西住まほという少女はとかく誤解されがちな少女である。
まほは表情を動かすことが少なく、四六時中冷たく厳しい顔を、悪く言えば常に仏頂面をしている。そのために極めて厳しい性格の人間か、さもなくば何かに怒っているとしか人には見えない。何を隠そう、血を分けた妹であるはずのみほにすら誤解されている始末であった。
みほは自身の姉が、自分を咎めていると思い込んでいた。
黒森峰の敗北の原因となった自分を、黒森峰から、西住流から逃げ出した自分を咎めている、と。
まほが、まさに西住流の体現者として存在しているからこそ、みほにはそう思えたのだ。
だが、それは真実ではない。
西住まほは本質的には情に厚い性格をしている。
だから妹のことを案じこそすれ、怒る気持ちなどまるでなかった。
こと、装甲騎兵道に関して妥協はない。それでもあの試合の最中にみほがとった行動は、母はどうあれ、まほは内心致し方無いと感じている。母校を離れ故郷を捨てて、遥か彼方大洗の地に去ってしまったみほのことを、ずっと心配していた。装甲騎兵道からも完全に背を向けてしまったみほの姿を、不安に思っていた。
だから全国大会の抽選会でみほの姿を見かけた時も、バトリング喫茶で再会した時も、装甲騎兵道をまた始めた彼女の姿が、素直に喜ばしく嬉しかったのだ。
問題は、まほの場合はそういう想いがまるで顔に出てこない所だった。
いつも通りの仏頂面のまま、いつも通りの冷たい視線で言えば、みほは顔を固くするばかり。
まほは感情表現が苦手だった。
そしてそれ故に、人知れず悩みを抱え込んでいるタイプでもあった。
第56話 『パーフェクトソルジャー』
「今の黒森峰の撃破スコアは、エリカや小梅、他数名のエース達の活躍に完全に依存している」
二人がいる談話室は今は他に人影もなく、まほの声だけが嫌に大きく響いた。
エリカは改めてまほの顔を正面から見つめた。
一部の隙もなく着こなされた黒森峰の制服に、定規で入れているかのような真っ直ぐな背筋、表情は凛として厳しく、その口は真一文字に結ばれて甘さは一切ない。
しかしエリカも伊達に副隊長をしている訳ではない。
己が隊長の隊長然とした顔の下にある疲労の色は見逃さない。
実際、ここの所まほは明らかにオーバーワークであり、疲れが溜まっているのは明らかだった。ただ彼女は、鋼の意志でそれを押さえ込んでいるのに過ぎないのだ。
「そんな……むしろ私達こそ隊長に依存してしまっています。お疲れの様子ですし、どこかで一旦休みをとられたほうが――」
「そんな暇はない。エリカもそれは知っているだろう」
「……」
まほはエリカの提案をバッサリと斬って捨てた。
確かに決勝戦を控えたこの時期に、天下の黒森峰の隊長が休養をとるなど普通はありえないことだろう。
しかし、それでもエリカは何か休む理由をでっち上げようかと思ったが、うまく言葉が出てこない。
そんな自分がもどかしくて、唇の端を噛んだ。
「相手はみほだ。手を抜いて勝てる相手ではない」
西住まほは西住流の体現者だ。
二十四時間三百六十五日、いつ何時も西住流家元の娘として相応しい姿で振舞っている。
例え血を分けた妹が相手であろうと、容赦も油断もない。西住流を以って全力で粉砕するのみ。
しかしそれにしても、まほの顔にみなぎるこの緊張感はなんだろう。
エリカは、まほをして最大限の警戒を強いるみほへと、胸中で対抗心が湧き上がるのを感じる。
「……相手は準決勝のプラウダ戦で消耗しています。いくら元副隊長が相手とはいえ、そこまで気を張らずともただ王者の戦いに徹すれば自ずから勝利すると想いますが」
「装甲騎兵道にまぐれはない。あの逆境続きの戦いのなかで、大洗女子学園が勝ち続けたのは『何か』があるからからだ。そして、その『何か』がある限り、決して油断はできない」
「『何か』……ですか?」
指示も発言も常に明瞭的確な隊長にしては、珍しく曖昧な言い方だった。
まほ自身、上手く言語化出来ないことに戸惑っているらしい。
表情が僅かに揺らぐのが、エリカには見て取れた。
「……大洗は独自の装甲騎兵道を持っている。各分隊ごとに個性があり、その各分隊ごとが己の為すべきことを把握し、一見バラバラに動いているように見えてその実連携している。大洗のボトムズ乗り達の個性なのか、あるいはそれがみほの装甲騎兵道なのか……。恐らくはその両方だろう。定石に囚われない自由度の高い戦い方が、大洗の強みと言えるかもしれない」
「ですが、所詮は邪道です。理想の選手は徹底した訓練から生まれる……大洗にはそれが決定的に欠けています。数差を活かし、編隊を組み、連携し、正攻法で挑めば、大洗がいかに奇策を練ろうとも勝ち目はありません」
エリカとてみほの実力は認めている。
優花里を始め、無名の弱小校にも拘らず有望なボトムズ乗りが揃っているのも事実だ。
だが、それだけでは駄目なのだ。ATの数と質。それを支える学校の体制や後援組織の存在。そして伝統の中で培われた練習法に戦法。そして厳しい日々の訓練を許容する校風。
こうしたモノが揃って初めて、強豪校を名乗ることが許される。
少なくとも、エリカはそう考えている。
「徹底した訓練……確かにな。だがなエリカ」
まほが微かに笑った。
エリカはまほの見せた表情に心底驚いた。
笑ったことに対してではない。その笑みが、自嘲の笑みだったからだ。それはおよそ西住まほらしくない。
「それが欠けているのが、今の黒森峰だ。エリカも、それが解っている筈だ」
「――ッ!」
相手が副隊長のエリカだからとは言え、黒森峰としては認めたくないことを、まほは躊躇いなく断言してみせた。
「それは――……」
「……エリカはプラウダに偵察に行ったそうだな」
「へっ!?」
唐突にまほの口から出てきた言葉に、エリカは思わず変な声を上げてしまった。
確かにエリカはプラウダに潜入したし、そこで優花里と出会ったりとすったもんだあった訳だが、しかし偵察した事実は飽くまで小梅とエリカの二人だけの秘密だった筈だ。
黒森峰女学園は事前偵察などしない。なぜならば黒森峰は王者だからだ。王者は小細工などしないのだ。
だがエリカは敢えてそれをやった。無論、『独断』でだ。逸見エリカというボトムズ乗りが、個人的に偵察を行ったという形でだ。しかし、いずれにせよ西住流を信奉するエリカとしては余りにらしくない行動だ。
「あ、いや、その、た、隊長! あのですね!」
「別に咎めているわけじゃないんだ、エリカ。ただ、こう言いたかっただけだ」
みほは再び微笑んだ。さっきとは真逆の明るいほほ笑みだったが、それは直ぐに消えて、いつもの顔に戻る。
「エリカですら事前偵察をやりたくなるほどに、黒森峰の現状は危ういということだ」
一旦言葉を切ってから、それから相変わらずはっきりした声で言う。
「ブラッドサッカーの新規導入。……一見すればATの性能は格段に上昇し、我が校は他校に優位になったと見える。見た目だけは」
――◆Girls und Armored trooper◆
「……黒森峰がブラッドサッカーを導入した訳なら、解かります。あ、予測ではあるんですけど、たぶん正解じゃないかなって」
みほは自ら敢えてこの話題へと踏み込んだ。
逃げてばかりはいられない。過去の自分と向き合わなくてはならない。
皆が自分のほうを見つめてくるのに、ちょっと緊張し、深呼吸でそれを解いてみほは話し始めた。
「去年のプラウダ校への敗北、果たせなかった十連覇、のがしてしまった優勝旗……伝統ある黒森峰は、今年は絶対に勝たなくちゃいけない。負けることはもう、許されないから。だから、『安心』できる何かが必要だった」
皆がじっと聞いているのを受けて、みほは独り話を続けた。
「選手たちもそうだけど、学校や、そして後援してくれる人たちも納得させないといけなかった。今年は絶対に勝てるんだって、絶対に黒森峰は負けないんだって」
「……OG会ですわね」
みほが言う『後援してくれる人たち』という単語に反応して、ダージリンがポツリと呟いた。
彼女には珍しく、思い悩むような複雑な表情をしているのは、OG会からの干渉が極めて強い聖グロリアーナの隊長を務めている故か。彼女にも想像がつくのだろう。黒森峰がどういう状況に置かれているのかを。
「つまり、現場の選手たちのためっていうより、外野勢を納得させるための新機種導入ってわけだねぇ~」
杏が身も蓋も無い要約をし、みほは静かに頷いた。
勝つための布陣、というよりも『これならば勝てるはずだ』と外野が納得するための布陣。
いかなる競技でも起こりえる外部からの干渉。それがうまくいく場合もないではないが、多くの場合は現役選手たちの意向を無視した形になりがちだ。
現に黒森峰はそうなっている。選手たちのAT訓練の経験値がリセットされてしまったに等しい。
みほのような一流のボトムズ乗り達を見ていると忘れがちだが、機種転換とは、それだけ難しいということなのだ。
「プラウダ校に確実に勝つためのH級編成……プラウダ主力のファッティーをまずマシンスペックで圧倒できる……そういう思惑なんだと思います」
「そして、彼女たちに必要とされなくなったスコープドッグたちは、必要とする大洗へと流れ着いたわけさ」
みほのまとめをミカが引き継ぎ、カンテレを鳴らして話にオチをつけた。
事情を知った大洗一同は微妙な表情になった。
良いATが手に入るに越したことはないが、それにしても何とも奇妙な縁である。
去年の黒森峰の敗北が、大洗に西住みほのみならず、この窮地に(中古だが)新しいATまでもたらしてくれるとは。
(……お姉ちゃん)
みほはふと、姉のことを思った。
まほは、私の姉は、いったいどんな気持ちでこの決勝に臨んでいるのだろうか、と。
――◆Girls und Armored trooper◆
「確かに我が校は今、極めて危うい状況にあります。ですが……」
エリカは力強くみほを見返し、力いっぱいに断言した。
「必ず勝ちます。なぜなら、わたしたちの隊長は西住まほだからです」
「理由になっていないぞエリカ」
まほが冷静に返すのに、エリカはぶんぶんと首を横に振ってからから再度断言した。
「隊長こそは真の『PS』です! 完璧に西住流を身につけた、まことのPSです」
「……PS?」
「はい! PSです!」
エリカは身を乗り出し、まくし立てるように言った。
まほはちょっと驚いた。激情家と見えるエリカだが、普段の彼女は静かな皮肉屋だからギャップが凄い。
「常に冷静沈着で、どんな状況にも的確に対応する判断能力! 明確な指示を下し、部隊を手足のように操る指揮能力。そしてATへの高い適応力。選手に完璧さを求めれば隊長となります。そんな隊長が率いる黒森峰が負けるはずがない」
「……私はただ、西住流として振舞っているだけだ」
「だからこそです。隊長は西住流そのものです」
「私はみほみたいに器用じゃない」
「だから何ですか! 確かにアイツは、元副隊長は強くて優秀です! でも小器用さだけじゃ装甲騎兵道は勝てない! 鉄の騎兵を乗りこなす、鋼の意志があってこそです。隊長にはそれがあります!」
エリカには珍しく、まほが気弱になっていると見えた。
それゆえに、己の胸の内を正直にさらけ出してみた。
だがまほの顔色はいよいよ冴えなくなった。
「……決して完璧な選手じゃない」
それは西住流そのものにならざるを得なかった独りの少女の素直な気持ちだったかもしれない。
「不器用な私には、みほと違って愚直に西住の道を進むしかなかった。私は偏った、切れ味のいい人間でしかない」
「それの何が駄目なんですか!」
エリカが大声を出したのでまほは驚いていた。
「それこそ、選手として優れている証です! 戦いを極めてこその選手です! だからこそ私は隊長についていこうと決めたんですから。みなも同じ気持のはずです」
「……」
まほは不意にエリカから視線を外し、向き直った時には弱気は表情から完全に消え去っていた。
「ありがとう、エリカ。らしくないことを言った」
「いいえ。隊長に元気を出していただけたならなによりです」
フフッとまほが笑った。
笑った顔も魅力的だと、エリカは思った。
「所でエリカ」
「はい」
「PSって何だ?」
エリカはキリッとした表情で自信満々に答えた。
「パーフェクトな選手、略してPSです!」
「PS……」
「はい、PSです!」
まほは呟くように言った。
「かっこいいな、それは」
鉄は鍛えられて初めて鋼となる
アーマードトルーパーもまた同じだ
人が手を入れ、人が鍛えた時、初めて武器として完成する
一校の運命を、数千のさだめを担った鋼鉄の騎兵達
みほは、己の五体を託すその冷たい双眸を見据える
次回『改造』 戦いは、すでに始まっている