ガールズ&ボトムズ   作:せるじお

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第63話 『渡河』

 

 

 オレンジペコは思わずカップを取り落としそうになるのを堪えた。

 照れ隠しにコホンと咳払いをひとつ。観戦へと戻る。

 

「崩れましたね」

「ええ、ものの見事に」

 

 ペコが言うのに対し、ダージリンが頷いた。

 大型モニターに映し出された石橋は、その半ばで爆発を起こしたのを皮切りに、連鎖反応で次々と崩落し始めていた。恐らくはもともとガタが来ていたのだろう。水しぶきと埃が治まった後には、橋は僅かに両端部分を残して他は全て崩落し、水中に没してしまっていた。

 川幅は五〇メートル程だろうか。然程広いわけではないが、問題はその深さだ。落ちた石橋の瓦礫が完全に沈んでしまっている所を見るに、河はかなり深い。そして大洗側には潜水が可能なATは一機もない。

 たかだか五〇メートル。されど決して超えられぬ五〇メートルを挟んで、大洗装甲騎兵道チームは完全に分断されてしまっていた。

 

『……』

『……』

『……』

 

 ダージリン達の近くではケイ、アリサ、ナオミの三人も折りたたみ椅子を広げて愉快に観戦していたのだが、その彼女らもポップコーンに伸ばしていた手を止めて、固唾を呑んで見守っている。

 カチューシャはと言えばノンナの肩の上という定位置にいたが、何ともやきもきした様子で落ち着かない感じだ。

 フレーフレーと騒がしく応援していたアンツィオ一同ですら、今は静かに、そして不安そうな姿だった。

 

「『逆境が人に与える教訓ほど、うるわしいものはない』」

 

 不意にダージリンが唄うように呟いた。

 即座にペコが引用元を注釈した。

 

「シェークスピアですね。『お気に召すまま』だったかと」

「不運を嘆くことは簡単だけれど、しかし、真に賢いものはその逆境からこそ活路を見いだせる……」

 

 ダージリンは紅茶で唇を湿らせると、まるで己のことであるかのように誇らしげに言った。

 

「それがみほさんよ」

 

 

 

 

 

 

 

 第63話 『渡河』

 

 

 

 

 

 

 突然の危機的状況を前に言葉も無かったのは僅かな時間に過ぎなかった。

 このアクシデントに対しての澤梓の反応は迅速だった。

 

『先輩! 私たちに構わず行ってください!』

 

 分隊長の言葉に、皆も即座に続いた。

 

『行ってください!』

『後から追いかけます!』

『おいかけます!』

『私達ならだいじょうぶですからぁ~』

『……』

 

 あゆみが、あやが、桂利奈が、優季が言う。

 紗希も言葉こそないが、彼女は沈黙を以ってみほへと行けと促している。

 

「……」

 

 みほは考える。

 まずは状況を整理してみよう。

 今や河を挟んで大洗本隊は分断された。取り残されたのはウサギさん分隊。

 H級ならではの搭載量を活かし、目一杯のミサイルにロケットを装備した重火力部隊だ。

 つまり大洗の反撃の要となりうる戦力であり、ここで失うことは許されない。

 しかし、眼前に広がる河がある。ATには渡ることができない河が。

 

(迂回する?)

 

 試合場で河を渡ることができる箇所は全部で三ヶ所。崩落した石橋以外にも浅瀬が2つある。内一つは杏や華達の別働隊が今渡っている筈だ。ならば北にあるもうひとつの浅瀬にウサギさん分隊を向かわせるべきだろうか。否――それはできない。

 

(黒森峰に追いつかれる)

 

 本格的に追撃に入った黒森峰からは、ウサギさん分隊では逃れられない。その重装備が足を引っ張るからだ。主力分隊の各個撃破という最悪のシナリオがみほの脳裏をよぎる。

 

(でもどうやって助ける?)

 

 あまり考えている時間はない。ぐずぐずしていれば本当に黒森峰が追いついてしまう。

 今大洗が黒森峰に対して優っている点は、先手をとっていることだけに過ぎない。

 秒針が回れば、リスクが上がる。時間的余裕は全く無い。

 

『こんなこともあろうかと持って来てたんだけど、どう使うかだよねぇ~』

『向こう側に飛ばす方法がないとなると……ね』

 

 ツチヤとスズキがこんなことを言っているのにみほが振り返れば、ツチヤが腰にマウントしていたらしい予備のワイヤーの輪を鉄の掌の上でプラプラ揺らしている所だった。カーボンコーティング仕様の予備ワイヤー……しかしフックもなければ射出装置もなく、巻上機もない。ならばいったいどうやって向こう側にワイヤーを飛ばす?

 

(ミサイルに括り付けて――)

 

 しかし失敗が許されないことを思えば確実性にあまりに欠ける。

 だが他に手がない以上、こうするしか……。

 

『……ATも泳げたら良いのに』

 

 沙織がふと呟いた。

 

『無理だろう。鋼鉄の塊だぞ』

『だって宇宙空間には普通に出れるじゃん!』

 

 麻子がツッコミ、沙織が切り返す。

 傍らで聞いていたみほの脳裏に、潜水用のAT達の姿が次々と過ぎっていく。

 ダイビングビートル、スタンディングタートル、スナッピングタートル――……。

 

「!」

 

 みほは閃いた。

 彼女の視線の先にあるのは、優花里が駆るパジャマ・スコープドッグだった。

 

「優花里さん!」

 

 急に大声で呼びかけてきたみほに、優花里がビックリして反応する間もなくみほは叫んだ。

 

「優花里さんのAT、私に貸してください!」

 

 

 

 

 ――◆Girls und Armored trooper◆

 

 

 

 

 ――ちょっと待って! とみほは言った。

 待機命令を受けて、ウサギさん分隊は周辺を警戒しつつその場で静かに待っていた。

 黒森峰が今にも来るかもしれない――そんな危機的状況に否応なく緊張は高まり、普段は明るく騒がしい一年生たちも皆言葉一つ無い。

 そして元々も口数の少ない紗希ばかりがいつも通りの様子であった。

 

「……」

『ん? なに、紗希?』

 

 紗希があゆみの乗るATの肩を、鋼の指でコツコツと叩いた。

 相変わらず一人だけ他と違う所を見ていた紗希。彼女の見ていたのは対岸、つまりみほ達の居る方向だ。

 あゆみは促されて対岸の、崩れず残った橋の端を見た。

 見て絶句した。言葉が出てこないので隣の桂利奈のATの肩を、鋼の指で叩いた。

 

『え? なに、なに? いったい何事――』

 

 桂利奈は促されて対岸の、崩れず残った橋の端を見た。

 見て絶句した。言葉が出てこないので隣のあやのATの肩を、鋼の指で叩いた。

 

『え、なに? こんな状況で何を――』

 

 あやは促されて対岸の、崩れず残った橋の端を見た。

 見て絶句した。言葉が出てこないので隣の優季のATの肩を、鋼の指で叩いた。

 

『どーしたの~?』

 

 優季は促されて対岸の、崩れず残った橋の端を見た。

 見て絶句した。言葉が出てこないので隊長の梓のATの肩を、鋼の指で叩いた。

 

『ちょっと何? 黒森峰が来るかもしれないから、全員で正面を――』

 

 梓は対岸の、崩れず残った橋の端を見た。

 そこに立っていたのは、思わず言葉をなくすほど珍妙な存在だった。

 パンパンに膨れ、まるで著しく肥えたかのような不可思議なシルエットが、元は優花里のパジャマ・ドッグのものであったことは解る。

 だが、今のその姿の奇妙さよ。ATの形をした風船のような姿よ。

 オマケにその両手には、みほのパープルベアーMk.Ⅳスペシャルから取り外したらしい装甲板をそれぞれ携えている。

 

「浮き輪と、オール」

 

 紗希は相変わらずの微かな声で言った。

 それは対岸のパジャマドッグの奇妙な姿の意味を的確に捉えた答えだった。

 

 

 

 

 

 

 ――◆Girls und Armored trooper◆

 

 

 

 

 

 

 今や飛び込み台と化した橋の端に立ち、みほは改めて渡らなくてはならない川幅を見た。

 たかだか五〇メートル強。たったそれだけの距離が、恐ろしく遠く感じられる。

 

「――」

 

 ヘルメットを外し、深呼吸。

 気分を落ち着けた所でヘルメットをかぶり直し、センサーとバイザーを同期させる。

 ATの視界が、己の視界となる。まっすぐに河を見据えて、ルートを脳内に思い描く。

 チャンスは一度切り。そう思えば、整えた息がまた荒くなる。

 

『みぽりん』

 

 呼び掛けられて、振り返る。

 沙織がハッチを開き、ヘルメットを外してこちらを見ていた。

 微笑んでいた。それにサムズアップを添えた。

 

『西住殿! ご武運を!』

『賽は投げられた! ルビコンを渡れ!』

『自分の人生は、自分で演出する……隊長の信じた道を行け!』

『上策は敵も察知す! 相手の思いもよらぬ策で行くのみだ!』

『世の人は我を何とも言わば言え、我が成す事は我のみぞ知るぜよ!』

 

 優花里は敬礼を送り、カエサルたちニワトリ分隊もそれに倣った。

 

『行って来い』

『待ってるよ~』

『メンテナンスは任せて』

『水が入らないようにね』

『ドリフトドリフトォ! ……は水上じゃ出来ないか』

 

 麻子が手を振り、自動車部の皆も同じように手を振った。

 

『隊長ファイトー!』

『『『ファイトー!』』』

 

 バレー部の皆は力強いエールを送ってくれた。

 それで迷いが消えた。

 

 ――助けたかった。

 母は間違ったと言ったが、あの時、去年の決勝戦のあの時、沈みゆく戦友を自分は助けたいと思った。

 だから飛び込んだ。今度も飛び込もう。自分のやり方を貫こう。

 母にだって、いや、西住流にだって私は従わない。

 

「『ぷかぷか作戦』、開始します!」

 

 ローラーダッシュで勢いをつけて、みほは川面へとダイブした。

 水しぶきで視界が覆われる。だが、それも一瞬のこと。機体が『浮かび上がった』ことで、カメラには目指すべき対岸がハッキリと見えている。

 

(上手く行ってくれた!)

 

 浮力の源は、パジャマドッグを覆う装甲代わりのカーボンコーティングシートだ。

 ここにパンパンに膨れ上がるまでに詰め込まれた圧縮空気――エルヴィンのベルゼルガ・イミテイトのパイルバンカーから生み出したものだ――によって、ちょうど浮き輪の要領で機体を浮かしているのだ。

 発想の大元は、スコープドッグのカスタムタイプの一つである『マーシィドッグ』。腰に備わった二基のエアバージ(フロート)によって浮き、ハイドロジェットで推進する。潜水こそ出来ないが、水上戦に一応は対応できるという代物だ。マーシィドッグはたかだか二基のエアバージで浮くことができるのだ。ならば機体のほぼ全てを覆うパジャマスーツを膨らませれば、浮けないことがあるだろうか……いやない!

 

「後は前に……進むだけ!」

 

 両手に持った装甲板を、拳部マニピュレーターを回転させることで水を掻く。

 ちょうど大昔の外輪蒸気船の要領だ。思いの外速いスピードでATは向こう岸へと進む。

 その背にはワイヤーが結ばれ、2つの岸の間を繋ぐ役割を担う。

 

 皆が見守る中、みほの駆るパジャマドッグは進む。

 その姿はお世辞にも格好いいとは言えず、むしろ間抜けにすら見えるが、誰一人笑う者はいない。

 大洗の皆も、観客の誰一人すら、笑う者はいない。

 皆が応援し、見守る中、遂にみほは河を渡り切ることに成功した。

 

「隊長!」

「隊長!」

「隊長!」

 

 ハッチを開き、ヘルメットを脱いで涙目でみほを出迎える梓達に、みほは笑顔でこう返した。

 

「みんな、おまたせ!」

 

 

 

 

 ――みほの渡したワイヤーを伝って、ウサギさん分隊は全機渡河作戦に成功した。

 黒森峰の大部隊が崩れた橋のもとへと到達したのは、ウサギさん分隊が渡り終えたのとほぼ同時であった。

 

 

 

 

 

 ――◆Girls und Armored trooper◆

 

 

 

 

 

 間一髪の所で、窮地を脱した大洗女子学園。

 遠回りする黒森峰を他所に、彼女らが目指すのは試合場北西部の廃市街地だ。

 百年戦争の時に、流れ弾の星間ミサイルが着弾し開いたすり鉢状の穴なかに造られた階層式のバラック街。

 今では再開発の結果打ち捨てられ、酸の雨によって朽ちるに任せている。

 みほ達は遂に、目的地へと到達しようとしていた。

 

『華や会長達はまだ来てないみたい』

『どうします西住殿? 皆が来るまでここで待ちますか?』

 

 沙織の言う通り、まだ別働隊の姿は見えない。

 優花里が問うのに、みほは首を横に振りつつ答えた。

 

「先に偵察隊を出して、安全を確保します。黒森峰の別働隊が居ないとも限りません」

 

 みほが言うのに、今度はエルヴィンが答えた。

 

『ならば我らの出番だな。カエサルのクエントレーダーがあれば潜んだ敵も察知できる』

『盾持ちのベルゼルガを前に押し出せば、出会い頭の戦闘でも優位に立てる』

 

 エルヴィンが言うことを、カエサルが補足する。

 

「では、ニワトリさん分隊に偵察をお願いします」

 

 みほもこれに頷いて、カエルさん分隊に偵察を命じた。

 ベルゼルガタイプを二機に、黒森峰譲りのタイプ20が二機。

 彼女らの腕の良さも相まって、危険な偵察任務をまかせるに足る能力を有している。

 

『Jawohl!』

『心得た!』

『合点承知の助!』

『道を切り開かねばいかんぜよ!』

 

 かくしてニワトリさん分隊は偵察任務へと打って出た。

 彼女らの進む先に、何が待つかも知らず――。

 

 

 

 

 

 ――◆Girls und Armored trooper◆

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 しばし進んだ所で、カエサル機に搭載されたクエントレーダーが、廃墟の街に潜む敵影を捉えていた。

 

『見つけたか?』

「11時の方向……敵は全部で3……いや4!」

『いぶり出すぜよ?』

『ならば一番槍!』

 

 左衛門佐がミサイルを数発撃ちこめば、吹き飛ぶスクラップの影から飛び出してくる三機の黒い影。

 ブラッドサッカーだ!

 

 

「? ……何だ?」

『逃げの一手か』

『臭うな』

『臭いぜよ』

 

 ブラッドサッカーが三機。数では劣るとはいえ、機体性能ではあちらが遥かに勝る。

 にもかかわらず黒森峰らしくもない。見つかった直後に牽制の弾幕を張るばかりで、ひたすら逃げ続けていく。

 廃墟の街の道はスクラップの覆われて複雑だが、しかしクエントレーダーを以ってすれば敵の動きは丸見えだ。

 

「……別行動中だった一機と合流したようだ」

『誘導された?』

『おびき出されたぜよ』

『つまり釣り野伏だな』

「『『それだ!』』」

 

 相変わらず緊張感があるんだか無いんだかのやり取りを交わしながら、廃墟の街を進むカエサル達。

 今、目の前のカーブを曲がれば敵は目前だ。

 

「ローマ式に盾持ちが先行する!」

『怪しいところには、弾丸をぶち込め!』

 

 ロンメルからのエルヴィンが引用して言うのを受けて、カエサルは盾を構えつつカーブの向こうへと躍り出た。

 そして敵の反応を引き出すべく、アサルトライフルを乱射する。

 返答はすぐに来た。

 

「……!?」

 

 暗闇の向こうからまっすぐに自分へと向けて走る光条。

 その正体がミサイルと気づいた時、カエサルは既に盾を構えていた。

 何度も繰り返し練習したがゆえの反射的な行動だ。

 

「何だ!?」

 

 辺りを満たす爆煙越しに覗けば、暗闇の向こうから一機のATが姿を現した所だった。

 その恐ろしく巨大なATのことをカエサルは知らなかったが、秋山優花里であればその名を叫んでいたことだろう。

 『ブラッディドッグ』と――。

 

 

 

 

 

 ――◆Girls und Armored trooper◆

 

 

 

 

 

 

 【第25分隊】シークレット部隊4機

 ブラッディドッグ×1

 ブラッドサッカー・カスタム×3

 

 

 

 

 

 

 






 遂に姿を現した黒森峰の伏兵
 圧倒的火力、圧倒的巨体、圧倒的性能
 あらゆる意味で圧倒的なる敵が、その圧倒的なる力を存分に振るう
 潰されるか、切り刻まれるか、あるいは焼かれるか
 だが前に進まんと欲するならば、このゴリアテへと立ち向かうほかはない
 知恵と勇気を振り絞り、少女たちは立ち向かう 

 次回『羅刹』 小石を以って巨人を穿つ

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