パープルアイズ・人が作りし神   作:Q弥

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香り

『現代魔法』はれっきとした科学技術、それも高等科学だ。

だからファンタジーのように「ちちんぷいぷい」や「ちんからほい」「ぴぴるまぴぴるまぷりりんぱぱぱれほぱぱれほどりみんぱ 」とミンキータッチで呪文を唱えても変身は出来たりしない。

だから、勉強は、とっても大切だ。

僕は勉強は苦手で、でも赤点を回避するだけの学力はある。義務教育すら受けていない子供が、高校の勉強に曲がりなりにも着いていけているのだから、勉強が苦手と言うより、集中力不足で覚えられないと言うのが正解なんだけれど、とにかく留年するほど頭は悪くない。

 

本来、生徒会役員は成績上位者がなる…

 

僕は名前だけの副生徒会長になった。名前だけって話だったんだけれど…

 

「仮にもお兄様と同じ生徒会役員が成績不振なんて許されません」

 

って、生徒会長様がノタマウ。ドユコト?話が違いませんか?

大体、魔法科なんだから、魔法大学のように『魔法』に関する授業だけすれば良いのに、なんで一般教科なんてあるのだろう。高校卒業の資格に国が決めた必須履修教科があるのは理解しているけれど、物理や数学は、『魔法』に通ずるから良くないけど良いとして、英語の文法とか習っても意味無いよ。僕は英語は日常会話なら出来るよ。

数学だって「さいんこさいんたんじぇんと」って何の呪文?極めると変身できるの?

こんなの習って将来何の役に立つの?と普通の高校生が良く考える現実逃避を、僕も同様に虚空に向かって訴える!

 

でもまぁ、一般科目は端末を使った、実質自習みたいなものなので、集中力のない僕は数十分もすると別の思考、つまり今考えていた呪文について考え始める。魔法少女モノの場合は呪文よりも魔法のステッキの方が重要だよなぁ。アレが無いと変身出来ないって事は、あのステッキはCADなのかな?「ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ~」「ぴりかぴりららぽぽりなぺぺると…

 

ごごごごっ

 

僕の手が止まって思考があさっての方向にずれ始めて数秒後、右隣の席から生徒会長の氷のプレッシャーが放たれた。

いっいえ考えていません。魔法の呪文なんて考えていません。授業に集中しています。

『現代魔法』は科学技術のはずなのに、冷たい視線を物理的に感じられるのはオカルトなのでは…オカルトと言えば…あっはい、授業中にレポート提出できるようにがんばります。

ふえーん。

 

深雪さんの10日がかりの説得で生徒会入りした僕が、副会長として初めて生徒会室に入ったのはこの日、10月6日土曜日の放課後だった。

午前中、僕にプレッシャーをかけ続けた(いや、僕の集中力がないのが悪いんだけれど)深雪さんは、達也くんと水波ちゃんと合流してから来るって、僕を先に生徒会室に向かわせた。

半日授業なのに、恐ろしく疲れた…深雪さんの『精神攻撃』は僕の天敵だとあらためて実感したよ…

 

生徒会室には副会長の泉美さん、会計のほのかさん、入り浸っている風紀委員の裏番長・雫さんがいた。今月28日には京都で論文コンペが開催されるけれど、九校戦ほどは生徒会は忙しくはないから全員のんびりしている。少なくとも、猫よりまし程度の僕の事務処理能力に頼るような状況にはまったくない。

 

生徒会室は、紅茶の香りがしていた。とても落ち着く香り…

『ピクシー』が淹れたのかな?『ピクシー』は人形のように命じられたままの行動をして、用のない時は部屋の隅でじっとしてる。基本的に達也くんの命令しか聞かないけれど、お茶を淹れるくらいは生徒会メンバーの指示に従うそうだ。僕の分も淹れてくれる。紅茶は雫さん持込のとても高級な茶葉だ。『ピクシー』は丁寧に、手順を守って、僕にお茶を運んでくる。

機械の身体の『ピクシー』に表情はない。でも、僕に向ける視線は敬意に溢れている。周公瑾さんと同じ目だな…

 

達也くん達が来るまでの間、ほのかさんが生徒会の事務の方法やワークステーションの使い方を教えてくれた。

 

「試しに、これをタイプしてみて」

 

「上上下下左右左右BA…」

 

ほのかさんに言われるまま試しに挑戦したけれど、上上下下左右左右B…ビー、ビー!ビープ音。こんな簡単なコナミコマンドも入力できないとは…しょんぼり。

ほのかさんは励ましてくれるけれど、機械音痴の僕は、みんなの足を引っ張るだけだな。

端末のレクチャー中、ほのかさんは僕にぴったり寄り添っていた。でも、豊かな胸を押し付けてくる事はなかった。いつも喫茶店や帰り道で、達也くんにむにむに押し付けているあの動作は、意図的なものなんだな…なんて事を考えるから、またしてもビープ音。くすん。

泉美さんのジト目が背中に痛い。その目は、同じ副会長として、選任してくれた深雪さんの期待を裏切るなんて冒涜ですわっ!って言っている。視線が槍になって背中に刺さる!うぅ、ごめんなさい。

槍衾になる前に撤収しよう。このままだと足を引っ張るどころか仕事を増やすことになる…後は料理部の部活をするつもりだ。僕が座席から腰を浮かしかけた時、

 

「みんなそろっている?」

 

生徒会長の深雪さん、書記長の達也くん、書記の水波ちゃんが一緒に生徒会室に現れた。書記長が何の役職なのか不明だけれど、旧ソ連では最高指導者を意味する役職だから、多分生徒会の裏番長なんだと思う。

深雪さんが部屋にいるだけで、空気が変わる。部屋にいた女性陣の色々な感情が室内に渦巻く。同時に、達也くんにもほのかさんの強烈な感情が向けられる。深雪さん、雫さん、水波ちゃん、泉美さんの態度がそれぞれ微妙になる。毎日こんな雰囲気なのかな、この生徒会は…

その達也くんが、深雪さん、水波ちゃんと共に私用の為に今日は早退すると告げた後、雫さんに、

 

「雫、ほのかをしばらく泊めてやってくれないか?」

 

唐突に言う。相変わらず前置きがない。でも、能面のような無表情に、心配の気配を感じる。

 

「ええっ!?」

 

ほのかさんが、目に見えて動揺する。ほのかさんは感情の幅が広い。その中でも恐怖に対しては敏感だ。

 

「実は昨日、駅を降りたところで何者かに襲われた」

 

達也くんの言葉に生徒会室が色めき立った。僕以外は、だけれど。

 

「そんなっ!お怪我はありませんでしたかっ!?」

 

泉美さんが大きな声を出して、視線を深雪さんに向けた。勿論、深雪さんに怪我があるわけがない。達也くんが側に居たんだから。

襲ってきたのは『古式魔法師』で現在は警察が取り調べているそうだ。問題は、個人が狙われたのか一高生徒が狙われたのか不明と言うこと、らしい。

ほのかさんの表情から血の気が失せる。寄り添う雫さんも眉をひそめる。二人は、基本的に荒事には耐性が低い。日常の学生生活ならなおさらだ。それにしても、理由と原因を後から付け足す言い回し。達也くんはわざと前置きをしないのかもしれない。ほのかさんは、達也くんに依存しているから説得に手こずると、ちょっと面倒だ。先に結論を言ってしまって、反論を許さない状況に追い込んでいるのかもしれないな。達也くんも、ほのかさんの存在には戸惑いがある。

泉美さんは『七草』としては、落ち着いている。その点は次期生徒会長にふさわしいけれど、関心の殆どが深雪さんに向いているから、深雪さんに関わるとちょっとポンコツになる。

そんなやり取りを横で聞いていた僕は…

 

達也くんは、嘘をついている。達也くんたちが狙われたに決まっている。

 

最初から、そう心の中で思っていた。一高生徒の誰でも良いのに、達也くんたちを狙うなんて、一番やっちゃいけない選択だ。どんな馬鹿でも、一高生徒の情報は少しは調べてから襲うだろう。

一般生徒で一番標的になりやすいのは、前生徒会長のあーちゃん先輩だ。あーちゃん先輩は『魔法師』としては優秀だけれど、戦闘能力はない。一高の情報を現生徒会長の深雪さんより熟知しているし、なんと言ってもナンバーズじゃない。

現生徒会役員を狙うのなら、ほのかさんが格好の獲物だ。雫さんがいつも一緒だけれど、雫さんと違って自宅には警備の者はいない。アパートに一人暮らしをしているそうだから。

泉美さんは一高前駅以降は護衛が付くし香澄さんもいる。そもそも『七草』を狙うなんて、相手はかなりの組織か相当の恨みを持つ人物になる。そうなると『七草』の情報網にすぐにかかるから、襲撃そのものが起きない。

名前だけでも副会長の僕も、一応は標的の一人かもしれない。でも、僕を狙うのは、計画そのものが間違っている。僕の周りは警護の目だらけだ。今は世間の目もある。下手をすると魔法協会どころか国が動くし、国民全員を敵にするかもしれない。おかげでSS的に物凄く動かしにくくなっている。結構、困っている(誰が?)。一高と自宅の往復だけの生活では事件は起きないのだ。

そう言えば、今日は響子さんが休暇で、生駒の九島家に帰省している。冠婚葬祭でもないのに唐突の帰省だ。以前、達也くんに烈くんへの繋ぎを依頼されて、響子さんに頼るようにアドバイスしたことがあった。もしかしたら達也くんたちは、これから奈良に向かうのかもしれない。

響子さんも達也くんも、僕に事情を話そうとはしなかった。だからこれは僕が立ち入らない方が事が上手く行く類の案件なんだ、と思う。もちろん、協力を請われればなんだってするけれど、僕の出来ることなんて破壊か殺人くらいだ。それも被害が大きくなる。現場が混乱する。今回の案件は、混乱を避けることが重要なんだろう。『戦略級魔法師』として、世間に認知されている僕は暗躍には向かない。『戦略級魔法』はそもそも抑止力だ。

 

まぁ、『魔法師』じゃない方の僕なら、暗躍、特に暗殺は得意だ。無関係の殺人も全くためらわない。

 

達也くんが、幹比古くんにも、同じ警告をしに行って来るって、泉美さんに告げて、生徒会室を後にした。風紀委員長の幹比古くんは講堂で論文コンペの主宰である五十里先輩の警護をしている。

達也くんが標的なら、親しい友人であるレオくん、エリカさん、美月さん、幹比古くんが危険だし、論文コンペ代表者が標的なら五十里先輩と、特にあーちゃん先輩の警備の増強が必要だ。

深雪さんと水波ちゃんも達也くんの後を追う。僕も生徒会室にいても邪魔になるので泉美さんに一言お詫びをして廊下に出た。ほのかさんの留守番の子犬みたいなウル目が印象的だった…

 

「あれ?」

 

深雪さんと水波ちゃんが、何故か達也くんに着いて行かず、生徒会室の前に立っていた。

生徒会室の扉を閉めて、部活に向かおうとする僕をじっと見つめている。

 

「久にも話があるの」

 

生徒会室じゃ言えない話なのか。生徒会長の深雪さんではなく、『四葉』の深雪さんの話し、かな?僕は無言で頷いて、深雪さんの後ろをとてとて歩く。水波ちゃんは、相変わらず僕と並んで歩こうとはしない。

僕と深雪さんは、人気のない、中庭のベンチに腰掛けた。ここは、僕が初めて達也くんに会った場所だ。部活動の時間、ここを利用する生徒はまれだ。

水波ちゃんはどう説得しても座ろうとしないで、微妙に深雪さんを周囲の視線から隠す位置に立った。

 

「久も気をつけてね」

 

「どうして?」

 

僕は巻き込まれ体質だけれど、『戦略級魔法師』を襲う組織がそんなにいるとも思えない。

 

「昨日の襲撃者は、どうも九島家と敵対する『古式魔法師』だったらしいの…」

 

「九島家の?それがどうして深雪さん達を狙う…あぁ、ひょっとして烈くんに何か協力をお願いしようとしているから?」

 

「お兄様から聞いているの?」

 

「内容までは知らないけれど…九島と敵対する…『伝統派』とか言う『古式魔法師』の組織が幾つかあるらしいね。僕も春に奈良で襲われたことがあったよ」

 

「え!?」

 

「正確には、僕は巻き添えだけれど…東京と違って、奈良は街頭センサーがあまり無いから、古いお寺や道場の『魔法師』同士のいざこざは結構あるんだって。九島家は、結構憎まれているみたい。そのせいなのかな、深雪さん達が狙われたのは?」

 

「…わからないわ」

 

少し、考えて、言いよどんだ。これは、僕には言えない事情があるのか…達也くんが許可しない限り、僕を巻き込まないようにとの配慮かな?

生駒に行くなら光宣くんとも会うことになる。深雪さんと光宣くん。この二人の邂逅はぜひとも立ち会いたいけれど、これから奈良に行くなら、今夜は奈良泊まりになるな。

明日、奈良で何か事件が起きるのかも…でも僕が立ち入って良いことなんだろうか。僕の協力が必要なら、達也くんは正面から言ってくるだろう。

あっ、そうだ。光宣くんが『パラサイドール』の術式を狂わせた大陸の術者の逃亡を手引きした人物の捜索をしているって言っていたな。

光宣くんに電話してみようか。僕にも何かできるかも。

 

「レベルは低かったから、深雪さんの敵じゃないと思うけれど、『伝統派』は個々人の思惑でばらばらに動くみたいだから、深雪さんも気をつけてね」

 

僕は深雪さんに警戒を促す。まぁ達也くんがいるから心配はないと思うけれど…

 

「ええ、気をつけるわね」

 

深雪さんが立ち上がって、水波ちゃんが丁寧に頭を下げて去っていった。深雪さんはちょっと早足だ。少しでも達也くんと一緒に居たいんだろうけれど、ちょっと過剰だよなぁ。二人の『意識』はつながっているんだから、距離なんて関係ないのに。それが恋心なのかもなぁ…僕にはわからない感情だ。ん?妹だから恋も変だな。乙女心?それも違うな。だって深雪さんは乙女じゃなくて淑女なんだもの(達也くん言)。

 

中庭はすっかり秋の気配だ。流石に紅葉には早すぎるけれど、空気は乾燥していて空が高い。

一高の白い制服が秋の日差しに温められて心地良いな。

初秋の風の香り…香りか…昔は香りだの匂いだのは嫌いだったな。

多治見研究所での回復力テストで、電話ボックスくらいの密閉された小部屋に入れられて、呼吸マスクから細菌やらウィルスやら毒ガスを吸わされた事があった。毒ガスは臭くて、即症状が出たけれど、病原菌はじわりじわりと効果が現れて苦しかった。僕の悶える姿を研究員は笑って見ていたっけ…あの実験でいくつかの抗生物質が開発されたとか、人類に貢献したとか言われたけれど、僕の身体で作られた薬は僕自身には効かない…馬鹿な話だな。

ふと、右手の薬指の指輪を見る。そっと左手で指輪を撫ぜる。今の僕は、幸せだな…

一人ベンチに残った僕は、うとうとし始める。部活に行かないとだし、このままだと嫌な夢を見る。多分、ガス室の夢だから起きてないと…

澪さんと響子さんと一緒に住むようになったおかげで嫌な夢を見ることはほとんどなくなっている。まぁ、同じベッドで横になっていても僕は目を瞑っているだけだけれど、そういえば以前ちゃんと眠ったのはいつだったかな。ここの所、いろいろあったから生活のリズムが狂っている。いくら眠らなくても平気な体質でも、1週間睡眠をとらないと精神が参ってしまう体質でもある。本当に中途半端で、へなちょこだな…

校内だからって警戒を緩めてはいけないけど、でも…眠いや。今、誰か隣に座られても、いきなり鼻でもつままれないかぎり、気がつかないかも。ベンチに座ったまま、船をこいでいた僕の上半身が次第に傾いて、やがて、ずるるっと横に倒れた。

頭をベンチに打つかなぁと思ったんだけれど、意外な柔らかいモノに頭が乗った。何だか頭の収まりが良い。それに、花の香りがする。良い香りだ。この香りに包まれてなら眠っても嫌な夢を見なくても良さそうだな…

でも、上半身だけ横になっていると、ちょっとお腹が苦しいから僕はその柔らかいモノによじ登るようにしがみつく。

 

「あっん」

 

ん?何の音だろう…一高指定の靴は重いな。靴脱ぎたいな…両足をぎこちなく硬いベンチに横たえる。僕は余分な肉が無いから、硬いベンチと足の骨がごつごつあたって痛い。

気だるい…柔らかいモノに顔を埋めたまま、少しでも心地良い体勢になろうと、うごめく。花の香りは鼻腔一杯に広がっている。それ以外の香りもするな…何だろう。

 

「ちょっ、久せんぱぁっあ!」

 

ん?柔らかいモノがもぞもぞと逃げるように動く。僕は動く枕を逃すまいと、両手をまわして抱きしめた。

 

むにゅ。

 

「ひゃっうん!」

 

むにゅむにゅ。

 

「らめっ…んぁああ」

 

むにゅむにゅむにゅ…寝心地良いな…でも、この枕は時々びくんって跳ねる。

低反発素材にしては、温かいし…おかしいな。

うぅん、この感触には覚えがある。僕はぼーっとした意識で考える。あっそうか、お馴染みの感触だ。少女と女性の中間の体型の澪さんの胸…いや太ももの感触。でも、澪さんとは香りが違う。ちなみに響子さん枕はすごく柔らかい…

 

「あっ…れ?」

 

僕は柔らかいモノを抱きしめたまま、顔だけ上に向ける。寝ぼけ眼の視界に、僕を覗き込む、真っ赤な顔があった。

 

「ぁ…香澄さん?」

 

「おはっおははぁ、おはようございます、久先輩っ!」

 

香澄さんの胸と顔が物凄く近い。吐息がかかるくらい、近い…目の前の香澄さんのまつ毛まで数えられる。香澄さんの瞳の中に僕の寝ぼけた顔が映っている。

 

「香澄さんの…」

 

「え?」

 

「香澄さんのまつ毛…長いなぁ…すごく綺麗な瞳だ…」

 

「ふっえええええ?」

 

香澄さんの耳が、目に見えて赤い。熱そうだ。僕は抱きしめていた両腕を離して、仰向けになった。あっ、体勢がすごく安定した。僕の後頭部が香澄さんの太ももの隙間にすっぽり収まる。

 

「香澄さん、耳、赤いよ、ぷにぷに」

 

半分寝ている僕は、腕を上げると、香澄さんのグミみたいな耳たぶをぷにぷにした。

 

「ひゃはわぁわぁわああぁ」

 

香澄さんの言語が崩壊している。ボーイッシュな香澄さんの髪型は短くて、表情がはっきりとわかる。真っ赤で、泣きそうで、でも、どこかにやけ気味な…表現の難しい表情だ。

花よりも甘い香りが、周囲に広がっている…気がする。甘い甘い、ハチミツのような、幸せな香り…

 

「あ…れ?香澄さん…膝枕…?」

 

ああ、この香りは香澄さんだったのか。やっと気がついた。名前と違って、少し生々しい、でも落ち着く香りだ。

 

「はっい、風紀委員で見回りしてたら、ひさっ久先輩がうとうとしていたので、このままだと悪夢を見られるから、可愛そうだって、思って、思ったから、起こすのも駄目だし、『戦略級魔法師』として重圧があるんじゃないかって思うし、そのまま休まれたらいいって…」

 

しどろもどろだけれど、言わんとしている事は半覚醒状態の僕の頭でもわかった。

秋の日差しに、僕はすこし汗ばんでいた。香澄さんも。香澄さんと違って、僕の髪の毛は長いから、数本が顔にまとわりついて邪魔だ。

香澄さんが、僕の顔にかかる長い髪の毛をそっと除いてくれた。眠い…でも…仰向けだと、日差しが少し眩しい…

 

「眩しいですか?」

 

今日の香澄さんは、男の子っぽい口調じゃない。すごく女の子だ。素の女の子。香澄さんが上半身をかがめる。僕の顔に香澄さんの影がかかった。日差しが遮られる。

お互いの顔が、物凄く近い。香澄さんの赤い顔から熱を感じる。僕の顔に乗った香澄さんの胸から、激しい鼓動も感じられる。どくんどくんって。

秋の日差しよりも、暖かいな。睡魔が、そのまま眠れって囁いて来る。

 

「香澄さん…眠たい…」

 

「良いですよ、このまま寝ててください」

 

「ありが…と…」

 

柔らかい太ももに頭を乗せて行儀良く寝ていたけれど、身体をちょっとだけ動かすと髪の毛がはらはらと顔にかかる。香澄さんはそのたびに髪の毛を払ってくれた。

 

「ぷにぷに。えへへ」

 

僕の耳たぶを、香澄さんがぷにぷにしている…すごく、気分が良い。僕は夢も見ず、深い眠りに落ちていた。

 

僕が目を覚ました時には、日が暮れ始めていた。ざっと4時間は眠っていた事になる。その間、香澄さんは膝枕の体勢を保ち続けてくれたんだ。

僕は身体を起こして、香澄さんの隣に座りなおした。秋の夕暮れ、空気が冷たいけれど、身体は温かかった。ひょっとして、香澄さんは僕を抱きしめていてくれたのかな…

 

「すっかり眠っちゃった…ありがとう香澄さん。すごく熟睡できた」

 

「うん、顔色もいいですよ」

 

顔色が悪く見えたのは、午前中の授業の疲れだと思うけれど、もう下校の時刻だ。香澄さん、見回りさぼっちゃったね。あ、口調が男の子モードに戻っている。

 

「香澄さんには迷惑かけっぱなしだな…お買い物の約束も果たせてないし」

 

「買い物は、駅前の見物騒ぎが収まる頃でいいです」

 

「その時は、お礼とお詫びを兼ねて、僕が全額支払いをするね」

 

「良いんですか?遠慮しないですよ」

 

にんまり笑う香澄さん。

 

「実は明日、ボクたちの九校戦新人戦優勝の祝賀パーティーが開かれるんですが…」

 

「えっ?初耳だよ、どうして言ってくれなかったの?」

 

「久先輩はここのところ、忙しかったので…」

 

「言ってくれれば行くに決まってるでしょ!行くよ!あっ、でも今からじゃ警備の手配とか間に合わないか…」

 

「それは平気です。十師族の方もいらっしゃるので、もともと警備は厳重ですし、名倉さんにもお願いしておきますから」

 

「じゃぁ、行く」

 

七草家のパーティー料理は、美味しいんだ。それに、七草家でのパーティーなら真由美さんや卒業生も参加するだろうし。

 

「そう言えば、このベンチの場所、僕が入学した時に真由美さんと初めて会った場所なんだ」

 

雑談をしながら泉美さんが合流するのを待った。

達也くんたちは早退しているので、今日は七草の双子と一緒に駅まで下校する。この三人だけの下校は初めてだな。

駅前には土曜日の夕方とあって、僕を見物に来た人たちが大勢いた。僕に気がついて群集がきゃあきゃあ騒ぐけれど、僕もだいぶ慣れてきた。警戒心が抜けてきた、とも言えるけれど、群集ににっこりと笑顔を向けて愛想を振りまく。この騒ぎももうしばらくの辛抱だ。21世紀初頭、上野のパンダ来園の時も大混雑は最初だけで、数ヵ月後にはガラガラになっていた、らしいし。

香澄さんと泉美さんも、この1週間で慣れているから、努めて意識しなくても、自然にやり過ごせるようになっていた。

キャビネット乗り場には七草家のボディーガードが待っている。

以前は真由美さんの警護をしていた男性で、初老までは行かないけれど、50代の紳士、いかにも鍛えられていて、『魔法師』としても優秀なのが、全身から伝わってくる。

名前は名倉さん。僕とも面識がある。

 

「こんにちは、多治見様」

 

名倉さんが簡単に挨拶をしてくる。すごく自然な態度だけど、その間も、群集から警戒を緩めない。長いことこの世界に居る、ベテランの余裕。カッコイイ。

名倉さんとは数度、言葉を交わしている。去年の九校戦、双子が大陸の強化兵に襲われた時、名倉さんも強化兵の一人と戦っていて、双子と分断されてしまった。

双子の相手は偶然居合わせた僕が無力化したんだけれど、名倉さんは一人で強化兵を倒したんだそうだ。その時のお礼とお詫びもちゃんと言われている。

 

「名倉さん、明日のパーティー、久先輩も来てくれるって」

 

香澄さんの声が、ちょっと浮かれている?何も衆目があるここで言わなくても良いのに。

 

「わかりました。では、そのように手配いたします」

 

名倉さんは苦笑いも見せず、隙がない。九重八雲さんと同世代のはずだけれど、だいぶ雰囲気が違う。何だろう…香澄さんは、花の香りで…

 

そっか、八雲さんは生臭坊主だからな。生臭いに決まっているし、なおかつ胡散臭い!

 

くすくすっ。

僕は一人で納得しながら、双子と名倉さんがキャビネットに乗る姿をぼぅと見つめていた。

 

その名倉さんの訃報が、翌週12日金曜夕方の地方配信ニュースで報道された。僕が知ったのは、香澄さんに教えられた翌土曜日の事だった。他殺体、それも死体の損壊が激しい事から魔法戦での死体だったそうだ。

やはり、あちらは街頭センサーの監視が緩いな…おかげで、僕も光宣くんも、暗躍しやすいんだけれど。

 

血生臭い話は、後日。




魔法科高校最新刊は、まだ導入部分しか読んでいませんが、
29歳なのに12歳くらいにしか見えない練達の魔法師の女性?
そんなのありえないだろうぅぅぅ!

久「…」
烈「…」
八雲「…」
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