やはり俺の面白おかしな恋物語はまちがっている。 作:Z-Laugh
三宅島などの島々を経由しながら丸二日を掛けて御用船が真昼の江戸に到着した。俺は島送りにされた時と同じ様な小舟に乗り替えさせられ港まで運ばれると、船着き場で役人によって名を確認され総武長屋の八幡である事を名乗ると、そのまま上陸を許された。四年ぶりに踏みしめる江戸の地。なんとも感慨深い気持ちになるが、荷降ろしなどが後ろにつかえており感慨にふける間もなく、さっさとその場をどく様に言われた。俺はこれからどうすればいいのかを名前を確認して来た役人に尋ねたところ船を降りて船着き場に降り立った時点で放免となるから好きにしろと邪魔くさそうに追い払われてしまった。なんともあっけない江戸上陸を果たした俺はそのまま町中へと入っていき、まずは懐に入れてある小判を小銭に両替しないと飯も食えないと思い両替商を探した。両替商で小判を一分銀や一朱銀などに両替し、その足で財布を買い求める。四年ぶりの江戸の町はとても人が多く見えて俺が島流しになっている間に更に人が増えたのではないかと錯覚するほどだった。それに人が多いせいで少々歩き辛い。すっかり島でのすれ違う人もいない様な生活に慣れてしまっていたのだと自分に呆れたが、それ以上に江戸に戻って来れた喜びは大きかった。かつて手を縛られ、馬に引かれた牢屋敷への道をたどりつつ、更にその先を目指し、一時(=約二時間)程歩き続けた。すると周囲の風景が見知った物に変わっていく。
総武長屋がどんどん近付いている事を感じつつ俺は歩く速度を速め、それこそ走り出しそうな勢いでお雪と出会った八幡宮へと辿り着いたのである。まずは氏神様への無事帰って来た挨拶と思い、はやる気持ちを抑えながら社の前で本尊に手を合わせ、はじかれる様に総武長屋を目指す。途中、お結衣の飯屋があったのだが一刻も早くお雪に会いたいと思って、それを無視して長屋へとまっしぐらに歩いて行く。見慣れた大通りを歩きながらちっとも変って無いなと感心していたら、一つ大きく変わっていた物を発見した。お優美の茶屋が閉まっている。雨戸が締め切られ人の気配も無い。お優美はともかく小町は?と思いながら隣の店に入り、お優美の茶屋が開いてない事を尋ねると二月前程に商売を畳んだとの事だった。潰れたのか?じゃあ小町は今どこに奉公してるんだ?お優美は何をしてるんだ?と疑問が湧き起こるが、それも総武長屋に行けばお雪が知っているだろうと思い、俺は再び歩き出すと総武長屋へ向かう横路地の曲がり角にやって来た。何もかも懐かしい、お雪が長屋への道を中々覚えられなくて随分困らされたり、彼女をからかったりしものだ。懐かしさに浸りながら横路地を歩き数回折れる事、俺はとうとう総武長屋に辿り着いたのだが・・・なんだコレ?
たしかに長屋の入口に総武長屋の看板は掛かっている。しかし長屋の入口の貧相な門も長屋自体も建てられたばかりの新品同然だった。まだ建物の材木の色が茶色ではなく白に近い、それこそまだ雨にも濡れた事が無いと思わせる程の新しさだった。驚きの余り長屋の看板を何度も読み返していると長屋の一軒の戸が開き、中から人が出来た。
お雪!
変わってない。少々やつれた様な感じはするが、あのお嬢様然とした雰囲気が無くなっていて、いかにも町の普通の女になっていたが美しい顔立ちはむしろ磨きがかかった様にさえ見えた。それと心持ち胸が膨らんだ様にも見える。貧乏生活をしている方が胸がでかくなるなんてなんて、器用なくせに不器用な女だ。などと呆れていると赤ん坊の泣き声が聞こえ、それ合図にお雪が部屋に引っ込み赤ん坊を抱いて出てきた。本当に生まれて一年も経ってない様な乳飲み子をお雪が手慣れた感じで抱きかかえ泣き止む様に笑顔であやしている。お雪に子供が・・・俺は隠れるように門の横に飛び退き、見間違いではないかと思いながら、もう一度長屋の中を見てみた。しかしそこには赤ん坊を笑顔であやすお雪の姿がはっきりと見える。お雪・・・待てなかったのか!?俺は抱いている赤ん坊がお雪の子であるかどうかを恐くて確かめる事が出来ないまま総武長屋を離れた。
どこをどう歩いたのかよく覚えてないが大通りに出て道行く人と肩がぶつかって我に帰った。お雪に赤ん坊、、、考えてみれば当然なのかもしれない。島流しの男を四年、いや五年も待ち続けるなんてお伽話の様な事あり得る筈が無いのかもしれない。だとすれば俺はどうすればいいんだ。四年は待てなかったにしても、ひょっとしたら一・二年は待っててくれたのかもしれない。だとすれば文句を言える筈もないし、今さら俺の物になってくれと言って、すがり付いても無駄な事だ。ならいっそ、もうお雪には会わずにこのまま消えてしまった方がお雪にとっても俺にとってもいいのかもしれない。まあ八丈島でいろはに海に身を投げるとまで言いはしたが、そこまでする気も起こらない。先程までの浮かれた気持ちがすっかりしぼんでしまって何をどうすればいいかさっぱり分からない状態だった。ぼ~っと街ゆく人を道の端でどれ程の時間見ていただろう、俺はやっと次にやらないといけない事を思い付いた。
小町はどうしてるんだ?お雪なら知っているのかもしれないが今さら会えないし・・・手掛かりはお優美の茶屋のゆく末だけだと思い俺はもう一度茶屋の両隣の店に飛び込みお優美の行方について聞いてみた。するとお優美は剣術の先生が道場を持つのを機に所帯を持つから店を閉めたという話を聞く事が出来た。剣術の先生・・・勿論、隼人の事だろう。俺はその剣術の先生の道場がどこにあるかと尋ねたらそれほど離れていない場所に道場を新築したと聞かされた。それならばと俺は迷わずその道場へと向かった。お優美から小町の居場所を聞いたらすぐに会いに行こう。最早、俺には江戸でする事はそれ以外に何も無いと思いながら道場近くまでやって来た。普通の一軒家や店などと違い剣術道場なのだからそれなりの大きさの建物であろうと当たりを付けながら周囲を見回しつつ歩いていると真新しい道場らしき建物を見つけた。正面の門を目指して板塀沿いに歩き角を曲がったところで門らしきものが見えた。ホッと息を吐いて門へ向かって歩き出そうとした瞬間だった。その門からとんでもない奴が出てきた。俺は驚きながら道を戻る様に板塀の角に隠れ、コッソリと門から出て来た女を見た。
あれは・・・間違いない、お静だ。人売りという悪事を俺達に暴かれ、処刑された筈の平塚屋のお静が隼人の道場らしき建物から出てきたのだ。幸い、お静は俺がいる事に気付かなかった様で門を出るなり振り返ると後を追う様に出てきた人間と立ち話をしていた。隼人!お静と隼人が何の話をしているんだ?距離があるせいで何を話しているかがさっぱり聞こえない。しかし向かい合う二人の表情は全くの正反対で余裕の笑みを浮かべるお静に対し、苦虫をつぶした様な表情をする隼人。解からない事だらけで混乱しているとお静が隼人との話を終えてこちらに向かって歩いてきた。何がどうであっても処刑された筈の人間と鉢合うなどという事は危険過ぎると判断し、近くの身を隠せる細い路地に隠れると、お静は俺に気付かないまま俺の前を通り抜け大通りの方を目指して歩いて行った。小町の行方は気になる、しかし今の事態は余りに異常過ぎると思った俺は隼人の居場所は分かったのだからと、先にお静の後を付ける事を選択した。大通りを歩き町外れまでやって来るとお静は人足に声を掛け駕籠に乗ってしまった。どれほど遠くに行くのかは分からなかったが、ここまで来たのだからと思いつつ俺はお静の乗った駕籠と一定の距離を保ちながら走って後を付けた。八丈島で体を酷使していたせいか駕籠屋の追跡はそれ程きつく感じる事はなかったが、、、翔吉に貰った鉄鍋がこんなに邪魔に感じるなんて・・・
そうして半時ほど走り荒川を越えて江戸市中を出て下総に入り、しばらくすると駕籠屋が足を止めたので俺は近くの茂みに身を隠す。ここはどこだ?葛飾の辺りだろうか?今いる場所を推測していると駕籠から降りたお静がその先にある小さな宿場町に歩いて行くのが見えた。俺もお静との距離を十分に取りつつ宿場町に入ると、その入り口の燈籠に新宿(にいじゅく)と記してある。水戸街道の宿場町か、俺は周囲を見回しつつもお静に気付かれない様に後を付けるとお静が一軒の宿屋に入って行った。看板には旅荘・静庵と書いてあり看板だけを見れば宿場町の宿屋なのだが宿の中には襦袢姿の女がウロウロしており、更にはそれを見張るガラの悪い男達が居座っている。お静はガラの悪い男達を店先から追い出す様な身ぶり手ぶりをして男共を店先からどかすと宿の奥へと入って行った。
「なにが旅荘だよ、明らかに女郎屋じゃねえか」
俺はすっかり日が傾いた事もあってお静が入って行った宿屋と称する女郎屋の斜め向かいの宿屋に飛び込み部屋を取った。宿帳に名を記し宿代を先払いして部屋へと案内してもらう。宿の中はそれほど混み合った様子もなく、まあ俺以外に二・三の泊り客がいるだけだろうと目星を付けつつ六畳の部屋に通され俺は宿の浴衣に着替えると、いち早く風呂を目指した。他の泊り客と風呂場で鉢合わせて腕の入墨を見られる訳にはいかなかったので脱衣所に入り風呂の中に誰もいない事を確認してから大急ぎで体を洗い湯船に浸かった。四年ぶりの風呂、島では専ら沢で体を洗うか鍋で湯を沸かして体を拭くばかりだったから、タップリのお湯が入った湯船に身を浸けるのは最高の贅沢の様に感じ腹の底から息を漏らしながら肩までしっかりと湯に浸かった。幸い、途中で風呂に入って来る泊り客がいなかったせいでゆっくりと風呂を堪能出来、浴衣を着直し部屋に戻ると、それほど間を置かずに女中が夕飯を運んで来た。山もりの銀シャリと味噌汁と干物という俺にとっては贅沢過ぎる夕飯。米の飯なんて島では二回しか口に出来なくて、それこそ丸一年ぶりの米である。かき込む様に米を頬張ると夕飯を運んで来た女中さんが笑いながら、慌てると喉につかえますよと言ってくれたのを機に俺は旅荘・静庵について聞いてみた。
すると女中は俺を怪しむ様な顔をしたので飯茶碗を置いて財布から五文銭を三枚取り出し女中の手に握らせた。すると口の滑りが良くなった女中は静庵について色々と話してくれた。四年ほど前に数人の男を連れたお勝という名の女が斜め向かいの宿を買い取ると数日もしない内にその看板が静庵に変わったというのだ。しかも宿屋を名乗りながらも、やっている事は女郎屋と同じで以来、新宿は酷く雰囲気の悪い街になったとの事だった。続いて女主人について聞いてみると名をお勝と言うらしい。年の頃は三十路の手前かその直後、そんな若い女がいきなり宿屋を買い取ったと言うので小さな宿場町では結構な噂となったらしく、今でもとても目立つ存在だそうだ。しかし話が進むとやはりと言うか当然と言うか良い話が全く出てこない。その商売の強引さ、町の有力者への媚の売り方、更にはその有力者の内の数人と体の関係を持っているらしい事などを教えてもらった。相変わらずの手口の様だな。俺はメシと味噌汁のお代りを女中に頼み話を終えると今聞いたばかりの話の整理してみた。
四年前、お静は何らかの方法で奉行所の追ってから逃れ、死罪を免れ、平塚屋にいた三下であろう男達数人を連れてこの新宿に辿り着き宿屋を買い取った。多分、逃げてくる時に平塚屋の地下室にあった千両箱を持てるだけ持ってきたのだろう。こんな下総・葛飾の宿屋など千両で釣りが来るだろうからな。まあ女郎を集める手立てなどは専門なのだから、お静にとっては簡単だっただろうし有力者を咥え込むのもあいつの得意技だ。では何故、ここ新宿で女郎屋の主人としてお勝という偽名を名乗りながら新しい生活をしているお静がワザワザ江戸市中までやって来て隼人の道場にいたのだろうか?隼人とお静の様子から言って昔を懐かしんだ話ではない事は明らかだが、その理由はいくら考えても解からなかった。そうしていると女中が飯と味噌汁のお代りを持ってきてくれたので、そのついでにここ数年、近所で若い娘が行方不明になってはいないかを尋ねてみると、女中は呆れた様な顔をしていくら物騒な街になったからと言って人さらいまではいませんよと笑いながら答えてくれた。まあ、それなら一安心だな。しかし、いつまたお静があの仕事を復活させるとも限らない。とにかく隼人とお静の関係を出来るだけ早く明らかにしないとマズイなと思いつつ、俺は再び米の飯を堪能した。
翌朝、俺は周囲にお静がうろついていない事を確認しながら宿屋を出て江戸に戻った。隼人とお静の関係を確かめるには、やはり隼人に聞くのが一番だろう。お静になんぞ聞こうものなら何をされるか分かったもんじゃ・・・まあ大体見当つくけど・・・とにかく無事では済まないだろう。そうして昼過ぎには隼人の道場まで辿り着くと俺は門を叩く事も中に入る事もせず道端から中の様子を伺ったのだが全く言う程に人の気配がしない。昨日もそうだったが不思議な事に道場からは剣術の稽古をしている様な音が聞こえてこないのだ。ドタドタと複数の人間が暴れている様な足音やパシパシと竹刀同士がぶつかり合う音、そして何より勇ましい掛け声などが全く聞こえてこない。まだ門下生がいないのだろうか?それによく考えてみたら俺の様な島帰りの男が出来たばかりの道場に出入りする所を周囲の人に見られたらマズイのではないだろうか。それこそお静が道場に出入りするのを見て何やら怪しく思った俺同様に周囲の住人や門下生が道場や隼人の事を怪しく思ったりしたら結果として隼人に迷惑が掛かるのではないのだろうか。それに万が一ではあるが俺が島から帰って来た事をお静に知られでもしたら俺にとってもマズイ事になりそうだ。そう考えると昼間、陽の高い内に隼人を訪ねるのは止めておいた方が良いだろう。俺は近くに宿屋を探し部屋を取り日が沈むのを部屋で待つ事にした。
宵五つ(=午後七時ごろ)日が暮れきった頃に俺は宿を出て隼人の道場に向かう。暗くなり大通りから少し離れた道場近くの道を歩く人の数も少ない。念の為、後を付けられてないかを確認しつつ隼人の道場に到着すると俺は門の外から声を掛けてみるが反応が無いので門を叩いてみた。すると門の内側で人の歩く音がする。そして門が開くとそこには警戒心丸出しの表情の隼人がいた。
「は、八!?」
「よう、久しぶり」
「いつ戻ったんだ?」
「ああ、昨日・・・」
「と、とにかく中には入れ。人に見られるとマズイ」
警戒心が一気に解けて驚きをもって俺を出迎えてくれたのだが“人に見られるとマズイ”か・・・やっぱり島帰りが出来たての道場に出入りするのは道場主からしても都合の悪い事らしい。少し気持ちが落ち込んだが、それを表情に出さず隼人の案内のまま道場の中に入っていくと建物の中はまだ真新しい木の匂いが残っていて清潔感が感じられる。そして庭に面しているのであろう畳部屋に通されると隼人の手ずから茶を入れて貰い向かい合って座った。
「八、久しぶりだな」
「ああ、やっと戻って来れた」
「刑期は五年だった筈なのに、一年ほど早くないか」
「ああ、島での働きを評価されてな。減刑してもらえたんだ」
「ほう!島送りになった罪人が減刑されるなんて、そんな事があるのだな」
「俺も知らなかった」
「で、八、お雪には会ったのか?」
「い、いや・・・」
「なんだ!まだ会ってないのか!?今でも総武長屋にいるんだぞ」
「あ、そうなんだ」
「おかしな奴だな。お前が島に送られたのは言わばお雪の為だったのだろう」
隼人はお雪に赤ん坊がいるって知らないのか?けど今はお雪の事を話している場合ではない。
「隼人!」
「なんだ?大きな声出して」
「なんでお静が生きてんだよ」
「!」
隼人が俺を門で出迎えた時と同じ警戒した表情になる。
「・・・八、何故それを」
「昨日な、お優美の茶屋の近所でこの道場の事を聞いて、来てみたら中からお静が出てきたからビックリしたぜ」
「そうか・・・あれを見たのか」
「なあ隼人、一体何がどうなってるんだ?お静は死罪で死んだ筈なのに何で生きてんだよ。それに何でお前と話をしてるんだ。昨日の様子からしてお静がお前に良からぬ相談を持ち掛けてる様に見えたぞ」
「相変わらずの洞察眼だな。やっぱり、お前には隠し事は出来んな」
「話してくれるんだよな」
「ああ、事の起こりはこの道場の棟上げなんだ」
「道場の棟上げ?」
「四年前、お前が残してくれた二千両を三等分しておよそ六百六十両、材木は総武長屋を買い取り、俺はこの道場を建てたんだ」
「残りはどうしたんだ?」
「お前の分に決まってるだろ。とは言うものの五カ月ほど前に総武長屋から火が出てな。延焼は防げたものの総武長屋の半分は灰になってしまったんだ」
「火事!みんな無事なのか?」
「ああ、誰も怪我はしていないが五部屋しかない総武長屋の三部屋が使い物にならなくなってしまってな。それに元がボロ長屋だったからな。かなりガタが来ていて建て直す以外に道が無かったんだ」
なるほど、だから総武長屋が新築同然だったのか。
「材木やお雪それにお沙希やその兄弟の事を考えると総武長屋を建て直すしか道は無かったのだが・・・建て直すにも金が掛かるだろう」
「じゃあ、俺の分の金で長屋を建て直したのか?」
「そういう事だ。先月完成したばかりで見たらびっくりするぞ」
「へ、へ~」
「俺は長屋の火事を機に道場を建てる事と・・・お優美を嫁に迎える事を決心したんだ」
「ああ、それは茶屋の隣の店の人から聞いた。おめでとうな」
「ありがとう。そうしてこの道場の棟上げの時に餅まきをしたんだ。剣術の関係者やら長屋の連中やらを呼んで、それに近所の人も集まって来て賑やかに餅まきをしていたんだが・・・それを部下を連れたお静に見られたんだ」
「棟上げの時に、お静とその部下にか」
「ああ、思い出してみろ。四年前、平塚屋に忍び込む算段を立てる為に客として俺と材木が店に通い、最後にお前を連れて平塚屋に行っただろ」
「そうだったな・・・という事は俺はお静に客として、そして盗人として顔を見られている。お前はお静には客としてしか顔を見られてないが、お静の部下はお前の顔とお前の剣の腕前を目の当たりにしてる・・・それに材木もあの体型だから」
「そういう事だ。お前と一緒に平塚屋に通い、更に剣術が達者である事から俺が怪盗“のろい”の仲間だと目星を付けたらしいんだ」
「そういう事か」
「それで道場が完成した時にお静の奴が尋ねてきたんだ」
「お静はなんて言っていたんだ?」
「俺がのろいの仲間なのではないかという事と・・・」
「と・・・?」
「この道場の建築資金が元は平塚屋から盗んだ金じゃないかって言ってきたんだ」
「なんでそんな事が分かるんだよ?」
「俺達程度の歳で道場を新築する金なんて持ち得る筈が無いだろう。それにお前が雪乃屋に忍び込んだ事件がな・・・」
「俺が自首した事がお静にどう絡むんだよ?」
「お前の雪乃屋への盗みは江戸で随分話題になったんだ」
「話題に?どういう事だ」
「江戸の貧しい人々に盗んだ金を配って歩き、自分の懐には妹の嫁入り資金しか残さなかった怪盗ならぬ義賊“のろい”と評判になってな」
「なんだそりゃ」
「瓦版だけじゃないぞ。草子に芝居それに浄瑠璃や落語の題材にまでなってな。のろいの名を聞かない日が無いという時期があった程だ」
「俺がいない間にそんな事があったのかよ」
「ああ、そのせいで雪乃屋の事件だけではなく“のろい”の犯行についての目録の様な物まで出回ってな。驚いたぞ、あれを書いた奴は多分奉行所に知り合いでもいたのだろう。本当に俺達のしてきた事が克明に描いてあった」
「・・・マジかよ」
「お静もそれを手に入れてたらしいんだが、平塚屋の件が娘五人を助けた事しか書いてないくてな」
「じゃあ・・・平塚屋から盗んだ二千両の事が?」
「ああ、お静の奴、お前が奉行所で平塚屋から盗んだ金の事を話してないんだろうって言ってきたんだ」
お静の奴、結構頭が回るじゃないか。情報が多かったと言え、偶然見かけた道場の餅まきからそこまで調べるとは、やっぱり油断ならない女だな。
「そして・・・それをネタに金をせびりに来たんだ」
「なに!そんなもん聞く必要ないだろ。奉行所の連中を連れてくれば片が付くだろう」
「そんな簡単な話ではないんだ。目録と瓦版の付け合わせからお前が平塚屋での盗みを奉行所で話してない事に確信を持ってしまった様なんだ。それに加えて俺が道場を新築してしまっただろ。一層確信を強めてしまったみたいでな」
「・・・そういう事か」
「しかし、お静は全てに気付いている訳ではない。まず材木の存在に気付いてない。仲間に体の大きな男がいるという事を知っているだけだ。二つ目は仲間が全て総武長屋にいる事、三つ目はお前と雪乃屋の繋がりについてだ」
「なるほど」
「これを知られれば問題はさらにややこしくなってしまう。だから俺はお静が現われてからは総武長屋に顔を出してないし、お優美も実家に帰している」
「じゃあ俺が島から帰ってきた事を知ったら・・・」
「お前もタダじゃ済まないぞ」
「しかし今のままじゃお前だけが苦しい思いをする事になるだろ」
「八、お前はもう十分に報いを受けたし償いだってした。これ以上余計な事に首を突っ込むな」
「それを言ったら材木だって何もしてないだろうが」
「材木は総武長屋を守っているだろう。それに材木も独り身じゃないからな・・・無茶をさせる訳にはいかん」
「え!材木が所帯を持ったのか!?」
「ああ、相手は・・・これは直に会った方が良いだろうから今は言わないでおこう」
「・・・それで、ならお前はこの件をどう片付けるつもりだよ?」
「最悪、お静を斬る」
「おいおい、いくらお前が旗本の次男坊でも正当な理由なしに人は斬れないだろ。そんな私怨もどきで人を斬ろうものなら遠島どころか死罪だぞ」
「そんな事は分かっている。しかし放って置くわけにはいかないからな。出来るだけ穏便に済ませたいが手が無くなったら、俺も腹をくくるつもりだ」
思っていた以上に苦しい状況だな。隼人も思いつめた表情で黙り込んでしまったし。ここで俺がお静の居場所を教えようものなら早いか遅いかの違いはあれど、いずれ静庵に乗りん込んで刃傷騒ぎを起こしてしまうだろう。お優美と所帯を持つ事を決心して道場主として新たな人生を歩もうとしている隼人一人に何でもかんでも押し付ける訳にはいかない。それにこの事を知れば材木だって心を痛め、何かしら協力をしようと申し出る筈だ。しかし隼人はそれをさせない為に総武長屋と距離を取っているのだから材木がこの道場に乗り込んできたら、それこそ俺と材木を深入りさせない為にお静を斬る事を決心してしまう。
「とにかく焦っても事は好転しないぜ。他に手が無いか、もっと考えてみよう」
「他の手と言っても、お静が黙って引き下がるとは思えないし、お静が奉行所の連中に掴まろうものなら平塚屋の二千両の事が明るみになってしまう」
「しかし、お静一人をお前が切ったところでお静の部下もこの事を知っちまってる可能性が高いんだから、一網打尽にする必要がある」
「俺達だけではあいつらを一網打尽には出来ないだろう。それが出来るのは奉行所の連中だけだ。しかし奉行所を頼れないとなる手詰まりだ」
「いや、絶対何か手が・・・」
「八.お前の気持ちは嬉しいが、さっきも言ったがお前はもう自分の幸せだけを考えるべきだ。お前はお雪や俺達の為に四年もの月日を費やしてしまったのだからな」
「だが、この問題を解決し損なえばお前の人生そのものが台無しだ、いや終わっちまうんだぞ」
「それは四年前にお前がしたのと同じ事だ。あの時の俺達のやるせない気持ちが分かっただろう」
う!それを言われると・・・何しろ四年前は隼人と材木に一切相談せずに正に“決死の覚悟”で作戦実行しちまったからな。
「八、もうここには来るな。この件は俺一人で片付ける」
真剣な、いや必殺という言葉の方が当てはまる様な態度で俺に決意を告げて来た。
「今日のところは帰る。しかし早まった真似はするなよ」
無言の隼人に見送られ道場の門をくぐると一路、宿屋へ戻る。宿の人に残り物の飯で握り飯を作って貰い、熱い茶と一緒に頬張りながら何か手は無いかと考える。お静が隼人の弱みを握ってそれをネタに金をせびろうとしている。では、その弱みとは隼人が俺の仲間である事、平塚屋から盗んだ二千両の存在を隠していた事、そしてそれを使って隼人が道場を新築してしまった事だ。幸い材木の存在や雪乃屋との繋がりはバレてないから、問題は三つだ。この三つが無くならない限り奉行所の力を借りる事は出来ない。しかし、この三つは事実だし、これを無かった事にするなんていくらなんでも無理だ。それに隼人も言っていたが、そもそも俺達程度の歳の男が江戸市中に道場新築する金持ってる事自体が変だもんな。
けど、もし・・・隼人が道場を新築する金を持ってて当然という立場だったらどうなる?
元から金は持ってましたと言い張る事が出来れば、お静は俺達が平塚屋から二千両を盗んだ事を主張しきれない筈だ。そもそも平塚屋にいくら金があったか知ってたのはお静を始めとした平塚屋の関係者だけだからな。死罪を逃れて逃亡中のお静が二千両盗まれましたと言っても奉行所の連中は信じないだろう。まして隼人は“のろい”の仲間でしたと言っても、それこそ信じて貰えない筈。すなわち隼人の道場新築資金を別のところで調達した事に出来れば隼人が“のろい”の仲間である事と平塚屋での盗みを働いた事を消し去る事が出来るって事だ。
では俺達の身近で道場新築資金を出せそうな金持ちと言えば・・・雪乃屋くらいか。さすがにこれは無理があるな。雪乃屋が隼人の道場を立ててやる理由が無い。雪乃屋の主人、すなわちお雪とお陽の父親に平塚屋との関係をバラすぞと脅して金をせびる・・・これじゃあお静と変わらない。こんな事したら隼人の奴がお静を斬る前に俺を斬り捨てかねない。あいつの正義感は真っ直ぐ過ぎるから。何しろあいつは元々・・・
「あ!」
いるじゃねえか。隼人に道場を建ててやってもおかしくない金持ち。
翌日、俺は早速その金持ちの家、いや屋敷に足を運んだ。総武長屋からは一時ほど歩き目的の屋敷の近くに来たら道行く人に正確な屋敷の位置を聞きつつ、どうにかこうにか金持ちの屋敷に辿り着いた。ホントにでかい屋敷だな、雪乃屋も青くなる程の屋敷だぜ。さすがは旗本・葉山家の屋敷。周辺は武家屋敷が多く建っている場所ではあるが、その中でもひときわデカイ、と言うか目立つ大きさの屋敷だ。
そうして表門の前までやっては来たが何と言って声を掛けようか。何しろ用事の内容がお宅の家出息子が泥棒の手伝いして困っちゃってますから助けてあげて下さい!だもんな。どう切り出したものか、、、それに何より俺の様な町人風情が旗本家の当主にスンナリ会えるとも思えない。どっかで待ち伏せるか?いや、どうせ外出にも家来を連れて歩くような身分なのだろうから、迂闊に近寄ろうものなら無礼討ちに遭ってしまう。手紙を家来の人に渡してみても当主に渡して貰えるかどうか以前に家来の人に受け取って貰えるかどうかも怪しいところだ。
折角はるばるやって来たというのに表門の前で為す術が無い事に気が付いた。しかし、その時、表門の大門の横にある小口戸が開き、家来であろう侍二人が出て来て、その後を若い侍、歳の頃なら二十代の半ばといったところだろうか。一目で先に出来てた二人と違う人種である事が分かる侍が出てきた。まず着ている着物の質が他の二人よりかなり上質に見える。それに何より、あの身のこなしと面構え・・・隼人にそっくりだ。多分あれが隼人の兄貴なのだろう。俺は恐れながらと声をかけつつ、二・三歩近づいてから地べたに正座をし、頭を少し下げながら地面に両手を付いた。
「何奴!」
「旗本葉山家縁の方とお見受けいたしました。私は・・・総武長屋に住んでおります八幡と申す板前にございます」
総武長屋に住んでも無ければ板前の仕事が見つかった訳でもないのに名乗ってしまった。侍相手に自分は島帰りの家無しですとは言えないもんな。厳しい態度を崩さない家来であろう二人の侍の後ろで、若い侍が俺の事訝しんでみてからさして興味も無い様な感じで
「板前か。ならば物乞いの類ではないな」
「はい、決してその様な者ではございません。実は葉山家の御次男様に関する事で、お耳に入れたい話しがございまして、ここまでやってまいりました」
「!」
若い侍が俺の言葉に身を固めた。そして家来二人は気まずそうな表情で若い侍の出方を伺う様にそっと若い侍の顔を覗き見ていた。
「当家の次男だと」
「は、はい!葉山家の御次男様が今、どこで何をしているかをお耳に入れたく・・・」
「黙れ」
反応ありと思い、話を切り出そうとした矢先に若い侍は静かではあるが怒りの気配を感じる口調で俺の言葉を遮った。言葉を遮られては喋り続ける訳にもいかず若い侍が再び口を開くのを待っていると
「当家に次男などおらん」
「え!いや、その様な筈は・・・」
「葉山家の男子は嫡男である私だけだ。弟は・・・死んだ」
「死・・・」
え?死んだってなんだよ。生きてるよ、アンタそっくりの顔をして道場建てて剣術指南やってるって。驚きの余り声が出なくなっていると二人の家来は何やら物悲しそうな表情をしながら無言で若い侍を見る。当の若い侍も自分で言った事なのに苦虫をつぶしたような表情で自分の言葉を嫌っている様に見えた。旗本の家の矜持と言うヤツなのだろうか、家を出た次男はもう死んだものと考える様に・・・さしづめ当主がそう決めてしまったのだろう。隼人の家はこんな状態だったのかよ。しかし、ここで話を終わる訳にはいかないと思い口を開こうとするが今度は家来二人が
「もう、何も申すな!これ以上何か申せば・・・切り捨てるぞ」
侍が町人に命令をしたのだが、その口調は最初こそ意気軒昂であったが言葉の最後は止むに止まれずといった感じが丸出しだった。ひょっとしたら、若い侍・隼人の兄貴は隼人の事を気にしている?いや心配をしているのではないだろうか?旗本の嫡男として当主である父親の言う事を守らなければならない立場でありながら実は弟の事が心配でならない!家来の二人は隼人の兄貴のそんな気持ちを知っているからこそ、こんな口調になっているのかもしれない。だったら、まだ諦める必要はないと思って
「御次男様はこの度・・・」
「黙れ!黙れと申して居ろうがっ!」
迷いを断ち切った態度で俺の言葉を拒絶する隼人の兄貴。こういう頑ななところは兄弟そっくりだな。
「弟は死んだのだ。それ以上でも以下でもない。それだけがこの家の現実だ。お前ももうこの屋敷には近づくな。今度屋敷の近くで見掛けようものなら斬り捨てるから、そのつもりでいろ」
「・・・はい、失礼いたしました」
「わ、若・・・」
俺が隼人の兄貴の言葉を受け入れると家来二人が、本当にそれでいいのか?と言い出しかねない辛そうな表情だったが、それ以上に隼人の兄貴が悲しそうな顔をして俺が立ち上がる前にその場から歩き去ってしまった。一人、表門の前に取り残された俺は立ち上がり着物についた砂や土を落とすと・・・やっぱりあの方法しかないか!と決心をした。出来ればやりたくなかったんだけどな。
俺は宿に戻ると部屋を引き払い夜が来るのを待った。勿論、葉山の屋敷に忍び込む為に。隼人の兄貴と別れた後、俺は屋敷のまわりを一回りして屋敷の構造に目星を付けた。東に表門、西に裏門、南と北は門が無く白壁が路地を貫く様にそびえている。ほぼ真四角の屋敷の敷地、これならきっと屋敷の主は日当たりのいい南側の部屋をその住まいとしている筈だ。東側の門からも西側の門からも奥まった当たり、そう戦国の昔なら敵が易々と屋敷の主の所に辿り着けない様に屋敷のほぼ中央が当主の部屋になっている筈だ。壁の高さは背伸びをすれば白壁の屋根に手が届く程度、これなら足場やはしごなどが無くても昇る事が出来る。となれば俺はその足で道具屋に行き雨戸を開ける為の大工道具のキリを。そして古着屋で黒の着物と地下足袋と黒の手ぬぐいを手に入れた。
夜が更けたところで俺は人気のない路地で黒装束に着替え、着ていた着物と草履と財布を島から持ってきた四角い鉄鍋と一緒に風呂敷で包み、誰の家かも知らない家の屋根に昇り、更に夜の闇が深くなるのを待った。四年前、俺が“のろい”として忍び込んだ家は全て商家だった。武家屋敷しかも、よりによって旗本屋敷に忍び込むのは初めてだ。危ない商売をしている店に忍び込んでいた時も用心棒などがいた店もあったが、旗本屋敷ともなれば住み込みの家来もいるだろうし何より、あの隼人の家だ。皆一様に剣術などが達者だろう。捕まって奉行所に突き出される前にただの不審者として斬り殺される可能性は極めて高いと言っていい。
その上、忍び込む理由が旗本当主を話をする為だと言うのだから、運良く話を聞いて貰えない限り斬り殺されるに決まっていると言うのだから、これはもう死にに行く様なものである。隼人の為?それともお静が許せないから?いや、自分で自分に嘘は付けない・・・やはり、お雪が赤ん坊を抱いていた姿を見た事が俺をこんな危険な事に駆り出してしまうのだろう。どうせ、お雪に会えないなら・・・そんなヤケにも似た気持ちで俺は風呂敷包みを屋根の上に置いたまま葉山の屋敷を目指した。
武家屋敷が並ぶ街中は道幅が広く、屋敷に忍び込もうとする俺にとっては都合の悪い構造だ。しかし店々が並んでいる訳でないから人通りが極めて少ない。一長一短の暗い道を歩いて葉山の旗本屋敷に到着すると俺は予定通り南側の壁をよじ登り屋敷の中に忍び込む。屋根に捕まり体を吊り上げる腕力、地面から跳び上がる脚力、そういったものが以前より強くなっている感じがする。どうやら島での暮らしは俺を不必要に鍛えてくれた様だ。自分でも驚く程に鮮やかに壁を越え屋敷の中に忍び込んだ。思っていた通り、そこは磨きあげた様な手入れの行き届いた庭園できっと葉山の当主やその家族がこの庭を眺めながら暮らしているのだろう。随分と広い庭で途中途中の植木に身を隠しつつ足元に鳴る子が仕掛けてないかを慎重に見定めながら少しずつ屋敷へと近づいて行くと、
ガラッ!
突然南に面した屋敷の雨戸が開いた。音に反射して身を低くして様子を眺めていると歳の頃なら四十半ば、貫禄のある侍で寝起きなのだろうか?浴衣を着て当然、二本差しもしていない。物憂げで辛い事を考えている様な様子で明る過ぎる月を見上げている。住み込みの家来があんな格好で屋敷内をうろつくとは思えない。あの様な格好で屋敷内を歩き回れるのは当主かその家族だけの筈だ。と言う事は・・・あれが隼人の父親か。俺は意を決して立ち上がり植木の陰から出る。黒装束に黒の手ぬぐいで頬っ被りしている見るからに怪しい男が月夜の庭に現れたら・・・さて、どんな反応をしてくるか。
「その内、逃げ出すだろうと思って放って置いたのだが・・・わざわざワシに姿を見せてくるとはな」
あれ!?バレてた。
「眠れぬ夜の座興だ、少しなら話を聞いてやる。近こう寄れ」
力が抜けた様な表情で俺を縁側から見下ろす浴衣姿の侍。下手に近づこうものなら隠し持っているかもしれない刀で斬り捨てられてしまうかもしれないと警戒しつつゆっくりを歩を進め、月夜であってもお互いの顔がハッキリわかる程度に近づき、その場に片膝をついて頭を下げる。
「そう警戒するな・・・今宵は曲者を斬る気も起こらん程に気が抜けてしまっておる」
そう言いながら縁側に腰掛け、その両足を庭へと放り出した。侍が月夜に現れた黒装束の男に向かって足を放りだす様に座るなんて普通に考えれば有り得ない話だ。もし俺が当主の暗殺に来た人間だったら、殺してくれと言っている様なものだ。
「して、その方。ワシに何の用だ?」
「実は・・・」
さて、なんて切り出したものか?昼間の隼人の兄貴らしき人間の反応を考えれば用件を真っ向から伝えれば相手の拒絶反応は相当なものだろう。なら・・・向こうが“座興”と言って来ているのだから、それに乗ってみるか。
「お亡くなりになられた御次男様の事でございます」
「ふっ・・・やはり、そうであったか」
「私はあの世で御次男様に縁があるものでございます」
「あの世の知り合いか・・・名はなんと申す?」
「・・・のろいでございます」
「のろい、そう言えば数年前にそんな名前の盗人が江戸を騒がせたな」
「はい。その、のろいでございます。見ただけで相手を呪うと言われた化け物の様な盗人でございます」
「あの世からの使いだ、化け物でも不思議はない」
「御当主様は肝が太うございますね」
「旗本の当主ともなれば月夜に出る化物よりも気味の悪い、狐狸妖怪はおろかヌエの様な何を考えているか解からない人モドキと付き合わねばならぬからな」
「あの世の盗人には想像もつかない伏魔殿の様ですな」
「して、死んだ息子はどうしておるのだ?」
「御次男様は半年ほど前まで色々な道場で剣術指南をされておりました」
「剣術指南か・・・あやつは子供の頃から剣の才が兄よりもあった」
「そして最近、御自分の道場を建設されました」
「なんと!自分の力だけで道場を建てたと言うのか。剣術指南などそれほどの稼ぎにならぬだろう」
「それには理由がございます。それこそが“のろい”と御次男様の縁でございます」
「・・・申してみよ」
「盗人の片棒を担いで稼いだ金か。あやつはもう武士ではないな」
「御当主様からすればお嘆きごもっともでございます。しかしながら御次男様は世の不条理を常に憂いておりました。侍としての矜持は捨て去ってしまったのかもしれませぬが、人としての矜持はしっかりと持ち続けている御様子です」
「・・・ふふ、相変わらずか。三つ子の魂百までと言うのは嘘ではないな」
「相変わらず?」
「あやつは侍として優し過ぎた。旗本の者として、その矜持を持ち続ける事と人としての優しさを持つ事は時として相反する事がある。この家に生まれた者なら一度は通る道だ」
自分の歩んだ道を我が子が歩んでいる事を憂いていた。そういえば島の村名主・翔左衛門も翔吉の事を同じ様に案じていたな。
「あの世も同じでございます。人としての矜持を持ち続ける事と世の為、人の為を思う事が相反する事がございます」
「あの世も浮世も変わらぬものなのだな」
「はい。では、これからが私が本当に聞いていただきたかった話でございます」
「うむ、聞こう」
俺はお静が隼人をゆすろうとしている事、道場の建設資金を当主が出した事にすればその憂いを払う事が出来る事、その事で奉行所にお静を捕えさせる事出来る事を話した。
「お前は旗本当主であるワシに嘘偽りを申せと言うのか」
「はい。無礼は重々に承知しております。そして無茶な企てである事も承知しております。なにしろ、事が私の考えた通りに進めば御次男様は奉行所から道場の建設資金について聞かれる事となります」
「左様であろうな」
「そうすれば、御当主様にその資金を出したか否かを奉行所の者が聞き取りに参るでしょう」
「町奉行が旗本への取り調べを行う・・・かなり厄介な事になる筈だ」
「きっと左様でございましょう。そればかりはあの世の盗人には解かりかねる事でございます」
「町奉行の役割は町の治安を守る事。その為とはいえ旗本の当主に話を聞くなど普通にはあり得ぬ話。関係者の間でさぞ噂になるであろう・・・しかし、それは公儀隠密にも聞こえる事になる」
「・・・公儀隠密」
「そうだ。もしワシの嘘が明るみになればお家は取り潰しになってしまうであろうな。公儀は常に旗本の取り潰しを狙っているからな」
うわ~~、旗本の当主って、そこまで責任追及されんのかよ。ちょっと考えが浅かったわ。
「お前の願いはワシに命を掛けろと言っておるのも同然なのだぞ。それが分かっておるのか?」
「あ、いや、それは・・・」
「そんな願いはよほど頭がおかしい奴しか受けはせん。それこそ気が触れている様な輩だけだ・・・だけなのだが・・・息子に昼間の事を聞かされて今宵のワシは少々、気が触れておる」
「は?」
「気が触れておる故・・・お前の見返り次第で、その申し出を受けてやろう」
「み、見返りですか?そうは申されましても今の私は何も持ち合わせておりません。それこそ投げ出す事が出来るものは、、、自分の命だけでございます」
「ふっ!なんとも殊勝な心構えだな。しかし、盗人の命などを散らしたところで何一つワシに得な事は無い。他にもあるだろう・・・ほれ、良く考えてみろ」
最初から俺を斬る気が全く無く、何かに気付いて貰いたいたくて何やらじれったそうに見える。旗本の当主が俺に何を求める?考えろ、今の当主の物言いからすれば凄く解かり易いモノの筈だ。俺と当主の共通の話題は隼人の事だけ。だから俺には隼人に関する何かをしてやる意外に当主に利は無い筈・・・あ!
「それでは・・・ささやかながらお食事を御馳走させていただくのは如何でございましょうか」
「食事だと?」
「はい。出来るだけ町外れにあります料理茶屋で部屋をしつらえますので そこで料理に舌包みを打っていただく趣向でございます」
「き、貴様・・・そうではなくてだな」
「御希望とあれば御次男様をあの世より連れて参る事も出来ましょう」
「!」
「更に言えば・・・御次男様が生涯の伴侶としようと心に決めた女も連れて参る事が可能です」
「伴侶だと!?」
「いかがいたしましょう?町外れ故、知り合いに見られる心配のない、死んだ御次男様とその伴侶の女に会う機会でございます」
「し」
「し?」
「ししし、しっし・・・・至急、大至急!明日明後日の内に場を設けよ!」
「かしこまりました。それでは準備が整いましたら町人の八幡と言う男から手紙を出させます故、御家来衆の皆様にご手配のほどをよろしくお願い申し上げます」
「わかった。八幡だな、待っておるぞ」
「では、お食事をお楽しみいただきました暁には、お命かけての奉行所への証言をお願い申し上げます」
「分かっておる。武士に二言は無い!」
俺は今一度、深く頭を下げてから当主の前から走り去り一気に壁を越え旗本屋敷から跳び出すと大急ぎで屋根の上に置いて来た風呂敷包みを取りに行った。あの金が無いと料理茶屋の部屋を押さえられない。誰がどこから見ているかも分からないのに黒の頬っ被りをしたままで、まるで盗人が全力で逃げ回っている様にしか見えない状態で武家屋敷が建ち並ぶ街中を一気に駆け抜けた。
ハァハァハァ・・・よかった、まだ有った。もう斬り殺される覚悟で、もう、こんなモンどうでもいいやって感じだったから置いて行く時には誰か必要な人が使ってくれればいいなと思っていたが本当に誰もこれを拾っていかなくて良かった。夜が白々と明ける中、着物を着換えると大急ぎで町外れの料理茶屋を探す為に江戸の町を歩き回った。東西南北の内、北以外の方角を歩きまわる。北に向かったのではお静のいる新宿に近づいてしまい、万が一ではあるが偶然お静に鉢合わせるなんて事になりかねない。出来るだけ新宿から遠く、隼人、お優美、そして隼人の父親が足を運ぶ事が出来る範囲で料理茶屋を探しまわり、昼八半(≒午後三時)ごろにやっと丁度良さ気な料理茶屋を見つけたので早速、店の人間に客は三人、うち一人はやんごとなき身分の人間である事を伝え、明日の昼メシの為の部屋の予約をし、島で村名主から貰った金でその代金を前払いした。更に八丈島でも感じた事が無い程の空腹を抱えながらも隼人の道場に向かう。
「八!もう来るなと言っただろう」
「悪い、だったらせめて一緒に昼飯でも食わないか。良さ気な料理茶屋を見つけたから、お前とお優美の事を祝わせてくれよ」
「料理茶屋だと、八、お前そんな金を持っているのか?」
「ああ、島で一生懸命働いたからって島の村名主が俺に餞別をくれたんだ」
「そんな貴重な金でメシをご馳走になる訳にはいかない。その金は自分の為に使え」
「そんな事言ったって、もう茶屋の部屋を押さえちまったぞ。それに何より、俺はお前と縁を切るつもりないからな」
「くっ・・・分かった。そこまでされてしまっては断れないな。で、いつだ?」
「明日だ、明日の昼にその紙に書いてある料理茶屋まで来てくれ。絶対お優美も連れて来いよ。じゃないと意味ないから」
「分かった・・・俺も久しぶりにお優美にも会いたいしな」
「じゃあ待ってるぞ」
そうして今度は隼人の父親である葉山家当主宛ての手紙に料理茶屋の場所と待ち合わせの日時を書いて旗本屋敷まで直接持って行き、大門横の小口戸をを叩いて出来てた家来の侍に手紙を言付ける。そうして俺は料理茶屋の近くへと戻り、近所に宿をとり、宿屋の浴衣に着替え、風呂に入り、飯を食う。そして着ていた着物に軽く霧吹きをしてから宿屋で借りた衣紋竹(えもんたけ=竹製の着物用のハンガー)に掛けた。昨日の夜は盗人として隼人の父親に会ったが、明日の昼は一人の町人として旗本の当主に会わなければならない事を考えると身だしなみを最低限に整えておかないと、ここまで漕ぎ着けた段取りが台無しになりかねないし何より無礼である。
翌朝は念の為、湯で体を拭いてから飯を食って着物を着た。茶屋で相手を出迎える時に腹が鳴っては見っともないからな。そうして昼前の頃合いに宿を出て予約をしておいた料理茶屋に出向く。茶屋の人間に今日はよろしく頼むという一言と一緒に袖の下を百文ほど渡しておき、俺は茶屋の前で客三人を待つ。するとまず現れたのは隼人とお優美の二人連れである。隼人は昨日となんら変わらない様子であったが、お優美が随分と変わっていた。と言ってもお優美に会うのは四年ぶりで変わっていて当たり前か!と思いつつも茶屋の女主人をしていたころと比べると随分地味、と言うか質素な感じの着物と帯を身に付け髪飾りも少なめだ。なるほど浪人とはいえ仮にも道場主の嫁となるのだから、それなりに慎ましくしているのだろう。
「よう」
「全く・・・こんな事で貴重な金を使うな」
「まあ、そう言うなって」
「・・・久しぶりだね、元気そうじゃんか」
「ああ、なんとか生きて帰って来れた。お優美は随分変わったな、いかにも道場主の嫁に見えるぜ」
「う、うるさい!」////
あれだけ露骨に隼人に好意を寄せていて四年前ですら冷やかされると顔を真っ赤にしていたお優美だが、それは今でもそう変わらない様だ。
「じゃあ、入るか」
隼人が照れるお優美を庇う様に言葉を重ね、場の空気を変えようとして来た。
「ああ、先に入っててくれ。茶屋の人間には言ってある、それにあと一人客が来るんだ」
「あと一人・・・ああ材木か。わかった、では先に入ってるぞ」
隼人は一人合点が言った様な顔をして照れるお優美を引き連れ、茶屋へと入って行った。そうしてしばらくの時が経った時、何やらゴツイ駕籠がやって来た。俺達町人が遠出をするのに使う様な竹とムシロで組み上げた様なものではなく、豪華な飾り付けが施されていて一目で身分の高い人間が乗っているのだろうと分かる代物だった。駕籠を担ぐ人間も家紋の入った法被(はっぴ)を着てそこらの人足の様な汚らしい恰好はしていないし、駕籠の横には護衛であろう侍が二人付いて来ていた。それを見て俺は懐から昨夜、頬被りに使った黒い手ぬぐいを取り出した。駕籠は予想通り茶屋の前で停まり、護衛の侍が周囲を見回す。俺はそれに合わせて駕籠と茶屋の間の地べたに正座をして頭を下げる。駕籠の戸が開くと中からは頭巾を被った隼人の父親、葉山家の当主が降りて来た。俺は一段と深く頭を下げた後、黒の手ぬぐいを差し出す様にしながら顔を上げ
「ようこそ、おいで下さいました」
「うむ。わずか二日で場をしつらえた事、褒めて取らす」
「ありがとうございます。かの二人は既に部屋で待っておりますので、どうぞ、このままお進み下さい。また、御次男様とその嫁には今日同席する人間については一切話をしておりませんので、御心つもりを」
「・・・まあ、そうであろうな。ワシが来る事を話せばあやつが素直にこの場に現れるとも思えん。よかろう、そのつもりで出向くとする」
俺は再び、深く頭を下げて隼人の父親と護衛の侍一人が茶屋に入るのを見送った。さあ賽は投げられた。すんなり隼人が話を聞き入れてくれるといいんだが、あいつも結構頑固なところがあるからちょっと心配だな。しかし、あいつは馬鹿じゃない。自分の置かれている状況や俺がこの場をしつらえた事、更にお優美を同席させたのだから、そう短慮な行動には出ないだろう。そうして半時ほどの時間を茶屋の前で護衛の侍一人と駕籠人足二人とで一緒に待っていると茶屋の中から人の出てくる気配がする。見れば先程中に入った護衛の侍が先に店を出て周囲を伺い外で待っていた護衛の侍と無言で頷き合う。そして道を開ける様に出入り口の脇にどいたかと持ったら、その後を頭巾姿の隼人の父親が歩いて来た。俺は正座で見送ろうと膝を折ろうとしたその時、隼人の父親から
「そのままで良い」
「は、はい。では、このままで。御会食、いかがで御座いましたでしょうか?」
「うむ・・・中々面白い趣向であった。やっと、死んだ息子の墓に花を供える事が出来た気分だ」
頭巾をかぶっているせいで今ひとつ表情が読みとれないが、その目尻は下がり喜んでいるのが見て取れる。
「・・・では」
「その方の申し出、しかと受け取った。あとはワシに任せておけ」
「あ!ありがとうございます」
「“隼人”に申し付けておいたが・・・貴様にもこれから色々と働いて貰う事になるからその覚悟でいろ」
隼人!?葉山家当主の隼人の父親が自らあいつを“隼人”と呼んだ。隼人と言う名は俺がつけたあだ名に過ぎない筈なのに。それに俺に色々働いて貰うってどういう事だ?頭を下げながら考えていると目の前に人がやって来たのが分かったので顔を上げたら、その途端にぶん殴られた。地べたにもんどり打って倒れ、殴られた頬を押さえながら元いた場所を見返してみると、仁王立ちの隼人がいた。
「なんて馬鹿な事をしたんだ!無礼討ちに遭ってもおかしくないのだぞ」
怒りと心配、そして自分の為に無茶をさせた責任を感じている様な、そんな表情の隼人。
「この様な往来で、その様な狼藉、全く・・・貴様は既に町人なのだな」
頭巾の向こうで明らかに笑っているのであろう葉山家当主・隼人の父親が嬉しそうに言った。
「お優美、本当にこの様な不届者と所帯を持ってくれて構わぬのか?」
「はい、普段の隼人様ならこの様な狼藉を往来でする筈もございません。きっと、そうするべき事情があるモノだと私は信じております。それに・・・」
「それに?」
「この男の事は私も少々存じておりますが・・・一度や二度、いえ百度殴られても足りない程に周囲に心配を掛けた男です。ですから私は今の隼人様を褒めて差し上げたい気分でございます」
「はっはっはっ!なる程のう。隼人、これは心してかからねば尻に敷かれてしまうぞ」
地べたに尻を付いている俺以外、隼人の父親、護衛の侍、駕籠人足、そして隼人とお優美。みんながみんな俺を呆れた様な顔をして見ていた。そうして一しきり笑い終わると隼人の父親は駕籠に乗り場を去っていった。残された俺達三人は
「ほら、手を貸せ」
隼人が俺に手を差し出してきた。俺もそれに答える様に手を出し握り合うと隼人に引き起こして貰った。
「島暮らしは過酷だと聞いていたが、お前のその過ぎたおせっかいの性分は直せなかった様だな」
「うるせえよ。この問題は俺にも火の粉が降りかかりかねない話なんだから手を打つのは当たり前だろ」
「だったら一言くらい相談しろ。こんな形で父上に会うとは思ってもいなかったぞ」
「そうそう!八、アンタのせいでとんだ恥をかいたよ。隼人様のお父上様に会うと分かっていればもっときちんと着飾ったのに・・・こんな着物で・・・絶対許さないからな」
どうも、お優美は男の目と言うのを勘違いしている傾向がある。派手に綺麗に着飾った方が男が喜ぶと言う発想が以前からあったが、今日の様な亭主の父親に会う時などは少々地味な、それこそ今くらいの方が受けは良いのに・・・ある意味残念な女だよな。
「そうだぞ八。先程、父上も言っていたがお前にはこれから俺と父上の連絡係をして貰う事になったからな」
「は?連絡係。なんだそりゃ?」
「家出した次男が屋敷を頻繁に出入り出来ないだろ。逆に父上もそうそう俺の道場まではやって来れん。となれば必要な時に予定を合わせて、その回数を最小限にする必要があるんだ」
「じゃあ俺はその為の連絡係をさせられるって事か」
「ああ、お前なら俺はもちろん父上や兄上に顔を覚えられているし、いざとなれば今回の様に夜にも尋ねて行けるからな」
「もう、あんな事しねえぞ」
「ははは、まあ要するに八、お前は父上に気に入られたんだ」
やれやれ・・・旗本の家っていうのは何かと面倒なものなんだな。しかし乗りかかった舟と言う奴で、きっと隼人との縁が続く限りこの話は断れないものなのだろう。諦めて大きく溜息をつくと隼人が俺に小さな包みを差し出してきた。
「なんだこれ?」
「父上からだ、今回の礼らしい」
受け取ってみるとガチャと金属音がした。手に取った感じ・・・小判か。驚いていると隼人が頭を下げながら
「こんな形でしか礼を言えない父上を許してやってくれ」
「いや、こんなもん貰う為に世話焼いた訳じゃねえぞ。こんなモン受け取れねえよ」
「しかし・・・それを受け取っても、受け取らなくても連絡係はやらされるぞ。それでもいいのか?」
「う!そう考えると・・・タダ働きはゴメンだしな」
「そういう事だ。受け取ってやってくれ」
俺は諦めて包みを懐にしまうと隼人に会いに行った本来の理由を思い出した。
「そうだ、お優美。小町は今どうしてるんだよ?」
「はぁ?あんたそんな事も知らないで、こんな事してたの?」
「しょうがないだろ。それを聞きに行ったらこんな事になってたんだから」
「全く・・・アンタってヤツは、小町なら・・・!」
お優美が呆れながら俺に小町の行方を話そうとするが、それを隼人が差し止める。
「お結衣の飯屋に行ってみろ。それで全て分かる筈だ」
「お結衣の店に・・・なんだよ。あそこで働かせて貰ってるのか?」
「それだけじゃない。お前が知りたい事が全部、そこで分かる筈だ」
「俺の知りたい事の全部・・・分かった、行ってみる。じゃあ奉行所に行った後でお結衣の飯屋を尋ねてみる」
「分かった。俺も奉行所の連中が尋ねてくる心積もりをしておくから」
「奉行所でお静が生きている事とあいつの居場所を話してくるから、まあ二・三日でお前の所に役人が行くと思うぞ」
「・・・ちょっと待て。八、お前、お静の居場所を知っていたのか?」
「ああ、そういや話してなかったな。お静をお前の道場で見掛けた時、怪しいと思ってあいつの後を付けて居場所を突き止めておいたんだ」
「何でそれを言わなかった」
「言ったら、お前が殴り込んじまいそうだったからな」
「む・・・」
「八、今のは褒めてやるよ」
痛い所を突かれて押し黙る隼人の横でお優美が嬉しそうにそう言った。そうして隼人達と別れ、俺は奉行所へと向かう。ここに来たのは四年前、雪乃屋に盗みに入った後の明け方だったな。そんな事すら感慨にふけってしまう。俺は門番に声をかけると中にいる同心へと取り次いでもらった。しばらくすると一人の同心が慌てた様子で門までやって来て俺を奉行所内に連れ込み、後を付いて来る様に言ってきた。奉行所の外塀沿いを歩き、なにやら同心同伴で盗人に入っている気分になっていると小さな裏庭に出た。こじんまりとした綺麗な庭でおよそ奉行所らしからぬ場所だった。すると同心は歩を進め裏庭に入ると
「お奉行様、総武長屋の八幡を連れて参りました。」
そう言って頭を下げる。え!?お奉行様?驚いて同心が頭を下げた方を見てみると四年前、俺に破格の沙汰を下した奉行が縁側に立っていた。大慌てで庭に正座して頭を下げる。
「おお!八幡、良く来たな」
「は、はい、お奉行様のお陰で無事生きて江戸に戻る事が出来ました。本当にありがとうございます」
「うむ。四年前の沙汰についてはあちこちから色々と言われたモノだが、こうやって改心して奉行所にやって来てくれたのであれば、あの時の苦労も無駄ではなかったという事だな」
そうか、四年前の俺に対する沙汰について奉行は色々言われたんだろうな。何しろ死罪を島流しにまで減刑した位だ。もし島から帰って再び悪事に手を染めて、また捕まろうものなら奉行の面目は丸つぶれだ。
「それに、韮山の島奉行からの減刑の請願を見た時にはワシの目に狂いは無かったと安堵した程だったぞ。よく無事に、そして良く務め上げたな」
「どれもこれもお奉行様のご厚情のおかげです」
「しかし・・・八幡。表を上げてみろ」
「は、はぁ、何か?」
「その顔はどうした?まさか江戸に帰りつくなり喧嘩でもしたのではあるまいな」
「い、いえ、これは・・・何と申しますか。四年前に散々心配を掛けた友人と会った時に怒られついでに殴られたモノです」
「ふっ、そういう事か。余り心配をさせるな」
「も、申し訳ございません」
「して八幡、今日はどう行った用向きだ?島から帰った礼を言いに来ただけではあるまい」
「はい、奉行所に皆様のお耳に入れておきたい事がございまして、参りました」
「申してみよ」
「四年前、私が娘五人を救出した平塚屋の事件を覚えてらっしゃいますでしょうか?」
「・・・ああ、誘拐した娘を売り飛ばしていた平塚屋にお前が忍び込んで娘五人を救出した事件だな。あの事件がどうした?」
「あの時、友人二人の力を借りて無事、妹を含めた娘五人を助ける事が出来、更に人さらいの頭目、お静は処刑されたと牢の中で聞かされていたのですが・・・お静は今でも生きております」
「なに!頭目が生きておるだと!?」
「私も目を疑いました。私を殴った友人を訪ねた時に偶然見かけ見間違えではないかと想った程ですが、お静に違いありませんでした。あの顔は忘れる事が出来ません」
「しかし処刑した人間が生きておるなどと言う事は有り得ぬ。やはりお主の見間違えではないのか」
「考えてみたのですが・・・お静は表向きの商売として女郎屋を営んでおりました。 身代わりになる女はいくらでも居たのではないかと」
「・・・女郎を身代わりにしたというのか」
「あの捕り物は明け方の人が少ない時刻に行われました故、目撃者が少なくお静が捕まった事を目の当たりにした知り合いがいなかった可能性が高いのです」
「昼間の捕り物なら隣近所の人間に捕まる所を見られるが・・・明け方であれば見られてない。話だけでお静が捕まったと信じ込んでしまった訳か」
「現に生き残ったお静は当時の部下を引き連れ、今も水戸街道の新宿で宿屋と称する女郎屋を営んでおります」
「江戸市中から逃れ、再び女郎屋を営んでおるだと。しかも宿屋を隠れ蓑にして」
「その様子は隠れ蓑と言う段階ではございません。近隣の宿屋が困り果てている状態です」
「お上に無断で女郎屋を営むだけでも罪となるモノをそれを死罪を逃れて行っておると言うのか」
「私が見てもお静はそれ程、顔かたちが変わった様には見えませんでした。ならばあの遊郭で平塚屋の近所で仕事をする人間はお静の顔を確認出来る筈です」
「その話、真であれば聞き捨てならん」
「何卒、お静が再び誘拐などに手を染める前に連中を一網打尽にしていただきたく本日は奉行所に参りました」
「左様であったか・・・よかろう。街道宿で女郎屋を営んでいるだけでも問題だ。至急、対応させよう」
そう言うと奉行はその場にいた同心に耳打ちをして、その場を去っていった。偉い人が場からいなくなってホッと息を付くと同心がまた俺について来いと言って来た。今度も言われるままに付いて行くと今度は奉行所の表玄関から建物の中に入ると・・・そのまま牢屋に放り込まれてしまった。
「え!どういう事ですか?」
俺を牢屋に放り込んだ同心曰く、お静の件は早速、奉行所から人出を繰り出して直々にひっ捕らえに向かうが、もし捕まえた人間がお静でなかった場合、奉行所を騙した俺は罪に問われるとの事だった。なるほどな、奉行所に偽の話を聞かせて大騒ぎさせた挙句、どっかに逃げられたら堪らんもんな。しかし江戸の奉行所から水戸街道の新宿まで人出を直に出すと言うのもまた、おかしな話だと思い同心に尋ねてみるとそれ程までにしたたかな女であれば、地元の有力者や下手をすれば代官屋敷にすら根回しをしているかもしれないので用心の為に、そしてお静の一派や働く女郎達がどれ程の人数になっているか分からなく葛飾の代官所では対応できない可能性があるので奉行所から直に人出を出すと事だった。
そうして牢屋の中で丸二日が過ぎた頃、俺を牢屋に放り込んだ同心がやって来て、俺に付いて来いと言う。今度はどこに連れていかれんだよと思って歩いていると・・・この道って四年前にも歩いたよな。白州へ向かってるいるのか!?案の定、俺は白州に引き出され、用意してあったムシロに正座させられる。見回してみれば両手を後ろ手に拘束されたお静が別なムシロに座らされていて座敷には裃(かみしも)姿の奉行がいた。
「証人、名を申してみよ」
「え・・・はい!“のろい”こと八幡でございます」
「“のろい”だと・・・アンタ八か!?」
お静が俺をにらみ付けてくる。しかし白州では好き勝手に喋る事も出来ず見張りの同心に頭を強引に下げられ、その言葉を断ち切られていた。
「では八幡、お主はそこで頭を押さえられている女を知っておるか?」
「はい、知っています。四年前、遊郭で平塚屋という女郎屋を営んでいたお静です」
「相違ないか?」
「はい、相違ございません」
「うむ。すでに遊郭で働く人間数人とも首実検を行い、更に四年前、平塚屋に忍び込んだ“のろい”の証言も取れた。お静、最早言い逃れは出来ぬぞ」
「畜生・・・」
お静が頭を押さえられたままの状態で小さく悪態をついたが、次の瞬間俺を横目でにらみ付けニヤリと笑うと
「アンタも道連れだよ、八。お奉行様、確かに私は平塚屋のお静でございます。 しかし、この場で一つだけ申し上げたい事がございます」
「なんだ、申してみよ」
「そこにいる“のろい”は私の店・・・平塚屋から二千両もの金を盗んだのです。娘五人を助けた事ばかりが評判となっておりますが、その陰であいつは盗みをしていたんです」
「・・・真か?八幡」
「いえ、その様な事は全く。私はあの夜、友人二人の助力を得て平塚屋から娘五人を救出しただけです。それと一緒に二千両もの金を盗める筈もございません」
「下手な嘘言ってんじゃないよ。証拠があるんだ、どでかい証拠がね。アンタの仲間の隼人ってヤツが道場を新築しやがったのさ。二十歳そこそこの男があんな立派な道場を新築できる訳ないだろ。それが何よりの金を盗んだ証拠さ」
またしても勝手な発言を咎められ同心に頭を押さえつけられるお静。しかしそれを見ていた奉行は、お静のそんな行動を見透かしていたかの様に
「お静、お前のその話。奉行所の方で確認をしたが道場の新築資金は父親に出して貰っていた事が判明しておる。道場主の隼人なる人物は旗本・葉山家の御次男で、その事は葉山家にも確認済みである」
「は、旗本の次男!?そんな・・・」
「身代わりを立ててまで死罪から逃れ、有りもしない盗みをでっち上げるなど言語道断!平塚屋お静、お主に改めて死罪を申し付ける。日など置かず即刻その首跳ねてくれる」
そうしてお静は白州から引きずられる様に連れ出されると白州には俺一人となった。
「八幡、この度は手柄であったな」
「いえ、お奉行様の素早い対応に驚かされております」
「あれほどの重罪人を捕えたのだ。これを受け取るがいい」
そういって奉行はその場にいた同心に白木の膳を渡し、それを俺の所にまで運ばせた。見れば白木の膳の上には小判が一枚置いてあった。
「この度のその方の働き見事であった。それはその報奨として受け取るが良い」
「・・・お奉行様、一つ願いを聞いていただけませんでしょうか」
「申してみよ」
「私はお奉行様より改心の機会を与えていただき八丈島での生活を務めて参りましたが、その間、大勢の流人が死んでいくのを目の当たりにしてきました」
「左様であろうな、島の暮らしは過酷であると聞く」
「江戸に戻りたい、もう一度会いたい、そう言いながら死んでいく流人を見送っては墓を作ってやったものです。そこでお願いとは・・・お静の代わりに処刑された女郎の墓をこの金で建ててやって貰えませんでしょうか」
「・・・今となっては女郎の死体は見つける事は出来ぬと思うぞ。死罪を受けた罪人は、その亡骸を引き受ける者がいなければ一まとめで無縁仏として埋葬される」
「では、せめて墓だけでも。墓標に刻む名が無くとも成仏を願ってやりたいのです」
「そうか・・・分かった。その願い聞き入れよう」
「ありがとうございます」
「八幡よ、罪人皆がお主の様であれば良いのだがな・・・これにて一件落着!」
そうして俺は奉行所を後にするとお結衣の飯屋をまっしぐらに目指した。江戸に戻って七日目にしてやっと小町に会える。七日前の興奮した様な気持が再び顔を出すといつの間にか小走りでお結衣の飯屋を目指していた。飯屋の前に立つと大きく息を吸って呼吸を整え、走って乱れた着物の裾を直し、手には四角い鉄鍋と黒装束と地下足袋と黒てぬぐいと隼人の父親から貰った金が入った風呂敷包みを持って・・・息を呑みながら店に入った。
「いらっしゃいませ~・・・はっちー!」
「よう、久しぶり・・・って、おい、その腹!?」
「え!お兄ちゃん!?」
お結衣が客が来たと思って俺に声を掛けたが驚いて俺のあだ名を呼んだ。俺はそれに応える様に右手を差し出しながら喋り出したがお結衣の腹が大きく膨らんでいるのを見て驚いていると店の台所から小町が飛び出してきた。
「いつ戻ったの?」
お結衣が俺に尋ねてきたので
「七日前だ。もっと早く来るつもりだったんだけどな、小町の居所が分からなくて」
「え~、お兄ちゃんどこほっつき歩いてたのさ。真っ直ぐ総武長屋に行ったんじゃないの?」
小町が呆れた様な顔でそう言って来る。俺は気まずさからつい話を逸らそうと
「それより、お結衣。お前その腹」
「うん、再来月が産み月なんだ」
「旦那は?」
「お父っつぁんの知り合いの料亭で板前をしている人・・・」
「そっか、そりゃよかった」
「も~、お結衣さんも二年待っててくれたんだから、ちゃんとお礼をいいなよ」
「こら、小町ちゃん」
「そうか・・・待たせてゴメン。それと・・・待っててくれてありがとう」
「ううん、気にしないで。今ははっち―を待ってた頃よりずっと幸せだからさ」
「そりゃ何よりだ。しかし小町がここの台所で働いているとは思わなかったぞ」
「うん、四年前にお兄ちゃんが島に行っちゃって、このお店はお結衣さんのお父さんとお結衣さんできり回していたんだけどお結衣さんが所帯を持って将来旦那さんがこの店を継ぐことになってさ。それでお結衣さんのお父さんは別な所にもう一軒店を開いちゃったの」
「そうするとこの店で料理をする人間が足りない訳だな」
「そうそう、更にお優美さんと隼人さんの縁談もどんどん進んじゃってさ。お優美さんが店閉めるって言い出しちゃったから、私がここで雇ってもらったの」
「そういう事かよ。けど、そうするとお結衣の旦那さんが店を継いだら小町は仕事が無くなっちまうな」
「へへ~、それについては安心なんだよね」
小町とお結衣がニヤニヤしながら顔を見合わせてから俺を見る。
「なにが安心なんだよ。お前の仕事に先がなくて俺も仕事が無い。ちっとも安心じゃないだろ」
「お兄ちゃん、本当の総武長屋に行ってないの?ひょっとしてまだお雪さんに会ってないの?」
「あ、ああ」
「あっきれた!お結衣さん、お客さん引けてますし、ちょっと出てきていいですか?」
「うん、半時くらいならいいよ。はっちーがこの調子じゃ、自分で行くには後十日くらいかかちゃいそうだもんね」
「ありがとうございます。じゃあお兄ちゃん行くよ」
そういうと小町は俺の手を握り俺を総武長屋に引っ張っていく。
「ビックリするよ~長屋、新品になったんだから」
「そうらしいな。隼人から聞いたよ」
「え~、隼人さんに先に会いに行ったの・・・そんな話をしたらお姫菜さんが大喜びしちゃうよ」
「お前の行方を探す為にお優美の茶屋に行ったら店が閉まってて隣の店で聞いたら剣術指南の男と所帯を持つって教えてもらったからな」
「ああ、そういう道順だったんだ。もう本当に要領悪いな~」
小町と二人、総武長屋に到着すると今度は小町に手を引かれて長屋の門をいとも簡単にくぐると俺と小町が住んでいた長屋の真ん中の部屋の前に立つ。この向こうにお雪が・・・しかし赤ん坊がいる。もし、お雪の子だったら・・・ついそんな事を考えてしまうのだが小町は何の遠慮も無しに戸を開けてしまう。
「お雪さ~ん。大八いい子にしてましたか」
「お帰りなさい、小町さん。今日は随分早いの・・・八幡!?」
お雪が座敷で縫物をしている。雪乃屋の下職であろうか座ったまま、手に布と針を持ったままこちらを向いて小町を出迎えると、俺がいる事に気がついた様だ。
「よう」
「もう、お兄ちゃん。よう、じゃないでしょ」
「え、あ、ああ・・・え~と・・・」
小町は俺に呆れながら座敷に上がるとお雪の傍らに寝ていた赤ん坊に話しかける。
「ほんとに駄目なおじちゃんでしゅね~」
「おじちゃん?」
小町が赤ん坊を指さしながら
「この子は大八。私の子供だよ、だからお兄ちゃんにとっては甥っ子だね」
「なに!小町の子」
驚きの余り大声でそう答えると
「うん、半年前に生まれたんだ」
「相手は?」
「お隣の大志くん。大工として暮らしていく目処が立ったからって二年前にね」
「じゃあ大八って名前は・・・」
「そう、お父さんとおじちゃんから一文字ずつ貰ったんだよ」
「なんか色々変わり過ぎてて、ちゃんと一から話してくんねえとサッパリ解んねえよ」
「まあ、そうだろうね。じゃあ今晩、みんなを集めてお兄ちゃんが帰って来たお祝いと四年の間に何があったか教えてあげるね。私そろそろ店に戻らないとまずいしさ」
そう言って小町は我が子と我が兄とかつての同居人であるお雪を置き去りにして一人部屋から出ていった。いきなり二人きり同然にされて何を話しせばいいのか分からない、かと言って黙ったままではと思いお雪に話しかけるが
「おゆ・・「はち・・・」」
喋り始めが重なってしまい、また二人して黙ってしまう。参ったなと思っていると大八が目を覚まして大声で泣き始める。お雪はそれを聞いて慌てて大八を抱き上げ、お尻のあたりをさすってオムツの確認をするがどうやら、それではないと分かると大八を抱いたまま立ち上がり部屋の出口に向かうと草履を履いて
「八幡、ちょっと、その辺を一回りして来るわ。この子こうやって泣き出すと、散歩しないと泣き止まないのよ」
「じゃあ、俺も一緒に行くよ」
「駄目よ。そんな目つきの男が一緒では余計に大泣きするに決まっているわ」
「・・・相変わらずだな」
「そうよ、変わらずに待ってたのよ・・・なのに妹に先に会いに行くなんて。いい八幡、ここでいい子にしてなさい。帰ってきたらお説教よ」
「俺は赤ん坊かよ」
「赤ん坊以下でしょ、手が掛かる事と言ったら大八ちゃん以上よ」
「はいはい、じゃあノンビリ寝て待ってるよ」
「・・・そうして頂戴」
お雪が大八を抱いて外へと出掛けていく。どうもお雪には俺がお雪より小町を優先した様に思われた様だが、正直に大八をお雪の子だと思った事を話せば帰って来てから始まる説教はどれ程長く続くか分かったものではない。ならば帰って来たお雪には口答えせずに素直に説教されることとしようと決めて、俺は裁縫道具などを横にやって新しくも久しぶりな自分の部屋で横になった。
「・・・ん・・・はちまん、起きなさい」
体を軽くゆすられながら人の声に気付き目を覚ますと目の前にお雪がいた。呆れた様な安心した様な顔をして俺が起きるのを見ている。俺が体を起こすと
「お兄さん!お久しぶりっす!!」
突然デカイ声がしたので声のした方を見てみると隣のお沙希のすぐ下の弟・大志がいた。
「大志か、へぇ・・・立派になったな」
「はい、所帯も持ちましたし、子供も出来ましたからね」
「・・・そうだよな。まあ小町の事よろしく頼むわ」
遅まきながら大志に小町の事を託す言葉を口にする。なんとも感慨深い、たった一人の肉親が嫁に行って自ら家族を作っていく。その事がこれ程嬉しい事だとは思わなかった。
「はいっ!頑張ります!」
こういう所は子供のころと変わってねえな。子供っぽさが残っていると言うのに妙に安心できた。大志の横に立つ小町は大八を抱いてニコニコしている。このまま幸せが続いてくれれば良いなと思っていると
「さあ八幡、出掛けるわよ」
「どこへ?」
「隼人さんの道場よ。あなたが島から帰って来たお祝いをするのよ」
「だったらワザワザ隼人の道場まで行かなくても」
「この部屋では入りきれない程、人が集まるから小町さんが頼んでくれたのよ」
「そういう事か・・・ならありがたくお邪魔するかな」
「そうよ、急ぎましょう。もうみんな道場へ行っているはずから」
「八幡っ!」
「わっ!よせっ!!くっつくな!!!」
隼人の道場に着くなり材木の奴がいきなり抱きついて来た。相変わらず鬱陶し奴だ。
「心配したのだぞ、島暮らしは過酷だと聞いておったし、もしや万が一と・・・全く無茶をしよって」
「なに言ってんだ。俺が馬に引かれて島送りになる時はまぬけ面呼ばわりしたくせに」
「あの場は仕方あるまい。あれが皆で決めた話し出す合図だったのだ。しかし本当によくぞ無事に江戸に戻った。さあ今宵は思う存分、飲んで食おう」
「お前はいつもそうだろうが」
そうして道場の中に入って行くと俺が考えていた以上の人間が集まっていた。俺はてっきり長屋の連中とお優美とお結衣くらいだと思っていたのだが、そこにはそれに加えてお陽、雪乃屋の主人、それとそれに寄り添う・・・多分お雪の母親。更にはお結衣の父親までいて、さらに見知らぬ男が数人いた。
「八、良く帰って来たな」
「お沙希、お前も元気そうだな」
「ああ、阿呆な亭主となんとか暮らしてるよ」
「へ~、所帯を持ったのか。相手はどんな奴だ?」
「そ、それは・・・」
「げふんげふん・・・それは、拙者である」
「え!材木?お沙希・・・お前、材木と所帯持ったのかよ!?」
「・・・ああ、私も八を待つつもりだったんだけど・・・その・・・色々あってさ」
「なんだよ色々って、それを詳しく聞きたいんだよ」
「長屋が新しくなってただろ」
「ああ、何でも火事になったそうだな」
「その火事さ、うちのお京がやらかした事なんだ」
「お京って、お前の妹のか」
「ああ、お京が私の手伝いで私の留守中に食事の支度をしようとしたらしくて・・・それが火事の原因なんだ」
「あれには拙者も肝を冷やしたぞ。何やら焦げ臭い匂いがしてきたと思ったら隣の部屋から煙がもくもくと出てきてな。大急ぎで駆けつけて見れば大きな火を見て腰を抜かしているお沙希の弟と妹がいたから助け出したのだ」
「そのおかげで早いうちから火消しをする事が出来てね。周りの建物への延焼は防げたんだ。けど」
「そのせいで我は家主として重敲き(=百叩き)になってしまったのだ。しかし、まだ運が良かったのかも知れん。なにしろ将軍様が外出された日に火事を出した者は死罪であるからな」
「お京が出した火事の罪を被ってくれて、お前達が命がけで稼いだ金で買った長屋を燃やしちまって・・・その挙句にこいつの大事な本まで燃やしちゃってな。償いにはならないけどアレコレ世話を焼いてやってたら・・・その・・・」///
お沙希と材木が並んで赤い顔をしていた。お沙希は元々、女としては背が高く俺とそう変わらない身の丈だが、その横に並ぶのが縦横にデカイ材木だと妙にしっくりした感じだ。そのハマり具合に俺は何故、四年前にこの組み合わせの事を考えなかったのか不思議がりながら笑い出してしまった。
「な、なに笑ってんだよ」///
「いや、なんか妙にハマってたから、ついな」
「して八幡。長屋の事なのだが、あの様な新築をした際にお前の金を使ってしまった。 故に総武長屋の今の持ち主はお主だ」
「え、俺が長屋の持ち主!?ちょっと待てよ。確かに金は使っちまったんだろうけど、お前は長屋を四年間守ってくれてたんだろ。だったらお前が持ち主でいいじゃねえか。それに島帰りの怪盗“のろい”がいきなり長屋の持ち主になったら隠してた金があったんじゃないかって疑われちまうぞ」
「しかし・・・」
困った表情の材木、しかしそんな材木に助け船を出したのはお雪だった。
「そうですよ。私も材木さんが長屋の持ち主に相応しいと思います。何しろ材木さんは四年の間、私と小町さんから家賃を取っていなかったのですから」
「家賃を取ってなかった。それホントか?」
「ええ、何度も払うと言ったのだけど受け取って貰えなくて」
すると助け船の力を借りた材木が
「当然である。お主の家族である小町からは家賃は取れん。もっとも小町が所帯を持って隼人が住んでいた部屋に住む様になったのは誤算であったが」
「その流れで八幡と小町さんの部屋に住んでいる私からも家賃を受け取らないし、その上お沙希さんと所帯を持ってしまったでしょ。だからお沙希さんの部屋の分の家賃も取れなくなってしまって」
「じゃあ総武長屋、全部で五部屋の内三部屋で家賃が取れずにしかも一部屋は自分で使っちまってるのか」
「その通り。現在、家賃収入は一部屋分だけである」
「じゃあお前どうやって食っていってるんだよ。お前自身が家賃無しになったとはいえ長屋の間口税だって払わなきゃならないだろ」
「それ故、拙者も今は寺子屋を開き、子供たちに読み書きを教えておるのだ。長屋の持ち主になり妻をめとり、来年には父親になるのだ。今までの様に放蕩三昧とはいかん」
「父親・・・来年!?」
俺は驚きながら材木からお沙希に目を移すと、お沙希は真っ赤な顔を逸らして
「だから急いで祝言上げたんだよ」///
「そういう事かよ。じゃあ唯一家賃を払ってくれてるお姫菜には頭が上がらないな」
「お姫菜は地本問屋へ嫁いだぞ。相変わらず腐れた文を書いておる」
「そうよ、私も五日に一度、お姫菜さんの家に通っているのよ」
すると噂の主、お姫菜がやって来た。
「やあやあ、久しぶり。元気そうで何よりだよ」
「ああ、なんとか無事に戻れた。それより地本問屋に嫁いだんだって?」
「うん、昔から世話になってた問屋さんの息子にね。店番したり文を書いたりノンビリやってるよ。それにお雪さんも遊びに来てくれるしね」
「お雪が地本問屋に行ったら遊びに行くって感じじゃないだろ。それこそ住み着きかねないんじゃないか」
「あははは、それ言えてる。五日に一度うちに来るのに、もう目を皿の様にして新しい本を探してるからね」
「なんか・・・想像ついちゃうから嫌だな」
「けど、それも見逃してあげないとね。なにしろ次回作を書き始めて貰わないといけないから」
「次回作?」
「あれ、お雪さんから聞いてないの?」
「何をだ?」
俺はお姫菜に質問をしつつもお雪を見ると彼女はちょっと気まずそうに顔を逸らした。
「お雪さん草子作家になったんだよ」
「え、ホントになったのか」
「一作だけよ。それ以降は何も話が浮かばなくて・・・お姫菜さんに次はまだか、次はまだかって催促されっ放しなのよ」
「そりゃそうだよ。あれだけ売れた草子だからね。もう四年経ってるんだしネタの一つや二つあるでしょ、第二作書いてよ。そしたらうちで売ってあげるからさ」
「そんなに売れたのか。というか俺も読んでみたいな、その草子」
「あなたが読んでも意味は無いわ」
「そうだね・・・確かに意味無いかも」
「どういう事だよ、別に島で暮らしたからって読み書きを忘れた訳じゃないぞ」
「そうじゃなくってさ。その草子のネタがね・・・大泥棒と箱入り娘の恋物語なの」
「・・・」
「・・・」///
「あの時は江戸を上げての“のろい”騒ぎだったからね。そりゃもう売れたんだから」
「・・・お雪」
「・・・はい」
「俺は呆れたぞ」
「そ、そんな言い方は無いのではないかしら。あれはあれで貴重な経験だったし、きっと物語にしたら面白いと確信したから書いたのよ。それにあなたと私の実名を使った訳ではないから問題は無いわ。それにそのお金があったから小町さんの嫁入りの支度には全く困らなかったのよ」
「草子で儲けた金を小町の為に使ったちまったのか」
「あなたが小町さんの為に貯めていたお金は奉行所に取り上げられてしまったのだから、しょうがないでしょ」
「・・・ああ、そういう事か」
「それに私は小町さんにお金を恵んだつもり・・・“ぼらんてぃーあ”をしたつもりは無いわよ」
「それって」
「ええ、八幡。あなたから生涯を掛けて取り戻すから、そのつもりでいなさい」
「確かに“ぼらんてぃーあ”じゃねえな。どっちかと言うと高利貸しに近い」
「ほら、お父さんとお母さん、それに姉さんとその旦那さんにも挨拶しましょう」
そうして俺はお雪に引っ張られ雪乃屋の主人の前に座らされた。かつて娘を人質にして千両箱を盗んだ男を目の前にして雪乃屋の主人は正座のまま深々と頭を下げて来た。それに倣う様に横のいたお雪乃母親らしき女性とお陽とその横にいた男も頭を下げた。
「ちょ、ちょっと・・・」
「あの時、“のろい”様のご忠告をいただけ無ければ今頃は私も身を滅ぼしていた事でしょう。これをご覧ください。ここに来る途中で売っていた瓦版です」
頭を下げたまま俺に瓦版を差し出す雪乃屋の主人。手に取って見てみるとそこには平塚屋のお静が生きていた事と本日処刑になった事が書いてあった。
「隼人様から全てお聞きしました。まさか平塚屋のお静が生きていたなんて・・・もし、あの時“のろい”様が私の悪夢を覚ましてくれていなければ私も今頃は首を跳ねられていたのかもしれません」
「いや、そんな事ないですから。それに“のろい”の呼び名に様付けをするの止めて貰えませんか」
「いえ、私にとって、そして家族の者にとって“のろい”様は最大の恩人と言って過言ではございません。どうかこれからの暮らしの手助けをさせていただきとう御座います」
「いや・・・そんな事言われても」
大仰過ぎる雪乃屋の主人の申し出に困っていると
「八っつぁん、要するにお雪ちゃんを貰ってくれって言ってるんだよ」
お陽が手を床に付きつつも頭を上げて笑顔でそう言った。それを聞いて横にいるお雪を見れば頬を染めてうつむいてる。
「ね、姉さんは四年の間・・・私に持ちかけられた縁談を全て断ってくれて周囲から余計な心配をさせない為に婿まで取ってくれたのよ」
「・・・そうだったのか」
「八っつぁん、お雪ちゃんにはもう八っつぁんしかいないからさ。お店の方は私に任せてお雪ちゃんを幸せにしてあげてよ。と言うか、ここまで来て放ったらかしにするって言うなら逆に許さないけどね」
そうか、お陽の横で俺に向かって頭を下げている男はお陽の旦那か。
「これ、お陽。“のろい”様に対してその様な口のきき方をするな」
雪乃屋の主人がお陽の態度を戒めるが
「もう、いいじゃん。八っつぁんはこれから私達の家族になるんだからさ。いつまでも“のろい”様じゃ逆に失礼だよね」
「そうです。お雪の事はいずれ改めて御挨拶に伺いますから今はとにかく頭を上げて下さい。そうしてくれないとこっちが困ってしまいます」
困った顔をしつつも頭を上げた雪乃屋の主人は
「では明日。明日必ず店へおいで下さい。そこでこれからの話をさせていただきます」
「あ、明日ですか!?」
俺は雪乃屋の主人の突然の申し出に唖然としているとお雪が
「大丈夫よ、お父さん。私が首に縄を付けてでも連れていくわ」
「・・・そうか、なら安心だ。では明日お待ちしております」
雪乃屋の主人を始めとするお雪の家族はもう一度丁寧に頭を下げると道場から出ていってしまった。あれ?俺のお祝いしてくれるんじゃないの?と思っていると今度は
「よう!元気そうで何よりだ。」
お結衣の父親、飯屋の主人が俺に声をかけて来た。
「あ、ありがとうございます。こうして今を迎えられたのも四年前、俺を雇ってくれたからこそです。なのに、、、盗人である事を隠して働き続けて申し訳ございませんでした」
「いや、四年前にお結衣からその話を聞いた時には随分驚いたが、それなら八っつぁんが私の申し出にあんな態度をとっていた事が納得いくってもんだよ。私達を巻き込みたくなかったんだね。」
「・・・」
「やっぱり私の目に狂いは無かったな、残念だよ、お結衣と所帯を持ってくれなくて」
「いえ、そんな・・・」
「まあ、うちの飯屋を袖にした事を後悔するんだね。これからの事は小町ちゃんやお雪さん、それにお結衣からも聞いてる。目一杯悔しがらせてやるから、そのつもりでな」
そう言うと雪乃屋の主人同様に道場から出ていってしまった。どうやら“後は若い人だけで”と気を使ってくれた様だ。それからの宴会は飲み物を呑み散らかし、食い物を食い散らかした。大声で喋り、俺はみんなに説教されつつ、島での暮らしの事を話して聞かせた。ほど良く酔っ払って、そろそろ飲み物も食べ物も尽きた頃、酔っ払ったお雪が
「八幡!そこに座りなさい。」
「・・・はい」
なんか逆らえない雰囲気を醸し出すお雪。俺は言われるままにお雪の正面に座ると
「隼人さんから聞きました・・・何でそう無茶な事ばかりするの」
「いや、無茶はしたけど放って置くわけにもいかないだろ」
「い~え!私が言ってるのはその手段の事じゃないの!八幡の自分勝手な所に文句を言いたいの」
「自分勝手って」
「自分勝手は自分勝手よ。一人で何でも決めちゃって・・・私に心配させるだけ心配させて・・・四年も待たされるし・・・その上」
「・・・その上?」
「やっと帰って来たと思ったら小町さんに先に会いに行くなんて・・・八幡は私の事を心配してなかったの!?」
「もちろん心配してたぞ。島でもお前の事ばかり考えてた位だ」
「だったら、何故小町さんが先なの」
「いや、だからそれは」
「やっぱり私よりたった一人の肉親の方が大事なのね。なのに島では私の事ばかり考えていたなんて八幡はどれだけ薄情なの」
もうすっかり酔っ払っているお雪は言ってる事が滅茶苦茶になって来ていたが周囲の人間はニヤニヤして聞いているだけで誰も止めたり、俺を庇おうとはしなかった。追い詰められた気分になって俺はつい、最初にお雪に会いに行った時の事を話してしまった。するとお雪が音も無く幽霊の様に立ち上がると殺気とも取れる感情を込めながら俺を見降ろし
「私があなた以外の子供を産む訳が無いでしょ!私は八幡の事が大好きなの!八幡以外に抱かれたくもないわ!!ずっと、ずっと待ってたのに・・・酷いわ八幡・・・」
「・・・ご、ごめ・・・」
「・・・絶対許さない」
「は?」
「絶対八幡の子供を産んで幸せにして貰うんだから、いい、覚悟は出来た八幡!?」
酔った勢いでトンデモナイ事を道場中に響き渡る声で叫ぶお雪、、、周りの連中も驚きと感心を持って感嘆の声を漏らし、お姫菜に至っては拍手までしていた。
「どうなの!?答えなさい八幡!」
「覚悟も何も・・・はなっからそのつもりだよ。この四年間そればっかり考えてた」
すると俺の言葉を聞いたお雪がにこ~~っと表情を緩めると、それと一緒に体中の力が抜ける様に倒れそうになる。慌てて立ち上がりお雪を抱きかかえると俺の腕の中でお雪は笑顔のまま寝息を立てていた。呆れるやら可笑しいやら・・・そして何とも言えない幸福感を感じていると周りのみんなが立ち上がり宴の後片付けを始める。そんな中、隼人が俺に声をかけて来て奥の座敷に俺を呼んだ。俺はとりあえずお雪を道場に寝かして隼人の後に付いて行くと座敷にはお優美がいた。奥の座敷で三人して何の相談をするつもりなのか?
「実はな・・・祝言の事なんだが」
「祝言ってお前とお優美とのか?」
「ああ、そっちはまだそこまで話が出てないだろう」
「お前たちの祝言で何をこんなにコッソリ相談してんだよ?」
「いや、実はな・・・お前が奉行所の牢屋に入れられている間に父上の使いの者が手紙を寄こしてきてな。それで困っているんだ」
「お前の父親って旗本の葉山様か」
「ああ、あんな形とはいえ、お優美を父上に会わせただろう。そうしたらどうも父上が屋敷に戻って母上と兄上にその事を喋ってしまったらしいんだ」
「そりゃあ、次男が嫁取りするんだから家族には話すだろ」
「それだけならいいのだが・・・俺達の祝言を葉山の家で取り仕切りたいと言い出してな」
「はぁ?」
なるほど、長い間、行方知れずになっていた次男が道場を構え、嫁を迎えると知れば家族はじっとしていられないのだろう。この辺は武家も町人も変わらねえな。すると今度はお優美が
「隼人様は私達の祝言は質素にこの道場で済ますつもりだったんだよ。それこそ剣術の関係者やら長屋の連中やらを呼んでね」
「そこに葉山様の横槍が入った訳か」
大きく溜息を付いてから隼人が答える。
「その通りだ。お静を退ける為とは言え父上に借りを作った様なモノだからな。向こうからそう切り出されては真っ向から断る事が出来ないんだ」
「・・・」
「で、八。物は相談なのだが、お前とお雪の祝言を俺達の祝言と一緒にやらないか」
「なに言ってんだ隼人?祝言を一緒に済ますなんて話聞いた事ねえぞ」
「このままでは葉山の家の者が乗り出して来て大変なことになってしまう。それにこの道場が葉山縁の者がやっている事がバレてしまう。それを防ぐ為にも祝言は質素に行いたいんだ」
「じゃあ葉山様と話し合えよ。俺達まで巻き込むな」
「いや、父上を説得するのにお前の祝言はうってつけの理由になる。父上は八の事が気に入っているからな。島帰りのお前が祝言を地味に済まそうとして道場を使わせて欲しいと俺を頼ってきた事にすれば俺もその話に乗っかるふりが出来る」
「そこまで計算づくかよ」
「そういう事だ。何とかお雪を説得して合同の祝言にさせて欲しいんだ」
家との縁を切って頑張って来た隼人の気持ちを考えれば、いくら父親と和解が出来たと言っても余りその生活には首を突っ込んで来て欲しくないのだろう。しかし合同の祝言なんて聞いた事ねえしな。お雪がなんて言うか・・・と思っていたらお優美が
「アンタに私達の申し出を断る権利なんてないんだから、そのつもりでね。あれだけ店の事で良くしてやったんだから協力して当然だろ」
「店の事?そりゃ小町の様子を見に頻繁に茶屋には行ったがそんな大げさな事じゃないだろ」
「・・・あんた何も聞いてないの?だったら、あの酔っ払い家に連れて帰って明日にでも聞いてみな。それを聞けば断る気なんて起きなくなるから」
結局、その場で結論を出さずにお優美の言う通りにしてみる事となり俺は酔っ払ったお雪を背負って長屋へと帰った。布団を敷いてお雪を寝かしつけようとするが、その為には帯をほどいて着物を脱がさないといけない・・・しかし酔っ払ったお雪にそういう事をしてもいいのだろうか?多分、怒りはしないだろうし、その自信もあるが何と言うか、その、倫理観と言うか道徳観の様なモノが邪魔をして酔った女の着物を脱がすのに凄く抵抗がある。それに四年間の島での暮らしは禁欲生活の四年間でもあったから、今この場でお雪の着物を脱がしたら、たぶん間違いなくお雪を素っ裸にしてやる事をやってしまうと思い、俺は隣の部屋の小町にお雪の世話を頼んで、そのまま小町の部屋で大志と枕を並べて眠った。
翌日、総武長屋からお雪と連れ立ってお雪の実家である呉服屋・雪乃屋へと向かう。
「八幡」
「なんだ?」
「昨夜は、その・・・ごめんなさい」
「何がだ?」
「その・・・島帰りのあなたをちゃんと迎えてあげられなくて」///
気まずそうに俺を横目で見ながらお雪がこちらを見ている。やっぱりお雪もそのつもりはあった様だ。
「まあ、あれだ。昨夜お雪を部屋に連れ帰った時、散々悩んだんだけどな。酔っ払ったお雪をどうこうするのはどうかと思って、なんとか思い留まったぜ」
「今朝起きたら横に小町さんが寝てて驚いたわ。また、あなたが私の前からいなくなってしまったのではないかと本気で心配したのよ」
「しょうがないだろ。俺と大志はもっと早くから目が覚めてたが女二人の部屋にズカズカ入っていく訳にもいかないから、部屋の前をうろついて時間を潰してたんだぞ」
「ねえ八幡」
「今度はなんだ?」
「昨夜、私は酔いに任せておかしな事を言ってなかったかしら」
「・・・俺の事が大好きだって叫んでたぞ」
「!・・・そんな事を知り合いが集まった中で叫ぶ訳ないでしょ。おかしなからかい方をするのは止めて」
「・・・すまん。それよりお雪、実はな、昨夜隼人から相談された事があるんだ」
「隼人さんから。何を相談されたの?」
俺は昨夜の合同の祝言の話をお雪にしてやると
「そう、隼人さんも困っているのね。いいのではないかしら」
「そっか、お雪が良いって言うなら問題ないな」
「問題ないと言うか、そうしないと私のお父さんも似た様な事をしかねないもの」
「・・・そういう事か。本当にありそうで怖いな。確か雪乃屋は葉山家出入りの商人だったもんな。隼人の親父とお雪の親父が手を組んだら、ちょっとやそっとじゃ説得出来ないからな」
「ええ、だから今日、お店に行ったらその事をちゃんとお父さんとお母さんに話して頂戴ね」
「え!俺が言うのかよ。お前の両親だろ、お前が言えよ」
「こういう事は亭主の仕事よ」
「わかったよ、女房様。それとお優美が言ってた店の事を良くしてくれたって何の事だ?お優美の奴がお雪に聞けば解かるって言ってたけど」
「それも多分、今日の話に出てくるわ。楽しみにしてなさい」
そうして雪乃屋の付くとお雪は島帰りの俺を連れて堂々と店の表玄関から入って行った。出迎えてくれたのは店番をしていたお陽の旦那。番頭らしき人に頼んで店番を替わって貰うとお雪と俺を店の奥へと案内してくれた。そういや雪乃屋は庭と蔵には忍び込んだが屋敷に入るのは初めてだな。キョロキョロと武士ではない身分の家とは思えない大層な屋敷の中を眺めながら奥の庭沿いの座敷に通されると、そこには雪乃屋の主人と昨夜見たお雪の母親らしき女性、そしてお陽が座っていた。お陽の旦那はお陽の横に座ると四人揃って昨夜の様に俺に向かって頭を下げて来た。
「もう、勘弁して下さい。感謝の気持ちは十分に解かりましたから。それにそんなに頭を下げられるとお雪を嫁にくれと言い出しにくくなってしまいます」
「本当でございますか!?お雪を“のろい”いえ八幡様の嫁にしていただけるので」
「俺はすっかりそのつもりなんですが・・・」
つい弱気の虫が顔を出し、尻すぼみな言葉を言いながらお雪を見る。
「さっきまで勢いはどうしたの、すっかり亭主気取りだったじゃない」
「そういうお雪だって女房気取りだったろ」
つい、お雪の家族の前でそんな口喧嘩をしてしまうと、それを見ていた雪乃屋の主人は
「ああ、これで肩の荷が一つ下ろせました。では、もう一つの荷を下ろさせていただきます」
「もう一つの肩の荷って何の事ですか?」
「もちろん、八幡様への雪乃屋からの恩返しの事でございます」
「恩返しって・・・そんな」
「四年前のあの夜、八幡様は私に申されました。“この千両箱はその報いとして俺が貰っていく。これを機に生まれ変わったつもりで生きるんだ。家族の為に危ない橋を渡る様な真似は今後に絶対するな”と」
「ああ、そういやそんな事言いましたね」
「あの言葉のおかげで私は生まれ変われたのに・・・報いとしてお渡しした筈の千両箱は奉行所を通じて私の手元に戻ってきてしまいました」
「そりゃ、そうでしょうね。奉行所の連中が好き勝手出来る金じゃありませんから」
「そこで私は考えました。お雪が八幡様を待った様に私も八幡様がきっと島から帰ってきて下さるに違いないと思い、その時の為に戻って来た千両をつかって恩返しをさせていただこうと思ったのです」
「四年も前からそんな事を?」
「ええ、それで肝心の恩返しの内容でございますが、聞けば八幡様は板前でらっしゃるとか」
「はあ、これから板前の仕事を探そうと思っていたところですが・・・それが何か?」
「私は八幡様の為に大通り沿いの商家を一軒買い取りました。どうかそれを八幡様の飯屋として使っていただきたい」
雪乃屋の主人がとんでも無い事を言い出した。俺への恩返しで店一軒くれるって言うのかよ。驚いて二の句が継げない俺を見てお雪が、
「お父さんが買い取った店と言うのがお優美さんの茶屋なのよ」
「え、お優美の茶屋だと」
「ええ、お優美さんのご両親は随分店を譲るのを渋ったのだけれど、お優美さんの口添えのおかげで、あの店を譲ってもらえたのよ」
そういう事か、お優美が恩着せがましい事言う訳だぜ。まあ、こちらとしてもお雪が合同の祝言を了承してくれたのだから何の問題も無いな、と思っていると雪乃屋の主人が
「しかし、八幡様が島から戻られるのはあと一年先だと思っておりましたので店の方が放ったらかしで、まして飯屋として使える作りではございません。ですから少々のお時間をいただいて店の方を飯屋向けに作り直しお譲りさせていただきたいのですが」
「そこまでしていただけるんですか」
「勿論でございます。それに・・・娘が嫁ぐ先の事ですから父親として出来る限りの事をしてやりたいと言うのも本音でございます」
「そういう事なら・・・有り難く、その心付けを頂戴いたします」
「ああ、これで本当に肩の荷が下りた。では次は祝言の準備ですな!この雪乃屋、身命に掛けて当代随一の花嫁衣装をご用意させていただきます」
「え、いや、それはちょっと」
「八幡様、まさかこれは受けられないと仰るのですか」
「いや、その、もちろんお雪の花嫁衣装はこの雪乃屋で用意させていただくつもりですが、それはあくまで私の甲斐性の内に収まる物であって、そんな当代随一とか言う代物はとても手が出ません」
「しかし、それではこの江戸に知らぬ者無しと言われた呉服屋・雪乃屋の面目が保てません。実の娘に相応しい花嫁衣装も用意出来ないとあっては同業者の笑い物になっしまいます」
「それなら・・・・店の事は無かった事にして下さい。店の代わりにお雪の花嫁衣装を用意して下さい」
「そ、そんな!それとこれとは話は別。どうか両方を受け取っていただけませんか」
「いえ、片方だけです。俺は・・・自分の力でお雪を幸せにしてやりたいんです。全部をお雪の親に渡す訳にはいきません」
雪乃屋の主人をはじめ、お雪とその家族が皆一様に驚いた顔をしていたが、その内、お雪だけが少し、はにかんだような表情になって頬を染めながらうつむいた。雪乃屋の主人も娘が納得した様子を目の当たりにして諦めがついたのか溜息を一つついて
「分かりました・・・それならば店の方をお受け取り下さいませ。先々の事を考えれば、その方がよろしいでしょう。ただし!必ずお雪の花嫁衣装はこの雪乃屋でお求めください。よろしいですね、八幡様」
「・・・義理の父親になってくれる人に、そこまで言われたら逆らえませんよ」
俺はそう言って皆の前で頭を下げた。
雪乃屋から長屋への帰り道、お雪が俺に聞いて来た。
「八幡、お父さんとあんな約束して大丈夫なの。言いたくは無いけど雪乃屋で花嫁衣装を買うとなれば、かなりのお金が必要よ」
「まあ金の事は心配するな、隼人の世話を焼いたおかげであいつの親父からお礼の金を貰ったから、それを全部使っちまうつもりで色々準備していこうぜ」
「そう・・・算段が付いているなら言う事は何も無いわ。じゃあ、これからどうするの? 隼人さんの道場に行って合同の祝言の打ち合わせでも始める?」
「そうだな、それがいいな。けど、俺はちょっと寄る所があるからお雪は先に隼人の道場に行っててくれ」
そういって駆け出そうとするとお雪に後ろ襟を掴まれて
「待ちなさい!どこへ行くつもりなの」
「いや、無事にあれこれ片付いたから島の村名主とその息子に手紙を書こうと思ってな。ちょっと飛脚問屋まで」
「なら私も一緒に行くわ。八幡は放っておくとトンデモナイ事を一人でしでかすから」
「小さな子供じゃあるまいし」
「昨日言った筈よ、あなたは大八ちゃんより手が掛かるって」
「・・・わかったよ、好きにしろ」
「ええ、好きにするわ・・・大好きだから」////
天下の往来で顔が赤くなる様な事言ってんじゃねえよ。こっちまで顔が赤くなっちまう。