試合の日の夜。
セシリアは自分の部屋に居た。
正確に言えば、セシリアともう一人のルームメイトの部屋にである。
試合が終わってから保健室に直行となった。
顔に薄く痣ができたが、特に後に残るような怪我はなかった。
その痣にしても目立たない上にすぐに消えるものである。
あれほど、激しい闘いの後にしては無傷に等しいとも言えた。
セシリアは試合を振り返っていた。
ベットに腰かけている。
天蓋付きのベットである。
寮に元から置いてあるベットではなく、セシリアの私物である。
部屋に置いてある棚や机など家具や、敷いてある絨毯や窓に掛けられているカーテンもセシリアが用意したものである。
セシリアが当然のように部屋を飾り立てるので、ルームメイトにはどうすることもできなかった。
今も、自分のベットの上できょろきょろとすることしかできない。
トントン。
部屋の扉からノックが鳴った。
「あ、私が行きます」
ルームメイトは別に小間使いではなかったが、部屋の雰囲気に押されて誰がノックをしたのかを自分から確かめに行く。
寝るには早いが誰かが訪ねて来るには遅い時間。
何か理由がなければ部屋に来てノックをすることは無いだろう。
一体こんな時間にどうしたのだろうか。
そんな疑問を抱きながら、扉に向かったルームメイトは部屋の扉を開けた。
山が目の前にあった。
その男の肉体は180センチを超え、体重100キロある。
発散される気がその肉体をより大きく見せるのならば、山と見間違うのは不思議ではないかもしれない。
安城大晃が微笑を浮かべている。
セシリアと闘った男がルームメイトの目の前に居た。
「えっ!? 安城君?」
「おう。こんな時間に悪いね。お邪魔してもいいかい?」
「……セシリアさんに話があって来たの?」
「そんなところだ」
「ちょっと待っていて」
ルームメイトはノックをしたのが大晃だとは思っていなかった。
だが、もしこの男が来るのならセシリアに用事があってのことだろうという察しはついた。
一度部屋に戻ってセシリアにそのことを伝えると、ぜひ部屋に上げて欲しいとセシリアは口にした。
ルームメイトは大晃を部屋に招き入れたのだった。
「調子はどうだい?」
「おかげさまで、あなたに殴られた痣が残っていますわ」
「そう言うなよ。俺は本気で心配しているんだぜ。結構強くぶん殴っちまったからなぁ」
「……大した怪我はありませんわ。痣もすぐに消えます」
「安心したよ」
「用事はそれだけですの?」
「まさか。セシリアに頼みがあって来たんだ」
「頼み?」
セシリアは身構えた。
夜に部屋に来るような頼みなのであるから、それなりに重要であることは容易に想像がつく。
しかし、自分が何か頼まれるような心当たりはない。
厄介な頼み事でなければいいが、とセシリアは思案した。
「俺はクラス代表を辞退して、代わりに一夏を推薦しようと思っている」
「なんですって!?」
「俺と一緒に一夏をクラス代表に推薦すること、クラス代表になった一夏の手助けをすること。この二つを頼みに来たんだ」
それはセシリアが考えもしなかった話であった。
一夏がクラス代表を務めること自体には問題は無いだろう。
実力があるのは試合で分かっている。
ただ、クラス代表はクラス対抗戦で闘うことになる。
大晃が一夏を推薦することは、その権利を手放すことであった。
闘うのが好きであろう大晃がそうする理由がいまいち分からない。
「立ち話も何ですから、少しゆっくり話をしませんこと? 紅茶も用意しますわ」
セシリアはそう言った。
「美味い紅茶だねぇ」
「お口に合うようで何よりですわ」
大晃はセシリアの用意した紅茶を飲んでいる。
部屋にはセシリアの用意した家具が並び、座っている椅子やテーブルも、あるいは大晃が口につけているカップや紅茶もどれほどの値段か。
普通人には想像がつかない。
しかし、大晃はその価値が分かっているのか、あるいは分かっていないか。
ごく普通に紅茶を味わい、寛いでいる。
その様子を見てセシリアは苦笑をするのだった。
「あの、私はなんでここに座らされているのでしょうか?」
何故かセシリアに勧められてテーブルに着くルームメイト。
セシリアの用意したものが想像も付かないほど高級であると察しているからか、顔が硬くなっている。
平常心でそれらを楽しんでいる大晃が羨ましかった。
「あら、わたくしへの客人がこの部屋にお邪魔をしているのです。
この状況であなたを除け者にするほどわたくしは無粋ではありませんわ。
親睦も兼ねて一緒にお茶をするにはいい機会だと思いませんこと?」
「……そういうことなら、私も楽しませてもらいますよ」
そう言って、紅茶を啜るルームメイト。
必死にマナーを思い出しながらである。
その横で大晃が言った。
「で、俺に訊きたい事ってのは何だい?」
「そうですわね。いろいろありますが、まずは何故大晃さんが一夏さんにクラス代表を譲ろうとしているのか、ですわね」
「あいつは強くなると思っているからだ」
「……それだけですの?」
セシリアもルームメイトも眉をひそめた。
決闘を喧嘩と呼び、その喧嘩が大好きであろうことをルームメイトは知っていた。
実際に闘ったセシリアも闘いの中でそれを確信している。
「言葉が足りなかったかな。確かに俺は闘うことが好きだよ。ISでの闘いは特に良い。
本気でぶん殴っても壊れないんだからね。本当なら俺が対抗戦で思いっきり闘いたいよ」
「……そうでしょうね」
「それでも俺が一夏を推薦するのは、今の一夏には実戦が一番必要だからだよ。
対抗戦があるのなら、あいつはその日に向けて必要な技術を習得しようとするだろう。
何故なら相手は代表候補生クラスの猛者どもだ。
専用機は一夏以外には無いが、カスタマイズに自由度のある汎用機だって十分に驚異的だろう。
だから一夏はあの近接武器を生かす技術を身につけなければならない。
しかも、本番ではそれまでに練習した技術を駆使することが要求される。
強くなるってだけなら、模擬戦だけでもいいかもしれない。
しかし、本番に備えて訓練を重ねて、その本番では観客が居て、クラスの看板を背負って闘うという状況。
それに勝るものは無い。
一夏は対抗戦を経て爆発的に強くなるはずだ」
「もし、一夏さんが強くなったとして、貴方はどうしたいんですの?」
「決めていない。ただ……」
「ただ?」
「楽しみは多いに越したことはないってことさ」
大晃は嬉しそうに笑っている。
対抗戦を経て強くなった一夏を想像しているのかまではセシリアには分からなかった。
「今の話で大体呑み込めましたわ。わたくしには一夏さんのコーチになって欲しい、と」
「遠距離主体のセシリアなら一夏のコーチに相応しいだろうと思ってね」
「分かりましたわ。今の話お受けしましょう」
「じゃあ、明日はよろしく頼むよ」
「あのー、ちょっといいですか」
話が一段落したところでルームメイトが声を出した。
「肝心の織斑くんはこのことを知っているの?ひょっとしたら、話をしていないんじゃ……」
「してないよ」
「それって大丈夫なの?」
「事情を説明すれば一夏は分かってくれるよ。セシリアに話を通しておけば問題は無いだろう」
「それはわたくしが一夏さんよりも聞き分けがない人間だと仰りたいんですの?」
「俺とセシリアの二人が一夏を推薦すれば断れないだろうってことさ。
クラスの奴らも俺とセシリアが一夏を持ち上げた方が納得してくれるだろうしね」
なるほど、とルームメイトは頷く。
大晃だけならともかくセシリアも一夏を推薦するのなら、クラスメイト達も賛成に回るはずであった。
「わたくしもまだ貴方に訊きたいことがありますわ」
試合中に起こった不可思議な現象。
脳に響く大晃の声に幽体離脱のように自身の身体を外から眺める体験。
セシリアにも訊きたいことがあったのだ。
「試合中、頭の中に直接、声が響きました」
「声?」
「ええ、確かに大晃さん、貴方の声だったと記憶していますわ」
「ふむ」
「貴方はあの時、何かをしたのではありませんの?」
言葉を選ぶ風に大晃は沈黙して、答えた。
「セシリアはその声に返事をしたんじゃあないか?」
「ええ。不思議と無視しようとは思いませんでした」
「俺もそうなんだよ」
「と、言いますと?」
「セシリアの声を聞いたんだ。通信の類は使っていないんだよな?」
「ええ」
「そうか、そうか、それは面白いなあ」
にぃ――。
何一つ感情を隠すことなく大晃は笑っている。
「あら、何がそんなに嬉しいんですの?」
「へへへ。あの現象を少しは知っているよ」
「良ければ教えて頂けませんこと」
「"あれ"の呼び名は知らんが、全力を出し切って闘ったときに"あれ"が起こることがある」
「全力を?」
「話は変わるが、セシリアが途中から動きが良くなったのは何故だ?」
「ビットを無意識に動かせる動作だけ繰り返していたからですわ」
セシリアに支給されたIS、ブルーティアーズにはビットという子機があり、それぞれをセシリアの思念で操作する。
自律した砲台として操ることで立体的な攻めを可能にする反面、弱点もある。
ビットの操作には意識を割く必要があり、操作中セシリア自身は攻撃も防御もお粗末になってしまうのだ。
しかし、試合の中でセシリアはその弱点を克服した。
ビットの動きの中には意識をしないで動かせるパターンがあった。
そのパターンを継ぎ接ぎにすればビットを鋭く動かしたまま、セシリアは迅速に動くことができる。
動きのパターンを増やすことができれば、より優れたものになるはずであった。
「なら、その動きを既に習得していたのは何故だ?」
「それは……」
自身が動きながらもビットを動かす。
そんな練習をしたことがなかったので、セシリアは考え込んでしまう。
ビットを動かす為の練習はしていた。
最初はビットを動かすことに苦労した。
意志とは逆の方向に動くこともあった。
指示から大きなタイムラグがあったりもした。
しかし、何十、何百時間の練習を経て高い精度で動かせるようになった。
セシリアが考え込み、答えを出す前に大晃が言った。
「セシリアが、真剣にやって来たからだ」
「ISの訓練を、ですの?」
「そうだよ」
「ですが、無意識に動かす為の練習などしてはいませんでしたわ」
「練習っていうのは考えなくても動くためにするもんだろう。
練習を繰り返すことで、ビットの動きが無意識に刻まれたんだろうよ」
「そのことがあなたの言う"あれ"とどう結びつくんですの?」
ビットを無意識に動かせるようになった経緯がどう関係しているのか。
セシリアはまだその意味を飲み込めないでいた。
「感じたんだよ」
感じた。
その単純な言葉にどれほどの意味が込められていたのか?
ひどく重く聞こえた。
その重さは大晃が感じたものの総量がどれほどのものかを物語っている様であった。
「無意識にビットの動きが刻まれるとはどういうことか?
それだけその動きをたってことだ。
最初は考えながら動かさなければいけなかっただろう。
上手くいかないこともあったろう。
それでも、諦めなかった。
感動があったからだ」
そう言われてセシリアが思い出すのは、練習中に体験した一瞬。
ビットの動きが意志と咬み合い、自在に動かせた歓喜。
あの一瞬を手繰り寄せる為だけに訓練を重ねたこともあった。
ビットを動かし、その感触を頼りに、その感触さえも正しいのか分からなかったが、何度も動かして形にしていった。
時には一歩も前に進めない、どころか前日と比べて動きが悪くなったこともあった。
あまりにも地味な、進歩を感じることが出来ない練習の日々。
それでもやめなかった。
何故か?
家を守る為だけではなかった。
あの一瞬を思い描いた。
あの歓喜を忘れることができなかった。
あの感動を味わう為ならば例え家の都合が無くとも同じことであっただろう。
大晃の言葉でセシリアはその歓喜を思い描いた。
あの一瞬があればどのように地味で辛い訓練でも続けられる。
確かにそう思っていた。
「ビットの動きにお前さんの過ごしてきた時間を見たよ」
そこまで話を聞いてセシリアは大晃の言いたいことを察した。
大晃がセシリアの動きから込められた想いを察知したのなら、その逆もあり得るのだと。
「貴方も全力で闘っていらしたのですね」
「おう、勝ちたかったからな」
今までの闘いでセシリアの経験にない現象が何故、大晃との闘いで起こったのか。
それはつまり、セシリアが自分の限界を引き出して闘い、大晃が全力で応じたからだ。
「ISが相互理解に打って付けだって俺は言ったよな?」
――俺は二人のことが知りたいからだ
セシリアはそんな台詞を思い出した。
「俺は人を本気で殴ることが出来ない。大体はぶっ壊れてしまうからな。
本気で殴れる機会ってのが滅多に無い。ISは違う」
ISには防御機構がある。
電子シールドがまず衝撃を防ぎ、防ぎきれなかった衝撃は絶対防御で対応する。
この二つが搭乗者を守るのだ。
「ISでならばもっと気持ちよく闘うことができる。
全力を遠慮なくぶつけることができる。
だから、相手のことだって分かる。
上手くいけば、俺とセシリアの間に起こったことだって他の人間と起こせるかもしれない」
大晃は嬉しそうに笑った。
セシリアも又、そんな大晃を嬉しそうに見ている。
対面するセシリアと大晃の間に穏やかな時間が流れている。
ルームメイトはそんな状況を横から見ていた。
あの闘いで二人の仲が深まったことは傍から見てもすぐに分かる。
こんな穏やかなセシリアはこの一週間からは想像もできないことだったからだ。
闘いの途中にセシリアが恐怖したことが嘘のようでもある。
きっと、傷つける為では無いのだろう。
深いところで相手と繋がりたくて闘う。
お前はどのような人間なのか?
拳の一つ一つにその問いを込めて闘う。
それが安城大晃なのだろう。
それが分かって安堵した。
机の上では緩く時間が流れていた。
沈黙を楽しむように三人は寛いだのだった。