パープルアイズ・人が作りし神   作:Q弥

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このSSを書き始めて、ちょうど1年です。
これまでお付き合いいただきありがとうございます。
今後とも宜しくお願いいたします!


北風

 

 

 

戸籍上、僕はあと3ヶ月で18歳を迎える。現実の僕は子供で、恋愛感情は全くわからない。

でも、木仏金仏石仏じゃぁない。木石じゃないんだ。

5日の夜、6日の夜と、澪さんと響子さん、2人の美女による過剰な抱擁で、僕が何も感じないかと言えば、何も感じないわけがない。

2日連続で気絶するように眠りについた僕は、夢を見た。…悪夢。

柔らかい肌と重なる夢。生々しい、色や香りもはっきりとした夢だ。3人の女性が僕に絡みついていた。3人の顔は…

 

僕はまぶたを開くと、ゆっくりと上半身を起こした。

カーテンの隙間から朝の光が、まだ薄暗い寝室に差し込んでいる。適度に暖房と加湿された寝室。この世で一番安心できる場所。

 

…3人の顔。

 

夢の内容を思い出して、僕の顔が、ぼっと火がついたように熱くなった。あっ、あんないやらしい夢、初めて見た。息苦しくて、切なくて、体調不良とは違う気だるさ。

 

「はふぅ」

 

僕は、熱っぽいため息を吐いた。もう一度、空気で肺を一杯にして、深呼吸。

その空気に2人の体臭が混じる。石鹸と、汗の香り。

澪さんと響子さんは、少し寝乱れて、パジャマの胸元から柔らかい谷間が見え…

 

…うっ。

 

ドキドキ。

いやらしい夢に出てきた3人の女性の裸体を、お風呂場と試着室で、僕は見ている。だから、夢の中の3人の身体は、物凄くリアルだった。

3人の中に、お母様がいなかったのは、一緒にお風呂に入ったけれど、お母様は湯着を身に着けていたし、あの時の記憶が曖昧だから、だと思う。

お母様は性欲の対象ではないってことなんだろう。あの夢は…いや、いやいやいや。

 

「ふぅ」

 

僕はもう一度息を吐く。

喉が渇いたな。汗でパジャマが湿っている。肌触りが良いはずのシルク生地が煩わしい。

…着替えよう。

 

「…あ、久君、起きたの?」

 

僕がもぞもぞとベッドから動き出すと、2人もすぐに眼を開いた。

 

「少し、うなされていたけれど、また嫌な夢を見たの?」

 

起きて早々、僕の事を心配してくれる。嬉しいけれど、夢の中の2人の姿が重なって…

 

「顔が赤いけれど、お熱?」

 

「うぅん、大丈夫。ちょっと水を飲んでくる」

 

「水ならここにあるわよ」

 

ベッドテーブルにはコップと水差しが置いてある。

 

「ん、少し冷たいのが飲みたくて」

 

「水の温度なら下げられるわよ」

 

同じくベッドテーブルには携帯端末型のCADがふたつ。2人とも、超がつく優秀な魔法師だけれど…今は、その優秀さが恨めしい。

 

「いいよ、寝ていて。ついでにトイレにも行くから」

 

「体調は、どう?」

 

掛け布団は床に落ちてしまっている。2人の寝姿は、綺麗で…あっいや、僕は、ちょっとでも早く寝室から出たい気分なんだ。

 

「体調は…まだ少し悪いけど、寝たままってのも辛いから」

 

「一人で平気?」

 

「トイレくらい流石に、そこまで僕は子供じゃないよ」

 

「そうね、あの時は死にそうな顔だったけれど、あれから2週間でかなり回復したみたい」

 

僕の顔は、ちょっと赤い。2人にはうす暗闇の中、血色が良くなったように見えたみたい。ある意味、好都合だ。

あの時は死にそうで、実際、何度も死にかけていた。そして、大晦日のあの日、僕は完全に死んでいたんだけれど、そうか、あの狙撃から2週間か。

あさっての火曜日から新学期だ。うーん、冬休みがなくなっちゃったな。おかげで宿題も課題も全部片付いたんだけれど。

 

「2人とも、まだ早いよ。今日は日曜日だし、響子さん、ゆっくり寝ていてよ。澪さんも」

 

「うん、ありがと」

 

寝起きで半覚醒の2人は、素直に頷いて、僕がかけてあげた布団を奪い合うように眠りについた。

 

僕が向かったのは、台所でもトイレでもなく、お風呂場。正確には脱衣所だ。

湿ったパジャマを脱ぐ。脱いだパジャマは籠に入れて、下着を脱ぐところで、僕の手が止まった。

起きた時から気がついていたけれど、汗と石鹸以外の、生臭い臭いが漂ってきた。下着が、ぐっしょり濡れている。

もちろん、お漏らしをするほど僕は幼くない。幼くない…むしろ、真逆だ。

今の僕は、全裸で突っ立っている。首からは完全思考型CADのペンダント型デバイスを下げて、右薬指には指輪型CAD。

僕はデバイスにサイオンを送り込む。極々微量の、寝室の2人には気が付かれない程度の『魔法』を使う。

鏡に映る僕の両目が、淡くうす紫色に光った。

『蒸発』で、濡れていた下着は、さらさらになった。余分な汚れも綺麗サッパリ落ちているはずだ。脱衣所に残った臭いも消す。

新品同然の下着を、僕は洗濯機に放り込んで、洗剤をちょっと多めに入れて、スイッチを入れた。…静穏モード。

洗濯機は、静かに動き出して、気にしないと動いているかどうかもわからない、高性能の洗濯機だけれど、洗い終わるまでの数分、僕は洗濯機の前に立っていた。

姿見に映る僕の身体は、いつも通り痩せていて、簡単に折れそうなほど弱弱しい。無表情になると、とても人間とは思えない容姿だ。

白い、子供の身体。

 

洗い終りを告げる電子音を慌てて、『空間の遮断』。今度は、『魔法』じゃなく、僕本来の力。

洗濯し終わった下着は、洗濯洗剤の香りに包まれている。乾燥もされていて、ほかほか温かい。下着をくまなくチェック、香りも確かめて…大丈夫。

洗い終わった綺麗な下着を、僕は洗濯籠に入れた。念のため、脱いだパジャマの下に、ごそごそ隠す。何だか、こっそり悪い事をしているみたい。

洗濯籠は一杯で、2人の衣類も一緒だ。

僕の指に、レースの肌触りの良い布が触れた。響子さんの下着だ。

 

 

かぁっと、僕の顔が赤くなる。あっ、あれ?見慣れている下着だけれど、さっき見た夢が、再び僕の意識に浮かんでくる。

 

「あっ、あああ、もう、ちゃんと分別しないと、洗濯で痛んじゃうんだよ」

 

洗濯籠の、下着類をネットに分別。ちょっとためらったけれど、自分の下着もネットに入れて、そのまま洗濯機に入れた。今度は適量の洗剤を入れて、スイッチオン。

素っ裸の僕は、完全防水じゃないデバイスと指輪を洗面台に置いて、お風呂に入った。

シャワーは水のままだったけれど、寒くはない。僕の身体に残った汗やこびりつく塊がどんどん流れて、排水溝に消えていく。

 

顔が熱い。

 

「はぅ」

 

もう一度、息を吐く。これは、ため息だ。

 

『肉体の三次元化』から82年。偽りの戸籍上17歳と9ヶ月。成長を止めた肉体の年齢は12歳、精神年齢は10歳以下。実にややこしい、僕の肉体。

 

「はふう。これは、まずい。18禁タグを押さなくちゃいけなくなる」

 

俯きながら、シャワーを浴びながら、ひとり、自分を揶揄するように呟く。あー、

 

西暦2097年、時はまさに世紀末を迎えようとしている。その前に、

 

 

僕は、二度目の精通を迎えた。

 

 

 

体調は8割回復って所かな。完治にはもう2~3日…新学期はあさってからだから、休校はギリギリしないで済みそうだ。

僕は本来は病弱じゃない。でも、休校日数はかさんでいて、これ以上休むと、成績不振の前に、出席数不足で留年になってしまう。

完治にはもっと時間がかかるかと思っていたけれど、僕の身体が少し大人に近づいたからかもしれない。2人の手厚い看護があったからでもあるし、お礼しなくちゃ。

今日は日曜日。響子さんは軍人だから曜日は関係ないけれど、今日はお休みだ。だけれど、何処かに出かけたりはしない。2人が食事を用意してくれて、僕も今回からはリビングで椅子に座って、病人食とは思えない量の朝食を食べる。

その後、響子さんは電脳部屋に篭り、僕と澪さんは、澪さんの部屋でコミックスを読んでいた。僕は寝そべって、澪さんは行儀良くクッションに座っている。

響子さんは僕達の嗜好にはついてこられないけれど、自分も休みの日は電脳部屋に終日篭っているから、まぁ同類みたいなものだよなぁ。

婚約とか、婚約(仮)とか、結婚とか関係なく、いつも通りの生活が戻ってきた。

2人とも、僕の事をまだ子供だと考えている。

だから僕も、まだ子供だ。子供でいたほうが、今の生活は安定する。安定する、筈だ。18禁タグは…あーもう、このことは忘れよう。

 

それでも、僕が以前より、女性を女性として意識し始めたことは、否定できない。

 

1月6日、火曜日。今日から三学期が始まる。魔法科高校は始業式なんてものはないから、いきなり6時間授業だ。

全快には程遠い。うーん、でもまぁ日常生活は問題はなさそうで、心配してくれる2人の声を背中で聞きながら、早起きしてお弁当をつくる。

今年最初の登校。気分も一新して、東京の冬らしい乾燥した快晴を期待したんだけれど、残念ながら、どんよりとした低い雲が冬空を覆っていた。

風がひゅーひゅー吹いている。

 

2学期、毎日の登校で達也くんと深雪さん、水波ちゃんが一高前駅で僕を待っていてくれた。

今日からは義兄妹で登校だと期待していたんだけれど、前夜、達也くんからメールが来た。30分早く登校して、校長室に出頭しなくちゃいけないそうだ。四葉の件、実は従兄妹だった件、それが虚偽ではなかった釈明。そして、節度を守る様にと説教をされに行くのだろう。

僕には校長室への出頭命令は来なかった。学生の有力師族への養子入りは、優秀な魔法師を欲するナンバーズの間では時々ある。僕の場合、それが四葉だっただけだ。僕がお母様の養子になったのは個人的な問題で、澪さんとの婚約も同様だ。婚約と結婚も、法律的にも同義的にも何の問題もない。

婚約者と言えば、一高には五十里先輩&花音先輩と言う、誰もが認める、校内一のいちゃいちゃカップルがいる。あの2人が校内でまかり通っているのに、すでに大人で学校とは無関係の澪さんと成人した僕が結婚しようが、学校側はどうでもいいんだ。

養子の件は、達也くんがついでに説明してくれるだろう。

 

最寄り駅でキャビネット待ちをしている間、僕には多くの好奇の目が向けられていた。

僕は非魔法師にも戦略級魔法師として知られているし、婚約発表後、初めて人前に出るんだから当然注目を集めてしまう。

マスコミ関係者らしい人物もちらほら見えるけれど、駅前広場の警察官や警備関係者が露骨な取材と撮影を防いでくれている。警察官や警備の魔法師は、僕とは顔見知りだ。僕が軽くお辞儀をして御礼をすると、それぞれが出来る範囲で返事をしてくれる。

女子中学生だろうか、数人の集団が、「婚約おめでとうございまーす」と大きな声をあげた。

通勤通学中の市民の多くがその声で僕に気がついた。一斉に視線が集中する。

 

「ありがとう」

 

丁寧に、良家の子女らしく、お辞儀をする。良家の子女か…僕はこれまでは曖昧な立場だった。今の僕は四葉久として振舞わなくちゃ。お母様に恥をかかせるわけにはいかないもの。

テレビ画面の向こうにいる僕は、人畜無害の男の娘…男の子にしか見えない。そのイメージ通りに、にこにこと愛想を振りまく。これは、魔法協会から頼まれている、一般人への魔法師のイメージアップにも繋がる。

僕は大人しくキャビネットの順番待ちをする。その静かなたたずまいは、礼儀正しく庶民的なイメージを周囲に与えた。駅前の市民が次々と祝福の声をあげる。

僕もにこやかに手を振ったりして、僕と澪さんの婚約が、世間では好意的に迎えられている事を喜んだ。

 

でも、八王子の一高前駅は、さっきまでとは雰囲気が違った。

ここは魔法師の世界に詳しい人が多い。一高関係者のみならず、住民もだ。ここでは、僕と澪さんの婚約よりも、僕が四葉の養子になった事の方がインパクトが強い。

僕に向けられる視線は好奇心と警戒心がない交ぜになっていた。

以前から、友人以外の一高生徒の僕への態度はよそよそしかったから、異質な物を見るような視線には慣れている。恐れを抱いている生徒も多い。横浜事変での奇行は2~3年生には知れ渡っているし、僕が時折放つ相手を威圧するプレッシャーは、決して常人では耐えられない。僕の殺気は、闇に生きるあの八雲さんでさえ身を強張らせる。ただの高校生が心穏やかでいられるわけがない。

駅前からの短い通学路。一高はあいかわらずここに警備を置いていない。ここが一番危険な場所だ。あの狙撃の首謀者が特定出来ていない状況では、警戒感を弛緩させるわけには行かない。

僕は探知系は全く駄目だけれど、視界にさえ入っていれば、人外の動体視力で不審者をすぐに見つけられる。

キャビネットから降りて、警戒しながら駅前を見回した数秒、その場にいた生徒達は、まるで自分が睨まれたように硬直した。

僕は友人達はいないかなと探す。いないな。まぁ、特に待ち合わせをしているわけじゃない。僕は歩く速度が遅い。一高に向かっている間に誰か声をかけてくるだろうと、とてとて歩みだした。

生徒たちはしばらく立ち止まっていたけれど、数秒後、それぞれ思い出したように一高に向かって歩き出した。

 

校門までの緩い坂を歩いていると、

 

「おはよー久。久しぶり」

 

明るい声がかけられて振り向く。エリカさんと、その数歩後ろに、

 

「よう久。おはよーさん」

 

レオくんの気負いを感じさせない、いつもの明るい笑顔があった。

 

「おはよう、エリカさん、レオくん」

 

エリカさんがちらっと後ろを向いて、レオくんを睨んだ。

 

「あ、私たち別に一緒に登校してきたわけじゃないからね」

 

そんな事聞いてないけれど?でも、いつも一緒にいるよね。

 

「それよりも、久。驚いたわよ、婚約おめでとう」

 

「同学年の生徒が婚約ってのは、何か不思議だよな」

 

2人とも屈託がない。僕も素直にお礼を言う。3人そろって、ゆっくりと歩き出した。

何気なく耳をそばだてている周囲の生徒が、2人の『婚約』って台詞に反応したけれど、

 

「それに四葉家の養子になったんだってな」

 

続くレオくんの言葉に、歩く速度を速めて、僕達との距離をあけた。

レオくんの変に遠慮もなく、親しげな態度。人柄のよさと懐の深さがわかる。

 

「四葉久か。これからは四葉君って呼べば良い?」

 

エリカさんは、それがどうしたみたいな反抗心が少し感じられる。

 

「これまで通り、久でいいよ。僕はお母様の養子になったけれど、四葉家自体とはまったく縁がないから」

 

これまでの九島家との関係と似ている。

いや、あの頃より、色々な人物が関わって、すごく複雑になっている。

 

「達也と兄弟になるんだろ?」

 

「うん、もちろん、僕がお兄さんだからね」

 

「達也くんが久の事をお兄さんって呼ぶ姿が想像出来ないわね」

 

「実は呼んでくれなくてね」

 

「深雪さんが、久の事をお兄さんって呼ぶ姿も想像出来ないな。私のお兄様は達也だけって」

 

「まぁ、でも2人は従兄妹で婚約者になったんだから、お兄様ってのも変じゃない?」

 

2人は、達也くんたちの事を特にこだわりもなく受け入れているようだ。

 

「深雪さんとはクリスマスの日以来会っていないけれど、今日は2人とも校長室に呼び出しを受けて30分早く登校しているよ」

 

「だから久一人だったのか」

 

「それより久、あんた、少し足の運びが悪いけれど?」

 

エリカさんが話題を変えた。あまり他人の家の事情に深く口出ししたくないみたいだ。みんな色々と事情をかかえている。

それにしても、流石に鋭い。

 

「うん、この冬休みの間、ずっと体調不良でね。出かける予定が全部キャンセルになっちゃった」

 

「うわーせっかくの冬休みが」

 

「もったいねー」

 

「まだ全快じゃないけれど、出席日数がね…」

 

「あー、高校4年生はまじ洒落にならねーもんな」

 

「あんたも、危ないんじゃない、成績は久よりも低いでしょ」

 

「うるせー、たまたまヤマが外れたからなんだよ!」

 

「ヤマに頼るんじゃ、先行きは暗いわよ」

 

いつもの夫婦漫才が始まる。本当に仲が良い。あはは、高校生らしい、これまで通りの登校風景だった。

 

2人と分かれて、2-Aの教室に向かう。そこは、通学路とは打って変わって息詰まるような空気の重さだった。

僕の小さな身体が教室に入ったとたん、教室の楽しげなざわめきが止んだ。クラスメイト全員の顔が僕に向けられた。みんな、黙っている。でも、何か言いたい。何か聞きたい。すべての表情が、複雑な感情に溢れている。

僕はこのクラスで、浮いている。恐れられつつも頼られている達也くんと違って、僕は人望がない。腫れ物に触る…違うな、触らぬ神にたたりなし的な立ち位置かな。

誰に向けるでもなく、「おはよう」と元気に言ったけれど、クラスの返事は何だかごにょごにょと声にならない声だった。

その中に森崎くんもいる。僕の数少ない友人なんだけれど…

 

「森崎くん、おはよう」

 

森崎くんはぎょっとした。あるいは、びくっとした、かな。

 

「あっああ、おはよう、四葉君」

 

身体が僕に正対しない奇妙な角度で硬直して、頭だけ僕の方を見るようで見ていない。

四葉君、だって。これまで多治見って呼び捨てだったのに。

僕はクラス全員の視線を集めながら、自分の席に移動した。隣の深雪さんはまだ教室に現れていない。

 

「雫さん、ほのかさん、おはよう」

 

「おはよう、久」

 

深雪さんの席とは反対側の席に、雫さんが座り、ほのかさんが寄り添うように立っていた。定位置なんだけれど…

雫さんは、いつもどおり、無表情で返事をした。

 

「おっおはよう!ひしゃ君!」

 

ほのかさんは、どうしようもなく声が上ずっていた。

クラス2-Aは、魔法科高校の中でもエリートで、魔法師の世界にもっとも詳しい一群だ。

僕と澪さんの婚約は、重大ニュースだ。でも、僕が四葉の養子になった事の方が気になるようだ。

どうしてみんな四葉の事を恐れるのだろう。それは、深雪さんも水波ちゃんも、四葉を、お母様を恐れたけれど…あんなに優しいお母様を恐れるなんて、みんな変だなぁ。

 

「ねえ、久」

 

「ん?何、雫さん」

 

雫さんは感情の少ない表情をしている。でも、その瞳には熱がこもっていた。

 

「久は、達也さんが『四葉』だってことは知っていたんでしょう?」

 

雫さんの抑揚を欠いた声に、クラス全員が反応した。

 

「うん、黙っていてゴメンね。でも、僕も知ったのは1年生の11月だったんだよ」

 

「達也さんと深雪が従兄妹だってことは、知ってた?」

 

クラスの意識が暑苦しいほど集まって来た。ほのかさんの視線がふらふらしている。

 

「うぅん、僕も大晦日に初めて知ったんだよ」

 

雫さんが、じっと僕を見つめてくる。僕も雫さんの目をしっかり見つめ返す。

ほのかさんの表情に翳りが差す。

雫さんは僕の言葉を待っているようだけれど、僕は特に言う事がない。

 

「…そう」

 

短く、搾り出すようにそう言うと、僕から視線を逸らした。

奇妙な吐息が教室のあちこちから起きた。

 

「ああそうだ、久、婚約おめでとう」

 

「うん、ありがとう」

 

僕は素直に笑った。

クラスの緊張が解けて、ぼそぼそと呟くような会話があちこちから聞こえる。それでも耳目は僕に向けられている。誰かが僕に話しかけるのを待っているみたいだ。

それを無視して僕はお弁当と筆記用具を机の中に入れて、端末を起動する。

常人なら、それよりも普通の高校生なら居心地の悪さを感じるシチュエーションだ。

でも、僕は常人じゃない。クラス全員の好奇に晒されても、たとえ悪意や憎悪に晒されても、びくともしない。

何だか、また入学当時のクラスの雰囲気に戻ったみたいだ。

でも、あの当時は、僕の隣に花よりも艶やかな存在がいて、クラスを魅了していた。クラスの意識は深雪さんに向かっていて、僕は置物か人形、もしくはお邪魔虫扱いだった。

その深雪さんが、教室に入ってきた。華やかだけれど、儚げで、氷のように触ると融けてしまうような美貌。

 

「おはようございます」

 

鈴のような挨拶に、クラスの生徒全員が硬直した。何ていうか、すごい違和感だ。これまでの深雪さんの圧倒的存在感が、すべて否定されるような、拒絶の空気。

無言の返事に、深雪さんは、それでも胸を張って、自分の席に歩んでくる。誰もが視線を合わせようとしない。

僕以外は。

 

「深雪さん、おはよう。メールではやり取りしていたけれど、お久しぶり。今年も宜しくね」

 

「久?おはよう。体調はもう良いの?お兄様から久の体調がかなり悪かったって聞いていたのだけれど」

 

僕の笑顔に、深雪さんは少し影があるけれど、華の笑顔で答えた。

今現在、達也くんと深雪さんの新しい関係を手放しで喜んでいるのは、おそらく僕だけだ。

 

「うん、まだ少し気だるいけれど、平気。それより、達也くんのこと、まだお兄様って呼んでいるの?」

 

「ええ、長年の習慣はなかなか変えられないわ」

 

「僕の事はお兄さんって呼んでも良いんだよ」

 

「私にとってお兄様は一人よ。久は…そうね、弟か、妹って感じね」

 

「むー妹はないよぉ」

 

「そうね、女性じゃ、五輪澪さんと結婚できないものね。久、婚約、おめでとう」

 

「深雪さんも婚約おめでとう」

 

「ありがとう」

 

その笑顔は、少し寂しげだ。

クラスの雰囲気が悪いからじゃない。別の憂いが感じられる。僕は深雪さんの考えていることは何となくだけれど、わかる。深雪さんの表情を読むのも得意だ。

でも、ひょっとしたら遺伝子が近いからなのかも…

深雪さんが自分の席につく時、雫さんとほのかさんをじっと見つめて、

 

「おはよう、雫、ほのか」

 

と言ったんだけれど、挨拶をかけられた2人は、

 

「えっ、あ、うん」

 

「おはよう」

 

しどろもどろと、短い返事。

深雪さんは寂しそうに、席に座って、端末を開いた。

クラスの空気が、どんより重い。教師が入って来た。他の生徒も、自分の席について、授業が始まった。

いつもよりも静かな、それでいて妙な緊張感のある授業だった。

 

授業が終わって、次は実技棟に移動だ。

僕は椅子から何の気なしに立ち上がったんだけれど、ふっと、立ちくらみで机に両手をついた。しまった体調不良だった。僕は一つに集中すると他の事を忘れる。

 

「大丈夫?久。酷いようなら保健室に行く?」

 

深雪さんが声をかけてくれる。いつもなら、雫さんとほのかさんも心配してくれるところだけれど、今日は、距離がある。

そのことに深雪さんも気がついて、僕に苦い笑いを見せた。

 

「平気。あんまり休んでいると、出席日数が足りなくなるから」

 

深雪さんは、僕の出席日数を頭の中で計算して、

 

「そうね、10日以上は余裕があるけれど、今後、またお休みしないともかぎらないわ」

 

僕は襲われ体質だ。

教室移動の時は、深雪さんが手を引いてくれた。本当に入学した当時のようだ。クラスと、他の廊下で擦れ違う生徒も、じろじろとは見ないけれど、興味ありげな目を向けてくる。

深雪さんは他人の視線に慣れているから、気にしていないようだ。少なくとも気にしていないように振舞っている。

僕も、義兄になるんだし、しっかりしないと。

 

お昼休み、深雪さんは静かに教室から出て行った。教室の居心地の悪さから逃げるというより、雫さんとほのかさんの態度を慮っての行動のようだ。

僕には目で挨拶をしてくれた。多分、達也くんのところに行くんだ。お弁当は、水波ちゃんが持ってきていると思う。恋人同士の逢瀬を邪魔するほど、僕は野暮じゃない。

実は、深雪さんと僕だけじゃなく、ほのかさんもクラスの興味の対象になっていた。ほのかさんが達也くんに好意を抱いていることは、二年生の女子なら大概知っている。

ほのかさんは僕達ほど精神力が強いわけじゃないから、雫さんに抱えられるように教室を後にした。お弁当は生徒会室でとるんだろう。

僕は、食堂に行こうかな。あそこなら、水とお茶が無料で提供されているし、レオくんたちもいるだろう。

 

今度は立ちくらみしないようゆっくり立ち上がろうとした。

クラスの数人の女子が僕の方に近づいてくる。ん?

 

「ねっねぇ、たじ…あ、四葉君。こっ婚約おめでとう」

 

代表の生徒が恐る恐る僕に声をかけてくる。相当、勇気を振り絞ったみたいだ。

 

「うん、ありがとう」

 

僕は笑顔で答える。

 

「四葉君は、戦略級魔法師の五輪澪さんとは、昔から仲が良かったのよね。ほら、1年の時の九校戦でも一緒にダンスを踊っていたし」

 

この女子生徒は…ああ、あーちゃん先輩の補佐で技術担当の生徒だったな。

 

「うん」

 

「五輪澪さんは、たしか、27歳だったよね。とてもそうは見えないけれど」

 

女子生徒の口調が滑らかになってきた。僕が触れても噛み付かないことに安心したようだ。

 

「うん」

 

とても、27歳には見えない。17歳と言っても、もっと若く見られる。

 

「物凄い、年の差婚だけれど…四葉君は、五輪澪さんの事が、その、好きなの?」

 

たしかに、物凄い年の差だ。澪さんは僕よりも50歳も年下だ。

 

「うん、大好き」

 

僕は、恋愛感情はわからないけれど、この感情は好きって感情なんだと思う。だから、僕はにっこりと笑って、答えた。

僕の答えに、女子生徒たちは、黄色い悲鳴をあげた。

僕は、ちょっと驚く。

 

「そっその、政略結婚とか、家同士の閨閥作りとかじゃなくて、五輪澪さんも、四葉君の事が…」

 

別の女子生徒が尋ねてくる。そんなこと聞いてどうするんだろう。

 

「うん、好きだって」

 

今度はクラス全員の女子から、きゃーきゃー声が上がる。

 

「すごーい、素敵、ロマンスよね」

 

変な感想が聞こえてきた。何かと思ったけれど、女子高生の歳相応の恋愛への興味が、四葉への不安を駆逐したみたいだ。

 

「じゃあさ、プロポーズとかはあったの?どっちが先?」

 

あれがプロポーズかどうかわからないな。

 

「澪さんが、私をお嫁に貰ってくださいって…」

 

きゃー。きゃー。

 

「それで、四葉君は何て答えたの?」

 

矢継ぎ早に次の質問。

 

「僕は良い主夫になるよって」

 

きゃーきゃーきゃー。

 

「そっそうだよね、多治見…四葉君、料理とか上手だものね」

 

これまで、クラスの女子生徒は、僕の事を恐れてあまり近づいて来なかった。

澪さんとの婚約で、クラスの女子の僕への好感度が、いきなり急上昇していた。

魔法師共通の、澪さんのイメージは、自分たち魔法師の頂点で、大富豪の令嬢。でも、強力な魔法力の弊害で成熟できず、2年前まで病弱で外出すらもままならない、女の幸せを半ば諦めていた女性だ。

そんな澪さんと、子供のような僕との婚約。魔法師でなくたって、関心の的だ。興味がそそられる対象になるだろう。

ただ、女子からの好感度は上がったけれど、その分、男子からの好感度は急降下しているようだ。んー、もともと高くはないか。

クラスメイトの男子に、婚約者が出来て、それが誰もが羨む素晴らしい女性となれば、年頃の男子は穏やかではいられないだろう。下世話な、妄想も働くだろうし。戦略級魔法師の重圧は、みんな魔法師の卵だから理解出来ているけれど、理解と感情は別だ。桁が違うと諦めるか、激しく嫉妬するかだ。

男子生徒の数人が女子に囲まれた僕を睨んでいる。でも、その程度の視線じゃ、僕は殺せないよ。

年頃女子の質問攻めは続く。

恋愛はわからないけれど、答えられる範囲でがんばって答える。

迂闊に答えられない事も多いから、考え考え答える。その態度が、ウブに見えるらしく、女子生徒はますます盛り上がる。カシマシイ。お弁当食べる時間がなくなっちゃうな。

 

結局お弁当は、女子生徒から解放された後、教室で食べた。誰かがお茶をくれたけれど誰だったかな…すぐに午後の授業が始まるから、お弁当を味わう余裕はなかった。

それでも行儀良く食べる。

深雪さんは、始業ぎりぎりになって教室に戻ってきた。雫さんとほのかさんも同様だった。3人は、会話がない。少なくとも雫さんとほのかさんからは話しかけようとはしない。

僕を間において、変な距離感だ…

 

 

「久、今日は生徒会は特に用はないけれど、料理部に行くの?」

 

放課後、席を立った深雪さんが尋ねてくる。

僕は、名ばかり生徒会副会長だ。繁忙期以外は、生徒会室には行かなくても良い。

空になった弁当箱と筆記用具を肩掛けかばんに入れながら答える。

 

「うぅん、体調がまだ戻らないから、今日はまっすぐ家に帰るよ」

 

「一人で平気?」

 

「うん、大丈夫」

 

そう会話している間に、雫さんとほのかさんは教室からいなくなっていた。まるで逃げるみたいだ。

 

 

校舎の外は、空気が良いな。物理的にではなくて、気持ち的に。

立場がかわったとたん、生徒達の態度もかわる。事情があることはわかっているだろうけれど、感情はままならない。みんな、大人の一歩手前だ。

1月の空気が冷たい。北風が強い。氷が張りそうだ。

氷は、時間が経てば融けるだろうけど。

 

僕は、校門に向かわず、中庭に向かった。

中庭には常緑樹に囲まれていて、周囲からは死角になっているベンチがある。この寒風のさなか、生徒は近寄らない。

そのベンチに腰掛ける。ベンチが冷たい。ズボン越しにお尻が冷える。

僕は生徒会役員だからCADは常備しているけれど、校内では『魔法』の使用は制限されている。風が僕の長い髪を乱れさせる。

 

「さすがに寒いな」

 

僕は『念力』で周りの空間に壁を作った。風が止んで、真冬の太陽が弱い光で僕を温める。簡易サンルームの完成だ。

そうやって、僕はその人を待った。

待ち時間は短く、すぐに靴のヒールがこつこつと音をたてながら近づいて来た。

僕の前に女の子が立った。

今日は風紀委員で、校内を巡回していて、中庭を担当しているそうだ。

実は、前夜のメールは達也くんからだけじゃなかった。

 

[明日の放課後、中庭のベンチに来てください]

 

そんなメールも受信していた。

 

 

「こんにちは、久先輩」

 

女の子は、ベンチに腰掛ける僕に、挨拶をする。

 

「こんにちは、香澄さん。お久しぶり」

 

校舎と実技錬とを渡す廊下の間に強い迷い風が吹きつけて、もがり笛の音が高く響く。

庭木と魔法科高校の女子制服のスカート、香澄さんの髪留めのリボンが激しく揺れた。

リボンは、去年、新宿の雑貨店で一緒に選んだリボンだった。

 

風が強い。

 

 

 

 




ついに久が色気づきました(笑)。
これまで、久と澪と響子の関係は、ルコアさんと翔太君みたいな感じでした。
今後は色恋沙汰に苦労する…?
実は、このSS、最初の構想では久と響子さんが正式に婚約する予定でした。
しかし、澪さんの存在が大きくなり、比翼連理の仲に発展してしまいました。
その後、香澄も予想よりも出番が増えて、今回のラストのような状況にまでなりました。
どうなるんでしょう…自分でもあまり深く考えていなかったり…汗。
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