アリーナの観客席には二人の観客がいた。
一人は千冬。
もう一人はマドカだ。
ついさっき目が覚めたばかりである。
それから闘いを眺めている。
マドカはあっけにとられていた。
闘いはあまりにも混沌としていたからだ。
三人が交差し、打撃を、銃撃を、衝撃をやり取りしている。
その攻防は複雑怪奇で、その交わりは神経と血管が絡ませる様を思わせていた。
まるで一つの生命のように有機的ですらあるその闘い。
繰り広げられている闘いは一個の完結した生命のようで、三人はその闘いという名の生命の体内をめぐる血液であり細胞であった。
「奴らはどうしてこんな風に闘えるのだ?」
白熱する闘いに圧倒された、マドカの心には疑問があった。
この闘いはあくまでも前哨戦。
本命は千冬のはずだ。
向かい合う三人は互いが本命の前に立ちはだかる障害にすぎない。
どれほど彼らが素晴らしい闘いを繰り広げたとしても、その事実に変わりは無いはずだ。
なのに、彼らの視線からは強い感情が迸っている。
ともすれば、互いが互いに共感と好感を抱いているような気すらしてきている。
何故、彼らはこうも向き合い、必死になれるのか。
何故、彼らはこうも必死に向き合えるのか。
今まで、自分の前に立ちはだかる者を、単なる障害物としてみなしてきたマドカには分からなかった。
「強いからだ」
千冬は闘いから目を離さずに、そう呟いた。
そう言われても、マドカには分からない。
千冬は苦笑して、言葉を足した。
「奴らの最終目標はあくまでも私だ。しかし、今のあいつらにとっては目の前で向き合う相手がいる。
片手間で相手に出来るような連中ではない」
「……やはり、私には分からない」
「何故だ?」
「私は今まで姉さんと闘うことばかり考えて生きてきた。
姉さん以外に興味はなかった。仮に立ちふさがる者がいたとしても、所詮は障害物だと思ってきた」
「しかし、その障害物相手に本気で闘うことはあったんじゃないのか?」
「本気になったことはある。しかし、障害物は障害物。煩わしい以上の感情を持ったことなどない。
彼らはそうでないような気がする。互いが互いに織斑千冬に向けるのと同じか、それ以上の感情を向けているような」
「なるほど、マドカ。貴様の疑問はそういうところにあったのか」
千冬は頷いて、少し考えるそぶりを見せた。
言葉を探し終えてから、千冬は口を開いた。
「そうだな……、ある場所にこうとする時に必ず通らなければならない、通過点というものがある。
どれほど遠回りしようとも、どれほど近道をしようとも、絶対に通らなければならない場所だ」
言うならば、彼らは道の途上にある。
その最終目的地は織斑千冬、そして、彼女から勝利を掴み取ることである。
その為には、必ず経なければならない闘い、というものがあった。
消化しなければならない深い因縁が千冬には付きまとっている。
「その因縁に決着を付けなければ、私と闘うことはできない。
この闘いは禊ぎだ。信心深い修験者が、試練を乗り越える前に、禊ぎを済ませるのと一緒だ」
だが、己の身を清めるというのは簡単なことではない。
何故なら、彼らは業の塊。
骨身に染みた業により彼らは高みへと昇ったが、業と払うべき穢れは紙一重だ。
彼らにとって穢れを落とすことは、己の業をそぎ落とすのと同義。
すなわち、危険な行為である。
だからこそ得られるものもある。
「敵の強さは払うべき業と同値であり、禊ぎの完成度の指針ともなる。
故に、敵の強さは歓迎すべきものなのだ。何故なら――」
千冬の目がこの闘いの終着点、そして、未来へと注がれた。
「この闘いで、織斑千冬に勝てる自分に成れるのだから」
不思議な感覚だった。
己がまるで一個の生命ではなく、何かの生き物の細胞になったかのような不思議な感覚だ。
血液か、リンパ液か、消化液か、何なのかは分からない。
ただ、自分が自分でないかのようだった。
自分が成り立たせている生き物の視点を垣間見たのかもしれない。
自身のことを隅から隅まで把握して、細胞の一つ一つの意志さえも知っている生き物の視線が似ているかもしれなかった。
だから、二人が考えていることも分かる。
宿主の視点さえも垣間見た私には分かる。
――こいつらに勝てたのならば、織斑千冬にも勝てる。
強敵三人が相まみえて、同時に闘う。
それは複雑な闘いだった。
闘いそのものが生命として起立するほどに、つまりは人体に匹敵するほどに複雑だった。
その複雑な闘いを制した者は、紛れもない強者に違いなかった。
しかし、どれほどの強者であろうと、同じレベルの者たちが集えば必ず敗者が生まれる。
今、ここに集まる三人はいずれもが同レベル帯の強者。
その三人の内、勝者と敗者に分かれるとしたら、その差は何だろうか?
腕力か?
能力か?
戦略か?
継戦能力か?
精神力か?
あるいはそれら全てかもしれない。
ほとんど、その差はない。
それでも、勝敗が彼らを別つのならば、その差は、この闘いの中でこそ生まれるのかもしれない。
この闘いで獲得したものの差が勝敗を分けるのかもしれない。
だとするのならば、この闘いで勝利した者は、それだけ多くのものを獲得したということになる。
あるいは、この闘いは勝利者に最高のギフトを与えてくれるという解釈も可能かもしれない。
だから、成れるのだ。
織斑千冬に勝てる自分に。
勝ちさえすれば。
そして、アリーシャは分かっていた。
他の二人もそれに気が付いていることに。
闘いは複雑な様相を描いている。
誰が、いつ、どのような攻撃を仕掛けてきているのか、それが不明だった。
加速した闘い。
それは新たなステージへとたどり着いていた。
誰かが攻撃をする。
その誰かに反撃をする。
その上でもう片方への注意と警戒を怠ってはならない。
もし、そいつがこちらに向けて攻撃を仕掛けてくるのならば、きっちりと代償を払って貰わなければ。
この闘いにもはや防御の介在する余地はない。
防御すればたちまち残りの二人から集中的に攻撃されてやられてしまうのだ。
全力疾走の様な闘いだった。
それも攻撃を緩めることの許されない、チキンレースである。
この闘いに比べれば、先ほどの闘いさえも様子見可能な緩いものであった。
もう止まることはできない。
――楽しい。
思考を止める暇すらない。
そんな中で湧き上がる思い。
苦しかった。
加速する闘いに追従する肉体は鈍痛で満たされて、様々な選択を迫る闘いは脳に大きな負担をかけて来る。
装甲でも庇いきれなかった全身の裂傷による痛みは引く気配がなく、激しい動きによる刺激は新鮮な痛みを引き起こす。
楽はさせてもらえない。
しかし、それが楽しかった。
あらゆる苦しみが裏返る。
闘いの熱に炙られた苦痛が化学変化を起こし、快楽物質に変わったかのような。
自らが構成する、この生き物も楽しいのだろうか?
自らの細胞を酷使する快感に身を委ねているのだろうか?
――ああ、千冬か。
ふっとアリーシャの頭に浮かんだのは、千冬のことだった。
千冬の悲しい眼差しを思い出す。
それはかつて、アリーシャが本当に見た、千冬の眼であった。
千冬に勝ちたかった。
千冬と闘い、勝利することで、己の内側にある渇きを癒したかった。
その渇きが急速に、潤されていく。
この闘いが渇きを癒していく。
ともすれば、他の二人に勝ちを譲っても良いのではないか、と思えるほどの充足感がある。
しかし、他の二人には譲れない理由があった。
――ごめんな、千冬お前を満たせてやれなくて。
かつて、千冬と闘った。
その時、千冬は哀しそうにしていた。
己の本性に押しつぶされそうに佇んでいた。
その時、もう千冬はアリーシャを見ていなかった。
ただ、千冬が内部に抱えている悪性に眼を向けるので精一杯であった。
だから、教えてやりたかった。
私もお前と一緒なんだ。
そんな顔をする必要はない、と。
だが、千冬より弱いまま言ったところで説得力はない。
千冬の渇きを癒してやる為にはより強く、より速くならねば――。
この充足感の理由。
それは私が今まさにそういう存在になろうとしているからだ。
他の二人にも存在する、渇きを癒しているという実感。
そして、千冬の渇きを癒すに値する存在となろうとしていることへの実感。
自分が誰かの渇きを癒せる存在と成っていることに、達成感を覚えているのだ。
――ああ、しかし、やけに複雑な闘いだな。
アリーシャは分身で真耶と大晃を攻撃しつつも真耶と大晃の攻撃を最小限の動きで躱し攻撃へと繋げ、真耶はマシンガンとライフルでアリーシャと大晃を攻撃しつつも盾を有機的に扱い攻撃の機会を最大限に確保し、大晃はその肉体を利用した極限までの体捌きで攻撃と回避の両方を一つの挙動で同時にこなす。
言語化すればこれほどの攻防が一瞬の内に詰まっている。
頭がおかしくなりそうな情報量。
だから、それを処理するために、余分なことは削られていく。
もはや、順序立った思考はできない。
否、思考しているが、それを意識に上らして眺める間がない。
意識上にあるのは思考ではなく、思想。
想いの丈。
それだけが触れればはじけて消えるシャボン玉のように浮かんでは消えていく。
そのシャボン玉を眺めるので精いっぱいだった。
――ああ、ついにこの段階まで至ったか。
そして、とうとう、闘いの段階は最終局面を迎える。
攻撃を最大化するための防御。
防御を最小化するための攻撃。
二つの循環こそが闘いの肝だった。
その最小限の防御すら、無くなっていく。
受けることの可能な攻撃をあえて自ら受けることで、次の攻撃を放つまでの時間を最小化しているのである。
そうすれば、より攻撃を多く放てる。
防御の方法を工夫することで今までは、攻撃を数多く放ってきた。
それが自らの耐久力と引き換えに、自らの攻撃を放つ姿勢へと己を導くようになった。
飛び交う攻撃の数がより膨れ上がる。
危険な段階である。
この段階は、つまり、もはや防御の工夫による現状の突破は不可能ということ意味していたからだ。
攻撃は膨れ上がるにつれて、戦場の危険は上昇しているのに、それを防御すれば闘いから振り落とされてしまう。
だから、防御よりも攻撃を優先するほかない。
どうしても己の身を守るならば、攻撃で攻撃を迎撃するしかないのである。
――ああ、私自身が削られていくのサ。
今まさに行っている、骨身をそぎ落とすような闘い。
武器を使い。
装甲を使い。
肉を使い。
骨を使い。
攻撃を受けて、隙間を縫い、攻撃の反力を利用する。
その度に、己の全てが削られて行く。
使っている武器は磨耗し。
攻撃を受けた装甲は損傷し。
その内側にある肉は殺しきれなかった衝撃に痛みを訴えて。
無理のある機動により骨は軋む。
そして、それらが立てる音が生々しく脳に届く。
己という存在を削ることで音を奏でる楽器になったような気分だった。
曲のリズムを上げていく。
自分の中にある、何かを差し出すことによって。
もう、何も考えられなくなっていた。
奏でられる楽器は何も考えない。
ただ、演奏者に全てを委ねて鳴り響くだけだ。
勝利を決めるのは、この闘いという生命のうねりである。
全てを差し出して、それが勝利に見合うものであれば勝利はその結果として手に入る。
いつの間にかアリーシャの内部からあらゆるものが消えていた。
勝利への渇望。
千冬と闘うという欲望。
千冬へと抱いていた、贖罪の意識にも似た想いさえも。
ただ、駆動する機体と肉体が確かに存在している。
それ以外は何もない。
三人は恍惚の空間の中にいた。
三人は尊い時間を共有していた。
全てが削られた末の、単純な存在として、互いに魂を剥き出しにして向き合っていた。
――ここからどうするのサ?
アリーシャの意識が闘いに戻った。
巧みに妨害してくる盾を受け流して、弾丸の間をかい潜り、分身を大晃に差し向けつつ、本体で真耶を殴りにいく。
しかし、真耶は一瞬で武器を持ち替えて弾丸をくぐり抜ける体勢に入ったこちらの虚をついた。
アリーシャはさらに深く踏み込んで肘での一撃を、真耶の間合いの内側から跳ね上げるようにして放った。
それが寸前で躱されたのだ。
しかも、向こうは再び拳銃の引き金に指を掛けて、雷を纏った弾丸を放ってくる。
これは風で弾けない、と判断し上半身を傾けることで回避し、真耶に向かって更に踏み込んだ。
同時に大晃が横合いから殴りつけてくる。
卓越した体捌きから放たれる一撃。
これも風では防げまい。
真耶には拳を、大晃には拳を放つ姿勢を利用した回転蹴り後頭部へと放つ。
出した攻撃がことごとく避けられる。
それも最小限の動きで。
構わない。
これは挨拶代わりのほんのジャブだった。
本命は次。
差し向けた五体の分身の内、二体を真耶に、二体を大晃にぶつけてやる。
真耶にはアッパー、大晃には突き下ろしを。
二人はそれすらも弾き、迎撃して、
――ようやく、隙が生まれた。
アリーシャはほくそ笑んだ。
ほくそ笑んで、能力をさらに解放させる。
否、正確には違う。
解放ではなく、集中だった。
分身を生む行為は力の分散を意味する。
手数は増えるがここぞという時に威力は足りないかもしれなかった。
普通の相手ならば、それでも良いが、相手は普通じゃない。
知っているぞ、安城。
お前の一番の脅威はその耐久力だ、ということを。
だから、全力の火力でお前にぶつけて、そして、葬ってやる。
テンペスタがうねりを上げた。
今、アリーシャの目前には真耶と大晃の二人がいる。
分身が四体が二人を挟撃する形で襲い掛かる――。
かに見えた。
分身は攻撃する、と見せかけて、突如その場に『残骸』を残して、テンペスタへと吸収された。
四つの分身を取り込んだテンペスタは赤く光った。
距離を取ろうとしても、もう遅い。
何故ならば消えさった分身は置き土産のようにして、その場に滞留する空気を残していたからだ。
ISエネルギーの残滓を含んだ、見えない壁を突破するには、ほんの僅かの時間がいる。
逆にテンペスタは一点に集中した分身のエネルギーによってみなぎっている。
技の始動を止められるものも、それまでに射程圏内から抜け出るのも不可能。
こういう状況を待ち望んでいた。
テンペスタから空気の奔流がほとばしり、全てを飲み込んだ。
閃光のような一撃がアリーナを光で満たした。
「なんだ、これは!?」
見物していたマドカが観客席から立ち上がっていた。
まず、マドカが見たのは閃光だった。
いくら複雑な闘いだからと言って、動きそのものが全く目に入らないわけではない。
ハイパーセンサーを起動させれば、動体視力は飛来する弾丸の染みさえも視認できるほどに上昇するのだ。
その闘いの内で見たのは閃光だった。
アリーシャが力を撓めるようにして、両腕を内側へと構えた。
アリーシャの前には、大晃、真耶という順番で二人がいる。
その二人との距離は4、5メートルほどであった。
素手ならばともかく、ISにとっては超至近距離である。
アリーシャは右手を掌底の形で空に突き出した。
アリーシャの掌から空気の断層が放たれるのだろう。
世界ごと切断するかのような、風の暴力が発動すれば二人は成すすべもないかのように思われた。
そして、それが起こったのだ。
光の球が拡がって三人を包み込んでいたのだ。
何かが、形となる前の精神の活動による思念。
それらがぶつかり合い発光しているようだった。
マドカは目を凝らすが、光の中で何が起きているのかは見えなかった。
アリーシャが右手から風を発射したのと同時だった。
どうにか反応した真耶と大晃はそれぞれが最適な行動を取っていた。
真耶は盾を呼び寄せた。
至近距離に敵が集まっているこの状況だ。
もとより、盾は近くに配置していた。
アリーシャが必殺技を発動する直前には何とか、意図したとおりに盾を動かせていた。
盾は大晃とアリーシャを包み込んでいた。
閉じ込めていたと言っても良い。
真耶は真耶で待っていた。
こうして、敵の二人が閉じ込めるのに最適な間合いに入るのを。
二人を取り囲んだ盾はエネルギーを発し、真四角のエネルギーフィールドを形成し、その内部を雷光で満たさんとした。
結界の内部には、いつ放り込んだのか、爆発寸前のグレネードが結界内部にいくつも舞っていた。
アリーシャの必殺技、雷光の形成と多数のグレネードが起こすであろう爆発。
それら全てを防ぐ結界を作ることの出来る機械など、この世には存在しないはずだ。
結界の中にいる二人は当然、近くにいる真耶も危なかった。
破れた結界の内部から飛び出した衝撃は相当なもののはずで、当たり所によっては致命傷を受けるかもしれない。
防御という意味では、結界の強度は若干頼りない。
しかし、攻撃という意味では大きなものがあった。
爆竹は手で握りしめた時に爆発させた時が、一番ダメージが大きくなる。
同心円状に拡がる破壊力の全てが、外から包み込む物体に伝わるからだ。
今も、同じことが起きようとしていた。
結界の内部で必殺技が放たれようとしている。
それを結界で覆ってやれば、外に逃げようとする破壊力は結界に遮られて、その内側に集中する。
恐らく、一時、ほんの一時であろうが、力は結界の内部に集中し、二人に襲い掛かるはずであった。
四散する破壊力の全てを、一ヵ所に集中させるができれば、それで良い。
そういう布陣を形成していた。
その時である。
大晃がその様子を変えたのは。
その姿に二人は驚愕を覚えていた。
大晃はゆったりと構えていた。
腕をだらりとぶら下げていた、肩幅に広げている脚にはいくらも力は入っていない。
特別な意識がなく直立の姿勢を取れば、そういう体勢になる。
そういう立ち方であった。
ごく自然体で目に見えない足場の上で立っていた。
普通ならばそんなことは不可能だ。
闘いの最中に力を抜き、相手の必殺技を待つなど、やろうと思ってやれることではない。
しかも、その意図も不明だ。
もし、何かをしようとしているのならば、これが予備動作のはずであるが、この体勢、この姿勢から何が放たれるのか、全く想像も付かない。
もともと、大晃は構えない。
仁王立ち。
どういう攻撃を放つことにも特化していない。
故に、拳でも、蹴りでも、タックルでも、突進でも、変則的な軌道のフックやアッパー、大道芸のようなアクロバティックな蹴り――。
どういう攻撃でも放つことができる恐ろしい構えだった。
しかし、だから、分からない。
この空間丸ごとを巻き込む攻撃をどういう技で乗り切れるのか?
目前には必殺技を発動寸前のアリーシャが待ち構えている。
アリーシャに対して何を仕掛けようとも、技の発動には間に合わない。
タイミング的に逃げるのも不可能だ。
しかも、周りには滞留する空気の渦とエネルギーフィールドによる結界が存在している上に、爆発寸前のグレネードまでばら撒かれている。
何を仕掛けるつもりだ、安城大晃。
そういう疑問があった。
そういう疑問を置き去りにして、状況は進んでいった。
結界内を雷光が奔りぬけて、グレネードは一斉に誘爆し、アリーシャは全身を風で漲らせて、その頂点を大晃と結界を挟んで奥にいる真耶へと差し向けた。
いずれもが強大な殺傷力を秘めているが、その全てはまず無防備に見える大晃に襲い掛かった。
そして、『それ』が起こった。
爆破による熱風と衝撃、裁断をしようと迫る風の刃。
大晃にそれらが到達する直前。
突如、大晃は全身に力を込めた。
ゆるゆると緩んでいた肉が、瞬時に硬さを取り戻し、膨らんだ。
大晃の肉が倍以上に膨らんだかに見えた。
その時、艶やかに光る何かが現れていた。
皮膚の表面を薄膜のような光る何かが覆っていたのである。
その何かもまた瞬時に厚みを増した。
数コンマ一ミリ程度だったそれは、大晃の肉が膨らむのに呼応して、数センチ前後の厚い金属へと姿を変えていた。
――これは!?
声さえ上げる暇もない、数千分の一秒程度。
アリーシャも、真耶も、『それ』が引き起こした現象に驚愕した。
大晃はただ装甲を身に纏っただけだ。
肉体の膨張に合わせて、丁寧に内側から外側へと全てを押し出すように装甲を展開していたのだ。
もともと、ISに並ぶ肉体を誇る男である。
その肉体の馬力には並々ならないものがあった。
肉体を膨張させるという行為だけでも、相当の攻撃性を伴っている。
しかも、それに加えて全てが、装甲の展開すらも肉体と同様に、丁寧な過程を経ている。
敵の必殺技を前に見せた、完璧なリラックス。
淀みなく全身の肉に力を行き渡らせる、見事な肉体の操作。
肉の膨張を邪魔することなく、むしろその効果を倍増させるように展開して見せた、装甲の展開技術。
全てが超一流の技術で成り立っている。
苦肉の策として装甲を分離して、防御した操縦者はいるだろう。
装甲を射出して攻撃に転用した操縦者もこれまでいただろう。
しかし、ISの単純な展開、それそのものを、一つの防御法として活用した者は、未だかつていない。
その事実が二人に、与えた衝撃は大きい。
まさか、こんな方法で、この布陣を突破できるはずが――。
そうも思った。
事実その通りだった。
膨れ上がった肉体が空気を叩くことにより発生する衝撃波は強力だろうが、周囲の攻撃を打ち破るには到底至らない。
もしも、大晃の狙いが衝撃波の発生による防御ならば、それは成立しなかったろう。
大晃が叩いたのは別のものだった。
膨れ上がる肉体。
その外形の表面、つまりは、皮膚が装甲が同時に最高速に達した。
その瞬間だった。
結界内に満ちるあらゆる攻撃が大晃の皮膚に触れたのは。
ーーまさか!?
そう、そのまさかである。
大晃は膨れ上がる肉体の表面そのものを武器とみなして、相手の攻撃にその武器をぶつけたのである。
敵の攻撃は前後左右のみならず、上下から襲ってくる。
いくら、超速で動ける大晃とて拳や蹴りでそれら全てを『同時』に迎撃するのは不可能だ。
しかし、膨れ上がる肉体ならばどうだろうか。
脚も、太腿も、腹も、背も、腕も、首も、を走り抜ける血流の瞬間の増加。
バンプアップにも似た肉体の膨張は全方位、全部位をカバーするだろう。
そこに装甲の展開を合わせた。
肉が厚みを増すのと同等の速度となめらかさで、装甲を纏えば、それは自分の肉が更に増えたのと同じ効果をもたらす。
いや、むしろその威力を増幅させる効果を持つだろう。
肉と装甲はあくまで別の物体。
速度を持った皮膚の上に、展開を合わせれば、表面の膨張速度は加算されることになる。
理想的な脱力から一瞬で剛直へと移り変わる。
その天と地ほど差のある振り幅に装甲の展開を加算させる技術。
それこそが、最大の武器だった。
爆発のように膨れ上がった存在が、押し寄せる波ような攻撃を叩いていたのだ。
轟音。
空気をミキサーする音でも、爆発でも、神鳴りでもない。
無音の衝撃。
それだけがあった。
叩かれた攻撃は押し返された。
風も、熱も、雷も、圧倒的な速度でぶつかってくる物体を害することはできない。
全ての攻撃が反射されたかのように、大晃を中心とした全方位へと拡がっていく。
肉体の輝きが全てを塗り替えていった。
光の中には、完全な姿の大晃がいた。
そうか、この男、この土壇場で。
意識を失う直前に、アリーシャはそう思った。
ああ、ついに誕生する。
真耶も思った。
新たな、最強の誕生をーー。
夜のアリーナである。
照明は付いているが、夜空は、開け放たれた天蓋からよく見えた。
そのアリーナには三人の人間がいた。
二人の人間は仰向けに倒れている。
アリーシャ・ジョセスターフと山田真耶。
彼女らはいずれもが気を失い、しかし、目を開けて天を見ていた。
何か尊いものを見出しているかのような、優しい目つきである。
その彼女らが見ている天から一筋の光が降り立っているかのようだった。
選ばれたただ一つの存在を照らすために、天が一筋の光をスポットライトとして下ろした。
そういう風にも見える。
一体誰が選ばれたのか。
光の中心には男が一人いた。
その男は空中で仁王立ちをしていた。
男はISを纏っていた。
肉厚の、しかし、それ以上に滑らかな曲線を描いたISであった。
それが金色とも銀色ともつかない、淡い輝きを放っていた。
男は天を見上げている。
無表情で、何かを畏れるように、何かに敬意を表するように、男は夜空を見つめていた。
最初の出逢い。
今まで、通り過ぎてきた闘い。
己を形作ったものたち。
ここに集った、二人の強者。
名付け難い液体から、掬えるものの大体はそういうものかもしれない。
アリーナの中心で、男は、己の全存在をむき出しにして、ただ突っ立っていた。
「何という……」
マドカは呟いた。
感銘を受けていた。
マドカは今まで宿命の為に生きてきた。
宿命に決着をつけて、自分を確立することこそが生きる目的だった。
だが、この闘いはどうだろうか。
千冬との闘いを決めるだけの闘いなのに、彼らは全力だった。
その結果、彼らは尊い、価値のある闘いを作り出したのだ。
人がここまで純粋に闘えるものなのか。
宿命も因縁も、全てを置き去りにする地点へと到達できるものなのか。
マドカの背にある響きは妙に甘かった。
「お前もああなりたいか?」
「はい! ああ、いえ、その……」
答えには間がなかった。
わけもわからずマドカは赤面した。
千冬は優しく見つめて言った。
「ならば、IS学園に籍を置くというのはどうだ?」
「え?」
「もともとは私たちが闘うために、これからの生き方を決めるためにここに来た。
忘れているわけじゃないだろう?」
「……」
「お前に、その気があるなら、IS学園に入ることも可能だ。
もちろん、その為には、色々と条件もあるわけだがな」
マドカは押し黙った。
そうだ、結局のところ、自分と千冬の舞台だったはずが、いつの間にか主役はあの三人に移ってしまっている。
千冬へ挑むものとしての役者の違いを見せつけられた。
今更ながらそんなことを考えてしまったのだ。
言い知れない劣等感。
不意に湧き上がって来たそれにマドカは対抗する術を持っていない。
マドカが繰り返して来た非人間的な生活は、真っ当な感情の対処法を、奪ってしまっている。
マドカが思考の泥沼に入り込もうとしていた。
「おい」
「え?」
「そう、暗い顔をするな。貴様もそう悪くはなかったぞ」
「でも、私はまだ未熟で――」
マドカは闘いの前以上にしおらしくなっていた。
千冬はそれを遮る。
「忘れるなよ。私は因縁のあるあいつらよりも、お前と先に闘うことを選んだんだ」
「姉さん……」
「私にとって一番大事なのは家族だ。そして、お前も十分に強い。それは、私が保証する。
だから、胸を張れ。卑屈になるな。返事を楽しみにしている」
千冬はマドカの返事を待たなかった。
軽く生身で跳躍して、起伏に富む地形へと変化してしまったアリーナへと降り立った。
その丘のようになっている場所で千冬は大晃を待った。
大晃はゆったりと降りてきて、千冬の前へと立った。
「ついに、モノにしたようだな。その力を……」
「ええ」
言葉はそれきりで沈黙があった。
二人は目を合わせたまま、向かい合った。
何かを無言やり取りしているかのようだった。
「本当に俺と闘ってくれるんですね」
「当たり前だろう」
千冬はそう言うが、大晃は引き下がらない。
続けて言った。
「俺はあなたに勝てる」
二人の強敵を下した。
その事実が大晃に力を与えているのだろうか?
その気配は、千冬をして感嘆せしめるものだった。
「ならば、試してみるが良い。試合会場で貴様の力をな」
千冬は大晃から目を逸らさなかった。
「試合が楽しみだな」
千冬は言った。
内に宿る苦いものを噛み砕くように口元が歪んでいた。