超重力格闘伝―IS―   作:泣き虫くん

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57話、最終移行(ラスト・シフト)

 陽の光が世界を照らす。

 明らかになったのは激闘の傷跡だ。

 深く抉れた大地は巨人が爪で抉ったようにめくり返り、かつてはあった豊かな自然の情景はそこにはない。

 泥は未だに腐臭を放っているし、水の濁りは消えていない。

 ここからまた、世界は再生を始めるのだろう。

 再起を知らせるように緑色の若葉が、精神世界内に芽吹き始めていた。

 大晃はゆったりと手ごろな岩へと腰を降ろしていた。

 その周囲には専用機持ち六人の姿も確認できる。

 彼らは大晃を見た。

 何かを問うようにして、大晃の表情を見ようとした。

 うつむき気味に傾いた顔から、はっきりとした表情はうかがい知れない。

 ただ、僅かに緩んだ頬が、張り詰めていたものを解放した心地よさを表している。

 一ヶ月、いや、臨海学校から数えれば三ヶ月、無手との出会いから数えれば数年。

 その長きに渡る闘いは、ついに決着を迎えていた。

 闘いの終わりがどのような形となったかは、あえて言うまでもないことだろう。

 

「で、どうするんだ?」

 

 一夏が言った。

 視線の先にあるのは一人の少女。

 ところどころ汚れたワンピースを着た少女が倒れている。

 気を失っているのか、仰向けに横たわったまま目を閉じており動く様子はない。

 その顔はあどけなくて、十歳前後のただの少女にしか見えない。

 しかし、この少女こそが大晃の敵であった。

 大晃の身体がミイラのようにやせ細ったのは全てがこの少女の仕業だ。

 この少女こそが事態を引き起こした無手の正体であった。

 だから、不思議だった。

 闘いの決着は大晃か少女の死によってのみ付けられるものだとばかり思っていたのに、無手という名の少女は生きている。

 果たして、大晃はどういうつもりで止めを刺さなかったのか。

 一夏は、そして、他の者たちにだって分かりはしなかった。

 問いに答えを返せる人間は大晃ただ一人だ。

 

「悪いが、俺とこいつの二人っきりにしてくれないかい? できれば、外からの監視も無しにしてもらいたい」

 

 大晃ははっきりとは答えない。

 内側にある意思をぼかすような曖昧な言い方だった。 

 それに一夏は迷いもなく答えた。

 

「ああ、分かったよ。皆はそれで良いか?」

 

 そもそも、大晃の采配に口を挟むつもりもない。

 大晃はこの一ヶ月を生き延びた。

 周到に反撃の機会を探り、無手を完全に上回った。

 今更、無手が付け込む隙があるとは思えない。

 一夏が周りに目配せする。

 全員が頷いたのと同時に老人の声が響いた。

 

「おう、儂じゃ」

「じいちゃん……」

「記録は取り続けるが、映像をシャットアウトすることは構わない。信じて良いんじゃな」

「ああ」

「……用心しておくんじゃぞ」

 

 映像は写さずともパラメータから精神世界内で起きている出来事を大まかに知ることは可能。

 であれば、モニターを消しても何らかの、例えば、無手が再び襲ってきても対処できる。

 そういう判断も働いた、金子の采配であった。

 金子の許可が合図となって、六人は次々と姿を消して、現実世界へと帰還していく。

 その中で、ただ一人、納得がいかないとばかりに大晃を見つめている者がいた。

 シャルロットは何かを危惧しているような視線を送り。

 

「シャルロット、心配するなよ。悪いようにはならないさ」

 

 大晃は目を合わせずに、ほのかな笑い顔で応じた。

 シャルロットはそれで満足したのか、微笑みを返してから姿を消して行く。

 大晃はそれを確認すると。

 

「さて、と。もうそろそろ、目が覚めたんじゃないか?」

 

 視線を倒れている少女へと向けた。

 気絶していた少女はもう目を開けていた。

 

 

 

「どうして?」

 

 無手は寝そべったまま、言った。

 どうして、まだ殺していないのか?

 決着を付けていないのか?

 そういう意味の言葉だった。

 相手の命を、文字通り削ったのだ。

 負ければ、命を獲られることになる。

 そう思っていたのに。

 完敗を喫しておいて、なお、生きている。

 無手はその現実に戸惑っていた。

 

「そうだな、色々と理由はあるんだがな……」

 

 大晃は目を逸らした。

 こういう歯切れの悪い態度は珍しい、と無手は思う。

 大晃は言葉を探し当てたのか、続けて言った。

 

「折角の機会だ、二人きりで一度、話をしたいと思っていたんだ」

「二人きり?」

「ああ、今やこの精神世界にいるのは俺とお前さんだけ。外からの監視もない」

 

 そこまで言ってから大晃はふっと笑った。

 

「自分の所有しているISと話ができるっていうのは、滅多にない機会だと俺は思っているんだ

 俺が好奇心に駆られてお前さんと二人きりの時間を作ったのは、不思議なことかい?」

 

 大晃が早口で言った。

 若干の忙しなさを感じさせる口調だった。

 

「なあ、良いだろう」

 

 大晃は食い下がってきた。

 無手は倒れたままの姿勢で息を吐いた。

 敗北の直後に流れている弛緩した空気は無手の気だるさを増したようだった。

 指を一本も動かすことなく、口だけを動かして、答えてやった。

 

「……嫌よ」

「なんでだい?」

「……」

 

 沈黙が少しの間流れてから、無手は言った。

 

「あなたのことが嫌いだから」

「へぇ、俺は逆だと思っていたけどね」

「ふん! どうしてそんなことが思えるのかしら」

 

 無手は大晃を睨む。

 しかし、その目には力がない。

 敗北が骨の髄まで刻まれているのだ。

 

「本当は今すぐあなたを殺してやりたい。でも――」

「でも?」

「そこから先は言わせないで。どうせ分かってるんでしょ?」

「そうとも限らんぜ。次、闘ったらひょっとしてお前さんが勝つかもしれないぞ」

 

 もう無手が諦めていることは態度で分かるだろう。

 長い闘いの後で疲れてもいるだろう。

 それでも、大晃は次の闘いを見据えているようだった。

 次の闘いが今だろうが明日だろうが、することに変わりはない。

 そういう態度だった。

 その中にある敗北の可能性さえ受け入れているようだった。

 無手は改めて、自分の想うところを告げた。

 

「私は自分が完璧だと思い込んでいた。

 あらゆる、敗北の可能性を潰して潰して、絶対に勝てる勝負にあなたを引きずり込んだはずだった」

 

 今から思えば、とんだ思い上がりだった。

 負けの可能性を潰す為に用いた行為。

 無手はその行為そのものの落とし穴に気づくことはなかった。

 

「でも、あなたは違う。あなたは最後の最後まで、自分が負けるかもしれないって思い続けていた。

 逆転への布石を打ちながら、勘付かれないように慎重に行動し続けてきた」

 

 思い上がっていた無手とは違い、大晃は終始、慎重に立ち回っている。

 都合の良い行動を取るように相手を誘導しつつも、徹底的に己の意図を紛れ込ませる動き。

 そんな動きをした上で、それでもなお、負ける可能性を否定しない大晃。

 その思考は無手の一つ上にあった。

 

「どうすればあなたに勝てるのか分からないのに、あなたにはもうそれが見えている。私には見えていないものがあなたには見えている。

 あの圧倒的な勝利の中にまで、敗北の可能性を描き出すあなたに、私は絶対に勝てない」

 

 だから、もう良いのだ。

 と、無手は目をつぶった。

 完膚なきまでの敗北を喫した今、自我を失うことさえも簡単に受け入れられた。

 

「さあ、私をやりなさい。それであなたは『永遠』を手に入れる。

 今のあなたを阻めるものなんて誰一人いない」

 

 無手の身体から完全に力が抜けた。

 完全な決着をつけるときがきた。

 

「オーケイ」

 

 大晃が言った。

 拳を振り下ろしてきた。

 そして――。

 『それ』が世界中で起こった。

 

 

 

 はじめに『それ』を察知したのはISの専用機を持っている精鋭たちとISを起動している者たちであった。

 彼女らは己の半身たるISに起きた変化を即座に感じた。

 ISを展開していたある操縦者は驚いた。

 何時もであれば必要な情報のみを視界に表示させているが、正体不明のウィンドウが現れるのである。

 消すことを試みたが無駄だった。

 何度消しても表示は再度現れるからである。

 しかも、表示は消えないだけではなく、視界を埋め尽くすように増殖していった。

 『UPDATE』の文字が、何かを祝福しているようだった。

 ISを待機形態にしている者は別の形で『それ』に気づく。

 彼女らは『UPDATE』と鳴り止まない耳障りな人工音声に身構えた。

 すぐに音源が待機形態のISであることを察知すると、懐にしまっていたISを取り出す。

 そこにあるのはほのかな光を放って、『UPDATE』と同じ言葉を連呼する自身の愛機の姿である。

 『UPDATE』の耳障りな音が、何かの始まりを告げていた。

 研究者、整備士、技術者。

 彼らをひっくるめたISの関係者に異変が知れ渡るのはすぐのことだった。

 そして、上も下も大騒ぎすることになる。

 世界中で起こっているらしいこの現象によって何が起ころうとしているのか。

 止める手立てはあるのだろうか、あるとしても、止めるべきなのか。

 ある研究員は計器を調べて現象の意味を突き止めようとしたり、あるいはISをオフラインにして影響から逃れようとしたり――。

 世界中で考えうる限りの何かを彼らは行った。

 そして、彼らは自身を雇っているものに対して報告を行う。

 現象の正体は不明、ISにもたらす影響もまた不明で、現象から逃れる方法も不明だ、と。

 企業の上層部は彼らから報告を受けて、眉をひそめた。

 正体不明の現象がISに何をもたらすのかは未だに不明。

 それが不安の種だった。

 ISという自身の商品価値が下がることを彼らは最も恐れた。

 どうにかして起きたことを外に漏らさないようにしたいが、世界同時多発で起きているために戒厳令を敷くことも難しい。

 自身の愛機を心配する操縦者、手塩にかけて作り上げた機体を見守る整備士と技術者、現象の究明に奔走する研究員。

 そして、心配の大半が自らの商売の行方である企業人。 

 彼らは誰も想像だにしていなかった。

 まさか、『それ』がISだけに留まる現象ではないだなんて、彼らは考えもしていなかった。

 

 

 

 『それ』はついに人をも巻き込んでいく。

 世界の総人口の0.001パーセントにすらも満たない人間。

 仕事に従事する者は手を止めて、雑踏を歩く者は足を止めて、眠っている者はその目を開けた。

 何か無視できない感覚が彼らを襲っているようだった。

 『それ』は広がっていく。

 爆発的な速度で『それ』に気がつく人間は増えていく。

 起きながらにして夢を見ているような感覚。

 白昼夢の中にいるような感覚が全世界の人々を襲っていく。

 数少ない感受性の高い者は何かと強制的に接続されているという確信を強く抱き、そうではない人間も何かが起きているというおぼろげな感想を持った。

 この世の全てのISも人も巻き込んで『それ』は次の段階へと進んでいく。

 事の中心は、IS学園の地下深くにいる男、安城大晃だった。

 

 

 

 彼を包み込んだ端末が、薄暗い地下の中で強烈な光を纏っていく。

 

 ――さあ、今こそ、次の段階へと進む時だ。

 

 肉体に宿る意思が大晃にそう告げた。

 長い時に渡る無手の侵略と破壊。

 それは肉体を著しく傷つけていた。

 骨と皮に等しくなった肉は、見ているだけで痛々しい。

 だからこそ、得たものがある。

 

 ――『俺たち』は生き残った。

 

 生き残った細胞が高らかに言った。

 ただでさえ強靭な肉体を維持するために、己に課していた激しい特訓。

 それすらも超える破壊。

 その破壊を生き延びた細胞たちは確かに存在していた。

 破壊と再生を繰り返し、数えきれない淘汰の末に、残った細胞たち。

 彼らが分裂を繰り返すだけで、大晃は復活を果たすだろう。

 より強く、より硬く、より重く、より疾くなって。

 

 ――さあ、共に行こう。

 

 大晃の細胞たちは貪欲に取り込んでいく。

 無手のコアに宿るエネルギーを、エネルギーが秘めている思想と意思をそのままにして。

 自らに刃を向けてきた相手を取り込む、など正気の沙汰ではない。

 だが、彼らにとっては違う。

 彼らは無手と最前線で闘い続けた。

 昼もなく、夜もなく、途切れない無手との闘いの日々は遂には日常の物と化したのだ。

 だから、彼らにとって無手はもはや敵ではない。

 淘汰の末に抵抗を備え始めていた細胞にとって、無手は魅力的な隣人なのだ。

 そんな隣人が隣に居続けることを拒む彼らではなかった。

 大晃が下した選択は単純明快。

 無手が隣に居続けることを大晃は望んだ。

 

「どうして?」

 

 精神世界内で無手は問う。

 振り下ろされた拳は寸前で止まっていた。

 

「お前さんが俺に惚れているから」

 

 いつか言っていた大晃の主張が繰り返された。

 思えば、大晃は出会ってからずっとこの主張を変えていなかった。

 死にかけた今になってさえも。

 

「俺を自分のものにできるという欲望がお前さんの判断を狂わせた」

 

 惚れているから、無手は闘うことを選んだ。

 惚れているから、無手は知ることを選んだ。

 惚れているから、無手は知られることを選んだ。

 闘うことは相互理解に繋がり、その相互理解のために無手は闘った。

 大晃は本気でそう思っているらしかった。

 

「もう、負けちまったんだ。強がる意味はないんじゃないのか」

 

 右手が差し伸べられた。

 迷いも不安も何もかもを全部受け止められるほどに大きかった。

 無手は大晃が差し伸べた手を取ってから言った。 

 

「今は、あなたの言葉を鵜呑みにしてあげる。でも、日和らないでね。

 もし、あなたが情けない姿を晒すようなら……分かるでしょ?」

 

 そして、『それ』は始まったのだ。

 無手のエネルギーを宿した細胞たちが分裂を始めていく。

 光と熱を生み出していく。

 大晃を中心にして放たれる緑色の光は端末の内側から溢れ出て、ラボを強烈に照らした。

 

 

 

 現象の中心地点であるラボ。

 当然、そこにいる者は全員が異常事態を自覚していた。

 絶叫と似た轟音を上げて緑色の光を噴射する大晃の端末にめちゃくちゃな波形を描くパラメータ画面、計器の異常。

 待機形態のISは合成音声で『UPDATE』と連呼し、光輝いた。

 大きなものと接続しているという妙な感覚。

 その全てがここで起こっている。

 

「まさか、これは最適化か!?」

 

 金子が気がついた。

 一見、めちゃくちゃに見える波形は、よくよく見れば最適化の際に描かれる波形に近しいことに。

 だが、その振り幅は通常のものと比べてあまりにも大きい。

 一次移行(ファーストシフト)、二次移行(セカンドシフト)と比べても強度は段違いであった。

 恐らく、未だに確認されていない三次移行(サードシフト)ですら及びもしないだろう。

 

「……無手は言っておった。大晃の情報を集め尽くしたと」

 

 その理由は単純明快だ。

 殺し合いを経て無手は大晃を深く知った。

 裏をかかれたものの、その情報量は並のISをはるかに凌駕しているのだ。

 そして、大晃もまたそれに匹敵するほどに深く無手を知った。

 それほどまでに深く互いを知った操縦者と機体が最適化を果たす、とどうなるのか。

 その答えが今ここに現れようとしている。

 

「そうか、そうじゃったのか……あやつはこの為に、闘っておったのか」

 

 一ヶ月に及ぶ闘いが彼らに相互理解を深める機会を与えた。

 闘いが相互理解に繋がる。

 一番最初にIS学園で闘いに赴く前に、インタビューでそう主張したこともある大晃のことだ。

 それに気がつかなかったわけがない。

 相互理解の果てに何があるのかも知っていたのだろう。

 

「名前が必要じゃな。この新しい現象の呼び名が」

 

 ただの最適化に収まらない、もはや、同化とすら言っても良い反応は、これまでの最適化の最終地点に位置するだろう。

 どれほど大きな数字を掲げようと、数はいくらでも増やすことができる。

 ならば、この現象を数字で表すのは不適当だ。

 数字を重ねただけでは、最終地点を表現することなど出来るはずもない。

 

「こう呼ぶのが相応しかろう」

 

 金子は考えた末に言葉を紡いだ。

 祝福の想いを込めて。

 

「最終移行(ラストシフト)」

 

 緑色の極光が全てを包み込んだ。

 

 

 

 光が収まるのと同時に全員の視線がポッドに集まった。

 安城大晃が収まったポッドへと。

 空気圧の操作により端末が音を立てて、扉が開いた。

 扉から腕がぬっと出てきた。

 太い腕だ。

 その次に脚が出てきて床に降ろされて、ペタリと間の抜けた音を出した。

 ついには大晃は立ち上がり、ポッドから出てくる。

 大晃は両腕を上げて羽織っていた病人服をはらりと床へと落とすと、その姿を全員へと見せつけるようにして胸を張った。

 誰もが言葉を発することすら出来なかった。

 大晃の姿が、先ほどまでとはあまりにもかけ離れていたからだ。

 

「おおぉ……」

 

 誰かの言葉にもならない声こそが彼らを支配している感情を表すのに最もふさわしかった。

 ミイラのようにやせ細った、病人のような身体はもはやそこには存在していなかった。

 太い肉の束が全身に絡みついていた。

 手と足は筋肉は過密に搭載されていてぱんぱんに膨らんでおり、どういう衝撃でも吸収しそうだった。

 胴体は胸がせり出してこそいるものの、縦と横がほぼ同等の太さを持っており、括れのない寸胴のような形をしていた。

 筋肉が過剰に搭載された、筋肉でできた山脈のごとき肉体。

 しかし、その肉体は決して鈍重そうには見えない。

 ただ膨らんでいて力を発揮することのできない愚鈍な筋肉などではない。

 太い鋼鉄のバネが絶えず撓んでいて、必要な瞬間にトリガーを引けば瞬時に最高の速度を発揮するであろう、俊敏な肉体であった。

 だが、普通はこんな肉体は存在しえない。

 筋肉が過剰に付けば、速度は落ちる。

 余計な筋肉はむしろ動きの邪魔になるからだ。

 例外はあるだろうが、ここまで筋肉が過剰に搭載された肉体がけた外れの素早さを持つことなどあり得ないだろう。

 速さと重さを兼ね備えた、肉体の理想形。

 大晃の細胞は知っていたのだ。

 自身のあるべき姿を――。

 だからこそ生まれた完璧な肉体であった。

 その肉体はどれほどの性能を備えているのか。

 知りたい。

 そういう欲望が全員の胸の内に沸いた、その時に。

 大晃はおもむろに拳を構えた。

 右拳を腰の横に構えて、左手を照準のように前に出した。

 腰は別段落ちてはおらず、直立の姿勢から無造作に放つ姿勢だ。

 生涯で何度放ったかも分からない正拳突き。

 大晃は、まるで生まれて初めて拳を握り、空に放つような初々しいさで、それをしてみせた。

 

 ――パァンッ!

 

 大気を打った音が部屋を叩いた。

 拳の先端速度が音の壁を破った音である。

 無造作に放った、手打ちも同然の突きであったはずだ。

 当然、全力とは程遠い。

 であるはずなのに、大晃は容易くその壁を越えたのであった。

 生まれ変わった肉体。

 そのポテンシャルは計り知れない。

 

「くっくっく……、震えてやがるぜ」

 

 大晃が呟き、己の身体を見た。

 身体が小刻みに震えているのである。

 その震えに何を思ったのか、強い笑みで顔を歪ませている。

 大晃は言った。

 

「俺と一つになれてうれしい、うれしいってよ……無手の野郎が喜んで、震えてやがるぜ」

 

 拳を握りしめて、そう宣言するその様を見て、全員が確信した。

 大晃の完全復活を――。

 新たな始まりを――。

 そして――。

 大晃がこの場にいる一人の人間を見た。

 それはとある称号を持つ人間であった。

 

「千冬姉……」

 

 一夏が姉の名を呼んだのは、彼女を繋ぎ止めるためだった。

 教師であり、大晃のクラスを受け持つ担任でもある、織斑千冬。

 彼女はすでに教師の顔をしていなかった。

 ブリュンヒルデとしての意志を込めた視線を大晃へと向けていたのだ。

 大晃もまた強い視線を千冬に向けていた。

 その視線に宿るのは最強への意志。

 にらみ合う二人。

 その二人だけに新たな展開が見えていた。

 

 

 

「どうして、安城君が勝つと分かったんですか?」

 

 IS学園の警備に回っていた楯無は大晃の復活に胸をなでおろしながら、もう一人の警備担当者に質問をした。

 そのもう一人、山田真耶は答えた。

 

「彼が私と同じ人種だからです」

 

 真耶の声は静かであった。

 いつも、生徒に語り掛けるように穏やかな口調は、聞くものを安心させるものだった。

 だが、楯無はそれが怖かった。

 声音と語る内容のアンバランスさが不安をかき立てる。

 楯無の知る限り真耶の人間性は大晃と程遠い筈なのに、その本人が言ったのである。

 私は大晃と同じ人種の人間だ、と。

 それはあまりにも不釣り合いなことだった。

 楯無はその発言の本位を聞きたかった。

 

「同じ人種って、どういう意味ですか?」

「言葉通り……、闘いが好きだと言っているんですよ」

「そんな素振りを今まで一度も見たことがありませんが」

「ええ、普段はそんなことを言う必要はありませんからね。黙っているだけですよ」

 

 だが、聞いても楯無は納得できなかった。

 ただ、からかわれているだけの様な気もしてくる。

 山田真耶。

 その経歴を楯無は知っているが、不審な点はない。

 現役時代に物騒なあだ名を付けられていたこともあったが、それは競技者として真っ当に強かっただけの話である。

 大晃と同じとまで言わせるほどの狂気性など感じさせない。

 

「横取りはされたくありませんね……」

「は?」

「いえ、独り言ですよ。独り言……」

 

 そう言って真耶は空を見上げた。

 どこまでも広い青空の向こうを、真耶は見ていた。

 目に見えている物の向こう側にある、これから先に起こるであろう事象を見通しているようだった。

 

「織斑千冬は……私のものです」 

 

 ここに新たな展開に絡もうとする人間が一人。

 彼女は温和に、しかし、牙をむいて笑った。

 そして、もう一人。

 世界最強を誰よりも望む女がIS学園へと訪れようとしていた。

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