やはり俺の面白おかしな恋物語はまちがっている。 作:Z-Laugh
「あら、材木さん!?」
「! お雪殿。これは奇遇だな」
「奇遇も何も、私の家の前ですよ」
「あ、ああ、そうであったな。しかし見れば見る程に立派な店であるな」
「ありがとうございます。で、今日はどのような用向きで?」
「いや、用向きと言われても拙者の様な貧乏学者が雪乃屋の様な大店で買い物などとても出来ん」
「あのお金、少し位ならご自分の為に使ってもよろしいのではなのですか?」
「言われるまでも無い。私はもちろん、隼人も八も少しは自分の為に使っている。拙者は本を買うのに使い、隼人は自分の道場を持つ為に貯め、八は小町の嫁入り道具を揃える為に貯めておるぞ」
「そうだったのですか、、、全部が全部配っていた訳ではないのですね」
「まあ、それでも多くて五両、少なければ一両といったところか。基本的にあの金は“ぼらんてぃーあ”に使うものだからな」
「多くても三人合わせて一分五厘の取り分ですか・・・危険を顧みず行っている仕事の報酬としては安いですね」
「それ故に“ぼらんてぃーあ”なのである。お雪殿はこれから八と“でーと”か?」
「でーと?なんですかそれは?」
「えげれす国の言葉で逢引の事である!」
「あいび・・・材木さん。」///
「最近、八の奴の表情が優しくなった。以前は世の中に恨みを晴らす様な目をして仕事をしていたが最近はそういう様子が無くなってきて安心して一緒に仕事をやれている」
「あれでですか?見ただけで人を呪うとまで言われてるあの目ですよ」
「以前は本当にそうだった。お雪殿と出会ってから奴の目はただの怠け者の目になって実に穏やかだ」
「それは褒めてらっしゃるんですか?」
「勿論である。旦那を褒められて嬉しくない女房はおらんだろ!」
「ざ、材木さんっ!」///
私が怒ると同時に材木さんはドタドタと足音を立てて逃げて行ってしまった。平塚屋の一件が済んで数日が経ち私や総武長屋の人達に普段の生活が戻ってきた。瓦版によれば平塚屋の人売りが明るみになり女主人であるお静という人とその仲間は全員お縄となり明後日にはお白州でその刑が決まるらしい。また瓦版には平塚屋の悪事の事しか書いておらず、さらわれた娘達を助けた覆面の男達の話しや怪盗“のろい”が二千両もの金を盗み出した事は一切書いておらず、どうやら八幡の仕事は瓦版の上では最高の結果だと言えるが実際には着物を一枚切り刻まれて怪我までさせられてる。小町さんの無事を祝う席でさらしをまかれた彼の左腕を見た時、正直血の気が引いた。もし平塚屋の女主人のなぎなたがもう一尺上にずれていたら・・・考えるだけでも恐ろしい。しかし彼は包丁で指を切った様なもんだ!などと軽口を叩き私に心配をさせまいと気遣ってくれて、その上、私がお結衣さんやお沙希さんやお姫菜さんにヤキモチを焼いているなどと軽口を超えて失礼極まりない事を言ってきた。もちろん私は反論をしようと思ったのだが口よりも手が先に動き八幡の横っ面を引っ叩いてしまった。そんな事を思い返しながら大通りを歩き八幡様に到着すると、既に八幡が到着していた。
「よう」
「本当に時間だけは守れるのね」
普段の、無事な彼の姿を見て嬉しくなる・・・そっけない“よう”という挨拶が心地よい。そして私が言う意地悪な言葉を軽く流してくれる態度も私をほっとさせる。
「なに見つめてるんだよ。顔になんか付いてる?」
「いいえ、付いているのはいつもの腐った目だけよ」
「俺の顔には目以外にも鼻も口も付いてるぞ」
「あら、よく見ればついているわね。腐って落ちてしまったのかと思ったわ」
「俺はどんだけ小口で鼻が潰れてんだよ」
「下らない事を言ってないで、今日はどこに行くの?」
「言い出したのはお前だろ。全く・・・」
むくれる八幡・・・何故だろう、こんな表情でさえ憎めない、つい笑いが込み上げてくる。私が無言で微笑んでいると
「今日は・・・特別な場所に行くぞ」
「特別?」
「ああ、隼人に頼んであったんだが今日ならいいそうだ」
「隼人さんに何を頼んだの?」
「お雪が言い出した事なのに忘れちまったのかよ!?」
「私が?何か言ったかしら」
「まあいいや。その方が驚かす事が出来そうだしな。ついて来い」
そう言うと八幡は得意気な顔をして八幡様の境内を後にした。すると八幡様からそれほど離れていない火消しの家に入っていった。火消し?一体何をするつもりなのかしら?江戸の火消しと言えばいろは四十八組と知られ目立つ存在だ。派手な刺青をした若く威勢の良い火消し達が大勢いて娘達にも人気があるらしいが、それほどにお金持ちという訳ではなく少なくとも八幡の仕事の標的にはならないはずだ。まして八幡が火消しになりたがってるとも思えない。
「すみません。剣術師範の隼人様の紹介で来たものですが」
「ああ、聞いてますよ。え~と確か二人で来ると聞いてましたが・・・え!もう一方は女ですか!?」
「はい」
「女がね~、まあ良いでしょう。隼人さんからの紹介を無碍には出来ないし。こちらになります」
「お世話になります」
八幡が火消しの人と話をしてから、八幡は話相手の後ろをついて行く様に歩き始める。私も遅れない様について行くと、火の見やぐらに到着した。火消しは入口の柵の鍵を開けると、八幡に何か言ってその場を離れて行った。
「さあ、行こうぜ」
「行くって、どこに?」
「やぐらの上だよ。お雪は高い所から周囲を見回してみたいって言ってただろ」
「ああっ!その事だったのね。わぁ、こんなの初めてよ」
「さすがにこれは俺も初めてだな。屋根ならともかく火の見やぐらは火消し以外は入れないからな」
「早く行きましょう。どれくらい周りが見えるのかしら」
「ああ、俺も楽しみだ」
八幡は私に先を行かせやぐらの階段を昇った。やぐらの階段は私の家の蔵の階段よりずっと急で階段をのぼりながら手をついて階段を上ると言うより梯子を登るといった感じだった。着物の裾がめくれて脛が見えやしないかと恥ずかしさが湧き起こりつい下にいる八幡をにらんでしまったが・・・下にいた八幡は私の着物の裾なんて見ておらず私が階段で足を踏み外しはしないかと心配そうに付かず離れずの距離を保って万が一に備えてくれていた。その事を確認したら恥ずかしさが消え安心感が私を包み込み階段を上がる勢いが増した。そしてやぐらの天辺に到着すると眼下には江戸の町が広がっていた。いつも歩いている大通り、待ち合わせの八幡様、そして私の家がある方や総武長屋のある方をきょろきょろと見回した。
「おお~っ!絶景だな」
「ええ!こんなに凄い景色だなんて。空を飛べたら道に迷わなくて済むのに」
「なるほどな。こうやって見渡せれば迷子になったりしないよな」
ビューーッ!
やぐらの上に突風が吹く。狭い足場で踏みとどまれず私は八幡にもたれかかってしまい、そればかりか八幡の着物の襟に正面から両手でしがみ付いてしまった。八幡も私の事を支える気があった様で両手を私の腰に置いて体を支えてくれていた。
「・・・」
「・・・大丈夫か?」
「・・・ええ、大丈夫よ」
「そろそろ降りるか?」
「も、もうちょっと見ていたいわ」///
「けど、こんな所に長居したら危ないぞ」
「だったら・・・降りるまで支えてなさい」///
「わかった」
私は町の景色を見ずに八幡の胸元だけを見つめて、八幡の着物の襟にしがみ付き続けた。このもどかしい気持ちはなんだろう?離れたくない!それどころか、このまま抱きついてしまいたい様な衝動に駆られて何度となく彼の着物の襟を掴む手が緩みそうになる。しかしその度に思い留まり得体のしれない衝動を我慢し続けた。
どれほどの時が経ったのだろう。八幡が私の腰に置いていた手を離してから、彼の襟にしがみ付いてる私の両手もほどいて後ろ向きで階段を先に降り始める。
「下りの方が危ないから気を付けろ」
やはり下りでも私が万が一足を踏み外しても受け止める気満々で、私は不慣れな階段下りを安心してやる事が出来た。ゆっくりではあったが確実に一段一段降りて地上にたどり着くと二人して大きな息を吐いて元の火消しの家に行って二人してお礼を言った。
「いや~これは貴重な体験をしたな。あとで隼人にお礼を言っておかないとな」
「そうね、確かに“貴重な体験”だったわ」///
「火消しって言うのはあんな所で町を見てんだな。屋根の上くらいじゃ比べ物にならないぜ」
「そんなに違うものなの?」
「違い過ぎるね。せいぜい二階の屋根に上がるのが精一杯だからな」
「いつか・・・その風景も見てみたいわ」
「お雪も盗人になるか?」
「そんな訳ないでしょ、盗人になったりなぎなた相手に大立ち回りしたり、さらわれた娘を助けたり、私にはとても出来そうにないわ。そう言えば小町さんの着てたあの友禅はもう売ってしまったの?」
「ああ、あれな」
「どうしたの、売れなかったの?」
「そうじゃなくてな、一昨日役人が来て着物の出所を探すから貸してくれって、持って行かれたばかりなんだ」
「なるほどね。あれほどの友禅ならどの店が仕入れて平塚屋に売ったか調べられるかもしれないものね」
「お前んちには役人が聞きに言ってないか?」
「いいえ、そんな話は聞いてないわ。というかお父さんがあんな事をしている連中に着物を売ったりするもんですか」
「・・・けど、さらって来た娘に着せるとは思わなかったのかもしれないぞ」
「その考え方も無い訳では無いでしょうけど、うちはそんな商売絶対してないわ」
「そうだよな。それくらいしっかりしてなきゃ大店を名乗れないもんな」
「そうよ、お店というのは大きければ大きい程、その責任も大きくなるってお父さんが言っていたわ」
「じゃあ役人が尋ねて行ったら一生懸命協力するんだろうな」
「きっとそうよ。あ、そう言えばお役人様は来なかったけど材木さんが来たわ」
「材木が」
「ええ、お店の前をうろうろしてたわ。着物を買うでなし誰かと待ち合わせでもしてたのかしら?」
「さあな。俺も同じ長屋に住んではいるがあいつの交友関係までは把握してないからな」
「材木さんにうちの店に用事があるなら、いつでも声をかけてと伝えておいて」
「わかった。じゃあ、これからどうする?今日は根付屋にでも行ってみるか!?」
「今日は止めておくわ。家でやりたい事があるの」
「やりたい事?針仕事か」
「まあ、そんなところね。じゃあまた明日」
私は挨拶もそこそこに家路についた。私が家に帰ってやりたい事、それは浴衣作り。八幡が平塚屋で着物を一着駄目にしてしまったと聞いて次の日から浴衣作りが始まった。針の技術は日々の練習のおかげで店の職人さんに太鼓判を貰ってる。作り方も本を何度も呼んで頭に叩き込んである。けど問題が二つあった。一つ目は浴衣の材料、すなわち反物をどこで手に入れるかである。もちろん家でお父さんに言えば五・六百文程度の反物を買えるのだがどうも家族に知られるのが照れ臭くて、よその店で買おうと考えた。しかし大店・雪乃屋の娘として同業者には顔を知られている為、よそで買っても結局お父さんの耳に入ってしまう。そこでお姫菜さんに頼んで反物を一反買って来てもらう様に頼んだ。
そしてもう一つの問題、これこそが最大の問題であった。八幡の体の寸法がわからないのだ。家にいる職人さん位になると普段の姿を一度見ただけで寸法がわかるらしいのだが私にはそんな事は出来ないし、やってみた所で反物を無駄にするだけだろうと思い、何か方法はないかと考えていた。しかし昨日、打開策を思い付いた。店の奉公人の中から八幡に近い体型をしている人の寸法を計らせてもらうと言う方法だ。もちろん、この人からお父さんや姉さんに浴衣作りの事がばれる事も考えられたので店の主人の娘として絶対口外しない様に“命令”をさせてもらった。最初は不思議がっていたが私の命令を聞いた途端その人は無言で頷いてくれた。私ってそんなに怖いのかしら?昨夜の内に裁断を済ませ今日から、いよいよ縫製が始められる。私が作った浴衣を八幡は喜んでくれるだろうか?そんな事を考えながら速足で家へと向かった。
お雪がいそいそと家に帰って行くのを見送って、俺は長屋へと向かいながら昨夜の事を思い出していた。
「本気か八?」
「ああ、本気だとも。小町をあんな目に合せた奴は絶対に許さないぜ」
「それならば平塚屋のお静はもうお縄となったのだ。その事は忘れるべきではないのか?」
「材木の言う通りだ。平塚屋に高価な着物を売って甘い汁を吸っていたとはいえ直接小町ちゃんに何かをした訳ではないだろう」
「二人とも何言ってんだ。俺達の獲物は法の網の目をかいくぐって金を稼いでいる奴らだろ。だったら雪乃屋も例外じゃない」
「しかしお主の話では雪乃屋の主人はお静にツケで着物を売っていた様ではないか。ならば、あの夜助けた娘達が着ていた着物の代金はまだ受け取って無いと見るべきだろう。憶測ではあるが多分、着物の代金は娘達が売れた後にその売上金から支払われていたのではないか」
「その通りだ。平塚屋がお縄になって雪乃屋も損をしているし、今後は同じ様な事は出来まい。変に意地にならなくてもいいと思うぞ」
「意地って何の事だよ?」
「八・・・お雪との事が駄目になってもいいのか?」
「そのとぉーり!お主もまんざらではないのだろう。なんならもう“ぼらんてぃーあ”から足を洗ったって良いのだぞ。我々も一緒に辞めればいいだけだ」
「そうだ八、わざわざ惚れた女の家に盗人に入る事もあるまい」
「別に惚れちゃいねえよ・・・とにかくお前らがやらないなら俺一人でもやる」
「お主、仮に一人でやって成功したとして、その後、お雪殿にどう接するつもりだ?」
「それ以前にお前が雪乃屋に盗みに入ったら、きっとお雪かお陽が俺達のした事を奉行所に言ってしまうぞ」
「その心配はない。親父がした事を知れば、あいつらは俺達の事を奉行所には言えないさ。俺達が捕まれば親父のした事を全部ばらしちまうからな」
「た、確かにその通りだが。そんな危ない橋を渡る必要はないだろ。他にも標的になる店はある。現に俺と材木で目星を付けた店がいくつかあるんだ」
「駄目だ。俺は小町をあんな目に合せた雪乃屋の主人が許せないんだ。明日の夜には決行させてもらうぜ」
「待て!そんなに急いでどうするのだ?急いては事をし損じるだけだぞ。落ち着いて下調べをするべきだ。ゆーあんだすたん!」
「・・・そんなにのんびりしてたら駄目なんだ」
「八、ちゃんと急ぐ理由を話してくれ。納得できるものなら俺達だって協力をする」
「だからさっきから言ってるだろ、小町をあんな目に合せた雪乃屋が許せないだけだ。他にも目星がついてる店があると言っていたが雪乃屋を放っておいて、他の店に盗みに入るなんて俺は絶対にしないからな」
「ならば、せめて下調べと計画を練る為の時間を・・・せめて五日くれ。さすれば仕事の成功率が全くというほど違ってくる。やみくもに盗みに入るなど自殺行為だぞ、八」
「・・・どうやら交渉は決裂だな。一人でやらせてもらうぜ。安心しろ、もししくじってもお前らの事は言ったりしないから」
「そんな事はどうでもいい!しくじり前提で仕事をするな。残された小町ちゃんはどうなる」
「小町ももう大人だ。一人立ちをするには良い時期だってお前らだって散々言ってたじゃないか。ここに住み続けるもよし、お優美の所に転がり込むもよし、何とでもなるさ」
「・・・では、お主はお雪殿をどうするつもりなのだ?お主が惚れていないと言うならお主はそれで良いだろう、しかしお雪殿はお主に惚れているぞ。お結衣やお沙希以上にだ。もし、しくじって捕まる様な事になれば小町以上に悲しむに違いない。お主はそうなるとわかっていてもなお、やると言うのか」
「・・・そんな事は知ったこっちゃねえよ」
「八、ならば以前話をしていた高い建物の上に上がる話・・・あれは無しでいいのか?」
「なんだ、当てでもあるのか?」
「ああ、火消しの棟梁と話を付けて火の見やぐらに上がれる様に話を付けてきた」
「なら丁度いい。雪乃屋に盗みに入る事を悟られない為にも、お雪を喜ばせてやらないとな」
「どうしても、やるのか?」
「どうしてもだ」
「覚悟の上であるな?」
「覚悟の上だ」
二人は俺を止めようと必死になってくれたが俺は雪乃屋への盗みを絶対止めるつもりはなかった。あの人の良さそうな商人面で腹の底では人売りへの協力、不義密通を躊躇無くやっていたのだ。そんな事が許されるはずが無い。俺は平塚屋の一件が生々しいうちに雪乃屋の主人には相当の罰を受けてもらうのが相応しいと思っている。お雪が今回の平塚屋の件で雪乃屋がした事を知ればきっと落胆する。だからこそ二度とこの様な事を繰り返さない様にする為に俺はやらなくてはならない、たとえ自分が捕まろうともだ。お雪が悲しむ事を想像するだけで胸が張り裂けそうになる。あいつにはいつも笑っていて欲しい、俺に向かって無邪気に悪態をついていて欲しい。そう思えば思うほど俺は雪乃屋への盗みを固く決心し、その勢いのままに長屋への帰り道の途中で小町が働く茶屋に立ち寄った。
「なんだよ、あんたまた来たのかい。まあ客が引けて、ひと段落したところだし通りから見えない場所なら、座ってもいいよ」
「悪ぃな。小町は?」
「今、呼んできてやるよ。まったくあんたの妹病は困ったもんだね」
「俺もそう思う」
「へ?」
「この間の一件で考えさせられた・・・なあ、お優美、小町をここで住み込みにさせてやってくれないか。そうすれば途中で悪さをしようって奴らにも出くわさないで済むだろ」
「・・・どうしたんだい?あんたがそんな事を言うなんて。明日は赤い雪が降るね」
「まあ、前から考えてはいた事だ。いつまでも一緒に暮らすと言う訳にもいかないだろ。今回の件は良いきっかけのような気がしてな」
「きっかけね・・・まあ小町がそれを望んであんたも止めないってんなら、私は別にかまわないよ」
「ありがとうな、お優美」
「しかし小町がうんというかね。あいつの兄病も相当なもんだからね」
「だからこそきっかけが必要なんだ。この機会に話をすれば小町もその気になるんじゃないか」
「そうかもしれないね、どうするあーしから小町に話そうか?」
「いや、今夜にでも俺から話してみるよ」
「わかった。まあ、あんまりごり押ししない様にしなよ。小町を泣かせたら許さないからね」
「お前は本当に良い肝っ玉母ちゃんになりそうだな。隼人にも言っておくよ、あいつは良い女房になるぞって」
「ば、馬鹿な事言ってんじゃないよ。小町呼んでくるから」
お優美が隼人抜きで照れる姿なんて珍しい物を見たな。それこそ明日は赤い雪が降りそうだ。お優美が小町を呼びに店の奥に引っ込んでから間を置かずに小町が茶を持って俺の所にやってきた。
「お兄ちゃん、お優美さんに何を言ったの?顔がまっかっかだったよ」
「隼人との事を冷やかしたのさ。あそこまでてれるとは思わなかった」
「へー、あれだけ自分から愛想ふりまいてるのに冷やかされると、あんな風になっちゃうんだ。結構可愛い所あるんだな」
「どうだ、変な客が来てたりしないか?」
「大丈夫だよ。お優美さんも目を吊り上げて客を見張ってるからね。お客さんが逃げちゃいそうで逆に心配になるくらいだよ」
「なら安心だな。あいつなら下手な役人より上手く見張るぞ」
「本当だよね、それだけに隼人さんが来た時の様子がおかしくってさ。あんまり露骨に態度が変わっちゃうから今まで冷やかした事無かったんだけど今度隼人さんが来たら私も冷やかしてみようっと」
「まあ、ほどほどにな。なんだかんだで世話になってるんだから」
「わかってるよ。その辺の匙加減はお兄ちゃんよりも小町の方が上手だから」
「そうだな」
俺は話を区切る様に小町が運んできて茶を一気にあおり店を出て長屋に戻ると、俺の部屋の前に隼人と材木が立っていた。
「・・・入れよ」
「八、お主本当に今夜やるつもりなのか?」
「くどいぞ、昨日からそう言ってんだろ」
「どうやって雪乃屋に忍び込むつもりだ?」
「どうやってって、まあ塀を超えて庭からってところかな」
「なんと!その様ないい加減な方法しか考えておらんのか!?そんな事では雪乃屋には忍び込めんぞ」
「全くだ、やはり止めた方がいいのではないか。お前は雪乃屋の事を知らな過ぎる」
「別に用心棒を雇ってる訳でもないし、ただ広いだけだろ。だったら下調べなんて無くたってどうとでもなる」
「あれほどの大店が何も泥棒よけをしていないと本気で思っているのか?」
「我の見た所ではまずあの高い板塀、あれが最初に関門になる」
「お前ら・・・雪乃屋に行って来たのか?」
隼人と材木は無言で頷くと座敷に上がり込み俺の目の前に大きな紙を広げた。
「なんだ?ひょっとして雪乃屋の見取り図か」
「ああ、俺が昔、家の用事で何度か行った事があったからな。ただこの図面は俺の記憶で書いたものであって今のこうだとは限らなし、随分昔の事だから絶対正しいと言い切れないがな」
「隼人・・・しかし、本当に広いな。さすがに横路地一片を貫くだけの事はある」
「うむ!広さだけでいえば代官屋敷などにもひけは取るまい。しかしある意味、代官屋敷に忍び込む以上に困難な造りだぞ」
「どういう事だ?」
「さっき言った通りの事!あの高い板塀は代官屋敷の白壁以上の高さだ。しかも店の周りをぐるりと一周回ってきたが壁沿いに防火桶や灯篭などが一切なく、全て向かいの壁に据え付けてあったのだ」
「壁を昇る為の足がかりになる物を一切置いてないのか!?」
「そのとぉーり!置いてあったとしても向かいの壁沿いだから雪乃屋の板塀を乗り越える為の足がかりにはならないのだ」
「しかも雪乃屋の横路地と裏路地は路地にしては道幅があり隣の塀から飛び移るのも難しいときてる」
「なるほど。用心棒なんて物騒な奴がいない分泥棒よけをしっかししてある訳か」
「それだけではないんだ。俺は昔、雪乃屋の庭に入って事があるのだが植え込みのに隠れる様に鳴子(=木の板に数本の木片をぶら下げて吊るした物)が仕掛けてあったんだ。昼間だから見つける事が出来たが真っ黒に塗ってある鳴子で夜に知らずに忍びこめば間違いなく引っ掛かる」
「そんな物まであるのか?それじゃあ床下なんかも・・・」
「鳴子が仕掛けてあると考えて間違いないだろう、それに雪乃屋の廊下はウグイス張りにしてあって歩くと人の重みで音がする様に出来ている」
「拙者も隼人から話を聞いた時は怖気づいたぞ。これは呉服屋などでは無く要塞だ」
「八、雪乃屋の主人は人当たりの良い商人だが、優しいだけの男ではないぞ。商売に慎重で危険は避けて通り、危険を冒すのであれば相応の準備をしてかかる油断ならない男だ」
「これほどの泥棒よけ、いや間者よけと言った方がいいか・・・主人の商売に対する姿勢がうかがえるな。伊達に大店を名乗って無いな」
「これだけじゃない、お前も入った事がある勝手口だが、あの勝手口は横路地を貫く板塀の丁度真ん中に作ってあって、どちらに逃げても道角にたどり着くまで同じだけ時間がかかる様になってるんだ。それと植え込みに隠れて見えないが裏口もあり、これも同様に板塀の真ん中に配置してある」
「すなわち勝手口から逃げたのなら、表口と裏口から追いかけて挟み撃ちに出来る様にしてあるのだ」
「おいおい、本当に呉服屋か?」
「ただ、この裏口が盲点となる。裏口から逃げれば勝手口がある方からはすぐに追手が来るだろうが反対側なら表口から横路地を通って追いかけてくるから、少し余分に時間がかかるのだ」
「なるほど」
「更に裏口から店の裏の町に逃げ込むのは比較的容易だ。裏口を出て勝手口の反対側に逃げて最初の角を左に折れればごちゃごちゃとした家々や長屋があり紛れこめる様な路地も沢山ある。逃げ道はこれしかないぞ八」
「なら忍びこむのも裏口からだな。裏口から入って鍵を壊しておけば逃走路は確保できるな」
「しかし、それ以前の問題としてどうやってあの高い板塀を超えるつもりだ」
「かぎ付きの縄(=壁などに引っ掛ける為の金具が先端についた縄)でも使うか?」
「駄目だ、あれは結構大きな音がするものだからな。忍び込むには向いてない」
「う~む・・・いっそ梯子でも使うか」
「確かにそれは楽だが・・・忍び込んだ後に梯子が残っちまうだろ。それじゃあここに泥棒がいますよって宣伝してる様なもんだ」
「忍び込んだ後に梯子の回収が必要だな」
「夜中に梯子を持ってうろつくのは、まずいだろう」
「いや、別に長屋まで持って帰る必要はねえだろ。雪乃屋の近所のどっか目立たない場所に横にしておいておけばいいだけだ」
「わかった、梯子の回収は俺がやろう」
「では、八がはしごで板塀を超えたら隼人がはしごを回収して近所の目立たない所に梯子を捨ててくると言う事で、お主は隼人がはしごを捨てて長屋への帰路に着くまでの少しの間、植え込みの陰に隠れていろ。泥棒騒ぎが起こった時に近く梯子をもった人間がいたら真っ先に疑われてしまうからな」
「だったら俺は隼人がそうする間、裏口の鍵を壊しておく」
「よかろう!これで侵入と脱出の目処は付いた。しかし肝心の千両箱はどこにあるのだ?見取り図を見る限り蔵は三つあり、どれであるかはわからんぞ」
「屋敷に一番近い蔵だ。用心深い主人の事だ大事なものは一番近くに置いておくだろうからな」
「そいつは同感だ。お宝って言うのは身近に置いて、そのありがたさを堪能する物だ。好きこのんで寝床から一番遠い所になんかしまわねえよ」
「なるほどな・・・いいだろう。屋敷に一番近い蔵だけを狙え!もし外れだったら鍵を元に戻して撤退だ。蔵三つを探すのは時間がかかり過ぎて、あまりに危険過ぎる」
「・・・わかった。元々一人でやるつもりだったのに、ここまで世話を焼いてもらったんだ言う通りにする」
「そうしてくれ、俺達は本当なら縛り上げてでも行かせたくないのだが、それでは根本てな解決にならないと思って、この方法を選んだんだ。決して無茶はするなよ」
「左様!お主をひっ捕らえさせる為に協力したのではないからな。くれぐれも軽率な行動は控えるのだぞ」
「わかったって言ってるだろ。そう心配するな」
「何時にやるんだ?」
「丑の刻(=午前二時から三時ごろ)、いつも通りだ」
隼人と材木は仮眠をとる為に自分の部屋に戻った。俺は二人が置いて行ってくれた図面を頭に叩き込む為に図面とにらめっこをしていた。この仕事は必ず成功させる。お雪の今を守る為に必ずやり遂げて見せる。雪乃屋の主人が無茶をして雪乃屋が財産刑でも食らおうものなら今のお雪の生活が全て壊れてしまう。それどころか親父のした事を知って家族が崩壊するかもしれない。親が無い辛さは俺が誰よりも知っている。お雪にそんな思いは絶対させない。そう固く心に誓いながら図面を眺めていた。
「ただいま~、あ~疲れた」
「よ、ようっ!小町おかえり」
「どうしたの慌てちゃって・・・何か小町に言えない様な事でも企んでるの?」
わが妹ながら、なんという勘の良さ。呆れて無言でいると
「なにしてんのか知らないけど、あんまり秘密が増えるようならお雪さんとお結衣さんとお沙希さんに力を貸してもらって全部白状させちゃうからね」
「なんだよ、そのおっかない面子の取り調べ、生きた心地がしねえな」
「だったら小町に内緒の事は無しにしてね。で、何があったの?」
「あ、ああ、小町・・・お前さお優美の所に厄介になる気はないか?」
「いきなり、どうしたの?」
「いや、この間の一件でな・・・住み込みにすれば、ああいう事態は避けられたんじゃないかって思ってな」
「確かに、その通りだけど、今は駄目」
「なんで?」
「お兄ちゃんが嫁取りするまでは小町がお兄ちゃんの面倒を見なくちゃいけないから」
「まだ、それ言ってんのか。俺はお前が身を固めるまで所帯を持つ気はないぞ」
「それはお兄ちゃんだけでしょ。お雪さん、お結衣さん、お沙希さん、三人ともすぐにだってお兄ちゃんと所帯持ってくれるつもりあると思うよ。特にお雪さんなんかすっごくそう言う感じがするもん。断然、突出してそう感じちゃう」
「そんな訳あるか、あんな大店の娘が長屋暮らしの男と所帯持ちたがる訳がないだろ」
「いや~、無い話じゃないと思うよ。私も最初はそう思ってたんだけどさ、お雪さんって二女でしょ、お姉さんが婿を取ってお店継いじゃうだろうから案外、相手は誰でも良いって感じになるんじゃないかな」
「・・・そっか、お陽の婿が店を継ぐ・・・なるほど有りそうな話だ」
「でしょ!だったら問題ないじゃん」
「その部分だけな。他は問題だらけじゃねえか」
「そんな事無いよ。愛さえあれば貧乏だって怖くないよ」
「・・・小町、お前それ本気でいってるのか?」
「あ・・・ごめん、ちょっと調子に乗った。けど一番大切なのは気持ちでしょ。それは十分な位あるじゃん」
「一緒に町を歩く程度なら、それでもいいかもしれないが所帯を持つとなると、そうもいかないだろ」
「けど、こういうのって勢いが大事だってお店のお客さんも言ってるよ」
「それほどの勢いは感じないけどな」
「だから、それはお兄ちゃんだけだって。ねえ、ちゃんと考えてみてよ」
「だったら・・・俺に一人暮らしをさせろ。そうしたら女を連れ込むかもしれないぞ」
「う!そう来たか・・・これは想定して無かったな」
「だから茶屋に住み込みする件、考えておけよ」
「・・・」
「それと今日、夜回りの仕事あるから夜出かけるぞ」
「うん、わかった」
― 夜九ッ(=午前零時頃) 総武長屋 ―
俺は夜周りの支度と称して、風呂敷に入れた黒装束をもって隼人の部屋に行く。俺の気配を察しただけで隼人は戸を開け俺の中への招き入れた。沈痛な面持ちでこの仕事に乗り気でない事を露わにしていた。俺はその事に気付きながらも何も言わず座敷に上がり黒装束に着替えると
「そんな顔するなって」
「しかし、急ぎ過ぎではないのか。今からでも止める気になってくれないか」
「・・・心配かけてすまん。まあ万が一の時は小町の事をお優美に頼んでくれ」
「そんな頼みは聞けん!八、お前はこの仕事を失敗前提で話をし過ぎだ」
「そうか、そんなつもりはないんだけどな」
「なにを考えているんだ?今までとは明らかに違う。“ぼらんてぃーあ”でなし、世間に恨みを晴らすでなし、私利私欲に走るでなし、何を欲しているんだ」
「まあ色々だ。やっぱり平塚屋で見た雪乃屋の主人の正体が許せない気持ちが一番だがずる賢く金を儲ける奴が許せないとか、“ぼらんてぃーあ”の事も少しは考えてるぞ」
「まあ今までの標的は狙いを付けた時点ではお前が悪さを目の当たりにして無かったからな」
「じゃあ、俺は先に出るぞ。夜八ツ(=午前二時ごろ)に雪乃屋の裏で会おう」
「わかった。八、仕事を成功させる事だけを考えろ、それ以外は考えるな」
「わかった、わかった」
先に長屋を出て黒装束で細い路地を歩き大通りを渡り路地を歩いて、雪乃屋近くに到着すると俺はとある長屋の屋根に上り人目をやり過ごす。屋根に上がると月明かりが一層眩しく見え、雲ひとつない夜の空が視界全体を覆い俺は屋根に仰向けに寝転がって覚悟を決める。俺はお雪の家とお雪を守ってみせる。奉行所の連中は小町が着ていた着物の出所を探し始めて、いずれ雪乃屋にたどり着くだろう。もちろんそこで雪乃屋の主人が自分のした事を白状するとは思えないが平塚屋の人の出入りについて調べられたら詮議が一気に雪乃屋の主人に向かうだろう。それ以上に明日、平塚屋のお静の刑を決める奉行の裁きがある。この取り調べの時に奉行が着物の入手先にまで興味を示しお静に喋らせようとすれば、やはり雪乃屋の主人に詮議が及ぶ事は間違いない。人売りなどの加担した店が財産刑として身代全てを取り上げられるなんて話は珍しくない。それに加えてあの家族、世間知らずの母親と二女、少しは物を知っているけどやはりどこか箱入りお嬢様気質の長女・・・到底そんな逆境を乗り越えて家族で暮らしていけるとは思えない。だったらどうすればお雪とその家族を守れるか?それは、お雪の親父に二度とこのような出来心を起こさせないようにする事に併せて、奉行所の人手や興味を平塚屋意外に向ける必要がある。それにはどうすればいいか・・・俺にはたった一つだが方法がある。
それは明日の奉行の詮議が始まる前に平塚屋以上の騒動を起こす事。江戸を騒がす怪盗“のろい”が捕まったとあれば奉行所は平塚屋のお静の詮議を程々で止めてしまいその罪状だけで刑を決める事になる。もとより誘拐は死罪、人売りは重追放、今さら刑が軽くなる要素など無いのだ。だから奉行自らの詮議など無しで極めて事務的に刑を決定出来るはずだ。そうすれば小町の着物の入手先の調査やお静の聞き取りなどが行われなくなり、雪乃屋への詮議が打ち切りに、いや詮議が始まらずに事を済ます事が出来る。その為にもお静の詮議が始まる前、すなわち今夜しかその行動を起こさなければならない。だから俺はこの仕事を急いだのだ。失敗すれば奉行所に突き出され、成功しても奉行所に自首すればいい。俺は確実に平塚屋の詮議を省略出来る方法を持っている。無論これは俺の人生が台無しになってしまう方法だが、俺みたいな男の一匹や二匹いなくなった所でどうなるもんじゃない。小町は自立できる年になってる、そして・・・お雪にはもっとふさわしい男が現れるはずだ。俺さえ我慢すれば全てが上手く行く。そう考え、覚悟を決めた。そんな考え事をしている内に時刻も頃合いとなり、屋根を降りて雪乃屋の裏路地へ向かう。すると裏路地には梯子をもった隼人と何故か材木の姿があった。
「どうしたんだ?二人連れ立って」
「いや、何か嫌な予感がしてな・・・念押しに来たのだ。八、絶対無茶をするなよ」
「材木、どうしたんだ気持ち悪い。いつものお前らしくないぞ」
「う、うむ。何故か今夜はそういう気分にさせられる・・・不安が押し寄せてくるのを否定できなくてな」
「材木、仕事前にそういう事を言うな・・・しかし、無茶をするな!これは同意見だ」
「二人とも考え過ぎだ。じゃあ行ってくる。長屋で待っててくれ」
「八、待て。これを持って行け」
「これは小田原提灯(=伸び縮みする携帯用提灯)と竹筒に入った火縄」
「今回は蔵で探し物をしなくてはならないからな」
「そうだな、気が付かなかったぜ」
「じゃあ、必ず帰ってこいよ」
「当たり前の事を言うな」
俺は二人との“最後の会話”を終えると俺は梯子をのぼり、板塀を超えると音も無く地面に降り立ち裏口の鍵を壊し、押すだけで開く様にしておき、その場に待機した。月明かりが明るいせいで隼人が言っていた鳴子が仕掛けてある場所がよく見える。ご丁寧に鳴子をぶら下げてる紐まで黒く塗ってありやがる。逃げる時の為に鳴子がぶら下がる紐を全て切断し裏口から屋敷前にある蔵までは鳴子が無い事を確認し、再び裏口前の植え込みに隠れた。
どれほど時が経ったのだろう、俺は静かに動き出し屋敷前の蔵に張り付く。蔵の戸はありふれた南京錠が二つ掛けられていたが俺にかかれば瞬く間に解錠できる。開けた鍵は戸にぶら下げておいてちょっと見には鍵がかかったままである様に見せかけながら蔵に入り、戸を閉める。案の定蔵の中は真っ暗で明り取りの窓すら無い。そこで材木が持たせてくれた小田原提灯を伸ばして竹筒の中の火縄で火をつける。優しい明りが灯った蔵の中はなんとも不気味であり一種独特の雰囲気がある。俺は蔵の中にも鳴子やそれに類する仕掛けがあるかもしれないと思い、慎重に床を見つめつつ蔵を物色した。さすがは大店・雪乃屋の蔵だけあって何やら高価そうな壺やら巻物がしまってあり物がとにかく多い。しかし反物が全く見当たらず、どうやら商品をしまっておく為の蔵で無い事は推測がついた。どれほどの時間が経ったのか解かり辛い暗く空気が動かない蔵の中で俺はやっとお目当ての千両箱を見つけた。その数ざっと五十。盗人として金を貯め込んだ蔵に入り先日、平塚屋でも千両箱が積んであるのを何度も見た事があるが、これ程の数を見たのは初めてだった。
「さすが雪乃屋・・・娘の小遣いに一分やる訳だぜ」
一番上の千両箱を開けて中身を確認する。たちの悪い商売をしている連中はたまに千両箱に同じ重さの石ころを詰め込んで取引に使ったりする。決死の思い出忍び込んで盗んだのが石ころでしたでは残念過ぎる。だから俺は盗む時に千両箱の中身を確認する。さらに千両箱の金具が馬鹿になって無いかを確認。これは海産問屋に忍び込んだ時、小判をこぼした経験から必ずする様にした事だ。もっとも、そのおかげで随分良い思いをさせてもらったが。俺は中身も金具も問題が無い事を確認し終わると提灯の火を消して千両箱を持ち上げようとしたその時、蔵の中に別な明かりがさし込み女の声・・・いや間違いない、お雪の声がした。
「誰かいるの?いるのなら返事をして、鍵をかけてしまうわよ」
なんで?何でこんな時間にお雪が蔵に来たんだ?俺はとっさに物陰に隠れ様子をうかがう。入口付近から明りが差し足音がする。短い間隔でかすかな床を擦る様な音がしてその歩幅が小さく足元を探りながら歩いているのがわかる。少しずつこちらに近づいてくるので俺は物陰をつたいながらお雪から離れる様に移動し、更に様子をうかがう。
「誰かいるのでしょう!?こんな時間に鍵を開けて何を探しているの?」
どうする・・・お雪が蔵の奥に来たのを見計らって俺が蔵を出て逃げ帰るか!?いや、駄目だ。俺は今日必ず千両箱を盗み出さないとならない。もし俺が手ぶらで奉行所に自首したとしても役人はロクに相手をしてくれないだろう。それでは平塚屋のお静の詮議が執り行われてしまう。俺が怪盗“のろい”である事を証明する為には千両箱をしょって奉行所に行かなくてはならない。そんな事を考えているとお雪は蔵の奥に行くのを止めて入口へと引き返していく。探しても誰もいないと思って帰って行くのか!?するとお雪は入口で振り返り
「まさか・・・八幡なの!?」
つぶやく様な小さな声だったが暗く静かな蔵の中ではその言葉は鮮明に耳に届いた。なぜ俺だと思うんだ。俺の事なんか思い出すな、俺の事なんか考えるな、俺の事なんか忘れてくれ。心の中で叫びながらお雪が立ち去るのを待つ。
「もし、そうなら出てきて。大きな声を出したり、人を呼んだりしないから。お願い」
「・・・」
「・・・誰?」
お雪は蔵の奥に届く様に手に持った提灯を手前に差し出す様にかざし、
「・・・八幡」
「・・・お雪」
お雪は驚いた顔をしながら蔵の奥にやってきた。
「なぜ?なぜ私の家なの?」
「・・・」
「答えて」
「・・・」
「お父さんが私の知らない事をしているの?・・・まさか平塚屋の着物・・・」
「お雪、俺は盗人だ。金の為なら金のある所に忍び込むのは当たり前だ」
「なにを言っているの。あなたのしている事は“ぼらんてぃーあ”なのでしょ。あんなに沢山の家々に、大勢の貧しい人にお金を配ってあげてたじゃない」
「たまには自分の為に稼ぎたくなってな。頼む、見逃してくれ」
「・・・そんな・・・そんな事出来る訳ないでしょ!」
「なら、力づくで奪うだけだ」
「待って!話を・・・事情を聞かせて」
俺はお雪を目の前にしながら先程中身と留め金を確認した千両箱を持ち上げ、肩にしょった。お雪が両手を広げて俺のゆく手を遮ろうとするが俺は力任せにお雪を脇にどかし入口を目指そうとする。しかし、お雪が通路わきに積んである荷物にぶつかると、その上にある大きな壺が
ふらつき今にもお雪の頭の上に落ちようとしていた。俺は千両箱をしょったまま大急ぎでお雪の所に戻り抱きしめる様に俺の方へと引き寄せた。
ガッシャーーーーン!
お雪にぶつかる事無く床に落ちた壺は大きな音と共に砕け散った。しかし、その音が蔵の外にも響いてしまったのは明らかで俺は大急ぎでお雪を抱いたまま蔵の外に出た。表に出ると屋敷の雨戸が一枚だけ開いていた。
「なんで、こんな夜更けに起きてたんだ?」
「浴衣を縫っていたのよ、八幡が平塚屋で着物を駄目にしたと聞いたから一生懸命縫っていたのよ。一日でも早くあなたに渡せる様にと寝る間も惜しんで縫っていたのよ。なのに・・・あなたは・・・」
「・・・だったらなんで?なんで部屋にいなかったんだ」
「灯篭の明かりだけで縫物をしてて目が疲れたから窓を開けて月を見ていたの。そうしたら蔵の方から物音がしたから」
「馬鹿野郎。なんでこんな時に・・・」
「八幡、千両箱を置いて逃げて。今ならまだ間に合うわ」
「駄目だ!それは出来ない」
「そんなにお金が欲しいの!?」
「っ!・・・そうだよ!金さ、金が欲しいんだよ!」
「・・・八幡」
お雪は信じられない物を見ている様な顔をして俺を見つめる。俺はそんなお雪の視線に耐えられず目を逸らす。なにか言い返さないと!と思っていた時
「誰だ?お雪!?貴様、私の娘に何をする」
唯一開いている雨戸から雪乃屋の主人、お雪の親父が身を乗り出しながら俺に向かって言葉を吐いた。俺はお雪の背後に回り、後ろからお雪の首に手をかけ
「動くな!動けば娘の命はないぞ」
「くっ!お雪、決して動くんじゃないぞ」
「はちま・・・」
お雪が俺の名を呼ぼうとした瞬間、俺は大急ぎで首にかけていた手をお雪の口にあてがいお雪の口を塞ぐ。ここで俺の名前を呼ばせる訳にはいかないからな。俺はうつむき加減で縁側に立つ雪乃屋の主人に向かってこう言った。
「お前こそ動くな。下手に動けば俺の目で呪い殺すぞ。お前も噂くらいは聞いているだろ。見るだけで相手を呪い殺す怪盗“のろい”の事を」
「の、のろいだと・・・」
俺の呼び名を呼んだ雪乃屋の主人は目を強くつぶり顔を背けた。
「そうだ。俺を見るな。見ればお前と娘がタダでは済まないぞ」
「か、金が欲しいのか?だったらくれてやる。だから娘だけは、娘だけは助けてくれ」
「・・・何を偉そうに」
「なに?」
「お前がそれほど娘を・・・家族を大事にしてるとは思えないな」
「そんな事はない。私にとって家族は代わりの無い一番大切な物だ。盗人風情がなめた事を言うな」
「だったら・・・だったら何故、あんな事をした?」
「あんな事?」
「?」
「あの晩、平塚屋に役人が踏み込んだ晩。俺は平塚屋のお静がしていた事を全て見た。お静が誰と何をして、何を話したか・・・全部見て聞いたんだ」
「!」
雪乃屋の主人は今までにない程に険しい顔をして俺をにらみつける。お雪は父親の様子が変わった事に気付き、俺に口を塞がれたままの状態で抵抗もせずに様子を見ていた。
「お、お前。お前は・・・あれを見たのか?」
「ああ、見たとも。見たからこそ言ってるんだ。あんな事をする奴が家族が大事だ?笑わせるなっ!」
俺の指摘で雪乃屋の主人ががくがくと震え始めた。
「お前は一体何を望んでるんだ?温かい家族か?豊かに暮らせる金か?人様から褒めてもらえる店か?」
「・・・」
「それを望んでも手に入らない奴の事なんて考えた事も無いんだろ。家族はおろかどんなに親が恋しくても親に捨てられる子供、明日食う物も買えず飢えて死にそうな奴、幼いのに自分の食い扶ちの心配をしないといけない子供、大店でなくても丹精込めて店を育ててる店主、そんな人達がいる事をお前は考えた事があるのか」
「そ、それは・・・」
「それだけの物を持っていながら何故、あんな店に商売の手を伸ばしたんだ。世間に知られれば店も金も・・・そして家族も全て失う事になると言うのになんであんな事をしたんだっ!」
俺は心の底にある本音をお雪の前で父親に叩きつけた。全て俺の中に収めて事を済ませるつもりだったのに、俺は全てを叩きつけてしまった。お雪の父親はその場で崩れる様に膝をつき顔を伏せうなだれていた。俺に口を塞がれているお雪は動きもせずに自分の口を塞いでいる腕を優しく握ってくれいた。
「いいか、この千両箱はその報いとして俺が貰っていく。これを機に生まれ変わったつもりで生きるんだ。家族の為に危ない橋を渡る様な真似は今後に絶対するな。それを約束出来るなら俺はこのまま消えてやる。娘も返してやる」
雪乃屋の主人は力無くうなづいた。俺はお雪の口を押さえたまま後ろ足で裏口に向かい裏口に到着するとお雪を前に突き飛ばす様にして裏口から飛び出した。材木と隼人が調べてくれた通りに裏口を出ると勝手口の反対側に走り出し最初の曲がり角を左の折れる。すると大きな建物が無くなり小さな家々や長屋があらわれ始め俺は目についた防火桶を足場に長屋の屋根に上り、一息付いた。空を見れば東の空が明るくなり始め、それほど時間もかからずに町中が陽の光にさらされるだろう。そして、それに合わせる様に俺の今まで重ねてきた悪事もさらされる事となる。ひょっとしたらこの空を見るのはこれが最後なのかもしれないと思い、まばたきするのも忘れて空を見続けた。徐々に明るくなってきて一番鶏が鳴いた頃雪乃屋の方から大きな声がする。どうやら奉行所の連中が来た様だ。俺はゆっくりを起き上がり千両箱を持って屋根を降りて、路地を抜け・・・黒装束のまま、頬っ被りをしたまま奉行所に向かった。
八幡が私を突き飛ばして裏口から出て行った後、私はゆっくり力無く座り込んでいるお父さんの所に行った。
「お父さん・・・もう“のろい”は出て行ったわ」
お父さんは夢から覚めた様な顔をして私を見つめ、そのまま泣き出してしまった。
「お父さん、一体何があったの?ひょっとして・・・平塚屋に着物を売っていたの!?」
お父さんは涙をぬぐう事もなく力無くうなづいた。私はこの時、初めてなぜ八幡が家に盗みに入ったのかを考えた。八幡は平塚屋でお父さんとお静と言う人が商売の話をしていたのを目撃し、だから雪乃屋も悪事に加担した店、言わば法の網の目を潜り抜けて金儲けをする店だと判断して“ぼらんてぃーあ”の標的になりえた。ならばなぜ八幡は私利私欲に走った様な発言をしたのか?それは、きっとお父さんが標的に相応しい行動をしてしまったからに違いない。すなわち誘拐された娘達に着せる為の着物と知りながら平塚屋に着物を売っていたからだろう。それを私に悟らせない為に八幡が悪役になってくれた。じゃなければお父さんに向かって“生まれ変わったつもりで”とか“危ない橋を渡る様な真似は絶対するな”なんて事は言わないはずだ。
「お父さん。お父さんが平塚屋に着物を売ったのは平塚屋のお静と言う人に頼まれたから売っただけで誰が着るとか、何の為に使うとかは一切知らなかったのよね?」
私の問いにお父さんは目を逸らすが私は続けて、
「きっとそうなのでしょ。お父さんが悪い事に利用されると知りながら着物を売ったりするはずがないわ」
お父さんは逸らした目を元に戻し、私に向かって何か言おうとしたが私が強引に遮り
「いい!お父さんは悪用されると知らずに着物を売ったの。誰に聞かれてもそう答えて。絶対にそれ以外の事は言わないでね。私もこれ以上この事は口にしないから」
再び力無くうな垂れ何も喋らなくなったお父さん。私は八幡の行動を無駄にしない為にその足で近くの番屋に行って怪盗“のろい”が出た事を告げ岡っ引きや同心の方達と一緒に店に戻ってきた。最初にやってきた数人のお役人様に加え、後から後から人がどんどんやってくる。その騒ぎのせいでお母さんと姉さんが起きて来て、何事かと聞いてきた。私は怪盗“のろい”が家の店を襲った事をお母さんに話すと姉さんだけを連れて私の部屋に行った。
「お雪ちゃん、八っつぁんが家の店を襲ったって本当なの!?」
「ええ。はっきり顔を見たわ」
「なんで?なんで八っつぁんが家の店を襲うの」
「どうやらお父さんが・・・平塚屋に悪用されると知っていながら着物を売ったしまったみたいなの。 それを八幡が知ってしまったから、うちの店が標的になってしまったのよ」
「お父さんが!?それは本当なの」
「たぶん間違いないわ。はっきり聞いた訳ではないけど八幡の行動や発言、それにお父さん自身の態度、そうとしか思えないわ」
「もし、それが本当で、その事が奉行所にばれたら身代を取り上げられちゃうかもね」
「八幡はそれをばらしたりしないわ。さっき・・・八幡が私を人質にする振りしてお父さんのした事を攻めたのよ。けどその内容ははっきり言わず私に内容を知られない様に気を使ってくれていたわ」
「なるほどね。ばらす気満々ならお雪ちゃんにだって聞かせちゃうだろうしね」
「ええ、ここ数日、八幡と会った時にそんな事を言われもしなかったし、その事で脅されたりもしなかったわ。きっと言うに言えなくて辛かったのだと思う」
「で、どうするの?」
「お父さんには着物を悪用されるとは知らなかったと言いはる様に言い含めて置いたわ。だから奉行所の人達を呼んで事件にしたの。あくまで雪乃屋は被害者と言う事にしてお父さんのした事を八幡の起こした事件の陰に埋めてしまうつもりよ」
「わかった。この件はお雪ちゃんの言う通りにしてあげる・・・ただ、これから八っつぁんとどう付き合っていくつもり?」
「わからないわ。それは今日、会って話を聞いてから決めるつもりよ」
姉さんは無言で頷くと私の手を引いて奉行所の人達がいる所に行き、私の案に乗った風に振る舞ってくれた。大勢の奉行所の人達が裏口、庭、そして蔵などを検分し私やお父さんに事件のあらましを聞いてきた。むろんお父さんは私に言われた事を前提に怪盗“のろい”の事を話し、私はただ怖かったとだけ言ってお役人様の質問を受け流した。そうやって奉行所の人達の検分が済んだのが朝四ッ(=午前十時ごろ)お父さんは疲れ果てながらも番頭さんなどに店を開ける様に指示をして自分自身も身なりを整え直して店に出て行った。私は大急ぎで総武長屋を目指す。大通りを進みいつもの四つ辻を曲がろうとした時、角に瓦版屋が出ていた。家の店が襲われた事を書くには少々早過ぎるのではないか?と疑問に思い近寄ってみると瓦版屋さんは
「さあさあ、あの怪盗“のろい”がついにひっ捕らえられたよ。しかも明け方に自分から奉行所に自首してきたそうだ。詳しい事はこの瓦版に書いてあるよ!」
!・・・私は聞き間違いではないかと思い慌てて瓦版を買い内容を確認すると怪盗“のろい”が明け方、奉行所に黒装束と頬っ被りをしたまま千両箱をしょって自首してきたと書いてある。さらに怪盗“のろい”は忍び込んだ所を用心棒などではなく家の物に簡単に見つかってしまった事から自分の仕事に嫌気がさし自首をしたと書いてある。私は何が何だかわからないまま瓦版を握りしめ総武長屋を目指した。長屋では住人のみんなが外に出て八幡が戻らない事を心配していた。特に妹の小町さんの心配ぶりは可哀そうになるほどで手に持っている瓦版を隠してしまいそうになった。
「おお、お雪・・・八、八を見なかったか?」
「あ、お雪さん。お兄ちゃんが夜周りから帰ってこないんです。何か知りませんか?」
どうやら長屋の人達は八幡が奉行所に自首した事を知らない様だった。私はどうしたものかと思案はしたが意を決して瓦版を材木さんに見せた。
「なんだとっ!」
「どうした材木?その瓦版に何が書いてあるんだ」
「は・・・のろいが奉行所に自首したと書いてある」
「なんだと!?」
唖然として瓦版を持ったまま動かなくなってしまった材木さんから隼人さんが瓦版を取り上げ内容を確認する。すると周りにいた小町さんやお姫菜さん、お沙希さんも瓦版を覗き込む。
「なぜ・・・なぜ自首など・・・」
「怪盗“のろい”が自首!?そんな事があったんだ」
「じゃあ今頃は奉行所は蜂の巣を突いた様な大騒ぎだろうね。下手な芝居本でもこんな風にはならないよ」
「・・・隼人さん、材木さんも、それがどうしたんですか?今はお兄ちゃんの話をしてたんですよ。そんな泥棒の事なんてどうでもいいです」
小町さんの言葉に私、隼人さん、そして材木さんが発する言葉に困る。何と言えばいい?何て言えば小町さんが驚かない様に事実を伝えられるのか、有りもしない言葉を探した。すると材木さんが人形の様に動き出し、小町さんの前に立つ。
「小町よ。よく聞け・・・お前の兄、八幡は・・・八幡こそが怪盗“のろい”なのだ」
「な、なに言ってるんですか?そんな訳ないじゃないですか。変な事言わないで下さい。いつも変ですけど、今の発言は飛びぬけて変でしたよ」
「・・・小町」
「ちょ、ちょっと材木さん・・・本当に変ですよ」
「小町ちゃん、よく聞いてくれ。材木が言っている事は本当の事なんだ」
「隼人さんまで何を言い出すんですか・・・そんな訳ないじゃないですか!」
「小町ちゃん、八の奴が夜周りと言って夜中に出かけた翌日に必ず怪盗“のろい”が出たと瓦版が出てただろ」
「そんなのいちいち確認してませんよ」
「思い出してみるんだ。小町ちゃんが朝起きない八を無理に起こした時、茶屋でお客さんが怪盗“のろい”の話をしたりしてなかったか?」
「お兄ちゃんが起きなかった時のお客さん・・・え!」
「小町よ、お主、八から絶対に開けてはいけないとか触れてはいけないと言われている場所や物はないか?」
「・・・」
「その中を見てみろ。八がお前の為に貯めた金が入っている・・・一分や二分ではないぞ。少なくとも八両は有るはずだ」
「そんなに!」
「八が盗んで来た千両箱から一両か二両をぬいてお主の為に貯めておいたのだ」
「そんな訳ありません。そんなお金があるはずない!」
「だったら心当たりを探してみろ。それこそが八の奴が怪盗“のろい”である証だ」
小町さんは材木さんに言われるまま部屋に入り箪笥の引出しの中にある一つの箱を取り出した。躊躇いながらその箱を開けると中から小判が八枚出てきた。
「どうだ。拙者の申した通りであっただろう」
「こ、これは・・・これはお兄ちゃんが真っ当に稼いだお金に決まっています。絶対そうなんです!」
「小町ちゃん・・・八の仕事で一両単位で稼げる仕事があったか?」
「隼人の言う通りだ。仮に真っ当に稼いだ金だとしたら小判単位で金が入っている訳がない。小銭が沢山入っているはずではないか」
「・・・違う・・・絶対違う。お兄ちゃんが泥棒の訳がない」
「小町さん・・・話を聞いて。昨夜うちに怪盗“のろい”が盗みに入ったの。私は昨夜遅くまで浴衣を縫っていて、泥棒の気配に気付いて蔵に様子を見に行ったの。そこで私は八幡にあったのよ。あれは八幡だった・・・私は蔵の中で八幡と話をしたのよ」
「おい、お雪。それ本当なのか?本当に八の奴だったのかよ」
「ええ、お沙希さん、間違いないわ。私は自分の好きな人を見間違えたりしないわ」
「・・・お雪さん。何でそんなに落ち着いてるの?まるで前から知ってるみたいだよ。まさか、お雪さんも八っつぁんが“のろい”だって知っていたの?」
「・・・知っていたわ。」
この一言がトドメになった様でその場にいたみんなが黙りこみ、気が付いたら小町さんのすすり泣く声だけが聞こえていた。私は何も言えずにいると
「八、一人ではないのだ。八と拙者と隼人の三人で怪盗“のろい”なのだ。隼人が調査、拙者が計画、八が実行と役割分担をして盗みを働いていたのだ」
「じゃあ、なんで三人は長屋なんかで暮らしてんだよ。千両箱盗んで来てんだろ」
「さきさき・・・“のろい”の噂聞いてないの?のろいが出た日から数日の間、あちこちで小判が配られてるって話聞いてるでしょ。あれって、三人でやってたの?」
「そうだ。俺達三人で手分けして金を配って歩いた。俺達は一度につき一両、どんなに多くても五両を懐に入れただけだ」
「じゃあ、ほとんど貧乏人に配っちまった言うのか!?」
「その通り!拙者達は“ぼらんてぃーあ”を行っていたからな。拙者達が好き勝手に使う為に盗んだのではない」
「“ぼらんてぃーあ”って」
「西洋の無償奉仕の事らしいわ」
「まさに無償奉仕だな・・・何の得にもなりゃしないじゃないか。危険を冒して、わずかばかりの金を懐に入れて、他は全部赤の他人に配っちまって・・・その挙句に奉行所に自首。無償どころじゃない・・・まるで世の中の不都合の生贄じゃないか」
「隼人さん・・・なんでお兄ちゃんは自首したんですか?瓦版には仕事に嫌気がさしたと書いてありましたけど、そんなに嫌がりながら泥棒をしていたんですか?」
「それは私にも解からん。確かにこの仕事をする前は様子がおかしかったのだがまさかこんな事を考えていると思わなかった」
「これは私の推測なのだけど八幡は私のお父さんの不正を隠そうとしてくれたのだと思うの」
「どういう事だ、お雪殿?」
「八幡は平塚屋でお父さんとお静と言う人が商談をしていたのを目撃して、本当なら平塚屋と一緒に雪乃屋も身代取り上げになってしまう所なのに八幡が雪乃屋を被害者に仕立て上げて、お父さんの不正をその陰に埋めてしまおうとしたみたいなの」
「・・・そういう事か。そう言えば今日は平塚屋のお静の刑が奉行の裁きで決まる日だ。奉行の詮議があの着物の入手先にまで伸びればお静の奴は自分の罪を軽くする為に洗いざらい話してしまうだろう。しかし、その前夜に江戸を騒がす怪盗“のろい”が捕まれば奉行所はそれどころではない」
「ぷれさいすりー!“のろい”がしてきた事の調書を作るだけでも奉行所は大変な手間である。なにしろ盗みに入った店の数は十を超え、盗んだ金の総額は九千両近い。その上、その金をばらまいているのだから聞き取り調査をするだけでも奉行所全ての人員、いやそれでも足りない程に手間がかかるのは自明の理。まして奉行がその調書に目を通すとなれば平塚屋のわかり切った罪状を白州で裁くなどと言う手間は掛けていられないはずだ」
「お静って奴の詮議が無くなれば雪乃屋への詮議もない・・・けど、八はどうなるんだ。そんな事したって八の奴にはなにも良い事がないじゃないか」
「・・・お兄ちゃんが、そうした理由、なんとなくわかります。親が無い苦労や自分と私の明日の食べる物や寝床の心配をし続けてきたお兄ちゃんがお雪さんがそうなりそうだと知ったら放っておける訳がありません」
「けど、お雪さんはそれで良いけど・・・八っつぁんはどうなるの?そんな大金を盗んだら軽い罪じゃ済まないはずだよ」
「軽い罪では済まない・・・材木さん、隼人さん。八幡はどうなってしまうのですか?」
「むむむ・・・十両未満の盗みを働いたら重敲(=百叩きの刑)と入墨(=前科の証しの入墨を彫られる刑)だが・・・」
「十両どころじゃないだろ、九千両だろ。どうなっちまうんだよ?」
「死罪だ!十両以上の盗みは死罪と決まっている」
死罪!八幡は私の家族と家を守る為に命を投げ出したと言うの・・・私は頭の中が真っ白になり何も考えられなくなってしまった。
「ちょっと待てよ。何であいつ一人が悪者なんだよ。隼人、材木、お前ら八を見殺しにするつもりか」
「そんな訳がないだろう。拙者達は一蓮托生だ、隼人!」
「わかっている。八一人を死なせはしない。今から奉行所に行くぞ」
「待って下さい!二人とも待って・・・」
「小町」
「小町ちゃん」
「お兄ちゃんの気持ちを無視しないで上げて下さい。お兄ちゃんは二人の事、大事な友達だって日頃から言ってました。そんなお兄ちゃんが奉行所に自首したからには全ての罪を一人で被る気です。もし二人が自首なんかしたらお兄ちゃんが死ぬまでの間、悲しみ続けてしまいます。だから二人はお兄ちゃんの分まで生きて下さい」
「しかし小町よ。それでは拙者達の気が済まん!」
「そうだ、俺達にも面目と言う物がある。八一人に全てを背負わすなどと言う事は出来ん」
「だったら・・・生き恥を晒して下さい。死ぬほど辛い位の生き恥を晒しながら生きて下さい。お兄ちゃんならきっと、そこまでしか妥協しません」
小町さんの血の叫びともいうべき嘆願が二人を押し留めた。小町さんは八幡の望みをかなえてあげようとしている。たった一人の家族が死罪になると言うのに何という強さだろう。私はいつの間にか小町さんを抱きしめていた。
「小町さんは強い女性ね。私にはとても真似が出来ないわ」
「お雪さん・・・お雪さん・・・お雪さ・・ん・・・」
小町さんは再び私の胸の中で泣き出した。今度はまるで小さな子供の様に泣き声を上げながら大粒の涙を流していた。私はその涙を見て、とある決心をした。