――逸見エリカという少女がいる。
黒森峰時代の同輩であり、西住流の同門とも言える間柄だが、それ以上にみほは何かと彼女と縁があった。
いや、エリカの方からみほに関わってきたと言うのが正解だろう。
単に同学年の装甲騎兵道仲間だから、というのではない。
みほが西住流の家元の子であり、エリカが尊敬するまほの妹ということもあるだろう。
しかし結局の所、性格の違いが2人の縁の元だった。
ある意味、みほよりもずっと西住流的な攻撃に次ぐ攻撃といった戦い方をするエリカに対し、みほはむしろ相手や僚機の動きを見て臨機応変に立ちまわる戦い方をする。黒森峰時代は西住流を体現するまほという姉の存在があったこともあり、みほの戦法も、そんな姉の動きに合わせるといった趣が一層強いものであった。これに、エリカは批判的であった。曰く『西住流らしくない』らしい。割りとズケズケと物を言うタイプのエリカは、相手が家元の娘だろうと容赦はない。ましてやみほとエリカは同学年なのだから尚更だった。
ではみほとエリカは仲が悪かったのかと言えば、そうでもない所が面白い所だ。
むしろ、家元の娘ということでみほとの間に一線を引いた感のある他の黒森峰生徒達と違い、飽くまで一人の選手としてみほに向き合ってくれるエリカという存在は、みほにとっては数少ない友人らしい友人と言って良かったかもしれない。
狼のように勇猛果敢に挑むエリカに、鵺のように神出鬼没に戦うみほ。
押しの強いエリカに、引っ込み思案なみほ。熱くなりがちなエリカに、冷静沈着なみほ。
タッグを組んでバトリングの野試合に挑んだり、試合に備えての作戦会議を開いたり、意外と2人は良いコンビのようであった。割れ鍋に綴じ蓋、といった調子ではあったかもしれないけれど。
だがそんな関係もある日を境にギクシャクしたものとなる。
去年の全国大会決勝戦。その敗北。
西住流にこだわるエリカと、むしろ西住流に外れたみほの在り方。
みほが大洗へと転校したことを機に、2人の関係は決定的に破綻した。
そして再び、巡り会ったのである。
第20話『怪物』
二対の視線が、みほへと突き刺さっている。
ひとつは姉、まほからのものだった。
昔からまほは表情を動かすことが少なく、四六時中厳しい顔をしているような所がある。
現に今も冬の湖のように冷たく静かな瞳で、みほのことを見つめている。
まほがただ単に冷たい人間ではないことを、むしろ意外と情が厚いことを、妹だけにみほはよく知っている。
しかしそんなみほですら、時々姉が何を考えているのかが解らない時がある。
特に装甲騎兵道に関する話となれば、彼女は即座に人の形をした西住流となってしまうから尚更だ。
今、みほを冷厳と見下ろすまほがまさにそうだった。
みほが拒んだ、あるいはみほを拒んだ西住流が、彼女を見下ろしていた。
「まだ装甲騎兵道を、続けているとは思わなかった」
特に咎めるといった調子はそこにはない。いつも通りの淡々とした声で、ただ思ったことを口にしただけといった印象だった。それが却って、みほの胸にズシンと重く響いた。
西住流から逃げ、黒森峰から逃げ、装甲騎兵道から逃げたはずのお前は、いったいそこで何をやっている?
そう直接声に出して咎められたほうが、ずっと楽だったかもしれない。しかし咎めるのはまほではない。みほ自身……みほのなかに巣食った『負い目』の想いだった。
「お言葉ですが!」
ここで、不意に立ち上がったのは優花里だった。
まほとエリカの視線は彼女のほうへと向くが、それにたじろぐことなく、物怖じせずに優花里はハッキリと言った。
「あの試合のみほさんの判断は、間違ってませんでした!」
自分が黒森峰出身であったと知っていたことから予想はしていたが、優花里はやはり去年の全国大会でのことについても知っているらしい。
みほは更に胸が重くなった。『自分の行動は間違っていない』……そう思いながらも、決して言葉にして口に出せない自分。そんな本音を、優花里に代弁させてしまっている自分。事実は心臓を締め上げる。
「部外者は口を出さないで欲しいわね」
まほに代わって口を開いたのはエリカだった。
別に声を荒げてもいない、静かな言葉だったが、有無を言わさない強さがそこにはあった。
優花里の勇気もこれには怯んだ。思わず俯いて、「すみません」と小さく漏らす。
「それにしても……良い度胸よね。ココに顔を出すなんて。ココに来れば隊長や私と顔を合わせるかもしれないって解ってたでしょうに」
俯いた優花里から、エリカはみほへと視線を移す。
彼女の瞳は青い。だが瞳に篭った感情はむしろ強い赤色にみほには見えた。
「忘れたとは言わせない。責任から逃げたのはアナタよ。そのアナタが装甲騎兵道に舞い戻るなんて……」
みほはエリカに対し、何も言い返さなかった。いや、言い返せなかった。彼女は事実以外言っていないから。
それでも、視線だけは真っ向から受け止めた。どんな理由であれ、再びこの道を歩むと選んだ以上は、糾弾であろうと受け止めねばならないと思ったから。
「……まぁ良いわ」
エリカは眼を細め、目線を逸らした。
負けん気の強い彼女には珍しいその仕草に、みほはそれが何を意味しているのか良く解らない。
「一回戦はサンダースと当たるんでしょ。せいぜい『西住流』の名を汚さないことね」
努めて西住流の部分を強調してエリカは言った。
その言葉に、みほの脳裏に母の言葉が響き渡る。『道を誤った』という言葉が。
「なによその言い方! 何があったか知らないけど、でも言っていいことと悪いことがあるんじゃないの!」
「いくらなんでも失礼です!」
事情を知らない以上は、口を挟むべきではないと思っていただろうか。
今まで静かに推移を見守っていた沙織と華も、エリカの言い様に怒って立ち上がる。
「本当に失礼なのは誰かしらね。ねぇ、みほ」
「……」
しかしエリカの視線の向く先はみほの方だった。
心なしかさっきよりも、瞳に篭った怒りの度合いが強くなった気がする。
「……気が変わったわ。どうせサンダースが片を付けてくれるだろうと思ったけど、待つまでもない。ここで私が引導を渡してあげるわ」
エリカが言いつつ指差したのは、『闘技場』のほうだった。
「ここがビジター用にATを貸し出してるのは知ってるでしょ。それで私と勝負しなさい。負けたらみほ、あなたが出場を辞退するのよ」
「ちょっと! 勝手に何を言ってるのよ!」
「横暴すぎます! 大会に出場するもしないも、決めるのはみほさんです! アナタが口出しする権利はありません!」
沙織と華はいよいよ怒るが、エリカは意に介さない。
ただただみほを挑むように睨みつけ、こう告げるだけだった。
「受けた勝負からは逃げないのが西住流よ。それとも何かしら? 自慢のミッションディスクの準備がないと、戦えないって言うのかしら。でもね――」
エリカはその指先をみほの顔に突き付け、言った。
「真の選手というものは、どんな戦いにも勝たねばならないのよ!」
「――!」
みほは思わず立ち上がっていた。
エリカが犬歯をむき出しにしてニヤリと笑う。
2人の間に、一触即発の空気が流れ、沙織も華も、優花里も心配そうにみほの顔を見る。
「……なるほど。ものは言いようだな」
だがここでずっと黙っていた麻子が、火花散る2人の間に割って入る。
「万全に準備した西住さんには勝てないから、ここで潰しておこうというわけだ」
「……何ですって」
エリカの視線が動いた。麻子を睨みつける目つきが、恐ろしく鋭くなっている。
「私はいつ戦ったって、どこで戦ったってみほに勝つわよ! 勝ってみせる!」
「そこまで言うなら公式戦で堂々と戦えば良い。それが『真の選手』なんだろ」
「ッッッ!」
エリカは麻子に何か言い返そうとするが、言葉が浮かばないのか悔しそうに唇を噛む。
うまく戦いの気配が途切れた所を逃さず、今度はやはり黙していたまほが動いた。
「今日はこのへんで良いだろう。どの道、全国大会が始まれば結果がすべてを証明する」
「ですが隊長!」
「この店に来た当初の目的を忘れるな。そろそろ『出てくる』頃合いだ」
「……わかりました」
まほの平然とした調子に、エリカも冷静さを取り戻したらしい。
みほの顔を流し目に見て、何も言わずに立ち去るまほの背を、エリカは追う。
しかしまほと違って、捨て台詞を残すのは忘れない。
「せいぜい頑張ることね。サンダース相手にどこまでできるか知らないけど」
「べーっだ! 絶対に負けないわよ! あんた達にだって絶対に勝つんだから!」
「嫌な感じです!」
捨て台詞に沙織が反論するが、エリカは振り向きもしない。
普段は温厚な華もプンスカと怒ってしまっていた。
一方優花里は、なんとも言えない微妙な表情をしている。
「今の2人……黒森峰女学園は去年の準優勝校です。その前は九連覇してて……」
「え! うそぉ!」
「じゃあ……みほさんのお姉さんも、それにあの感じの悪い人も」
「はい。西住まほ選手に、逸見エリカ選手。どちらも歴戦のボトムズ乗りです」
「……」
椅子に座り込んで、うつむいてしまったみほ。
彼女たちの周囲に、なんとも気まずい沈黙が流れる。
その空気を破ったのは、MCの脳天気な声だった。
『さーて快進撃を続ける「ウラヌス」に次なる挑戦者が現れました! 彼女同様、自機ATを持ち込んでの参加です! リングネーム「ブゥラン」! 意味はロシア語で「地吹雪」だぁ!』
――◆Girls und Armored trooper◆
『機体の調子はどうですか、カチューシャ』
「ハラショーよノンナ。それだけのお金はつぎ込んでるんだもの。むしろ動かないなら業者をシベリア送りよ」
『相手は知波単の……恐らくはエースです。油断は禁物ですよ』
「はっ! あんな低スペックATにこのカチューシャが負けるはずないじゃないの! 余計な心配は良いからノンナはデータ取りに集中しなさい!」
――◆Girls und Armored trooper◆
闘技場に、その黒いATが姿を現した瞬間、優花里は思わず走り出して強化ガラスに勢い良く飛びついた。
「ゆ、ゆかりん!」
「どうしましたか!」
その後を沙織、華、麻子、そしてみほと慌てて追う。
「すごいです! 西住殿見てください、あれ!」
優花里が興奮して指差したのは、新たな迷彩ライトスコープドッグの対戦相手だが、その機種にはみほも確かに驚かされた。
「『エクルビス』!」
「でっか! 何アレ、あんなの初めて見たよ!」
「本当に大きいですね。スコープドッグよりも頭一つ分背が高いですし、肩幅も広いです」
「しかしザリガニか。確かに左手にはクローがあるが」
赤いひとつ目の、黒く巨大なATだった。
大洗にあるどのATともまるで似ていない、特徴的な姿の機体だ。
強いていえばカメラの雰囲気がファッティーに似ているが、あれよりもずっと大きいし高性能そうに見える。
大きい上に背の方に長く突き出した頭部。左手に備わった三本爪の大型クローアーム。右手にはパイルバンカーらしきものが装着されている。車輪がつま先の方に備わった大型のグランディングホイールがあり、腹部には二連装の機関銃が装備されていた。
「B-ATH-XX『エクルビス』! 写真でしか見たことありませんでした! 動いてる所を見るのは初めてです!」
興奮しているのは優花里だけではなく、他の観客も席を立って分厚い強化ガラスにまで寄ってきている。
「そんな凄い機体なの、あれ?」
「凄いというか、とても貴重なATなんですよ! 少数が試作されたのみで現存数も少ないですし! それに操縦系統が極めて特殊な実験機なんです! 乗りこなせるのは極一部の限られた者だけとか!」
MCの実況も、優花里の解説を裏付ける調子だった。
『これは珍しいATの登場だ! エクルビスがこの闘技場に来たのはこの十年でもたったの二回! それも一回はファッティーを改造して作った偽物だった! さぁコイツは本物かどうか! それは戦ってみれば解ること!』
「あの黒いのに賭けるよ!」
「ハッタリに決まってラァ! 見てよあのこれみよがしなクロー! 脅し以外の何の役に立つのさ!」
「へ! これだからトーシローは! あのATの凄さをしらないのかい!」
観客たちも大いに盛り上がって来ている。
闘技場の中央へとエクルビスとライトスコープドッグは乗り寄せ、向かい合う形になった。
『さぁて「ウラヌス」の四連勝か! それとも期待の大型新人の初勝利か! 今ゴングが鳴ります!』
闘技場中央の天井より吊るされたシグナルのランプが灯り、ビィーッと開始を告げる電子音が鳴り響く。
『おーっと「ウラヌス」! いきなり突っかけたー!』
相手がデカブツだろうとお構いなしといった調子で、ライトスコープドッグはいきなりのフルスロットル。
エクルビスは胸部の機銃で迎撃をするも、「ウラヌス」は最低限の動きでこれを避け、懐へと潜りこむ。
その顔面目掛け、左のスパイクナックルを思い切り叩きつけんと振りかぶり、一閃!
『お! おおおおおおおっ!』
しかしそれに対してエクルビスが見せた動きは、MCがおもわず実況を忘れて叫ぶほどのものだった。
「嘘ぉ!」
「ATがばばばバク転!? 西住殿! 西住殿!」
エクルビスはなんとATでバク転をして見せてこれを回避。着地同時に左手のミサイルを発射。「ウラヌス」が間一髪でこれを避ければ、その隙に今度はエクルビスが突っかける!
「ウラヌス」がヘビィマシンガンを撃つのを、今度はジャンプで射線より逃れた。
そして「ウラヌス」が銃口を向け終わるよりも早く、左のクローアームがヘビィマシンガンを叩き落とす。
『すごいです! グラップルカスタムされた軽量機ならならともかく重ATでやるとは、まさに離れ業だぁ!』
ここで並のAT乗りなら距離をとろうとする所だが、「ウラヌス」は違う。
何と再度左手のスパイク付きナックルガードでエクルビスの頭部を狙う。
相手が僅かに機体を後退させれば、今度は右手のアームパンチ! コンビネーションパンチを思わせる動きでエクルビスを攻める!
『ああーっ! 「ウラヌス」右手を受け止められたー!』
しかしエクルビスは急速後退すると同時に、突き出したクローでアームパンチを真っ向受け止めた。
そしてそのまま――「ウラヌス」の右手を引きちぎる。
『これは万事休すか! いや、「ウラヌス」はまだ攻める気だ!』
しかし自身の右手でエクルビスの左クローを封じている内に、ターンピックを駆使して「ウラヌス」はエクルビスの背後へと回りこむ。残った左手の狙いは、エクルビスの膝裏。関節を砕いて足を止め、逆転を狙う算段だ。
『しかし「ブゥラン」は急速後退! 背中からのタックルで「ウラヌス」を吹き飛ばしたぁ!』
これには「ウラヌス」もどうしようもない。
倒れた所を何とか立ち上がるよりも早く、正面に向き直ったエクルビスが、足裏の三連グランディングホイールを活かし間合いを詰めてきたのだから。
――◆Girls und Armored trooper◆
『待ってくださいカチューシャ! まだマッスルシリンダーの稼働データの採取が――』
「遅いわノンナ。もう勝っちゃったわよ」
――◆Girls und Armored trooper◆
エクルビスはライトスコープドッグの両足をパイルバンカーで破壊し、クローアームで頭を掴んで機体を無理やりひっくり返した。ちょうど「ウラヌス」が跪くような格好になった所で、背中を踏みつけ、左手のクローを掲げる。
勝利宣言と同時に、試合終了のゴングが鳴り響く。
『強い! 圧倒的強さです! 善戦むなしく「ウラヌス」の連勝は3でストップだー!』
みほ達は思わず言葉を失くしていた。
その圧倒的な強さに。悪趣味な勝ち方に。
「相手のATの両足を破壊し、跪かせる。西住殿、この戦い方は……」
「うん。プラウダ高、『地吹雪のカチューシャ』」
そう、敵はまほやエリカばかりではない。
全国の猛者が集う公式戦。強敵は大勢いる。
それは、次戦うサンダース大学付属高校とて例外ではない。
「……」
みほは無意識の内に、己の拳を強く強く握りしめていた。
大会が始まろうとしている。
次々と現れる強敵の陰。みほは策を巡らし、戦いに備える
しかし戦いとは戦場のみに非ず、訓練のみに非ず、会議室のみに非ず
敬愛する者達のために、優花里はもう一つの戦いへと赴いた
次回『潜入』 知ること、それもまた戦いか