やはり俺の面白おかしな恋物語はまちがっている。   作:Z-Laugh

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第二章

 翌日、朝五つ半(およそ午前9時)私は身支度を整え始める、と言っても着ている着物を着替えたりする訳ではなく持ち物を確認するだけだ。まずは巾着、中にはたすきと昨日八幡から借りたお金の残り百七十文が入った小さな布袋、実はこの巾着は姉のお下がり。昨日の経験を踏まえて袖の袂(=たもと)に入れたのではチャラチャラを音がしてよろしくない。そこで巾着をと思ったのだが自分が持っている巾着は親に買ってもらった物や頂き物の飾って置く様な派手な物しかなく普段使いには少々難があった。そこで姉さんに相談したところ姉さんが持っているいくつかの巾着の内から一つを譲ってもらった。姉さんは大はしゃぎで箪笥の抽斗から巾着を出し私の前に並べてくれて昨日は何があったのかとしつこい程に聞いてきた。そもそも昨日あった事は、昨夜家族で夕食を食べた時に話した事が全てだというのに。

 

 昨夜の夕食の際、姉が両親の前で八幡に町案内をしてもらった事を気安く話し出してしまった。するとお母さんは私が男と連れ立って歩いた事を咎める様な口調で話に加わりお父さんもその事を気にはしていたが、それ以上に私が外を出歩いた事を喜んでくれて、これからも出歩く様にと言ってくれた。お母さんは一度お父さんの言葉を遮って不機嫌を露わにしたものの、お父さんがお母さんを宥めて今日以降の外出を薦めてくれた。それを横で聞いていた姉さんはまるで自分の手柄の様に自慢気に八幡の事を喋り出した。お父さんもお母さんも八幡がどんな男なのかとしきりに姉さんに聞き始めるが姉さん自身が八幡の盗人としての顔しか知らない物だから話はすぐに私に振られ、私は八幡が八幡宮に捨てられた事を皮切りに彼の身の上話をした。するとお母さんは難しい顔をして黙り込み、お父さんは何度も頷きながら子供ながらに生きる努力をした事、今でも唯一の家族の妹を大事にしている事、そういう事が出来ずに人の道から外れた暮らしをする人も大勢いるのに八幡は良くやっている事をまるで自分の事の様に称えていた。そんな経緯があり家族の総意として八幡に私の町案内をしてもらう事は認めてもらえた。ただお母さんは最後まで納得していなかったのが少し残念。

 

 そんな風に手に入れた巾着の中身をもう一度確認してからもう一つの荷物である風呂敷包みに目をやった。これは昨日、八幡と同じ長屋に住むお姫菜さんから借りた草双紙、内容はありきたりな人情話であったがお姫菜さんが言っていた通り、物の言い回しが上手でついついのめり込んでしまい昨夜の内に全部読んでしまった。さすがに草紙作家だけはあり草双紙を見立ては大したものだと感心をさせられた。それに昨日お部屋にお邪魔してから色々と話をしたけれど私と同じ年で親の反対を押し切って一人暮らしをして草紙を書き続けている事には本当に驚かされた。しかもその草紙がちゃんと売れて食べるに困らない程度のお金になっているというのだから、なお凄い。私の身の上に例えれば私が両親の反対を押し切って呉服屋を始めて着物がちゃんと売れて自分の食い扶ちが稼げているという事に当たるのだから本当に凄いと思う。考えてみれば八幡がいる総武長屋の人達はみな私と同じ年の人達でみんな自分で食い扶ちを稼いでいるのだから、やはり自分は昨日散々言われた箱入りのお嬢様でしかないのだと痛感させられる。しかし裏を返せば私にだってあの人達と同じ事が出来るはずだという希望にも繋がってくる。それだけに今日からの外出はとても楽しみで、八幡との待ち合わせには半時あるというのに心が弾む思いだった。

 

「お雪ちゃん、なに嬉しそうな顔してるの?」

「姉さん。別に嬉しそうな顔なんてしてないわ」

「いやいや、凄く嬉しそうだよ。そんなに八っつぁんが気に入ったの?」

「違うわ。そんなのじゃない。私は外に出て色々な事が経験できそうで楽しみなのよ」

「私は今までだって、そういう事をお雪ちゃんに薦めてあげたでしょ。なのにお雪ちゃんが外出を渋ったり、よそから人を連れてきても人見知りしてロクに話もせずに終わっちゃってたじゃない」

「そ、それは・・・」

「やっぱり私の見立てに狂いはなかった。お雪ちゃんは八っつぁんとうまが合うんだよ。何の遠慮もせずに言いたい事や聞きたい事を話せる相手って中々見つからないもんなんだよ。私だってお父さんの付添で色々な人と話してるけど、そんな風に思う人はせいぜい一人か二人だよ」

「そういうものなのかしら・・・」

「そういうものなの。これから沢山の人に会う事になるだろうけど多分、八っつぁん程気安く話せる人は、簡単に見つからないと思うよ」

 姉さんはひとしきり私を冷やかすと別な部屋に行ってしまった。八幡と私がうまが合う!?あんな盗人とうまが合うなんて侮辱としか思えない。しかし、昨日の事を思い返してみると私が昨日始めて話した人達の中で八幡ほど気安く話せた人がいないのは事実だった。飯屋のご主人と小町さん以外は皆同じ年の人なのに八幡ほどに気安く話せないかった。それどころか年下の小町さんにまで遠慮した様な言葉使いをしていた。まあ八幡は盗人で見下すべき男だから気を使う必要もないのだけれど私にとって気を使わなくていい人・・・えばうちの店の奉公人、その中でも年が近い様な人達との会話を考えてみても私は八幡を相手にした時ほど喜怒哀楽を表面には出せていない。やはり姉さんが言う事が正しいのであろうか?そんな事を考えていたら朝四つを知らせる鐘が鳴り私は大慌てで家を出ようとした。すると家を出ようとした私を見つけたお父さんが手招きをするので近づいて行くと、お父さんは周囲の見回して誰もいない事を確認してから自分の財布から一分銀(=およそ二千五百文)を一枚取り出し

「無駄遣いをするんじゃないよ。それと・・・これは母さんには内緒だ」

 と言って私に手渡してくれた。びっくりしてる私にお父さんは急いでるんじゃないのかと声をかけてくれて私は我に返り、お父さんにお礼を言って慌てて下駄をはいて家を出た。私の家から八幡宮までは一本道で私でも迷ったりせずに行く事が出来る場所だ。さほど遠くはないものの、朝四つの鐘を聞いてから家を出たのでは八幡宮に朝四つに到着するのは無理な事なので諦めてのんびり歩いた。八幡様に到着すると参道脇には茶屋と日替わりの出店が軒を連ねていた。八幡様の見慣れた光景なのだが今日は自分で使えるお金を持っているせいだろうか、そわそわと出店を眺めながら一層ゆっくり歩く様になった。

「お雪、お前が言い出したのにお前が遅れるなよ」

 私の真横で八幡が両手を腰にやり怒った顔をしていた。

「あら、案外時間に正確なのね。それも盗人の習性なのかしら?」

「時の鐘に逆らって生きてるやつにロクな奴はいねえよ。お前は物を知らないばかりか約束事も守れないのか!?」

「物を知らないとは随分な言い草ね。昨日も言った通りちゃんと教えてもらえれば人と同じかそれ以上には事をこなしてみせるわ」

「じゃあ、ちゃんと教えておいてやるよ・・・時間は守れ」

「う・・・覚えておくわ・・・この程度で勝ったと思わないでね」

「この程度の事で親の仇を見る様な目で俺を見るな。帰りたくなるだろ」

「そ、そんな目はしてないわ・・・それより今日はどこに案内してくれるの?」

「昨日話した“仕事”の見物からだな。昨日出来なかった分、今日やらないと」

「そう、どれくらいの家を回るの?」

「今日だけで百軒は回りたい」

「百・・・そんなに回るの?」

「ああ、盗んだ金が千両、俺と隼人と材木で三等分すると三百三十三両、出来ればこれを五日か六日で配っちまいたいんだ。」

「そんなに慌てなくてもいいのではないの?」

「今にも飢え死にしそうな連中からしたら遅いくらいだ。それに次の仕事との関連でそうそうのんびりもしていられないからな」

「盗人にも事情はあるものなのね。けど百軒も・・・」

「そう心配するな、百軒と言っても大通りの一軒家と違って、長屋ばかりだからな、一か所で五軒、多ければ十軒回る事が出来る」

「それでも少なくとも十の長屋を回るのよね」

「そうだな今日は十四の長屋を回るぞ」

「走って着いて行かなくても疲れそうね」

「まあ昼前には終わるだろうから、疲れたらその分美味い物でも食おうや」

「そうね、今日はお金も持って来たわ。何を食べるか今から楽しみよ」

「その意気だ。じゃあ行くとするか」

 その言葉を合図に私達は八幡様を後にして大通りに出た。そしていつもの四つ辻を八幡は左に折れた。総武長屋から離れる様に歩き出す八幡に何故離れるのかと尋ねると色々な場所で日を変えて金を配る事によって奉行所の役人たちが噂の出所を見つけられない様にする為らしい。なるほど・・・捕まらない訳だ。一人でやっても噂の出所を見つけるのは容易くないだろうけど、これを三人掛かりやっているのだから一度に噂が色々な場所から出てきて三人の居所を探る事なんて出来ないだろう。そう感心していると、八幡が横路地に入っていくので着いて行くと

「この先が最初の場所だ。正直、たちの悪い奴も多く住んでいる。手に持ってる巾着と風呂敷包みを取られないように気をつけておけよ」

「わ、わかったわ」

 八幡の案内で路地を奥へと進んでいくと途中途中で道端に座り込んでる人が出始め物騒な雰囲気になってきた。更に進むと門すらない長屋が見えてきた。八幡は私をその長屋の入り口付近に立たせてから

「いいか、ここでじっとしてろ。ここからなら俺がしている事が見えるし俺もお雪の事が見えるから、お前に何かあっても駆けつけてやれる。だから絶対動くなよ」

 そう言うと八幡は腹巻から小判を何枚か取り出して自分の手に握り、両手を懐にしまった状態で長屋に向かって歩き始めた。八幡が長屋の一番奥まで行くとくるりと振り返って小走りに走り始めると、小判を手裏剣の様に長屋の各部屋に投げ込み始めた。一軒一軒戸を開けるなどと言う事はせずに入口の戸の障子を突き破る様に小判を投げ込みあっという間に私の所までやってきて私の方を抱き、そそくさとその場所を離れてしまった。そして元の大通りに戻ると両手を懐から出して何食わぬ顔をして歩き始める。

「鮮やかなものね。あっという間に終わってしまったじゃない」

「ぐずぐずしてると戸を開けて誰が金を配っているか知りたがっちまうからな。住んでる奴がいきなり小判が家の中に飛び込んできたって驚いてる内にさっさと引き上げちまうんだよ」

「確かにいきなり家の中に小判が飛び込んでくれば驚くでしょうね。そういえば、なぜ懐に両手をしまって小判を投げていたの?普通に投げた方が楽ではないかしら?」

「あれはなガラの悪い所を歩く時のコツみたいなもんだ。両手を懐に入れておくと何を持っているか解からなくて近寄り難いだろ。だから少しくらい小判が投げにくくてもあの方法でやってるのさ」

「なるほど、護身と仕事を両立させていたのね」

 こんな調子で私達は十四の長屋を歩いて回り、昼前には“仕事”を完了させた。百枚もの小判を入れていた腹巻もすっかりしぼんでしまって身軽になった八幡は私の見知らぬ大通りの茶屋に入りお茶と団子を頼んだ。

「これで今日の分は終わりだ。歩き回って疲れただろう」

「そうね、ただ着いて行っただけと言う感じだったからロクに町を見る事が出来なかったけどそれなりに面白かったわ」

「まあ途中で根を上げるようなら、茶屋か飯屋に置いて行って俺だけで“仕事”をするつもりだったけど最後までちゃんと着いて来れたもんな。慣れない街歩きなのに頑張ったな。この団子と茶はそのご褒美だ、遠慮なく食ってくれ」

「余りあからさまに人を下に見るものではないわ・・・まあご馳走してくれるならありがたく頂くけど」

 茶屋で団子を食べるなんて子供の頃に両親に連れられて歩いた時以来で凄く嬉しかった。団子そのものはありふれたもので家で食べる物とそう変わらないが、茶屋の軒先で食べる団子は格別美味しく感じて、口の物を頬張ったままで天気の良い空を見上げてしまった。

「お雪は団子が好きなのか?随分美味そうに食うな」

「特別好きな物ではないわ。茶屋で団子を食べるのが久しぶりだったから、それが楽しくて」

「じゃあ団子をお代わりするか?」

「・・・それより・・・ご飯が食べたいわ」

「飯か・・・じゃあそこら辺の飯屋にでも・・・」

「違うわ。あなたの長屋に行ってご飯を炊いてみそ汁を作りましょう。私が火を起こすわ」

「そういう事か。なら長屋に戻るか。なんなら今日は火を起こすだけじゃなくて米も研いでみるか?」

「それも私に出来るの?」

「ああ、俺は子供の頃からしてたぞ」

「ならやらせて頂戴。それとみそ汁も作ってみたいわ」

「あれこれとやりたい事が多い奴だな。わかった、まあどれだけこなせるか分からないから様子を見ながらやらせてやるよ」

「そうと決まれば総武長屋に急ぎましょう」

 私は八幡をせかして総武長屋へ案内させた。見慣れない大通りを数本歩いて見慣れた大通りに出たところで八幡は薪問屋で薪と漬物屋で白菜の漬物を買っていた。私は両手に荷物を持った八幡の前に立ち自分で総武長屋を目指し始めた。

「へえ・・・お雪が総武長屋まで案内してくれるのか?」

「任せておきなさい。一度覚えた事はちゃんと出来る事を証明してあげるわ」

「そりゃあ楽しみだ。失敗したら腹の底から笑ってやるよ」

「上手く行ったら八幡をさらに見下してあげるわ」

二人して自信満々で笑顔を浮かべ私は大通りから横路地に入り、、、迷ってしまった。そんな私を見た八幡は笑わずに大きなため息をついて道を戻ってくれた。

「もう一度やってみろ。あと少しって感じだから」

 両手に荷物を持っていて同じ道を歩き直すなど面倒なだけなのに私に機会をくれた。今度は間違わずに総武長屋にたどり着けて二人してほっとした。八幡は薪を土間の隅に置いて漬物は部屋の座卓の上に置いた。それを見て私は巾着からたすきを取り出し火を起こす支度をした。

「お!今日は準備万端だな」

「ええ、一度経験した事は忘れないわ」

「さっきの今で、よくそれが言えるな」

「あれは失敗であって忘れた訳ではないわ。一緒にしないで」

「物は言い様だな。じゃあ、ちょっとそのまま待っててくれ。ちょっと豆腐を買ってくる」

 八幡はそう言うと、つる付きの鉄鍋を手に持って出かけて行った。残された私はたすき姿で下駄を履いたまま軒先に腰をかけていた。する事もなく周囲を見回すと自分が持ってきた風呂敷包みに目が行った。私は八幡が戻るまでの間にお姫菜さんに借りた本を返してしまおうと思い風呂敷包みを持って長屋の端の部屋を訪ねた。

「ごめん下さい。お姫菜さんいらっしゃいますか?」

「は~い・・・あらお雪さん。いらっしゃい」

「昨日は色々とありがとうございました。これお借りしてた本です」

「え~もう読んじゃったの」

「はい、お姫菜さんの言う通り上手な言い回しで読み始めたら夢中になって一気に読んでしまいました」

「気に入ってもらえて良かった。他の本も貸してあげようか・・・ってお雪さん・・・なんでたすき掛けしてるの?」

「え、ああ、これから八幡の部屋でご飯と炊いて、みそ汁を作るんです」

「え~~~」

「?」

 お姫菜さんが何か楽しげに声を上げて、なんの事かと思っていたら八幡が持って行った鍋に豆腐を入れて戻ってきた。それを見たお姫菜さんは一層、目を輝かせて

「ちょっとちょっと、二人で食事の支度をするなんて・・・八っつぁんってば・・・もう」

「ちがう。そんなんじゃない、お雪が飯を炊いたりみそ汁を作った事が無いからやってみたいって言ってるだけだ」

「本当に?本当はお雪さんが八っつぁんのとこに押しかけ女房して来ちゃったんじゃないんの」

 私はお姫菜さんの態度の真意をやっと理解した。その途端、顔が熱くなりその場にいるのが恥ずかしくなって八幡の着物の袖を引いて八幡の部屋に戻ってしまった。しかし、そんな努力もむなしくお姫菜さんが八幡の部屋まで着いてきて根掘り葉掘り私と八幡に色々聞いてきた。私はロクに受け答え出来ずにいると八幡が必死になって言い返してくれていた。しかし私が八幡の指示が無いと何も出来ない事に気付くとお姫菜さんはやっと事情を理解してくれた。するとお姫菜さんが私に米の研ぎ方を教えてくれたのだが、その時お姫菜さんの分まで米を炊く事になったのはお姫菜さんを黙らせる為に必要な事だと思って八幡に納得してもらった。研いだ米を入れた釜をかまどにかけると私はいよいよ火を起こし始めた。八幡はニヤニヤとしながら軒先に腰をかけ、お姫菜さんは心配そうに私の手元を見張っていた。私は大きく一つ息を着いてから燃え草に向かって火打ち石を打ちつけ火花が燃え草に映ったころ合いを見計らって息を吹きかけ始めると昨日と同じ様に煙が上がり始め、火が着いた。それを見ていた八幡は感心した様な顔をして

「へえ、ほんとに一度教えただけで出来る様になったな」

「当然よ。私は覚えはいい方なのだから」

 私は八幡と話しながらも起こった火を細い薪に移しかまどに入れると、やはり昨日と同じ様に太い薪を使い火を大きくし始めた。

「ふ~ん、なかなか手際が良いね。本当に昨日教わったばかりなの?」

「ええ」

「・・・お雪さん、ちょっと文を書いてみない?」

「文?私がですか?」

「うん、昨日話をした時から思ってたんだけどさ、お雪さんって沢山本を読んでるせいか文の素養があると思うんだよね。それに今の様子を見てても覚えも良さそうだし案外面白い文をかけるかもしれないよ」

「おいおい、お雪にやおいを書かせるつもりかよ」

「それならそれでも良いと思うけど、お雪さんが書きたい事を書けばいいんだよ。書く事を強要されたら書く事がつまらなくなっちゃうからね。ご飯終わったら私の部屋においでよ」

「わかりました。お願いします」

 思わぬ声がかかり驚いてしまった。私が文を書く!?考えもしなった・・・そんな事が頭を覆い尽くしていたら

「お雪、もっと薪をくべろもっと火を大きくするんだ」

「え、これでも湯は沸かせるわ」

「いや、米を炊くときには最初は強火で釜が吹き出し始めたら火を弱くするんだ。そうしないと芯が残った飯になったり粥の出来そこないみたいになっちまうんだ」

「そうなの、、わかったわ」

「ただ薪を足しただけじゃ駄目だ。種火を起こした時の様に息を吹きかけるんだ。ほら、これを使え」

 八幡は私に竹の筒を渡し

「大きな火に近づくのは熱いし煙いからその筒を使って遠くから息を吹きかけるんだ」

「やってみるわ」

 言われたとおりにしてみたが熱いのも煙いのも嫌になるほど感じられた。試しにと思って竹の筒を使わずに息を吹きかけてみたら、肌が焼けるほどに熱を感じ目がくらむほどに煙たかった。すると釜が吹き出し始めたので八幡の方を見ると八幡は私の横にやってきて慣れた手つきで火の着いた薪を数本を隣の火口に移した。すると釜の真下の火は小さくなり釜の吹き出しが少し収まった。

「これ位の大きさの火をしばらくの間、保つんだ。釜の淵のこぼれ出しが焦げ具合が炊きあがりの目処だ。あとは米が炊ける香りで判断するんだ」

「蓋を開けてみればそんな曖昧な判断しなくていいのではないかしら?」

「蓋を開けると水ッ気が飛んじまって炊きあがりが固くなっちまうんだよ」

「本当に・・・生活の手間は理屈で出来ているのね」

「“羽釜”って言われるほど蓋に大きな取っ手が着いてるのは、その重みで蓋がずれない様にして釜の中の水ッ気を逃がさない為なんだ」

感心しつつかまどの火と向かい合っていたら汗がどんどん噴き出してくる。それを見ていた八幡が私に手ぬぐいを手渡してくれた。

「八っつぁん、やっぱり・・・押しかけ女房なんじゃないの・・・そんなに優しい八っつぁん見るの初めてだよ」

「そ、そうなの・・・私はそんな事をされてもお結衣さんやお沙希さんの様な気にはならないから無駄よ」///

「・・・お雪、お前昨日お姫菜に何を吹き込まれた?」

「別に・・・あなたが見境なく若い女の世話を焼いているって聞いただけよ」

「お姫菜、てめえな・・・」

「あら、間違いじゃないでしょ。違うって言うならきっぱり振ってあげればいいのに。なまじ期待を持たせる方がたち悪いと思うよ」

「きっぱりも何も俺ははっきり言われた訳でもないし・・・先走ってそんな事言ったら勘違い野郎だと思われちまうだろ」

「お雪さん、どう思う?女に全部言わそうとしてるんだよ」

「私が今まで読んだ草双紙では、そういう男はロクな死に方をしてなかったわ」

「また本の話かよ」

「私もお雪さんに賛成だな。私は本と現実両方を見て言ってるんだからね」

「・・・」

 私とお姫菜さんの言う言葉に黙りこんでしまった八幡。最初はいい気味だ!位にしか思ってなかったのだが考えてみれば盗人である事という秘密を抱えたまま、それを知らない女に惚れた腫れたの話をしたりしたら・・・というかそんな話が出来る訳ない。八幡は自分のしている事がどういう事なのか解かっている。解かってやっている、、、そんな自覚をしている男が嫁取りなどする訳が無い。それは仲間の隼人さんも材木さんも同じだろう。まさに無償の行動を八幡はしているのだと実感した。そんな考え事をしていると米が炊けるいい香りがし始めた。釜を見れば淵が焦げ始めて良い具合になってきたように思えた。

「八幡、そろそろどうかしら?」

「うん、頃合いだ。じゃあ火をかまどから外して、しばらく蒸らして置くんだ」

「出来上がりが楽しみだわ」

「じゃあ蒸らしてる間にみそ汁と作っちまおう。鍋に水と組んできてくれ、分量はわかっているな」

「みそ汁の分とお茶の分ね。わかったわ井戸で水を汲んでくる」

 私は昨日八幡がした事をそのまま、なぞる様にやってみた。鍋に湯が沸くと私は柄杓で土瓶にお湯を移し残りのお湯でみそ汁を作ろうとしたが八幡が桶にあけておいた豆腐を掌に持って手の上で器用に豆腐をサイの目に切った。

「は、八幡・・・そんな事をして手が切れたりしないの?」

「する訳ないだろ。ちゃんと力加減すれば大丈夫だよ。豆腐は柔らかいから力を入れなくても切れるし勢い余って手が切れたりしないもんだ」

 八幡は切り終わった豆腐を鍋に入れるとまた沸き立つのを待つ。私はその間、八幡の掌を両手で掴んでまじまじと見てしまった。切れてない!みそ汁が出来上がり、長けたご飯をお櫃に移して私、八幡、お姫菜さんの三人で昼ご飯を食べた。八幡が土瓶に入れておいたお湯で私達にお茶を入れてくれたのだが

「八幡、これぬるいわよ」

「あ!そうか。お雪もお姫菜も俺のお茶くせ知らなかったんだな。俺は猫舌でぬるいお茶しか飲まないんだよ」

「普通はお茶を入れる為のお湯は火鉢なんかで別に沸かしておくもんだからね。人様の家にお邪魔したなら、あれこれ言うのは野暮ってもんだよ」

「お姫菜さん・・・そういうものなのかしら」

「そういうもんだ。俺んちではこれが定番だ」

「小町ちゃんは泣いてるけどね」

「妹より我儘な兄だなんて酷い兄ね。小町さんの苦労がしのばれるわ」

「そうそう。構いすぎるし、我儘だし小町ちゃんもお優美も迷惑してるよ。そうだ!お雪さんが性根を叩き直してあげれば・・・一緒に暮らしてさ」

「え!?」

「またそれか・・・いい加減にしろって。どいつもこいつも」

「どいつもこいつもって・・・私以外にも言われてるの?」

「ああ、隼人、材木、それに小町にも言われた。」

「ほらやっぱり、誰が見てもそう見えるんだよ。これは決まりだね、ねえお雪さん長屋に嫁ぐ覚悟はできてるの?」

「・・・一緒に暮らす・・・嫁ぐって」///

「お、おいお雪。お前まで真に受けるな。みんな面白がってるだけだって」

「そ、そんな事はわかっているわ。いくらなんでも私があなたの様な盗人と所帯を持ったりする訳ないでしょ」

「盗人?」

「あ、馬鹿」

「あ!」

「・・・なるほど・・・そういう事だったんだね」

 お姫菜さんの目が怪しく光る。昨日誰にも言わないと約束したばかりなのに頭に血が 昇ってお姫菜さんがいる事を忘れていたわ。考えてみれば同じ長屋に盗人とその仲間二人がいるのだから以前から心当たりがあったのかもしれない。このままではお姫菜さんに危害が及ぶかもしれない・・・そう思って八幡を見た。八幡も苦虫をつぶした様な顔をしてどうするかを思案している様だった。

「いや~やっぱりお雪さんには物書きの才能があるよ。要するに恋泥棒って言いたんだね。心ならずも心奪われ、憎らしいのに憎めない。うんうん、いいね~これだけで一本話が書けそうだよ。お雪さん悪いけど私の部屋で文を書くのはまたの機会にして。私思い付いた話を書いちゃいたいからさ。じゃ、ご飯ご馳走様」

 さっさと自分の部屋に引き揚げていくお姫菜さんを唖然としたまま見送る私と八幡。

「・・・お雪・・・今後口を慎む様に!」

「・・・はい、ごめんなさい」

 よかった!私は正座をし畳に手をついて頭を下げた状態のまま安堵の息を漏らす。幸いにもお姫菜さんの早合点で事無きを得る事が出来た。危機を乗り切った安心感から私は八幡の許しの言葉が出てくる前に少しだけ頭を起こして彼の様子を上目遣いで見た。しかし、その視線の先には座卓に頬杖をつき片膝を立てた状態で私の事をジトっとした眼で睨んでいる八幡がいた。

「そんな目つきをしているから“のろい”だなんて呼び名をつけられてしまうのよ!」

 こんなセリフが喉まで出かかったけど、さすがに今の失言は私自身の失敗だ。私再び頭を下げ彼の機嫌が直るのを待った。すると私の狭い視界の隅で八幡が私に向かって正座をしてきたのが見て取れた。

「これからは、しっかり頼むぞ」

「・・・はい」

 まだ少し呆れた様な感じの声色だったが、とりあえず怒りは収まった様だとホッとしていたら、、、入口に人の気配。というか、いつまで経っても入口の戸が閉まる音がしない。不思議に思い入口に目をやると、、、八幡の妹の小町さんが唖然とした顔をして私達を見ていた。何故こんな時間に小町さんが帰ってきたのかしら?茶屋での仕事はもう終わったの!?という疑問が頭をよぎる。しかし今の状況を掴みかねている私と違って目の前の八幡は正座していた脚を崩し女座りをする・・・まるで小町さんの出現に恐怖したかの様に。すると何やら少々興奮気味の小町さんが無言のままズカズカと座敷に上がって来て八幡の横に勢いよく音を立てて座り込んだ。

「お兄ちゃん・・・ついに・・・ついに身を固める気になったんだね。小町は嬉しいよ」

「違うぞ、小町」

「だって、これって・・・どう見てもお雪さんがうちに嫁入りしてきた状態じゃん。お兄ちゃんが“これからは、しっかり頼むぞ”って言って、お雪さんが三つ指ついてしおらしく“はい”って返事してたじゃん。こんな場面に出くわせるなんて小町は最高に幸せだよ。」

 顔に熱がこもる、決して頭を下げ続けたせいで頭に血が上った訳ではない。しかし体中の血が頭、というより顔に集まってくるのが全身で感じられる程に顔が一気に熱くなった。私は遅まきながら今の状態を理解して弓が弾ける様に身を起こし、顔の熱を口から吹き出す様にに小町に抗議をした。

「ち、違うわっ!小町さん、これはただの謝罪であって決してそんなものではないの」////

「そんなに照れなくてもいいですよ、、お雪お姉ちゃん」

「おねえ・・・違うのっ、ほんとに違うのよ!」///

「私、前からお姉ちゃんが欲しいって思ってたんですよね。一緒に着物や小物の話をしたり一緒に家事をしたり、、、ずっと前から憧れてたんです。」

「お願い、話を聞いて小町さん。八幡も黙ってないで小町さんに説明して」///

「落ち着けお雪。小町は解かってからかってるんだ。そうだろ小町!?」

「も~~、このままなし崩しでお嫁に来てもらえばいいのに」

 小町さんは舌を出しながら楽しそうに笑いを浮かべ私の事を上目遣いで見つめてきた。まるで小さな子どもがいたずらに大成功した様な無邪気な笑顔を見て、きっと今、私は鳩が豆鉄砲食らった様な顔をしているのだろうと思いつつ大きくため息をついて

「八幡、あなた妹の事を甘やかし過ぎではないの。いくら二人きりの家族だからってこのままでは小町さんの為にならないわよ」

「え、お雪さん。私達が捨て子だったって知ってるんですか?」

「ええ、八幡から聞かせてもらったわ。そういうのは本や噂話の中だけの事だと思っていて、正直今でも八幡にからかわれているのではないかと思うくらいよ」

「・・・お兄ちゃん。やっぱりお雪さんの事が気に入ってるんだね」

「なんで?」

 小町さんの問い掛けに八幡が不思議そうに答えた。自分の身の上を話す事が何故、相手の事を気に入っているという判断に繋がるのか八幡だけではなく私にもさっぱり解からなかったが、その理由はすぐに小町さんが説明をしてくれた。

「お兄ちゃんがその話をした人って凄く限られてるじゃん。昨日知り合ったばかりの人に、この話をしたなんて今まで聞いた事ないよ」

「どういう事?小町さん」

「お兄ちゃんは人見知りですからね。そんな身の上話は滅多な事じゃしませんよ」

「八幡が・・・人見知り?とてもそうは思えないわ」

 昨日初めて八幡と会って以来、彼が私にモノを言い淀んだりして人見知りといった様子は全く見受けられなかったし、それに何より外出する事に臆病になっていた私にすれば、姉さんやお結衣さんと気安く話している八幡にとても“人見知り”という評価は下せなかった。

「だから、私はお兄ちゃんがお雪さんの事が凄く気に入ってるんだろうなって思ったんです」

 なるほど!小町さんの言う通りなのかもしれない。自分の不幸な生い立ちという言い難い事実を誰かれ構わず話したりしないのは他人と話す機会が少ない私ですら当然の事と思える。不用意に話してあちこちで言いふらされたりしたら溜まったものではない。そんな弱点とも言える様な生い立ちの事は話しても問題が無いと思った人間、いえ信用出来る、信用出来る程に気に入った人間にしか話さないのだろう。

「八幡、あなたがいくら私を気にしても私は全くその気がないから、気にするだけ損よ」

「また一段と上から目線だな。心配するな、そんなつもりは全くねえよ」

「あら、負け惜しみ!?」

「それはこっちの台詞だよ。そっちこそ俺が恥ずかしがったり残念がったりしてないのが悔しいんだろ!?」

「そんな訳ないでしょ」

「じゃあ、さっきの小町の問詰めに大わらわだったのはなんだったんだ?」

「そ、それは・・・」///

「実はちょっとその気になっちまったんじゃないか!?ロクに表に出た事が無い箱入り娘が続けざまに冷やかされて頭に血が上ってたんだろ」

「なんですって。私は突然の事に慌ててただけで、その気になったりしてないわ」

「なにが突然だよ、ついさっきお姫菜に同じ様な事言われたばかりじゃないか。続けて同じ様な事を言われてるのに何でそんなに頭に血が上るんだ?お雪は物の覚えが良かったんじゃないのか?」

「へ、屁理屈だけは一流の様ね・・・」

「屁理屈だろうがなんだろうが、相手を黙らせたら口喧嘩は勝ちなんだよ。それとも本の知識でも披露してみるか?上滑りするのがオチだよ」

 本当に八幡の屁理屈は一流だ。なまじの本の知識だけで反論しようものならたちまち、やり込められてしまう。こんな所でも私の今迄の暮らしぶり、人と関わらないで家に閉じ籠っていた事が影響するだなんて本当に悔しい。そしてそんな私の弱点を遠慮なく突いてくる八幡が憎らしい・・・全く・・・伊達に人様から銭金を盗みとってはいないわね。私がやり返す事も出来ずに黙り込んでしまうと私達の様子を目の前で見ていた小町さんが不思議そうな顔をして

「お兄ちゃん・・・お兄ちゃんはお雪さんに好かれたいの?嫌われたいの?その気はないって言いながら、さっきからお雪さんの気持ちを探りまくってるじゃん」

「へ?」

「!」

「やっぱり普通じゃないよ。二人とも!」

 小町さんが呆れたようにそう言い放つと私と八幡を交互に見つめた。八幡は照れ臭そうに俺は顔を背けて小町さんの無言の追及をかわしていたが、私は昼食時から冷やかされっ放しだったせいだろうか、耐え切れなくなって立ち上がり逃げる様に部屋を出てしまった。八幡が私の気持ちを探っている!?その事だけで私の頭は一杯になってしまった。私が今迄に読んだ草双紙などでも男女の仲が深まる流れで男が女の、女が男の気持ちを伺い知ろうとする場面が数多くあった。内に秘めているだけでは堪え切れなくなった想いが外にあふれ出た瞬間の人間模様は何度となく私を夢中にさせてくれたが、まさか私自身が、まして八幡相手にこんな経験をするなんて夢にも思ってなかった。八幡が私を好いてくれている?八幡と所帯を持ったら?家を出て長屋暮らしが私に出来る?想像とも妄想ともつかない考えが私の頭を支配して一向に気持ちが落ち着かず只々、足の動く限り走り続け、息が切れ足が動かなくなったところで私はどことも知れない建物の壁に手をついて気持ちよりもまず息を整えた。そうして息が整ってくると自然と気持ちも落ち着いてきたので今、自分がいる場所がどこなのかと周囲を見回してみた。何の特徴もない汚い建物に手を付きながら周囲を見回すが、ここがどこなのかサッパリ解らない。無我夢中で逃げてきたのだから当然なのだが、これでは自分の家どころか八幡の長屋に辿り着く事も出来ないと不安な気持ちになった時、

「こんな所にいたのかよ」

 八幡が息を切らせて私の真後ろに立っていた。見ればその手には渡井の巾着とたすきが握られていて私はやっと自分が手荷物を持っていない事に気付かされた。

「おい、忘れ物だぞ」

「わかってるわ。今、引き返そうかどうしようか迷ってたのよ」

 咄嗟に思い付いたにしては良い言い訳だった。本当はここがどこで、もう家には帰り着けないのではないかと不安に思っていたところに八幡が来てくれて安心どころか泣き出してしまいそうだったのだが、そんな気持ちを抑えて私は必死に自分が自分でいられる様に気持ちを支え続けた。

「忘れ物を取りに来るのに迷うもへったくれもないだろ」

「けど・・・今、戻ったら小町さんがいるし・・・顔を合わせ辛くて」

「あいつのあの手の話は話半分程度に聞き流しておけばいいんだよ。小町の奴は相手がお雪じゃなくても、それこそお結衣とかお沙希でも同じ様な事を言うんだぞ」

「八幡、あなたは・・・お結衣さんやお沙希さんの気持ちを探っているの?」

「そんな訳ないだろ。いちいち小町の言う事を気にするな」

「じゃあ・・・なぜ私の気持ちを探ったの?」///

「え」

 私の気持ちはなんて弱いんだろう。自分らしく、うろたえた所など見せない様に気丈に振る舞っていた筈なのに、つい頭の中にある事が口からこぼれ出してしまった。言ってしまった私自身もさる事ながら八幡も私の質問には驚いた様で、先程の調子で、先程の様な減らず口が出てこない様子だった。八幡は一体なんて答えてくれるの?

「まあ、売り言葉に買い言葉ってやつだ。最初はお雪の方から俺をからかってただろ。それで、カッとなってあんな風に言い返しちまったんだよ」///

「そ、そうよね。そうに決まってるわ。こんな程度の質問には即答しなさい」///

「そ、そうだな・・・即答しないとな・・・」///

「・・・そうよ」///

 八幡との会話でやっと頭の仲が少しスッキリして冷静にモノを考えられる様になった。気まずさが完全に消えた訳ではないが、動き出すきっかけ位にはなった様で私達は大通りに向かって歩き始めた。しかし頭がスッキリしたのと同時に私の心の中にぽっかりと無い様な空間が出来上がった様な気がした。この気持ちは何なのだろう?冷やかされて慌てふためき、その挙句に何か大事なモノが消えてしまった様な喪失感。どうやら先程の八幡の答えは私にとっては不満足なモノだった様だ。何が不足しているのかも分からないままに私はそんな気持ちを抑え込む様に話題を変えてみた。

「これからは八幡の部屋で色々試してみたい事が出来なくなるわね」

「試してみたい事ってなんだ?」

「色々よ、食事の支度もそうだし、お姫菜さんに言われた文も書いてみたいし、気が付いた事を色々してみたいわ」

「だったら、お姫菜の所でしてみたらどうだ。あいつは一人暮らしだから、その手の邪魔はないらないぞ」

「けど、さっき何か話を思い付いたみたいだったわ。そんな時に尋ねて行ったら仕事の邪魔になってしまう、、、お姫菜さんの草双紙作りは仕事なのだから邪魔は出来ないわ」

「じゃあ俺の所でやるしかないな。まあ小町がなんやかやと冷やかしてくるだろうけど気にしたら負けだ。箱入りお嬢様を辞めるつもりなら、その程度の意地を見せてくれ。じゃないと俺も見張り甲斐が無いからな」

「そうね、あの程度の冷やかしに負けていたら何も出来ないものね」

「そうそう、その調子で頑張ってくれ。協力出来る事はしてやるから」

「なにその偉そうなもの言いは。あなたは私に逆らえる立場じゃないでしょ」

「そんな事はない。確かにお雪に弱みを握られてる様なもんだが、お前だって俺の案内が必要なんだろ。それはお前の弱みじゃないのか!?」

「・・・ほんとに屁理屈だけは達者ね。けど忘れないで、あなたには私を見張る義務があるのよ、いいわね」

「はいはい、わかってるよ」

「ちょっと、なにその返事は・・・きゃっ」

 如何にも面倒臭そうな生返事が癇に障ったので恥ずかしさで背けていた顔と一緒に体ごと八幡に向き直り、文句の一つも言ってやろうと思った瞬間だった。左の下駄の鼻緒が切れてしまい転びそうになった。私は転ぶまいとして反射的に八幡の肩に掴まろうと両手を伸ばした。八幡も私の体を支えようとしくてれたのだろう体を前のめりにして両手を伸ばしてきた。しかし私の体が倒れ込む勢いを八幡は受け止め切れず、その勢いに負けて倒れてしまったのだが、、、その瞬間、私と八幡の顔がというか・・・私の唇に八幡の唇がぶつかってしまった。

 

「!」

「!」

 

 ぶつかった唇を剥がす事すら忘れる程に驚いた私は両手を八幡の肩の上乗せたまま膝をついている。八幡は尻もちをついているのか私と同じく膝立ちなのか解からないが、とにかくその両手が私の腰を掴んだままの状態である事だけは体に伝わる感触で理解出来た。文字通り目と鼻の先に八幡の顔がある。時間が経過する毎に八幡の唇の感触が私の唇を覆っていき、その全てを八幡の物にされた様に感じた頃に私はやっと体を動かせる様になって跳び上がるみたいにして立ち上がった。私の唇、両手、そして腰にあった八幡の感触が無くなって初めて、たった今、自分が何をしていたのかを嫌という程に自覚出来た。顔に熱い、きっと耳まで赤くなっているのだろう。尻もちをついたままの状態で動けなくなっている八幡を見ている事が出来ずに顔を背けると地面に鼻緒の切れた下駄が転がっている。それでやっと私は今、左足に下駄を履いていない事に気が付いた。ゴソゴソと八幡が動き出す音がしたので横目で見てみると浄瑠璃人形みたいにギクシャクしながら立ち上がり鼻緒が切れた下駄を拾い上げてくれて

「事故だから・・・ただの事故だ」

「そうよね・・・事故だわ。犬にかまれた・・・猫に引っかかれたと思って忘れましょう」

 八幡の声に反応する様に私は体ごと彼に背を向けて、辛うじて彼の申し出に賛同する事が出来た。姉さんには私が八幡といい感じに話せてると言われ、お姫菜さんには嫁ぐ覚悟は出来たかと冷やかされ、小町さんにはお雪お姉ちゃんとからかわれ、その挙句にこんな盗人と口吸い(=キス)までしてしまうなんて。本当に八幡と知り合ってからロクな事が無い。なのに何故だろう・・・私はこの場で八幡にこの怒りをぶつけようとは思わなかった。確かに頭と心で怒りを感じてはいたのだが私の中にはそんな怒りを丸ごと覆い隠す、むず痒い様な良く分からない気持ちが湧き上がっていた。この気持ちは一体何なのだろう?思わず胸に手をあてるが一向に気持ちが落ち着かず、むず痒い様な気持が全く晴れないままだ。私は一体どうしてしまったのだろう。

「お雪」

「は、はいっ!」///

「下駄・・・鼻緒切れちまったな」

「そ、そうね・・・切れてしまったわね」///

「ちょっと待ってろ。家に行って草履を取ってくるから履物屋までそれで行って下駄の鼻緒をすげ変えてもらおう」

「え、ええ・・・わかったわ。私はここで待ってるから、早く草履を持ってきて」

「わかった。ちょっと待ってろ」

 八幡は大急ぎで長屋に向かって走っていった。多分、総武長屋まではたいして距離はないと思うし、すぐに戻って来てくれるのだろうが、わずかな間でも八幡と離れられた事で私は少し余裕を取り戻した。それは多分、八幡も同じだったのだろう。すっかり普段の顔になって戻ってきた八幡は片足立ちをしていた私の足元に草履を並べ草履履き替える様に促してくれた。外出着の紬の着物に草履履き、なんともちぐはぐで不格好な様子なのだが非常事態なのだからしょうがないと我慢して草履履きのまま、その手に私の下駄を持った八幡について大通りに出た。大勢の人が行きかう大通りは今の私にとってはありがたい空間だった。さっきまでの裏路地や横路地は人通りがほとんど無く、まるで八幡と二人きりで部屋に居る様で落ち着かなかったのだが、それに対し今の大通りの喧騒は逆に私に落ち着きを与えてくれている。静かなのに落ち着かない、喧しいのに落ち着く、普段の私の生活からすれば何とも不思議な体験をしながら大通りを少し歩くと履物屋の看板が目に入った。迷わず店内に入ると店の主人は鼻緒の切れた下駄を手に持つ男と綺麗な着物と足袋を身に付けながらも草履履きの女を見て鼻緒のすげ変え客である事を察してくれた。数種類の鼻緒を出して見せてくれると八幡は何の迷いも無しに一番安い鼻緒を選んですげ変えを頼もうとする。

「待ちなさい八幡。こんな塗下駄にそんな安っぽい鼻緒は似合わないわ。ちゃんと選ばないと駄目でしょ」

「そういうものなのか?」

「当然よ。塗下駄の鼻緒は白足袋を履いているととても目立つから安っぽい物を着けると全身が安っぽく見えてしまうのよ」

「だったら自分で選べよ」

「え、自分で!?そうね・・・自分で選べばいいのよね」

 私は最初、八幡は何を言っているのだろうと思ったのだが、そうか自分で履く塗下駄の鼻緒を自分で選ぶなんて極々当たり前の事だ。自分で買い物をした事が無い私にとっては・・・茶屋のお茶一杯は抜きにして・・・初めての買い物。私が履物屋の主人の前に並んでいる数々の鼻緒の前に歩み寄ると八幡が横にずれて私に場所を譲ってくれた。下駄に据え付けられていない鼻緒を見る事自体が初めての経験で、そんなの一組の鼻緒が数種類、目の前に選んでくれと言わんばかりに並んでいる事がなんとも新鮮だった。ありふれた白地、藍染、朱染、格子模様などの鼻緒が並んでいるが、さて、どれを据え付けたものだろうと考えるが、どうにも考えがまとまらない。鼻緒が切れた私の塗下駄を手元に持ってきて目の前にある鼻緒を添えたりしてみるが中々決める事が出来ない。するといつの間にか席を立っていた履物屋の主人がその場を離れ、帰ってくると更に沢山の鼻緒を持ってきてくれた。見た事が無い様な金糸を織り込んだ豪華な物や小さな絞り模様の華麗な物、花柄、蝶柄など、正に色取り取りの鼻緒が目の前に現われ私はかつてない程の興奮をしてしまった。困った、目移りしてしまう、迷ってしまう。しかし、それが楽しくて堪らない。

 

 時間が過ぎるのも忘れ鼻緒を吟味していると私の横にいる八幡は不機嫌そうな顔をしながら腕組みをして人差し指をトントンと苛立たし気に動かしていた。申し訳ない気持ちもあるのだが、ここは一つ八幡に我慢をして貰うという事にして私は敢えて彼の様子を無視させてもらった。楽しく鼻緒を選ぶ私と苛立たしい八幡、、、この状況で履物屋の主人は私に味方をしてくれた。不機嫌が最高潮に達した八幡の前に履物屋の主人が一杯のお茶を振る舞いながら

「女の買い物は時間がかかる物ですから、諦めてのんびりして下さい」

 と八幡に小声で話しかけてくれた。まあ猫舌の彼の事だから湯気が立つようなお茶を振る舞われて、すぐに飲み干せる筈もない。私は憂う事なくゆっくりと鼻緒選びに精を出す事にした。そうして迷いに迷って私は金糸が織り込まれ豪華で派手な色合いの物を選ぶと履物屋の主人はすげ替え、そして私に試し履きをさせての微調整を私の目の前であっという間に、まるで見知らぬ不思議な術でも使っているかの様に簡単にやってのけた。鼻緒のすげ替えなんて興味も何も無かったのが実際に目の当たりにしてみると、その手つきの鮮やかさに感心をしてしまう。本当に世の中は私の知らない事に溢れている。そうして支払の段になったらお値段は百文、私は巾着からお父さんに貰った一分銀を取り出し履物屋の主人に渡したのだが八幡は驚きと呆れを一緒にした様な顔をして、履物屋の主人は驚きながらこの場にある金では釣銭が出せないと言って店の奥まで行って釣銭を用意してくれた。

 

 無事に鼻緒のすげ替えが終わり、まるで新しい下駄に生まれ変わった様な私の塗下駄を眺め、足元だけを見ながら転ばない様に履物屋を出ると八幡が

「お雪・・・お前鼻緒のすげ変えに一分銀なんて出すなよ。店の主人が困ってたじゃないか」

「私も最初は昨日八幡から借りたお金で払おうと思ったのだけれど、八幡にお金を返さないといけないでしょ。だから丁度いいと思って」

「どこで手に入れたんだよ。一分なんて?」

「今朝出かけにお父さんがくれたのよ。“無駄遣いしちゃ駄目だよ”って」

「はぁ~~小遣いで一分だと。全く大店の旦那って言うのは金銭感覚が少しおかしいんじゃないか!?」

「私もびっくりしたわ。こんなにくれるなんて思ってもいなかったの。今朝出かけにお父さんに懐から財布を出したんで、お小遣いをくれるのかな!?とは思ったのだけれど、まさか一分ももらえるとは思わなかったわ」

「娘が外に出るのがそんなに嬉しかったのかね~」

「・・・そうかもしれないわ。昨夜の夕飯の時、家族の前で昨日の事を話したの。そうしたらお母さんは不機嫌だったけど、お父さんは凄く喜んでくれてたわ」

「本当に喜んでたのかよ、嫌みで言ったのに」

「ええ、最初は姉さんが八幡に町案内を頼んだ事を喋り出したのよ。それを聞いたお母さんは男と連れ立って歩くなんてって怒りだしたけど、お父さんが取り成してくれて・・・八幡の事を話したらとても感心をしてたわ」

「お雪、お前は親父に何を話したんだ?」

「八幡の身の上よ。最初は姉さんが喋り出したのだけれど、お父さんとお母さんから八幡がどんな男かって聞かれ始めちゃって、、、姉さんはあなたが泥棒って事意外は何も知らないでしょ。だから私が話をしたのよ」

「お陽は何をやってるんだ。それにしてもお前の親父が俺の何に感心したんだ?」

「逆境に負けないで真っ当に暮らしてるのが立派だって。泥棒の事を話せなかった反動で良いことしか言えなくてとても不本意だったわ」

「そんな訳あるか。俺はお前の親父が言う通り立派に、真っ当に暮らしてるんだよ」

「盗人の言う台詞じゃないわね」

「今日、金配った連中な・・・あいつらだって俺と似た様なもんなんだぞ。しかし、貰うだけの側と施しをする側、この違いは凄い事だと思わないか?」

「・・・そうね、言われてみれば大したものだわ」

「まあ今の話だけでお前の家族の事が全部わかった訳じゃないが・・・親父さん以外あまり外で苦労してないな。ちょっとでも暮らしに苦労した経験があればすぐに思い付く事なんだぞ」

「まだまだ経験不足ね。下駄の鼻緒一つすげ変えるだけで胸が高鳴ってしまったもの」

「あれはあれで良いじゃないか。履物屋の主人も女の買い物は長いって言ってただろ」

「そういうものなのかしら?」

「以前、小町の奴に帯どめを買ってやった時も随分長い事待たされたぜ。まあ楽し事をしてれば胸が高鳴るのも時間が過ぎるのを忘れるの当然だ。何も変じゃねえよ」

「そうね。そう考えると下駄の鼻緒が切れてよかッたわ。いい経験が出来た」

「・・・」

「なにを黙ってるの?折角、私が良い話をしているのに」

「・・・いや、下駄の鼻緒が切れたせいで・・・あれだったろ」///

「あ、あれは猫に引っかかれた様な物だと言ったはずよ。蒸し返さないで頂戴」///

「悪かった、もう言わねえよ」

それから私達は黙ったまま歩きあの四つ辻へと到着した。

「じゃあ、明日また」

「明日は遅れるなよ」

「遅れる訳ないでしょ。八幡こそ遅れないように気をつけなさい」

「へいへい、お嬢様」

「もう・・・本当に大丈夫?」

「大丈夫だって、今日だって大丈夫だったろ。」

「今日がたまたまだったのではないの!?」

「そんな訳ないだろ。俺は時間には厳しい男なんだぞ。余分に何かやらされるのが嫌だからいつも時間を気にしている」

「折角の長所が短所になってしまったわね・・・あ、そうだ。お金返さないと」

「いいよ明日で。こんな往来で巾着開けて金出してるとひったくられるぞ」

「そういう事によく気が付くあたり、さすが盗人ね」

「一言余計だよ。まあ金を返すでもよし、代わりに何かおごってくれるでもよし。むしろそうした方が買い物の機会が増えていいじゃないか」

「それもそうね。じゃあ明日何か御馳走してあげるわ」

「楽しみにしてる・・・当てにはしてないけどな」

「なんですって」

「しょうがねえだろ。お雪はどこで何を売っているのか全然知らないんだから」

「じゃあ明日は食事の支度はせずに沢山のお店を見て回りましょう」

「わかった。ただし“仕事”の後だぞ」

「盗人の癖に真面目なのね。わかったわ」

「じゃあ明日」

 

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