4月6日。未明、僕は唐突に目を覚ました。
香りがする。
甘やかな香り。
醗酵したような、いつもとは違う香りに、僕は目を開けた。
薄暗闇の寝室にその香りが満ちていた。
僕は深呼吸をするようにその香りをかぐ。鼻腔から肺に、その香りが満ちる。冷たい夜気が、その香りの分だけ温かく感じられた。
喉が渇いた。喉の渇きは、僕の体温が上がっているせいだ。
ベッドのサイドテーブルに置いてある水差しの水を飲もうかと、ちょっと身体を動かした。布団がこすれる音が意外に響いた。
僕の左右の、澪さんと響子さんがびくって、身体を揺らした。
2人とも起きている。
2人の体温がいつもより高い。
ああ、この香りは、2人の汗と石鹸、シャンプーや体臭の入り混じった、大人の香りだって理解した瞬間、僕の顔は2人の体温よりも熱くなった。
5日前、僕と澪さんは正式に結婚した。昨日、響子さんとも結婚式を挙げた。
僕たちは夫婦に、本物の『家族』になったんだ。
昨日は三人で、密やかなパーティーを開いて、心に温かなものを抱いて眠りについた。
それから数時間経って、感動が落ち着いて、2人は意識し始めたんだ。
僕は戸籍上18歳だし、肉体的には精通を迎えているから、その、愛の行為は出来る。
夫婦なのだから、何の問題もない。
正確には、響子さんは不倫の誹りをうける存在だけど、2人がいないと僕の精神が不安定になるのは、先日の記者会見でも証明された。
戦略級魔法師として、この国の最高の護りとして、多少の違法は許され、目を瞑り、曖昧な線引きを、無視して、甘んじて、いや、意図的に、その、ああ、僕も2人を意識し始め、下半身がもやもやと、どきどき。
そして、2人も僕の意識に気がついた。
3人の鼓動が高まる。
夫婦なんだから、何の問題もない。
唯一の問題は、このSSの18禁タグ。
それも、ワンクリックで済ませられる問題なので、問題などではない。
真夜お母様にも、早く孫の顔が見たいって以前言われている。
問題ない!
僕は、すっと、2人の手を握った。2人は一瞬驚いた後、すぐに握り返してくれた。汗ばんだ手のひらを、優しく包んでくれる。
2人は、世界最高の女性だけど、様々な事情が重なって恋愛には不慣れだ。
だっ、だから、僕が、男として、夫として、2人をリード、しなくちゃ、いけないんだっ!
緊張しないはずの僕が、色々と緊張している。特に、僕の男の子の部分が!
「澪さん、響子さん、僕とひとつに…」
ぷるぷるぷるぷるー♪
その、僕の言葉を遮るように、携帯端末が着信音を鳴らした。
このタイミングで無粋って感情はわかなかった。
着信音はふたつ。僕と澪さんの携帯端末からだった。
その着信音は、魔法協会から緊急の、それも緊急の度合いがかなり高い場合の着信音だった。
僕と澪さんは掛布団を弾き飛ばして跳ね起きた。
端末のディスプレイを確認する。エマージェンシー。ディスプレイが、不安な赤色を発している。
僕と澪さんは、それぞれ魔法協会の担当あてに、電話をかける。これは、あらゆる回線よりも優先させる、非常度の高い回線だった。
魔法協会の担当の女性が、事務的に、でも、緊張をはらんで言った。
「本日未明、日本海近海にて複数隻の不審船を発見。不審船は、佐渡島に向けて集結しつつあり。不審船の侵攻の可能性は大!」
「不審船?日本海?敵は新ソ連ですか?」
「不明。可能性は否定できません。戦略級魔法師・四葉久殿は、至急、市ヶ谷総司令部まで出頭してください。迎えの車は、練馬駐屯地から向かっています」
不審船?
海からの侵略?
澪さんの存在がある限り、大規模な艦隊の出撃はありえない。そもそも、艦隊規模になれば、数か月前から諜報や衛星画像でわかる。
ただ、小規模の巡視艇などを利用した襲撃でも、個人の魔法師が戦術兵器に匹敵するこの時代では、艦隊に匹敵か、それ以上の脅威だ。
練馬の僕の家から市ヶ谷の国防軍総司令部までは、緊急車両で30分。
端末を切ると、いつもはのんびりしている澪さんが、大人の、戦略級魔法師の表情で僕を見つめていた。
僕は無言で頷いた。
響子さんも、当然起きて、端末で情報を集めながら、自分の所属する部隊と連絡を取っていた。
「私も、自分の部隊に合流します。佐渡沖では、すでに北陸の義勇軍部隊を一条剛毅殿が率いて活動を開始しているそうよ」
剛毅さんが?
と言うことは、先月まで同じ教室で勉強していた将輝くんや、ジョージ君も参加しているはずだ。
義勇軍と言う、十師族がまとめる曖昧な部隊だけでなく、もちろん国防軍も動いているはずだ。
十師族が義勇軍を組織して率いるのは、国防軍の人員不足もあるけど、自分の国は、郷土は自分たちの手で護ると言う強い意思の表れだ。
その辺りの法律の曖昧な部分が、この国の国防軍と十師族、魔法師と非魔法師の国民との微妙な感覚の隙間を作っている。
はっきりと、魔法師がこの国を護っていると発表すればいいのに、魔法師がいるから敵が攻めてくるって、先日の記者も言っていたから、どの道、その隙間は亀裂となって修復できないところまで進んでいる。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
迎えの車は、10分もすれば到着する。それまでに、最低限度の準備を整えないと。
僕たち夫婦は、目で会話をすると、ベッドから降りた。
これが、今夜が戦争の端緒になるのか?
いや、この前の記者会見で僕は言った。群発戦争は、終わっていない、と。
僕たちの新婚生活は、戦争で始まった。
佐渡沖の国籍不明船数隻は、日本の領海には侵入してこなかった。
それでも、呼びかけに無反応の不審船に、剛毅さん率いる義勇軍は攻撃を行った。
先んずれば人を制す、後るれば則ち人の制する所と為る。とは言え、何の権限も持たない義勇軍の攻撃は、乱暴で、違法で、海賊だ。
不審船は当然反撃してくる。
不審船の所属は不明な物の、出港した港から新ソ連所属と判断されていた。
領海内に入ってもいない大国の船に対して先制攻撃をするとは、21世紀前半のこの国の事情をわずかでも知っている僕にしては、かなり大胆に感じられる。
それだけ、5年前の佐渡侵攻での敵愾心、恐怖心が強かったのだろう。
国や軍隊が国民を守ってくれるなんて甘い考えは、一度戦争を経験したら吹っ飛んでしまう。
奪われないためには、自身と大切な人や物を護るには、強くなくてはならない。
一条家の率いた義勇軍は不審船から魔法攻撃を受け、剛毅さんが負傷するものの、不審船の撃退に成功。
生き残りの不審船は、50カイリ以上北上して、義勇軍から逃走した。
僕と澪さんは、市ヶ谷の国防軍総司令部で、事件の顛末を聞いた。
結果的に、僕たち戦略級魔法師の出番はなかった。
剛毅さんが怪我をした敵の『魔法』は現在分析中で、怪我の具合は、命に別条はないと聞いている。あるいは軍も知らないのだろう。
義勇軍の将輝くんやジョージくんには怪我はないそうだ。
この日は終日、司令部での待機となった。待機中、僕は初めて、陸海空軍のトップと会話をした。
顔見世の、あいさつ程度の会話だったけど、十師族と国防軍の連携が上手く行っているとはいいがたいし、国防軍のトップとの意思の疎通は重要だ。
彼らは、澪さんの健康の回復と僕たちの結婚を祝してくれた。そして、僕が映像と比べてあまりにも美少女だったので驚いていた。
その会話は司令部で一番の貴賓室でおこなわれた。
僕はともかく、澪さんはこれまでの功績があるし、国民栄誉賞ももらっていて皇室の覚えも良い。他国ならば首相以上の存在だ。
待機中は、上にも置かない扱いだったけど、僕たちは携帯端末とCADしか持ってきていない。
不審船が撃退された後は、それでも緊張しながらの待機で、アニメを見ている雰囲気でもない。
結局、僕は二年生までで覚えきれなかった座学を、澪さんに教えてもらいながら勉強していた。
夫婦水入らずではあったけど、どっと疲れた。
僕たちが帰宅したのは深夜だった。
佐渡島沖の不審船の脅威が下がったこともあったけど、そもそも、規模的には小競り合いな戦闘に、僕たちが呼び出されたことは、ずっと疑問だった。
その疑問の答えは、すぐにわかった。
新ソ連極東ワニノ軍港に、敵の戦闘舟艇が集結、出港の準備を整えていた。
敵船団に、偽装した一般の漁船が多数混じっていることが、見せられた監視衛星の映像に映し出されていた。
敵艦隊が軍艦だけなら、澪さんの『深淵』で容赦なく海底に沈められる。
健康を取り戻した澪さんなら、容易い。
しかし、敵はそれを想定している。民間漁船を沈めれば、難癖をつけられる。
『深淵』は、軍艦だけを狙って沈める『魔法』ではない。
それでも、新ソ連が北海道に攻め込むにしては艦艇の数が少ない。これは、国防軍が『深淵』使用をためらうぎりぎりの戦力だと、敵は考えているのだろう。
つまり、魔法師が多数、もしくは強力な魔法師が乗船している。
敵艦隊の出港は早くても10日、北海道海域接近は4月13日以降になると予想された。
念のため、澪さんは8日から、北海道の北部方面部隊の基地で待機することになった。
基本的に戦略級魔法師は抑止力なので、澪さんが普通の戦闘で『深淵』を使うことは想定されない。双方の艦艇、魔法師による戦いになる。
僕も同行を求めたけど、戦略級魔法師を戦闘中に同じ基地に待機させるわけにもいかないと言われ、僕は東京に残ることになった。
昔の澪さんと違い、今の澪さんは心身ともに充溢している。
過度な心配はしなくてもいいけど、『魔法』の技術が進んだこの時代、前線も後方もない。
「身の危険を感じたら、すぐに僕に知らせて。僕は、どんな遠くにいても一瞬で駆け付けるから」
先日、響子さんに言った言葉を澪さんにも告げる。
帰宅して、遅いご飯を食べていた時、僕の端末に響子さんから連絡が入った。
「8日早朝から、北海道に向かいます。帰宅がいつになるかはわからないわ。澪さんも気を付けて」
響子さんが自身の出動先を言うのは珍しい。僕たちがすでに新ソ連の北海道侵攻を知らされていると知っているんだ。
独立実験部隊の響子さんが北海道に向かうってことは、北海道は陽動で、敵の本命は佐渡島方面、あるいは両方と国防軍は考えている。
明日、4月8日から澪さんと響子さんの不在の日が、少なくとも一週間は続くと予想される。
そのまま敵の領海侵犯が、領土侵攻にかわり戦争が大規模になる可能性もある。僕たちが戦略級魔法を使う時は、状況が取り返しのつかないところまで進んでいる。
精神がどうのと言っている場合ではなくなる。
それでもまだ、戦争ではない。
1週間は、僕が睡眠をとらなくてもぎりぎり耐えられる期間だ。
響子さんが10日不在にしただけで不安定になった僕の精神が、2人が前線近くにいる状態で、1週間も耐えられるのか?
その間、真夜お母様のお家にと考えたけど、四葉家の場所は公表されていない。僕の所在は24時間、軍に知らせる義務がある。
1~2日ならともかく、一週間ともなると…ここの所、努めてその状況を語らないようにしていたのに!
澪さんと響子さんが不在の時は、義妹の香澄さんが、僕の練馬の自宅に寝泊まりする予定になっている。
「2人が不在の間、僕は1人で平気だから…」
「だめよ!久君、1人の時は必ず事件に巻き込まれるでしょう!」
それは、僕は引きこもりだから、たまの1人の時に事件を起こさないと、ただの学園ラブコメになっちゃうから。
香澄さんの件も事件、それも大事件だ。
ううぅ。
新婚早々、他の女の子と寝食を共にする。
響子さんと結婚式を挙げた、その2日後から、僕の家は、別の戦争が勃発するよ。
4月7日。今日は第一高校の入学式の日だ。
4月に入って、生徒会役員の皆は、入学式の準備に奔走していたけど、僕は結婚と戦略級魔法師の立場もあって一切かかわって来なかった。
マスコミやパパラッチじみた記者、市民の好奇から身を隠す意味もあった。
それでも、さすがに生徒会副会長(仮)の僕は、式に出席する必要がある。
新ソ連の侵攻の件はニュースでは報道されていない。誰にも言えないので、口をつぐんだまま、僕は入学式に参列する。
一高には警護の車で向かい、入学の前に生徒会と風紀委員のメンバー、それと新入生代表の三矢詩奈さんと挨拶をした。
全員が、記者会見での僕の醜態を気にかけてくれて、素直に結婚のお祝いを言ってくれた。
「新婚生活はどう?」
ほのかさんが、僕の結婚指輪をうっとりとした目で見つめながら、何の気なしに、尋ねて来た。
「幸せだよ。『家族』ができたんだもの」
僕が孤児だと知らない詩奈さんが怪訝な表情を浮かべる。
会話をしながら、僕はすこし落ち着かない。意識が、澪さんと響子さんの無事に向いている。
この場にいるメンバーで敵国の侵攻を知っているのは、達也くんと深雪さんだけだった。
講堂の舞台裏で、偶然、達也くんと2人になった時、
「達也くんは響子さんと同じ部隊に所属しているんだよね。でも、北海道に行っていないってことは、学生だから学業優先なの?」
周囲に聞こえないよう、小声で尋ねた。
「俺は四葉家の『仕事』が優先する。国防軍とはあくまで協力者、国防軍と四葉家の契約の下で動く」
本当は、もっと、僕にはわからない複雑な契約が結ばれている。それに、達也くんの最優先は、深雪さんだ。
「パートタイムなんだね。じゃあ、僕と同じような立場なんだ」
「給料は貰っていないがな」
僕は国から慰労金の名目でお金を貰っているけど、基本的に軍の命令系統の外にいる。
「達也くんが作戦に参加する時は、響子さんの部隊が危機的な状況の時?」
僕の不安に達也くんが気付く。
「落ち着け、久。藤林さんが戦闘に参加することはない」
「わかってるよ…でも」
軍だって適材適所は心得ているはずだ。
響子さんと澪さんの魔法師の実力を疑ったりしない。魔法師としての実力は、この国のトップに君臨している。その精神も、僕と同じ世界にいる。
でも、2人とも肉体的にはか弱い女性だ。特に澪さんは、戦い慣れていないお嬢様でもある。
「久と五輪…四葉澪殿の戦略級魔法は敵にも知られている。抑止力である『アビス』が使われるときは、本当の最終局面だ」
「じゃあ、横浜事変の時の謎の戦略級魔法師は、今の国防軍にとっては切り札なんだね」
「真の『光の紅玉』も、敵には知られていないジョーカーだ」
達也くんの声が、一段低くなった。
「『荷電粒子砲』は威力が強すぎるよ?まぁ、制御できるけど…」
僕は胸のホルスターを軽く撫ぜた。
今日の僕は、いつ、司令部に呼び出されても言い様に、胸のホルスターに『光の紅玉』専用デリンジャー型CADを入れている。
文明を破壊する、戦略兵器の引き金が、高校の日常に存在するなんて、危険な世界だ。
「僕が『魔法師』でいられるのは、トーラス・シルバーさんと達也くんのおかげだなぁ」
僕は右手薬指の指輪型デバイスと、左薬指の結婚指輪を同時に見つめた。
「久、四葉澪殿はこの国最強の魔法師だ。そう容易く危機には陥らない」
達也くんは敵国が侵攻しているのに冷静だ。多分、僕より戦況に詳しい。
それに、『四葉澪』だって。僕たちは結婚したんだな。新婚生活は、早くも別居状態だけど。
「そうだ…ね。護るものが増えるってこういう事なのかな」
「それが、人の心を豊かにするのだが…」
「その言葉、真夜お母様も言っていたよ。流石は親子だね」
達也くんが黙った。照れてる?
「敵国侵攻阻止は軍の仕事だ。それよりも、目の前の問題からだ。深雪が生徒会長を務める入学式で、不調法は許さない」
「うっ、はい」
照れを強引にごまかした!
義弟の視線が、ナイフの様に鋭い。
入学式の最中、僕たちは舞台袖に並んで立っている。
来賓や校長の挨拶、新入生代表の詩奈さんの答辞の最中も、会場のすべての視線は深雪さんと僕に集中している。
深雪さんは、その神がかった美貌と四葉の次期当主と言う立場ゆえに。僕は戦略級魔法師で先日、同じ戦略級魔法師の澪さんと結婚したばかりの、見た目が小さな深雪さんだから。
僕は、あるかなしかの笑みを浮かべながら、じっと達也くんの隣に立っていた。
式に出席している来賓の中には、新ソ連の北海道領海への侵攻を知っている人もいただろうけど、式は全体的に和やかに終わった。
式が終了して、達也くんの後について行こうとした僕を教頭先生が呼び止めた。
そのまま校長室に連れていかれる。校長室にはさっき講堂で堅苦しい話をしていた校長が、重厚なデスクの椅子に腰かけて待っていた。
腰ぎんちゃくの教頭先生は僕と校長の間に立った。
校長が、僕が学生の身でありながら結婚したことについて、「学生らしく勉学に勤めるように」と、ありがたい説教をしてくれた。
無表情で聞きながら、まったく、文句だけ言う人だな、と心の中で考えていたことは秘密だ。
校長室にいたのは二分にも満たなかった。
僕は、生徒会室に戻る。
達也くんは会場で片付けや清掃の手配を業者と打ち合わせをしていて不在だった。風紀委員のメンバーも、校内で仕事をして不在。
生徒会室には、深雪さん、水波ちゃん、泉美さん、ほのかさん、詩奈さん、『ピクシー』がいた。
何だか女子ばっかりだな。達也くんが自分の仕事が終わると、さっさと生徒会室からいなくなる理由が何となくわかる。
例年の恒例で、深雪さんが新入生代表の詩奈さんを生徒会に勧誘した。詩奈さんは、あっさりと了承。将来の生徒会長だ。
生徒会室では、その後、お茶会になっていた。水波ちゃんが全員分の紅茶を入れる。『ピクシー』は生徒会室の隅でサスペンドモードで座っていた。
詩奈さんと深雪さんは相性が良さそうだ。深雪さんの美貌と凛とした佇まいに魅了されている。
詩奈さんは僕にも友好的な態度、もっと言うと尊敬の念をたたえた目で僕を見る。
僕が戦略級魔法師だからではなく、歳の離れた澪さんと相思相愛の関係だってことが、詩奈さんの琴線に触れているようだった。
それに、詩奈さんは僕の異常性を目にしたことがない。もし、僕の狂気に触れた時、彼女はどのような反応を示すのかな。
ところが、親交を深めるべきお茶会は、詩奈さんの友人が無許可で『魔法』を使っていることが判明し、打ち切りになった。
深雪さんが達也くんと連絡を取り、僕たちも保健室に向かった。
詩奈さんが慌てて生徒会室を後にする。
その友人は、『魔法』の使用を見とがめられて、達也くんと幹比古くんから逃げる際抵抗した。
達也くんが取り押さえて、気絶をして、念のため保健室に運ばれたって。その友人は先日の、詩奈さんのパーティーにいない男子だった。
保健室内で、深雪さんと達也くん、詩奈さんが何やら会話をしている。友人の責任は自分がとるって詩奈さんが言っているのが、廊下にまで聞こえた。
『魔法』の自衛以外での使用は違法だって、何度も言われている。
そのルールが護られているのか疑問を抱くほど、一高内では『魔法』が飛び交っている。
結局は権力者、生徒会役員などにコネがあるかどうか…おっと、僕はそれ以上は踏み込まず、廊下に集まっている生徒会と風紀委員の中で、泉美さんと並んで立つ香澄さんに目を向けた。
香澄さんとは、登校してから話すタイミングがなかった。
香澄さんは、相変わらず達也くんが苦手で、入学式の前も後も幹比古くんや雫さんとは別行動をとっていた。
僕は大概、達也くんにくっついている。名ばかり副会長の僕に仕事がないから、達也くんの指示待ちをしているんだ。
その姿は、飼い主にじゃれ付こうとする子犬みたいで、香澄さんはあまり見たくないようだった。
保健室には騒ぎが落ち着いてから現れて、雫さんから事情を聞いていた。
今は、泉美さんと並んで雑談をしている。
保健室に運ばれた詩奈さんの友人、矢車侍郎くんは、もともと詩奈さんの護衛をしていて一高入学時に護衛の任を解かれたそうだ。
解任の理由は、詩奈さんが一科、侍郎くんが二科だって理由で察しがついた。
僕は香澄さんに近づいていく。
「香澄さん、お話と、お願いがあるんだけど、時間ある?」
「ここでは出来ない類の話ですか?」
僕の神妙な態度に、香澄さんが察する。
「そう…かな、そうだね。ちょっと聞かれちゃまずいかな」
「泉美にも?」
泉美さんは、香澄さんと会話しながらも保健室の中が気になってしょうがないみたいだ。泉美さんの深雪さんへの想いは、もはや信仰に近い。
「泉美さんは、構わないかな。でも、生徒たちには他言無用だよ。国防に関わる問題だから」
最後は声を小さくする。
泉美さんは僕の真剣な声に、少し考えて、頷いた。
一高の校庭、五分咲きの桜が春風に揺れていた。
この段階でも、久はトーラス・シルバーと、「灼熱のハロウィン」の戦略級魔法師の正体を知りません。
新ソ連が攻めてきているのに、魔法大学も魔法科高校も呑気に入学式を行っています。
この後、十師族の若手会議が開催されますが、何故か、北海道沖と日本海の戦いの話題が出ません。
日本海では一条家が、北海道では国防軍の魔法師が活躍しました。
それを素直にアピールすればいいだけなのに、
「反魔法師運動の対策に、真由美や深雪を広告塔にしては?」
なんて的外れの議論が始まります。
達也が「警察や消防、国防軍にも多くの魔法師がいて、その功績を横取りするのはどうかと思う」
と言って消極的に反対します。
克人と六塚温子が新ソ連の侵攻を知らないはずがないので、
若手会議が、いかに頓珍漢な議論をしているかわかりますね。