予期せぬ事態にも即座に反応できたのは、流石はアンツィオにその人ありと言われたアンチョビであった。
カルパッチョへと向けて無線を飛ばし、命令を下す。
「カルパッチョ! 分隊機を率いてここから離脱しろ! 大至急!」
『ドゥーチェは!? ドゥーチェはどうするんですか!?』
「アストラッドはこの場に残って敵を引き付ける! せいぜい暴れてやるからフラッグ機は全力で退け!」
『! ……了解!』
そしてカルパッチョもまた、アンツィオには珍しい冷静な知性派である。アンチョビの思惑を汲み取り、即座に行動を開始する。
「弾幕を張って牽制しつつ後退! ドゥーチェ、ご無事で!」
『心配無用だ。むしろ自分のほうを心配しろ。良いかみんな、何が何でもフラッグだけは守りぬけ!』
『がってんドゥーチェ!』
『任してくだせぇ姐さん!』
アストラッドの死角を埋めていたベルゼルガDT達が一斉にカルパッチョ機の周囲を固めに走る。
アンチョビはその姿を覗き穴から確認すると、正面に向き直った。
「壊れたのは右の履帯だけだな? 左は動くのか?」
「そりゃ動きは動きますけど片っぽだけじゃ……」
操縦手の返答にアンチョビは不敵な笑みを浮かべると指令を下す。
「構わん前進! カメのような歩みでも構わない。こっちがまだ戦える所を大洗女子に見せつけてやれ!」
「でもドゥーチェ! そんなことしたら転輪が痛むんじゃ……」
「ここで負けたらそんなことを気にしても意味がなくなる! こんな時こそノリと勢いだ!
ドゥーチェの揺るぎない姿に、車内の空気はたちまち活力を取り戻す。
考えるのは苦手な彼女たちに代わり、常にその頭脳をフル回転させてきたドゥーチェがそう言うのだ。その言葉に間違いなどあるはずもない! ――本当は背中が冷や汗でびっしょりなのはアンチョビ絶対の秘密だ。
「よっしゃ! やったりますぜドゥーチェ!」
「その意気だ! 砲手、出し惜しみは無しだ! 弾倉が空っぽになるまでここでぶっ放すぞ!」
履帯をふっ飛ばした爆発によってできた穴に右の転輪はがっちりと嵌っていた。
しかし周りが見えなくなるほどの排煙を吐き出しながら、余計に大量の土を巻き上げつつアストラッドの車体が躍り出る。左右の砲身下部に備わったヘビィマシンガンが火を吹き、カルパッチョたちを追わんと動く大洗女子のAT達へと銃弾を浴びせかける。
「行くぞ! アンツィオ魂を見せてやれ!」
第36話『雌雄』
『みぽりん! フラッグが逃げてく!』
『ですが――追いかけようにもこの攻撃では!』
『あの爆発でまだ動くのか、相手の戦車は』
「……」
壊れた履帯を意に介さないかのごとく、アストラッドは猛然とみほ達に攻撃を仕掛けてくる。
その姿と勢いに沙織も華も、麻子すらもが驚き圧倒されている。みほとて内心舌を巻いていた。
足を潰した程度ではアンツィオ自慢のノリと勢いは揺るがないということなのだろうか。
「部隊を二分します。華さんと沙織さんは逃げた敵フラッグを追って下さい。麻子さんは私と一緒にアストラッドを攻撃します」
『え? でもみぽりん達のほうが足が速いんじゃ……』
『それに戦車を相手にするなら、火力の高いわたくし達のほうが向いています』
沙織と華が言うのも最もなことだった。
しかしみほは2人へと首を横に振る。
「防御が硬いのは相手フラッグのベルゼルガタイプも同じです。それに私達なら出遅れても速度の差で追いつけます。それに……アストラッドとどう戦うかは考えてあるから!」
みほが断言するのに、沙織も華も今度はすぐに首を縦に振った。
アンツィオの選手たちがアンチョビを信頼するのと同じぐらい、沙織も華もみほのことを信じているのだ。
「解った! 先に行くから追いついてきて!」
「ここはみほさんにお任せします!」
沙織達がフラッグ機のベルゼルガを追わんとするのに気付いたのか、アストラッドは砲口を彼女たちの方へと向けてくる。みほはすかさず射線に割り込み、ヘビィマシンガンを撃ちながら戦車めがけて突進する。
「麻子さんは後方から回り込んで下さい!」
『了解』
麻子へと指示を飛ばしつつも、みほは正面の鋼の車体から目を離さない。
相手は沙織たちを追うのを諦め、パープルベアーに照準を合わせてきた。
機銃が弾を吐き出すのを止めれば、105mm滑空砲の砲身がみほを狙う。
ターレットレンズが回転する様がはっきりと見える。ターレットの向こうにいる砲手の、熱い視線がみほへと注がれる。当たればひとたまりもない一撃の予感に、みほの表情が険しく引き締まる。
装甲騎兵道の試合において、AT内部はカーボン加工で完璧に保護され身の安全は絶対だ。それを解っていてなお、砲口へ身を晒すのには勇気が必要だった。ましてや相手が105mmの大口径を誇っているならなおさらだ。
みほには、その勇気があった。意味もなく危険に跳び込む匹夫の勇ではない、本物の勇気があった。
――そしてみほがやって見せた『その動き』は、勇気無くしてはできないことだった。
「――ッ!」
パープルベアーが持つステレオスコープだからこそ可能な、三次元立体視。
ミッションディスクが起動し、内蔵されたプログラムがステレオスコープに連動、アストラッドの細やかな挙動を分析し、数値化して表示する。故にみほには見えた。相手がコチラに狙いをさだめ、トリッガーを絞るその瞬間が。
「たぁっ!」
掛け声と共に打ち出されたターンピックは地面に機体を縫い止め、軸と化す。
地を駆ける勢いそのまま、パープルベアーは独楽のように回転する。
コンマ1秒以下の過去に機体が在った空間を、音速を超えた砲弾が通過する。
一回転し正面に向き直った所でターンピックは引きぬかれ、首輪を外された猟犬のように機体は再度アストラッドめがけて走り出す。
アストラッドが次弾を放つよりも、みほの機体が相手の懐に飛び込むほうが早かった。
パープルベアーは恐ろしく装甲が薄いATだ。それだけに、素早い。
ヘビィマシンガンを投げ捨て、腰を落とし体勢を低くする。地面の僅かな傾斜や出っ張りをステレオスコープで捉え、そこを目印にATを走らせれば、傾斜はジャンプ台と化してパープルベアーを宙へと跳び上がらせた。着地したのは、アストラッドの前面装甲の上。そのまま空いた鋼の両手で砲塔に抱きついた。装甲は薄くともATの重量は数トンはある。機体の重みで無理やりターレットリングの動きを封じる。
「麻子さん!」
名を呼ぶだけで十分だった。言わずとも何をすべきかは明らかだ。
背後より回りこんだブルーティッシュ・レプリカは、動きの止まった砲塔へと跳び上がり、その真上に立った。
立膝を突き、ガトリングガンの銃口を突き付ける。
戦車には幾つか弱点がある。履帯、排気口、ターレットリング……そして『上部装甲』。
ガトリングガンが、束ねられた銃身が回転する。
無数の銃弾が、手を伸ばせば触れられる距離から怒涛の如くアストラッド目掛け吐き出される。
無敵とも見えた鋼の車体から、白旗が揚がったのは直後のことだった。
――◆Girls und Armored trooper◆
「ッッッ! アンチョビ姐さん!?」
ペパロニは視界の端を流れたキルログの内容に思わず叫んでいた。
よもやアストラッドが撃破されようとは! 事実は余りに予想外で、豪胆な筈なペパロニですらド肝を抜かれる。
『ペパロニ姐さん!? ドゥーチェがやられたっすよ!?』
だが僚機から飛んできた悲鳴に、ペパロニは瞬時に冷静になった。
頭の良さではアンチョビに負けるし、カルパッチョほど理性的でも冷静沈着でもない。しかしペパロニはクソ度胸の持ち主だった。その点ではアンツィオのなかでも彼女に勝てる人間は居ない。
「ビビってんじゃねぇ! カルパッチョを援護するぞ!」
『でも、こいつらが食い下がって来てちゃ!』
「カエル野郎がなんだってんだ! 無駄にでかい土手っ腹に一発ぶち込んでやれ!」
大洗カエルさん分隊とペパロニ達との、森の中での撃ち合いは完全に膠着状態に陥っていた。
互いに機動力に優れたチームでちょこまか動き回っている上に、視界も悪く遮蔽物も満載の地形での戦いである。撃てども当たらずの繰り返しで、完全に将棋でいう所の千日手状態に陥っていた。
「……森から出るぞ! 開けた場所でケリをつけてやる!」
この期に及んでオツムを使って戦ってもどうしようもない。
後はノリと勢いで乗り切るのがアンツィオ流だ。ペパロニの性分的にもそっちのほうがずっと合っている。
幸い、相手はこちらに付き合ってくれるつもりのようで、ピッタリと森の外に向かうペパロニたちを追跡している。
「上等だ! やるぞテメェら! 姐さん直伝『分度器作戦』発動だ!」
『『『
ペパロニの堂々たる号令に帰ってきたのは威勢の良い返事だが、しかしコンマ数秒後一転、弱気な調子のこんな問いが僚機から漏れ出てきた。
『……所でペパロニ姐さん。分度器作戦ってなんでしたっけ?』
ペパロニは瞬く間程度逡巡した後、自信満々に言い放った。
「知らん!」
――◆Girls und Armored trooper◆
「急がないと……」
カルパッチョは単騎、麓を目指して木々の間を蛇のようにうねる軌道で走り抜けていた。
彼女の僚機は3機とも追撃してくる大洗機の抑えに回り、ここにいるのはフラッグ機のカルパッチョのみだ。
問題はない。一旦麓に出さえすれば味方の三個分隊は多少の損害は出つつも健在だ。味方と合流したあと、戦力を立てなおしてフラッグ機を今度こそ撃破する。アストラッドが万が一撃破された時の為にと、アンチョビが用意しておいた反攻作戦プラン『分度器作戦』がこれだった。
「――ッ!」
大洗側のATに邪魔されることもなく、カルパッチョは無事に麓までたどり着いた。
もしも、木々の間から飛び出した先にいたATが『彼女のAT』でなかったなら、カルパッチョの腕ならば難なくそれをやり過ごし分度器作戦を成功させていただろう。
だが、カルパッチョが出くわしたのは偶然も偶然、『彼女のAT』であったのだ。
(……あの鷲のマーク)
カルパッチョが遭遇したのはベルゼルガタイプのATだった。
それも彼女の駆る旧式のベルゼルガDTよりもさらに旧式のベルゼルガ・プレトリオである。
数は作られているため希少価値は低いが、製造年代だけで言ったらもう骨董品と呼んでも差し支えないATだ。
しかし装甲は綺麗に磨き上げられ、銀色の装甲が陽光に輝いている。
最初から備わっている鶏冠飾り以外は装飾らしい装飾もないが、しかしその残滓は認めることができる。
左手に携えた大盾、古代ローマの軍団兵が持つような巨大な大盾の表面にが微かに、一度描かれて落とされた紋章の跡がある。SPQRの四文字と、翼を広げた鷲のマークは、古代ローマ帝国の紋章に他ならない。
こんなことをするのは、一人しか居ない。彼女だ。彼女に間違いない。
「……」
相手は相手で突然森から飛び出してきたカルパッチョに驚いたのか、数瞬の戸惑いの静止を跨いでこちらへと手にした得物の銃口を向けてくる――よりもカルパッチョがアサルトライフルを相手に向けて構えるほうが先立った。
だが、手にした優位を文字通りカルパッチョは投げ捨てた。アサルトライフルを投げ捨て、左腕に備え付けの盾も強制的にパージする。
カルパッチョのそんな行動に、彼女も目の前のベルゼルガDTの中身が誰か察したのだろう。
飛び道具と盾を投げ捨て、背部にマウントした槍を取り外す。
パイルバンカーの穂先を備えた、ATの武器としては最も原始的な武器のひとつだ。
カルパッチョもまた殆ど同じタイプの武器――違うのは彼女のは折りたたみ式だという点のみだ――を背部から取り外し、構える。多節棍状に幾つかの節に別れていたのが、中心を通るワイヤーの巻き上げと共に引き寄せあい、金具同士がガチっと音を立てて噛みあう。継ぎ目は殆ど見えない。とても折りたたみ式とは思えない出来栄えだ。
「……」
『……』
互いに穂先を向け合いながら、バイザー部を開いて顔を晒し合う。
ゴーグルを僅かに上げれば、直接眼と眼が合った。
やはり彼女だった。相手も、同じようなこと考えているのが、表情の僅かな動きで知れた。
互いに言葉はなかった。必要なかった。
数秒の無言の邂逅を挟み、殆ど同時にバイザーを下ろす。
今は試合中なのだ。交わすべきは声ではない。
「……」
フラッグ機の採るべき行動とは言えないかもしれない。
軽率であるという
しかし一見冷静でおとなしく見えるカルパッチョも、ノリと勢いのアンツィオ乙女だ。
燃えたぎる血潮に、身を任せない理由はない。
どちらが合図するでもなく、完全に息が合っているかのように、互いに互いを目掛けて、二機のベルゼルガは駆け出した。
アンツィオとの試合が終わる
振り返れば遠ざかる緑の戦車。友よさらば!
膨れゆく食欲の先に、仁王立つ数々の屋台
舌に残る美味、鉄板に焼きつくパスタ
かくして宴は終わり、次の試合が始まる
試合と呼ぶには余りに厳しく、余りに哀しい。過去に向かってのオデッセイ
次回『終宴』。みほは次の巡礼地に向かう