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これは、とある王女の独白。
――――私はただ家族を、民を守りたかっただけ。
――――私には見えない美しい世界を好み愛している人たちを。
〝うそつき〟として語られた悲劇の王女とは別の王女のはなし。
死の記録。
他には、どうとも例えようがない。
私が一人の赤子として生まれて漸く目が見開いた時、初めて目にしたのは私が目を開けたことに喜びあやしている乳母の顔では無く………乳母の首筋に引かれた線だった。
人にも、壁にも、空気にも――――禍々しくも静謐な線が見える。線は常に流動し、一定では無い。けれど、確実にその個体のどこかに有って、今にも其処から〝死〟が滲み出しそうな強迫観念に囚われた。私に話しかける乳母が、首筋の線からぼろぼろと崩れていく幻視をした。
赤子の私はそれをすぐさま理解し、目を潰す事も出来なかったため、ただただ声を大にして泣き出した。困った乳母は私を外に連れ出し、夜空の下で再びあやしはじめた。
私は泣きながら空をみやる。
空だけは、線が無くとても綺麗だった。数多に輝く星々は、前世の私が知っている夜空の星よりも輝いている。そんな空を見て落ち着いた私は泣くのを止めて、星々をずっと見やった。徐々に落ち着き成長していった幼い私は、目に見える光景を〝普通〟の光景だと受け入れ順応していった。他の誰にその光景の事を言ったところで理解されはしないから。
でも――――。
私を可愛がる母や父、兄たちの顔も肉片にしか見えない。
人々が活気づき荘厳に輝くトロイアも、私には寂れて朽ちた都にしか見えない。
滅びた世界、朽ちたモノしか見れないわたし、他の人と同じ光景を共有できないことが辛くて、悲しくて、少し成長した私は勉学以外は街を離れて、森の中を一人で走り回って遊んでいた。
何とか人工物も活きていないと思い込んで、書物を読めるようにはなったけれど、
だからこそ、
結局のところ、朽ちた荒野にしか見えないけれど。
前世の私は剣道を嗜んでいたため、気をしっかりさせるため木の棒を使って素振りをして修行したり、精神統一したり、弓を使い狩りをして腹を満たしたりと、夜が更けても城には戻らず、ほとんど勉強と寝る為に戻っていた。時たま、魔物や夜盗に襲われるが普通に返り討ちにしたり、罠にはめて倒したりをもした。家族は勿論の事、兄であるヘクトールはそんな日々が続く私を心配して、夕方になると森まで私を迎えに来た。
兄は何かを察していたのか乳母たちの様に小言は言わず、今日は何をしたのか?そんな他愛もない話をして故郷のトロイアまで手を繋いで帰っていた。
私はそんな兄が大好きだ。
線の所為で良く顔は分からないけれど、彼の声を聞くと自然と心が安らいだ。鍛錬の所為で豆だらけのごつごつとした手のぬくもりも。
私の目には終わりの世界しか見えず、穏やかな風景なんて見たこともなく、平穏からは無縁だったけど、兄と一緒に手を繋いで帰る一時が私のとっての平穏だった。
けれど、一生、死の世界を見続けるしかないのだろうと、心のどこかで悟っていた。諦めていた。
そんな時に、あの人はやって来た。
オリュンポス十二神の一柱。ゼウスと女神レトの息子。歌や音楽などの芸能や芸術の神として名高く、羊飼いの守護神にして光明の神でもあり、預言の神。
日向の様に温かく黄金の様に輝き、私の瞳をもってしても死が見れなかったひと。
―――――アポロン。私の愛した唯一人の神さま。
あなたは何もかも知っていたにも関わらず、私のような女に愛を囁いてくれた。
死を視る女を気味悪がることもなく、全てを受け入れて、あなたは真摯に愛を謳った。死の線が無い人を初めて見るのもあったが、あなたはとても綺麗だ。見惚れてしまった。初めての体験ばかりで、生娘の如く驚きのあまり私は咽喉を震わせ、言葉を紡いだ。
「……アポロンさま、私は死を視る瞳を持って生まれてきた女です。詩人たちが語る美しい風景も私には朽ち果てた荒野にしか見えず、人は動く肉片にしか見えない。唯一、他の人々と同じように愛でられるのは空の美しさだけ。きっと生も普通の人よりも短いでしょう…それでも―――構わないのですか?」
「えぇ、構いません。それに、この私が貴女の見たことのない――――この世界の美しさを教えましょう」
あなたは優しく朗らかに微笑みながら、私に右手を伸ばした。
私はあなたのその顔を見た時、初めて恋に落ちたと確信した。けれど、人では無い神であるあなたとの終わりは悲惨な物になるであろうと予想した。だとしても、私はその手を取らないという選択はなかった。
だって、一時で良いから、貴方の見ている世界を、自分の家族の顔を私も見てみたかったもの。
そうして、私たちは恋に落ちた。
其処から、朽ち果てた荒野は、美しく凛として青々とした森に。寂れ朽ちた都は荘厳に輝く人々の生の躍動が宿ったトロイアに。まるで、世界が蘇ったかのように、全てが変わったかのように思えた。
もともと、そんな美しい世界だったなんて、私は知らなかったから。
こんなにもこの世界が綺麗だったなんて、私は思いもしなかった。感動した私はあなたに様々な事を尋ね教えを乞うた。そうしたら、あなたは魔眼の使い方を含め私に自身の持つすべての知識を、技を伝えた。
そこから私たちは共に森へ趣き獲物を狩り、時にはあなたが教師として勤め、夜は共に酒を酌み交わし愛を謳い、他の人々が寝静まった頃には必ずと言っていいほど、互いを貪った。
死や朽ちたモノしか知らず凍えていた私にとって、生や恋と愛を知り欠けていたモノが補われ、一人の人として成長でもあった。
線で見えなかった父や母、兄たちの顔を見ることができ、時には、あなたを通して、さまざまな女神に出会い、軍略や魔術を教わったりして、私は本当に幸せだった。
あなたは私にすべてをくれた。生まれたばかりの赤子の様に、この世界ではひととしての経験をほんの少ししか持っていない私に、多くの愛をあなたは教えてくれた。
――――そして、私たちは結ばれることはなかった。
蜜月は長くは続かず、戦禍の火が徐々に近づいてきた。
大神ゼウスが増えすぎた世界の人口を減らすために秩序の女神テミスと相談し、大きな戦争を引き起こして人間の数を減らすことにした―――後の〝トロイア戦争〟。
その兆しが表れていた。
トロイアに禍の種を撒くであろうと予言された王子パリスが女神アルテミスに導かれて国に帰って来たのだ。家族…特に父であるプリアモスは複雑な表情でパリスを受け入れていた。パリスもパリスで居心地が悪そうな顔をしていた。そんな二人の間をとり持ったのが、兄のヘクトール。ヘクトール兄さんがは何とか二人の間に入ったお蔭で、諍いが起こるといことは無く、父や母は勿論の事、私もパリスと普通に仲良くなれた。
だが、そんな穏やかな日々も長くは続かず、遂に彼の名高い〝トロイア戦争〟の原因となった〝パリスの審判〟が起こり、親善のために出向いたスパルタの王メネラオスの元から女神アフロディテに導かれ、妻が居たにも関わらずヘレネーを連れ去った。
女神に導かれたとはいえ、そんな事をした彼を周りは責めていたが、私はパリスを責められなかった。
女神――いや、神と言う者は、与えると言えば必ず与える。例え、
神とはそう言う存在だ。私が愛しているアポロン然り、恐らく、どの国の神もそういう存在なのだろう。にしても、ヘレネに会せるのがあまりにも遅い。女神たちの美を判定した時からかなり時間が経ちすぎている。その間に妻を見つけて結婚していたパリスは、結婚した妻が女神からの贈り物だと思い込んでいたほどだ。
そうして、パリスの都合など考えず後からヘレネの元へと導く始末。パリスは女神アフロディテの贈り物を拒否できる訳もなく、結婚した妻を棄て彼女を選んだ。拒否したとしても無理やり贈られるだけか、女神に不敬を買ったとして酷い末路になるのだろう。どちらにしろ積んでいる。
強いて言うなら、あまりにも間が悪い。そうとしか、言えなかった。ただ財宝を奪ってきたのは、弁護することできない。
そうして、ヘレネを取り返しに来たアカイアの連合軍がトロイア近くの海岸にたどり着き、戦いの火蓋が切られた。
何とか父の相談役であるアンテノルと共に和平の努力はしたものの、神々の邪魔や間の悪さで悉く破談し、やはり血で血を洗う戦いへと向かった。
上陸してきたアカイアの連合軍には数々の勇士や英雄たちがいるため、苦戦し苦労している兄たちを見て居られなくて、私も戦うと宣言したが、どうしてもヘクトール兄さんは許可しなかった。
兄の想いにも気が付いてはいたが、業を煮やした私は恋人であるアポロンと渋い顔をした父親を説得して、何とか戦場に出れるように許可を貰った。アポロンより賜った弓と鎧を装備し、嬉々として兄の元に迎えば、人生で初めて兄から説教を喰らった。
「 パリスやヘレネの事でコッチは手一杯なんだよ。カッサンドラ、お前がオジサン以上に速くて強いのは知ってる。けどな、お前は女だ…戦う必要が無い。大人しく城で父たちと共に此方が勝利するのをアポロンに祈りを捧げて待っていて欲しい。これ以上、オジサンを困らせないでおくれ 」
そう悲痛な顔をしたヘクトールの言葉にほんの少したじろいだものの――――私も引き下がるつもりもなく、覚悟を決めた私を見て兄は諦めたのか戦いに出ても良いと許可した。そうして、私は戦禍に身を投じる。
ヘクトールの軍略の元、私の美貌を上手く使って、女であるため舐めきっているアカイアの勇士たちをおびき寄せ雨あられの如く矢を降らせ一網打尽にしたり、戦場で私に愛を囁いたアカイアの勇士は激怒したアポロンの放った矢によって即死していたりもした。
時にはアカイアの名だたる戦士たち…ディオメデスやアキレウス、大アイアースなどと一騎打ちをし、力では叶わないため、女神ヘカテーより賜った強化の魔術で力を補い、後は速さと技量のみで、魔眼を使い鎧や武器を破壊したりして追い詰めたりもしたが、彼らを寵愛している女神たちの邪魔に逢い止めを刺せなかったりと、もどかしい思いもした。
激しい戦いが続く最中、アポロンは私に未来を見ることが出来る千里眼を与えた。突然の事で私は驚いたが、すぐに納得した。
魔眼を任意で使えるようになったため、他の勇士に惚れて私の心が離れるのを恐れて贈ったのだ。
そして、私は未来を見た。
最期はやはり死に満ちていた。私が魔術で生み出した炎で燃え上がるトロイア。
炎の中へ身を投げた瞬間、焼かれる苦しさを味わう前に私の身は雷に打たれた。
其処から先の私自身の未来は真っ黒で、何も見えなかった。
その未来を見た時、全てを悟った。結局の処、どう足掻いても運命は変えられないのだと。ヘクトールは死に、トロイアは滅びる。
理由はただ一つ。神代より霊長の時代への移行のため、良くも悪くも神秘が色濃く残るトロイアは何れにせよ亡ばなければいけない。神代の末期にも関わらずアポロンが頻繁に私に会うために天より降りて来れるほどに、他の土地よりも神秘が濃かった。
どちらが勝つにせよ、神秘を色濃く持つ者はこのトロイアの地にて死ぬのだろう。
私の青ざめた顔を見て不安げな表情をしたアポロンに何を見たか尋ねられ、ありのままの真実を話し、微笑みながら答える。
「 思っていたよりも、とても幸せな最期でした。周りは死に満ちていたけれど、貴方だけは輝いていたから 」
私たちは結ばれることは無かったが、仲が引き裂かれる訳でもない。ほんの少し、安心した。ただし、死に別れではあるけれど。
そうして、紆余曲折あり、ついに運命の時がやって来た。
―――――兄であるヘクトールの死。
アキレウスの友であるパトロクロスを討った事により、ヘクトールに報復としてアキレウスが自身の生み出した大魔術の結界で不死性を棄て、一対一の勝負を挑み兄を殺したのだ。私が駆け付けた時には既に遅く、アキレウスが結界を解き兄の死体を紐で戦車に括り付け、アカイア勢に向かって勝利の歌を歌って凱旋しようと呼びかけている最中だった。
この時、私の中で何かが壊れた気もするが、一体、何が壊れたのか死ぬ直前までは分からなかった。
ただ、唯一わかるのは、兄の声と、温かな手が二度と握れない…私を止める人は居なくなったという事だけだった。
その光景を見たトロイアの人々は泣き叫び、死体を取りに行こうとして泣き叫ぶ父を周りの人々と共に押さえつけ、悲しむ余裕は無くこれから先の事を考える。
パトロクロスの葬儀により、暫く戦争は延期となりそれなりに時間はあるが、ヘクトールが死んだ後、一体、誰が軍の総司令官になるのか。王族たちが悩んでいる中、兄の妻であるアンドロマケが兄の遺言を父に見せて其れは直ぐに解決した。
兄はもし自分が死んだら、私を総司令官にするように書いていたのだ。私の実力を知っていたため、それに反対する王族や兄弟はおらず、トロイアを任された私には悲しむ余裕などなかった。
私は再び、未来を見る。
国の亡びに穏やかなモノなど無いけれど、どんな亡びがトロイアにとってマシなのか探った。
その結果、私は。
―――――トロイアを自らの手で燃やすと、決意した。
許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許せない。絶対に、許せない。
トロイアは穢させない。兄が心を砕き冷酷になり、周りから非難される作戦をしてでも、愛し守ろうとした国を、奴らに蹂躙させたくない。トロイアを民の血で国を汚したく無い。あの人の死を無意味にしたくない。トロイアの民を、家族を、兄の妻や子供を、何としでも守りたかった。トロイアの人々に憎まれ、嫌われ、呪われようともだ。
オデュッセウスが木馬を生み出すと言うのならば、それを越える罠を作ってしまえば良い。トロイアそのものをアカイアを蹂躙するための罠にする。
アキレウスが兄を殺した時の大魔術の結界をモデルにし、それをトロイアを覆う程の物に作り替えてしまえば良い。
神々が介入が出来ぬ場所を作り、戦士を倒す。誰だって私がそんな事をするとは思うまい。だからこそ、私はそうすると決めた。
決断は早いに越した事はない。トロイアを覆うほどのモノなのだから、それなりの下準備と時間が掛かる。
そう決意した後の私の行動は早かった。
トロイアの王族たちに、この先の未来を話し、アキレウスより父がヘクトールの遺体を取り戻したため、葬儀で11日間猶予がある。その間に非戦闘員や民間人たちに逃げる準備をするよう指示をさせ、私がアカイア軍を引きつけている間に、トロイアの地から離れ後のローマとなるイタリアへ逃げるよう説得した。あの地は此方とそれなりに仲が良く、受け入れてくれるだろうと予想するのは簡単だったからだ。王族たちは沈痛な面持ちで、其れを受け入れた。ただ、父だけは私の手を握り噎び泣きながら、共に逃げないのならトロイアから断固として離れないと拒否し、泣きながら叫んだ。
「 カッサンドラ、ヘクトールが死んだいま、お前まで亡くすのは耐えられない。共に逃げよう 」
「 父よ、残念ですが共には逃げれません。誰がしんがりを務めなければ、アカイアは貴方達を殺しに行くでしょう。それに、トロイアという国は滅んだとしても、名を変えて再び栄華を掴みます。其れまでの過程をどうか、私や兄の代わりに見守って下さい 」
そうして、私はローマが建国し栄華を掴むまでの話を父に語り聞かせた。父は泣きながら私の話を聞き、漸く渋々ではあるがトロイアの地を離れると苦渋の決断をした。
その次に私は、大神ゼウスや恋人であるアポロン、魔術の師であるヘカテーにトロイアよりイタリアの地に逃げる家族や民を見逃し守護するよう祈った。
トロイアの滅びと自らの命を捧げるから、どうかアカイアの連合軍より皆を守って欲しいと。
大神ゼウスは何れ死ぬ私を憐れみその覚悟を認め、他の神や女神に他言しないや見逃すと宣言し、アポロンと女神ヘカテーは魔術を用意てトロイアの民をアカイア軍から隠し導くと誓った。それを聞き安心した私はそこから、真意を見抜かれないよう民が逃げる時間を稼ぐため、アカイア勢の将と彼らに味方する神々を騙しぬくために、あらゆることをした。
ヘクトールが亡きトロイアであっても、私と共に家族を守るためトロイアに残った勇士たちと援軍に来たアマゾネスのペンテシレイアなどを加え再びアカイアとぶつかった。
士気が下がらず一歩も引かない私達を見てアカイアは私の事を第二のヘクトールと呼び、畏れていた。パトロクロスを殺された憎しみを拭えていないアキレウスは、私が第二のヘクトールと呼ばれるのが気に食わないのか顔を歪ませ執拗に私を殺そうとし、激戦を繰り広げた。
そんな戦いの中で、ペンテシレイアなど仲の良かった弟たちがまた一人、また一人、死んでも私の計画は円滑に進んでいく。神々もまた同じく、ヘクトールの遺体を辱めすぎたアキレウスを死の運命に誘うため動き出していた。
そして、その時はやって来た。
私が戦いでアキレウスを引き付けている間に、パリスがアポロンの指示の元、アキレウスの弱点である踵と心臓を射抜いたのだ。それでも尚、彼が立ち向かってきたのは、恐らく死を悟り私を道連れにするためだろう。捨て身で向かってきたが流石に弱点を射られ弱っており、勿論の事、その隙を見逃さず、彼の懐まで入り込み、兄の残した剣で胸を深々と突き刺す。
周囲からは歓声と絶叫が耳に響く、けれど、私とアキレウスの間には音は無く、時間が止まったようだった。暫くしてアキレウスが息を引き取る間際、何かを悟ったのか私の顔を持ちあげ、頬を名残惜しそうに撫でながら呟く。
「 あぁ、次は――――お前の番か 」
「 如何にも、私の足なら直ぐに貴方の後に追いつくでしょう 」
今までアポロンにしか見せたことが無いような、穏やかな笑顔でそう答える。
それを見たアキレウスは目を見開き、眉を顰め嘆いた。
「 ったく、最期の最期でその笑顔は――――卑怯すぎるだろ…にしても、久しぶりに…見た…な……お前の…… 」
言葉を終える前に、アキレウスは事切れた。敵であるのに、私は彼の死は喜べず、体に寄りかかっていたアキレウスの遺体を静かに横たわらせ、胸から剣を引き抜き、簡易的だが魔術で遺体を綺麗にした後、駆け寄ってきたオデュッセウスとディオメデスに武具ごと引き渡した。トロイアの戦士たちにも彼らに手を出すなと指示をして。
オデュッセウスとディオメデスもまた、トロイアの戦士を報復のため殺しに行く事はなく自らの陣営にアキレウスの遺体を急いで運んでいった。
その背を見送りながら、兄ならばアキレウスの鎧を剥ぎ取っていたのだろう。あの世があるのか分からないが、其処で戦いを見ている兄はきっと甘すぎると文句を言っているのだろうな、と容易に想像が出来た。
そうして、刻々と私の死も近づいて来る。
死ぬのはもう怖くはない。昔は怖かったけれど、何が壊れた私にはそんなモノは無く、恐怖は感じなかった。
死が近づくにつれ、トロイアを覆う大魔術の結界も秘密裏に完成し、何時でも発動できる状態だった。いつアカイアの勇士が木馬に乗って攻めてきても構わなかった。
そんな事をつゆ知らず、彼らは木馬に乗ってやって来た。
滅びと共に。
この戦いの結末と共に。
トロイアは、私たちは、木馬を、滅びを受け入れた。
家族のために、この先に続く――――未来のために。
何も知らない彼らは木馬を乗り捨て、城門を開け放ち、外に待っていた味方を引き入れトロイアに侵入してきた。
私は頃合いを見て、魔術を用意て城門を閉め、大魔術を発動させた。
この結界内は、神々の加護や恩寵を一切遮断し、介入すら許さない。神々の邪魔なくアカイアの戦士を討てるだろう。
だが、良い点だけでもなく悪い点も多い。地脈と空気中のマナを一気に吸収し使用するため、もう二度とその地に草木は生えないだろう。生えたとしても、かなりの時間を要する。それ程のマナを使用しても彼ら閉じ込められるのは15分。
なりにより、私自身もアポロンの恩寵を受けられなくなる。
一世一代の賭けに出たのだ。此処でアカイアの軍勢を壊滅させれば、逃げたトロイアの民を追おうとする勢いや余力は消え去り、大人しく自分たちの故郷に帰る。
失敗すれば、奴らは逃げた民を追い虐殺する。ならば、此方は手早い仕事で、一人でも多くの勇士を殺さなければならない。
「 ――――アカイアの勇士たちよ…貴方たちの勝ちです。トロイアは滅びます―――けれど、このトロイアを穢させはしない。貴方たちの手には何も、何も、何も残させはしない。このトロイアから何かを奪って生きて帰ろうなどと思うな。私がお前達に与えるのは死のみ…此処で燃えて死に果てるがいい 」
罠に迷い込んだアカイアの勇士たちに力強くそう宣言し、トロイアに火を放ち私たちは……最期の殺し合いを始めた。
まず、手始めにパリスを殺したピロクテテスをアポロンより賜った弓の真の力を引き出し一撃で心臓を射抜いたが、彼も唯では死なず、最期の力を振り絞り私の肩にヒュドラの毒が塗られた矢を放ち貫かれたのを見て、満足しながら絶命した。
矢が刺さった瞬間、頭が弾けたかと思うほど凄まじい痛みが体中に広がる。思考回路が回らなくなる前に、即座に矢を引き抜き魔眼を用いてヒュドラの毒のみを殺した。
だからといって、毒でダメージを受けた肉体を治癒したわけではない。もう治すと言う考え自体がその時の私の頭から欠落していた。頭がガンガンと殴られてるかのように頭が痛む。ヒュドラの毒の後遺症だったのだろう。
どれ程、頭が痛み、体中が傷まみれになっても、アカイアの勇士を殺さなければいけない。その考えだけは消えなかった。
真面な判断などしていない。
私はそのままアカイアの戦士を、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し続けて……。
死の線を限界まで開いていから、もう誰を殺したのか分らなくて、断言できることは、味方は殺していないと言う事だけ。いや、味方はとっくの昔に殺されていたのかもしれない。
ディオメデスや小アイアースを殺した気もするけど、ディオメデスはとり逃がした気もする。そうして、私の周りにはもう味方も敵もおらず、燃え上がるトロイアの中、屍だけが積み上がっていた。
そんな屍に囲まれ血に塗れた私の前に立った男が一人いた。死の線で顔はもう分からない。けれど、聞き覚えのある声が響く。
「 カッサンドラ………… 」
この声は、オデュッセウスだ。
ヘクトールが感心し認めていた策略家。執念深く根が深く何かされたら一生仕返しするまで追う男…けれど、情が厚く愛に生きた男。現代ならば兎も角、この時代の男らしくない、とても珍しく面白い性格をしていた。
女神が愛するのも当然なのだろう。
そして、そんな男が私の前に立つのは至極当然の事だ。
私は彼と仲が良かったアキレウスを殺した。だって、オデュッセウスの手に握られているのは、アキレウスの槍だ。きっと私を殺しに来たのだ。
「 ……カッサンドラ。もう、終わらせてやる 」
「 ―――――――――ッ! 」
怨敵である筈の私を殺しに来たのに、その声に憎悪は感じられない。寧ろ、憐憫すら感じる。私は返答の代わりに、ドゥリンダナをオデュッセウスの体に現れてる死の線に向かって振り上げた。
其処からは死闘、互いに一手も譲らぬ攻防。
けれど、終わりは訪れた。
私の体はもうボロボロだった…心は兎も角、体は私の意志に反して追い付いて居なかった。
――――――鋭い槍の一撃が私の胸に突き刺さる。
この一撃で、私という殺戮人形はスイッチを切られたロボットのように動きを止める。そして、ふと空を見上げた。燃え上がる炎の隙間に見える青空と太陽。涙を流すあなた…アポロンの姿があった。嗚呼、死の線が無くて本当にきれい。
「 ……空が……綺麗…… 」
「 …正気に、戻ったか…… 」
「 …オデュッセウス――― 」
彼の名を呟き、魔眼を閉じて静かに彼を見やる。私を倒したからだろうか。オデュッセウスは何処か安心した顔をしていた。次に周囲を見渡す。死屍累々の数々。まるで、地獄そのものだった。これを作ったのは私か。
「 ……世話を掛けましたね 」
「 ハッ!何を言ってる…、お前に対して、感謝されるような事を俺は何一つとして行っていない。俺はただ、散々、手痛い目を合わせて来たお前を何としてでも、倒したかっただけだ 」
オデュッセウスはニヤリと意地悪く笑い、憎まれ口を叩く。まだ兄が生きていた頃、戦場で遭遇し、互いに冷静さを無くして激しく罵り合った事を思い出した。
「 ―――――フッ、貴方は本当にしつこい人…もう結界が解け逃げられたにも関わらず、逃げずに私を倒すなんて…。ほっておけば死ぬのに…そんなに私を屈服させ負かせないと気が済まないとか、本当に根が深く執念深い…… 」
「 フン、当然だ。此方はお前に散々、辛辣を舐めさせられ続けたあげく、最後の最後はこのザマだ。流石はヘクトールの妹…ということか。もとより、この機を逃せば、アキレウスの仇は取れず、俺の腹の虫が収まらん。あと、その言葉……褒め言葉として受け取っておこう 」
「 相変わらずですね…あなたは……どうぞご勝手に、なんなりと好きに解釈をして下さい 」
そう言った瞬間、身体から力が抜け、地に横たわろうとした時、オデュッセウスに身体を抱えられる。
「 ならば、そうさせて貰う。それと、最期に……お前に聞きたい事がある。一体、何時からこの策を立てていた。 」
「 ――――兄が死んだ……その時からです。貴方達や貴方に味方する神々にバレないよう策を講じるのは本当に骨が折れました。何れにせよ、トロイアは滅びる定めでしたが、ただで滅びるつもりもは全く無かった。貴方なら分かるでしょう?……神々の掌に転がされっぱなしは真っ平ごめんだもの 」
アポロンの事は愛している。けれど、憎くもあった。私達、兄妹を…国を振り回したのは彼らでもあったからだ。それを聞き、オデュッセウスは呆れたように呟く。
「 …………お前も俺と同じくらい執念深く根深いではないか。人の事は言えんぞ。喰えない女め。惚れた男の気がしれん 」
「 フッ…貴方のほうこそ、私よりも喰えないですよ。まぁ…貴方がどうだか知りませんが、私は貴方のこと嫌いじゃありませんでした。えぇ、寧ろ好きな方でした。別の形で出会っていれば―――――惚れていたかもしれませんね 」
「 なっ――――カッサンドラ!? 」
それを聞き驚いたオデュッセウスの腕の中から抜け出すと、死体に燃え移り勢いの増した炎の前に立つ。
「 …では、さようなら、知将オデュッセウス……賢い人。故郷に帰るまでに様々な試練が貴方を襲い長い年月をかけて帰ることになるでしょう。けれど、知略を振り絞り最後まで諦めなければ必ずや故郷に帰れますよ。貴方には神々が味方に着いてる…… 」
そうして、私は燃え上がる炎をの中へ身を投げた。
炎に焼かれる苦しみを味わう前に、雷に打たれ私の意識は途絶えた。
―――――死に始まって死で終わった、それが、死と炎に満ちた私の生の
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初めまして、イシュメールと申します。
いつもは読んだりするのが専門ですが、思い切って書いてみました。
にしても、小説を書くのが難しい………きのことか本当にしゅごい………。
下らない設定とかは、活動報告にて書くのでよかったら見てください。それと、アンケートもするのでご覧になってください。