課金厨のソシャゲ廃人がリリカルなのは世界に神様転生してまた課金するようです   作:ルシエド

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ソシャゲの闇の書


主人公「そうだな……『祝福の風』という意味の『サンタナ』という名前はどうかな?」はやて「は?」(威圧)

 眠り続ける少年を、なのはやフェイトを始めとした友人達が見舞っては去って行く。

 アースラの医師は見舞いに誰かが来るたびに、少年の状態を説明し続けた。

 

「体内のダメージが甚大です。

 通常、ソシャゲのアカウント等を取られたくらいでこうはならないのですが」

 

 この少年は常に現代医学を敗北させている。

 そのため、医師から常に微妙な目で見られていた。

 医学で治せない課金癖を持ち、難病を課金で治し、今はこうしてソシャゲのアカウントを取られたショックで大出血しているというのだから、その視線も残念ながら当然と言えよう。

 

「体全体で叫んでいるかのようです。"あれはオレの命より大切なものだったんだ"と……」

 

 フェイトの介入のおかげで、アカウントの全てを奪われることだけは避けられた。

 だがいくつかのアカウントと、石・ドリンク・菓子などといった擬似ゲーム内通貨、Googleのアカウントに溜め込まれた金、及び口座の全額が強奪されてしまっていた。

 課金で出た最高レアが失われたのは勿論のこと、今から再度ソシャゲを始めても二度と手に入らない限定イベント配布レアなども失われ、それによる精神ダメージは計り知れない。

 

 その精神ダメージの一部が、肉体にフィードバックしていた。

 

「現実を拒絶した子供の目が見えなくなるのと同じです。

 極度の精神的ショックが、彼の体に物理的な損壊を発生させている。

 つまりアカウント等の課金データ全てを抜かれたせいで、この子は死にかけたんです。

 バカじゃねーのと思うかもしれませんが、この少年ならばありえます。ありえるんです」

 

 少年のガチャ能力は世界と魂と精神と金を繋げる力。代金ベルカ式は金と魔力を繋げる術式。リンカーコアも当然、遠回りに精神と金と魂とを繋げている。

 そのせいか、彼は自分が登録していたソシャゲから引退する前にサービスが終了する等のことがあった場合、精神ダメージの影響で吐血等をしてしまう体質になっていたようだ。

 

「しかもリンカーコアを抜かれた直後に無理をし過ぎました。

 痛いのを我慢して丁寧に魔法使ったとかじゃないですからね?

 この子、たぶん喜々として課金して最高のテンションで魔力ぶっ放しましたからね?」

 

 後先考えない、何も考えず金を注ぎ込み課金の快楽に身を任せるのが彼の真骨頂だ。

 それのおかげで勝利に繋がったとはいえ、彼の体はボロボロだ。その姿は橘朔也という名のヒーローのようでもあり、橘ありすというアイドルに全財産を吸われた課金兵のようでもある。

 医師はアースラの搭乗員の一人に、こうして懇切丁寧に少年の状態を説明していた。

 

「あ、それと、頭の中をスキャンしても特に異常は見られませんでした……」

 

「なんで悔しそうにしてんだ医者。喜べよ普通に」

 

「手術で物理的に治せる可能性が無くなったのが悔しいのです……」

 

 現代医学、及びミッド医学は今日も敗北している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴォルケンリッターに傷付けられた少年は、目を覚まさない。

 覚めない夢の中を転がり落ちていくように巡り、少年は過去の記憶に浸る。

 息を切らして倒れているクロノ、笑う二人の師匠。そんな三人の近くでゲロを吐いている自分の姿が、その記憶が、彼の夢の中で再現されていた。

 

―――ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、おい、このバカ、立たないともっと酷い目に遭うぞ……

 

 クロノと少年には、二人の師匠が居た。

 適当でからかい好きで格闘戦の達人である、リーゼロッテ。

 素行がよく頭脳派で魔法戦の達人である、リーゼアリア。

 二人はアルフと同じ"使い魔"であり、最終的にクロノを管理局でも指折りの魔導師に、少年を100万課金しても雑魚な魔導師から1万課金で十分戦える人間にまで鍛え上げた、名教官だった。

 

―――昨日は本当に酷い目にあった……おい、僕の話を聞いてるか?

 

 リーゼロッテは、代金ベルカ式の危険性を特に訴えていた女性だった。

 よって課金に依らない格闘技を教え込み、代金ベルカ式の強さ抜きでの少年の弱さと少年の課金癖に心折れかけ、それでも少年を鍛え上げてくれていた。

 致命的にセンスのない少年は鍛え終えても平均以上にすらなれなかったが、それでもロッテは根気強く教え続け、少年が本当に必要な時、大切な人を守るため動ける程度の力をくれた。

 だからか、少年は一人の師匠としてロッテを尊敬していた。

 

―――お前がいくらバカだったとしても、一度弟子に取ったんだから最後まで面倒見るって

 

 リーゼアリアは、頼りになる年上の女性として少年に接した。

 魔法を得意とする彼女は、代金ベルカ式の被害総額を抑えるシステムをアンチメンテに組み込んだほどの秀才である。

 また、それ以外にも知識面で少年を鍛え上げていた。

 彼女は少年が戦闘に向いていないことも、代金ベルカ式なんてものを引っさげて前線に出ることの馬鹿らしさも認識していて、彼に後方向けの技能を叩き込んだのである。

 優しい彼女に、少年は純粋な敬意を向けていた。

 

―――怪我してるじゃない。どこで怪我したの? ほら、見せて

 

 夢の中で少年は、ゲロを吐きながらクロノと共に厳しい訓練を乗り越えて行く。

 今でも時々"あの頃にもう一度戻ってみたい"と思える、苦しくも楽しくて幸せな記憶。

 けれど、少年は知っている。

 ガチャで爆死した後、石返せと思うことの無意味さを知る少年は、知っている。

 過ぎ去った過去には戻れない。

 想い出の中には帰れない。

 人生の中で同じ時間を過ごせるのは、一度きりなのだ―――と。

 

 そうして彼は、目を覚ます。

 

「!」

「目が覚めたんだ、K!」

 

 なんという偶然か。ロッテとアリアとの記憶を夢に見ている最中に目が覚めてすぐ、少年の目の前にはロッテとアリアの顔があった。

 二人の他には誰も居ない。

 彼は知るよしもないことであったが、この二人が見舞いに来たのは今日この時が初めてであったため、彼がここで目を覚ましたのは本当に奇跡のような偶然であった。

 

 少年は声を出そうとするが、異様な気怠さに意識を持って行かれそうになる。

 "300連ガチャSSR一枚もなし"の悲劇を平然と乗り越えた彼の精神力をもってしても、か細い声を漏らすのが精一杯だった。

 

「……先生、お嬢さん?」

 

「そうだよ! あんたがこうなったって聞いて、すっ飛んできたんだ!」

 

 少年は二人から『K』と呼ばれ、ロッテを『先生』と呼び、アリアを『お嬢さん』と呼ぶ。

 

 この奇妙な呼称は、からかい好きなロッテがクロノをからかうために少年を巻き込んで色々考えていた時期からずっと続いている。

 比較的頭脳派なアリアと課金少年は、いくらか本の貸し借りをすることがあった。

 このあだ名はその際、少年によって付けられたからかいのあだ名である。

 

 つまりクロノがK、少年のメイン師匠なロッテが先生、礼儀正しいアリアがお嬢さん。

 だったのだが、「僕のイニシャルはKじゃなくてCだ」というクロノのド正論が放たれる。

 驚愕するかっちゃん。

 おののくロッテ。

 呆れ顔のアリアとクロノ。

 かくしてクロノ=K説はどこかに行ってしまう。

 Kの席は空席となり、仕方なく少年がそこを埋めたという悲しい経緯があった。

 

 おふざけで付けたあだ名は、なんとなく定着し、彼らの関係をそのまま表すものになった。

 二人のリーゼを師に持ちされど敬意は薄いというクロノが居たせいか、ロッテは自分を師匠として尊敬するその呼称を、アリアはなんとなく自分が若く見られている感じのその呼称を気に入ったらしい。

 あの頃は楽しかった、とはっきりしない意識の中で、少年はぼんやりと思う。

 

 だが、少し気分が明るくなった様子の少年とは対照的に、ロッテは寝たままの少年の手を取って謝罪の言葉を述べ始めた。

 

「ごめん、ごめんな……」

 

 謝るロッテに視線をやる少年は、ロッテの背後のアリアの表情までは見えない。

 

「なんで、謝るんですか? 先生」

 

「―――」

 

 ロッテとアリアを比べれば、アリアの方が頭脳派で演技派だ。

 だが、ロッテにも顔に浮かびそうになった罪悪感と後悔を隠す程度の演技力は備わっていた。

 

「……ごめんな、いざって時に傍に居てやれなくて。守ってやれなくて」

 

「いえ、そんな」

 

「もう大丈夫だ。お前が狙われることなんてないし、もう狙わせないからな!」

 

 クロノはロッテとアリアと師弟関係であると思えないくらいに気安く、弟子が師匠を呼び捨てにすることなどザラで、歳が近く遠慮のない姉弟のような関係だった。

 対しこの少年はロッテに対し師匠として確かな敬意を持ち、アリアに対し年上の尊敬する女性への態度を徹底していた。ロッテとアリアもまっすぐに慕ってくる少年を好ましく思い、可愛がり、こちらの場合は年の離れた仲の良い姉弟のような関係が構築されていた。

 

 遠慮がないように見えるのがクロノの関係、仲が良さそうに見えるのが少年の関係。

 強い信頼関係があるのは、どちらも同じ。

 

「……」

 

 だからだろうか。

 ほんの僅かな違和感を、少年が感じ取ったのは。

 

「失礼す……、! 起きたか!」

 

 そこで入って来たのはクロノ。彼はすました顔をしていたが、少年が目を覚ましたことを認識するやいなや、小走りで少年の横に駆け寄った。

 

(医者の話では体の調子は相当に悪いらしい。無茶はさせないように……)

 

「あ、クオン。小遣いくれ。課金したい」

 

「……ったく! 君は本当に! いつも通りで心配する気も失せる!」

 

 クロノは少年の意図を察し、少年に小銭を投げつける。

 少年は小銭で課金石(ジュエルシード)を購入。

 ジュエルシードをそのままその場で丸かじりした。

 

「相変わらずまっずい……」

 

 術式展開をするよりも時間がかかるやり方だが、術式展開の負担がない分、今の少年には適したやり方だろう。

 石を噛んで割り砕き、胃の中で石を溶かす方式での代金ベルカ式・『状態異常+HP完全回復』。

 既に回復魔法で体表の傷を治されていた少年の体の中の、深層のダメージが抜けていく。

 

「どうだ? 治ったか?」

 

「……いや」

 

 だが、少年の体を包む異様な倦怠感などの状態異常は、そのままだった。

 

「治りきってない……?」

 

 戸惑う少年達の前に、扉の向こうから一人の女性がやって来る。

 

「当然よ」

 

 その女性は淡々とした語調で言葉を紡ぎながら、カルテ片手にやって来た。

 

「あなたは自分の内に刻まれたダメージの本質を理解していないようね」

 

「プレシアさん!?」

 

 少年に、とびっきりの驚愕を与えつつ。

 

 

 

 

 

 プレシア・テスタロッサは、現在罪状が確定し、その償いのためにするあれこれの手続きをしている最中だ。

 決して暇ではなく、また、ここでこの少年を助けることで彼女に発生するメリットはない。

 だが、彼女はクロノの求めに応えてくれた。

 

「彼女は人体というものへの理解において、類を見ないほどのエキスパートだ。

 だから僕は彼女を頼った。アースラの医療チームだけでは足りないと思ったんだ。

 君の状態を話して協力を要請したところ、協力を快諾してくれた。君の命を繋げてくれたんだ」

 

「プレシアさん……」

 

「勘違いしないでもらいたいわね」

 

 彼女は悪い顔色と表情を誤魔化すように、髪をかき上げる。

 

「あなたと私の間に、もう貸し借りはないわ。

 私がここに居るのは……

 あなたが私の娘の友達で、あなたに何かあれば私の娘が泣くからよ」

 

 "どちらの娘なのか"をはっきり言わないのが、なんとも彼女らしい。

 

「あなたが寝込んでから目覚めるまで、代わる代わる何人もの人が来ていたわ。

 心配される身の上なら、過剰に無茶をするのはやめなさい。

 その人達はあなたが望まなくともあなたを助け、あなたが望まなくともあなたを心配するのよ」

 

「……すみません」

 

 プレシアは静かで淡々とした語調で語る。

 自然と姿勢を正してしまうような、そういう語り方だった。

 少年の将来の身を案じるがゆえの釘を刺し、プレシアはそこから元の話題へと戻した。

 

「あなたという存在は今、根本的な部分が欠けている。

 いえ、"奪われている"とでも言うべきかしら? アカウントのことだもの。

 それを後から干渉して戻すなんて、欠けた腕の自然治癒を待つようなものよ。

 あなた風に表現するのなら、課金してBANされたアカウントを戻そうとするようなもの」

 

 ヴォルケンリッターにアカウントを奪われた喪失感と心的ショックは、彼の体に悪影響を与えている。そのため、彼の体の傷は心の傷であり、通常の手段では治癒できないのだ。

 少年の体を調べただけでそこまで辿り着けるプレシアは、まごうことなく『生命』に関するエキスパートであった。

 

ヴォルケンリッター(あいつら)をどうにかしない限り、どうにもならないってことですか……」

 

 少年がベッドで横になったまま、腕を組んで悩み始める。

 ヴォルケンリッターは捕縛した。ならこれからすべきことは……と、少年が悩み始めたのを見たクロノは、少し申し訳無さそうに声を上げる。

 少年だけでなく、この場に揃ったリーゼ達やプレシアにも『警告』する言葉だった。

 

「その件だが、ここに居る全員に一応聞いておいて欲しいことがある」

 

 苦々しい、忌々しい、そういった気持ちを抑え込み、クロノは出来る限り淡々と話す。

 

「捕縛されていたヴォルケンリッターが、脱走した」

 

「……は?」

 

 高ランク魔導師であれば誰でも狙う無差別犯に近い、そんな騎士達が脱走したという事実を。

 

「内通者の存在はほぼ確定事項だ。

 これは前代未聞の事件になるかもしれない。

 管理局員が、捕縛した犯罪者を逃がしただなんて……それも、あの闇の書の守護騎士を」

 

 そんな騎士達が管理局を脱走したという事実が示す、とびっきりの危険性を。

 

 

 

 

 

 時は少々遡る。

 

 

 

 

 

 まだ少年が起きていなかった頃、クロノは少年が寝ている医務室に四六時中居ようとする子供達を無理矢理ミーティングルームまで引っ張って行っていた。

 闇の書に関する情報や危険性をなのは達に知らせることで、彼女らの意識を切り替えさせ、寝込んでいる友が気になって戦えないという状況を回避しようとする配慮だ。

 なのは、ユーノ、フェイト、アリシアなどは年齢的にもまだ幼い部類である。

 クロノの配慮は、最善手と言っていいだろう。

 

 ミーティングルームに集めたメンバーの前で、クロノは懐から取り出したハンカチを広げる。

 

「君達は、このハンカチが何に見える?」

 

「? ただのハンカチに見えるけど……」

 

 そのハンカチを見て、ユーノは首を傾げる。

 クロノが苦笑して、フェイトとアリシアはそんなクロノを見て不思議そうな顔をして、双子のように同様に表情を動かしていた。

 

「これは父の形見のハンカチなんだ。

 11年前父が死んだ時、墓前に断りを入れて一枚貰ったものでね」

 

「! ご、ごめん、ただのハンカチだなんて言って……」

 

「いや、気を使わなくていい。これがただのハンカチであることに変わりはない。

 これは僕にとってただのハンカチではなく、僕にとって価値が有るというだけの物だ」

 

 クロノはハンカチを丁寧に畳み、テーブルの上に置いた。自然と皆がそれを見る。

 

「重要なのは、"僕にとって"という部分だ。

 これは社会の中で一般的に価値があるものじゃない。

 だけど僕にとっては価値がある。認識の違いが、『○○にとって』という価値の差になるんだ」

 

 認識の違いが、価値の差になる。

 商品の価格の差に現れるような価値の差とは根本的に違う。クロノがこのハンカチに付随した『父との想い出』という価値に、値段を付けることはできないからだ。

 想い出が産む価値というものは、"○○産地で作られた野菜です"といった、価格の差に現れる情報付加価値とは全く違うものである。

 

 価値とは、人の認識が産むものだ。

 そしてそういった価値の中には、"社会の大半が価値を認めない価値"というものがある。

 そういった"価値"は、手元に何も残らない『虚構の価値』と言い換えることもできる。

 

「本質的に意味の薄い闘争の果ての勝利で得られる優越感。

 百円の価値の物を百円で買うのではなく、百円ガチャを百回回して獲得させる射幸心。

 使用した金の額と明らかに不釣り合いなイラストとデータに感じる恍惚。

 一人用のゲームとは明確に違う、人と人を比べさせ競わせるシステム。

 ……そして最後には何も手元には残らない。ソーシャルゲームは、虚構の価値の塊なんだ」

 

「虚構の、価値……」

 

 なのはが呟く。

 その呟きはずしんと重く、実感がこもっていて、万感の想いが込められた呟きであった。

 何しろなのはの幼馴染はアレだ。実感もこもるというものだろう。

 

「"虚構の価値を滅ぼすべし"と定義を与えられたものが暴走する。すると、どうなる?」

 

 クロノはそう言い、ミーティングルームのモニターを操作した。

 すると、"前回の闇の書"が暴走を始めた場面が映し出される。

 闇の書はとある星の首都の中心で、巨大な渦のような闇へと姿を変えていた。

 

 インターネット上で得られる名声。

 少しネット断ちすれば消えてなくなる、顔も知らない誰かとの心の繋がり。

 時間を大量に食う割に将来手元に何も残らないゲームのデータ。

 作り物の世界と舞台の中で、積み重ねられる称賛と功績。

 クリックを数回するだけで消えてなくなる『価値』は、どれだけあるのだろうか?

 

 それらを喰らい尽くし、ソーシャルゲームの闇から生まれた書は成長を続ける。

 

「人はこの世界の中に、どれだけの虚構の価値を内在させていると思う?」

 

 モニターの中で闇の書は『あらゆる虚構の価値』を喰らい尽くし、消し去り、暴走の果てにこの世全ての『あらゆる価値』を喰らい尽くして無かったことにしようとする。

 闇は渦を巻き、地上から空へと伸びていく。

 やがて闇の書の闇は、数百kmの横幅と雲よりも高い身長を兼ね備えた、信じられないサイズの化物へと姿を変えていた。

 

「それを喰らい尽くそうとする魔道書は、最終的に――」

 

「……う、わっ」

 

「――どうなると思う?」

 

 世界を壊す闇が蠢く。

 その闇に管理局の船や魔導師が果敢に挑み、けれど片っ端から落とされていく。

 やがて最後に残った一隻の船が、退却していった仲間達を見送りながら、玉砕覚悟の特攻を仕掛けて行った。

 

『こちら、エスティア艦長クライド・ハラオウン。これより攻撃を―――』

 

 クロノはそこで、映像を切る。

 一瞬だけ出た名前を聞き、クロノがそこで映像を切った理由を想像し、この場の皆が言われずとも理解していた。

 彼の父がどこで死んだのか。

 彼の父が何故死んだのか。

 彼の父を誰が殺したのか。

 クロノは父の最期に思いを馳せる様子も見せず、仲間達に闇の書の危険を語り聞かせ続ける。

 

「壊しても壊しても、世界を巡り転生するロストロギア。

 このロストロギアは魔法を取り込み、己が物とする魔道書だった。

 それが暴走の過程で転じて、魔法を略奪し、全てを破壊する魔道書になる。

 ならば他人が持つ虚構の価値を取り込み、己が物とする機能はどうなるか。

 答えは一つしかない……『価値』を略奪し、全ての『価値』を否定する機能が働く」

 

 ごくり、と誰かが唾を飲み込んだ。

 倒してもいずれ復活する。起動の過程と起動の結果において大規模な被害を出す。

 その上、衛星軌道上から肉眼で見えるほどのサイズにまで成長する……これではまるで、描写過剰なSF作品に出て来る大怪獣のようだ。

 

「これがロストロギア・闇の書。

 そして君達が先日戦った騎士達は、闇の書の騎士・ヴォルケンリッター。

 かの騎士達を捕らえられてよかった。闇の書の起動を許してしまえば、その果てに―――」

 

 闇の書が復活するために必要なリソースを人から蒐集する騎士達を捕まえた以上、闇の書が起動する可能性は著しく低くなった、とクロノが言いかけた、まさにその時。

 

「大変大変大変ッ!」

 

 ミーティングルームの部屋を蹴り開けて、エイミィが部屋の中に転がり込んで来る。

 何事かと思わせる間も空けず、エイミィは矢継ぎ早に凶報を叫ぶ。

 

「大変だよクロノ君! ヴォルケンリッターが、脱走したって!」

 

「……くそったれ」

 

 クロノが汚い言葉使いでそう呟いたことを、誰が責められようか。

 

 ヴォルケンリッターが脱走したとの報が届いてから、かの課金少年が目覚めるまでの間、アースラには緊迫した空気が張り詰め、誰もが闇の書の恐ろしさを考えずには居られなかったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話をしよう。

 

 闇の書とヴォルケンリッターの危険が地球に現れ、ヴォルケンリッターが活動を始め、ヴォルケンリッターが捕まって、ヴォルケンリッターが脱走した後の話をしよう。

 

 地球の海鳴市という場所に、八神はやてという少女が居た。

 少女は普通の少女であった。……過去形である。

 

 『普通の少女』を『普通でなくいい子』にしてしまったのは、彼女の"運が悪かった"という事柄以外に、何一つとして理由を求めることができないだろう。

 彼女の両親は彼女が幼い頃に死んだ。

 八神はやては運が悪かった。運悪く両親が死んで、運悪く両親と一緒に逝けなかった。

 彼女は歩けなかった。

 八神はやては運が悪かった。闇の書に選ばれる才能を持ってしまっていた。闇の書は、彼女の足の機能を理不尽に奪い取っていた。

 彼女は両親が死に、一人で歩けもしない状況で、一人で生きざるをえなかった。

 八神はやては運が悪かった。誰かの思惑、巡り合わせの悪さが噛み合って、ずっとずっと孤独に一人で生きてきた。

 

「へーきへーき、私は、八神はやては強い子やから。パパもママも、そう褒めてくれたんや」

 

 両親の想い出が残る家の中で、両親の想い出に浸りながら生きていくはやて。

 よりかかれるものが想い出しか無い毎日。

 はやては本が大好きだった。この現実を忘れさせてくれる、楽しいことが一杯ある空想の世界に没頭できる、そんな本が大好きだった。

 けれど、そんな理由で本好きになるような子供の心が、一人で長く保つはずもなく。

 

 軋む心を支えるために、はやてはソーシャルゲームに手を出した。

 ソーシャルゲームは、孤独に心折れそうになっていたはやての心を救い上げる。

 久方ぶりの見知らぬ人との会話、仲間達との連携プレー、人との繋がりの果てに掴んだ勝利と、得られる達成感。はやての心は、少しづつ上向きになっていった。

 

 だがある時、彼女はふと気付く。

 

「……私、寂しいんやろか」

 

 だが運悪く、八神はやては優秀だった。

 魔法資質を差し引いても、子供の頃から極めて優秀だった。

 会話があるソーシャルゲームだけを選んでプレイしている自分を省みて、我流で正確な自己分析を行い、自分が人との繋がりに飢えている寂しい人間であると、そう理解してしまうくらいには。

 はやては自分が寂しさに折れそうになっている人間であると自覚したまま、ソーシャルゲームから離れることもできず、自己嫌悪に苛まれながらもソーシャルゲームに依存していく。

 

 行くところまで行かなかったのは、はやての自制心が年齢不相応にしっかりとしていたからだろう。この頃から、彼女はとても"いい子"であった。

 ちょっとおかしな出来事があって、ギルドを作ってそこに一人誘ったりもしたが、それでも根本的な寂しさは埋まらない。

 彼女は画面越しの会話では生まれない繋がりがあることを知っていて、互いの顔も知らない関係に本物の暖かさが生まれないことを知っていて、その虚しさをちゃんと理解していた。

 その上で、虚しい人の繋がりに傾倒していった。

 

 そんな彼女の九歳の誕生日に、奇跡は起こる。

 

「我ら、闇の書の蒐集を行い主を守る守護騎士にございます」

 

「夜天の主の下に集いし雲」

 

「ヴォルケンリッター、なんなりと命令を」

 

 彼女の九歳の誕生日に、闇の書が起動。

 闇の書の主として選ばれたはやてを守るため、闇の書を起動させるためのリソースを人から奪い集めるため、ヴォルケンリッターがはやての目の前に現れる。

 ヴォルケンリッターは主はやての命じる全ての事柄を現実にすると、そのためならなんだってすると、そう覚悟してはやての前に現れた。

 

 けれど、ヴォルケンリッターは想像もしていなかったし、理解もしていなかった。

 

 はやてが自分達に『家族になること』を望むことも、そう望むくらいにはやてが寂しさを感じていた少女であったことも。召喚されるまで、何も分かっていなかった。

 

 

 

 

 

 ヴォルケンリッターは言う。

 闇の書を完成させましょうと。闇の書が完成した暁には、あらゆる願いを叶えられる力が手に入ると。あなたにはその権利があると。

 はやては無欲に言う。

 そんな力は要らないと。叶えたい願いは既に叶っていると。それよりも、家族としてずっと一緒に居て欲しいと。

 

 ヴォルケンリッターは戸惑いながら、家族として迎え入れてくれたはやての優しさと暖かさを受け止める。

 闇の書の歴代の主達は、ヴォルケンリッターに優しくしなかった。

 常に道具として扱い、冷たく彼女らをこき使っていた。

 闇の書の蒐集機能で他人のアカウントやゲーム内通貨を限度知らずに略奪し、運営にバレてBANされ、その絶望から闇の書を暴走させる者も少なくなかった。

 総じて、闇の書の主達は自己中心的な人物であったと言える。

 

 そういう観点から見れば、八神はやては闇の書の主の中でも飛び抜けたお人好しであった。

 

「皆がそばに居てくれれば、それだけで私は満足や」

 

「主……」

 

「だってこんなにも、幸せなんやから」

 

 天地を砕く力に価値を見ず、家族の繋がりに価値を見る。

 はやては『虚構の価値』ではない、『本当の価値』をよく理解していた。

 力の価値よりも絆の価値を重んじる彼女は、本当に"いい子"であった。

 

「ええか、蒐集は禁止、絶対にやったらあかんで?

 ひとさまに迷惑かけてまで、欲しい力なんてあらへん。

 第一力なんてあるだけ邪魔や。皆、他の人に迷惑かかるようなことはせんと約束してな?」

 

「しかし、主」

 

「約束!」

 

「……分かりました」

 

 ヴィータ、シグナム、シャマル、ザフィーラ。

 四人ははやての家族として接する内に、主に仕える闇の書の騎士としてではなく、八神はやての家族として彼女を守りたいと、そう思うようになっていった。

 主と騎士の信頼関係とはまた違う、家族としての信頼関係。

 前者が誇らしさを感じさせるものならば、後者は暖かさを感じさせるもの。

 暖かさが、騎士達を日常と平和の中に溶け込ませていった。

 

 ずっとこんな日が続けばいいのにと、誰もが思っていた。

 

「ん?」

 

 だがある日、ヴィータが気付く。

 

「シグナム、なんかはやてのこの口座変じゃね?」

 

「何がだ?」

 

「ほらこれ、引き落としてないのに額が減ってる。しかももの凄いスピードで」

 

「……いつから減っている?」

 

「はやての誕生日。あたしらがここに来た日からだな」

 

「……」

 

 シグナムはヴォルケンリッターの中でも、烈火の将と称される騎士だ。

 仲間を纏める能力も、仲間の意見や仲間が気付いたことから最善手を選び取る能力も、ずば抜けている。彼女は少し思案し、やがて"最悪の可能性"に辿り着く。

 

「シャマル!」

 

「はーい、呼んだー?」

 

「闇の書の精査を始めろ! 今すぐにだ!」

 

 それが、崩壊の序曲となった。

 

 

 

 

 

 結論から言えば、状況は最悪だった。

 

「シグナム、あなたの予想大当たりよ。

 蒐集をしていなかった影響で、闇の書がはやてちゃんの側を侵食している。

 他人の金を喰らう機能が反転して、はやてちゃんの金を闇の書が喰らっているんだわ」

 

 はやての生活費は、『グレアムおじさん』という、はやての両親の知人を名乗る人物からの振り込みで成り立っている。

 その口座の金が、凄まじいスピードで減少していた。

 現在は七月初め。六月初めのはやての誕生日から始まった口座金額の減少は、既にはやての口座の半分の金を消費しきっていた。

 このままでは最長でも一ヶ月弱、つまり八月を待たずにはやての口座の金は尽きてしまう。

 

「とりあえず口座の金を全て引き出すぞ。それで口座への侵食は止まるかもしれん」

 

 ザフィーラの提案に三人が頷き、はやての口座から金が引き落とされる。

 

 だがそれは良手ではなく、むしろ悪手であった。

 

「あっさごーはーんー!」

 

「こらヴィータ、ご飯の前に走ったらあかん!」

 

「わわっ、ごめんなさい!」

 

 口座の金を引き落としてすぐの朝、五人が食卓を囲んだ朝の団欒。

 

「あれ?」

 

 そこで、突然はやての食器が消える。

 はやては不思議そうにしていたが、ヴォルケンリッター達は見逃さなかった。

 食器が消える瞬間、闇の書がどくんと脈動したことを。

 

「あれ、食器どこ行ったんやろ……

 ……あれ、家族で一回だけ行った旅行の想い出の品なんやけどな……

 ちょう皆、探してくれへん? あれだけは、あれだけは失くしたくないんや」

 

「あ、ああ、うん、分かった。あたしらに任せて、はやては座ってろよ」

 

 四人は食器を探すふりをして、今しがた自分達が見てしまったものに対する動揺を必死に抑え、はやてに何も気取られないようにする。

 

(金銭は、価値の代替……物の価値の代わりに、やり取りされるもの……)

 

 この現象のきっかけなど、考えるまでもない。

 闇の書の侵食と、口座の金の引き落としだ。

 

(だけど、だからって、こんなこと……!?)

 

 闇の書は喰らう金が無いことに気付き、主から金の代わりに金相応の"価値あるもの"を奪った。

 ただ、それだけのこと。

 

(金銭の代替として、主はやてにとって価値あるものを喰らったのか……!?)

 

 はやての口座の金を、闇の書は信じられないペースで喰らっていく。

 口座の金が無くなれば、はやてにとって価値あるものが喰らわれてしまう。

 止めたいのならば他人の金を喰らわせるしかないが、それははやてに止められている。

 このまま時間が流れれば、はやては自分にとって価値あるもの全てを奪われた後、その命までも喰らわれて死に至るだろう。

 

 本来ならばリンカーコア蒐集をしないことによる悪影響もあるはずなのだが、金と『価値』を喰らうスピードがあまりにも速過ぎるために、それが目立たないレベルにまで達してしまっていた。

 

「おいどうすんだよ、これ」

 

 その夜、ヴォルケンリッターは深刻な顔で話し合っていた。

 はやては既に就寝していたが、彼らは到底寝られる精神状態ではない。

 

「価値の代わりに金銭を用いるのではなく、金銭の代わりに価値あるものを奪う逆転現象。

 実際に目にしてみると……いや、それが主に牙を剥いているのを見ると、憤死しそうになるな」

 

「気持ちは分かるわ、ザフィーラ。

 私も、はやてちゃんがなんでこんな目にって、そう思うもの」

 

「だがこれで一つはっきりした。

 主はやての足が動かないのも、この金銭……いや、価値の逆流侵食が原因なのだろう」

 

「は? そりゃどういうことだよシグナム」

 

 シグナムは自身の感情を殺すように、今にも爆発しそうな感情を滲ませて、静かに語る。

 

「主はやてにとって……

 元気に外を走ることができる足は……

 自分の知らない世界に歩いて行ける足は……

 両親さえ居ない世界の中で、外の誰かに会いに行ける足は……本当に、大切なものだったのだ」

 

「……っ」

 

「『価値あるもの』だったのだ」

 

 歯が砕けそうなくらいに、ヴィータが歯を強く噛みしめる。

 叫びたいのだろう。八つ当たりして何かを壊したいのだろう。誰かを責めたいのだろう。

 ヴィータはそんな気持ちを、ぐっと堪える。

 

「完全起動する前の暴走。これは、正常に起動させなければマズいかもしれんな」

 

 ザフィーラがそう呟くと、皆が思い思いに頷いた。

 そして、シグナムが話を纏めた結論を出す。

 

「明日、主にお伺いを立てよう。もはや他人を傷付けないという戒めは、意味を成さない」

 

 翌日の朝、ヴォルケンリッターの四人は、はやてに全てを打ち明ける。

 そして蒐集の許可を得ようとした。

 蒐集しなければ、やがてはやては全ての大切なものを失いながら死んでいってしまう……そう教えられたにもかかわらず、はやては騎士達に蒐集を禁じた。

 

「駄目や。赤の他人に迷惑かけるなんてこと、許されへん」

 

 シグナムは主に忠実であろうとする騎士だ。

 だが、今日ばかりは猛然と主の命に逆らった。

 

「主はやて。あなたの志は立派だ」

 

 八神はやては、ヴォルケンリッターにとって、誰よりも大切な家族だったから。

 

「だが、人の命よりも価値のある金などない。

 主よ、自分が生きるために他人と争うことは、どんな命にも許される権利なのです」

 

 所詮ソーシャルゲームに課金されたものだ、とシグナムは諭す。

 課金関連にしか手を出さないから、とヴィータが妥協させようとする。

 実際に課金少年から蒐集した時、イレギュラーにイレギュラーが重なって少年の口座ごと金が抜き取られてしまったが、それでもヴォルケンリッターは、課金とその結果生み出されたものだけを奪うつもりでいた。

 ヴォルケンリッターは他人からものを奪う醜悪さを認識しつつも、それでも人の命には代えられないと、そうはやてを説得しようとしていた。

 

 そんな二人に、はやては静かに首を振る。

 

「違うんよ」

 

 はやては"他人から何かを奪って生き残る自分"を、許せなかった。

 

「人の命に価値が有るのは、その命が精一杯生きているから……

 自分と同じように他の人も、傷付けられたくないって、そう思っとることを知っとるから……

 他人に迷惑をかけないように、生きとるから……おてんとさまに胸を張って生きているからや」

 

 はやてとヴォルケンリッター以外の人も、生きている。

 はやてとヴォルケンリッター以外の人も、平和と幸せの中に居る。

 傷めつけられたくないのも、奪われたくないのも、不幸になりたくないのも、皆同じ。

 彼女はそんな理屈を語って、騎士達を説き伏せようとする。

 

 自分にも大切なものができたから、大切なものを奪われたくないという他の人の気持ちが分かるようになったのだと、はやては照れくさそうに、そして悲しげに、笑った。

 幸福と、迫る死に感じた恐怖が同時に滲んだ、そんな笑顔だった。

 

「私は、他人の大切なものを踏み躙ってまで、生きとうない」

 

「―――」

 

「そうなったら、その時から、私は私でなくなってしまうんや」

 

 自分が自分であるために。

 そう主に言われてしまえば、ヴォルケンリッターは何も言えなくなってしまった。

 

 その日から、ヴォルケンリッター達は主の意志を尊重し、誰からも何も奪わないやり方ではやてを救うことを決めた。

 

 シャマルの魔法で身分を偽装し、変身魔法を活用して朝から晩まで働き金を稼ぐ。

 ローテーションを組んで常に誰か一人ははやての傍につき、残り三人が常に働く。

 働く時間とはやての傍にいる時間だけで、騎士達の毎日は消費されていく。

 四人揃って、寝る間も惜しんで働き続けた。

 

「ヴィータ、お前は少し働き過ぎだ。休め」

 

「ざっけんなシグナム。闇の書の口座侵食速度上がってんだろ。

 寝てる暇なんかねえ。そんな時間があるなら、あたしらは金を稼ぐべきだ」

 

「……」

 

「大丈夫だ。あたしらはプログラムだろ?

 寝なくても休まなくても辛いだけだ。死にゃあしないよ」

 

 普通の人間であれば、とっくに死んでいるであろう労働密度。

 それでも彼女らは頑張り続けた。折れそうになる膝を魔法で支え、自分達はプログラムであると言い聞かせ、はやてのためにと走り続けた。

 一日に20時間以上起きていることは当たり前だった。

 毎日15時間以上の労働をすることが最低限のノルマだった。

 それでいて、一秒たりとも時間は無駄にできず、最高効率で金を稼ぐ必要があった。

 

 けれど、彼女らはどこまでも騎士でしかなく。

 金を稼ぐことなんて専門外で、闇の書の侵食速度に抗うことなんてできやしない。

 加速する侵食は七月中に八神家の金の全てを喰い尽くし、騎士達の稼いだ金が生活費と口座への振り込みで消えていくようになる。

 

 そんな日のある朝。

 シグナムは、そろそろ主が起きる時間だと思い、はやての部屋に彼女を起こしに行った。

 するとはやてはもう起きていて、ベッドの上で体を起こしている。

 今日も彼女が元気なことに安堵して、シグナムは朝の挨拶を口にしようとする。

 

「主はやて、おは―――」

 

「あれ、もしかして夜遅くに起きてもうたんかな? 真っ暗や」

 

「―――」

 

 そして、シグナムの息は詰まった。

 はやての部屋のカーテンは既に全開だ。

 七月の眩しい朝日が窓から差し込んでいて、はやての顔を明るく照らしている。

 真っ暗だなんて、ありえない。

 夜だと勘違いするなんて、ありえない。

 なのにはやては、今が光無き夜だと勘違いしている。今が朝だなんて思ってもいない。

 

「むう、目が慣れんと何も見えへんな……シグナム、部屋の電気つけてくれへん?」

 

 『ものを見る目』もまた、はやてにとって価値あるものだった。

 

「……ぁ……」

 

 唇が震える。言葉が出て来ない。この残酷は、彼女の胸に深く刺さりすぎていた。

 

「……シグナム?」

 

 この日初めて。

 剣の騎士、シグナムは。

 主のために主の命に背くことを、決断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてヴォルケンリッターは、剣を執る。

 

「やるんだな、シグナム」

 

「ああ、闇の書を完成させる。

 そうすれば、闇の書が喰らった全てを吐き出させることも可能だろう。

 歩けないことも、目が見えないことも、闇の書の問題を解決すれば治るはずだ」

 

 はやてに申し訳ないという気持ちがあった。

 はやてを救うために犠牲になる人に対し、頭を下げたい気持ちがあった。

 それでも、もう止まれない。

 止まるわけにはいかない。

 

「傲慢かもしれん。だが私は、あの方が私の主である、という理由と同じくらい……

 ああいう風に生きられる少女を、八神はやてを、救ってやりたい。生きて欲しいと、そう思う」

 

 ヴォルケンリッターが立ち止まることは、はやてが人としての尊厳を全て奪われ、みじめに死んでいくことを意味していた。

 

「たとえこの身が、生を許されず無残に殺されるべき、裁かれるべき畜生に堕ちようとも」

 

 その剣は、主に捧げられたものだったから。その剣は、主の未来のために振るわれる。

 

「あの人に、生きて欲しい」

 

 人の価値を決める権利など誰も持っていないということも、個人が人を選別する権利など持っていないということも、シグナムは分かっている。

 それでも……シグナムは、他の人間を踏み躙ってでも、彼女に生きて欲しかった。

 赤の他人より、大切な人に生きて欲しかった。

 八神はやてには、みじめに死ぬより、苦難の先でいつか幸せに生きて欲しかった。

 

「行くぞ!」

 

 出撃するヴォルケンリッター。

 子供からアカウントを奪えばあるいは健全な道に戻るかもしれない、金持ちならば奪っても損失は少ないかもしれない、魔導師のリンカーコアも集めなければならない、それでいてできる限り速く多く集めなければならない、などと、多くのことを考えながら彼女らは空を飛ぶ。

 そして、幸か不幸か、最初の襲撃相手に『彼ら』を選んでしまった。

 

「闇の書が反応してる……何だこの反応?

 あっちのツインテールの女は魔力反応がなんかおかしい。

 あっちの社会不適合者オーラのあるガキは、課金反応がおかしいな」

 

「反応が大きいのか?」

 

「わかんね。蒐集すりゃ分かるだろ」

 

 かくして戦いは始まる。

 その戦いの結果は、ヴォルケンリッターにとっても、ヴォルケンリッターを監視していた者達にとっても、まるで予想していなかった結果に終わる。

 理性で計算している人間では絶対に『その人間がもたらす影響』を予想できない、そういう子供が一人、ひたすら課金していたからだろう。

 

 捕まったヴォルケンリッターだが、ヴォルケンリッターを監視していた者達……『仮面の男』の助力により、管理局からの脱走に成功する。

 

「お前達は、何者だ?」

 

 そう問うシグナムに、仮面の男は無感情な言葉で答える。

 

「過去を忘れぬ者。闇の書の完成を望む者だ」

 

「何?」

 

「行け」

 

 仮面の男は消え失せて、ヴォルケンリッター達は痛む胸を押さえて主の下に帰ろうとする。

 

 どうすればいい。

 どの道が正しい。

 どこに光がある。

 自分達が悪行を成しているという自覚、平和な世界の中で感じた暖かさ、勝てるはずもない強敵の存在、はやての命に逆らっているという事実、苦しんでいた少年の悲鳴。

 全てが、ヴォルケンリッターの心を苛んでいた。

 

 それでも、止まろうとは誰も考えない。それだけ、皆はやてのことが大好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰も居ない部屋の中で、はやては己が身を蝕まれる苦痛にのたうち回っていた。

 

「い」

 

 誰も居ない。

 傍に居ない。

 はやては孤独だ。

 ヴォルケンリッターの全員が、はやてを救うために戦っていた。

 はやてを置き去りにして、はやてを一人にして。

 

「いやや」

 

 はやては"いい子"だ。

 "強い子"でも、"大人な子"でもない。

 彼女はただ、人より少しだけ優しくて、人より少しだけ我慢強いだけ。

 

「何も見えへん、どこにも行かれへん……あ、ああ……」

 

 寂しさに耐え切れなくなり、はやては目も足も動かない身の上で、『誰か』を求めて手を伸ばした。けれど、その手は誰にも届かない。

 伸ばされた手は虚空を切って、バランスを崩したはやてはベッドの上から転がり落ちる。

 

「痛っ」

 

 誰もはやての手を取らない。

 誰もはやてを助け起こさない。

 誰もはやての言葉に応えない。

 

「一人や……誰も居ない……居てくれない……一人……いやや……」

 

 人の暖かさを感じたかったはやては皮肉にも、床の冷たさだけを感じていた。

 暖かさなんてどこにもない。

 人に触れると暖かさを貰えるのに、冷たい床は逆にはやてから暖かさを奪っていってしまう。

 

「こんな、こんな暗闇の中、こんな冷たい気持ちで、死にたくない……死にたくない……!」

 

 今のはやては、一人でベッドの上に戻ることすらできない。

 何も見えない暗闇が、声を上げても誰も応えてくれない孤独感が、闇から逃げることもできない体の不具が、はやてに"いずれ来る死"を実感させる。

 弱音は悲嘆に、悲嘆は悲鳴に、悲鳴は嗚咽に変わっていく。

 

「誰か……誰か、助けて……!」

 

 その声に応える誰かは居ない。助けてくれる誰かは居ない。

 何故ならば、その声はどこにも届いていないからだ。

 まだその声は、誰にも聞き届けられていないからだ。

 

 盲目の闇がはやてを蝕んでいく。

 

 彼女は動かない足を引きずり、見えない目を手で覆いながら、夜の(そら)に浮かぶ星の光すらも見えない、絶対的な絶望の闇の中に居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手足に力は入らず、胃には常に新しい穴が空きそうで、心臓の鼓動は不定期なまま、目が適度に潤わないため長時間目を開けていられず、深く呼吸しても相応の酸素が取り込まれないまま、動かすたびに痛む関節に、動きの悪い胃腸と湧かない食欲、血液にも多々異常がある。

 

 それでも平然とした顔で、少年は立ち上がった。

 

「もういいのか?」

 

 そんな少年を見て、クロノは心配そうに声をかける。

 

「オレのアカウントはオレが必ず取り戻す。

 できないとか言われても"知らねえよ"としか言えないな」

 

「そんな状態でよく強がれるものだ」

 

 にっと笑う少年を見て、少年の現在の体の状態を表示するバイタルデータを見て、クロノは深い溜息を吐いた。

 少年は肉体に悪影響が出るくらいの精神的ダメージを抱えている。

 そのダメージは、肉体面だけ見ても、絶対安静の患者クラスのダメージだ。

 だが少年は、そのダメージを消すのではなく一旦脇に置いておくことで、ボロボロな体のまま立ち上がることに成功していた。

 爆死したショックで寝込みそうなくらいの精神的ダメージを受けても、「それはそれこれはこれ」と二重人格じみたムーブを見せる、一流の課金兵特有のスキルである。

 

 RPGでしばらくセーブを忘れて進めた後全滅し、そのショックを抱えてすぐさま再度ストーリーをやり直そうと思える特異な人間の心の強さに、どこか似たスキルであった。

 

「なあ、クオン。誰かオレの手、握ってたりしたか?」

 

「……よく分かるな」

 

 少年は立ち上がり、今にも死にそうな顔色で、右手をにぎにぎと開いたり閉じたりする。

 

「君のことを友人だと思っている者は、一通り握っていたんじゃないか?

 それだけ君は危険な状態だった上、君を心配する者も一人や二人じゃなかったんだ」

 

「そうか」

 

 "彼を友達だと思っている者"は一通り握ってやったらしい。照れ屋らしい迂遠な言い回しだ。

 

 そして開いたり閉じたりされていた少年の拳が、強く強く握られる。

 骨まで軋んでいるのではないかと、そう思ってしまうくらいに強く、拳は握られている。

 拳の内には、少年にしか見えないものが握り締められていた。

 

「口座も空になった今の君に、何ができる?

 何をやろうとしている? 課金できなくなった君に、どれだけの力があるというんだ」

 

「さあな。でも、何もしないことが最悪なことだけは知ってる。

 金も石も無い状態になっても、無償石とドロップの回収はできる。

 何もしなけりゃ何も手に入らない。無駄に時間が過ぎるだけで、それが最悪だ……っと」

 

 少年は歩き出そうとするが、ふらっと倒れそうになり、壁によりかかる。

 

「大切なのは、生きてるこの一瞬一秒を無駄にせず、どう使うかだろ」

 

 一秒一秒の重みを軽視しない、そういう人間でなければ課金戦士にはなれない。

 『行動力溢れてるけどまあいいか』と思う人間は、普通の人間の枠の中だ。

 『行動力は常に溢れないようにして、行動力回復が行われない時間を一秒も作らない』という認識を得て初めて、人は課金戦士になるための第一歩を踏み出せる。

 

 ゆえに少年は、人の人生に無駄にしていい時間は一秒たりともないのだと思っている。

 友と遊ぶ時間も、努力し強くなる時間も、守るために戦う時間も、何一つとして無駄にせず、全力で食って全力で寝て全力で休んで全力で戦って全力で笑って全力で課金する。

 それがきっと、彼の目指している生き方なのだろう。

 

「……」

 

 クロノは目を瞑り、たっぷり数秒考え込んで、胸ポケットに手を入れる。

 そして取り出したものを、少年に優しく放り投げた。

 

「っとと」

 

「持って行くといい。

 昔、君の将来を心配した母さんが君から取り上げた、君の口座だ」

 

「!」

 

 もう随分と前のことだ。

 金があればあるだけ使う課金少年を見て、リンディはいつか必ず来る未来を予測していた。

 すなわち、彼が借金課金をする未来である。

 少年は時と場合にもよるが、1000万持っていようが1万持っていようが金を使い切るまでの時間に差異がないということが多々あった。

 

 そのためリンディは、彼が一度信じられない大金を手に入れた時、"お父さんとお母さんが子供のお年玉を預かっておくシステム"を発動し、彼から口座ごと大金を取り上げたのだ。

 少年がいつか金に困ったときにこそ、その大金を使うために。

 刹那的な生き方をする自制心の無い少年の人生は、こうして保険をかけられたのである。

 

 その金が、今少年の手に戻って来た。

 少年の人生が破滅しかけた時、それを救うために使われる予定だった金は、少年の戦う力となるべく、彼の手の中にある。

 

「それを返すことは、母さんも了承している。

 昔からちょくちょく、僕と母さんが少しばかり金を入れていた。

 闇の書の騎士に奪われた時の君の口座とは、入っている額の桁が違うはずだ」

 

「クオン……」

 

「今の君に課金用の金を渡しておかないと、今度こそ死にそうだからな」

 

 かつて封印された主人公の力が、親友と親友の母に認められたことで再び解放される。

 それは今まで主人公が振るっていた力とは桁が違う力だ。

 後戻りを捨て、自身の人生にかけていた保険を捨てて得た力でもある。

 そういう意味では、これは正道中の正道である主人公の覚醒イベントであると言えよう。

 

「よし、単発引きだ」

 

 少年はその金で早速ガチャを引く。

 『SR ラピュタの飛行石』が排出され、少年は今の自分が体の状態はともかくとして、運だけを見れば絶好調であることを確認した。

 

「……っし。幸先いいな。笑えよクオン、ずっと辛気臭いぞ」

 

 クロノの父・クライドを殺した闇の書との決戦、及び決着は間近に迫っている。

 二人にはそれぞれ想うところがあり、それぞれ思い描く決着がある。

 だからか、クロノは笑う余裕が無いようであった。

 

「今回の闇の書が悲劇を生むかもしれない。笑う余裕が無いんだ、勘弁してくれ」

 

「乗り越えられなければ悲劇。

 乗り越えられたならただの試練だ。

 笑おうぜ。笑い話にできたなら、それはもう悲劇じゃないんだ」

 

 多少辛くても笑って乗り越える。笑い話にできるように、笑えない被害を出さないようにする。理屈はシンプルだけれども、実行するのは難しい。

 

「オレの人生に悲劇はない。……たぶんな。

 これまでも、この先もだ。

 オレは生まれた瞬間から死ぬまでずっと、笑い続けてやるさ。

 だからお前も笑えよ、クオン。適当に笑え、ふてぶてしく笑え」

 

 だが、現実にするのなら、きっとそれが一番素晴らしい。

 

「笑ってればそれだけで人生楽しい気がするだろ?

 一生笑顔で居続けてた奴が、この世で一番人生を楽しんでる奴なんだぜ」

 

 そして、少年につられるように、ついついクロノは笑ってしまった。

 

「ああ、そうだな。君ほど人生を楽しんでる人間を、僕は知らない」

 

 何故なのだろうか。

 この少年が居ると、何の根拠もなく、誰かが泣いて終わる結末が来ないような気がするのは。

 

 それはきっと、この少年が、最高の結末(レア)を引くまでは絶対に諦めない、最後までガチャを回し続ける人間であるからに違いない。

 

 課金少年の人生は、他人が真似しようと思ってもできなさそうなくらいに、楽しそうだった。

 

 

 




『闇の書』

 ソシャゲの闇は深い。

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