大晃が決死の猛攻を仕掛けた。
胴体の大きな裂傷。
腹部貫通。
そして、右腕の喪失。
世界最強を長く相手取ることなどできない、という判断は妥当なものだろう。
回転。
蹴りと加速を織り交ぜることによる速度を上げる。
コマのような回転、しかも、軸の自由自在な動きによる捻りの付けた回転であった。
その回転に合わせて左腕と両脚を用いた連打を行う。
右腕の欠損による戦力の低下を埋めるために四肢を用いたラッシュを仕掛けているのだ。
無数の乱打が、あらゆる方向から、千冬を襲う。
拳が、手刀が、蹴りが、足刀が、足裏が、包囲する壁のごとくに千冬へと押し寄せる。
だが、それが、今さら、何になろうか?
全ての打撃が、弾かれる。
千冬へと迫る打撃が一定の領域に届いた時点で、目に見えない壁があるかのように、そこから先へと進んでいかない。
確かに、大晃のラッシュは凡百のIS乗りどころか歴戦の強者ですら、視界に捉えるのが困難な連打だ。
その密度と速度は比類なく、右腕を失うことにより生じた重心の偏りすらも、加速の一部として組み込んでいる。
とにかく疾い。
今まで以上の速度と密度。
しかし、軽い。
それでも、なお、足りない。
千冬はそれら全てを弾いている。
制空圏に入った瞬間にはもう撃ち落としている。
大晃に勝ちの目は見えない。
しかし、大晃は乱打を打ち込んでいく。
予備動作を最小限にしつつ、最大限の速度を発揮し、千冬へと迫る。
その表情に陰りはない。
ただ、童のように、ただ、ただ、楽しんでことに及んでいる。
千冬も同様に楽しんで、大晃を迎え撃っている。
子供が二人だ。
そんな、子供のような二人の間にも、交差する思惑が生じていた。
――俺一人の力では、不可能だ。
――大晃、貴様が何を考えようが、もはや、何も変わらない。
ほのかな、透明な世界の中での、喘ぐような思考。
技をぶつけ、技を迎撃し、思考を交わす。
互いに喘いだ吐息を吹きかけ合うかのような、甘くて、過酷な時間。
気持ちの良い時間。
もう二度と体験できないかもしれない時間。
それに別れを告げるように、二人は動きを変えた。
最奥に秘めた想いも、謀も、観客たちの期待も、何もかもが収束へと至る。
「……これが俺の隠し球だ」
万物を打ち砕くであろう乱打。
その群の中から妙な軌道の拳が打ち出された。
やけに複雑な軌道を描いている。
しかも、速い。
その拳だけが、世界最強の闘いに割り込めるほどの速度と威力を持った、別の生き物であるかのようだった。
しかし、それは確かに拳であった。
――切断された右腕!
大晃は言っていた。
愛機『無手』の能力の向上により、そのPICは他の物体にまで作用するようになった。
遠く離れた地にある大岩を持ち上げる射程と馬力。
はるか遠方に浮かぶシャボン玉を破ることなく操作する精密性。
もはや、PICとは思えないほどの性能。
しかし、それにも弱点はあった。
同格相手には使えないのである。
PICを対戦相手に直接作用させるには若干のタイムラグがある。
仮に別の物体にPICをかけて操作してとして、その速度も威力は格下に通用するにしても、同等の相手には全く通用するものではない。
そう、言っていた。
PICはどこまで行ってもPIC。
PICの真の作用は、遠隔の物体を動かすことではない。
機体の移動と制御こそが本分である。
大晃の愛機、無手のPICも例外ではない。
ただ、規格外の力と繊細さがもたらす機動力は、これもまた規格外のものであった。
そのPICを使って、切り落とされた右腕を操っているらしかった。
しかも、事前の説明とは違い、操作されている右腕はかなりの速度と威力で千冬へと向かっている。
大晃は嘘をついていたのだろうか。
しかし、大晃は確かに嘘を言っていなかった。
PICは己の機体と肉体に掛けるためのものなのだ。
――切断された右腕もまた、安城大晃の、無手の一部位となる。
つまりはそういうことだった。
しかも、右腕はついさっき斬られたばかりだった。
その切断面はすでに無手の装甲が綺麗に膜を張っていてうかがい知れないが、新鮮な赤い肉がその裏にあるはずだ。
だから、PICも自然と馴染む。
他の物体のようにことさら意識しなくとも、右腕は本体の意思を汲み取り、そして奇襲した。
最高のタイミングで。
右腕は今まで突破できなかった間合いを踏み越えた。
――その右腕が、あっさりとはじき返された。
だが、千冬もまた、全てを語ってはいない。
零落白夜の応用法はまだある。
今の織斑千冬は全身の機体で零落白夜を発現している。
刀だけではない。
頭も、腕も、胴も、腰も、脚も、その全てに零落白夜のエネルギーが流れている。
それだけでは同格相手に威力を発揮するのは難しい。
やはり、どの部位にエネルギーを纏おうと、刀以上に威力の出る部位など存在しない。
纏ったエネルギーのみで同格にダメージを与えるのも難しい。
しかし、そのエネルギーを打撃に乗せて放つとなれば、話は変わる。
千冬が収めている武術は、篠ノ之流。
戦場でどのように闘うかを突き詰めた術理は、当然、素手での闘いも視野に入っている。
それを誰よりも極めた織斑千冬だからこそ、打撃でその右腕を弾けたのだ。
――これで、終わりだ。
正真正銘、最後の一打、一刀。
大晃は左腕を引きしぼりつつ前進し、千冬は技のうち終わりと同時に刀を振りかぶっていた刀を振り下ろす。
拳が前に出る。
剣が前に出る。
より速く相手に到達した方が勝つ。
最後の、最後の、勝負は速さ比べ。
もはや、考えるべきことはない。
ただ、二人の足跡の差が、人生で培ってきたものの差が勝負を分ける。
二人はいずれもが傑物。
明確な差など存在するはずもない。
それを明らかにできるものがあるとするならそれはただ一つ。
過酷な闘い。
それのみが二人を分ける物差したり得る。
そして、結果は出た。
結果――、大晃の方が遅い。
ここに来て、ダメージの差が響いている。
より深手を負った、大晃の方が遅い。
それにも構わず、大晃は前に出る。
喰らいつくように前に出る。
千冬も油断などしないで、全速力で刀を振り下ろす。
結果は出たかに見えた。
――そうだ、無手よ。それでいい。
だが、刀が到達する寸前にそれが起こる。
大晃がこの局面で新たな技を生んだ。
右肩を前に半身となった肉体を回転させて左腕を発射する刹那。
大晃は右肩を支点として固定し、左腕を打ち出していた。
今まで、大晃はPICを利用していた。
空中の足場として、拳を押し出す機関として、体捌きを操る補助として。
今までのそれは全て押し出す力だった。
右肩を固定して左腕を打ち出す動作は、それらとは一線を画している。
何故なら、それは半身となった肉体を引き戻す動作そのものが一つの加速として機能している。
押し出す力だけではない。
引き込む力すらも加速として利用する、最後の一打。
しかも、PICだけではない。
無手の装甲すらも、速度を底上げする一因となっている。
――硬度が自在な装甲は、時にバネのような力を生む。
自由自在な硬度。
流体金属の特性を持った装甲は、その配列を変えることにより弾性さえ獲得する。
大晃はその弾性さえも加速の一部として利用した。
振りかぶった左腕の内側に伸びきったゴムが引き込む力を、外側に縮んだバネが押し出す力を再現する。
もっとも、大晃をもってしてもそんな芸当は未だに不可能だ。
しかし、大晃は一人ではない。
――私にここまでさせたんだから、絶対に勝ちなさい。
脳裏に響いた少女の声は幻聴だったのか否か。
それは大晃には分からない。
らしい呟きに、笑みを返す余裕すらなく、前へ前へと進んでいく。
千冬の刀が大晃へと迫る。
千冬の刀が大晃の肩へと触れた。
――豪ッ!!!
しかし、その一瞬前に音が全世界へと広がっていった。
隕石の衝突。
誰もがそれを思い浮かべた。
かつて、地球に隕石が飛来したことがあった。
その隕石は地表に激突し、160キロメートルものクレーターを作った。
衝突の際に起きた衝撃は凄まじく、多くの生物が死に絶え、巻き上げられた塵は太陽光を遮り続けたという。
恐竜の絶滅の原因としてもっとも有力な、巨大隕石の衝突。
その巨大隕石を想像させる音であった。
音の出所は、世界最大のアリーナ。
イタリアの『ネオ・コロッセオ』にて、闘う二人の闘士たちである。
千冬の剣が大晃の肩に触れていて、大晃の拳が千冬の胸にめり込んでいた。
きっと、それは隕石のような一撃だったに違いない。
そう思えるほどに凄まじい音だった。
もし、仮に大晃がこの拳を地球に向けては放っていたのならどうなっていたのだろうか?
恐らく、周囲の数百キロは岩盤ごと吹っ飛び、比類のない圧力によって生まれた熱は地球の生物を焼き、山をも飲み込む津波が世界を沈め、地球を覆う塵が太陽を覆い隠す。
無論、そんなことはありえない、観客たちは思う。
しかし、他には形容のしようがなかった。
今、地球が滅亡していないのは、相手もまた同等の怪物だからにすぎない。
織斑千冬が巨大隕石の衝撃を全て受け切れるほどの容量を持っていた。
だから、地球は未だに健在なのだ。
そんな想像を全員がしていた。
「……大晃」
彫像のように動かない。
ただ、口だけを動かして、千冬は声を絞り出した。
もう、エネルギーを纏ってはいない。
微笑んで、大晃を見ている。
「こ、この勝負……お前の勝ちだ」
どうしても言わねばいけなかった。
言葉にしたかった。
残されている時間は少ない。
心臓の鼓動が徐々に弱まっている。
一言絞り出すのにさえ苦痛が伴う。
千冬は最後に力を振りしぼって、言った。
「……全てを持っていけ、私の全てを……」
それきり口を閉じた。
眼から光が失われていく。
大晃はそれを見届けるようにして、拳を胸に当てたまま、千冬の目を覗きこんだ。
千冬は無邪気に笑った。
それから――。
千冬は動かなくなった。
ほのかな笑みを残したまま、静止して、微動だにしなくなった。
人類は目撃していた。
世界最強。
それが新たに出現する瞬間を。
安城大晃が立っている。
静止した織斑千冬の胸から拳を抜き取った大晃が、仁王立ちしている。
天を見上げた。
それは自然と観客たちの心に染み入る光景だった。
試合終了のブザーはならない。
勝ち名乗りもない。
それどころか、あるのはほんの些細な動作。
祈るように、目に見えない何かを捧げているかのような所作。
しかし、それが観客たちの目には確かに見えたのだ。
はっきりとした決着として。
新たなる世界最強の誕生として。
ただ、観客たちは、試合を管理する立場のIS委員会ですら圧倒されていた。
二人の闘いとそれがもたらした巨大なものに。
「ブザーを鳴らして下さい」
大晃が静かに言った。
その言葉でようやくブザーが鳴った。
安城大晃VS織斑千冬。
その勝者が誰の目にも明らかになった瞬間だった。
少しずつ冷静さを取り戻す世界。
大会運営のメンバーがようやく我に返り、千冬を病院へと連れて行こうとする。
しかし、この会場には誰よりも、千冬を治療するのに相応しい人間がいた。
「あ、あああ、ああああああ…………ッ」
咆哮だった。
誰よりも早く、一人の女が飛び出して織斑千冬へと飛び出していた。
篠ノ之束。
天災の名を冠する女。
ISの開発者である。
そんな女が取り乱している。
今の彼女は天災でも開発者でもない。
ただの、織斑千冬の親友だった。
アリーナは広い。
半径数メートルの距離を一瞬で詰めるとはいかない。
束は発明品の個人用ロケット搭載型移動装置でもって、10秒掛けて織斑千冬の下へと駆けつけた。
「ちーちゃん! 大丈夫だから! 絶対に蘇生してあげるから!」
そう言って大晃を一瞥もしないで、千冬を抱えた。
素早くその場で必要な処置を始める。
怪しげな機械を虚空から取り出して、その中に千冬を素早く、丁寧に収めた。
「くーちゃん!」
「はい!」
いつの間にか側にいたクロエが、助手として束の作業を手伝う。
そうして、準備ができたのか、束とクロエは千冬を収めたポッドをロケットの中に収納して乗り込んだ。
乗り込む直前――。
「安城大晃。今日のことを、覚えていてね」
束が大晃を睨んで、そのフルネームを呼んだ。
それも一瞬の間のことであったが、大晃と束は確かに目が合った。
どこまでも透明な大晃と比較して、束の視線には黒々としたものがあった。
ロケットが轟音を上げて上空へと飛び出した。
その一連の流れはあまりにも素早く、主催者が止める時間もなかった。
アリーナには、ただ一人、安城大晃のみが残された。
「皆さま、本日は忙しい中、わざわざ時間を割いて、ご観戦いただきありがとうございました」
丁寧な声色で、大晃が語る。
観客席だけではなく、設置されているマイクを通して世界中に声は通っていく。
宙に浮いている右腕を左手に取りながら、大晃は言った。
「今日の試合は大変凄惨なものとなりました。
中には千冬さんの心配をされている方もいるでしょうが、大丈夫です。
束さんが必要な千冬さんを治癒してくれることでしょう」
嘘なのか、本当なのかの判断材料はない。
しかし、不思議と染み入る声には真実めいたものがある。
「俺も大丈夫です。右腕なら、然るべき処置をすればくっつくでしょう」
そうして、言葉を吐いてから、左手に取った自らの右腕を見る。
愛しいものに目を向けるような視線であった。
咳き込んで、深いため息を吐いた。
安城大晃にとっても、この闘いで負った傷は、深い、深いものだった。
「俺はこれでお暇させてもらいますよ。今日は、少し疲れた……」
そう言って、大晃は左手で握った右腕を見た。
切断面を装甲が覆っている。
無手の分かれた一部は、大晃の肉体を守るべく、頑なになっているようだった。
「それでは、皆さま、気をつけてお帰りください」
その言葉を残して、大晃は消えた。
後日、千冬は日本のとある病院で発見された。
消えた二人の内のもう一人、安城大晃は未だに行方不明であった。