やはり俺の面白おかしな恋物語はまちがっている。   作:Z-Laugh

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第三章

 ― お陽、お雪を見て思う ―

 

 帰ってきてからお雪ちゃんが変だ!

 

 私から巾着を一つ貰って嬉しそうにしてたけど、帰って来てからは上の空になったり突然、顔を赤くして両手で頬をおさえて頭をぶんぶん横に振ったり、かと思えば大きなため息をついて落ち込んだり、、、あれは八っつぁんと何かあったな!?お雪ちゃんがあれだけ話が出来る相手と出会ったんだから、ただ町を歩くだけではなく色々興味が湧いた物について教えてもらったりして、きっと今までにない経験が出来たに決まってる。そこで私はあえて夕飯の時には何も聞かず、食事が済んだ後でお雪ちゃんの部屋に尋ねて行くとお雪ちゃんは自分の部屋に塗下駄を持ち込んでしげしげと眺めていた。

「何やってるの?」

「え!姉さん、入るなら声をかけて。びっくりするじゃない」

「ごめんごめん、それで何をしてるの?その塗下駄がどうかしたの?」

「いえ、別に・・・今日久しぶりに履いたら鼻緒が痛んでいたみたいで町を歩いていた時に鼻緒が切れてしまったの。それで自分で履物屋に行って鼻緒を選んですげ変えしてもらったのよ」

「鼻緒のすげ変え!?それがどうかしたの?」

「・・・自分で履物屋に行って鼻緒を選んだのもすげ変えに立ち会ったのも初めてだったからこの下駄が特別な物に見えてしまうの」

「そっか、お雪ちゃんは買い物した事なかったもんね。買い物は楽しかったの?」

「ええ、凄く楽しかったわ。凄くワクワクしながら鼻緒を選んで、ちょっと高い鼻緒を選んでしまって・・・八幡が呆れてたわ」

「いくらくらいの鼻緒だったの?」

「百文よ。金糸が編み込んであって、とても綺麗だったから」

「どれどれ・・・なるほど、これは中々の物だね。けど、ここまで派手だと着物に合わせ辛いでしょ」

「そうかもしれないわね。けど八幡に選ばせたら一番安いのを選んでしまいそうだったので、その反動もあって高い物を選んでしまったわ」

「そう言う事か。八っつぁんの町案内は上手くいってる様だね。けど帰ってきた時は何か変だったよね。鼻緒以外で何かあったの?」

「・・・他に」///

「お!顔を赤くしちゃって、何か言いにくい事でもあったのかな~」

「べ、別に言いにくい事なんて何もないわ」

「じゃあ、なにがあったの?」

「そ、それは・・・」///

 もじもじと言い辛そうにしているお雪ちゃんが可愛くってもう・・・ついつい、からかいたくなっちゃう。まあお雪ちゃんの事だから、いきなり大人の階段を昇っちゃったって事はないだろし大した事じゃないんだろうけど

「それは?ひょっとして大人な体験しちゃったの?」

「そ、そんな訳ないでしょ!」///

「あ~~さらに赤くなった!これは由々しき事態だわ。嫁入り前の娘が」

大げさに身振り手振りを交えて驚いて見せるとお雪ちゃんは真っ赤な顔をしたまま、うつむいたと思ったら意を決した様に

「ご飯を炊いたの!みそ汁も作ったわ!」

「はあ?」

「火だって自分で起こしたのよ!」

 顔の赤みは消えないけど恥ずかしがってた表情が一変した。自信満々で凄い事をしたって顔をして、そう言い放った。火を起こして、ご飯を炊いて、みそ汁を作った。それと顔が赤くなるのに何の関係があるのかしら?八っつぁんの案内で食事の支度が出来る所に行ったって事でしょ・・・ひょっとして八っつぁんの家に行ったのかしら。あんな事してる男が所帯を持ってるとも思えないし、一人暮らしの男の家に遊びに行っちゃったって事?だったら何故、食事の支度をするのかしら。お雪ちゃんは良くも悪くも箱入り娘で家事の類は一切した事が無いはずだ。それこそ自分の茶碗を運んだ事すら無い。そんなお雪ちゃんが顔が赤くなる様な食事の支度

「八っつぁんの家に行ったの?」

「はい」

「そこで食事の支度をしたの?」

「はい」

「自分で火を起こして?」

「はい」

「それって・・・押しかけ女房?」

「違うわっ!」

「じゃあ何でそうなったの?」

「八幡は私が世間知らずだって馬鹿にして普通の人の暮らしを見せてくれたのよ」

「それで八っつぁんの家に行ったんだ」

「ええ、丁度お昼時で八幡がみそ汁を作ってくれ様とした時に火を起こして・・・私がそれを八幡の後ろから覗きこんでいたら、やってみるかって言ってくれたのよ」

「はぁ~~要するにオママゴトだね」

「そうね、私としては頑張ったのだから、そういう風に言われると少し残念だけど」

「それで八っつぁんの家で二人でお昼御飯を食べたの?」

「いいえ」

「誰か一緒に居たの?」

「同じ長屋に住んでいるお姫菜さんって方が一緒だったわ」

「どんな人?」

「私と同じ年なのに一人暮らしで草双紙作家なのよ。年の変わらない女性が自分の食い扶ちを自分で稼いでいるのに驚いたわ」

「それって八っつぁんの愛人?」

「・・・それは考えてなかったわ」

「それはって・・・他は考えていたの?」

「他というか、お姫菜さん曰く八幡の事を気にしている女性が二人いるらしいのよ。同じ長屋のお沙希さんという方と家から八幡様の方に行って四つ辻を左に折れた所にある飯屋の娘さんでお結衣さんという方」

「・・・それだけ?本当にそれだけ?ほんと~にそれだけ?」

 大事な事なので三回言いました。三回言われたお雪ちゃんは冷めかけた赤みがぶり返した。

「お雪ちゃんも冷やかされたんでしょ!?同じ長屋の人に八っつぁんの家に押しかけ女房をしに来たんでしょって言われたんじゃない」

「・・・なんで・・・何でわかるの姉さん」///

「なるほどね~、お雪ちゃんは今までそういう事を言われて冷やかされた事ないもんね。それで帰って来てから変だったんだね」

「そ、そんなに変だったかしら」

「うん凄く・・・けどお雪ちゃんはそれが楽しかった?」

「楽しい?」

キョトンとした顔をして私が何を聞いているのか解からないみたいだった。

「冷やかされたのが楽しかったかって聞いてるの」

「え!?冷やかされたのが楽しい訳ないでしょ」

「お雪ちゃん・・・それはあなたが誰も冷やかした事が無いからよ。誰かを冷やかした事があると冷やかされた時は嫌だけど後になって嬉し恥ずかしな気持ちになっちゃうものなのよ」

「・・・誰かを冷やかした事があれば?」

「そうよ、お雪ちゃんは友達を冷やかした事が無いから嫌なだけだったんだよ。今度、そのお姫菜ちゃんを冷やかしてごらん。まずそれが楽しいよ、そしてきっとその子がやり返してくる、そういう経験をしてごらん凄く楽しいよ」

「それは私が経験した事が無いものなの?」

「そうよ。外に出て色々な人と会って、話して、そういう経験をした人じゃないと分らない事なのよ。だから明日以降もいっぱい出歩きなさい」

 お雪ちゃんが何かを考え始めた。この子は今迄こんなに物を考えた事が無いだろう。家の中で籠の鳥の様な生活をしていたこの子が外の空気に触れた途端うちに秘めた炎が燃え広がった感じ、、、いいえ花火の様に弾けたみたい。泥棒をしてる同じ年の男、草双紙作家をしてる同じ年の女。お雪ちゃん自身が自分に出来る事がどれほど多いのか気付かせてくれる最高の出会いだ。最初はオママゴトかもしれないけど、これは先が期待できそう。

「明日も出かける予定なのよね」

「ええ、明日も朝四つに八幡様で待ち合わせるわ」

「ふふ、八幡様で八幡と待ち合わせか、初めて会ったのもあそこだったし。これは本当に菩薩様のお導きかもね」

「あんな男・・・それ程のものじゃないわ」

「そうなの?せっかくとっておきのかんざしを貸してあげようと思ったのに」

「え!あの銀細工の!?」

「そうそう。お雪ちゃん付けてみたいって言ってたよね。けど・・・それ程のものじゃない男と会う為に貸すのはちょっとやだな~」

「ううう・・・じ、実は結構いい所もあるのよ」

「そんな無理やりこじつけても説得力無いよ」

「そんなのじゃないわ。あの盗んだお金は生活に困っている人達に配って歩いているのよ」

「そうなの。へ~~、、盗んだお金は湯水の様に無駄遣いしてるのかと思ってたわ」

「なかなか出来る事ではないと思うのだけれど」

 顔を伏せ気味に拗ねたような表情で上目使いをしてくるお雪ちゃん、、、どうやら本当に菩薩様のお導きみたいだわ。

「わかった。それほど八っつぁんが気に入っているなら、あのかんざしを貸してあげよう。“似合ってるよ”って褒めてもらえるといいね」

「べ、別にあの男に褒められるとかじゃなくて・・・前から付けてみたかっただけよ、それだけだから」///

 またまた顔を赤くしたお雪ちゃんが可愛くて私はその日の内に銀細工のかんざしをお雪ちゃんに貸してあげた。明日これを付けてる姿を冷やかしてやろっと。

 

 

― 翌日 朝五つ半(=およそ午前9時) ―

 

 全く!姉さんから借りた銀のかんざしを刺しただけなのに、あんなに冷やかさなくてもいいのではないかしら。一方的に冷やかされたせいなのか凄く不愉快な気分だ。巾着には昨日と同じ様にたすきとお金を入れて家を出る準備が整った。履物は昨日と同じ塗下駄、、、姉さんに見つからない様にこっそり出て行かないと、また冷やかされかねないと思い私は廊下を歩きつつも周囲に気を配って姉さんがいないかを確認した。誰にも出会う事なく勝手口に到着して部屋から持ってきた塗下駄を履いて外に出た途端

「やっぱり!こうするんじゃないかって思ってたんだよね」

姉さんが凄く嬉しそうな顔をして私を待ち構えていた。私は驚いて何も言えずにいると

「あ、今日もその塗下駄で行くんだね。もうお雪ちゃんてば・・・八っつぁんとの思い出の品を大事にし過ぎだよ」

「・・・姉さん。行ってきます」

「おおっ!反論せずに流すだなんて、お雪ちゃんが進化してる」

 姉さんの戯言を背中で聞きながら勝手口から大通りに出て八幡様を目指す。かなり早めに家を出たから八幡様には相当早く着くだろうけど昨日八幡に言われた事を踏まえて、今日は私が彼を見下す番だと言わんばかりに歩く速度が上がってしまう。八幡様に着くと案の定、まだ八幡は到着しておらず当然のごとく私は暇を持て余してしまった。する事が無いので社まで行ってお参りをする。目を閉じて手を合わせて願い事を頭の中に浮かべる。今日が楽しい一日になります様に、今日も新しい体験が出来ます様に、そして今日も・・・八幡が笑ってくれます様に・・・ふとそんな事を考えてしまった。

私は自分で自分の考えに驚き、そのあまりに手を合わせたまま目を開け自分の顔が赤くなるのを感じた。私は合わせていた手を離し自分の顔を覆うと社近くにある石の腰掛けに座り、深い呼吸をして顔の熱を冷ます。だいぶ顔の熱が冷めてきたので手を離し、ほっと息を着いて目を閉じると・・・昨日の間近に見た八幡の顔が思い浮かび口吸いの事を思い出してしまった。再び両手で顔を覆い深く呼吸をして顔の熱を冷ます。私は一体どうしてしまったのだろう、もしやあの目に呪われた!?瓦版に書いてあった事はあながち間違いではなかった様ね。全部八幡が悪い!そう考え始めたら顔の熱が完全に引いた。

「よう、今日は早かったな」

「あなたは遅かったわね」

「まだ朝四つの鐘はなってねえよ」

「確かにそうね・・・二日続けて時間を守れるなんて感心だわ。ご褒美に頭でも撫でてあげましょうか」

「日が変わっても上から目線かよ」

「あら、頭を撫でるのでは嫌なの?だったら飴を買ってあげるわ」

「俺はどんだけ幼いんだ?」

八幡が不満そうな顔をするのが面白くて、私は立ち上がって出店に向かって歩き出しそのうちの一軒に声をかける。

「すみません。飴を二つ下さい」

「はいよ。どんな意匠にしますか?」

「そうね・・・おじさんの一番得意な物と二番目に得意な物にして」

 

 私は飴細工の店で飴を二つ頼んだ。

 

「おい、本当に飴を買ってるのかよ」

「ご褒美だって言ったでしょ。黙って受け取りなさい」

 呆れる様な顔をする八幡が面白くて私はくすくすと笑っていた。すると飴屋のおじさんがおかめの顔をした飴細工をあっという間に作ってしまった。その様子を見ていた参道を歩く人達が足を止めて見物し始める。すると次の飴はひょっとこの顔をした飴になった。その鮮やかな職人芸に私と八幡それに周囲の見物客が感心していると飴屋のおじさんがおかめとひょっとこの飴を両手に一本ずつ持って、突然、大きな掛け声の様な声で

「おおっと、しくじったーーーっ!」

と叫ぶと二つの飴の口元をくっつけてしまった。口吸いをしているおかめとひょっとこ。

「いや~お嬢さん申し訳ない。私のしくじりで二つの飴がくっついてしまったよ。お詫びと言っちゃあなんだけど、飴代は一つ分でいいよ。それとも朝顔と大根の飴を別に作ってあげようか?」

 ニヤニヤしながらそういうと私と八幡を交互に見て、くっついた二つの飴を差し出してきた。私はそれを見て昨日の八幡との口吸いを思い出してしまい、慌てて顔を背けると横に居た八幡も同じ様に照れていた。すると周囲の見物客が

「早く受け取ってくれないかな~、後がつかえてるんだよ」

「よかったね。幸せにしてもらうんだよ」

「こら大根、濡れそぼった朝顔は優しく扱えよ」

 などの冷やかしなのか良く分からない言葉を言い出した。私は大急ぎで巾着からお金を出して飴屋のおじさんに飴代を払ってその場から逃げ出した。二人して八幡様の境内から出てくるとやっと一息付けて呼吸を整えつつ八幡を見るとその手にくっついたおかめとひょっとこの飴を持っている。もう!そんなもの捨ててしまえばいいのに。八幡は持たされた飴のひょっとこの口の部分を折って、飴を二つに分けておかめの方を私に手渡し、ひょっとこの方はそのまま口に入れてしまった。長い楊枝を咥えている様な格好になっている八幡。私は右手に飴、左手に巾着を持って八幡の横に立っていた。何か話しかけ様としてもわざとらしく口をもごもごさせて返事が出来ない事を態度で示してくる。こんな時に知らん顔を決め込もうとするなんて!なんて卑怯な男かしら!!やっぱり所詮は盗人ね・・・私は八幡を置き去りにする様に大通りを歩き始める。しかし八幡は小走りで私に追い付くと黙って私の横を歩いてくれた。

 

 八幡の卑怯な態度に怒っていたはずなのに黙って横を歩き始めてくれただけで怒りがどんどん薄れてしまう。文句も感謝も口にせずに黙って歩いていると八幡は私の半歩前を歩き出し無言で私に行く方向を示してくれた。見知らぬ横路地に入って行くと八幡はとある長屋の入り口前で振り返り、私の肩を両手でトントンと二回軽く叩き私にここに居る様に無言で指示、飴を咥えたまま、昨日と同じ様に“仕事”をこなし私の所に戻ってきて、私の肩を抱いてそそくさとその場を離れてしまった。今日は昨日に比べて回る家が少なかったせいで昨日よりも早く

“仕事”が済んでしまった。

「やっと終わった」

「やっとって、昨日より少ないじゃない」

「違う“仕事”の話じゃなくて飴の話だ。でかい飴だったから中々なくならないんで本当にしんどかった」

「そんなに大変だったのなら途中で捨てればよかったのに」

「なに言ってんだ。折角お雪が買ってくれたもんだしな、それに食い物を捨てるなんてもったいないだろ」

「そうだったの・・・やっぱり褒められて嬉しかったのね」

「もうそれでいいよ。また誰かに冷やかされたら堪らん。あの飴屋の親父も八幡様って場所柄も弁えずに“朝顔”だの“大根”だの。よく出店を出すのに許しが降りたもんだぜ」

「・・・八幡、朝顔とか大根ってなに?飴屋のおじさんも周りの人達も変にニヤニヤしてたのはわかったけど、朝顔と大根の事はわからなかったわ」

「お雪、お前が今まで読んだ本には載ってなかったか?」

「何かの比喩なの?本で見かけた事はないわね」

「・・・要するに・・・朝顔は女のアレで、大根は男のアレだ」

「ア、アレって・・・そんな意味だったの!?」

想像もして無かった答えが八幡から帰ってきて私は恥ずかしさで、また顔を赤くしてしまった。しかし今度は言われっぱなしじゃなくて八幡を相手に怒りを発散する様に言い返した。

「失礼な飴屋ね。あなたも解っていたのなら何故言い返さなかったの。ま、まさか、そういう事を企んでいるのではないでしょうね」

「そんな事企んでねえよ!もし企んでるなら一昨日の内に済ましてるよ」

「だったら何故言い返さなかったの」

「あの場では飴屋の親父の方が優位だったからだ。ああいう時は変に言い返すとロクな事にならない。お雪も昨日小町と話をしてそうだったろ」

「そう言えばそうだったわね。今にして思えばもっと冷静に対応していればと思うわ」

「俺は年がら年中小町にお結衣の事やお沙希の事で冷やかされてるから慣れてんだよ」

“年がら年中冷やかされてる”八幡は冷静にそう言った。私は昨夜、姉さんに言われた冷やかした事が無いから冷やかされるのが嫌なんだという言葉を思い出した。

「八幡は冷やかされて楽しいの?」

「なに言ってんだ、そんな訳ないだろ」

「やっぱりそうよね・・・姉さんたら私を騙そうとしてたのね」

「何の話だ?」

八幡に昨夜の姉さんとの会話の事を話して聞かせると、腕組みをして妙に納得した様な顔になった。

「なるほどね。お陽が言ってる事は間違いじゃねえよ、ただちょっと言葉が足りないけどな」

「何が足りないの?」

「そういう事が言い合えるくらい気安い相手と話すのが楽しいって事だよ。商人とかはともかく、普通は初対面やよく知らない人に対して冷やかすなんて事はしないだろ。それが出来るって事はそれだけ気安くて仲が良い関係だって事だ。そういう人との会話はどんな内容であれ楽しいもんさ」

「その言い方はよくわかるわ。確かに私は今まで外出をせずに人との関係を広げてこなかったから、そういう会話をした事が無かったわ。だから過剰に反応してしまうのね」

「そういう事だ。慣れちまえば軽く流せるし言い返すのだって簡単だ」

「だったら何故、あの飴屋のおじさんには言い返さなかったの?簡単なんでしょ?」

「あの親父は下手の反論したら、あのまま・・・朝顔と大根の飴を作って間違いなく二つをくっつけると思ってな」

「それは嫌ね。けど八幡様の境内でそんな事をしたら宮司さんに咎められるわよ。もう、あんな出店とわかっていれば飴なんて買わなかったのに」

「まあ出店の商人なんて大抵あんなもんだぞ。商人だったら誰だって客に愛想を振りまくし、ちょっとしたくすぐり文句くらいは言うもんだ。程度に差はあれお雪の親父も言ってるんじゃないか」

「そうね、確かに程度の差はあるけどお客様と日常の会話をする中で笑わせたり感心させたりそんな話をしてる事があるわ」

「だろ!だから商人のおふざけは軽く流すくらいが丁度いいだよ。それよりお雪はその飴食わないのか?だったら俺にくれ。小町への土産にしたい」

「あんな飴屋の飴を食べようとは思わないわ。小町さんには私からのこの間お邪魔したお礼だって言っておいて」

「ありがとな。そういやお雪、お礼と言えばお姫菜に本を借りたお礼はしたのか?」

「あ、してないわ。私とした事が」

「なら、また飴でも買いに行くか?」

「嫌よ。ねえ八幡、お姫菜さんって何を貰うと喜ぶのかしら?」

「やおい本!」

「それ以外で!」

「そうだな~・・・そうだ!今朝あいつ井戸に来なかったな。それに火を起こした様子もなかったし・・・昨日言ってた物語書くのに夢中になってんじゃないかな。だとしたら飯を差し入れてやるのが一番だと思うぞ。こういう状況で小町が差し入れを持って行く事が良くあるんだが、お姫菜の奴それを凄く喜ぶらしいからな」

「八幡の言う通りなら今頃おなかを空かせているのでしょうね。なら今から八幡の家に行ってご飯を作りましょう、今日は私一人で作って見せるわ」

「じゃあ・・・米はある、味噌もある、みそ汁の具が無いな。何か買っていかないと」

「大根の味噌汁にしましょう、八幡が一昨日作ってくれた奴」

「そうすると包丁を使わないといけなくなるから、そこの所は俺の言う通りにやれよ。でなければ包丁は握らせない」

「包丁ってそんなに危ないものなの?」

「当然だ。なにしろ肉や野菜が切れるんだからな。料理をしている時に指を切ったりする事だってあるし落としたりしたら足に刺さるかもしれない。だからお雪は家で台所に入れなかったんだろ」

「なるほど・・・じゃあ包丁の使い方も教えて。ちゃんと覚えるから」

 八幡はため息をつくと諦めた様に私を近所の八百屋に連れて行った。私は色とりどりの野菜を落ち着きなく見回して大根を見つけると一番大きそうな大根を手に取った。すると八幡が黙って手を差し出してきたので手に持っていた大根を手渡すと大根を持った手を軽くゆする様にして重さを計ってから大根に耳を当てつつ大根を指ではじき、その大根を元の置いてあった場所に戻してしまった。

「何故戻してしまうの?」

「あまり良い大根じゃなかったからだ、大きな大根は得した様な気分になるが大きいばかりで土の養分をたっぷり吸ってない事が多いんだ。だから持ってみると思ったより軽かったり、叩いてみると中に空洞がある様な音がしたりするんだ」

「そんなに差があるものなの」

 私は八幡が戻してしまった大根を改めて手に取り、八幡がしたように重さと音を確かめた。しかし違いが解からずに首をかしげていると八幡が別の少々小ぶりな大根を手にとって同じ事をしてから私に手渡してきた。すると私が持ってる大根よりは明らかに小ぶりなのに重みがあるし音を聞いても鈍い音がして大きな違いがあった。

「すごい!本当に差があるのね」

「まあ大ぶりの大根にはそれなりの使い道があるが飯のおかずにして食おうって言うならこれくらいの物の方が良いんだ」

「さすがは板前ね。大したものだわ」

「折角褒めてもらってなんだけど、これくらいなら小町だってやってのけるぞ」

「そういうものなのね、こんな事は本には載ってなかったわ」

「・・・折角反省しているところ申し訳ないんだが、この手の事が書いてある本はいくらでもあるぞ」

「え!そうなの」

「ああ、要するに料理に関する本を読めばこの程度のこと書いてあるさ。お雪は料理の本なんて読んだ事ないだろ。だったらしょうがねえよ」

「そうね、姉さんが買ってきてくれた本はそういう類のものではなかったから」

「まあ機会があれば読んでみると良いさ。さあ、さっさと金払って長屋に行こうぜ」

八幡の一言で私は大きな大根は元の場所に、少々小ぶりな大根を手に持って八百屋のおじさんにお金を払った。八百屋を出て総武長屋に向かって歩いていると

「珍しい所で会うね」

「おお、こんな所で会うなんて本当に珍しいな。三味線の帰りか?」

「ああ、丁度すぐそこの大店の御新造さんに教えた帰りだよ。あんたは店の仕込みって

感じじゃないね。大根と飴・・・なにやってんの?」

「今から長屋に帰って飯を炊いて大根の味噌汁をお雪が作るって言うんでな。その為の買い物をしてたんだ・・・ああ、後また薪屋に行かないとな」

「おゆき?」

 不思議そうな顔をしたこの人は女性にしては背が高く、丁度八幡と同じくらいの背丈だろう。青みを帯びた綺麗な髪と端正な顔立ちで特に派手な格好をしてなくても目立つ人だ。手には話に出ていた三味線らしきものが入った大きな布包みを持ってて私の事を見つめていた。私が黙って立っていると

「こいつがお雪だよ。呉服の大店の雪乃屋の娘だ。縁あって俺がこいつに町案内やら庶民の暮らしについて教えてやってるんだ」

「あ、初めまして。雪乃屋のお雪です」

「・・・こんにちは。八の隣に住んでるお沙希って言います。三味線を教えてます」

「あなたがお沙希さん・・・お話はかねがね」

「え!八のやつが私の事を何か言ってたの?」

「いえ、同じ長屋のお姫菜さんが色々と・・・」

「お姫菜から聞いたの・・・じゃあロクな事じゃないね」

「いえそんな、よく八幡との仲を冷やかされてるって。お姫菜さんとても楽しそうに話してくれましたよ」

 そういうとお沙希さんはみるみる顔を赤くして八幡をにらみつけた。なるほど!こういう反応をされると、もっと冷やかしてみたくなる。姉さんの言っていた事は嘘ではなかった様ね。

「小町さんが一日も早くお沙希さんと寝床を交換したいって言ってるとも聞きました。そういう予定が御有りなのですか?でしたら私が八幡の家に行くのは控えますけど」

「そ、そんな訳ないだろっ。八、お前もちゃんと説明しなよ」///

「お沙希、落ち着け。お雪はわかってからかってんだよ。こいつは俺がお前とお結衣の事で小町とお姫菜に年中からかわれてるのを知ってるんだ」

「そ、そうなの!?」

 赤い顔のまま私の顔を覗きこんで来たお沙希さんは私が勘定を顔に出して喜んでいる事を察知して顔の赤みが引かないうちに、その目つきを変えて

「たちの悪いお嬢様だね。人様の噂話だけじゃなくて嫁入り前に身でありながら男の家に飯の支度に行くなんて・・・随分と男好きの様だね。その綺麗なかんざしが刺さっている頭の仲は男の事で一杯なんだろ!?」

「な、何ですって。初対面の人間に向かって男好きとはどういう意味かしら?」

「そのままの意味だよ。昼間から火を起こして男に食事の支度をするなんてどう見たって半端な入れ込みようじゃない。あんたはそれくらい八に抱いて欲しいんだろ」

「だ・・・」////

「図星の様だね。昼間っからしたがるなんて、とんでもない好き者だ。八、そういやお前痩せたんじゃないか!?お雪に精も根も吸い尽くされたんだろ」

「そんな訳ないでしょっ!私はそんなふしだらな女じゃないわ。そんな事を思い付くあなたの方こそ頭の中が八幡で一杯なのではなくて?」

「馬鹿言うな。あたしが何で八なんかに抱かれないといけないんだよ」

「ほら、本性を露わしたわね。私は八幡の事で頭が一杯としか言ってないでしょ。誰もあなたが八幡に抱かれたがってるなんて言ってないわ」

「う!」////

「八幡、昼ご飯は御飯と大根の味噌汁だけでいいのかしら?もっと精がつく物の方がいいのではないの。お沙希さんがそういう顔をしてらっしゃるわ」

「な、なに言ってんだ。精のつく物を買って喜ぶのはあんただろ!」

「私が何をすると言いたいの。無礼にも程があるわ」

「なにが無礼だよ。礼儀正しいって言うなら昼間っから大根抱えて男の部屋に乗り込む事考えてんじゃないよ」

 私とお沙希さんの二人が大通りを行きかう人が足を止める程の大声で言い合っていると八幡が間に割って入り両手で私とお沙希さんの距離を離した。

「ちょっと落ち着いてくれ。見物客が集まって来ちまったぞ」

「!」

「!」

「続きがしたいなら長屋に行こうぜ。どうせ隣同士だ、まあ近所迷惑ならない程度にしてくれよ」

「なに他人事みたいに振る舞ってんだよ。お前のせいだろ」

「そうよ。あなたが見境なく若い女性に優しいからこんな事になるのよ」

「本当に見境が無いよな。こっちはとんだとばっちりだぜ」

「そんなにひどい有様なの?八幡あなたなにを考えているの」

私とお沙希さんの攻める対象がお互いから八幡に移ったが八幡は我関せずと言った感ですたすたと歩いて行ってしまう。

 

 

 ― お沙希、お雪を見て思う ―

 

「八幡。」

 お雪とかいう淫売が八の事を呼びとめた。八はその声を聞くと足を止めてお雪に道を譲った。二人とも挑発的な笑いを浮かべお雪が先頭になって横路地に入っていった。お雪、八、私の順で路地を歩くと所々でお雪が何かを確認する様にきょろきょろとする。なにか珍しい物でもあるのかと釣られて私もきょろきょろするが何も見当たらない。そんな事を数回繰り返してから総武長屋に到着した。するとお雪の奴が

「どう!?今日は間違えなかったでしょ」

「そうだな・・・やっとだな」

「なにその言い草は。恥ずかしがらずに私のもの覚えが良いのを称えてもいいのよ」

「誰も恥ずかしがってねえよ、むしろホッとしたくらいだ」

お雪の得意気な顔と自慢気な台詞そして八の呆れた様な発言・・・一体何なんだこいつら?

「なあ、さっきから何をやってるんだ?路地できょろきょろしたり今の台詞といい?」

「お雪がやっと大通りから総武長屋への道順を覚えただけだ。こいつ酷い方向音痴でな。今の道を十回以上歩いて、やっと覚えたんで嬉しくてしょうがないんだよ」

「え?」

「そんな事ないわ・・・せいぜい七・八回よ」

「この程度の道を覚えられないって・・・あんた馬鹿じゃないの!?」

「ば、馬鹿?」

「そうだよ。こんな道、うちの下の弟や妹でも覚えてるぞ。あんたいくつだよ?」

「あんた、あんたと気安いわね。私にはお雪という名があるの。それと年は数えで十八よ」

「十八って・・・あん・・・お雪はその年になってもこの程度の道が覚えられないの?やっぱりあんたの頭の中は男の事で一杯なんだろ」

「私は町歩きに慣れてないだけよ。私はあなたとは違うわ」

「そりゃあそうだ。私にはこんな道覚えるのは簡単だし頭の中は男で一杯じゃない。そんな負け惜しみを言うくらいなら少し慎ましく暮らしたらどうだ。少しは賢くなるかもよ」

「お沙希、そこら辺にしておけよ。お雪は本当に町歩きに慣れてないんだ。三日前まで親に外出をさせてもらえなかったんだからな」

「・・・八幡」

「外出させてもらえないって、どういう事」

「世の中には娘を大事にし過ぎる家があるって事だよ。お雪もある意味、親の我儘の犠牲者なんだ。だからそんなに方向音痴の事を責め立てるな」

「そういう事か・・・ごめん・・・知らなかったとはいえ言い過ぎた」

「い、いえ、私の方こそ色々と言い過ぎてしまって、ごめんなさい」

 お雪の奴も親の犠牲者か。この長屋には親の我儘に振り回された奴が多いからそう言われちゃうと何も言えないし、私が悪かったって気がしてくる。ただ・・・八に庇ってもらってと言うのがちょっと引っ掛かるけど。八の奴が自分の部屋に入るとお雪の奴も、さも当然と言った感じで入っていく。隣に住んでる私だって八の家に入るのには色々用事をこさえてやっと入れるって言うのに、何でそんなに気安く入って行ってるんだよ。私は慌てて八の部屋を覗きこむと八は框(=がまち)に腰掛け、お雪は巾着からたすきを出して締め始める。

「なあ、本当に今から火を起こして飯を炊くのか?」

「ああ、お雪はそういう事をほとんどしたことが無いから覚える為にやってるんだ。少なくとも俺の為じゃない」

「当たり前でしょ。私は火を起こして、食事の支度を出来る様になればいいのであって八幡の世話を焼きに来たんじゃないわ」

「しかし昼間から飯炊きとはね~」

「・・・」

「・・・どうしたお雪?」

「八幡・・・この間からみんながお昼から火を起こしたり、ご飯を炊いたりするのを珍しそうに見るのだけれど、どういう事なのかしら?」

「どういう事って・・・あんたそんな事もわかないのか?」

「仕方ないでしょ。家ではそういう事を一切させてもらえなかったのだから」

「お沙希、さっきも言った様にお雪は家で大事にされ過ぎてて庶民の生活に関する事はほとんど解からないんだ。だから頭から駄目駄目言うのは止めてやってくれ」

 八がまたお雪を庇う、、、そしてお雪に普通は朝に一日分のご飯を炊いてかまどに火を起こすのは一日一回、多くても二回である事と、そうしないと薪がもったいない事を教えてやった。こんな当たり前の事も知らずに十八まで生きてきたのかと思わずにはいられなかったが、八の話を真剣に聞き入るお雪の様子を見て、なるほど!これはどうやら本当に惚れた腫れたの話しじゃなくて世間知らずのお嬢様に庶民の暮らしを教えてやってる様だと、やっと納得が出来た。

「なあ、飯を炊くんだったらうちの分も炊いてくれよ。ちび共に暖かい飯を食わせてやりたいんだ」

「そんなのお前が炊けばいいじゃねえか。何でうちの薪と米でちび共の飯を炊かなきゃいけないんだ」

「お雪、飯は少し炊くより、沢山炊いた方が美味しく炊けるって知ってる?」

「え、そういうものなの?」

「ああ、沢山炊いた方が釜の中にまんべんなく火が通って美味しくなるんだ。少しだけ炊くと炊き上がりにむらが出易いんだよ」

「・・・八幡、本当なの?」

「ああ本当だ。お沙希の言ってる事は正しいよ・・・そこまでしてお雪に飯を炊かせるか!?」

「いいじゃないか。家事の練習になるんだし」

「そうね。やってみないと解からない事もあるし・・・お沙希さん家には何人のおちびさんがいるの?」

「二人だよ」

「そうすると・・・私、八幡、お姫菜さん、お沙希さん、おちびさん二人、全部で六人前ね」

「おいおい、本当に炊く気かよ」

「ええ、何合炊けばいいのかしら?」

「六人だったら少なくても四合、多くて五合ってとこだよ。量が多くなった分、火の管理が難しくなるよ。大丈夫かいお嬢様?」

「ちゃんと教えてくれれば出来る様になって見せるわ。八幡、ちゃんと教えて」

「はぁ~・・・後で薪屋のほかに米屋にもいかないとな。明日食う米が無くなっちまうぜ」

「そう言えば一昨日から八幡の家の米や味噌を使ってたわね」

お雪はそういうと八の横に置いた巾着を持つと

「一昨日借りた二百文と使った米と味噌代、合わせていくら位なのかしら?」

「せいぜい三百文ってところだな」

「三百ね・・・じゃあこれ」

「・・・わかったよ。もう好きにしろ・・・それと米は六合炊いておけ」

「六合?お沙希さんの話では四・五合だって話よ」

「いや、多分もう直に後二人増えるから・・・六合でいい」

「わかったわ」

 八の奴が諦めた様な笑い顔をしてお雪に六合の飯を炊く様に言った。するとお雪は米櫃から釜に六合の米を入れると井戸に行って米を研ぎ始める。八の奴はそれを横から見てるだけで役割を分担してかまどに火を起こそうとか、買ってきた大根を洗ったり刻んだりをしようとはしなかった。お雪は米を研ぎ終わるとかまどの火の準備、それが済むとさらに大根を井戸水で洗って身振り手振りを交えて包丁の使い方を教わっていた。なんか良い歳した男女がオママゴトをしている様で馬鹿らしくなってきたから私は自分の家に帰りちび共にただいまを言った。ちび共が私に飛びついてきてお昼御飯をねだるので今日は八にご飯を呼ばれる事を伝えたら

「え、姉ちゃんが作ってあげるの。八の事“お兄ちゃん”って言わなきゃ駄目?」

と悪気のない冷やかしを言ってくる。全くお姫菜の奴、弟妹に変な事吹き込むなよな。私がそんな事ないよ!って言おうとすると

「あ~~姉ちゃん真っ赤っか。」

 嬉しそうにはしゃぎながら弟妹二人での“まっかっか”大合唱が始まった。捕まえて黙らせようとしても二人は別々に動きまわって中々捕まえられない。大合唱に加えて走り回る音が長屋に響き渡る。それでもどうにかして捕まえると二人の顔に自分の顔をこすりつけて優しく笑いながら叱ってやると二人は逃げようとするのを止めて私にしがみついてきた。もう、本当に可愛いんだから!二人が大人しくなった所で、私は土間の棚から糠床を取り出し胡瓜と茄子の漬物を取り出し、汲み置きの水で糠を洗い落とし家の包丁で薄く切った。ご馳走になるだけでは八に申し訳ないので、うちからも少しではあるが食べ物を出させてもらおうと思った。切り終わった漬物を大きめの器に盛り終えると、私はそれを持って隣の様子を見に行く。八に食べ物を差し入れるなんて久しぶりだ・・・喜んでくれるかな!?

「八、よかったらこれ、一緒に食べよ」

「お、ぬか漬けか。悪いなお沙希」

「いいよ、気にすんなよ。ご飯とみそ汁はそっち持ちだしな、これくらいはご馳走させて」

「お沙希さんはご自分でぬか漬けを作ってるんですか?」

「ああ、糠床なんてどこの家にだってあるぞ。お雪の家にはないのか?」

「・・・わかりません、知らないんです」

恥入る様に目を伏せるお雪を見て、また失敗したと思った。お雪自身が親の我儘で何もさせてもらえない事はさっきからさんざん聞いていたのに・・・これじゃあ、また・・・

「お沙希、あんまりいじめるなよ」

 ほら・・・また八の奴がお雪を庇った。本当に失敗だ・・・なんかこの二人さっきから凄くしっくり来てて、二人が話すきっかけを出来るだけ作りたくないのに、こうなっちゃう。隣に住んでてもこんなにしっくりした感じにはならないのに、知り合ってそれ程経っていないだろう女がこんなにしっくりくるなんて恋路っていうのは本当にままならない。

 

“雨の降るほど噂はあれど、ただの一度も濡れはせぬ”

 

 そんな都都逸が頭をよぎる、私はこいつと縁が無いのかな、、、そんな事を考えていたら

「むむむ・・・陽の高いうちから饗宴の準備とは、なんとも世の中をなめ切った連中だ」

「お雪・・・お前が飯炊きをしているのか?」

 材木と隼人が揃って帰って来やがった。八の奴がゆっくりと腰を上げて二人に歩み寄ると今の状況を説明し始めた。すると何やら不自然にニヤついた顔をする隼人と材木、、、八の奴は二人の表情を見ただけで目を逸らし不機嫌な顔をする。一方お雪に目を向ければそんな三人の様子を楽しそうに眺めている。少なくとも今笑った三人は昼から飯を炊いて、それが食べられる事を喜んでいるんじゃない事はわかったが、その間に流れる雰囲気になにか密約めいたものを感じた。

「隼人、あんたお雪の事を知ってるのかい?」

「ああ、昔馴染みだ」

「へえ、じゃあ久方ぶりの再会かい?」

「そうだな、数年ぶりといったところだ」

「その割には飯炊きしてる様子を見ても落ち着いてたな」

「・・・昔馴染みのお雪がこの長屋に来るって八から聞いていたからな」

「八・・・あんた隼人とお雪が昔馴染みだって知ってたのかい?」

「ああ」

「いつ知ったんだ?」

「一昨日だ。お雪が初めてこの長屋に来た時に隼人と出くわしたんだ。その時にお前にした話と同じ、縁あって町案内と庶民の暮らしについて教えている事を話したんだ」

 隼人がちょっとばかり口ごもったから何かあると確信めいた気持が湧き上がってきたが八の奴は全く慌てる様子も無く淡々と説明をしてくれた。あいつがこういう物言いをする時は大抵なにか隠してる・・・小町の奴がよくそう言ってる。しかし、ここでは人が多過ぎて追求する事が出来ない・・・それに何より八の奴が嘘が達者でちょっとやそっとの追求くらいじゃ揺るぎやしない・・・まあ、それが頼り甲斐があるって感じる所でもあるんだけね。結局、何かある!という所までで追及を終わりにすると、米が炊ける良い香りがし始めた。その香りに突き動かされる様にお雪が鍋に水を入れて刻んであった大根を鍋に入れて火にかけた。確かに少々のぎこちなさは有るものの、お雪の奴がそれほど家事に不慣れな様子は無くいかにも家事習いたてといった感じだった。すると八の奴がお雪に向かって

「随分、手慣れた様だな。結構安心して見てられるぜ」

「前から言ってるでしょ、私は覚えは早い方なのよ」

「道順以外はな」

「八幡、あなたも刻んで鍋に入れてあげましょうか」

 お雪が包丁を持って八に迫り、隼人と材木が可笑しそうに笑う。八の奴は包丁を持ったお雪を両方の掌で止める様な仕草でなだめていた。やっぱりこの四人何かある。そうしていると鍋が湧き立ち味噌を入れてみそ汁が完成。私はちび共を呼びに家に戻り一緒に茶碗などを持ってきた。隼人も材木も同じ様に飯を呼ばれる支度をしているとお雪は嬉しそうに皆にご飯とみそ汁をよそい、皆が八の部屋や框に座り材木に至っては八の部屋の前の地べたに胡坐をかいて飯を食べ始めた。そんな様子を横に見ながらお雪は小町の食器にご飯とみそ汁をよそい盆にのせて部屋を出ていった。

「なあ八、お雪は飯とみそ汁と持ってどこ行ったの?」

「ああ、お姫菜の所だ。本を貸してもらったお礼に飯を差し入れしたかったそうだ」

「なに、お雪ってやおい好きなの?」

「何と!お雪殿はあの様な腐れた世界を理解出来る娘であったのか」

「知らなかったな。お雪にそういう趣味があったとは」

「違うぞ、お雪が借りた本は普通の草双紙だったらしい。もっともお姫菜には随分、薦められたらしいがな」

 そんな話を皆としていたら空の盆を持ったお雪が戻ってきた。

「よう、お姫菜はどうだった?」

「ええ、八幡の言っていた通り仕事に没頭していたわ。嬉し泣きしながら私が持って行った食事を食べていたわ」

「あいつ・・・また飯も食わずに仕事してたのかよ」

「昨日、何か思い付いたみたいだったぞ」

「お姫菜の奴が思い付くことなど、身の毛も震えるおぞましい物に決まっておる」

「・・・少し控えてもらえないものか・・・あれさえなければ悪い娘ではないのにな」

「隼人さん、材木さん、その様な言い方はないです。あれはあれで立派な仕事なのですから。あれで自分の食い扶ちを稼いでいるのですから・・・私と違って立派です」

 お雪が嬉しそうな顔を止め悲しそうな顔をした。そう言えば私の弟妹を除く、ここにいる連中はみんな同じ年だ。お雪以外は働いて自分で稼いで飯を食っている。そんな私達からすれば働かずに親に養ってもらっているだけで羨ましいのだがお雪にとっては全くの逆の様だ。自立してる事が羨ましい、それが出来ない自分が情けないといった感じの沈んだ表情をしていた。

「お雪・・・自立するには順序ってもんがあるんだよ。いきなりは無理だからさ」

「いきなりは無理・・・」

「おい、お沙希。お前さっきから・・・」

「だからさ。焦る事ないよ。ちょっとずつ必要な事を覚えればいいのさ。必要なら何度だってここに来ればいいじゃないか」

「・・・お沙希さん」

「庶民の暮らしについてだったら私だって教えてやれるし・・・男には聞きにくい事だってあるだろ」

「お沙希さん、ありがとう。是非そうさせてもらうわ」

「お沙希・・・ありがとうな。俺からも礼を言わせてもらうよ」

「八よ!まるで世間知らずの娘を嫁にした様な言い草ではないか!?世話焼きも結構だが程々にせんと離れられない関係になってしまうぞ」

「全くだ。一昨日あれほど無い無いと言っていたのにな」

 材木と隼人の言葉に八は顔を背けてムスッとしながら飯を口いっぱいに頬張った。一方、お雪の奴は、、、なんて羨ましい表情してるんだよ・・・私も八みたいに飯を口いっぱいに頬張った。あんな嬉し恥ずかしな顔されたら・・・折角の炊きたての飯が不味くなるってーの。

 

“どうした拍子か あなたという人 憎うて憎うて 堪らない程 好きなのよ”

 

 心の中で呟くようにこんな小唄を歌ってしまうのはただの職業病だな。じゃないと私の気持ちの行き場が無くなっちまうよ。隣に住んだ縁で親しくし始め同じ年で親が無く兄弟だけで暮らしてると言う同じ境遇の八に私は興味を持った。私と同じ様に兄弟を気にし過ぎて同族嫌悪をしてしまいそうになる様な奴。しかし、それは同時に奴の優しさにも触れる機会になってしまった。すぐ下の弟、大志が大工に弟子入りしたのを機に家を出て棟梁の家に住み込み始めた。私は家の中から兄弟が一人消えた寂しさで落ち込んでしまったのだ。もちろん残った下の弟や妹にその事を感づかれない様にしていたが、ちび共の目が無いと気が緩み、落ち込んでいしまっていた。

 

 そんな私に声をかけてくれたのが八の奴で、しかも八は私が何を落ち込んでいるのかをすぐに見破りやがった。私は何故そんな事がわかったのかと聞いたら、八の妹の小町もほぼ同時期に茶屋で働き始めて心配でしょうがなかったらしく多分、私も同じ様なものなのだろうと推測したと言っていた。私は奴ほど病的に弟妹の事を思ったりしてない、失礼な話だ。しかし悩みを言い当てられたのは事実であって、言い当てられた以上は下手な言い逃れをする必要が無くなり事ある毎に八に愚痴を聞いてもらった。私が八にどんだけ愚痴をこぼしても、あいつは時間が許す限り話しを聞き続けてくれて話し終わると、またいつでも言って来いと言ってくれた。寂しさを埋める方法を手に入れた私は奴に甘えた、甘え続けた。そんな甘えを重ねていたら心の底にもっと甘い気持ちが芽生えてきた。その頃から小町やお姫菜に冷やかされる様になり私は自分の気持ちを確信したが八の奴は小町が嫁に行くまで身を固めないと宣言していたのでこちらからは動けない状態だった。しかし、そんな八の考えを知ってか知らずか突然お雪が現れた。大店の娘で、少々胸元が寂しい様だが、それを補って余りある美貌の持ち主で、こんな女に飯を作ってもらったら男なんて一撃で落とされてしまうだろう。今はオママゴトだからいいけど、放っておいたら絶対関係が深まると私の勘が告げていた。

「八、お前いつまでお雪の面倒を見てやるつもり?」

「わからん。まあ当分って感じだな」

「お雪・・・あんたはいつまで世話になってるつもりなの?」

「わからないわ。私が知らない事がどれほどあるかも解らないし」

「そんな事言ってたら永遠に面倒見るって事になるじゃないか」

「お沙希!お主もそう思うか。拙者も隼人も同じ様に考えたのだが八の奴が一向に認めようとせんのだ」

「だから、そういうんじゃねえって言ってるだろ。実際明日から三日間は会わないし」

「どういう事、八幡?」

「明日の九日と続けての十日、十一日の三日間は飯屋での仕事があるから、お前の面倒は見れないんだ」

「そうだったの・・・なら約束通り家でおとなしくしてるわ」

「約束って・・・どんな約束してたんだよ」

「八幡が板前の仕事がある時は前もって私に教えて、その日は私は外出しないという約束よ」

「それって、お雪は八以外の男とは話しもしないつもりだっていう誓いか?」

「違うわ!そんな訳ないでしょ」

「お雪の家族が俺に町案内させてる事を知っていてな。それが条件で外出が許されてる様なもんだから俺がつき添えない時は外出しないって事になってるんだよ」

「明日からの三日間は何をして過ごそうかしら」

「八がいないと何も出来ないのかよ」

「そういう事じゃなくて・・・今まで私が家の中でしてきた事は残念だけど町を出歩く事に比べるとつまらない事だから・・・」

そういうお雪はまた沈んだ顔をした。

 

 

 ― 同日、夕刻、雪乃屋 ―

 

 姉さんに借りていた銀のかんざしを返しに姉さんの部屋に行く。今日一日、この綺麗なかんざしを付けていたのに気が付いたのはお沙希さんだけだった。しかも私の頭の中を揶揄する為の目印にされて褒められるのとは大違い、八幡は気付いた気配もなく何も言ってくれなかった。そんな一日を過ごしたせいなのか前から憧れていた、このかんざしが色あせて見えた。

「姉さん」

「は~い」

「姉さん、借りていたかんざし持って来たわ」

「明日でも良いんだよ。明日も八っつぁんに会うんでしょ?」

「いいえ、八幡は明日からの三日間は飯屋の台所の仕事があるから私の町案内のが出来ないの」

「そっか、じゃあしょうがないね」

姉さんはつまらなそうに、かんざしを手に取るとヒノキの箱にしまった。

「お雪ちゃん、憧れのかんざしを付けて八っつぁんはなにか言ってた?」

「・・・いいえ、何も言ってなかったわ」

「それでか」

「なんの事?」

「前からうるさい位に貸してくれって言ってた、このかんざしを付けて出かけたのに何も感想を言わなかったし、なにかつまらなそうにしてたからさ」

「つまらなそうって・・・外に出るのは面白いわ。けど、今日は沢山の人と話して疲れただけよ」

「沢山の人?」

「八幡の長屋の人達よ。みんなの分のご飯を炊いてみそ汁も作ってみんなで一緒に昼ご飯を食べたわ」

「何人くらいいたの?」

「え~と・・・私、八幡、お沙希さん、お沙希さんの弟と妹、お姫菜さん、隼人さんに材木さんで全部で八人ね」

「八人分も食事の支度をしたの。すっかり家事に慣れた様ね」

「ええ、八幡にもそう言ってもらえたわ」

「やっぱり」

「なにが?」

「お雪ちゃん、自分でわかってないのかな~・・・八っつぁん褒めてもらえた話をする時のお雪ちゃんって凄くいい顔してるんだよ」

「そ、そんな事ないわ」///

「もし・・・あのかんざしを付けた姿を褒められたら、お雪ちゃんはどんな反応するのかな?」

 姉さんに言われた通りの事を頭に思い浮かべた。八幡が私の事を八幡様で待っている、そして私を見つけて私が近づいてくるのを動かずに待ってくれてる。私が八幡の前に到着するといつもの憎まれ口をきいて照れくさそうに目をそらしてから

「そのかんざし、、似合ってるぞ。」

八幡にそんな事を言われたら・・・私の顔、いえ首から上全部が熱を帯びた。

「あはははっ!お雪ちゃんわかり易いな~」

「ね、姉さんっ!」///

「ごめんごめん。お詫びにこのかんざしはお雪ちゃんにあげるよ。付けていく当てがある人が使った方が良いもんね」

「え、けど、とても高価な物だって言ってたのに」

「まあ値段はそれなりだけど、そんなこと気にしなくていいよ。私は使わないしさ、こんな良い物を箪笥のこやしにするのはもったいないしね」

「本当にいいの?」

「いいって言ってるでしょ。そんなに気になるなら私が使いたいって時は貸して頂戴ね」

「わかったわ姉さん、ありがとう」

「うん。お雪ちゃん、頑張って使い続けなよ。目立つ品だし使い続けてれば八っつぁんだって必ず気が付くからさ」

「・・・考えておくわ」

 思わぬ形で銀のかんざしを手に入れた私は姉さんに何かお礼をしたいと思い、その足で立ち入り禁止の台所に向かった。台所では丁度、女中さんが夕飯の支度を始めようとしていたので、私はご飯を炊くのとみそ汁と作りたいと申し出た。お嬢様にそんな事はさせられないと断られたが、しつこくお願いしてやらせてもらう事になった。女中さんの言う通りの分量の米を慣れた手つきで研ぎ始めると驚いた様な顔をする女中さん、さらに慣れた手つきで火を起こしてご飯を炊きだすといつの間に覚えたのかを不思議そうに聞いてきた。私は笑ってごまかしながらみそ汁も作り始める。丁度、台所に豆腐があったので昨日八幡がやっていた様に掌の上で豆腐を切ってみると思っていた以上に簡単で私はこんな事も出来なかったのだと自分に呆れてしまったが、それと同時にお沙希さんが言ってくれた少しずつ自立に必要な物を覚えている実感をしていた。そんな様子を見ていた女中さんは思った以上に早くご飯とみそ汁が出来そうな事を察知して大慌てでおかずを作り始めた。そして夕飯の支度が整うと女中さんと一緒にお膳を運び両親と姉さんを呼びに行った。三人とも私が火を起こしてご飯を炊いた事やみそ汁を作った事を本当に驚いて女中さんに何度も本当なのかと確認したりしていたが、それが本当だとわかるとお父さんが飛び付く様にご飯を口いっぱいに頬張って美味しいと褒めてくれた。お母さんはみそ汁と一口すすると無言ではあったけど驚いた様な顔をして、姉さんはたった三日でここまで出来るようになった事を褒めてくれた。しかし食事の後お父さんとお母さんに女中さんの仕事を奪う様な真似はしてはいけないと叱られて今後はお父さんとお母さんに一言言ってからする様にと注意されてしまった。折角、覚えた家事もこの家の中では使う事が出来ない。なら他に何かできる事はないだろうか?私はその事を思案しながら眠る事にした。

 

 翌朝、なにも思いつかないままでいた事から私は姉さんにその事を相談してみた。すると姉さんは水仕事じゃなければとお父さんの所に行って私に針仕事をさせてみて欲しいとお願いし始めた。お父さんは驚いていたけど何か考え込んでから私に針と糸などの裁縫道具を一式用意してくれて、それに加えて店にあった反物の端切れを沢山用意してくれた。練習なら端切れを縫い合わせるので十分だからそれが出来る様になったら、またお父さんに言ってくるように言われた。店にあった縫物の本を読みながら針仕事を始めてみたが、まず針に糸を通せない。さらに糸止めも作れず、それが出来る様になっても縫い目が揃わず時々針先が指に刺さったりして何度もめげそうになった。教えてくれる人がいるのといないのとでは、これほどまでに違うものなのかと痛感させられた。八幡に色々な事を教わるのは楽しかったし、これ程の苦労を感じた事もなかった。本を読むだけでは駄目なんだ、八幡の言葉が頭をよぎる・・・やはり私は

箱入りのお嬢様でしかない。けど必ず周りの同じ年の人達に追い付いて見せる。そう思いながら私は針を動かした。

 

 小さな端切れを一枚一枚縫い合わせていき徐々に大きな一枚の布に仕上げていく。最初は布に針を通す感覚すらわからなかったせいで縫い目が揃わず、さらに縫い目が緩すぎたり、きつ過ぎたりで妙なしわが寄ってしまったりしていた。しかし慣れるに従ってそういう不格好が無くなっていき手に針仕事を覚えさせた実感がわいてきた。慣れてきた事で最初の縫い合わせ部分が不格好なのが目立ったので全ての縫い目をほどいて最初からやり直した。二回目は端切れの大きさやその色や柄を考えながら縫い合わせていき夕方には風呂敷程度大きさの一枚布に仕上げる事が出来た。夕食前にお父さんに見せるとお父さんは、もうこんなに縫える様になったのかと驚いてはくれたが、そこは呉服屋の主人の眼力が物を言って縫い合わせに色々な注文が付いた。ただ一日でここまで出来る様になった事は凄いのだからこれからも続ける様にお父さんに言ってもらった。夕食後も自分の部屋で残りの端切れを縫い合わせていると

「お雪ちゃん、頑張ってるみたいだね」

「姉さん・・・最初は針に糸も通せなかったわ」

「それでもここまで出来る様になったんだ。お父さんも褒めてたよ」

「ええ、針仕事を覚えたって手応えが出始めてる感じよ」

「・・・だったらさ、八っつぁんになにか縫ってあげたら」

「八幡に!?」

「そう、例えば前掛けとか。板前さんなんでしょ、だったら前掛け使うだろうし前掛けなら着物ほど作りが複雑じゃないからお雪ちゃんでも作れるんじゃないの」

「・・・そうね。ただ布を縫い合わせてるだけというのも飽きてきたし、実際に使える物を作ってみるのも面白そうね」

「お店にある前掛けを参考にして作ってみなよ。八っつぁんに喜んでもらえて、褒めても貰えるかもよ」

「そ、そんな事はどうでもいいわ。私がやってみたいだけよ」///

「ふふふ、じゃあそういう事でいいや」

 姉さんが私の部屋から出ていくと、私は部屋を飛び出し台所に行って前掛けを探す。床上の棚の上に畳んであった前掛けを見つけると一枚持って部屋に戻る。構造は一枚の大きな布に縫い紐を縫い付けてあるだけの簡単な物で私にでも作れそうだ。そうなると次は材料の手配、藍染の厚手の木綿生地とそれを縫い合わせる丈夫で太い針と糸。家の中にあるだろうか?無ければ生地問屋に行って手に入れなければならないし糸や針も同様だ。しかし八幡との約束で一人で外に出るのは駄目だし・・・考えていてもしょうがないのでお父さんに相談してみると、やはり厚手の藍染め生地なんてうちの店では扱ってないという。そこで私はお父さんに近所に藍染め生地を扱ってる生地問屋が無いかを聞いてみると同じ大通り沿いに一軒あると教えてもらった。となればもう迷わず行動。

 

 翌日、朝四つに家を出て生地問屋に出かけていく。一人での買い物は少々不安であったがやりたい事で頭がいっぱいで不安は後回しになっていた。生地問屋につくと店の人に前掛けを作るのにいい生地を見せて欲しいと言ったら丁度いい藍染めを見せてくれた。私は迷わずその生地を購入するとさらに店の人にこの藍染め生地を縫う為の針と糸を売ってる店が近所にないかを尋ねた。すると幸運にもそのお店は八幡が働く飯屋や小町さんが働く茶店のある大通り沿いで、私は足を延ばしてその店に向かう。八幡が働いている飯屋と小町さんが働く茶店の前を通る時は袖で顔を隠す様にしてあの二人に見つからない様に店を目指した。そして無事、針と糸も手に入れると私は大急ぎで家に戻り前掛けを作り始めた。女中さんから使ってない前掛けを一つ借りてそれを参考に裁断・縫製をして夕方にはどうにか出来上がった。参考にした前掛けと出来具合を比べたり、実際に付けてみたりして出来の良し悪しを判断した。私の作ったものはそれほど劣っている様には見えず十分使えるものだと思った私はまたお父さんに前掛けの出来具合を見てもらった。お父さんは厚手の藍染め生地は縫いにくいのに上手に出来てると褒めてくれて、これなら普通に使う事が出来ると言ってくれた。我ながらたった二日で前掛けまで縫える様になるとは大したものだと自分に感心して、自分で作った前掛けを何度も自分の身につけたり両手でかざして見上げたりした。そんな事を繰り返していたら・・・早く八幡に渡してどんな顔をするか見てみたくなった。もう一日まって明後日には渡せると解かっているのだがその一日が何ともじれったい。私は明日、昼過ぎの忙しいであろう時間を過ぎた頃に飯屋に行って八幡を訪ねる事を決心した。

 

 

 ― お結衣、お雪を見て思う。―

 

「ありがとうございました~」

「ふぅ、今ので客は切れたのか?」

「うん。今のが最後のお客さん、お疲れ様はっちー」

「お結衣もお疲れ。今日は一段と込んだよな、文字通り休む間もなくって感じだったぞ」

「はっち―が台所に立つとお客が多いんだよ」

「そんな訳あるか」

「ほんとだよ。お父っつぁんが台所に居る時よりお客が多いんだから」

「なんで?」

「さあ?ただ、はっちーが台所に立つ時って近所のお馴染みさんがよく来るんだよね。 逆にお父ぅつぁんが台所に立つとお馴染みさんが来ないんだよ」

「変だな・・・旦那さんが近所付き合いをしくじってるとは思えないんだが」

 実はこれには訳がある。お父っつぁんが私とはっち―の事を近所で言いふらしているもんだから近所のお馴染みさんが私を冷やかす為とはっちーの品定めの為に来店してくれてる。はっちーは台所で料理をしてて、お客さんと話す機会がまず無いから知らないけど、お馴染みさんは来てくれる度に私達の事を気にかけてくれて人によってははっち―の事を“旦那さん”とか“婿”とか言ってくれて私は嬉しさに舞い上がりながらはっち―が作った料理を運んでいる。はっち―と二人で店で働くのは本当に楽しくて、これがずっと続けばいいのにと思っている。しかしはっちーがどうにも煮え切らない。私なりに色々仕掛けているつもりなんだけど、はっちーは照れるだけで私に何もしてこない。それどころか今以上には絶対近づかないという拒絶の意思すら感じる。ひょっとして私ってはっちーに嫌われてるのかな!?ひょっとして同じ長屋のお沙希さんともう!?色々な心配事が頭をもたげる。そんな私の心配を知らずにはっち―はお客さんが多い理由を一人で考え込んでいる。私は大きな溜息をつきながら誰もいない客席に腰をかけた。するとその時

「御免下さい」

「あ!お雪ちゃん」

「なにっ!?」

「こんにちはお結衣さん。先日はお世話になりました」

「ううん、こっちこそ手伝ってもらっちゃって助かっちゃったよ。それで今日はどうしたの?」

「ええ、この間は見てるだけだったから今日はここでお昼ご飯を食べてみようと思って来てみたの」

「そっかー、ありがと、嬉しいよお雪ちゃん。じゃあなに食べる?」

「そうね・・・八幡の一番得意な料理を食べてみたいわ」

「!」

 この間、会ったばかりの雪乃屋のお雪ちゃん。細身の体で色白でとっても美人な子。いかにも大店のお嬢様って感じで上品で礼儀正しいって印象だっただけなのに・・・なんだろう、この胸のざわつきは?

「おいお雪、お前今日は外を出歩かない約束だっただろ。なにこんな所まで来てんだよ」

「ごめんなさい。約束を破った事は謝るわ、けどあなたの作った料理を食べてみたくなったのよ。私の案内している時には食べる事が出来ないでしょ」

「そんなあっさり約束を破られたら、俺はあいつらに何て言えばいいんだよ」

「そんなの知らないわ。八幡が考えなさい」

「おいおい、今日は上から目線どころか随分と無責任だな」

「そんな事より、さっさと料理を作って頂戴。今日の私はお客様よ」

「わかったよ。おとなしく座って待ってろ」

そう言われたお雪ちゃんは台所に一番近い席に座って台所で料理をするはっち―をじっと見ていた。私はお雪ちゃんの向かいの席に座り

「お雪ちゃんは料理が好きなの?」

「・・・そうね、好きになりかけてるわ」

「なりかけ?どういう事?」

「今、八幡に料理を教えてもらっているの。まだご飯の炊き方とみそ汁の作り方だけだけど」

「はっちーに教えてもらってるの?」

「ええ、町案内のついでに庶民の暮らしについても教えてもらっているの。私って本で読んだ知識しかない情けない程の箱入りのお嬢様だから知らない事ばかりなのよ」

「そんな事ないでしょ。だってあんなに大きなお店の娘さんならなんだって体験してなんだって出来るんじゃないの?」

「お結衣さん、それは逆なのよ。大きなお店の娘だからどんな些細な事もさせてもらえずに、世間の人が見たら情けない程に物を知らないのよ。現にこの間このお店に来た時、私は家の人間以外とこの大通りを歩くのが初めてだったもの」

「え、そうなの!?」

「そうよ。呆れるでしょ」

「・・・けど、それくらい親が色々用意してくれてるなら、それに乗っかっちゃえばいいじゃないの。その方が楽じゃん」

「前はそう思っていたわ。何も考えずに籠の鳥の様に暮らすのが一番なんだって思い込むようにしていたわ。しかし、八幡と出会って、お結衣さんや総武長屋の人達と出会って、私と同じ年の人が自分の力で生きているのを目の当たりにしたら、もう、じっとしていられなくなったのよ」

「・・・」

「・・・ふふふ・・・やはりこんな箱入り、呆れるだけよね」

「・・・かっこいい」

「な、何を言っているのかしらお結衣さん。私はかなり恥ずかしい告白をしただけよ」

「そんな事ないよっ!今の自分に満足しないで、努力をしようとしてるんだもん。私なんか飯屋の娘って事に満足しちゃって、そんな事考えた事もなかったもん」

「そんな事ないわ。親御さんのお店を手伝って働いているのだもの、私なんか比べ物にならないほど立派よ」

「お雪ちゃん・・・ありがとう。けど、お雪ちゃんだって立派だよ自信持っていいと思う」

「ありがとう。そんなに褒めてもらえたのは初めてよ。私に色々教えてくれてる八幡はそんな風に言ってくれた事が無いわ」

「え~~それ酷くない。はっちー本当なの?」

するとはっち―がお盆に野菜炒めと卵焼きとおひたしを乗せて運んできた。

「まあ、その通りだな。褒めているがお結衣ほど褒めてねえよ」

「折角はっち―の事を頼って色々教えてもらって頑張ってるのに。もっと褒めてあげなよ」

「お前が人を褒める度合いが低過ぎるんだよ」

「随分な言い様ね八幡。これを見てもそう言ってられるかしら?」

 今迄の行儀のいいおしとやかな笑顔が顔から消えて挑発的な笑顔を作るお雪ちゃんが手に持っていた風呂敷包みを卓の上に置いて拡げた。中から出てきた物は藍染の前掛け。ありふれた物で使い込んだ様子が無く新品である事が容易に想像できた。

「なんだよ、前掛けなんて持ってきて。雪乃屋で扱ってるにしちゃ貧乏くさい前掛けだな」

「うちの品物の訳が無いでしょ。これは私が作ったのよ、生地問屋で生地を買って私が裁断・縫製したものよ」

「え、お雪ちゃんが作ったの。凄い上手」

「お雪が作った・・・お前、針仕事は出来たのか?」

「いいえ、一昨日初めて針を持って、昨日作れる様になったわ」

「誰かに教わったのか?」

「いいえ、本を見て自分で練習して出来る様になったのよ」

「・・・凄いな。これは素直に凄いと思うぞ」

 はっち―が本当に度肝を抜かれた!という表情をしながらお雪ちゃんが作った前掛けを手に取る。お雪ちゃんは得意気な笑顔を浮かべはっち―を見て

「だから前から言ってるでしょ、私はもの覚えがいいのよ」

「一つの例外を除いてな」

「また、それを言う。それ以外は上手にこなしてるでしょ、素直に褒めなさい」

「なになに、お雪ちゃんに苦手な事でもあるの?」

「ああ、こいつ道を覚えるのが苦手なんだよ」

「へー、方向音痴なんだ」 

「違うわ!町を歩くのに慣れてないだけよ。いずれ八幡に負けないくらい江戸の町に詳しくなって見せるわ」

「一体いつになるんやら・・・楽しみにしてるよ」

「はっちー!頑張るって言ってる人にそんな風に物を言っちゃ駄目だよ。ちゃんと応援してあげて」

「・・・お結衣さん」

「わかってるよ、俺は言葉じゃなくて行動で応援してるからそれでいいんだよ」

「はっちーはもう、しょうがないな~。ゆきのん、はっち―なんかに負けないでね」

「ゆきのん?」

「うん、“雪乃屋のお雪ちゃん”で雪の字が重なってるから最初と最後をくっつけてゆきのん。可愛いでしょ」

「いえ・・・そんなに可愛いとは思えないわ。いくら江戸ッ子が気が短くて物を省略して呼びたがるにしても、それはやり過ぎではなくて」

「・・・諦めろお雪。俺の呼び名もそんな具合に決められちまったんだよ。お結衣は気に入ったものには変な名前を付ける癖があるんだ」

「え~、はっちーだって可愛いじゃん。あ、お姫菜が言ってるさきさきって言うのも中々可愛いよね」

「お沙希はあのあだ名嫌がってんだぞ」

「知ってる。だから私は言ってないでしょ」

「俺もはっち―を嫌がってんだぞ」

「知ってる。けど言ってるの」

「ひでえ話だ。もう働きたくねえよ」

「お結衣さん、人の名前はとても大事な物だから、その人が嫌がる様な呼び方は控えるべきだわ」

「大丈夫だよ。その内、聞き慣れるってゆきのん」

「・・・」

「な、言った通りだろ」

「本当に・・・世の中には色々な人がいるのね。とても勉強になるわ」

「ほら、はっちーさっさとご飯とみそ汁も持ってきてあげて。ゆきのん、はっち―の卵焼きは魚の干物をほぐして混ぜてあるから一味違って美味しいよ。さあ食べて食べて」

 ゆきのんはびっくりした様な顔をしたままはっちーの卵焼きを食べて、更にびっくりしていた。さすがはっちーだね。はっち―がご飯とみそ汁と持ってくるとゆきのんが

「さすがは本職の板前ね。凄く美味しいわ。これならこの前掛けも役に立ちそうね」

「え、お雪ちゃん。その前掛けはっち―に?」

「ええ、板前なら前掛けはいくつあっても邪魔にはならないでしょ。八幡ありがたく受け取りなさい」

「いつになったら、その上から目線が治るんだよ。まあ、くれるって言うなら貰っておくけどな・・・ありがとうな」

 はっちーにお礼を言われたお雪ちゃんの箸の動きが止まった。そして凄く幸せそうに笑った。ひょっとして・・・この前掛けは私の握り飯と同じ!?お雪ちゃんはすぐに食事を再開したけど、その食べる姿は料理が美味しいってだけじゃない嬉しさに満ちている様に見えた。食事を終えたゆきのんはお代を私に払って店を出ようとした。

「ゆきのん、また来てね」

「お結衣さん、その呼び名・・・」

「色々、お話ししようよ。そのかんざしの事も聞きたいな、凄く綺麗なんだもん」

「そういや、昨日も付けてたよな、それ!中々似合ってるぞ」

 はっちーの微妙な褒め言葉を聞いたゆきのんは、途端に顔を真っ赤にして店から逃げる様に去って行った。はぁ・・・お沙希さんだけじゃないのか・・・私は肩を落としてまた客席に腰掛けた。

 

 

 翌・十二日の朝四つの八幡様の境内でお雪が俺に向かって、こんな事を言い出した。

「卵焼きを作れるようになりたわ」

聞けば昨日飯屋で食べた魚の干物をほぐして入れた卵焼きを初めて食べて気に入ったから自分で作れるようになりというのだ。飯を炊く、みそ汁を作るのとは違う手間がかかる料理だからどうしたものかと思案していたら

「そんなに難しいものなの?八幡はそれほど時間をかけずに作ってしまったじゃない」

「それは飯屋の台所に道具が揃っているからだ。卵焼きを作るのに丁度いい鉄鍋や常に炭火も用意してあるからな。普通の家にそんな道具が揃ってる訳ないだろ」

「八幡の家にも無いの?」

「無い!あんな高価な物、おいそれと買えやしねえって」

「そんなに高価なの?」

 俺は“仕事”は昨日の夜までに終わらせてあったから今日は最初からお雪の町案内をする事が出来た。大通りを歩いてそれほど行かないうちに一軒の金物屋があったので入ってみるとお雪はまるで宝島に訪れたかの様に物珍しそうに数々の金物を見回した。

「ほら、これが飯屋にある卵用に鉄鍋だ」

「鍋なのに丸くなくて四角いのね」

「昨日お雪が食べた厚焼き卵は、こう言う四角い鍋に解き卵少し入れて薄焼き卵を作って丸めた物で、だから出来上がった卵焼きの淵の部分が揃う様に四角い鍋を使って作るんだ」

「薄焼き卵を丸めているの。けどそうすると解き卵を少し鍋におとして、焼いて、丸めての繰り返しって事?」

「そうだ、話しを聞く分には簡単に聞こえるだろうけど、やってみると案外コツがいる料理法なんだ」

「専門の道具とコツ・・・難しそうね」

「それにさっきも言ったが炭火の準備もしないと駄目だしな。飯を炊く時みたいな直火じゃ上手に焼けないんだ」

「それに混ぜる為の魚の干物を焼く手間もあるものね。そう考えるとかなり難しいわね」

「そういうこった。それにこの鉄鍋の値段は二分か三分するぞ」

「そんなに高いの?」

「ああ、普通に使われてる丸鍋だったら二朱銀(=一分銀の半分)程度だがこういう使う人が限られてる道具って言うのは数が少ないから値段が高くなりがちなんだ」

「うちのお店でも出回ってる数が少ない反物で作られた着物はとても高価だわ」

「まあ、何でもかんでも自分でやる必要はないだろう。例えば卵焼きなんて店に買いに来ればいいんだからな」

「え?買いに行くの」

「ああ、盆にまな板皿を乗せて布巾をかけて持ってこい。出来上がった卵焼きを持ってきたまな板皿に乗せて売ってやるよ」

「そんな事が出来るの?」

「ああ、そんな食い物屋はいくらでもあるさ。この間、豆腐を買ってきた事があったろ。あれだって俺が鍋を持って豆腐屋に行って買って来たんだぞ」

「そういえば、そうだったわね」

「料理には一人前だけ作る事が出来ないってものが沢山あるんだ。寿司なんかはその代表的な物だ」

「え、寿司は一人前どころか一貫単位で売っているわ」

「よく考えてみろ。寿司の材料はなんだ」

「寿司の材料って・・・米と魚よね・・・あ!そうか。米はともかく魚の切り身一切れだけなんて手に入れようが無いものね」

「そういう事だ。材料を無駄にしない様にすると、おのずと数人分の料理になっちまうものが沢山あるんだ。だからそういうものは店で買えばいい、もちろん専門の道具が無いと作れない物もだ」

「そうした方が使うお金を少なく出来るものね。正直に全部自分で作っていたらお金がいくらあっても足りないわ」

「そういう事。だからお雪がこの間親父さんから貰った一分なんて金は上手に使えばひと月食うに困らない位の金なんだぞ」

「わかったわ、卵焼きは諦める」

「そうしてくれ・・・じゃないと俺の家は料理の道具で溢れちまうよ」

「だったら、今日は八幡の家で料理は出来ないわね・・・どうしようかしら」

「なに、暇をつぶすとこが出来る店はいくらでもあるさ・・・例えば・・・地本問屋とか」

「!」

 俺はまずい事言ったのかもしれない。お雪の目が今迄にない程に輝いて、もう何も耳に入らないと言った感じになってしまった。このままお雪を地本問屋に連れて行こうものなら今日は日が暮れるまでそこに居続ける事になってしまう。そんな事は何としても避けたいので理由を必死に探す・・・そして、俺はお陽から聞かされた話を思い出した。

「お雪、お陽が言っていたが雪乃屋程の大店になると娘が地本問屋に出入りするだけで商いに影響が出るらしいな?」

「・・・そういえば・・・姉さんがそんな事を言っていた事があるわ。お父さんの付添で町を歩いているせいで色々なお店の人に顔を覚えられて下手に買い物も出来ないって」

「だから、お陽はあんな夜中に外を出歩こうとしたんだな」

「どうしようかしら・・・私は姉さん程、出歩いてないし顔を知られてはないけど、やっぱり控えた方が良いのかしら」

「う~ん・・・まあ普通に買い物する程度なら問題ないんじゃないか。入り浸ったり何度も何度も通い詰めたり、そういう風な事をして目立ったりしなければいいと思うぞ」

「そ、そうかしら」

お雪は俺から駄目と言われると思っていたのか、少しくらいならという返事に再び目を輝かせ始めた。しかしこの様子では間違いなく入り浸りそうだったので

「但し、俺が付き添ってお雪や店の様子を見ながら少しだけだぞ。長くなるようなら遠慮なく止めるからな」

「わ、わかったわ・・・それでいいわ」

お雪はがっかりした顔をして俺と一緒に金物屋を出ると俺の後ろをトボトボとついてきた。そして一軒の地本問屋にたどり着くと

「おお!八ではないか。お主が本を所望するとは珍しい事もあったものだ」

「材木、お前こんなトコで何してんだ?」

「拙者は常に新しき知識を蓄えるべく地本屋を回るのが日課だ。お主こそどういう風の吹きまわしだ?」

「材木さん、こんにちは」

「おお!お雪殿、なるほどお主はお雪殿と逢引の途中だったのだな。さぷらいず!」

「そんなんじゃねえって知ってるだろ。俺はお雪を見張ってるだけだよ」

「そうです。私がこんな盗人と逢引なんて・・・口が過ぎると約束を反故にしますよ」

「いやいや、ちょっと待ってくれ!それでは拙者達が困ってしまう。そう言わずに八に見張られ続けてくれまいか」

「だったら、そういう事を言うのは無しにして下さい」

「了解した。八よ、よくこの様な強気な娘を連れて歩けるものだな、拙者なら半時も持たんぞ」

「材木さん・・・」

「お雪殿、そんな冷たい目でにらまんでくれ。お前も黙ってないでお雪殿を静めてくれ。ぷりーずだ八よ」

「お前も学者なら“雉も鳴かずば撃たれまい”くらいの言葉は知っておけよ」

「むむ・・・知識比べで八に言い負かされるとは、この義輝一生の不覚」

「知識は本を読むだけでは駄目ですよ、材木さん」

「ははは、お雪に言われちゃ世話ないな材木」

「・・・それでお主達は何をしに来たのだ?」

「ああ、お雪が地本問屋に来た事ないって言うから案内したんだ」

「ほう!そういえばお雪殿はお姫菜から本を借りたりして、随分と本を読まれる様だな」

「はい、家にもずいぶん本が溜まってしまいました」

「どのような本を読まれるのかな?」

「人情物やら芝居物やら・・・簡単な草子ばかりです」

「なんでもお姫菜以上に本を持っていて、家には本を置いておく為の部屋まであるそうだぞ」

「それは大したものだ。お姫菜の奴も女にしては大した量の本を持っていると思っていたがそれ以上とはな。簡単な本とはいえ、それだけ読んでいれば学問にもかなりの素養がありそうだな」

「そういえば材木さんの部屋にも沢山の本があると聞きましたが」

「拙者の持っている本は草子などではなく学問書だからな。女子供には難し過ぎるであろう」

「・・・それは・・・見てみないとわかりませんわ」

 再びお雪の目に輝きが灯る。俺が以前、材木の部屋がそこらの地本問屋以上の品揃えである事は話してあるからお雪の好奇心が、その行き場を見つけたかの様に暴れ出した。

「材木さん、先日昼ご飯を一緒に食べましたよね」

「あ、ああ・・・昼から炊きたての飯が食べられると思ってなかったから、ありがたかったぞ」

「では、その代金代わりとしてお部屋の本を見せていただけませんか」

「なんだと!あの様な粗末な昼飯と私の蔵書を同列に扱うと言うのか」

「粗末であれ、豪華であれ、食事は食事でございます。食べた以上知らん顔はさせませんよ」

「い、いや、、しかし、、、拙者の部屋の本には二度と手に入らない様な貴重な物もあってそうそう人に触らせる訳にはいかないのだ」

「でしたら、そういった貴重な本はよけておいてください」

「部屋が一杯で・・・それは無理だ・・・無理です」

 怪しい光が灯った目をしたお雪を前に材木はその大きな体を縮ませる様にその声まで小さくしていった。

「なら私が部屋の掃除をして差し上げますわ。私は今、八幡から庶民の暮らしの素養について学んでおりますので丁度いい機会でございます」

「いや、何卒ご勘弁いただけないでしょうか・・・お願いします」

「・・・八幡。別に部屋に鍵が掛かっている訳で無し、先に長屋に行って掃除を始めてもいいかしら」

 お雪が俺に話を振ってきた。それを聞いた材木は俺にすがる様な目をして無言でお雪を止める様に懇願してきた。しかし元々、地本問屋に長居しかねないと心配していたお雪が総武長屋に来るのであればその心配もなくなるし、何よりお雪の世話を俺一人に押し付けた事にも腹が立っていたので

「まあ、いいじゃないか。お沙希やお姫菜も材木の部屋が汚いのを気にしてたしな。それにお雪の掃除の仕方を教えるいい機会だ」

「嬉しいわ八幡。楽しく掃除の事を教えてね」

今迄にない程のいい返事をするお雪。それを見た材木は

「わかった、わかったから・・・せめて一緒に・・・掃除に立ち会わせてくれ」

 材木は諦めたように肩を落とし、俺とお雪の後を歩き出した。総武長屋に到着すると俺は自分の部屋からハタキと箒を持ち出し

「いいかお雪、掃除って言うのは高い所からするもんなんだ。床から先に掃除をしても後から棚やたんすの上の埃を落としたりしたら、また床掃除が必要になっちまうからな」

「なるほどね。じゃあハタキを貸して頂戴。まずは天井板から埃を落とすわ」

「待ってくれ。そんな事をされたら大事な本が埃だらけになってしまう。まずは本を部屋の外に運び出す所から始めねば」

「しょうがねえな、乗りかかった舟だ。本の運び出しを手伝ってやるよ」

「では、まずありったけの風呂敷を貸してくれ。本を地べたに直に置くなどもっての外。部屋の前に風呂敷を広げ、その上に本を運び出すのだ」

「どんだけ風呂敷がいるんだよ」

 俺は自分の部屋にある風呂敷はもちろんお姫菜やお沙希にも声をかけて風呂敷を集めて回り材木の部屋の近くの地べたに広げた。何事かと見物に来たお姫菜やお沙希が材木が部屋の掃除をすると聞いて、千載一遇の機会とみてハタキや箒や雑巾を持って掃除に参加した。

「いや~お雪さん大手柄だよ。材木さんの部屋は総武長屋の魔窟とまで言われてる所だから前から気になってたんだよ」

「本当だよ。小さい子供もいるって言うのにロクに部屋の掃除もしないで、この機会に徹底的に掃除してもらうからね。覚悟しな材木」

「材木さん、随分敵を作っている様ですね。事によっては八幡より敵が多いかも」

 材木は女三人のかしましい口撃に打ちのめされながらせっせと本を運んだ。材木、俺、お雪、の順で並んで連携して手渡しで本を外に出していく。外に出た本をお沙希とお姫菜が本に積もった埃をはたきながら風呂敷の上に本を並べていく。本をはたく音を聞いた材木は途端に部屋を飛び出して、

「貴重な本もあるのだ、もっと丁寧に扱ってくれ!」

 と絶叫に近い声で懇願した。そこで俺、お雪、お沙希の順で並んで本を運び出し、材木が本の埃をはたき、お姫菜が並べると言う割り振りになった。本を部屋から出すだけでたっぷり半時(=約一時間)は掛かったが、本を運び出した材木の部屋は家具がほとんど無かった為に掃除がし易かった。お沙希とお姫菜は手慣れた風で頭に手ぬぐいをかぶる。それを見ていたお雪が

「なぜ、手ぬぐいをかぶるのですか?」

「ああ、これはハタキを使う時に埃が髪にかからない様にするための工夫だよ。八っつぁん、お雪さんに手ぬぐい貸してあげてよ」

「それと八、材木の部屋の畳がなんか湿っぽいぞ。畳を上げて畳も日干ししちまおう」

「おいおい、まるで年の瀬の大掃除だな。こりゃあとんでもない船に乗っちまったぜ」

五人掛かりで材木の部屋の掃除をして畳を干していた所に

「一体何が始まったんだ?」

「おお隼人、いい所に帰ってきてくれたな。悪いが近所の飯屋に行って握り飯を二十ばかり買ってきてくれないか」

「握り飯を二十もどうするんだ?」

「食うんだよ。材木の部屋の本を見せてもらうおうと思ったお雪が材木の部屋の掃除を始めてそれをみんなで手伝ったもんだから、みんな飯を食い損ねてんだ」

「そういう事か。わかった待ってろ」

「材木、握り飯代はお前持ちだからな」

「な、なんと!本を見せるだけで良いのではないのか。そういうのを西洋ではあんふぇあーというのだぞ」

「それは昨日の昼飯の代わりだろ。握り飯は掃除の代金だと思って諦めろ」

「そうだよ材木、こんな美人三人に掃除をしてもらえるなんて握り飯くらい安いもんだろ」

「そうだね。これ程の美人が一堂に会するなんて機会はそうそう無いよ。見物料を別に貰いたい位だよね」

「なるほど、そういう商売も世の中には成立するのかもしれないわね」

「どうだ材木、色男の気分は?」

「・・・もう消えてしまいたい・・・」

 材木は観念した様な、悲しい声でそう言うと掃除の手を休めて埃を落とした本を手にとって現実から逃避してしまった。からかい過ぎたかな。そうしていると隼人が沢山の握り飯を抱えて戻ってきたのでお姫菜がお茶を入れてくれてそのまま昼飯となった。遅い昼飯をのんびりと食べ、かなりの時間が経ってから掃除を再開、材木の部屋の中が綺麗になった所で日干ししてた畳を俺と隼人が運び込み本を元に戻す準備がやっと整った。材木は隼人に頼んでもう一枚風呂敷を用意すると所狭しと並べられた本の中から貴重な物だけをその風呂敷の上に置いて、残りを部屋に運ぶように指示した。

「あら・・・これは?」

「どれ・・・ああ、これは隣の清国の紀行文だ。日の本も大きな国であるが清国は日の本よりずっと大きな国で日の本では見る事が出来ない様な物が沢山あるらしい」

「清国の紀行文・・・読めないのが残念だわ」

「まあ拙者の様に漢文や西洋の言葉に精通したものでなければ、ここにある本は読めやせん」

「材木さん・・・この絵はなんですか?猫?熊?」

「どれどれ・・・これは清国の山奥に居ると言われている熊猫という動物だ。大変珍しい動物で清国の人間でも滅多に見れないとこの本には書いてある」

 お雪の脇からみんなでその本を覗きこむと、そこには体は白いのに耳と目の周りと手足だけが黒いなるほど猫の様な熊の絵が書いてあった。

「なんとも中途半端な動物だな」

「何を言う。干支に辰年という年があるだろう。もともと干支は古代の清国から日の本に伝わったものだが清国では伝統的に辰、すなわち龍は皇帝のみが絵柄として使う事を許された伝説の生き物であって、庶民の暮らしに密着してる干支になぞ使えないのだ。だから清国では辰年を熊猫年と言うのだぞ」

「へーさ、すが材木さん、物知りだね」

「言われてみれば、結構愛嬌があるじゃないか」

「しかし、本当にこんな動物がいるのか?その存在も見てくれも中途半端すぎる」

「隼人の言う通りだ。もし、本当にいるのなら一度お目にかかってみたいもんだぜ」

「・・・可愛いわ。」

お雪がポツリとつぶやいた。そう言えばさっきから本にかじりついて動きもしない。じっと本に見入って頬を紅潮させながら熊猫の絵を見ている。

「なんだお雪、お前はこの熊猫とかいうのが気に入ったのか?」

「・・・ええ八幡、私はこの動物が気に入ったわ。こんなに可愛らしい動物は初めてよ」

「そうか、お雪殿は熊猫が気に入ったのか。では今日の掃除の礼にその本はお雪殿に進呈しよう。私にとってはただの紀行文であって研究の対象にはなりえぬもの。喜んでくれるのならば受け取ってくれ」

「いいのですか?本当の貰ってしまっていいのですか!?」

「拙者に二言はない!」

材木の返事を確認すると周りで見ていた俺達にはばかる事なくお雪は本を抱きしめた。

「へー、可愛い所あるじゃん。頭の中は男の事で一杯じゃなかったんだ」

「もう、そんな言い方しないで下さい。お沙希さん」

「ねえねえ、そんなに気に入ったのなら名前をつけてあげたら、犬にポチとか猫にタマとか付けるじゃん」

「名前・・・そうね・・・どんな名前が良いのかしら」

「まあ伝説の様な生き物に付ける名前だから少々風変わりな物の方が良さそうだな」

「いい事言うな隼人、普通の名前じゃ面白くない・・・変な名前だったら、お結衣に付けてもらえばいいじゃないか。あいつこう言うのが得意そうだ」

「お結衣さんなら・・・そうね・・・だったら半端のぱんさんでどうかしら。」

「・・・変な名前だな・・・けど、だから丁度いいのか」

「決まりね。この子の名前はぱんさんよ」

「お雪、いやゆきのん。お結衣の悪い影響を受けてるみたいだな」

「八、なに、その“ゆきのん”っていうのは」

「お結衣がお雪に付けたあだ名だよ。雪乃屋のお雪ちゃんを縮めて“ゆきのん”だとさ」

「あはははっ。お結衣らしいね。すっごく変なあだ名」

「私はそのあだ名を了承した訳ではないわ。勝手にそう呼ばれてしまっているのよ」

「あの子、変なあだ名つけたら絶対他の呼び方しないから覚悟した方が良いよ」

「そうだな・・・俺もはっち―のままだしな」

「はっちー、ゆきのん、ぱんさん・・・揃いも揃って間抜けな名前だ。拙者だったら耐えられんな」

「材木もそう変わらんともうがな」

「それは隼人とて同じであろう」

 材木の部屋の片づけが済んで解散となった所で俺はお雪をいつもの四つ辻まで送って行った。お雪は材木から貰った本を大事そうに抱え笑顔で歩いている。あんまり露骨に喜んでいるものだから、俺は良かったなと声もかける事が出来ず呆れ半分でお雪の横を歩いていた。四つ辻に着くと

「今日は大収穫だったわ」

「そいつは何よだな」

「あら、私が構ってあげなかったらか寂しかったの?残念だけどぱんさんの前では盗人への好奇心なんて消し飛んでしまったわ」

「だったらもう俺の案内は必要ないな。もうぱんさんと心中でもしろよ」

「駄目よ。消し飛んでしまったのは盗人への興味だけで、町や暮らしについての興味は消えてないどころか膨らんでるくらいよ」

「いつまで続くんだよ、俺はもう疲れたぞ」

「贅沢な悩みね。こんな美人と一緒にいられるのだから感謝するくらいじゃないと駄目よ」

「駄目駄目とやかましいな。少しは俺にも楽させろ、しんどいばかりじゃないか」

「楽って?どうしたいと言うの?」

「そうだな・・・例えば部屋でごろごろと寝て過ごすとか」

「そんなのだらしないだけで楽とは違うでしょ。もっと体の疲れを癒す様な事なら考えてあげない事もないわ」

「疲れを癒す・・・だったら風呂かな。口あけの湯屋に行って人がいない湯屋の湯船にのんびり使ってると疲れが吹っ飛ぶぞ」

「口あけの湯屋・・・面白そうね。湯屋も行った事ない場所だから行ってみたいわ」

「・・・女がそんな事言ってんじゃねえよ」

「どういう事?女は湯屋に行ってはいけないとでも言うの」

こいつ本当に箱入りで何にも知らねえんだな。女が男と湯屋に行きたがるなんてほとんどアレに向かって一直線って意味なのに、、、こんな話、四つ辻のど真ん中で出来ないし、そんな事を考えていたら顔が熱くなってきた。もしお雪と二人で口あけの誰もいない湯屋に行ったりしたら、お互い生まれたままの姿で・・・いやいや・・・まずいって。

「今度、お結衣でもお沙希でもお姫菜でも・・・誰でもいい。同じ女に相談しろ。湯屋の件は俺に話すな」

「何を怒っているの。おかしな人ね」

おかしいのはお前だ!とどれだけ叫びたかった事か、、、俺は話を打ち切る様にしてきびすを返し歩き出した。

「ちょっと、まだ話の途中よ」

俺はお雪の声を無視して歩き続けた。

 

 

 ― 十六日、朝五つ半(=午前9時頃) ―

 

 昨日は八幡が飯屋での板前の仕事で町案内をしてもらえなかったので家の中で針仕事の練習をしていた。以前、八幡が飯屋の娘のお結衣さんが握り飯をちゃんと作れない事を馬鹿にする様な事を言っていたが考えてみれば私も呉服屋の娘なのに着物が縫えない。呉服屋の娘としての着物の知識は持ち合わせている自負はあるが実際に作るとなると話しは別だ。もちろん握り飯ほど簡単なものでない事は百も承知しているがせめて浴衣くらい自分でも縫えるようになりたいと思ったのだ。店の職人さんに浴衣を縫える様になる為にはどんな技術が必要なのか、どんな練習が必要なのかを聞かせてもらい端切れでその練習をしていた。

 

 今日はどんな事が出来るのだろう?八幡の町案内が始まって結構経ったが、その期待感は衰える事を知らない。いつも通り巾着にたすきとお金、そして最近はお姫菜さんに本を借りたり、材木さんから本を貰ったりした事もあって不意の荷物に対応できる様にと風呂敷を一枚入れている。そして、出かける支度の仕上げに髪に銀のかんざしを刺す。八幡が中々似合ってると言ってくれて以来、私は八幡と会う度に身に付けていて、その目立つ造りのせいか八幡がなにかと気にしてくれて時々、事のついでの様ではあるものの似合ってると言ってくれる。最初こそ逃げ出す程に照れてしまったが今はそんな言葉が心地いいし言ってもらえないと癪に触ったりもしている。そうしている内に出かける頃合いになったので家を出て大通りを歩いているとお結衣さんの飯屋や小町さんの茶屋がある大通りとの四つ辻の角に人だかりが出来てるのに気が付いた。何事かと思い近づいてみると瓦版屋が瓦版を売っている。丁度人波が治まり始めたので瓦版屋に近づいて何があったのかと聞いてみた。

「お嬢さん、昨夜出たんだよ。あの“のろい”が!」

「!」

 私は急いで巾着からお金を取り出し瓦版を買い入れた。みれば怪盗“のろい”が昨夜寅の刻に米問屋から千両箱を盗み出し、奉行所の捜索にもかかわらず捕える事が出来なかったと書いてあった。私は歩を速め待ち合わせの八幡様へ急いだ。どうやら八幡はまだ到着していない様で私は境内ではなく参道入り口で彼を待ったが八幡が来ないまま朝四つを知らせる鐘が鳴った。おかしい!?時間には人一倍うるさい彼が遅れるなんて。ひょっとして瓦版の内容とは違って朝方に奉行所の役人に捕まってしまったのではないか!?そう考えたら私は居ても立ってもいられなくなり、その場を離れ総武長屋を目指した。途中、行き違いにならない様にと周囲の人達に目を配りながら歩いたが八幡に出会う事はなく、そのまま私は八幡の部屋の前にたどり着いた。

「八幡、いるの!?」

 部屋の中からは返事が無く、私は部屋の前で立ちすくんでいた。もう一度と思い声をかけるが、やはり返事が無い。私はやむを得ないと思いながら

「八幡いないの?」

 声をかけながら部屋の入口を開け、土間に入り込んだ。すると部屋の中には・・・一人、寝息を立てる八幡がいた。私はほっと息を吐き座敷に上がり八幡の枕もとに座った。私の足音や気配に気付く事なく寝息をたて続ける八幡。さっきまでしていた心配が全くの無駄になり、ほっとしたのを通り越して腹が立ってきた。人の気も知らないで気持ち良さそうに寝てる八幡の寝顔を見ていたら頭をひっぱたいてたたき起こしてやろうとも思ったのだが、考えてみれば昨夜は寅の刻まで出歩いていたのだからこの時間でも眠たいのは当たり前だ。そう思ったら怒りが引っ込んで八幡の寝顔を見守ってしまった。大口を開けていびきをかくといった寝顔ではなく静かな寝息を立てながら大人しく寝ている。目を閉じているせいか、いつもより誠実そうに見える、、、あの目はやっぱり直した方が良いわね。私は人差し指で八幡の頬をつついてみると面倒くさそうに手でそれを払おうとする。もう一度つついてみると今度は寝返りを打って私に背を向けてしまう。そんな反応が可愛く見えてしまい私は八幡の頭を撫でてしまう。

「おゆ・・・」

「!」///

 まさか私の夢を見てるの!?夢の中でも私と会ってくれているの!?心臓が跳ね上がる様に鼓動を速める。私は耳を澄ませて八幡の寝言に聞き入ると

「が湧いてるぞ小町・・・」

 私は八幡の頭を力任せにひっぱたいた。

「へっ!」

「起きなさい八幡。もうとっくに朝四つの鐘が鳴ったわよ」

「え!?お雪!?何でお前がここに居るんだよ?」

「何でじゃないでしょ。朝四つになっても八幡様に来ないし、それ以前にこれはどういう事?」

「これって・・・ああ、昨夜仕事だったんだよ」

「なぜ何も言ってくれなかったの?」

「いや、別にお雪に報告する必要はないだろ」

「報告する必要はないって・・・私は一蓮托生だったのではないの?」

「それは俺達の事を奉行所に黙ってるって事で仕事仲間って事じゃないだろ」

「それはそうかもしれないけど、瓦版でこの事を知って、八幡が時間通りに八幡様に来ないと・・・心配じゃない・・・」///

「う!・・・すまん」

「せめて待ち合わせの時間は守って。それが無理なら待ち合わせの時間を変えようって前の日に言って。私がどれだか心配したと思っているの」

「すまん・・・そんなに心配するとは思わなくて」

「心配しない訳ないでしょ!」

「いや、けどよ・・・盗人への興味は無くなってきたみたいだったし、それに盗人が捕まるのは世の中にとって良い事だろ。だからお雪は俺への心配より世の中の太平を望んでるんじゃないかと思ってな」

 

 パシンッ!

 

 私は目から涙をこぼしながら八幡の頬を叩いた。

 

 私の平手打ちなんて八幡は大して痛がりもしてない、けど、とても驚いていた。

 

 私は座ったまま向きを変え八幡に背を向けた。

 

 私の肩に八幡が後から手を置いた。

 

「すまん・・・ほんとにごめん」

「・・・」

「これからはちゃんと前もって言うから、待ち合わせの時間も守る」

「・・・」

「無神経な事を言い過ぎた。凄く心配してくれてたのにあんな事言って悪かった」

私は首をかしげる様にして私の肩に置かれた八幡の手の甲に頬ずりしながら

「・・・あなたが捕まっていいなんて思ってないわ」

「ごめん」

「もう余計な心配をかけないと約束して」

「約束する」

「それと・・・あなたを心配している人がいる事を自覚して。あなたがしている事はとても悪い事だからとても心配よ」

「わかってるつもりだ」

「それと・・・案外立派な事だとも思っているから」///

「・・・ありがとな」

 私はゆっくりと八幡の方に向き直り昨夜の話を聞かせてもらった。聞けば昨夜は前回の様なしくじりも無く、予定通りに事が進んで楽な仕事だったらしい。それもこれも隼人さんや材木さんの協力があってこそだと言っていた。

「八幡はなぜ泥棒が上手なの?」

「いきなり何聞いてんだ?」

「だって、料理は子供の頃から家の手伝いをしていたから出来る様になったって言っていたでしょ。泥棒はいつ覚えたの?」

「・・・まあ、それも子供の頃だ」

「え?」

「俺と小町の食い扶ちと寝床を確保する為に家の手伝いをしていたのとは別にだな・・・ちょっとした菓子とか食いたいじゃん」

「呆れた」

「なんかこう・・・大人の目を盗むのが昔から上手かったんだ。盗みが見つかった事はほとんど無いし、捕まった事も無いぞ」

「それが高じて、屋根の上まで歩けるようになったの?」

「まあ、そんなとこだ。逃げる時、普通に逃げるだけじゃ大人に追い付かれちまうだろ、そこで防火桶とか灯篭とかを使って壁を昇って屋根に上がって追いかけてくる大人をまいたんだ」

「いくつの時くらいから屋根に上ってたの?」

「八つの時にはもう屋根の上歩いてたな」

「ひょっとしたら私の家の近くの家の屋根を歩いていたのかもしれないのね」

「かもしれないな」

「何とかと煙は高い所に上がりたがると言うけど、本当の様ね」

「それは屋根に上がれない奴の負け惜しみだよ。屋根の上に上がると景色が広がってすげー気持ちいいんだぞ。盗みをするしないに関わらず屋根の上は俺の大好きな所だ」

「高台から見下ろす様に周囲を見回すなんて気持ちが良いのでしょうね」

「ああ、あればっかりは上がって見たもんじゃないと解からないさ」

「・・・ねえ八幡」

「駄目だ!」

「まだ何も言ってないわ」

「屋根に上ってみたいって言うんだろ。絶対駄目だ」

「なんで?いいじゃない。あそこまで楽しそうに話をしておいてお預けは酷いと思うわ」

「お雪・・・お前下駄で屋根に上がるつもりか、足を踏み外したら頭から落ちて死ぬかもしれないんだぞ」

「・・・だったらわらじと脚絆(きゃはん=脛を隠す布)を履けばいいじゃない。八幡は八歳の時に出来たのでしょ、だったら私にだって出来るわ」

「わらじと脚絆って本気か?」

「本気よ!」

「ちょっ・・・ちょっと考えさせてくれ」

「なぜ?何をそんなに考える必要があるの?」

「ただ上るだけなら、うちの長屋の屋根に上がればいいんだよ。ただそれじゃあ周りを見下ろす感じにならないんだ。長屋の屋根は低いからな。かといって大通り沿いにある大きな屋敷の屋根に上がる訳にもいかないし・・・丁度良さ気な所が無いんだよ」

「確かに低い屋根では意味が無いわ」

「どうせなら高台にある大きな建物の屋根がいいな。まあ適当に町を歩いて探してみるさ」

「適当にって・・・当てにならない返事ね。だったら今から一緒に探しに行きましょう」

「今から!?駄目だ。そんな当ても無く探すなんて無駄足になるだけだ・・・隼人にでも聞いてみるよ。あいつなら大きな道場とか屋敷とか知ってるから、その中から屋根に上がらせてもらえる所を探してもらおう」

「隼人さんなら頼りになりそうね」

「いきなり態度変えてんじゃねえよ」

「私は人を見る目があるだけよ」

「八、いるか?」

「おう、隼人か入れよ」

「八、今朝もらった金は配り終わった・・・取り込み中か?」

「え?」

「いや・・・お雪の二人布団の上で・・・何なら出直すが」

「違います!私は待ち合わせの時間に来なかった八幡を叩き起こしに来ただけです」///

「そんな色っぽい事になるかよ。今日だけで二回ひっぱたかれた」

「それは八がいきなり乱暴にしたからじゃないのか!?」

「そんな訳ないだろ、それより何の用だ?」

「ああ、次の仕事の話なんだが・・・材木が戻る前に話しておきたい事がある」

「材木が戻る前に!?なんだよ、今までと何か違うのか?」

「・・・お雪、すまないが外で待っててくれないか。“仕事”の話しなんだ」

「・・・隼人さん、私にも聞かせて下さい。決して口出しも口外もしませんから。お願いします」

「・・・お雪」

「・・・すまん隼人。俺からも頼むわ、お雪にも聞かせてやってくれ」

「いいのか・・・正直、深入りさせるのは気が進まんが」

「覚悟の上です、お願いします」

「ふぅ・・・わかった。じゃあ話すが絶対口外しないでくれよ。次の仕事の標的の話だ。今までにない大変な仕事になると言っておいたよな」

「ああ、確か女郎屋だって言ってたな」

「大門の中の目抜き通り沿いの店ではなくて一本裏にはいった、それほど大きくない店なのだが・・・よくない噂がある」

「女郎屋なんてロクな噂されないだろ」

「そういう類の話ではないんだ。どうやら人売りをしているらしい」

「人売り・・・見受けじゃなくてか」

「そうだ・・・女郎屋なら借金のかたに女の身柄を押さえるなんて言うのは当たり前の事だが、今度の標的はそうじゃない・・・さらって来た娘を金持ちの遊び道具として売り飛ばしているらしい」

「なんだと!」

「金持ちに売るだけでも大変なことなのに、さらに人を通じて異人相手にも商売をしているらしい」

「と、言う事は売られた娘は日の本にいられないのか!?」

「そうだ、外国に売り飛ばされるらしい。さらって来た娘達に高価な着物を着せて着飾らせてから売り飛ばすそうだ」

「・・・人形じゃねえんだぞ」

「その様な商売をしているから常に用心棒が群れをなして店の中に居る。一番人が多い時刻が丑の刻だからな。ひょっとしたら昼間に盗みに入った方が人に出会う確率は低いかもしれん。そういう店なんだ」

「そりゃあ、やばいなんてもんじゃないな」

「だから今回の仕事は八一人ではなく、俺が外で待機する形にしたいと思うんだ。材木は今まで、その様な計画をした事が無いからな。次に三人で話す時にこの事を話そうと思うのだが八はどう思う?」

「そうだな・・・確かにそれじゃあ俺一人で夜中に忍び込むっていう今までの方法じゃ無理がある。しかし隼人が外で待機してて何か変るのか?」

「逃げる時に違いが出る。八は今までは屋根伝いに逃げる事が多かっただろ。しかし今回はいかに素早く事を進めるかに仕事の成否がかかっていると言ってもいい。ならば屋根に上るなどという手間は掛けずに俺が逃走経路を確保しておく方法を取った方がいいと思うんだ」

「なるほどな・・・いいだろう。材木と話す時には俺もその意見に乗らせてもらうぜ」

「・・・大丈夫なの」

「お雪、口出しは無用だ」

「しかし」

「お雪、約束は守ってくれ。俺も守るから」

「・・・はい」

「しかし、えげつない店もあったもんだ。なんて名だ?」

「平塚屋だ。女主人のお静というのが女だてらに店の強面どもを束ねて、かなり強引な事をしている様だ。腕っぷしも並の男以上らしいぞ」

「おっかねえ女だな。できれば顔を会わせずに仕事を済ませたいもんだ」

「まあ、下調べは大体済んでるが、なにしろそういう商売に手を出しているから、もうひと調べといったところだ。もう少し待っててくれ」

「わかった。お雪も口外無用だぞ。そんな連中の噂話をしている所を万が一にも聞かれたりしたらお前も無事じゃいられないからな」

「はい」

 話しが終わったところで私は八幡の部屋を出て家へと向かった。八幡は今日はどこも行かなくていいのか?と聞いてくれたにも拘らず、どこにも行く気が起こらなかった。八幡の“仕事”の話・・・聞かなければよかったのだろうか。朝は教えてもらえない事に怒りを覚えた。その後には失望を感じて、更に悲しさを感じた。しかし今の隼人さんと八幡のやり取りを聞いていたら、八幡がしている事は私が考えている以上に危険な事なのだと確信した。二人の話を聞いていた時、私は震えが止まらなかった。自分に危害が加わるのではないか!?という恐怖ではなく八幡に万が一の事がと思ったら体が震えた。相手は人を人とも思わない極悪人。綱渡りをする様に稼いだお金を盗みに来る泥棒を無事に帰すとは到底思えない。本当に八幡は無事に“仕事”をする事が出来るのだろうか?今回の“仕事”は今までで一番難しい様な事を隼人さんも

言っていたし不安が募るばかりだった。

 

 家に帰って針仕事の練習をしてても針先を指に何度も刺したり、縫い目が真っ直ぐにならず波打ったり全く集中できなかった。いっそ何も知らずに無責任に怒っていた方が楽だったのではないだろうか!?そんな考えすら頭をよぎる様になっていた。そんな不安は夕飯の時も消えず私は食が進まなかった。するとお母さんがどうしたのかと聞いてきたので

「お母さんはお父さんの仕事が上手くいかなかったら、どうしようって心配になった事はないの?」

「いきなり何?」

「私、仕事って上手くいって当たり前だと思っていたのだけれど、失敗する事もあるのよね。今日それを強く感じる事があったから」

「どんな事があったの?」

「とても難しそうな仕事をしようとしてる人がいて、傍で見ている人達はとても心配そうなのに本人は平然としているのよ。私はそれを見てて周囲の人達に共感したわ。そんな心配をよそにその仕事をしようとしている本人の気持ちが解からなかったもの」

「それは・・・周囲の人達がその人の事を知らないからよ。知らないから信じられないの」

「知らないから信じられない?」

「私はお父さんがどんな人か知っていて、お父さんがする事は大丈夫な事、お父さんがしない事は大丈夫じゃない事だと思っているわ。たったそれだけの事よ」

「けど、どんな仕事をしようとしているか気になったりしないの?」

「知った所で私には何も出来ないでしょ。だから聞かないし気にもしないのよ」

「そんな風に割り切れるものなの?」

「それが信じるって事よ」

「・・・私が見た人達は所詮、ただの赤の他人だったのね」

 お母さんの話を聞いて私は八幡の事をまだまだ知らないんだと痛感した。私はお母さんがお父さんを信じる様に八幡を信じる事が出来ない。やっぱり夫婦って強い絆なんだって思い知らされた。夕食後お母さんの話を聞いて少し気持ちが落ち着いたので針仕事を少しだけしていると

「雪乃ちゃん」

「姉さん」

「八っつぁん、またやったね」

「ええ、私も瓦版で知ったわ」

「前もって教えてくれなかったの?」

「ええ、けど次からは教えてくれるように頼んでおいたわ」

「だから、あんな事をお母さんに聞いたんだね」

「・・・」

「本当にお雪ちゃんと八っつぁんは菩薩様のお導きで出会ったんだね」

「・・・そんな事ないわ」

「けど、八っつぁんの仕事に深入りしちゃ駄目だよ。うちの仕事とは違い過ぎる」

「そうね、それは今日痛感したわ」

「わかっているならいいけど・・・」

 なにかを続けて言いた気だった姉さんは口を閉じて私の部屋から出ていった。きっと姉さんは、こう続けたかったに違いない。

 

“わかって深入りする様で心配よ”

 

 姉さんが最後までこの言葉を口にしなかったのは、それを口にしたら私が深入りする事を決心してしまうから。だから途中で言葉を切ったんだ。私を深入りさせない様に考えているのは姉さんだけではなく、八幡や隼人さんもそうだ。きっと材木さんだってそう思っているだろう。私は一体どうすればいいのだろうか、、、どう八幡と向き合えばいいのだろう。そんな疑問が私の中に湧き上がった。

 

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