始業から3日目、一高内での僕たちの扱いに特段の変化はなかった。
もともと深雪さんは校内では神聖視されていた。女子生徒は、気後れからかあまり積極的に話しかけたりしなかったから、表面上、校内での生活はかわらない。
男子生徒は、何かと声をかけようとしていた。花に吸い寄せられる蝶みたいにふらふらと。
これまで、深雪さんは僕を壁にして男子生徒の媚びた目から逃れてきたんだけれど、四葉家という家の格が加わった今は、近づこうとする男子はいなくなった。
今日も2-Aでの深雪さんは自らの立場を理解して、孤高を恐れず淡々としていた。
お昼休み、僕に笑顔で、続けて雫さんとほのかさんに目礼すると、音もなくすぅっと教室を抜けていった。お昼は達也くんと2人でとるんだ。
僕は、香澄さんからメールの返信がなかったから、教室を直接尋ねようかと今朝までは考えてた。でも、水波ちゃんが、1-Cでは下世話な好奇心が渦巻いているって言っていたので、後日にするか…
今日はレオくんたちは食堂で昼食を食べるって聞いている。僕がいると周囲の耳目が僕達の会話を聞き漏らすまいと集中する。レオくんとエリカさんは気にしないだろうけれど、繊細な幹比古くんは居たたまれない思いをするだろうし、美月さんにも悪いし…こちらも遠慮するか。
そう言えば、新学期になって美月さんと幹比古くんと会っていないな。
新学期が始まって間もないのに、一高を照らす陽光すらも何処か余所余所しい。
今夜も、お母様にお電話をして、短く言葉を交わす。残念だけれど、単調な一日はあまり話すことがない。ただ、土日は四葉家を訪れることになっているから、お話はその時にまとめて出来ると良いな。
勉強を終えて、お風呂に入る。僕は、一人のときはカラスの行水だ。適当に全身を洗って、さっさとあがる。自室の澪さんに、「お風呂出たよ」と告げる。「ちゃんと洗いましたか?」って軽く説教をしながら、いつものように僕の髪を乾かして櫛で整えてくれる。
その後、澪さんがお風呂に向かう。
澪さんは、長風呂だ。お風呂にコミックスを持ち込んで、のんびり入浴する。ちゃんと水分補給のボトルも持参している。
コミックスは湯気でべこべこになるけれど、そこは戦略級魔法師。超絶魔法力の無駄使いで、部屋に戻って来る時は嵩高紙は切れそうなほど新品同然になっている…
リビングのソファに、仕事から帰宅した響子さんが、化粧をすっかり落として、楽な服に着替えてくつろいでいた。えんじ色のシャツから覗く肌は若々しく、陶器のように滑らかだ。
ソファに身を沈めながら、片手で携帯端末をいじっている。その指の動きたるや、一流のピアニストみたい。響子さんはちょっとネット中毒だ。
僕は扉を少しだけ開けて、リビングに半身を入れる。ジャンプーの香りに気がついた響子さんは、指はすいすい動かしたまま、顔だけを上げて、
「あら久君。澪さん、お風呂に入った?」
「うん」
響子さんはお仕事で帰宅が遅れる場合があるから、僕、澪さん、響子さんの順番でお風呂に入る。
「響子さんも何か飲む?」
テーブルには飲み物が置かれていなかった。
「そうね、いただくわ」
「僕と同じので良い?」
響子さんは頷いて、僕は台所に向かう。ミキサーでキャベツとキウイのミックスジュースを作る。僕の分は少し氷を入れてフローズンに。量はちょっと多め。
ガラスのコップに爽やかな黄緑色の液体を注いで、ストローを刺す。ちょっと行儀が悪いけれど、グラスを両手に持って、半開きの扉をお尻で開けて閉める。
リビングは適度に暖房が効いている。響子さんはシャツを、ちょっとだらしなく着ている。でもスタイルが良いから、その姿が様になる。胸元の谷間が艶かしい。
「あら、そんなにちゃんとした飲み物じゃなくても良かったのに」
「うぅん、自分のとついでだから」
テーブルにグラスを置いて、響子さんの隣に座る。
「ん、美味しいわ。久君の作る物は何でも美味しいわね、ありがとう」
響子さんは、やや酸味のある甘いジュースを一口飲んで、微笑んだ。
「それは、響子さんが細かな味を理解できるからだよ。僕は少し薄味だし」
「でも、私の味覚に合わせて調整してくれているんでしょ?」
僕は、ちょっと甲斐甲斐しいくらいに主夫なので、自分よりも響子さんの味覚に合わせて作ってしまう。
軽く頷いて、僕も自分のグラスを手に取る。クラッシュドアイスが手に冷たい。
一瞬、会話が途切れて、リビングが静かになった。遠くから、澪さんのお風呂の音が聞こえてきた。
両足をぷらぷらさせながら、僕は響子さんの横顔を見つめた。
響子さんの喉が上下に動く。唇からストローが離れる。少し跳ねた髪、整えられた眉、長いまつ毛、挑戦的で悪戯な目元。
機械式の置時計がコチコチと小さく時を刻んでいる。
「ねえ、響子さん」
「なあに?」
響子さんの顔が、端末から僕に向く。見上げる響子さんの顔は、深雪さんや香澄さんとは明らかに違う。大人の女性だ。
響子さんは自然体だ。でも、どこか緊張感がある。一本背中にぶれない筋がある。僕に対してまったく気負いがない澪さんとは、前々から異なる部分がある。
軍属の響子さんは、基本的に一般人の僕たちに言えない、踏み込ませない部分があるんだけれど…
「ねぇ、響子さん。響子さんは、僕のことを、どこまで知っているの?」
僕は少し思いつめた様子で呟くように尋ねた。
響子さんが怪訝な表情を見せる。相手を量るような、目。その目が、周りの男性陣を遠ざけていることに本人は気付いていない。
「…」
響子さんがグラスと携帯端末を、テーブルに置いた。
いつも溌剌とした、怜悧で悪戯な、どこか抜け目ない響子さんの印象が、がらりと入れ替わった。
隠していた牙をむき出しにした?違うな、猛烈な生気…
透徹したガラス細工のような澪さんの精神とは違う、生々しさ。貪欲な、好奇心の塊。
僕も襟を正して、響子さんを見つめる。
僕は会話の最中、相手の双眸をじっと見つめる。これは奥ゆかしい日本人にはあまりない習慣で、特に女性陣は耐えられないらしい。
長時間の会話で、目を一度も逸らさなかった女性は外国人のリーナさんと澪さんくらいだ。深雪さんですら、呼吸が苦しそうになる。
響子さんは真っ直ぐ僕を見つめ返す。瞳に、僕が映っている。
「いきなりどうしたの?」
「響子さんは『電子の魔女』だ。世間では知りえない情報にもアクセスできるし、痕跡を一切残さない。これまでも僕のことは調べていたと思う」
響子さんが軽く頷いて、続きを促した。
「おかしいなって思ったのは数日前、響子さんが『僕が大学を卒業するまで、この家に住む』って言った時だ」
「…?」
「いつも知的な響子さんにしては稚拙な理屈だなぁって」
「そう?私と澪さんの会話って、大概、冗談めかしてるわよ」
「うん。僕も最初はいつもみたいに澪さんをからかっているって思った。でも、僕の後見は確かに九島烈くんだけれど、僕は4月に18歳になる。2年後には20歳。公式に僕は戦略級魔法師になる。これは確定事項で、魔法師の、うぅん、世間的に見ても、僕は成人だ」
肩書きは多いけれど、建前上、今の僕は一学生でしかない。公の職務は成人後となっている。
「しかも、結婚後、僕の義理の親は四葉と五輪家」
現在最強の魔法師一族の四葉家と国内有数の資産家の五輪家。
「九島烈閣下の後見はもはや不必要ね。閣下はご高齢でもあるし」
「うん。烈くんの年齢はあまり考えたくはないけれど、そう遠くない未来に烈くんはいなくなる」
「九島家そのものとは疎遠の久君に、後見役代わりの私は不必要になるわね」
「…不必要じゃないけれど。立場的にはそうなる。烈くんの言質も効果を失う」
「ええ。だから、理屈じゃなくて、感情で、冗談で煙に巻くようにして、私はここに残ったのよ」
「どうして?」
「澪さんは、子供のまま大人になったところがあるわ」
僕は頷く。澪さんと僕の共通点はそこだ。人命を、無邪気に絶つ子供の精神性。
響子さんの涼しげな目に、知的な光が宿った。湖底から大きな生き物がゆらりと浮き上がってくるような気配。
僕が、この僕が一瞬、怯む。恐怖とかじゃなく、知的レベルの違いに…
「少し、長くなるけれど、良いかしら?」
「う…うん。僕でもわかるレベルで説明してくれると嬉しいんだけれど…」
同じお願いを以前、『ピクシー』にもしたな…僕は成長がない。
最初に、久君を調べたのは、二年前の九校戦。私たちが初めて出会った日よ。
お祖父様…あの、九島烈閣下と対等に会話する子供。
男の子なのに、濡れたような艶やかな黒髪、人間離れした美貌。どこか陰のある表情、相手を真っ直ぐ射抜く紫がかった黒い瞳。驚異的な魔法力。幼い精神性。学力の不足。時々放つ、周囲を威圧する狂気に満ちた圧力。社会的な常識、一般知識の欠如。命を鴻毛より軽く考える幼児性。折れそうで脆弱な身体…
あまりにもチグハグな男の子。しかも、それまで全くの無名。ナンバーズとは接点が皆無。
その男の子を婚約者にするなんて、興味が沸かないわけがないでしょう。
久君はどう見ても10歳そこそこ。魔法師の成長の弊害の可能性?いいえ、戸籍がでっち上げられた物だってことは、巧妙に隠されていたけれど、簡単に突き止められた。
巨額の資産も同じ。閣下の息がかかっているのだから、改ざんなんてお手の物よね。
久君は魔法科高校に入学するまでは、人里離れた山奥に居たって言っていた。
どこの山奥かはともかく、久君が最初に姿を確認された2年前の九島家のある生駒と、その場所とを繋ぐデータがまったくない。
このデジタル全盛の世界で、何のデータも残さずに10年以上も生活するのは難しい。偵察衛星は地球上の全ての地域をカバーしているから、何かしら映像も残るし…
偵察衛星にアクセス出来るのかって?それは、秘密よ。
それで、私の調査でも、久君のいた住所、生駒までの移動方法もつかめなかった。まるで『瞬間移動』ね。
ただ、私達の生活も、半分家族、半分ままごとみたいな物だったし。横浜事変以降、私も軍務が忙しくて、親戚からのお見合いの話がなくなったから、調査はやめて、気楽にそれに胡坐をかいていた。
「でも、去年の九校戦。久君に、『共に生きて欲しい』ってプロポーズされてから…」
「えぇ!?あっあれは、その、その場の雰囲気…勢い…僕が言葉を知らないから」
「あら?私は本気で受け止めたのよ。もう子ども扱いできないって」
そんな素振り、その後も見せなかったのに?この、小悪魔は…
その後、本気で調べたわ。
久君の過去の情報は、面白いくらい、ない。データを改ざん、消去した痕跡すらない。
一高入学までの約10年のデータ、いいえ20年間を見ても、久君の情報がない。砂漠のど真ん中にいたって何らかの情報はつかめるのに、それこそ2年前、当然、宙から生まれたように、久君の記録は始まっている。
九校戦後の師族会議で、久君の過去が問題になった。流石に戦略級魔法師ともなると、出生や経歴は徹底的に調査される。
でも、閣下の鶴の一声『多治見久よりこの国への忠誠を発揮した者はいない』で、その調査もなし崩しになった。
忠誠が何だったのか。それも記録にない。いくらなんでもおかしいわよね。閣下だけが知っている、過去の忠誠…
私はまず、見方をかえて久君の苗字から調べた。
中部地方に多治見って地名はあるけれど、苗字としてはかなり珍しい。久君は、自分は孤児で、苗字は嫌いだから名前で呼んでって、初対面の人には必ず言っていた。
苗字に意味があるんだろうって。地名と無関係か、まずはそこから開始したわ。
多治見に孤児院はなかった。過去100年まで遡ったけれど周辺を含めて孤児院は存在しなかったわ。
次に通常の保育園や幼稚園、託児所も調べたけれど該当はなかった。
群発戦争以降、人口が激減してその地域も過疎が進んでいたから、記録の散逸、人間関係の繋がりも薄く、地権者の不在になった建物、空白地、放棄地も多かった。
都会と田舎の中間の町。めぼしい記録は残されていなかった。
次に、調べたのは民間の地図会社。
地図のアーカイブは無料で公開されているから、すぐに手に入った。その中に、四方を山で囲まれて、上空からじゃないと見つけられない施設が写っていた地図があった。
当時の民間の衛星地図は、どの施設も地下にでも築かない限り丸写しだったものね。
その施設が何かはわからなかったけれど、建物そのもののデータは見つかった。
まず、その広大な土地を買ったのが個人だったのか団体だったのか、法治国家とは思えないけれど登記は不明。
でも、80年前から取り壊されるまでの約40年間、固定資産税は払われていなかった。つまり非課税の施設。国有地ってことよね。別件で割り増しの交付金が自治体に振り込まれていた。
その施設のコンピューターは施設内で完全クローズド。データの持ち出しは厳しく管理されていたようね。機密保持対策は最大レベルだった。
施設の取り壊しの時、データベースも物理的に破壊されていた。施設の研究そのものは完全に失われている。
でも、そこが研究施設なら外部とネットワークに繋がっていないと作業効率が悪すぎる。
光電子的に施設のデータとは完全に切り離されたネットワークを人間が橋渡しをしていたと考えるのが自然よね。最新の論文なんか、いちいち物理的に持ち込むのは手間だもの。
ところが、その手間な事を、その施設は馬鹿丁寧にやっていたの。
報告書はすべてアナログ、タイプで起こされていた。検索履歴は残っていなかった。機密保持にも程があるわ。
でも、電力と水道の料金は軍の機密費から払われていた。機密費の流れを調べると、施設のメンテナンスや拡張にも機密費が使われていた。
メンテナンス会社の記録も見つけたわ。研究装置のじゃなく、排水や空調の修理記録。
そこに正式名称か通称かは不明だけれど、『多治見研究所』って記述があった。
軍の秘密研究所。
過去の軍の施工を委託されている会社と、資材や納入物について調べたわ。
この施設に関係がありそうな軍の発注は巧妙に消されていた。軍に近い民間会社のデータも消されていた。薬品会社のデータも流石に古すぎて復旧できなかった。
でも、ほかの民間の会社、特に生活必需品関連はそこまで細かくデータの抹消はされていなかった。除菌スプレーとかトイレの芳香剤とか、そう言った日用品。
どこの施設でも絶対に必要な品物だから、大手の会社から軍がまとめて買って、施設ごとに分配される。
配送会社の配送データを見つけて、その日用品の中にベビー用品が含まれていたことがわかった。ベビーベッド、オシメや玩具、絵本、粉ミルク。
施設には託児所があった…と考えるのが普通だけれど、ベビー用品の発注は、初期の3年間だけだった。この施設のスタッフに幼い子供がいたのが3年間だけ?施設そのものは40年も稼働していたのに?
次に、この研究所で働いていたスタッフの情報を探したわ。
当時、軍の研究に携わっていた人物の中に、別の研究所の勤務記録があるのに、その研究室の消費電力が殆どゼロって言う研究員がいた。
その研究員は女性で、優秀な成績を収めた科学者だったわ。大学のデータベースもばっちり残っていた。専門は、遺伝子工学。
とある論文が軍内部だけに公開されていた。
『遺伝子操作による人造サイキックの可能性』
その施設は大きかったから他にもスタッフはいたでしょうね。その他の、軍の遺伝子関係の研究者の所在を調べると、所属が曖昧な研究員が複数いた。
清掃や管理担当などの雑務をこなす職員の方は、研究員ほどは秘匿されていなかった。中部方面隊でひとくくりにされてこの研究所に通っていたわ。
交通記録から職員を特定、家族構成もわかった。
その中に、子育て中の研究員、職員はいなかったわ。保育士の資格を持つ職員すらいなかった。
施設内の託児所…育児施設は、何だったのか。遺伝子組み換え、操作、試験管ベビー、魔法師開発…
初期の魔法師開発は手探りで、非人道的な実験も多かったって聞くけれど、群発戦争の切迫した時代とは言え、背筋が寒くなる想像をしてしまうわよね。
深く、底なしの沼を覗き込むような…
響子さんは何でもないように話しているけれど、不正アクセスは犯罪なんだよ…証拠はまったく残さないから立証できないんだけれど。
研究所の記録そのものはない。でも、響子さんは周辺の断片的な情報をひとつひとつパズルのように組み上げていった。
まったく、『電子使い』はどの『次元』にもいるんだな。
…ん?
僕は、響子さんの語りを聞きながら段々と、現在の年月や時刻、自分がどこに居るのか把握出来なくなって来ていた。
複雑な感情を胸に押し込むように、僕は黙って、響子さんの独白を聞いていた。
鍵は、九島烈閣下ね。
久君は閣下とは親しかった。それも、数年の付き合いなんて簡単なものじゃない、まるで戦場を共にしたような気さくさがあった。
久君の記録はなにもない。
でも、九島烈の記録は、書籍が出るくらい、溢れている。
行政機関の保有する情報の公開も幾度もされている。
軍は機密でも、それこそ弾丸一本にいたるまで厳重に記録が残されているから、民間のデータを調べるよりははるかにソースが多かったわ。
現役の軍人が、軍のデータベースに不法アクセス…良いんだろうか。良いわけない。
閣下は中年以降、魔法師として、魔法協会や十師族を纏め上げた。軍人としては作戦畑、現地での指揮官が多かった。
でも、無名の若い頃は現場の下士官として、最前線で戦っていた。その頃の記録は、あまり表に出ていない。それでも、所属の部隊、構成、任地はわかる。
一下士官の任務の詳細は不明だけれど、少尉だった20歳の頃、約半年ほど、単身で破壊工作に従事していたみたいね。
最前線での破壊工作は、戦局を戦術レベルで覆すほどに目覚しかった。敵軍の基地や軍港、軍事施設の被害は尋常じゃなかった。
でも、おかしいわよね。閣下は、搦め手、ケレンや相手の虚をつく魔法、対人戦闘が得意だもの。敵地で、敵の武器庫から爆薬を奪い続けたにしては、回数も多いし、破壊の範囲も規模も大きい。
施設の破壊は専門外。つまり、破壊専門の軍人が同行していた。
その軍人の記録が、一切ない。軍人か民間人かも不明。
『多治見研究所』の時と同じ臭いがするわよね。
この時代の魔法師はそれほど破壊力を持っていなかったわ。CADも大型だったし。
それにしても、どうして半年だけだったのか?
その半年の終り、戦争は激化の一方だったのに、2週間ほど閣下は前線から本国に帰還していた。
そして、敵国の首都が謎の大規模事故で消滅する大事件があった。
原因は不明だけれど、放射線や中性子が計測されなかったから、魔法師開発の失敗って説が大勢ね。
それも無理があると思うのだけれど、敵国の住人600万人が消滅、直径100キロの大地が更地になったことは事実。
今でも、衛星画像で見ると、その地域が円形に切り取られたような地形になっている。
その敵首都消滅事件で、敗色濃厚だったわが国は、群発戦争をぎりぎり乗り越えることが出来た。
複数の魔法師の魔法力の暴走…?
魔法師の魔法力で敵国首都を消滅させる…それは戦略級魔法よね。それも、桁違いな。
もし、それが1人の魔法師の『魔法』の暴走だとしたら、
私の身近に、人のレベルを超越した魔法師が二人いる。
1人は、絶対にありえない。その当時の技術では、彼の『魔法』は使えない。
でも、もう1人、この子の『能力』なら、CADは必要ない。彼にとって『魔法』は余技でしかない。
その事件から70年経っている。
70年のギャップは、不明だけれど、この時代にまるで宙から顕現したかのように現れた。
久君の容姿は、どう見ても10歳そこそこ。久君の肉体は出会ってから成長していない。
この前の狙撃事件で、久君は瀕死の重傷を『念力』で回復させたって言っていたわよね。
久君は、自分の肉体や成長をある程度コントロールできる。
それに、夜。
久君は殆ど眠らない。ベッドの中で、私と澪さんに挟まれて、朝まで目を閉じているだけ。
時間の感覚が常人とは少し異なるのかも。
澪さんの体調が改善したことも、不思議よね。私も、自分の身体が若返って来ている自覚があるわ。
久君は不思議だらけ。不思議すら超越している。
「我ながら変な感想だけれど、久君を想うと、胸がざわつくわ」
響子さんは、僕が『高位次元体』であることまでは知らないようだ。『ピクシー』たち『パラサイト』は情報伝達をコンピューターに一切頼らなかったからかな…
でも、
「…客観的な、証拠にはどれもならないよね?」
「去年の秋、論文コンペの季節。私は達也くんを閣下に引き合わせるために、生駒に帰省したわ。東京に戻る途中、ちょっと寄り道をしたの」
僕の問いを無視して、響子さんは言った。
「風が吹いていた。風になびいて葉擦れの音がしていた。穏やかな小鳥のさえずりが途切れ途切れ聞こえてきた。まばらな紅葉に、粉っぽい落葉が舞っていたわ」
僕は強い眼差しで響子さんを見つめた。何を言い出すのだろう。
「人里から離れた、かつて大きな施設のあった人工的に切り開かれた晩秋の野原に、野菊が咲き誇っていた。まるでどこか別の世界のような風景…」
…予感。僕は身じろぎをする。
「野菊の原と緑の際に、こぶし大の石がばらばらに転がっていた。何の変哲もない石だった。でも、道端に転がっているような石じゃなく、川原の角の取れた丸い石だったわ」
僕は、じわりと息を飲む。
「半分埋もれていた石の数は13個。石には引っ掻き傷で数字が刻まれていた。かなり古びていて汚れていたけれど、1、2、3、4から13まで」
13。不吉な数字。
「その中で、一つだけ他と大きさの違う石があったわ。普通考えるなら『1』が一番大きそうな物だけれど…一番大きかったのは『9』。どうして『9』が一番大きかったのかしら」
「それは、『9』が一番年上だったから」
「幾つだったのかしら」
「歯根完成の特徴から、推定3歳。他の子供は2歳から嬰児だった。みんな群発戦争の孤児。それも血縁のない、天涯孤独の孤児たち」
思い出が奔流となって浮かび上がる。
「………」
僕は、淡く微笑みながら、
「そっか。その石は僕たちのお墓なんだね。誰が置いてくれたんだろう。孤児院の関係者の誰かかな。院内では僕達は数字で呼ばれていたし。
兄弟の間では数字じゃなくって、愛称で呼び合ってて、僕はきゅーだから『久』って漢字を当てて、ヒサって呼ばれてた」
「去年の九校戦のとき、私はまだ、九島家には染まっていなかった。閣下…お祖父様や光宣くんの持つ狂気からは、一歩引いていたと思っていた」
「………」
「久君の過去は、常人には重すぎる。でも、その久君の隣に、私も居たいと思う」
熱気とも冷気とも違う、目の奥に宿る力…心拍数が上がる。
思い出が、泡となって膨らんで、弾ける。もう、過去の出来事だ。
響子さんと一緒に過ごした時間は決して短くない。狂気は、伝染する。
「私もすっかり久君に染まっている。それに、久君の狂気は澪さんだけじゃ耐えられないと思う。10年、20年ならともかく、もっと…」
「八雲さんが…」
響子さんが不信な面持ちで僕を見つめて、首をひねった。
「ん?」
うわぁ、美人はどんな仕草をしても美人なんだな。
「八雲さんも同じようなことを言っていたな…響子さんには、普通の生活を送って欲しいと思っていたんだけれど…」
「もちろん、私だって素敵な男性がいたらって思うわよ。でも、久君以上の男の子って、いるとも思えないし…」
響子さんが、少し口調をかえた。女豹のように身をよじった響子さんが、僕の耳元に顔を近づけた。
「最後に、久君の隣にいるのは果たして、誰なのかしらね」
近すぎて、響子さんの表情は読めない。でも、頬が赤くなっている。僕の頬に、体温が伝わってくる。
響子さんが、上体を起こす。怪しくも蠱惑的な谷間が目の前にある。視線を上げる。響子さんの呼吸が、僕の鼻をくすぐる。
響子さんの指が僕の首筋を撫ぜた。ぞわぞわって、言葉にしがたい痺れが全身を襲った。
ソファが、ぎしりって音をたてた…
お母様とも、澪さんとも、香澄さんとも違う、成熟した大人の色気に、僕は苦しくなる。
空気を求めるように、口をわずかに開く。キウイの甘い香り、むせ返るような甘い香り。響子さんの香りだ。
その、僕の唇に、響子さんの唇が…
ばたんっ!!
「うわぁっ!」
「………」
リビングのドアが、壊れそうな勢いで開いた。その音に、僕は弾き飛ばされる。仰け反るように響子さんから離れる。
対して、猫のように背中を反らして座る響子さんは、少し前かがみのまま、全然動じていなかった。その口元は、三日月型をしている。
「響子さん、何をしているんです…」
ごごご。
湯上りの澪さんがそこに仁王立ちしていた。いつも通りのジャージ姿。
黒髪からほくほくと立ち上がる湯気は、本当に湯気だろうか。可視化された怒りのオーラかもしれない。
過去にもこんな事があったな。2人が初めてこの家に来た日。
響子さんが、舌をペロッと出した。女豹…いや、小悪魔だ。タイミングを計っていたな…
「久君は私の婚約者なんですよ!」
「あら、私の婚約も別に解消されたわけじゃないのよ、澪さん」
「響子さんのは婚約(仮)でしたけど!」
「じゃあ、久君、私と澪さんどっちが好き?」
僕の置かれた立場的に、澪さんとの婚約は揺るがない。響子さんだって、わかっている。わかっていて言っている。
「僕はその…恋愛はわからなくて」
「久君、それは逃げよ!このままだと中途半端になって、誰もが傷つく結果になるわ」
「積極的に爪を立てているのは響子さんでしょう!」
「さあ、久君、選びなさい、私?澪さん?」
…う。
「去年の九校戦の時に言ったよね。共に居て欲しいって!澪さんと響子さん、どちらかがいなくなっちゃうなんて考えたくない。いつまでも一緒に居て欲しい。僕には2人が必要なんだっ!」
将来の風景は曖昧で儚い。昼と夜とが交じり合う『魔法の時間(マジック・アワー)』のように。
それでも、ずるいようだけれど、僕には時間がある。僕と共にいる女性にも。
「ひっ、久君。これってプロポーズよね。ぽっ」
「久君。今の言葉、ちゃんと録音しておいたから、忘れたなんて言わせないわよ」
響子さんがテーブルに置かれた携帯端末を、ちょいちょいっと指差した。
ディスプレイに、録音を表す赤いアイコンが点滅していた。
あっ、罠だ。そう思った。手玉に取られた。2人の、世界でも飛び切りの美女のくびきからは、僕は逃げられない、そんな予感がする。
本当に2人だけだろうか…僕の依存性は女性を拒めない…らしい。
混乱する世界で、一瞬の出会いでも、交錯したのは運命。必然。未来?
ここからが始まりなのかもしれない…
『魔法の時間』はいつまでも続くんだ。
パープルアイズ・人が作りし神。完結(仮)…ん?
実はこのSS、初期構想では、
多治見研究所に残された自分の墓の前に立つ久のシーンで完結する…予定でした。
パープルアイズのプロットを考えていた時、原作は師族会議編上巻まで発売されていました。
2097年1月2日、四葉家の養子として公表されて、響子さんと正式婚約。
翌日、グ・ジーに操られた強化サイキックに狙撃されて瀕死の重傷。
自分の過去と決着をつけるべく、弟達、強化サイキックと決戦。
戦いの後、始まりの場所、多治見研究所の跡地に立つと、そこには自分の墓が建てられていた…
ところが、原作厳守で、行間を縫うように話を進めて行って、当初の予定とはだいぶ異なる人物が活躍し始めました。
澪と光宣です。
本当は、響子と将輝がそのポジションにいるはずだったのですが、
この2人は原作でも重要人物で、原作遵守のこのSSではとても動かしにくいキャラでした。
その点、光宣は出番が少ないし、澪にいたってはほとんどオリキャラで動かしやすくて…汗。
でも、響子は響子でいてもらわないと今後も困るのです。
原作でも、達也の目的であった、四葉家からの独立は見事に失敗しています。
魔法科高校卒業まで話は続きますから、久もそれにお付き合いして、卒業まで話を続けていこうと。
原作がいつ完結するかは不明ですが…(笑)。いや、長く続いて欲しいのですけれど。
このSSもしぶとく続きますので、今後とも宜しくお願い良いたします。