嬉しい限りです。ありがとうございます!
「久さん、ずっと手を握っていてくれたんですか!?」
朝日が窓から入ってくる。僕は一晩中寝ないで光宣くんの手を握っていた。僕が手を握っていると光宣くんはすごく安らかな表情になるんだ。そういえば澪さんも僕と寝ているとすやすや眠るんだよな。なんでだろう。
朝の7時、光宣くんは熟睡から目が覚めて、僕を見つめた。
「ん、僕は体質なのかあんまり眠れないんだ…」
「こんなに熟睡できたのはいつぶりでしょうか…ああ去年の3月以来かもしれません。久さんの手は安眠効果抜群です!」
光宣くんの顔色が良い。額に手を当ててみると、熱はなくなっている。
「体調はどう?熱はなくなったみたいだけれど」
「はい…劇的に良くなっています。自分でもびっくりです!」
ベッドから上半身を起こした光宣くんが僕を感激の目で見つめてくる。一晩、寝ないで看護されれば誰だって感動すると思う。
「去年、光宣くんがしてくれたことのお返しだし、『家族』だから、気にしないで」
「はい、それでもありがとうございます」
凄まじい笑顔だ。僕が女の子なら一目惚れしちゃうよ。
朝食は家族用の食堂でいただいた。ごくごく普通の朝食だったけれど、光宣くんはお代わりをするほど食べている。完全に回復したみたいだ。光宣くんは意外と健啖家で、そこは僕と同じだ。
九島家のお手伝いさんたちは光宣くんに対して、腫れ物に触るように行動する。すこし恐れているみたいだ。光宣くんは僕たちには丁寧だけれど、それ以外の人には必ずしもそうじゃないんだ。お坊ちゃんだからなぁ。
食後、そのお手伝いさんが騒然としていた。なにがあったのかと思ったら、烈くんが帰宅したんだって。予定外の帰宅で九島家の緊張が高まっていた。
当主の真言さんがいるのに、この慌てぶりは…烈くんの影響力が絶大なんだ。
僕たちは光宣くんの部屋にいたんだけれど、しばらくしてドアをノックする音がして、僕がドアを開けるとスーツ姿の烈くんが立っていた。相変わらず背筋をまっすぐ伸ばして、ゆっくり部屋に入ってくる。
光宣くんの部屋は窓を開けて、春の空気を一杯に入れている。もう病人の部屋じゃない。
「おはよう、烈くん」
「おはよう、久。光宣も…ん?今朝は顔色がいいな」
「おはようございます、お祖父様。久さんが寝ないで看病してくれたおかげです!」
「そうか…ありがとう久、光宣の笑顔を見られて私も嬉しいよ」
烈くんは魔法師界の重鎮だけれど、光宣くんの前ではただの祖父と孫の関係だ。光宣くんの
元気な姿に喜んでいる。家族っていいな。
「ふむ…午前は研究所に用がある。午後も用事があるが…昼は一緒にどうかね?奈良駅近くのホテルで美味しいでも食べないかね?」
烈くんはご機嫌だ。僕も美味しいものを食べられるなら一も二もない!
「奈良駅なら、そのまま東京に戻れるね」
「ふむ、帰りのリニアは私が手配しておこう」
烈くんにだいたいの時間を教えてもらう。東京駅に警備担当を呼ばなくちゃいけないから時間は前もって知る必要がある。十師族は大変だなって以前は思っていたけれど僕もだいぶ慣れてきた…
光宣くんは僕が帰るって聞いてすこし寂しそうだ。
「それまでどうしようか。烈くんの書斎で時間を潰す?」
実は光宣くんも21世紀前半のサブカルチャーに詳しいんだ。烈くんの秘密部屋に入室許可を貰っているのは僕と光宣くん。澪さんも許可を貰っているけれど、生駒に来たことがないから、今度一緒に来れたら良いな。きっと驚いて数日引きこもるよ。
「それもいいですが、少し外の空気を吸いませんか?久しぶりに体調が良いので外に出たいんです」
光宣くんは僕や澪さんと違って引きこもりじゃない。
九島家のある生駒は大阪と奈良の中間でどちらも10キロ程度の距離なので簡単に行けるといわれたけれど、僕は混雑が苦手だから。
「久さんは史跡や観光地はご存じないんでしたよね」
「うん」
去年、九島家にいた時は受験勉強や体調不良で近所を散歩する程度だった。
神社仏閣のことは知らない。それどころかこの国の歴史すらまともに知らない。
「法隆寺すら知らないんだよね…」
日本で最古の木造建築すら知らない…昔は研究所と戦場、今は一高と引きこもりな僕は、知識がかたよっている。
「そうですね…車で30分弱ですし、意外と観光客は少ないので斑鳩周辺を散策しましょうか」
光宣くんの提案で、午前中は斑鳩を散歩することになった。
お馴染みのリムジンで20分ほど南下して、竜田川の緑地で降りる。土と緑の香りが鼻腔をくすぐる。
竜田川から法隆寺の周辺は考えていたより田舎だった。田植え前の水を張った水田が綺麗で、新緑に抱かれた古い木造のお寺が点在していて落ち着く。
日曜でもまだ早い時間だからなのか、観光客どころか地元の人すらあまりいない。
21世紀前半の大陸からの観光客が騒がしいと言うイメージがあったので驚いた。あぁそうか人口減少しているんだった。
お寺の中には入らないで、舗装されていないなだらかな小道を歩く。春風が心地いい。一高のあるあたりや僕の自宅の練馬も都心に比べれば緑が多いけれど、斑鳩はコンクリートの建物が全然ない。日本人の精神の原点ちかくにいるんだなぁって何となく考えてしまう風景だ。少し離れて護衛の魔法師もいるけれど、僕たちの視界に入らないように気をつけてくれている。
僕はいつも通りとてとて歩いているけれど、光宣くんは周囲を少し警戒しながら歩いている。
「何か気になることがあるの?」
「奈良や京都の有名寺院の周囲には九島家を敵視する古式の術者が住んでいるんですよ」
「え?そんなところに来ても平気なの?」
「大丈夫ですよ、彼らの敵愾心なんて、ただの虚勢です。本格的に襲ってくることなんてありません。手を出したら最後滅ぼされるだけですから」
光宣くんが怪しく笑った。そのときは自らの手で滅ぼすってその笑顔は言ってるね。光宣くんは絶世の美少年だけど、その思想は九島家に染まっている。敵対組織は容赦なく潰すのは当然だ。僕も賛成する。
「嫌がらせはあるって事?蚊を追い払うみたいなもの?」
「ええ、多少薬をまいておけば何もできません。そんなことは気になさらないで散策を楽しみましょう」
光宣くんはすごく楽しそうだ。昨夜まで寝たきりだったから、体調が回復して外を歩けるだけでも嬉しいだろうな。僕や澪さんにはよくわかる感情だ。もっとも僕も澪さんも引きこもりだけど…
お寺や史跡について質問すると詳しく説明してくれる。呪文みたいな神様の名前や由縁がすらすらでてくる。話をすること自体が楽しいみたいだ。
でも一時間も歩くと、僕の足運びは怪しくなった。
「あっ、お疲れですか久さん、すみません僕が長々と話つづけてしまって」
「うぅん、楽しいからいいよ。でも、光宣くんは僕より体力があるなぁ…僕がなさすぎなんだけど」
「僕は体が弱いわけではないので…」
「そこが僕や澪さんと違うんだよね」
「五輪澪さんには同情以上に気をかけていただいてしまって恐縮です」
「澪さんにとっては僕も光宣くんも弟みたいなものなんだよ」
遊歩道の木で出来たベンチで休憩をした。喉は水筒で潤す。今はエコの時代なんだ。自販機なんて田舎には繁華街にしかない。
普段東京にいると感じられない、自然を体感できて、思わず深呼吸をしてしまう。光宣くんにはわからない感覚だね。
ベンチで休んでいると、猫が一匹、僕に近づいてきた。三毛猫だ。目を閉じて泣き声もあげずとぼとぼと歩いてくる。野良猫?お腹空いているのかな…ああそうか水が欲しいんだ?
僕はそっと水筒の水を手のひらに溜めて、猫の口に近づけた。猫はゆっくり近づいてくる。
光宣くんが僕の動きに気がついた。
「…え?その猫はいつ…久さん!駄目ですあぶない」
光宣くんの警告と同時に、猫のサイオンがいきなり膨れ上がった。閉じられていたまぶたが開く。がらんどう…真っ暗だった。
小さな猫の牙が怪しい黒色に濡れている。鉛色のよだれを垂らして…いや、毒だ。
ぐわしっ!
僕は牙をむく猫を無造作に、がしっと頭を包むように捕まえた。
猫は逃れようとぶらぶら暴れている。頭を万力のように握っているけれど、鳴き声は上げない。冷たい…体温がない。死んでいる?猫のぬいぐるみみたいだけれど、奇妙なさわり心地だ。
「え?久さん!触っても…大丈夫なんですか!?」
「何が?毒?うん、全然平気だよ」
「牙だけでなく、体表にもなんらかの術がかけられていますが…流石ですね」
僕は『サイキック』で手のひらに空間の膜を作っている。紙よりも薄くて、リーナさんのプラズマすら通さない空間の裂け目。こんな毒や術が届くわけがない。
光宣くんがブレスレット型のCADを操作した。僕の手の中で暴れていた『猫』が大人しくなる。魔法で凍らせた…いや、一時的に仮死状態にしたみたいだ。『猫』がぐったりと身体を垂らす。
僕はゴミを捨てるように、ぽいって『猫』を地面に捨てる。慈悲のかけらも感じられない行動だけれど、光宣くんは何も言わない。むしろ当然といった顔だ。
「なにこれ?」
「わかりませんが、古式の術者が使う『使い魔』のようです。帰ったら詳しく調べてみましょう」
「魔法を使ってもこのあたりはセンサーとかないの?東京だと死角がないくらいセンサーだらけだよ」
「ここは田舎ですし、人も少ないので繁華街以外にはあまりセンサーの類はありません。古式の術者や寺院が多いですから、あまり行政も設置ができないようです」
「これはどこの組織かな、ちょっと滅ぼしに行こうか」
近所に買い物に行こうか、みたいな気軽な意見だけれど光宣くんも気持ちは同じみたいだ。
「それも調べてみないとなんとも…嫌がらせにしても手が込んでいますね。古式の術者たちの間でなにかあったのかもしれません」
「気をつけてね。その組織を潰すときは僕もお手伝いするよ」
「はい、お願いします」
怪しい妖気みたいなものを放って薄く笑う光宣くんは、僕と同じで人殺しに禁忌を感じていない。
光宣くんは警護の人に『猫』を回収するように命令している。その姿は命令することに慣れている。光宣くんも『九島』なんだと実感する姿だった。
光宣くんは楽しみながらも散策に水をさされてちょっと不機嫌だ。色々と考えているみたいだったけれど、こんどは僕の方が積極的に話しかけて『使い魔』の事は一時的に思考から除外したみたいだ。
僕は『使い魔』や猫のことなんてさっぱり忘れている。
烈くんから連絡があったので、その後は奈良駅前のホテルでお食事をいただいた。少しマナーにも慣れてきて、ゆっくり食事を楽しむことが出来るようになっていた。
食事後、烈くんが手配してくれたリニアで東京に向かう。
別れ際の光宣くんはすごく寂しそうだった。また遊びに来るし、九校戦でも会えるよって分かれた。
リニアはまた個室だった。まぁセキュリティもあるからいいんだけれど…
リニアの建設は21世紀前半に始まって、当時は夢のような計画だったけれど、大阪までつながるとは…
それにしてもトンネルが多い。
コンコンッ。
しばらくして個室のドアがノックされた。なんだろう、車内サービスは頼んでいないけれど…
ドアの小窓を開いて通路をのぞくと、つるっと光る頭がいた。驚いたけれど、あの頭の知り合いは一人しかいない。
「九重八雲さん」
「こんにちは、多治見久君。すこしご一緒してもいいかな」
この状況じゃ嫌ともいえないよね。内側からの電子ロックをはずすと、八雲さんが音もたてずにドアを開けて個室に入ってきた。
いつもの飄々とした風体で、目立つようで目立たない作務衣姿。細められた目は、一見柔和だけれど座っている僕を見下ろして何か考えている。落ち着かないな…
「どうぞ座ってください」
勧められるまま、向かいの座席に腰をかける八雲さんは、決して僕から視線をはずさない。
警戒しているのかな…?
「こんにちは、凄い偶然ですね。ひょっとして聖地巡礼の帰りですか?」
「いやいやいやいや、それもしたいけれど、いつもの情報収集だよ」
「何か気になることでも?」
「九島家が先月、戦闘用人型機械を4体購入して、今日になって12体も追加注文した情報を耳にしてね、ちょっと気になったんだ」
4体…あぁ研究所にあった、『パラサイト』を宿したロボットか。
どこからそういう情報を仕入れてくるのか、家電以上携帯以下の僕には謎で仕方ない。
「そうですか」
「知覚系魔法を開発しているはずの九島家がどうしてロボットをって、気になるだろう?」
「男のロマンなんじゃないでしょうか?十六神合体っ!」
「…情報収集は忍びの道だけれど、流石の僕も九島家に忍び込むことは出来ないからね、久君なら何か知っているんじゃないかなって」
僕が九島家に行っていた事も知っているんだ。じゃぁこのリニアに乗ったのも僕に会うためか。
「僕は光宣くんのお見舞いに行っただけですし、探知系の魔法はさっぱりですから」
「うーん、久君は自分が考えているより重要な立場にいるんだけれどね」
「僕はぎりぎり一科生を保っている劣等生ですよ?少し魔法力が強いだけです」
「少しねぇ…久君、普通の魔法師は九島家に玄関から堂々と訪問なんて出来ないんだよ」
剃りあげた頭をぺちぺち叩く、八雲さん。
『家族』を訪ねるのに困難もなにもないと思うけれど、困ったなぁ。烈くんのしていることは僕も知らないのに、八雲さんは僕から情報を引き出そうと話を長引かせようとしている。
「本当は、八雲さんは僕に聞かなくても知っているんでしょう?九島家に忍びこめなくても、研究員は九島家に監禁拘束されているわけじゃないんだから」
八雲さんの細い目が鋭くなった。狭い個室がさらに狭くなった気がした。
「まいったな…ただね、情報は複数から総合しないと。人型機械で何を造ろうとしているのかは分かっても、それで何をしようとしているかまでは分からないだろう?」
「八雲さんが分からないことを僕が分かるわけないですよ」
「『P兵器』という言葉に聞き覚えはないかい?」
「移動後使用可能の兵器のことですね、ビームサーベルとかストナーサンシャインとか。やっぱ背後に回りこんで攻撃したいですよね」
「その二つじゃ威力が違いすぎるよ。僕的にはバーグラリードッグで雑魚を掃討…いや、スパロボの武器属性じゃなくてねぇ…」
八雲さんは僕がぼけると的確に突っ込みを入れてくれるね。
僕は窓の外の流れる景色に目を向ける。今はトンネル内で景色は当然真っ暗だ。リニアは振動がないから、凄い勢いで後方に流れている警告灯がないと只の暗闇に止まっているみたいに感じる。斑鳩の田園風景は綺麗だったなぁ。
今、ガラスに映った僕の顔は無表情になっている。こういうとき人形のような顔は有利だ。あの『P兵器』と同じで感情を読み取ることは出来ない。
同じようにガラスに映る八雲さんが僕をじっと見ている。
僕が答える気がない事を察したのか、八雲さんは向かいの席から立ち上がった。
「そうか…お邪魔しちゃったね」
その背中は少し寂しげだ。ちょっと演技臭いけれど、僕はその背中に向かって、
「ねぇ八雲さん、情報が欲しかったら只でってわけには行かないと思いませんか?」
八雲さんが振り向いて、少し考えてから答えた。
「お金が欲しい…わけないよね、君は大金持ちだ」
僕の口座の残高も知っているのか…情報収集がお仕事とはいっても少し人のプライバシーに踏み込みすぎじゃないだろうか。
「烈くんが何をしようとしているかは、少し気になります。でも、知らなくても良いことだとも思います」
「じゃぁ、それがわかったら教えるから、久君も僕が知らない情報を教えてくれるかな」
今度は僕が少し考える。
「響子さんのスリーサイズは教えられませんよ」
澪さんと響子さんは料理は手伝ってくれるけれど、それ以外の家事は苦手なんだ。自宅では洗濯は僕がしている。当然、下着類も。痛まないようにちゃんとネットに入れて洗っているから、二人のサイズは知っているんだ。尽くすにも程があるけど、炊事洗濯掃除、全部楽しいから良いんだ。
「それは!?…情報料は高そうだね…」
「澪さんのスリーサイズはもっと教えられません。ばれたら半日正座させられます」
「う…ん『すこやん』のプレッシャーはトラウマになるからね」
怒ったときの澪さんは、それはもう怖い。
八雲さんが個室から出て行って、僕はトンネル内の暗闇をしばらく見つめる。
今回の八雲さんとの遭遇は、僕の八雲さんに対する考えを少し改めさせた。
警察でも探偵でもないのに、忍びだからって何でも知ろうとするのはやりすぎだよ。
調べて知った情報を誰にも漏らさないなんてことは…ないだろう。
僕についてもどこまで知っているのか。『高位』の事は知らないはずだけれど…
好奇心は猫を殺す。
イギリスのことわざだったかな。斑鳩で僕は『猫』を捕まえたけれど、すでに死んでいた。あれは殺したことになるのかな?
古都内乱編の達也と光宣の『管狐』の話を読んでいると、光宣もパラサイドールの開発に関わっているみたいですね。光宣も九島の人間だなって思います。
今回の『猫』事件で、『管狐』のことを詳しく調べて、パラサイトの培養方法を思いつく…と言う伏線です。
久もパラサイドールの開発には肯定的です。魔法師を戦場から解放するひとつの手段になるのですから。
達也もパラサイドールの開発自体は否定しないはずです。九校戦を実験場所にされたことを怒っているのですし。
烈がパラサイドールをわざわざ九校戦に投入したのは、達也と戦わせて性能をチェックするためです。達也は深雪の事以外で私闘なんてしないでしょうから、危険ですが九校戦を利用した…という流れです。
パラサイドール事件のときの九重八雲の動きは奇妙ですね。なぜあそこまで深く関わろうとしたんでしょうか…九校戦が実験の舞台になっても八雲には特に被害はないのに。まるで達也をパラサイドールと闘わせる手助けをしているみたいです。と深読みをしているんですが、穿ちすぎですかね?