「ところで久、もうすぐ期末試験だけれど、勉強は進んでいますか?」
グ・ジーの隠れ家を襲撃した翌日、日曜の今日は、年度末も近いこともあり、大企業五輪家の大株主でもある澪さんは都内の実家に帰省していて日中は不在だった。
今夜は久しぶりに響子さんも帰宅するから、気合を入れて主夫業、料理の仕込みに半日を費やそうかと考えていた所、朝の8時30分頃、お母様から電話があった。
「テロやグ・ジー捜索で忙しいでしょうけれど、久は私の養子になったのよ。四葉家の者として、私の息子として、平凡な成績で私に恥をかかせないくださいね」
以前、達也くんにも生徒会長の深雪に恥をかかすなと脅かされたなぁ。
「恥と言われますと、何位以内がお恥ではないでしょうか」
動揺して変な敬語になった。
「そうね、最低でも学年で10位以内ね」
成績上位者の顔を順に浮かべる。これはハードルが高い。
「久、あなたは学力が低いわけではないわ。入学当初は面白がって勉強していたそうね。それが最近は疎かになっている。澪さんと言う最高の家庭教師もいるのに、どうして?」
入学当時、僕は一生懸命勉強をしていた。あの当時は他に目的がなかったし、睡眠もとらなかった。授業で習う『魔法』のレベルが基礎の段階で比較的簡単だった。
今は、とにかく複雑で、高校の一般科目もすごく難しい。僕の学力の土台はひどく粗くて脆いから、ここまでは必殺の丸暗記で何とか対応してはいた。
去年まで澪さんは丁寧に家庭教師をしてくれた。時には厳しく勉強を教えてくれたけど、婚約が発表されてからは、無理に勉強を押し付けなくなった。
僕が落第や退学になって、無職になっても、戦略級魔法師であることにかわりはなく、澪さんは大金持ちだから僕がヒモ状態でも問題ない。今だって半分引きこもりだし、むしろ一緒にいられる時間が毎日になる…と考えている節がある。
響子さんは、自主性を重んじる性格だから、僕の学業については基本的に口出ししない。
「久、今日は、私が勉強を見てあげるわ。私の部屋に『飛んで』来なさい」
「え?良いんですか!」
お母様とはほぼ毎晩、電話でお話ししているけれど、直接顔を合わせる機会は少ないから素直に嬉しい。
破顔一笑の僕は、戸締りと火の元をしっかり確認した後、リラックスできる厚手のスウェット生地の上下、薄手のカーディガンに着替えて、『意識認識』をする。
自分の『意識』を浅く広く、世界に均等にあるように広めて行く。達也くんと深雪さん、澪さん、真由美さん、香澄さん、十文字先輩や市原先輩の『意識』も感じられる。
響子さんは、土浦にいるのかな、今の範囲じゃ感じられない。光宣くんは生駒だから、ちょっと遠いな。
お母様の存在を感じられる。そのまま、お母様の周囲を『空間認識』。漠然と感覚的に、お母様の周囲の構造物を感じられる。
瞬きの時間もかからず、僕の身体は練馬から山梨の四葉家本宅、お母様の部屋に『瞬間移動』した。
「あっ!?」
「あら、もう来たのね」
目の前に現れたお母様は(現れたのは僕だけど)、しどけない姿でベッドに腰かけていた。
時刻は9時前。お母様は少し御髪が乱れていて、まだ寝起きのよう。ちょっと気だるげだ。お母様は朝が弱いのかな。
「今朝…久が高校4年生になる夢を見たのよ」
それは、リアリティのある夢だ。魔法師の夢は、バカに出来ない。お母様は半覚醒状態みたいだ。でも、僕の夢を見てくれていたのかと思うと、嬉しくなる。
お母様の寝室は、四葉家の邸宅が和洋折衷で増築を繰り返しているせいか、少し雑然としていた。四葉家の当主にしてはやや狭く8畳ほど。
東向きの窓に長いカーテンと隣室に抜ける空間の抜けがあり、足付きのベッドのおかげで床が広く見えて、狭い寝室でも息苦しさを感じさせない。人に見せる部屋ではなく、まさにプライベートの空間だ。
お母様はラペルラのナイトガウンを着ている。
淡い朝日に照らされてオーガニックコットンの生地はなめらかに光沢を放ち、レースで隠された胸元が甘美な雰囲気でお母様の妖艶さを引き立てていた。
襟からこぼれる両胸、裾から伸びる踝が奇妙に白く感じられる。
僕は、ちょっとどきどきして、お母様の素肌を見つめてしまう。
「ごっ、ごめんなさいお母様、寝室だとは思っていなくて」
四葉家のレイアウトを僕は詳細には知らないから、てっきり書斎かと思っていた。
僕の『空間認識』はその程度の能力だ。
「別に慌てなくてもいいのよ、親子なのだもの。隠す必要なんてないでしょ、それより、おはようの挨拶はしてくれないの?」
親子!
お母様にそう言われると、僕の胸にえもいわれぬ感情が沸き上がる。これは、慕情なのかな。
吸い寄せられるように、お母様の頬にキスをする。そのまま、お母様のちょっとあらわになった胸に抱き着く。
「おはようございます、お母様」
「おはよう久」
人の感情が完全に理解できない僕は、無意識に人の温もりを求めてしまうようだ。
すぐ隣にあるのに手が届かない状態は、ひどく精神を消耗するから、直接に肌が触れていると、ものすごく落ち着く。
その理屈だと、肌に触れても特に何も感じなかった真由美さん、香澄さんは僕にとって大事な女性ではないことになる。
「朝食は食べた?私はこれからだけれど?」
「いただきます!」
出かける前の澪さんと朝食は済ませている。時間に余裕がなかったので、トーストとスクランブルエッグの簡単な朝食だった。
僕は、食いしん坊だ。
お母様がベッド脇のコントロールパネルを操作した。やや古めかしいブザーが鳴る。間髪おかず、小さなスピーカーから若い女性の返事があった。
「着替えの準備を。それと朝食は久の分を含めて用意してくださいな」
お母様は、使用人に対しても丁寧だ。
寝室のドアを遠慮がちにノックする音がした。お母様はベッドから立ち上がると、ナイトガウンのボタンを外し始める。ガウンがするりと肩から滑り落ちた。
若いメイドが2人寝室に入って来て、半裸のお母様と、ベッドにちょこんと座る僕に目を向けた。メイドたちは特に驚かず、僕に黙礼をして、お母様の着替えを始めた。
僕はお母様の襟足から肩甲骨、背中、髪をぼぅと見つめていた。
お母様が首だけを器用に曲げて、僕を見た。
「久、髪に櫛を入れてくれる?」
「あっ、はい」
僕はふらふらと立ち上がる。お母様は、本当に綺麗だなぁ。こんなに綺麗な女性が僕のお母様だなんて、今、僕は幸せの絶頂に至っている。
食後、僕たちは書斎に移動した。二人掛けのソファに並んで腰かける。
お母様は食後の紅茶を飲んで、お腹を休ませている。僕はその横で、お母様から借りた端末を不器用に操作していた。
魔法科高校のカリキュラムは外部からアクセスできないので、授業内容に近い設問を探していた。
この世界の『魔法』は複雑であればあるほど珍重されるような気風があって、達也くんが評価されなかったり、魔法力が強すぎて簡単な『魔法』すら戦略級にしてしまう僕が評価されないのはそのせいだ。
そんな世間の評価はどうだって良いけど、お母様に恥をかかせてはいけないから真剣に勉強しなきゃ。
書斎のドアをノックする音に、僕たちの視線はそろってドアに向かう。
お母様が許可をすると、葉山さんが非の打ちどころのない執事姿で入室してきた。
片手にノートサイズの端末を携えている。
「奥様。一昨日の、鎌倉の『ジェネレーター』に関して、ですが」
葉山さんが視線だけ僕に向けた。
「続けてください。久は私の息子ですよ。襲撃の当事者でもありますしね」
葉山さんが頷いた。僕も手を止めて葉山さんの話を聞く。
「『ジェネレーター』の素体となった強化魔法師は、座間基地の強制収容所から脱走した特殊戦術兵でした」
「座間…あそこは年末、達也さんたちを襲撃し、久が高尾山で倒した松本収容所の特殊兵よりも強化された魔法師が収容されていたわね」
「はい」
「現在、脱走兵の始末の依頼はなかったわね。国防軍でも把握できていない…どうやら、座間基地はグ・ジーの協力者、もしくは洗脳された者に侵食されていると見た方が妥当かしら」
「そのようです」
昨日の襲撃から24時間。たった一日で、ジェネレーターの出どころがわかるのは流石だな。それだけ情報の蓄積もあるのだろう。
僕が以前、倒した強化兵は『念動力』が強化されている程度だった。
『振動系魔法』である『加熱』『発火』を使える座間基地の特殊兵は、より深く強化されいる。技術の進歩か、資金や組織、人材を投入したのか。
適性を高めた分、人格を著しく損ない、社会に適応できなくなり、施設に軟禁される程に歪んだわけだ。
もともと歪んでいるから被験者に選ばれた、もしくは志願したのかもしれないけど。
それよりも国防軍のほころびの方は、看過できない問題だ。
「詳しい報告は後で聞きます。それと、同じ内容を達也さんに封書で伝えるよう手続きをしてください」
四葉の通信が敵組織に傍受されている状況では、多少手間でも手紙の方が安全だろう。
僕は2人の会話を聞いて、いくつか疑問が浮かんでいた。
強化兵が矯正施設に軟禁されていることは、生駒の九島家で烈くんと会話したから覚えている。このSSの第一話だ。
僕の実験データから開発された『弟たち』だけど、救いの手を差し伸べる気はない。強化兵を脱出させたところで行く場所なんてないからだ。
国防軍に追われ狩られるだけの末路なら、衣食住が保証されている施設から脱走するなんて意味がない。勿論、飼い殺しの軟禁生活を嫌になって脱走する兵はいるだろうけど、それにしては脱走する兵が多いな。
昔からなのか、強化兵の監禁に耐えられなくなった時期が重なっているのかな…
「お母様、お聞きしても良いですか?」
2人が会話を終えたところを見計らって、お母様に尋ねる。
「強化兵を隔離する施設がいくつかあるってことは、一か所に収容できない程、数がいるってことですよね。どれくらいいるんですか」
「過去、軍の魔法師開発で強化措置を受けた兵は約1万人。その多くが戦場、最前線に送り込まれて死亡している。
群発戦争時代の実験的な素体から、実戦に特化した強力な特殊兵は年齢に幅があるけれど、各地の矯正施設に30年以上軟禁されていたわ。現在も50歳以上70歳程度の強化兵が…」
お母様が葉山さんから受け取った情報端末を確認して、
「1,500人近く生存しているわ」
想像よりも多い。
烈くんは本来、殺処分になるところを収容所送りにとどめたって言っていた。当時は今ほど軍や魔法師の世界に影響力はなかったから色々と苦労を掛けたな。終戦時にはもっと生き残っていたのだし、烈くんには頭が上がらない。このお礼は、烈くんの希望通り、光宣くんに返すことにしよう。
ただ、強化兵は肉体も強化されていたけど、隔離施設で30年も生き残るのは想定外だっただろう。
「さっき、依頼っておっしゃっていましたが、脱走兵の始末は十師族…四葉家が請け負っているんですか?」
「ええ、四葉家の収入源のひとつになる程にね」
同国人殺し。それは四葉家が魔法師の世界から畏怖され忌避される遠因だろう。
「何故、国防軍が自ら処置をしないんですか?」
「米軍には脱走魔法師を処置する部署があるけれど、この国にはないの」
「軍の構成上、軍警察の存在は不可欠だと思いますが」
「それは、通常の兵士や魔法師に対する組織ね。強化兵の存在は一般には公にはなっていない」
「それでも外部に委託するなんて」
「臭いものには蓋、同国人同士で殺し合いをしたくない、過去の英雄を殺したくない、自らは手を汚したくない、と言ったところね」
「強化兵の監禁は難しいでしょうが、それにしては脱走が多すぎなんじゃ…昔からなんですか?軍が、警備を甘くして、わざと逃がしているんですか?」
「監禁もただではない。いえ、堅牢な施設を維持するのは、かなりの金額になるわ。外部、四葉家に脱走兵の始末を依頼する金額なんて比較にならない程にね」
お母様は、やんわりと肯定した。
「ただ、ここの所、依頼が多くなっている。施設の老朽化や、強化兵の精神の限界…」
「侵略者の手が伸びているってことですか?」
「ええ。テロや戦争の影が濃くなっている中、こうも脱走が敵に利用されては、各地に爆弾を抱える結果になっている。これからも頻発する、手間が増えると考えると…正直、面倒よね」
別に軍に感謝を求めているわけではないけど、この依頼が続けば、お互いに倦むし、嫌な感情も増しますからね、とお母様が疲れた表情をした。
その表情を間近で見て、僕は悲しくなる。
お母様の憂い顔を作っているのは、僕の研究結果から産まれた『弟たち』だ。
僕にとっても『弟たち』の存在は決着をつけなくてはいけない問題だけど、時間が確実に解決してくれる問題でもあったから、普段は目を背けていた。
お母様は、今、胸を痛めているんだ。
お母様の為にも僕がやらなくちゃ。
「お母様、僕がその特殊兵を全員、始末します。生きていたところで、良いことなんてないだろうし…」
下手な言い訳じみている。はっきり、言葉にしないと。
「敵は、僕が全員、殺します」
僕の思考は偏っているから、敵は殺す一択しかない。
お母様は数拍黙考した。
「強化兵を利用できると考えている国防軍の上層部もいるから、いきなり全員を始末しては政治的に問題が発生します」
「ばれなければ、問題はないですか?」
「『魔法』、もしくは薬物での殺害では難しいわよ。時間をかければ、なお難しくなる」
収容施設からの脱走が困難なら、侵入も困難だろう。
「依頼があって、特殊兵の人数を把握しているってことは、監禁施設のレイアウトも詳しくわかりますよね」
「すべてではないけれど、ある程度は。具体的には?」
「老衰させます。遺伝子的に寿命となれば、一斉に死んでも証拠が見つからなければ、むしろ一斉に死んだら、それは強化の限界だと思われるでしょう」
狂気の発言も、僕にとっては平然と語られる思い付きだ。
「強化兵の中には50歳程度の素体もいる…けれど、そうね、久の言うとおりね。でも、久にそんなことが可能なの?」
「『念力』で細胞の活動を活性化します。全身の細胞、遺伝子の時間を強制的に進めます」
細胞の活性化は、今年の初め、謎の敵に狙撃された僕が無理やり『回復』させた時に使った。僕のように別次元から無限のエネルギーを供給できない強化兵は、一気に老化するだろう。
人体に影響を与える『魔法』は難しいから、自分の時ほど簡単じゃないかもしれないけど、僕の『サイキック』を考えると大した問題じゃないだろう。
そして、『空間認識』を併用すれば遠距離の対象を『老衰』させることが可能になる。
僕の『空間認識』は、既知の場所じゃないと人間と構造物の区別がつかない。でも、詳細な間取りがわかれば、可能だ。
新たな『能力』の使い方を思い出した途端こうなる。現在は、過去の積み重ね、自分の決断が未来につながる。
「強化兵の体調は管理されていますか?」
「いいえ。病気にかかれば、軍としては好都合だから完全に飼い殺しよ…それで、その『老化』は距離はどれくらい必要?同時に何人屠れるのかしら」
「施設のレイアウトが完璧にわかれば、ここからでも。人数はやってみないと不明だけど、10人程度なら余裕だと思います」
『空間認識』は『瞬間移動』の距離とイコールだ。僕の『瞬間移動』の限界距離は…
「ではやってみましょう。松本の収容所の詳細はわかっています。松本の施設は、大量脱走の影響で現在は13人だけ、試すにはちょうど良い人数かしら」
「そうですね」
13…不吉な数字。
13人を手始めに、1,500人もの『弟たち』を僕が殺す。
それはお母様の為ではなく、僕の過去の抹殺だ。未来に向かう為にも僕がやらなくちゃ。
「久、ここに座りなさい」
お母様が、自分の太ももをぽんぽんと叩いた。
「久が力を使っている間、私が護ってあげるわ」
「ほんとですか!」
僕は散歩に連れていかれる前の子犬のように喜ぶ。しっぽがあればぶんぶん振っていたはずだ。
いつもならお母様の後ろに控えている葉山さんが、ドアの横に移動した。立哨するつもりのようだ。
当代最強と噂される魔法師が護ってくれるなら安心…いや、お母様が護ってくれるなら、僕は何もかも身を委ねられる。
僕はお母様に背中を向ける形で太ももに座る。瑞々しい、成熟した女性の柔らかさと温かさが僕のお尻に伝わってきた。
お母様が僕を後ろから包むように抱きしめてくれる。
お母様の体温が背中に直に伝わる。
僕は、ちょっともじもじしながらお尻を安定させて、両手で持ったノート型端末で、松本収容所の詳細な見取り図を確認する。
目を瞑り、『空間認識』をする為、『意識』を海のように広げていく…
間近に太陽のような『意識』が輝いている。お母様の『意識』だ。強烈すぎて他が霞みそうなる。少し感覚を切り替えて、全方位ではなく、松本の方向だけに集中した。
僕の『意識』はすぐに松本の施設にたどり着く。『瞬間移動』の場合は、出現地点だけわかれば良いけど、今回は施設そのものを『意識』する。
『空間認識』で見る世界は、説明が難しい。これは目で見て脳で映像化しているわけではないからだ。
白と黒と透明と空間だけの世界では、構造物と人間の区別が難しい。それに強化兵と施設職員との判別は全くできない。
強化兵は6畳程度の独居房に隔離されている。房には窓すらない。
ドアは分厚く特殊仕様であるうえ、施設職員のセキュリティICカード認証システムと指紋生体認証システム、物理的な施錠がされていて、内側からは開けられない仕様になっている。
床は板張りと二畳の畳、簡易ベッドにトイレ、洗面所が設置され、娯楽はテレビとラジオだけ。
希望すれば書籍も手に入るそうだけど、強化兵には身内がいない者が多いからそれ以外の娯楽、差し入れはないそうだ。
天井の角の監視カメラが、24時間独房を監視している。
こんなところに隔離されて30年か。人格に問題があるとは言え、これは精神がおかしくなるのもやむを得ない。運動不足や栄養不足で、少しずつ弱って行くのだろう。
独居房はすべて同じ間取り、配置なので、独房内の人間の存在はすぐにわかった。人の形のモノが13体。
何をしているか、何を考えているかわからないけれど、13人がそこにいた。
他にも施設の内外で動いている存在を感じられる。それは施設の職員か軍人だろう。
独居房の13人は弱っているのか、動きが少ない。
どうやら生きの良い強化兵から脱走させられて、四葉家が始末をつけていたのだろう。放置しておいても問題はない、問題を起こせるほどの力はないのかもしれない。でも、僕も四葉だ。
13人の存在を確信すると、僕は13人の肉体の時間を加速する。
僕は空間を支配する『サイキック』だ。空間は重力と時間と密接な関係がある。
多分に感覚的な力だけれど、僕は時間を進められる。細胞の活動を活性化、遺伝子そのものを加速させる。
加減は、初めてだからわからない。
ゆっくりと、確実に時間を進める。罪悪感は特にない。僕は、淡々と13人を殺して行く。
正確なところはわからないけど、13人の身体が熱を帯びた。42℃くらいまで上昇しただろうか、全身に熱を感じたけど、苦痛はなかったみたいだ。
暴れるでなく、その場で横になり、やがて動かなくなった。
時間は10分ほどかけた。
僕は『老化』をやめる。『空間認識』では生死は不明だけど、もはや自力では動けないだろう。これ以上は無用だ。
もともと加齢で弱っていたこともあり、職員は異常にまったく気が付いていなかった。施設に目立った動きはない。
松本収容所の職員は、不手際が続いているし、士気が下がって、規律が緩んでいるのかもしれないけど…
「くっあぁ」
僕は自分のうめき声で『意識』を身体に戻した。
頭が痛い。
頭の中で割れ鐘が打ち鳴らされているみたいだ。気持ちが悪い。ここまで酷い頭痛は初めてだ。
そう言えば、『認識』は通常はほぼ一瞬。今回のように10分も『空間認識』を、それも広範囲を『意識』したのは初めてだ。
『空間認識』と『意識認識』は僕の『意識』を世界に均等に広めるイメージで、それはこの世界の物理法則からは逸脱している『瞬間移動』と同様、穴だらけの魔法式を僕の『能力』で無理やり、力業で行っている。
僕の肉体は三次元に強固に囚われている。『認識』を長時間使うことは、ある意味、肉体と精神の分離につながる。
『三次元化』が『高位次元』側のシステムだから、周公瑾さんのように肉体と『意識』は簡単には分離できない、と言うことか。
周公瑾さんも『昇仙』には、長い時間と準備をかけているから、『認識』は僕が想像しているよりも僕の脳に負担をかけるようだ。
身体の感覚がはっきりしてくる。お母様の体温を背中に感じる。
「終わったの?」
お母様の声が、甘い吐息とともに僕の耳をくすぐる。
「…はい。確認はできませんが…13人は…死んだか、死の寸前にまで至っていると…思います」
僕は息も絶え絶えに答える。それでも、お母様に心配をかけたくないから、頑張って元気を装う。装えて…いないか。
「そう、その確認はこちらでするわ…辛そうね」
「いえ…は…い」
僕はお母様に全身を委ねる。正直、かなり辛い。お母様が抱きしめていてくれなければ、僕は床まで倒れていた。
脳が酸素不足で悲鳴を上げているようだ。
身体に異常はないけど、脳との接続が悪いのかうまく動かせられない。手に持っていた端末をお母様がそっとどかしてくれる。
「久、今回の『能力』は誰にも言ってはダメよ。遠距離から人間を無差別に老死させられるなんて、戦略級魔法師だからと言っても、確実に迫害されるわ」
この『能力』は暗殺に使用するには強力で、防ぐことは、ほぼ不可能。『術式解体』でかろうじて防ぐことができるかな。そもそも『老化』に気が付けるかどうか。
爆殺だろうが老死だろうが殺すことにはかわりがないのに、老化の方を恐れるのは人間の本能だ。
人が目の前でいきなり老衰したら、それはホラーだけど、今回のケースが特殊だっただけで、殺すだけなら銃弾一発ですむし、別の『魔法』がいくらでもある。使用するたびに僕の体調が悪くなるなら、条件が厳しく使い勝手が悪すぎる。
「この『能力』…そうね『終(つい)』と仮に名付けましょうか、『終』のことは、私と久だけの秘密にしておきましょう」
お母様と僕だけの秘密ってのも悪くはないな。葉山さんの存在は…都合よく忘れよう。
「それと『終』は、久の身体にも負担をかけるようだから封印しましょう。残りの1,500人は…別の方法を考えましょうか」
確かに、10人そこそこでこの状態だ。一人ずつなら大丈夫だと思うけれど、それでは時間がかかりすぎる。
何事も簡単にとは行かないな。
でも、お母様はそれほど残念がっていないようだ。完成された魔法師として見下す気持ちはないだろうから、強化兵に関してはそれほど重要視していないのかもしれないな。
「ご褒美をあげないとね」
ご褒美?別に、もうもらっているからいらない…そう考えながら、振り向く。
お母様の唇が奇妙に赤い。
お母様に飲み込まれる…そんなことを考えながら、僕は意識を失った。
僕は暗闇に浮かんでいる。平衡感覚がうまく働かない。暗闇に上下はなく、僕はどちらを向いているかわからない。
ただ、僕の身体は熱に包まれている。身に覚えのある、僕の大好きな温度だ。
身体を丸めようとして、何かが絡みついていることに気づく。
全身が締め上げられて、骨が軋む。疼痛が襲いかかってくる。
防御をしようとしても身体が非常に重い。体が丸められない。動かすのが難しい。身体そのものに異常はなかったはずだけれど…
でも、苦しみの中に、甘美な戦慄が伴っている。その戦慄が何か、理解できない。深く深く沈んで行く。
混濁した意識の中、お母様を想う。
想ったとたん、背中にさざ波が生まれ、やがてそれが大波となり、怒涛となって崩れた。僕は、暗闇の中、泡沫となってはじけた。
白い光が広がって来る。
お母様は、僕の光だ。
僕はゆっくり目を開く。頬を紅潮させたお母様の顔が目の前にあった。
僕はお母様と寝室のベッドで一緒に横になっていた。
寝室の窓が茜色に染まっている。あれから6時間ほど経過しているのか。
僕はお母様の豊かな双丘に顔をうずめていた。柔らかい。
「あらあら、大きな赤ちゃんね」
お母様は嫌悪感をあらわすことなく、僕を抱きしめてくれていた。お母様の汗ばんだ肌が、僕の身体を温めてくれていた。
以前、僕がお風呂で湯疲れしたときもこうやって一緒にいてくれたな…
頭痛はまだあるけど、何とか我慢できるほどには収まっていた。
逆に、全身から精力…生命力がかなり失われていた。脳の異常を僕の無尽蔵のサイオンが治してくれたのかな?
『回復』は起きていないと使えないはずなんだけど、こちらは頭痛ほどはひどくない。数日で元に戻るだろう。
お母様の体臭に、僕の家で使っている石鹸とシャンプーの香りが混じっている。練馬の自宅に尋ねられたとき、お土産で差し上げた石鹸を使ってくれているんだ。同じ香りが家族を思わせてくれて嬉しい。
奇妙な、言葉に出来ない疼きが、僕をお母様の身体に密着させる。
「うふふ、私の可愛い赤ちゃん」
お母様の言葉に、僕は陶然とした。僕は、お母様の赤ちゃんなんだ。
疑問が、お母様の体温に溶かされていく。
そう思いながらも、何故か大蛇に全身を締め上げられる感覚を覚えた。
甘美な香りに包まれながら、まったく身動きができない。お母様の熱い肌に溶かされるような、お母様と一体になるような感覚。
肌と肌が隙間なく重なって、ずぶずぶと沈み込んで行く。
僕はお母様の赤ちゃんなんだから、お腹の中に還らないと…
大蛇のイメージが、小虫を溶かす食虫植物にかわった。溶かされる小虫は…僕だ。
僕の身体が、甘く幸せな液体に、どろどろに溶かされて、お母様の一部、血肉になる。
恐ろしいまでの多好感に、昇天しそうだ。
緩慢にそう考えながら、僕の意識は再び暗闇に呑まれて行く。
夜の闇よりも暗い闇に…
能力としての『意識認識』『空間認識』、慣用句としての意識がごっちゃになって、読みにくくなったと反省です。
今回の真夜と久の『意識認識』のシーンは、
達也が深雪を抱きながらグ・ジーをエレメンタル・サイトで捜索した話と対になる話です。
達也と深雪のシーンには愛と恥じらいと初々しさとちょいエロ(読者サービス)があります。
達也が深雪の肌に触れていないと安心できなかったように、感情が理解できない久も肌の接触を無意識で求めます。
真夜は久への愛がありますが、同じ分量でマッドサイエンティストの顔があります。真夜は久が気を失っている間、色々としています。強制睡眠学習も施されています。
真夜は深雪と違ってアダルトなので、ためらいもありません。
久はこれまでも真夜にがっつり精神支配されていますが、支配はさらに進んでいます。久はもうすぐ澪と戸籍上結婚するけど、肉体も精神もほとんど真夜のモノなのです。
真夜は世界を滅亡させることのできる久を完全に支配して、黒い愉悦を満たしています。
久はしばらく、体調不良になってもらいます。
原作では、次のグ・ジーの潜伏場所の襲撃を、米軍の介入もあり、ぎりぎりで失敗しますが、
久が同行していると、グ・ジーは簡単に捕まってしまうのですよ…汗。
実は今回、真夜の朝食シーンも書いていたんです。
分量が増えて邪魔になったのでカットしました。以下、ボツにした真夜の献立です。
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お母様の朝食は、和食だった。
主夫の鬼の僕としては、別の家庭の献立はものすごく気になる。
圧力釜で炊いた玄米ご飯、鯵の開き、ノンフライヤー鶏肉のから上げ、海藻とジャガイモのみそ汁、納豆おろし大根、ほうれん草とゴマのお浸し、くるみ入の生野菜、アサイベリー入のヨーグルト。
手間もお金も時間もかけた、健康への意識も高い、ほぼ完璧の朝食に感動する。お母様の美貌は、こうやって保たれているんだな。
食事の最中も、僕はぼうっとお母様を見つめていた。
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では、また次回。