまっています


課金田一少年の事件簿 爆死蝶殺人事件

 始めて来る世界だ、とエリオは思った。

 こんな城みたいな家初めて見た、とエリオは思った。

 初めて会う人だ、とエリオは思った。

 

「お久しぶりです。ベルカ様」

 

「お久しぶり、ヴィクター」

 

 夜空の星と、城のような居住地に据えられた電灯の光が注ぐ玄関。

 そこで、青年と『ヴィクトーリア・ダールグリュン』が、懐かしそうに挨拶を交わしていた。

 どうやら、以前から面識があるようだ。

 

「リーゼロッテ様。

 リーゼアリア様。

 スタークス様。

 モンディアル様。

 話は伺っております。ダールグリュンは、あなた達を歓迎いたしますわ」

 

 齢15の少女であるが、ヴィクトーリアの礼儀作法はこの場の誰よりも礼儀正しいと言っていいほどのものだった。

 手入れが行き届いた長く綺麗な金の髪、シミひとつ無い美しい白い肌、高級な作りと高等な着こなしが両立されている服。ヴィクターは一から十まで"理想的な金髪お嬢様の要素"で構築されていて、どうケチを付けようとしても付けられない、そういう外見をしていた。

 

 ヴィクターと青年に愛称で呼ばれた少女が、来客を引き連れて城の中へと進んでいく。

 

「Kさん、こんな家のお嬢様とも知り合いだったんですね……」

 

「どういう関係か気になりますか?」

 

「はい。シュテルさん、ご存知なんですか?」

 

 エリオが疑問に思い、無感情なシュテルに青年とヴィクターの関係を問うてみた。

 

「ここは古代ベルカの王、雷帝ダールグリュンの子孫の家です。

 雷帝ダールグリュンは課金王ベルカと共に世界を守る戦いに参加した英雄。

 武功と知名度で言えば、覇王と聖王のそれに次いでいます。

 覇王家と聖王家の血は市井に混ざって消えた、と言われていますが……

 雷帝家は血こそ薄れたものの、直系であることが証明されている、希少な家です」

 

 理のマテリアルは頭脳担当。足元が危なっかしい主や、バカな雷に臣下を信ずる王のため、常に冷静な判断や知識を提供するのがお仕事だ。この程度お茶の子さいさいである。

 

「私も詳細は知りませんが、雷帝家には先祖からの言い伝えがあるようです。

 曰く、『この者が現れれば助けよ』

 『然らば、我が子孫の窮地に、この者は助けに来るだろう』

 『戦友と共に戦う誓いを果たせ』

 といったものである、ということだけですね。私が知っている範囲では」

 

 覇王、聖王、黒のエレミア、課金王、雷帝。

 その戦いと、その中でいつの間にか持っていた戦友同士の連帯感……その全てを記憶している人間は、もうこの世界に一人しか生き残っていない。

 されど、伝承や口伝で一部のみ知っている人間は何人か居る。

 

「かいつまんで言えば、先祖からの縁というやつです」

 

「……なるほど」

 

 エリオが持っている情報は断片的で、全てを完璧に察しているわけではないが、なんとなくで大まかに察したようだ。

 シュテルとエリオは最後尾から、先頭を並んで歩く青年とヴィクターを見る。

 その少し後ろを、リーゼ姉妹が談笑しながらついて行っていた。

 一見ただ後を付いて行っているようにも見えるが、その実何かあればすぐにでも先頭の二人を守れる位置に居る。

 流石は歴戦の魔導師と言ったところか。

 

「ベルカ様、すぐに例の物を渡しましょうか?」

 

「いや、いい。ダールグリュンの警備を疑うつもりはない。

 明日ここを出る時に渡してくれれば、オレはその方がいいと思ってる」

 

「かしこまりました。では、そういたしますわ」

 

 ヴィクターは年齢差や先祖の残した言葉もあって、確かな敬意を青年に向けている。

 青年もその敬意に相応の信頼を返している。

 敬意を向ける、相応のものを返す、という関係でこの二人の繋がりは安定しているようだ。

 やがて、彼らは大きな広間に足を踏み入れた。

 

「どうぞここでお寛ぎ下さいませ。側の者に言って下されば、部屋に案内致しますわ」

 

 ヴィクターが微笑み、壁際で使用人らしき人間達が一斉に頭を下げる。

 "客を部屋に失礼のないよう連れて行く"ためだけの使用人を用意しているあたりからも、ヴィクターの感覚が一般人離れしていることは窺えた。

 

 今日はもう――この世界基準の時間で――すっかり日も沈んでしまっている。

 一刻も早く出発を、と動いていたらこんな時間になってしまったのだ。

 今日は元からダールグリュン家に泊まる予定だったらしく、その連絡もされていたようで、彼らが泊まるという話の流れが自然と出来ている。

 彼らがこの世界から別世界へと移動する転送ポートの使用予約時間は、明日の朝だ。

 今の次元世界が非常に不安定な影響、及び世界間の人の移動が活発になった影響は大きく、転移魔法であれ転送ポートであれ世界間の渡航許可が中々降りないという状況であるようだ。

 

 日は落ちた。特にすべきこともない。

 すぐ寝るか? 否。

 休むか? 否。

 リーゼロッテとリーゼアリアが広間の大テーブルの端に立ち、話を主導し始める。

 

「さて、情報を整理しようか」

 

「やっても意味ないかもだけど、やらないよりかは意味があるでしょうね」

 

 事前に考えるだけ考えておくことは、絶対に無駄にはならない。

 彼ら、彼女らの最終目標が、幾多の世界に侵略しているスカリエッティの打倒であり、この先スカリエッティの妨害が来る可能性がある以上なおさらに。

 シュテルがデバイス・ルシフェリオンを操作すると、テーブルについた皆の前に、複数の次元世界の状況を三次元的に映し出した立体映像が現れた。

 

「世界ごとの勢力分布は、こうなっております」

 

 所々で時空管理局とスカリエッティの戦力がぶつかっているのが分かる。

 ソシャゲ管理局等の戦力とスカリエッティの戦力がぶつかっている場所も一目瞭然だ。

 一部では管理世界側の味方を名乗らず、スカリエッティの戦力を削っている謎の第三勢力の姿も見える。

 

「あ、ここの第三勢力扱いの方々、僕知ってます。

 一年くらい前に現れて、時々一緒に戦ってくれる謎の味方勢力の人達ですよね。

 キング仮面、ライトニング仮面、ダークネス仮面、お姉ちゃん仮面、妖艶仮面と名乗……」

 

 その瞬間。

 エリオは何かを察し、義腕を口元に当て意味深な顔をしている青年を見た。

 

「謎の仮面軍団……一体何者なんだ……」

 

「なんで白々しい感じに言うんですかKさん? ……何か知ってるんですか?」

 

「知らん知らん」

 

「……漆黒仮面、虹色仮面、碧銀仮面」

 

「知らんっちゅうに」

 

 素性を明かせない何らかの理由がある第三勢力。

 素性を明かせない人間に仮面を被せてそれで済ませるセンス。

 絶対この人の知り合いだ、とエリオは確信を持った。

 

 あーだこーだと情報を出し合い、妨害に来そうな何人かのスカリエッティをピックアップしていく彼らだったが、途中でヴィクターが席を立つ。

 

「では、少し失礼しますね」

 

「ん? ……ああ、そうか。前来た時も、この時間にトレーニングやってたんだっけ」

 

「ええ。いつか来たる世界の危機に備え、子孫よ常に鍛えるべし。

 始祖雷帝が残した教えですわ。

 現に世界の危機が訪れている今、鍛練を怠るわけにはいきませんもの」

 

 どうやらヴィクター、日課のトレーニングに向かおうとしているようだ。

 決めた時間に決めたことを行おうとする、几帳面な性格が垣間見える。

 今している話も"して損はない"程度のものなので、彼女が抜けても問題はないだろう。

 そこでふと、青年は一つ思いついたことがあった。

 

「なあ、それにエリオも混ぜてくれないか?」

 

「え? 僕ですか?」

「構いませんが……」

 

「エリオ、ヴィクターは古代ベルカ最強の雷使いの血を引いてる子だ。

 しかも武器はハルバード。お前と同じ長物ときた。

 電気と槍を使うお前には、絶対にいい勉強になる。

 ゼストやシグナムも古代ベルカ武術の使い手だから、技の相性もいいはずだ」

 

 古流のベルカ武術に詳しい者は、皆揃って「広いようで案外狭い」と口にする。

 いくつもの源流があり、何百年という月日の中で何度も混じり、何度も新たな流派が生まれ、親しくしている流派や王相手に技を教えることもあった。

 聖王女オリヴィエの格闘技の源流に、エレミアのそれがあるように。

 覇王クラウスの武術の中に、オリヴィエやエレミアのそれがあるように。

 黒のエレミアの戦技の内に、聖王女と覇王のそれがあるように。

 

 古代ベルカの術式と武術を使うゼスト、古代ベルカの遺物であるシグナムに武器の扱いを習ったエリオの技が、ヴィクターの武術と近いものである可能性は高かった。

 

「でも、ご迷惑では……」

 

「私は構いませんわ、むしろ望むところです。

 近代ベルカベースの古代ベルカ槍術士、しかも雷使い。血が騒ぐというものですわ」

 

 ニコリと笑んで、ヴィクターは遠慮するエリオと、自分を見ている青年に了承の返答を返す。

 

「私に求められているのは、実戦経験の蓄積でしょうか? それとも技術の継承でしょうか?」

 

「手合わせしつつ高め合う、くらいの気持ちで頼む」

 

「承知しました」

 

 ヴィクトーリア・ダールグリュンは、民間の格闘技の選手でもあり、現在は有事に民間協力者として戦線に加わる魔導師でもある。

 本業が公の場で戦う格闘技選手であるというのもあり、技術を伝えることにそこまで抵抗があるわけではないようだ。

 

 なのだが、民間の人間であるという点がエリオの意識に引っかかる。

 彼がこう言うからには強いのだろうが、その程度がいまいち分からないのだ。

 習うほどのものがヴィクターにあるのか、エリオは確信を持てずに居る。

 

「私がどのくらい強いのか、疑っているようですね」

 

「え? あ、その、すみません」

 

「いいえ、確かにあなたの方が魔導師ランクは上でしょう。

 実戦経験も豊富な様子。私は戦場ではまずあなたに勝てないでしょうね」

 

 ヴィクターは優雅に、スカートを摘んでうやうやしく礼をする。

 

「ただ、おそらく……技を磨いた舞台の問題で、一対一なら結果は分からないと思いますわ」

 

 笑顔のヴィクターとエリオは、こうして部屋から出ていった。

 頭脳労働ができないわけではないがアリアに丸投げしがちなロッテがそれを見て、こっそりとその後をつけていく。

 

「悪ぃ、ちょっと見てくるわ」

 

「先生の血が騒ぎましたか?」

 

「んー、まあ、そんな感じ。指導できるとこあったら指導してくるよ」

 

 ロッテは行き掛けに青年の頭をくしゃっと撫で、子供扱いに呆れた顔をする青年に背を向け、ヴィクターを追い駆けて行った。

 

「じゃ、こっちも話進めておきますか」

 

 青年、アリア、シュテルだけで話を進める。

 とはいえ、すべき話など、現在の情勢を鑑みて"できればこういう位置にいて欲しい"と他の人に連絡しておくくらいだ。

 

「―――」

 

「―――」

 

 途中からは戦技理論の話や、この先の旅の行程の話、なんでもない談笑が話に混じっていく。

 

「―――?」

 

「―――?」

 

 シュテルが仮眠を取ったタイミングで、アリアがどこかから酒を貰ってきたので、寝る前に酒でも飲んで……という流れになっていた。

 

「いつからだろうね。あなたの背が、私達の背を追い抜いたのは」

 

 青年とアリアは、並んで椅子に座り酒を飲んでいる。

 立っていても、座っていても。青年の頭の位置は、アリアよりも高い位置にあった。

 

「七年くらい前だったと想います」

 

「あの子供が酒飲める歳になったんだもんね。そりゃ、そんな前にもなるか」

 

 青年ももう21歳。クロノも二児の父で26歳だ。

 リーゼ姉妹もグレアムが寿命死したことを考えれば、相当な歳だろう。

 青年とアリアが出会ってから、もう十数年が経っている。

 子供が大人になるのには、十分過ぎるくらいの時間が経っていた。

 

 口の中で転がすように酒を飲む青年に、アリアはしみじみと言う。

 

「立派になったよ、Kは」

 

「お嬢さんも世辞が上手いですね」

 

「あはは、やっぱりその呼び方は良いわね。なんか若く見られてるみたいで」

 

「実際若く見えてますよ」

 

「世辞がお上手なんだからもう」

 

 リーゼ姉妹をよく知らない者は、二人の見分けがつかないと言う。

 だが親しい者は、似ているのは容姿だけで中身はむしろ正反対だ、と言う。

 

 リーゼロッテは男性寄りの精神を持っている。

 美人ですね、お若いですね、と言われてもそこまで喜ばない。

 先生、師匠、と呼ばれて尊敬されることの方が喜ぶくらいだ。

 ゆえにか、彼は小説にちなんで彼女のことを『先生』と読んでいる。

 

 対し、リーゼアリアは女性寄りの精神を持っている。

 格好いい、強い、と言われてもそこまで喜ばない。

 女性らしさを褒められたり、若く見えると言われる方が喜ぶくらいだ。

 ゆえにか、彼は小説にちなんで彼女のことを『お嬢さん』と呼んでいる。

 

 昔、彼がまだ周囲の人間に愛称を付けるのが好きだった頃の名残だ。

 滅多に他人にあだ名を付けなくなった今の彼がそうした愛称を使っていると、どこか不思議な違和感が浮かび上がって来る気すらする。

 

 グラス半分ほど残った酒をぐびっと飲み干し、高そうな酒をドバドバとグラスに注ぎ、大きな氷を放り込みながら、アリアは思い出話を始めた。

 

「覚えてる? お父様が酒飲んでて、私達がそれに付き合ってて。

 そこに、夜中に起きたあなた達二人がやって来た、って時のこと」

 

「……あー、ありましたね。覚えてますよ」

 

 夜中に起きて来た子供達に飲酒を見られ、何故か申し訳ない気持ちになり、一気に酔いが覚めてしまったことを、アリアは今でも覚えている。

 当時のクロノは酒を堕落の象徴のように見ており、酒を飲んでいる大人をだらしないと軽蔑しているフシがあった。生真面目な幼いクロノは、大人達をちょっとだけ失望した目で見る。

 対し、幼かった頃のKは軽蔑の視線を向けず、ただ"もったいない"という気持ちから声を張り上げた。

 

「見るなりいきなり

 『高そうな酒。それでガチャが何回回せると思ってるんですか!』

 だもんね! あははっ、もう頭が痛くなっちゃったわよ、あの時の私は」

 

「今でもそう言うと思いますよ、オレ」

 

「いいえ、言わないわ。今のあなたなら

 『体に障りますからさっさと寝て下さい』って言うと思うわよ」

 

「ああ、いい加減お爺ちゃんお婆ちゃんですしね」

 

「いやそうじゃなくて……今ババアっつったか今」

 

 左手のゲンコツを青年の右こめかみにグリグリと押し付けるアリア。

 いててと痛がる青年。

 言われなければ思い出せないような想い出を口に出し、二人はぽつりぽつりと語っていく。

 

「立派になったよ、私達の弟子は。

 あの時言ってた『悲しみを終わらせる』って在り方をちゃんと実践できてる。

 どこに出しても恥ずかしくない、私達の大切な、私達の誇りの弟子だ」

 

「……飲み過ぎじゃないですか、お嬢さん」

 

「あはは、かもね」

 

 酒は本音を口にさせることもあれば、心にも無いことを語らせることもあり、本心とは真逆の言葉を喋らせることすらある。

 酒の席での言葉など、真に受けるものではない。

 その言葉が本音であろうと、なかろうと。

 

「お父様の葬式で、お父様を笑顔で送り出してくれて、ありがとね」

 

 アリアは葬式でも笑顔で居た青年に、本音かどうかも分からないような礼を言う。 

 

「この世の誰よりも笑っている男。

 この世の誰よりも勝ち組な男。

 幸せそう度次元世界ナンバーワン。それが、オレですから」

 

 青年は笑う。頼り甲斐のある、力強い笑顔で笑う。 

 

 そんな青年を、背伸びする弟を見る姉のように、アリアは見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が明ける。

 ある者は酒の流れで寝床に入り、朝に目を覚まし。

 ある者は仮眠を取った後夜通しで警戒し、朝日が昇る空を見据え。

 ある者は夜のトレーニングの後ぐっすり眠り、早朝からまた同じようにトレーニングをする、という元気な姿を見せていた。

 エリオは夜に続いて朝も、ヴィクターとの鍛練、ロッテの指導を受けていたようだ。

 

(学ぶことが多かったな)

 

 エリオは対ガジェット想定戦等の多人数戦をメインに教導を受け、そこから得意分野を伸ばした魔導師。対し、ヴィクターは一対一の格闘試合に特化した魔導師だ。

 

 "目の前の相手だけでなく戦域全てに気を配るスタイル"と、"目の前の相手だけに集中していればいいスタイル"。

 言い換えるなら、"目の前の相手にだけ集中しないスタイル"と、"目の前の相手一人に自身の全てをぶつけるスタイル"。

 一対一で何度か試合をすると、その違いは如実に現れて来る。

 

 魔導師ランク基準であればエリオの方が確実に上であったが、非殺傷前提模擬試合での勝率は、ヴィクターの方が高かった。

 実戦であればエリオが確実に上を行くとしても、"こういうものもあるのだ"という認識は、エリオに新しい認識を与える。

 近似技能の古流ベルカ武術者との鍛練は、エリオのよい血肉になってくれたようだ。

 

 実戦では、どこまで隙を作らないかが重要になる。

 けれども、一対一で目の前の敵だけに集中する、という分野においては、どんな時も隙を作らず敵の奇襲を警戒するより、勝つべき時には隙を作ってでも攻めて勝つという選択が必要なのである。

 

「んっ……」

 

 朝の鍛練の後シャワーを浴びて、エリオは広間のテラスから朝日を眺めていた。

 ぐっと背伸びをすると、体から軽い疲労が消えていく。

 

「おっはー、エリオ」

 

「うわぁ!?」

 

 彼はしょっちゅうどこからともなく現れる。

 今日は背伸びしていたエリオの股下に突然現れ、気を抜いていたエリオを一瞬で肩車。少年の体を、青年の身長分高い位置へ押し上げていた。

 

「ちょ、ちょ、なんで僕を肩車してるんですか!?」

 

「なんとなく」

 

「なんとなく!?」

 

「なんとなくな、お前親に肩車とかされたことないんじゃないかって」

 

「……え」

 

 フィーリングで生きている青年の行動が、エリオ自身ですら忘れていたような、幼い頃のエリオの気持ちを蘇らせる。

 

 エリオは、オリジナルエリオのクローン体だ。

 親との距離感は近いようで遠く、肩車などされたこともなかった。

 親と引き離された後も当然、大切にしてもらった記憶など無い。

 フェイトに引き取られてからも、そういった直接的な触れ合いはずっと遠慮していて、"して欲しい"と口にしたことは一度もなかった。

 それは、キャロも同様だろう。

 

 何年も前に諦めた、エリオ本人でさえ忘れていた"して欲しいと願っていたこと"は、とても奇妙な形で叶えられていた。

 

(懐かしいなぁ。肩車されるのに憧れてたのって、どのくらい前だっけ……)

 

 こうして親と触れ合いたかったのだと、エリオは幼い頃の気持ちを思い出す。

 通りすがりの肩車してる親子を見ると羨ましい気持ちになってたな、とエリオは昔の自分を思い出して苦笑する。

 

 肩車されている少年からは青年の顔が見えず、頭頂部しか見えない。

 意外と他人を見ている青年に、エリオは少し驚いていた。

 むしろ周りの人から聞いた限りでは、人の心や気持ちなんて分からなそうな人だったのに、と少年は不思議に思っていた。

 

「どうだエリオ、いつもよりちょっとだけ高い視点から見る景色は」

 

「……いつもより、高くて……広いです」

 

「背が高くなると、色々見えてきちゃうんだよなあ。

 子供の頃は見えなかったものとか、近付いてくる天井とか」

 

 しみじみと言う青年の言葉からは、大人になって初めて見える面倒臭い諸々への実感があった。

 同時に、まだ子供であるエリオへの羨ましさと懐かしさも、垣間見えていた。

 

「このまま走り出したくなるな、はっはっは」

 

「止めて下さい! 上に乗ってる僕が一番怖いんですよ!」

 

 青年が肩に乗せたエリオを左右に揺らす素振りを見せると、エリオが慌てた様子で青年の頭部をベシベシ叩く。わっはっはと笑う青年に、少年は呆れたように溜め息を吐いた。

 

「……本当に、いつも笑ってますね」

 

「悪役にいいようにされて、気分も表情も落ち込んでたら、負けた気になるだろ?

 その悪役倒しても、なんか負けた気になるだろう? だから笑っとけ、勝者みたいに」

 

 結果が同じでも、泣いて終わるより笑って終わった方がなんとなくハッピーエンドっぽいじゃないか、と青年は言う。

 そこに、エリオは、笑顔で居続けられる強さを見た気がした。

 

「ずっと前のことになるんですけど……

 なのはさんとフェイトさんが食堂で話してた内容を、聞いてしまったことがあるんです」

 

「ん?」

 

「フェイトさん、言ってました。

 『いっつも笑ってるかっちゃんを見ると、安心した』

 『あの笑顔が、心強かった』

 『こっちまでつられて笑っちゃって、笑ったら気持ちが明るくなった』

 『笑顔って伝染させることもできるんだって、私は子供の頃に学んだんだ』って」

 

 フェイト・テスタロッサは、救われる側の少女だった。

 今では誰かを救える女性になった。

 彼女が受け身の被害者でなくなってから、もう12年も経っている。

 

「『だから不安な子供達の前では、ずっと笑顔を見せるようにしてるんだ』

 って、言ってました。少なくとも僕達は……フェイトさんのその笑顔に、救われた子供です」

 

 少女だったフェイトが大人になり、フェイトが救う立場になり、フェイトが救った子供がかつてフェイトが救われた時の年齢を越えて……そうして、救いの手は連鎖する。

 キャロもエリオも、どこかで人を救っていく。

 エリオにはきっと、この青年が、その救いの手の連鎖の始点に見えているのだろう。

 

「だから、変な人だとも思ってますけど……ちょっと、尊敬もしています。ずっと」

 

 エリオに差し出された救いの手の始点がフェイトであると思っている青年からすれば、買いかぶりの過大評価にもほどがある認識であった。

 『高町なのは』という始点があったからこそ、"人助け"という方向性を得たこの青年だから、なおさらにその気持ちは大きくなってしまう。

 

「オレはそういうことに関して何も言ってないぞ。

 課金厨でソシャゲ厨な人間をどんだけ過大評価しとるんだお前は。

 フェイフェイは友達や事件から勝手に学んで、勝手に成長するやつだったぞ。

 オレに救えない子供でも、あいつはひょいひょい救っちまうよ。そういうやつだ」

 

「たぶん、僕はフェイトさんほどあなたを高く評価はしてないですよ」

 

「生意気なこと言いやがってこのこの」

 

「うわああああああ肩車したまま揺らさないで!」

 

 子供っぽい生意気な面を言うエリオに、肩車シェイクの刑が下される。

 そういやこいつそろそろ反抗期の歳か、フェイトも苦労すんだろうなー、と青年が他人事のように思っていると、くすくすと笑う女性が歩み寄って来た。

 

「ヴィクター」

 

「昨日と今日の鍛練、こちらもいい勉強になりました。

 リーゼロッテさんの指導があったとはいえ……

 早くも技を盗まれてしまいましたわ。素晴らしい資質です」

 

「ありがとうございました、ダールグリュンさん」

「ありがとう、ヴィクター。またなんかあったら手伝いに来るわ」

 

「期待しないで待っていますわ」

 

 ヴィクターは気品ある動きで丁寧に礼をして、静かに下がる。

 非日常では苛烈に。日常では優雅に。ヴィクターはまさしく戦うお嬢様であった。

 ヴィクターが下がると、代わりに欠伸をしているロッテが前に出て来る。

 

「どうでした? エリオは」

 

「基礎の仕上がりは十分。なのはが入念に仕込んでたっぽいね。

 技も必要量は揃ってる。

 最終的な仕上がりに手を加えれば、それだけで結構上行けそうな感じ?

 技もある、力もある、大体の型も出来てるから、あとはスタイルとして完成させるだけだね」

 

 青年は少し驚いた。

 一流の指導者であり、何人もの天才を育てて来たロッテの目は確かだ。

 そんな彼女からこうまで評価されるのは、極めて希少であると言える。

 徹底して基礎を積み上げたなのはの教導に、様々な指導者からの教えを吸収したエリオは、現在の強さと伸び代の両方において、合格点を貰えたようだ。

 

「クロノを思い出す優等生だよ、まったく。クロノより感覚派だけど」

 

「クロノ? クロノ・ハラオウン提督ですか? 僕、お会いしたことがあります」

 

「私とアリアはそこのそいつと、クロノの師匠なのさ」

 

「ええっ!?」

 

「このままちゃんと仕上げれば、あんたクロノ並みに強くなるよ。頑張りな」

 

 にしし、とロッテが笑う。

 青年とヴィクターは、同時に時計を見る。

 時間を確認し、二人は目を合わせ、揃って頷いた。

 

「そろそろ出立の時間でしょう。例の物をお渡しいたしますわ」

 

 ヴィクターに先導され、彼らは昨夜話し合いに使っていた広間に移動する。

 広間には既にアリアとシュテルが居て、青年を見かけると軽く手を降っていた。

 青年が席につき、その周りに皆が集まると、ヴィクターは反対側の席から銀色の箱を差し出して来る。

 

「どうぞ、ベルカ様」

 

 青年が箱を空けると、そこには不思議な色合いの、ジュエルシードに似た何かがあった。

 

「これが、一縷の可能性……『イデアシード』です」

 

 一見ただの宝石のようにも見えるが、よく見ると六つの辺に各々違う形の凸凹が付いている。

 まるで、このイデアシードの周りに『何か』を六つ接続するのが前提であるかのようだ。

 

「イデアシード……?」

 

「ソシャゲで言えば、金で買えない限定品の石に相当するものだな」

 

「あ、そういうことは聞いてないです」

 

 エリオが首を傾げると、青年はイデアシードを手に取り、イデアシードがどういうものなのか知らない少年に説明を始める。

 

「人の目に見える形を『エイドス』。

 心の目で見るもっと本質的な形を『イデア』と言う。

 これはイデアという形而上の存在を形而下の力に変えるロストロギア。

 使い方の一例としては、人の想い出を物理エネルギーに変える、などだな」

 

「想い出をエネルギーに……それで、どうやってスカリエッティを倒すんですか?」

 

「12年前、闇の書事件って事件があったんだ。知ってるか?」

 

「知ってます。八神司令が巻き込まれた事件ですよね?」

 

「ああ」

 

 ソシャゲの闇の書、とも言われた、大昔にウーンズ・エーベルヴァインが特定人種に向けた無限の憎しみを宿した書が、最後に起こした事件。

 その始まりに闇の書は、"はやてにとって価値ある物"を金銭・物・身体機能・想い出問わず、片っ端から奪っていった。

 

「その時闇の書は、『はやてにとって価値のある物』を奪った。

 記憶を奪った。物を奪った。だけど、考えてみると妙だろう?

 『価値』なんてのは形の無い物だ。

 それと物質的な物がトレードオフになるなんて、妙な話だ。

 価値がイデア・価値ある物がエイドス。

 価値をもっと物質的な物と考えても、それだと記憶と交換されるのがおかしくなる。つまり……

 闇の書には、形而下(エイドス)形而上(イデア)のものの相関関係を思うように操作する技術が使われてたんだ」

 

 概念上の何かが、物質的な何かと等価であるかのように扱われる。

 それはまさしく、イデアをエネルギーに変えるイデアシードそのものだ。

 青年はエルトリアでの戦いの最後で、闇の書に使われていたその技術を確保していた。

 

「さっきも言ったように、イデアってのは本質的な観点で定義されるものだ。

 次元世界には、一つの意思で動く群体生命も居る。

 物質的な形で、つまりエイドスで見れば、それは個体の集まりだろう。

 だけどイデアで見れば、『○○の群体』という本質で捉えることができる。

 居るだろ? オレ達を悩ませてる敵にもさ。

 個体ごとの名前を持たず、総体としての名前で呼ばれる……『スカリエッティ』ってやつが」

 

「!」

 

 人は全て、無意識下で集合的無意識として繋がっているという。

 双子は生まれた時から、意識の下部で薄っすらと繋がっているという。

 ならば……スカリエッティは、どうなのだろうか?

 クローン個体それぞれの個性があるかも疑わしいほどに、それぞれの個体が『同じ』な彼は、どうなのだろうか?

 

「恐ろしいやつだよ、スカリエッティは。

 普通は育ち方で個体差が出るはずなのに、まるでその気配がない。

 正義に目覚めるスカリエッティでも出そうなもんなのに、それもない。

 全てがスカリエッティだ。

 全てのスカリエッティが同じ心を持っていると断言できる。

 スカリエッティが個別の名を名乗ってないのも、あれが一つの枠の中の存在であるからだ」

 

 スカリエッティという個体が一つでも残っていれば、スカリエッティという個性と存在は永遠に変質しないまま、世界に残る。

 今日まで、それはスカリエッティの最悪な強みであった。

 だが、そこにこそ、付け入る隙はある。

 

「ウーンズの技術を使って、イデアシードを制御・操作。

 『スカリエッティの全個体の統合』を図る。

 そこで奴を仕留められれれば、奴が増えることも蘇ることも、もう二度と無い」

 

 一つのスカリエッティから始まった、世界にはびこる数百のスカリエッティを、一人のスカリエッティに統合する。『スカリエッティ』という単一のイデアを、『スカリエッティ』という単一のエイドスに転換する。

 ロストロギアを作った天才科学者の技術と、ロストロギアの力があれば、それも可能かもしれない。いや、難易度が高いだけで、十分に可能だろう。

 

「じゃあ、これでスカリエッティを倒せるんですか!?」

 

「一個じゃ出力不足だな。

 イデアシードは、現在七つあると言われているロストロギアだ、

 次元世界からスカリエッティを駆逐するには、あと六つ集める必要がある」

 

「あと、六つ……」

 

 このイデアシードの六つの辺に六つのイデアシードを接続した時にこそ、イデアシードはスカリエッティを討つ聖剣と成り得るのだ。

 

「サンキューヴィクター。一つ目をダールグリュンが確保してくれてて、助かった」

 

「ふふっ、こちらこそ礼を言いたい気持ちですわ。

 私の代でご先祖様の言いつけを守ることができたのですから」

 

 先祖を誇りに思う者。過去の戦友の善意に助けられた者。

 両方共に、この繋がりを大切にしているようだ。

 ヴィクターはエリオにも声をかける。

 

「モンディアル様も……」

 

「あの、エリオでいいです。ヴィクトーリアさんの方が年上ですし」

 

「ふふっ、では私のこともヴィクターと読んで下さい、エリオ君。

 あなたには光るものを感じました。それがこの旅の中で、開花することを祈っています」

 

「はい!」

 

「お互い、次に会う時までに、もっと強くなっておきましょう」

 

「はいっ!」

 

 一晩だけの付き合いであったが、互いに得た物は多かった。

 

 ヴィクターに送り出されて、一行は次の世界に向かう。

 

「皆さん、吉報をお待ちしております!」

 

 次なる目的地は、青年がよく知るかの街。

 

 第97管理外世界『地球』―――海鳴市。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人の男が居た。

 男達は、魔導資質こそ持っていなかったものの、確かな格闘技の腕前と揺るぎない正義感を持っていた。

 彼らは、今の世界の状況を見て、自分達にも何かできるはずだと考えていた。

 弱い魔導師やチンピラくらいなら、格闘技でどうにかできる自信があった。

 警邏隊の手伝いができれば、少しは世界に貢献できるんじゃないかと、彼らは考えたのだ。

 

 ヴィクターの城があるこの世界で、男達は地元の管理局支部を探していた。

 だがその途中、何者かに殴られ、気絶させられてしまった。

 二人の腕前を考えれば、尋常でない敵であることは明白だった。

 

 だが、真に恐ろしいのは『その敵が強かった』なんてことではなかったのだと、目覚めた後に、彼らは知ることになる。

 

「……ん……」

 

「おい、おい! 早く起きろ! 早く逃げろ!」

 

 焦る相棒の声を聞き、男の一人が目を覚ました。

 目を覚ました男は、椅子に縛り付けられている相棒を見た。

 そして直後に、後ろ手に手を縛られ、天井から逆さに吊るされている自分の状態を認識する。

 

「え……なんだ、これ?」

 

「あ、起きたの!」

 

「は?」

 

 逆さ吊りにされた男は、目の前でにこやかに笑う虹色の髪の少女を見た。

 年頃は、年齢二桁に届くか届かないかくらいに見える。

 笑顔は無邪気で、青いボディスーツを身に付けていた。

 虹色のポニーテールに、可愛らしい顔つきがよく映えている。

 この異常な状況に、こんなにも無邪気な少女が居るということが、怖気がするほど気持ち悪い。

 

「なあ、ここ、ど―――」

 

「じーっけん! じーっけん!」

 

 男が優しく声をかけた、その瞬間。

 少女は手に生やした光の刃で、逆さ吊りにした男の腹を横一文字に切り裂いた。

 

「―――え?」

 

「切れた切れた!」

 

 逆さ吊りの現状を把握できないまま、切られた腹。

 そこから血が流れ出し、胸を、首を、顔を、赤に染めていく。

 男が命の危機を理解したのは、自分の腹の中に少女が手を突っ込み、腹の中を弄り始めたことで、腹に激痛が走ったタイミングだった。

 

「ぐ、ああああああああっ!!」

 

「もっと鳴いて! もっと泣いて! もっと啼いて! でもうるさい!」

 

 苦悶の声を上げろと要求しながら、声が大きいと少女は怒る。

 少女は男の腹の中で肝臓を掴み、力任せに引きちぎった。

 そして引き抜いた肝臓を、男の口の中に押し込む。

 

「んー! ん゛ー!」

 

 逆さ吊りのままそんなことをされたらたまったものではない。

 呼吸すら困難になってしまう。

 男は吐き出そうとするが、手を使えないために抵抗は弱々しく、無理やり押し込まれた際に自分の歯が肝臓に食い込んでしまっていて、吐き出すに吐き出せなかった。

 

「ふふっ、わたしは賢いのよ?

 人の中身がどうなってるか知ってるの。もう何回も解剖してお勉強してるんだから!」

 

 少女は男の腹を弄って、胃と腸を引き出す。

 そして胃に近い位置で、腸を力任せに引きちぎった。

 そのまま腸を外に引き出そうとする少女だが、横一文字に切った腹が思うように広がらなかったようで、腹に縦にも切れ目を入れる。

 そして、十字に切られた腹から、胃と腸を引きずり出し、腸の切れた端っこを男の口に突きつけた。

 ご丁寧に、肝臓を口から引き抜いてから。

 

「えぅ、ぐっ、あああ……」

 

「食べるの」

 

「……え?」

 

「これから口の中に流し込むものを、ちゃんと食べるの」

 

 男の顔は、恐怖と絶望、そして"理解できない"という感情に飲み込まれている。

 自分の腸の端を口元に突きつけられ、それらの感情は倍加する。

 食えというのか。

 "それの中身"を、食えというのか。

 食えるだなんて、言えるはずがない。

 だが虹の髪の少女は、「食えない」だなんて返答は、許さなかった。

 

「食べなきゃ、もっと痛くしながらバラバラにしちゃうんだから」

 

「―――!」

 

 少女の無邪気な声のトーンが落ちて、それが『死』を強く実感させる。

 "死にたくない"と、男は強く思った。

 そのためなら、なんだってできると思った。

 死の恐怖が彼を突き動かす。

 死の恐怖が思考を麻痺させる。

 

 男は必死に、肝臓が引き抜かれた口に差し込まれた腸から流し込まれる、自分の体内にあった消化物を一心不乱に食い始めた。

 消化物は吐瀉物が食道を焼くのと同じように、喰らう彼の口の中と喉を焼く。

 最悪の味と食感が嘔吐感を呼び起こすも、吐き出すわけにはいかなかった。

 死にたくなかったからだ。

 

「ぎゃ、ぎゃ、げぼっ、ごぼっ」

 

「いっき、いっき!

 ……あ、一気飲みを煽るのはいけないことだってテレビでやってたの。

 いけないことをやっちゃいけないの。失敗失敗、えへへ」

 

 少女は頬を染めて、うっすら赤く染まった頬を掻く。

 手に付いた内臓の破片と赤黒い血が跳ね、頬に付いていた。

 

「まだかなー、まだかなー?

 食べたものが胃の中に戻ってきて、また口の中に入っていくのが見たいな」

 

「はぎゅ、たす、たすけ、げぼっ、うご、こ、が」

 

「口で食べたものが胃の中に戻って、腸に流れ込む。

 腸から出て来た消化物を、また口から食べる。

 永久機関、永久機関なの! まだ誰も作ったことがないものなのよ!

 ドクターだって作れないものを、わたしが作っちゃうんだから!

 えへへ、これが大成功したら、わたしの名前が歴史の教科書に乗るのかな?」

 

 死にたくない。その一心で、自分の消化物を飲み続け、喰らい続ける男。

 少女が肛門の方に繋がっている腸まで口に差し込むと、男は自分の排泄物まで食わされるハメになる。

 何度もむせ、涙を流し、それでも死の恐怖で麻痺した脳は、正気を見失ったまま"死にたくない"と摂食を続けさせる。

 むせる度に消化物と排泄物が男の鼻から吹き出し、十字に切られた腹から流れる血と共に、顔を伝ってポタポタと床に垂れていた。

 

 人は脆い。

 こんな風に扱われて、長く生きられるはずがない。

 もがいていた男の動きは次第に弱々しくなり、やがて完全に停止した。

 

「……? あ、死んじゃったんだ。

 そうだ、人は死んじゃうのね。

 人を材料に使っても、永久機関は作れないの……残念」

 

 少女は消化物、排泄物、最後には吐瀉物・吐血・唾液まで入り混じっていた逆さ吊りの男の口を見て、その唇をそっと舐める。

 

 まるで、その死を堪能しているかのように。

 

「あ、課金王さん達行っちゃったの。遊びすぎたの。後で急いで追いかけなきゃいけないかな」

 

 少女はちょっと表情を陰らせて、反省した様子を見せてから、気持ちを切り替えて椅子に縛り付けられた男に歩み寄る。

 

「どうしよっかなあ。まずは世界を移動してからかなぁ」

 

「く、来るな! あ、あっ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」

 

 そして、無作為に動かされた少女の口が、男の左の瞼を食いちぎった。

 瞼がちぎれ、二度と閉じられなくなった目に血が流れ込み、ほどなく片目が見えなくなる。 

 

「ひ、ひゃ、やめ、いぎゃぁぁぁぁぁっ!!」

 

 縛られていなかった足を動かし、男は抵抗しようとするが、振り上げた足に激痛が走る。

 見れば、左の足首の先、足の半分が靴ごと食いちぎられていた。

 少女の口の中から、靴や骨ごと、足の肉を咀嚼する音が聞こえてくる。

 食事中に口を閉じないこの少女は、咀嚼の度に不快感と恐怖を煽る音を立てていた。

 

「やめろっ! こ、こんなことして何になるんだ!?」

 

「さっきのは楽しい実験の時間。

 今は楽しいおやつの時間なの。

 おやつに"何になるんだ"なんて言うなんて、あなた変な人なの?」

 

 朝の食事でもない、昼の食事でもない、夜の食事でもない、おやつ。

 おやつとはすなわち、"してもいいししなくてもいい"食事。

 この捕食と殺人は、少女の嗜好以外の何物でもない。

 趣味ですらないのだ、この行動は。

 

「た、助け……が、あ、がぎゃぁっ!? やめ、やめ、あああああっ!!」

 

 少女は命乞いをする男の背後に回り、椅子に縛り付けられた男の背中側に回された手を見て、そこに口を近づける。

 そして、小指を咀嚼した。

 上がる絶叫。今度は薬指、次は中指、そして人差し指、最後に親指。

 指が手に繋がったまま噛み潰されるという痛みに、指を一つ食われる度、男は特大の絶叫を上げる。

 

 片手の指を全て食われ、男は発狂寸前まで追い込まれてしまった。

 だが、終わらない。

 ()()()()()()()()()()()()()

 五度連続した絶叫は、ほんの数秒の間を空けて、また五度連続して繰り返された。

 

「う……あ……あぅ……」

 

 壊れかけた心で、絶叫のし過ぎで枯れた声で、男は少女に問いかける。

 

「なんなんだっ……なんなんだよお前ぇ……!」

 

「トレーディ!」

 

 虹色の髪の少女は最後に、男の喉元に噛みつき、食いちぎる。

 そして子供が大好きな肉を食べる時そうするように、とても美味しそうに咀嚼して、口元を人の血で濡らしながら飲み込み、天真爛漫な笑みを浮かべた。

 

「わたしの名前は13番目(トレーディ)! Dr.スカリエッティの最高傑作なの!」

 

 髪の印象に引っ張られるが、その顔は。

 

 なのはやシュテルのそれと、そっくりな顔をしていた。

 

 

 




掴もうぜ、イデアシード!

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