やはり俺の面白おかしな恋物語はまちがっている。   作:Z-Laugh

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第一章

「・・・ちゃん・・・お兄ちゃん」

「ん、もう朝か・・・もうちょっと寝かせろ。昨夜遅かったんだから」

「そんな事言ってると益々目が腐っちゃうよ」

「昨夜も夜周り仕事の手伝いで寅の刻まで町に出てたんだ。もうちょっと寝かせろ」

「え~~寅の刻って、そんな時間まで?」

「そうだよ。だから寝かせてくれ」

「そんな事言っても、隼人さんと材木さんが起こしてこいって言ってるよ」

「・・・ちっ、しょうがねえな・・・」

 俺は布団から嫌々抜け出るとゆらゆら頭を振りながら外に出て眩しい朝日を眺めていると、それを遮る様な大きな体の眼鏡を掛けた男が俺の前に立ち塞がった。

「はーはっは。やっと目覚めた様だな、八よ。エゲレスという国の言葉でぐーーっどもーにんぐだ」

「うるせえよ、材木」

 俺が“材木”と呼ぶこの男。元は大店の跡取り息子で会ったのだが蘭学に興味を示し家の反対を押し切って蘭学三昧の日々を過ごす放蕩者である。俺と同じ総武長屋に住み部屋の中はこれまでに手に入れた蘭学をはじめとする各種の本で埋め尽くされ今は本の上に寝て生活をしている始末である。蘭学者として義輝と武家の様な名前を名乗っているのだが、常日頃より蘭学かぶれの四角四面の堅苦しい事を芝居がかった物言いで言い、更に図体がでかくてかさ張る事からこの男に俺は“材木”のあだ名をつけた。

「なにが、ぐーーーっだ。どうせだったらぐーぐー寝かせろってんだよ」

「そう言うな八。昨夜は予定より遅かった様だな」

「ちょっと算段が狂っただけだ。しくじっちゃいねえよ。隼人」

 さらに俺に話しかけるもう一人の男。呼び名を隼人と言う。元は旗本葉山家の次男坊で侍としての素養も身に付け将来に何不自由ない生活が約束されていたにも拘らず家を飛び出し町道場で剣術指南をして生計を立てている。知人の追跡を逃れるために元・薩摩藩士の浪人と身分を偽りながら総武長屋に逃げ込む様に住み着いたので、やはり俺が“隼人”のあだ名を付けてやった。

 

 この二人が俺を挟み込む様に近づくと懐から手を出し、、俺から小判二十五枚の包塊を一つずつ受け取り、そそくさと懐にしまい込む。

「算段が狂ったとはどういう事だ?」

「別にお前の下調べが足りなかった訳じゃない。心配するな」

「な、な、なんと!我の策に漏れがあったとでも言い出すつもりか!?」

「そんな事言ってないだろ。策も問題は無かった、ただあの店の主人が安い千両箱を使ってて運んでる途中で金具が外れちまったんだよ」

「ふん。あの様な悪どい金儲けをしていながら、その様な事ではあの店も長くないな」

「まあ今回の八の仕事で打撃を受けた事は間違いないだろう。暫くは大人しくなるのではないか」

「そうだろうな。あれだけ用心棒を雇って岡っ引きどもに袖の下を渡して上手い汁を吸い続け様としたみたいだが、その元金が無くなっちまったんだからな」

「そう。我らは正義を行っているのだ。じゃーーーすてぃす」

「そう騒ぐな材木。長屋の他の連中に気付かれるぞ」

「そうだ。ただでさえ寝不足で頭が朦朧としてるってのに、お前の大声は頭に響くんだよ」

 そんな風に俺達三人が井戸端会議をしている様子を部屋の戸の陰から覗いていた女が一人。

「腐っ腐っ腐っ・・・いいねぇ、、朝っぱらからいいネタを仕入れちゃったよ」

「お姫菜・・・お前はそれしかないのか!?」

「他に何が必要なの。あたしはこれを生業にしてるんだから当然でしょ」

「しかしお姫菜・・・何もよりによって俺達をネタにする事もないだろう」

「しかりしかり。我のごとく書物を読みまくった博識の者でもお主のその感性にはついていけんぞ」

「わかる人わかればいいの。それより小町ちゃんは?」

「小町か、おーい小町、お姫菜が呼んでるぞ」

「は~い、おはようございます。お姫菜さん」

「はいお早う。今日も元気だね」

「はい、小町はそれが取り柄ですから」

「じゃあそんな小町ちゃんにこれあげる。私のお得意さんから貰ったんだけどさ食べ切れないからさ。お優美とでも食べてよ」

「あ、羊羹だ。ありがとうございます」

 小町に羊羹を渡したこの女。名をお姫菜と言う。やはり俺達と同じ総武長屋の端の部屋に住み草双紙を書いて生計を立てているのだが・・・その内容はやまなし、おちなし、いみなし、のやおい専門の作家で“姫菜紫”という名でそこそこに評判が取れている作家なのである。全く今の江戸はどうなってんだ?悪どい商売する商人、頼りない役人、そしてやおいで食ってる女・・・せめて最後のだけでも取り締まれないもんかな。小町に悪い影響が出てしまそうで怖いんだよ。

「小町。お姫菜なんかに係わってると頭がおかしくなるぞ」

「あ~~八っつぁん、それはないよ~」

「はいはい、わかったよお兄ちゃん。私そろそろお優美さんのとこ行くね」

「・・・なあ、それもそろそろ辞めた方がいいじゃないか?」

「なに言ってのさ、お兄ちゃん。辞めちゃったらごはん食べられなくなっちゃうよ」

「それくらい俺が稼いできてやるから、茶屋なんかで働くの辞めろ」

「や~だよ、そんな台詞は稼いできてから言ってよね」

 そう言うと小町は部屋に入ってしまった。どうやら出かける支度をするみたいだ。俺はハァ~~っと大きく溜息をつくと、くすくすと笑い声が聞こえてきた。

「あんた、、妹の事を甘やかし過ぎだよ。ちったあ私を見習いな」

「お前だって弟や妹に甘甘じゃねえか」

「おはよ~さきさき~」

「その呼び名やめろって言ってんだろ。先に死んじまうみたいで嫌なんだよ」

「そんな事言ったて、お沙希って名前じゃしょうがないじゃん」

「私は弟や妹を残して死ねないんだ。縁起でもない呼び名は止めてくれ」

 しきりに弟や妹を気にするこの女は名をお沙希と言う。三味線が達者で金がある家の女衆に三味線を教えたりして多分この総武長屋で一番身入りがいいだろう。しかし下の兄弟を養わなければならず、出ていく分も多いので暮らしぶりは俺達とそれほど変わらない。

「なにニヤニヤしてんだよ。あんただって妹残して死ねないだろ」

「まあな。けど・・・最近は早く相手を見つけて欲しいって気持ちが出始めてるぞ」

「小町の奴、いくつになったんだっけ?」

「お前のすぐ下の弟と同じだろ。数えで十六だよ」

「なら、そろそろ相手を探し始めてもいいかもね。どんなの見つけてくるんだか」

「そりゃあ、俺の事を大事にして、俺の事を尊敬して、俺に楽をさせてくれる様な奴に決まってる」

「あんた、、、妹にぶら下がって生きていくつもりかよ」

「ああ、俺達兄妹はとても仲がいいからな」

「八、、それは違うと思うぞ」

「うるせえよ隼人。お前まさか小町に色目を使ってるんじゃないだろうな」

「また、その話か・・・そんな訳ないだろう。小町ちゃんは俺にとっても妹みたいなもんだ」

「なんだよ、小町じゃ不足だって言うのか?」

「お兄ちゃん、言ってる事が無茶苦茶だよ。すみません隼人さん」

「いいよ、いつもの事だ」

「うむ。今日も良い器量で良い仕事をしてくるといい。さすれば良き運にも恵まれようぐーーーっどらーーーっく」

「はい、ありがとうございます。あ、お沙希さん・・・」

「なんだい小町?」

「小町はいつでもお沙希さんと寝床を替わるつもりありますからね」ひそひそ

「な、な、なな、なに言ってんだ。そ、そんな事・・・」/////

「私はお結衣さんでも良いんですよ」ひそひそ

「お、お前な~~」/////

「じゃ、いってきま~す」

「小町~後で店に顔出すからな~」

「は~い」

 小町を見送ると俺、隼人、材木の三人は昨夜の騒ぎがどれほど物になっているかを調べる為に大通りへと向かった。

 

 朝日の眩しさが治まり日差しの暖かさを感じ始めた頃の俺、隼人、材木の三人は路地を抜け数回その角を曲がり大通りに出た。大通りは人通りが増え始めた頃で道沿いの店々が表戸を開け小僧どもが店の前の履き掃除をし通りの中央には大八車が行きかい、まるで町が大きな一つの生き物の様に目覚め始めていた。大通りを歩いて四つ辻(=交差点)に近づくと、右手に紙の束、左手に風呂の腰掛けの様な台を持った男が、その一角を陣取る様に腰掛けを地べたに置いて上にヒョイと乗っかり

「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!昨夜現れた怪盗のろいのお話だ!」

 勢い良く喋り出した男は紙の束を持ち上げながら大通りに行きかう人々の耳目を集めた。その内の時間にゆとりがある連中が台に乗った男を取り囲む様に群がり始め男の講釈を聞き始める。

「昨夜、丑の刻に海鮮問屋に押し入った怪盗のろいは店から千両箱一つを盗み出し奉行所総出の捕り物にも拘らず夜の江戸の町に溶ける様に消えちまった。被害にあった海産問屋も用心棒を雇っての寝ずの番をしていたのにこの有様、なにしろ怪盗のろいという奴が今迄に聞いた事が無い程に恐ろしい奴。一目で人を震え上がらせ、二目で相手を呪い、三度見れば相手の呪い殺すという呪術まで使うって言うんだら奉行所も用心棒の連中も為す術なく取り逃がしちまったってお話だ。もっと詳しい話を知りたければ・・・この瓦版に全てが書いてある。一枚たったの五文だ、さあ買った買った」

 瓦版屋を取り巻きながら話を聞いていた連中は我先にと瓦版を買い求め、瓦版を手にした連中は恐怖と好奇心が混ざった様な顔をしながら、その場を離れていった。人波が少し収まった所で俺は懐から五文取り出し瓦版を一枚買い入れ隼人、材木の所に戻り三人で顔を寄せる様にして瓦版に目をやる。まず目に飛び込んできたのが人相書き。なに俺、目に黒い涙でも溜めてるの!?と言いたくなる様などんよりして形の定まって無い目つき、そして口は耳元まで裂けさながら妖怪の風体である。文章に目を向ければ、さっきの口上に少々付け加えがしてある程度で特に俺の正体について触れてる様子はなかった。俺はほっと息を吐き瓦版から目を離すと俺の両脇の二人が

「くくく・・・なかなか似ているな・・・あの瓦版屋・・・浮世絵師にでもなればいいものを」

「うぷぷぷ・・・八・・・お前の目つきは拙者が今まで読んだ、どの書物にも書かれていない程の希少なものだな・・・」

「笑いたければ笑えよ。我慢は体に良くねえぞ」

「そうもいかんだろ。人々が恐怖交じりで話す中、笑い声をあげては好奇の的になってしまう・・・くくく・・・」

「左様左様!この場で目立つ事は我々のしている事を世に露見させる様なもの。ここは我慢のしどころと言うものだ。いっつしょーたいむっ!」

「全くいい迷惑だ。している事がしている事だから誹謗中傷は覚悟の上だが、いくらなんでもこれは無いだろ」

「まあ、この分ならお前の正体に気付いてる人間はいないだろう」

「・・・いや、実は・・・」

「どうした。その様な困惑した顔をして?」

「昨夜・・・顔を見られちまった」

「な・・・」

「なんだとっ!」

「デカイ声を出すな材木。二人ともちょっとこっちに来い」

 俺達は横路地に入り込み、小声で話し始める。

「顔を見られたというのは昨夜の逃げる時にか?」

「そうだ、、千両箱からこぼれた小判を拾おうと屋根から降りたら一枚壁の大店の横路地でもう一度屋根に上がる事が出来なくてな」

「う~む・・・でんじゃらす!どの様な者に見られたのだ?」

「それが・・・俺達とそれほど変わらない娘っ子一人だ」

「俺達と変わらない程の娘?丑の刻にか?」

「ああ、俺も驚いたんだ。一枚壁の両脇から挟まれでもしたらと思って大急ぎで駆け出そうとしたら勝手口が開いてその女が出てきたんだ」

「なんだ?その女も盗賊か?はたまた狐狸妖怪の類か?」

「ちがう。その大店の娘だそうだ」

「だそうだ・・・って八、お前その娘と話をしたのか?」

「物怖じしない娘でな・・・つい乗せられちまった」

「お前は大店と申していたな。横路地を貫く一枚壁の大店などそう多くない。何と言う店だったのだ?」

「雪乃屋だ」

「・・・雪乃屋・・呉服のか?するとお前の顔を見たのはお陽かお雪なのか?」

「隼人。なんでお前がその名を知ってるんだ?」

「俺の家の出入り商人の一人だ。俺と同じ年と3つ上の娘がいて、親が商談をしている時に相手をさせられた覚えがある」

「それは幸運!すぐにでも口を塞ぐ手立てを考えようぞ。我等の進撃を町娘などに止めさせてはならない」

「ちょっと待て材木。確かに顔を見られ話もした。しかし・・・あの様子からしてあちこちに言い触らす様には思えないんだ」

「なにを府抜けた事を!すぐにでも手を打たねば!」

「いや、八の言いたい事はなんとなくわかる。八、お前が話したのはお陽だな」

「そうだ、、よくわかったな」

「なんともお陽らしい話だ。相手の身分が何であろうと興味が有ると無しで人をふるいにかける所がある娘だ。俺も何度かそういう所を目の当たりにした事がある」

「まさしくそう言う感じだったぞ。人の知らない事を知って心底嬉しそうな顔をしてやがった。妹へのいい土産話とまで言ってたからな」

「ならばどうするつもりだ?放っておくのか?」

「・・・俺が様子を探って来よう。雪乃屋なら何人か知り合いもいる・・・正直、飛び出した家の縁を持ち出す様な真似はしたくないが、やむを得ん」

「よかろう。隼人が探って問題が無いのであれば放って置くとしよう。無駄に殺生はするものではない」

「偉そうなことを言うな。するにしても、しないにしてもお前は長屋から出ないじゃねえか」

「うう、しかし計画を練る上でその様な者達がいるという事は計画を困難にさせる要因になってしまうのだぞ。それでも良いのか?」

「まあ落ち着けって。そうだ、、茶でも飲もう。小町に顔を出すって言ってあったんだ」

「お優美の店か・・・よかろう」

 興奮気味の材木を引き連れ、俺達三人は元いた大通りに戻ると瓦版屋のいた四つ辻を抜け一軒の茶屋に到着した。茶屋はまだ早い時間であるにも拘らず結構な賑わいで席に着く男共が茶を運ぶ娘、、、すなわち俺の妹の小町に色目を使い何やら話しかけている。俺はその様子を見て小町と客の間に割り込んでやろうと思い店の中に入ろうとすると

「また来たの?あんたが心配する様な事にはなりゃしないって。あーしが見張ってんだよ!いらない心配してあんたみたいな目つきの男が店に出入りすると店と売り上げが落ちちまうんだよ」

 心底、鬱陶しそうに店に入ろうとした俺に文句を言ってきた女郎言葉のこの女。名をお優美と言う。若い身空で早くに親から譲り受けたこの茶屋を切り盛りする女主人だ。器量の程はそれなりであるが、なにしろ口が悪いし態度も悪い。そのせいで店を譲ってもらったばかりの頃は客足を途絶えさせてしまい、店を潰しそうになったのだが同じ年の友人であるお姫菜の紹介で小町が働き始め、店の危機を乗り切ったのである。俺は小町が茶屋で働く事に最初から反対しているのだが小町はこの口の悪い女主人の肝っ玉母ちゃんぶりが大好きで上手い具合に甘えながら働いている。

「ほらほら、あんたの座る席なんて空いちゃいないんだから、とっとと・・・隼人さま~~~~~っ」

 お優美、お前今どっから声出したんだよ?お前には後ろ頭にもう一つ口あるんじゃあるまいな!?突如、猫撫で声を出して店の外に飛び出していくと隼人の目の前に立ち愛嬌をふりまき始めた。

「隼人さまもご一緒だったのなら早くそう言って下されば良かったのに。さあ、奥の方へどうぞ。一番いい席で一番新しい座布団を用意させていただきます。もうお茶だって何杯でもお代りして下さい。なんなら急須ごと、いえ桶やかめでも、好きなだけお召し上がりください」

「い、いやお優美。俺はそんなに茶ばかり飲めない。ただ気持ちはありがたく受け取っておくよ」

「隼人様・・・お優しい・・・」////

「では拙者が茶をたらふくご馳走になるとしよう」

「・・・ちっ!隼人様がいなければこんなの店に入れないのに」ぼそぼそ

 俺達三人をお優美は複雑な表情で奥に案内して、お優美が隼人に、そして小町が俺と材木に茶を運んできた。自慢の妹が入れた茶を飲んで落ち着きを取り戻した材木が隼人の調査を待ってから結論を出す事に賛成をしてくれた。

「じゃあ俺は茶を飲み終わったら雪乃屋を回って、その後“仕事”をしてくるから長屋に戻るのは昼過ぎになると思う」

「よかろう。拙者も茶を飲み終わり次第“仕事”に出向くとしよう。八、お前はどうする?」

「俺は今日は店の方に顔を出して・・・いつも通り氏神様にお礼を言ってから“仕事”をして帰るから、やはり戻るのは昼過ぎってところだな。三人揃ったら残りの金の分配をすまそう」

 二人は小さくうなづくのを見て俺は席を立ち小町に一声かけて一人で茶屋を出た。大通りを総武長屋から遠ざかる方向に歩き十軒ほど先にある飯屋に入る。店はまだ昼の客を迎えるの支度をしてる最中でもあり、台所から慌ただしい雰囲気が伝わってくる。

「あ!はっちー」

「よう、お結衣」

「今日は仕事の日じゃなかったでしょ。あ、また“差し入れ”が欲しいのかな!?」

「いや・・・そんなんじゃねえよ。旦那さんはいるか?向こう十日間の仕事の

予定を確認しに来たんだ」

「そっか、お父つぁん。はっちーが来てくれたよ」

 するとお結衣は台所へ、そして入れ替わる様に店の主人であるお結衣の父親が台所から出てきた愛想のいい、いかにも腰の低い商売人で隣近所との関係も良好なこの飯屋の主人である。俺は十日のうち三・四日、多ければ五日をこの店の台所で働かせてもらっている。そう俺の表の顔は板前だ。といっても町人が出入りする飯屋の飯の水準なんてたかが知れていて俺の様な素人に毛が生えた程度でも仕事になっているのだ。

「よう八っつぁん、どうしたんだ?」

「へえ旦那さん。向こう十日間の仕事の予定の確認に参りました」

「ああ、向こう十日と言うなら・・・十日とその前後の日、それと明けて十五日に来てくれれば良いよ」

「わかりました、ありがとうございます」

「いいって事よ。俺も八っつぁんが来る様になってから楽できる様になって商売がやり易くなってるんだ。本当に助かってるよ」

「それは褒め過ぎってもんですよ」

「いやいや、若い身空でそれだけ包丁が使えれば大したもんだよ。それより八っつぁん、例の件は考えてくれたのかい?」

「え、あれは前からお断りをさせていただいてるじゃありませんか」

「そうなのかい!?私は諦めてないし・・・なによりお結衣がその気だからね」

 この店の主人は俺を板前として雇ってくれているのだが、どうやら自分の後窯に俺を据えようって魂胆らしい。要するに俺と娘のお結衣を結婚させてしまおうと企んでいるのである。俺の様な長屋住まいの男が一軒の飯屋の主人に出世できるというのだから、ありがたい話ではあるが、、、俺のもう一つの顔がそれを許さない。盗人に娘を差し出した店に世間からどんな悪評がたつか?その家族がどんな扱いを受けるか?想像するに難くない酷い有様になるだろう。店の主人はいい人だ、娘のお結衣も看板娘として、この大通りでは名が通っており愛嬌のある可愛らしい顔と胸に枕でもしまってあるのではないかと思う程、帯に乗っかる様な大きな胸。それに何より、その朗らかな人柄で客のあしらいも上手い、いい女なのである。そんな人達を巻き込む訳にもいかず、かといって表の顔としての仕事を失う訳にもいかず、今まで働き続けて主人とお結衣に期待を持たせたままとなってしまっている。

「まあ気長に待ってるから、その気になったらいつでも言っとくれ」

「・・・」

「それと・・・今日もお結衣のやつ“差し入れ”をこさえている様だが・・・」

「・・・はい、私はいらないって言ってるんですけど・・・」

「まあ約束通り米二合分を給金から引かせてもらうよ。うちに来てくれりゃ米なんてただで食い放題なのに・・・まったく」

 主人とお結衣が言う“差し入れ”とは。元はお結衣が好意で俺にその日の店の残りを持たせてくれた事に端を発する。しかし、ある日お結衣が俺に竹皮に包まれたものを差し出してきた。その正体は握り飯、、、だったのだが、その見栄えの悪さといったら、、、まず竹皮の包み上からでもわかるほどに大きさが揃ってない。さらに卵程の大きさの握り飯に梅干し一つが入っていて味の塩梅も滅茶苦茶。その上何を思ったのか大き過ぎる握り飯の具には、前日に残った刺身の切れ端や野菜くずが入っていて長屋に持って帰って食べようとしたら妙な匂いがし出す程だった。とても飯屋の娘が作る握り飯とは思えなかったがせっかくの好意だし卵大の握り飯は梅干を食べるつもりで食べ、妙な匂いがした大ぶりの握り飯は匂いがしない周りの部分だけを食べ、中の部分は通りかかった猫にくれてやった。翌日、握り飯のお礼をお結衣に言うとお結衣は花を咲かせた様な笑顔で

「よかった気に入ってもらえて。これからもじゃんじゃん差し入れしてあげるね」

「いや、それはまずいだろ。お前、握り飯を店の台所の米で作ってんだろ。旦那さんに見つかったら大目玉だぞ」

「大丈夫だよ。見つかりゃしないって」

 実はこの事はお礼を言ったその翌日の主人に露見している。なにを隠そう俺が主人に報告をしているからである。俺が店の台所に立ち、一日の仕事を終えると米をどれだけ、小麦をどれだけ、野菜や海産をどれだけ使ったと紙に書いてまとめて主人に報告。主人はそれを見て材料の仕入れの目処を立てる算段となっている。しかし俺の報告と米の残りが合わない事から、まず俺が疑われやむなく握り飯の事を話す事となってしまったのだ。それを聞いた主人は嬉しそうに、やれどんな握り飯だった、やれどんな味だったと俺に話を聞きまくってきた。聞けば飯屋の娘であり客のあしらいは上手いものの料理の方をさっぱり手伝わないので先行きを不安に思っていたらしいのだ。俺の話を聞いた主人はひとしきり落ち込んだ後

「八っつぁん、責任を取ってもらおうか」

「え、責任?」

「そうだ、何も少々の米粒をとった、とらないの話をしてるんじゃない。娘に・・・お結衣に勘違いをさせた責任を取ってもらいたい」

「勘違いの責任と言われても・・・私の立場じゃあれ以外に言い様が無くて」

「いいや、お結衣はお前さんに惚れてる。惚れた男に褒められたら勘違いするのは当然だろ。だったら最後まで面倒を見てやってくれ」

「最後までって・・・」

「もちろん、お結衣と所帯を持ってこの店を継ぐって事さ」

「いやいや無理ですから。そんな事いきなり言われても無理ですって」

「なんだい?お結衣じゃ不足だって言うのかい?この店じゃあ物足りないって言うのかい?」

「そ、そんな事・・・」

「だったら良いじゃないか。それとも何か他の方法で責任を取るとでも?」

「うう・・・・握り飯の材料代は俺の給金から引いて下さい。賄いを受けたと思って諦めます」

「・・・八っつぁん、あんた野暮な男だな~」

 かくして飯屋の娘の花嫁修業は俺の金と体を使って始まる事となった。とにかく、最初は握り飯の大きさをと形を揃える事に始まり、具の選択、足の長い食材の知識、いろいろと教えるのだが一向に上達しない。俺は仕方なく

「お結衣、俺は実は塩だけの握り飯が好きなんだ」

 と言ってしまった。お結衣は不思議そうな顔をして聞いていたが俺が好きなのならばと翌日には塩だけの握り飯を作って寄こしてくれたのだが、、、手に持っただけで塩のざらついた感触が解かり、一口食べれば海の魚も逃げ出す程にしょっぱかった。可愛らしい笑顔で俺の感想を待つお結衣に俺は

「塩はいらない・・・お前の料理の腕前なら味付けは不要だ。ただ飯を握ってくれればそれで良い」

 俺、間違ってないよね。嘘ついてないよね。本当は塩まみれの握り飯を一つ残して主人に食わせてやろうかとも思ったのだがこんなものを食ったら嘆き悲しむ前に頭に血が上ってあの世に逝っちまう!と考え、現在の不揃いの味の無い握り飯を“差し入れ”してもらう状態となったのである。店の主人と一通りの話が終わって店を出ると勝手口を回ってお結衣が竹皮の包みを持って俺を追いかけてきた。見ればよほど慌てて握り飯を作ったのであろう、口の横に飯粒が付いている。

「待ってよ。忘れ物だよ」

「お結衣、そんなに毎度毎度差し入れしてくれなくても、俺はそれ程、食うに困っちゃいないぞ。ちゃんと旦那さんから給金だってもらってる」

「いいから、いいから。人の善意は素直に受けておくもんだよ」

「・・・わかったよ。ありがとな」

「ううん、気にしないで」

「それよりお結衣、口の横に米粒が付いてるぞ。飯屋の娘がそんなもん付けてたら客の食い物に手を付けてるって思われちまうぞ」

「えっ!嘘・・・どこ?はっちー・・・取ってよ」////

「え・・・自分で捕れよ。赤ん坊じゃあるまいし」

 お結衣は目をつぶって顔を俺に突き出してきた。よりによって店の前の大通りでこんな事をするなんて・・・見れば店の中から主人がニヤついた顔をしてこっちを見ている。どんどん外堀を埋められていく様な気持でゆっくりとお結衣の口元に手を伸ばし米粒を取ってやる。するとそれに気付いたお結衣が俺の指先についた米粒を俺の指ごと口に含んだ。俺は大慌てでお結衣の口から指を引きぬくと

「うっ・・・そんなに乱暴にしないでよ。指ごと食べようなんて思ってないからさ」

「当たり前だ。時と場所をわきまえろ、どんだけの人が見てると思ってんだ」

「・・・私ははっちーとなら別に・・・」///////

「と、とにかく・・・握り飯ありがとうな」

 俺は顔に熱がこもる前にお結衣の前から走り去った。総武長屋から更に離れる様に歩き、次の大きな四つ辻で左に折れ、それほどに大きくない八幡宮にたどり着いた。俺は盗人の仕事を無事に終える度に八幡宮にお参りをする事をゲン担ぎにしている。それこそ武家が氏神様に祈る様なもんだ。何故かと言われれば・・・実は俺の名は周りの連中からは八と呼ばれはしているが本当は八幡なのだ。俺と小町は幼い頃にここからそれほど遠くない八幡宮に置き去りにされた捨て子なのである。大人しく待ってる様に母親に言われ、俺は小町と手を結んで夕暮れになっても夜が更けても母親を待った。しかし母親は戻らず、、小町は腹をすかして泣き出し俺も不安な気持ちだけで小町を抱きしめて座り込んでしまった。そんな俺達二人をその八幡宮の宮司が見つけてくれて宮司夫婦に子供が無かった事もあり俺達を育ててくれたのである。俺は自分と妹の食いぶちと寝床を確保する為に幼いながら出来る事は何でもした。それこそ、布団の上げ下げ、境内の掃除、社の雑巾がけ、その生活が今の俺の器用な包丁使いを覚えさせる機会となったのだ。だから俺は何かある毎に八幡宮にお参りをしている。慣れた境内を歩き社に手を合わせ、境内の参道を引き返そうとした時

「あ~~~っ八っつぁんだ」

「お、お陽!?」

「いや~やっぱり名前聞いておいて良かったね。危うく泥棒って叫んじゃうとこだった」

「そうだな、俺は叫び声を上げながら逃げ出しそうになったけどな」

「そんな事言われると私の方が悪者みたいじゃん」

「少なくとも全くの善人と言う訳でもないしな・・・もし捕まったらお前に匿ってもらったって奉行所の連中に言っておいてやるよ」

「八っつぁんはそんな不義理はしないよね私これでも人を見る目はるんだから」

「それは良かったな、それなら雪乃屋の将来も安泰だ」

「姉さん、そちらの方は?」

 お陽の陰に隠れる様に立っていた一人の娘。良く見れば顔立ちがお陽にそっくりで言われるまでもなく姉妹である事が理解出来た。しかしその一回り細い腰回りと・・・胸周り、そしてお陽の話を納得させる様ないかにも外出をして無さそうな白すぎる肌。まるで人形の様な美しさの娘だった。

「あ~、この人がさっき話した盗人さんだよ」

「ね、姉さん。だったらそんなに近づいては危険だわ」

 娘は手に持っていた紙切れを繁々と見つめてお陽にそう言うとお陽の手を掴んで数歩後ろに下がった。

「ま、まさか・・・あなたが今江戸の町を騒がせている“のろい”ではないの!?」

「ば、馬鹿野郎、こんな所でなんて事を言い出すんだ。その口閉じろ!」

「その慌てぶり・・・姉さん私が言ってる事が図星だからあれほど慌ててるのよ」

「まあまあお雪ちゃん落ち着いて。そんなに興奮しなくても、この人は逃げたりしないからじっくり観察していいわよ」

 俺の推測通りお陽はその娘の事をお雪と呼んだ。しかし観察とはどういう了見なのかさっぱり解らず、俺の方がよくよく二人を観察した。お陽が俺の事を恐れていないのは昨夜から承知していた事であったが、このお雪のいう娘はさっきから紙切れと俺の顔を必死に見比べてまるで子供が宝物を見つけた様に目を輝かせている。そしてお陽の言う通り少々興奮気味で俺の姿を頭の天辺から爪先までじっくり観察していた。

「なあ、さっきから何を必死に見てるだ?その紙切れはなんなんだ?」

「ああ、これはさっき買った瓦版だよ。昨夜怪盗のろいが出たって人を集めていたからさ、もしやと思って買ってみたんだ」

「本当に腐った目をした恐ろしげな男。こんな目で見られたら普通の人間は一溜りもないわ。あなた一体何人の人を殺めたの!?」

 人を殺める。そんな言葉ですら好奇心が先に立っているのが読み取れる程、お雪の詮索は止まらない。発する言葉とは裏腹に俺の顔や目をじっくり見て何度も頷いていた。

「俺は人を殺めたりしちゃいねえよ。大体にらんだだけで、そうなるならお前の姉ちゃんは昨夜のうちに死んでるだろ」

「言われてみれば、そうだよね。正に仕事の真っ最中で瓦版の通りなら私は今日お雪ちゃんを八幡様に連れて来れなかったわ」

「盗人の癖に理論的に話すのね。どうやら目は腐っていても悪知恵は働く頭の持ち主の様ね」

「初対面だって言うのにえらい言われようだな」

「そりゃそうだよ。家でこの話をし始めたんだけどさ、お雪ちゃんが話にのめり込んじゃって様子が変に見え始めちゃったもんだから、親に言って八幡様に家内安全と商売繁盛のお願いをしてくると言ってお雪ちゃんを連れ出して、さっきまでそこの腰掛けに座って話をしてたんだよ」

「ね、姉さん・・・私は別にのめり込んだりしてなかったわ」

「いや~ここはお陽の言い分の方が信頼できるな。さっきから呪ってくれと言わんばかりに俺の目を見てたじゃねえか」

 お雪は俺とお陽に自分の様子を指摘され気まずそうに眼をそらして、ぶつぶつと文句をたれ始めた。そんな様子を見ているとお陽の話の様に普段は外に出れずに本だけ読んで暮らしている様にはとても見えず、どこにでもいる町娘にしか見えなかった。

「なあ、用事があれば外に出れるんだから。これから毎日八幡様にお参りしてみれば良いじゃねえか。途中には大勢の人や店が並んでいて歩いてるだけでもかなり退屈は紛れるぜ」

「うん、それいいかもね。お雪ちゃんそうすれば!?」

「け、けど・・・今日は姉さんが一緒だったからお母さんは何も言わなかっただけで普段ならそうは・・・」

「お前に外に出る意思があるのかどうか、その意思がはっきり見えないからお前のお袋さんは賛成できないんじゃないのか?お前はお袋さんに外出を反対されてるんじゃなくて、賛成してもらえてないんだろ」

 雪乃屋の一家がどんな風なのかは俺には解からないが少なくとも姉のお陽の様子を見る限り決して親が外出を禁止してる様には思えなかった。それこそ幼い頃に親にそう言われたのが頭にこびり付いていて未だにそれを律義に守ってる様に見えた俺はお雪の言葉を遮る様に、そう言い放った。

「な、何を偉そうに言っているのかしら?盗人の分際で随分、出過ぎた物言いね」

「俺はお前の家の奉公人じゃない。そんな言われ方をする覚えは爪の先ほどもないぞ」

「お天道様の当たる道すら歩けない様な咎人(とがにん=犯罪者)が知った風な事を言わないで」

「確かに俺は咎人だ、しかし働いてもいる。お前みたいに親の言いなりになる代わりに何から何まで面倒を見てもらってる様な甘ったれじゃねえよ」

「働いてると言ってもそれは盗みの話でしょ」

「い~や俺は昼は飯屋の台所で働く板前なんだ。お前とは天と地ほども違うんだよ。甘ったれの箱入り娘さん」

「ちょっとちょっと二人とも。とくに八っつぁん・・・声が大きくなり始めてるよ」

「う・・・」

「・・・」

 ムキになったお雪とムキになった俺をお陽がいさめて二人は黙り込んでしまったがその次にお陽の口から飛び出した言葉に俺達は仰天した。

「ねえねえ八っつぁん。良かったらお雪ちゃんの町案内を頼めないかな?お雪ちゃんが初対面の人にこんなに懐くのって珍しいんだよね。さっきの様子なら安心して任せられそうだしさ」

「ね、姉さん何を言っているの。盗人に安心して任せるとか、呆れてものが言えないわ」

「そればっかりは俺もこいつに賛成だ。お前自分の妹を盗人に売り飛ばす気か?」

「八っつぁんはそんなことしないでしょ・・・というか出来ないでしょ。だって板前で盗人って言うなら、人買い人売りは専門外でしょ」

「そりゃあそうだが・・・お前本気で言ってるのか?」

「もちろんだよ。さっき言ったでしょ私は人を見る目に自身があるの。それに・・・お姉さんの言う事は断れないでしょ」

「お姉さん?お前は俺の姉ちゃんじゃないだろ。俺に姉貴はいねえよ」

「昨夜は月明かりの下だったから、よくわからなかったけど八っつぁん、あんた私より年下でしょ。見たとこお雪ちゃんと同じくらい!?」

「俺は数えで十八だ」

「ほら、やっぱり。お雪ちゃんと同じ年だ。やっぱり私は人を見る目があるね~。八っつぁんは年上の人間の言う事を無碍にしたりする非道な男なの?」

「そ、それは・・・」

「じゃあ決まりだね。お雪ちゃんも八っつぁんから離れない様にしてね。最近何かと物騒だし」

「姉さん、物騒なのはこの男のせいでしょ・・・その元凶に私を預けるなんてどういう了見なの?」

「さっき言った通りだよ。お雪ちゃんがあんなに喋るのを見たの久しぶりだったからさ。ああ、これなら大丈夫って思ったの」

「お前、家じゃ猫かぶってんのか?」

「そんな訳ないでしょ。働いて私を養ってくれてる両親に感謝してるだけよ」

「それなら猫の方がまだ賢いな。餌をくれた人に感謝して翌日同じ所に現れるけどそれまでの間は自由に外を出歩いてる」

「あなたは拾い食いをする盗人でしょ。私の方がずっとましよ」

「ほら!やっぱりいい感じで話せるじゃん。これで決まりだね」

「姉さん、ちょっと待って」

「お雪ちゃん・・・あなた私の案内なしで町を歩き回る事が出来るのかしら?」

「そ、それは・・・」

「八っつぁん、あなたも私の頼みを断れる立場じゃないでしょ?」

「う・・・」

「私はそろそろ店に戻ってお父さんの付添の準備をしないといけないの。八っつぁん、妹をよろしくね。この子町を歩いた事がほとんど無いから案内が終わったらうちの近くまで送り届けて頂戴ね」

 一方的にそう言うとお陽は足早に参道を進みあっという間に見えなくなってしまった。残された俺達は黙って立ちつくした後

「・・・どっか行きたい所でもあるのか?」

「え?」

「だから、お前はどっか見てみたい所とか行ってみたい所は無いのかって聞いてんだよ」

「案内してくれるつもりなの?」

「しょうがねえだろ、お前らに俺の正体知られちまってるし、ここでしらばっくれて、お前を置き去りにでもしようもんならこの次あった時には間違いなく大声で叫ばれちまう」

「・・・私が町に不案内だからと言って、おかしな所に連れ込むつもりじゃないでしょうね?」

「おかしな所ってなんだよ。そんなつもりは毛頭ねえよ」

「どうだか・・・私が呼んだ地本にはその類の話が山ほど載っていたわ」

「お前は本の中だけが正しいとでもいいたのか?」

「得た知識を生かそうとする事は正しい行いよ。少なくともちょっとばかり働いた事がある程度で偉そうに物を言うよりずっと素晴らしい事だわ」

「だったらお前に現実ってやつを見せてやるよ。お前の知識がどれほど偏っているか教えてやる」

「なら行先はあなたが決めなさい。嫌で嫌でしょうがないけど着いて行ってあげるわ。但し妙な真似をしたら大声であなたが盗人である事を叫ぶからそのつもりでね」

「勝手にしろ・・・お前はとんでもない箱入りだな」

「お前お前とさっきから失礼ね。ちゃんとお雪という名があるのだから名を呼びなさい。それともあなたは人の名前も覚えられない程に頭が腐っているの」

「はいはい、わかったよ。お・ゆ・き」

「う!」///

「・・・なに照れてんだよ。名前を呼べって言ったのはおまえ・・・じゃなくてお雪だろ」

「男の人に名前を呼ばれた経験が少ないから・・・」///

「本当にどこまでお嬢様なんだよ」

 俺達は参道を歩き始め境内を出て大通りに出た。随分長い事話し込んでいた様で通りには人が増え、町に活気が出ていた。そんな様子をお雪は珍しそうに眺め、きょろきょろと通り沿いの店々に目をやっていた。そうして大通りの四つ辻に入ると俺は左に折れて元に来た道をたどり始める。お雪は慌てた様に俺の後ろについてきて不安げに後ろを振り返っていた。

「どうした?」

「あの四つ辻を真っ直ぐ行くと、うちの店なの」

「そうだったな。雪乃屋はあの先にあったはずだな。それがどうした?」

「・・・恥ずかしい話なのだけれど・・・私はこの年までこの通りを一人で歩いた事が無いの・・・いつも誰かにつき添われるか決まった所にしか出かけないので」

「おいおい、たかが、四つ辻一つ曲がるのが大冒険って言うのかよ」

「そ、そこまでは言ってないわ。ただ、やはり初めて歩く道は不安だし・・・一緒に歩いているのがあなたの様な人間だし・・・不安でしょうがないのよ」

 どうやらお雪が言ってる事に嘘はない様で俺に悪態をつきながらも見知った四つ辻を何度も見ていた。なるほどお陽が心配する訳だ、、、これじゃあ一人で出歩かせる事なんて出来ないし、、迷子にでもなろうものなら生きて雪乃屋にはたどり着けそうにないって感じだ。そう考えるとこいつの親の判断は間違っちゃいなかったのかもしれないな。けど、それ以前に幼い頃から家に縛り付け過ぎた事は反省するべき所だ。親は子に何をしてもいい訳じゃねえ、、、それは俺と小町が良く知ってる事だ。ある意味、お雪も親の我儘の犠牲になってる子なんだろうなと思っていたら

「あ!はっちー、いい所に。ちょっとお店手伝ってよ。団体さんが来ちゃってテンテコ舞いなの」

「お結衣!団体さんって?」

「うん今朝、江戸についたばかりの旅芸人の人達で飯屋が開くのを待ってたんだって。それで仕込みも済まないうちに店が満杯になっちゃったの」

「そりゃあ、まずいな。わかった手伝う・・・あ、お雪ちょっと待っててくれるか?」

「え、ええ、それは構わないけど・・・」

「あれ?はっちーこの人は?」

「ああ、そこの四つ辻を右に曲がった所にある呉服の大店の雪乃屋の娘だ。お雪って言うんだ」

「え~、あの雪乃屋の娘さん!?何ではっち―と並んで歩いていたの?」

「いや、道案内を頼まれて」

「・・・本当に?」

 お結衣はじとっとした目で俺をにらみつけ、不満そうな顔をした。するとそれを見ていたお雪が

「初めまして雪乃屋のお雪と申します。こちらの通りには不慣れなもので姉さんがこの方に道案内を頼んでくれたんです」

「そ、そうだったんですか。それならそうと言ってよ、はっちー」

「俺は最初にそう言ったぞ」

「ねえ、お店の方はいいのかしら?かなり立てこんでる様だけど」

「あ、そうだった。はっち―急いで」

「わかった」

「あ、お雪ちゃんはこっち来て」

「え?」

 俺は大急ぎで台所に入ると主人が大わらわで団体客の飯の支度をしていた。主人は俺を見るなりみそ汁二十人前作る様に命じた。見れば店内にある六つの四人用の卓のうち五つが埋まり、さながら真昼の混雑時の様だった。2人がかりで二十人前の食事の支度をしていると台所と客席の境にあたる部分に腰掛けを持ってきてお雪が座らされていた。

「ごめんねお雪ちゃん。ちょっと今店の中が混んでるからそこで辛抱して」

「それは構わないのだけれど・・・」

 最初は面を食らった様な顔をしたお雪は徐々に店内の空気に慣れ始め、先程の町を見回す好奇心を前に出し始め店内や台所を珍しげに観察し始めた。こいつ本当に見るもの聞くものが全部珍しいんだなと呆れるやら感心するやらでなんか微笑ましくなってしまった。そうして二十人前の食事が徐々に整い出すと出来あがった順にお結衣が客に料理を運ぼうと盆に茶碗やお椀をたくさん乗せ始めた。

「よかったら手伝いましょうか?」

「ほんとっ!?助かるよ。じゃあお雪ちゃんは手前三卓の分を運んで、残りは私が運ぶから。慌てなくていいよ。こぼしたりしたら元の木阿弥だからね」

「大丈夫よ。食事を運ぶくらいなら私でも出来るわ」

 “私でも出来るわ”お雪が言ったこの言葉の意味を本当に理解出来たのはこの場では俺だけだろう。家で大事にされ過ぎてて何もさせてもらえないお雪にとって飯屋で飯を運ぶという作業はさっきの四つ辻を折れるのと同じで、きっと大冒険に値するのだろう。俺はお雪の好奇心がどれほどのものか今やっと解った気がした。お雪は慣れない手つきながら丁寧に客に料理やみそ汁を運び、ささやかながら客への愛想もふりまいた。まあその辺は家が客商売をしているのだから安心して見ていられた。客へ料理を出し終わり、ほっと一息ついていたら主人に後襟を掴まれて勝手口への引っ張っていかれた。

「八っつぁん、あの娘はなんなんだい?まさかお結衣を捨ててあの娘に走ろうって言うんじゃないだろうね」

「ち、違いますよ。あいつはそこの四つ辻を曲がった所にある雪乃屋の娘で俺は道案内を頼まれただけです」

「雪乃屋だって・・・あんな大店の娘と・・・そりゃあうちはしがない飯屋だよ、あんな大店と比べるまでもないさ しかしこの私が丹精込めて育て上げた店なんだ。それに雪乃屋の美人姉妹の事は私も風の噂に聞いてはいるが、うちのお結衣だってそれに負けない器量がある。八っつぁん、今さらそんな欲を出して不義理をしたりしないだろうね」

「落ち着いて下さい、旦那さん。そんなんじゃありませんから」

「本当だね・・・わたしゃ八っつぁんを信じていいんだね?」

「はい、信じて下さい・・・というか、そろそろその出刃包丁しまってくれませんか?首筋に当てられてるのが怖すぎるんですけど・・・」

「おおっと、これはすまなかったね・・・けどもし・・・裏切る様な真似をしたら・・・」

 主人は出刃包丁の刃を舐めながら俺を呪う様ににらみつけた、、旦那さん“のろい”を呪うとはただもんじゃないっすね。

「お父っつぁん、なにしてんの?次のお客が来たよ」

 お結衣の言葉で正気を取り戻した主人は台所に戻り、お結衣から注文を聞いていた。すると出刃包丁をまた板の上に置き、慣れた手つきで握り飯を3つ作って竹皮に包んでお雪に手渡した。

「ありがとう、雪乃屋の娘さんに飯屋の手伝いなんてさせてすまなかったね。これはささやかだが給金の代わりだ。受け取ってくれ」

「い、いえ・・・こんな事をされては困ります。こんなつもりで手伝ったのではないのですから・・・」

「いいじゃんお雪ちゃん。はっちーも竹皮の包み持ってるでしょ、あれもうちの店のおむすびなんだよ」

「随分出来が違うけどな」

「けど・・・」

「娘さん。遠慮する姿は美しいが働く事を軽んじちゃいけないよ。どんなに些細な仕事でもこの世にいらない仕事は無いし、それをしたなら給金をもらうのは当然だ。あんたがこの握り飯を受け取らないのは逆に無礼ってもんだよ」

「お雪、受け取ってやれよ。言うなればお前の初めての奉公の給金なんだからよ」

「初めての奉公・・・」

「そうそう本当に助かっちゃったんだからさ。良かったらまた遊びに来てね」

「・・・はい、では頂戴します。こちらこそありがとうございました」

 お雪は竹皮の包みを両手で大事そうに抱えながら頭を下げ、そして俺達二人は飯屋を出た。お雪は先程とは打って変わって、町の様子や人の様子を一切見る事なく手に持った握り飯をじっと見つめていた。働いて糧を得る、そんな当たり前の事は家の商売でもこいつが読んだであろう本でも解っていた事だろうが、それを体験した事がお雪にとっては何物にも代えがたい宝物になったようだ。

「な!聞くとやるとでは大違いだろ。だから本の知識だけじゃ駄目なんだよ」

「・・・確かにそうね。私はこんな簡単な理屈すらわかってなかったのね」

 やけに素直なお雪の顔は幸せそうに微笑んでいて、俺まで幸せな気分に浸ってしまった。

「あ、おにいちゃーん」

 幸せ気分をぶっ壊す大声が俺の耳に飛び込んできた。みれば客が引けた茶屋の前で掃除をしながら俺に手を振ってきていた。

「小町、客は引けたのか?」

「うん、さっき最後のお客が帰って店の中は空っぽだよ。それよりお兄ちゃん、この人は?」

「ああ、雪乃屋のお雪だ。道案内を頼まれてな」

「初めまして、雪乃屋のお雪です」

「あ、どうも、この茶屋の看板娘でお兄ちゃんの妹の小町って言います」

「お前はもうちょっと行儀よく挨拶できないのか?」

「いいじゃん、これが小町っぽくていいの。お客さんもみんなそう言ってるよ」

「それに、自分で看板娘とか言ってんじゃねえよ。お優美の影響でもうけたのか?」

「そんな事より、お兄ちゃん。ちょっとこっち来て」

「な、なんだよ」

 俺の袖を引っ張り、お雪から数歩離れてひそひそと話し出す小町。

「お兄ちゃん、いつの間にあんな大店の娘さんとねんごろになったの?私はお兄ちゃんの相手はお沙希さんかお結衣さんかと思ってたよ」

「なに馬鹿な事言ってんだ。そんなんじゃない、さっき言ったろ道案内してるって」

「けど、その割には幸せそうな顔してたじゃん!?」

「・・・それは・・・」

「う~ん、これは小町も計算外だったな。まさかお兄ちゃんが自分で嫁を調達出来ると思ってなかったよ」

「何わけの解んない事を言ってるんだ」

「みんなお兄ちゃんより身入りが良かったり豊かだったり・・・こりゃあ目移りしちゃうね。今の小町的に点数高い?」

「下らない事言ってないで仕事しろ」

「・・・わかった・・・仕事するね。お雪さん、よろしければお茶を一杯召し上がっていきませんか?丁度お店にお客さんがいない時間ですからゆっくりできますよ」

「お、おい小町」

「お茶屋さん・・・これも本で読んだ事があるだけだわ」

「おい、お雪・・・お前まさか・・・」

「あなたが言ったのでしょ“聞くとやるとでは大違い”って」

 八幡宮で出会って以降、一番の笑顔を見せながら小町の誘い通り茶屋に入っていくお雪、、お前好奇心あり過ぎだろ。よりによって茶屋に入るか?峠の茶屋って言うならともかく、こんな男客を当て込んだ茶屋に案内したとお陽のに知られたら俺は奉行所一直線だぞ。放って置くわけにもいかず俺も後ろに続いて店に入り本日二杯目の茶を飲む。

横に座ったお雪は先程飯屋でもらった竹包みを広げ始め綺麗に形の揃った握り飯を一つ手に取って食べ始めた。嬉しそうに握り飯を食うお雪、きっと格別の味がするのだろうな。そんな風に様子を見ていたらお雪は茶に手を伸ばし一口茶を含んだ。

「ねえ、お茶屋さんのお茶って一杯いくらなの?」

「ここは一杯、三十文って所だな。客によっては小町や女主人に気に入られたい為に百文置いて行く奴もいる」

「百文も置いて行くの!?人気の茶屋娘がいる店ではお茶の値段が高いというのは本に書いてあったけど、こんな安物のお茶を一杯百文だなんて。うちの店で言ったら使い古しの藍染めを西陣織と言って売る様なものだわ」

「違いねえな。まあ美人の見物料って所が本当の所だしな。ただ茶が飲みたいだけならさっきの八幡宮や街道筋の茶屋の方がよっぽど安いし食い物もあるからずっといい」

「世の中には色々な商売が成立するものなのね。驚きを超えて呆れてしまったわ」

「呆れる前に、その握り飯をしまってくれ。食い物商売してる店で持ち込んだ食い物を食べたり飲んだりするのはご法度だ。庶民の生活にも約束事ってもんがあるんだよ」

「そうなの?そう言う事は早く言いなさい」

「お前んちだって持ち込んだ着物を広げられて着替えられたりしたら困るだろ」

「それはそうだけど・・・そんなお客様はいないわ。突飛すぎる例えはやめて」

「わかったよ。じゃあ行こうか」

「待ちなさい」

「どうした?」

「・・・お金が無いのよ・・・」

「はあ?金も持たずに茶屋に入ったって言うか?」

「・・・」

「しょうがねえな・・・後でお前の姉ちゃんに取り立ててやるから、そう言っとけ」

「わかったわ。ただ・・・どうせお金を出してくれるなら私にお金を貸して頂戴。まとめて借りて、まとめて返すわ」

「なるほどな、その方がお雪も使い勝手がいいだろうし・・・じゃあこれで我慢してくれ」

「二百文・・・あなた昨夜千両箱を盗んだのではないの?その割にしみったれね」

「あれは使い道が決まってんだ。そんなお大尽な生活してねえよ」

「使い道?良く良くわからない人ね、あなたと言う人は」

「お雪・・・お前も俺に名前を呼ぶように言うくらいなら、俺の事もちゃんと名前で呼べ、俺には八幡って名前があるだよ」

「八幡・・・随分大層な名前ね」

「本当の名じゃないんだけどな」

「どういう事?」

「俺と妹の小町は幼い頃に八幡宮に置き去りにされた捨て子なんだ。その時、俺達兄妹を助けて養ってくれたのが八幡の宮司夫婦でそこで俺には捨てられてた場所にちなんで八幡、妹にはいい娘になる様にって小町って名を付けてもらったんだ」

「元の名は何と言うの?」

「覚えてない・・・捨てられたのが数えで俺が六つで妹が四つ・・・自分の名前も言えなかったそうだ」

「本当にそんな事があるのね・・・ごめんなさい。知らなかったとは言え辛い事を思い出させてしまって」

「気にするな。こんな話は江戸中に転がってる話だ。それに子供を捨てる様な親は名前と一緒に忘れちまった方がいいに決まってる」

「小町さんもそう思っているの?」

「・・・どうだろうな・・・あいつは案外母親が恋しいのかもしれないな。ここの女主人がすげえ世話焼きでな。将来肝っ玉母ちゃんになるのが決まってるみたいな女なんだが小町はその女主人が大好きで、俺がいくら言っても茶屋の仕事を辞めようとしないんだ」

「同じ兄妹でも違うものなのね」

「そりゃあ、お雪んちだったそうだろ?」

「そうね。その通りだわ」

 俺達は別々に勘定を済ませて茶屋を後にして、大通りから俺の住処である総武長屋に向かう為に横路地に入ろうとすると

「は、八幡・・・あなたやはり私の事を・・・」

 お雪は歩くのを止めて両手で自分の体を抱き怪しいものを見る様な眼で俺を見た。

「違うっての。これから行くのは俺の住んでる長屋だ」

「盗人の住処!さぞ怪しげな人間がたむろしているのでしょうね!?」

「う~ん・・・あながち間違ってないから返答に困るな。俺は盗人だし、元薩摩藩士を名乗る浪人、蘭学狂いの放蕩者、やおい専門の草紙作家・・・確かに怪しげだな」

「なんなの?そのおかしな人達は。けど、草紙作家がいるのは少し興味が湧いてくるわ」

「よりによって一番怪しいのが気になるのか?まあ気になるって言うなら紹介してやってもいいぞ。お雪は本を読むのが好きらしいから案外話が合うかもな」

「その長屋の住人はあなたが盗人だと知っているの?」

「知っている奴は二人だけだ。元薩摩藩士と蘭学狂いだ」

「じゃあ妹の小町さんも知らないの?」

「当たり前だ。絶対知られない様に用心深くやってるんだ。あいつを巻き込む様な真似は絶対にしない」

「盗人にも五分の魂と言ったところね」

「虫を見る様な眼で俺を見るな・・・お雪はなまじ美人だから一層こたえるんだよ」

「!・・・ありがとう・・・」///

「・・・」///

 別に褒めた訳じゃないんだが、、、どうも箱入りのお嬢様の物の考えって言うのが良くわからん。盗人をジロジロ観察したり、握り飯を宝物の様に見たり、茶屋に金も持たずに入ったり、あげくに盗人の住処まで疑いなく着いてくるんだから頭が良いのか悪いのか全くもって解らない。角を折れて総武長屋に到着するとお雪は貧相な長屋の入り口の門を見上げ、柱にかかっている総武長屋の看板に目をやる。まるで芝居の舞台でも見物する様に珍しげに看板を見るお雪、更に恐る恐ると言った感じで門の中の長屋を覗きこむ。

「別にどこにでもある何の変哲もない長屋だろ。なにをそんなに見入ってんだ?」

「大通りしか歩いた事が無い人間にとっては横路地や長屋を目の当たりにするのも大冒険なのよ。そして・・・発見と思えるものも沢山あるわ」

「そんなもんかね~まあ柱が削れて減らない程度に見るだけなら問題ないさ。それよりこの入口のすぐ横の部屋、ここが噂の草紙作家の部屋だ。挨拶してみるか?」

「いいえ、まずは八幡の部屋を見せて。長屋の部屋がどのようなものかを知ってからの方が相手に失礼が無いでしょう」

「俺への無礼は前提なのかよ」

「口答えできる身分とでも思っているの。さっさと案内しなさい」

「わかったよ、、まったくこれ程あれこれ言えるなら明日からはいくらでも外出が出来そうだな」

「・・・両親に言ってもいいのかしら・・・叱れたりしないかしら」

「そりゃあ言ってみないと解らんさ。けど、お雪の姉ちゃんの様子を見る限りそんなにうるさい様には想像できないぞ」

「・・・傍から見るとそう見えるものなのね」

 何やら思案し始めたお雪、俺は構わず歩を進め自分の部屋に向かっていき、そして部屋の戸を開けた。戸が滑る音が聞こえた途端お雪は我に返り俺の部屋をやはり恐る恐る覗きこんだ。俺は何も言わずその様子を見ていたらお雪は俺の事を上目づかいで見つめてから“入ってもいいのか”と目配せで合図してきた。俺が黙って頷くとお雪はまるで罠でも張ってあるのではないかと疑う様に慎重にその一歩目を俺の部屋の土間に踏み入れた。落とし穴も縄仕掛けも無い事が確認出来るとお雪は二・三歩進み入り土間に入ってかまどや水がめをしげしげと眺め、部屋の中に目をやった。

「奥にはいくつ部屋があるの?」

「大名屋敷じゃないんだから、部屋はここ一つだけだ」

「ええ!小町さんと暮らしているのでしょう、年頃の娘と同じ部屋ですごすなんて、あなたは病的な妹思いね」

「お雪、長屋なんてものは大抵が一部屋、多くても二部屋だ。お前の家が特別でこれが普通なんだよ」

「けど、一部屋で二人が暮らすなんて」

「そんな事言ったら隣のお沙希なんて兄妹四人で暮らしてるぞ」

「隣の部屋は二部屋なの?」

「いいや、この部屋と同じ一部屋だぞ。やっぱり本の知識だけじゃ足りないだろ」

「そ、そうね・・・この世には変態と思えるほど妹が好きな兄がいる事を今、初めて知ったわ」

「それは俺の事か?」

「そんな事、面と向かって直に言ったり出来ないわ」

「言ってるも同然だろ」

「けど・・・普通の町人の暮らしがどういうものかも知らずに店の着物が売れるのが当たり前で自分の生活が普通だと思っていた自分が恥ずかしいわ」

「それだけわかれば上等だ。さあ、上がれよ。粗末な物しかないが昼飯にしよう」

「昼飯?」

「そうだ、腹減ったろ!?お互い握り飯は持ってるからおかずに沢庵でもかじりながら、いや・・・折角のお客様だ。みそ汁の一つも付けてやろう、食後の茶も入れてやるぞ」

「そういえば八幡は板前だったわね。いいわ、その腕前見せてもらいましょう」

「何でそう上から目線なんだ」

 俺は土間に降りてかまどの火を起こす為に燃え草と薪を用意して火打ち石を打ちつけ始めた。すると上に上がったはずのお雪が土間まで降りてきて俺のする事を後ろから覗きこんで来た。

「ま、まさかお雪・・・火も起こした事が無いのか?」

「・・・家では台所は熱い物や刃物があるから近づかない様に言われているの」

「はぁ~~そこまで・・・呆れるの通り越して手を合わせたくなる様な家庭環境だな」

「うるさいわね。黙って仕事を続けなさい」

「・・・なあお雪。火起こしやってみるか?」

「え?私にも出来るの?」

「覚えちまえば子供だって出来る。ちょっと待ってろ」

 俺は部屋に上がり普段小町が使っているたすきを手に取りお雪に渡した。

「まずはたすきをしろ。綺麗な着物が汚れちまうぞ」

「わかったわ」

「たすきの掛け方くらいは知ってるんだな。ちょっと安心したぜ」

「私は呉服屋の娘よ。服に関する事ならそこらの人には負けない自信があるわ」

「なるほどな。じゃあ火打ち石を持って・・・こすり合わせる様に打ちつけると火花が飛ぶからその火花を燃え草に当てるんだ」

 おっかなびっくり手つきでお雪は火打ち石を打ちつけると最初の四・五回は音がするだけで火花が出なかったが要領を得たのだろう、、その後火花が出るようになり少々時間がかかったが燃え草に火花を落とす事が出来た。俺が横から顔を突っ込むようにして燃え草に息を吹きかけると煙が起こり始め火が起こり始める。

「きゃっ」

「大丈夫だ。そんなに怖がるなくても起こったばかりの火は小さいから燃え移ったりしないさ」

「そ、そういうものなの?」

「そういうもんだ。さあぐずぐずしてると折角着いた種火が消えちまうから火が消えない様に細い薪をくべてやってくれ」

「細い薪から・・・太いのでは駄目なの?」

「いきなり大きな薪を焚きつけ様とすると種火が消えちまうんだ。だから最初は細い薪を使うんだ」

「わ、わかったわ」

 お雪は薪の中から一番細そうなものを選び、その端を指でつまんで種火に近づけた。あまりにゆっくり近づけていたので俺が手を添えて種火に薪をくべ火を大きくしてやると

「な、なにを勝手に私の手に触れているの」////

「あ、いや・・・そういうつもりじゃなくてな。種火が消えちまいそうだったから手伝ってやっただけだ」

「そ、それでは自分で火起こしをした事にならないでしょ・・・」////

 怒って顔が赤いのか、それとも男に手を触られて顔が赤いのか判別が付かず俺はやむなく

「すまん。もう一度やってみるか?」

「いいわ。火起こしは次の機会にまたやらせてもらうから。それで細い薪に火が付いたらどうすればいいの?」

「太い薪を使って火のついた細い薪をかまどに押し込んでくれ。押し込み終わったらさっきと同じ要領で太い薪に火を付けてくれ」

「そうやって火を大きくするのね」

「そうだ。やってみりゃ簡単だろ」

 俺は火をお雪に任せ井戸に水を汲みに行った。鍋に水を汲んでその鍋をかまどに掛けると

「随分沢山水を汲んで来たのね・・・こんなにみそ汁を作るつもりなの?」

「いや、まずはこんだけ湯を沸かすんだ。その湯を土瓶に取っておいて後で茶を入れるのに使う。鍋に残った湯でみそ汁を作るんだ」

「なるほど。火を起こす手間を一度で済ます訳ね」

「そういう事だ。暮らしの手間は全部理屈で出来てるから覚えりゃ難しくもないし無理もない。誰だって覚えられるものさ」

 その言葉を聞いたお雪は嬉しそうな顔をして鍋に張った水を見つめていた。すると湯が沸き始めたので俺は柄杓で土瓶にお湯を移す。残り物の大根を千切りにして残りの湯が入った鍋に放り込み火が通るのを待つ。それほど時間がかからずに大根に火が通った所で味噌を入れ鍋をかまどから下ろしみそ汁が完成した。座敷に上がりお椀と箸は小町が使っている物を貸してやり座卓に飯屋でもらった握り飯と出来たばかりの味噌汁、そして食べかけの沢庵が揃った。お雪は綺麗に形の整った握り飯を俺はいびつな握り飯を頬張りながらみそ汁を飲んでいると

「あれ~、昼から火をおこして食事とは珍しいね。私にもみそ汁分けてよ」

 部屋の入口でお姫菜がニヤつきながら、おねだりを始めた。

「だったら自分ちからお椀と箸を持ってこい。それと、そのニヤついた顔やめろ」

「え~~何か見られちゃまずい事でもしてたの!?」

「そんな訳あるか。もしそうなら入口の戸を開けっ放しなんかにするもんか」

「いや~最近の地本には色々あってね。そういう遊びをする助兵衛もいるらしいよ」

「俺はそういう助兵衛じゃない。さっさとお椀と箸を持ってこい。じゃないと全部食っちまうぞ」

 お姫菜は笑いながら入口から消えると間もなく戻ってきてずかずかと部屋に上がり込んでみそ汁と勝手についで、俺が食べようとしていた不格好で小さい握り飯を食べてしまった。

「随分見栄えに差があるおむすびだね。八っつぁんが食べてるのはお結衣が作った奴だね。あの子相変わらずおむすびも作れないの?」

「ああ、相変わらずだ。旦那さんが心配してたぜ」

「お結衣のお父っつぁんが心配なのはそれだけじゃないでしょ・・・こんな美人を部屋に連れ込んだって知ったら出刃包丁持って怒鳴り込んでくるよ」

「滅多な事を言わないでくれ。そんな事されたら俺は仕事が無くなるし、それ以前に生きていられないかもしれない」

「だったら第三者に身の証しを立ててもらうしかないんじゃない!?」

「なにが言いたい?」

「その美人さんは誰?」

「雪乃屋のお雪だ。道案内を頼まれたんだ」

「雪乃屋ってあの大店の?」

「はい、挨拶が遅くなりまして。雪乃屋のお雪と申します」

「あ、初めまして。私はこの総武長屋に住んでる草紙作家のお姫菜って言います。お雪さんは草紙とか読む?」

「ええ少々」

「だったら“姫菜紫”って名前を聞いた事ない?」

「“姫菜紫”・・・たしか、やおいの作家だったと思ったけど」

「知ってるんだ。わ~~嬉しいな~、それ私、私が姫菜紫なんだよ」

「あなたが!?名前から言って女性だと思ってはいたけど、こんなに若い女性だったなんて・・・」

「お姫菜はお雪と同じ年だぞ」

「お雪さんも数えで十八なんだ。いや~だったらなお嬉しいよ。同じ年の娘には私の本を読める人が少なくてね、いくら一生懸命話しても誰も着いてきてくれないんだよ」

「そうなんですか・・・ただ私はあなたの本は一冊だけ拝見しましたけどあまり興味がわく種類のものではなかったから、それっきりで」

「そっか、お雪さんは“解らない人”か~」

「誰にでも解ったりしたら、お江戸はお先真っ暗だ」

「それより、八っつぁん。さっき道案内って言ってたけど、何で道案内が部屋で昼ご飯を食べる事になるの?」

「その何でもかんでも詮索したがる癖、直した方がいいぞ」

「駄目だよ~これが私のおまんまの種なんだからさ」

「私の姉が八幡と知り合いで町の案内を頼んでくれたんです。私はこちらの方にはほとんど足を運んだ事が無いので・・・」

「と言う事はお雪さんは八っつぁんとそれほど長い知り合いじゃないの?」

「ええ、昼前に八幡宮で初めて会ったので」

「ふ~ん・・・どうしたものかな。お結衣とさきさき・・・二人に何て言おうかな」

「余計な事は言うなよ」

「なに怖いの?」

「ああ、怖いね。お前が余計な事を付け加えて与太話にするんじゃないかって震え上がってるよ」

「信用ないな~」

「あの・・・そのお二人は八幡とどういった関係なのですか?」

「お!八っつぁん。どうやら脈ありみたいだね・・・これはネタになるかも」

「違うよ。これはお前と同じ病気だ。単なる好奇心で聞いてるだけだ」

「どういう事?」

「ただの噂話好きってだけの話だよ」

「だったらさ、私の部屋に来ない!?二人なら邪魔無しに色々話せるしさ」

「いいのですか?仕事にさし障るのでは?」

「大丈夫、目先の締め切りは越えたからね。今はのんびりしたもんよ。さあさあ、こんな部屋出て私の部屋に行こう」

 そういうと食事が終わって間もないというのにお姫菜はお雪の手を引いて自分の部屋に行ってしまった。残された俺は後片付けをしてから土瓶のお湯で茶を入れた。丁度俺好みのぬるさになったお湯で入れた茶は実に美味く、ほっと一息ついていると箪笥の上に濡れ布巾がかかった皿を見つけた。何かと思って見てみれば小指の幅ほどの厚さに切った羊羹が二切れ、どうやら今朝小町がお姫菜から貰った物の一部を俺に残しておいてくれたようだ。俺は好物の甘いものとぬるい茶でのんびりと時間を過ごしていた。すると部屋の外から

「八、戻っているか?」

「八よ、いるのならば返事をせよ。さもなくばこの戸を踏み破ってくれるぞ」

 聞き覚えのある二人の声に応える様に入口の戸を開けて隼人と材木を招き入れる。

「どうだ隼人、何かわかったか?」

「うむ。雪乃屋の店の者に聞いたところによると今朝、お陽とお雪の二人が何やら話し込んでいて、その様子を周囲の者達が不思議がったら外に出ていってしまったそうでな。やはりお陽はお雪にお前の事を話している様だぞ。お陽もお雪も普段とは違うはしゃぎ様だったらしいからな」

「・・・それは知ってる。今朝、お前らと茶屋で別れた後、いつもの八幡宮へ行ったらお陽とお雪に出くわした」

「なんと!南無八幡大菩薩の導きか・・・これはやはり口を封じねばならぬようだな」

「待て待て。あの二人は俺の事を面白がっちゃいるが奉行所にたれ込むつもりは

ないみたいなんだ。何と言うか本当に暇つぶしの一つって感じに扱われてるんだ」

「なぜ、そんな事が解かるんだ、八?」

「実は・・・今、この長屋にお雪が来てるんだ」

「なに~~~~~~っ!!  もごもご・・・」

 俺と隼人で材木のでかい口を塞ぎ慌てて、戸を開けて周囲の様子をうかがう。

「デカイ声を出すな。元も子もないだろ」

「し、しかし、どうするつもりだ?住処まで知られてしまっては、いよいよ放っておけんぞ」

「八、お前に何か考えでもあるのか?」

「いや~考えなんて何もないけどな・・・俺は放っておいてもいいじゃないかって思ってるんだ」

「何ゆえ?理由を申してみろ八」

「さっき言った通りだ。何と言うか俺達の邪魔はしないって言うか、それどころか味方になりそうな感じすらあるからな」

「味方だと。何を言っているのだ八よ。計画は密なるをもって良しとするのが世の常だ。拙者達の行動を知る者は一人でも少ない方が良いに決まっている」

「材木の言う通りだ。八よ、こればかりはお前の判断が甘いとしか言えないぞ」

「そうは言ってもな~~、本当にそう思っちまうような姉妹なんだよ」

 二人と意見が合わず困り果てていた時、いきなり入口の戸が開いた。

「八っつぁん、そろそろお雪さんが帰りたいんだってさ・・・あら、お二人ともお帰りで」

「は、葉山様!」

「お雪!」

 隼人とお雪はお互いを認識すると目をむいて驚いていた。お雪は驚いたまま動けず隼人は目をそらして場をやり過ごそうとする。しかし、そんな緊張した空気を読まずに材木が言葉を発する。

「お主がお雪か・・・ここで会ったが百年目。今日の日を最後に永久の眠りに着いてもらおうか」

 材木はお雪に両手でゆっくり掴みかかろうと両手を鷲手にして身構えた。しかし俺と隼人が材木の頭をひっぱたいて、それを止めた。

「材木さん、相変わらずおかしな事を言ってるね。そんなのだから、どこの学問所からも門前払いを食らうんだよ」

 材木はこの場に俺達三人とお雪意外にお姫菜がいる事をやっと思い出し冷静になった。しかし材木が破った沈黙は破れたままで、お雪が驚きの表情のまま口を開く。

「葉山様、何故この様な所に・・・お父様が心配してらっしゃいましたよ」

「お雪・・・詳しい事は言えないのだが、ここで会った事は私の家にも雪乃屋でも言わないでおいて欲しいんだ」

「葉山様・・・」

 訝しげに葉山の顔を覗きこむお雪。暫くすると俺をちらりと見て数回頷いた。

「いや~お雪さん才能あるよ!この様子を見て解っちゃうなんて・・・私は・・・私は・・・もう・・・ぶはっ!」

 お姫菜がいつものくされた目で俺達を見たせいで鼻血を吹きだし、ふらふらとニヤついた顔で自分の部屋に戻っていった。それを見た俺達三人とお雪は

「葉山様・・・ひょっとして怪盗のろいとご関係が?」

「・・・」

「やはり・・・この娘・・・」

「待て待て。お雪、お前も詮索好きを大概にしろ。これ以上首を突っ込むならお前とお陽を放っておく訳に行かなくなる」

「八幡・・・私は今かつてない程の興奮をしているの。江戸を騒がす怪盗、親とそりが合わず家を出た旗本の次男がその仲間かもしれない。これを黙って見過ごすくらいなら死んだ方がましよ。全てを話すか今ここで私を殺すか選んで頂戴」

「・・・聞いてどうするつもりだ?」

「さあ?ただ知りたいだけよ。別に奉行所に言ったりするつもりもないし、あなた達を止めようとも思わない。一番前の席で人気の芝居を見る様なものね」

「全部話したら黙っててくれるのか?」

「そうね。全部話してくれたら黙っててあげるわ。奉行所だけじゃなくて葉山家にも私の家にも」

「八よ!この様な脅しに屈するな。好奇心猫を殺すという言葉を知らない様な娘、拙者だけでも始末する事は出来る。拙者達が力を合わせればなんて事は無いぞ」

「・・・だめだ・・・今俺達はお雪を殺める事は出来ない」

「何ゆえ?」

「俺は今日一日、お雪と一緒に居過ぎた。八幡宮、お結衣の飯屋、お優美の茶屋で小町とも会い、長屋でお姫菜とも会っちまってる」

「なるほど、お雪に何かあれば奉行所の詮議がお前に降りかかるのは当然だな」

「むむむ、ならば日を置いて・・・」

「それは今日この場で逃がすって事だろ。だったら自分が殺されるのを大人しく待ってるとも思えない。それこそ奉行所の連中がこの長屋に押しかけてくる」

「相変わらず盗人の癖に理論建てて話すのが上手ね。あなた達には全てを話す

選択肢しか残ってないのよ」

 俺達三人は一人の町娘に抵抗できず肩を落としてしまった。その様子を見たお雪は俺達三人をかき分ける様にして部屋に入り込み

「時間が無いわ。手短に話して頂戴」

 お雪の気迫に押し負かされて俺達三人はしぶしぶ部屋へ入ってお雪の前に正座をさせられる。

「八幡、最初に聞いておきたいのだけれど・・・あなたの仲間はこの二人だけなの?」

「・・・そうだ。さっきも言ったろ」

「元薩摩藩士と蘭学者・・・元薩摩藩士とはどういう事ですか葉山様?」

「いや・・・家からの追跡を逃れる為にな身分を偽ったんだ」

「もっとも、身なり、振る舞い何を見ても江戸の侍にしか見えぬ故、拙者達にはすぐに身元を明かしたがな」

「では隼人と言うお名前は?」

「それは俺が付けたんだ、薩摩藩士って言うならこの方が呼びやすいと思ってな」

「元薩摩藩士だから隼人だなんて三文小説より安っぽいわね」

「悪かったな」

「・・・わかりました。これからは葉山様の事は隼人様とお呼びすれば、よろしいでしょうか?」

「いや、“様”はいらん。隼人、もしくは隼人さんで勘弁してくれ」

「では、隼人さんと呼ばせていただきます」

「出来れば、その丁寧な言葉使いも辞めてもらえないか?」

「それは無理でございます。武家と商人の娘が話すのに対等な言葉使いなど無理でございます」

「しかし私はもう葉山の名は捨てた」

「しかし浪人を名乗ってらっしゃるのであればお侍様と考えなくてはなりません」

「・・・相変わらずの杓子定規ぶりだな」

「では、隼人さん。もう一方のご紹介をお願いします。聞けば蘭学者とか?」

「紹介などいらぬ自ら名乗らせてもらおう。拙者はこの長屋で人々の生活の研究をしている蘭学者の義輝と申す」

「よしてる?隼人さん、先程お姫菜さんがこの方の事を材木と呼んでいましたけど?」

「それは・・・八に聞いた方が早い。」

「どういう事なの説明して」

「何でそう上から目線なんだよ・・・材木も俺がつけたあだ名だからだよ。蘭学だか何だか知らないけど四角四面の方っ苦しい事を芝居がかった言い方してその上図体がでかくて、かさ張るから材木って呼んでるんだ」

「なるほど・・・八幡は本当に盗人の癖に頭が回るわね」

「これで全員の事が解っただろ・・・これでいいか?」

「まさか。これからの質問が一番肝心なのよ」

「何が聞きたいんだ?」

「なぜ盗みを働いているの?見たところ三人ともそれほど裕福な暮らしぶりとも思えないし、日々の生活の糧を得るというだけなら千両箱は多過ぎるわ」

「ふむ・・・ただの町娘と思って甘く見ていたが、なかなかどうして良い観察眼をしておる」

「では話していただけますしょうか、材木さん?」

「・・・よかろう。我々が盗みを働く理由は“ぼらんてぃーあ”だ」

「ぼらん、、、?」

「“ぼらんてぃーあ”とは西洋の考え方で生活にゆとりのあるものが、そのゆとりの無いものに無償で施しを行う事だ」

「無償で施し・・・それは町内の組合の様なものなのですか?」

「いいや、あくまで人様の役立つ事が大前提だ。組合はなんだかんだ自分の為であろう。しかし“ぼらんてぃーあ”は見返りを求めぬ行為だ」

「見返りを求めないで何を求めるのですか?」

「それは己が正義を求めるのだ」

「正義?」

「要するに貧富の差が大き過ぎるのが面白くないから金持ちから金を盗んで貧乏人に配っちまおうって事だ」

「そんな無体な正義があってたまるものですか。それとも西洋では盗人が正義なのですか?」

「ふふふ、ますます面白い娘だ。この義輝に口論を吹っ掛けるとはな」

「お雪、私達は何も誰かれ構わず金を奪っている訳ではないのだ。私達が狙う獲物は法の網の目を潜り抜けて悪どく儲けを出している店だけだ」

「そのとおーーーり!人には差があるのが当たり前だ。稼ぐ力の有る者、無い者、それは事実として受け入れなければならない事だ。そうでなくては稼ぐ力の有る者が報われない」

「しかし能力以上に稼ぐ、すなわち人の道を外して金を稼ぐ輩から私達は金を奪っているのだ。私自身、旗本の家に生まれ何不自由なく育ててもらったが外の世界を知れば知るほど旗本などと言う身分が馬鹿らしくなる」

「どういう事でございますか?」

「この太平の世で昔の戦の手柄をいつまでも持ち出して身分と糧が保証されるなどという制度はおかしいとは思わないか?」

「そ、それは・・・」

「乱世であれば、その様な施政もあるだろう。しかし今の様な太平の世なら別な施政を行うべきだと思うんだ」

「しかし、その様な事を旗本の次男ともあろうお方が言い出せば・・・」

「そう、だから私は家の出たのだ。微力でもいい、世直しに力を注ぎたかった。しかし旗本の家を出ればただの浪人・・・何が出来る訳ではない。」

「そんな時に俺達と出会ったんだよ。俺と材木は計画と実行をする力があったがその計画が正しいのかどうかを計る事が出来なかったんだ」

「拙者も完璧を期す為に狙いを付けた店に足を運び調査をするものの、外側から見るだけで店の中がどうなっているのかがさっぱり解らなくてな。隼人が仲間になるまでは外から様子が解る小さな店しか狙えなかったのだ」

「隼人さんが仲間に加わって、大店を狙える様になったというのですか?」

「そうだ。私は今は町道場で剣術指南をして生計を立てているが、この剣術の世界の伝手と言うのが馬鹿にならないものでな。普通の町人では聞き及ぶ事が出来ない話や、時には狙いの店に上げてもらえる事もあるんだ」

「そうして俺達は隼人が調査、材木が計画、俺が実行と役割分担をする様になったのさ」

「それだけ手をかければ奉行所もそう簡単には捕える事が出来ないでしょうね。それであなた達は盗んだ金を貧しい人に配って歩いているの?」

「その通り!拙者達は今日も包塊一つ分を所定の家々に配ってきたのだ。拙者達が施しを与えねば飢えて死ぬような人々を救って歩いているのだ。らぶあんどぴーす!」

「しかし、その様な人達は江戸に大勢いるでしょ!?」

「だから千両箱を盗むのさ。少々の小銭じゃ話にならない」

「・・・そういう事だったのね。わかったわ・・・この事は他言しません。約束するわ」

「だそうだ材木。これでいいか?」

「むむ・・・その言葉信用して良いのか?拙者にはお主の様な娘の考える事がさっぱり解らん」

「確かに大店の娘の暇つぶしで飽きたからといって奉行所に知らされたりしたら私達はひとたまりもない」

「でしたら・・・私を見張ってはいかがでしょうか」

「お主を見張るだと?」

「ええ、私が家の中に居る時はともかく外に出た時に奉行所や番屋に飛び込まない様に見張っていればいいのです」

「それが出来れば一番安心だが・・・仮にも雪乃屋の娘をつけ回したりしたら周囲が

黙っていないだろう」

「いいえ、周囲が文句を言わない人に心当たりがあります」

「誰だ?」

 不思議そうな顔をする隼人と材木にお雪は優しい微笑みを浮かべ、俺を見つめた。

「八幡なら大丈夫です。私の姉から信用されて今日も道案内を頼まれてました。明日以降、外の出る時は私はまず八幡宮に顔を出す様にいたしましょう。そしてそこで私と八幡が合流をすれば私を見張っていられます」

「ちょっと待て!そんな事本気で考えてるのか?」

「ええ、八幡は姉さんに私の面倒をみる様に言われたでしょ。もし面倒を見なかったら私はその事を姉さんに話すわ。そうすれば私があなた達の秘密を一言も漏らさなくても姉さんが奉行所に漏らしてしまうわ。それでもいいの?」

「・・・妙案だ!元をただせば八のしくじりが原因だ。八が責任を取ればよい。 お雪さんは八に面倒を見てもらえて拙者と隼人は秘密が漏れないよう安心できる」

「しかし俺には板前の仕事がある。そうそう毎日見張ってなんかいられないぞ」

「だったら前もって予定を教えておきなさい。そうすれば八幡が板前をやる日は外に出ないでおいてあげるから」

「決まりだな」

「うむ。これで一安心だ、お雪殿これでお主は拙者達と一蓮托生だ。よろしく頼むぞ」

「ええ、これからは度々この長屋に顔を出させてもらうわ。ここでは私が家で出来ない事に挑戦できるから」

「俺の意思はどこにあるんだ・・・」

 俺達三人におかしな見物客が付いてしまった。これからどうなるんだか・・・俺達の説明に納得をしたお雪は立ち上がり部屋を出ようとすると

「何ぼさっとしてるの?帰るわよ」

 入口の戸に手をかけたまま俺に向かって言い放った。それを見ていた俺達三人は顔を見合わせて何事かと不思議そうに思うと

「八幡、あなた姉さんに案内が終わったら私を家の近くまで送って行く様に言われたのを忘れたの。さっさと支度をしなさい」

「え、ああ、そういやそんな事を言われたな・・・けど子供じゃないんだから一人で帰れるだろ」

「それはそうだけど・・・私が番屋に駆け込んでもいいのかしら?あなたは私を見張らないといけないのではなかったの」

「さっきの今でそんな事しやしないだろ。そんな事したらお雪がここに来る理由が無くなっちまうぞ」

「いいから、道を案内しなさい」

「・・・お雪・・・お前ひょっとして・・・大通りへの出方がわからないのか!?」

「・・・しょうがないでしょ。慣れない道で何かごちゃごちゃしてて・・・」

「はぁ~~、わかったよ。じゃああの四つ辻まで送ってってやるよ。それでいいだろ」

「・・・最初から素直にそうしてれば良かったのよ。さっさとしなさい」

 俺はしぶしぶ立ち上がり入口に向かおうとすると、材木が吹き出しそうな顔をして俺に訪ねてきた。

「は、八よ・・・お雪殿は方向音痴なのか。それほど奥まってない総武長屋から大通りに出ることなど子供でも出来る事だぞ。このまま放っておいたら途中で野垂れ死にをしくれるかも知れんぞ・・・ぷぷぷっ」

「まあ、そう言ってやるな材木、、くくく・・・お雪は昔から家では大層、大事にされていて何をするにも親か姉が付いてやっていたからな、しょうがないだろ。くっくくく・・・」

「隼人さん!材木さん!その様な言い様はあんまりです」

「ほらほら、もう行くぞ。お前らもいい加減にしとけよ。こんな箱入りからかったって一文の得にもならないぞ」

「なんですって!」

 俺にだけ遠慮のない口調で反論をすると、お雪はそのい言葉の勢いのままに履いた草履の爪先で俺の脛を蹴り上げた。見れば初対面の人に向かう時のお嬢様然とした礼儀正しさなど全く影を潜めてしまい周囲への対抗心で河豚の様なふくれっ面をしていた。

「痛えな、何すんだよ」

「八幡、あなたまで私を馬鹿にする気?」

「俺はそんな事言ってないだろ。お前がここらに不案内なのはもう知ってる。今さら見栄を張るな」

「八幡様で会った時から箱入りだ、お嬢様だと馬鹿にして・・・好きでこうなった訳ではないわ。わ、私だって・・・」

「・・・悪かった・・・もう言わないから勘弁してくれ」

「わ、わかればいいのよ・・・」

 お雪と俺は“笑顔”の隼人と材木に見送られながら総武長屋を後にして大通りに向かった。お雪は角を曲がる度に足を止め、何か目印になる様な物は無いかを必死に探し、それが見つけられないと俺に目印を指し示す様に言い出した。しかし何の変哲もない長屋や裏路地に目印など有るはずもなく、結局、大通りと総武長屋の間を三回往復して道を覚えさせる事になってしまった。道順を覚えてふくれっ面がご機嫌な顔に変わると

「ちゃんと教えてくれれば覚えられるわ。頭から馬鹿にせずにちゃんと教えなさい」

「普通はあそこまでしなくても覚えられるんだぞ。やっぱりお雪はもっと外を出歩いた方が良いな」

「だったら明日以降は朝四つ(およそ午前10時)にあの八幡宮で待ち合わせましょう。町を歩くもよし、長屋でやった事の無い事をやってみたり、色々してみたいわ」

「おいおい本当に見張りをさせるつもりか?」

「さっきそう言ったでしょ。いい、ちゃんと八幡宮に来なかったら姉さんに言い付けるわよ」

「本当に俺の都合は考えてないんだな」

「そんな事ないわ。板前の仕事がある時は前もって言ってくれれば見張りをする必要が無い様に外には出ないから」

「それもだが・・・俺にも隼人や材木と同じ金を配って歩く“仕事”があるんだよ。お雪の見張りばっかりしていたらそれが出来ないだろ。それじゃあ何の為に金を盗んでるんだか解からなくなっちまう」

「だったら私に町案内をする時、ついでに金を配ればいいじゃないの。一石二鳥でいいじゃない・・・いいえ、私が八幡の“仕事”を直に見るいい機会でもあるのだから一石三鳥ね」

「“仕事”の見物までしようって言うのか?そりゃあ無理だ」

「なぜ?」

「誰が金を配って歩いているか悟られない様にするのも“仕事”には大切な事なんだ。それこそ小走りで、走りながら戸口に金を投げ込んだりするんだぞ。お雪がそれについて来れるとでも思ってんのか?」

「う~ん・・・確かに走ったりするとなると着いて行くのは無理だけど・・・なら私が八幡が走り終わる場所で待っていればいいのではないかしら。そうすれば“仕事”をしている所も見れるし走る必要もないわ」

「お雪・・・お前は頭が良いだか悪いんだかよく解からん奴だな。好奇心を満たす為とはいえ、良くそんな事を思い付くな」

「さっき言ったでしょ。今の私は今までにないほど興奮してて頭が冴えわたっているの」

「錯乱してるの間違いじゃないか・・・あれ?なんだその風呂敷包み。来た時は持ってなかったよな」

「え、ああ、これはお姫菜さんに借りた本よ」

「お姫菜に借りた本って、、やおいの本か!?」

「違うわ。それも薦められたけど・・・というかそればっかりだったけど、お姫菜さんも草紙を書くにあたって色々な書物に目を通すらしいのよ。それで棚には色々な種類の本があって無理を言って貸してもらったのよ」

「そんなに珍しい本なのか?」

「特に珍しいとか、そういう事では無くて・・・自分で本を選べるのが楽しくて」

「そういやお陽が昨夜言っていたな。お雪の退屈を紛らす為に本を手に入れてるってお前は自分で地本問屋に行った事が無いのか?」

「無いわ。それどころが一人では買い物もした事が無いもの」

「なるほど・・・金も持たずに茶屋に入る訳だ。じゃああの茶屋の茶がお雪にとっては初めての買い物って事か」

「そうなるわね。そう考えると、もうちょっと良いものを買えばよかったわ」

「予算は二百文だけどな」

「二百文あったら何が買えるのかしら?」

「色々さ・・・それこそ色々な店を回ってみればいい。そうするだけでもかなりの時間を使う事になるぞ。小町なんざ大根一本買うのだって二・三軒の八百屋を回ったりするからな」

「何故そんな事をするのかしら?大根はどこで買っても大根だわ」

「店によって値段や大きさが違うんだよ。より安くて大きくて良い大根を買う為に町を駆けずり回るのさ」

「うちの着物と同じね。よその呉服屋と比べたりするお客様がいるわ」

「そうそう、そうやって“あっちの店の方が安かった”とか言って値切ったりもするんだ。だから同じ二百文の買い物でもやり方によってはその価値が二百文以上になったりするんだ」

「明日からは忙しくなりそうね。沢山お店を見て回らないと」

「お手柔らかにな・・・疲れて泥棒も出来なくなっちまう」

「それも良い手かもしれないわね。けど・・・まずはお姫菜さんに借りた本を読んでしまってからじゃないとお姫菜さんに失礼よね。借りたものは早く返さないと」

「そうだな、、そうすれば次の本も貸してもらえるかもしれないしな」

「そうね!それはいい考えだわ」

「お姫菜の家にはそんなに沢山の本があったのか?」

「ええ、私の部屋ほどではなかったけど」

「お雪の部屋にはどれくらいの本があるんだよ?」

「お父さんが本を置いておくための部屋を一つくれたわ」

「さすが大店・雪乃屋だな・・・普通じゃそんな事出来ないぞ・・・ああけど材木の部屋ならもっと多くの本があるぞ。あいつの部屋は本が置ききれなくなって今では本を床に敷いて本の上に布団を引いて寝ているくらいだからな」

「本をそんな風に扱っているの。本当に蘭学者なのかしら」

「まあ手に入る本は片っ端から目を通してる感じだ。それに種類で言ったら、あいつの部屋には外国の本だってあるから、そこらの地本問屋以上の品揃えだぞ」

「それは一回見せてもらう必要がありそうね」

 そんな話をしていたら左に折れたら八幡宮、右に折れたら雪乃屋の四つ辻に到着した。

「じゃあここで良いな」

「ええ、ここまで来れば迷ったりしないわ。じゃあ明日、朝四つに八幡様で」

「わかったよ。出来れば金も用意して来い。お雪にとって良い物と出会えるのかもしれないからな」

「そうね、出来れば、そうしてみるわ。じゃあ」

「おお、気をつけてな」

 俺は振り向きもしないお雪の背中を人ごみに紛れて見えなくなるまで見送ってから長屋に戻ろうかと思ったが思い直して八幡宮へ向かい、これ以上余計な心配事が増えない様にとお参りをした。随分長い事手を合わせていた様で参道脇の茶屋の親父に優しい笑顔を向けれちゃったよ。今の俺ってそんなに不幸そうに見えるのかな。まあ不幸なんだけど、、、本当にこの先どうなるんだか。俺が八幡宮から長屋の部屋に戻ると隼人と材木の二人が俺を待っていた。俺達は今朝茶屋で取り決めた様に床下から千両箱を取り出して、二人に包塊十二個しめて三百両を手渡した。更に昨夜バラけてしまった小判五十枚のうち八枚ずつを二人に渡しこれでこいつらに渡した小判は今朝の包塊一個と併せて三百三十三両、きっちり山分けとなった。残りの一両は一番危ない橋を渡っている俺の取り分として決めてあり俺だけが三百三十四両を手にして、その金を千両箱に入れ直して千両箱を床下にしまい直す。

「しかし毎度の事とはいえ畳を上げて床板を剥がし床下に千両箱をしまうのは大変だな、八」

「仕方ないだろ。小町に見つからない為にはここ位しか隠し場所が無いんだよ」

「拙者が預かってやっても良いのだぞ」

「あんな本まみれの部屋のどこに千両箱を置く場所があるんだよ。お前に頼む位なら隼人に頼むよ」

「俺の所は何かと剣術関連の連中がやってくるからな。部屋の中には置いてはおけん。俺が預かっても結局床下行きだ」

「いっその事、別な長屋にでも引っ越すか?」

「それは小町が嫁に行くまで待ってくれって言ってるだろ」

「小町はお姫菜とお沙希に馴染んでいるからな。お主の言う事も解らんではない」

「しかし私達の様な事をしている人間は一所に長く留まるべきではない。そろそろ小町ちゃんを一人立ちさせてもいいんじゃないか?」

「う~ん・・・」

「八がその気になってくれさえすれば、俺とお姫菜でお優美の所に居候させる様に頼んだっていい」

「その方が拙者達の“ぼらんていーあ”もし易くなるというもの。八よ決断時ではないか?」

「・・・頼む・・・もう少し考えさせてくれ。小町は俺のたった一人の家族なんだ。俺は出来るだけ長く一緒に暮らしたい」

「やれやれ・・・お主の妹病にも困ったものだ」

「そういうな材木。親兄弟がいる俺達に八の気持ちは計り知れんだろ」

「すまん、二人とも」

「まあ、よかろう。今までも特に支障が出た訳で無し・・・今日出来た支障については八が責任を取ってくれるし・・・問題は無かろう」

「それで八、お前はお雪の面倒をどこまで見てやるつもりなんだ?お雪の話しっぷりだと随分かかりそうな感じだったが」

「そんなの俺にも解からねえよ。ただ・・・今日話した感じでお雪が俺達の事を奉行所にたれ込む感じが無いのは解かっただろ。だからお雪が外出やこの長屋に来るのに慣れた頃に世話焼きを止めるつもりだ」

「まあ、自分から自分を見張れなどと申し出るほどに奉行所に駆け込まない決心があるのだろう。拙者の一蓮托生という言葉にも怯みもしなかったしな。しかし油断は出来んぞ、八」

「わかってるって。だからお雪が外出やここに慣れるまでの期間って言うのはお前ら二人がお雪を信用する為の時間だと思ってる」

「うむ。結果的にはそういう事になるのであろうな。しかし八よ、、、お主、お雪殿の事をどこまで面倒みてやるつもりなのだ?」

「それは今言っただろ」

「時間や期間の話ではない。ただの知人という事で良いのかと聞いておるのだ」

「ただの知人?何言ってんだ材木?」

「なるほどな・・・確かに今日の様子を見ていれば、その様に感じるのも無理はない」

「なんだよ隼人まで、何が言いたいんだ?」

「お主がお雪殿を嫁にするつもりなのかと言っておるのだ」

「はぁ!?」

「八、お前自分で気づいてなかったのか。今日のお前とお雪の話しっぷりはお沙希や飯屋のお結衣以上に親しげで近しい仲に見えたぞ」

「そうなのであれば拙者達にも覚悟が必要になってくる。お主が“ぼらんてぃーあ”を辞める事も想定しておかねばならぬ」

「待て待て。今日知り合ったばかりの女と所帯を持つとか、いきなりなにを言ってるんだ。俺はそんなつもりは全く無い。第一あんな大店の娘がこんな長屋暮らしの男に嫁いだりするもんか。ああいう所の娘ってのは親が縁談を決めてそこに嫁ぐのが大抵だ」

「まあ大抵はそうだな・・・しかし色恋の世界には一目惚れという現象がある」

「左様左様。今日のお主らはそう思われてもおかしくない程の関係に見えたぞ」

「一目惚れなんてとんでもねえよ。あんな世間知らずの我儘娘、こっちがお断りだ」

「本当か?」

「本当だ、そんな気持ちはこれっぽっちも無えよ」

「二人が出会った南無八幡大菩薩に誓って、そう言えるか?」

「南無八幡大菩薩でも大仏様でも観音様でも何にだって誓ってやるよ。そんな気持ちは無い」

「・・・八・・・無理はするなよ」

「無理なんかしてねえよ。もうこの話は終わりだ!材木、次の仕事はどうなってるんだ?」

「やれやれ、お主も意地っ張りだのう・・・お雪殿同様に。次の仕事は十日ほど先になる。下調べは既に済んでおるし、計画も練り上がっているが少し間を開けて奉行所の連中の頭が冷えるのを待とう。ただ、その次の仕事がな・・・」

「その次の仕事?」

「ああ、その次の仕事はかなり下調べに時間がかかりそうなんだ。時間どころか金も随分かかりそうだ」

「どんな獲物なんだよ?」

「女郎屋だ。しかしこれが一筋縄ではいかない所でな。多分今までで一番と言っていい程の困難さであろうな」

「そんな商売してる連中がまともな訳ないだろ。それに下調べするなら店に足を運んだりしないと駄目だし・・・なるほど金がかかりそうだな。

そうなると今回は金を受け取れる人の数は少々、少なくなっちまうな」

「やむを得んだろう。この仕事は時間と金をかけなければ成功率が下がってしまう。拙者達に失敗は許されない。その為にも前もって出来る事は全てするぞ」

「わかった。そういう事ならその部分はお前らに任せるよ。俺はとりあえず目先の十日間で金を配る事とお雪の面倒をみる事に専念させてもらうさ」

「まあゆっくり逢引をするといい。知っておるか八、エゲレスの言葉で逢引は“でーと”と言うのだぞ」

「そんなんじゃねえって言ってるだろ。しつこいぞ・・・そういや材木、近いうちにお雪がお前に部屋を訪ねるかもしれないから小判は上手い事隠しておけよ」

「なぜお雪殿が拙者の部屋の来るのだ?お主の部屋に居させておけばいいだろう」

「それがなお雪の奴、物凄い本好きでな。お前の部屋には珍しい本が一杯あるって話してやったらえらく興味を持っちまってな」

「馬鹿者!私の所有する書物は女子供に理解が出来る様なものではないぞ」

「しかし嫌と言ったらお雪の機嫌を損ねる事になるぞ。それでも良いのか?」

「材木、諦めろ」

「むむむ・・・やはり無きものにしておけば・・・」

「本くらいで人を殺すな。とにかく頼んだぞ」

 隼人と材木の二人は話が終わると小判を持って自分の部屋へと戻っていった。部屋で一人になった俺はさっきの二人の話を思い出す。俺とお雪が恋仲に見えた!?そんな風に見えたのだろうか?確かに初対面の人としては良く話したと思うが別に一目惚れして身も心も奪われた様な感じは無い。それどころか明日以降の事を考えると面倒くさくてしょうがない。しかし思い返してみれば八幡宮ではお陽がお雪が珍しい程良く喋ったと言っていた。飯屋ではお結衣が俺とお雪の仲を疑い、茶屋では小町に冷やかされ、長屋に帰ってはお姫菜が俺の弱みを握った様な顔をしていた。

 

 俺は普段どんな顔をして女と話しているのだろう?多分今日俺とお雪の事を疑った人間はみんな俺が普段と違う女との接し方をしていた様に見えたのだろう。一体何が普段と違っていたのか、、俺にはそれがさっぱり解らなかった。

「ただいま~」

 小町が勢いよく入口の戸を開けながら帰りの挨拶をした。外を見ればもう夕方でなるほど小町が帰ってくる頃だった。

「どうしたのお兄ちゃん?ぼーーっとして」

「いや、ちょっと考え事をしててな」

「それって・・・今日一緒に歩いていた、え~と・・・お雪さんの事?」

「そうだ」

「や、やっぱりお兄ちゃん・・・恋に目覚めちゃったんだね。しかし、お結衣さんやお沙希さんみたいな美人でも駄目だったのに。何があの二人とお雪さんの違いなの?」

「お結衣、お沙希、お雪・・・違いね~~」

 小町の見当違いの話から思わぬ考え方が頭に浮かんだ。あの三人の違い、、もっと言うならお結衣、お沙希の二人とお雪の違い、、、真っ先に浮かぶのは家が裕福か否かだ。家が裕福で親が構いすぎたせいで本人が嫌がる箱入りのお嬢様になっちまったお雪と両親が健在で人並み以上の生活が出来てるお結衣、下の兄弟を養ってるお沙希。この違いは明らかなのだが

「ねえねえ今日、お雪さんと並んで歩いてなんの話していたの?」

 矢継ぎ早の小町の質問に俺は気が付かされた。そうか!今日俺はお雪と自分の身の上話をしたんだ。お結衣とは仕事場で仕事と俺の表の顔の話、お沙希とは兄弟の話、、、けどお雪とは今まで隼人と材木以外、小町にだって話した事が無かった事を話してたんだ。しかも話を聞いていたお雪はその事を非難しながらも順を追って話を聞いてくれて納得までしてくれた。さらに俺がお雪の不満を順を追って聞いてやり、お互いが自分の弱みを晒した格好になってたんだ。だからお互い悪態をつきつつも話を最後まで聞き合い、話し合えたんだ。

「今日はお互いの愚痴を話し合ったんだ」

「愚痴?あんな大店の娘さんに愚痴なんてあるの?」

「金持ちには金持ちなりの辛抱や嫌な事があるらしい」

「なんか贅沢な事を言ってる様にしか聞こえないんだけど」

「そうなんだよ。俺達からすればなんて贅沢だって思う様な事なんだよ。家でじっとしてるだけで着る物も寝床も食事も用意してもらえて自分で火を起こした事もないんだぞ・・・けど、そんな自分が嫌で嫌でしょうがないらしいぞ」

「凄く大事にしてもらってんだね」

「雪乃屋の前の大通りとお優美の茶屋前の大通りが交わる四つ辻を一人でこっちの方に曲がった事が無いって言ってたぞ」

「え~~、じゃあいつも誰かが付いてくれていたの?」

「そうらしい。いくら大事にしてもらってても、それじゃあ籠の鳥と同じだよな」

「それはちょっと可哀そうだね・・・小町にもその気持ちちょっとわかるよ。お兄ちゃんが構いすぎて、お優美さんが文句言いっぱなしで大変なんだから」

「・・・俺はそんなに構いすぎか?」

「うん。小町はもう大人だよ。いつまでも小さい子供みたいに扱われたら困っちゃうよ」

「お前がどんなに大きくなろうと小町は俺の妹だ。構って何が悪い」

「・・・もう・・・いつもそうやって言い返せなくしちゃうんだから。お雪さんにも同じ様な事言ってないでしょうね」

「言ってねえよ。あいつとは愚痴をこぼし合った仲ってだけだ」

「その割には今日幸せそうな顔をして並んで歩いていたね。お兄ちゃんのあんな顔、小町だって見た事ないよ」

「そんなに幸せそうな顔をしてたか?」

「うん。なんか恋人って言うより夫婦って感じだったよ。凄く自然に笑い合ってて、お互いを理解しちゃってるって感じだった」

「そんな事ないんだけどな~・・・たぶんお雪に聞いたって同じ事を言うと思うぞ」

「お兄ちゃんは自分がわかってないままに女を惚れさせるから、厄介なんだよね」

「お結衣とお沙希の気持ちはなんとなくだが解かっているぞ」

「“なんとなく”って言う段階でもう駄目。しっかり気持ちを受け止めてあげれば、そんな言葉は出てこないはずだよ」

「しかし今は色恋に身を浸してる時じゃない。俺はお前を嫁入りさせるまで身を固めるつもりなんてないぞ」

「そんな事言ってたら、お結衣さんもお沙希さんもよそに行っちゃうよ。小町よりお兄ちゃんの方が先でしょ。お兄ちゃんの方が年上なんだからさ」

「男はどうとでもなる。しかし女はそうはいかないだろ」

「お兄ちゃんはどうとでもならないと思うよ。だから機会を逃さず身を固めた方が良いんだよ。お沙希さんなら私とお沙希さんが居場所を交換すればいいだけだし、お結衣さんなら私がここに残るかお優美さんの所にでも転がり込めばいいし」

「お優美とそんな話してんのかよ」

「うん、お優美さんもお兄ちゃんをさっさと片付けちゃえって言ってる」

「あの女・・・とんでもない事を言いやがるな」

「とにかく身を固めるのはお兄ちゃんの方が先だからね。その為だったらお結衣さんでもお沙希さんでも、お雪さんでも近くにいる人はみんな私の標的だよ」

「標的って・・・随分物騒な事を言うな。まるで人さらいだ」

「出来るものなら、それ位したいくらいだよ」

 明日以降、お雪が長屋で小町と出くわさない様に気を付けないとな、、事によっては俺や隼人や材木よりも荒っぽい事をするかもしれない。

 

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