超重力格闘伝―IS―   作:泣き虫くん

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71話、永遠の喪失

 第2回モンドグロッソ。

 アリーシャはその時を心待ちにしていた。

 もともと、織斑千冬とは第1回モンドグロッソで試合をしている。

 その時は、負けた。

 完敗だった。

 己が築き上げてきた技術が通用しなかったのだ。

 それからは励んできた。

 織斑千冬と闘える次なる機会、すなわち、数年に一度開催されるモンドグロッソに焦点を絞って、愛機を、自分自身を鍛え続けてきた。

 そして、鍛錬は身を結び、アリーシャは愛機に単一能力を発現させることとなる。

 ついに訪れたモンドグロッソ当日。

 体調も、機体も、万全に仕上げたアリーシャは対戦相手を悉く圧倒し、決勝へと駒を進めていく。

 当初は織斑千冬がブリュンヒルデの座を守るだろうという意見が優勢であったが、勝ち上がり実力を示すごとにアリーシャの勝利を予想する者も増えていった。

 無論、織斑千冬を応援する声も大きい。

 二つの声は自然とぶつかり合うが、共通していることがあった。

 決勝戦でこの二人が闘うことを誰もが望んでいた。

 織斑千冬とアリーシャ・ジョセスターフ。

 二人が決勝戦で闘い、その結果、ブリュンヒルデが生まれるのであれば、それは真に世界最強である、と言えるだろう。

 世界最強は誰なのか?

 この永遠のテーマに答えが出されるのを人類は望んでいた。

 二人は勝ち続けて、ついにその時がやってきた。

 織斑千冬 VS アリーシャ・ジョセスターフ。

 心待ちにしていた理想の決勝戦。

 しかし、彼らは、アリーシャは裏切られた。

 織斑千冬が棄権したのだ。

 

 

 

 

 

 織斑千冬は悪くない。

 アリーシャはそう思っている。

 織斑千冬が棄権した理由は分かっている。

 脅迫されたのだ。

 弟を拉致されて、試合に出るな、と脅されたのである。

 千冬にとってはたった一人の家族である。

 弟を守るために、試合を棄権した。

 それは仕方のないことだ。

 しかし、それでも、なお――。

 アリーシャの心には悔いが残っていた。

 深い深い、そこの見えない苦悩である。

 数年間、鍛錬に没頭していた。

 辛く厳しいが肉体をいじめ抜いて、時には研究者や技術者に力を借りた。

 全ては千冬に勝つためだ。

 千冬に勝つためだけに、あらゆる手を尽くした。

 やっと、織斑千冬と闘える。

 そう思っていた。

 それなのに、その機会ごと取り上げられてしまったのだ。

 失望は大きかった。

 転がり込んできた、ブリュンヒルデという称号もひどく陳腐にしか思えなかった。

 最強の証明を果たさずに貰っていい称号ではない。

 これなら、決勝戦で闘った挙句に負けた方がマシだったろう。

 だが、失意の中にあってなお、いや、あったからこそ、アリーシャは動いた。

 もう、こうなったら、非公式の闘いでもいい。

 決着を付けることさえ出来るのなら、それが観客のいない闘いであっても。

 だから、これから行われるのは、何かを生み出す闘いではない。

 あの時、発散できなかった自分の想いに区切りを付ける、葬いの闘いだ。

 

 

 

 アリーシャが戦場に選んだのは、故郷イタリアのアリーナ、つまりは第2回モンドグロッソの開催場所であった。

 アリーシャよりも後から現れた女、織斑千冬は言った。

 

「待たせたな」

 

 そんな千冬をアリーシャは見た。

 ずっと、闘いたかった相手だ。 

 それなのに、アリーシャの顔は暗い。

 やはり、決勝戦で、あの時、決着を付けたかった。

 しかし、今さら、言ったところで仕方のないことだ、と気を取り直す。

 それに自分ばかりが暗い顔をしていられるはずもなかった。

 千冬の方がもっと辛いのだろうから。

 

「済まないのサ。こんなことに付き合わせてしまってサ」

 

 それきり二人は黙った。

 ほぼ無人のアリーナだ。

 研究者が観客席とアリーナを隔てるシールドの向こう側にいるが、観客席の数からすればいないも同然の人数だった。

 モンドグロッソ開催時にこの場を包んでいた熱気はもはやなく、何かに向けられた哀悼のような沈黙だけがアリーナを支配している。

 

「ところで、これからどうするつもりなんだ?」

 

 と、アリーシャは訊いた。

 訊ね聞いたところによると、織斑千冬は現役を退くのだと言う。

 ただの噂であるが、本人は特にその噂を否定も肯定もしていない。

 

「ドイツの特殊部隊からスカウトが来ている」

「ドイツの特殊部隊? 何故のサ?」

「弟を無事に救い出すことができたのは、彼らの力があっての事だからだ」

「売られた恩を返すため、という訳か」

「そういうことになる」

「それで、日本代表の座はどうするのサ?」

「……降りようと思っている」

 

 自分がISの操縦者として名を馳せていたから、弟が誘拐された。

 だから、もう弟が血なまぐさいことに巻き込まれないように表舞台から降りる。

 千冬からしてみれば、当たり前の判断かもしれない。

 それでも、弟の周りに危険が及ぶかもしれないが、自分が表舞台にいる時に比べて遥かに、その可能性は減るだろう。

 心配なら、政府の人間を使って、安全を確保しても良いのだ。

 しかし、その当然の決定はアリーシャが受け入れられるものではなかった。

 表舞台で闘えなくなってしまう。

 

「なあ、千冬。何とかならないのか?

 ここで決着を付けたいとは思っている。

 それでも、表舞台で、日の当たる場所で真っ当にやりあって、世界最強を決めたいって欲は残っているのサ」

「無理に、決まっているだろう」

「だが、あんたは悪くない」

「ああ、知っているさ。私は悪くない。そんなことはもう分かっているんだよ。

 いろんな奴にそんなことを言われたよ。でももう無理なんだよ。私はあの日、心が折れてしまった。

 弟の、一夏の姉としては闘えても、もう、一人の戦士としては闘えないんだよ」

 

 だが、千冬からしても、アリーシャの懇願は聞くことのできないものだ。

 もう家族が危険に晒されるのは、嫌だ。

 脅迫の電話を受け取ったときの恐怖が脳裏にこびりついている。

 千冬の心の大半を占めているのは、その恐怖をもう味わいたくないという、ささやかな願いだった。

 だったら、とアリーシャは言った。

 

「こうしないか?」

「こう、とは?」

「これから私たちは闘うが、やっぱり、何かを賭けなくちゃ燃えないだろう。

 だから、勝った方が負けた方に何でも命令できるってことにさぁ」

「なんだと……ッ」

「私は当然、織斑千冬。あんたに現役でいるように命令するつもりなのサ」

「話を聞いていなかったのか!?」

 

 千冬は取り乱し始めていた。

 取り繕っているものが、ほつれ始めていた。

 千冬はもう終わったのだ、と思っている。

 世界最強。

 その渇望が、恐怖という本能に屈服しているのだ。

 自分は弱い。

 千冬は思い知っていた。

 だから、そんなものを自分に期待するのはもうやめてくれ。

 そう思っていた。

 それを、知ってもなお、アリーシャは諦めきれない。

 

「分かるよ。あんたの気持ちもね、弟が誘拐されたのサ。そりゃあ現役でいることが苦痛かもしれない」

「だったら、なおさら――」

「もちろんただでとは言わないよ。私もできるだけのことをして、あんたの弟さんを守れるように手配するよ」

「……」

「それにそんなのは嘘なのサ」

「嘘とは?」

「あんたは、まだ、戦士として終わっちゃあいないのサ」

「……」

「それをこれから証明してやるのサ」

「勝手なことを……ッ」

「だから……」

 

 アリーシャはその場に踏み止まるようにして、ようやく口にした。

 

「頼む。何でもするから、現役のままでいてくれよぉ」

「貴、様……ッ」

「このまま、終わらせないでくれよぉ」

 

 縋るような声に、千冬も言葉を失った。

 普段はおちゃらけた態度を取っているアリーシャの豹変ぶりに、察せざるを得なかった。

 アリーシャが本気で言っていることを。

 だから、受け入れろというのか?

 そんなふざけた話を?

 千冬はもう限界だった。

 

「だったら、証明してみろ! 私が終わっていないことを、今、ここで!」

 

 千冬は激高した。

 この場に来て初めて見せる、攻撃的な意思の発露にアリーシャが呼応した。

 

「ああ、教えてやるさ! 織斑千冬!」

 

 呼応した二つの熱がその中央でぶつかっていた。

 

 

 

 アリーシャは飛び出していた。

 あの時、出来なかったことをするために、あの日の続きをするために。

 大地を蹴って、千冬に肉薄する。

 右のアッパー。

 千冬は半身になって、避ける。

 渾身の力を込めた一撃は空振り、千冬に攻撃のチャンスが訪れる。

 

「しゃぁ!」

「……ッ」

 

 IS用の日本刀、雪片は千冬の投げやりな思考さえも再現するかのように破滅的に輝いていた。

 それが自分に向かって振り下ろされてくる。

 一撃必殺。

 その言葉がアリーシャの脳裏に浮かんだ。

 一撃たりとて受けてはならない。

 アリーシャは、打撃を打ち終わった姿勢から、強引に前に出た。

 自らの動作への依存が比較的に小さい、ブースターとPICの合わせ技だ。

 熱の反動と力の制御によりアリーシャにの動作が前かがみ気味のタックルへと変換された。

 千冬へと密着したほんの刹那。

 アリーシャはまたしても自分が相手に触れていないことを理解した。

 特殊な歩法によりその場に残像を残して、相手の虚を突く、千冬の戦術だった。

 千冬はすでにアリーシャの横に立っていた。

 振り上げられている刀は攻撃準備が完了していることの証。

 アリーシャの胴に光り輝く刀が振り下ろされて――。

 

「甘いのサ!」

 

 だが、アリーシャとて超一流。

 そして、千冬の戦術も研究し尽くしている。

 前かがみになった身体を前回転させることで斬撃を回避し、しかも、捻りを加えることで蹴りへと繋げた。

 その蹴りは顔面をかするだけに終わったが、着地するまでの時間を稼ぐことには成功した。

 アリーシャは再び真正面の打撃戦に挑み始めた。

 

 

 

 二つの尋常じゃない熱量を持った塊は動いていた。

 互いに攻撃を放つ。

 互いに位置取り変える。

 攻撃をより有効にするために位置取りを変えて、より優位な位置を取るために攻撃をしかける。

 宙を舞い、地を伝い、宙を蹴り、地を這う。

 あらゆる動作が渾然一体となり、そのどれもが優位にならない、あるいはそのどれもが優位となる。

 その選択はより早く、より洗練されていく。

 そんなやり取りをもう十分以上、休みなく、ぶっ続けで行なっている。

 

「どうしたのサ! 織斑千冬、あんたはその程度だったのか!?」

 

 そのやり取りの中で、アリーシャは優位に立っていた。

 よりスリリングな攻め、よりアクロバットな返し技。

 それらを闘いの機微に沿って最適なタイミングで繰り出すアリーシャに千冬は苦戦していた。

 もともと、アリーシャは織斑千冬の対策をずっと練ってきた。

 その成果が身を結んでいる。

 しかし、アリーシャは素直に喜べなかった。

 この程度なのか、織斑千冬は。

 そういう感想しか湧いてこないのである。

 

「それとも、あんた、本当に終わってしまったのか!?」

 

 いや、そんなはずはない、と思う。

 あの織斑千冬がこんな程度のはずがない、とアリーシャは警戒をしている。

 だが、アリーシャが抱いている警戒は期待の裏返しでもあった。

 だから、哀しかった。

 

「なら、もういい! そんな程度なら、もう現役でいる必要もない!」

「……ッ」

「やめてしまえ!」

 

 アリーシャは、しかし、手加減はしない。

 千冬からの反撃を綺麗に捌き、千冬に攻撃を加え続けていく。

 二人は今は互いに宙にいた。

 アリーシャが上で、千冬は下。

 無論、宙にいようが、PICで宙を蹴れる二人にとっては、取れる動作の幅にあまり変わりはない。

 アリーシャが上から攻撃を浴びせかけていく。

 風を纏った拳や蹴りは、刀剣と同じ切れ味を持ていて、間合いも読み辛い。

 そのことも相まって千冬は受けに回っていた。

 千冬が刀でアリーシャの拳を受けた。

 

「かかったな……」

 

 低い呟きが千冬に一瞬の思考の空白を生んだ。

 刀が腕ごと弾かれていた。

 攻撃を与える一瞬、拳が纏う風が増幅していたのである。

 相手が受けに回るという洞察が、千冬の受けを弾くという選択へとアリーシャを駆り立てたのだ。

 

「終わっちまえ」

 

 アリーシャが深い哀しみを込めて、右拳を突き出した。

 

 

 

 織斑千冬は終わりを受け入れていた。

 あの脅迫の電話を受けた時に、戦士として終わってしまったのだ。

 恐怖には際限がない。

 もうこの恐怖に打ち克つことはできないだろう。

 恐怖に屈してしまった以上、もう一人の戦士として最強であり続けることなどできるはずもない。

 概ね、そんなことを考えていた。

 だが、それは間違いだった。

 自分は恐怖に一度負けた、しかし、それは終わりを意味するのだろうか、と。

 確かに、自分が最強である、という事実が今回の件の引き金となった側面はある。

 織斑千冬はそう認識している。

 だから、国家代表の座を降りざるを得ないし、それは仕方のないことだ。

 しかし、それは戦士としての終わりを意味しない。

 少し考えれば分かる話だ。

 例え、立場として現役から退く決意をしたとしても、最強を渇望し最強であり続けることができたのならば、その人物が最強の戦士であるとも言えるからだ。

 織斑千冬は恐怖から目を離すことができなかったから、気がつくことができなかっただけだ。

 己の中に、最強への渇望が残されていることに。

 渇望は共鳴する。

 アリーシャという、誰よりも、そして、何よりも最強を望み続けた、最大の渇望が千冬の飢えと共鳴を果たした。

 千冬は前へと出る。

 渇望のままに。

 

 

 

 アリーシャが右拳を出し終わったままの姿勢で硬直していた。

 その目には、驚愕と喜悦の色が宿っていた。

 

「……まさか、あの状態から反撃できるとは想像もしていなかったのサ」

 

 アリーシャは言った。

 刀を弾いて、隙だらけの千冬へと拳を放つ、瞬間。

 千冬もまた反撃を繰り出していた。

 腕を弾かれた勢いそのままに、しかし、自分の制御下において振り下ろしてきたのだ。

 アリーシャの突きにも負けないほどの、鋭い斬撃であった。

 

「でも、嬉しいのさ。やっぱり、あんたは終わっちゃいなかったのサ」

 

 アリーシャはくるりと振り返った。

 もう、どういう葛藤もない。

 哀しみも、怒りもない。

 ただ、自分の想像以上であってくれた、千冬への感謝が、柔らかい笑みとなって現れる。

 千冬も振り返った。

 アリーシャの顔を見る。

 罪悪感で目尻が僅かに下がっていた。

 言い訳するように、千冬は言った

 

「違う」

「違わないさ。あんたは終わっていないんだよ」

 

 それでも、首を振る千冬を、アリーシャはなだめた。

 優しい声だった。

 

「良いんだよ。気にすることはないのサ。これは私が望んだことへの結果でもあるんだ。

 それに、私は嬉しいのサ。あんたが世界最強でいてくれてな……」

 

 アリーシャは構えた。

 右腕は下げたまま、左腕を上に掲げた。

 

「だから、やろうぜ。ここであんたを倒せば、正真正銘、世界最強になれる。こんなことで、このチャンスを逃したくない」

 

 アリーシャの声に震えが混じってきた。

 何かを耐えているようであった。

 喜悦。

 興奮。

 そして――。

 

「そう、右腕一本無くした程度のことでな」

 

 苦痛。

 アリーシャの顔面にいつの間にか張り付いていた汗は、苦痛によるものらしかった。

 それを証明するように、鮮血が右腕と共に舞った。

 赤く咲いた花が右腕の根元で花びらを広げていた。

 

 

 

 アリーシャ・ジョセスターフ。

 織斑千冬がとっさに自らの限界を伸ばしたように、アリーシャもまた自らの限界地点を飛び越えようとしていた。

 右腕の喪失。

 それは戦闘力の減少を意味する。

 攻め手は極端に減り、防御手段は無くなる。

 だから、アリーシャはその穴埋めをしようとしていた。

 風が吹いていた。

 アリーナ中の空気が一つの焦点に向かって、集まり凝固しているようだった。

 その最終地点はアリーシャの右腕だ。

 風が喪失した右腕を埋めるように吹いて、腕を象った。

 凝固した空気。

 それは物理的な存在感すら孕む、極小の暴風雨であった。

 この土壇場でアリーシャは千冬への対抗手段を生み出したのである。

 攻撃力に限れば、この瞬間、千冬と並び立っている。

 

「悪いねぇ。待たせてしまってサ」

「アリーシャ、駄目だ」

 

 千冬は戸惑った。

 アリーシャのIS未だに危険領域に至っていない。

 絶対防御を無効化し放った、極大の攻撃力は、皮肉なことにルール上の敗北からアリーシャを救っていた。

 それでも、もうここまでだ、と理性が叫んでいる。

 これ以上、やれば本当にアリーシャの生命を奪いかねない。

 それなのに。

 

「駄目ってことはないだろう。そんなに笑っているのにサ」

 

 千冬は湧いてくる衝動を止めることができなかった。

 最強の地位を脅かす存在を許すことのできない、殺意。

 自分の全力に答えてくれる者へと向けられた、好意。

 良い感情も悪い感情も、千冬の中で渦巻いている。

 アリーシャが起こしている暴風雨にも負けない、感情のうねり。

 千冬の精神は肉体という通路を通って、現実世界へと出現する。

 細胞の一つ一つが生み出す、物理的な力が空間を軋ませる。

 そうだ、結局のところ自分は最強であり続けたいのだ。

 

「そうか、そうだったんだ」

 

 自分への問いはここで終わり、疑問が一つ残った。

 アリーシャ・ジョセスターフと織斑千冬のどちらが上なのか。

 それをこれから明らかにする。

 考えただけでも、ぞくぞくとする。

 千冬は興奮を止めることができなかった。

 

「いくぞ」

「ああ」

 

 二人が飛び出そうとした。

 しかし、二人は前に出なかった。

 二人が前に出る直前に、たった一つの爆発が起きた。

 それが二人から永遠に奪ってしまったのだ。

 決着の機会を。

 

 

 

 

 大晃は歩いていた。

 バーでの飲み会は解散となり、車で帰っていたのだが、大晃は途中から徒歩で帰ることにしたのだ。

 風が冷たい。

 もう、十月の終わりに差し掛かっている。

 しかも、もう夜だ。

 確実にやってくる冬の気配は容赦なく体を冷やしている。

 確実に失われていく熱。

 しかし、大晃は身体の裏に、奪われていく熱の量を凌駕する、熱いものの存在を感じ取っていた。

 

「右腕が爆発したのサ」

 

 アリーシャが語るところによると、どうやら、風で作り出した右腕が突如爆発したのだという。

 あの時点でアリーシャは満身創痍だった。

 それが限界以上の能力を行使したことで、致命的な限界を迎えてしまったということらしい。

 

「その爆発のせいで、右目も失くしてしまったのサ」

 

 さらに悪いことに、爆発は右半身をも容赦なく襲った。

 右半身はところどころが火傷で爛れて、右目はその機能を失った。

 今まで、事故だと語られていたアリーシャが右腕と右眼を欠損した理由。

 その真相は想像を絶するものだった。

 アリーシャの横で神妙に黙っている真耶の姿を目の端に入れて、大晃はアリーシャを眺めた。

 語り終えた、アリーシャは再び酒を煽った。

 苦いものを酒と一緒に呑み込んだ。

 

「なんで、もっと、頑張れなかったのかなぁ」

 

 アリーシャが哀しそうに眉をひそめていた。

 大晃にはその言葉の意味が十分に分かっていた。

 後悔の念であった。

 もともと、挑戦状を叩きつけたのはアリーシャの方だった。

 自分が納得したいというのがその動機だった。

 それが身勝手なものだと、アリーシャは薄々思っていた。

 それでもアリーシャは我慢できずに行動を起こした。

 その結果どうなっただろうか?

 アリーシャは右腕を失いはしたものの、しかし、千冬が最強であり続けたいという望みを未だに持ち続けていることを証明した。

 だが、アリーシャは途中で力尽きた。

 本当ならもっと違う形での決着があったはずなのに、最悪の形で闘いを終わらせてしまった。

 結果的に二人の間に残ったのは罪の意識である。

 相手の右腕と右目を奪ってしまったという罪の意識を千冬は背負った。

 右腕と右目を奪ってしまった罪悪感を背負わせてしまったという罪の意識をアリーシャは胸に刻み続けた。

 二人は未だにそれに捕らえられている。

 

「私はこんな身体になっても最前線で闘い、勝ち続けた。

 千冬のせいで私が辞めただなんてことになったら、あいつはもっと苦しむことになるだろうからな」

 

 きっと、アリーシャは自分の手で終わらせたかったのだろう。

 千冬の業を自らの手で祓ってやりたかったのだろう。

 その役目からアリーシャは降りた。

 代わりに、その役目に着いた者の名は――。

 

「安城大晃。お前が終わらせてやれ」

 

 言われるまでもない。

 無言でそう肯定するように、大晃は頷いた。

 結局のところ、アリーナで向かい合えば、一つ以外にやるべきことはない。

 全力を尽くす。

 その結果が死であったとしても仕方のないことだ。

 その割り切りには多少の哀しみも混じってはいるが、大晃の拳を鈍らせるものではない。

 あるいはより鋭さを増すものであるかもしれなかった。

 大晃の内側には身勝手な喜びさえある。

 織斑千冬を取り巻くあらゆる因縁、織斑千冬が積み上げてきたあらゆる業が今一つの形に結実しようとしている。

 それを自らの手で行えることへの歓喜がうずまいている。

 身勝手な、という非難を到底避けられない性質。

 千冬を救えるものがあるとすれば、それだけなのであろうか。

 大晃ならば千冬を救えるのだろうか。

 誰にも分からない。

 それは大晃さえも――。

 ともかく、大晃は歩いた。

 長い距離をただひたすら一人で、誰にも気がつかれないように。

 歩いて、ビル群へと差し掛かった時に変化が起きた。

 大晃は道を逸れて、路地裏へと入っていった。

 誰もいないその中程で立ち止まっていた。

 

「なあ、いるんだろう? 出てきなよ」

 

 大晃が振り返って、言った。

 その声に答えて、一人の少女が姿を現した。

 

「やはり、私ではあなたに気がつかれてしまいますね」

「お前さんは確か……」

 

 大晃の記憶が過去をなぞった。

 見覚えはあった。

 それはかつて無手と闘った日のことであった。

 挨拶こそしなかったが、顔は合わせていたはずだ。

 名は――。

 

「クロエ・クロニクル。覚えていたようで光栄です」

 

 華奢な身体をしている少女が、ゴシック調のロリータドレスを着て立っていた。

 陶磁器のように白い肌が、彼女の儚さをより強調している。

 

「なんの用だい?」

 

 束の娘。

 それが千冬との闘いを宣言した、今日この日にやって来た。

 どういう類の話であれ、その裏に敵意が潜んでいることはもはや確定的だろう。

 それでもまだクロエの気配には敵意は含まれていない。

 敵意に明らかにする前の、不確定な、感情だけが含まれている。

 

「はい、先日、無手との闘いを制し、最終移行を成し遂げたあなたは束様にとってすら脅威となりました」

 

 クロエの話が、大晃の予想をなぞっていく。

 

「すでにあなたのせいでプランの基幹となるシステムが崩壊しました」

「ほう!?」

 

 驚きが声となった。

 大晃としてはそこまでのことをした覚えはない。

 想像をはるかに超えた、クロエの言葉は、しかし、戸惑いよりも喜びをもたらした。

 

「一体、俺は何をやってしまったんだい?」

「その詳細までは私の口から明かすつもりはありません。

 私があなたに言えることは、あなたは束様にとっての不可避の障害となったという事実だけです」

「それで?」

 

 大晃が先を促した。

 その言葉が待ちきれなかった。

 

「私、このクロエ・クロニクルが、束様に先んじて、あなたを排除します」

 

 期待通りの言葉に大晃の笑みが深くなる。

 進化前ならばいざ知らず、今の大晃に果たしてクロエの力が通用するかは未知数。

 それでもなお、大晃は突如、降って湧いた、しかし、心のどこかで期待していた突発的な戦闘に欲を持ち始めていた。

 

「一体、どういう勝算があって俺に挑む?」

「……敬愛する束様を」

 

 クロエは言葉を切ってから、再び紡いだ。

 

「救う為に」

 

 二人の間に風が吹いた。

 

 

 

 

 安城大晃。

 彼だけではなかった。

 もう片方、事態の半分を担う、織斑千冬にもまた訪問者があった。

 

「ちーちゃん、久しぶりだね」

 

 仮にも世界最強の織斑千冬をそんな気安い呼び方を出来る人間はこの世にただ一人だった。

 一人で、IS学園の武道場で座禅を組んでいた千冬は、目を瞑ったまま答えた。

 

「どうした束? 何か用か?」

「もう、ちーちゃんったら素っ気ないんだからー」

 

 篠ノ之束が千冬の前に立っていた。

 仮にもIS学園。

 セキュリティは並みの国家施設を凌駕してるのだが、神出鬼没の天災にとっては赤子の手を捻るのに等しいらしい。

 束の怪物性を良く知る親友であるだけに、千冬は特にそういう指摘はしない。

 時間の無駄だからだ。

 束としても、ただ世間話をしに来たという風ではないらしい。

 彼女にしては珍しく、本題へと入っていった。

 

「ねえ、ちーちゃん。だいちゃんと闘うんだって?」

「それがどうした?」

「ちょっと言いにくいんだけどね――」

 

 はっきりとした口調で束は言った。

 

「だいちゃんと闘うのをやめてくれないかなって」

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