パープルアイズ・人が作りし神   作:Q弥

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ご無沙汰しておりました。
家の事情で気分的に余裕がなくて、しばらく続きを書けていませんでした。
エタってはいないのですが、久しぶりに書いたので文章がおかしいかもしれません…
家の事情はすっかり片付いたので、新年ですし、気分も新たに再始動。

前話がラブコメで幸せだったので、予定通りその反動が久を襲います。


読み返して、自分でもややこしくなって来たので、少々追加しました。
しかし余計ややこしくなったような…


狙撃

 

 

国家間の条約締結は複雑で難しい。双方が余力を残している状況での交渉は、なおさら難しい。

横浜事変からの大亜連合との講和は大枠では定まっていたけれど、表向きは戦力の低下を公表していない大陸の大国は細かな部分で交渉を引き延ばしていた。

でも、九校戦後の8月、僕と澪さんが沈めた潜水艦に反講和派の大物が乗艦していたらしい。

あの日以降、反講和派は大亜連合の中枢から外されて、講和交渉は日本が領土割譲を迫らなかったこともあって、比較的停滞しないで進められたそうだ。

 

今日は12月25日、二学期の最終日だ。魔法科高校にセレモニーはないから午前中は普通に授業があった。成績は授業終了の鐘と共に各自が端末で確認する。

2-A の教室から色々な声があがっている。僕も恐る恐る一般教科を含めた総合教科の評価にアクセスするけれど、実はアクセス前に自分の成績はわかっている。

『戦略級魔法師』の僕は『魔法師』の象徴でもあるから、理想としては、僕の隣の席でいつもと変わらず微笑を浮かべている深雪さんのように総合成績一位になれればいいのだけれど、残念ながら『魔法』以外の僕の知能は所詮は…ああ暗くなるからこの話は終わりにしよう。

保護者呼び出しとまではいかないで、とりあえず、ちょっと及ばない成績は冬休み中のレポートで許してもらうことになった。うーん、この場合の保護者は誰になるのかな。烈くんか澪さん…どちらにしても超絶恥ずかしい。

補習で冬休み中に登校しなくても良いというのは、オンラインが進んだこの時代のおかげだ。

 

放課後は料理部で部活をして、下校時刻近くに生徒会室に顔を出した。名ばかり副会長の僕がする事は何もないというのは情けないけれど、それは二学期の高校生活が平穏に過ぎた証拠でもある。

日も沈んで、いつもの喫茶店に集まった僕たちはエリカさんの音頭でクリスマスのささやかなパーティーを開始した。喫茶店に集まったのは二年生だけで、水波ちゃんたち一年生は別の集まりに参加していた。放課後、水波ちゃんが深雪さんと一緒にいないというのも実は珍しい。

無神論者で無宗教で、『高位次元体の王』とかでもある僕がクリスマスを祝うのはおかしな話だ。勿論、そんな興を削ぐような意見は言わないけどね。

本当は昨日パーティーを開ければよかったのだけれど、喫茶店に集まった友人達はいろいろと家の事情があるから、普通の学生のようにイブを祝うことは出来ない。

僕も昨夜は、澪さんと響子さんの三人でパーティーを行っていた。腕によりをかけて盛大に料理を作ってパーティーを、と考えていたのだけれど…

実は、大亜連合との交渉の一環で、捕虜の交換が26日に秘密裏に行われる。

それは4年前の沖縄事変から8月のフロッグマン事件に至るまで国防軍が捕虜にした敵兵と、

敵軍に捕縛された国防軍の工作員や『魔法師』との交換で、表ざたには出来ないけれど、その人数は双方共にかなりの数になるそうだ。

響子さんの所属する部隊も、警戒の為に25日から出動、『戦略級魔法師』の澪さんも不測の事態に備えるために25日から3日間、都内の五輪家に詰めていることになっている。

何故、僕の自宅でなく五輪家で待機するのかは良くわからない。僕の家からでもあまり変わらないと思うのだけれど、僕が考えているより深刻な交渉なのかな?

澪さんが戦場に…?

不安を顔にすると、今回の五輪家での待機は年末の五輪家の事業との兼ね合いがあったそうだ。時々忘れるけれど、五輪家は多くの会社を傘下に治めていて、澪さんも経営責任者の一人なんだ。

僕みたいに学校以外は引きこもっているわけには、特に体調が回復した現在では、いかないのだ。澪さんだって社会人なのだ。

捕虜の交換はシステマチックに進められるそうで、響子さんも心配要らないと、大きな胸をぽよんと叩きながら言ってくれた。

それでも状況が状況なのでホームパーティーは簡単に済ませることになった。

それよりも終業日の25日から3日間、自宅は僕一人になる。

寂しがり屋の僕が3日も一人なんてションボリだ。なので、以前の約束どおり将輝くんに連絡して、冬休み早々金沢にグルメを堪能しに行くことにした。

本当は25日から金沢に向かいたかったけれど、流石に今日だと金沢に着くのが夜遅くなる。将輝くんは気にするなと言っていたけれど、世間的に遠慮しないと、僕も一応、良家の一員なのだから。

 

喫茶店でのパーティーは今年起きた事件を振り返りながら、他愛も無い雑談をかわしていた。喫茶店は貸切だったから、多少騒がしくても大丈夫だ。

 

「今年は平和だったね」

 

エリカさんが冗談を言う。

 

「そうかなぁ、結構大変だったと思うけれど」

 

幹比古くんの意見は、実に正しい。

 

「比較対象が去年だから平和と感じるけれど、十分物騒な1年だったよ」

 

ここにいるメンバーは荒事に慣れて、ちょっと一般的な感覚からはずれているよね。事件を欲している?血に飢えている…特にエリカさんは。おっと、エリカさんが睨んでくる…くわばらくわばら。

 

「横浜事変みたいな騒動に巻き込まれなかったからな」

 

そんなレオくんも、もっとトラブルよ起これ、積極的に巻き込まれたいなぁ、と考えているに違いない。

 

「あんなことが毎年起こってたまるか」

 

達也くんが苦笑しながら反論。場に笑いが満ちる。

僕個人としては、激動の1年だった。友人達とは別の場所で色々と巻き込まれている。それもあと5日で今年も終りだ。

論文コンペ以降、僕は奇妙な不安に捕らわれている。僕は『予知能力者』ではないから、その不安は杞憂と言うヤツだと思うけれど、流石にもう何も起きない…と思う。思いたい。

 

 

「達也さん、来年も初詣に行きませんか?」

 

パーティーが終わって、喫茶店からすっかり暗くなった外に出た時、ほのかさんが、いつものように感情が先走ってやや高い声で達也くんに言った。

すでに周りには根回しがすんでいるらしく、雫さんもエリカさんも参加することになっているそうだ。

 

「すまない、今度の正月は俺と深雪はどうしても外せない用事が入っているんだ」

 

周りからかためて達也くんの返事を待つほのかさんは、まさか断られるとは考えていなかったようで、過剰にショックを受けていた。

達也くんに寄り添う深雪さんの表情が何故か強張っていた。気分でも悪いのかな。顔色を失っている。初詣の件にしてはこちらも過剰だ。

深雪さんは僕なんかよりよっぽど健康だから、その顔色は周囲を不安にさせるけれど、深雪さんの変調に一番敏感なはずの達也くんの態度がかわらないのは、大丈夫だとわかっているからなのかな。

雫さんが深雪さんの体調を気づかい、エリカさんが微妙なフォローを入れて、場の空気がもっと微妙になった。

年末の寒い空気がますます寒い。

ほのかさんの視線が、あちこち泳いで、僕の前で止まった。

 

「そっそうだ、久くんも初詣に来ない?」

 

何だろう、このついで感は…肩の力が抜けそうになる。

エリカさんの口がへの字になって、雫さんがため息をこらえる。レオくんが上空の星を探している。深雪さんの吐く息が、白い。

達也くんをめぐる男女の感情は、この集まりの中で微妙な人間関係を構築している。それも、かなり不安定だ。

僕の友人達の中で、ほのかさんと美月さんは感覚が一般人に近い。

僕みたいな化け物と平然と付き合えるほうが異常なんだけれど、達也くんの異能も化け物クラスで、その存在感はとても高校生とは思えない。

その存在感が逞しさになって、ほのかさんの恋心と依存心が重なって、達也くんに近づきたいと言う想いになっているんだろうけれど、思春期の男女の機微は、僕は恋愛感情はまったくわからないから、友人達の人間関係を一歩引いた距離から見る事にしている。

それでも、危ういなぁ、と僕でも思う。達也くんが一言はっきりと拒絶すればすむんだけどなぁ。

僕とほのかさんは同じクラスだけれど、実はあまり直接の会話が無い。僕が無意識に放つ『戦略級魔法師』の気迫に時々気圧されているみたいなんだ。

僕とほのかさんの会話には必ず深雪さんが間にいる。その殆どが達也くんの話題だけれど、二学期後半、特にこの二週間ほどは深雪さんが何となく元気がなかったから、会話は少なかったな。

初詣のお誘いは僕にはなかった。別に仲間外れではなくて、何となくだけれど、みんなは来年も僕が九島家の元日の会に参加する物だと、漠然と思っていたみたいだ。

だから、僕は気分を害するようなことはなく、

 

「ごめんなさい、僕もお正月は澪さんと温泉に保養しに行く予定なんだ。それに冬休みは色々と用事が多くて…」

 

僕は『戦略級魔法師』としては学生なので公務にはつかなくても良い立場だけれど、年末年始は『魔法協会』の広告塔として、いくつかの会に参加しなくちゃいけない。面倒だけれど、自分で決めたことだからこなさないと。最初の『師族会議』での決定とはずいぶん違う気がするのは、大人の事情だよね。

 

「そっそっか、そうだよね久くんは『戦略級魔法師』だものね」

 

助けにつかんだ藁がつかみどころがなくて、ほのかさんの視線がますます泳ぐけれど、僕たちは話題をそれまでにして駅に向かって歩き出そうとした。

 

「五輪澪さんと温泉ですか、良いですね。どちらの温泉に行かれるのですか?」

 

美月さんが何の気なしに、尋ねてきた。別に深い意図があったわけじゃないのは誰もがわかっているけれど、ほのかさんと美月さん以外の、その場にいた友人達が一瞬ぎょっとして、足が止まった。

 

「ごめんなさい、場所までは言えないんだ。皆を信用していないわけじゃなくて、何かあった時、疑われたら迷惑になっちゃうから」

 

『戦略級魔法師・五輪澪』の居場所は厳重に管理されている。公式行事でないかぎり公表はされない。今回の温泉行きも数週間前から慎重に警備が配備されている。

僕自身には警備は、基本つけられていない。おかげで、比較的自由に行動できるけれど、どのみち引きこもりだから、澪さんの警備と同じ体制に組み込まれている。

そのあたりは微妙な問題なんだけれど、『魔法師』不足の現状では、僕が成人するまでは何となくこの体制で行くことになっている。

澪さんが不在の今夜は、僕の自宅は最低限の警備しかいない。コミューター乗り場の詰め所に数人、『魔法師』が待機している程度だ。警護の範囲とプライベートの境目も、微妙な問題だ。

 

だから、その間隙をついて事件が起きた。

 

 

20時過ぎに自宅につくと、玄関の人感センサーに反応する自動照明が点灯した。オレンジの淡い光に魔法科高校の制服姿の僕が照らされる。

玄関の鍵はノブを握ればオートで指紋と網膜を認証してロックが解除される。

今夜は「おかえりさない」と言ってくれる澪さんがいないので、少し猫背でノブに右手を伸ばした。

 

どんっ!

 

唐突に、左肩に衝撃を受けた。

最初は、誰かに叩かれたと思った。僕は探知系はからっきしだから、八雲さんが冗談で左肩を叩いたのかなって思った。八雲さんはいつも予想しない時に現れるから。

でも、八雲さんは酷薄な所があるけれど、過剰な悪戯はしない、はずだ。敵対しているなら別だけれど、今は敵ではない。おかしいな…

ん?玄関ドアの横の壁に、くもの巣状のヒビが走っている。ついさっきまでなかったヒビ。そして、壁は真っ赤に染まっていた。大量の赤い液体がヒビにそって流れている。

緩慢に、自分の左肩を見つめると、白い魔法科高校の制服が、真っ赤に染まっている。いや、僕の左肩の一部が制服の布地ごとなくなっている。

正確には肩甲骨と鎖骨と上腕骨、それらを繋ぐ関節の一部が、薄い筋肉と共にむき出しになっていた。

赤く染まった壁に、僕の失われた肉と骨がこびりついている。

そうか、あの赤い液体は、僕の血液なんだな、と理解した瞬間、もう一度、今度は左胸に背中からものすごい衝撃を受けた。まるで焼けたハンマーに殴られたような、強烈な一撃だった。

その衝撃で、僕は壁に身体ごと叩きつけられた。身体が壁に跳ね返されて、後ろを振り向く。

振り向く瞬間、壁に新たなヒビが出来ていることに気がついた。ヒビの中心に丸い親指くらいの金属が刺さっている。これは…弾痕…銃弾?

ああ、僕は、銃で撃たれた、と急激に悟った。僕の薄い胸板をライフルの弾が貫いたんだ。

銃声が聞こえなかったということは、長距離からの狙撃。もしくは『魔法』で音を消している。

この辺りはそれなりの高級住宅街で一軒一軒の敷地は広くて建物は大きい。

狙撃できるような建物は住宅街にはない。そもそも高層ビルは建築禁止になっている。僕の自宅の玄関は南向きだから、最寄り駅は反対側で、駅周辺の高層ビルからは建物が壁になって狙えないようになっている。

僕は振り向きざま、視線を遠くに向ける。

常緑樹の生垣の一部の枝が折れて小さな隙間が出来ていた。気にしなければ、気がつかない程の小さな、でも弾丸の衝撃で人工的に刈られた隙間だった。その隙間の向こうは隣家の屋根。その屋根の向こうは、冬の夜空。

星空の中に人工の光がある…自宅から真南に2キロほど離れた場所に高層マンションがあった。

普段はまったく意識していなかったけれど、生垣の隙間から、そのマンションの高層階の明かりが見える。屋上の航空障害灯が点滅している。

夜でもあるし、普通なら見えるはずの無い距離だけれど、僕の人外の動体視力は、月明かりに照らされた屋上にいる人物の動きを捕らえていた。

僕は『能力』で空間を圧縮した。空間そのものをレンズにして、その男を拡大して捉える。性別は、そう男だ。手にしているあれは、ライフルか。

自身の身長より長いライフルをリロードする動作に迷いが無い。CADと一体になったスナイパーライフルか…。男は、『魔法師』だ。月明かりのもと『魔法』を使って、この長距離での精密射撃に成功している。これほどの距離だと空気抵抗以外にも地球の自転すら射撃の邪魔になるはずだから『魔法』とは本当にすごい。

男が、高倍率のスコープを覗き込んだのがわかる。とどめの一撃を放つべく、引き金を引き絞る。

ゆがめた空間を挟んで僕と男の目が合った。

僕は、第三の射撃が行われる前にためらいもなく、その男を空間ごと消した。一瞬、70年前の僕の最後を思いだした。あの時のように周囲ごと消さないように、男のいる空間だけを異空間に弾き飛ばす。後には何も残らない。風すら起きない。当然、男の断末魔の声は聞こえない。

でも、ライフルは証拠として残しておけばよかったかな…屋上に薬きょうが残っているかな。僕の身体を打ち抜いた弾丸が家の壁に二つあるけど…

狙撃犯は単独のようで、屋上に別の影はない。

僕は「はぁ」と息を吐こうとして、できなかった。壁にもたれたまま、倒れないように足に力を入れる。

あの男がどの組織かと考える。当然、最初に浮かぶのは大亜連合の名前だ。今、僕が襲撃を受ければ、和平交渉は破談する。

襲撃されて、かすり傷程度だったとしても、表ざたになれば大問題だ。

響子さんも澪さんも戦場に赴くことになり、日常生活は尋常一様ではいられない。

狙われたのが澪さんじゃなくて僕でよかったな。

警戒が疎かだったことは事実だけれど、これほどの長距離からの狙撃ではどうしようもない。狙撃手の技量、『魔法』が卓越していたんだ。

卓越していたけれど、超越はしていなかった。その証拠に第1射は致命傷ではなかった。この程度の『魔法師』なら、世界にはいくらでもいるだろうから…本当に大亜連合なのかな?チラッと疑問が浮かぶけれど、今はそれを考えている場合じゃない。

なにしろ、僕は今、瀕死の怪我を負っている。

ロックを外したドアを『念力』で開けると、ゆっくりと隙間から身体を滑り込ませた。

玄関先は僕の血と肉片で汚れている。このままだと、誰だって変事に気がつくな…壁の汚れを『蒸発』で消す。去年、横浜のコンペ会場で深雪さんが使ったのと同じ『魔法』だ。

弾丸とヒビは消す余裕がない。でも、怪我の程度のわりに出血が少ないな…

ドアが閉まる。とりあえずは、安心だ。ノートやお弁当箱の入った手提げかばんを適当に放る。

 

「げっぼっ」

 

呼吸が苦しい…気管が血液で詰まっている。激しく咳き込んで、気管の血液を吐き出す。

左肺に血液がたまっているな。かろうじて右肺で呼吸をするけれど、気管に血液がすぐたまって、息が続けられない。

鼻と口からごぼごぼとあわ立った血液が溢れてくる。

痛い。失った左肩と、撃ち抜かれた左胸がとにかく痛い。激痛で大声を上げようとするけれど、気道が血で塞がれて声すらでない。

呼吸困難は苦しいけれど、『多治見研究所』の非人道的な実験で何度も経験しているから、僕は落ち着いていた。

それよりも、これ以上の出血は、血圧低下と酸素不足、思考の低下、心臓の停止に繋がる。だから、痛みに耐えつつ、『念力』でそぎ落とされた左肩と胸の大穴を塞いで、血液がこれ以上失われないようにする。

この段階で、最初の狙撃から30秒と経過していない。

こうして意識があるのも怪我の大きさの割りに出血が少ないからだ。僕は、まだ二本の足で立っている。重症だけれどこの程度の怪我なら…ん?

そこで、僕は気がついた。心臓の左心房と左心室が動いていない。二度目の射撃で、心臓を打ち抜かれていたんだ。だから出血が少な…

そう気がついた僕は、思い出したように床に崩れ落ちた。

床に頭をぶつけたけれど、その痛みを感じることがすでに出来ない。一瞬、意識が途切れた。『念力』が切れて、床に大量の血液が溜まり、すぐに池のようになった。

僕の『回復』は『意識』がないと働かない。そして、時間がかかる。治るまでは、とにかく痛い。

 

「がっはっぶ」

 

生ぬるい血の池に顔を浸けながら、『意識』をとり戻した僕は、右心房も停止するのを感じた。これはちょっとまずい…70年前の実験や戦場でも、心臓が止まったことはない。

僕の心臓は確かに、鼓動を打つのをやめている。

でも、硬い床や、生暖かい血、生臭い匂いが感じられる。心臓は止まっているけれど、脳はまだ死んではいない。『意識』はある。

『意識』があれば、時間はかかるけれど『回復』はできる。

僕は『念力』で心臓を動かした。心臓マッサージよりも確実で、これなら通常とかわらなく動かせる。体内に血液が流れるのがわかる。脳に血液が、酸素が送られてくる。

でも、心臓が動くと、傷口から大量の血液がシャワーのように溢れてきた。

これは、加減が難しいな…僕は、まるで他人事のように冷静に心臓の動き弱め、傷口を『念力』で塞いだ。

自分の心臓を『念力』で揉むのは流石に初めての経験だ。まぁ、そうそう経験することじゃないけれど、このままゆっくりと、時間をかければ、少しずつ『回復』する。でも、これほどの重症だと、簡単には治らない。

常人なら即死しているほどの大怪我なんだから当たり前だけれど、これまでの経験から、完治までには一ヶ月はかかると思う。その間、まったく身動きが取れない…

あぁ、だめだ、明日には将輝くんの家に行くことになっているし、3日後には澪さんも響子さんも帰宅する。

…心配かけちゃうな。

玄関を開けたら血みどろの僕が倒れていたら、澪さんは卒倒しちゃうだろうし…

どうする…?

僕の身体は『高位次元』からエネルギーを奪ってサイオンに変換して、肉体の『三次元化』をしている、らしい。

エネルギーは無限にある。そのエネルギーを利用した僕の『魔法力』はこの世界では破格の威力だ。単純な『魔法』でも『戦略級』の威力まで自在に操れる。なのに同じエネルギーを利用しているはずの『三次元化』は強めることも弱めることも僕の意思では出来ない。

やはり『肉体の三次元化』は、この世界の物理法則から逸脱した能力なんだろう。『肉体の三次元化』も一瞬ではできない。僕が三歳までの記憶がないのは最初の『三次元化』に3年かかったからかも知れない…

『高位次元』から流れてくるエネルギーは常に一定で、『回復』は『三次元化』した肉体を維持する能力で『三次元化』の一部なんだけれど、『多治見研究所』で訓練をして高めた結果でもある。

当時は常時投与されていた薬物のせいで『回復』は衰えていたからより強く『回復』しなくちゃとの第二の本能になるまで訓練をして高めた。今思えば高めすぎてバランスが悪くなってしまった。

『回復』が起きていないと使えないのは、『三次元化』のエネルギー(サイオン)を『念力』で奪っているからだけれど、肉体が健康な時は『精神の三次元化』に勝ってしまって、僕の成長を止めてしまう程になってしまった。

成長が止まった僕の小さな身体に『高位』のエネルギーは強すぎて、眠って『回復』が止まるとエネルギー過多になってしまい、睡眠中の脳を攻撃してしてしまう。

『高位次元体の王』だった頃の僕はもっと上手くその力を制御できていたのかもしれない。

 

『三次元化』の余剰エネルギーは肌が触れている人物に分け与えることが出来るみたいだ。その人物はその恩恵で体調がよくなる。澪さんや光宣くんがそうだし、響子さんの肌つやもとても良い。

そうなると熟睡できて『回復』も止まり『三次元化』のエネルギーも程よくなって、僕は成長するみたいなんだけれど…なんだかややこしいな…自分でも良くわかんないや。

子供のままなのがいけないのかな…大人の身体になれば『肉体』と『精神』のバランスがとれるのかな…

半死半生でぼぅっとした意識の中で考えても上手くまとまらない。そもそも、僕は頭があまりよくない…

『回復』は身体全体に働く力で怪我をした部分だけを治す『能力』じゃないけれど、訓練で高めた『能力』でもあるから、左肩に集中させることはできないだろうか。

さらに細胞の働きを『念力』で活性化すれば怪我の治療を優先できるかもしれない。

出来るできないじゃなくとにかく集中してやってみよう。長時間集中する事は苦手なんだけど…

とりあえずは左肺を治したい。呼吸が出来ないって、それはもう苦しいんだ…

 

 

 

 

 

 

 

「ぼっふ…」

 

あっ、ちょっと『意識』を失っていた。僕は一瞬、死んでいたな…

やり直しだ。心臓を『念力』で動かして…

それにしても、痛い。滅茶苦茶、痛いし、肩が熱い。そのくせ真冬の寒気のせいで肌は寒い。涙は溢れるし、肺から泡立った血液が鼻や口から流れ出る。

身体が半分死んでいるような状態で力が入らないから、おしっこも漏らしている。

汚いし、匂う。僕自身の匂いだけれど、臭い。臭いを感じられるほど『回復』しているのかと思うけれど、時々気絶をするから、何度もやり直しだ。

苦行のような『回復』を繰り返しながら、何度も心臓が止まっている。でも、脳が死ぬ前に『意識』を取り戻す。

ああ、やっぱり『意識』は脳にあるんだなぁ、と鈍い思考で考える。

健全な精神は健全な肉体に宿る、だよなぁ。『精神』は『意識』と同じ物…

あれ?こんな会話をいつかしたような…いやいや、今は『回復』に集中しないと。

それにしても、玄関は寒いな…床はもっと冷たいし、溜まった血は生臭くて…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「げほっ」

 

自分の声で『意識』が戻った。あれからどれくらい時間が経過しただろう。

さいわい、心臓は鼓動を自らうちはじめた。傷は気を失っている間も『念力』で塞いでいたから失血はしていない。ただでさえ僕の身体は小さいんだ、血の量だって少ない。これ以上はもったいない!

 

身体が冷たい。両手両足の感覚が無い。なんだか頭と左肩と心臓だけに身体がなった気分だ。『回復』を左肩に集中しているせいなのかな。

それでも、僕はまだ生きている。

何だか猛烈に眠い。普段、僕は眠らないのに、こんな時に眠くなるなんて、これは低体温の症状だ。血が足りていない。激痛と眠気の戦いは、眠気の方が優勢で…

 

眠っちゃだめだ。僕は身体を動かそうと、右手に力を入れた。自由に動かない…でも、池のように溜まっている血がぱちゃりと小さく音をたてた。

これだけ出血していれば、血は足りないよなぁ。

もう少し右手に力を入れると、薬指の指輪が床とこすれたのがわかった。

 

「あっ、指輪」

 

『真夜お母様』からいただいた指輪型CADは完全防水じゃない。長時間、僕の血液に沈んでいたとしたら…

僕はペンダントになっているデバイスにサイオンを送り込んでみる。胸のデバイスもどっぷり血を浴びているから…

ああ、デバイスも指輪も反応が無い。やはり壊れてしまったようだ。

『真夜お母様』と達也くんに謝らなくちゃいけないな。謝るには、まずはこの怪我を治さないと。

CADとしての機能は壊れたけれど、指輪そのものは僕に指にはまっている。

一人じゃない。そう、自分に言い聞かせながら『回復』を続ける。

 

 

 

「ふぅはぁ…」

 

少し余裕が出来た。痛みはすごいし苦しいけれど、慣れた。『多治見研究所』での実験の経験が役に立つなんて、まったく…

『回復』以外に出来る事を考える。

まずは、玄関と廊下の空調だ。全身が氷のように冷えている。ホームオートメーションのコントロールパネルは台所だけれど、『念力』でパネルを操作して、廊下の温度を上限に設定する。

うーん、流石に文明の利器。すぐに室温が上がって、肌に触れる空気が暖かくなる。

次は…と考えた時、制服のポケットに入れていた携帯端末が鳴った。

誰かが電話をして来たんだ。

四肢はまだ動かせないから『念力』で携帯端末を顔の前まで持ってくる。宙を音もなく飛んでくる携帯端末も血に濡れていたけれど、これは完全防水だから壊れていなかった。

ディスプレイを確認すると、将輝くんからだった。時刻を確認すると、朝の7時。昨夜の狙撃から10時間以上が経過したことになる。

その間、玄関に横たわったまま生死を行ったり来たりしていたわけか…まだ何とか生きている。

 

「久か?朝早くにすまないな、今日は何時ごろに金沢駅に着くんだ?バイクで迎えに行くから到着時刻を教えてくれ」

 

将輝くんの声は、いつも通りだ。なんだかすごく安心する。血の池に浮かぶ芋虫以下の状態の僕は、涙が出てきた。

 

「まさっげっほっげほっ」

 

やっぱり、まだ口を動かすのも辛い。返事をしようとして、口内に残っていた血と唾液の混じった液体を吐いてしまった。

 

「どっどうした久?」

 

玄関で半死人状態なんだ、とは言えない。

 

「あっ、ごめん…ちょっと体調を崩しちゃって…」

 

「体調?まさか腹を出して寝ていたんじゃないだろうな?」

 

冗談っぽく言っているけれど、その声は真剣だった。

 

「よくわかったね…ここの所、東京も寒かったから、学校が終わってちょっと気を抜いたらこのざまだよ…」

 

僕の体力が子供並みと言う事は、『魔法師』の間ではそれなりに有名だ。実はそれほど虚弱ではない事を、将輝くんは良く知っているけれど、電話越しの僕の声は、確実に病人の物だ。

 

「大丈夫なのか?ああ、五輪澪殿がいるから平気だったな、だが病気は『魔法』では治せないからな…」

 

心の底から心配してくれていることがよくわかる。嬉しいな。

 

「ごっごめんね。だから、今回は金沢に行けそうも無いよ…ドタキャンみたいでゴメンね…ジョージくんや美登里さん達に会うの楽しみにしてた…げほっ」

 

うつ伏せに横たわったまま頭だけ横に向けて会話をするのって、意外ときついな。まぁそれ以前に瀕死なんだけれど…

 

「いや、金沢にはいつでも来られるからな、冬休みは難しいから春休みに来ると良い」

 

「うん、ありがとう。みんなによろしくね…」

 

涙が止まらない。

 

 

ぐぅー。

それから、数時間が経過して痛みも苦しさもまだまだ酷かったけれど、急激に空腹に襲われた。異様なほど、大きな音でお腹が鳴った。

瀕死のこの状態で空腹を感じるなんて、僕はどれだけ食いしん坊なんだろう…

それだけ『回復』した…いや、僕の左肩は正視に耐えないままだ。まったく動けないし。

身体の一部分だけ『回復』させることは、なかなか難しい。

一瞬で怪我を治す『魔法』の話を第一話のプロローグ、去年の2月に生駒で烈くんとしたっけな…

 

「お腹すいたな」

 

あれ?声が綺麗だ。すうっと息を吸ってみる。

ああ、呼吸が楽になっている。肺と気道は『回復』したようだ。過去に無い『回復』速度だ。やはり『回復』はある程度は意図的に操れるんだ。

栄養を取れば、『回復』の助けになる。でも、食べるにしても、固形物はきついな…

あっそうだ、魔法科高校に入学した当時、購入していたエネルギージェルが台所の床収納に大量にある。賞味期限には全然余裕があるし、持て余していたんだよな。

でも、アレを飲むためには台所に移動しなくちゃいけない。

歩くどころか這うことも出来ないけれど、『念力』を使えば移動は容易い。僕は『念力』で自分自身を持ち上げて、台所に向かう。

真っ赤に染まっている制服からぼたぼたと血が垂れて廊下を汚していく。血液は一晩じゃぁ乾かないんだ…制服がべたついて気持ち悪い。気持ち悪いと思えるほどには『回復』しているみたいだ。

靴も履いたままだ。廊下をふわふわと移動する僕は、まるで幽霊だな。左肩が大きく削げているから幽霊よりはゾンビだけれど。

そういえば、冷蔵庫にはプリンもあったな…全身血まみれの半死人が台所でプリンを貪り食うって、シュールだなぁ。それにしても、僕は掃除は機械を使わないから…

 

「床、汚しちゃった…掃除しなくちゃいけないな」

 

僕はくっくっと笑った。瀕死なのに心配するところがおかしい。

僕は、間違いなく、おかしいや。

 








今回の話は、実はこのSSを構想したときに最初に考えていたエピソードのひとつでした。
一年生の初期に大量購入していたエネルギージェルはその微妙な伏線だったのです(笑)。
最初の構想ではこの事件は2年生の1月3日に起きる事件でした。
しかし、澪と響子が同居しているので一人で悶絶する状況にできなくて、
原作20巻の捕虜交換のエピソードからヒントを得て、12月25日に移動しました。
久はこの怪我のせいで、一条家のグルメ旅行にも七草家の年忘れパーティーにも軍部のお偉いさんとのパーティーにも、新年の帰省(九島家)もできなくなります。
心身ともに疲弊して、年末年始は山梨の清里の、四葉家のほとんどお隣の温泉旅館に澪さんと行くのです。
久の予感じみた不安は、的中するのか…
そして年が明けると、十師族との交流は疎遠になります。
とある二つの家と個人的な付き合い以外は、ですが。

久の『肉体の三次元化』と『回復』は自分でもややこしくなってしまいました…汗。
『肉体の三次元化』は久の意思に関係なく自動的に行われます。これはもともと『高位』からエネルギーを奪うためです。
『回復』は久の傷ついた身体を修復する力で、本来は怪我をした時にだけ働く力でした。
しかし、『多治見研究所』での薬物投与で『回復』はほぼ常時発動するようになり、薬物が増えるにしたがって『回復』も強くなりました。
もはや第二の本能となる程で、起きている間は無意識に『回復』してしまうようになりました。
肉体が健康になった今でも『多治見研究所』の呪縛からは抜けられず『回復』をし続けてしまってしまい『三次元化』による成長も止めてしまっています。
『回復』は全身に働く能力で、身体全体の治癒力を高める能力です。一部分だけをピンポイントに治す能力ではありませんが、時間をかければ欠損した部位も治ります。
今回は、それを『念力』で無理矢理一部分の治療に力を集中しています。
しかし、『肉体化』も『回復』も、達也と違って時間がかかります。
これは達也との差別化をはかるためで、久はスペックは破格ですが主人公の達也ほど万能ではない…というこのSSの基本コンセプトなのです。





今後も更新はゆっくりだと思いますが、お付き合いくださいね。
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