ピットの中で、ラウラは今までの闘いを振り返っていた。
思えば、長い闘いだったと思う。
一学年のほとんどが参加する大会なのだ。
開催期間も、その間に繰り広げられる試合も、段違いに多い。
そして、その長い大会をラウラは勝ち残ってきたのだ。
目的は何か。
それは己の優秀さを証明することである。
あとはこの決勝で憎い、あの男に勝つことさえできれば、それは証明できるはずであった。
しかし、ラウラの心は重い。
もう少しで目標を達成できるはずなのに、その目的がひどくみすぼらしいものに思えた。
切っ掛けは準決勝だ。
セシリアと鈴を相手に苦戦を強いられたのである。
大会の途中で苦戦を味わわされたことで目的の完遂を断念したわけではない。
ただ、あの二人が見せた姿が目にこびり付いているのである。
そして、二人の姿の後ろに見えてくるのは、この大会で蹴散らしてきたはずの対戦相手たちである。
目に映る虚像が、見下していたはずの姿が、何故か輝いて見えて、反対に、己が当初持っている目的が薄汚れて見えた。
そして、そんな弱くなったような自分が気に入らない。
だが、どうすればいいのか。
ラウラには分からない。
他の人間よりも優れていると証明する生き方以外をラウラは知らなかった。
部隊でもそうだった。
他の人間よりも強くあろうと、頑張ってきたのだ。
生まれてきてからずっとだ。
それを今さら、否定されたとして、他に何ができると言うのか。
途方に暮れるラウラは、前を向いた。
壁で隔てて見えないが、そこにはあの男がいるはずであった。
安城大晃。
闘う為に生まれてきたラウラが唯一尊敬の念を抱いたのが、織斑千冬だった。
そして、今回の大会はタッグで行われるものだ。
つまり、二人一組となって闘うのが普通で、しかし、例外があった。
学年から一人、飛びぬけた実力を持つ人間を選んで、単身で参加させるのだという。
そこで選ばれたのが大晃であった。
もし、大晃ではなくラウラが選ばれていたら、ラウラは気にはしなかったろう。
だが、現実にはラウラの実力を千冬が知っているにも関わらず、大晃が選ばれてしまっている。
大晃よりもラウラの実力は低い。
ラウラにとってはそう言われているのと同じであった。
それはきっと、下らない理屈に違いなかった。
ラウラも薄々感じている。
それでも、ラウラはその理屈に縋りつくしかなかった。
頭の中で大晃への、反感の原因となったエピソードを蘇らせる。
そうして、憎しみの炎を駆り立てることで、ようやく闘えるのだ。
アリーナへの入り口が開いて、歓声が漏れて入ってくる。
反対には大晃が相対するように立っている。
微笑を浮かべていた。
気に入らないと思っていた笑顔に、引き込まれている自分が、不思議だった。
「ねえ、一夏はやくおいでよ」
「ああ」
アリーナの観客席に一夏とシャルルはいた。
「どうしたの?」
「いや、ちょっとな」
問いかけてくるシャルルに、一夏は上手く応えられない。
一夏は大晃に向けて零落白夜の一撃を見舞っている。
それで大晃が参るはずもないが、それから大晃と話す機会はなかった。
そんな自分が直に試合を見ることに、言いようのない気まずさがある。
「一夏、ここの席が空いているよ」
「ああ」
一夏はシャルルの顔も見ないで、席に座る。
一夏はシャルルを"雪片"で斬りつけている。
幸いシャルルには大きな怪我はなかったが、そのわだかまりは解けていない。
本当ならば一人で試合を見たいところだった。
シャルルが半ば強引にでも連れてこなければ、部屋で一人で試合を見ていただろう。
「そろそろ、始まるね」
「ああ」
「どっちが勝つかな?」
一夏としては複雑な問題である。
大晃は友人だ。
もちろん応援したい。
しかし、箒も幼馴染に違いなかった。
ラウラに対しては特に応援する気持ちもないが、それで箒の敗北を願うということにはならない。
ただ、それでもどちらが勝つか、予想をするとなると、答えはおのずと出てくる。
「大晃が勝つ」
「へぇ」
「あいつはとんでもなく強いからな」
素手で勝ち上がってきた大晃は、全ての敵を、一夏たちも含めて、倒している。
それも二対一と不利な状況で勝ってきているのだ。
大晃の強さに対する疑いは微塵もない。
箒とラウラのペアも強いことには強いが、大晃に勝てるかと言われれば、難しいように思えた。
「箒のペアには不安要素もあるしな」
「確かにね。僕も同じ意見だよ」
ラウラは準決勝で落とされている。
箒により試合での勝ちは拾ったが、プライドが高いラウラがその事実を受け入れるのは難しいよう見える。
大晃との闘いでは完璧な連携を求められるはずなのに、ラウラが箒に応じないだろうこともマイナスの要素だ。
「なあ、シャルル?」
「何?」
「なんで、俺をここに連れてきたんだ?
一人で見に来れば良かったんじゃないのか?」
一通り話題が尽きて一夏は切り出した。
何故、自分を連れてきたのか。
シャルルは努めて明るく振舞っている。
しかし、実際には一夏と同じように、あの試合での恐怖が残っているはずなのだ。
だったら、わざわざ一夏を呼ばずに、一人で観客席に来ればいい。
それでも呼んだということは、何か理由があるはずで、それを一夏は知りたかった。
「この決勝戦は、何か特別なものだと思うんだ」
「特別?」
「だって、そうでしょ。
あれだけいっぱいの人間ここを目指して闘って、残ったのがあの二組だよ。
今までの闘い全部がこの闘いに繋がっているんだ」
「……」
「そんな特別なものを一人で見るなんて勿体ないよ。
だから、一夏を誘ったんだ」
そう言って、シャルルは一夏の反応も見ないで、アリーナに視線を向けた。
一夏もアリーナに目を向けた。
試合が始まろうとしていたからだ。
一夏とシャルルが座る観客席には、もう二人、箒とラウラのペアと因縁の深い人間がいた。
「とうとうですわね」
「全くね」
準決勝で箒のペアに敗れた、セシリアと鈴である。
「それにしても大丈夫なのかな、あの二人」
「二人の事情はどうでもいいですわよ。
わたくしたちに勝ったのですから、あの男にも勝って貰わなければいけません」
「まあ、それはそうだけどね」
「何です?
まさか、あの男に二人が負けると思っているんですの?」
「……大晃は強いからね」
鈴にもセシリアの気持ちはよく分かる。
自分たちに勝った二人が他の誰かに負けることは許せない。
しかし、それはそれとして大晃は強い。
連携が不足気味な箒とラウラが勝てる要素は少ないように思える。
「それはあの二人にも言えることでしょう。
私たちに勝った、あの二人は紛れもなく強い」
「でも、大晃に勝てるようには思えない」
「まあ、今の二人であれば難しいかもしれませんわね。
ただ、可能性はあります」
「可能性?」
「ええ、わたくしが落とした、あのドイツの娘がどれほど成長できるか。
そこが勝敗の分かれ目です」
「そんな、都合良くいくかな?」
「ですから、可能性と言いましたわ。
ただ、わたくしたちを負かした以上、そうして貰わなければ困るというだけのことです」
はっきりとした口調でセシリアは言った。
その二人の前で、試合が始まろうとしていた。
アリーナで箒とラウラが大晃に向き合っていた。
大晃は超然とそこにいるだけだった。
自然物はただそこにあるだけである。
何故、自分がそこにあるのか、誰に問うこともなく、ただそこにあるのみである。
大晃はその自然物のようであった。
鈍く輝く装甲にはひび一つ見えない。
自然からそういう風に切り出してできた物体のようにも見える。
「へへへ」
それが笑った。
岩に切り込みができて、その奥から漏れる空気が、声を象っている。
そんな感じだ。
「遂に、決勝だな」
二人は答えなかった。
岩に返す言葉などあるはずもない。
それと同じように、返すべき言葉を二人は見つけることができなかったのだ。
「長いがあっという間だった。こんなに楽しいのは初めてかもしれん」
そう言ってから、突如名前を列挙していった。
この大会で闘ってきた者たちの名であった。
最後に一夏とシャルルの名を挙げて。
「こいつらは色んなことを俺にしてくれた。
銃器、鈍器、刃、盾、杭、あらゆる物を使い……火力、速力、物量、様々な要素から俺を攻略しようとした」
期待の眼差しを二人に向けている。
「お前さん方は俺を、どうやって倒すつもりなのか。
今からそれが楽しみで仕方が無い」
この大晃の台詞に箒が反応した。
「教えてやるよ」
「ほう。いいのかい?」
「いいんだ。そのときは貴様の身体に直に教えてやるからな」
「へぇ……、いいね」
「私も良いアイデアだと思っているよ」
そろりと言葉を交わす。
「そろそろだな」
「ああ」
「……」
時間が近づいている。
大晃は笑みを深めて、箒は心を奮い立たせて、ラウラは黙って、その時を待っている。
そして、それは観客も同じだった。
観客席で、モニターの前で、全員が待っていた。
この大会で、多くのものが闘った。
一つ一つの闘いは当人たちにとって特別で。
一つ一つの決着がもたらしたものは大きい。
そして、いま決勝で立っている者たち以外は全員が負けている。
その負けたものたちが目指していた決勝が今行われようとしている。
大会参加者はそこに大きな決着を見るために集っている。
この闘いは、自分たちが行けなかった所だからこそ、見届けなければならないのだ。
大会に参加していない者も、そうだ。
ずっと見てきた大会の結末がどのようなものになるのか。
それを知らなければ、きっと後悔するだろう。
始まりの時は近い。
観客席が静まり返る。
闘いの始まりを見逃すまい。
その決意が静寂となって現れたのだ。
とんでもない緊張が会場全体を包み込み、始まりの合図が鳴った。
拳が向かってきていた。
それをAICで防ごうとしたんだ。
威力があろうが、AICの結界で阻めるはずだと思っていた。
衝撃。
最初から拳はフェイントだったのか、とっさに対応したのかは分からない。
大晃は結界に触れる寸前で拳を引っ込めて、蹴りを繰り出していたのだ。
右足に奔る衝撃で視界が揺れた。
大晃が右から回り込もうとしていた。
AICの結界で大晃の進路を覆おうとする。
しかし、大晃は即座に軌道を変える。
AICを避けて逆に手薄になった所から拳が飛んでくる。
今度は顔面だった。
突き刺さった拳の先に大晃がいる。
それは分かっていたから、AICを飛ばした。
身体を固定しておいて、攻撃を加えてやろうと思っていたのだ。
だが、AICは大晃を捉えることができなかった。
すでに大晃はその場から移動していた。
また、回り込もうとしている。
「はぁッ!」
箒が剣を振っていた。
きっと、どう動くか分かっていたのだろう。
その隙を補う位置に陣取り、大晃の襲撃から守ってくれている。
余計なことをするな。
きっと以前ならそう思っていただろう。
それなのに、箒を頼もしいと感じている。
不思議だった。
同時に、気に入らなかった。
他人を頼る軟弱さにイラついてもいた。
とは言え、そんなことを考えている暇はない。
大晃はそんなことを許してはくれない。
箒の斬撃は空振り、反対に大晃の拳が箒の腹に突き刺さる。
箒の顔に現れるのは苦悶の表情だ。
やけにそれがはっきりと見えた。
かっとなって頭に血が昇る。
今までの、イラつきが頭から掻き消えた。
「やめろ!」
レーザーブレードで斬り掛かる。
AICは意識を集中させなければ使えない。
使ったとしても当たらないのなら、より直感的なレーザーブレードの方がましだ。
だから、レーザーブレードに切り替えたのだ。
だが、それすらも通用しない。
まるで、大晃の身体をすり抜けたかのように、光刃が当たらない。
驚異的な体捌きが。
際の際までを見切る、洞察が。
限りなく近く、しかし、届かぬほどに遠い、刃と肉体との距離が。
それら全てが作用し合い、大晃の回避が認識できない。
だから、すり抜けたように錯覚している。
五感を強化していてもこれだ。
きっと、観客たちには、代表候補生だって、見るのもやっとな攻防に違いがなかった。
またしても、衝撃。
今度は腹だ。
蹴りか、突きか、それすらも分からない。
痛みに負けずに、今度は再びAICを発動させる。
捉える必要はない。
だが、せめて距離を取らせたかった。
大晃とて、一度AICに捕まれば手の打ちようがないはずなのだから、避けるに決まっている。
いや、避けるしかない。
だから、使いようによってはAICで大晃に距離を取らせることが出来るはずだった。
予想通り大晃はその場を離れた。
軌道を予想し、何とか大晃が回り込むのを阻止する。
だが、大変なのはここからだ。
AICで軌道をふさぐことが出来るとはいえ、大晃は瞬時に軌道を変えてくる。
阻止した、その瞬間から始まる読み合いは、そのことも含めて勘定をしなければいけない。
単純ではあるが、深い。
単純であるが故に、迅い。
思考の瞬発力と、肉体の即応力が肝の勝負だ。
だが、どうやらその能力は大晃の方が上らしい。
右に、左に、動かしてやって、上手く誘導したかに見えれば、思いもよらぬルートから侵略してくる。
どれほど予測し対策しようが、全てを上回られる。
きっとこの時点で負けていただろう。
一人であったならば。
「私を忘れるなよ」
箒がいた。
よりにもよって、AICが覆う戦場に飛び込み、大晃を阻む位置に姿を見せる。
大晃はそんな箒に拳を浴びせかける。
しかし、
空。
それは、あの大晃の回避に限りなく近かった。
回避の瞬間が見えない。
しかし、間違いなく避けていると感じさせる。
残像さえ見えぬほどの、見事な回避だ。
そして、
斬。
深く踏み込んできた相手に対して、最適な間合いを保ちながら斬撃を放つ。
それができる人間がどれほどいるのか。
拳を放ち切った大晃へのベストなカウンター。
それは、
廻。
大晃に触れることはない。
硬直した肉体を空間ごと廻す、超常の回避。
そこから、またしても打撃に繋げようとする。
そう、今、大晃は欲に駆られている。
箒のピンチであるのと同時に、チャンスだった。
AICを大晃に向かって飛ばす。
攻撃に意を向けている相手は得てして隙ができるものだ。
そこを突くつもりだった。
大晃はそれでも避けた。
攻撃に繋げるはずの回転に更なる速度を込めて、AICをすり抜けて、その場から離れる。
もっとも、悪いことばかりでは無かった。
ようやく、大晃との間に距離ができた。
これで一旦は休めるはずであった。
いつの間にか隣に付いていた箒と共に、大晃と向き合った。
まるで、山と相対しているようだった。
誰だ、と思う。
この男を弱いと思ったのは誰なのか、と。
私だ。
私がこの男を弱いと思っていたのだ。
この男だけではない。
この学園の連中は全員が弱いと思っていた。
でも、それは違っていたのだ。
この大会で闘った相手に弱い者などいなかった。
全員が強かった。
そして、そういう連中を独力で倒して、上ってきた男は、紛れもなく強い。
セシリア・オルコットが思い浮かぶ。
そう。
恐ろしい女であった。
ビットを手足のように操るくせに、素早く動ける女であった。
ねちっこく攻め立ててくる、嫌らしい女であった。
そんな女が目標にしているのがこの男なのだ。
なるほど、セシリアが目指すだけのことはある。
ふと、ラウラは疑問を浮かべた。
千冬以外の人間を認めるなど、増してや目の前の男を認めるなど、ありえないことであった。
今ここで思考しているのは、別の人間であり、それはラウラ・ボーデヴィッヒではないのではないか、と。
しかし、今、ここにいるのは間違いなくラウラなのである。
それ以上は考えられなかった。
大晃が動き出していた。
大晃はもっと苛烈になっていた。
これ以上は無い。
大晃の動きを見てそう思っていた。
これ以上の動きはあり得るはずがない、と言い切れるほどに見事な動きを、さらに上回ってきたのだ。
回転を生かしての拳足は突風を伴う。
逆にこちらの攻撃は当たらず、風を打っているかのように手応えがない。
嵐だ。
しかも、嵐は意志を持たないはずなのに、この嵐には明確な意思が宿っているのである。
意思の無いものはやり過ごせばいい。
どれほど、苛烈でも、腰に力を入れて踏ん張っていれば、いずれ通り過ぎてくれる。
これほど危険な自然災害はきっと前例がないだろう。
最も、大晃は人であるはずなのだが。
それでも、攻撃を緩めるわけにはいかなかった。
何でもやった。
時にはワイヤーブレードで拘束しようとし、AICで回避を強いて、レーザーブレードで斬りつけて。
だが、通用しない。
箒が私の隙を補ってくれている。
お陰で全力で攻めていられるはずなのに、その攻撃は全てが徒労に終わった。
ほの暗い、ヘドロのような感情が、シミのように広がっていく。
かつて、部隊で落ちこぼれたこともあるが、それよりももっと嫌な気持ちだ。
思い出した。
自分の力の通用しない辛さはこういう感じだった。
今までの自分が否定される、気分だった。
今まで私が闘ってきた相手はこんな気持ちを味わっていたのか。
考えもしなかった。
でも、私と彼らの間には大きな差がある。
あいつらは決して挫けなかった。
これほどの感情を胸に闘い続けていた。
私に出来るのだろうか。
もうすでに、挫けかけていると言うのに。
私はなんて――。
それは、ラウラが今まで考えまいとしていたことだった。
それは、ラウラの存在意義を根底から覆す考えであった。
しかし、目の前で躍動する大晃の凄まじさが、ラウラを援護する箒の姿が。
今まで闘ってきた人間すべての姿に、ラウラは思わずにはいられなかった。
私はなんて、弱いんだ――。
致命的なワードがラウラから集中力を奪った。
拳とやり取りをする最中。
それはあまりにも迂闊だった。
大晃の拳がラウラの頭部を襲った。
そして――。
ふっと、ラウラの身体から力が抜けた。
ラウラは闇の中に漂っていた。
どこかで見たような光景に過去を思い出す。
そう、それは、ラウラにとっての原点の光景であった。
試験管ベイビーとして生まれ、鉄の子宮の中で育まれた。
光を通さない闇こそがラウラの身近にあったものだった。
「これは?」
闇の中でラウラは考える。
何故、こんな所にいるのか。
今、自分は何か大切なことをしていたはずだったのだ。
ここで時間を無駄にすることなど出来ないはずなのに。
「大切なこととは一体、何だ?」
ラウラは呟いた。
靄のようなものが記憶に掛かって、肝心なことが思い出せない。
思い出そうとしても、記憶に掛かる霧が濃くなるばかりである。
ラウラは一旦記憶のことは置いておいて、この闇について考える。
見通しがきかない完全な闇だ。
眼だけでなく、耳の穴も水で塞がれたような不思議な感覚がある。
星の無い宇宙と言うよりは、光の届かない深海と言う方が、合っていた。
<汝、力を欲するか>
突如、闇が震える。
声が耳に響くのではなく、空間ごと揺るがす振動が声になっているようだった。
「貴様が私をここに閉じ込めているのか?」
<そうだ、と言ったら?>
「私を今すぐここから出せ!」
<ここから出た所でどうすると言うのだ>
「知るか! 私が、どこで何をしようが貴様の知った所ではないだろう!」
ラウラは現状への苛立ちを込めて言った。
とにかく、外に出たかった。
どこであろうとここよりはましだろう、と。
<汝に、力を授けるとしてもか>
「何だと? 私がいつ力を欲したというのだ?」
<なるほど。どうやら汝がここに来た、その経緯を忘れているようだ>
では、教えてやろうと闇が蠢いた。
ラウラの中に記憶が流れ込んだ。
「そうか、私は……」
<もう、分かったようだな。 そうだ、汝は敗北の際にいるのだ>
「……」
<我が汝をこの空間に縛るのは、汝に力を貸し、窮地から救う為>
ラウラは前を見た。
<汝に力を貸そう。あらゆる敵を破る力を、あらゆる窮地を脱する力を>
<かのブリュンヒルデの力を>
「教官の力を……」
そして、ラウラは闇の正体に気が付いた。
VTシステム。
ヴァルキリー・トレースシステムという字の通りに、織斑千冬を再現することを目的としたシステムであった。
搭乗者への負担は大きい。
事実、ラウラが目の前の闇に身を任せれば、自我を失いかねない。
しかし、それでもラウラは闇から目を離せない。
織斑千冬は憧れであった。
ラウラは千冬を崇拝している。
その千冬に成れるのであれば、今の自分など捨ててしまっても良かった。
セシリアに落とされてしまった自分。
対戦相手を強かったなどと思ってしまう自分。
大晃を前に心折れてしまった自分。
そんな自分など消えてしまえばいいと思っていた。
<さあ、差し出すのだ。汝、そのものを>