超重力格闘伝―IS―   作:泣き虫くん

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69話、セシリア・オルコット―終―

 セシリアは歓喜していた。

 大晃の決断。

 心の中で何をどうするのか決め、それを下した瞬間になる、重い閂を扉から外すような音。

 それがはっきりと耳で聞き取れたような気がしていた。

 もとより、恨みなどない。

 あるのは、尊敬と友情とも恋慕とも言える感情である。

 

 ――そう、わたくしは求めている。この男を。

 

 初めて闘ったときから一年近く経とうとしている。

 それからはがむしゃらだった。

 毎日、毎日、訓練場を借りて、そのために若干煩雑な手続きも我慢してやり、訓練を行った。

 愛機の性能を引き出す為に、整備も欠かさずに行った。

 時には先輩のアドバイスも借りて、調整の手伝いをしてもらったこともあった。

 濃密な、振り返るだけでも、気が遠くなるような時を過ごした。

 そして、今日、大晃は決断を下したのである。

 いざという時は本気を出す、という決断である。

 その決断は重い。

 ひょっとすれば、セシリアを殺してしまうかもしれないのだ。

 それはきっと、なによりも重い罪として大晃に乗しかかるだろう。

 今後の人生、その全てがその罪に対する贖罪となってしまうかもしれない。

 しかし、そういう何もかもを受け止めた上で決めてくれたのだ。

 本気を出す、と。

 

 ――ああ、堪りませんわ。

 

 だから、セシリアは歓喜している。

 そこまでの覚悟をしてくれた、大晃に。

 そして、そこまでの覚悟をさせた、自分自身に。

 

 ――さあ、始めましょうか。本当の闘いを。

 

 無論、油断などない。

 今、二人は止まっている。

 距離は100メートルという、遠距離。

 しかし、大晃にとって、その距離はすぐに詰めることのできるものだ。

 だから、油断は禁物。

 隙を見せたその瞬間に拳で撃ち抜かれる可能性すらある。

 セシリアが切った手札は強力なもので、まだ、奥の手も残っている。

 築き上げた盤面は自身にとって有利なもので、突破は難しいものだろう。

 だが、大晃は必ず、崩してくるだろう。

 その時に生まれる、新しい局面。

 そこでどう立ち回るかが勝負を分ける。

 セシリアは闘いが岐路に差し掛かっていることを強く感じていた。

 

 

 

 先に動いたのは、セシリアだった。

 ビットは複雑な動きから、それぞれが持ち場につき、牽制と必殺の両方を兼ねたレーザーを吐き出していく。

 無数の光が幾何学な軌道を描き、光が伸びる。

 その数は、秒間数十本は下らない。

 一つ一つが必殺の意志と自在に変化する柔軟さを併せ持った、恐るべし浄化の光である。

 しかし、ここまでは今までと変わらない。

 大晃は光の檻の中に進むべき道を見出した。

 脳で考えた結果を肉体に反映させるのでは遅い。

 全身で思考し、脳すらも肉体の一部として用いる感覚。

 眼から読み取った情報を脳と肉が同時に受け取り、動く感覚。

 思考がそのまま肉体に宿る感覚。

 それらすらも、正確ではないのかもしれない。

 正確に表す言葉などないのかもしれない。

 しかし、大晃が脳で考えて身体を動かす領域にいないのは、確かなようであった。

 思考を宿した肉体が、動きを始めて、PICが回転を補助する。

 無限の軌跡を持つレーザー、無限の型を持つ回転が凌駕した。

 光は大晃を刺し貫くことなく虚空へと消えていく。

 大晃は鋭角に動きながら、セシリアの隙を探るが――。

 

 ――シュイン!

 

 光の群れが突如現れる。

 光の光球。

 レーザーに紛れて、さりげなく放たれていたそれが爆ぜて、光の剣山となって襲い掛かったのである。

 問答無用の範囲攻撃は、大晃に移動を強いる。

 大晃は避けた。

 左へと。

 つまり、セシリアが旋回する方向へと。

 大晃の回避はまだ終わらない。

 移動した大晃はさらに身体を仰け反った。

 その動きは、追撃のレーザーを縫うように身体を動作させた。

 さらに、必殺のライフル弾を捻りを加えることで避ける。

 光球。

 レーザー。

 ライフル弾。

 レーザー。レーザー。レーザー。

 ライフル弾。

 光球。光球。

 あらゆる、組み合わせが大晃を襲う。

 ただでさえ、無限の軌道を持つレーザーに、範囲攻撃と、速度を増したライフルによる一撃だ。

 この布陣を突破できるIS操縦者はそう多くない。

 しかし、大晃はそれを避け続けた。

 弾くでもなく、受けるでもなく、回転と移動を組み合わせた劇的な回避により、全てを避け切る。

 その動きにはもはや美が宿っている。

 回転する先端にまで、動きの意味が染み渡っていて、その軌跡は美しい。

 速くて、しかし、眼に残って決して消えない。

 これはそういうものだった。

 だが、闘いの構造は未だに、セシリアに味方している。

 大晃は攻めるべき隙を見つけることが出来ずにいる。

 そして、大晃の機体に浮かび上がるいくつかの痣。

 回避動作をいかに素早く途切れないように繋ぎ合わせようとも、そこに存在する限りは被弾の可能性はゼロにはならない。

 それを立証する黒い証拠が現場にこびり付いている。

 今、セシリアは優位に立っていた。

 

 だが、闘いは未だに途上であった。

 

 眼には見えないやり取り。

 水面下での攻防がすでに始まっていた。

 現在はセシリアが優位だ。

 しかし、表面的なものが全てではない。

 例えば、だ。

 大晃は現在やり込められている。

 もし、仮に、このまま闘いが推移していけば、きっと大晃は負けるだろう。

 それを二人は分かっているはずだった。

 だとするのならば、これはどう説明すれば良いのだろう。

 セシリアが汗を流して、何かを畏怖する視線を大晃に向けていることを。

 黒い痣は次第に増えていく。

 その度に、大晃のエネルギーは徐々にではあるが減っていく。

 だというのに、セシリアの表情には勝利の確信などないのである。

 一体何故だろうか。

 大晃が水面下で何かを仕掛けているのは、もはや、確実だった。

 例えば、攻撃を受けるたびに相手の出来ることと出来ないことを推測し、秒単位で更新するごとに読みの精度を増していく。

 大晃はそういうことに長けている。

 それを水面下で行なっているのかもしれなかった。

 あるいは、別のことをしているのかもしれなかった。

 ともかく、何をしていたとしても、していなかったとしても、余人には分かるはずもない。

 分かることはただ一つ。

 セシリアはこの状況からでも、大晃が何かしてくるに違いない、と思っていること。

 そして、その時の試合の流れによっては自身の死があるかもしれない、と考えているらしいことであった。

 その考えは間違っていなかった。

 大晃がいつの間にか大地へと降り立っていたからだ。

 その光景を見て、セシリアは思い出した。

 最初の闘いを――。

 

 

 

 奇妙な光景だった。

 大晃が地面に降り立ったことには意味があった。

 今まで空中で360度から襲われていたが、地面に立つことによって攻撃範囲を絞ることができるという効果がある。

 逆に言えば、大晃の行動には戦術以上の意味などないのだ。

 全ては自分が有利に闘うためで、当然、セシリアは相手の行動に危機感を感じるはずで。

 だから、最初、観ている者たちは分からなかった。

 

「うふっ、うふふっ……」

 

 何かを堪えるようにセシリアは口を片手で隠した。

 しかし、口から漏れ出る音は止まってはくれなくて、それが余計におかしいらしくて、ついに堪え切れなくなった。

 

「あはっ、あっはははははは」

 

 大口を開けて、観衆に晒すことはセシリアの美意識が許さないのだろう。

 片手を口に当てながら、しかし、間違いなく大声をあげてセシリアは笑っていた。

 

「くっくっく、くはははははは」

 

 大晃はそんな隙だらけのセシリアを攻撃したりなどしない。

 釣られるように大声で笑うのみだった。

 

「あははははははは」

「くははははははは」

 

 観客たちは二人を見ている。

 不思議だった。

 二人はライバルで、隙あらば攻撃するのを戸惑わない仲で、試合で手を抜く間柄では無い。

 なのに、今、隙を晒しあっている。

 試合中にも関わらず隙を晒すという暴挙を行い、それを互いに容認し合っている。

 彼らにしか分からないもの。

 この笑いはその何かに捧げられていた。

 

「これじゃあ、最初の闘いと一緒ですわ」

 

 何人かは気がついていた。

 最初の闘いで、大晃が地に降り立っていたことを。

 空中で闘っていた大晃は、勝利を得るために地上に降り立ったのである。

 その時と同じ展開になっていた。

 まるで、そうなるのが当然であると言わんばかりに。

 ならば、結果も同じなのであろうか。

 最初の試合と同じように全てのものごとが動いて、同じ決着を迎えるのだろうか。

 違う。

 今までの試合の流れは最初とは少しずつ異なる部分がある。

 大晃を追い詰める手札をセシリアは多く持っているし、まだまだ、切り札はある。

 大晃も進化している。

 だから、二人はこの先がどうなっているのか、確かめなければならなかった。

 これから先の展開は、二人の変化次第だった。

 

 

 

「いきますわよ」

 

 セシリアが決意を胸に動いた。

 大地に降り立った安城大晃。

 その動きを確かめるために、セシリアは牽制のレーザーを放った。

 レーザーは大地の付近で鋭角に曲がり、大晃へと向かった。

 秒以下で放たれたその数は、20本。

 それらが鋭角に蛇行し、逃げ場を防ぐようにうねりながら獲物へと迫る。

 一見すれば、地面という遮蔽物のお陰で大晃は有利に立ったようにも見える。

 しかし、見方を変えればそれは逃げる空間の減少という不利を招いてもいるのだ。

 それを証明するかのようにレーザーは次々と逃げ場を防いでいくが――。

 

 ――スルリ。

 

 包囲網を構築するほんの僅かな隙間。

 ギリギリ通れるぐらいの大きさの穴。

 そこを飛んだ。

 しかも、その速度は今までの比ではない。

 アリーナの端から端までを一瞬で移動できるスピード。

 銃弾すら容易に置き去りにする速度で、その包囲を抜け出したのだ。

 あまりの速度にアリーナにいる者たちは、ハイパーセンサーを用いて観戦していた者も、視認することはできなかった。

 ただ一人、セシリア・オルコットを除いて――。

 

「そこですわ!」

 

 レーザーが大晃へと追いすがる。

 大晃の動きに追随するもの、動いた先で待ち伏せするもの、そして、それら二つを避けた先を防ぐように配置されたもの。

 それぞれがセシリアの意図を汲み取るように動いた。

 大晃はそれを避けるために、アリーナの壁を蹴った。

 大地から壁へ、壁から天井へ、とまるでバッタのように天地上下を蹴って、それらの追跡を振り切ろうとする。

 

「ちぃ!」

 

 しかし、振り切れない。

 無論、レーザーとて永遠に飛び続けることができるわけでは無い。

 飛距離に応じて、減衰することは自明の理である。

 ISのエネルギーと精神に感応するBT粒子により減衰の度合いは最低限度に抑えられてはいるが、やはり、限界がある。

 それに操るべきレーザーが増え過ぎれば処理しきれず、やはり、一度に出せるレーザーには限りがある。

 セシリアに求められているのは、その二つを見極めた上で、大晃を逃さないこと。

 それにもう一つ求められるものがあるとすれば――。

 

「させませんわ!」

「!?」

 

 大晃が時折仕掛けてくる攻撃をいなし、避けることだ。

 巨岩の質量。

 それが、イグニッション・ブーストですら比較の対象としては頼りなくなる位の速度で飛んでくるのだ。

 そのプレッシャーは計り知れない。

 セシリアはそのプレッシャーに耐えた。

 レーザーを操り、その塩梅を見極めて、超速の攻撃を避ける。

 言葉にすればそれだけかと思えるかもしれない。

 しかし、これほど難しいことはない。

 それはあやとりをしながら、サッカーボールをリフティングするのに似ているかもしれない。

 別々のことを淀みなく、しかも、正確に行う能力。

 重圧の中でも思考を乱すことのない、決して揺るがない精神力。

 それらの内、どれか一つで欠けていれば、とても出来ることではない。

 才能はあるだろう。

 セシリアのBT兵器への適性はクラスAだったはずだ。

 イギリス内ではセシリア以上に適性のある者はいなかった。

 しかし、それでも、日々の努力なしにこれほどの能力を獲得できるわけがない。

 

 ――だから、だろう。

 

 血と汗。

 積み重ねてきた研鑽と費やしてきた時間。

 それを大晃は感じ取り、その中に幻臭をかいだ。

 濃厚な香りであった。

 今、セシリアの総決算に立ち会っているのだ、という実感が大晃の中にあった。

 

 ――まだ、これからだぜ。

 

 ほのかに思考する。

 まだ、まだ、俺は見せていない、と。

 俺の本気も、『無手』の本気も。

 もうすぐ、その時がくるだろう。

 俺と『無手』が本気を出す時が。

 その時が、その一瞬が、勝負を、俺たちの行く末を決めるだろう。

 だから、セシリアよ。

 そこまで考えて、大晃は息を吸って吐いた。

 

 ――死ぬなよ。

 

 大晃は覚悟を決めた。

 そして、その時がやってきた。

 

 

 

 壁伝いに大地へと降りた。

 その時だった。

 着地地点から、光球が飛び出していた。

 地の底に隠していた、隠し玉。

 それが姿を現したのだ。

 

「!?」

 

 来るとは思っていた。

 隠し玉が。

 セシリアが無数に織り交ぜたレーザーのヴェールの向こう側。

 大晃から決して見えない地点を見極めて、罠を仕掛けてくるだろうとは思っていた。

 しかし、これがこうも巧妙で機会に優れたものだとは。

 予想の外から来た、切り札。

 それはしたたかに顔面を強打していた。

 自身の速度も相まってそれは、大晃のエネルギー危険領域間近となっていた。

 後がない、のだ。

 無論、大晃ならば危険領域を超えても、何の問題なく、闘うことができるだろう。

 本人も、セシリアもそれは知っている。

 しかし、ルール上、エネルギーが危険領域内に入れば負けである。

 ビットからのレーザーならば数撃、爆ぜた光球の範囲攻撃ならば一撃、ライフルの一撃でも敗北となってしまうのだ。

 ルール上の負けでも、闘えることは闘える。

 一番重要なのは、そのルールを大晃が受け入れていることだった。

 大晃はルール上の負けを素直に認めるのである。

 だから、この状況は大晃にとってピンチであった。

 エネルギーは敗北間近で、大晃は予想外の一撃に大きく仰け反り動作が極めて制限されている。

 反対にセシリアはこのチャンスを逃すまいとレーザーを張り巡らせている。

 

 ――来ますわ。

 

 だからこそ、セシリアは警戒する。

 今まで見せてこなかった、ひた隠しにしていた本気。

 恐らく、本人ですらも把握できていない能力の一部をここで使ってくるはずだった。

 レーザーは大晃へと向かっていく。

 セシリアの意志を寸分たりとも取りこぼすことなく。

 そして。

 当たった。

 そう見えた。

 だが、当たったその瞬間に大晃の姿がぶれた。

 例えるなら、その輪郭だけが一瞬だけ膨れ上がったかのように。

 いつの間にか、大晃はその纏う機体をより鋭利で、しかし、より柔和なものへと変えていた。

 その本気に答えようとして。

 セシリアは驚愕した。

 大晃がセシリアの意識をすり抜けるほどの速さで懐に潜り込んでいた。

 拳が顔面に向けて――。

 

 

 

「お嬢様、また、見ているのですか」

 

 それはいつか見た、情景だった。

 セシリアの脳が、それを再現していた。

 チェルシー。

 幼なじみであり、従者でもある、彼女はセシリアのことは何でも知っていた。

 だが、チェルシーは眉をひそめている。

 夏休みの長期休暇。

 今いるのは、別荘の一つ。

 海岸の近くに建っている。

 打ち寄せる波の音と照りつける太陽が眩しくて好きだった。

 お気に入りの場所だった。

 両親の墓参りや貴族としての雑事をこなす為に帰省しているのであったが、折角だからと立ち寄ったのだ。

 しかし、セシリアは別荘の自室に篭っていた。

 外に出るのが嫌だったのではない。

 モニターを一度見ると目を離せなくなってしまうのだ。

 モニターに流れる映像はいつも同じだった。

 

「ええ。一度見てしまうと目が離せなくなってしまうのです」

「……例え、それが自分が負けた試合だったとしてもですか?」

 

 チェルシーは尋ねた。

 セシリアは自分が負けた試合を最初から最後まで通して見て、気になるところをピックアップするかのように場面を選んでいる。

 その様子には鬼気迫るものがあり、幼なじみとしてはその熱の入れように心配になることがある。

 最初の闘いでの敗北を未だに引きずっているのではないか、と。

 そういう想いを声色で察してか、セシリアは柔らかい声でチェルシーをなだめた。

 

「チェルシー、心配は無用ですわ。わたくしにとってこの試合は特別なものなのですから」

 

 そう言ってから、セシリアは動画の内容に没頭する。

 自分にはどういう勝ち筋があったのか、を探っているのである。

 無論、後から何とでも言える部分もあるだろうし、それならもっと直近の模擬戦での闘いを見た方が良いだろう。

 しかし、セシリアはそういうものよりも、この始まりの試合を好んだ。

 どれだけ本気になろうと模擬戦は模擬戦。

 観衆の中で本気になり、互いの全存在を掛けて闘う本番には及ばない部分もあるし、この時ほど全力を出した試合はそうない。

 だから、セシリアは決まってこの闘いを見るのだ。

 それはきっとセシリアが敗北を乗り越えて前に進むための儀式に違いなかった。

 

「ねえ、チェルシー」

「なんでしょうか?」

「あなたならどうします?」

「……どうします、とは?」

「どうやってあの男に勝つのか、ということですわ」

「何ですって!?」

「わたくしは何度もこのビデオを見ていますわ。それでも、勝ち筋を見つけることは容易ではありません。

 今のわたくしならば色々と出来たのでしょうが、あの時のわたくしは今よりもずっと未熟でしたから――」

「……」

「だから、他の人の意見も参考に訊きたいのですわ」

「お嬢様……」

 

 チェルシーはモニターをちらりと見た。

 ちょうどそこは、セシリアと大晃がアリーナのバリアに上下反対の形で立って対峙している、場面だった。

 チェルシーは手を顎に当てて、言った。

 

「跳弾を利用する、というのはどうでしょうか?」

「……ふむ」

 

 セシリアは促した。

 チェルシーは続けた。

 

「幸いにしてアリーナは電子バリアで覆われています。

 バリアを利用した跳弾は様々な角度で撃つことができそうです」

「なるほどね」

「まあ、しかし、そんなことをする位なら直接撃った方が早いでしょうけれど」

「一つの方法としてはありかもしれませんわ」

 

 会話を終えたセシリアは、チェルシーへと向けていた視線を画面へと移そうとした。

 しかし、それはできなかった。

 チェルシーが画面を遮るようにして、立っていたのだ。

 

「お嬢様、無理はなさらないで下さい」

「ですけれど――」

「良いですか? どれだけ自分が平気でも見ている周りは心配するものですよ」

「……」

「せめて、少しは休憩しましょう」

「はぁ、分かりましたわ」

 

 セシリアは両手を上げて、降参のポーズを取った。

 水着に着替えて、扉をあけて。

 扉の先には、太陽の日差しとそれを反射する砂浜があった。

 規則正しい波の音を耳に入れながら、セシリアはその光景を目に焼き付けていた。

 

 

 

 情景がアリーナに戻っていた。

 まだ、風景はぼやけているが、セシリアの意識は現実へと帰還していた。

 

 

 

 セシリアには、今、自分がどうなっているか、ということが分からなかった。

 自分が何かをしていことは、覚えている。

 しかし、それが具体的に何であったのか、そもそも自分が今何をしているのかということの記憶がなかった。

 そのセシリアの眼前を影が掠めた。

 奇妙な影だった。

 形は定まらず、常に動き続け、その動きに合わせて影は伸びて、末端から消えて行く。

 否定形の生き物のようであった。

 恐らく、それは人型だった。

 何故ならば、影のあちらこちらに四肢の断片が見て取れるからだ。

 ただ、それが恐ろしい存在であることは確かだ。

 触れれば、何かが終わってしまう。

 強い確信があった。

 だから、セシリアは逃げる。

 いや、逃げるだけではなかった。

 これほど、恐ろしい影を前にしてもセシリアは立ち向かうことを選んだのだ。

 おぼろげな意識の中を光の筋が走って、影を追いかける。

 それは影に追いつきはしないが、遠ざけることには成功していた。

 

 ――ああ、わたくしは、わたくしは、一体、何を?

 

 セシリアは未だに完全に覚醒はしていない。

 意識は戻っているが、自分が試合中であることすら記憶にはないのだ。

 最後に大晃が放った拳が頭部を揺さぶって、脳から意識と記憶を弾き出していたらしい。

 試合中に疲労が積み重なっているため、身体が鉛のように重い。

 ともかく、セシリアはまだ負けてはいなかった。

 意地か。

 運か。

 その両方か、それ以外の何かか。

 それが命綱になったらしい。

 

 ――そうだ、わたくしは直前に……、あれを。

 

 記憶の一部が歪に蘇った。

 拳。

 あれから生還した理由だ。

 嫌な予感した瞬間に、懐にレーザーを放っていた。

 それから、もう一つ、空中でステップを踏んで後方に飛んでいた。

 その二つが、セシリアを救っていたのだ。

 しかし、拳を放った人物の正体やそこに至るまでの経緯。

 それらが頭からごっそりと抜け落ちている。

 思い出そうとするも、頭ははっきりとしない。

 朦朧とした意識で、しかし、身体は動いていた。

 

 ――何故、わたくしはこんなに辛いことを。

 

 身体は鉛のように重くて、動かすたびに大きな疲労を意識する。

 光の筋が援護してくれてはいるが、それだって自分でコントロールしなければならないし、精神力がすり減って行く。

 一体、自分が何をしているのか、その目的すら分からない。

 分からないのに、身体は動く。

 意識は朦朧としつつも、精神は闘いを手放すのを拒んでいる。

 身体に、精神に、染み付いたものが、それを許さない。

 何を。

 そうですわ、敗北を。

 

 ――ああ、そうか、わたくしは負けたくないのですわ。

 

 何に負けたくないのだろう。

 分かりませんわ。

 そんなこと。

 分からなくても、肉体が、精神が動き続ける。

 だったら、動き続けるしかなかった。

 闘い続ける。

 それ以外には選択肢はない。

 

 ――チェルシー、ごめんなさい。

 

 多分、わたくしは無理をしている。

 こんなにも身体が重いんですもの。

 頭も痛い。

 でも、だからって止めるわけにはいけませんわ。

 だって、きっと、このためにわたくしは頑張ってきたのですから。

 わたくしは負けたくないのですから。

 だから、そんな目で見ないでくださいまし、チェルシー。

 

「せめて、少しは休憩しましょう」

 

 声が響いていました。

 あの刺すような陽光が蘇る。

 目の前にはチェルシーがいて、おいでおいでをしている。

 苦痛という部屋の外から、遊びに誘ってきているのでしょう。

 波の音が聞こえていますわ。

 砂浜がキラキラと光っていて、綺麗で。

 そして、ギラついた太陽がチェルシーの後ろにありました。

 

 もう、我慢なんてしなくても良いんですのね――。

 

 

 

 

 

 観客たちは唖然として、その試合を見ていた。

 突如、機体の形状を変化させた安城大晃。

 そこからの動きはもはや誰にも見えないものだった。

 わずかに垣間見える断片。

 緩急によって辛うじて目に移る動き。

 それらから試合の内容を推察して、観客たちはその闘いを以下のように評価していた。

 

 ――学生としての域をはるかに超えた闘いだ、と。

 

 無論、この学園には実力者は多い。

 専用機持ちはもちろん量産機を操る者たちの実力も決して侮れるものではない。

 しかも、専用機持ちの一部には国家代表すらいるのだ。

 学生としてのレベルを超えている実力者は希少価値こそあるものの、今までも存在してはいた。

 

 ――それでも、これは違う。

 

 単体で国家代表クラスの力を持っている猛者。

 そんな存在でもこの試合で闘っている二人には敵わないように思われた。

 二人は国家代表とすらも、一線を画す存在になりつつあった。

 ISの世界大会、モンドグロッソ。

 もし、仮に二人がそれに参加したとして、別々のグループに配置されたとしても、決勝でぶつかり合うことは避けられないだろう。

 観客たちは、二人の実力をそう判断していた。

 

 ――でも、まさか目で見ることさえできないなんて。

 

 大晃が纏っている機体の形状を変化させた。

 それからは試合の詳細な内容は分からなくなっていた。

 大晃は前とは比べものにならない速度で動き回り、セシリアは操るレーザーの光量をさらに増したようだった。

 光。

 影。

 その二つが絶えず交差し、鎬を削っている。

 もはや、詳細な動きは見えない。

 光が吠えるように唸り、影が蛇のように身をくねらせる。

 それでもなお見えるものがあった。

 一つは美術品としての様相だ。

 前衛的な作家が描いた絵画が、立体として存在しているかのように美しかった。

 しかも、それは絶えず構図を変えて出現している。

 そして、もう一つはとある猫科の獣であった。 

 

 ――虚空に浮かぶ縦縞の獣。

 

 セシリアの精神の昂り。

 それを対戦者たちがケモノとして認識したことがあった。

 箒。

 ラウラ。

 マドカ。

 そして、大晃。

 彼らはその代表的な例だろう。

 精神感応型の武装かつ広範囲な広がりを持つ自律兵器を活用するためには、場を広く見る能力が必要だった。

 戦場を見る視線を高くすること。

 俯瞰で戦場を見渡すこと。

 そして、広く働きかけること。

 力を発揮する上で欠かせないそれらの能力を伸ばす過程で、セシリアはとある力を獲得していた。

 意識を広く世界へと拡散させる。

 意識を薄く広く伸ばして、しかし、確たる思考を堅持し続ける。

 世界のあらゆる場所に意識を行き来させて、それを高速で行う技術。

 その意識領域の広がりの形をアリーナにいる全員が目にした。

 

 ――巨大な虎。

 

 しかも、それはかつて見たどの時よりもサイズを増していた。

 どう少なくとも見積もっても、全長はキロメートルを超えているように思われた。

 IS学園最大のアリーナにぎりぎり収まるサイズだったのだから。

 その虎は一瞬で消えた。

 しかし、観客たちは理解する。

 この虎のサイズこそがセシリアの認知の範囲である、と。

 無論、ISのハイパーセンサーを使えば、もっと広大な範囲を見通すことができるだろう。

 それがただ物を見るだけならば、容易い話だった。

 しかし、これが試合で起こるあらゆる展開を認識し、対応するとなれば話は別だ。

 アクシデントが付き物である闘争という舞台で、キロメートルに渡る範囲を認識下に置いて、その時その時で最適な行動を取る。

 言葉にすれば容易いその行動を実行可能な操縦者は少ない。

 極まった洞察、観察、推察の力は遂に観客たちにさえも届くほどに凄まじかった。

 だから、通常ならば絶対に分からないことも、観客たちには伝わった。

 

 ――セシリアが疲弊している。

 

 セシリアが動き、光を操り、敵の動きを洞察する。

 宙を舞い、アリーナを彩り、目を輝かせる。

 その度に発生して、観客たちへと伝わる力。

 セシリアの意思と闘志と動作が生み出すある種の波動。

 その波形が弱まっている。

 ぎりぎりの人間がどうにか意思を繋ぎ止めているかのように、波形が揺らいでいる。

 事実、この時のセシリアは意識が朦朧としている。

 意識を保つことが精一杯の状態で、しかし、何かを拒むように闘っている。

 その姿は崇高ですらあったが、それ以上に危ういものだった。

 特別なことなど起きなくてもいい。

 何かの拍子に緊張の糸が切れた瞬間に、ぶっ倒れてしまいそうな気配すらある。

 それなのに、セシリアは闘っている。

 その姿は観客たちの心を揺さぶっていた。

 誰もが、その闘いから目をそらすことができないでいた。

 だから、彼らは決着の瞬間を、見逃さずに、眼に収めることができた。

 

 

 

 

 

 レーザーが大晃を追い、大晃は軌道を変えることでそれを避ける。

 闘いは基本的にこのやり取りの上に成り立っていた。

 しかし、最後の最後、変化が起きた。

 大晃が軌道を変えて、レーザーを避ける、その刹那だった。

 今までであれば、鋭角の軌道で追尾し続けたレーザーの群れ。

 それがそのまま一直線に進んでいくのである。

 しかも、その光の先には何もない。

 ただ、アリーナの端に向かって光は直進していくのだ。

 それは、つまり――。

 大晃はそこから先を考えなかった。

 ブラフの可能性が脳裏をよぎるが、それはないと判断する。

 もっとも、まだ、油断はできなかった。

 コントロールを失った瞬間、それを見計らったかのように、合計六つのビットが大晃に向けてレーザーを吐き出したのだ。

 だが、それはもはや大晃の脅威にはなり得ない。

 レーザーからは追尾の意思が抜け落ちており、一度避けてしまえばもうそれまでだった。

 かと言って、もうビットからレーザーを放てるとは思えない。

 

 ――だと言うのに、怖気が取れない。

 

 だが、大晃は誰よりも深く知っていた。

 セシリアは諦めない。

 例え、そういう風に見えていたとしても、その奥で何かを仕込んでいる。

 そういう女だ。

 だから、大晃は緊張を解かなかった。

 セシリアが何を仕掛けてくるのかを見極めるために、ほんの一時、わずかな時間、『見』に回った。

 そして、気がついた。

 『それ』がもう始まっていることに。

 

 ――そうか。そういうことか。

 

 光が直進していく。

 アリーナを満たしている光が端に向かって飛んでいく。

 シールドに向かって飛んでいく。

 それは一見して計算外の行動だった。

 光の軌道の先には大晃は存在しない。

 鏡面のように光るシールドがあるだけだ。

 しかし、それは間違いなく大晃へと向けて直進する必殺の光であった。

 

 ――反射する鏡面の先に俺がいる。

 

 無論、シールドが鏡のように景色を映すことはない。

 それでも確かに感じていた。

 シールドの向こうに、こちらを突き刺すように直進してくるレーザーの光を。

 大晃の洞察が、セシリアの思惑を拾い上げた。

 セシリアはコントロールを失うその直前にあることを試みていたのだ。

 それは跳弾だ。

 かつて、アリーナのシールドにレーザーを反射させたことがあった。

 フレキシブルを体得している現在となっては使わない手段のはずだった。

 しかし、フレキシブルさえもできないほどに疲弊した今であれば話は別。

 レーザーの軌道は修正され、結果、跳弾となって襲いかかるのだ。

 しかも、効果はこれだけに留まらない。

 擬似的に操作可能なレーザーが増えることを意味する。

 つまり、跳弾させるレーザーと制御下に置いたレーザーの二つを効果的に使えば、瞬間的な火力が増すということである。

 事実、大晃に向かって来ているレーザーは跳弾とビットから放たれたものの合計だった。

 四方八方から攻め立てる光の槍。

 これこそ、セシリアの最終奥義と名付けるに相応しいものだろう。

 

 ――ああ、最高だ。

 

 大晃の心が茹っていく。

 アリーナを覆っていた光のベールが解かれて、再び折り直されるその刹那の光景。

 それは何とも美しいものだった。

 しかも、それは全てが寸分の狂いもなく自身を狙ってきているのだ。

 ぞくぞくした。

 その光量に相応しい熱を帯びて、大晃は拳を握りしめた。

 この光景を前にすれば、出来ることは少ない。

 光に負けない速度で前に出て、獲物を仕留める。

 それ以外にはない。

 普通はできない。

 しかし、普通では現在のセシリアには勝てない。

 かつて、セシリアが普通では大晃に勝てない、と感じたのと同じことを、大晃はセシリアに感じていたのだ。

 今まで無数に人に味あわせてきた実感を、今度は自分が味わっている。

 その味があまりにも甘美で、だから沸き立っている。

 もうこれ以上は無理だと、思っていた。

 もうこれ以上は無いものだと、思っていた。

 しかし、それを超える熱を大晃は己の内に感じていた。

 だから、大晃は見せてしまった。

 あの二人、山田真耶にも、アリーシャ・ジョセスターフにも見せていない、取って置きを。

 大晃はPICで空中を蹴っていた。

 大晃は光を置き去りにして跳んだ。

 

 

 

「がはっ!」

 

 セシリアはうめき声を上げていた。

 肺から強制的に吐き出された空気が、声となったのだ。

 

「あ、あ、あ……」

 

 声にならない、音がセシリアの口から漏れている。

 苦しそうに喘ぎながら、しかし、セシリアは笑みを浮かべていた。

 愛おしいものを見るような目で、大晃の目を覗き込んだ。

 

「……とうとう、出してしまいましたね。本気を」

「ああ」

 

 あの追い詰められた一瞬、大晃は一気に間合いを詰めたのだ。

 誰にも、セシリアでさえも視認できない速度で跳んで、拳を放ったのだ。

 その拳は命中していた。

 セシリアの胸に、その一撃が放たれていたのだ。

 

「ふふふ。さすがは安城大晃の一撃。すごく痛いですわ」

「……」

 

 笑みを浮かべるセシリアとは裏腹に、大晃の口数が少ない。

 無論、大晃は笑っている。

 興奮が表情に張り付いている。

 それなのに、大晃の顔には哀しみがはっきりと現れているのである。

 何か、やってはいけないことをしてしまった子供のような歪みがあった。

 

「気にしないでくださいまし。わたくしがやりたいようにやっただけのことですもの」

 

 大きな子供をあやすようにセシリアは言った。

 右手をゆっくりと上げて、大晃の頬を撫でた。

 

「あなたはわたくしに本気を出してくださいました。

 わたくしはあなたに本気を出させたことが嬉しいのです、だからそんな顔をしないで……」

「……」

「わたくしがあなたに望むのはたった一つ。

 わたくしが再びあなたにあいまみえるまで、不敗でいてくれること。

 それだけですわ」

 

 セシリアの身体から力が抜けていく。

 言いたいことは沢山あるのに、喋っていられる時間は少ない。

 

「だから、決して振り返らないでくださいまし。あなたは織斑千冬に勝つのでしょう?」

 

 そして、最後に、これだけは言っておかなくては。

 

「だから、振り返らないで……」

 

 その言葉を最後にセシリアは倒れ込んだ。

 大晃は繊細な手つきで、セシリアを抱きとめた。

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