セシリアは震えながらその闘いを見ていた。
セシリアの目の前では一夏と大晃が闘っている。
力量の差を顧みずに、ただ想いを乗せて剣を振っている。
それは何とも眩しい光景だった。
しかし、一夏は負けるだろう。
セシリアはそう思いながら、一夏に加勢するつもりはなかった。
恐怖もあるが、もはやこの闘いはただ勝つか負けるかのものではないように思えた。
一夏が想いをぶつけて大晃が想いを受け止める。
自分が手を出して台無しにしてはいけないのだ。
拳と剣が奔る様を見てセシリアは実感する。
やはり、大晃は底が知れない。
PICを駆使して互角に打ち合う一夏も凄いが、普通であれば一夏が大晃に一撃は斬撃を当てていてもおかしくはない。
安城大晃はそれを完封してみせた。
――どう闘えばよいのか?
セシリアの目は自然と大晃を追っていた。
自分を痛めつけた男をである。
しかも、不思議なことに大晃を見ていると身体から湧いてくるものがあるのだ。
闘志が全身を廻り恐怖に震える身体に喝を与える。
その現象に既視感を覚える。
この闘いで一度、湧いてきた感情が場面にそぐわないことがあったような――。
セシリアは今までの闘いを振り返る。
大晃に全ての射撃を避けられ、接近された。
そして、鬼の連撃。
あれに名前を付けるのならそれが相応しいだろう。
痛みと熱を連撃の拳、一撃一撃で身体の奥深くまで植え付けられた。
そこで覚えた感情。
すぐに恐怖に塗りつぶされたが、大事なことだったような気がした。
それは確か甘い――。
セシリアが思考に浸ることができたのはそこまでだった。
目の前の闘いに変化が起きたからだ。
一夏がフィールドの端に大晃を誘い、大晃が誘いに乗った。
そして、一夏は特大の零式白夜で大晃に迫る。
そのまま空間ごと圧殺されるかに見えた大晃であったが、彼には奥の手があった。
遮断シールドを壁ではなく、床つまり足場として使うことで一夏の振う零式白夜をはるかに超える速度で攻撃したのである。
一夏の白式はその一撃を受けてエネルギーが尽きてしまう。
結局のところ一夏は負けてしまったが、セシリアは感心していた。
大晃の速度を生かすのが難しい閉所に追い込み、さらに空間ごと圧殺する。
敵の長所を潰し、自分の長所を生かす戦術である。
大晃はその閉所という環境を利用したが、一夏の考え方自体は悪くなかった。
もし自分ならどうするか。
相手の長所、それは無手の驚異的な加速性能と瞬間的な静止、それを生かす機転だろう。
ふと思う。
それは本当に長所なのだろうか、と。
長所には違いが無い。
しかし、その長所は短所を補うためのものでもある。
直進しかできないことは、進行方向を変える為には一瞬の静止が必要なことは、間違いなく短所である。
その短所は大晃の機転と無手の機体性能で潰されてはいるが、それでも短所には違いなかった。
今まで大晃のその弱みについて本気で考えていたのだろうか――。
もしその弱みを突けない理由があったとするなら、それは自分のどんな能力が不足していたからだろうか――。
大晃が一直線に向かって来たときに、一夏に庇われる直前に自分は何ができたのだろうか。
セシリアは目の前を見る。
大晃が迫っていた。
ゆっくりと動くその姿には巨岩が浮いているかのような威圧感がある。
しかし、セシリアは気圧されることなく大晃に向き合った。
身体の震えは消えていた。
「もう震えてなくてもいいのかい?」
「ええ。次はわたくしの番ですから」
微笑むセシリアを大晃は楽しそうに見つめる。
「怖いな。何か良い手でも思いついたって顔をしてる」
「それはこれからの闘いで嫌でも分かるのではありませんか?」
「ふふん、中々愉しませてくれそうだな」
大晃のその言葉を最後に沈黙が会場を包み込む。
セシリアと大晃は睨み合ったまま動かない。
お互いにタイミングを計っているように見えた。
二人の距離は近接攻撃を仕掛けるのには遠く、遠距離攻撃を仕掛けるのには近いという微妙な距離。
大晃も無造作に仕掛けることはできない。
逆にセシリアも射撃に移る意識の隙を突かれれば、あっさりと近づかれる。
だから、タイミングを計る必要があった。
もっとも、そんなことを大晃が考えているのかどうかはセシリアには分からなかった。
大晃の顔は喜色に満ちていた。
セシリアが何かを仕掛けているのを心待ちにしているかのようにも見えるのである。
何が出てくるのか分からない緊張を愉しんでいるようにも見えた。
ただ、セシリアは決めていたことがある。
もし、この沈黙を破るとするのなら自分であると。
先に仕掛けた方が不利になることは分かっている。
それでも先に仕掛けるのは、無様を晒した挽回をする為だ。
ビットがスカート状に着いたままであるのもその為である。
大晃が一夏と闘っている間にビットを配置することをセシリアは良しとしなかった。
「はぁッ!」
セシリアの意志に従いブルーティアーズの4基のビットが大晃に殺到する。
小規模な群体のように向かって来るビットを避けようとする大晃。
大晃も基本的なセシリアの武装を知っている。
無論、ビットの中にミサイルがあることも知っていた。
もっとも見た目ではあまり区別はつかない。
射撃ビットの中に紛れ込ませた"本命"があると考えての回避行動であった。
しかし、子機は大晃が逃れようとした寸前でそれぞれが進路を変更する。
「ッ!?」
大晃の目の前で、自身の左右にビットを浮遊させたセシリアがライフルを構える。
寄り集まったビットを目隠しに攻撃の準備を整えていた。
セシリアから奔る3つの光筋。
進行方向を潰す射撃を、大晃はPICを用いた体捌きのみで避ける。
さらにその避ける動作が次の回避に繋がっていた。
4基のビットの位置から割り出したであろう最適なルートへ身体の向きを変えていたのである。
直進を始めた大晃をセシリアの視線が追っていく。
4基のビットが大晃を追い、射撃を繰り返し、またセシリアもセシリアの周囲に浮く2基のビットからも光が放たれる。
もし、先ほどと違うことがあるとするなら、その攻撃方法である。
大晃を追いかける4基のビットは決して深追いはせずに、多くても4基の内の2基が攻撃を仕掛ける。
逆にセシリアの周囲に浮くビットは固定砲台のように利用され、光弾を次々と放っていく。
「やるなぁ」
大晃は言いながら、鋭く飛んでいる。
「なるほど、考えましたね――」
箒がピットの中で呟いた。
「ほう、説明してみろ」
「はい。セシリアは大晃からのカウンターを恐れているんです」
千冬の質問に箒はカウンターと答えた。
「いまセシリアが警戒する大晃の能力は敵の呼吸を読む能力です。大晃がセシリアに近づき攻撃できるのはこの能力のおかげと言ってもいいでしょう。
この能力のおかげでセシリアが大晃を見失った瞬間を察知することができるのです」
「それとオルコットが消極的になったことに何の関係がある?」
「セシリアがビットで深追いしなくなったのは視界を広く持つためです。射撃に意識を割けばどうしても視野は狭くなります。
そうなれば、大晃に手痛い反撃つまりカウンターを貰うのは道理です。あのビットの動きはセシリアが大晃を見失わないギリギリのものだと言うことでしょう。
攻撃が多角的ではなくなったことを消極的と言えば聞こえは悪いですが、相手の悪手を待つ良い手だと思います。
まず、生き残らなければ闘い続けることはできないのですから」
一息で言った箒に、真耶が感心の声を上げる。
箒にとって一夏は思い人のはずである。
その一夏は先ほど負けたはずであった。
一夏が負けたことに箒が何も感じていないはずはない。
悔しさを滲ませながら、唇を噛んでいたのだから。
しかし、すでに箒は目の前の闘いに集中している。
「山田先生はどう考えている?」
千冬の質問はある意味当然であったかもしれない。
この中で射撃に特化したIS操縦者、それが山田真耶であった。
「そうですね、私はおおむね篠ノ之さんと同じ考えですよ。ただ、私が見るに――」
そう言って、真耶は闘いを見る。
注視するべきはセシリアの周囲に浮く2基のビットと大晃を追いかける4基のビット。
目の前の展開とセシリアの武装のデータから真耶は一つのことを読み取っていた。
「オルコットさんはカウンターを狙ってもいます。しかも、既に布石は打ってあるようですよ」
セシリアの顔を珠のような汗が流れる。
大晃を抑える。
それは想像以上に難しいことであった。
攻撃を仕掛けなくても無数のやり取りが大晃との間にはあった。
ここに攻撃を仕掛けると思う。
ならば俺はこう逃げる。
ならばこちらはこうする。
ならば俺は――、ならばこちらはあえて――、
その無数のやり取りが連続して、しかも不意に訪れる。
これには体力を多く消費する。
だが、大晃はそんな状況でもけろりとしている様であった。
疲れを見せない。
そんな大晃と向き合っているからだろうか、セシリアは遂に大晃を見失う。
その隙を見失うことなく、大晃は静止と回転を始める。
銃弾が照準を合わせるように、大晃がセシリアに向き直る。
前進を始めた大晃であったが、その眼前には2つの光弾が迫っていた。
「――ッ!」
大晃の弱点は何か?
セシリアは必死に考えていた。
方向を転換する際に一瞬の静止と回転が必要である。
だが、その機を掴むことが自分にはできない。
本当にそうだろうか?
違う。
考えるべきは機を掴めない理由。
呼吸を読まれるから。
無手の速度が速いから。
その二つが合わさって捉えることができない。
逆にもし大晃を捉えることができるのならそれはどんな状態だろうか?
大晃が止まっているときならば――、加えて体捌きを取ることができないならば――。
それが無理なら、大晃の進行方向さえ確定できれば――。
あるわけがないと結論を付け掛けてたセシリアであったが、ぎりぎり気が付いた。
大晃は直線に進む。
その最終目標地点はどこか?
それはセシリア自身である。
自身に向かって来るときは大晃はどういう状況になるのか。
当然、セシリアから見て点となる動きになる。
つまり、狙いをつけることに限るのなら無手の速度が速くても遅くてもその瞬間は関係なくなる。
なら、確実に自分に向かって来るのはどのタイミングだろうか?
大晃を見失った瞬間である。
ならば、与えてやればいい。
自分自身に向かって来るように機をあえて手放すのだ。
ビットを周囲に漂わせていたのは切り返しの速さを上げる為。
どうやら効果はあったらしく、セシリアは向かって来る大晃に周囲のビットで一撃ずつ弾丸を放ったのだった。
そして、本来なら避けられるそれを大晃は避けることができない。
何故なら大晃は直進していたから。
身じろぎするためには静止する必要がある。
しかし、光弾を放たれてから静止したのでは流石に回避は間に合わない。
だから、光弾は大晃に直撃した。
無手の速度が逆に仇となり、光弾の相対速度は大きくなる。
「これで、決まりですわ!」
セシリアの放つライフルによる精密射撃。
既に静止を始めていた大晃は、大きくのけ反ることで弾丸を回避する。
しかし、セシリアの本命はこれではない。
「まさかッ!?」
「ええ、そのまさかですわ!」
笑みの形のままに驚愕の表情を浮かべる大晃。
大晃に突撃する2基のミサイルこそが、本命であった。
これらのミサイルは新しく射出したのではない。
既に出していたのである。
ビットにミサイルを混ぜていると見せかけて発射したとき、実は本当に4基の内2基はミサイルが混じっていたのである。
さらに、大晃の周囲を漂わせるときにはその2基だけレーザーを出さないことを悟られぬように、攻撃の頻度を下げる。
これは賭けであった。
もし、大晃がセシリアの狙いに気が付いていればこう上手くはいかなかった。
しかし、大晃はセシリアの真意を読み取れなかった。
全てはセシリアが行動に別の意味を持たせて、偽装したからである。
セシリアの抜かりのない行動がこの賭けの勝利につながった。
現に大晃は自身を挟み込むミサイルを前に驚いている。
その表情はセシリアの真意に気がつかなかったことの証明に他ならない。
既に、ミサイルは爆発を始めている。
大晃を挟むように広がる爆炎をセシリアは見つめる。
流石に二つのミサイルであれば堅牢な"無手"でも、エネルギーは消費するはずであり、そうなればセシリアの勝利になるはずであった。
だが――、爆炎に包み込まれ見えなくなる、その直前にセシリアは確かに見た気がした。
大晃が驚愕を抱えながらも、歯を見せて笑っているのを。
次の瞬間、大晃はセシリアから見て左に飛び出していた。
顔面を庇うように両手をクロスさせている。
大晃は二つある爆炎の内の片方に突撃を敢行した。
二つの爆破の中心にいるよりはましという判断であった。
セシリアは大晃を注視する。
それ故にセシリアはあるものを目に入れることになり、それに気取られてしまった。
クロスした両手を解いて見える大晃の顔面。
そこには軽度の火傷があったのだ。
普通ならあり得ないことである。
ISの防御はまず機体に巡らしてあるシールドで行われる。
爆発の爆風と熱はまずここで受け止められる。
シールドが突破されれば次は機体でダメージを受け止めることになる。
そして、最後に位置する防御機能が絶対防御だ。
絶対防御――、搭乗者が生命の危険のある攻撃を受けた場合にエネルギーを消費することでダメージを零にする。
これはどのISでも持っている機能である。
しかし、絶対防御を発動した形跡はない。
もし、発動しているのなら大量のエネルギーを消費した大晃の敗北が決定しているはずだからである。
――絶対防御を切ったですってッ!?
セシリアはそう考えてすぐさま否定する。
通常、絶対防御はISのコアに設定されている項目である。
コアはブラックボックスとなっており、その材料・製法を知っているのは開発者である篠ノ之束ただ一人である。
コアがどのような成長をしているのかを系統樹――フラグセグメント――という形で見ることはできるだろう。
コアを機体に馴染ませることもできる。
しかし、コアの設定そのものを変えることはできない。
増してや絶対防御を切ることなどはできるはずもない。
――ならば、どうして?
自分の考えには間違いなく基本的な誤りがある。
セシリアの脳裏に"それ"への違和感が走ったのと同時に、大晃は加速を始めていた。
瞬時にセシリアに詰め寄る。
セシリアが気が付いたときにはもう拳が目の前にあった。
目の前で拳がゆっくりと近づいてくる最中であった。
意識だけが加速して、この状況への対応策を見出そうとしていた。
現在、エネルギーは残りわずかであるが、拳の一撃や二撃ならシールドをできうる限り厚くして防ぐことできるはずであった。
防御を固め、ビットで攻撃を放ちながら、全速力で離れる。
それ位ならできるかもしれなかった。
しかし、セシリアはその考えを即座に切り捨てた。
シールドを厚くすると言うことは絶対防御ほどではないがエネルギーを消費する行為であった。
大晃を相手にするのならばエネルギーの消費を最小限度に留めるべきだ、とセシリアは考えていた。
そこでふいに浮かぶ、矛盾とセシリアの思惑が重なり合った。
一度恐怖した拳を前に、なおもセシリアは嗤う。
その歪んだ口は恐怖を飲み込むように開いていた。
その考えは理屈の上では成り立つけれども、馬鹿げた考えでもあった。
拳がセシリアの顔面を捉えて、セシリアの意識が途切れた。
古い記憶だった。
セシリアの目の前には、幼いころの自分がいた。
恐らくは4歳頃だろう。
ただ、口を固く結んで見上げるように何かを睨んでいる様だった。
最初は自分のことを睨んでいるのだと思っていたが、どうもそうではないらしいことに気が付いた。
セシリアは振り替った。
もし幼いセシリアが何かを睨んでいるのだとすれば、背後の何かだと思ったからだ。
セシリアは思わず声を上げた。
予想は当たっていたが、そこに居る人間が予想外だったのだ。
「お父様……」
何故、父がここにいるのか。
幼い頃の自分と父に挟まれているセシリアにも今の状況にどのような意味があるのか分からなかった。
セシリアの意識が記憶から現実に浮かび上がった。
目の前には大晃が居て、拳を叩きつける為に動いている。
それを見てセシリアは自身の思惑が上手くいったことと大晃が何をしたのかと言う推論が正しかったこと、その両方を確信した。
絶対防御が発動しない程度のダメージを受けるようにシールドを調整する。
それこそが答えであった。
これならば、シールドに回すエネルギーを最小限にし、かつ試合を継続することができる。
もっともこれはあまりにもリスクのある行動でもあった。
もし、シールドの厚みが足りなければ、絶対防御が発動してしまう。
必要なのはシールドの厚みと敵の攻撃からダメージを正確に読み取ることである。
セシリアが意識を失ったのは、絶対防御が発動する手前のダメージを頭部に受けたからだ。
セシリアは他人ごとのように闘いを眺めている。
ビットは4基忙しなく動いていた。
一つ一つが有機的に動いて絶え間なくレーザーを放っていた。
不思議なことに、ビットを動かしているときにさえセシリア自身が自由自在に動いて戦況を変えようとしている様だった。
セシリアの無意識がビットを操る際の欠点を克服する術を見つけたことは明白であった。
――ああ、どうしてお父様が出てきたのでしょうか?
セシリアはその術を目の当たりにしているのに、それが目に入っている様子はなかった。
もっと重大な関心ごとにセシリアの意識は向いていた。
何故父のことを今更ながら思うのか、セシリアは不思議でたまらなかった。
もし、母が出てきたのならセシリアはすんなりその事実を受け入れただろう。
何故ならセシリアにとっての母とは尊敬に値する人間であり、畏怖を覚える人間でもあったからだ。
セシリアが生きてきた中でもっとも厳しい人間が母であった。
何より、
――あの甘い感覚はお母様に叱られたときに感じたものに近いのに?
だから、セシリアには自信が父を連想することの意味がよく分からない。
父とは別段思い出はなかったはずだった。
叱られたことはおろかろくに話したことは無い。
セシリアの疑問は膨れていくばかりだった。
――なるほど、こうすればビットに割く意識を減らすことができるのですね……
自身の夢の問題が袋小路に入ったからか、セシリアの意識はより答えがはっきりとした事象に向いた。
すなわち目の前のことである。
知覚は広く拡散し、決して一つに収束しようとしない。
ビットを動かしていようと自身が動こうともそれを等しく同時に感じている様であった。
ビットの動きは無意識に刻まれたものを複雑に繰り返している。
動かすのに難儀しないパターンを複数繰り返す。
それらが組み合わさることによって一つ生き物のようにビットが動いている。
――お父様……
セシリアの脳裏にまた幻影が奔った。
ほんの一瞬大晃の顔が、父と重なったのだ。
大晃のようにたまらぬ笑みを浮かべる父がそこにはいた。
思わず腕を伸ばしかけて、それが幻影なのだと気が付いたときには顔が元の大晃に戻っている。
だが、そんな父はどこにもいなかった。
父はセシリアに向けて笑うことはなかったのだ。
ただ、顔色を窺うだけであったのだ。
――わたくしはお父様に……
セシリアが父に何を求めていたのかは定かではない。
もはや記憶はあやふやだった。
しかし、父に何かを求めていることは明らかだった。
――どうしてあの笑顔を見せてくれなかったのですかッ!
荒れ狂うビットはセシリアの慟哭だった。
父はもういない。
セシリアの願いが叶うことは永遠にないのだ。
より苛烈に、より正確に、より素早く動くビット。
それらがピタリと止まった。
大晃もまた止まった。
吟味するようにセシリアを見ている。
大晃は動かない。
セシリアは今や、完璧に大晃を補足している。
その中ででたらめに動いたってそれはもはや通用しない。
ただ逃れるだけの技術など通用しない。
大晃の眼が空を見つめる。
視線がじりじりと何かを見上げるように上昇する。
何を見ればそんな眼をするのだろうか?
それは100メートルの虎。
虚空を食い破る獣。
セシリアの意識の広がりほどの大きさの獣を見ているのだとすればそういう眼をするかもしれない。
――どうしてくれましょう。
セシリアの意志がぐつぐつと煮立っている。
父のことに気が付いたのも、それが叶わぬと涙するのも全ては大晃がきっかけのことだ。
あの男がいなければ。
あの笑みがなければ。
こんなに苦しい思いをしないで済んだのに。
だから、
だから――、あの笑みを消してやる。
セシリアの意志がより尖っていく。
大晃の口が大きく開いていく。
笑顔とは無縁の形であるはずなのに、強烈に笑っているようにセシリアには見えた。
獣と咬み合うために自身を獣に変じさせるように牙を剥く。
大晃の腕に力が込められていく。
開かれた手の指が一本一本、鍵爪状に折り曲げられていく。
巨大な力に指を突き立てているような掌は引掻くだけで物体を抉るだろう。
全身を大理石のようなISで包んでいるというのに、肉体が静かに躍動していることが分かる。
大晃の身体は静止した状態でありながら、動いてもいるのだ。
そして――、
「餓ァッ」
一瞬で距離を詰める正拳。
どんな凶器よりも危険なそれが真っ直ぐにセシリアに向かう。
千の偽物よりも一つの本物を。
そう語る拳をセシリアは避ける。
しかし、それは後ろではなく前に、だ。
腰を落として前傾になったその姿勢は、もはやうつ伏せと言ってもいい。
獣が交差する。
セシリアのいた空間を貫いたのは拳のみではない。
ビットから発射されたレーザーがセシリアの動きと咬み合うように貫き、大晃に向かう。
レーザーを避けるように乱回転した大晃は足を振り回す。
力を収束させて踵を下方のセシリアに叩きつける。
セシリアは下に向けて間合いの外に跳んだ。
ISのブースターを使う移動ではなく、PICで蹴るようにである。
垂直の地面を蹴っているという表現が適切であった。
大晃に背を向け、垂直にステップを踏んでいる。
重力を無視した華麗なダンスに大晃は突っ込む。
セシリアは斜め上空にステップを踏み、大晃の間合いの外へと舞った。
大晃もまたセシリアを追う。
後方のセシリアに向き直り、直進を始める。
空気を切り裂く突きを、蹴りを叩きこまんとする。
拳がうなる。
セシリアはまたしてもステップで拳の距離から外へと出る。
今まではどう大晃を追い詰めるかという闘いの構造であった。
どう大晃のフェイントを見切り、どう大晃を攻撃するのか。
闘いの焦点はそこにあった。
闘いの主導権を完全に大晃が握っていたのだ。
今は違う。
セシリアはステップを踏みながら移動する。
そこから予想される軌道に大晃が踏み込み、その瞬間セシリアは大晃の見当違いの方に跳んでいく。
PICとブーストを巧みに扱うことによりステップとは逆の方向に跳んだのだ。
その影を貫き大晃をつけ狙うレーザーが飛ぶ。
そして、これはセシリアがやられたフェイントをやり返した形になる。
つまりは、どうセシリアのフェイントを見切り、どうセシリアを攻撃するのか。
闘いの構造がまるっきり逆になったことを意味してもいた。
セシリアの中で闘いへの概念が膨れ上がっていく。
どんなものにでも構造がある。
闘いもそうである。
相手を倒すための闘いがあり、それを構成する構造がある。
一度決まったそれを覆すのは簡単ではない。
構造を変える為には構造の外に出る必要がある。
そこで決定的なものを掴むしかない。
今回で言うのなら、ビットをより有機的に動かし自身の動きに連動させるといった、この闘いにはなかったセシリアの要素が変化点となった。
その要素を利用してセシリアはあえて大晃の近くで動くことを選択した。
むしろ間合いのギリギリで闘う方があっているとセシリアは悟ったのだ。
近くに居れば容易に大晃の側面や背面に廻れる。
そして、大晃は自然とセシリアを正面に取ろうということに意識が向く。
今ならば自分の影を突くようにビットで射撃を行い、戸惑わせることもできる。
それらの二つが構造を組み替えた。
つまるところ、セシリアの意識の変化がこの構造を変えてしまったのである。
それにしても――、とセシリアは思う。
今まで闘いとは目の前の人間と如何に技術を競うかというものだった。
技量の高さのみが闘いだと思っていた。
闘いの構造という発想などなかった。
今はその考えが自分の中で息吹を上げているのである。
目の前の相手と何を競うのか。
それを決めるのが闘いの構造であり、その構造を有利に操ることも闘いの一つの側面でもある。
その構造の取り合いすらも技量の一つと言う人間もいるかもしれない。
ならばそういう人間が言っていた技量という言葉の意味を自分は初めて知ったことになる。
自分の中にある闘いの概念が厚みを増すのを感じていた。
セシリアを快感が貫いた。
大晃も被弾はゼロではなくなってきた。
セシリアの動きに連動するビットの攻撃と、要所要所でのライフルの攻撃を全て避けることはできない。
それでも、強引な体捌きと無手の速度を生かして避けている大晃であるが、このままでは結果は見えていた。
セシリアの体温が上がっていく。
更にこの地位を不動のものにしようと、仕掛けていく。
この男をひと時でも自由にしてはいけないと警鐘が奔っているのだ。
この男がこの構造に気がつけばたちまち逆転される恐れもある。
セシリアはステップを踏みながら大晃の周りを巧みに舞った。
「ぬぅッ!?」
セシリアの影からあるいはそれ以外からもレーザーが奔る。
自身もステップを踏みながら不規則に射撃を行っていく。
大晃は乱回転、静止、加速、減速等を組み合わせて対処する。
それでもすべてを避けることはできない。
エネルギーも無限ではない。
このままでは大晃は負ける。
――どう出てくるのでしょうか?
今、この闘いの構造は大晃がどうセシリアに近づき、攻撃するのかというものになっている。
これはすなわち大晃が試されていると言うことだ。
大晃が序盤にセシリアを試したように、セシリアに大晃が試されているのだ。
その答えを大晃が見つけられなければ大晃は負ける。
逆に大晃の出した答えに対処できなければセシリアは負ける。
闘いはそういう局面にあった。
大晃が何もしないとは思えない。
「ふう…」
セシリアと大晃が向き合う。
程よく距離を取りながらそれぞれに息を吸ったり吐いたりしている。
一旦の硬直状態から、また闘いが始まっていくのだろう。
汗を流した大晃がセシリアにまた笑みを向けた。
疲れたような印象があるが、まだまだ力が残っている様であった。
「中々やるねえ」
誰ともなく呟く。
それが不思議とセシリアの耳に入った。
「残念だがこのゲームに勝つのは難しそうだ」
ゲーム、即ち、セシリアの作った構造の中で今闘っている状況のことであった。
目の前の男はどうやら自分と同じ目線に立っているらしい。
「だから、違うゲームを俺はやらせてもらう」
そう言って口を閉じる大晃からセシリアは確かに声を聴いたような気がした。
――安城大晃を見せてやるよ。
大晃が自らを構成するすべての要素を吐き出せるだけ吐き出すつもりだ。
その意図に気が付いたセシリアはステップを踏み始めた。