ベルくんちの神様が愛されすぎる   作:(◇)

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六話上から連日投稿しています。見忘れた方は其方へ周り下さい。

二万文字ぐらいです。今までSSを書いていて一番楽しかったです。


六話下

 ベルの身体の中心に防具を通して衝撃が走り、勢いは止まらず身体は宙に舞った。

 地面と平行に弾き飛んだベルは、その勢いのまま背中から壁へと激突する。脆い岩の素材だったのか、着弾地点を中心にひび割れその場所でずるりとベルは地面へと落ちる。

 壁を背にして座る様に地面に落ちたベルは、真っ白になった頭の中を整理する。

 

「ゴォオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 シルバーバックの咆哮はまるで勝利の雄叫びの様だった。事実そうなのだろう。自分の周りを鬱陶しくまとわりついていた者を潰すことができたのだから。

 

「(痛い、けど。動けないほどじゃない、か)」

 

 口の中を切ったのか唇の端から血が流れる。喉をせりあがってくるものは無いため、内臓を傷つけたということはなさそうだ。

 打撲程度にはなっているだろうが骨が折れている状態ではない。ヴェルフの防具が良い形で受け止めてくれたからだ。薄目を開けて防具の状態を確認すると、ひしゃげた形が目に入り、一目でそれ以上役に立たないと分かった。

 

「(もう少しだけ持ってくれよ試作型兎鎧……なんて、確かに気が抜けるな。名前はやっぱり大事だよ、ヴェルフ)」

 

 頭の中でベルは友人に思わず苦笑する。思考を再構築している最中の余計な考えだったが、それはベルを冷静にするという結果をもたらした。自分が戦闘に関すること以外に使っていた思考を、再びそれのために使えることに気が付いたのだから。

 

「(シルバーバックは……まだ居る。当たり前か、僕だってそうする)」

 

 勝利の雄叫びをあげたシルバーバックだったが、直ぐにはヘスティアの向かったダイダロス通りに行かず、じっとベルの方に視線を向けていた。

 なんとなく、ベルにもそれがわかる。俯いた状態、さらに目を閉じているように見える程の薄目では辺りの状況を確認するのも限界だった。

 

 ベルは動かない。動かせないわけではない。死んだように最低限の呼吸で調子を整え、隙を窺っている。相手が死んだと思ってくれれば御の字だ。だがそれは無いだろうとベルは判断した。

 

「……グルル」

 

 シルバーバックはジッとベルの方を見て……ゆっくりと歩みを進めた。ダイダロス通りではない。ベルが居る方向へだ。

 

「(散々吹っ飛ばされたふりをして奇襲してたんだ。いくらモンスターでも学習するよ)」

 

 クリーンヒットを受けたわけではない。シルバーバックが余計な力を使って起こった衝撃でよろけたようなふりをしたり、どさくさに紛れて隠れたりしただけだ。

 そうして時間を稼いでいた、ならば今倒れているベルが同じことをしないなど考えられない。しっかりと止めを刺してから次の作業に移るつもりだろう。

 

「(……それなら、今は我慢だ)」

 

 馬鹿な真似をしてシルバーバックの一撃を受けた結果、自分に都合の良い奇跡なんて起きないと理解することができた。それなら次は最初からその選択肢を取らなくてもいい物差しが作れた。

 時間を稼げ、一秒でも長く。それが自分を生かすことになる、神様が無事な率を上げる選択と成る。

 シルバーバックが歩くたびに地鳴りが響く。衝撃、音、それで今相手がどの場所に居るかを確認し、ベルは自身が動くタイミングを待った。

 

 

 かつん、と。地面に落ちる小石の音が聞こえた。

 

「グルゥ?」

 

「――――は?」

 

 

 奇しくもシルバーバックとベルが疑問の声をあげたのは同時だった。

 

 それはベルとシルバーバックの間に投げ込まれた小石が地面に当たった音だ。転々と跳ねてやがて止まった小石の方向から、それが何処から投げ込まれたのか理解し、シルバーバックとベルは其処へ視線を向けた。

 

 少女が居た。黒い髪をツーテールに纏め、白いワンピースを纏っている。身につけた白いレースの手袋、その掌の中にあるのは数個の小石だった。

 少女はその小石を一つつまむと、勢いよく振りかぶって投げた。小石がシルバーバックが拘束具として身に着けているバイザーへと当たり軽い音が鳴る。

 

 そうして少女は――ヘスティアはニヤリと笑ってシルバーバックに叫んだ。

 

「こっちだ! デカ猿!」

 

 言うと同時にヘスティアは反転しダイダロス通りへ向かって走る。

 数秒、時が止まった。ベルの思考は玉突き事故でも起こしたように滅茶苦茶だった。ほんの少しも想定していなかった出来事に、ベルに選択肢すら現れなかった。

 

「ガァアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

 

 先に再起動を起こしたのはシルバーバックだった。

 すぐ近くに自分が求める光が有る。アレを捕まえろ、女神の恩寵を受けよ! そう本能がシルバーバックを突き動かした。

 羽虫のような敵が自分の邪魔をする? そんな者は無視しろ。所詮は障害にもならない者なのだから。

 

 ダイダロス通りに向かって跳躍し、建物の上へと行くシルバーバックを見て、ようやくベルも再起動を果たす。

 

「(…………なにを)」

 

 身体を跳ね起こし、胸部に身に着けていた防具を引きちぎる。形状が変化したこの状態では逆に自分に刺さって危険だと考えたからだ。

 

「(……なにを)」

 

 無理やり動かした身体がギシギシと音が鳴ったような気がした。

 この状態ならもうしばらくは動かせる、そう判断して身体が求めている休息を無視してベルは駆ける。行先は当然、ダイダロス通りだった。

 

「(なにを!)」

 

 ダイダロス通りの坂道を下る――ことは無く、道の石垣の上に跳躍し、もう一度行った跳躍で住宅の上に着地する。その程度なら神の恩恵のない人間でもできる動作であり、その補助が有るベルは危なげなく住宅の屋上を走る。

 前には同じように駆けるシルバーバックの姿と、遠目に白い服の少女の、自分の主神の姿が見えた。

 

 

「なにをやっているんだ、あの馬鹿神(ヘスティア)様はぁああああああああああ!!!」

 

 

 ベルは意味が無いと理解しつつも叫ばずにはいられなかった。

 

 

――

 

 ヘスティアはダイダロス通りを駆けていた。デカ猿――シルバーバックが通れないような細い道を選んで駆ける。

 今日一日走っていたからか、足が痛みを訴える。だけど後ろから来るシルバーバックの存在感が、今止まれば自分は終わるな、ということをなんとなく教えていた。

 

「(……凄いなあ、ベル君は。ずっとあんな奴と戦っていたんだから)」

 

 直線だったのならあっという間に自分は捕まっているだろう。今自分が逃げ切れているのは、ダイダロス通りの複雑怪奇な道が自分を守っているからだ。

 無論、来た道なんて一偏すら覚えちゃいない。ホームに一人で帰れと言われたら、その辺で野垂れ死にになってしまうかもしれない。

 いや、それよりも先に自分があの大猿に捕えられるのが先か。

 

「我ながら、馬鹿なことやっているなぁ、っとぉ!!」

 

 ヘスティアが裏路地へと文字通り飛び込むと、シルバーバックの掌が自分の居た場所の後ろを通り過ぎる。倒れ込んで、痛みに気を取られつつも走るのを再開し、ちらりと後ろを見れば、シルバーバックが路地の間に手を突っ込んで自分を捕まえようとしている姿があった。

 ヘスティアは考える。もうすぐ自分は捕まると。足が徐々に動かなくなってきて、胸は爆発しそうなくらい痛い。運動なんてせいぜいヘファイストスのお店でこき使われ走り回っていたことぐらいだ。

 自分がシルバーバックから逃げられるような算段は無い。それでも――

 

「(ベル君が、逃げるぐらいの時間は作れたかなぁ)」

 

 ヘスティアは笑う。

 

 自分が地上での終わり――天界への送還が行われた後、ヘスティア自身が後悔する確信はあった。

 きっと天界は人手が足りておらず、殺気立っている事だろう。過去にぐーたらしていたようなことはできず、管轄外だというのに事務仕事を手伝わされるのだ。

 時折天界から地上を見て、何とも楽しげな景色を見て溜息をつく。なんであんなことやっちゃったのかなぁ、と呟くのだろう。

 何千年、下手をしたら何万年もそれが続くはずだ。その未来はこの数分後に必ず訪れるとヘスティアは理解していた。

 

「(はは、本当にボクはバカだ。たった一人のためにこの世界で過ごす未来を費やそうとするなんて。――だけど、それでも)」

 

 ベルに助かって欲しい、たった今この瞬間そう思っているヘスティア自身の思いに嘘は吐けなかった。

 ああ、愚かだ。自分は彼のためなら、たとえ【神の力(アルカナム)】を使っていいとさえ思っている。天界に送還される自分の事なんて、どうでもいいとすら思っている。

 

「(なぜ? 決まってる。ボクは、ベル君の未来が見たい)」

 

 どうなって欲しいのか、ベルはそう尋ねた。自分はそれを直ぐに答えることはできなかった。自分がどうしたいのかはっきりと理解していなかったから。

 だけど自分を逃がすために命を捨てる決断をしたベルを見たとき、はっきりと理解した。

 

「(悪いねベル君。神なんて連中は、どいつもこいつも嫉妬深くて、我儘なんだ)」

 

 ベルがヘスティアに見せていたものは嘗て彼が恩恵を受けていた時、築いた【軌道】そのものだ。その事実に、ヘスティアは確かに嫉妬し、確信したのだ。

 昔の彼が定めた【軌跡】ではない、自分(ヘスティア)が決めた道筋じゃない。彼自身が思い、願った原初の憧憬。その先へとどう行くのか。彼の物語(ミィス)が見たい。

 

 ああ、あと一つ。大切なことが有る。

 

 誰も手を取ってはくれず涙が零れ落ちそうだったとき。たった一人手を取ってくれた少年が居た。

 大丈夫ですか、と。ヘスティアを安心させるように微笑んだその少年に――

 

 

 確かに恋をした自分が居た。

 

 

「ボクは、ベル君の事が、大好きなんだ! 文句あるかぁああああ!!!」

 

 

「ガァアアアアアアアアアアア!!!!!!」

 

 ヘスティアの叫びはシルバーバックの咆哮によってかき消される。裏路地を抜けた大通り、進行方向へと現れたシルバーバックを見て、ヘスティアは停止し、身体を反転させて再び駆けだした。

 シルバーバックの掌がヘスティアへと向けられる。そして彼女を捕まえようと彼女の周りを囲った掌を握りしめた。

 

「グルゥ!!?」

 

 バチィ、と火花が弾けたような音が辺りに響き渡った。

 何が起こったのかヘスティアにも分からなかった。そして彼女の視界に入ってきたのは、自分が胸にかけていたお守りが、淡い金色の光を放っている姿だった。

 

「……ヘファイストス」

 

 ヘスティアは神友の名を呟いた。

 鍛冶の神、ヘファイストスが自らの親/神(しん)友へと送ったペンダントは、自身の現在の持っている全てを注ぎ込んだ傑作だった。数センチの金属に刻んだのは破壊不能のエンチャント、そして――対象をヘスティアに指定した数度限りの自動防御(オートプロテス)

 ヘスティアはその価値は分からない。ただ、神友が自分に送ってくれたと言うだけで最上級の価値があると決めつけていた。そしてそれは、確かにヘスティアの危機を救っていた。

 やがて御守りは光を失い力なくヘスティアの首へと掛けられる。二度目はない、少なくとも今日中はもう使えないだろう。シルバーバックは何かおかしかったのかと首を傾げ、再度ヘスティアを捕まえようと手を伸ばしたときだった。

 

 

「神様ぁあああああああああああああ!!!」

 

 

 ベルの声が響き渡る。

 【敏捷】のステイタスを全開に使って駆けて跳躍したベルは、シルバーバックの後頭部へと着地する。それは強烈な跳び蹴りとなって突き刺さり、ヘスティアを捕まえようと重心を前に倒していたシルバーバックの顔面を地面へとぶつけていた。

 

「ベルくん! たぁ!?」

 

「少し、我慢していてください神様!」

 

 地面へと着地しヘスティアの横を通過する際に手を伸ばし、腹部の辺りへと手を置いて身体を掴む。そしてそのままヘスティアを荷物のように肩へと置いた。

 ベルの顔の横にはヘスティアの尻がある。いわゆる、俵持ちという奴である。

 

「ちょ、ちょっとベル君! 凄いタイミングで来て助けてくれたのは嬉しいし惚れちゃうよ! だけどこの持ち方は無いんじゃないかな!? もっと相応しい持ち方があると思うんだ!」

 

「こんな時に何言ってるんですか神様!? 馬鹿ですか!? いや馬鹿でしたね!? 今改めて気が付きましたよちくしょう!?」 

 

 ヘスティアは背中から場違いなことを叫び、ベルはそんな彼女に突っ込みを入れた。

 背後からはシルバーバックが迫っている。ベルはそのことに気が付いているし、ヘスティアはその様子がバッチリ見える状態で抱えられている。

 だけど両者とも奇妙な安心があった。自分が守ろうとした者の体温がそこにある、互いに思い感じていたことは同じだった。

 

 ベルの前に見えたのは建設途中の木材が、小さな子供が通り抜けられそうなトンネルになっている状態だった。

 あ、これは神様ぶつかるな、と察したベルは、走りながら僅かに膝を曲げた。

 

「ちょっと、失礼しますよ神様!」

 

「なぁあああっ!?」

 

 そしてそのままヘスティアを宙へと放り投げる。木材で出来たトンネルをスライディングで滑り込んで通り抜ける。木材を越えて落ちてきたヘスティアをベルは両手でキャッチし、そのまま走り抜けた。数秒もした後には、その木材はシルバーバックの振るう鎖によって粉々になって吹き飛んでいた。

 ヘスティアを両手で抱えながらベルは走る。いわゆるお姫様抱っこの体勢に気が付いたヘスティアは顔を赤くした。

 

「そう、これだよこれ! ちょっと扱いは雑だけど分かっているじゃないかベル君! そんな君にボクに惚れるか惚れられる権利をあげよう!」

 

「ははははー、神様がもしも男で、可愛くなかったらぶん殴ってるセリフですね!」

 

 ベルは駆ける。思考は勿論全力で動かしている。だけど口から勝手に零れたセリフは、ベルの心に何かをもたらした。そうして逃げ続ける中で狭い裏路地のいくつもの出口に分岐したその場所で、シルバーバックは二人を見失った。

 眼前に広がるのは幾つもの道の中央に位置する開けた空間だった。そこで初めてベルたちはシルバーバックから距離を取ることができた。直ぐにでも見つけてくるが、それは確かにヘスティアとベルに落ち着いて話す時間を作り出した。

 ミアハから貰ったポーションを懐から取り出し一気に飲み込んだ。身体に溜まっていた疲労が抜けていくような感覚が広がった。

 

 ヘスティアを静かに地面に下ろし、その視線を真っ直ぐに受け取った。

 ヘスティアがベルにもたらす温かいソレは、ベルが失いたくないと願った物と同じだった。悔いるような声で、ベルは尋ねる。

 

「……どうして、来たんですか」

 

「逆に聞くよ、ベル君。君はどうして来たんだい? 逃げれば君は助かっていたのに」

 

「そんなの! 神様が無事であってほしいからに決まっているでしょう!?」

 

「ああそうだ。ボクも君に全く同じことを抱いた、それが答えだ」

 

 ヘスティアは、真っ直ぐにベルの目を見て答える。そしてベルはその言葉から、ヘスティアが自分の未来(いのち)ではなく、ベルの命に重きを置いていると理解できた。

 ヘスティアが見せる意思は、ヘスティアがベルのためなら【神の力】ですら使ってみせるという覚悟を感じさせるものだった。

 

「君も、ボクも、同じことを考えている。そして助けが来ない今、どちらかが犠牲になる以外に助かる術は無い。……だけど、両方が助かること出来る術を君は知っているね?」

 

「……まさか」

 

 ベルの頭の中を過ったのはたった一つの回答だった。

 自分が犠牲になってシルバーバックから時間を稼げばヘスティアは助かる。そしてヘスティアが【神の力】を使ってシルバーバックを撃退すれば、ヘスティアは地上を離れベルだけが助かる。

 

 両方が助かる方法は一つ、その原因と成るモノを殺すこと。

 

「ベル君、君があのモンスターを倒すんだ」

 

「馬鹿な事を言わないでください!!!」

 

 ベルは叫んだ。ヘスティアのあまりにもバカバカしい言葉に、気が付かれるかもしれないリスクを忘れて声を荒げた。

 

「言ったじゃないですか神様! 僕じゃあのモンスターに勝つことは――」

 

「十中八九無理だ、そう君は言ったね? ……裏を返せば、一か二、勝つ手段が有るってことじゃないのかい?」

 

「そんなの、言葉の綾で」

 

「ベル君、ボクは【神】だ。その言葉の裏の意味を隠しきれない事を知っているだろう?」

 

 嘘をついて、誤魔化そうとしたベルの言葉をヘスティアは切り捨てる。そして真っ直ぐな視線に思わずベルは目を逸らした。

 一か二程度、勝つ手段はある。いや『あった』。

 その中の一つは魔法だ。自分が嘗て使っていた魔法が使うことができれば、という不確定を含んだそれだった。そしてその結果は自分の防具を失うだけという結果を残した。

 

 ぎり、とベルは自身の奥歯を噛んだ。どうしてわかってくれないんだ、そう怒りすら抱いてベルは思う。

 残りの零か一? ああ、確かに存在する。余りにも馬鹿げた理論に、ベルは怒気を含ませて叫んだ。

 

「ええ! ええ! ありますよ! あれは人型だから人間と同じ急所かもしれない(・・・・・・)! 魔石と身体を繋ぐ管を切断できれば命を絶つことができるかもしれない(・・・・・・)! こんなナイフでも俊敏に動くあの猿に、億に一の確率でそれらの急所を狙えれば勝てるかもしれない(・・・・・・)なんて、かもしれないだらけの子供(ガキ)の夢想と変わらない馬鹿げた方法なら!」

 

 言った全部がベルにとって好都合な妄想だ。どれ一つベルに確信は無いし、偶然が幾つ重なっても無理だと断言できる夢想に過ぎなかった。

 そんなものに神様(ヘスティア)未来(いのち)を賭けられるはずがない。

 

「あるならいいじゃないか。ボクを気にしないで挑戦してみればいい」

 

 それを、ヘスティアは肯定した。

 

 ベルの思考回路は滅茶苦茶だ。神様相手に気が狂ったんじゃないかと考える程に頭は煮立っている。

 論理のない言葉は叫びとなってベルの口から溢れた。

 

「不可能だって言っているんですよ!」

 

「できる」

 

「本当に話を聞いていたんですか!? 妄想一つ違っていたら終わり! 僕の手元が狂ったらナイフはへし折れて終わり! そんな方法ができると思っているんですか!?」

 

「できる!」

 

「できないって言っているだろう!?」

 

「ベル君なら、できる!」

 

「僕は! 物語の英雄なんかじゃない! そんな都合のいい話があるわけないじゃないですか!!!」

 

「それでも! ベル君ならできる!」

 

 お互いに声を荒げ言い合った。分かって欲しいと、そう言葉に込めたベルの言葉をヘスティアは否定する。

 自分は物語の英雄ではない。そんなこと何年も前から知っていて、ついさっき再確認を済ませたところだ。英雄の様(・・・・)でありたいと願った自分の元に来たのは、有りもしない希望に縋る【軌跡】の残りカスだけだった。

 【奇跡】は起こらない。運命を司る神が居るとするのなら、只の人であるベルにそれを授けることはしない。

 

 時間が無い、この言い争いの間にシルバーバックは此方に向かっているだろう。その焦りからか、ベルの口から出した言葉はまるで悲鳴の様だった。

 

 

「どうして神様にそんなことが言えるんですか!?」

 

 

 

 

 

「だってあの時ボクの手を取ってくれた時から――君はボクにとっての英雄だった」

 

 

 ベルは言葉を失った。

 ヘスティアが浮かべた慈愛を含めた微笑みは、ベルの中にあった空っぽの場所に雫を落としたからだ。

 

「確かに君は、他の人から見たらただの人だ。父親の陰に隠れて、虫みたいに走り回って、女の子の扱いも分かんないような小っちゃい少年だよ。――だけど!」

 

 それでもと、ヘスティアは思う。

 かっこ悪い神だとベルには思われたくなかった。彼がファミリアに入ると言ったその帰りは誤魔化していたけれど、本当は泣きたいぐらいに嬉しかったんだ。

 彼は、ボクを笑顔にしてくれた。それだけは紛れもない事実だ。

 

「他の有象無象の英雄なんて知ったことか! 君はボクの手をとってくれた! 一緒に居たいと言ってくれた! ボクにとって英雄という言葉は、君だけの物だ!!」

 

 ヘスティアが読んだ様々な物語があった。冒険譚があった。英雄たちが居た。

 古代にダンジョンで本当にあったと言われる、【迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)】という英雄たちの物語があった。

 

 そんなもの、これからベルが描く物語(ミィス)と比べたらちり紙同然だってはっきり言ってやる。

 

「なりたいんだろう!? 君が言っていた父親のように! 憧れていたんだろう!? 物語で描かれていた英雄たちに!」

 

「そんなわけが――」

 

(ボク)に! 嘘をつくなベル君!!」

 

 今日、ベルが楽しげに語った男神(えいゆう)の物語をヘスティアは知っている。そしてその英雄を尊敬していると言った彼の言葉を。彼がかつて子供の頃に抱いた憧れを。

 物語の英雄たちに憧れていたと言う少年だった頃のベルの【憧憬】を、ヘスティアは確かに聞いた。

 

 英雄になるのは諦めたと、なるつもりは無かったと彼は言った。

 だけど、憧れていない(・・・・・・)なんて言葉は一言も言わなかった。

 

 だから見たいと、書き綴りたいと思った。

 英雄の隣を目指し【軌跡】を描いた男神の眷属(かれ)の物語ではない。オラリオでヘスティアの眷属(かれ)が歩む、眷属の物語(ファミリア・ミィス)を。

 

 確率が零よりも少ない? だからどうした、自分の眷属(ボクのこども)が『できるかもしれない』と言ったんだ。ボクの未来ぐらい、くれてやる!

 

 

「周りも、君自身の考えも、誰にも気にする必要なんてない! 英雄に成りたいんだったらなっちゃえばいいさ! その背中をボクは押してやるよ!」

 

 

 彼の物語の主人公は彼自身だ。英雄でしか【奇跡】を引き起こせないのなら、ボクが彼の事を英雄だと言ってやる。

 

「あいにく背中に居るヒロインは、その、ボクみたいなちんちくりんで悪いけれどさ……」

 

 最後の最後で恥ずかしげにヘスティアは顔を赤らめる。自分で自分を物語のヒロイン扱いすることがちょっとだけ恥ずかしかったのだ。

 

 静寂が訪れる。その静けさにヘスティアが耐えられなくなった頃に、くす、と小さい笑いがベルの口から零れる。

 

 ヘスティアが言ったのは自分が思い抱いていた全てだ。なのに最後の発言の方が恥ずかしいと感じているヘスティアが、少しだけ可笑しいとベルは思った。

 

「わ、笑うなよぅ」

 

「だって神様……自分のことヒロインって、ふふ」

 

「笑うなってば!」

 

 誤魔化すように怒るヘスティアの事を素直に可愛いとベルは思い、そのいじらしさに思わず笑いがこぼれてしまった。

 ああ、自分はこんなにも神様に思われているのだと、その嬉しさを誤魔化すための笑みでもあったのだ。

 

 くすくすと笑うベルにヘスティアは非難の目を向ける。そして口を開こうとしたところで――シルバーバックの咆哮が響き渡った。

 

 

「ガァアアアアアアアア!!!!」

 

 

 屋根の上から広場へと着地したシルバーバックは、真っ直ぐに視線をベルとヘスティアに見据えている。

 先ほどと何も変わらない、一つも好転したことなど無い。それでもベルは、静かにナイフをシルバーバックに向けて構える。

 

「……神様、きっと僕はアレに殺されます。そうしたら神様まで天界に郷帰りする羽目になりますよ」

 

 それでも本当にいいんですか、と。ベルは尋ねる。

 

「そいつは丁度いいや。天界(うえ)に登るついでにベル君の魂を引っ張って行って、今度は天界でデートの続きと行こうじゃないか。何処か行きたい場所はあるかい?」

 

 ボクが特別に案内してあげるよ、と。ヘスティアは不敵に笑ってベルに言葉を返した。その内容が可笑しくて――ベルは口元に笑みを作った。

 ヘスティアの言った内容はあまりにも魅力的だ。本当に彼女と天界に行けるのなら、ここで死んだっていいぐらいには思ってしまいそうだ。

 

「いいですね、それ。……だけど――」

 

「そう思うだろう? ……でも――」

 

 

 (ボク)は、この地上で彼女(かれ)と一緒に歩む未来を見たい。

 

 

 ベルは笑う。

 ああそうだ。ベル・クラネルは、ヘスティアがこういう神様だから一緒に居たいと思ったんだ。

 

 

「神様、やってみます」

 

「うん、頑張れベル君!」

 

 

 ベルはシルバーバックに向かって歩く。まるで近所へ散歩にでも出かけるように。

 ベルの心情の変化にシルバーバックは気が付かない。当然だった、これから猫が鼠を――否、虫を潰すのに何を考えるなど知ったことではないのだから。

 シルバーバックが握り拳を金づちの様にベルに向かって振り下ろす。その瞬間にベルは倒れるように身体を前に出して、そのまま踏み出しトップスピードまで速度を上げた。

 シルバーバックがやることは変わらない。ダイダロス通りに入る前、一度捕えた虫を再度潰すだけだった。

 

 【奇跡】が欲しいか?

 

 ベルの頭に浮かんだのはそんな甘言だった。

 その発言を思い浮かばせた原因は自身だろう。『おとうさん』が、『英雄』が引き起こしてきたような【奇跡】が有れば。目の前の脅威なんて簡単にやっつけられるのに、と。そうどこかで思っている子供のような感情がその言葉を頭に思い浮かべたのだ。

 

 糞喰らえ、ベルは【奇跡】という言葉に中指を立てた。

 

「(考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ!!! 引き落とせ! 何でもいい! この場を解決できる【軌跡】を!)」

 

 詐術、交渉術、武術、逃走術、鉄鎖術。医術、柔術、合気術、体術、拳術、操騎術。剣術、短刀術、投擲術、跳躍術、歩行術、体操術、演技術。力学、科学、薬学、呪術学、魔法学、動物学、言語学、人間力学、運動学――――。

 嘗てオラリオに来る前、男神と共にベルが歩んできたその全ての【軌跡】を引き落とす。

 

 ベルの眼前に迫る拳を無理な姿勢で回避し、着地した時に腕に負荷を与え肩が外れた――それを瞬時に嵌め直し、ポーションの空き瓶を握り締めて下手投げで投擲した。

 ぎゃり、という地面に瓶が辺り割れてガラス片となった残りがシルバーバックの顔面へと向かう。シルバーバックが反射的にそれを腕で防ぐと、見失ったベルが居たのはシルバーバックの肩だった。

 

「ガァアアアアアアア!?」

 

 シルバーバックがベルを振り落とそうと身体をゆすった。それに合わせてベルはその上で跳躍し、その地点と差が無い場所へと着地する。シルバーバックは不規則に動き乱そうとするが、ぴょんぴょんとノミのように跳ねるベルは暴れ馬を操る様にその動作に合わせる。

 ベルを振り落とせないシルバーバックは自分の右肩に居るベルを押しつぶそうと、右肩から建物へと突っ込んだ。その衝撃ならばベルを振り落とせると判断したのだ。

 

 ベルは右肩に居なかった。

 

「そら、よっと」

 

 シルバーバックの後頭部から、その声は聞こえた。

 最後の跳躍でシルバーバックの後頭部へ着地したベルは、その両足でシルバーバックの身体を押した。

 シルバーバックが見ていたのは右肩、そしてベルが居たのは反対側の後頭部。【敏捷】のステイタス限界まで足に力を込めたベルは、シルバーバックが向かいたがっている壁に向かって押しやったのだ。

 【敏捷】のステイタスの恩恵はベルの身体を高く上まで弾き飛ばした。落下するベルは壁に向かって頭を突っ込んだシルバーバックを眺めながら、宙にあった洗濯物の紐を掴むなどしてゆっくり着地する。

 

 なぜ、と。壁に突っ込んだ体を起こしながらシルバーバックは思う。

 何故自分はあんな虫けらごときに振り回されている。なぜあの神の恩寵を受けることができない。

 見下ろす先には着地し立ち上がったベルの姿が有る。そしてベルはシルバーバックと視線を合わせ――

 

「…………はんっ!」

 

 鼻で笑った。

 

「ガァアアアアアアアアアアアア!!!!!グゴガァアアアアアア!!!!」

 

 シルバーバックは吼えた。

 その言葉を聞くことができたのなら、殺してやるぞ! 磨り潰してやる! という声が辺りに響き渡っているのが分かっただろう。

 自分の腕には拘束されていた時くっついていた(ぶき)があった。右へ、左へ、広範囲を薙ぎ払うようにベルに向かって連撃を与えた。

 

「(悔しいよね。悔しいに決まっている。お前に比べたら僕は辺りを飛び回る蚊みたいなもんだ。そいつが挑発したのなら、悔しくない訳が無い)」

 

 知能は四から六歳児程度、挑発が通じるのなら此方の言語はニュアンスだけ伝わっているはずだ。

 目の前に居るのは紐を振り回す子供と同じだった。武器を持つと、それを使いたくなるのは殆どの者がそうだ。シルバーバックが振るう鉄鎖術はベルから見ればお粗末な物だった。

 頭に血が上った五歳児が、紐を振り回して此方を狙っている。笑ってしまいたくなるぐらい簡単な状況だ。

 故に、ベルは危なげなくシルバーバックの連撃を回避する。再度懐に近寄れるタイミングを探し続ける。その最中、ベルは徐に口を開いた。

 

「――そうです! 神様! そのまま逃げてください!」

 

 ベルはこの場を離れていくヘスティアへ向かって笑みを見せて叫ぶ。

 反応したのはシルバーバックだった。目の前に居る虫に気を取られて神の方に意識を向けていなかった。

 このままこの虫を相手していればまた見失って追い掛ける羽目になる。せめて逃げる方向だけでも見ようと虫が向けた視線の先を一目確認する。

 

 誰も居なかった。少し視線をずらしたその場所に、きょとんとした表情のヘスティアが居る。

 

「ばーか」

 

 声と同時にシルバーバックが感じたのは、股間から来た強い衝撃だった。鈍い鈍痛に脂汗が顔から零れ、股間を庇うように片膝を立てて辺りを確認すると、視界にナイフを構える(ベル)の姿があった。

 意識が有る、此方の言っているニュアンスが分かる――そいつは会話や演技で欺ける相手だという証明だ。

 僅かな隙でシルバーバックの股下に駆け寄ると、【敏捷】を使い地面を蹴り飛ばす。そして二足歩行動物共通の急所に【力】のステイタスを込めて拳を叩き込む。生殖器は無かったが問題は無い。確かなダメージは相手に伝わっている。

 シルバーバックの額の血管がぶつぶつと煮えたぎるような音を立てる。その勢いのままシルバーバックは己の拳を振り上げた。

 

 

「ガァッ! ………………………フシュゥウウウウ」

 

 

 拳を振り下ろそうとしたシルバーバックは、一度その拳を静かに下げると、大きく息を吸い込んで吐き出した。

 

 そして静かに、構えるベルに向かって視線を据え、薙ぎ払うように腕にくっついた鎖を振るった。

 

 

「……っ! くそ!」

 

 

 その挙動に力は入っていない。今までが殴り殺すように力を入れられたのなら、それは叩き落とすように速度を速めた物だ。

 無造作に、だが静かにベルを見据えながら行う連撃は、先ほどまでの駄々っ子のような者とは違う、害虫を潰す人間その物だ。

 

 今、シルバーバックはベルの事を叩き落とす羽虫ではなく、自身に害をもたらす障害だと認識した。

 

 速度も精度も変わった連撃は、先ほどと変わらずベルにとっては必殺だ。

 そうした極限の中、ベルは思考を動かしつつも一つのことを思ったのだ。

 

「(……神様は僕の事を自分(ヘスティア)にとっての英雄だと言ってくれた。……だけど)」

 

 自分(ベル)自身は自分の事が英雄でないと知っている。【奇跡】を起こせないと知っている。

 

「(虫、ああその通りだ。強大な怪物を前にしたら僕は蚊や毛虫、ゴキブリ辺りが良い所だろう)」

 

 特に最後は当てはまっていると、逃げ回っている様子がそっくりだと。ベルは自嘲するように笑う。だがそこに含まれた笑みの意味は自嘲だけではなかった。

 

「(虫と呼ばれようがゴミと呼ばれようが、きっとどうだっていいんだ)」

 

 自分(ベル)は自分が【英雄】でないと知っている。

 

 嘗ての自分は『おとうさん』の姿が、情けない所や馬鹿なところを見せる英雄の姿が嫌いだったから。その姿に、ただの人間でしかない自分はどうしようもない劣等感を抱いていたから。

 だから英雄を目指すのを辞めた。只の人間がたどり着けるその場所なら、きっと『おとうさん』について行けると思ったから。

 どうしようもない少年(ガキ)だとベルは思った。自分は賢いなんて考えてきた自分の【軌跡】は、自分が迎えていた反抗期の現象に過ぎなかったんだ。

 だがそのツケの結果、自分は此処に居る。今この状況で、【奇跡】を引き起こせない只の人の状態でこの場所に立っている。

 

 自分(ベル)は自分が【英雄】でないと知っている。

 

 だから、億分の一の確率を引き当てる様な【奇跡】を引き起こすことはできず、自分がシルバーバックに殺されるという当たり前の【結果】しか出せないことも理解していた。

 

「(……そうしたら、神様はどう思うのかな)」

 

 手足を潰され、なぶり殺しにされた自分(ベル)を見て、何を感じ何を思うのだろう。

 天界でデートに行けることに喜ぶだろか、それを楽しみにするだろうか? それなら自分はとんだ神様に目を付けられたもんだと僕も笑うだろう。

 怒って【神の力】を使うだろうか。ああ、確かにありそうだ。どれだけの思いをこちらに寄せているか自分だって理解している。それを失ったときの怒りはどれほどの物か。

 

「(――なんか違う。しっくり来ない)」

 

 想像する。自分が倒れ伏せその場に駆け寄るヘスティアの姿を。この先に起こる、只の人が起こす当たり前のような【結果】の終わりを。

 鮮明に思い描くことができた。(ベル)の顔を見たヘスティアの表情はきっと。

 

 

 大粒の涙を流して、顔をくしゃくしゃにして歪めていた。それが――これから起こる【結末】だ。

 

 

「――――はは」

 

 

 ベルは笑う。

 お前は何を考えた? これから起こる結末を、ほんの少しでも認めたのか? 仕方ないと諦めたのか?

 

 お前は只の人だ――知っている。

 お前は英雄ではない――知っている。

 故にお前の下に【奇跡】は訪れない――知っている。

 ならば起こる【結末】は確定した―――ぶっ殺すぞ、ベル・クラネル。

 

 自分は知っている。自分がこれまで歩んできた【軌跡】を知っている。

 幼いころに定めた少年(ベル)が描いた【憧憬】は、『おとうさん』との別れで何もかも砕けてなくなった。

 それでも、知っているだろう? 『おとうさん(あのかた)』の背中を。いつも『おとうさん』が言っていた言葉は、今でもすぐに思い出せる。

 

『ベルも、女の子が居たら優しくするんだぞ。泣いている子が居たら笑わせてやるんだ』

 

 幼い自分(ベル)は、だけど、と思ったのだ。少年の自分(ベル)は、何言っているんだと白い眼で見ただろう。そして今の自分(ベル)が聞いたのなら、言葉ではなく言った本人を鼻で笑ってやる。

 

 いつも自分(ベル)が思い描いていた共通点は。

 幼い少年(ベル)が抱いていた物とは違う。『おとうさん(クズ)』のせい(・・)で原初から抱いていた、(ベル)に残されたたった一つの【憧憬(おもい)】。

 

 

 

 女の子を泣かせる男は、最低だ!

 

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 獣が、男が、吼えた。

 

 それは互いに自身へ活を入れる物ではなく、雄叫びによって自身の緊張を解すための物だと理解している。

 シルバーバックの(てのひら)が地面に、ベルに向けて振るわれる。拳よりも面積が広い掌で、今度こそ潰してやると地面に連打する。

 引き起こす【軌跡】は歩行術だった。平和な国で行われたルールのある戦い。そこで培われたチェンジ・オブ・ペースと呼ばれる歩行術はベルの身体に緩急をつけ、掌の雨を回避する結果をもたらした。

 足元に来たベルをシルバーバックは蹴りあげる。先ほど詐術と演技術で引き起こしたシルバーバックへの一撃は警戒させるに足るものだった。

 引き起こす【軌跡】は合気術、柔術と力学だった。極東の達人が見せた、本の街の学者が教えたその(がく)術はベルの身体を突き動かす。蹴りあげたシルバーバックの足の後ろに回り込み、そのまま足を押し込んだ。

 巨体が宙を舞った。そのまま落ちてきて潰されないよう、ベルは地面を蹴り飛ばして頭から突っ込み範囲外へと着地する。

 

「(ソレを引き起こす【軌道】を描け!)」

 

起き上がってくるシルバーバックに向けてベルは短刀を構え走る。

 

 

 【軌道軌跡】――自分が嘗て抱いていた【経験値(おもい)】を放棄した者達に贈られるスキル。

 その眷属が他の場所に居た山頂(ばしょ)へ、ただ道案内の地図を乗せただけのもの。再び苦労しないように、ほんの少しだけ他の眷属よりも早く歩けるようにするための道標だ。

 それはオラリオで解釈されたスキルの概要だった。嘗て作り出した器を記憶して、それを辿る限り成長する、目立って珍しくもないスキルだ。

 その解釈は殆どが合っている。だが一つだけ足りないものがあった。

 

 

「(培ってきた【軌跡】を辿れ!)」

 

 起き上がったシルバーバックは恐怖した。未知の力によって転ばされたのもそうだが、目の前に走ってくるベルが、今まで対峙していた者とは思えなかったのだ。

 

 

 ――そのスキルは、その眷属が確かにその山頂(ばしょ)に到達し、身に宿したという【証明】だ。そして可能にするのは、自身が経験してきた限定的な【軌跡】の再現だった。

 

 だからこそベルは自分の【軌跡】を引き落とし再現する。

 だがベルが行っているソレは嘗ての旅で廻り見てきた(がく)術の全てだった。そしてそれは全て其々の突出した才を持つ者達が培ってきたものだ。

 只の人(ベル)が、一朝一夕で身に着けられるものでは決してない。そう、只の人は。

 

 

 フレイヤは知らない。混ざり染め上げられ、濁った色になったと判断したその少年の過去を。

 ヘスティアは知らない。少年だったベルがどれほど強い【憧憬(おもい)】を抱いていたのか。

 

 彼の『おとうさん』――男神は知っている。英雄(じぶん)の隣に居たいと願ったベルの思いを。

 彼の『おかあさん』――女神は知っている。(じぶん)が与え背中を押したベルの【一途な憧憬】を。

 

 只の人(ベル)が英雄の隣に立つことはできない。だからこそ幼いベルの抱いていた【一途な憧憬】は、只の人が持つ【全て】の可能性を取り込もうと背中を押したのだ。

 未熟で幼いベルが目指した【憧憬】への【軌跡】はその身体に確かに宿っている。

 

 男神と女神――大神(ゼウス)母神(ヘラ)は知っている。ベルが未だ至っていないだけなのだと。

 そして自分達の子供(ベル)は、やがては英雄(ソレ)に辿りつく【未完の英雄】であることを。

 

 故に。

 

 

「【奇跡】が起こらないから、あの子(ヘスティア)が泣くんだ! だから! 【奇跡(そいつ)】が起こす【結末(けっか)】だけ僕に寄越せぇ!!!」

 

 

 【一途な憧憬】が――嘗てベルにあった【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)】が背中を押し、覚えた【軌跡】を引き起こさせた。

 

 【軌跡引用】武術、体術、歩行術、短刀術、心理学、動物学。

 ベルは思考を巡らせる。自分のスキルの事について気が付いてなどいなかった。ただ、異常に背中が熱いと感じたことと、自分がどう選択すれば、最適解を得られるのかがより鮮明に感じられた。

 シルバーバックは無我夢中で自身の腕をベルに向かって叩きつけた。それは、自身に迫る恐怖を遠ざけようとしたものだ。

 

 【軌跡引用】跳躍術、歩行術、体操術、体術、着地術、操騎術。

 ベルが、シルバーバックの手の甲の上に着地する。そしてそのまま腕を通ってシルバーバックの顔面に向かって駆けあがった。

 

「ウォオオオオオオオオオオオオオ!!!?!」

 

 シルバーバックは咆えて、自身の腕を振り回す。

 人間の感覚で言えば、潰そうとした虫が腕から本体に向かって駆けあがったのと同意だ。恐怖が、根本的な嫌悪感がシルバーバックの思考を奪う。

 

 【軌跡引用】跳躍術、体操術、医術、短刀術、生物学、動物学。■■.■【■■】

 

「(……あれ?)」

 

 そうしてベルは気が付いた。

 視界がすべてモノクロに変わっている。頭をハンマーで何度も殴られたように痛い。だけど思考は冴えわたり、自分の周囲の全てが水の中にでも浸かったようにゆっくりな世界なら、どんな細かい事でもできる様な気がした。

 辺りの時間がゆっくりに成る現象。ゾーン、走馬燈といった言葉を知っているが、それとは違うとベルはなんとなく判断する。

 つい最近この光景を見たのは魔法が放たれず、シルバーバックに一撃を喰らったときだ。そのとき見たこの世界に既視感を覚えていた。

 

「(身に覚えがある? ……ああ、そっか。僕はこの世界を知っている)」

 

 全てができる様な全能感を、身体の全ての性能を上げた【ランクアップ】した自分が見た世界と同じだ。

 ベルは可笑しくて笑いそうだった。魔法を使う前に、英雄の様(・・・・)でありたいと願った自分の元に来たのは【軌跡】の残りカスだった。

 それは自分の中でしっかりと芽吹いていたのだ。

 

 シルバーバックの腕が振るわれた瞬間、それに合わせてベルは跳躍する。腕の勢いと跳躍した時の加速で、ベルの身体が回転しながら宙へと舞った。そして何度も反転する世界の中で、ベルはナイフを持ち直した。

 

 チャンスは一度きりだ――なんだ一回もあるのかとベルは安心した。

 

■■.■【■■】――Lv.2【器用】

 

 ゆっくりと流れる光景の中で、ベルのナイフはシルバーバックのバイザーを通して眼へと突き刺さった。

 

「ガォアアアアアアアア!!?」

 

 明確な痛みにシルバーバックは叫ぶ。

 なぜこんなことになっているのか分からなかった。自分が戦っていたのは害虫ではなかったのか? 邪魔であろうとも、自身の身を脅かすような存在ではないのではなかったのか!!

 目に突き刺さった何かを取らなければならない、手を顔にやるより前に、シルバーバックは壁へと足を掛けて、まるでバリスタを引き絞る様に足を曲げたベルの姿を目に焼き付けた。

 

【軌跡引用】体操術、体術、跳躍術、医学、動物学。Lv.2【敏捷】【器用】【耐久】

 ベルがシルバーバックの眼にナイフを突き刺したとき、刃の先で眼底の骨に当たった感触があった。

 モノクロの世界の中でベルは考える。目玉を抉り取ったところで人は死なない。それなら、シルバーバックが死ぬ道理はない。だけど全ての生物に共通した弱点は存在する。

 

「脳を抉れば、生物はやがて死ぬ」

 

 ベルを矢に見立てた自分の身体というバリスタの発射準備は整っている。研ぎ澄まされた世界の中で、【敏捷】のステイタスで補正された(あし)から(ベル)は放たれた。

 

 ベルの耳に足の筋肉が千切れて骨が砕ける音が聞こえた。

 

 当たり前だ。引き起こした【軌跡】に対してそれを扱う(からだ)は未熟なままだ。

 ベルの周りの世界がモノクロになっているのは、周り全てが水中のように感じるのは、恩恵に対して身体が追いついていないからだった。

 

 未熟なその身で上位の力を振るうのに代償は必須だった。

 

【軌跡引用】拳術、体術 tan■術 〇▽術 Lv.2【力】【耐久】【器用】

 

 それでもベルに戸惑いは無い。

 只の人が、英雄がもたらす【奇跡】が起こす【結末】を求めたのだ。最初から代償を支払う覚悟はできている。

 脳がオーバーフローを起こし動かしている思考にエラーを表示する。眼が映しているはずの映像は砂嵐が起こり輪郭だけを残して消えていく。

 科学の街で見た杭打機。自身をそれに見立てたベルは、自身の右腕に【力】を込める。それだけで腕の血管が幾本も千切れる音が聞こえた。

 

 このままいけば、自分は後戻りできない場所まで行くだろう。

 だったらどうしたと、女の子を泣かせる以上の最悪が有ってたまるかとベルは鼻で笑った。

 

 杭打機(ベル)杭先(みぎうで)はシルバーバックの顔面に向けられる。(じぶん)の着弾と同時に先ほどの一撃で残されたナイフ()を、再度その地面(がんめん)へ押しやった。

 

「ゴガァアオアガアアガガアガガ!!!?!??」

 

 シルバーバックが聞いたのは自分の頭の中の骨――眼底部分の骨が砕けた音だ。そしてナイフは未だその先の脳へと突き進もうとしている。

 放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せぇ!

 それはシルバーバックの本能が与えた命令だった。致命的な何かが起こる、そう判断したシルバーバックの腕は、未だ組みつくベルの四肢を引き裂こうと引っ張った。

 

「(離すな離すな離すな離すな離すな離すなぁ!!)」

 

 ベルは叫ぶ。それが最早言葉にはなっておらず口の端から内臓を傷つけ溢れた血が零れる。

 右腕以外の四肢の感覚はもう無い。身体の中を火鉢でかき混ぜたような痛みを発し、自分の眼球が映す世界は砂嵐が舞い物体の輪郭すらわからない。

 それでも掌でナイフの柄を押しやっていた右腕は、今その柄を握りしめて地面(がんめん)へと押し進めている。

 

 そしてベルは理解する。限界は来ていた。一押しが足りない。ベルが培ってきた全てを足しても、【奇跡】が起こす【結末】には届かない。

 不安を抱いた感情が右腕の感覚を消そうとした瞬間に、その声はベルの耳に届いた。

 

 

「ベル君!」

 

 

 にぃと。ベルは笑った。

 英雄じゃなくてもいい。だって、物語で主人公の背中を押すのは、ヒロインの言葉だろう? そいつはどんな物語だって共通だ。

 

 最後の一押しはそこにあった。ドアでもあけるように気楽に、ベルは柄を捻り上げた。

 

 

――

 

 ベルの身体が地面へと落ちる。受け身を取れずそのまま地面を転がったベルは、身動き一つもしなかった。

 それはシルバーバックも同じだった。ベルを掴んでいた体勢で立ったまま動かない。

 どれだけの時間静寂は続いていたのだろうか。風景の中で初めに動いたのはシルバーバックだった。

 大地へ向かってその身体は倒される。びく、びく、と。筋肉が痙攣し顔面のバイザーから液体のような何かが流れると、やがて他のモンスターと変わらず溶けて消えていく。そして倒れた体が在った場所に紫紺の色の結晶だけが残った。

 

 ヘスティアは慌てて倒れ伏すベルの元へと向かう。そして仰向けにして体の状態を確認する。

ベルの身体から見せる肌は青黒く、身体の中で血液が爆発したようだった。死人のように青白い表情のベルを見て身体を震わせた。

 

「……ベル、くん?」

 

「はい、なんですか神様?」

 

 ゆっくりと目を開き、ベルはヘスティアの顔を見る。ぽろぽろとその目からは大粒の涙が零れている。ああ、泣かせちゃった、と。ベルはぼんやりと考えた。

 

 声をあげて泣き出したヘスティアはベルの身体を抱きしめる。そしてその瞬間に、歓喜の声が辺りから響き渡った。

 それは今までベルとシルバーバックの戦いを見守っていた、ダイダロス通りの住民たちの物だった。ベルを称える声や恋仲のような二人を冷かすような声が響き渡り、涙目交じりに顔を赤くしたヘスティアが叫ぶ。

 

「……なんとか、生きてる」

 

「当たり前だろう!? 死んだらどうするんだ!? もっと余裕で、ボクに心配させないように勝っておくれよ!?」

 

「神様がやれって言ったのに……酷いですよ」

 

「ああそうだよ言ったのはボクだった! くそぅ、こんなにベル君を傷つけるつもりなんてなかったのに……」

 

 砂嵐だった世界がモノクロに、そしてゆっくりと色彩が世界に戻っていく。腕や足はまともに動かない、力を入れようとしたらひどく痛みが走った。致命的かどうかはお医者(ミアハ)様に見てもらわないと分からないだろう。

 

「(僕は、守れたんだ)」

 

 【奇跡】がもたらす【結末】を、自分とヘスティアがまたこの世界で笑う事ができるという未来を。

 

 ベルは起こしていた身体をヘスティアへと預けた。突然力を抜かれて慌てたヘスティアはベルの頭の方へと身体を寄せた。

 そしてヘスティアはベルの頭を自身の膝に置くと、汚れを気にせず優しくベルの頭を撫でた。

 

 ヘスティアはベルに向かって微笑む。ベルも、同じように笑みを返した。

 

 これからどうしようもなく辛いだろう。身体はボロボロで再起不能かもしれない。再起可能でもリハビリに悩まされることになるはずだ。

 それでもオラリオの良く晴れた空を見ると、そんな悩みもちっぽけな物に感じてきた。

 ベルは自分達のホームが有る方向へと視線を向ける。屋根の上に少しでも自分たちが帰る場所が見えないか、と。ぼんやりとその風景を眺めつづけた。

 

 

 

 

 黒い影が、ベルの視界に入った。

 

――

 

 ベルたちを見下ろせる場所の屋根に立つオッタルは、その光景を見て見事だと素直に思う。

 英雄の武器も身体も持たない少年――男は只の人がもたらす結末を遠ざけ英雄の結果をはじき出した。確かにベルは英雄の片鱗をその場に示したのだ。

 

 

「――だが」

 

 オッタルは思い出す。フレイヤが示したモンスター()の事を。そしてそれを差し向けたフレイヤの意図を。

 フレイヤがベルに送ったのは気に入った者へ示す試練の扉ではなく、いたぶり殺す処刑の鎌だったという事を。

 

――

 

「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」

 

 そのモンスターの咆哮に、ダイダロス通りの住民たちが散り散りになって逃げだした。

 アレは先ほど戦っていたシルバーバックと同じだ。そして、それは相手に成るなどと生易しい考えを持つことをできない相手だと理解する。

 

 死神の鎌は――『ミノタウロス』はベルに向けて獰猛な笑みを見せた。

 

 




幼ベル「英雄の隣にいくためにはどうすればいいかなぁ? そうだ、見た物全部身につけたら近づけるかも!?」
憧憬一途「分かった、手を貸そう」
 
 ベルハードモード
 次回原作一巻分ラスト。
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