大晃は歯を噛んでいた。
病室だ。
夜の冷えた空気は、病室を冷やしている。
そんな中で大晃は明かりもつけず、闇の中で胡座をかいていた。
ただ耐えるようにジッとしていた。
何故、大晃が夜中に目を覚まして、胡座などをかいているのか。
もちろん、それには理由があった。
突然に悪寒がはしったのだ。
悪寒だけではない。
吐き気もした。
日中に無理をしてでも胃に収めたものを全て吐き出したくなるような吐き気であった。
頭痛もした。
歯を噛み締めていなければ絶叫を上げて地面に這い蹲りかねない痛みであった。
平衡感覚も突如失われた。
重力を無視して垂直な壁で胡座をかいている、と錯覚するほどに感覚が無茶苦茶になっていた。
これまでもこういう事態はあった。
関節の痛み、肉と骨を削られるような痛み。
そういう痛みは、しかし、眠ってやり過ごすことができたのだ。
それは眠るだけの余裕が大晃にあったということでもある。
だが、今は違う。
痛みが意識を離してくれない。
肉体の奥から響いてくる痛みをやり過ごす術などない。
だから、大晃は全神経を集中させて痛みと向き合っているのだ。
今までの肉体に起きた変化は闘いの序盤に過ぎなかった。
病院の様子は様変わりしていた。
まず、目につくのは病院の周囲に張り巡らせてある鉄条網であった。
その内側に配置された人間もまた特殊な人間たちであった。
迷彩服。
ヘルメット。
全身の各急所を覆うプロテクター。
そして、機関銃。
そういう完全武装の人間が病院の周囲、半径100メートル圏内で行動しているのだ。
もはや、ここは病院などではない。
戦いが起きていないだけの戦場である。
ごく少数の一般人ももはや病院にはいない。
元々入院していた人間は別の病院に移されており、特定の人物以外は病院の敷地へと近づくことすら出来なくなっている。
病院の周囲に設置された検問がそれ以外の人間を通さないように機能しているのだ。
「まるで、戦場だな」
その検問を顔パスで通り抜けた一人の女。
織斑千冬は陰鬱な表情で呟いた。
IS委員会の会議あったのが、たった三日前である。
そのたった三日の間で大晃に起きた更なる変化。
病院周辺に展開された戦地もかくやという状況は、大晃の急変に呼応した事態だった。
ここに兵士を展開したのは日本政府である。
大晃の現状を把握した政府は、カバーストーリーを用意して、自衛隊を展開したのだった。
その目的はいくつかあった。
身体に異常の起きた大晃を誰かから守る。
それも目的の一つではある。
しかし、もっと重要な任務を彼らは負っていた。
大晃が人ではなくなり、そこに出現するはずである無手。
その出現の兆候を掴む為の監視こそが最重要任務であった。
それも、ただの監視ではない。
いざという時に、殺す為の監視である。
まるで、死刑囚のような大晃の扱いに、流石の千冬も表情を歪めざるを得なかった。
三日前の会議で千冬は宣言したのだ。
大晃を飲み込んだ無手を殺す、と。
それはつまり己の教え子を殺す、と宣言するに等しく、その宣言を実行しなければならないかもしれなかった。
その実感が千冬の表情を陰鬱なものにしているのだ。
千冬は病院へと足を踏み入れる。
病院の奥へ奥へと進んでいく、その道の途中でも何人かの兵士とすれ違って目的地へとたどり着いた。
病室の前に白衣の男が立っている。
主治医の男だった。
千冬はまだこちらに気がついていない男へと単調直入に言った。
「安城の様子はどうなっています?」
「……かなり酷いです」
千冬の突然の言葉に、主治医が深刻に頷いた。
大晃の肉体を襲っている症状。
主治医はそれを一つ一つ読み上げた。
重度の吐き気。
頭痛。
異常な発汗。
周期的に訪れる発熱と悪寒。
全身のひび割れた皮膚から繰り返される出血。
唾液の分泌量の減少。
いくつかの内臓の異常。
それらを聞くたびに千冬の顔に影が差す。
そして、一番の問題点を指摘した。
「問題は未だに彼を襲う症状の全容が分かっていないことです」
「分かっていない?」
「そうです。相手が細菌であれウイルスであれ、対策することは可能です。
その種類にあった特効薬でもあればそれを取り寄せれば良いことですから」
「だが、今回は――」
「ええ。未知の相手です。しかも、細菌やウイルスと違って見ることもできない相手です。
それでも彼の肉体に起きた症状をある程度は知ることはできるでしょう。
しかし、病巣を駆除することができない以上、対処療法以上のことはできませんし、薬を使ったところで限定的な効果しか望めません」
「仕方がないことでしょう」
「失礼しました。つい弱音を吐いてしまいました。
とにかく、医者として私にできることは彼の命を伸ばす為に彼の肉体が望む環境を整えてやること位です」
「どこまで、彼はどこまで無手に抵抗できますか?」
大晃がどこまで無手に抗えるのか。
それが千冬にとって一番の懸念事項だった。
確かに今は金子の陣頭指揮によって無手撃退の作戦は進められている。
しかし、作戦に必要な設備は未だに完成していない。
急ピッチで準備しているが、早くとも一ヶ月はかかる。
それよりも早くに大晃が取り込まれてしまうことも考えられた。
千冬の質問に主治医は俯く。
己の力不足を嘆くように言った。
「申し訳ありませんが、それすらも私には目星がつきません。彼を今襲っている症状の一つ一つが劇病に匹敵しています。
彼の力が今すぐ尽きたとしても、なんら不思議はないのです」
主治医はそう言ってから、俯いていた顔を上げた。
「彼がどれだけ病魔に打ち勝てるのかは彼の持っている生きる力次第……、そういう月並みな言い方しか私にはできないのです」
全ては大晃の生命力にかかっていた。
病室に入った千冬は肌を刺すような気配を感じた。
病室に入ると正面奥にベッドが見える。
そのベッドの上で大晃が坐禅を組んでいたのだ。
その大晃は異様な気配を放っている。
大晃の放つ気配が溜まっていて、それが部屋全体を覆っているのである。
部屋そのものが異界となっているようであった。
その中央で座禅を組む大晃は痩せこけたこともあって、即身仏のように見えた。
「大晃、起きているか?」
千冬は慎重に言った。
何かの拍子で死んでしまうのはないか、と感じさせるほどに、大晃の様子は危うかった。
千冬が言葉を発してから五秒か十秒。
たっぷり時間をかけて大晃は反応する。
「……ええ。起きていますよ」
「少しだけで良いんだ。話がしたい」
「構いませんよ」
大晃が口を開くたびに、ひび割れた肌が軋んでいるようだった。
千冬は多少の気遣いをしつつも、正直なところを大晃に話すつもりだった。
自分の発言が何を意味するのか、それが大晃にどう届くのか。
心配は色々とある。
しかし、千冬は覚悟を込めて語った。
「お前の処遇が決まった。無手と成り果てた場合、即抹殺せよとのことだ」
「……ふぅん。誰が俺を殺すんですか?」
大晃は訊いた。
平然としている。
千冬は注意深く大晃の様子を探りながら、答えた。
「安城、貴様が無手に取り込まれたら、その時どうなるのか……、私がどういう行動に出るのか。分かっているな?」
千冬は言ってからため息を吐いた。
流石にはっきり言うのは躊躇われたが、濁した言葉はほとんどが答えである。
千冬は苦い顔をした。
今更、躊躇したところでどうしようもない、というのに。
「……想像はついていますよ」
大晃は笑った。
おぼろげな笑みだ。
千冬にはその笑みの奥にある感情は見えない。
ただ、仏のような笑みを浮かべる大晃を痛ましく思った。
まだ、話はここからが本題であった。
「今日から付きっきりで貴様を看病する」
看病。
しかし、この言葉の真の意味は監視である。
大晃が無手になったとしたら制圧は出来るだけ早くしなければならない。
放っておけばいつ被害が起きるのか分かったものではない。
しかし、ここで問題がある。
相手はISであることだった。
ISは超兵器だ。
戦車や戦闘機では圧倒的な機動力と火力を誇るISに勝てるはずもない。
そのISを制圧するのであるならば有効な手段は一つしかない。
ISにはISをぶつけるしかないのである。
現在、千冬は最強クラスのIS操縦者である。
その千冬がつきっきりで看病する、その理由はいつ何時、大晃が飲まれたとしてもすぐに対処するためであった。
病院に派遣された兵士達は、その中にはISさえもあるが、目的は大晃の監視と制圧である。
しかし、兵士たちの役割事体はもっと違うところにあった。
千冬がいざという時に存分に暴れられるようにする。
その為の環境を整えることが彼らの役割であり、更に、いざという時には自分たちが闘えるようしているのである。
「……へへへ。ありがたいな」
そういう事情を何もかも察しているはずなのに、大晃はどこか嬉しそうである。
それを見て千冬はわずかに安堵した。
「少し、安心したよ」
「安心?」
「そんな様になっても、根っこは変わっていないんだな」
「心配をかけさせてしまって、申し訳ないですね」
「……余計な気をつかうな」
しかし、安堵しつつも千冬は不吉なものを拭い去ることは出来なかった。
若干おどけてみせた大晃の裏には間違いなく影がある。
明るい表情をすればするほどその奥にある闇が濃く見えるのだ。
大晃の精神がどういう状態であれ、肉体の方はかなり酷いことに変わりないのだ。
表情が少し明るいからといって、安心できるものでもない。
「……ッ!?」
大晃が突然に口を固く結んだ。
結んだ口の中からうめき声が溢れ出て、千冬の耳へと届いた。
先ほどまで少しだけ緩んでいた空気がぴんと張り詰める。
千冬は大晃へと駆け寄った。
「大丈夫か!」
「……心配はいりませんよ」
「待ってろ! 直ぐに医者を呼ぶからな!」
千冬は部屋の外で待つ医者を呼ぶ。
苦闘の始まりであった。
大晃の一日は苦しみに満ちていた。
頭痛や吐き気のどちらか一つは常にあり、体温は周期的な上昇と低下を繰り返している。
平衡感覚はほぼ完全に失われていて、バランスを崩して倒れそうになることも珍しくなかった。
物を食べるのも一苦労だった。
乾いた口に物を入れて咀嚼し飲み込む。
その動作にはかなりの苦痛が伴っていた。
しかも、味すら感じないために、どんなものを食べても、口に生まれるのは異物感だけなのである。
もはや、エネルギー補給と内臓の働きを最低限は留める為に仕方なくものを食べているのであった。
しかし、それすらも怪しい。
なぜなら、大晃はからからのミイラのようにやせ細っていたからだ。
病人用のゆるい服は隙間でダボダボで、枯れ木のような身体が良く見えた。
夜もロクに眠れない。
横になり目を閉じていても、痛みは絶えず大晃を襲ったのだ。
安眠とは程遠い。
翌朝の目覚めは不快感と疲労感が付き纏う。
その目覚めた時の些細な動作でさえ、大晃に何らかの不快感か苦痛を生じさせる。
気の休まる時など無い、一瞬一瞬が永遠にも感じられるほどの苦しみに満ちた一日は大晃にとっては途方もなく長い筈であった。
その長い一日は未だに十五日も残っているのだ。
しかも、十五日後に必ず苦痛から解放されるという保証もない。
そこで大晃は闘い勝利しなければならないが、闘いが訪れる前に力尽きてもおかしくなかった。
並の人間なら希望すら抱けない状況であった。
しかし、大晃は苦痛に苛まれながらも諦めていないようだった。
痛みと向き合う気力を未だに保っていた。
「凄いな」
千冬は感心から呟いていた。
大晃の身体には死の気配がある。
しかし、大晃は狼狽えていなかった。
苦痛と闘い、一日一日を丁寧に過ごしている。
「それに引き換え、情けないな、私は……」
千冬は自分自身のことを振り返った。
この十日間、千冬は大晃に付きっきりであった。
間近で大晃を見張り、無手が大晃を完全に乗っ取った兆候を見つければ、処置を行う。
教師としての想いはあるが、千冬はそれでも役割を果たさなければならなかった。
苦しむ大晃を観察する千冬は努めて無表情でいた。
千冬の胸の中には苦いものがあったが、それを表に出すことは躊躇われた。
もっとも苦しんでいる張本人が目の前にいたからである。
しかも、その張本人は苦しみつつも決して諦めていないのだ。
歯を食いしばって、耐えているのである。
その気丈な姿を見ながら千冬は己に問うたのである。
自分は今自分が抱えている問題と向き合えているのか、と。
千冬が抱えている厄介ごとは大晃のことだけではない。
現在進行形で複数の大きな問題を千冬は抱えていた。
その問題と向き合えているのか。
千冬はそれを考えたのである。
エム。
亡国機業所属のIS操縦者である彼女は、生き別れた妹であった。
自分の分身のような少女であった。
今はIS学園が極秘に捉えている少女を尋問した時のことを千冬は思い出していた。
「ふざけないでくれ」
エムの言葉が脳裏にこびりついていた。
IS学園には似つかわしくない暗い部屋であった。
ISは教育機関でありながら、あらゆる国家の下には付いていない独立した機関である。
ISという貴重品を扱う以上自衛の能力は不可欠だ。
この尋問室はそういう事情で備えている設備だった。
不審者を拘留する為の部屋に普段は閉じ込めておいて、この暗い部屋で尋問するのだ。
その暗い部屋の中でエムは暗い感情を吐き出していた。
「どうして、今更そういうことを言うんだ」
エムの言葉は止まらない。
きっかけは千冬の言葉だった。
迎えに行ってやらなくて悪かった。
条件を飲むのであれば、IS学園として極秘で庇ってもいい。
だから、許してくれ、と。
それはIS学園の一教師としてはかなり際どい発言だった。
実際には一教員に収まらない権限を千冬は持っているが、それでもギリギリの発言である。
自分のプライベートな事情を学園に持ち込もうとしていると思われても仕方のない発言だからだ。
その発言の裏には覚悟がある。
自分の立場が危うくなったとしても構わない。
そういう覚悟だ。
それを敢えて分かりやすくする為に、千冬は危ない言い方をしたのである。
ただ、それでも、最低限満たすべきことがあった。
それがエムの学園への協力ということである。
その返答がエムの恨み言であった。
「もっと早く迎えにこれば良かったんだ。姉さんが私を迎えに来なかったのは私にどう言う価値も無かったからだろう?
あの一夏の方が優れていて私よりも大事だったから、私を見捨てたんだ!」
エムは自虐的にすらなっていた。
千冬には勝てないかもしれないが、他の誰にも負けない。
かつてはエムの中にあった歪んだ世界感から来る自信。
それが根こそぎ無くなっていたのだ。
大晃とセシリア、そして、格下と侮っていた一夏に負けたことが原因である。
「糞、糞、糞! どうして、今更……」
千冬は何も言い返せなかった。
エムの言葉が最もだからだ。
エムは生き別れの妹だった。
その妹が亡国機業に属すようになったことはずいぶん前から分かっていた。
それでも、手は出せなかった。
エムを力づくで取り戻しに行くことは出来たろうが、世界最強が自ら動くことは躊躇われた。
世界に大きな影響を与える筈だからだ。
しかし、生き別れたのがエムではなく、一夏であったら自分はどうしただろうか。
何があっても助けに行っていただろう。
どういう不都合があっても、世界がそれで不利益を被っても構うことはなかっただろう。
そもそも、そういう都合を考えるだけの余裕など無いかもしれない。
結局、千冬は無意識の内で選択をしたのである。
動くことで自分が受ける非難。
世界が被ることになる不利益。
エムの特殊な出自に対する複雑な想い。
そして、身内である一夏に厄介ごとが降りかかる可能性。
そういうことを天秤に掛けて、千冬は動かないことを選択したのだ。
だから、何も言えなかった。
エムの言葉を否定するにしても、肯定するにしても、後ろめたさが邪魔をした。
「私と闘え……」
エムは机をひとしきり叩いた後に、顔だけを上げた。
その顔は涙で濡れていた。
「どういう条件でも飲んでやる。学園の為に必要なことはなんだってしてやろう。
その代わりに私と闘え。それだけは譲れない」
エムはそう言って千冬をにらんだ。
それがエムと交わした最後の言葉になった。
あれから、千冬はエムと会ってはいない。
大晃に起きた事態に対応できるのが千冬しかいなかったからだ。
クラスの担任を務める千冬の抜けた穴は、副担任の山田真耶が埋めることになっている。
それだけではなくエムのことも山田真耶に任せて、千冬はここに来ていた。
真耶からエムのことで報告は受けていた。
今は落ち着いているらしい。
独房でじっとしているのだそうだ。
しかし、エムの主張は変わっていない。
自分がIS学園に仕えることになるのだとしても、まずは千冬と闘ってからだ、とエムは言っている。
千冬はエムの言葉に、まだ、答えていない。
どうして、エムの条件を飲めないのでいるのか。
怖いからだ、と千冬は思っている。
エムと闘うとしても、いい加減に闘っては納得はするまい。
しかし、本気で闘うことは難しい。
本気で闘えば自分はエムを殺すほかないからだ。
では、手加減すればそれで良いのかというとそれも違う。
千冬が闘ってエムが納得しなければ、それまでだ。
強情な捕虜をいつまでもそのままにはしておけない。
エムが取引に応じなければ、IS委員会に引き渡すことになるだろう。
その先は見えている。
良くて実験材料といった扱いだ。
だから、程よく力を入れて、かつエムも納得できる闘いをしなければならない。
その自信がないのだ。
「悩み事ですか?」
その言葉は千冬に突き刺さった。
妹、エムへの後ろめたさとその将来への不安。
いつの間にか、それらへと没頭していた己自身。
千冬は深く恥じた。
大晃は今、迫り来る死と懸命に闘っているのだ。
それを目にしておいて他ごとを考えることなど、その闘いに対する侮辱であった。
確かに千冬の抱えている問題は深刻だ。
肉親との険悪さは悩むに値する事例であろう。
しかし、だから悩んでも仕方ないのだ、なんていうのはただの言い訳にすぎなかった。
大晃もまた苦痛と向き合っているのだから。
「別に何も悩んではいないさ」
そう答えた千冬の先には大晃がいた。
相変わらず座禅を組んでいる。
この座禅こそが大晃が苦痛と向き合う為に選んだ姿勢だった。
最近はもうずっとこの座禅の姿勢で大晃は日々を乗り切っている。
その大晃は千冬を見つめていた。
何処を見ているのか分からない朧げな視線しか周囲に向けていなかったのに、今はしっかりと千冬を見据えている。
千冬はしまったと思った。
千冬は今、大晃に教師として付き添っている。
ここで生徒に心配されるようでは、教師としての面目がない。
「私のことはどうでもいい。そんなことより、自分が生き残ることを考えるんだ」
そういう千冬の言葉を大晃は素直に受け取らなかった。
大晃の視線は真っ直ぐだ。
千冬の目を通してその奥にある脳髄すらも貫いているようだった。
大晃は千冬の奥にあるものすら見通しているようだった。
その思考すらも大晃は勘付いているのかもしれない。
どうにもやり辛い。
大晃が緩慢に口を動かした。
「嘘が下手だなぁ」
「……違う」
「なるほど、結構根の深い問題と向き合っているようですね。俺のことなんかよりもよっぽど……」
「違う!」
千冬は声を荒げた。
どういう形であれ、大晃が自分自身を貶める発言は受け入れられるものではない。
「大晃、私の態度に落ち度があったことは謝る。だが、今の私にとって最優先は貴様だ」
「……どうやら誤解させてしまったようですね。俺は別に拗ねていないですよ。
先生が時間を割いて俺と向き合ってくれていることには感謝しているくらいですよ」
「いいか? 自分に価値がないなんて勘違いは絶対にするな」
「ふふん。随分と心配されているようですね、俺は。結構、嬉しいですよ」
話をしている内に大晃の口調が以前のものに近づいていた。
大晃がはっきりと口を利くの久しぶりである。
最近はずっと無表情で、かつ呆けたような表情をしている。
道端の地蔵が雨風で削れ、顔が削られていくように、大晃の顔面から表情が削られている。
だから、大晃の意思のこもったはっきりとした声は千冬をわずかに安堵させた。
「ねえ、だから、教えてくれませんか?」
「何をだ?」
「先生がいい加減な気持ちでここにいるわけでないのは分かっていますよ。
だから、先生が抱えているものを吐き出して欲しいなって」
「大晃、確かに私にとって貴様は大事な生徒だ。だからといってあまり調子に乗るのは感心しないな」
「じゃあ、ここから先は独り言ということになりますね」
大晃は病院の窓から外を見た。
眼下には多くの兵士がいる。
一人一人が自分の意思を持った人間の、しかし、規律の取れているその行動は、働きアリを思わせた。
「もし、先生が悩んでいることがあるとして、手こずっているのなら原因は明白だと思います」
「ほう」
「先生がその問題と闘っていないからだ」
「……」
「何かが先生の邪魔をしている」
何かを確信しているかのような呟きに、千冬は何も答えられなかった。
「何か不安があった時、人は不安を遠ざけようとする。初めはね、それでいいんですよ。
ただ、遠ざけた不安はいつか帰ってくる。それも倍加してね。
その不安と向き合う最良の方法はたった一つ」
「……」
「とにかく、闘うことです。一度、不安の渦中に飛び込んでみれば、案外大したことはなかったなんてことはよくある事でしょう」
「だから、貴様は、そんな風に気丈に振る舞っていられるのか?」
「ええ。もうずっと前からこうなることは分かっていましたから。今の方が不安は少ないくらいですよ」
大晃の言葉を千冬はゆっくりと呑み込んだ。
そうなのだ。
何故、千冬がエムのことで不安を持っているのか。
それは千冬が決めかねているからだ。
エムと闘うのか、交渉を続けて闘わない方に
それとも、諦めてIS委員会に引き渡すのか。
千冬は未だに迷っている。
エムの頑なな態度を考えれば出すべき結論はもう決まっていた。
エムと納得のいく闘いをする。
ただ、それだけのことなのに自分がしくじることを考えて、千冬はいつの間にか萎縮していたのだ。
「だからさ、いっちょ何処かで闘ってみたらどうです?」
「ふん。無理だな、今は貴様から眼を離せる状況じゃないんでな」
「もちろん、今すぐじゃなくて良いですよ。俺のことが済んだらで良いんですよ。
誰かと闘うのはその時でも遅くはないでしょう? 誰かとやるのはね」
誰か。
大晃が連呼したその言葉がやけに耳に響いた。
千冬は自分でも気がつかないくらいに気軽に尋ねていた。
「誰とだ?」
「……俺と」
「――」
千冬は黙った。
教師と生徒という関係。
そしてーー、己の悪癖。
それを考慮すれば到底できる答えられる願いではなかった。
だが、無下にできる言葉でもなかった。
大晃は今、死に値する苦痛と向き合っている。
思い残しがないように大晃は言葉を吐いているのである。
だから、といって受け入れられる願いでもない。
しかし。
千冬は自分を見つめる大晃から眼を逸らせずにいた。
儚さを含んだ顔で真剣に見つめてきていたからだ。
「俺は必ず生き残ってみせます。だから、その暁には――」
息を吸って、大晃は言った。
「俺と闘って欲しい」
千冬は大晃の願いを聞いてからも、しばらく眼を閉じて沈黙を続けた。
エムの罵倒。
そして、頭の中で繰り返される大晃の警句。
十秒ほど黙ってから千冬は眼を開けた。
千冬は正直に自分の想いを告げることにした。
「……そうだな、貴様が生き残ったら、考えてやらんでもない」
「嬉しいな」
「ただ、誤解するなよ。一つ先約があるんだ。それを片付けてからであれば、貴様と闘ってやっても良い」
「え? 先約?」
「残念だろうが、こればかりは仕方ない。約束だからな」
言ってから千冬は笑った。
少しだけ心が軽くなっている。
決心するまでは酷く動揺していたが、一度決めてしまえばこうまで心が落ち着くのか、と千冬は驚いている。
「実を言うと、まだ、迷っていたんだ」
「迷っていた?」
「ああ、あいつと闘うべきかどうか迷っていた。お前のお陰で決心がついたよ。
「へぇ」
「残念だったな、お前が私に決心をさせなければ、真っ先に私と闘えたものを」
「ちぇ。なんか励まして損した気分になりましたよ」
「ふふん」
千冬は大晃の冗談で思わず笑ってしまう。
それは大晃も同様でお互いに幾らか笑いあった。
「お前はつくづく不思議な奴だな」
「どうしたんですか?」
「……私なんかより辛い目にあっているはずなのに、お前は私よりずっと生き生きとしている」
「ふふん」
「良いか。絶対に生き残れよ。私はお前に手を掛けたくない」
「ええ、生き残ってやりますよ、絶対にね」
その笑みを見て千冬は確信した。
宣言した以上、大晃は必ず生き残る。
大晃はそういう男だ、と。
そして、再び大晃の苦闘が始まった。