同田貫正国の傷跡と記憶について。書きたいとこだけ書いてるのでなんか尻切れ蜻蛉。流血描写は皆無だけど多少痛々しいかもしれない。

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why we can't love primitively

 二人部屋は、片割れが大柄なのもあってそう広いとは言えない。部屋の片隅には高さ六尺を数える大仰な鞘が鎮座しているし、布団の支給は部屋単位。長柄に合わせた、普通なら特注品であろう大きさのものが二揃いも敷いてあればそれだけで、文机や箪笥に占められていない空間も大半が占拠されてしまう。

 

 ゆっくりと意識が浮上していく。まだ夜中、障子越しに射し込む月明かりからすれば、丑三つ時をほんの少し過ぎた頃合いだろうか。彼、あるいは()()は金の瞳に瞼を被せたまま、もう一度夢の中に沈もうと背を丸めた。夏用の薄っぺらな掛け布団が巻き込まれて、ぴたりと端を付けられた隣の布団から伸びた腕が晒される。腕の主はその端整な顔の眉間に固く皺を寄せて、悪い夢に──あるいはかつての現実に、苦しんでいた。

「どこ行くんだよぉ」

 微かな声でも、草木すら眠りについた深い夜にはよく響く。泣き出した子供のような囁き。否、確かに彼の槍は赤子でしかなかった。刀剣男士としての「御手杵」は、複数本の槍の逸話から構成されている。一本目だけはその名に相応しい精神を与えられただろうが、かの松平の槍、東西槍の片割れは既に無い。二百と六十年も前に焼けて熔けて、もう亡い。いくら三つも四つも寄せ集まったとして、高々二百年の年月を、それも飾られるばかりで経ただけの鉄塊に成熟した神が宿るはずもなかったのだ。

 意識があるのかないのか、器ばかりが大きな槍はぎゅ、と同田貫の浴衣(ねまき)を掴んだまま離そうとしない。

「なあ、どーだぬきぃ」

 六尺四寸の大の男が、赤ん坊のようにその身を屈めてすがり付く。月下に晒された鳶色の眼はけれどまだ夢うつつにTシャツとトランクスだけの青年は、炎よりは涼しいと古傷の付いた胴に手をやって抱き込んだ。

 諦めたように息を一つ吐いて、やはり炎の夢を知る打刀(かたな)は目を閉じたまま丸めた背を戻した。

「どこにも行かねえよ。あんたこそ、ここは蔵じゃねえぞ、三名槍様」

 蔵ではないし、天守閣でもない。理解していないはずもないけれど、それでも苦しまずにはいられなかった。だってこんなに現実染みて、滅びという亡霊はやって来る。それが確かにあったことだと、回した手に触れるざらつきが伝えてくる。然り。焼けて脆くなった無数の刀も、溶鉱炉に化けた蔵で溶けた槍も、その痕跡を肉の身に宿していた。

 

 ぐい、と玩具を扱う幼児のような手つきで人型の刀を引き寄せて御手杵は、彼から見れば小さな首筋に鼻を埋めた。当の同田貫にはわからなかったが、彼からは微かに血のにおいがするのだという。錆びた鉄にも似たそれを御手杵は時折ひどく欲しがって、二振りの部屋でこうして抱きついた。

 

 同田貫正国と名を与えられた刀の、背中一面にかかる大仰なほどの火傷の痕は、西南戦争といわれる戦いが起きた頃、納められていた空間諸共に焼け落ちた御城刀の名残だと言う。彼は同じ名を持つ数多の刀剣の集合体という、ひどく希有な有り様をしていた。それ故か彼は自身の、その身の内の一振りが生まれ落ちた瞬間というものをほとんど知らない。彼は、時を追うのではなく遡る存在だった。

 審神者(さにわ)の手によって顕現した当初、彼の持つ一等初めの記憶は明治十九年のものだった。肥後は同田貫村の刀工、藤原正国は天正の人間だというのに。

 練度が上がるにつれて段々と昔を想えるようになるのだと管狐は言った。顕現したばかりでまだあまり出陣経験のない彼が思い出せるのは、天覧兜割りから辛うじて三十年ほどの過去まで。その中に、燃え上がる大小の天守があった。その様相を思い出した晩、浴場で五虎退に震える声を上げられたのは記憶に新しい。

 

 実戦刀が当然として気がつかない流れる錆びのにおいを、雪降らしだった物は好いていた。本当の意味ではヒトの血を知らないその槍でも、何かを分かったような気になれたから。呆れた様子で息を吐いた同田貫は未だ目を閉じたまま、良いとは言えない夢を思い返す。まだ彼が知らない過去のことだったのだろう。こうやって夢を見て、そしてある日突然、数十年数百年分の折り重なった記録が叩き込まれるのだ。

 

 御手杵と呼ばれる槍の左半身、(あばら)から太股の半ばまでにはケロイドがあった。同田貫の背中よりももっとひどく、肉まで抉れてかたちが変わってしまうような熱の痕跡は、B-29による空襲で焼けた、ほんものの御手杵の記録なのだと彼は信じていた。それが真実そうであった時、その醜さがひょっとしたら唯一、槍身を見れば盲目(めくら)になるとすら云われた槍の証明だった。

 今の御手杵は、神に捧げられた、人に与えられた紛い物(レプリカ)にすぎない。当たり障りのない、都合の良い部分だけを取り出されたような曖昧な実体のない記録たちと、混乱するからと漠然としたままの記憶たち。御手杵はそれらを抱えて、それらだけを抱え込んでここにある。自分がどんなものなのかもわからずに。

 

 一時(いちどき)に思い出す記録たちは、きっと五、六年のことにすぎない。けれどただ彼らは沢山いて、その「陛下」の眼前での栄誉が誰のものなのか、彼ら自身にもわからなかったというだけで。

 

 御手杵は同田貫のにおいが好きだった。その晩の食事の匂いと、なにも飾らない石鹸の香りと、微かな泥と血の(にお)いが好きだった。けれど別に、恋なんてしていなかった。それは、彼らがどれほど審神者に影響されるのかの証明でもあったろう。

 同田貫の方も、愛されているとまでは思っていなかった。あの、「一番刀らしいから」と言って歌仙兼定を選んだ女は、刀剣が子を成しうるなどとは考えもしなかった。だから、この本丸の刀剣男士にそのための機能は、そのための部品は付いていない。人間の男には付いているはずのものも、人間の女には開いているはずの穴もない。そしてそれはつまり、初めから、誰を愛する必要もないということだった。それでいい、と数打ちとも言われる刀は思った。審神者の言う通り、刀に愛など必要ない。ただこうやって、二振り同じ褥の上に並んでいて、それでもどうとも思わないというのは、ひどく無機物らしくて良い気分だった。神からは遠くて構わないから、人から離れた様の、無機質な物で在りたいその打刀にとって、この世界はとても居心地の良いものであった。

 

───***───

 

 同田貫の背中の傷は、時折かわった。一面の火傷の前は、何か重いもので殴られたような(あおぐろ)が広がっていて、そして今は肩甲骨から短刀の拳一つ分か下を真一文字に横切る切り傷が。同田貫正国には傷の位置も種類もわからない。痛みも滅びも、一々気にかけるには当たり前すぎたから。けれど加州清光はどうしても耐えられなかった。彼は、そんな傷に心当たりがあった。胴を横一文字に裂くそれが、パキリというあの音の残滓だと分かってしまった。踞って泣き出した彼にしかし、同田貫は何も言えなかった。何もできない。今自分の背をなぞっている大きな子供にも、何も言えない。

 

 こんな傷には覚えがないなあ、だなどと。どんな傷にもたいして覚えなどないのだろうに、御手杵の名を名乗る槍は囁くのだった。

「ああ、ないだろうよ」口の中だけで消えるように呟いた同田貫にも一応、それが打ち折り試しの跡だと言わない程度の分別はあったけれどでは何と言えば良いのかまでは、わからなかった。

 

 切り傷のついた腕が、奇怪なままの左側に触れて、直らないのは不便だなあ、と傷が増えるばかりの鋼でできた少年は思うのだった。自分だって治りはしないのに、変わっていくばかりで、慣れていくばかりで、消えてしまいたいほどの経験をしているはずの刀は、愛していないはずの槍を慮る。

 

 ただ、他の刀と同じくらいに。


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