その闘いは異様な間合いから始まっていた。
安城大晃と織斑千冬。
この二人が織りなす世界最強を決める頂上決戦を観客たちは望んでいた。
試合開始の合図は高らかに打ち鳴らされ、二人が臨戦態勢に入った瞬間、観る者たちの期待は頂点に達していた。
しかし、その期待に反した行動を二人は取った。
二人の初期位置はアリーナのほぼ端と端。
数個分の通常のアリーナ数個分に匹敵する、数キロにも及ぶ隔絶した距離である。
そんな二人をアリーナに設置された数十個ものカメラは映し、その映像は大型のモニターと各自が所有する端末にも送られているわけだが、それでも、観客たちはどよめいている。
あまりの距離に見えていないから反応が芳しくないのではない。
むしろ、二人が臨戦態勢に入っていて、かつ、闘う気があるらしいことがしっかりと見えているからこそのざわめきであった。
二人の戦意が高いことを察していてなお観客たちが動揺する理由。
それは二人が真剣に向かい合いながらも、数キロもの間合いを詰めようとしないからであった。
――一体、何が起こっているのか?
誰もが分からなかった。
数キロにも及ぶ距離。
それはもはや近接戦闘の距離ではない。
スナイパーライフル。
多弾頭ミサイル。
遠距離の武装を持つ者同士が取る間合いである。
しかし、安城大晃と織斑千冬は近接戦闘の専門家である。
遠距離の武器など装備しているはずなどなく、また、そういう装備をしていたとしてもこの距離はあまりにも遠すぎる。
一体どういう意図を持って二人が向かい合っているのか。
観客たちには分からなかった。
そんな観客たちを余所に、大晃と千冬は互いに右へ右へと動き始めた。
しかし、距離は詰めない。
距離を詰めないままに、むしろ、詰めないように最新の注意を払って二人は動いているようだった。
二人の視線は相手を注意深く観察しているかのようにお互いを捉えて離さず、二人の肉体は相手の動きに即座に対応できる構えを見せている。
遠距離の武器を持っていたとしても冗長な距離。
仮に高機動パッケージを積んだISであっても、手に余る距離。
そんな距離で二人はにらみ合っている。
右に動きながら大晃の右腕がゆっくりと伸びた。
何かを警戒するかのような速度で右腕はゆるゆると動き、指がある地点を触れた瞬間に、凄まじい速度で戻された。
千冬もまわり込みながら、自身の装備している近接戦闘用の日本刀、『雪片』の先端を伸ばした。
何かを探るような動きで雪片はゆるりと動き、その先端がある地点を触れた瞬間に、元の位置へと戻った。
それは真っ当な探り合いであった。
闘いの最中、もうこれ以上近寄る事のできない距離。
そういうものがある。
闘っている者同士にしか分からない呼吸と機微によって生じる限界の距離であった。
その限界の距離を超える直前に探り合いが起こる場合がある。
どうやらそれが生じているらしかった。
しかし、それにしても妙であった。
無論、妙というのは、その距離のことである。
近接戦闘のISが探り合いという割りには、二人の間にある間合いは大きすぎる。
ふざけているとしか思えない距離であった。
更に妙なことがもう一つあった。
馬鹿げた距離で向かい合い探り合いをする二人を、全ての者が固唾を飲んで見守っていることであった。
二人の闘いが始まって十分が経とうとしている。
しかし、二人には間合いを詰める気配がなかった。
十分間の二人のやり取りは概ね次のようなものだった。
大晃と千冬の両名は、まず、速度を上げたり下げたりを繰り返した。
大晃が速度を上げれば千冬もまた速度を上げて、千冬が速度を下げれば大晃も速度を下げる。
あるいは相手を出し抜くようにして相手が速度を上げた瞬間に、自分の速度を下げると言うこともした。
その逆もやった。
それはあたかも相手を出し抜き優位に立とうとやり取りしているかのようであった。
二人はそれで埒がいかないと思ったのだろうか。
更に、動きは激しいものになる。
動きにフェイントが交わる。
距離を詰めようとする素振りを互いが脅しのように見せつけ合う。
もはや、二人の回り込む速度は尋常ではなくなっていた。
数十キロにもなろうかという膨大な円周上を、歩行のような下限から雷速のような上限まで速度を切れ目なく切り替えながら、一分未満で一周する勢いで動き続けている。
もはや、水面下で激しい闘いが起こっていることは明白であった。
しかし、二人は距離を詰めるということだけは決してしなかった。
それだけは観客たちにも理解できない。
何故、数キロの間合いで闘いが始まっているにも関わらず、その距離が一向に縮まらないのか?
恐らく、観客たちも身体では分かっている。
感覚では察知している。
そうでなければ、のめり込むようにして闘いに見入っているはずがないのだ。
ただ、その感覚を理屈として理解できるものはいなかった。
素人だけではない。
この場に集まった名だたるIS操縦者ですら、その感覚を言葉として説明できるものはいなかった。
ただ、幸運なことに、大晃と千冬の二人の間で何が起こっているのかを解説できる稀有な人物が存在していた。
「なるほどな、こいつは予想もつかなかったのサ」
解説席のアリーシャ・ジョセスターフだ。
現役のブリュンヒルデとして君臨し、そして、織斑千冬を除けば間違いなく世界で一番強いと信じられていた競技者である。
彼女以上にこの試合を紐解くのに相応しい存在もいない。
そう思わせるのに十分すぎる人選であった。
そんな彼女は試合をつぶさに観察していた。
二人が向かい合い、回り込むその様子とその変化を、誰よりも深く観て、そこに確かな理屈を見出していた。
何故、二人が距離を詰めないのか?
アリーシャは静かに語り始めた。
「まず、私はこの試合を見て、二人の能力は極限に達していることを理解したのサ」
探り探り、といった様子でアリーシャは言った。
二人の距離の理由についてのことだろう、とは容易に察することのできる言葉であった。
それと同時に少し遠回しな言い方でもある。
恐らくはアリーシャなりに順序立てて説明しているらしかった。
しかし、それが順当なものかまでは、説の全体像が把握できていない観客たちには分からなかった。
「二人とも直線距離を真っ直ぐに動きはしない上に緩急が付いているものの、その速度は高いところでイグニッションブーストの二倍か三倍に以上には達している」
アリーシャはまず、二人の持つ能力に付いて詳しく説明するべきだ、と考えたのだろう。
大晃と千冬の能力がアリーシャの口によって、詳らかにされていく。
その速度はイグニッションブーストの三倍以上には達するらしい。
しかも、まだ、闘いはほんの序盤。
様子見に過ぎないのである。
この程度の速度は、頂点の怪物の二人にとっては、ゆとりを持った速度に過ぎない。
観客たちへと言外にそう意識させつつ、アリーシャは更に続けた。
「そして、探り合う二人の様子から見えるものはもう一つある。
ISの規格から外れた速度は、二人の持つ全能力が既存のISを大きく超えていることを意味している。
二人は未だに攻撃をしていない。しかし、それでも、一つだけ断言できるのサ」
畳み掛ける台詞が観客たちの意識を惹きつける。
アリーシャの説の終着点は未だに見えないものの、聞く必要のあることだと感じさせる語り口が観客を捉えて離さなかった。
アリーシャが思案するようにして口を閉じた。
その少しの間に沈黙が広がった。
解説を急かすような沈黙であった。
アリーシャはその沈黙の中でもたっぷり思考して、若干もったいぶって話を始めた。
「『零落白夜』の千冬だけじゃない。
安城大晃の拳もまた、一撃必殺の破壊力を秘めているのサ」
もったいぶって話す割に、これまた遠回しな言い方だ、と一般客は思う。
無論、闘っている二人が一撃必殺の威力を持っている、という言葉に一般客は驚いている。
しかし、それが何故二人が遠距離の間合いで向き合わなければならない理由となっているのかは分からないのである。
直接的な答えが出ると思っていたばかりに一般客の間には落胆があった。
だが、そうでない人間が一部いた。
ISの操縦者たちだ。
彼らは知っている。
一撃必殺がどれほどのプレッシャーであるかを彼らは知っている。
直接対峙せずとも、無数の試合の経験から驚異の度合いを感知できる。
だからこそ、彼らにはアリーシャの言葉が衝撃を持って受け止められた。
ただ、一撃必殺を持っているというだけなら、この間合いを維持する理由にはならないだろう。
しかし、アリーシャは事前に言っていた。
二人の速度はイグニッションブーストを大きく超えている、と。
二人の全能力は既存のISとは比べ物にならない、とも。
この二つを前提に、一撃必殺を持っているもの同士が闘いに臨めばどうなるのか?
ISの名手たちは優秀である。
一度、既成の観念を取っ払ってしまえば、容易に答えに辿り着く者ばかりである。
一部の者たちのざわめきはそう言った、気づきによって生じたものであった。
「そうなのサ。
二人はこの数キロもの間合いを一瞬で詰めて、互いに一撃必殺できるってことなのサ」
アリーシャの口から発せられた回答は常軌を逸していた。
いくらISであっても、世界最大のアリーナの端から端を一瞬で詰めるのは不可能である。
仮にそれが可能なISがあったとしても、それは高機動パッケージを積んで十分な加速を得たISだけだ。
外付けのパッケージもなしに、しかも、一瞬の加速でそれを成し遂げるなど、ISの常識からしても考えられない。
その程度のことは一般客だって、十分に理解しているのだろう。
本人が理解していなくとも、周囲に満ちるざわめきから察したのだろう。
観客の全員が、画面の向こうにいる視聴者たちも含めて、アリーシャの解説に言葉にできないほどの衝撃を受けた。
「まだ、みんなは信じられないかもしれないが、そう考えればこの試合展開にも納得がいくのサ。
二人が速度の加減速によって相手を牽制しているのは、回転の内か外のどちらか攻めるのかを探り合っているから。
内と見せかけて外から行くのか、外と見せかけて内から行くのか、あるいは敢えてフェイントを交えずにストレートに行くのか。
今、二人の間でそういうやり取りが起こっているのサ」
左右に回り、互いに牽制しあっているらしい二人。
その二人の間にあるらしいやり取りを、アリーシャは感じ取っていた。
そもそも、何故二人は右へ右へと回り込んでいるのか?
それは互いに相手の虚を突こうとしているからである。
相手は自分を身体の正面に捉えようとする。
そういう時に、左右に動けば一体どうなるのか?
もう一方もまた動き相手を正面に収めようとするのである。
そして、それこそが駆け引きの肝である。
相手を正面に収めようとするあまり、一方が減速してもなお勢い余って正面から外してしまうことがある。
二人が駆け引きにおいて加速と減速を多用するのは当然の理屈であった。
加減速において相手の正面を外れ、かつ自分が相手を正面に維持し続ければ、一瞬の優位を手の内に収められるからだ。
もっとも、その優位は時間にしておよそマイクロ秒未満のものである。
仮に生じたとしても無視できるほどに小さなもので、それはこの距離ならば尚更だ。
しかし、二人はその一瞬の優位を奪い合っている。
動き、回り、時には加減速によるフェイントを仕掛けてまで、真剣に。
アリーシャの言葉と二人の真剣が溢れるやり取りで、ようやく観客たちは理解した。
安城大晃と織斑千冬。
刹那の時間の差が勝敗を分けるほどに、この二人の能力が高まっていることを――。
「この闘いは、長くは続かないかもしれない」
アリーシャは言ってから、戦慄した。
膨大な距離でさえも両者を隔たるには矮小と断じる、二人。
その能力は攻撃力、速度ともに人知を超えたレベルにある。
そんな二人が真剣に闘うのである。
それは非常に高度な闘いとなるだろう。
もはや、アリーシャですら想像のつかない世界だった。
ただ、二人がこのアリーナの全範囲を射程に収めており、しかも、一撃で試合が終わるほどの破壊力を持っていることは分かっている。
安城大晃と織斑千冬。
負けることが想像も付かないほどの強者であるが、その内のどちらかは、今日、必ず破れる。
逃げ場はない。
アリーナのほぼ全てを射程に収める者同士、例えどれだけ距離が離れていようとも、それは安全圏になるはずがないのだ。
ひょっとすれば、もう次の瞬間にはどちらかが破れていてもおかしくないのである。
その実感がアリーシャの呟きとともに降ってきたのだろう。
狂おしいほどの熱狂を抑えつけるほどの緊張感が、観客席を満たしていた。
闘いは静かに進んでいた。
左右に振れ、前後に揺さぶり、上下に波打つ。
歩くような速度から雷光の素早さへと変化し、雷のような速度から牛歩ののろさへと様変わりする。
動きと速度の織りなす無数のヴァリエーション。
それらによる駆け引き。
その静かな空間の中で大晃は笑っていた。
慈愛のこもった笑みだ。
しかし、同時に鋭い切れた笑みでもあった。
大晃の中では歓びがうねっていた。
世界最強。
公式戦、非公式を問わず無敗。
初代ブリュンヒルデ。
無数の肩書きを持ち、あらゆる表現でその強さを賞賛されている女。
それが織斑千冬であった。
そして、織斑千冬は決して肩書きだけの女ではなかった。
肩書きと同じくらい、いや、そんな下らない表現を超越した強さを持っている。
その、証拠にほら――。
距離を詰めることすらできない。
大晃の喜悦が育っていく。
遥か彼方、数キロ離れたところにいるはずの織斑千冬。
もはや、普通の感覚ならば点にしか見えないであろうその距離であっても、織斑千冬はなお大きかった。
刀を携えてやり取りを仕掛けてくる。
その姿は巨大であった。
手を伸ばして刀を振れば、その先端が容赦なく切り裂いてくるほどに巨大な幻影であった。
無論、千冬は一時たりとも止まりはしない。
常に動き、無限のやり取りを交わしている。
巨大な幻影が見えたとしても、そんなものはもう遥か後方に置き去りにされてしまうはずである。
しかし、現にその巨大な幻影は、何かを暗示するかのように、付きまとってきている。
無数の動きを一つの巨大な連なりとして。
連なりが含んでいる左右の振れ幅、上下の差、前後の厚み。
その中から、警告としての幻影が立ち上っているようであった。
大晃は啓示を見た。
そこに、織斑千冬の能力を見た。
感覚が捉えた像が意味するのは一つの事実であった。
『先に距離を詰めた方が負ける』
それは二人を支配しているルールですらあった。
限界を超えた洞察力が、読み取っていた。
間合いの内に、ほんの僅かでも侵入すれば、自分は仕留められてしまうであろう。
そう確信するほどの凄まじい実力であった。
だから、大晃は悦んでいるのである。
織斑千冬は正しく最強、いや、それ以上の力を持っていた。
こうなると、逆にこの膠着の状態はきつい。
溢れ出る悦びで思わず前に出そうになる。
それを堪える。
堪えて踏ん張る。
踏ん張りながら耐えて、ひたすら伺った。
相手の隙を――。
やり取りはより激しくなっていた。
大晃と千冬の間にあった距離は僅かに詰まっていた。
大晃は前に出ていた。
最初に拳を出して引っ込めた位置まで前進して、より激しく右へ右へと回り込んで行く。
千冬も前に出ていた。
最初に拳を伸ばした先端の位置まで前へ進んで、より俊敏に右へ右へと回り込んで行く。
より早く回り込む。
回転の内側を取れば、自然と自身は相手を正面に捉えることができ、かつ、相手の正面から外れることができる。
そうして、先手を取れば勝つ。
そういう勝負であった。
だから、二人は速度を上げて、なおかつ、距離を詰めているのである。
より早く回り込むには二つ方法がある。
一つは速度を上げること。
そして、もう一つがより回転の径を短くすることである。
だから、二人の距離は詰まっている。
大晃の肌がビリビリと帯電している。
まだ、間合いに入ってはいない。
制空圏に接触しているだけだ。
つまり、もう、これ以上詰めることのできない距離だ。
これ以上詰めれば、負けてしまう。
しかし、より素早く回り込むために内側を攻める必要がある。
速度を緩めることができない。
ルート取りの精度も求められる。
ただ、内側を攻める。
硬直したやり取りは自然と単純なそれだけの展開へと流れたが、先ほどよりもその難易度は上がっている。
前後の揺さぶりを交える暇すらなくなった。
やるべきことは、ルートを一ミリたりとも乱さないまま最高速を維持するのみである。
時速100キロの車で崖の先端、数ミリを競い合うチキンレースのほうがまだマシであった。
普通ならばやれない。
一流でも無理だ。
一流をかき集めた挙句に残った一握りの人間のみが可能な、現状の人類が出来うる限り最高峰のやり取り。
ともかく、二人はまだ脱落していない。
目を光らせて、相手の隙を伺っている。
限界を感じていた。
もう、きっと、この攻防は終わる。
延々と回り込み隙を伺う。
もうずっとそれだけを繰り返していた。
より速く、より内に、しかし、軌道を乱してはならない。
そのジレンマ。
正確性と速さの板挟み。
広大なアリーナを周回するごとに、その速度は際限なく上昇し、間合いの管理に用いられる尺度は細分化されていった。
それが限界に達していた。
今はどちらが先に軌道を乱すかの勝負になっている。
要するに我慢比べだ。
しかし、いつまで、続くのか。
まだ、互いに触れ合うどころか、ライフルの距離で見合っている。
それなのに、至近距離で密着しているかのような硬直状態に陥っている。
見えないままに、しかし、目に見えるような密度の攻防を繰り返している。
その攻防が繰り返されるごとに空気がたわんでいく。
二つの意思。
その観測不能な力は、しかし、今ならば空間の歪みを検出するという形で観測できそうであった。
そして、ここに至って二人はタイミングを探っていた。
速度の変化。
呼吸。
眼の動き。
指の動き。
それらを総合して、相手の様子を推し量った。
相手は果たしてどこまで耐えられるのか?
自分は果たしてそこまで耐えられるのか?
そして、考えた。
自分と相手のどちらが、先にこのやり取りに耐えられなくなってしまうのか?
はっきりとはよく分からない。
その時は近づいている。
二人は同時にミスをした。
周回を重ねるごとに上昇する難易度に耐えかねて、遂に、二人はその忍耐力と精密性における限界をさらした。
互いに回り込み、より速く相手を出し抜こうとした刹那。
二人は同時に踏み越えていた。
今までは決して超えていなかった、線を。
それは意図していない踏み込みであり、速度と精密性のジレンマの崩壊であり、有り体に言うのならば、ミスであった。
しかし――。
何故だろうか。
二人の背に流れる太い感情は、恐怖ではなく、それは紛れも無い歓喜であった。
向き合い、仕掛け合い、遂に始まりの時を迎える。
一連の流れ、動き、やり取りを経て、両者が同時に動いた、それをただ同時のミスというのは少し乱暴だろう。
だから、それは呼吸が合ったと表現するべきであった。
本当ならばもっと早く、こうやって近づきたかった。
しかし、極まった眼力が、本能が鳴らす警鐘が、勝利への欲求がそれを許さない。
二人は待っていたのだ。
否応なしに仕掛けざるをえない機を。
相手と自分が同時に動くであろうというタイミングを。
解放の時を――。
だから、大晃は前に出た。
だから、千冬も前に出た。
その間に隔てるものが無いかのように。
アリーナ数個分に匹敵する距離など無いかのように。
互いが持つ重力が、互いを惹きつけて離さないかのように。
10の物を持っていれば、10をぶつけるように。
全ての力をそれで出し尽くすかのように。
お互いが持っている自分を全て吐き出すかのように。
拳が、剣が。
アリーナの中心で交差して、絶叫を上げた。
その振動は全てを揺るがし、伝播し、方針円状に拡大し、会場を一つの楽器のように震わせた。
狂気の技術を宿したネットワークは、その震えをコンマ秒以下で全世界へと伝え、無数の端末がその震えを受け取った。
その震えが伝えるのは、一撃必殺の威力――のみではない
ただの一撃必殺ではない。
積み重ねてきた鍛錬。
犯してしまった罪。
日々の生活で浮かんでは消える、泡末のような思考。
たわいのないものも、重要なものも。
その人生で経てきた過程の全てをぶつけるような、人生のこもった一撃。
二人が繰り出しているのは、そんな、全存在を掛けた拳であり、剣であった。
その拳と剣を見れば、二人が歩んできた道程を垣間見ることができる。
安城大晃と織斑千冬の人生が可視化された、一撃であった。
それらは世界を揺るがしている。
会場だけではないし、周辺の町だけでもない。
世界が、地球が、共鳴する男女の咆哮に、震えを起こしていた。
世界が二人の間で揺れていた。
――やりますね。
――貴様のほうこそ。
揺れ動く世界の中で、動作に遅れて伴い動く大気の流れの中で、一瞬だけ、瞬きの万分の一程度の時間だけ、静止する男女。
口を開く間も無く、意思の疎通を計るにはあまりにも短い時間の中で、二人は言葉を無言の内に届け、受け取った。
大晃は楽しげに、千冬は憎らしげに。
そうして、闘いは再起動する。
正真正銘、一足一刀の間合で。
拳が、剣が交わった。