「ほう」
セシリアが現れるなり、大晃はそう言った。
敵の姿、形、そして、その纏う気配から戦力を推測することは可能だ。
大晃の持つセンサーの精度は極めて高い。
だからこそ、笑みがひきつれているのである。
仏のような笑みに、喜悦の亀裂が入っていた。
そうか、ついに、ここまで至ったのか。
セシリアは強くなっていた。
しかし、もっとも特筆すべきのは、戦力の上昇ではなく、今まで大晃が感知できなかったことだろう。
大晃とセシリアは何度も模擬戦を繰り返している。
当然、互いの力量をよく知ってはいるが、ここ一ヶ月以上は、相次ぐトラブルにより二人が直接闘うことは無かった。
その間、セシリアが力量を隠していたとしておかしくないし、事実、今日闘った他の挑戦者たちも大晃が知らないことをやってきた。
だからといって、感知できないはずが無いのだ。
この短期間で急激に伸びれば、気配にも表れてくるだろう。
普段の何気ない振る舞いから洩れてくる気配から戦力の当たりを付けることができる大晃であれば、当然、それと分かる。
そんな大晃ですらセシリアがここまで強くなったことを漠然と感じることができても、確信を持てなかったのは、セシリアの隠し方が上手かったからだ。
顔を合わせる機会は今まで何度もあった。
漠然と感じてはいた。
セシリアが強くなっていることを。
セシリアがその戦力をひた隠しにしていたことを。
しかし、ここまではっきりとそれと気が付いたのは今が初めてだ。
だから、今日、この舞台に立っているセシリアが何をしてくるのか、予想が付かないのである。
何故ならば、今ここで見せるセシリアの隠し玉は、ずっと前からセシリアが磨いて磨いて完成させた代物だからだ。
「一体、何をする気なんだい?」
「口で説明するつもりはありませんわ。あなたの身体に消えない刻印のように、刻み付けるのですから」
「嬉しいことを言ってくれるね……」
「知っているでしょう。わたくしほどあなたに勝利することを望みつづけた人間は、この地球上のどこにも存在しないということを」
「確かに、そのとおりだ。セシリア、お前さんほど俺を意識している人間はいない」
「そうですわ。でも、悪いのはわたくしではありません」
試合の合図が鳴る、その前から二人は身構えていた。
睦言を交わす、その裏で、もう試合に向けて身体が準備を始めているのである。
「確かに、俺がお前さんを泣かしたのが原因だったな」
「ええ、でも楽しかった。お父さまに叱られているような気分でしたわ」
「……確か、お前さんの親父さんは」
「ええ、わたくしが幼少のころに亡くなっています」
「悪いなぁ。嫌なことを思い出させてしまった」
「ふふふ、とんでもありませんわ。あまり悪い気分でも無かったですし。実を言うと、わたくしはあのあなたと初めて闘いは楽しかったと思っております」
「へえ」
「今日は、最初のバトルロイヤルの時と同じように楽しませていただきますわ。よろしくて?」
そうか、そういうこともあったな。
大晃も思い出に浸るように、しかし、警戒を緩めずに語り合う。
「じゃあ、今日も、あの時のように優しく泣かしてやるとしよう」
「あら、それは無理ですわね」
「どうして?」
「あなたとわたくしの始まりを楽しく振り返るつもりではありますが、結果まで再現する気はありませんもの」
「そりゃそうか」
「ふふふ、大晃さん」
「何だい?」
セシリアは笑みを深めて、大晃の目をのぞき込んだ。
大晃はその視線を真正面から受け止めた。
セシリアは、一年の想いを、その総決算を、口から吐き出した。
「今日こそはわたくしがあなたに勝ちますわ」
見えないやり取りを何度繰り返しのだろうか。
名残惜しそうに二人は会話を切り上げた。
もう、試合が始まってしまう。
始まってしまえば、もうこの会話を交わす間が存在しなくなる。
もっと、話をしていたいのに、語り合いたいことがあるのに、それが出来ないことを残念に思っている。
だが、これから始まるのは、言葉よりも濃くて、会話よりも情報をやり取りできる、肉の言語である。
二人は会話の終わりを惜しみ、しかし、闘いの始まりを歓び、前に飛び出した。
ブザーは二人が前に出るのと、同じタイミングで鳴った。
大晃は拳を前に打ち出した。
箒とラウラのペアとの闘いで終盤に到達した速度で拳を顔面に放ったのである。
セシリアもビットからレーザーを放っていたが、それは避けられて、拳はその最終到達地点へと向かう。
イグニッションブーストをも上回る速度の拳は真っ当なIS操縦者では避けることさえできないものだろう。
その拳が宙を打っていた。
セシリアが頭部を逸らして、ギリギリの距離で避けていたからだ。
いくら、手練れとはいえ、近接戦闘は専門外。
これほどに見事にミリ単位に近い回避など出来るはずもない。
一体、何をしたのか?
その答えを、名だたる代表候補生と観客たちに考える時間は与えられなかった。
大晃とセシリアが再び動き始めていたからだ。
拳脚が奔る。
閃光が奔る。
無数の風と光が交差している。
大晃が四肢で攻撃を加えセシリアが回避し、セシリアがビットによるレーザーで攻撃を加え大晃が回避しているのである。
二人に違いがあるとすれば、間合いの取り方である。
セシリアは後ろに下がっている。
反対に大晃は前に出ている。
敵を遠ざけようとするセシリア、敵に近づこうとする大晃。
ISの戦闘ではもはや肌を密着させたにも等しいこの近距離で、二人の属性の違いによる、戦術の差が現れ始めていた。
「凄い」
闘いが始まって、五分が経過しようとしていた。
アリーナの展望台には今日闘った者たちが集結していた。
闘いを間近で、しかも、肉眼で見られる場所だ。
普段ならば、来賓の重鎮などがここに座ることになるが、今日は一切の来賓を招いていない。
かと言って、他の者が使っているわけでもない。
そういう事情と教師の計らいによって、最後の闘いだけは特別にこの場所に入ることができたのだ。
その中で誰ともなく、呟いていた。
凄い、と。
セシリアは闘いを始めてからずっと大晃の間合いの中にいる。
常に後方へと移動しつつも、身を捩り反らし、拳を蹴りを避け続けている。
彼らは大晃の正面に、間合いの内に、居続けることがどれほど困難なことかを知っている。
五分間、困難な業を成し続けているセシリアに対しての驚きが、凄いという言葉になって飛び出していたのだ。
観客席を見ればそれは同様のようで。
遠距離専門のはずのセシリアが、近接専門の大晃と真正面から渡り合っていることに、感嘆している様子が見て取れる。
「何故、このようなことができるのでしょうか?」
恐る恐る、といった具合で放たれた問いが宙に消えた。
この部屋にいる誰もが、その問いに答えられなかった。
現実にセシリア・オルコットは大晃の間合いの中で、その打撃を躱し、拳も蹴りも触れさせてはいない。
セシリアが何らかの対策を講じて、実行しているはずだった。
しかし、それが何のか誰も分からない。
どこからどう見ても、セシリアはビットからレーザーを放ち、放ちながら大晃の打撃を避けているだけにしか見えない。
何か、特別なことをやっている様子はない。
あるいは、二人にしか見えない、呼吸が関係しているのか否か。
それすらも定かではないのだ。
ただ、それもすぐに分かることになるだろう。
二人の闘いがそれを明らかにするところだった。
ビットから強襲するレーザー。
徒手空拳による攻撃。
一合、二合、三合、と積み上げられていく彼らの交差。
その交差ごとに二人は肉体を捻り、逸らし、仰け反らし、互いの攻撃を避けていく。
セシリアはビットとレーザーを操りながら、相手の攻撃を避ける。
大晃は避けたその動作を攻撃へと変換しながら、相手の攻撃を避ける。
二人がしていることは同じように見えた。
互いに攻撃を凌いで、反撃をする。
そして、それが途切れた方が負けてしまう。
少なくとも、代表候補生を含む観客たちはそういうルールの勝負をしているように見えていた。
その観客たちの想いを裏付けるように、勝負は動いていく。
徐々に、徐々にではあるが大晃の反撃が少なくなっているのである。
レーザーの軌道を避けるように動き、大晃は反撃する。
半身になる動作を利用しての突き。
仰け反る動作を利用しての下段からはね上げるような蹴り。
前のめりになる動作を利用した突き。
全てが避ける動作を利用した、PICの制御によってなされた攻撃だ。
その攻撃が――。
僅かに遅れているのである。
一合ごとの遅れは大したものではない。
一秒の数十分の一以下。
僅かな速度の上昇により取り戻せそうな時間。
しかし、二人の間で交わされているやり取りは優に100回は超えている。
その積み重ねが、交わされる攻撃の差になっているのである。
なんと、セシリアがあの大晃を相手に、優位に闘いを進めているのであった。
特等席から試合を観戦する者たちは、気づき始めていた。
何故、セシリアが優位に闘いを進めているのか?
何故、大晃の攻撃をセシリアが真正面で避けることができるのか?
ヒントは闘いの中にあった。
セシリアがレーザーを放つ。
そのレーザーを避けて大晃が攻撃する。
セシリアはそれを避けつつ反撃し、大晃はさらにそれらに対して反撃を行なっていく。
その行程そのものがセシリアに有利に働いているのである。
「なるほど、大晃の方が不利な状況だ」
誰に向けて言われたわけでもない、その言葉は十分に現状を要約していた。
そして、この場にいる一同もその意味に気づき始めていた。
何が不利なのか。
まず、大晃はセシリアの放つレーザーを避けながら攻撃を加えなければならない。
そのレーザーは手元で曲がるかもしれないが、例え、そうなったとしても大晃は見事に避けて攻撃を加え続けるだろう。
しかし、その体勢は限定される。
レーザーの軌道を避ける形で、なおかつ、最低限の威力を発揮するように勢いを付けた攻撃を加えなければならないからだ。
セシリアにそういう不利は存在しない。
確かに、宙空にビットを浮かして制御を行う必要はあり、自身と敵の位置取りを考慮した上で制御する必要はあるかもしれない。
それでも、フレキシブルを完全にものにしたセシリアに取ってはレーザーの軌道など無限に選択肢がある。
その時々で最善の選択を最短で選択することさえできれば、セシリアにとって制限など合って無いようなものだ。
攻撃時に回避方法が攻撃をある程度限定してしまう大晃、回避方法が攻撃を限定しないセシリア。
両者の差が有利不利を完全に分けたのだ。
「ああ、最初の試合を思い出すな。あの時、二人は構造を取り合っていた」
二人が最初に向かい合った闘い。
それを第三者として見ていた箒は思い出していた。
闘いには構造がある。
基本的な闘いの流れは、闘いの構造という水路により決定される。
今回、大晃はセシリアに有効打を与えられず、不利な状況に追い込まれている。
セシリアが有利な地点に立っているからである。
自身と敵との差を熟知し、その差を闘いに取り込み、有利な状況でことを運んでいるのだ。
あの時もそうだった。
セシリアは大晃の周囲を旋回し、有利な位置を取り続けたのである。
「しかも、セシリアは、驚異的な見切りと体捌きを身につけている」
無論、それだけでは構造を保つことはできない。
相手もまた、自身へと有利な流れに闘いを持って行こうとするからだ。
水路に流れる水はその勢いのままに流れようとする。
その進路を捻じ曲げ、自身に都合の良いように保つためには水路自身の強度が必要だった。
大晃は時折、攻撃に緩急をつけてフェイントと本命を織り交ぜている。
以前のセシリアであれば、そのどれかに捕らえられていただろう。
しかし、今は違う。
無数の拳と蹴りの精妙な乱打をセシリアは避けていた。
軽くステップを踏み、後退する。
状態を反らし、時には捩じる、その動きは蝶のように軽やかさと蜂の様な素早さを内包している。
例えるなら、それはボクサーだ。
上半身を揺らして反らすその動きはスウェーにも似ているし、ダッキングとも似通っているところがある。
拳を決して使用しないが、敵ボクサーのジャブを華麗に避ける芸術的な趣が、セシリアの動きに宿っている。
あるいは、それはダンサーの軽やかさすらも内包しているようだった。
自身のリズムと肉体を導く振付けが回避となっているのである。
「だが、問題はここから先だな」
しかし、まだ勝負は始まったばかり。
セシリアも全力ではないのだろうが、大晃も未だに潜在能力のほとんどを隠している。
潜在能力を解放し真正面からの打開を図るか、あるいは、策を用いて状況をひっくり返すのか――。
良くも悪くも大晃のさじ加減だ。
果たして、どうするつもりなのか。
大晃の意図は闘いの中に自然と現れるはずだった。
そして、その時にまた始まるのだ。
構造の取り合いが。
硬直。
肉体を押し固め、その歪みを攻撃へと転化する。
それこそが奥義。
これこそが絶技。
質に勝る数などなし。
大晃の肉体が無言で言葉を放っている。
その言葉に彼から遠く離れた観客たちですら圧倒されていた。
大晃は一体何をしているのか。
それは硬直だった。
右拳を握り、腰だめに構えており、左手で蓋をしている。
見ようによっては、それをピッチャーの投球直前のフォームに近かった。
事実、それは投げるものが球から拳に変わっただけで、投球と呼ぶに相応わしいものだった。
しかも、今回投げるボールは硬球の幾百倍もの硬度と質量を誇っている。
一見すれば、それは利を捨てた行為だ。
あの構えならば、より深く、より疾く、敵を打てるだろうが、その一撃が当たるとは思えない。
幾千もの拳を避け続けている、今のセシリアに対して、その構えを取ることに意味があるのだろうか。
見ているものたちには分からない。
分かることは、大晃は数に頼るのをやめることで、新たな局面を作り出そうとしていることだ。
一撃にかけることで。
ブルーティアーズ のビット六基からそれぞれレーザーが発射され、ジグザグの軌道で降り注ぐ。
大晃は避けた。
投球直前のフォームをそのままにPICで回転した。
定点回転だ。
しかし、動きながら、速度も方向も自由自在なこれは、大晃独特のものであろう。
言うなれば軸移動型無制限回転。
それで全てのレーザーを避けた、ここまでは今までの闘いのままだった。
ここからが観客たちの予想を超えた行動だった。
大晃は反撃に移らなかったのである。
ただ、自身が攻撃するのに最適であろう位置に、硬直を解かずにそのまま移動し始めたのである。
セシリアはそんな大晃から、スラスターと蹴脚を組み合わせたステップで距離を取り、ビットからなる攻撃を続ける。
大晃はそれをひたすら避けながら、攻撃の機会を伺う。
そういう展開が何分か続いて、それが起こった。
――ごきゃあああんッ!
風を切るような、鉄を引き裂くような、そんな音を立てて大晃が一瞬で前に出ていたのだ。
拳だ。
力を溜め続け、保持し続けたそれを解放した瞬間に生じた、物。
背を押す力、身体を前へと引く力、それら全てが前方の一点に収束した。
動きの詳細は観客たちの眼には映らない。
ただ、大晃が一つの閃光となり、それがセシリアと交差する。
その光景すらも朧げにしか見えなかった。
打ち終わりの姿勢で大晃は拳を前に突き出して、踏み込むことで避けたのであろうセシリアは膝を曲げて次のステップへの備えとしている。
僅かな残心が一際、見るものたちの目に焼け付いて――。
セシリアの笑みに一筋の赤いものが走った。
「なるほど、ひっくり返されましたか」
微笑を浮かべたセシリアの唇が、声を発さないままに、しかし、相手に伝わる形で動いた。
無音の声が観客たちにも聞こえたような気がした。
「ひっくり返したわね」
鈴が言った。
大晃が攻撃の機会を絞り、一撃に掛けたその行為。
攻撃の頻度を減らしたことがむしろ有利に働いているらしかった。
その理由はもう分かっている。
「あいつはもともと、飛び道具を避けるのが上手い奴だったわ。
私も最初、模擬戦を申し込んだ時、初見の龍砲を避けられている」
鈴はかつての経験を織り交ぜて語る。
龍砲とは目に見えない圧縮された弾丸、を放つ遠近で使える武装だった。
それを初見で避けたエピソードを上げたのは、飛び道具の特性と軌道を即座に見切る能力を端的に示しているから。
その能力を持っている男が回避に専念している。
このことがもたらすものは決して無視できない。
「今までの状況はセシリアにしてみれば、悪いものじゃなかった。
だって、大晃が攻撃をするたびに、隙を晒してくれたようなものだったから」
攻撃をする時が最も隙の大きくなる時だった。
だから、攻撃の機会を減らせば、隙が少なくなる。
攻撃の機会を減らした分だけ、位置取りと呼吸を合わせることにその能力を集中させる。
結果、隙は小さくなり、それだけ攻めるのが難しくなる。
数に頼るか、質に頼るか――。
その意識の切替が生んだ戦況の変化であった。
「そして、攻めあぐねた瞬間、万全の拳がセシリアを襲う」
言ってから、鈴は身震いした。
あの大晃の万全の拳だ。
当たれば無事で済むとは思えない。
大晃が、最低限の配慮をしないとは思わないが、今の大晃はとても楽しそうだ。
つまり、勢い余って加減を忘れることだってありうるかもしれないのだ。
構造はひっくり返された。
セシリアは今、レーザーとステップを生かして、攻撃の機会を与えないようにしている。
ほんの僅かの瞬間でも、気を抜けば、機会を与えれば、それがこの試合の最後になるかもしれない。
絶体絶命だ。
「セシリア。あんたは何をする気なの?」
セシリアには笑みが張り付いている。
そこに何かがあるはずだ、と鈴は祈るようにして思った。
二人は宙を舞い続けている。
攻撃の頻度で言えばセシリアの方が圧倒的に優っている。
周囲に張り巡らされた六基のビットから無数のレーザーが吐き出されている。
しかも、そのレーザー達は無限の軌道を描いて降り注いでいる。
並みの相手ならそれで勝負がついている。
よほどの強豪であっても、この攻撃には耐えられないであろう。
だから、一見すればセシリアが相手を圧倒しているように見えるかもしれなかった。
――やはり、あなたは化け物ですわね。
セシリアが胸中で零したのは、対峙する男に対しての賛辞だった。
セシリアは自身の能力を高く評価している。
国家代表に匹敵するであろうと、自分で思っているし、少なくともモンドグロッソで上位を狙える程度の実力を備えているはず、とすら思っていた。
その自己評価は決して思い上がりではない。
ビットを自由自在に操りレーザーを曲げることができる人間は希少である上に、近距離エキスパートの打撃を避ける技量。
これらを持ち合わせている人間はセシリアだけなのだ。
その自己評価でさえ、過少なものかもしれない。
そんな高い実力を自覚しているセシリアだからこそ、ほかの生徒の誰よりも分かることがあるのだ。
大晃の実力、それが人類最高峰のものに達しつつあることが。
――まさか、これですら避け切るなんて。
そんなセシリアですらも触れることさえできない。
今の大晃はそういう領域にいるのである。
自分はまだ全力ではない。
まだまだ、使っていないものは山ほどある。
だが、それは相手も同じことなのだ。
単純なスペックを封じた上で闘って、なお、まだやれることが山ほどある。
正直、分は悪い。
いくら強がっていても、自分が不利であることを、セシリアははっきりと認識している。
しかし、その上で勝つ、とも思っている。
そのためにはどうすれば良いのか。
セシリアはその方法を知っていた。
次々と敵に対策を構じさせて、消耗させる。
消耗したところを仕留める。
これ以外にはない。
消耗させる方法は一つだ。
――この闘いの主導権を握る。闘いをわたくしにとって都合の良い形に作り変えてみせましょう!
セシリアが目を細めた。
自身の試みが上手くいくか、いかないか、を注視する視線である。
セシリアは何かを試すつもりであった。
一つの光球が、出現していた。
速度は通常のレーザーより大分、遅いが、エネルギーを凝縮しているであろう光球は、当たれば相当な威力を発揮するだろう。
しかし、通常のレーザーすら、触れることができないのだ。
それらと比べれば、遅いと判断される程度の光球が、大晃に通用するはずがないのだ。
その遅いと評される光球ですら、ISを纏わぬもの達からすれば、少々太い光の軌跡程度にしか認識できなかった。
それでも、その軌跡が他とは明らかに違うことに気づき、意味などないのでは、と首をかしげる。
闘うものに引きずられて、闘いに呑まれて意識が高速化していたのだろうか。
目敏く闘いの変化を読み取り、自分なりに推論を重ねる。
それらを平時からは考えられないほど精微に、しかも、短時間に行う観客達。
そんな彼女らの前で光球は爆ぜた。
爆ぜた光球は無数の針となって降り注いだ。
それもただの針ではない。
数センチ単位の距離で規則正しく並んだ、剣山のごとき針の群である。
大晃もこれを体捌きのみで避けることは不可能だ。
半身になったり、回転で滑り込むためには、身体の厚み程度の隙間が必要だ。
光の針と針の間は均一で、前後へのズレもない。
避けるだけの隙間は存在しない。
だから、その場を移動する以外に避ける方法は存在しない。
しかし、初見でそこまで察して、適切な方法を実行するなど不可能に思える。
凶悪な初見殺しに対する完全なる対処。
大晃はそれを実行して見せた。
回避に集中する中で、視界の端に光球を捉えて、その爆ぜる瞬間にはもうその場から移動を始めており、無数の針が貫く半径3メートルほどの空間から離脱していた。
相手の奥の手であろう爆ぜる光球。
しかし、それを避けた大晃に安堵の表情は微塵もない。
あるのは次に来る脅威へ向ける、警戒の眼差し、愉悦の眼差し。
案の定、来た。
回避する方向を読み切った上での、レーザーの追撃。
頭部を、首を、腕を、肘を、拳を、胴体を、腰を、脚を、身体のあらゆる部位を狙った必殺の光。
それらすらも、牽制に過ぎない。
乱れる光を置き去りにする、閃光。
避けた。
しかし、速い。
回転と移動を織り交ぜることで回避を成したが、装甲に一筋の黒い痕が残り。
「ライフルか」
呟いた。
閃光を放つのは、ビットだけではない。
2メートルを超える長大なレーザーライフル、『スターライトMKⅢ』。
銃身を滑走路として放たれた鋭いエネルギーは、ビットから射出されるそれをはるかに超えた速度と威力だった。
無限の軌道を持つビットのレーザー、移動を強いる光球、そして、必殺のレーザーライフル。
一気に切った、手札の効果は大きい。
闘いは再び、大晃がどうこれらの攻撃を捌くか、のゲームに変わったからだ。
しかも、セシリアにはまだゆとりがある。
開示された手札の組み合わせを工夫すれば、より高い難易度の盤面を作り出すことも可能。
闘いが相手の方に傾きつつある。
それを意識しつつも、大晃は笑わずにはいられなかった。
自然と訪れた、闘いの余白。
その中で、二人は視線を交わして、口角を上げた。
「やりますわね」
「お前さんを泣かすのは難しそうだ」
「それは諦めてくださいまし」
「なあ、まだまだ、色々隠しているんだろう?」
「これ以上のものが見たいのでしたら、今の布陣を崩すことですわね」
「そいつは骨が折れそうだな」
何気ない会話。
その中から互いに何かを引き出そうとしていた。
仮に優位に立ったとしても、数千分の一程度であろう情報。
しかし、その情報は限りなく価値のある情報である。
その数千分の一が勝負の行く末を変えてしまう恐れがあるのだ。
たまらない緊張感を、それぞれが感じていた。
もっとも、その理由は二人の間で大分隔たりがある。
「腹の立つ男ですこと」
「セシリア。お前さん……」
感情のやり取りが二人の立場の違いを明確にした。
セシリアは笑みの中に僅かな怒気を含ませて、大晃は笑う動作に若干の憂いと焦りを滲ませる。
その僅かな物たちの中に、緊張感を抱く動機の差が表れている。
それはこの闘いを見物している者たちには分からない、しかし、本人たちとっては大きな隔たりであった。
「諦めてくださいまし、大晃さん。わたくしならば、平気ですわ」
だが、無情なことに、セシリアはそれを明確に理解した上で言った。
「本気になってもよろしいのですよ?」
とろけるほど甘美な響きだった。
大晃の背に野太い震えが奔った。
セシリアは奇妙に思っていた。
セシリアは言った。
本気を出しても良い、と。
全力でかかってこい、と。
安城大晃の本気がどれほどのものかはセシリアにも分からない。
ただ、その本気とやらが、どうやら命に届くらしいとは思っている。
元より、異常な身体能力を誇っていた安城大晃である。
『最終移行』により進化した肉体は、手打ちですら空気を叩く。
並みのISですら、その拳に耐えられないだろう。
大晃が本気になるということは、それはつまり、自分が死にかねないことである。
そんなことはとうの昔に分かっていたはずだ。
闘いを始めれば、その想像は実感となって、セシリアの不気味に張り付いている。
なのに、セシリアは言っていたのである。
本気を出せと――。
――思えば、これは卒業試験でしたわね。
そもそもこれは卒業試験だ。
大晃が卒業に足る男なのか、それを確認するための闘いだ。
代表候補生との連戦という内容は、普通に考えれば重すぎる試練であるが、織斑千冬と闘おうというのであれば、それくらいは乗り越えねばならない。
増してや、織斑千冬との闘いは命がけのものになるのだ。
この程度のことで動揺するな、とすら言ってやりたい気分だった。
「申し訳ありません」
でも、セシリアの口から出たのは謝罪の言葉で、それを聞いた大晃は顔を歪める。
太陽に生まれた黒点程度の変化であるが、それははっきりとしたものでもあった。
ひょっとしたら、大晃はセシリアの命を奪ってしまうかもしれない。
もし、そうなれば、それは事故として処理されることになるが、それでも、大晃はその罪を背負うことになる。
イギリスに対しても大きな借りを作る結果になりかねない。
自身に死という結果が訪れれば、大晃の今後の人生につきまとうことになるだろう。
だから、セシリアは謝っていた。
しかし、セシリアは手を緩めない。
もう、こんな機会は来ない。
しかも、織斑千冬との闘いの結果次第では、もう決着を付けることさえ叶わないのかもしれないのだ。
だから、ここで決着を付けねばならなかった。
それが死という結果であったとしても――。
「おいおい」
大晃は最初、それでも、止めようとした。
確かに、分かってはいた。
このままでは負けるかもしれない、と。
今はまだいい。
しかし、この構造の取り合いがエスカレートしていけば、本気を出さなければ乗り切れない状況が訪れることは薄々感じてもいた。
その時に本気を出せるか、否か。
その決断の重みに堪えるように、歯を強く噛んでいる。
死なせたくない。
それも本当だった。
しかし、それ以上に美しかった。
自身の死、背負わせる罪、それを勘定に入れてなお決着を付けるべきだ、と下したセシリアの覚悟。
眼の奥に宿る強い光。
全てが好ましかった。
無論、今は本気を出す時ではない。
しかし、この好ましい女の為に、出来ることをしたいと思った。
「どうなってもしらないぜ」
「素晴らしいお言葉です」
もう、止まらない。
もう、止められない。
大晃は決意した。
もし、本気を出さねば負ける。
しかし、本気を出せばセシリアが死ぬ状況が訪れることがあれば――。
躊躇をしない、と。