切れそうなほど冷たい月光が、達也くんと、かつて千葉寿和であった死体を照らしていた。
寿和さんは、いつまで寿和さんだったのか。
人の魂は、死んでも七日間地上を漂っていると言う。
胸に大穴を開けて倒れていても、いきなり跳ね上がって達也くんを襲うかもしれない。僕はすぐに対処できるよう離れた位置から達也くんを見ていた。
死体を見下ろす達也くんは、自分の使命を忘れて、茫然と突っ立っている。
白い息が夜気に溶ける。
あそこまで無防備で無警戒の達也くんを見るのは初めてだ。
「達也君」
僕の隣にいたはずの八雲さんが、いつのまにか達也くんの後ろに移動していた。
わざわざ背後から声をかけるなんて意地が悪い。
八雲さんに気がついていなかった達也くんがナイフを投げようとして、思いとどまっていた。
「驚かせるつもりは無かったんだけど、それより、傷を治した方が良いんじゃないか?」
八雲さんは両手を挙げて苦笑いで言う。
いや、わざわざ後ろから声をかけるなんて、絶対わざとだ。
敵意がない表情を作っていても、その心の内では、達也くんを抜け目なく観察しているに決まっている。
達也くんの傷と破れた衣服がビデオの巻き戻しを見ているかのようになくなった。
「師匠、どうしてここに?」
「今朝、言ったじゃないか。事件解決に手を貸すって」
「ありがとうございます。ではこの死体の処理をお願いします」
ぶっきらぼうに言う達也くんは、不機嫌そうだ。
本来の使命であるグ・ジー追跡を思い出して、達也くんは八雲さんに背を向けた。
僕と視線が合う。
「久、追うぞ」
僕が頷こうとすると、八雲さんが、
「ああ、待ってくれないか達也君。久君は僕に協力して欲しいんだ。直ぐに後を追うから、久君をお借りしてもいいかな?」
奇妙な提案をした。
達也くんが目だけ振り返って、無言で何故と問いかけたけど、説明を聞くには時間が惜しい。
「では、俺はグ・ジーを追います。久、師匠に協力してくれ」
達也くんは『自己加速魔法』で、ものすごい速度で走り去った。あっという間に見えなくなる。
加速装置みたいだなって、僕は愚にもつかないことを考える。
達也くんにあっさり置いてけぼりをくらって、しょんぼりもしている。
僕が達也くんの指示を無視して死体を攻撃した事を責めているのだろうか。
深雪さんのお願いも守れず、達也くんは怪我を負ってしまったし、『自己加速魔法』は僕の苦手な『魔法』のひとつで、僕の貧弱な肉体は長時間の運動に耐えきれない。
月明かりが急に曇った。月が雲に隠れ、夜の大気が闇に沈んで行く。
「加速装置みたいだねぇ」
暗闇が増した車道に立つ八雲さんが胡散臭い笑顔で言った。
僕も捨てられた子犬みたいに、茫然としているわけにもいかない。気分を切り替える。
「さて、死体の処理をしなくちゃね」
八雲さんが周囲に合図を送ると、街灯の作る暗闇の中から僧形の、八雲さんの弟子たちが湧いて出て来た。
「弔ってあげなさい」
弟子たちが寿和さんの遺体を担架に乗せて、路肩に止めていたワゴン車に運び込んだ。
「現場は保持しておかないと、警察が困るんじゃないんですか?そもそも、死因の特定や現場検証は警察のお仕事でしょう?」
今日の計画に、警察が協力していることを八雲さんは、当然知っているはずだ。
僕の指摘に、八雲さんが邪悪な笑みを浮かべたと感じたのは、夜の闇のせいだろうか。
「死体を操る『邪法』が、心臓を破壊されただけで破れると、久君は思うかい?」
「警察署でいきなり死体が起き上がったら、警察官が驚いてショック死するかもしれないから、八雲さんがかわりに調べるんですか?」
警察の領分を、知りたがりの八雲さんが善意で肩代わりするわけがない。
達也くんの手が届かない、達也くんの意識がグ・ジー捜索に向いているうちに、死体に込められた『邪法』を調べる気でいるんだな。
知るためなら、法を無視しても構わないとあからさまに考えている。
「僕は忍びだからね」
人外の化生である忍びにとっては『邪法』も己の一部なんだろう。
「それで、僕に何をさせる気なんです?」
誰しもが非合法だ。
「そんな警戒しないでよ。君たちがさっきまでいた新港に七草真由美さんが沿岸警備隊の巡視船で入港しているんだ。その船に便乗させてもらいたいんだけど、僕は彼女と面識がないからね」
真由美さんが巡視船に?
深雪さんが暴漢に襲われたこともあり、女性を荒事に参加させることを常識的に反対したのは十文字先輩だった。
今夜の作戦では、真由美さんは待機している予定だった。
「達也君の体術の師と言う立場だけでは、七草家の令嬢を説得できないからね。その点、君は彼女と仲が良い。義理の家族でもある」
確かに、八雲さんを初見で信用する人物はいないだろう。どう見ても生臭坊主だ。
「八雲さんはグ・ジーが海に逃げることを想定しているんですか?追跡には十文字先輩と将輝くんがいるのに、逃げおおせると?」
「千葉寿和警部の件もそうだけど、敵は一筋縄ではいかないからね」
「真由美さんに話をするのは問題ないですよ」
「じゃあ、続きは車の中で話そうか。時間も惜しいしね」
黒塗りのセダンが路肩に寄せられた。八雲さんがリアのドアを開けた。
運転手は八雲さんの弟子で、見覚えがあった。
八雲さんに続いて僕も乗り込み、三人掛けの後部座席に並んで座る。
「もうひとつ、お願いがあるんだけれど」
発車すると同時に、八雲さんが進行方向に目を向けながら言った。
お願いが多いな。
基本的に僕と八雲さんの関係はお互いの善意に頼るしか、物を頼めない。
「グ・ジーが海上に待機している船に逃げた場合だけれど、久君は手を出さずにいて欲しい」
「手を出さないわけがないでしょう。さっきだって達也くんの指示を無視してまでエリカさんのお兄さんを攻撃したのに」
「さっきの戦闘は、別に問題はないよ。夜だし、監視衛星はそこまでカバーしていなかったからね」
ただのテロリストに監視衛星がどう関わる…?
そう言えば、達也くんが座間でグ・ジーを襲撃した時、米軍の妨害にあったって言っていた。
「グ・ジーの背後に、USNA軍、米軍がいるんですか?」
正面を見ていた八雲さんが、僕に視線を向けた。
「正確には、テロで使われた爆弾が、米軍の倉庫から盗まれたもので、盗んだ協力者が軍のある程度の階級の人物で、どうやら『操られて』いたみたいなんだ」
海外の情報をどうやって知ったのだろう。不思議だなって、車の振動を腰で聞きながら思う。
「米軍は、隠ぺいをしたいんですね。そのわりに手こずっている。秘密裏にでも、国防軍に協力を仰げば上手く行っただろうに」
「米国とこの国は同盟国でありながら経済的にはライバルだからね。それに、米軍は十師族を警戒しているから日本国内では手を下したくないんだろう」
米国は国防軍は敵ではないと考えているのかな。
「グ・ジーの予想逃走経路の領海ぎりぎりに米軍の駆逐艦が停泊しているんだ」
「駆逐艦に逃げ込む前に、船ごと捕まえますよ」
「忘れているのかい?君は米軍に目をつけられているんだよ」
横浜事変で僕が倒した発火能力者は米軍の工作員だった。
吸血鬼事件の時には米軍の仮面魔法師と戦っている。あの時は、実際に米軍に襲われる危険があったのを、真夜お母様が尽力してくれたおかげで、僕の身は護られた。
「アンジェリーナ・クドウ・シールズさんとも親しかっただろう?」
何故そこでリーナさんの名前が出てくるのだろう。
僕はきょとんと八雲さんの顔を見た。
「米軍の駆逐艦と魔法師が近くにいる現場で、久君は『力』をむやみに使わない方が良い。
ただでさえ、久君は戦略級魔法師なんだ。今では四葉家の一員でもあるし、敵に無駄に情報を与えては、今後不利益だよ」
そもそも、このようなテロリストの捜索に戦略級魔法師が参加すること自体が、僕の使いかたを間違えているのはわかっている。これはあくまでも、一高生徒の僕への悪感情を緩和するためのお母様のご配慮なのだから。
「さっきも言ったけど、それは達也君も同様だよ。世界で最も強大な軍事力の監視の前で安易に『力』を行使しては、敵の目を集める結果になる」
「僕や、達也くんのまわりの大事な人にまで危険が及ぶって言いたいんですか?」
「まさしく、そうだよ」
僕は強大な『力』を持っている。
それは澪さんや響子さん、真夜お母様を護るために得た地位と権力を含めての『力』だ。
でも、より強大な組織、軍事力に奪われるのが、この時代、この世界の真理だ。
「ここは、さっき久君が言っていた通り、十文字克人君や一条将輝君に手柄を譲ってあげればいいんじゃないかい?」
本気でそう思っているのか…暗い車内で、八雲さんの真意は読めない。
まるで、今回の作戦を失敗させるよう、動いているようにも感じられる。
いつもなら飄々として、どこか楽しそうな八雲さんが、僕の視線に、ことさら武骨な表情を見せている。
八雲さんの懸念は、また別の悪い可能性に結び付くのではないだろうか。
「八雲さんは…」
素直に疑問を尋ねようとして、八雲さんが呟いた。
「ついたよ」
車が減速をする。僕たちを乗せたセダンが新港に到着した。
車から降りると、八雲さんは迷いなく歩き始めた。僕もそのあとに続く。いくつも係留している船のどれが真由美さんの乗る巡視船なのか僕にはわからない。
黒い雲が空を覆いつくすほど動いていた。
港の照明がその船を照らしていた。
その船は全通甲板を備えた長船首楼型で、ヘリコプターを搭載させた150メートル級の巡視船だった。
甲板に真由美さんがいた。海風に黒髪がなびいていた。
真由美さんが僕に気がついて、驚いている。
「久君、お願いするよ」
八雲さんがニンマリと笑った。いつも以上に胡乱な笑顔だった。
僕は真冬の潮風に顔をしかめつつ、真由美さんに近づいて行った。
曇天の海は、目を塞いだような闇夜だった。海と空の境目がわからない。この分厚い雲なら、八雲さんの言う米軍の監視衛星は役に立たないはずだ。
達也くんと将輝くんが海面を走って巡視船に合流する。十文字先輩は後始末のために陸に残った。
達也くんの誘導はもはや必要がない。
グ・ジーの乗る偽装された貨物船は領海の外に停止している駆逐艦に一目散に向かっている。
巡視船も追う。
貨物船から小型艇で特攻して来た敵は真由美さんと将輝くんが倒した。
海上では真由美さんや将輝くんの『魔法』は、ほぼ際限がない。巡視船の機関砲よりも確実な攻撃で圧倒する。
僕と達也くん、八雲さんの出番はなかった。
それよりも、真冬の海は強烈な寒さだった。なのに、女性の真由美さんは全然平気な顔をしている。
緊張から寒さを感じられないのもあるけれど、魔法師として肉体が常人よりも強化されているんだ。
僕は冷たい波しぶきや頬を切るような風に目を開けていられない。
巡視船が波に跳ねる。
長い髪が海水に濡れて気持ち悪い。
敵の動きに出遅れないよう注意しながら、『念力』で自分の身体を囲って、風と寒気から身を護る。
巡視船は船長の巧みな操船指示のおかげで、貨物船との距離を確実に詰めている。
巡視船が逃走する貨物船にもう少しで追いつくと言う時、領海外に停船していた米軍の駆逐艦が動き出した。
僕は駆逐艦がグ・ジーを救出するのかと思った。
ところが、駆逐艦は貨物船に衝突するコースを進む。貨物船は吸い込まれるように駆逐艦にまっすぐ進む。
貨物船と駆逐艦が衝突する。誰もがそう思った。
その時、米軍駆逐艦から大規模攻撃『魔法』がグ・ジーの乗っていた船に放たれた。
誰よりも早く敵魔法師の『魔法』を感知した達也くんが『異能』で阻止しようと手を貨物船に向けた。
その達也くんの突き出した手を八雲さんが掴んで妨害した。
僕ならあの大規模『魔法』からグ・ジーの船を護れたけど、車中で八雲さんに言われた通り静観していた。
『魔法』で海が割れる。
貨物船が、乗っていたグ・ジーごと深海に沈んで行った。
ひと際大きな波に、巡視船が揺れる。僕たちは身近な構造物にしがみ付いた。
「何…今の?」
「分子ディバイダーなのか」
真由美さんと将輝くんがさっきまで貨物船がいた海面を見つめながら唖然としている。
あの『魔法』は十文字先輩でないと防げないだろう。陸上での後始末に残った十文字先輩が、巡視船にいなかったことが致命的な失敗の原因に繋がっていた。
達也くんが鋭い目つきで八雲さんを睨みつけた。
八雲さんも同じ目で返す。
毒気を抜かれた達也くんが僕を見る。
僕は力なく頭を下げた。
今回の作戦で、僕は達也くんに何の貢献もしていない。
海の寒さが身に染みる。
巡視船の船長と駆逐艦の艦長が無線で言い争いをしている。
領海外であり、駆逐艦は米国の領土になるので捜査はできない。
グ・ジーの乗っていた船は海中に沈んで、船の破片すら浮かんで来ない。
海上でのグ・ジー捕縛、もしくは死体の確保は、失敗に終わった。
結局、米軍の手のひらで踊らされた結果になった。
米軍がいきなり介入して来て、事情を知らない真由美さんと将輝くんが戸惑っている。
2人とも悔しさから唇を噛んでいた。
十師族と僕たちの、箱根テロからの約10日ほどの労力も、文字通り水泡に帰した。
徒労感だけが残る後味の悪さは風に運ばれる海水のように辛く苦かった。
達也と寿和の戦闘後、八雲がしれっと千葉寿和の遺体を回収して運び去ります。
この翌日、千葉家に遺体を八雲と達也が届けます。
警察には届けなくて良いのか?
変死体の死因を調べるのが警察の仕事なのに、八雲たちは完全に無視しています。
千葉家当主も寿和の死因を、八雲の証言を疑わず鵜呑みにしています。
千葉家は警察に関りが深い家なのに、良いのか?
八雲が真由美の乗る巡視船に同乗しますが、見知らぬ他人、
しかも、見た目が胡散臭いおっさんを、真由美が信用するでしょうか。
八雲のお得意の『術』で真由美を信用させた可能性もありますが、
その後の真由美の態度は、いつも通り、達也に対してちょっと媚びるような口調ですから、
その可能性もないでしょう。
久が一緒にいれば、問題なく船に乗れる。で、今回のお話になりました。
原作は、このグ・ジー捕縛失敗から、話がぎこちなくなります。
グ・ジー捕縛失敗を、十師族当主は何故か他のナンバーズに知らせていません。
ナンバーズ若手会議のとき、問題になりました。
知らせない十師族当主が悪いのに、若手会議が微妙な雰囲気になっていましたよね。
若手会議で、学生である深雪を広告塔に使おうなんて言い出しますが、
これまでの克人なら絶対に言いません。
達也と克人を対立させるために、無理をしていると感じます。
皆様はどう思われました?
では、次回。