「わぁ、おっきなお家...」
「さぁどうぞ。まずは雪を落としてね」
小さな少女が初めて見る物に目を輝かせる。まるで娘のようだ。いいや違うだろ馬鹿。雑念を振り払い、ブラシで少女の帽子の雪を落としてあげる。
「あ、ありがとうございます...良いんですか、本当に?」
「構うもんか。これは僕の始まりの一歩だ。来てくれなきゃ困る」
少女に贈り物をした後、僕は少女を家へ招き入れていた。戸籍も家庭も無いのだろう。問題にはなるまい。...多分。
「さぁいらっしゃい。ここが僕の家だ。まずは暖炉を焚かそう。そして食事の準備をしよう。今日から大忙しだな」
「は、はい!お手伝いします」
いそいそと靴を脱ぎ、ぼろぼろになった靴下が見える。よく見れば履いていた靴も穴が空き、所々が解れている。...未成年労働者の労働環境は最悪だ。こんな状態になっても、その日を生き抜く事すらままならない賃金しか貰えず、環境は悪化していく一方。
誰かが、何とかしなくちゃならない。今まで客観的で曖昧にしか思っていなかった絵空事。僕が、やるんだ。
「いや、大丈夫だよ。お手伝いさんもいるし君は...そうだね、まずはお風呂に入ったらどうだい?」
「お、お風呂ですか!?そんな高価な物...私には...」
しどろもどろになって俯く。恐らく、見たことすらないのだろうな。
「入ってくるといい。お手伝いさんも向かわせよう。温かいお風呂に入ってから、君に仕事を与える。それでいいね?」
「...分かり、ました...」
...不安はまだ拭えていない、か。当然か。何処ぞの誰とも知らない人に連れられて来たんだ。無理もない。まずは、彼女が安心して暮らせる環境にしなくては。
資本家は自分の財産だけでなく、その下にいる労働者に目を向けなくては。
召し使いに服を預け、書斎に入る。僕はまだこの業界に入りたての新人だ。事を大きくし過ぎれば上に潰される。まずは僕の工場内だけでも環境を改善し、落ちてきた利益を戻さなくては。それには、労働者との信頼関係が必須になる。
父が若くして亡くなり、成人したての僕が引き継いだ工場は、段々と利益を落として行ってる。僕の管理が行き届いていないせいだ。環境の悪化により死者も出ている。何とかしなくては...。
僕に出来る事なんてたかが知れてる。誰かに助けを請うには、まず僕が動かなくては。
「綺麗な髪ですよ、お嬢様」
「お、お嬢様なんて...そんな...」
「いえいえ、このマリー。こんなに綺麗な金髪を見たことがありません」
あったかい...湯気なんて工場の蒸気機関でしか見たこと無かったし、あそこは熱くて熱くて...あったかいなんて知らなかった。
優しく、ゆっくりと髪が揺らぐ。白いふわふわした泡が、私の髪を包み込んでいく。気持ちいい...思わず眠くなってしまうくらい。
「ふわぁ...」
「あらあら、お風呂で寝てしまってはのぼせてしまいますよ...じゃばー」
「わっぷ!?」
突然頭に大量のお湯が流される。目を閉じてこっくりこっくりと舟を漕いでいた私は驚く。
「ふふふ、びっくりしました?」
「びっくりしましたよ!でも...あったかかったです...」
「それは良かった。さ、湯船に浸かりましょう」
恐る恐る、白い箱の中に入っているお湯に足を浸ける。とても温かくて、気持ちいい。お湯って凄いな。お水を温めるとこんなに気持ちいいなんて。
「マリー...さん」
「はい?どうされました?」
「何で...私...ここにいられるのでしょうか」
さっきからずっと考え込んでいた。こんなおっきなお家に、沢山のメイドさん。学校に行ってない私でも分かる。あのお兄さんはとってもお金持ちなんだ。私みたいな、平民のその下にいる人達とは、何の関係も、近くにいる資格さえない...。
「...お嬢様、お名前は?」
「へ?...エラ、です」
「それでは、エラ様。ぼっちゃま...あのお方の自慢話を致しますね」
「はぁ...」
「ぼっちゃまはとてもお優しい方です。私も平民の出なのですが、ぼっちゃまは温かく迎えて下さいました。メイドの事なんてこれっぽっちも分からない私に、ぼっちゃまやこの家専属の由緒正しいメイドの皆様方は、少しも見捨てず、優しくお教え下さいました...私は、今とても幸せです。この家に、ぼっちゃまに仕える事が出来て」
「...」
「ぼっちゃまは、人を見捨てる事の出来ない...とてもとても、か弱い心をお持ちなのです。きっと、エラ様も偶然ぼっちゃまと出会ったのでしょう?」
「は、はい」
「目に入った方が困っていたら、後先考えずに助けてしまう...それがぼっちゃまなのです。だからきっと...エラ様を助けたのも、偶然」
...やっぱりそうなんだ。私は、可哀想な子だから、同情されて助けられた。さっき言っていたあの事も、誰が相手でも良かったんだ。私じゃなくて、他の人を助けても、同じ。あの人は...誰にでも優しい。
「嫉妬、しますよね」
「へ?」
「妬いちゃいますよね、そんなの。あの人誰にだって手を差しのべるんですよ。ほんとに女...人たらしです。いつの間にかメイドや庭師が増えているなんてざらですよ。そりゃ利益も落ちますよぶつぶつ...」
「ま、マリーさん!?」
「?あぁ失礼しました。ふふ。私、ぼっちゃまの事大好きなんですよ。人としても、男性としても」
「へ!?」
突然顔が熱くなる。抱き締めてくれるマリーさんの体は、さっきより温かい。
「だから、手を差しのべて良かったと思って貰えるように頑張ったんです。お料理もお洗濯もお掃除も。何もかも。ぼっちゃまは、とても素晴らしいお方だから。仕えていることに恥じないようなメイドになろうと思ったんです」
「マリー、さん...」
「...話し過ぎましたかね。こほん。つまり、理由は自分で作り出す物です、エラ様。ぼっちゃまが救って下さった理由を、意味を、自分から。自分は、ぼっちゃまのために何が出来るか、それが大事なのです」
「...お兄さんのために、何が出来るか...」
「えぇ。ここにいる方々は全員そうだと思いますよ。毎日、ぼっちゃまのために。ぼっちゃまが何かを成そうとするなら、それに殉ずる。ぼっちゃまの優しさが、私達の原動力になる。ぼっちゃまを助けてあげたいから」
お兄さん...凄い人なんだ。私に、何が出来るかな。
「マリーさん...私、何も出来ないです。体も小さいし、頭もよくないし...私なんて...」
「...大丈夫ですよ、エラ様。最初は小さな事で構いません。言ったではありませんか。理由は自分で作る物だって。ぼっちゃまのために、何をしたいか。それが大事ですよ、エラ様」
「...はい!」
まだ、全然分かんない。私に出来る事も、お兄さんのために何かするのも。だけど、お兄さんに恩返ししたい。私を助けてくれたお兄さんに、少しでも。
私に出来る事は、何なのかな?
「...ここ、労働量に対して全然人が足りてない...え、整備不良?全然分かんなかった...駄目だ、こんなんじゃ...」
書斎で頭を抱える。大量の報告書を見ても、問題は山積みだ。労働者の人数、素材の発注、部品の交換に整備、なにより衛生環境。ガスや鉄鉱を扱うんだ。身体に有毒な物などうじゃうじゃある。
僕は...何も見えてなかったのか。父が残したこの工場を、僕は何も見ていなかった。目の前の事だけ...周りの真似をしながら、外面だけを気にして...。
「失礼します、ぼっちゃま」
「...ん?マリーか。どうかした?」
「休憩に紅茶とお茶請けをと思いまして」
「...ありがとう。頂くよ」
脳が凝り固まっている。これじゃ駄目だ。また目の前しか見えなくなってしまう。一度休もう。うん。
「そういえば、あの子は?」
「今他のメイドが案内をしております。目を輝かせて...昔の私を見ているようで、とても微笑ましいのです」
「はは、そうか。...迷惑、だったかな」
「...そんな事ありませんわ、ぼっちゃま。ぼっちゃまの優しさを、迷惑だなんて思う者は誰一人いません」
「そうじゃなくて...あの子は、まだ小さい。ここで働かせるにしても、出来る事は限られているだろう。周りのメイドだって良くは思わないかもしれない。彼女は...また辛くなってしまうかもしれない」
ただで住ませる、なんて言ったら僕の工場の労働者も、召し使いも黙っていないだろう。だからといって、またあの寒い街道に彼女を捨てるなんて...。
「...あの子、ぼっちゃまに恩返しがしたいと申しておりました。優しくしてくれたぼっちゃまに、何かしてあげたいと」
「...」
「でもそれは、メイドの仕事だけではないかもしれませんよ。...そうですね、ぼっちゃまに少しヒントをあげます」
「ヒント?」
「あの子は、労働の最前線にいた子です。寒空の中、苦しく、辛くても生き抜いた逞しい子です。それをお忘れなく」
「...」
「それでは失礼します。ぼっちゃま、あまり無理はなさらないでください」
「あ、あぁ...」
マリー...今のはどういう...労働の最前線...働いていた...
「お、お兄さん」
「っ...おぉ。よく似合ってるじゃないか」
もじもじしながら、書斎のドアの裏から顔を覗かせる少女。メイドの皆が可愛さから着せたのだろう、水色のフリルのワンピースに、白いエプロンドレス。小さなメイドさんだ。
「少し、良いですか?」
「あぁ勿論。お風呂はどうだった?」
「あ、はい。とても温かくて...気持ち良くて、あんなの初めてです」
とことこと歩いて、少し笑みを浮かべる。真っ白だった肌には生気が戻り、ほんのり赤く染まっている。
「それで、その...お兄さん」
「なんだい?」
「助けていただき、ありがとうございました。何とお礼を言えば...私は、お兄さんに助けていただいて幸せです」
「...気にしなくて良いさ。顔を上げて」
お礼を言われる筋合いなんてない。僕は偶然君を助けただけだ。後先考えず、ただ目の前の可哀想な子を中途半端に救っただけ。他にいる可哀想な人達は?助けたこの子のその後は?何も見えていない、考えていない。
「私、考えたんです。お兄さんのために...今、お兄さんは困っているんですよね」
「...あぁ、恥ずかしながら」
「だから、私お兄さんを助けたい。お兄さんに出来ない事を、私が頑張ってやりたいんです」
真っ直ぐな瞳。悲しみに暮れていた子とは考えられない程の、確かな眼。
「私、働いてたから。お兄さん、分かんないでしょ?工場の事。私、沢山知ってます。そこで働いている人達の事も」
......そういうことか、マリー。
「お兄さんが分かんない事、私がやります。工場で働いている人達が、何を求めているのか。どうして欲しいのか」
「...あぁ、そうだ。その通りだ」
何を馬鹿な事をしていたんだ、僕は。僕は工場の事何も知らないんじゃなかったのか。そりゃそうだ。こんな紙切れ一つで何が分かる。書いてある文字、数字で知れる事なんて何もない。僕は、働いている人達を見たことがない。声を聞いた事がない。
何に困っているのか、何が足りていないのか、僕がこの眼で確かめなきゃ始まらない。
「だから、私工場に行ってきます。色んな人のお話を聞いて、色んな物を見て、お兄さんに教えます」
この少女が居なきゃ気付けなかった。気付こうともしなかった。労働者達の声。か細いこの子が教えてくれた、沢山の弱く、小さく、それでも助けを求める声。
「...マリー。居るな?」
「はいぼっちゃま。扉の裏に待機しております」
「すぐに講堂に皆を集めてくれ。メイドも庭師もだ。会議を行う。頼む」
「承知致しております。もうすでに、皆お集まりですよ。あとは、私達だけです」
「流石仕事が早いな。助かる」
「えぇ勿論。ぼっちゃまのメイドでございますから」
にこりと頬笑む彼女。全く、僕は皆に助けられてばかりだ。
「皆、仕事の最中にすまない。明日から、大規模な改革を行うつもりだ。まずは、この敷地に労働組合所を作る。工場で働いている人達が自由に出入りし意見交換をするためだ」
講堂に沢山の人達が集まる。庭師、メイド、シェフに兵士。その全員が、お兄さんに注目している。
堂々としたお兄さんは、とても生き生きしているように見える。言葉に自信があって、自分の考えに自信があるみたい。
「工場の環境改善には、まず労働者の意見を聞くべきだと思った。明日から、僕を含め数人で工場に出向き、環境を確認する。それに加えて労働者から意見を募る。出来るだけ多くだ。どんな事でもいい。出来るだけ多く」
誰もが頷く。お兄さんの言葉に真剣に向き合い、肯定する。さっきマリーさんが言ってた通りだ。
「組合所が完成したら、業者を呼んで意見の構想、及び実行に移す。それまで、皆には今以上の負担を強いる事になる。それに、賃金の向上は約束出来ない。今より多くの金が必要になる。...失敗するかもしれない。だけど、今この現状を打破するにはこれしかない。僕は、目の前の人だけじゃなく、もっと多くの人を支える立場にいるから」
お兄さんの言葉に、少しの不安が混じる。だけど、それでも。お兄さんは続ける。これが正しいのだと信じて。
「それでも...ついてきてくれるか、皆」
「当たり前じゃねぇかぼっちゃん」
突然庭師の一人が声を上げる。
「ぼっちゃまがやることなら、反対なんて致しません」
「何でも言ってくれよぼっちゃん」
「あんたのためなら何だってやるぜ俺ぁ!!」
続々と庭師が、メイドさんが、色んな人が声を上げる。お兄さんのためなら、お兄さんを信じる、お兄さんに報いたい。そんな声ばかりが響き渡る。
凄い、凄いよお兄さん。お兄さんの声が、皆に届いたんだね。
「...ありがとう、皆...僕、頑張るから、皆...僕を助けてくれ」
「勿論ですわ、ぼっちゃま」
「俺達皆、あんたに助けて貰ったんだ。次は、俺達が助けるよ」
「...大忙しですね、皆さん」
忙しく屋敷内で沢山の人が動き回る。それでも、皆の顔は晴れやかで、楽しんでいるようにさえ見える。
「あぁ。本当に。助かってるよ」
身支度を整えたお兄さんが歩いてくる。黒い燕尾服に身を包んだお兄さんは、やっぱり偉い人なんだと再び確認した。
「君のおかげだ。君が居たから、気付く事が出来た」
「そんな...私は、言っただけです。まだ、何もしていません」
そうだ、私の恩返しはまだ終わってない。ここからなんだ。私の恩返しは。
「...私は、私みたいな、小さな子達を助けたいです。小さいのに、働かなくちゃ行けない子達を、助けてあげたい」
「あぁ、勿論」
「だから、私はそこに行きます。小さな子達を沢山...助けて貰えますか、お兄さん」
「当たり前だ。何とかする。だから、そこは頼む」
「っ...はい!」
「ねぇ、そこのお嬢さん」
「はい...?何ですか」
ぼろぼろの服、寒そうに凍える身体。そこには、私そっくりな子が俯いて座ってる。
「マッチはいりませんか?」
「...マッチ...?」
「はい!とても温かくて、優しくて...そんなマッチを」
あの日、お兄さんがくれたマッチ。お兄さんが、差しのべてくれた手。
次は、私が差しのべる番。私が、この子達を暖めてあげる番。
お兄さん、ありがとう。私の恋は、まだまだ足りなくて、まだまだ小さいから。もう少し待っていて下さい。私が、理由を作れた時、その時は―――。
マッチ売りの少女のお話。おわり。
これにて完結です!中途半端な終わり方ですね!後でお兄さんと労働者とか、メイドとかの後日談とか書けたら良いなと思います!!マッチ売りの少女、良いよね!