「シンタロー、あれでよかったのか」
「ああ、言っただろ」
クロハは座ったまま、シンタローに声をかけた。クロハは明らかに不完全燃焼を抱えている表情を浮かべて、ため息をついた。
ヒヨリも座ったままで、あれだけ言いたい事を言っていたはずなのにまだ言い足りない表情を浮かべてシンタローに視線を向ける。
「シンタローさんは、やっぱり優しいんだね」
言い足りない言葉を飲み込まず、表面に出したままだがそんなシンタローを見てふっと微笑んだ。
シンタローは破けた服や、割れた陶器類を分別しながら片づけている。後ろ姿しか見えず、どんな表情をしているのか一切みえなかった。
そんな後ろ姿をクロハとヒヨリは静かに見守る。
クロハはシンタローから始めに話を聞いた時から際限なく湧き上がる自身の行き場のない衝動を持て余しながら、ヒヨリはこの先に待っている状況を想いシンタローの心を護るために再度自分自身に誓っていた。
シンタローが自分のことを好きにならないことは既に分かっている。でも、それが分かっているからこそずっと一緒に居たいと、支えてあげたいとヒヨリは心の底から湧き上がる気持ちにゆだねた。
そんな慈愛に満ちたヒヨリの横顔をチラリと見た後、クロハは退屈そうに開いたり閉じたりしている自分の手を眺めていた。
クロハとしては、この終わり方に納得いってなかった。
どこから納得いっていないかと言えば、始めから今までのずっとである。話を聞いた後、クロハは自分の手でメカクシ団全員を殺さないにしろ死ぬ方がいいと思えるまで蹂躙しつくす腹積もりであった。しかし、シンタローはそのことを手に取るように自分のことのように理解していた。
だから、蛇を貰い受けたその帰りにシンタローはクロハに一言だけ頼んだ。
「俺に、協力してくれないか?」
ただただ、それだけを、頼んだ。
それは、クロハの強行に歯止めをかける一言だった。クロハはこの言葉を受け入れざるをおえなかった。仲間だったはずの人間に裏切られたシンタローを、もうこれ以上は裏切れないのだから。
納得はいっていない、しかし、これはシンタローの問題でありシンタローがやるべき事だ。横から手を出す資格は始めから存在しない。
納得はしていない、しかし、そのことは理解している。だから、シンタローに協力した。自身がやろうとしたことはただの、やつあたりだと言うことも理解している。
それでもクロハは、自分の手を眺める。
「一発ずつ、殴っとけばよかったかもな」
シンタローの片付けが終わり、しゃがんでいた体を伸ばし二人の方へ顔を向けた。
「じゃ、行くか」
その顔はなんて言ったらいいのか、無表情ではないにしろ、様々な感情がごちゃ混ぜになった複雑だがどこかしら軽くなった表情をしている。
「おう」
「ええ」
二人はソファから立ち上がりシンタローのそばまで近寄った。
「クロハ、ヒヨリ……もし、俺について行けないと………」
「ったく、シンタロー。ここまで来てそれはないだろ」
「そうよ、私は私の意思でシンタローさんについていくって言ったでしょ」
「……そうか、ありがとう」
シンタローは二人に向かって微笑んだ。
「……だったら、俺も俺の意思で決めたことをしないとな」
一歩、後ろに下がり少し距離を開ける。
クロハとヒヨリはそれが蛇を出すための行動だと思い、特に気にしなかった。シンタローが自分達を置いていくはずがないと、シンタローには自分達が必要だと思っていたから。
しかし、シンタローはヒーローだ。いや、ヒーローだったか。まぁ、どちらでもいいか、シンタローはシンタローであることを貫いた。
ヒーローの条件と言われれば、様々な意見が出てくるだろう。
例えば、強いこと。例えば、優しい事。例えば、諦めないこと。例えば、勇敢であること。
あげればきりがないが、その中でも今回の条件に当てはまる物がある。
自己犠牲を行えること。
よくあるヒーロー、英雄譚、正義の味方の終わり方だろう。自分の命を犠牲に世界を助けるなんてよくある話過ぎて飽和状態だろう。
【メカクシデイズ】それはメカクシ団としても地獄だが、そのセカイを作り上げた創造主であるシンタローからしても地獄でしかない。シンタローはメカクシ団を見守るために【メカクシデイズ】に入る。
シンタローはこれ以上自分のわがままに、二人を巻き込めなかった。それは、最初から決めていた。
シンタローがどうして【メカクシデイズ】を作ったのか、それは…………
「ありがとうな」
泣きそうに、笑った。
「シン、タロー?」
「シンタロー、さん?」
ここで、二人も異変に気がついた。気がついた瞬間、二人は同時にシンタローに向かって手を伸ばす。しかし、二人のその手は空を切った。シンタローはもう一歩だけ後ろに下がっていた。
一歩、シンタローがこの世界から遠ざかった距離で、世界がシンタローに与えた距離だった。その一歩はとてつもなく遠く、誰にも近づく事ができない距離。
二人は、崖から落ちていくように地面へと飲み込まれていくシンタローを見送った。
それと同時に、ヒヨリの足元に蛇一匹分が通れるほどしかない赤い蛇の口が開いたことも気が付かなかった。
あの日、シンタローはメカクシ団を退団することを伝えるためにアジトへと向かった。キドだけではなく、メンバー全員に直接言うために。そして、あの家を出る踏ん切りをつけるために。幸い、この時代には部屋を出ずに稼ぐ方法がごまんとあった。
シンタローは通常口座に二年分の迷惑料と、隠し口座に一財産を築き引っ越し先も既に決めていた。完全に姿をくらませる準備は整っていた。それでも今の今まで、カゲロウデイズが攻略された後すぐに行動を取らなかったのは、心残りを心に携えていたからだ。
それさえも、踏ん切りをつけるための一日としたかった。
結果はどうだ、心残りは楔となって心は崩壊した。アリの穴一つで崩壊するダムのように。一瞬、当てつけるように学校の屋上から飛び降りてやろうかとも考えていた。
化物と呼ばれた少年は、どこまでも誰よりも、人間だった。
始めは死にたくなった。そして、復讐を考えた。でも、自分が外に出るきっかけを作ってくれた、最初の短い間ではあったが受け入れてくれた。そのことを言葉に、表情に一度も出した事はなかったがとてつもなく、嬉しかった。
だから、復讐や仕返しという感情よりも感謝の感情が強かった。ただ、その影に隠れて悲しみ、悲痛に蝕まれていた。
心の分だけ軽くなった体を公園へ向けて、おそらくこの光景を見ているであろうアザミがクロハを寄こすまでの待ち時間を利用し頭を回転させる。現状を確認し、情報を整理し、状態を把握する。今の自分は何ができるか、これからの自分に何ができるのか、未来の自分がどうなっているのか、頭の中でシミュレーションする。
今を見て、未来を推測する。いや、シンタローは未来を観測している。起こりうる現象を考慮し、起こり得ない偶然を予測しながら、どう動けば思い描く未来が創れるのかを計算する。
ちょうど、近づいてくる足音が聞こえてきた。
「よう、最善策。最高に面白いツラしてんな」
未来が決まった瞬間、クロハが現れた。
これさえも、シンタローの観測した出来事だ。シンタローはここから動く、自分のためだけに動き出す。
メカクシ団の全員に別れを告げる事、そして、最後の最後に全員からちゃんと『如月伸太郎』を見てもらう事。
最初の時のように。
クロハとヒヨリは手を伸ばしたまま、動けなかった。
シンタローはちゃんと言っていた、クロハとヒヨリに言っていた。
シンタローは二人に向かって『最後まで一緒だ』と。
メカクシデイズ内でメカクシ団全員が如月シンタローという人間の大切さを思い知るまでの何度も繰り返すループの中で、メカクシ団が危険に合わないように気が狂わないようにするための役割を三人でになう事になっていた。
その役割もメカクシデイズ内で行うため、メカクシ団と同じようにループに捕らわれてしまう。だから、ヒヨリは『目を覚ます』蛇を貰っていた。シンタローを一人にしないために。
クロハもいるとはいえ、シンタローたった二人じゃ寂しいだろうと、一人でも多くでいた方がループの中でも耐えられる。
そう、『三人』でいつ終わると知れないループの中で過ごすことになっていた。
でも、シンタローは始めからそんな苦行を一人で背負う事にしていた。
メカクシデイズと現実世界との時間の流れは同じだ。シンタローはまず、メカクシデイズ内の時間の流れを速めるためにメカクシデイズ内限定能力を蛇を使って編み上げた。
『目を駆ける』
常時発動型、メカクシデイズ内の時間を現実世界の何倍もの早さで流れさせる。これで元の世界に戻す時、現実世界では数分しか経ってないようにできた。
タイムマシンを使って過去や未来へ行き、戻ってくる時はその出発時間より少し先に設定した、と同じような感じだろう。
その他にも能力を編み上げた、
メカクシデイズ内で起こったことのみの記憶を操作する『目を伏せる』
メカクシデイズに入った時を始点として、メカクシデイズ内で起こったこと全ての記憶をリセットして始まりに戻す『目を戻す』
そして、メカクシデイズその物を創りかえる『目の色を変える』
二人は悔しく唇を噛みながら戻ってくるのを待っていた。
おそらく数分、現実世界では数分だろうが、シンタローは何年も過ごしているであろう。数年じゃなく数十年かもしれない、下手をすれば数百年かもしれない。全てはメカクシ団に左右される。
2分、二人には2時間にも20時間にも思えただろう。
いくつもの赤い蛇が突如としてアジト内に現れた。数は、9匹。蛇はそれぞれ口を開けた後、床や、壁、天井の中に下がっていった。
後に残ったのは、メカクシ団全員だった。
キド、カノ、セトの三人は魂が抜けたようにただ立ち尽くし、モモとマリーそしてヒビヤはその場にへたり込んで微塵も動く様子もなく、貴音と遥は苦い顔を張り付けたまま無言で壁に寄り掛かっていた。
そんななか、いつもの赤いマフラーを巻いていないアヤノが二人に向かって顔を向けた。アヤノは、現れたメカクシ団を睨みつけている二人に向かって臆することなく
近づいた。近づくにつれ二人の表情は憎悪に変わっていった。
「よう、裏切り者ども」
クロハはあの頃と同じように見下しながら、ヒヨリは射殺さんばかりの眼光を黙って向けていた。
「シンタローから、二人にって」
アヤノの手にはシンタローが使っていたスマホが握られていた。クロハはひったくるようにアヤノの手からそのスマホを奪い、ロックのかかってない画面をスライドするとたった一つだけアイコンが残っていた。クロハはそのアイコンをタップした。
『あ~、クロハ、ヒヨリ、悪かった』
そう、シンタローの声が聞こえてきた。クロハとヒヨリは音量を大きく出来ることなど忘れたようで、スピーカーギリギリまで耳を近づけた。
『始めから、俺一人でメカクシデイズに入るつもりだったんだ。お前らを裏切ることになったとしてもこればっかりは、お前らを巻き込めなかった。俺はお前らが味方になってくれて、その、嬉しかったからだ。
クロハ、お前が蛇だったとしても、カゲロウデイズを体験していたとしても、それはお前を巻き込んでいい理由にはならない。いくら覚悟を決めて俺についてこようとしても、俺の方がお前を巻き込む覚悟はできないんだ。
ヒヨリ、ごめんな。一人だけ俺に味方してくれて、ちゃんと俺を見てくれたのに、嘘をついた。弁解はしない、ヒヨリを連れていかなかったのは俺のわがままだ。一生根に持ってくれてもいい、一生恨んでくれても良い、それが俺の罰だろうから。それこそ、俺のことを忘れてくれてもいい。ヒヨリは、幸せになってくれ。
それと、ヒヨリの蛇は既に取っておいたから安心していい。ヒヨリは、人間だ』
シンタローのボイスメッセージは二人に対しての謝罪から始まっていた。クロハに対しての、ヒヨリに対しての。
その中で、ヒヨリは能力の確認のためメカクシ団にやって見せたように能力を発現させようとしたが、目は赤くならなかった。それは完全に、能力が失われたことを意味していた。
『もう一つ、言わなきゃいけないことがある』
それは、二人にとっても、この場に居る考えを改めたメカクシ団にとっても、不幸な不幸なバッドエンドと呼ばれるものだった。
『俺はそっちに戻ることはできない。
メカクシデイズは創り上げた時からそう設定していた。俺だけはメカクシデイズに入った時点で現実世界には戻ることができないように。これで蛇自体もメカクシデイズ内から出られない。もう、化物と呼ばれるような人間は出ないように。
これは、俺からの最後のお願いだ。
俺のことは忘れて、二人は幸せに過ごしてくれ。
それと、皆を頼んだ。全員、分かってくれたから、恨まないでやってくれ』
メッセージはここで声が途切れた。クロハはスマホを取り落とし、いつの間にか近づいていたアヤノがキャッチした。しばらく回し続けていると再び声が戻ってきた。
『………ああ、そうだアヤノ、マフラーありがとうな。ずっと大事にするから』
今度こそ、本当にメッセージは終わった。
アヤノは大事そうにそのスマホを胸の前で抱きしめ、絶望しきっているメカクシ団の面々と、クロハとヒヨリに聞こえるように少し大きな声を出す。
「シンタローを一人にしたままでいいの?」
そう、全員に聞いた。
「いいわけねぇだろ」
最初にクロハが声を返した。
「ええ、そうね。シンタローさんがいなきゃ幸せになれるわけがないもの」
少し怒り気味に声を出す。
しかし、メカクシ団の面々はバツが悪そうに顔を伏せたままだ。自分達が起こした事なのに、そんな自分達が助けていいのか分からないといった様子だった。
「皆、どうするの?」
再び、アヤノはメンバーに語りかける。
「俺は……」
キドはすがるような視線をアヤノに向ける。しかし、アヤノは何も言わない。これは、こればかりは、自分で決めるべき事だから。
「………俺は、助けたい。でも、本当に俺たちが助けていいのか、分からない」
「そう。でもつぼみ、シンタローは関係ないんだよ。大切なのはつぼみがシンタローを助けたいか、ただそれだけ。シンタローも言ってたよね、自分が決めたことだって。だから、つぼみも、つぼみが決めたことをやればいいの」
「なら……俺は……助けたい。いや、シンタローを助ける」
キドは真っ直ぐに、アヤノを見据える。
「……私も、お兄ちゃんを助ける! それで、もう一回謝る!」
「うん、シンタローに謝りたい」
モモとマリーが立ち上がる。
「そうっすね、まずは助けてからっす」
「そうだね、僕もシンタローくんに言わないといけないことがあるからね」
「おじさんに宣戦布告もまだだし」
セト、カノ、ヒビヤも元に戻ってきた。
「まったく、世話の焼ける後輩なんだから」
「貴音、照れ隠し?」
「ち、違うわよ!」
貴音と、遥の二人もどうやら決めたようだ。
「皆、ありがとう」
アヤノは微笑む。クロハとヒヨリはまだ許せず嫌そうな顔をしていたが、それでも味方が、同じ先を目指す仲間がいると言う事は頼もしかった。
「つぼみ団長、お願ね」
アヤノはキドにバトンを渡す。今度はちゃんと、団長を任せられるから。
「分かった」
キドもそのことを理解した。
「任務、開始だ」