今回少し長めに書いてあります。
楽しんでいただけたら幸いです。
シャワーの先端から、体が心地いいと感じる程度の温度に暖められたお湯が流れていく。
修練の汗に濡れた体を、丁寧に洗った僕は、その湯で体に着いた泡を流していく。
泡が体から流れていき、汚れが落ちていくのを実感するにつれて、疲労で下向きだった気分も、スッキリと晴れていくように感じる。
「このくらいでいいかな」
泡が落ちきっていることを確認して、シャワーの栓を閉じる。
止めどなく流れていた水流が勢いをなくし、やがて止まる。
シャワーを元の位置に戻すした僕は、浴槽へと歩んでいく。
檜で作られた浴槽に、薪によって暖められたお湯、一般の家庭では味わうことの出来ない気分を味わえるこの浴槽は、更識家の自慢の一つらしい。
「失礼します」
浴槽から風呂桶に湯を掬い、体に浴びせた後、先客である楯無さんに一言声をかけて湯に浸かる。
「はぁ」
肩まで体を浸した後に、思わず気の緩んだ声を出してしまう。
その声が聞こえたのか、楯無さんはクスリと笑った後に、口を開いた。
「朝の鍛練の後の風呂は格別だね。思わず声が出てしまうのも仕方がないと思うよ」
「いえ、思わず気が緩んでしまいました」
師である楯無さんにフォローをされた僕は、思わず楯無さんの言葉を否定してしまう。
楯無さんは、優しい眼差しで僕を見て微笑む。
「武を志す者として、常在戦場の気構えを持つのは悪いことではないが、ここは君の家で、今は湯に使っている時間だ、気を緩めたって問題ないさ」
「すいません。恥ずかしさから思わず」
「気にすることはないさ」
そんなやり取りを交わした後、『それよりも』と、楯無さんが話題を切り替える。
「今日の組手のことだが」
「何かまずいことでもありましたか?」
次の言葉を溜める楯無さん、僕は不安になって、畏まるようにして問いかけてしまう。
「あぁ、すまないね……動きがとても良くなっていたから、どう褒めようかと思って、つい考えてしまった」
「あっ、ありがとうございます!」
鍛練において、叱責されることは多いが、褒められることは滅多にない。少なくとも、楯無さんに師事してから今日まで、僕自身数回しか褒められたことはなく、今回のようなことは珍しいと言っても過言ではないのだ。
「でも、楯無さんが、武術での事を褒めるなんて、かなり珍しいですね」
「いや、何て言うかな。何となくなんだが、言っておかないといけない気がしてね」
「そうですか。褒められて嬉しいので、全然いいんですけどね」
そう言って僕が笑うと、楯無さんも釣られるようにして笑う。
珍しい一幕があったものの、それからは何時ものように他愛のない話を暫くして、朝御飯を食べる為に風呂から上がった。
◇
「礼兄さん……冷たいお茶……飲む?」
風呂から上がり、火照る体を冷ましながらリビングに入ると、簪ちゃんが声をかけてきた。
「タイミングいいね!貰うよ」
返事をして椅子に座り、冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐ簪ちゃんの姿を横目で見る。
初めて出会ったときから年を経て、簪ちゃんも成長していて、十一歳になっていた。
身長も伸びて、女の子らしくなってきたのはもちろんだが、様々なことに興味を持ち始め、ネットや書籍を使ってそれらのことを調べているのをたまに目にしたりする。
内向的で、頑張りを表にあまり見せない子だけれど、話をしてみると意外とそうじゃなかったりするのがわかる。
恐らく、更識家において僕と一番仲がいいのは簪ちゃんだろうなぁと思っていたりする。
「どうぞ……」
お茶の注がれたコップが目の前に置かれる。
『ありがとう』と一言告げて、僕はコップに口をつけ、麦茶をのどに流し込んでいく。
キンキンに冷えた液体が、喉を通り胃へと落ちていく。火照った体が覚まされて、熱が引いていくのがわかる。
「もう一杯……飲む?」
簪ちゃんが小首をかしげて聞いてくる。
僕は微笑みかけて頷き、返事をする。
「うん、ありがとう」
「注ぐから、ストップって言ってね」
簪ちゃんが中身をこぼさない様に慎重にしながら、お茶の入った容器を傾ける。
ゆっくりと注ぎ口から、コップに液体が注がれて、透明だった色を茶色に変えていく。
「ストップ、もういいよ」
コップの半分くらいがお茶で満たされたところで、簪ちゃんに声をかける。
僕の声を聞いて、簪ちゃんは容器を傾けるのやめる。注ぎ口から液体が流れなくなり、コップの中のお茶の動きも止まる。
僕はコップを再び手に取り、お茶を飲み干す。
それと同じくらいのタイミングで、簪ちゃんと僕に声がかかる。
「簪様、礼様、お食事の準備ができました」
「虚ちゃん。わざわざ、ありがとう」
僕らを呼びに来たのは、更識に古くから仕える従者の家系、布仏の長女、虚だった。
色素の薄い茶系の紙色に、整った顔立ち、堅い雰囲気を醸し出す眼鏡をつけたその姿は、委員長と呼ぶに相応しい。
楯無の一つ上で、更識、布仏の子供たちの中では最年長である。
刀奈ちゃんの従者として仕える事が決まっていて、現在は、仕える日のために研鑽を続けているらしい。
時折、奔放な刀奈ちゃんに振り回され、疲弊している姿を目にするが、最近では、やるべき事をやらずにいる刀奈ちゃんに、虚ちゃんが指導をしているところを見かけたりするので、中々、上手い組み合わせではあるようだ。
因みに、彼女の妹の本音は、簪ちゃんに仕える事が決まっている。
「虚ちゃん、様付けはやめてよ。僕はただの居候なんだから」
更識の従者として動いているときの彼女は生来の真面目な気質に、更に拍車がかかっている。
決められたこと、決めたことを曲げることはしないし、貫き通す。
別に悪いことではないのだけれど、気心の知れた相手に、様付けで呼ばれることに抵抗を感じてしまう僕は、そう呼ばれる度に、やめるようにお願いするのだが、聞いてもらえた試しがない。
「今は布仏として働く時間ですので、客人である礼様を蔑ろにすることはできません」
「僕は気にしないのに……」
僕に要請された彼女は、まぁ、予想はしていたのだけれど、案の定、受け入れてはくれなかった。
「礼様が気にせずとも、他の者たちが気にするのです」
「そんなものなのかー。大変だな名家ってのは」
虚ちゃんに軽いお説教を受けながら、僕は思ったことを口にする。
「慣れたらそれほどではありませんが、それよりも、朝食が冷めてしまいますので」
このまましばらく、虚ちゃんとの会話を楽しんでも良かったのだけれど、そうしてしまうと、彼女がわざわざ僕と簪ちゃんを呼びに来てくれた意味がなくなってしまうし、この後の予定も遅れてしまうから、仕方なくそれを諦めて、朝食が用意されているホールへと向かうことにする。
「そうだった、引き止めて悪かったね。簪ちゃん行こうか?」
「うん」
律儀に僕を待ってくれていた簪ちゃんに声をかけて、きらびやかに装飾された廊下を進み、目的の場所へと向かっていく。
簪ちゃんと虚ちゃんも、向かう場所は同じなので僕の後ろに着いてくる。
そうしてしばらく歩いた後、目的の場所であるホールに到着し、閉じられていた扉を開く。
瞬間、出来立ての朝食の匂いが鼻腔をくすぐる、次いで、僕らが来るよりも先に食事を始めている楯無さんや、更識の従者の方々の姿が目にはいる。
「遅くなってすいません。体を冷ましていまして」
一言断りをいれながら、いつも使っている席に腰かける。
僕が席につくと同時、料理の配膳が始まり、数分と経たぬうちに、僕の目の前に朝食の全てが出揃う。
今日の献立は、鯵の開きに、旬の野菜の煮物、ほうれん草の和え物、納豆と味噌汁に白米というスタンダードな和食だった。まぁ、使っている食材が一級品のものばかりだから、そこらの一般家庭で出される和食とはかなりの差があるというところで、スタンダードというカテゴリからは外れてしまうのだけれど
「いただきます」
手を合わせ、食事を始める。
和え物を口に運び、ゆっくりと咀嚼する。ほうれん草の甘みが噛むほどに口の中で広がり、ゴマの風味が鼻を抜ける。
野菜の煮物は、しっかりと味がついていて、白米にぴったりの味に仕上がっている。
至高の料理に舌鼓をうち、他の食材にも手を伸ばしていく。そうして幸せを噛み締めながら、僕は食事の時間を楽しんだのだった。
◇
楯無さんの好意によって通うことになった学校での授業を終えて、僕は簪ちゃんや刀奈ちゃん、虚ちゃん、本音ちゃんの四人と合流し、帰り道を歩いていた。
「れーにい、今日はどうだったー?」
ゆっくりとした口調で本音ちゃんが問いかけてくる。
姉の虚ちゃんとは違い、とてもゆったりとした雰囲気を彼女は持っていて、どんなときもその笑顔を崩さない。
彼女と触れあうとささくれていた気持ちが明るくなり、元気を貰える。
楯無さんの家でお世話になっていた中で、気分が落ち込んだときには、よく助けてもらっていたのを思い出す。
「いつも通りだよ。とくに可もなく不可もなく、平和な一日だったよ」
頭の片隅で、本音ちゃんとのこれまでを思い出しながら、質問に答える。
「れーにいは、いつもそればっかりだねー」
特段、これといった活動もしていないので、日々の学校生活に変化が訪れる方が稀である。
僕の学校生活は、そこらにいる普通の学生と変わりはない。
「まぁ、平凡な日々が大切ってことさ」
「相変わらず達観しているというか、枯れているというか」
「礼兄さんは本当にそれでいいの?」
僕の言葉に刀奈ちゃん、次いで簪ちゃんと返してくる。
「今の生活に文句はないよ。僕みたいのを家に置いてくれる楯無さんみたいな優しい人や、みんなみたいに僕の事を慕ってくれる人たちがいるからね」
言葉の通り、今の現状に僕は満足していた。転生する前よりも充実した毎日を送っている気がするし、これ以上何かを望むのは贅沢な気がするし。
「礼兄さんは欲がないんですね」
「そうなのかなぁ、それなりに欲張りな気がするんだけどね」
「いいえ、そんな風には見えませんよ」
虚ちゃんと会話を交わしながら、帰り道を進んでいく。
日が沈み始め、空が徐々に暗くなっていく。このままのペースでゆったりと帰っていると完全に日が沈んでしまうだろう。
「少し急ごうか?帰りが遅くなっちゃいそうだし」
時間帯の割りに人通りがいつもより少ない道を早足で進んでいく。
足を一歩前に進めるごとに、歩幅が大きくなり、ペースが次第に上がっていく。
「礼兄さん、ちょっと待って、簪ちゃんたちが追いつけないわよ」
服の袖を刀奈ちゃんに捕まれたことで、着いてくる四人の事を考えずにペースを上げていたことに気づく。
「あっ、ごめん」
心配そうに僕の目を見つめる刀奈ちゃんに謝る。
「どうしたの兄さん、あんなに早足になるなんて、少しおかしいわよ」
「そんなに早かった?」
「えぇ、いつもは私たちに合わせてるのに、私に言われるまで後ろを振り向いたりもしてなかった」
刀奈ちゃんと話しているうちに、残りの三人が追いついてきたが、その三人も、僕の事を心配そうに見ている。
「ごめんね、何だか今日は早く帰らないといけない気がして、気づいたらペースが上がってた」
立ち止まってから、妙な胸騒ぎを感じている事に気がついた。その胸騒ぎは、立ち止まっている間にも大きくなっていく。こうして動きが止まっていることに何故だか耐える事が出来ず、僕の足が勝手に貧乏揺すりを始める。
「体の調子が悪いのですか?」
「礼兄さん、大丈夫?」
「れーにい、どうしたの?」
僕の行動を見て不安そうに虚ちゃん、簪ちゃん、本音ちゃんが声をかけて来るが、彼女たちの問いかけに答える余裕が今はない。
気味が悪いと思われても構わない、とにかく今は、早く家に帰りたかった。
「ごめん、家に着いたら必ず説明するから……今は、早く帰りたい」
真剣な表情で彼女たちに伝える。
彼女たちは、視線を交わし合い、その後、渋々といった感じで僕の提案に頷いた。
「ありがとう」
彼女たちにお礼を言って、僕は止まっていた足を一歩踏み出す。
先程のように、彼女たちが着いてこられないペースにならないように速度を調整するが、それでもかなり早いペースになってしまっている。
一番年齢の低い、簪ちゃんや本音ちゃんは、息を切らして、額にうっすらと汗をかいている。
兄と慕われている身として、あるまじき行為だと思ったが、その倫理観よりも、帰りたいという想いを優先する。
「礼兄さん、少し休みたい」
「つかれたぁー、やすみたいよぉ」
幼い二人が声をあげるが、歩くペースは変えない。それどころか焦りのあまり僕は大きな声を出してしまう。
「あともう少しだから、頑張って!」
僕の声を聞いた二人は体をビクッと一瞬震わせて、下を向いてしまう。
彼女たちの姉である二人には批難の目を向けられてしまうが、それでも僕は止まらない。
文句は家に帰ったら幾らでも聞くと誓い、残りの道を急いだ。
そして、左折をすれば、家まであと数百メートルという距離にあるT字路に差しかかり、緊張の糸が緩んだ瞬間、拭えぬ不安感の正体が牙をむく。
キキッという甲高いブレーキ音と共に、黒塗りのバンが僕らの目の前に急停車する。
真っ黒なスモークフィルムで覆われた窓からは、車内の様子を伺うことが出来ない。
しかし、今、このタイミングで僕らの目の前に止まったこの車の中にいる人物が何をしようとしているのかは理解することが出来た。
「楯無、虚ッ!簪と本音を連れて、早く家に行け!!」
車のドアが開くよりも早く、車体の脇に空いた隙間を見つけ、そこを通るように指示を出す。
そして僕自身は開こうとする助手席のドアに向かって突撃をする。
「リヤァァッ!!」
「んぎやぁぁ」
降りようとしていた人物が、開きかけたドアを無理矢理に勢いをつけて閉じたられたことで足が挟まれ、その衝撃によって叫び声をあげる。
これで恐らく一人行動不能になったはずだ。
隙を見て車の正面に回り、逃がした刀奈たちの方を見るが、俺の様子を見つめるようにして立ち止まってしまっている。
ドアのスライドする音とともに、複数の人物が車から降りてくる。
降りてきた全員が顔全体を覆う覆面をかぶっていて表情は伺えないが、仲間同士で交わす言葉を聞く限り、かなり腹が立ってしまっているようだ。
体型を見る限り、全員男だろう。人数は三人、運転席から降りてきてはいないので、助手席の人物と合わせて五人だ。
足止めに失敗すれば、刀奈たちはすぐに追いつかれてしまうだろう、僕は立ち止まっている刀奈たちに向かって叫ぶ。
「こいつら誘拐犯だっ!早く家に行って、助けを呼んできてくれっっ!」
僕の声を聞いてからの刀奈たちの行動は早かった、簪の手を刀奈が、本音の手を虚が握り、家に向かって走りだした。
その姿を見た俺は、男たちに向き直り、防御重視の構えを取る。
「かなりカンが鋭いみたいだな。俺たちが降りる前に、誘拐だと気づくなんてな……」
「まぁ、普段から鍛えてるからね……」
リーダー格の男だろうか、話しかけてきたので返事を返す。
余裕があるように見せる為に、軽口を叩きながら、男たちの様子を伺う。
それぞれが鉄パイプを手に持ち、合図さえあればすぐに動きだせるように前傾姿勢を取っている。
何も持たない僕には少々荷が重い、背を向ければすぐさま叩きのめされるだろうから、引き下がるわけにはいかない。
刀奈たちが助けを呼んでくれるのを待つしかないだろう。
「ここは絶対に通さないよ」
「随分余裕だな……その虚勢がいつまで持つか試してやるよ!やれっ!!」
号令と共に男たちが動き出す。
振るわれる鉄パイプを避けることを重視し、体を左右に動かす。
最初のうちは掠ることもなく避けられたが、時間が経つにつれ、それが難しくなってくる。
「ぐうっ!!」
避けきれなかった鉄パイプが、右腕に当たり、足が止まってしまう。
さらに時間差で次々に体に衝撃が加えられ、足に力が入らなくなってしまう。
「そろそろ耐えられないだろう?」
跪くようにして動きを止めた僕に、男の一人がご満悦といったトーンで喋りかけてくる。
僕は、刀奈たちの姿が完全に見えなくなっていることに安堵する。
張りつめていたものが緩み、意識が徐々に薄れていく、かろうじて体を支えていた力が失われていき、地面に倒れこむ。
「連れていけ……」
両手と両足に何かが巻かれるような感触のあと、体が宙に浮く。
恐らく座席だろう、微妙なな柔らかさのある場所に投げ出され、ドアの閉じる音が耳に入った瞬間、僕は意識を手放した。
楽しんでいただけましたでしょうか?
今回の話から、徐々に物語が動き出すと思います。
ライダー、ISが出るまでもうしばらく飽きずにお待ちいただけたらと思います。
お読みいただいた方々ありがとうございます。
それではまた次回……