課金厨のソシャゲ廃人がリリカルなのは世界に神様転生してまた課金するようです   作:ルシエド

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課金田一少年の事件簿 課金田一少年の殺人

 第四十二無人世界。

 それが、遺跡発掘一族スクライアが最後のイデアシードを発掘した場所であり、彼らが最後の戦いの地に選んだ場所だった。

 

「待たせたな、悪い」

 

「事情は把握してるから、なんてことないよ。かっちゃん」

 

 この世界の洞窟の一つで、ユーノ・スクライアは彼らを待っていた。

 

「はい、イデアシード。これで一応、七つ全て見つかったことになるね」

 

「ありがたい。しかしあれだな、お前とセットで見るとジュエルシードのあれこれを思い出すぞ」

 

「あはは、ここにあるのはジュエルシードじゃなくてイデアシードだけどね」

 

 これで彼らの手元には、五つのイデアシードが揃った。

 あと二つはトレーディの手の中にある。

 既にトレーディはこの世界に来訪しており、彼らを探して四方八方を飛び回っていた。彼らが洞窟(ここ)に居るのは、見つからないよう隠れているからか。

 

「それじゃあ、あいつに見つからない内にゆっちーはどっか逃げて……」

 

「一緒に戦うよ、友達だろ?」

 

「……サンキュー」

 

「本当にどうにもならなかったらかっちゃん地獄行きだろうし、僕もそれに付き合うからさ」

 

「お節介野郎め。絶対地獄には行かせないからな、ゆっちー」

 

「そんなあだ名で僕を呼ぶのは君だけだし、そう呼ばれなくなるのも寂しいってもんさ」

 

 ダメージが深く残っていて、横になって休んでいるシュテル。

 そんなシュテルの看病をしている、残量魔力も少ないリーゼ姉妹。

 やる気満々のエリオに、地獄の底まで付いて行く覚悟を決めて力を貸してくれるユーノ。

 ここに課金王を加えて全員。これで総戦力だ。

 

「ユーノ・スクライア殿、結界に関して少し相談が……」

 

「結界に関して? いいけど……」

 

 シュテルが体を起こそうとし、痛みに表情を歪めて、青年がシュテルを助け起こす。

 彼女はこういう時に考えなしに無駄なことをするタイプではない。

 青年は信頼と期待を込めて、彼女に横から語りかけた。

 

「何か策を思いついたのか? シュテル」

 

「策、というほどのものでもないのですが―――」

 

 シュテルは続けて、エルトリアの戦いを参考にしたある策を語り始めう。

 それは、シュテル対策やなのは対策に研究と進化を重ねたトレーディに対する有効打となる策であり。同時に、イデアシードの完成と"シュテル以外の誰かの奮闘"も必要となるという、かなり綱渡りに近い策であった。

 

「……確かに、あっちはガチガチにシュテル対策を固めてきてる。

 むしろ、その方が意表をつける分効果があるかもな。ゆっちー頼めるか?」

 

「知恵を貸して、手伝ってはみるけど……正直、時間足りないんじゃないかな」

 

「時間もそうですが、イデアシードの完成が前提です。すぐに使えるものではありませんし……」

 

 洞窟に隠れ、隠蔽の結界を張り、現在シュテルとエリオは魔力回復に努めている。

 だが、トレーディの隠蔽の結界をシュテルが破ったように、シュテルの可能性を食らったトレーディにも隠蔽の結界は通用しない。

 ここがバレるのも時間の問題ということだ。

 洞窟の外から聞こえるトレーディの爆撃の爆発音は、この洞窟に徐々に近付いている。

 

 シュテルは魔力を回復させながら、ロッテ・アリアの知恵を借りて、棒と地面で魔法式の計算と設計を始めた。

 青年はぼんやりとした気持ちで、洞窟の外を眺めている。

 

「……」

 

「かっちゃん、変な顔になってるよ」

 

「ん? ああ」

 

 こういう時、不敵に笑って皆を安心させるのがいつもの彼だ。どこか余裕がない。

 年単位で続き今も連日続く戦いの疲れのせいか、グレアムの死の影響のせいか。

 どちらにしろ、普段の彼らしくないことは確かだ。

 

「自分が変わって来たって自覚持つのはいいけど、自分は見失わないようにね」

 

「……ユーノ、お前」

 

「悲しい出来事ってのは笑える範囲に収まってくれなきゃ困る。

 人が居なくなることも、楽しくやっていけなくなることも、悲しいことだから無い方がいい。

 ソシャゲは一人でやるんじゃなくて皆でやるもんだから、皆で一緒に楽しく生きよう。

 全部君が子供の頃に言ってたことだ。

 それさえ見失わなければ、どんなに変わってもかっちゃんはかっちゃんだよ」

 

 12年。

 腐れ縁であれ友情であれ、幼少期からこれだけ長く付き合いが続く相手は希少だ。

 小学校の時の友人で成人後も付き合いがある相手など、普通の人には何人居るのだろうか。

 それだけ付き合いがあれば、互いに対する理解も家族に比肩するほどに深くなる。

 

「最後には笑って終われる、かっちゃんだ」

 

 ユーノもまた、彼のことをよく理解していた。

 

「きっと上手く行くって、信じよう。かっちゃん」

 

「ああ、そうだな」

 

 ユーノと話している内に、彼は子供の頃に戻ったような気分になっていた。

 昔馴染みの特権というやつだ。子供の頃の想い出を話すことで、子供の頃の楽しさや懐かしさなどを思い出し、子供の頃のようになんでもできるような気持ちを少しだけ取り戻す。

 

 ユーノがシュテルの方に行くのを見送り、青年は気合十分で回復に努めているエリオの隣にどっこいしょと座る。

 

「Kさん、行けそうですか?」

 

「大丈夫、大丈夫だ。 言ったろ? この旅が始まる前に、皆で笑って帰ろうって」

 

 今のエリオには頼り甲斐がある。青年も然りだ。

 それゆえ二人は、互いを見ることで相互に心の力を高めていく。

 

「イデアシードをささっと奪って。

 完成させたイデアシードでスカリエッティを駆逐。

 その後、手が空いた皆でトレーディを撃破……大丈夫だ。きっと上手く行く」

 

「……そうですね。勝ちましょう!」

 

「その意気だ! 全力全開!」

 

「全力全開!」

 

 勝てる勝てないではなく。勝ちたい、勝たなければ、という気持ちで男達は拳を突き上げ、気合いを入れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世界に彼らが逃げ込んで、ユーノから最後のイデアシードを受け取ってから一時間半ほど経った頃。

 トレーディは、とうとう隠蔽された彼らの気配を発見する。

 だがその場所は、彼らが休んでいた洞窟ではなく、彼らがトレーディを迎え撃つと決めた場所……すなわち、この無人世界の森であった。

 

「ドクター、森なの」

 

「森だね。仕掛けるに易し、攻めるに難し。

 少人数での集団戦において、待ち受ける側が有利になる場所だ」

 

「あ、罠があるってこと?」

 

「そういうことさ。どのくらいあるかは分からないがね」

 

「じゃ、薙ぎ払うの」

 

 トレーディの右手に、魔力で構築された刃が生える。

 

「ひりゅー一閃!」

 

 少女はそれを連結刃の形状に変化させ、横薙ぎに振るった。

 馬鹿げた出力、馬鹿げた膂力。二つが合わさり、一瞬にして森の木が一本残らず両断される。

 少女の腰の高さにあったものは全て二つに両断され、上半分が宙を舞う。

 

「派手にやりますね。……ブラストファイアー」

 

 森の全ての木が切り飛ばされ、宙を舞ったその瞬間。

 木の上に上っていた者達の一人、シュテルが砲撃を放った。

 砲撃は宙を舞う木に当たり、爆発を起こし、宙を舞う木々は一瞬にしてトレーディを飲み込む緑と茶色の雪崩に変わる。

 

「あらら」

 

 小型の魔獣の群れくらいは押し潰せそうな木々の暴力。

 こんなもので倒せるトレーディではないだろうが、トレーディの視界は確実に塞がれた。

 切り刻まれた森、森に仕掛けられた物理罠や魔法罠の残骸、それらが目を塞ぐ覆いとなる。

 

 それに紛れて、高速で跳び回るエリオが一気に接近した。

 木々とそれらが立てる音に紛れ込み、無詠唱・無音・無影の一撃を振るう。

 背後からの一撃は、完全にトレーディの意表を突いていた。

 

「その速さは、もう一回見たの」

 

「―――!」

 

「エアライナー、振動破砕」

 

 だが、エリオは目を見開く。

 トレーディの髪の毛の中から、無数の目玉がエリオを睨んでいたからだ。

 それが取り込まれた人間から抉り出し、利用している目玉だと、気付いた時にはもう遅く。

 

 エリオはノーヴェ版ウイングロードの発展型に逃げ道を塞がれ、回避に動くも距離が足らず、トレーディの心臓狙いの一撃を、足に貰ってしまった。

 万物を破砕する力が、エリオの足を原型も残さないほどに粉砕する。

 

「づぅ……っ!!」

 

 青年の回復魔法で足は瞬時に戻ったが、続く第二撃のハイキックを、エリオは防ぐことができなかった。

 咄嗟に足と頭の間に左手を差し込めたが、それだけ。

 凄まじい威力のハイキックはエリオの体を空中で何度も回転させて、地面に転がす。

 

 ここでエリオがトレーディのイデアシードを奪うというのが最も理想的な想定だったのだが、その想定は早くも千々に砕かれた。

 

「パイロシューター!」

 

 木々の合間を縫うように、シュテルは精密・高速・高威力の誘導弾を撃ち放つ。

 

「あのね?」

 

 だがトレーディは、"木々と魔力弾の合間"を高速移動技能(ライドインパルス)でするすると抜け、一息の間にいとも容易くシュテルとの距離をゼロにする。

 そうして、防御の隙間を通す斬撃ではなく、防御の上からダメージを徹す拳の打撃を選び、スバルの上位互換の拳を、シュテルの腹に叩き込んだ。

 

「か、はっ……」

 

「もうあなたの中に、私に勝てる可能性なんて、一つも残ってないの」

 

「―――っ」

 

 食らった相手の可能性を突き詰めた形で使役できるということは、可能性を吸収した時点で、対象の完全な上位互換になるということだ。

 吸収された人間はもう二度と、トレーディに勝つことはできない。

 もはや、シュテルの牙がトレーディに届くことはない。

 

 ましてやトレーディは、シュテルの方が強かった時期でもシュテルが倒しきれなかったほどに、なのはとシュテルの動きを研究させられていた戦闘機人。

 勝敗は最初から決まりきっていた。

 

「レイストーム」

 

 シュテルの腹にめり込んだ拳から、緑のエネルギーが暴風となり吹き荒れる。

 攻防自在のIS・レイストームはシュテルの意識を瞬時に刈り取り、その体を拘束する戒めとなり、殺傷力の高い爆発を起こして、シュテルを地平線の向こうまで吹っ飛ばして行った。

 

 レイストームの余波だけで立っていられなくなるほどの暴風を引き起こしながら、トレーディは残った低戦闘力の者達を見やる。

 

「人は可能性の生き物なの。

 勝てる可能性があるから挑むの。

 可能性が無いことなんてするだけ無駄なのよ」

 

「……っ!」

 

「勝利の可能性が1%でもあるなら、諦めないことにも価値はあると思うけど。

 1%と0%の間には大きな壁があるってこと、本当にちゃんと分かってるの?」

 

 徐々に知性を付けているトレーディは、無邪気に無自覚に人を戦慄させる。

 何か、何か一つ上手くハマれば、彼らにも1%の勝機はある。

 されど、それは同時に、現在彼らが勝利する可能性が0%であることも証明していた。

 

 このタイミングで回復魔法で復帰してきたエリオが、青年達を守るべく彼らの前に立つ。

 

「うふふっ、いーかげん、おーわりーにしーましょ」

 

 今日までの戦いで決定的なダメージを一度たりとも貰っていないトレーディ。

 どこか趣味の延長のような戦いしかしていなかった彼女が、とうとう『戦いに決着をつける』という意志と目的の下、今まで使わなかった攻撃を放ってきた。

 闇が吹き出す。

 痛めつけられた人々の断末魔に近い可能性が、黒く染まった可能性が吹き出す。

 加害と殺害だけでかき集められた、黒い終末の可能性。

 行き着くところまで行き着いた人の可能性。

 それは、それぞれが人の形をしていた。

 生かして可能性を吸われた者の可能性は、黒い泥人形のような姿で。

 殺害で可能性を食われた者の可能性は、黒く染まった生前の姿で。

 

 俯瞰してみれば、それはまるで、ホラー映画のゾンビの群れのようにさえ見えた。

 

「し……死体の群れ!?」

 

「可能性の群れなの、あなた達も、この内の一つになるといいのよ」

 

 トレーディは、体内の可能性を物質的な干渉として再構築し、解き放った。

 これに飲み込まれれば、そのまま捕食される。咀嚼される。

 否応無しにトレーディの一部にされる。

 オリジナルの可能性を突き詰めたものであり、知性を除けば()()()()()()()()()()()()

 これは、そういう群体攻撃だった。

 

 亡者の洪水。人の可能性という名の死が、彼らに迫る。

 数でも質でも青年達の上を行く軍団による、飽和攻撃だ。

 状況は絶望的であったが、エリオは気後れ一つ無く勇敢に立ち向かう。

 

 だが、トレーディの知性の成長は、エリオの予想の上を行っていた。

 

(髪の毛!?)

 

 立ち向かおうとしたその瞬間、その意識の隙を突くように、その意志を躓かせるかのように、エリオの足に虹の髪の毛が突き刺さる。

 一気に血を吸い上げてくる髪の毛に、エリオは半ば反射的に全身から電気を放った。

 

「このっ!」

 

 シュテルのように後天的に炎熱変換を習得した者とは違い、エリオは生まれた時から魔力を電気に変換する資質を持っていた。

 かつては怒ると勝手に電気が出てしまう困った体質として表出していたが、逆に言えばそれは、頭で魔法を使うよりも遥かに早く電気を出せる技能ということでもある。

 

 エリオは瞬時に体外放電を行い、髪の毛を焼き切った。

 電気に弱いトレーディの特性もあって、吸血を介した吸収は止められる。

 

「あら、残念なの。まあいっか」

 

 だがそのせいで、エリオの反応はワンアクション遅れてしまった。

 トレーディが可能性の洪水として放った、高ランク魔導師の残滓の一体が、エリオの鳩尾に強烈な杖の一撃を叩き込む。

 

「がッ」

 

 抗うことなどできようもない暴力の洪水が、流れるままにエリオ達を袋叩きにしていく。

 アリアやロッテも、主からの魔力供給がない状態でこれに抵抗できるはずがない。

 切り裂かれ、叩かれ、撃ち抜かれ、突き刺され、焼かれ溶かされ、滅多打ちにされていく。

 このままミンチになってしまえば、晴れてこの亡者の群れの仲間入りと言ったところか。

 

「サークルプロテクション!」

 

 だが、ユーノの防御魔法はこれにも耐える。

 この場の誰よりも防御魔法に長けるユーノは、ほんの短時間だけとはいえこの攻勢にもしっかりと耐えていた。

 この十数年で、彼の防御魔法も更に強度を増したようだ。

 ユーノは自分とKを、全方位防御にて必死に守り続けている。

 

 あと数秒は持つ、とユーノは思考しながら歯を食いしばる。

 青年はその防御魔法に強化魔法を合わせようとして……ユーノの背後に回っている、トレーディの姿を視認した。対応しようにも、間に合わない。

 青年は防御強化に使おうとしていた石を、別の目的で砕くべく握る。

 

「邪魔なの」

 

「……あ」

 

 背後から振るわれたトレーディの右手は、ユーノの頑丈な防御魔法を紙のように突き破り、背後からユーノの胸部に大穴を空けていた。

 少女の手の中でユーノの心臓が握り潰されるのと、青年の手の中で石が握り砕かれたのはほぼ同時。ユーノの心臓が再生し、傷が塞がる。

 青年は回復速度を加速させるべく更にもう一つ石を砕いてユーノを回復したが、トレーディを前にしてその行動は、自殺行為に等しかった。

 

 ユーノを見捨てていれば一撃は叩き込めたかもしれない、一瞬の攻防。

 少女は青年のその行動に、慈愛と見下しの両方の感情を浮かべた目で、青年を見た。

 

「はい、終わり。余計に二手、使っちゃったね」

 

 命は助かったものの、心臓を抜き取られたユーノが倒れる。

 その体が地に倒れると同時に、黒染めの死と可能性の群れが消失する。

 ズタボロにされたエリオ達は、青色吐息で地に伏したまま動かない。

 

「あああああああッ!!」

 

 だが、青年の悲鳴が聞こえ、彼らは限界を超えて立ち上がった。

 血まみれのエリオが、傷だらけのロッテとアリアが、一瞬前に死にかけたユーノが必死に立ち上がる。

 そして、彼らは悲鳴の理由を目の当たりにしてしまう。

 

 トレーディの口が、青年の腹を食い千切っていた。

 

「―――なっ」

 

 野生の生物がそうするように、トレーディは青年の体を押さえつけ、その(はらわた)を食らっている。

 激痛なんてものではない。

 生きたまま内蔵を食われる痛みは、地獄の苦しみと表現することさえ生ぬるい。

 

「ぐっ……この……!」

 

 青年は痛みに耐え、少女の頭を殴ったり、肘を打ち下ろしたり、最大限の抵抗を行う。

 だが、無駄だった。

 トレーディはみじろぎもしない。

 痛めつけられた仲間達の前で、青年の抵抗を楽しみながら、トレーディはガツガツと青年の内蔵を食べていく。

 

 その可能性を、捕食していく。

 

「えへへ、暖かいのね、あなたは」

 

 異性と初めて手を繋いだ少女のような表情と感想。

 少女らしく赤らめた頬を、もっと赤い鮮血が塗り潰している。

 青年と一つになることにどこか暖かな気持ちを感じ、取り込んだ可能性に本能的な歓喜を感じ、膨れる腹に満足感を感じる。

 トレーディはとても幸せそうに、彼の肉を食んでいた。

 

(……このままじゃ、死ぬ……回復、を……)

 

 石を砕く。

 悪足掻きに体の傷を治して抵抗しようとする青年だったが、何故か傷が治らない。

 青年は目を見開き、治らない傷と迫り来る死に驚愕する。

 

「なん……で……」

 

「あなたの腕を奪い取った特定の回復を封じる術式。

 あなたはどこからかそれを手に入れてたの。

 手に入れてたってことは、使う可能性ができたってこと」

 

 六年前、ウーンズはいかなる傷をも治す代金ベルカ式の使い手から、右腕を奪った。

 その魔法は、ナハトを通じて得た技術により、今やこの青年も使える魔法になっている。

 

「使う可能性があったなら、それを食べたわたしも使えるの!」

 

 ならば、その可能性を捕食したトレーディに、それが使えないはずがない。

 

「ぐ……離……っ……」

 

 抵抗するために動いていた腕が、だらりと垂れる。

 シュテルから分けて貰っていた命も、もはや風前の灯。

 このままではシュテル諸共に死んでしまう。

 最後に青年の回復魔法が仲間へと飛ぶが、石砕きでもない死に際の回復魔法では、一瞬で全回復するわけもない。彼を助けられるようにはならない。

 青年は治せない傷を抱えたまま、青い顔で瞳を閉じ、息も絶え絶えに数分後の死へと向かう。

 

 スカリエッティは最悪だ。

 なのはやシュテルと同じ顔の少女にこんなことをさせるという事を企んだ時点で、最悪だ。

 身体的ダメージはもちろんのこと、この顔のせいで精神的ダメージも加算されている。

 トレーディは、顔も、心も、能力も……この青年を殺すためにあるような存在だった。

 

 青年の肉を残らず咀嚼しようとするトレーディだが、スカリエッティがそこで待ったをかける。

 

「トレーディ、トレーディ。

 イデアシードのことを忘れないでおくれ。

 あれをちゃんと奪っておくんだ。でないと、私達が滅びてしまう」

 

 彼は放っておいても死ぬこの男にこれ以上の時間をかけるより、『スカリエッティ』を殺してしまうイデアシードの回収を優先した。

 

「あれ、でも、この人イデアシードを持ってなかったの」

 

「では他の人が持っているのだろう。それを……」

 

「んもー、ドクターは邪魔だから引っ込んでて欲しいの。

 わたしの頭も良くなってきてるから、もうドクターは要らないんだから」

 

 トレーディは半端に知恵を付けた弊害か、反抗期のような挙動を見せて、忠告するスカリエッティを自分の内側に押し込める。

 

「ああ、愛しく思ってるから、全部食べたいの。そこで待っててね」

 

 少女は名残惜しそうに、肉の一欠片も残さず食べようとしていた青年に背を向け、エリオ達の方に向き直る。

 血塗れの口元が、返り血と肉片で汚れた可愛らしい顔が、恐怖を煽る造形をしていた。

 

 愛しいと、彼女は言った。

 彼女の愛の示し方は、ただ単に痛めつけて殺すだけでなく、異能を使って全身丸ごと喰らうのでもなく、自分の口で少しづつでもちゃんと喰らうこと。

 彼女の愛は、食欲と性欲がごっちゃになっている。

 彼女の愛は、口で食べることによって表される。

 彼女の愛は、口でそう言っているだけで本当の愛には程遠い。

 『口だけの愛』だった。

 

「ねえ、イデアシードはどこ?」

 

「お前っ!」

 

「ねえ、イデアシードはどこなの?」

 

 トレーディは同じ質問を繰り返す。

 愛しく思っていないなら、食い殺そうが拷問で殺そうが、彼女にとって大差はない。

 この質問に答えなければ、待っているのは不可避の死だ。

 リーゼロッテは、少女を冷たい目で見ている。

 冷たい目を向けながら、彼女は無造作に五つのイデアシードを取り出した。

 

「あんたが欲しがっているのはこれかい?」

 

「あ、それそれ! なのなの! ちょうだい!」

 

「そんなに欲しがるんなら、くれてやるさ」

 

(え?)

 

 ロッテは結合されたイデアシードを、まとめてトレーディに放り投げる。

 その行動に、その様子に、エリオは心底驚いた。

 イデアシードを敵に渡す行為もそうだが、エリオが驚いたのはロッテの様子だ。

 

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 この青年と姉妹の繋がりの強さを、一度でも直接見たことがある者であれば、違和感しか抱かないような平然さ。

 リーゼロッテはこういう時、激昂する。弟子のために激怒する。

 そうであるのが自然なのに、そうしていない。

 その違和感の正体にエリオが気付くその前に、トレーディは投げ渡されたイデアシードをキャッチしていた。

 

「わーいっ! これで全部揃ったの! 私の手の中で!」

 

 子供は、"物を組み立てる"という行為が大好きだ。

 根気が無いから目立たないものの、"物を完成させる"という行為も大好きである。

 子供はパズルを楽しむし、簡単にくっつけたり離したりできる合体ロボ等の玩具も好きで、合体しない玩具を力任せに合体させようとしていることも多い。

 よって、当然のように。

 トレーディは、自分が持っていた二つのイデアシードも接続し、完成したイデアシードを、優勝トロフィーのように誇らしく掲げた。

 

 そして、完成されたイデアシードはバチッと漏電のような音を立て、トレーディの手の中から弾かれるように飛び出し、ロッテの手元に戻って行った。

 

「……あれ?」

 

 一度経験していれば絶対に騙されないが、経験がなければ騙されてしまうことはある。

 取り込んだ可能性を意識に干渉させないために、取り込んだ可能性の知識を直接的にフィードバックしていない、トレーディだから騙されることもある。

 イデアシードの内の一つに魔法を仕込み、子供なトレーディの思考を先読みし、物質加速魔法でイデアシードが完成してから取り上げた、この状況がまさしくそうだ。

 ロッテは魔法が得意なアリアにイデアシードを投げ渡す。

 

「遅延魔法。頭がちょっとよくなっても、経験が足りなかったね、お嬢ちゃん」

 

「あ! ずるい!」

 

「戦いで相手を騙す基本は、最適解だけを選ばないことさ。

 相手に一手譲り、いい気になった相手を誘導し、ハメる。

 汚い大人はそうやって、経験の無いカモからいいように毟り取る」

 

「悪い子供はいつの時代も、悪い大人の食い物にされてしまうんだよ。

 私らは、地獄に落ちるのが相応なことをした、とびっきり悪い大人なんだから」

 

 ロッテとアリアは諭すような言葉を、突き放すような口調で告げる。

 

 完成されたイデアシードはウーンズの技術で完成された制御魔法陣に組み込まれ、トレーディ――正確にはその中に居るスカリエッティ――に、向けられた。

 

「だから言ったじゃないかトレーディ。……ああ、これは困ったことになった」

 

「一つにまとまれ! 『スカリエッティ』っ!」

 

 トレーディの内から湧いて出て来たスカリエッティの生首が溜め息を吐き、アリアが手にしたイデアシードが光を放つ。

 光はスカリエッティに当たり、そこから全ての次元世界へと拡散した。

 一つのスカリエッティを媒体に、全てのスカリエッティに干渉する。

 全てのスカリエッティが、一つのスカリエッティへと収束する。

 一から全へ、全から一へ。

 これで全てのスカリエッティは一つにまとまり、ここで仕留められる―――はずだった。

 

「……これは!?」

 

 だが、そうはならなかった。

 全次元世界からイデアを通して集められたスカリエッティは、トレーディの内のスカリエッティと融合し、けれど分離せず、トレーディの中に留まる。

 いや、留まったのではない。

 "分離する前に吸収された"のだ。

 

「……ふぅ。今ちょっと、生まれて始めてってくらいにお腹の中、いっぱいになったの」

 

 全次元世界から集まったスカリエッティは、トレーディの力では留めることも吸収することも不可能であったはずだった。

 先程、Kから可能性と魔法の力を奪っていなければ、の話だが。

 

「……そうか。さっきの時。Kの奴から、イデアシードの力に干渉する魔法まで奪って……」

 

「一人に統合されたスカリエッティをそのまま、取り込んだのね」

 

 ロッテとアリアは瞬時にからくりを見抜き、数百のスカリエッティを取り込んで更に力を増したトレーディを、そして『トレーディの内側を避難所として使った』スカリエッティを睨む。

 

「……正直私も、私達も、運任せだったよ。トレーディがこれだからね」

 

「"これ"って何、ドクター? バカにしてるのー? そうだったら許さないのよー」

 

 現在のスカリエッティは加害で取り込まれたわけでも、殺害で取り込まれたわけでもない。

 彼女の中で一つにまとまっただけだ。出て来ることも、あるいは可能だろう。

 遺伝子の欠片一つあれば、スカリエッティは再生する。また増える。

 つまり、スカリエッティの脅威を根絶するためには――

 

「結局、トレーディを倒さないといけないわけか。面倒臭いねえ」

 

 ――このトレーディを、倒す必要があるということだ。

 

「ドクターをちゃんと殺したいなら、わたしを越えて行かないといけないの。無理じゃない?」

 

「どうやら、そうみたいね」

 

 結局、話はそこに帰結する。

 

「ロッテ」

 

「ああ、分かってるよアリア」

 

「こうなるだろうって、なんとなく予感してたのにね」

 

「ん、だね。いざとなったら……すっと覚悟が決まるもんだ」

 

 ロッテとアリアは、背後で息も絶え絶えなユーノに声をかけているエリオの存在を、耳で感じ取る。眼前のトレーディが、飛びかかるべく足を曲げているのを目で捉える。

 そして、二人でイデアシードを強く掴む。

 手を重ねる。

 心を交える。

 

「「 行こう 」」

 

 旅の前、皆で笑って帰ろうと、青年は決めていた。

 

 リーゼロッテとリーゼアリアには、笑顔で帰れなくなるとしても、守りたいものがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛びかかり、トレーディは魔力込みの手刀を繰り出した。

 相手をロクに見ないまま適当に繰り出しても、心臓を抉り出せるセンスが彼女にはある。

 ロッテなら魔力防御の技量が足らずに止められない。

 アリアなら筋力が足らずに止められない。

 どちらに当たっても命を刈り取れる、そういう一撃を、トレーディは適当に突き出していた。

 

「……あれ?」

 

 その手刀が、受け止められている。

 不思議そうに、トレーディは自分の手を掴んでいるその女を見つめた。

 見たことがあるような、無いような顔。

 気付けば、トレーディがどうでもいいものだと思っていた二人の姉妹は居なくなっていて、そこには一人の獣耳の女だけが居た。

 双子のリーゼロッテ、リーゼアリアと同じ顔。

 けれど、何かが決定的に違くて、何かが根本的に同一でもある。

 

「さっき、二人じゃなかった?」

 

「今は一人さ」

 

 理論上は可能だ。

 スカリエッティに対して使えたならば、リーゼ姉妹にも使えて当然だ。

 『双子のように近しいものを一つにする』、という術式は。

 

「あなた、誰? リーゼロッテ? リーゼアリア?」

 

「どっちでもない―――お前の敵だよ」

 

 "一人になった二人"が、掴んだ腕から見たこともないバインドを這わせ、一息の間にトレーディの全身を縛り上げる。

 

「!? 何このバインド!?」

 

「魔法無効のバインド、ストラグルバインド……それの改良版。

 魔法の力も戦闘機人の力も封じる、対あんた用のバインドさ」

 

 ただそれだけで、『一人』になった姉妹は残る魔力の七割を使い果たしてしまう。

 だが、それで十分。

 残るニ割の魔力を右手に込めて、姉妹はトレーディの顔面を抉るように殴り込んだ。

 

「時間稼ぎにしかならないだろうけど、しばらく大人しくしてろ」

 

「きゃっ」

 

 殴り飛ばされたトレーディが、縛られたまま遠く彼方の山の斜面に激突する。

 山が震えるような一撃であったが、これでもトレーディを倒すには至らないだろう。

 あのバインドが解除されるまでの間、あの悪魔が動けなくなった、それだけだ。

 ユーノを連れ、心臓抜きのダメージも回復していないユーノの弱々しい回復魔法をかけさせているエリオの傍に、一人の姉妹が歩み寄る。

 

「ロッテ師匠……それとも、アリア師匠……?」

 

「どちらでもあるし、どちらでもない」

 

 回復魔法の効果が目に見えて無いKを、姉妹が見る。

 喋る余裕も無さそうなユーノを、姉妹が見る。

 ユーノの回復魔法は、Kの余命を三分ほど伸ばすことしかできなかったようだ。

 だが、その時間こそが、姉妹の欲しかった時間であった。

 

「エリオ。私達は、これで消える。

 お前達のために戦ってやることはできない。

 でもお前達の人生は、これから先も続いていく。

 お前達の未来は、明日は、今日ここでお前達が勝ち取らないとね」

 

 一つになった姉妹が、エリオの額に人差し指を当てる。

 

 イデアシードが輝いて、姉妹の中から何かがエリオへと流れ込んで行った。

 

「これは……これって……!」

 

 姉妹は笑って、最後の教え子に勇気と使命を与える。

 

「エリオ・モンディアル。

 あんたが戦うんだ。

 あんたが勝つんだ。

 リーゼロッテとリーゼアリアの、最後の弟子として」

 

「―――!」

 

 額に人差し指を当てるのをやめ、姉妹は握った拳をエリオの胸に押し付ける。

 

「……管理局のエースって称号は、トランプのエースに由来する。

 最強のカード。不動の価値を持つカードだ。

 けれど同時に、ストライカーはトランプのジョーカーに相当する。

 ジョーカーは不動の価値を持たないが、唯一エースに勝てる切り札だ」

 

 姉妹は、覚悟を決めた。

 

「エリオ。あんたの戦闘スタイルの完成形は、既に教えた。

 そいつを使いこなせば、あんたは今よりも強くなれる。

 いいかい? 最強のストライカーは、負けないやつじゃない。

 勝つやつだ。何度負けてもいい。最後には必ず勝て。ゼストだってそうだった。

 『可能』を『絶対』に変えるのがエース。『不可能』を『可能』に変えるのがストライカーだ」

 

 姉妹は、後を託した。

 

「後を頼むよ」

 

 エリオは無言のまま、けれど強く頷いた。

 

(イデアシードは記憶を、想い出を、力に変えられるロストロギア。制御の術式もここにある)

 

 時間が無い。

 あと数分でKは死ぬ。

 おそらく、姉妹もあと数分で魔力を使い果たして消える。

 姉妹は最後の魔力で術式を組み、そこにイデアシードを組み込んだ。

 

(本来なら、時間をかけて小さな命を何度も継ぎ足す予定だったけど……

 そんな時間はない。

 そんなことをしていたらKが死んでしまう。……これも、運命ってやつかな)

 

 左手にイデアシードを。

 右手に青年の手を。

 それぞれ握り、術式を走らせながら、姉妹は優しい声色で青年に語りかけた。

 

「春にはスマホいじってるあなたと、花を見た想い出がある。

 夏にはソシャゲやってるお前と、海に行った覚えがある。

 秋にはクロノとじゃれるあなたと、山に行った記憶がある。

 冬にはクロ助と楽しそうにしているお前と、雪合戦した過去がある。

 もう、十何年も前の記憶で、想い出の中のあなたは子供だったけれど……

 楽しかった想い出も、お前に苦労をかけさせられた想い出も、数え切れない。

 思えば……悪くない時間だった。悪くない日々だった。あの時間には、憎しみも忘れていた」

 

 一つになった姉妹の手の中で、イデアシードが輝いた。

 

 姉妹は自分達が生きてきた全ての過去の記憶を、イデアシードで力に転換した。

 二人分の記憶が転換され、青年の深い傷を一瞬で塞ぐ力となり、尽きかけの生命力を補填する命の力となる。

 全ての想い出が力に変わる。

 全ての記憶が力に変わる。

 全ての過去が力に変わる。

 

 だが、そんなことをしてしまえば……姉妹の中には、()()()()()()

 

 それは、自分の人生を無かったことにするのと同義だ。

 今まで生きてきた一生を、全て零に戻すのと同じだ。

 生まれた日から今日までに積み重ねてきた幸せの記憶、楽しかった記憶、家族との記憶、辛かった記憶、悲しかった記憶……その全てを、自分の意志で捨て去るということだ。

 

 青年は止めようとするが、瀕死の体はまだ治療途中で動かない。

 

「闇の書事件の時、あんなに小さかった子に助けられて。

 今じゃ、あんなに小さかった子がこんなに大きくなって。

 ……それを嬉しく思う日が来るなんて、私達は想像したこともなかった」

 

 全ての記憶や過去を無かった事にするということは、二人の命を初期状態に戻すということだ。

 初期状態の命とは、すなわち何者にもなっていない無色の命。

 どんな命にも継ぎ足せる、どんな命にも馴染む命であるということだ。

 

 全てをリセットした後の姉妹の命を、この青年に継ぎ足せば―――シュテルと命を共有しなくても、青年は一つの命として、これから先も生きていける。

 

「なんだ、泣きそうな顔しちゃって。私達が居なくなるのが、そんなに悲しいのかい?」

 

 止めたい。青年は止めたくて仕方がない。

 体が動くなら、すぐにでも止めているだろう。

 けれど体は動かない。

 姉妹を助けるために彼が選んだこの旅路は、彼の意志に反して、"姉妹の自己犠牲で青年の命が助けられる"という結末を迎えようとしている。

 

「いいのよ、泣いて」

 

「泣きな、K。

 お父様のために泣きそうになって、でもこらえて、微笑んで送り出してくれてありがとう」

 

「でも、いいのよ。辛かったら泣いていいの」

 

 泣きそうな青年に、一つの体で二つの声色を使い、姉妹が優しく語りかける。

 

「闇の書が、私達の大切なものを奪っていって……

 憎しみだけが膨らんで、けれど私達には何もできない、そんな日々が続いて……

 この現実を、悪い夢だと思ったこともあった。悪い夢なら覚めてくれと、何度も思った」

 

 姉妹の悲しみは終わらせられた。

 姉妹の命も終わる。

 けれど、青年は終わらない。

 この姉妹が、終わらせない。

 

「でも、今ならちょっとは思える。

 この現実は……悪い夢じゃなかった……結構、いい夢だったんだなって……」

 

「あなたのおかげね」

 

 人生の最期に『悪くない人生だった』と言える以上の幸せは、この世にいくつあるのだろう。

 

「今すぐにじゃなくていい。

 今は泣いて、でもまた笑いなさい。きっとあなたはその方が似合ってるわ」

 

 アリアの声色で、弟をなだめる姉のように、優しく彼女らが語りかける。

 

「あなたはきっと、この世界で誰よりも人生を楽しんでる。

 だからあなたの周りには、何故か悲惨なことが何も起こっていないような気すらする。

 ……私達のように、それに救われた者も多いわ。

 だから笑って。あなたは私達を大好きだと言ってくれたけど、私達もあなたの笑顔が大好きよ」

 

「笑え、愛弟子。笑い飛ばしてたまには墓参りにでも来い。こいつは悲劇でもなんでもないんだ」

 

「悲劇じゃないから、覆す必要もない。悲しむ必要もない。ただ静かに、想い出にしなさい」

 

「死んだって離れ離れになるわけじゃない。

 見えなくなるだけさ。私達はいつだって、どっか遠くからお前のことを見守ってる」

 

「それから……そうだ、風邪引かないようにね。体には気をつけること」

 

「怪我もすんなよ。弱っちいんだから、戦いの時には必ず誰かを頼るように」

 

「ちゃんと野菜も食べて、体に気を付けて、長生きしなさい。すぐこっちに来たら許さないから」

 

「結婚して子供とかできたら報告に来いよ。墓の中で待ってるから、絶対来いよ」

 

「……ありがとう。私達の自慢の弟子」

「ありがとね、私達の誇りの弟子」

 

「あなたのお陰で、私達はこんなにも満足して逝ける」

「お前のお陰で、私らは何の後悔も未練もなく逝ける」

 

「どうか、あなたの未来に、幸せがありますように」

「泣け、笑え、幸せになれ。誰よりも幸せな人間になるって言葉、実践しなよ」

 

「さようなら。元気でね」

「じゃあね。しばらくは私達に会いに来ないように!」

 

 

 

 

 

 光になって、姉妹が消えていく。

 

 姉妹二人分の命が、一人の青年の命を繋ぎ止める。

 

 12年前、闇の書を倒した時に書が青年に残した最後の呪いは、こうして光に消し去られた。

 

 二人は笑顔で消えていく。

 

 後悔なんて、あるはずがなかった。

 

 

 

 

 

 変化とは、成長なのだろうか。

 いや、違う。

 傑物が老人になって老害になるように、変化とは劣化要素も内包している。

 エリオ・モンディアルが人と触れ合うという形で、成長したように。

 彼は人と触れ合うという形で、弱くなっていった。

 

 始まりは、高町なのはと出会ったことが原因だった。

 彼の歯車が狂ったというのなら、最初から狂っていたのだろう。

 次に、クロノが、クロノの父にまつわる一件が、彼の中に何かを残した。

 その何かは、高町士郎の一件で変わり、海鳴市で出会った人々に錬成され、リインフォースを救えたことで昇華された。

 

 その後に、全てを忘れた彼の心に、クラウス達が新たな土台を作った一件が来る。

 全てが終わって、ヴィヴィオ・アインハルト・ジークリンデの三人と会った時の彼を見れば分かる。

 ここで、彼の土台そのものが似て非なる別のものへと変わっていた。

 

 21年。

 21年も多くの人と出会い、多くの困難を乗り越え、多くの友と触れ合えば、変わりもする。

 変わらないものさえ、変わってしまう。

 人間には、変わらない心さえも変えてしまう力がある。

 彼の周りに居た者達は、特にその力が強かった。

 死んでも治らなかったバカを、ほんの少しでも治してしまうくらいには。

 

 あの日の約束を果たし。

 救うと誓ったユーリを救い。

 十年以上続いた闇の書との因縁に決着を付け。

 シュテルとエルトリアの仲間達との別れに、自分が自分じゃないような感覚を覚え。

 彼はとうとう、本質的に変わりつつある自分を自覚した。

 

 彼の力で救えない命、変えられない死の運命、変えてはいけない死があった。

 彼は死ぬ気で努力してそれを変えようとしたが、何も変わりはしなかった。

 グレアムの死が、彼の心を最後の舞台に誘った。

 終わらない物など無く、死なない者など居ない。

 グレアムの死は悲劇でもないから、覆すことが正解でもない。

 ただ、悲しいだけだった。

 それを悲しいと思い、彼らしくない反応を見せている時点で、彼はもうかつての彼ではなくなっていた。

 

 変わらないはずだったものでさえ、変わる。

 彼は彼のまま、彼でないものへと変わっていった。

 

 海の青が空の青に変わるような、そんな変化だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エリオは、まず自分の目を疑った。次に自分の正気を疑った。最後にこれが現実かを疑った。

 

(なんで)

 

 信じられない光景があった。

 

(なんで、こんなに、僕は驚いているんだろう……?)

 

 姉妹が消えて、青年の傷が塞がり、青年の尽きた命に姉妹の命が継ぎ足される。

 それだけの光景だったはずなのに。

 

「う……ああああ……!」

 

 何故。

 

「ちがう……ちがう……そうじゃない……そうじゃ……ああああっ……!」

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「グレアムさんは、助けられなかったから……せめて二人だけはって……

 あ、あああっ……ぐっ、っ、助けられたら、助けられなかったことにも、意味はあるって……」

 

 こんなにも、エリオは心揺さぶられているのだろうか。

 

「ごめっ……オレがっ……オレが、弱くて、大口叩くだけで、何もできないせいで……!」

 

 エリオの中で、この青年は泣き顔なんて絶対に浮かべない人だった。

 周りの人が泣いていても、一人だけ笑っている人だった。

 人前で泣くことだけは絶対にないと信じている人だった。

 一人だけ笑っていて、周囲の泣いている人に、笑顔を伝染させる人だった。

 そう、思っていた。

 

(笑ってない。泣いてる。なんで僕は、この人が泣かない人だと思っていたんだろう)

 

 少年は彼を、ダメな大人だと思っていた。

 けれど、ダメな大人であると同時に、強い大人であるとも思っていた。

 エリオが信頼する大人であるフェイトが、信頼している男でもあった。

 だから最後は、彼がなんとかしてくれるんじゃないかって、心の底では思っていた。

 

(いつも笑ってるあの人が、泣いてるだけなのに)

 

 笑顔で帰ろうと言った本人が、泣いている。

 彼が本当に助けたかった人は、助からなかった。

 助かる道はあったはずなのに……その道は、邪悪な行動と、愛ある善意によって、断たれてしまった。

 

(なんで、こんなに―――)

 

 敵が戻ってくる。

 トレーディの気配と魔力が近付いて来る。

 エリオは立ち上がり、一人それを迎え撃つべく動いていた。

 

 ユーノとKは、連れて行かない。

 勝てるかどうか、どう勝つか、どうすれば勝てるか、そんな思考は既に少年の中に無い。

 少年の瞳に、かつてない色と光が宿る。

 少年の心に、かつてない熱と力が宿る。

 ガチリと、少年の中で何かが噛み合う。

 エリオは自分でもどういうものなのか分からない何かに突き動かされ、槍を握っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 姉妹にかけられたバインドをなんとか解除して、トレーディは元の場所に戻ろうと動く。

 そこで、迎え撃ちに来たエリオが彼女の視界に入って来た。

 彼女の目に映るのはエリオだけ。他には誰も居ない。

 黙り込んだまま掴んだ槍をだらりと吊り下げているエリオを見て、少女は小首を傾げていた。

 

「あれ、一人? さっきの人は? あなた一人じゃ相手にならないと思うのよ」

 

「構うことはない。一人づつ殺しなさい、トレーディ」

 

「はーい」

 

 先程の失敗で何か学んだのか、スカリエッティの助言を素直に聞くトレーディ。

 だが、トレーディの目はエリオを見ていても、エリオの目はトレーディを見ていなかった。

 その目は、どこか遠くを見ていた。

 

「泣いていたんだ」

 

「はい?」

 

 その声には、後悔と無力感が込められていた。

 

「尊敬してたんだ、あの人を。

 いつだって笑顔のあの人を。

 周囲に笑顔を振りまくあの人を。

 笑顔を伝染させるあの人を。

 皆が笑ってるのが一番だと思ってるあの人を。

 呆れの笑いに楽しい笑い、親しみの笑い……あの人の周りには、色んな笑顔があった」

 

 ダメなところも見て、いいところも見て、その上でこの少年はあの青年に好感を抱いていた。

 

「どんな時でも、笑ってる人だった。

 ミッドチルダが闇に飲まれたときも、笑ってどうにかした人だった。

 あの人が笑って"大丈夫だ"って言ってくれれば……

 何故か、本当にどうにかなる気がしてきて、どうにかなる……そんな人だった」

 

 子供の頃のあの青年は、揺るぎなくそういう人物で。

 今の青年がそういう人物であるということも、間違いではなくて。

 けれども、その強さだけが、今の彼を作る全てではなくて。

 

「僕は、悲しければ泣き、辛かったら挫けそうになる人間だったから……

 あの人の心の強さに憧れてた。

 あの人は、僕より強い心を持っているんだと思ってた。

 僕もよりも立派で、強く優しくて、感情をコントロールできてる人なんだって」

 

 彼の笑顔に、エリオは自分に無い強さを見て。

 

「でも、違った。泣いてたんだ」

 

 彼の笑顔が失われて、始めてエリオは彼の弱さに気が付いた。

 

「僕に、力が足りなかったから。

 僕が、守るべきものを守れなかったから。

 どんな時でも笑顔でいようとするあの人を。

 笑顔で居続けるべきあの人を―――泣かせてしまった」

 

 泣かせてしまったんだ、とエリオは心の中で繰り返す。

 

「笑顔で居ようとしていたあの人を、泣かせてしまった

 皆の笑顔を守るあの人の笑顔は、あの人の周りに居る誰かが守らないといけなかったのに。

 シュテルさんが、なんで傍にいて、その笑顔を守ろうとしてたかを……

 結局僕は最後まで、こんなにも手遅れになってしまうまで、気付けなかった」

 

 エリオは日々の中で強くなり、彼は日々の中で弱くなった。

 泣かないように強くなろうとするエリオとは対照的に、泣かない彼はいつしか泣いてしまう男になってしまった。

 その弱さを、エリオは否定しない。

 少年が否定しているのは……姉妹の命も、彼の笑顔も守れなかった、自分の無力だ。

 

「僕は、お前達を許せない。

 守れなかった僕も許せない。

 カミナリ親父とか、怒りをカミナリに例える言葉の意味が、今ならよく分かる。

 ……今、僕の中に渦巻いているこの怒りは、僕の雷を、より強くしてくれている」

 

 だから、エリオは。

 フェイトを真似て自分で組み上げ、リーゼ姉妹がフェイトのそれを参考にして完成形まで持って行ってくれた、一度も使ったことがない切り札を切る。

 

 

 

「ストラーダ、リミットブレイク! ―――ソニックフォーム・エヴォルト!」

 

《 Sonic Form EVOLUT 》

 

 

 

 それは、数日の師弟の絆が完成させた、エリオだけのソニックフォーム。

 ズボンが長ズボンになり、インナーが伸長する。首周りも覆われる。

 外から見える肌が顔だけしかなくなってしまうくらいに、服の面積が増大していた。

 

「これは……『服面積が増えるソニックフォーム』だと?」

 

 スカリエッティが驚く声を上げ、エリオが踏み込む。

 その瞬間、スカリエッティの視界からエリオが消失した。

 トレーディが目を見開き、魔力刃を生やした両の腕を上げ、エリオの初撃を防御に動く。

 瞬く間に叩き込まれた斬撃の数は98。

 トレーディはその内97の斬撃を超反応で弾いたが、全ての斬撃を追い切ることはできず、脇腹を浅く切り裂かれていた。

 

「……え」

 

 単純に速度で上を行かれたことに、トレーディは更に驚いた。

 虚実緩急織り交ぜて動き回るエリオは止まらない。

 続き放たれる槍先の突き。先程よりも速い攻撃速度で放たれた刺突は、一瞬の間に74撃。

 トレーディはその内70を弾くが、強化された彼女の体に一瞬にして四つの穴が空けられた。

 

 速過ぎる。

 いくらなんでも、速過ぎる。

 

「ドクター、ドクター、どういうこと!?」

 

「そうか。バリアジャケットの防御機構をカットし、面積を増大。

 バリアジャケットを鎧ではなく、空力制御と加速魔法の基点として特化させる。

 フェイト嬢のような、面積を『減らし』てリソースを確保する発想ではない。

 バリアジャケットを翼やブースターに見立て、『増やす』ことで加速させるソニックフォーム」

 

 その高速移動を構築する魔法のタネに、スカリエッティは素直に感嘆の声を漏らした。

 

「バリアジャケットを『小さくする』ソニックフォームから着想を得た……

 バリアジェケットを『薄く広げる』、全身を覆うソニックフォーム! これは面白い!」

 

 このリミットブレイクフォームとして顕現しているソニックフォームは、姉妹の遺作だ。

 フェイトの数倍の魔導師戦歴と人生経験が成したものであると言えよう。

 だが、エリオが継承したのはこの力だけではない。

 

「というか、ドクター、これ……速くなっただけじゃないの! ()()()()()()()の!」

 

 あの時、エリオの額に触れた時。

 想い出を力に変えるロストロギアで、リーゼ姉妹は全ての技と経験を、エリオの力へと変えた。

 

「この動き、この癖、この魔力運用……

 そうか、リーゼロッテとリーゼアリアの技の記憶と経験をも、継承したのか!」

 

「ああ、そうだ……僕はあの二人に、全てを託されたんだ!」

 

 数十年の研鑽・経験・技の全てが、今のエリオの中に在る。

 

 "リーゼ姉妹の最後の弟子"を名乗るに恥じないものが、エリオの中に息づいているのだ。

 

「いやはや、素晴らしい。

 彼の『笑顔で居られればそれが一番』という考えには共感するものがあったが……

 それが交友の果てにこんな傑物を生み出すとは!

 最近はつまらない人間になってきたと思っていたが、まだ捨てたものではないか。

 まだ彼は昔の彼のような存在にも戻れるかもしれないな。

 自分の笑顔のためになんでもできる彼に、昔の私が自分を重ねて共感したのを思い出したよ」

 

「―――」

 

 とんでもない奇跡に、スカリエッティはかつてあの青年に共感を抱いたことを思い出していた。

 規格外で予想外。

 あの青年が少年だった頃、スカリエッティは欲望と笑顔を優先するKの中に、自分と同じものを見た。

 

「あの人が、あの猫さん達の命を吸収して?

 あなたが、あの猫さん達の技を吸収したの?

 あ、じゃあやっぱり、わたしとおんなじなの!

 わたしとおんなじな人がいっぺんに二人も増えたなんて、嬉しいなぁ」

 

「―――」

 

 トレーディも同様に、エリオと青年に共感を抱いているようだ。

 

「……お前達と」

 

 そんな二人の言葉が、エリオ・モンディアルの逆鱗に触れた。

 

「お前達と、一緒にするな」

 

 少年は道を示す槍(ストラーダ)の槍先を、トレーディへと向ける。

 

「他人から奪うことしか考えてないお前と、一緒にするな!」

 

 少年は道を示す槍(ストラーダ)の槍先を、スカリエッティへと向ける。

 

「自分だけが笑っていればそれでいいお前と、一緒にするな!」

 

 いつの間にか、彼と同じように"皆が笑っているのが一番だ"と思うようになっていたエリオ。

 奪うのではなく、託され、与えられてきたエリオ。

 守れなかったことを悔いているエリオ。

 

「お前達とは違うから! あの人は今、泣いているんだ!」

 

 エリオもまた、スカリエッティやトレーディとは違うから、辛いのだ。

 

 トレーディを超える速度の斬撃が、ちょっとやそっとのダメージでは死なない少女を切り刻む。

 十や二十切った程度では、苦しむ様子さえ見せやしない。

 ならば千でも万でも切ってやると、エリオは沸騰する覚悟を更に加熱させる。

 

「お前が僕の何千倍強くても。もう僕は、お前に影も踏ませない」

 

「……!」

 

「覚悟しろ。お前が流させた、他人の涙の数だけ僕は……お前に報いを受けさせるっ!」

 

 叫び声よりも更に大きな、轟雷の如き怒りがあった。

 

 

 




 作中時間で12年、その変化が形になってしまった瞬間

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