やはり俺の面白おかしな恋物語はまちがっている。   作:Z-Laugh

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ぼーなすとらっく・やはり五年経っても間違っている。 八丈島編

 長い船旅でしたたかに船酔いし一刻も早く船を降りたいと思っていたが、いざ目的地に着くと、その足はふらつくだけでなく微かに震えてさえいた。俺は一体どんな目に遭わされるのだろうか?無論、良い事など一つたりと浮かんでこない。思い付くのは自分の命が絶える事に繋がる残酷な仕打ちばかり。一緒の船に七人乗ってきた罪人たちも俺と同じ様に不安な顔をしながら役人に指示されるままに下船をしていった。船から陸地に上がる為の貧弱な板っきれの短い橋を渡ると、その降り口で手に書類を持った役人が立っていて俺に声を掛けてきた。

「名を申せ!」

「は、はぁ・・・総武長屋の八幡でございます」

「そうぶながやのはちまん・・・うむ。期間は5年、しっかりと務めるのだぞ」

「・・・はぁ」

 しっかり務めるも何も、罪人として八丈島に流された男に何が務まるというのだ?俺を含めた八人の罪人、いや流人(=るにん)は役人の後ろに着いて歩き島民であろう人間にバラバラに預けられた。俺はこの八丈島の島民であろう浅黒く細身で総髪の男の目の前に立つと役人の手によって俺の手を縛っていた縄が解かれた。束の間の安堵に息を漏らし麻縄で擦れた手首をさすっていると目の前の浅黒い男が

「オメー名前は?」

「八幡です。総武長屋の八幡」

「そっか、八幡ね。なんか縁起の良さそうな名前じゃん。俺はしょうきち、しょうは飛翔の翔、飛ぶヤツな」

「翔吉さんですか」

「そんな堅くなる事ないって、ただの村名主の息子だからさ。八幡は歳いくつよ?」

「数えで十八になります」

「へ~、同じ歳じゃん」

 名主の息子・翔吉という浅黒い痩せた男。言葉の軽さと細身の体とは裏腹に着物の袖や襟元から覗く体は筋肉が隆々として相当に鍛え込んでいる様に見受けられる。多分俺が挑みかかっても全くという程に敵わない相手であろう。翔吉の案内で島の中に入って行くと、それほど時間も掛からずに小さな村に辿り着いた。

「ここが俺の村ね。八幡には俺んちで島の事を学んでもらうから、そのつもりでヨロシク~」

「翔吉さんの家で島の事を教わるのですか」

「さん付けなんかしなくていいって、翔吉って呼んでくれよ。そんな風に呼ばれるとこっちまで緊張しちゃうって」

「はぁ、なら翔吉、俺はお前んちで島の事を教わるのか」

「あれ、お役人から聞いてない!?島に来た流人は最初は村の人間に島の事を教わるんだよ」

「いや、船の中ではそんな話は聞いてないな」

「この八丈島は江戸とは随分違うからね。何も知らない流人を放ったらかしにしておくと、すぐ死んじまうんだよ」

「し、死んじまう!?」

「そ!死んじまう」

「どういう事だよ。もっと詳しく聞かせてくれ」

「それは追々教えてやるよ。さあ、ここが俺んちだ。入って入って」

 軽い口調で流人が死ぬ事を話す翔吉、一体ここはどういう島なのだ?俺は訳が分からないまま翔吉の案内通りに庭まで案内されると翔吉の呼び声で、その父親らしき人が縁側に出てきた。

「親父、流人の八幡を連れて来たぜ」

「うむ、御苦労だったな。さて八幡と言ったな、ワシはこの家の主で村名主の戸部翔左衛門(=とべしょうざえもん)だ。これから三月の間、お前の身柄を預かり島の事を教えてやるから真面目に務めるのだぞ」

「は、はい・・・よろしくお願いします」

「む?何を怯えている。ワシはお前を殺そうなどとは考えておらんから安心せい」

「あ!ひょっとして俺の話にビビっちゃった。ワリィ、流人があんな話程度で

そんなにビビるとは思わなかったんだよ」

「翔吉!お前流人に何を言ったんだ」

「いや、島の事を教わらないとすぐ死んじまうって言っただけだよ」

「ふぅ・・・しょうがない奴だ。八幡、翔吉の言っている事は嘘ではない。しかしそれは人の手によるものではないんだ」

 翔吉の行いに呆れつつも翔左衛門は俺に優しい口調で、そう言ってくれた。

「人の手によらずに死ぬって?」

「自然だよ。この島の暮らしは自然との闘いなんだ」

「ただの温暖な島じゃないんですか」

「いや、ただの温暖な島だ。しかし、ただの島だからこそ稲を育てる場所はほとんどないし食う物が常に不足している」

「なるほど、島だからこその自然条件なんですね」

「そう言う事だ。お前たち流人は私達島民から島の事を教わると家から叩き出され自給自足の生活を強いられる事になる」

「自給自足ですか」

「そうだ。しかし稲や野菜を育てる事が出来る平らな土地は島民が既に開墾し尽くしているから自足もままならん」

「なら流人はどうやって生き伸びるのですか?」

「村の人間の仕事を手伝って糧を得るか、島の自然に分け行って糧を得るかしかない」

「そ、そんな」

「これこそが島流しという償いだ。生きて江戸に戻れる人間は十人に一人と言っていい程の過酷な生活を強いられる」

 なるほど、よく見れば翔左衛門も翔吉同様に筋骨隆々の体をしていて島の自然と闘ってきたであろう事を思わせる。

「これから三月の間、ワシなり翔吉なりに何でも聞け。知っている事は全部教えてやる。ただし、その後の事は知らん。勝手に生き延びろ、それがこの島の決まりだ」

「分かりました。なら、これから三月の間、よろしくお願いします」

そうして俺の島暮らしが始まった。翔左衛門との話が終わると俺は翔吉の案内で家の隣にある掘っ立て小屋に案内された。

「なんだ、このボロ小屋は?」

「そんな言い方ねーじゃん。ここが八幡の寝床だぜ」

「俺はここに寝泊まりするのか」

「まあ江戸から来たなら、この小屋はただのボロ小屋にしか見えないだろうけど三月が過ぎてここから放り出されたら、この小屋が豪邸に見えるぜ」

「なるほど、不服なら自分で修繕しろって事だな。これも島暮らしの為の勉強か」

「そうそう。この島では自分の事は自分でやるのが基本だからさ。こういう小屋で暮らすくらい軽々出来ないと、すぐ死んじまうぜ」

「わかった、やってみる」

「じゃあ、掃除やとりあえずの手入れが済んだら家の方に来て俺に声を掛けてくれよ。それから村や島の案内をしてやっからさ。ああ、あとこの小屋にある物は好きに使っていいから」

 そういうと翔吉は後ろ姿でヒラヒラと手を振りながら小屋から去って行った。では早速、と言いたいところだが朽ちかけた様な小屋に入ると中は当然の様に埃っぽくてカビ臭い。広さにすれば俺が江戸で住んでいた総武長屋の一部屋より少し狭いくらいで、しっかり、かまどまで据え付けてあるのだから一人で暮らす分には問題が無い訳だが手入れをしてないから隅から隅まで汚れて埃まみれだ。掃除をしようにも箒が無い、雑巾が無い。そして小屋の周りを見回してみると井戸すら無い。これで一体どうやって小屋の手入れや掃除をすればいいのだ?とにかく小屋の中の物は好きに使っていいと言われたのだから雑然と散らかっている小屋の中にある物を掃除ついでと思いながら全部外に出してみた。見つかった物は破れたムシロが三枚、長短合わせて麻縄が十本、つるの取れた鉄鍋が一個、それに数本の棒切れがあっただけだった。これで一体何が出来るのだろう?そう考えながら小屋にもたれるとギギィ~と小屋がきしむ音が聞こえ、その上少し小屋自体が傾いた様に感じられた。俺は慌てて小屋から離れると見た目に分かる程に小屋が傾いでしまっている。おいおい、ここまでボロなのかよ。俺は小屋の反対側に回り込んでゆっくりを力を掛けて小屋を真っ直ぐな状態に戻す。こりゃ小屋の修繕が最優先だな。そう思った俺は小屋から出してきた棒きれの中から太くて長い物を四本選んで外から小屋の柱につっかえ棒として据え付けてみた。すると小屋にもたれかかっても、きしむ音はするものの先程の様に傾いたりする事はなくなった。更に俺は麻縄三本で小屋の中の柱や桟の繋ぎ目を補強して、とりあえず寝ている間に崩れ出す事は無いであろう状態にした。

 

 次は小屋の中の掃除、これは一体どうやったものか。手で埃を払っていたのでは切りが無い、しかし翔吉に頼んで箒を借りたのでは三月先の生活が出来ずに死を待つだけになってしまう。何とかここにある物だけで掃除を済ませないと!と思い考え、俺は麻縄数本と一本の棒切れで箒の代用品を作ってみた。何の事はない棒切れの先っぽに麻縄をくくりつけただけの物だ。しかしこれが思ってた以上に使い易く、箒の代用品ばかりかハタキの代用品も務めてくれて小屋の中の埃を追い出すのには十分な働きをしてくれた。さて次は床の雑巾がけをしたいのだが雑巾が無い。これも先程の箒と同じで翔吉に頼っていたのでは駄目だ。かと言って今持っている唯一の布、着ている着物を雑巾にする訳にもいかないと思い考えた末、一本の麻縄をほどいて、ただの麻の束にして雑巾代わりにする事にした。雑巾の代わりの物が確保できたので今度は掃除用の水の調達、こればかりは翔吉に頼らざるを得ないと思い家に行って翔吉に声を掛けると、翔吉は水場には向かわず興味本位で小屋にやって来た。

「お!スゲーじゃん。もうここまでやったんだ」

「なんとかな。で、翔吉。床を雑巾がけしたいんだが水はどこで手に入れればいいんだ?」

「水ね。それならうちの裏にある井戸を使ってくれて構わないが、あんまり使い過ぎないでくれよ。島じゃ水も結構貴重だからさ」

「そうだろうな、大きな川がある訳じゃなし。水は貴重品なんだろうな」

「そういう事」

「・・・なあ翔吉。この近所に水を汲んでも怒られない用水路や池はないか?」

「用水路・・・そうだな、田んぼの横の用水路からなら水を汲んでも怒られないけど、あんな泥水じゃ掃除には使えねーしな」

「・・・いや、そういう場所があるなら・・・翔吉、お前の家には使わなくなって人にやってもいいカメはないか?それと風呂敷一枚と炭を分けて欲しいんだが」

「カメと風呂敷と炭?あるにはあるけど何に使うの?」

「泥水を漉そうと思ってな」

「え~、マジ!?そんな事出来んの」

「上手くいくかどうかは分からんが試してみたいんだ」

「ふ~ん、色々考えてんじゃん。よっしゃ!親父に聞いてカメと風呂敷と炭を用意してやるよ。上手く行けば島の役にも立つからな」

 そうして翔吉の協力の元、泥水の漉し器作りが始まった。翔吉の話を聞いた父親の翔左衛門も興味深々で俺のする事を見ている。俺は譲ってもらったカメの底に小さな穴を開けてからカメの中に風呂敷を敷き詰め、その上に小屋の周りで集めた砂を敷き詰め更にその上に炭を敷き詰める。そうしてその上に炭が見えなくなる程度に海岸からすくって来た砂を敷き、更にその上に砂利を敷き詰める。そうしてカメの四分の三ほどが埋まるとカメを高さ四寸ほどの大きさの三つの石の上に置き、俺は小屋にあったつるの取れた鉄鍋で田んぼの横の用水路から泥水をすくって来てカメの中にゆっくりと注ぎこんだ。鉄鍋五杯程の泥水を注ぎ込んだあたりでカメの底から水が染み出し滴り落ち始める。俺は鉄鍋をカメの下に置き水が溜まるのを待つと、しばらくして鉄鍋半分ほどの水が溜まる。その水で鉄鍋を洗い、綺麗になった鉄鍋に改めて水を溜める。そうして鉄鍋の中には透き通った水が一杯に溜まった。

「へ~、スゲェ~、こんな事出来るなんて八幡は江戸で何してたんだ?」

「江戸では板前をしてたんだ」

俺の“板前”という言葉に翔左衛門が反応する。

「板前が島流しとは珍しいな」

「そうなんですか?」

「ああ、板前は身近に刃物を持っているから罪を犯すというと専ら刃傷沙汰になるから 島流しなどではなく死罪になるものなんだ」

「なるほど」

「それにしても八幡はよくそんな漉し器の事を知っていたな。江戸ではみんなそんな物を使っているのか」

「いいえ、これは雨や嵐の後、井戸の水が濁って料理が作り辛くなるから、その為に造られたものなんです」

「なるほど、さすがは江戸の板前だ。島の人間にはとても思い付かん代物だな」

「ただ、この水は多分、飲む事は出来ない思います。田んぼの横の用水路から汲んで来た水ですから泥や砂を取り除けても畑や田んぼのコヤシまで綺麗に出来たとは思えません。それにしばらくの間は海岸から取ってきた砂から塩が染み出すでしょうから、それこそ掃除くらいにしか使えないと思いますよ」

「いやいや、それだけでも大した物だ。掃除に使う分の水が節約出来るだけでも島の住人は大助かりだ」

 感心する翔左衛門・翔吉親子を尻目に俺は麻の束を鍋の水に付けて、それを絞り、小屋の床掃除を始めた。それを見た翔吉は驚きながら

「本当に八幡は罪人なのか、スゲー真面目じゃん」

「俺は盗人だったんだ。本当なら死罪になってもおかしくない程の金を盗んだんだが奉行のはからいで重敲きと入墨と遠島だけで済ませてもらえたんだ」

「ふ~ん、運が良かったんだな」

「全くだ。けど折角の運もここで使い果たしちゃ意味が無いからな」

「・・・江戸で待ってる人でもいるのか?」

軽い口調の翔吉が突然、声を調子を落とす様に深刻そうに話をする。

「ああ、江戸で俺の事を待ってくれてる人間がいるんだ。だから俺はなんとしても五年間生き延びなきゃいけないんだ」

「そっか、上手く生き残れるといいな」

翔吉は俺から目を逸らし空を仰ぎ始める。その表情は悲しそうで俺の言葉に何か思う所がある様に見受けられた。

「何かあったのか?」

俺は思わず翔吉のそう尋ねた。すると翔吉はこちらを向いて、いかにもな作り笑いをしながら

「あったって言えば、あったのかな~」

「ちゃんと話せよ」

「この島に来る流人は極悪人じゃないんだよ。多分江戸じゃ島流しになる奴っていうとスゲー極悪人みたいに思うんだろうけど実際はそれほど大きな罪を犯してない人間ばかりなんだよ」

「そうなのか?」

「ああ、世間で思う様な極悪人は島流しなんかじゃなくて死罪になっちまうから、この島に来る流人は結構穏やかな人間が多いんだ」

「なるほど、確かに俺も島で悪さをしようとかは考えてないもんな」

「子供の頃から流人を何人も見て来て、中には本当に仲良くなった人間だって大勢いたんだ。しかし、そういう連中のみんながみんな無事に江戸に帰れた訳じゃなくってさ」

 翔吉は先程とは逆に地面を見つめ、そのまま目を閉じた。

「江戸に帰る事が出来ずに死んでいく連中が言うんだよ。“帰りたかった”とか“もう一度会いたい”とかさ」

 翔吉は子供の頃から流人の死に様を目の当たりにしてきたのか。いくら流人がやってくる島の人間とは言え、子供の頃からそんな物を見続けてきた翔吉に俺は驚きを隠せなかった。

「三月経って家から叩き出されても島や村や家の役に立ってくれる流人が結構いるんだ。けど、そうして仲良くなっても帰れる人間は十人に一人でさ・・・そこまで仲良くなっちゃうといくら流人でも死んだら埋葬してやったり念仏を唱えてやったりするもんなんだ」

「・・・そういう島なんだな」

「そ!そういう島なんだよ。一緒に働いたりして色々話をしたけど江戸に戻る話をする流人の顔ってスゲー良い顔なんだぜ。それだけに死ぬ直前の無念ぶりはもう・・・見てられない位に可哀そうなんだ」

「だったら見なきゃいいじゃないか」

「そんな訳いかねーしょ。最後の無念くらい聞いてやらなきゃ、もっと可哀そうじゃん」

 島の人間はそういう物を見続けてきたのか。驚き過ぎて逆に冷静になると今度は翔左衛門が話し始める。

「この島はさっきも言った様に常に食い物が足りてない。その為に島の住人が幕府の役人と話をして罪人を引き受ける代わりに幕府から援助を貰っているんだ」

「そういう仕組みなんですか。初めて知りました」

「島の人間以外興味を持たない話だから知らないのは当然だ。ワシら島の住民はそうやって得た糧を食らって生き延びている。要するに流人の命を食らって生きているのと同じなんだ」

 翔吉以上にやるせない顔をする翔左衛門。島の暮らしが厳しいからとは言え、いくら罪人とは言え、その命の代償を糧にしていると考えれば当然の表情だろう。

「出来る事なら流人全員を生き残らせてやりたい。しかし村と島の事情がそれを許さない。だからこそ八幡、お前の様に生き残る工夫をする事が大事なんだ」

「・・・心しておきます」

 そう言うと翔左衛門は家へと戻ってしまった。残された俺は小屋の掃除、翔吉は初めて見る漉し器から染み出す水の味見をしていた。

「八幡、本当にこれしょっぱいな」

「さっき言っただろ、それに興味本位で、あんまり口にするなよ。腹壊すかも知れないぞ」

「そうだな・・・ちょっとずつ試してみるよ。もし飲んでも腹を壊さないなら、みんな喜ぶからさ」

「みんなが喜ぶか・・・大変なんだな、名主って」

「そ!大変なんだよ」

 翔吉は自分の頬を涙が伝っている事に気付いてないのだろうか?指先に鍋の水をつけて味見をしてるのに頬を流れる涙が口に入ってしまっている。ひょっとして翔吉は今、この漉し器があれば救えたかもしれない命の事を思い出しているのだろうか。作り笑いの翔吉を尻目に俺は汚れた麻の束を鍋の水で洗い再び絞って小屋へと向かう。翔吉はそれを見て鍋の水を全部捨てると、また鍋に水を溜め始める。そんな事を繰り返している内に日が暮れ始め、島暮らしの初日が終わろうとしていた。

  

 日が暮れると暑い八丈島も多少は涼しくなる。ただ、この島の夜は本当に暗い。江戸の町で泥棒をしていたこの俺が言うのだから間違いない。盗みを働いていた丑三つ時の静まり返った江戸と比べても暗く、本当に闇という言葉が当てはまる。灯りの少なさだけで話ではない人の気配の少なさが夜の闇を一層恐ろしいモノにしている。俺は翔左衛門に今日だけは特別だと言われながら家の中に上げて貰い、晩飯を食わせてもらった。

 

 氏を名乗る事が許された島に数軒しかない名主の家、しかしその中は普通の農家と何一つ変わらない。違いと言えば家自体が少しでかい事くらいだ。決して豪華とか絢爛とかという言葉が当てはまる家ではない、まして歴史を感じる様な重厚さもない、ただの農家の茅葺の家。俺が通された部屋は囲炉裏のある部屋で板の間に編み縄の敷物を引いてその上に座らされた。そして出てきた夕飯は茶碗半分程の粟と干物の半身、それに野菜のかけらが入った味噌汁だけだった。最初、見た時は俺が流人だからこんな扱いなのかとも思ったが見れば翔左衛門もその御新造さんも翔吉も同じ飯を食っている。本当にこの島の食糧不足は深刻な様だ。

「粗末な食事で驚いただろう」

翔左衛門が俺を試す様に笑いながら話しかけてくる。

「・・・そうですね。最初見た時は俺が流人だから虐められてるのかと思いました」

「ハハハ、正直な奴だ」

「では正直ついでに教えて下さい。この食事はこの島でのありふれた食事なのですか」

「ほう!?よくその事に思いが及んだな。大抵の流人はこれが島では贅沢な部類に入る食事である事に気がつかないものだ」

「・・・やはりそうですか。干物は随分長い間、食べずに取って置いたものでしょ。江戸で食べた干物と比べると身が渇き過ぎてます。それに味噌汁も毎日飲むにしては具が不揃い過ぎです。きっと私という急な客をもてなす為の物なのでしょうね」

「さすがは板前だな。その通りだ、食べただけでそこまで言い当てるとは思わなかったぞ」

「貴重な食料を振る舞っていただいて、ありがとうございます」

「なに、これも今夜限りだ。明日からはもっとひもじい思いをする事になるから覚悟しておけ」

「わかりました。で、私は明日から何をすればいいのでしょうか?」

「なんでもだ」

「なんでも?」

「そう、なんでもだ。何しろこの島で生きていく為には自分の事は全部自分でやらなければいけないからな。明日からする事は全て三月先の自給自足の為の勉強だと思え」

「なるほど、翔吉の言っていた通りですね」

「まあ明日は翔吉の案内で村や島を歩いてもらう。まずは島と村の形を覚えろ。それを覚えなければ何も始まらない」

 そうだろうな。自分が暮らす場所の地形を把握しなければ暮らし難くなるだけだ。それこそ親の庇護の元、外出もせずに本ばかり読んでいる箱入り娘と同じ状態になる訳に行かない。

「じゃあ八幡、明日は夜明けと同時に島歩きを始めるからヨロシク」

「夜明けと同時って・・・」

「この島じゃ夜の闇の中、動き回るのはかなり危ないからさ。明るい間に案内を済ませちゃわないとマズイんよ」

「わかった、そのつもりでいるよ」

 そうして俺は夕飯を食べ終わると家を出て月の明かりを頼りに隣の小屋に向かった。月と星の光だけで外を歩く。江戸で泥棒をした時も同じ事をしたが、この人気の無さが何とも言えない不気味さを感じさせる。恐る恐ると言った感で一歩一歩小屋に近づきようやく小屋に辿り着くと昼間見たときには呆れる程にボロだった小屋が翔吉の言う通り豪邸に感じられた。掃除をしたばかりの小屋の中は思っていた以上に居心地が良く。掃除の時に見つけたムシロ三枚の内、二枚を床に引き、一枚を体に掛けた。虫の音が聞こえる涼しい島の夜は寝るには持って来いの環境だ。しかし横に寝息を立てる小町がおらず本当に一人だけなのだと痛感させられた。

 

 目を開けても閉じても真っ暗な中、俺は目を閉じる事を選び眠りに着こうとしたが・・・静か過ぎる夜は俺にとっては逆に寝難い環境だった。当然の様に色々な事が頭に思い浮かぶ。明日からの島暮らしの事、五年後の事、そしてお雪の事を思い浮かべる。俺は生き残れるのか?五年後に無事島を出れるのか?そしてお雪は本当に俺を待っててくれるのか?お雪との再会を果たすまでには余りに不確定な事が多く、ドンドン不安になってくる。考えたところで何が好転する訳じゃないのに頭が考える事をやめようとしない。船に揺られ、小屋を直し、くたくたに疲れている筈なのに。俺は何度も寝返りを打ち随分時間が掛かってからやってきた眠気に合わせて眠りに着いた。

 

 翌朝、俺はあまり眠れないままに朝を迎えたせいか翔吉が小屋に来る前には出掛ける準備を整え終わっていた。まあ出掛ける準備と言っても、せいぜい水で顔を洗う程度の事だ。昨日作った漉し器で用水路の水を漉して透き通った水で顔を洗う。少し口に含んでみると、まだ少し塩の味がしたが口に含んだ感じでは変な匂いや味はしなかったので、そのまま口をゆすぐのにも使ってみた。これ位の水なら掃除だけじゃなくて体を洗うのにも使えるなと確信していると

「おはよ~八幡。起きてっか」

翔吉が軽い口調で挨拶しながらやってきた。見れば小さな風呂敷包みをたすき掛けで背負っていて、すっかり出かける準備が整った感じだった。

「へ~顔を洗ってたんだ。いいね~、それ案外大事だから」

「どういう事だ?」

翔吉に連れられる様に歩き出し、その道すがら話を始める。

「昨日も話したけど三月経ったら家から放り出されて自分で生きていかないといけないだろ」

「ああ、そう言ってたな」

「すぐ死んじまう奴の特徴の一つが身の回りを清潔に保てない事なんだよ」

「そういうもんなのか?」

「そういうもんなの。流人が死んじまう一番の原因はなんだと思う?」

「・・・そりゃ、飢え死にだろ」

「やっぱ、そう答えたか。実は違うんだよね~」

「じゃあ何が一番なんだよ」

「病気なんだ。慣れない環境に放り出されて体が付いて行かなくて病気になっちまうんだよ。別に医者にも直せない様なすげー病気とかじゃなくてさ。ちょっとした食あたりとか風邪とか些細な病気がきっかけで死んじまうんだ」

「風邪や食あたりで死ぬのか?」

「正確には病気のせいで働けなくなって食い物が手に入らなくなるって事だけどね」

「なるほどな。働かなければ食い物が手に入らない、結果として飢え死にしちまうんだな」

「そういう事。流人は病気になっても医者にかかる事なんて出来ないから自分の体は自分で守らないとダメなんだよ」

「じゃあ、手を洗ったり、うがいをしたり、体を拭いたりする事が生き残る為の第一歩って事なのか」

「そういう事。これから行く場所は流人が“住んでいる”所と“住んでいた”所だけど、その違いを目に焼き付けておくといいよ」

 そう言いながら俺は翔吉について行き、村を出ると山の中へと入って行った。比較的緩やかな山道を歩いて行くと俺が寝泊まりしている小屋よりもボロいと言うか、木を三角に組んで茅を掛けただけの小屋が見えてきた。翔吉は何の警戒心も無しにその小屋に近づき始める。すると結構な距離があると言うのに何とも言えない悪臭が漂い始めた。手で鼻を押さえながら小屋に近づくと中には糞尿を垂れ流したまま死んでいる男がいた。朽ちかけた肉体がネズミやタヌキにでもかじられたのだろうか、ボロ切れの様に所々ほころびている。これが流人の顛末なのかと落ち込むどころか現実離れし過ぎてて信じられない気分だった。

「これが“住んでいた”場所。こいつは結構働き者だったけど生活をする為の根っこ作りが出来なかったんだ」

「根っこ?」

「そう。寝る為の小屋、清潔を保つ為の水の確保、そういう物を後回しにし過ぎて病気になって死んじまったみたいなんだ」

「後回しにし過ぎて・・・」

「もちろん、まずは食う事が一番重要だけど食う事を我慢してでも生活の根っこ作りをしておかないと島の自然には立ち向かえないんだよ」

 見回してみれば水を調達出来る沢や池もないし、周囲に作物を作ろうとして耕した気配もない。おそらくこの男は村での仕事を手伝う事だけを糧を得る方法に選び、村から離れていない場所に住み着いて、こうなったのだろう。

「じゃ、次、行こっか」

 翔吉の声で俺は今一度、死体の方に向き直り目を閉じて手を合わせ、すぐさま翔吉の後を追った。そして次に訪れたのはかなり山の中に入って行った場所だった。山の中腹近くまでやってくると山の中でありながら比較的平坦な土地に出た。そこには先程見た様な気を三角に組んだだけではない立派に小屋と呼べるような建物が五軒程建っていた。すると翔吉は先程と違い、ゆっくり小屋に近づいて行くと小屋の中からヒゲ面の男が出てきた。その男が外に出てきた事を合図にする様に他の家からも同じ様なヒゲ面の男が出てくる。皆、身にまとっている着物はボロボロで近づいて来られると少々匂う。しかし、そんなみすぼらしい風体の男達は翔吉の姿を確認すると更に近づいて頭を下げて挨拶をしだした。翔吉もそれに応える様に挨拶を返すと、そいつらに俺の事を紹介してくれた。

「こいつ、今度来た八幡ね。三月先に一人で暮らし始めるからヨロシク」

 翔吉の言葉に反応する様に五人の男が俺を見ると“こいつは生き残れるのかな”と言わんばかりの値踏みをする様な目つきで俺を見てきた。しかし俺はそんな視線を振り払う様に

「今度来た八幡です。お見知りおきを」

 そう言って翔吉の前で五人に向かって頭を下げた。

「じゃ、次」

 翔吉が更に山奥に向かって歩き出す。道が結構険しくなってきた所に一件の小屋を発見した。翔吉はすたすたと何の遠慮も無しに小屋に近づいて行く。翔吉の様子からして、どうやらこの小屋には誰もいない様だ。安心というのも変だが警戒する事なく小屋に近づき、翔吉に続いて小屋に入ると中には案の定、誰もおらず昨日翔吉の家の横の小屋に入った時と同じ様に埃っぽさとカビ臭さを感じた。

「八幡、先に見た二軒の小屋との違い解かる?」

「・・・この小屋の主は・・・江戸に帰れたんじゃないか」

「当たり!この小屋の主は村から遠くても水の便がいいこの場所に小屋を建てたんだ」

「水の便、近くに沢か池でもあるのか?」

「うん、すぐ近くに沢があるよ。それとそのすぐ近くにはちょっとした崖があってさ、そこを便所代わりにしてたんだよ」

「崖下に向かって用を足してたのか・・・なるほどある意味清潔だな」

「そうそう。これかなり大事な事だからさ。二番目に行った場所なんかは用をたす場所は五人で話し合って一か所に決めてるけど、ああいう集まりってあんまり上手く行った事が無いんだよ」

「そうなのか。一人よりは生き延びやすい様に思うが・・・」

「それがさ~、案外もめちゃうのよ。食い物の事とか仕事の事とかで」

「こんな環境だから完全に平等って訳にもいかないんだろうな」

「さっきの五人だって、最初は七人だったんだぜ」

 翔吉が俺を試す様に残酷な事実を告げてきた。実は俺も流人同士が寄り集まって生活する事を考えていなかった訳ではない。一人よりも複数の人間が役割分担をして生活を支え合えば生き残れる可能性が上がると思っていた。しかし翔吉の言葉は俺のそんな考えを真っ向から否定するものだった。

「沢山の人間が集まって暮らすには沢山の食い物が調達出来ないとダメなんだ。村では平らな土地を耕したり海に漁に出たりして村人が死なない程度に食い物を集める事が出来てるから争いは起こらないけど、食い物を十分に確保できずに人が集まると大抵争いになっちまうんだ」

「難しいもんだな。一人ではきつ過ぎる、かと言って集まれば争いが起きる。上手く折り合いをつける事が大事になりそうだな」

「八幡は頭が良いね~。俺は今日みたいな案内を何度となくしてるけど、そこまで考えたり出来る流人は結構珍しいんだぜ」

「・・・なあ、さっき言ってた沢と崖に案内しくれないか」

「いいけど。さてはここを三月先の家に決めたな」

ニヤリと笑う翔吉に俺はニヤリと笑い返しながら、こう答えた。

「いや今日からだ」

 俺は翔吉に頼み込んでで沢と崖の案内が済んだ後すぐに村の翔吉の家に戻り、昼前に翔左衛門と話をさせて貰った。

「なに!今日から山の小屋で暮らすだと」

「はい」

「八幡、そりゃ、いくらなんでも無理だって」

 翔吉も翔左衛門同様に驚きながら俺のやろうとしている事を止めてくれた。

「翔吉、俺は別に今日から他の流人と同じ様に一人で生きられるなんて思い上がっちゃいない」

「どういう事よ?」

「俺は三月の間、この家の脇にある小屋に住まわせて貰えるんだよな」

「うん、そう言ったろ」

「そして、わずかであっても飯も食わせて貰えるんだよな」

「そうだけど、それがなんなんだよ?」

「俺はこれからの三月の間にあの小屋の手入れをして生き延びる為の準備をしたいんだ」

 俺の言葉を聞いた翔左衛門がアゴに手をやり俺をにらみつける。

「なるほど、メシが確保できている間に住む場所をこさえてしまおうと言うのだな」

「そういう事です。もちろん村の仕事も手伝います。そうじゃないと三月先に飢え死にする事が決まってしまいますから」

「考えたな。今まで三月が経ってからもっと小屋に居させてくれと頼み込んでくる流人は大勢いたが、たった二日で出たいと願う流人は初めてだ」

「それで、山の小屋に住むにあたってお願いがあります」

「なんだ、言ってみろ」

「まず、昨日作った漉し器、それと小屋の中にあった鉄鍋、棒切れそれとムシロと麻縄。これらを俺に下さい」

「ふむ・・・いいだろう。元々使ってなかった物だし漉し器を作ったのは八幡だ、好きにしろ」

「ありがとうございます。それと時々でいいので農具や工具を貸していただけないでしょうか」

「・・・いいだろう、必要な時にはいつでも言って来い」

 翔左衛門の言葉に翔吉が反応する。

「いいのかよ親父。農具や工具を貸してそのまま返さない流人が大勢いるっていうのに」

「心配するな翔吉。この八幡ってヤツは中々頭の回る奴だ。そんな目先の欲に駆られて下手を打ったりせんよ」

「・・・なるほどね。確かに八幡は他の流人とは違う感じがするもんな」

「八幡、今日と明日はお前の好きにしていいぞ。明後日からは朝五ツ(=午前8時ごろ)までにこの家に来い、仕事をやってもらう」

「分かりました。有り難く働かせていただきます」

 そうして俺は翔左衛門に頭を下げると小屋に行って昨日作ったばかりの漉し器の中身である砂や炭を全部出して、その中から風呂敷と炭だけを拾い集めカメに放り込む。更に鉄鍋と麻縄を中に入れてから、ムシロと一緒にそれを持って山の小屋に向かった。

 

 小屋に到着すると改めて漉し器を作り直し、沢の水を鉄鍋十杯分ほど漉してみた。元々沢の水は澄んでいて漉す必要などないのだが雨や風、嵐などで濁る可能性が十分にあるので漉し器の準備は怠れなかった。それから小屋の様子を改めて検分する。埃まみれでカビ臭いが建物そのものの痛みは翔吉の家の小屋よりは少なく俺がもたれかかっても小屋が傾く様な事はなかったし、きしむ様な音もしなかった。そうなれば中の掃除!翔吉の小屋の掃除をした要領で山の小屋を掃除を始めて、程なく掃除が完了した。改めて小屋を見てみると広さは翔吉の家の小屋の半分程度、かまども無く本当に土間と床、せいぜい畳三・四畳位の広さだったが一人で寝て暮らすには十分な広さだった。

「寝床はこれでいいな」

 一息付いたところで今度は小屋の周りを検分する。うっそうと木が茂り、雑草も生え放題なのだが小屋の横の雑草が生えている場所は広さにすると小屋の倍程度で日当たりもいいし、山道からは小屋に隠れて見えにくい場所にあたる。これならば!と思い俺は草引き始めた。決して広くはないが畑が作れるかもしれない。日当たりが良く近くに水もある、更に山道から見え難いから泥棒に目を付けられ難い。そんな算段をしながら半分ほど雑草を抜き終わったところで日が傾き始めたので漉し器の水で顔と手を洗ってか夕飯を恵んでもらう為に翔吉の家に行った。

 

 

 

「小屋の方はどんな具合だ?」

 翔左衛門が夕メシを食う俺に尋ねてきた。そう、ここは翔左衛門の家の囲炉裏端。本来なら夕メシを恵んでもらうだけなのだからメシを貰ったら脇の小屋に持って行って一人で食べる筈なのだが翔左衛門と翔吉にとって俺の行動が余りに突飛で珍しい物であったせいか、その話を聞く為に今日も家に上げてもらえたのである。

「漉し器を作り直して、小屋の掃除は全部済ませました。建物の方は差し当たっての補強や修繕の必要はない様なので特に何もしてません」

「そうか。それは良かった。なら明後日とは言わず明日から村で働いてみるか?」

「いえ、もう一日だけ好きにさせて下さい」

「なんだ。何かやりたい事でもあるのか?」

「はい、小屋の横に六畳間程の平らな場所があって日当たりもいいから畑を作ってみようと思います」

「畑だと!?そんな簡単に作れるものではないぞ。それが簡単に出来るなら誰も飢えて死んだりせん」

「まあ、試しにやってみるだけです。上手く行けば三月先には、それなりの収穫が得られますからね」

「・・・まあ生き残る為にやれる事をやるのは悪い事ではないが無理はするな。働き過ぎは体を壊す元になるから注意しろ」

「はい、お気遣いありがとうございます。それでお願なんですが明日の朝、鍬をを貸していただけないでしょうか」

「鍬か・・・いいだろう。この時期は鍬を使う様な仕事は無いからな。明日朝メシを食べに来た時に貸してやる」

「ありがとうございます。では日が暮れるといけないので、そろそろお暇させていただきます。食事、ご馳走様でした」

 そうして俺は夕暮れの山道を歩き山の中の自分の小屋に戻ろうとすると、その途中、翔吉に最初に案内してもらった小屋が無くなっている事に気が付いた。三角に組まれた木や覆い被さっていた茅が無くなっていて死んだ男のムクロが山道から見える場所に剥き出しになって放置されていた。なるほど、使えるものは何でも使う、使わなくなった物でも使えれば使う、死人に小屋は必要ないからな。多分どっかの流人が奪い取って行ったのだろう。皆、生きるのに必死なんだ。そう痛感させられながら俺は自分の小屋に辿き、ムシロをかぶって眠りについた。

 

 翌朝も夜明けと共に目が覚め、何やら江戸に居た時よりも健康的な目覚めを迎えていた。俺の天職って実は流人だったの?やだな~引き籠りの方がいい。そんな事を考えながらも今日を生きる為の努力を始めた。崖に行って用を足し、沢に行って顔を洗い、口をゆすぎ、体を洗う。それが済むと小屋に戻って、翔吉の家で朝メシを貰えるであろう時間まで昨日の続きの草引きをした。そうしてお陽様がすっかり海から浮かび上がった頃に翔吉の家に行って朝メシを恵んでもらう。

「よう八幡、よく眠れたか」

「ああ、一日目にしては上々の眠りだったな」

「そりゃよかった。どうする朝メシ、上に上がって食ってくか?」

「いや、いつまでもお客様気分じゃ先が知れてるしな。よかったら、この土間で框(=がまち)に腰を掛けながら食わせてくれ」

「分かった。八幡がそれでいいなら、そうしてくれ。それと昨日言ってた鍬だけど玄関に出しておいたから使ってくれ」

「ありがとうな。使ったら夕メシの時に返しに来るから」

「一日で耕すのが終えられるのか?無理に今日返さなくていいんだぜ」

「いや、三月の間は毎日ここに顔を出すのだから毎日借りて、毎日返す様にする」

「・・・ホント八幡は変わった流人だな」

 そうして俺は朝メシを食い終えると玄関脇にある鍬を持って山へと戻る。しかし、その行き先は俺の小屋ではなく小屋が壊されムクロが剥き出しになったあの場所だ。島の陽気のせいで死体が腐るのが一段と早く、垂れ流された糞尿以上にその肉が匂い始めていた。死者に対して何とも無礼な話であるが俺は自分の住処の周りにこんな汚い物を放っておく事が清潔な生活、引いては長生きをする為の生活の邪魔になると考えたのだ。まず死体から着物とフンドシを剥がし取る。当然触るのも躇われる程に汚いが、流人としてしぶとく生き抜く為には、そんな事を言ってられない。剥がし取った着物もフンドシもボロではあったが、まだその体裁を整えており綺麗に洗えば十分に使う事が出る物だ。それらを脇に置いて俺は死体の横の土地に鍬を入れ三寸ほどの深さで死体の大きさに合わせた穴を掘った。そうしてその穴に死体を引きずり入れるのだが、これが結構重い。その上、肉が腐り始めてるせいで強引に力を入れて体を引っ張ろうとすると皮がずるりと剥けて一層強い悪臭を放つ。

  

 それでも何とか死体を穴に入れると穴を掘る時にどけておいた土をかぶせ即席の墓が出来上がる。隙間が無い様に、悪臭が漏れ出さない様に死体に掛けた土を踏み固め、盛り上がった土の天辺に程良い大きさの形のいい丸い石を置く、墓標の代わりだ。見ず知らずの流人の墓に手を合わせてから俺は死体を触った手で死体から剥ぎ取った着物とフンドシを掴み自分の小屋近くの沢に向かう。勿論、目的は洗濯と体洗いだ。沢の流れに着物とフンドシを晒し、流れていかない様に石を乗せて固定すると俺は裸になって体を洗った。獣の肉、魚の肉は板前として散々いじってきたが人の肉がこれ程までに触り心地の悪い物だとは思いもしなかった。近くの砂や土を集め沢の水で泥をこさえ、それを体に塗りたくり体中を磨く様に洗う。そんな事を四・五回繰り返してやっと手の匂いが取れたので体が乾くまでの間、沢の流れに晒しておいた着物とフンドシの揉み洗いをする。染みついた汚れは落ちてないが泥や糞尿、死体の肉や皮などはすっかり洗い流されており手揉み洗いするのに抵抗が無い程度には綺麗になっていたので丹念に洗ってからそれを絞って小屋の近くの木の枝に吊るした。

  

 小屋の前に石でかまどを組んで昨日抜いた雑草や周りの枝などを拾い集めて火を起こし持ってきた鉄鍋に湯を沸かす。しかしこの鉄鍋、翔吉の家の小屋で見つけた時から既につるが取れており、お湯を沸かしても持つ所が無いので小屋に持ってきた麻縄をほどいて、つるの代わりになる紐を作り鉄鍋のつるがあったであろう二つの穴に結びつけた。鍋一杯の湯が湧くと木の枝に掛けておいた着物とフンドシを地面に拡げてから熱湯を振りかける。まあ、ここまでやれば何らかの病気がうつったり変な匂いがする事もないだろう。俺は着物とフンドシに染み込んだ湯が冷めた頃にもう一度それらを沢に持って行って今ついたばかりの泥を落として再び小屋の近くの枝に干しておいた。ここまでの作業だけで陽がすっかり頭の真上。明日からは村の手伝いをしなくてはいけないから出来るだけ今日の内に自分の用事を済ませておきたい。俺は昼飯も食わずに・・・食わせて貰えるのか?島の食糧事情を考えれば島の住民は昼飯を抜いているのかもしれない。まあ、これは明日翔吉に聞くとして俺は昼飯も食わずに自分の小屋の裏の雑草を抜いた場所に鍬を入れた。

  

 休みながらも畳六畳分ほどの土地全てに鍬を入れ土を耕し終わると俺は手で目につく大きさの石を畑の脇に捨てて、更に鍬を入れて畑の状態を整えていく。どれほど時間が経ったのだろう、いつの間に小屋の横に翔吉が来ていて俺のする事を感心しながら見ていた。

「八幡は農家の出身なのか?」

「いや、俺は捨て子だったんだ。五つの時に妹と一緒に八幡宮に置き去りにされてな。そこの宮司に育てて貰ったんだ」

「そっか、苦労したんだな」

「けど、その苦労のせいで料理は出来るし、ちょっとした畑仕事も出来る様になった」

「江戸の宮司に育てられるとそんな事まで出来る様になるのか」

「いや・・・養ってくれてる宮司に見捨てられない為に、小さい頃から出来る手伝いは何でもしたからな。料理、掃除、洗濯、それに社の裏にあった小さな畑の手入れもしてた」

「災い転じて福となるってヤツだな。けど八幡、そこに何を植えるつもりだよ。自慢じゃないがこの八丈島は作物を育てるのがすごく難しい島なんだぞ」

「昨日、一昨日聞いた話では稲や野菜を作るのには随分苦労をしている様だから、そういう物を育てるつもりはないんだ」

「じゃあ何植えんだよ」

「山芋を植えようと思ってる」

「山芋を畑で作るのか!?そんなの聞いた事ないぞ」

「普通、山芋と言ったら山に自然に生えてる物を採ってくるもんだし、いちいち畑で育てたりしないもんな」

「そこまで知ってて何で山芋なんだよ」

「この山の山芋ならきっとここに植えてもちゃんと育つんじゃないかと思ってな。元々、放って置いたって育つ植物だから世話もそれほど必要ないだろうし」

「なるほどね、試してみる価値はありそうだな」

「それに山芋は腹にたまるし滋養にも良い。それに火を通しても、生でも食えるしな。生き残る為の食い物としては最適かもしれない」

「さすが板前じゃん。滋養に良いなんて腹を膨らませる事が充分に出来る奴の贅沢な戯言だと思ってたけど、生き残る為にはそういう考えも必要なのかもな」

 常に食い物が足りない島の住人からすれば体に良いとか滋養があるなどと言って食べ物を選ぶ余裕など無いのだろう。そう考えると江戸で人並みの暮らしをしていた流人達が島の住民よりも粗末な食事を強いられる生活は腹が減ったという以上に屈辱的なモノなのかもしれない。こんな食事で喜んでいる奴ら以下なんて!そんな思いが生き延びる事の邪魔になって死んでいった奴もいるのかもしれない。もし、そうだとしたら俺は見栄や外聞を捨てて、それこそ午前中にした死人の着物を剥ぎ取る様な事を何度も何度もしなくてはいけないだろうし、村人たちに物乞いをしなくてはいけない事もあるだろう。俺はそんな覚悟を一層強くしてると

「八幡、その枝にかかってる着物とフンドシ、どこで手に入れたの?」

 翔吉が全て分かった上で確認する様に俺に聞いてきた。

「昨日案内してもらった死体から剥ぎ取ってきた」

「ふ~ん・・・小屋を壊して墓をつくったのも八幡?」

「いや俺が昨日、見つけた時には小屋は既に壊されていて死体が剥き出しになって放ったらかしになっていた」

「じゃあ八幡は着物とフンドシを剥ぎ取ってから墓を建てたやったの?」

「ああ、使える物は何でも使う覚悟が必要だと思ったからな。それに死体を放ったらかしにしておくと不潔だし、おかしな病気にならんとも限らないしな」

「・・・八幡は三日目で流人暮らしの覚悟が出来たんだな、大したモンだよ」

「他の奴は違うのか?」

「違うっつーか・・・人それぞれと言うか。その決心が早い奴ほど生き残るからな。けど、その決心が早い奴ほど村のみんなに嫌われるから気を付けてな」

「嫌われる?」

「そう。流人として生き残る覚悟が出来た奴は人としての矜持を捨てないと駄目だろ。けど村の連中は半分獣になった様な人間には関わりたくないんだよ」

 翔吉の言葉に少なからず驚かされた。見栄も外聞も捨てて生きる覚悟をしたばかりなのにそれが過ぎると村人から嫌われる。それはすなわち村人から見捨てられるのと同じ事で村で働けなくなり飢えて死ぬことを意味している。そうか!昨日翔吉が俺を死んだ流人、半分獣みたいになったヒゲ面の流人、そして無事江戸に帰れた流人の小屋の三つを見せた理由はこれだったんだ。

「じゃあ、どうすればいいんだよ。流人として生きる覚悟をしては駄目、かと言って江戸に居る様な気分では駄目、どうすれば生き残れるんだよ」

「島で一番貧しい人間として暮らせばいいんだよ。人としての矜持は捨てない、しかし生きる為に出来るだけの努力はする。実は生き残る奴っていうのは、そんな当たり前の事がキチンと出来てた奴なんだよ」

「疎まれず、嫌われず、邪魔にならない様に、そして人としての最低限の暮らしをしていけばいいと言う事か」

「まあ、そんな所だね。明日から三月先までが勝負だよ。村人にどれだけいい印象を持って貰うかが生死の分かれ目だからさ、頑張ってくれよ」

「・・・わかった」

「じゃあ、夕メシの時にまた。それと・・・墓作ってくれてありがとうな」

 翔吉はそう言い残すと俺の前から歩いて行ってしまった。あの翔吉と言う男、何をどれだけ考えているのだろうか?ただの世話焼きなのか?それとも名主の息子として村を守りたいだけなのか?去り際の“墓を作ってくれてありがとうな”という言葉も何がその根っこになっているか読み取る事が俺には出来なかった。

  

 小屋の横の土地に鍬を入れ終わって石やら枯れた植物の根っこやらを取り除き終わると俺は鍬を沢に持って行って付いている泥を洗い流し、その帰り畑に植える為に目星を付けておいたムカゴ(=山芋のツルに出来る小さな実)を取って回った。五十粒ほどのムカゴを取ってから小屋に戻り、翔吉の家から持ってきた一番長い麻縄を使って小屋の横の畑に縦横七列ずつの格子状の線を引いて、その線が交わる点に取ってきたムカゴを植える。後は鉄鍋を使って沢から汲んで来た水を畑全体に撒く。さて、上手くいくかどうかは御仏のみが知る事だ。俺は毎日の水やりをひたすら続けるだけだと思っていると陽が傾き、その色を紅く変えつつあった。俺は洗って置いた鍬を持って夕飯を恵んでもらう為に翔吉の家に向かう。

「おお、来たな」

 玄関先に翔吉ではなく翔左衛門が出迎えてくれた。

「鍬を貸していただいて、ありがとうございました」

「ほう!?洗って返すとは何とも律義な事だな。それで畑の方はどうだ?」

 二日目から小屋を出た流人がよほど珍しいと見えてなんだかんだと聞いてくる。しかし今の俺は話よりも夕メシを食いたい。早く夕メシを食わないと小屋に帰る時に真っ暗な夜道を歩かなくてはならなくなる。しかし名主の話に乗らないと言うのも、この先の暮らしに少なからず影響してしまいそうだ。それならば・・・出来るだけ早く話を済ませる様に話を持って行くだけだ。

「ええ、小屋と沢の間にムカゴが沢山なっている場所があったから、片っ端から取って 畑に植えて来ました」

「ほう、山芋を畑で育てるつもりか」

「あれ・・・翔吉から聞いてませんか?」

「いや、あいつはまだ近所の家の回って仕事を手伝っている筈だ」

「まだ働いてるんですか」

「ああ、さしずめ昼間に仕事をサボったんだろう。昼に仕事をサボれば仕事を終えるのが遅くなるのは当たり前だ」

翔吉の奴、俺の所に顔を出していたから仕事を終わるのが遅くなってんのか。

「いくら気が合ったとは言え、流人の墓を作るのは手間も時間も掛かるだろうに」

「流人の墓?」

「ああ、お前の小屋に行く途中に死んでしまった流人がいただろう」

 翔吉は流人の墓を作る為に山を昇ってきたのか!?流人の墓を作ろうと思ったら既に墓が出来上がっていて、それを見た翔吉は墓を作ったのは俺だと推理した。だから翔吉は俺の小屋までやってきたんだ。

「翔吉はいつも流人の墓を作ってやってるんですか」

「ああ、うちで面倒を見た流人が死ぬとあいつは簡単だが墓を作ってやるんだ」

「この島は・・・そういう島なんですね」

 俺は島に到着した時に翔吉が話をしていた事を思い出した。役に立った流人や一緒に働いた流人が死ぬと墓を作って念仏を唱えてやるんだと言っていたな。

「この島は・・・そういう島じゃない」

「え!?」

「この島は流人がのたれ死んでも放ったらかしにするのを当たり前としている島だ」

「じゃあ、なんで翔吉は流人の墓を作るんですか?」

「それは流人が好きだからだ」

 翔左衛門は何やら悲しげな顔をして言葉を繋げる。

「翔吉の奴は氏を名乗る事を許されたこの村の名主の息子として、小さい頃から何かと苦労をしてきたんだ」

「苦労って・・・食い物の事じゃないですよね」

「食い物の事じゃない。あいつの立場は村の中では恵まれてると言っていいだろう。しかし名主の息子に恥じない行動をしなければ七光の馬鹿息子扱いだ」

「それは・・・しんどそうですね」

「ワシも若い頃に似たような経験をしたものだ。普通に働いていたのでは親に甘やかされてるだの頼りないだの言われ、人並み以上に働いても名主の息子なのだから当然だと言われ・・・しかも、それを蔭口で言われるのだから溜まった物ではない」

「思わず、じゃあお前がやってみろ!って言いたくなる状況ですね」

「全くだ。しかし、そんな村にあって一つだけ逃げ道があるんだ」

「逃げ道ですか?」

「ああ、この島には名主の息子だと陰口を言わない人間がいる・・・流人だ」

「流人が・・・ああ、なるほど」

 なるほど流人だったら村での名主の立場や、その息子の評価をしたりしないだろう。いや、生き残る為にはそんな事をしている暇そのものが無いだろう。そんな先入観のない人間が島の中に、村の中に、一緒に働く群れの中にいたら、心がそちらに傾くのは仕方のない事だ。

「流人はそういう思い込みなしで島の人間を見るから私や翔吉を実に心易く受け入れてくれるんだ。もちろん名主に気に入られて少しでも生き長らえたいと思う奴も少なからずいるが、それでも陰口を叩く村人よりは、いくらかマシだ」

「名主様からしたら流人より村人の方が罪深い様に見えそうなんでしょうね」

「ふふふ・・・そうかもしれないな。それに流人の大半は江戸からやってくるだろう。まだ若い翔吉には江戸の暮らしの話が何よりも楽しい事の様なんだ」

「まだ若いって・・・名主様も覚えがあるんですか」

「この島の人間なら誰でも考える事だ。島を出て江戸で食うに困らない生活をしたいってな」

 なんとも皮肉な話だ。真面目に暮らしても食うに困るから故郷から江戸に出てくるのに、実際に江戸に出て来てみても決して楽に食える訳ではない。それどころか故郷に居た頃以上に貧しい生活を強いられる事だってある。俺はそんな連中に施しを与え、生きる糧を与えてやっていた。真面目に生きてる奴が食うに困り、泥棒の世話になり、その泥棒は島に送られ、島の人間の江戸に出たいという気持ちを煽ってしまっている。この因果な負の螺旋は決して途切れる事は無いだろう。そう考えると俺の島送りという処分は奉行の裁量というより何やら運命めいた不思議な偶然の様に感じる。

「つまらん話をして悪かったな。今飯を出してやる」

「ありがとうございます」

「それより今日は昼メシを食いに来なかったな。昼の分も入れて分量を多くしてやろう」

「本当ですか、ありがとうございます。それで、私は三月の間、一日何食食べられるのでしょうか?心積もりをしておかないと必要以上に辛く感じてしまいそうですから」

「基本は一日三食だ。しかし食料が少なくなってくると大抵、昼飯を抜く事から始めるので、そのつもりでいろ」

「分かりました」

 そうして俺は出してもらった夕メシを大急ぎでかき込み名主の家を後にしたが外はもう暗くなり始めていた。逢魔時の村を歩き始めると、ちょうど俺が目指す方から翔吉が帰って来た。

「や、メシはちゃんと食った」

「ああ、昼メシ食わなかった分も食わせて貰った。それと鍬も返しておいたからな」

「そっか、鍬は明日も使うのか?」

「いや、当分は鍬は使わないと思うから、また何か必要になったら貸してくれ」

「わかった、じゃあ明日、朝五つにな」

「お手柔らかに頼むな・・・翔吉」

「うん、何?」

「お前さ・・・江戸に行ってみたいと思った事あるか?」

「あるよ。何度もある」

「何で行かないんだ?」

「江戸に行くとさ・・・もうここには戻って来れなくなっちゃうんだよ」

「戻って来れないって?そりゃ時間や金は掛かるが戻って来れない事は無いだろ」

「いや、戻って来れないんだよね。現に江戸に行った連中が戻って来たなんて話、聞いた事ない」

「戻って来ないって」

「理由は解かんネ。だって誰も戻って来ないんだから」

 江戸に行った島の人間が一人も島には戻って来ない。翔吉はとぼける様にその理由を言わないが大よその理由は察しが付いているのだろう。江戸のでの暮らしが上手く行かずに戻ってくる事も出来ない様な貧しい暮らしをしているか・・・野垂れ死にをしているかだ。流人がこの島に来ると島の人間に三月とは言え助けて貰いながら生活する事が出来るし、それを足掛かりにその先の生活も出来る仕組みになっている様だが、島の人間が江戸に出ても同じ様にして貰える訳ではない。江戸市中は人も物も多く、その分仕事だって多いが島で生きるための知恵や技術がそのまま江戸で活かせるとはとても思えない。もし、それを生かそうと思うのなら江戸市中ではなく、武蔵郊外や相模(≒川崎市、横浜市を除く神奈川県)、下総(≒葛飾区、千葉県北部、埼玉県南部)などに生活の場を求めなくてはならないだろう。すなわち、好き勝手に開墾出来る土地を求めて郊外の村に住み着く事になる。しかし温暖な八丈島と江戸の郊外の村では、その生きる術が違い過ぎる筈だ。更にその土地で農民として暮らし始めれば、そうそう土地を離れる訳にもいかず八丈島への帰郷する事が難しいであろう事は容易に想像できる。

「まあ手紙が届く事がタマにあるけど、それも続かなくてね。結局消息が分からなくなっちまうんだよ」

「・・・翔吉は、流人とこんな話をしたのは何度目だ?」

「さあ?それこそ分かんねーよ。何十回か何百回か・・・けど流人以外とはこんな話は出来ないからさ」

 多分、島を出るという事は住人にとって島を捨てるのと同意義であり、そんな話を名主やその息子がする事はそれこそ禁忌に近い行為なのだろう。

「悪かったな、おかしな事聞いて」

「いや、タマにこういう話を無性にしたくなる事があるからさ。これからも時々、頼むわ」

「分かった。じゃあ、また明日。おやすみ」

「あ、ちょっと待てよ。今から小屋に向かうと多分途中で真っ暗になっちまうから提灯持って行けよ。貸してやっからさ」

「すまん、助かる」

 そうして俺は一度、翔吉の家に戻り提灯を貸してもらい、月明かりが灯る暗い村の道と提灯無しでは歩けない闇に隠れる山の道を歩いて小屋へと辿り着いた。島に着いた初日は流人の暮らしが辛いモノだと聞かされた。二日目には相応の覚悟をする事を余儀なくされた。しかし今日は最後の最後に・・・流人は甘やかされてるのかもしれないと感じた。この島に生まれて、この島で生活する人達の覚悟を考えると流人はただ島に間借りさせて貰っているに過ぎないのだろう。生き残る事さえ出来れば江戸に戻れる。まして俺には皮算用ではあるが待っててくれる人間、すなわち生きる為のコネがあり、その後の生活も目処が立っている。そう考えると俺の運はまだまだ尽きてない様に思える。明日からの島での生活に不思議な安堵を感じながら俺は眠りについた。

  

  

 ― 四年後 ―

 

「せんぱ~い!」

「また来たのかよ。また村で仕事サボってるって噂されるぞ」

「大丈夫ですよ。今日の仕事はちゃんと終わってから来ましたから」

「翔吉は何も言ってないのか?」

「言ってないって事でヨロシク!だそうです」

「ったく・・・なら、この山芋持ってさっさと帰れ。あれだけ良くしてくれてる翔吉に仇を返すな」

「それを言いますか。原因は先輩なのに」///

「いい加減、その先輩って呼び方やめてくれないか。八幡でも八っつぁんでもいいから名前を呼べ」

「だって先輩は島送りの二年先輩じゃないですか」

「そんな事言ったら他の流人だって先輩じゃねえか」

「いや~、先輩みたいに身綺麗にしてる流人はいませんよ。他の村の流人の事は知りませんけど少なくとも戸部の名主様が面倒を見た流人の中では先輩が一番キレイ好きな流人です」

「身綺麗な流人だから先輩か・・・相変わらずおかしな基準だな」

「いや、これって私的にはかなり重要な事だと思うんですよね。名主様も翔吉さんも、この村の流人は先輩が来てから身綺麗になって他の村の流人より協力的になったって言ってましたよ」

「まあ人としての矜持を捨てない程度には身綺麗にしておかないとな。半分獣みたいになってまで生き延びる流人は島の人達にとっても鬱陶しくて迷惑だろ」

「そうそう、だから先輩も今日明日の内に髪を綺麗にさせて下さいね」

「流人に髪結いなんて必要ねえよ。適当に切って総髪にしてりゃ問題ない」

「いえいえ、これは名主様からの命令ですからね。絶対、結わせて貰いますよ」

「それは村の人間が対象の話だろ。流人は関係ない」

「え~~、いいじゃないですか~」

 このあざとく俺に絡んでくる亜麻色の髪の女、一見ただの村娘に見えるのだが実は流人である。俺に遅れる事二年、戸部家の世話になった流人で名前をいろはと言う。しかし流人でありながら今の恰好は安物ではあるもののキチンと着物を着て、髪を結っており村人達となんら変わらない様子なのである。これにはれっきとした理由がある。この八丈島に流されてくる流人の中には時々、手に職を持った人間、すなわち職人がいる事がある。大工、鍛冶屋、医師など高い専門知識や専門技術を持った人間が罪を犯してこの島に流されてくる事がある。そういう人間はその知識や技術を村で役立ててもらう為に普通の流人の様に三月で家を追い出されたりせずに家を与えられて、その仕事を全うする様に申し付けられるのだ。無論、島に到着早々、仕事を得たのであるから食うには困らず、着る物にも困らない、なんら村人達と変わらない生活が出来るのである。では、このいろはに何が出来るのか?と言うといろはは江戸で髪結いを生業にしていたらしい。しかし、その職業柄、色々な人間に会い身入りの良さそうな男に近づいては詐欺まがいの手段で金品を巻き上げ私腹を肥やしていたそうだ。町人相手の間はただの取った、取らないの口論で済んでいたのだが、その魔手を武家の人間にまで伸ばしたものだから忽ちお縄となり島流しにされてしまったのである。そんないろはを俺の所に連れてきたのは他ならぬ翔吉であった。翔吉は俺にしてくれた様にいろはにも島案内や島での暮らしについてアレコレと指南していて、その流れで俺の所にもいろはを連れてきたのである。

  

  

   

「よう八幡。精が出るね」

「翔吉か。まあ、いくら放って置いても育つとは言え水やりや雑草抜きくらいはしておかないとな」

「八幡、こいつ今度島に来たいろはってんだ。ヨロシクな」

「は、はじめまして。いろはと申します。よ、よ、よろしくお願いします」

「そんなに怖がらなくても八幡はかなり上等な流人だからさ。色々相談に乗って貰うといいよ」

「上等な流人って・・・流人に上等も下等もねえよ」

「いやいや親父が褒めてたぜ。山芋畑を作って身なりにも気を使って、しっかり生き延びてんだからな」

「いや、何度となくお前や名主様に助けてもらってる。それが無ければ二年もしない内に死んでたんじゃないか」

「それも八幡の日頃の行いが物を言っただけじゃん。山芋を収穫する度に俺んちにお裾分けしてくれて何やかやとうちとの繋がりを保ち続けたんだもんな」

「それは、生きる為に道具や工具を借りたりヒゲをそる為の剃刀を借りる為の代金みたいなもんだ」

「それでも大したもんだぜ。そんな事した流人は他にいないからな」

「まあ、それが出来るのも・・・他の流人の犠牲があってこそなんだがな」

「・・・あ、あの」

「なんだよ?え~と、いろはだっけ」

「はい。あ、あの・・・他の流人を犠牲にしたってどういう事ですか?やっぱり弱肉強食で弱い流人は強い流人に虐げられちゃうんですか?」

「あははは。いろはすは面白い事を言うな」

「いろはす?なんですかソレ?」

「いろはより呼び易いじゃん。語呂が良くてさ」

「そんな事初めて言われましたよ。それでえ~と、、、八幡さん。どうなんですか?」

「別に他の流人を虐げた訳じゃないさ。この山に住む他の流人が勝手に

死んじまうんだよ。」

「そうそう。今、八幡が手入れしているこの山芋畑も元々は流人が七人住んでた

 場所なんだぜ。」

「七人も!?それが何で山芋畑になってるんですか?」

「だから言っただろ。勝手に死んじまうって。食い物を調達出来なかったり、寒さに耐え切れなかったりして一人、また一人って櫛の歯が欠けるみたいにして一人ずつ死んでいって結局誰もいなくなったんだ」

「なら八幡さんはなんで生き残れたんですか?」

「それはさっき翔吉が言っただろ。山芋を畑で作ったり、翔吉の家との縁を切らない様にしながら村の手伝いもして食い物や着る物を確保して人としての生活を保ったからさ」

「そういう事。ちゃんと努力をすれば生き残れるからさ。まあ、いろはすの場合、髪結いが出来るって事で親父が家を与える様に言ってるし、村の仕事を手伝いつつ髪結いの仕事をして貰うからさ。まあ食い物と着物には困る事は無いと思うよ」

「へ~髪結いか。しかし髪結いを村の職人に迎えるなんて名主様も随分思い切った事をしたな」

「ああ、その辺はどうも八幡を見て思った事みたいだぜ」

「俺を?」

「流人でさえ身なりに気を使っていれば村人となんら変わらない。なら村の連中も身なりに気を使えばもっと村が良くなるんじゃないかって考えたみたいなんだよ」

「それ言えてますよ。江戸でも身なりに気を使う人が多い場所は綺麗でゴミも落ちてません」

「まあ、そういう事だからさ。いろはすも大抵の事は俺に聞けばいいけど流人としての心構えは八幡に聞くのが一番だからさ。タマにここには顔を出すといいよ」

「なるほど・・・じゃあ流人の先輩として、これからよろしくお願いしますね。せ・ん・ぱ・い!」

  

  

 島には女の流人がいない訳ではない、実は結構な数の女の流人がいるらしい。ただ戸部家が世話を焼く流人には女が少なく、そのほとんどが他の名主に任されているらしい。その理由が女の流人は男の流人程に力仕事が出来ず、かと言って職人の様な技術や知識も持っていないせいで自分の食い扶持を稼ぐ為に自分の体を売り物にするからだそうだ。

  

 八丈島というそれなりの大きさの島であっても流人を除く元々の住人の数はそれほど多くなく住人の全てがどこかしらで親類縁者として繋がりを持っている。実はその血がどんどん濃くなってしまっている事がこの島の隠れた問題となっているのである。その為、外から人がやって来る事は村の存続を考えれば有り難い事ではあるものの、それが流人、すなわち咎人では少々難がある。しかしながら現実には流人の一部はそのまま島の住人として住み続けて元からの住人と所帯を持って子を成しているそうだ。そういった経緯から女の流人は島に受け入れられ易いのだが、その反面、簡単に体を売り物にして島の治安を乱すものだから管理を任されている名主にとっては痛し痒しの存在なのである。それこそ人としての矜持を保てるか否かの話で、飯が食えるのなら無条件で股を開く動物の様な女と、そうではない女は、村での扱いがかなり違い、酷い時にはある日突然、日頃行くはずがない海沿いの崖の下に落ちて死んでいたりするのである。それ故に戸部家は女の流人を極力引き受けない様にしているのだが、それでも他の村名主との折り合いをつける為に一定の数の女の流人を引き受けなければならいないのだ。

  

 そんな事情を知っていた俺も出来るだけ女の流人には近づかない様にしていたのだが、このいろはという女が俺の事を金品ではなく糧をダマし取る標的に定めたのではないかと思わせるあざとさが過ぎる“先輩”という呼び名を少し色気を感じさせる拍子に乗せてくる。こんな態度と言葉は女っ気のない生活を強いられる流人には酷く危険なモノだった。こう呼ばれる度に俺の中にある不治の病の妹病がムクムクと顔を出し無用な世話を焼いてしまう。更に何かのきっかけで二人きりになろうものなら襲いかかってしまいそうになる程にいろはは村の女達・流人の女達を含めた中で可愛く目立つ存在だった。いろはは五日を空けずに俺の所に来ては媚を売って行き更に髪結いの仕事で村の男達に粉をかける。そうした事から村でのいろはの存在感は増す一方であったが、いろはが島に来て二月程した時に俺は村の仕事の手伝いを終えて駄賃代わりの粟を袋に入れて自分の小屋に戻ろうと道を歩いていると女の悲鳴が聞こえてきた。

  

 驚きながら声のした方に行ってみると一軒の家の中で何やら人が争う様な騒々しい音がしている。何事かと思いながら庭に回り中の様子を見てみると村の若い男がいろはに襲いかかっていた。いろはは男に組み伏せら着物の裾をめくりあげられて、その真っ白な太ももを露わにしていた。抵抗をしているが日頃から畑仕事や漁などで鍛えた男に敵う筈もなく首筋に吸いつかれながら、その股の間にゴツイ手を差し込まれていた。俺は草鞋履きのまま床上に上がり込み男をいろはから剥がし放り投げると彼女は着物の裾を抑えつつ後ずさり、放り投げられた男も流人とは言え、人に見られた事をマズイと思ったのか悔しそうにそのまま逃げていった。すると少しして俺と同じ様に騒ぎを聞きつけてきた村人数人がやって来て何があったかを聞いてきた。俺は見たままの事情を説明すると村人は俺にいろはと一緒に名主の所に着いて来いと言われた。

  

 まあ、村人と流人の間でこの手の騒ぎが起こると大抵は名主に報告が行き、名主がその裁きを下すのが村の決まりになっているのだから面倒臭いと思いつつも村人にいろはと一緒に名主の家まで連れて行かれた。名主の家に着くと村人は翔左衛門の前で俺から聞いた話といろはの家から慌てて逃げていった男の話をした。すると翔左衛門は

「いろは、お前はそういう事をされる心当たりがあるのか?」

「いえ、そんなモノはありません。いきなり家に押しかけて来たかと思ったら突然組み伏せられて」

「うむ・・・いろはよ。お前には少々悪い噂がある。村の女衆から男共に媚を売ってアレコレねだっていると具申があったぞ」

「それはモテない女のヤキモチです。私は髪結いをしながら世間話をしていただけで別に媚なんて売っていません」

 なるほど。こうやって江戸では金品を巻き上げた男共と水掛け論をして問題を有耶無耶にしてきたんだな。俺は横で話を聞きながらそう思っていたがどうやら周囲の村人達はそうは思っていなかった様だ。いろはと俺をここまで連れて来た村人達が口々にいろはが村の男衆に言った言葉を漏らし始めた。

  

“島の暮らしって本当に大変ですね。私一人で生きて行けるのかしら。”

“野良仕事を手伝った後に髪結いをすると手が震えて上手く出来ないんですよ。”

“たくましい腕ですね、これなら他の人の食い扶持まで稼げちゃいそう。”

“ほら!ちゃんと身なりを整えれば、とっても素敵ですよ。”

  

 他にもまあ、出るわ出るわ。お前は女郎屋の酌取り女かよ!?しかし、どれをとっても直に糧や物をねだっている言葉ではなく世間話だと言い切られれば、それを否定出来るものではなかった。いろはを裁いた武士には農民、町民に対して生殺与奪の権利がある。だからこそ、いろはが江戸で武家の人間をだました時に有無を言わさずに裁き、島送りに出来たのだろう。しかし、この島で氏を名乗る事を許された村名主の権利は精々与奪のみ。生殺について命じたりする権利は無い。一方的に殺される心配が無い以上、自分の行動の非を認めずに名主を納得させてしまえば、いくらでも生き延びる事が出来る状態だ。無論そんな事は村の男衆を手玉に取るいろはには十分に分かっているのだろう。村人達がどれほど言葉を重ねようとも動じる事無く、自分はそんなつもりじゃなかったという態度を崩さない。

「いろはよ。このままでは島に住めなくなってしまうぞ」

 翔左衛門も決定的な確証を得られないから柔らかい物言いでいろはの反省を促そうとする。しかし当の本人は

「島に住めなくなるってどういう事でしょうか。私は流人だから島から抜け出そうとすれば死罪になってしまいます」

 こいつ解かってねえな~。翔左衛門は柔らかい物言いをしてくれているが、これはこのままでは村人の恨みを買って人知れず殺されてしまうぞという忠告なのに。翔左衛門は名主という立場上、こういう大勢の人間が集まったところで生殺の話をする事が出来ない。それもあっての柔らかい物言いだと言うのに、いろははその事に全く気付いてい様子だった。

「島抜けの話なぞしておらん。お前も村に住む人間の一人として村の安寧には気を配れと 言っているんだ」

 更なる説得を試みる翔左衛門。しかし、その真意はいろはには届かない様で

「だから私は名主様から言われた髪結いの仕事をしていただけです。それとも仕事の最中に一切喋らずにいろとおっしゃるんですか。そんな風にしたら・・・村の人に愛想が無いだのなんだの言われかねません。それこそ髪結いをして貰おうとする村人がいなくなってしまいます」

 いろはの反論に苦悶する翔左衛門。周囲の村人は何故ビシッと言ってくれないのだと気を揉み始めている。実はいろはの処遇を誤るという事は翔左衛門にとっても重大な問題に発展しかねない事なのだ。元々髪結いがいなかったこの村で村人が髪結いをして貰える様になれば村の暮らしが良くなると翔左衛門が発案し、いろはに家と仕事を与えた訳だが常に食い物に困るような村、島において髪結いは極めて贅沢なものであり少なくとも髪結い一人を食わせる為に村の食い物を一人分多く消費する事になる。それだけに翔左衛門の発案が失敗に終われば名主としての面目が潰れ、村人からの信頼が薄れる事となり、ひいては村の治安や自分の立場が悪くなる事に繋がっていく重大な問題だ。

  

 それに自分が名主を務める村で流人が不審な死を遂げれば役人達も黙っていない。元々この島に常駐する役人の仕事は大きく分けて三つある。一つ目は年貢の徴収。二つ目は村の治安維持。そして三つ目が流人の管理。その為、もし流人が不審な死を遂げれば当然、捜査をしてその死因を確認する。しかし流人が不審な死に方をする理由は大きく分けて、一つ目は流人としての暮らしに嫌気がさして自殺をする。二つ目は流人同士が争った揚句に相手を殺してしまう。そして三つ目は村人の怒りを買って村人に殺されるの三つだ。一つ目は論外としても二つ目は流人同士、咎人同士の殺し合いであり役人が捜査をして下手人を突き止める程の問題ではなく役人にすれば仕事の手間を減らしてくれた位にしか思ってない。ロクな捜査をして貰えないままに事故死扱いされてしまう。そして三つ目は本来なら村人の不審な動きをけん制する為、村の治安維持の為に徹底的な捜査の上、下手人を突き止め罰する必要があるのだが、こういう死を遂げる流人は大抵村人と争いを起こしており村人が自分で争いのタネを片付けたとして暗黙の了解の内にやはり事故死扱いされてしまう。まあ役人からすれば争いのタネが無くなって村が平穏を取り戻して一安心と言ったところなのだろう。所詮流人は咎人でこういう扱いをされてしまう。

  

 それでも役人は刑期を終えた流人を責任もって江戸の送り返さなくてはならないから流人の所在を常に名主に確認しており、死んだとあれば一通りの捜査をして流人の死亡記録を書き綴るだけの事はする。そういう記録が溜まりに溜まれば村名主は一体何をしているという事になり名主の交代などもありえるのだ。しかし、もしそんな事が起ころうものなら今度は俺たち流人が困る事になる。翔左衛門は流人に対して寛大な対応をしてくれる名主であり、その息子の翔吉も流人と村人の区別はしても差別はしない男だ。名主の一家がそうしているせいもあってか村人も内心流人に不満を感じていても、それを表に出すような真似をしたりしないで俺たち流人に糧を得る機会を与え続けている。しかし名主が交代してしまったら、しかもその理由が流人の扱いの失敗だったとしたら、間違いなく次の名主は流人に対して厳しい締め付けをしてくるだろう。そうなれば俺たち流人は生き残れる可能性が低くなり江戸に帰る事が一層難しい事になってしまう。これは何としても翔左衛門に名主でい続けて貰わないとマズイし、その為にもいろはの改心を成功させて欲しい。

「私はただ・・・一生懸命仕事をしていただけなのに・・・」

 うつむき、袖を握り、それを目元に運ぶいろは。誤解されて辛い自分を目一杯に演出している。こりゃ全然懲りてねえな、そして自分の命が危なくなってる事に気付いてねえな。泣き真似をするいろはを見て困り果てる翔左衛門、村人は既に誰も話さないままに不機嫌な顔をしており、それこそ、その不満が今夜、それこそ深夜にでも爆発するのではないかという雰囲気だった。

「あの~名主様、よろしいでしょうか」

「な、なんだ八幡」

 不意に俺が話し出した事に驚きつつも話が途切れさせずに済んだ安心感を顔に出して翔左衛門が俺の発言を促した。

「どうも、いろはの奴はこの島の決まり事がまだよく分かってない様です。村人から言われても分からない、名主様から言われても分からない。では、どうでしょう流人の私から言ってみようと思うのですが」

 この発言には翔左衛門、村人、そしていろはまでもが驚いた顔をした。まあ普通、流人は自分が生き残る為に争い事に巻き込まれるのを極力嫌うからな。こんな事を言い出せば驚かれるのも当然だろう。

「八幡、お前がいろはの態度を改めさせるというのか」

「まあ、そういう事です。もちろん村の人達も流人にそんな事が出来るとは思ってないでしょうから驚かれるし、信用も出来ないでしょうから・・・明日一日貰えませんか。それで駄目なら引っ込んでますんで」

 村人がコソコソと何かを言い合いながら俺の方を見る。いろはもこいつナニ考えてんだって顔して俺を見てるし、何より翔左衛門が腕を組んで考え込み始めている。さて、どんな決定が下るのかな。

「いいだろう。明日一日いろはをお前に預けるから村の仕事は全部休んでやってみろ。ただし明日一日だけだぞ」

「ありがとうございます。では明日一日だけいろはの事を借りますので、皆さまもよろしくお願いします」

 俺は翔左衛門と村人達に頭を下げる。それを見た翔左衛門はとりあえず様子見の態度、その場にいた村人達は、今ひとつ信用出来ないが一日だけならと言った感で小さく何度も頷いていた。もちろん、いろは自身は不満気な顔をしているが名主、村人達の前で許可を取り付けられたものだから反論もままならず、その口をへの字に閉ざしていた。

「じゃあ、いろは。明日は明け方に迎えに行くからちゃんと起きて出掛ける準備しておけよ」

「明け方にですか!?先輩、一体何をするつもりなんですか」

「それは明日のお楽しみだ。よく寝とけよ、沢山歩くことになるから」

 俺はそう言い残し名主と村人達にもう一度頭を下げて、その場を後にした。

  

 翌朝、俺はいろはの家に行き玄関先から大声でいろはを叩き起こす。

「起きろ―――――っ!出掛けるぞ――――っ!!」

 しかし返事は無く、さてはまだ寝てやがるなと思ったのでもう一度大声を出そうとすると玄関の戸板の向こうに人の気配がした。ガタガタと戸のつっかえ棒を外す音がしてからひとりでに戸が開き、そこには襦袢姿のいろはが立っていた。

「・・・ホントに来たんですね」

 いかにも起き抜けの寝ぼけ眼で俺を恨めしそうに見るいろは。

「当然だろ。俺は名主様とあの場にいた村の人達にそうするって約束したんだら」

「、、、もういいじゃないですか~、、、これからはもうちょっと上手くやりますから、今日出掛けるのはやめましょうよ」

「お前、それ眠いだけだろ。さっさと支度しろ」

「む~~、分かりましたよ。じゃあちょっと待ってて下さい、支度してきますから」

 不貞腐れた様に溜息を洩らしながら渋々俺の言う事を聞くといろはは納戸の中に入って行ってしまった。俺は玄関先の框に腰を掛けいろはの支度が済むのを黙って待っていると納戸の戸の向こうから

「せんぱ~い。今日はどこに出掛けるんですか?」

「ああ、色々だ。海に行って山に行って、色々話しもするぞ」

「話って・・・お説教ですか!?」

 納戸の戸が三寸ほど開き、その隙間からいろはが顔を出して嫌そうな顔をする。

「まあ説教と言えば説教なのかな。しかしただの説教じゃない。為になる説教だ」

「説教に為になるモノなんてありませんよ。聞いてたって腹が膨れる訳じゃありませんもん」

「ははは、確かにな。聞いてるだけじゃ腹は膨れんわな」

「昨日だって、それこそ江戸に居た時だって私に説教する人はいましたけど何の役にも立たなかったですもん」

「しかし、お前に説教した人間の中には流人はいなかっただろ。聞かずに済ますのはもったいないと思うぞ」

「そりゃあ、江戸で流人に説教なんてされた事は無いですけど・・・」

「そんなに嫌がるな。多分お前だったら結構簡単に納得出来ると思うからさ」

「そうなんですか!?」

「ああ、お前は馬鹿じゃないからな。自分に利のある事だと理解出来ればちゃんと話しを聞けるだろ」

「自分に利のある事なら・・・まあ、聞けますね。」

「じゃあ、さっさと支度しろ。待ちくたびれて寝ちまいそうだ」

「それでもいいですよ。なんなら一緒に寝ますか?」

 いろはは戸の隙間から顔だけでなく、素肌の肩を出してきて俺をからかい始める。

「そんな事しても無駄だぞ。この島にはちょっと食い物やるだけで股開く女がいくらでも居るんだからな」

「可愛い後輩の私がここまで言ってあげてるの、そういう返ししますかね~。分かりました、大急ぎで支度しますけど先輩の説教が私の利にならない話だったらご飯ご馳走して下さいね」

「ああ、いいぜ。小屋に貯めてある食料で腹いっぱい食わせてやるよ。余ったら持って帰ってもいいぜ」

「約束ですよ!」

「ただし、俺の話がお前の利になったら一つ言う事を聞いて貰うから、そのつもりでいろよ」

「望むところですよ。先輩に私の利になる様な説教なんて出来る訳ありませんもん」

「言ってくれるじゃねえか。よし、じゃあ早く支度しろ」

「は~い」

 いろはは負ける気がしないといった笑顔を浮かべ、浮かれながら身を翻して支度を始めた。おいおい、もうちょっと警戒しろよ。身を翻した時お尻が見えちゃってたぞ。

  

 そうして俺達はいろはの家を出て、まずは以前、女の流人が死んでいた海沿いの崖に向かう。いろはも最初は俺から海に行くと聞かされていたので素直についてきたが人が滅多に来ない崖の方に足を向け始めると急に不審者を見る様な目つきになり

「せ、先輩・・・どこに行くんですか?」

「さっき言ったろ。海だよ」

「け、けど・・・こっちは海と言っても崖じゃないですか。危ないですよ」

「別に突き落としたりしないから安心しろ。それに気をつけて歩いていれば道幅は結構あるし、そんなに危険じゃないから大丈夫だ」

「当たり前ですっ!突き落とされたりしたら死んじゃうじゃないですか」

「普通は死ぬだろうな。あの崖かなり高さがあるから」

「ま、まさか先輩・・・私の事を」

足と止めて俺の訝しげに睨みながらジリジリと後ろの下がるいろは。

「だから突き落としたりしないって言ってるだろ。為になる説教をしに行くだけだ。安心してついて来い」

「説教ならここでも出来るじゃないですか」

「崖の上じゃないと駄目なんだよ。ほら、さっさとついて来い」

 仕方ないか!と言った感じ丸出しでいろはは渋々俺の後ろを付いて来るのだが先程までとは随分二人の距離が変わったな、ひょっとして俺が彼女を殺そうとしてると思われちゃったの。俺は元・泥棒であって人を殺める極悪人じゃないのに・・・繊細な陶器の様な俺の心が傷ついちゃったよ。まあ崖の上で俺の話を聞けば少し態度も変わるだろうと思いつつ目的の崖までやってきた。崖の上は見晴らしも良く、人が死んだという話さえ無ければ中々の絶景で村の名所になってもおかしくない様な場所だ。道幅もあり、それこそ人はおろか牛や馬でも通れるほどに道が広いから座り込んで海を見ながら弁当だって食えそうだ。しかし、いろはは崖から出来るだけ遠ざかる様に山肌にもたれる様に立って俺の動きを警戒している。そこまで警戒されると逆に突き落としてやろうかという気持ちも芽生えてくるが、下手に暴れられて一緒に落ちたら洒落にならんから止めておこう。

「なあ、ちょっとこっち来て崖の下を見てみろ」

「そ、そんな事言って私が崖の手前まで行ったら突き落とす気でしょ。バレバレですよ。先輩その手には乗りません」

「だから違うって言ってるだろ。じゃあ俺は崖から離れてるからお前一人で見てみろ」

 俺は警戒するいろはにそう告げて崖から離れ、彼女と十間(=じゅっけん、約九メートル)程の距離を取った。それを見たいろはは恐る恐ると言った感じで山肌から離れると俺の動きを見張りながらゆっくりと崖に向かって歩き出した。

「おい、俺を見張るのはいいが余所見してると突き落とされずに自分で崖から落ちる事になるぞ。気を付けろ」

「そ、そんなこと分かってます。とにかく!先輩はそこを動かないで下さいね」

「分かった分かった。動かないから気を付けろよ」

 そうして、ようやくいろはが崖に淵に辿り着くと、やはり恐る恐ると言った感じで崖の下を覗き込むと、何かに気付いた様な表情をしたので

「死体があるのが分かるか?もっとももう骨だけだが」

「ええ、ドクロが見えます。ここから落ちて死んだ人ですか?」

「ああ、そこから落ちてな」

 ドクロを見つけて驚いたのか固まって動かなくなったいろはに俺は

「もういいから崖から離れろ。俺がお前に見せたかったものは、そのドクロなんだ」

 驚いた表情をしながら崖から離れ再び山肌にもたれる様に立ついろは。俺はその動きに合わせる様に崖の方に歩いて行き、丁度いろはとドクロのある場所の間に座り込んだ。

「あれは女に流人のドクロなんだ。お前がここに来る直前だったかな、崖から流人が落ちたって話が村中に、それこそ流人の間にまで広がったんだ」

「へ~、そんな事があったんですか」

「もちろん島の役人が色々と捜査をして、何で流人がこんな所に来て崖から落ちたのかを調べたんだが肝心の死体は崖の下で、しかもここの崖下は船で近づく事が出来ない場所だから死体を調べる事が出来なくてな。結局、村人や流人に聞き取りをして崖の上から死んだのは誰かという事を確認しただけでで捜査は終わっちまったんだ」

「可哀そうですね~、こんな所に放ったらかしなんて」

「全くだ。けどな、あの崖から落ちた流人の女は以前から村人と揉めてたんだ」

「揉めてた!?」

「ああ、あの女の流人は所構わず村の男を誘惑して咥え込んでは食い物や着る物をねだっていたんだ」

「・・・所構わずって、家の中とかじゃなくてですか?」

「そりゃそうだよ。流人は普通家なんて無いからな。お前みたいに手に職のある流人は特別に家を与えられるが、そういうものが無い流人は自給自足の生活をしてるんだ。そんな事はお前だって知ってるだろ、いろは」

「ええ、そうですね」

 いろはの顔から血の気が引いた気配がした。俺が言わんとしている事に気付いたんだろう。しかし俺は構わず話を続ける。

「女の流人は男の流人の様に力仕事を手伝えないからな。おのずと仕事が限られてきて自分で生活を支え切れなくなる事が多いんだ。だから手っ取り早く稼ぐ為に男を咥え込むんだ」

「・・・」

「けど、崖下の流人は、それを余りにもあから様にやっちまったもんだから村の連中の怒りを買ってたんだよ」

「・・・じゃ、じゃあ、崖下の人が死んだのって・・・」

「真相は闇の中だ。調べようがないだろ・・・村の連中が口裏合わせたらさ」

「!」

 いろはが俺の言葉を呑みこんで体を硬直させた。江戸ならこんな事件が起ころうものなら奉行所の連中が必死になって捜査をするし、まして周辺の住民が口裏を合わせてまで人を殺めるなんて事はあり得ないからな。

「俺たち流人の扱いなんて、この島じゃこんなモンなんだよ。お前はそれが解かってないんだ」

「けど、これってれっきとした罪じゃないですか。今からでもお役人に・・・」

「だからさっき言っただろ、村の連中が口裏合わせちまえば島の役人にはどうしようもないって。それにその事は名主様だって同じなんだぞ」

「名主様も」

「村の名主に与えられてる権利なんて精々、与奪くらいで生殺については武士だけが持っている権利なんだ。だからいくら名主様でも流人の生殺に関する事は口に出来ないんだ」

「・・・そんな」

「昨日、名主様がお前を説得しようとしただろ。お前は言葉通りの表面しか聞いてなかった様だけど、本当はこのままだと村人の怒りを買って殺されるぞって忠告してくれてたんだ」

「けど、名主様が村の人達の悪行を放って置くなんておかしいですよ」

「村っていうのは村の人間の考えで動くものなんだ。名主はそのまとめ役に過ぎないし、その為の権限を与えられてるに過ぎないんだ。お前も江戸で江戸の郊外の村で百姓が名主に対して一揆を起こした噂を何度か聞いた事あるだろ」

「そんな噂ありましたね・・・全然興味無かったですけど」

「名主っていうのは絶対の権力者じゃねえんだよ。だから大勢の村人が考えを一致させて何かを始めちまうと止める事が出来ないんだ」

「・・・じゃあ私」

「やっと飲み込めてきたみたいだな。名主様はお前が殺されそうな事に気付いても直に言ってやれない立場の人間だ。村人はお前に怒りの矛先を向けてるから、そんな忠告はしてくれない。流人は自分が生き残るのに必死で揉め事に巻き込まれたくないから何も言わない。お前は孤立無援のまま殺されそうになってるんだよ」

「じゃあ、何で先輩は忠告してくれるんですか?」

「俺自身の為さ。あの場に居合わせたのはただの偶然だが、話を聞いた以上は放って置けないし、何より今の名主様、翔左衛門が名主の座を失うのは俺たち村の流人にとっては一大事なんだ」

「一大事?」

「ああ、翔左衛門も息子の翔吉も流人に対して実に穏健で寛大な対応をしてくれる流人にとってはとても有り難い名主なんだ。それがもし流人の事件がきっかけで名主が交代になったりしたら次の名主は間違いなく流人に厳しい対応をしてくるに決まってる。だから俺は翔左衛門の手助けを買って出たんだ」

 自分が原因の事なのに自分だけが話の流れから置いてきぼりにされていた事に気付かされたいろは、崩れ落ちるのではないかと言う程に山肌にもたれかかりガックリと項垂れていた。

「これでここでの話は終わりだ。次に行くぞ」

 俺は立ち上がっていろはに声を掛けてから村への道を戻り始めた。後ろには頼りない足取りでフラフラと歩くいろはが付いて来ていた。

  

 そうして村に戻り、次は俺の小屋がある山に向かうが、その途中途中で何人かの村人に会う。昨日の事が村の中で噂になっているのだろう、“噂千里を走る”なんて言葉もある位だし。村の人々の目の大半は好奇と軽蔑に満ちていたがその中に昨日、名主の前まで俺といろはを連れていった村人がいた。もちろん最初は他の村人と一緒で軽蔑する様な目つきをしていたのだが、いろはの落ち込む様子を見て何か変化があった事を読み取ったのだろう。俺に何をやったのかを聞いてきた。

「大した事じゃないですよ。まあ色々と、この島での流人の生き方について話しただけです」

 もちろん、これだけで全てを理解してもらえる程、俺は村人に理解されてはいない。しかし村人はそれ以上は何も聞いて来ずに黙って俺といろはの事を見送ってくれた。

  

 そうして俺は小屋に向かう途中にある俺が作った流人の墓にいろはを連れていった。

「これって先輩が作ったお墓なんですよね」

「ああ、翔吉から聞いてるだろ」

「・・・この人は運がいいですね。お墓を作って貰えるんですから・・・」

 付き物が落ちた様な気の抜けた表情をしながらゆっくりと墓に手を合わせるいろは。

「最初、翔吉さんにここに案内された時には、こんな所で死ぬなんて運の無い奴だって心の中で笑った位だったのに・・・」

「いろは、お前はこの先どうしたいんだ?」

「どうしたいって、何をですか?」

「いや、無事に刑期を終えて江戸に戻りたいとか、このまま村で上手くやってこの島で暮らすのかって事だ」

「そりゃ江戸に帰りたいですよ。江戸の方が便利だし食べ物も美味しいし仕事だって一杯あるし、手に職があるから食いっぱぐれる心配無いですしね」

「俺もそうだ。絶対生きて江戸に戻りたい」

「・・・ひょっとして待っててくれる人でもいるんですか」

 いつものあざとい調子に戻ったいろはが腰を少しかがめる様にして横にいる俺の顔を覗き込んで来た。

「ああ」

「ひょっとして女の人ですか。いや先輩の事だから家族くらいかな」

「・・・両方だ」

「え~!ちょっと意外ですね。先輩にそんな人がいるなんて」

「以外で悪かったな」

「けど待っててくれない可能性だってありますよね~」

「嫌な事を言うな。まあ、その通りなんだが」

「今頃は他の男とくっついて子供でもあやしてるんじゃないんですかね~」

「・・・そうかもしれないな。何しろ美人だから」

「え~、先輩を待ってる女が美人だなんて信じられませんよ」

「その点は俺も同意だ。あんなにいい女が俺を待ってるって言ってくれたんだからな」

「・・・なんか、堂々とのろけられると気分が悪くなってきます。けど、いつ待ってるなんて言ってもらえたんですか?普通、捕まってからは誰とも会う事は出来ないじゃないですか」

「奉行所の牢屋から船に乗る為に紐で手を縛られて馬に引かれて町中を歩かされるだろ。あの時に道の途中で待っててくれたんだ」

「縛られた先輩を見てもなお、待ってるって言ってくれたんですか!?その人」

「ああ、だから待っててくれるって信じてるんだ。だから・・・俺は絶対に江戸に戻りたい」

「・・・先輩」

「もう一度聞くぞ、いろは。お前はこれから先、どうしたいんだ?」

俺の身の上を聞いたいろはは先程の様なおちゃらけた様子は無く腕組みをして真剣に考え込み、タップリ時間を掛けてから俺の問いに答えてきた。

「江戸に戻ります。江戸で自分の髪結い屋を開きたいです」

「そっか、じゃあお互い、この島で生き残らないとな」

「はい・・・そうですね」

 もう一度、墓に手を合わせてから俺は山の中腹にある山芋畑、すなわち昔七人の流人が住んでいた場所にやってきた。

「ちょっと待ってろ、目についた雑草抜いちまうから」

「手伝いますよ」

「手伝うのはいいが、そのせいで疲れて髪結いが出来ないなんて泣き事を言うなよ」

「そんな事言いませんよ。それに先輩は知らないでしょうけど髪結いって結構力仕事なんですからね。女の人の髪なんて凄く重たいんですよ」

「へぇ・・・女の髪は重たいものなのか。それは知らなかったな」

「え、先輩ってひょっとして・・・童貞なんですか!?」

「うるさい!黙って草引け!!」

いろはの奴がニヤついているのは明白だったので彼女の方を見ずに雑草を抜いていると

「それにしても山芋を畑で作ろうだなんてよく思い付きましたね。私じゃ絶対に思い付きませんよ」

「まあ、島に来たばかりの頃に名主様や翔吉にこの島では稲や野菜が育て難いって聞かされたからな。それと俺の住んでる小屋の近くにムカゴが沢山なっていたから、やってみようと思っただけだ。正直ここまで出来るとは思いもしなかった」

「こんなに山芋を作れたら村で働く必要無いんじゃないんですか」

「いや、これくらいの畑じゃ、俺一人でも足りない位だぞ」

「そうなんですか?けど先輩って鶏も飼ってますよね」

「ああ、放し飼いだけどな」

「畑を作って鶏を飼う・・・そんな流人聞いた事ないですよ」

「それは名主様も翔吉も村の人も言ってるな」

「よく、鶏を飼う為の柵なんて作れましたね」

「柵の材料は・・・昔ここに住んでいた流人の小屋をバラした材木なんだ」

「そう言えば以前言ってましたね。ここって七人の流人が住んでたって」

「ああ、俺がこの島に来た時には既に五人だったけどな最初の冬であっという間に三人死んじまって、残り二人はどうにか冬を越したが結局春になってから二人、間を置かずに死んじまったんだ」

「寄り集まって暮らしてたのに生き残れなかったんですね」

「ああ。ただ寄り集まってるだけみたいだったからな。あれじゃあ長くは持たなかったんじゃないか」

「どういう事ですか?」

「寄り集まって色々協力しながら、分担しながら生きていけばよかったのに、ここに居た連中は同じ場所に小屋を作って別々に暮らしてたみたいだからな」

「それじゃあ寄り集まる意味が無いじゃないですか」

「全くだ。だから死んじまったんだろうけどな」

「・・・人間って簡単に死んじゃうんですね」

「ああ、最後の二人なんてろうそくの灯が消えるみたいにふっと命が終わった感じだった」

「見てたんですか?」

「ああ、翔吉と様子を見に来た時にな。何か言いた気だったが声になって無くて最後の言葉は何を言っていたのか解からなかったよ」

「助けてあげなかったんですか?」

「ああ、凄く迷ったけどな。しかし俺は絶対江戸に戻るんだって考えたら自分の食い扶持を人に分けてやることなんて出来なかった」

「それは・・・しょうがないですね」

「ああ、しょうがなかったんだ」

「けど、先輩って山芋とか卵とか鶏肉を村に持ってきてますよね。あれって自分の食い扶持を分けてる事にはならないんですか?」

「村に食い物を持ってくるのは何かと交換する為だ。他の食い物だったり、生活の道具だったり、あと恩とかな」

「物々交換ですか・・・昔の人みたいですね。けど恩ってなんですか?」

「恩は恩だよ。食い物を分けてやったんだから、これからもよろしくってな。何か無碍に扱われたりしたら食い物分けてやっただろって匂わせるだけでこっちの言い分が通し易くなる」

「先輩も結構あくどいですね」

「これくらい生きる為には当然だ」

「けど参考になります。私もそういう風にすればいいんですね」

「まあ受け渡しするモノが随分違うだろうが、考え方はそれでいいと思うぞ。お前ならそれくらいのやり方の変更なんか簡単に出来るだろ」

「ええ、そういうの得意ですから」

「それはそれで心配だな。やり過ぎるなよ」

「だったら、これからも相談に乗って下さいよ。私を助けたのは先輩なんですから最後まで責任もって助けて下さいね」

「なんだよ、そのあざとい上に恩着せがましい物言いは」

「とにかく!責任取って下さいね」

 右手で俺を指さし、左手を腰に当てフンと息を吐きながら俺に責任をおっ被せてくるいろは。やれやれ・・・俺の妹病にも困ったもんだ。こりゃ、なんだかんだ世話焼いちまいそうだな。そんなやり取りをしながら雑草を抜き終わると陽はすっかり頭の上に上がり切っており腹も空いてきたので、これまた予定通りに俺の小屋までいろはを連れていく。そこで俺は前の日に絞めて軒先の日陰に吊るしておいた鶏と小屋の床下に保管していた山芋と包丁を竹籠に入れて、鉄鍋と一緒に抱えて、いろはを連れて沢に向かった。

「先輩、その鶏どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもないだろ。食うんだよ」

「え、ひょっとしてご馳走してくれるんですか?」

「ああ、結構歩いたし、雑草抜きも手伝ってもらったからな。それに」

「それに・・・何ですか?」

「この昼飯は説教付きの昼飯だ。心して食えよ」

「・・・ここまできたら観念しましたよ。心していただきます」

「じゃあ、さっさと手を洗って小屋で待ってろ。出来るだけ早く支度して戻るから」

「は~い」

 そうして、いろはが先に小屋に戻って行くと俺は沢の水を使いながら鶏を捌き、山芋の皮をむいて一口大に切り揃えて一緒に持ってきた竹籠に入れて小屋へ戻った。

「え~、もう鶏捌いちゃったんですか。凄く早いですね」

「これくらい当たり前だ。俺は板前だぞ」

「そう言えば、そんな事言ってましたね」

「もうちょっと待ってろ。味噌汁作って、粟も炊いちまうから」

「先輩の所っていろいろ揃ってますね~。包丁に鍋に竹籠・・・釜もあるし石で組んだカマドも三つあるし、味噌や醤油や塩まであるじゃないですか」

「少しずつ揃えていったんだ。昼メシを抜いて駄賃代わりの粟を貯めて味噌や醤油や塩と交換してもらったり鶏の肉を釜や包丁と交換してもらったり、ここまで揃えるのに一年半かかったからな」

「へ~、けど先輩って昼御飯を抜いてるんですか。お腹空きません?」

「もう慣れたよ。それに朝と晩を食っていれば、昼間は働く忙しさで腹が減ったのも紛れるしな」

「いつ頃からお昼を抜いてるんですか?」

「あれは・・・この島に来て五日目か六日目辺りだったかな」

「え~、そんな頃から昼抜きだったんですか」

「ああ、ただ代わりに昼飯の分の粟を名主様の所で分けて貰って貯め始めたんだ。そうしておけば、あの時に始めた山芋畑が上手く行かなくても名主様の小屋から追い出された直後に食い物に困らないだろ」

「なるほど、結果として山芋畑も上手く行って三月分のお昼の粟が溜まった訳ですね」

「ああ、だから腹いっぱいと言う訳にはいかなかったが食い物に困った事はこの二年の間でほとんど無かったんだぜ」

「凄い、さすがに名主様と翔吉さんを感心させるだけの事はありますね」

「そんな事もないけどな。風邪をひいたり腹壊したりで働けなくなった時に翔吉が様子を見に来てくれなかったら今頃生きて無かったかもしれない」

「名主の家との縁を切らずにいられただけでも凄いですよ」

「そういう事もあって、今でも昼飯の分の食い物は貯めておいてるんだ」

 そうして粟が炊き上がり、山芋の味噌汁が完成し、鶏肉が焼き上がったので、多分、島で暮らしていく上で最高に贅沢な昼飯をいろはと食べ始めた。

  

「ん~~~~~~っ!おいし~~~っ!」

「鶏肉好きなのか?」

「好きとか嫌いじゃなくて、こんな物を食べたの久しぶりですっごい感激ですよ」

「まあ俺も普段は鶏肉なんて滅多に食わないからな。自分で飼ってる鶏は村の人との交換材料って事にしてるから自分の口には入れなしな」

「へ~、そうだったんですか。それにこの量。この島に来て初めてお腹一杯になれそうです」

「まあ名主に分けて貰える食事は量が少ないからな」

「ホントですよね。けど村のみんなもそうなんだから文句も言えなくって、ずっと我慢してたんですよ」

「こんな食事は島に居る間、二度と食えないだろうな。なにしろこのメシの材料を揃えるのには二年かかったも同然なんだからな」

「そっか・・・これって、先輩が貯めた食料を振る舞ってもらってるんですよね。美味しさと量に舞い上がって気が付きませんでした」

「分かって来たみたいだな。それとこの食事は山の中だから食えるんだ。これを村でやってみろ、なに一人で贅沢してるんだって、それこそ袋叩きになって崖から放り投げられちまう」

「それ言えてますね。じゃあこの事は村では絶対内緒にしておかないと一緒に食べた私も同罪になっちゃいますよ」

「そういう事だ。食い物の恨みは怖いからな。こんな感じで村の人の考えをちゃんと汲み取る努力をしろよ」

「もう!折角の食事が先輩のお説教で台無しです」

「まあ、もう十分に俺の言いたい事は伝わっただろ。だからこれからは、もうちょっと上手くやれ。俺からの説教はこれで終わりだ」

いろはは一旦箸を置いて俺に向かって丁寧に頭を下げてきた。

「ありがとうございました。凄く・・・凄く私の利になりました。これからもよろしくお願いします」

「随分殊勝だな。ほら、冷めないうちに食っちまえよ。と言うか残さず食えよ。せっかくの料理なんだから」

「はい、全力でいただきます」

 いろはは吹っ切れた様な笑顔でもう一度手を合わせてから箸を持ってモリモリとメシを平らげていった。俺もこれ程の食事をしたのが久しぶりだったのでいろはに負けない勢いでメシを食い、作る時間の半分ほどで全ての料理を食べつくした。何か久しぶりに満腹になったせいか逆に気分が悪いくらいだ。いろはも小さな子供の様にお腹をポンポンと叩きながら大満足と言った感じだった。俺はのっそりと立ち上がり食器や料理の後片付けをする為に鍋釜に使った食器を入れて、いつもの沢に向かった。いろはは俺に何も言われてないのに黙って俺の後を付いて来て一緒に沢までやってきた。

「先輩、後片付けですよね。私がやりますよ」

「別にいいって、小屋でゆっくりしてろ」

「まあまあ、そう言わずに。これもお説教のお礼ですよ・・・あ!私、先輩のお説教が私の利になったら先輩の言う事を一つ聞かないといけないんでしたよね」

「そういや、そんな賭けしたな」

「私は何をすればいいんですか?」

「全然考えて無かったな。あの時はお前を話に乗せるのが最優先だったからな」

「そんな適当な賭けだったんですか。私なんか先輩から食べ物を分けて貰う算段してたのに」

「そういう事を偉そうに言うな。全く・・・」

「私は真剣に賭けをしていたんですから、真剣に応えて貰わないと凄くつまらないです。何でもいいですから何かお願いしてみて下さいよ」

「そうは言ってもな~、何も考えて無かったのは事実だし突然そんな事言われても何も思い付かんぞ」

「しょうがないですね・・・じゃあ伽(とぎ=世話焼き→転じてセックスの意)の相手なんてどうですか。先輩した事ないんでしょ!?」///

 いろはの奴が何やら血迷った事を言い出した。俺は突然の予想外の事を言われ軽く自失しつつも彼女に反論した。

「ば、馬鹿っ!何言い出すかと思えば、お前どんだけ阿婆擦れなんだよ」///

「私は阿婆擦れなんかじゃありませんよ!」///

「そんなこと言い出せば、そんな風に思われて当然だろ!それにお前の今までの振る舞いやしてきた事を考えれば、そういう経験が無いとも思えないしな」

「そ、そんな・・・」///

 急に声の勢いを無くしたいろはは赤い顔のままうつむき、両手を胸元で重ね合わせながら消える様な小声で

「私だって初めてですよ」///

「は?」

「だ~か~ら~・・・私だって経験ありませんよ!大体、男をだますのにいちいち体張ってたら体が持たないし、やる事やられたんだったら私が被害者なんだから島送りになんかされませんよ」///

 なるほど、誘惑するだけしておいて、おねだりするだけしておいて、その上で何もさせなかったから揉めたのであって、されたんだったら揉めたりしないし、いろはの言う通り島送りになったりしない筈だ。

「なるほどな、お前の言い分は分かった。しかし伽の相手っていうのは突拍子もない申し出だぞ思うぞ」

「け、けど今の私はそれ以外に先輩に上げられる物は無いし、それに・・・」///

「それに?」

「先輩だったら、いいかな~って思ったんです。」///

「ちょっと待て。説教されたくらいでそんな事を考えるな。この先説教なんていくらでも聞けるからちょっと落ち着いて考えてみろ」

「それはそうですけど・・・江戸でも騙す為とは言え沢山の男の人と話しましたけど先輩程ちゃんと私と向き合って話してくれた人はいません。先輩とだったら私・・・この島でも江戸でもどこでも暮らしていけます。だから・・・」///

 今まで見た事ない程の真剣な表情をするいろは。参ったな、まさかこんな展開になるなんて思いもしなかったぞ。けど女っ気のない流人生活で中身はともかく見てくれはかなり可愛い女から、こんな申し出をされると思わずその気になりそうになってしまう。いや、ダメだ!ちゃんと考えろ・・・お雪が江戸で俺を待ってるんだ。浮気なんてもっての他だ。お雪の事だから俺が島で女を作っていたなんて事はいとも簡単に見破りそうだし、バレようものなら俺はきっと大根と一緒に刻まれて味噌汁の具にされてしまう。そんな崖から突き落とされるより残酷な死に方はしたくない。それにいろはの事だからやる事やっちまったら、なし崩しで俺と一緒に居続け様とする筈だ。これは罠だ、これを受けたら俺は江戸に帰れなくなる。お雪が、小町が、総武長屋のみんなが俺を待っててくれてるんだから、この誘いには絶対乗っちゃダメだ。俺は物凄く強く後ろ髪を引かれる想いをしながら

「いろは、よく聞け。俺には待っててくれる女がいるんだ。俺はお雪を裏切れない」

「そんなの待ってる訳ないじゃないですか。それに据え膳食わぬは武士の恥ですよ」

「俺は流人で武士じゃない。とにかく俺はお雪を裏切るつもりはない」

「先輩はまだこの先三年島に居なくちゃダメなんですよね。そんなに我慢して本当に島で暮らしていけるんですか?目の前に快適な島暮らしに協力するって言ってる可愛い女がいるんですよ」

「う!確かに・・・あと三年我慢をするのはキツイかもな」

「でしょ!先輩が望むなら私の家でも、先輩の小屋でも、何なら今ここでしたっていいですよ。沢の横だから事が済んだ後に体も洗えますし」

「ナニ冒険心一杯で語っちゃってんだよ。いくら流人でもそんな獣みたいな事できる訳ないだろっ!」

「せんぱ~い・・・私の事嫌いなんですか~」

 やべっ!いろはの奴、作戦変えて来やがった。よりによって俺が最も抗えない妹攻撃をしてくるとは恐ろしい奴。もしここで俺が“そんな事ないぞ”なんて言おうものなら、あっという間にいろはの奴に絡め取られてしまう。え!なにを絡め取られるかって?そんな事大きな声じゃ言えないよ。とにかく俺が妹攻撃をかわす術を持たない以上、この場から逃げるしかない。俺は苦し紛れに

「あ!翔吉」

 と叫んでみた。するといろはは驚きながら振り返り人影を探す。無論俺はその機会を逃さずに鍋や釜を抱えたまま小屋へと走って逃げ出した。清潔な暮らしを常と掲げて生きている俺が洗ってもいない食器類を小屋に持ち帰るなんて、あるまじき行為なのだがこればかりは止むを得ん。俺は洗ってない鍋釜を一旦小屋に置いて、皿に乗せておいた残りの鶏の生肉を皿ごと風呂敷で包んでいると、トボトボとふくれっ面のいろはが小屋に戻ってきた。

「あそこまで露骨に逃げ出さなくたっていいじゃないですか」

「あんな迫り方されたら逃げ出しもするわ!」

「折角決心しての告白だったのに・・・女に恥をかかせる先輩は最低です」

「ああ、最低で結構だ。だから今の事はお互い忘れようぜ」

「・・・絶対忘れませんから。まあ、あと三年も時間があるんだし、じっくり攻めさせてもらいますよ。覚悟して下さいね先輩」

 もうイヤ!八幡江戸に戻りたい。と嘆いたところで刑期が短くなる訳ではない。俺はとんでもない化け物を生み出してしまったのかもしれないと後悔しながら

「ほら、行くぞ。ついて来い」

「え、私の家ですか?」

「違うよ!名主様の家だよ。お前の改心が上手く行った事を報告しに行くんだ。お前もちゃんと心を入れ替えた事とこれから村でどうするか名主様に言うんだぞ」

「は、はい分かりました。じゃあその後に私の家で・・・」

「だからお前の家には行かねえよ。何度同じ事を言わせるんだ、いい加減にしろ」

「は~い」

 

 そうして俺は鶏肉が入った風呂敷包みを持って、いろはと一緒に名主の家に向かった。

「御免下さい。流人の八幡でございます。名主様はおいででしょうか」

玄関先で俺は家の中に声を掛けると翔左衛門と翔吉が一緒になって奥から出てきた。

「よう八幡。あ、いろはすも一緒なんだ」

「ああ、今日一日歩きまわりながら説教をしてやったら、やっと自分のした事に気付けたようだ」

「本当か!?八幡」

 翔左衛門が驚きの声を上げつつ、いろはに目をやると彼女は翔左衛門に向かって

「はい、私は少々、自分の立場を思い違えていた様です。ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。これからは村の人に誤解を与える様な言葉は慎みますので何卒、お許し下さい」

「うむ。そうかそうか、解かってくれればそれでいいんだ。これからは村の事を考えて仕事に励むんだぞ」

「はい、ありがとうございます。それで名主様、一つお願いがあるのですが」

「願いだと?何だ言ってみろ」

「今日私は先輩から色々話しを聞かされて思ったんですが、この島では食べ物が常に不足してますよね」

「ああ、それがどうした?」

「だから私、皆さんに迷惑を掛けたお詫びにこれから一月の間、昼御飯を抜きにしていただきたいんです」

「昼メシ抜きだと・・・八幡みたいな事を言い出したな」

「はい、先輩の話を聞いて思い付いた事ですから。それで私が食べなかった分を迷惑を掛けた人達に配ってあげて欲しいんです。私から直接渡したのでは、またどっかでねだってきたと思われてしまいますから」

「なるほどな、償いに昼飯の分の粟を迷惑を掛けた村人に分け与えるのか。悪くない考えだ」

 正直意外だった。反省はしたと思っていたが、こんな申し出をするとは思ってもいなかった。つくづく突拍子もない事を言い出す女だな、こいつ。と思っていると翔吉が口を開く。

「けど、いいのかいろはす。腹が減って仕事が出来なくなるかもしれないぜ」

「昼だけですから大丈夫です。それに私より働いている先輩に出来るんですから私にだって出来る筈です」

「そりゃ、そうかもだけど」

 翔吉は唇を尖らせて何やら不機嫌な様子だが、それを無視する様に翔左衛門が

「分かった。これから一月の間、お前の昼メシを抜いて、それに見合う分量の粟を明日にでも村の迷惑を掛けた連中に分けてやろう。それでいいな、いろは」

「はい、ありがとうございます。これで私も村の役に立てます」

「ほう!本当に改心した様だな。八幡、一体どうやってここまでの改心をさせたんだ」

「まあ、それは流人ならではの方法と言う事で・・・ご容赦ください」

 大よその見当が付いたのだろう。翔左衛門は笑顔で何度も頷きながら俺を見ていたが、そんな中いろはが

「名主様、私って村唯一の髪結いですよね」

「ああ、その通りだ。その事はお前が島に来た時に話しただろう」

「なら、私は今迄のように村に人に迷惑を掛ける事さえしなければ村の役に立てる人間なんですよね」

「その通りだが、それがどうした?」

「ここにいる先輩も流人でありながら村の役立ってる人間ですよね。私みたいに手に職を持ってはいませんけど山芋を畑で作ったり鶏を飼ったりして村の人に食べ物を分けてあげたりしてますし、それに何より流人は汚い、付き合い辛いって村の人のそういう考えを変えちゃった人ですよね」

「その通りだ。だから私はお前の髪結いという腹の膨れない技術を養おうと思ったんだ。流人の八幡でさえ身なりに気を付ければ印象が変わるのだから村人が同じ努力をすればきっと村はもっと良くなる筈だ」

「そう考えると私と先輩ってこの村に居続けた方がいいと思いませんか?」

「「「なんだと!?」」」

 翔左衛門、翔吉そして俺の三人が揃えて驚きの声を上げた。いろはの奴何考えてんだ?

「そうすれば、きっと名主様が考える通り村の人は身綺麗になって暮らしに対する意識も高くなるでしょうし、村が作る食べ物の量も増えると思うんですよ」

「確かに、髪結いと言う習慣が村のみんなの身に付けば村はいい方向に変わって行くだろうし、八幡に色々工夫をさせたら村の食糧事情は変わるかも知れん」

「私は先輩さえ、ここに残るって言ってくれれば一緒に残ったって良いと思ってるんです。今日一日でそう思う様になりました」////

「ほう・・・そういう事か」

 翔左衛門が名主らしからぬニヤついた笑いを浮かべる。いろはの奴、俺に直接色仕掛けをしても無駄だと思って外堀埋めに来やがった。やっぱりとんでもねえ女だぞ、こいつ。俺が危機感を感じ、いろははしてやったりの顔をし、翔左衛門が納得しかかった時、翔吉が声を上げた。

「ちょっと待った!」

「どうした翔吉?」

 大声で話を切る翔吉を見て翔左衛門が驚く。

「いや、だって・・・髪結いは村の誰にも出来ない事だからいろはすじゃなくちゃダメだけど食い物をもっと作れるようにするのは俺にだって出来るよ」

「翔吉、お前・・・」

「とりあえず、八幡がやってる山での山芋作りと鶏を飼うのを別の場所でやってみるからさ。親父ちょっと時間くんね」

「・・・よかろう。やってみろ」

 翔吉は良くも悪くも名主の息子として父親の翔左衛門が歩んだ道をなぞって生きてきた人間だ。それがいきなり流人の考えを取り入れて、それをやってみると名主である父親に向かって言い出す様な人間じゃない。俺は驚くというより呆れた気持ちになりながら翔左衛門・翔吉親子を見ていたが、どうやら父親の翔左衛門は俺とは違う事を考えていた様で驚きつつも先程の様なニヤついた顔をしていた。こうなると話の腰を折られたいろはは何も言えず俺の外堀を埋める事に失敗し、その口を閉じてしまっていた。

「では、これで失礼します。明日からはいつも通りに働かせていただきますので。あ、それとコレ、今日鶏を一羽捌きましたので少しですがお裾分けです」

「あ!私も失礼します」

 いろはが俺の翔左衛門への帰りの挨拶に声をかぶせる様に帰りの挨拶をした。俺は玄関の框に風呂敷包みを置くと、その横で翔吉が草鞋を履き始め

「ちょっと、そこまで送るわ」

 そう言って俺といろはを家から追い出す様に背中を押しながら外に出た。外はもう夕焼けになりかかっていて村の道には人っ気が無く一日の村の仕事が終わった事を思わせる風景だった。もちろん最初はいろはの家に向かい彼女を家まで送るのだが俺は俺と翔吉でいろはを挟む様に並び横に広がって歩いている事に気が付いた。あれ?いつもなら名主の息子の翔吉が先頭を歩き、その後ろを流人の俺やいろはが付いて行くって感じなんだが今日はちょっと違うな!?と思っていると、いろはの家の前に到着したので、いろはは俺達に頭を下げて家の中に入って行ったのだがその直後、翔吉が俺に近づいて来て

「八幡、わりぃけど、俺負けねぇから」

 人好きのする二カッとした笑顔で俺を指さすと、どこか満足気に歩き去っていく。夕日を背に歩く翔吉を見ながら、

「勝手に勝負してんじゃねえよ」

 誰も聞いてないのに翔吉の挑戦状を脇に置く様な事を口にしてしまった。まさか名主の息子が流人の女に惚れるとはな。まあ江戸市中に知らぬ者無しの呉服の大店の娘が長屋住まいの盗人に惚れる事だってあるんだから、こういう事も起こるのだろう。いろはの気持ちに振り回された一日の終わりが何やら微笑ましい物に変わっていくのを感じつつ俺は自分の小屋を目指し歩き始めた。

  

  

 それからの翔吉は凄かった。村の畑の中で反収の少ない畑の中から山裾にある日当たりの悪い畑を選んで、かなり強引に山芋畑にしてしまった。名主の息子として村人と分け隔てなく関わる様にしていた翔吉からは想像もつかない奪い取る様なやり方は村人ばかりか名主である父親・翔左衛門さえも驚かせた。村人も今迄にない翔吉の行動に驚きが優先して苦情を名主に言う事を忘れたかのように、その様子を見守っていた。そしてその畑のすぐ脇の山裾には沢から水を引いて来て浅い溜池を作り、それを含めたかなり広い場所を取り囲む様に村中の余った材木を集めて来て柵をこしらえ、鶏を雄雌十羽ずつ放し飼いにした。山芋畑も鶏を飼う場所も俺の物のほぼ二倍の規模なので、その世話にはかなりの手間が掛かるのだが従来の稲や野菜の手入れに比べれば遥かに楽で、鶏も柵の中の林の中での放し飼いだから餌をやらなくても鶏自身が勝手に餌になる物を探して食べる状態なので家の脇で鶏を飼っている連中よりは餌をやらなくていい分、管理が楽に出来たようだ。俺も何度となく足を運び手伝おうとしたのだが翔吉は俺への対抗心から俺の手助けを一切受け付けず、それどころか村人の手伝いさえも断っていた。

  

 そんな息子の暴走ぶりを父親の翔左衛門はただ黙って見守っていたのだが、翌月には鶏の方で成果が表れ始めた。柵の中に放った十組の雄雌の鶏はそれぞれに卵を産み雛を孵していく。半年もすると鶏の数は三倍以上になっており翔吉が作った柵の中では手狭になる程だった。そうなると古い鶏から肉にしていき村人に振る舞い始め、更に柵の中の鶏の巣の中にある卵を定期的に村人に配る事が出来る様になってきた。山芋畑の方は三月経った頃には山芋が一尺(=約三十センチ)ほどに育ち全部で二百本近い山芋を収穫する事が出来た。こうなると名主も村人も翔吉のする事に目を見張り始め、同じ事をし始めた。そうする事で二年の間に村での山芋の生産量は米の生産量を越え、卵の生産量は従来の七倍にまで膨れ上がった。

  

 ここまで来ると翔吉は自分のしたことに自信を持ち、堂々と名主の跡取りを名乗り始め、それにふさわしい恰好をするべく、いろはの所に行って長い総髪をやめて初めて髷(まげ)を結う様になった。素晴らしい実績と見た目の変化は村にちょっとした流行をもたらした。それまで身なりに余り気を使わなかった若い男衆が皆競う様に髷を結い始め、女衆もそれにつられる様に定期的にいろはの所に行っては髪の手入れをする様になった。村人が身綺麗になっていく事で島の役人達が他の村より、この村を無意識に優遇し始め江戸からの情報がいち早く翔左衛門の所に入ってくる様になり、さらには村から役人達へ年貢とは別に定期的に山芋と鶏肉と卵の差し入れをする様になると島の中での翔左衛門の発言力は他の村の名主を遥かに上回り、その影響力は島名主に匹敵する程になっていた。

   

 そんな風に俺が島に来て丸四年が経とうしていたある日、翔吉がいつになく髷をキチンと整え着物も新品の物を着て俺の小屋までやって来た。なんだ男のくせに妙にめかしこみやがって、しかもよりによって流人の小屋にやって来るのにそんな格好して何考えてんだ。

「どうしたんだ翔吉?めかしこんで」

「あ、いや、その~・・・ちょっと付き合ってくんネ」

「付き合う。どこに?」

「い・・・」///

 “い”と言い出したが、声が小さ過ぎてその後になんて言っているか解からない。それに顔を真っ赤にしてうつむいて、気持ち悪いくらいにモジモジしている。名主の息子じゃ無ければ殴ってるかも知れない程に鬱陶しい。

「え?なんだよ。どこ行くんんだ?」

「だ、だから・・・」///

「だから?」

 なんかもう面倒臭くなってきたな。畑と鶏の世話もあるし話を切り上げちまおうかな。そんな事を考え始めた時、意を決した様子で俺に向かってこう言ってきた。

「いろはの所に行くから付き合ってくれ!八幡の前でいろはに結婚を申し込むから証人になってくれ!」

「ケッコン!?」

「俺ももう数えで二十二だし遅いくらいっしょ。それに・・・今なら俺からの申し出を受けて貰えると思うから」

「・・・」

「だから頼む!一緒に来てくれ!」

   翔吉が腰を曲げて頭を下げ両手を合わせながら俺にいろはの家への帯同を頼み込んで来た。え~、名主の息子が流人の女に結婚申し込むだけでもかなりおかしな事なのに、その立ち合いの証人も流人にするって変過ぎねえか!?

「なんで俺なんだよ。そんな大事な話なら、それこそ父親の名主様や村に相応しい人間がいくらでもいるだろう」

「いや。八幡じゃないと駄目なんだ」

「どうして?」

「いろはは八幡に惚れてんじゃん。だから八幡の前で結婚申し込んで俺を選んで欲しいんだよ」

「そう言う事かよ・・・まあ俺はあと一年でこの島からいなくなるし、あいつも踏ん切り時なのかもしれねえな」

「そ、そうだろ!そう思うだろ!!それに俺も嫁取りするのにふさわしい働きぶりが出来てる自信があるしさ」

「確かに、ここ二年のお前はスゴイ働きぶりだったもんな」

「・・・けど、八幡も卵が日頃から食える様になったからって鍛冶屋に頼んで四角い鉄の平鍋を作らせて、ほぐした干物を入れた卵焼き作ったりして、村で新しい事をどんどんやってんじゃんかよ」

「俺は板前だからな。材料が手に入るなら色々作ってみたくなるもんだ」

「くっそ~~、料理まで手が回らねえって。ちょっと加減してくれよ八幡」

「俺が作る料理なんて、そんな凝ったもんじゃないから作り方さえ知ってれば誰にだって作れるモンばっかりだぜ」

「さすがに今まで料理人の流人はいなかったし職人として特別扱いもしてなかったから村の食い物って江戸に比べて水準低いんだよな~」

「いろはは食い物に釣られる様な女じゃないだろ。もっと自信を持てよ」

「それは分かってるつもりなんだけどさ~、やっぱ、いざ実際に結婚を申し込むとなると色々不安が押し寄せてくるんだよ」

「いろはの奴、俺の所に遊びに来る時、以前はお前の事なんか何も言ってなかったけど、ここ一年くらいは結構、お前の事をあれこれ言って褒めてたぞ」

「ホントかっ!?八幡、それホントにホントか!?」

「嘘言ったってしょうがないだろ」

「よし、勢いついた。八幡、一緒に来てくれよ」

「ちっ・・・しょうがねえな。手早く済ませよ」

「まっかせなさ~い!瞬殺してやっからさ。見ててくれよ」

 浮かれたり落ち込んだり、浮き沈みの激しい奴だな。ぶっちゃけかなり面倒臭いのだが、なんだかんだと世話になってる翔吉の一生の問題だ。それに袖にしているとは言えいろはだってなんだかんだ可愛い後輩だ。結ばれてくれるならそれはとても目出度い事だし一緒に喜んでやりたい。俺は翔吉の背中をバンと大きな音がする程に叩き山を降り始めた。山のふもとが近づく度に翔吉の歩幅が小さくなり歩く道筋も変な感じに蛇行し始める。お前緊張しすぎ!こういうのって人事だとスゲー冷静に観察出来るもんなんだな。うん、これは俺が江戸に帰った時の参考になるかもしれない。しかし今のまま放っておくと結婚を申し込んで受けて貰える貰えない以前に申し込みそのものをしくじりそうな感じだ。

「なあ翔吉。お前、いろはが結婚してくれる事になったら、あいつの仕事はどうするつもりなんだ?」

「え、それは・・・どうすっかな」

「なんだよ、考えてないのかよ」

「そうだよな、それって大事な事だよな。俺はてっきり家に入って貰って子供を産んでもらうつもりだったけど、いろはは手に職を持ってるからな~。どうすりゃいいんだろ?」

「まあ腹に子供がいても髪結いを続けられるなら働き続けて貰ってもいいんじゃないか。まあ、二人で話し合えばいいんだろうし、その考えを素直に名主様に話して色々意見を貰えばいいいだろ」

「そうだな。うん、そうしよう」

 よしよし、黙り込んでると色々考えちまって緊張してしまうだろうから、こうやって少し話をした方がいいんだろうな。

「なあ八幡」

「なんだ?」

「八幡は来年刑期が開けるだろ。そうしたらやっぱり江戸に帰っちまうのか?」

「ああ、もちろん帰るぞ」

「そっか、ちょっと残念だな。八幡が村に居ついてくれれば村はもっと良くなると思うんだけど・・・」

 横目で俺を見ていかにも残念そうな顔をする。人に認めて貰えるというのはどんな状況でも有り難いモノだな。しかし俺は江戸に帰ると事を固く決心していたからこそ今迄生き残れたと言っていい。だから俺が島を離れる事を惜しんでくれる人がいても俺は絶対江戸に帰る。

「前から決めてる事だ。こればっかりは変わらねえよ」

「そっか」

「それに俺が島に居着いたら、いろはを嫁にしちまうかもしれないぞ」

「え!それマズイっしょ。やっぱ早く江戸に帰ってくれよ」

「あつかい低いな~、俺」

 そうして、いろはの家に到着すると翔吉はギクシャクと妙な感じで全身に力は入った状態でいろの家の玄関の戸を叩いた。

  

 ドンドンドン!

  

「いろはす~、いろはすいっか~?」

 小さな子供が遊びに来たんじゃねえんだぞ。もうちょっとシャッキリしろよ!

「あ、翔吉さん。どうしました・・・って先輩まで。一体どうしたんですか?」

「俺はただの付き添いだ。用があるのは翔吉だよ」

「はぁ・・・なんですか?翔吉さん」

 こいつ、ホントに男相手にあざとく可愛らしいしぐさをするのが上手いな。いろはは小首を傾げながらキョトンとした表情をしながら翔吉を見上げる。

「あ、あのさ・・・」///

「あ!今日の髷。上手くまとまってますね、私の教えた通りやってくれたんですね」

「・・・そう、そうなんだよ、今日はかなり決まってんだろ!」

「そうですね。かなりいい感じですよ。この調子じゃ私廃業しなくちゃいけなくなっちゃいますよ」

「い、いや!そんな必要ないから。続けてくれて構わないから」

「はぁ・・・どうしたんですか翔吉さん?」

 ここに来る時の話題、もうちょっと選べばよかったかな。さっきの話と結婚の申し込みと世間話がごっちゃになってる。こりゃマズイな。

「翔吉!」

 俺は話を区切る為、そして翔吉に結婚の申し出をするきっかけを作る為に奴の名前を少し力を込めて呼んでみた。すると翔吉は少しビックリした感じで振り返ると俺を見て、俺の考えに気付いた様だった。俺に向かって小さく頷いてから改めていろはに向き直ると

「いろはす!聞いて欲しい事があるんだ!」

「な、何でしょうか?」

 翔吉の気迫に押されたのか、いろはは戸惑いながら翔吉を見つめる。

「いろは・・・俺の嫁になってくれ」///

「・・・え?」

 力を込めた発言をしたせいか肩に力が入った感じでいかり肩になる翔吉。真後ろから見てるから表情は分からないが目や眉や口が顔の真ん中に集まる様に顔にも力が入ってるんだろうな。一方いろはは突然の申し出に反応が出来てない。ひょっとしたら翔吉の言葉を驚きの余り理解出来てないのかもしれない。二人の間でだけで時が止まっているんだろうな。俺は“早く済まないかな”などと思い始める程に長い時間が経過した様に感じていた。すると、いろはの方に動きがあった。

「あ、あの・・・それって私が翔吉さんの女房になるって事ですか?」///

 すると背後から見る分には何も変わらない翔吉が

「お、おう!そうだ!俺の女房になってくれ」

「け、けど、私流人ですよ。名主様の息子とじゃ・・・」///

「そんなの関係ねーって!俺はいろはを女房にしたいんだ。流人が駄目だって言うならいろはの刑期が終わるまで待つ。それに反対する奴がいたら俺が説得してみせる。村の連中だって親父だって絶対説得して見せるから」

「翔吉さん」///

 おお!翔吉も言うもんだ。島や村での逆境は全部自分が背負ってみせると堂々と宣言しやがった。さすがにこの言葉には男を手玉に取るのを得意とするいろはと言えど心を揺さぶられた様だ。胸元で両方の人差し指をモジモジと動かしながら赤くなってうつむいてる。これはいい結果が出るかもしれない!?そんな期待をしていると、いろはの口から残酷すぎる言葉が漏れ出した。

「あと一年、返事を待って下さい」

「・・・」

 ・・・俺も江戸にいた頃、小町に散々女心が分かってないと説教されたモノだが今のいろはは俺をも上回る無神経ぶりだ。働き者の名主の息子が流人の女にあそこまで言ってくれたのに、そんな返事するか!?そんな事言う位ならバッサリとフってやれよ。しかも残酷すぎる台詞を言い終わった後、いろはの奴、俺の事を翔吉越しにチラチラ見てくるし、もちろん翔吉もその視線に気付いていてゆっくりと振り返りながら恨めし気に俺を見ている。なんか凄く居た堪れなくなっちゃったよ、どうすりゃいいんだこの状況?

「一年経っても何も変わらないぞ」

 俺は翔吉の前でいろはにきっぱりと言ってやった。すると俺の言葉を覚悟していたのか、いろはの奴は落ち着いた表情で小さくうなづく。翔吉も俺の言葉といろはの態度を見て、ふぅ~と深く息をつくといつもの人好きのする気安い笑顔をする。翔吉もいろはの返事を予想していたのだろうか、実に落ち着いている。

「いろはす。俺、一年待つから、そういう事でヨロシク」

「先輩、私も一年待ちますから」

 二人して向こう一年の予定を勝手に決めて掛かって来る。

「好きにしろよ。俺は江戸に帰るからな。それと、もう仕事に戻るからな」

「ん!付き合ってくれてあんがとな、八幡」

「先輩、後で顔出しますから」

 二人して仲良く俺を見送ってくれた。一年という時間があの二人にとってどんな時間になるのかは俺には分からない。ただこれだけは言える、

   

 あの二人は上手くやっていける!

  

 理屈抜きでそう思った。好きな女と一緒にいられる事がこんなに羨ましく思ったのは初めてだった。早く江戸に戻りたい、早くお雪に会いたい。俺は残り一年を無事に今迄通りに生きていける様に改めて決意をした。

  

 さて、それからと言うもの、いろはの奴は今まで以上に時間を見つけては俺の所に顔を出す様になったが今迄に何度となく仕掛けてきた様な強引な事はして来ずに、実にあっさり!と言った感じの距離感を持って接してきている。まるで翔吉に遠慮をしているみたいだ。しかし、あのあざとさが完全に消えた訳ではなく何かきっかけさえあれば!という雰囲気は常に匂わせながら俺に会いに来ている。一方、翔吉は今まで以上に仕事に精を出し村の若い女衆から色々と声を掛けられたり、父親である名主の所に見合いの話が多数舞い込んで来ていたがその一切を払い除けていた。翔吉は一年と言う時間が短くなる訳でもないのにいろはの所に熱心に顔を出し続けていた。そうなると面白くないのは村の若い女衆だった。すっかり名主の跡取りとしての風格を持った翔吉は村の若い女の憧れの的になっていたが、その翔吉が流人のいろはに熱を上げているという噂はそれこそあっと言う間に広まり、いろはに対する妬みの声が聞こえてきた。さらに、いろはが流人の男、すなわち俺の所へ通っているという噂も相まって村の恋愛模様は村の若い女衆が翔吉に憧れ、翔吉はいろはに岡惚れ、そしていろはは俺を諦め切れない、という最終責任が俺に降りかかる様な状態になってしまっていた。

  

 しかし、そんな面白おかしな時間は唐突に終わりを告げる。夏のある日の早朝、翔吉が仕事に出る前の俺を訪ねて小屋までやって来た。なんとも慌てた風で、ここまで走って来たのだろう。小屋に到着すると両手を両膝について大きく背中を上下させながら息を切らしていた。

「は、八幡・・・急いでうちに来てくれ。親父が話があるんだって」

 息を切らせてそう言う翔吉に

「どうしたんだよ、そんなに慌てて。俺なんかしたか?」

「それがさ・・・俺も聞かされてないから良く分かんないんだよ。とにかく親父が八幡を急いで連れて来いって言うからさ」

「名主様が一体俺に何の用だ?まあ行ってみれば分かるか」

 俺はそう言うと翔吉について行く様に小走りで山を降りて翔吉の家に向かった。二人して息を荒げながら翔吉の家に到着すると翔吉が一人で家の中に入って行く。俺は土間で待っていると翔左衛門が玄関までやってきて・・・その後ろに島の役人が立っていた。え!?なんで島の役人がここにいるんだ?俺はこの島では何も悪い事はしてないのに?そんな事を思っていると役人は前に出張ってきて翔左衛門を横に追いやり張りのある堂々とした声で

「控えおろう!」

 俺に向かって一通の手紙を差し出すと俺にその場で正座する事を命じて来た。言われるままに土間で正座をすると役人が

「この書簡は今朝、この島に到着した御用船にて運ばれてきた伊豆・韮山代官所からの通達である。心して聞く様に」

「は、はぁ」

 伊豆・韮山代官所と言えばこの八丈島や近隣の島々を管轄する島奉行が常駐する代官所だ。そんな所から流人の俺に何を言おうってんだ?訳のわからないままに曖昧な返事を返すと

「この度、村名主・戸部翔左衛門からの請願による流人・総武長屋の八幡の減刑が伊豆・韮山代官所を通じて江戸・南町奉行所にて決定された事を通達する」

「減刑!?」

「そうだ。お前は流人でありながら、この島の暮らしに大きく貢献し流人としての役割を大きく超えた成果を出した」

「・・・」

 俺が唖然としていると代官の横にいた翔左衛門が俺に注釈を加えてくれた。

「八幡、お前の村での貢献ぶりは今迄この島にやって来た多くの流人はもちろん、村の誰よりも素晴らしいモノだ」

「はぁ」

そしてまた役人が口を開く。

「お前の働きを重く見た翔左衛門は一月ほど前にお前の減刑を私に請願してきたのだ」

「名主様がですか!?」

「そうだ。しかし減刑の決定は拙者の領分を大きく超えたものゆえ、翔左衛門が請願の際に手渡してきたお前の働きを書き連ねた書面を添えて、伊豆の島奉行様にお伺いを立てていたのだ」

「じゃあ、さっき言っていた江戸の南町奉行所って?」

「うむ。咎人の遠島は江戸の奉行所で決定されたものゆえ、その減刑も江戸の奉行所でしか決定が出来ないのだ」

「しかし、そうなると・・・名主様の請願をお役人様と島奉行様もご覧になっているんですよね」

「無論だ。おかしな物を島奉行様にご覧に入れる訳に行かないし、島奉行様とて江戸への上申をされるのだから中身を確認している」

「じゃ、じゃあ・・・」

「お前の働きには誰もが感じ入った様だ。八幡、お主の刑期は五年であり、あと一年弱の期間を残しておったがそれが軽減され明日この島を出る御用船にて江戸への帰還が許されたのだ。この決定を有り難く受けるが良い」

「あ、ありがとうございます」

 驚きの余り少し震えながら頭を下げると役人が草履を履く音がして俺の肩を軽く叩いた。

「八幡よ、大きな声では言えんがお前のおかげでこの島の役人達も食う物が良くなってお前には感謝をしておるのだ。同じ過ちを繰り返す事なく江戸で暮らすのだぞ」

 先程まで張りつめた物言いから、ふっと力が抜けた様な物言いは俺を安堵させ、俺はやっと自分が江戸に戻れる実感をした。

「御用船は明日の夜明けと共に出帆するから、それまでに島役所まで来い、遅れるでないぞ」

「は、はい」

 そして役人は家から出ていくと、襖の陰に隠れて話しを聞いていた翔吉が飛び出して来て

「スゲェじゃん。流人の罪が将軍の代替わり以外で軽減されるなんて聞いた事ねえよ。良かったな八幡」

「あ、ああ、ありがとうな。これも名主様が請願して下さったのと、お前が色々と力を貸してくれたおかげだ」

「そんな事ないって、八幡が頑張ったからだよ。しかし、明日っていうのはまた随分いきなりだよな。これじゃ見送りの祝宴も開けないぜ」

「そんな事してくれなくていい。減刑だけでも十分すぎる施しだ。これ以上何かして貰ったら恐縮して罪の意識を感じちまうよ」

「・・・そっか」

 色々思う所はある様だが翔吉は俺の言い分を聞き入れてくれて、それ以上は何も言わなかったが、その様子を黙って見ていた翔左衛門が

「翔吉、そろそろ仕事の時間だぞ」

 翔吉にそう声を掛けると、翔吉は慌てた様子で家を飛び出していった。俺もそれを追う様に家を出ようとするが翔左衛門に引き止められた。

「八幡、話がある。少し上がっていけ」

 そう言われ、俺は翔左衛門の後をついて囲炉裏のある部屋ではなく畳敷きの部屋に通してもらった。今迄の四年間でこの家には何度となく上げてもらったが畳敷きの部屋の通されるのは初めてで少し驚いていると、翔左衛門は流人の俺に座布団まで用意してくれた。しかし、さすがに恐れ多く感じて座布団を横に置いて畳に直に正座すると、翔左衛門は少し息を漏らす様に微笑んでから話を始めた。

「まずは減刑が決定して良かったな、八幡」

「はい、ありがとうございます。これも名主様の請願のおかげです」

「いや、お前の働きは本当に目を見張るモノがあったからな。本当なら江戸に戻らずにこの村に残って欲しい程だ」

「いや、それは褒めすぎですよ」

「ここまできたら、そんな謙虚な態度をしなくていい」

「はぁ」

 翔左衛門は少し考え込んでから何か覚悟を決めた様に再び話し出す。

「本来なら、それ程までに役立つ流人は刑期一杯まで村にいて欲しかった。名主として村の発展に貢献できる人間は一日でも長く村にいて欲しいからな」

 翔左衛門が独り言の様に言葉を漏らす。そうか、村での名主としての役割より俺の希望を優先してくれたのか、、、なんとも有り難い話だ。と思っていたら翔左衛門の口から意外な続きの言葉が飛び出した。

「しかし、ワシは名主としてではなく一人の父親として、あの請願をしたのだ」

「父親として?どういう事ですか」

「翔吉の事だ。あいつはこの数年でずいぶん成長した。仕事もさることながら村の人間に信頼され、名主の息子の役割を真正面から受け入れる様になった。そんな息子が嫁取りを願うのならばワシはそれを叶えてやりたい」

「・・・それって、翔吉の為に俺を島から追い出すって事ですか!?」

「ハッキリ言ってしまえば、そう言う事だ」

「俺が島からいなくなれば、いろはが翔吉との結婚を決心する、そんなトコですか?」

「ああ、そんなトコだ。今の翔吉なら八幡さえいなければ、いろはの首を縦に振らせるのは難しくないだろうと思ってな」

「なるほど、そう言う事だったんですか。しかし随分思い切った手を使いましたね」

「仕方ないだろう、翔吉はお前と同じ数えで二十二、いろはは二十一、身を固めるには遅いくらいだ。その上、翔吉には島中の知り合いから見合いの話を持ちかけられて、それを断るにも限界がある」

 そう言うと翔左衛門は立ち上がり後ろにある箪笥から一枚の着物と紙包みを取り出し、俺に差し出す様に床に置いた。

「これはお前にワシの我儘を聞いて貰う礼だ。江戸に戻るなら、そんなボロを着たままという訳にもいかないだろう」

「え、いただいて宜しいんですか?」

「ああ、ワシの使い古しだがお前が今、着ている物よりは上等だろう。それと江戸に帰った直後は何かと物入りだ。それも持って行け」

 翔左衛門の目配せに操られる様に紙包みを空けると中には小判が一枚入っていた。

「い、一両!?」

「お前の村での働きを考えれば、これでも少ないくらいだ。餞別だ、受け取ってくれ」

「しかし」

「八幡、もう頭を切り替えろ。お前は明日江戸に向かう船に乗るんだ。そして二日後か三日後には江戸に辿り着く。もう江戸での暮らしの事だけを考えろ」

 まるで悪い事をして浮かれている子供に“遊びの時間は終わりだ”と告げる様に翔左衛門は俺に着物と小判と言葉を差し出してきた。名主の立場と父親の立場の板挟みになりながら俺の減刑を思い立った翔左衛門の気持ちを考えると俺はそれ以上何も言えず。小判を紙で包み直して懐に入れ着物を受け取った。

「・・・それでいい。もう後ろは振り向くな・・・今夜は家に泊まって行け。明け方の船に乗るなら、その方が便利だろう」

「ありがとうございます。ここまできたらトコトン甘えさせていただきます」

「それでいい。お前の小屋や畑や鶏はワシが責任を持って預かるから安心しろ。村にとっても貴重な物だしな」

「はい、ありがとうございます。では私は仕事に行ってきます」

「ふふ、最後まで律義な事だ。精を出せよ」

 そうして俺は家を出て自分の小屋に向かって歩き出した。江戸に帰れる、しかも一年も早く。翔吉の家を出て緊張から解放されたせいか村の中の道を歩いている時にその想いが膨れ上がってきて思わず叫び出しそうになる。しかし周りには畑仕事に精を出す村人が至る所にいてそれをするのは、はばかられる。それに他の流人の耳に入れば嫉妬のあまり何かされないとも限らない。出来るだけ平静を装いつつ山に入っていくと俺は島に来たばかりの時に作った流人の墓の前で足を止めた。俺は死なずに済んだ・・・ひょっとしたらこの流人を埋葬してやったのを俺の氏神様である江戸の八幡宮の菩薩様が見ていてくれたのかもしれない。そんな感傷にふけりながら手を合わせ、更に道を進み流人七人が住んでいた跡地である山芋畑に到着した。そこには周りの木々と一緒にたたずむいろはの姿があった。

「先輩!」

「いろは・・・何の用だ?」

 “何の用だ”我ながらすっとボケた言葉を返すと当然、いろはの奴は俺に向かって、ふくれっ面をしながら

「何の用だじゃありませんよ!先輩、明日島から出て行っちゃうんですか」

「ああ。翔吉から聞いたのか」

「はい、翔吉さんが家に飛び込むみたいにしてやって来て教えてくれました」

「明日の夜明けに出帆する御用船に乗せて貰える事になった。今日の仕事が島での最後の仕事だ」

「明日の明け方の船なんですか・・・ホントに急なんですね」

「ああ、俺も最初に聞いた時は信じられなかったぞ」

「あ、あの・・・先輩」///

「なんだ?」

「今夜・・・先輩の小屋に泊っていいですか?」///

「・・・いいぞ」

 俺が了承するとは思ってなかったのか驚きながら俺を見て、徐々にその顔を綻ばせていった。

「せ、先輩、じゃあ私と・・・」///

「俺は明日の乗船に備えて翔吉の家に泊めて貰える事になったから好きにしていいぞ。ああ、ただ小屋も畑も鶏も後々の管理は名主様がするから好きに出来るのは今晩だけだ。食い物とか道具を持って行くなら怪しまれない程度にしておけよ」

「せ、先輩・・・私の気持ちを知っていながら、その返事はあんまりじゃありませんか」

 わなわなと小刻みに震えながら肩をいからせ俺をにらみ付けてくるいろは。さすがに言い過ぎたか。しかし俺がいろはの気持ちに答える事は無いのだから、きっぱりとその事をいろはに伝えるのも島でしておかないといけない事だと思い

「さっき名主様に言われたんだ。もう後ろは振り向くな、切り替えろってな。いろは、俺の島での時間は終わりなんだ」

「・・・」

「江戸でお雪が待ってる」

 いろはは俺の言葉に唖然とし、そのままうな垂れると

「・・・待ってる訳ないじゃないですか」

「相変わらずだな・・・しかし俺は待っててくれるって信じてんだ」

「年頃の娘が流人を四年も待ってる訳ないですよ。絶対、そうに決まってます・・・」

 強い調子で喋り出したが尻すぼみに声が小さくなっていく。きっと今いろはの頭の中では自分の願いと俺の願いがぶつかり合って全否定も全肯定も出来ない状態なんだろうな。

「それでも待ってるのがお雪って女なんだよ」

「・・・じゃあ、もし待っててくれなかったらどうするつもりなんですか?もし待ってて貰えなかったら私の事を待っててくれますか?」

「待っててくれなかったら・・・辛さの余り江戸で海に身を投げて死んじまうかもしれないな。だからお前の事を待つのは無しだ」

「・・・私じゃ、先輩とは」

 今にも泣き出しそうな顔をして自分の気持ちい区切りを付け様とするいろは。しかし最後の一言を言い出す事が出来ずに押し黙ってしまう。いろはの奴がこんなに小さく、か弱く見えたのは初めてだった。支えてやらなければ手折れてしまいそう位に儚い様子なのだが、ここで手を差し伸べてやる訳にはいかない。俺は最後の一言をいろはの代わりに言ってやった。

「俺達は・・・一緒にいられない運命なんだ。だから、もう会う事は無い」

 いつの間にか嗚咽が聞こえてくる。小さく身震いさえしている。しかし俺は一歩たりと近づく事なく彼女の様子を見つめていた。まるで二人の間に大きな海が広がっているかの様にいろはを遠くに感じていると嗚咽を抑えきれなくなったいろはがきびすを返して小走りで山を降りて行ってしまった。一人山芋畑に残された俺は当初の目的通りに山芋畑の手入れと雑草抜きを始めた。こういう時の農作業っていうのはいいもんだな・・・余分な事を考えずに済む。いろはの事を考えない様に俺は一心不乱に畑の手入れを続けた。

  

 そうして日が傾くまで土にまみれて働いた俺はいつもの習慣で、つい自分の小屋に戻り一息ついてしまったが大慌てで沢に行って体を洗ってから翔吉の家に向かった。翔吉の家に到着すると玄関先で翔左衛門と翔吉が俺を出迎えてくれたが、翔吉の奴がいそいそと草鞋を履いてから俺の着物の袖を引いて俺を家から連れ出した。

「なにすんだよ翔吉?」

「まあまあ、ついて来れば分かるって」

 ニヤニヤと楽しげな笑顔を一人勝手に浮かべる翔吉は俺をいろはの家まで引っ張って来た。せっかく考えない様にしてたのに、、、翔吉の事を少々恨みがましく睨んでみるが翔吉はどこ吹く風と言った感じで何食わぬ顔で玄関先からいろはに声を掛けた。

「いろはす~、連れてきたぞ~」

「はいは~い」

 玄関を開けたいろははいつもと変わらぬ様子で俺達を出迎えると玄関の戸を目一杯開ける。それに合わせる様に翔吉が俺をいろはの家に押し込む。二人してニヤニヤしながら俺をいろはの家に押し込み終わるといろはの奴が

「さあ、先輩。江戸に戻るんですからそんな鬱陶しい総髪は止めて髷を結いましょう。まあ色々お世話になったお礼ですから、お代は無しで結構ですよ」

「え、俺が髷を結うのか。ちょっと待て、そんな事しなくてもいいって」

「ダメですよ。十代の頃ならともかく、二十二にもなって江戸の町をうろつくのに髷も結ってない様じゃ、仕事を見つけられませんよ」

「そうそう八幡、今やこの八丈島だって髷を結う男の方が多い位なんだからさ。江戸に行くなら尚更だって」

 いろはの申し出を翔吉が後押しする。確かに江戸に戻るのだから身なりをちゃんとしておきたい所だが髷を結うというのは少々大袈裟な気がする。島に来る前の俺はザンバラ髪で飛びだす様な癖っ毛も放ったらかしにしておいた位だから髷を結うなんてちょっと照れ臭い。しかし、いろはは諦める様子無く

「絶対結わせて貰いますからね。抵抗するなら翔吉さんと二人がかりで柱に縛り付けてでも結わせて貰います」

「なんだよ、それまるで罪人の死罪執行じゃねえか」

「先輩は明日の朝、御用船に乗るんですよね。だったら今はまだ流人で咎人です。少々荒っぽい事をしても許されると思うんですよね」

「八幡、この島で四年も暮らしてきたんだから、島での流人の扱いがどんなもんか解かってんだろ。観念しろって」

「なんだよ、二人して・・・分かったよ。好きにしろ」

「そうこなくっちゃですよ先輩。まあ、いきなり頭の天辺を剃る髷結いは顔の日焼けとの差が激しいでしょうから、総髪を整えて綺麗にまとめる事にしましょう」

 そうして俺はいろはの家の土間にしつらえてある腰掛に座り、真後ろからいろはに髪を櫛で梳かれ始めた。

「うわ!ゴワゴワですね。もう、普段から私の所に来てればもっと簡単だったのに」

「流人の頭なんてこんなもんだ。八丈島の日差しと海風で髪がそうなるのは仕方ない事だろ」

「しょうがないですね~、まあ私の腕の見せ所ですね。先輩の頭をいじる最初で最後の機会です、ちゃんと見てて下さいね」

「・・・わかった。お手並み拝見だ。格好良くしてくれよ、江戸で女に会うんだから」

「それを聞かされると丸坊主にしたくなりますね」

「勘弁してくれ」

 そうしてびん付け油の代わりの八丈島に多く咲く椿からとった油を使い俺の髪の形を少しずつ整えていく。その過程で生え際の髪やヒゲを剃刀で剃り、顔立ちがスッキリしてくると最後の仕上げとばかりに髪先を一本の棒の様にまとめ始め、その太さを調節する様にハサミで髪を梳いていく、襟元の髪を綺麗な丸みを帯びさせる様に丸め、その先を程良い太さにまとめると、紙縒り(こより)を使ってまとめた髪を固定し棒状になった髪の束を頭の真中に乗せる。そして尚、頭の上で髷が安定する様に形を整え、半時ほどの時間を掛けて髪結いが完成した。いろはは俺に手鏡を二枚手渡し、俺の後ろ頭の仕上がり具合を見る様に言って来た。イチョウの葉を下に向けた様な形に左右均等に整った襟元の髪が一まとめになって真っ直ぐと狂い無く頭の上に乗っている。少し髷を斜めに曲げる様な、いなせな髪型ではないがこれから真っ当に生きていくと決めた人間にはふさわしい髪型に見えた。

「うん、いいんじゃないか。これなら真っ当な人間に見える」

「先輩の場合、目つきに少々問題がありますけどね。まあ髪がこれだけ綺麗に決まっていれば十分真っ当な人間に見えますよ」

「目つきの事は言うな。こればっかりはどうしようもないんだから」

「・・・最後に先輩の髪を結えてよかったです。明日の朝は見送りに行きませんから、ここで言っておきますね・・・お元気で。そして江戸でお雪さんが待っててくれなかったら手紙を下さい」

「おい、いろはす。そりゃ無いだろう~」

 翔吉の嘆きの声など気にも留めずに楽しそうに笑ういろは。しかし多分、その内心はけじめを付けているのだろう。

「そうだな、お雪と所帯を持ったら手紙を書く。手紙が無かったら江戸で身を投げたと思ってくれ」

「・・・分かりました。それでもいいですから手紙下さいね」

 笑顔なのにしゅんと沈んだ様な表情のいろはを置いてきぼりにする様に翔吉と一緒に家を出ると、その道すがら

「八幡、絶対手紙くれよ。なんなら今度はお雪さんとやらと一緒に島の客として遊びに来いよ。歓迎すっからさ」

「そうだな・・・お雪と一緒にこの島を訪ねる事が出来たら、さぞ楽しいだろうな。 分かった、それが出来る生活を目指して頑張る。手紙も出来るだけ書くから」

「そうしてくれよ。ホントなら俺といろはすの祝言に来て欲しい位なんだからさ」

「え!もう、いろはの奴、お前の申し出を受けたのか?」

「・・・いや・・・まだ」

「じゃあ、その結果が知りたいから手紙の返事をくれよ」

「返事が無かったら振られて身を投げたと思ってくれ・・・はぁ」

 そうして俺達は翔吉の家に帰りつくと翔左衛門も交え、眠りもせずに明け方近くまで語り明かした。そうして空が白々と明るくなり始めた頃に俺は翔左衛門から貰った着物を着て、懐には紙に包まれた小判一枚を入れ玄関へと向かう。玄関では翔左衛門・翔吉の二人が俺を待っており、二人して島役所に付き合ってくれた。

 

 島役所の前では既に昨日来た役人が俺の事を待ち構えており俺の姿を見るや、島役所の門はくぐらずにそのまま港に向かった。本来なら村人が御用船で帰る流人を見送るなどという事は出来なのであるが、そこはさすが島名主と同等の影響力を持つ翔左衛門とその息子・翔吉でいとも簡単に役人から見送りの許可を貰っていた。そうして港で船に乗り込む為に板切れの橋を渡ろうとしたら翔吉が一つの風呂敷包みを差し出してきた。

「なんだコレ?」

「船の中で腹が減ると思って山芋蒸かしておいたんだ。船で食ってくれよ」

「そっか、ありがとな」

 有り難い気遣いに感謝しながら翔吉から風呂敷包みを受け取ると、その包みには山芋ではない何やら硬く重い物が入っている様なので風呂敷包みを開けて中身を確認しようと思ったら

「あ!開けちゃダメだって」

 気まずそうに父親の翔左衛門を見る翔吉を尻目に風呂敷包みの中身をみると確かにふかした山芋が入ってはいたが、それと一緒に四角い卵焼き用の鉄鍋が入っていた。それを見た翔左衛門は翔吉を一にらみしてから呆れた顔で

「まあいい、村の鍛冶屋にまた作らせるから、それも餞別という事で持って行け。鍋の代金は翔吉に払わせるから気にするな」

「え~っ!こんな高いモン俺の小遣いじゃ買えないって」

 翔左衛門の決定に慌てふためく翔吉であったが口元は笑いっぱなしで実に楽しそうだ。俺も釣られて笑いながら

「ありがとうな翔吉、大事に使うから」

「うん、江戸に戻ったら板前やるんだろ、頑張れよ」

 そんな会話をしていると横から島の役人が俺に声を掛けて橋を渡る様に促してきた。どうやら出帆の時間らしい。俺が橋を渡りきり船に乗ろうとすると、そこには船に乗る役人がいて島に到着した四年前と同じ様に俺の名を確認し頷いた。板の橋が外され、船の乗り口が太い角材で塞がれる。人夫数人が錨を引き上げ、桟橋では島役人が舫い綱(もやいつな=船を港に繋ぎとめている綱)を外している。そうして船に乗る役人の合図で船の人夫頭に声が掛かり帆が一杯に張られる。朝方の陸から海へと吹く風に乗って船が動き出す。最初のひと揺れを合図に俺は桟橋にいる翔左衛門・翔吉に手を振りながら

「ありがとう!お世話になりました!」

 叫んでみた。すると二人も俺に向かって手を振り

「達者でな~っ」

 叫び返してくれた。いくら罪を償う為のやって来た島であっても、無事に江戸に帰れるとなれば名残惜しい。それに俺は流人として他に類を見ない程の運にも恵まれた。島であった辛かった事もしんどかった事も今、全て報われた気がした。船が速度を上げて進んで行くと俺は既に声が届かない程に離れてしまった二人に向かって腰を折って頭を下げ、二人と八丈島に別れを告げた。

 

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