お楽しみいただければ幸いです。
「申し訳なかった……」
簪ちゃんのお父さんの威圧に敗れ、意識を失った僕は、簪ちゃんの家の客室で寝かされていた。そこからしばらくして、目覚めた僕は、メイドさんに案内され、応接室に通された。そして、現在、簪ちゃんのお父さんに土下座され、謝罪を受けている最中だ。
お父さんの横では、簪ちゃんが仁王立ちして、お父さんを見下ろしている。
「本当に……申し訳なかった……」
簪ちゃんをチラ見したお父さんが、消え入りそうな声で再度謝罪をする。
その丸まった背中には、どことなく哀愁が漂っているように思えた。
「もう、気にしないでください……」
これ以上、娘に冷たい視線を向けられる父親の姿を見続けるのはつらくなっていた僕は、簪ちゃんのお父さんの謝罪を受け入れた。
「そうか……受け入れてくれるか」
お父さんが僕の返答を聞いて顔をあげる。その表情は、先ほどよりも少し晴れやかになっているが……
「お父さん……?」
簪ちゃんが底冷えするような声を出す。
僕とお父さんは、それぞれに向けていた視線をゆっくりと簪ちゃんに向ける。
そこには、表情のない顔をした簪ちゃんが立っていた。その表情を見たお父さんは、姿勢を正し、再び僕に土下座をする。
「簪ちゃん! 僕はもう気にしてないから、お父さんを許してあげて!」
「本当にいいの? あんな目に合わされたのに……」
簪ちゃんは、お父さんが僕にした行為が相当頭にきているらしく、僕の言葉に納得できないでいるようだ。
「やられた本人が許すって言ってるんだから、平気だよ」
「でも……」
「簪ちゃんの気持ちは嬉しいよ。でもお父さんもかわいそうだから」
「……うん、わかった。 お父さん、もういいよ」
完全には納得していないながらも、簪ちゃんは僕の言葉を受け入れてくれた。
簪ちゃんの言葉を聞いたお父さんは、ゆっくりと顔をあげて、安堵のため息をつく。
そして、姿勢を正し、僕に向き直り、表情を真剣なものに変えた。
「簪……一度部屋から出なさい」
簪ちゃんのお父さんは、表情と同じように、真剣な口調で簪ちゃんに部屋から出るように伝える。その真剣な口調で発せられた言葉を聞いた簪ちゃんは、何かを察したのか、ただ頷いて、おとなしく部屋から出て行った。
簪ちゃんが部屋から出ていくのを確認した後、彼は、僕に向かって頭を下げた。
「初対面の相手に、本当に申し訳ないことをした」
「いえ、もう気にしないでください」
お父さんの再度の謝罪を受け入れる。
「言い訳にすらならないかもしれないが……」
そう告げて、お父さんは僕に行ったことへの理由を話し始める。
「最近、この辺りも女尊男卑の影響か、物騒になってきていてね……。冷遇されている男が、女の子に暴力を振るったりする事件も起きていたりするんだ。だから、娘に近づく人物には注意を払っていてね……恥ずかしながら、あんな行動に出てしまった」
理由を聞いて、正直、行き過ぎな行動だと思った。
僕が住んでいた世界ではありえない、常識のラインを越えていると思われる行動だ。
けど、この人のことを否定する気にはなれなかった。それは、言葉の端々に、娘を想う親心が流れていて、この人の言葉が、僕の心に響いたからなのかもしれない。
素直に自分の非を認め、それをさらけ出せる、そんな素直さが、この人を憎めないと思わせるきっかけになったのかもしれない。
だから僕も、思ったことを素直に彼に伝えることにした。
「先ほどの話を聞いてですが……正直、ありえない……と思いました」
僕の言葉を聞き、簪ちゃんのお父さんは目を細める。
庭先で感じた威圧感への恐怖におびえながらも、僕は言葉を続ける。
「人を疑っていたとしても、理由も聞かないで、威圧するのは人間として間違っていると思いました。……ただ、父親として、あなたが簪ちゃんを心配しているのは理解できたんです。だから悪い人ではないのかなという風に感じています……」
発する言葉は、終わりに近づくにつれ、次第に小さくなってしまっていた。
けれど。簪ちゃんのお父さんは最後まで僕の言葉を真剣な表情で聞いてくれていた。
正直、その視線が怖くて何度か、自分の発言を取り下げようかと思ってしまったのだけれど、最後まで言い切ってみて、ちゃんと伝えてよかったと思う自分が居ることに気が付いた。
おそらく、今の僕の発言で、彼の機嫌を損ねてしまっただろう。すぐに、この屋敷から追い出されるかもしれない。僕は、話し終わった後に下げてしまった視線をあげて、彼の様子を見る。
「はははははっ、ふわっはっはっ!!」
機嫌を損ねていると思った簪ちゃんのお父さんは、僕と視線が合うと突然笑い出した。
訳が分からず僕は呆然としてしまう。
「はっはっはっ! 君は正直な男だね……」
「この年になると、そうやって、面と向かって思ったことを伝えてくれる人が少なくなってしまってね。久しぶりに、そういう人に出会えてうれしかったんだよ」
そういって再び彼は笑い出す。
その姿を見て、叱咤されると思い込んで弛緩していた体から力が抜けていく。
次第に、そんな風に考えていた自分がばからしくなって、僕も彼につられるようにして笑い出してしまう。
「笑いすぎですよ! 簪さんのお父さん」
「いやなに、あまりにも愉快だったからね。あぁ、そうだ、わたしのことは楯無と呼んでくれて構わないよ。いつまでも簪さんのお父さんでは呼びづらいだろう?」
年上の男性に、呼び名を指定される日が来るとは思わなかった。
しかし、言葉に甘えるにしても、いきなり名前だけで呼ぶのは憚られるので、僕はとりあえず、名前にさんを付ける形で呼ぶことに決めた。そして、僕は自分の名を名乗る。
「楯無さん、自分は、早風(はやかぜ) 礼(れい)と言います。自分のことは好きなように呼んでください」
「そうか、では礼君と呼ばせてもらおう」
こうして名乗りあった僕らはしばらく世間話を交わしながら時間を過ごした。
気づけば、窓から差し込む光がオレンジ色に変わっていて、夜の帳がおり始めようとしていた。
「あぁ、長居させてしまったね。家まで送って帰ろう」
「あっ、ありが……と、うございます」
楯無さんの提案は常であれば、とてもありがたい提案であるのだが、今の僕にとってはかなり都合の悪い提案だった。なぜなら、僕は、転生者だからだ。
住む場所もなければ、明日のパンツすらも持っていない根無し草。
そのことにお礼を言っている途中で気が付き、おかしな返答になる始末。
さらには、そのぎこちない返答を聞いて楯無さんが何かを感じ取ったのか、和やかな表情から一変、真剣な表情へと顔を変える。
「なにか、家に送ることに不都合でもあるのかな?」
軽いプレッシャーを放ちながら楯無さんが僕に問いかける。
僕は、どう説明をしたらいいのかわからずに、答えを返せないでいる。
「言えない何かがあるのかね?」
楯無さんの問いかけは時間が経つにつれ、厳しいものに変わっていく。それに合わせ、僕に向けられるプレッシャーも強くなっていく。
このまま、無言でいたままでは立場は悪くなるばかりだと思い、僕は口を開く。
「すいません……帰る家がないんです」
「家がない? どういうことかな」
僕の返答を聞き、さらに楯無さんが質問をしてくる。
僕は、転生のことを隠すために、とりあえず記憶喪失に近い状態にあるという体で話を進めた。
気づいたとき公園にいたこと、この世界の状況を知らないこと、住む家や、頼りにする人がいないこと、隠さないで済むところはすべてを話した。楯無さんは、僕の話を聞くと、口を真一文字に結んで、腕を組んだまま動かなくなってしまった。
それから、数分、重たい沈黙が部屋を支配する中、僕はいたたまれない気持ちでその場に居続けた。
「うん……」
楯無さんが何かを決めたように声を発し首を軽く縦に動かす。
「礼君……もしよかったら、しばらくうちに住まないかい」
楯無さんは、僕の話を理解したうえで、身寄りもない、怪しさ満点のこの僕を、家に住まわそうとしてくれている。
「いいんですか?」
本当にいいのかと僕は何度も確認をとるが、そのたびに楯無さんは構わないと言ってくれる。僕は、その言葉に素直に甘えることにした。
「お世話になります……」
こうして、僕は、しばらくの間、楯無さんのお宅に居候することになったのだった。
いかがでしたでしょうか?
読んでいただきありがとうございました。